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「分かる」とは、どういうこと

 ( 哲学掲示板 )
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裕高 ★Android=qzmfaXzLLa

私の身近に知的障害の女の子(24)がいて、年配の人が「こうなんだよ」と説明したりすると、彼女は「なるほど!」「たしかに」「そうですね!」という返事も多いので、私は口には出さないけど、「どこまで分かって返事してるんだろう」と疑問であった…


いったい、何をもって「分かってる」というのか?
本をたくさん読んで、たくさんの知識があれば「分かった」と言えるのだろうか?

3年前 No.0
関連リンク: 『存在と時間』 
ページ: 1

 
 

@mii17 ★XFx0HMdgBy_jVC

受け取り側の言語の論理構造がまずあって
あるお題があったときに

それが理解されて受け取り側の言語の論理構造の一部として昇華された状態。

その時が「ワカッタ」かなと思います。

3年前 No.1

鯉ノンポリ @nonpori ★Android=a0XOtIgZmO

こんにちは

○返答編

反射的なら
分かったは「言ってる事を理解した」
→本当に分かったかは分からない。勘違いかも。

一拍おくなら
分かったは「以前経験したからそれと同じだろう」
→本当に分かったかは分からない。足りないかも。

考えてからなら
分かったは「概念を熟知してるから大丈夫」
→分かってる(高確率で)

○心の内部編

分かったは「自信がある」
→結論が導きだせる。応用が可能。経験がある。説明が出来る。

あんま自信ないな笑

3年前 No.2

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

わかることは分けること。
物事を分けて考えることができるのならば、分かっていると言える。
何と何がどういう関係にあるのか、また物事はどういう順序に並べられるか、これらの思考過程は、すべて分けることである。
従って、分かったという瞬間は、物事を分けれるようになった時に訪れる。
そしてその瞬間を相手に分けて考えさせられるようになった時、初めて「分かっている」と言える。

3年前 No.3

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

人材の能力は、統合能力、調整能力、判断能力、想像力なんだが、

『 解る 』というのはこの4つの能力を発揮しなければいけません。

>0における女性が理解しているかどうかいうと、理解はしていないと思われる。



これは心理が関係していて、知的障害でなくとも、健常者でも起こりえる事で、

知的障害者だからといって、理解が薄いわけではありません。



仮に心理的に『 理解している 』のならば、『 質問がえし 』があるはず。

『 質問がえし 』をしていないのならば、そりゃ、裕高さんだって、俺だって理解していませんよ(笑)




私が言っている事、理解できましたか(笑)

3年前 No.4

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

解りやすくいうと、メビウスリングの住人の中で、今現在、

『 マジカルモンキー 』と『 中の人さん 』と『 UMAさん 』は、理解し合っている状態です。

なぜならば、お互いに、『 質問がえし 』をしているからです。

質問に質問で返すな!というのは、命令にすぎず、主従関係で、こうなった場合、

理解するしないのではなく、従えるか、従えないのかになってしまうだろう。

3年前 No.5

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

ちなみに、こいつ頭が良いなという状態はどんな状態なのか?というと、

(これは私がIQテストを受けたから言える事である)

まず、ずる賢いというのは、頭が悪い事です。
まず、口が悪いというのは、頭が悪い事です。
そして天才というのは、科学的知識がないと言う事です。



今この瞬間の現代人は、とても特徴的です。
なぜならば、高度情報化社会の真っ最中で、世相と人が余りマッチしていないからです。
誰一人マトモな奴なんていないと言う事ですね(笑)



どういう知的障害かしらないけれど、>0の言っている事には信憑性にかける。
これは知的障害でなくとも、起こりえる事だ。

3年前 No.6

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_kfn

>>0 「わかる」とはどういうことか?

物事の相互関連性に気付くこと。

例えば、「手に触れる冷たい流体」と「water」という綴りが、意味のある繋がりとして感じられるようになること。(ヘレンケラーの話より)

3年前 No.7

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

頭の良い状態は


@ 自分が知らない漢字を沢山しっている状態。
A 恐ろしく計算が速く、分別速度が速い。
B スポーツ感覚に優れている。
C 良心をもった善人である。


ちなみに子供の状態


@ なんでも競争したがる
A ちょっとだけ難しい事をする。
B 認めがられる
C 真似をしたがる。


です。なので24歳の女性の方は少なくとも、『 子供ではない 』と言う事です。

3年前 No.8

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_jVC

>>0

>いったい、何をもって「分かってる」というのか?本をたくさん読んで、たくさんの知識があれば「分かった」と言えるのだろうか?<

分かるの一つとして体得すると言うこともありますね。
ゴルフの本を、たくさん読んで知識を得ても、ゴルフが分かることではありません。やはり体を使い体で覚えて初めてゴルフが分かったと言うか、できるようになったと言うことができます。体得する、つまり頭ではなく体で分かると言うこと。
分かったと言うのもピンからキリまでありますから。剣術において剣が本当に分かったと言うのは意識で戦うのではなく無意識に体が動き相手を切れるようになったということですからね。

3年前 No.9

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

そもそもbOの言っている事がおかしい。

24歳、知的障害者って、どうやって判断したのだろうか?

24歳、知的障害者、女性って、全ての要素において、弱者をイメージするのだが…

『 50歳、健常者、男性 』ならば、どうなのか?

ま、クソレス、クソ会社であることは確かだ。〆

※警告に同意して書きこまれました (マナー/リアクション)
3年前 No.10

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

霊長類の理解の第一段階は、『 表情 』なのである。
メンタリストですよ。

理解することで、少なくとも『 怒り、哀しみ、驚き、軽蔑、喜び、恐怖 』の表情が出てくるはず。

なにも表情がでないのならば、理解する前に、その物事に興味がないのである。

そして、その興味に対して、他人が強制する事はできないのである。

3年前 No.11

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

まずー、相手が理解しているかどうか、一目で理解したいのなら、自分がユニークである事が一番である。

相手が、本気で笑ったら、相手は『 理解した 』と言う意味だな。

それ以外の表情は、理解していないという判断だな。

3年前 No.12

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

馬鹿ほど人を軽蔑する。

3年前 No.13

マジカルモンキー ★DXq13ufzmg_KMC

軽蔑するほど世界や人生は軽くはないし、軽蔑しているほど自分の人生は長くはないですわ。

ビジネスはお金を集めるゲームではなく、死ぬまでに何人の人間を喜ばしたかのゲームであるね。

その人間の数もだいたい決まっていて、平均150人程度だよ。

人を喜ばした事がない? それは疫病神か、貧乏神がどちらかだろう。

3年前 No.14

UМA @7j8jkk☆kMqdoyj8bwUE ★v1QDw7aucx_iye


人生の体験を妨害する知的理解。

 ではその知的理解ってなんなのか?

 おそらくそれは、《 紙の上にインクで書かれた文字や図形 》

 知的理解は論理体系と言い換えることもできる。

 正式には論理体系図。それも紙の上にインクで書かれた文字と図形。

 風が吹けば、、、、

3年前 No.15

UМA @7j8jkk☆kMqdoyj8bwUE ★v1QDw7aucx_iye


 中途半端に洞察するから軽蔑に至る

3年前 No.16

語句運用 @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

分かるの構造。

・そこ
・於いてあるもの
・繋がり

・そこの定位
・定位にふさわしいとされる、於いてあるもの
・ふさわしさとしての繋がり

・定位とは思念である
・於いてあるものは、常識的に選ばれる
・定位の場所としての「そこ」そのものが、繋がりである

分かるとは、何のことか分かる…ということだ。
例えば或る文言の意味が分かるとは、その文言が何のことを言っているのか分かる…ということだ。
語る人が、或るものについて語っているときの、この「…について」という作用を、定位と呼ぶことにする。

定位は、方向に対してなされる。
定位は思念であるが、思念の対象として考えられるのは観念(notion)である。たしかに、定位は、「…のことだと思って行為する」と言うときの、「…のことだと思うこと」である。すなわち、定位は思惟である。しかし、「…のことだと思う」と言うときの、「…」というのは、観念であるというよりは方向である。すなわち、定位されているのは、どういう方向か…ということなのだ。もっというと、どういう方向に話は進んでいるのか…ということに人は定位する。言語的定位は、「…の話だと思って聞くこと」である。また、それは直接的に「…の話をすること」でもある。
定位される方向とは、それは帰属先である。定位は帰属に関わる。すなわち「何の?」に関わる。

「分かった」という発言は、その人個人の定位の事実のことを言っている。すなわち、「定位しました」ということを指す。ただし、「正しい定位に成功しました」という意味ではない。「とにかくひとつの定位をなしました」という意味である。

定位されるものが、「そこ」と呼ばれている。

「…のことだと思うこと」が思念=定位であるが、何を…のことだと思うのかというと、於いてあるものを…である。
定位はどうなっているか?と問われたら、於いてあるものと定位先としての方向と、この二つは示さねばならないだろう。
例えば、「『危険』という言葉は、この先に入ったらということだと思う」と言うとき…定位はその先に入った場合へと向かっており、於いてあるものは「危険」という文言である。この二文字は、何が危険かについては何も言っていない。ではその主語は想像されなければならないのか?或る意味では想像されなければならないと言える。しかし、想像というよりはむしろ、解釈である。例えば「危険」という二文字が扉に張られているときには、「この先が危険」と解釈できる。無理をすれば「この扉自体が危険」と解釈することもできる。例えば「指詰め注意」という意味かもしれない。…なら「指詰め注意」と書けばいいのに…このように「不案内だな」とか「親切じゃないな」と思うのは、解釈の方向があらかじめ常識によって導かれているからである。こうした導きとは違う仕方で言葉を使うと、その常識的導きに釣られて誤解する人が後を絶たないだろう。このとき、誤解する人は悪くない。常識以外の導きを用意しない方が悪い。

(この先に入ったら)危険と言いたいときには、「危険」という言葉を扉に貼るのがふさわしい。
定位によって、その定位方向に於いてあるものの正しい間違いが変ってくる。正誤は定位に左右される。

私たちは、何に定位しているかを読み違えることもあるし、その定位に於いて何がふさわしいかを知らないということもある。前者の勘違いで言葉の解釈を間違えることもあれば、後者の無知のせいで言葉を正確に受け止められないこともある。後者の知があれば、聞き間違いを自分で修正できるし、相手が言葉にしていないことも「於いてあるもの」だと見なすことができる。そして、まだ相手が言葉にしていないことを、先に言葉にすることもできる。知がなければ、どんなに定位してもそういうことはできない。また、知がなければ、定位方向への導きがたくさんある簡単で親切な言葉も履き違えることが多くなる。

ここでの知は、ほとんど、「常識」と呼ばれているものと同じものである。

常識とは、言葉の分かり方であり、表現の使い方のパターンである。

個々の言葉の意味は定位がなければ分からないが、定位は常識がなければ理解へと繋がらない。

定位のない常識は無内容であり、常識のない定位は形が定まらず放埒である。

常識とは、よくある分かれたあとの痕跡。
定位は、同時に、或る方向から観念を分けることである。言語的定位は、或る話題を分けて語ることである。
分かれた結果の固定化が、常識である。なので、常識を見れば、かつてどのような定位がなされたか推論できる。(しかし、定位はそこでは隠されている。現時的定位がなされなくても、常識的な語句運用であれば、形式的な意味だけは分かる。一方、非常識的語句運用は、定位なしには読むことができない。)

分かるとは、複数のものの間に繋がりを見つけることである。
分かるとは、複数のものを、同一のものから分かれたとして見なすことである。したがって、分かれるもととなった同一のものを見つけたとき、その分裂が再現され、分かる。だから分かるとは、複数のものの間に繋がりを見つけることである。この繋がりは、いわば「同郷のよしみ」である。

2年前 No.17

百理 ★5n9Jhh5DYh_qxX

思惟様式と知識の妥当様式(哲学的思惟の内の論理的な部分)によって哲学が支えられているのではありません・・

自身を支えるために哲学的思惟があるのです。

哲学思惟の基本の初歩の部分の土台が論理的思考です・・

2年前 No.18
ページ: 1

 
 
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