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トポス

 ( 哲学掲示板 )
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ヒコ太郎 ★DJaTy1qGJW_XWi

他スレで「無名空間」についての話題があったので、
「空間の名前」、あるいは「場所」、またの名を「トポス」、について議論できる場所を作りました。

カテゴリー論、トポス、名前空間などは現代的なテーマですが、
古くはアリストテレスの「トポス論」にまで遡ることができます。
あるいは、キケロの「トピカ」を思い浮かべた方もいるでしょう。

「郷に入れば郷に従え」
ある場所ではあるものがAという名前だが、異なる場所では同じものがBと呼ばれている。

「バベルの塔」
>全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。
>(中略)
>主はそこから全ての地に人を散らされたので。
>彼らは街づくりを取りやめた。
>その為に、この街はバベルと名付けられた。
>主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
(「旧約聖書」11章)

「トポス(圏論)」
>有限極限を持つ圏 Eがカルテシアン閉であるとは、任意の対象XについてXと直積を取る関手X × -: E→Eに右随伴関手(-)X: E→Eが存在する事をいう。
> 例えば集合の圏Setsや有限集合の圏FinSetsはカルテシアン閉だが位相空間の圏Topはカルテシアン閉でない。
>一般に圏 E の対象Aの部分対象とはコドメインがAであるモノ射の同型類の事を言う。モノ射の引き戻しがモノ射になる事から、引き戻しを持つ圏Eについて各対象XにXの部分対象を与える関手Sub(-):Eop→Setsが定義される。圏Eの部分対象分類子(subobject classifier)とは、この関手を表現する対象の事をいう。
>圏 E は(初等)トポス(elementary topos)であるとは、Eがカルテシアン閉で部分対象分類子を持つ事をいう。 たとえば、Sets やFinSetsは部分対象分類子として二点集合を持つのでトポスになる。
(wikipedia)

「場所」について語り合いましょう。

1年前 No.0
ページ: 1

 
 

ヒコ太郎 ★DJaTy1qGJW_XWi

アリストテレス「トピカ」感想文
by リス先生の弟子

・その1:推論の種類

>さて、以上で語られたものがおよそ推論の種類であるとしよう。
(第一巻第一章)

アリストテレスによれば、推論には3種類あって、
実際推論、論争的推論、誤謬推論がある。
カントの言葉を借りれば、
実際推論とは、アプリオリな判断に基づく推論、
論争的推論は、経験的判断に基づく推論(正確には推論ではないらしい)、
誤謬推論は、不適切な推論、である。

1年前 No.1

ヒコ太郎 ★DJaTy1qGJW_XWi

アリストテレス「トピカ」感想文
by リス先生の弟子

・その2:はやく本題に入ろう

>すべての前提およびすべての問題は、特性か類か付帯性を示している。
(第一巻第四章)

>定義とは何か、特性とは何か、類とは何か、また、付帯性とは何かを言わなければならない。
(第一巻第五章)

第五章は、見事に私の気持ちを代弁してくれた。
その通り、話を始める前にまずしっかりと定義をしてくれ。
ギリシャ哲学の本は、論理展開がしっかりしているものが多い。
他方、「純粋理性批判」など近代以降の文章は、
論理展開をかなり無視している。
「モナドロジー」なんか、完全に詩になっているし・・・。
というか、近代以降はそういった論理的な事への批判を始めている。
わかりやすさは悪だ、みたいな歪んだ思考、やめてほしいんだけどな。

第五章では、定義をくつがえすことについて説明があった。
この考え方は好きだが、現代的な考え方とは違う。
今の時代、定義は絶対的なものだからだ。
その「絶対性」によって私はこの掲示板でも批判され続けてきた。

Aの定義:A=BであるB
Aの特性:AはCと比較するとBであるというときのB
Aの類:AがBに含まれるときのB
Aの付帯性:AがBのとき、のB

1年前 No.2

百理 ★5z6bVAmgS3_dB9

ギリシャ哲学には魂がありました。

1年前 No.3

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

 空に浮かぶ雲は一定の場所を占めているが、その実は人間が雲に場所を得させているのである。仮にその雲が場所を喪失しているとしたら、それは雲として認識されることなく空の大気と連続して認識されるだろう。つまり場所を喪失した雲の認識は無に等しい。
 このように自然と呼ばれる大気や雲、空、星、太陽などはその実は人間がそこに場所を得させているから「大気」や「雲」「空」「星」「太陽」として存在するのである。仮にそれらが場所を喪失したとしたら、残るのはモノトーンな質料の流動のみである。場所を得させる作用に能動受動が存するならば、真に自然と呼ばれるべきは「大気」や「雲」といった個物ではなく、その背景に流動する単一な質料であろう。なぜなら能動受動が存する時点でそれは作為的だからである。

2ヶ月前 No.4

宿題 ★5z6bVAmgS3_zRF

すめんさん

雲と言えば空に浮かぶものでした。

雲が地面に降りてきて自分の身長位の雲は霧と呼びます。

しかしここ数年いえいえ2〜3年前から山から上に向かってまるで地熱雲のようなものが空に昇っていくのです・・

生まれて初めて山のふもとの地面から雲が発生するのを目の当たりにしました・・

いよいよ大地殻変動では?

2ヶ月前 No.5

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

 場所を得させる作用は徹底して能動的である。ゆえにこの作用は主体に属する。主体が一個の基体となるためには、その主体の場所が空虚であってはならない。言いかえれば基体の条件は場所の充実である。ではなにがその場所を充実させるのか。たとえば、空に浮かぶ雲は「雲」という観念をその場所に充実させている。それゆえにその場所を占める大気の粒は「雲」と呼ばれるのである。この観念(イデー)こそ、場所を充実させるものとなる。したがって基体の条件は、場所を理念が占めることである。しかし雲は主体とは呼ばれない。よってなお基体が主体と呼ばれるのには何らかの条件が必要となる。
 主体とは作用の主体である。作用の主体であるということは、その主体を起点として作用対象が規定されるということである。前提として主体はそもそも場所を充実させる一定の理念を必要としていたが、この理念が作用対象を規定することになる。どういうことか。理念には諸々の微小表象に必然性を与えて結合させる統整的な機能がある。たとえば「雲」という理念(イデー)はいろいろな形をもつ白い実物を統一して「雲」と呼ばせることになる。このとき「形」や「白」、「空に浮かんでいる」といった諸々の微小表象が必然性をもって結合されるのはひとえに「雲」が理念として統整的な機能を発揮しているからである。こうして理念は、諸々の微小表象に必然性を与えて結合させる仕方で、作用対象を規定することになる。
 しかしなお、主体の場所を占める理念は「雲」や「木」などとは異なる。というのも、「雲」の理念は雲しか規定しないのに対し、主体の場所を占める理念は、他の諸々の規定を一手に引き受けるからである。つまり主体の場所を占める理念は諸々の理念の行きつくところ、すなわち理念の理念として特殊性を帯びる。ここに自己が出現する。つまり自己とは一定の場所を充実させる理念の理念を指すのである。

2ヶ月前 No.6

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

>>5
宿題さん。
すいません、大地殻変動はちょっとよくわかんないです。

2ヶ月前 No.7

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

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2ヶ月前 No.8

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

「場所の生成過程」

 場所(スペース)とは現前との間隔である。ふつう現前は表象と同一である。つまりコップの現前はコップの表象と同一である。これは言いかえればコップが即自的であることを意味する。しかし仮にこのコップから表象が奪われたとしよう。つまりコップをコップと呼ばせる輪郭あるいは形を奪われたとしよう。このことは直ちにコップの現前を奪われることを意味するだろうか。否、決してそうではない。なぜならコップの表象が奪われてもなお、「何か」の現前は残るからである。この「何か」が何であるかを言い当てることは決してできない。なぜなら表象という輪郭を奪われているからである。しかしなお、「何か」が現前する。私たちはこの「何か」に無関心でいられるだろうか。コップが表象を奪われたとき、残るのは得体のしれない「何か」である。「それ」は得体のしれないものだから、もしかしたら不意に襲ってくるかもしれない。襲ってこないかもしれない。コップの表象が与えられていたときは、「それ」が襲ってくるなど馬鹿馬鹿しい考えにすぎない。しかし表象が奪われた今、その「何か」はあらゆる可能性を内に秘めたまま、現前している。こんなもの、現前していなければどうでもいい。つまり無関心でいられる。しかしそれが現前している今、私たちは「それ」に無関心でいられない。つまり現前とは”無関心でいられないこと”、言いかえれば”他人ごとではない”、”さし迫る”性格を帯びたものなのである。
 場所(スペース)はこのさし迫る現前から距離を取るところに生まれる。逆に言えば、現前は表象を欠いては場所の喪失に等しい。場所は安定的であるが現前は不安定である。さらに言えば、そこから表象の機能が明らかになる。つまり、「表象は場所(スペース)を与える」のである。このような現前作用が働くのは対自存在のみである。つまりコップのような即自存在は、現前を経験することがない。だからコップのような即自存在は現前と表象が融解して同一と見なされるのである。

2ヶ月前 No.9

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

すめんさん

形になるとは・・どういうことでしょう?

私は形でない目に見えない存在を哲学しています。

2ヶ月前 No.10

地下水 ★lHRYPNADL9_zRF

>>0
トピカというと、トピカリティを思い出す。トピカリティ、シグニフィカンス、インヒアレンスィー、プラン・プラクティカビリティー、ワーカビリティー、ニューイーブル。
現状分析の(話題性、重要性、内因性)、計画の(実行性、効果性、副作用止め)。これを称してシックス・ストック・イシューという。

現状分析と計画は、例えば、「今暇?」「じゃあ御茶しよっか。」みたいな、少し積極的な感じになる。「晴れたね」「じゃテニスでどう?」みたいな感じである。
「週末暇?」「じゃあ内来てホームパーティでもしよっ。」かくして欧米文化は積極性を持つ。

現状分析の(話題性、重要性、内因性)は、「暑いね」「汗がダラダラ出て来るね」「長く歩いたからね」
計画の(実行性、効果、副作用止め)は、「アイスでも食べよっか」「かき氷の方が良う冷えるで」「また店まで遠いし、そこのベンダマシンで冷コにしとこ」
これで話が終わる。

同様に、(話題性、重要性、内因性)は、「テロがあったてね」「あれでは怖くて飛行機も乗れないね」「代理戦争のつけがまわってきたね」
(実行性、効果、負k作用止め)は、「国連軍に止めてもらわんとあかんね」「米軍の方が強いし直ぐ治まるで」「またベトナムみたいに泥沼化したらやだから、早く傀儡政権をつくって国民大会議を開かんとあかんね」

話題性の中も、(意見、権威付けの為の引用、引用を用いた意見の保証)、オピニオン、クオート、ウォーランとに分かれ、イシューを確実なものにして行く。
「テロがあったてね」「テレビで見たよ」「一機目がツインタワーに当たった時は事故かと思ったけども、三機目がペンタゴンに突っ込んだ時はテロだってはっきり分かったね。」


一方で、トポロジーというと、空間内のつながり方である。結び目の様なものであり、それぞれの話に位置を与えて、そのつながり型を示し、話題の対象の構造の型を分類する。

2ヶ月前 No.11

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

ある側面では、形になるとは、それだけで安心できることなのではないかと思います。

2ヶ月前 No.12

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

すめんさん

本当に有り難いものは形では表現できないと思いませんか?

2ヶ月前 No.13

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

>>13

はい、本当に有り難いものは形では表現できないと思います。

2ヶ月前 No.14

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

宿題さんは、神秘主義者なのでしょうか?

2ヶ月前 No.15

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

すめんさん

今の所実存主義のヤスパースさんを参考に形而上学を学んでいます・・少し神秘も気にかかります・・

2ヶ月前 No.16

ひこ太 @hikotarou ★r5box4meL6_iR4

>>6

すめんさん

興味深い話ですね、
場所を生成するものとしての主体を形式化したときに、その主体の理念(形式)が場所を持ちうるか、ということを考えると、論理学のモデル理論に通じるものがあると感じました。
うん、おもしろい

2ヶ月前 No.17
ページ: 1

 
 
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