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思考の最適度

 ( 哲学掲示板 )
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マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

人は考える生き物です。

思ったり、考えたりするにもいろいろ『 仕方 』がある。

世の中、広く浅く考える人もいれば、狭く深く考える人もいる。

また、自分に興味のある場所、自分に全く興味のない場所を考える人もいる。

では、思い方や考え方の理想型はどのようなものなのか?

ちなみに俺は、この答えを出していない。

さらに、この瞬間、このスレッド、狭く深く考えている事をお忘れなく。



予備知識ね。

自分はIQテストを受けたから、答えられるが、

まず、世界の平均値はIQ100です。

日本人の平均値はIQ110です。

そして、このテストは悪人に通用しないと思われる。

言語テスト(耳・聴覚)と絵柄テスト(目・視覚)、心と脳の基本的な構造を調べられる。

ちなみに私は健常者とアスペの間ぐらいの結果で、社会人をやっているので、健常者と言える結果です。

2年前 No.0
メモ2017/03/19 18:19 : マジカルモンキー★SxKM1tJ4Xs_mwG


≫0はもう無視してくれ。


『 考える人間 』『 考えない人間 』がテーマ


なお、【 下らない思考 】をしても良い。

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空の光 ★A2brVzKBxp_m9i

ライチさん

確かに苦しみがない時から感謝する。
それが出来たらどんなにいいでしょう。
人は苦しむ前に神に出会うことがないのが常だったりします。

自分が神を知ったのは母の苦しみからでした。
でも、祈る段階まではいかなかった。

それから、今度は自分の苦しみがあり入院しました。
神に祈る機会はなかった。

本のテープを聴いてこれは凄いことを言ってる。
自分も実行していきたいと思いました。
退院してから初めて参拝に行きました。
でも、感謝の思いを捧げたかどうか記憶にありません。

神様により治ったと言う実感が沸きませんでした。
手をかざしてもらった。それで治ったという認識でした。
神様からの光、メッセージだったとは思えなかった。

今も神様と本と手をかざす事が別々な認識かな。
心の奥底から神様を認識できてない。なぜだろう。
いろいろ奇跡を持って「救い」があったのに…

それでも、今も手かざしてもらってる。
一つ一つ赦されていってるのかな。
神様にありのままの自分を赦されてる?
救いの道へは一歩一歩手を伸ばして登らされてるかな。

9日前 No.188

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

マー坊さん

神との対話によると、人間は魂(心)、精神(理性)、身体の三つで出来ていると語られています。
またこの三つが一つにすることが大切だと説かれています。三位一体、心技体と言われるものです。

自分の魂の視点で、それを包むより大きな魂の視点で自分を、物事を見つめること、
それが、大きな視点で見るということなのかもしれません。

全ては大きな一つの魂なのだそうです。その中に、個々の魂があるのだと。
本の中でそれは空気に例えられていました。個々の場所の空気は違うけれど、全ての空気は繋がっている…



空の光さん

そうですね。本当に苦しい思いをしなければ心から神に願うことがないのが人間ですね。

自分は全てに神の導きがあると、そう信じます。
全ては、神が愛に気づかせるために起こるのだと。

何が愛で、何が愛ではないのか。
何が本当の自分で、何が本当の自分ではないのか…
それを自分が決めること、それが創造なのでしょう。

空の光さんは神を実感出来ていないという思いがあるのですね。
かつて自分もそうでした。自分は、信仰といったものがどういうものなのか全然わからない人間でした。
神の存在に気がついたのは、神との対話という本に出会ってからでした。

手かざしというものはどんな感じなんでしょう…
昔、子供の頃、手を洗う時に母に後ろから両手を包まれて洗われたのを思い出します。

8日前 No.189

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

ライチさん

>人間は魂(心)、精神(理性)、身体の三つで出来ていると語られています。

そうですね。
僕も体験してそう思います。


>大きな視点で見るということなのかもしれません。

魂(心)が精神(理性)を管理することが良いと思ったことがあります。
自分が自分をコントロールするとも言いますが。

8日前 No.190

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

マー坊さん

>すべては正しいことだけどすべては間違っていると考えてみる。

天台宗の瞑想法で一心三観というものがあるそうです。
そこでは、現象世界を否定的に捉えると共に肯定的に捉える、その両方が備わって真理を把握出来ると言われています。
なんだか難しそうな感じがしますね…。


マジカルモンキーさんが心と頭と身体が全て一つになったことがあるとおっしゃっていました。
また知人もそういう体験をしたことがあると聞いたことがあります。
両者が共通して言うには、「その時の自分は神懸かっていた」。

いわゆるランナーズハイや、「ゾーンに入る」といったものでしょうか。
心理学用語で「フロー」という言葉がありますが、忘我、無我の境地とも呼ばれるそうです。
スポーツ選手にはそういう体験をする人が多いのでしょうね。

心と頭と身体が一つになることを「自己の調和」と言うなら、世界と自分が一つになることを「世界との調和」と言えそうですね。


魂が理性を導く…
そうですね、確かに理性にとらわれると偏屈さや頑固さに繋がります。
理屈ではなく心で決める…

8日前 No.191

空の光 ★A2brVzKBxp_m9i

マー坊さん

>魂が精神を管理する・・・

そうですね、魂が澄んで綺麗なら。魂に委ねても良いでしょう。
委ねる心が何につながってるか?神様にも、邪悪なものにもつながっているなら・・・
神様へのつながりを大きく明るくする。そうするにはどうするか?
神様に祈るというのは一番かも知れません。他には善の心言行でゆく。
ここで、心を善を行う一部とした。善が分かるようになるには?
心に響くような本、映画、音楽、自然に触れる。
一日少しでも良いから触れるようにする。


ライチさん

>全てに神の導きがある

そうですね。そうでなければ闇の存在が支配する事になる。
この世は闇か光しかない。善に傾かなければ、悪に寄せられる。
でも、今は光が広がりつつあるらしい。
これも神の働きらしい。霊界での動きだから。
なぜ神の働きがとらえられないのか。

入院してた頃のようにテープを聴いてみようかな。
ハッと目覚めれば良いのだけれど、感じ取れる自分になりたい。
神様を知りたい。そう願ってはらでむさぼるように・・・

7日前 No.192

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


>そうですね、魂が澄んで綺麗なら。魂に委ねても良いでしょう。

澄んでいない魂は精神に影響されているのかなって思いました。


>委ねる心が何につながってるか?神様にも、邪悪なものにもつながっているなら・・・

委ねることは自分の意思は関与しないからどうにもならないと思います。


>神様へのつながりを大きく明るくする。そうするにはどうするか?
 神様に祈るというのは一番かも知れません。他には善の心言行でゆく。

祈りは感謝だと思うので「ありがとうございます」だけ。
と思います。


>ここで、心を善を行う一部とした。善が分かるようになるには?

宇宙が喜ぶことをする。
地球が喜ぶことをする。
生物が喜ぶことをする。
人類が喜ぶことをする。
自分が喜ぶことをする。
それらが同一であれば良いと思いました。


>心に響くような本、映画、音楽、自然に触れる。
 一日少しでも良いから触れるようにする。

僕は自然に触れることを最優先することだと思います。
それ以外はすべて人間が作り出したものだから。
自然を実感したり魂が喜ぶような本や映画や音楽は効果的だと思います。

7日前 No.193

空の光 ★A2brVzKBxp_m9i

マー坊さん

>澄んでいない魂は精神に影響されているのかなって思いました。

そうですね。心言行に曇りというか濁りが発する原因があるのかも?


>委ねることは自分の意思は関与しないからどうにもならないと思います。

そうですね。だから魂が澄んでないと生けないんじゃないかなと・・・


>祈りは感謝だと思うので「ありがとうございます」だけ。
>と思います。

んー確かに感謝から始まれるならいいけど、助けを求める祈りもありかな


>宇宙が喜ぶことをする。
>地球が喜ぶことをする。
>生物が喜ぶことをする。
>人類が喜ぶことをする。
>自分が喜ぶことをする。
>それらが同一であれば良いと思いました。

そうですね喜びはみんなで全てと共に分かち合いたいですね。


>僕は自然に触れることを最優先することだと思います。

そうですね。順番が違ってたかな?
でも、人工のものでも高い芸術もあるかな。
自然を表したものとか。絵画、歌、詩、短歌、俳句。川柳などで。

7日前 No.194

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


>んー確かに感謝から始まれるならいいけど、助けを求める祈りもありかな

救いは求めるのではなく
感謝があれば救いがあると思っています。
感謝の心は信じる心を勝るような気がします。
そうすれば
助けは自然とやってくると思いますよ。
「なんだこの程度か」と不満に思えばこれでストップだろうけど。



>でも、人工のものでも高い芸術もあるかな。
 自然を表したものとか。絵画、歌、詩、短歌、俳句。川柳などで

僕もそう思いますよ。
だから
「自然を実感したり魂が喜ぶような本や映画や音楽は効果的だと思います。」
と書きました♪

7日前 No.195

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

確かに感謝は届くでしょう。
でも、実際に助けを乞うほど苦しんでる時(自分は実際そうでした)
そんな時は感謝の思いどころではありませんでした。
「助けて欲しい」その一点に思いが集中してました。
誰も感謝しなきゃ助からないとは言いませんでした。
そして救いはありました。神様によって違うのだろうか?
「○△しなきゃ助けてやらない」
それなら救ってくれる神様に助けを求めます。

7日前 No.196

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


>確かに感謝は届くでしょう。
 でも、実際に助けを乞うほど苦しんでる時(自分は実際そうでした)


感謝があるから
苦しみを和らげる行動が起きるように思いますよ。
感謝がすべてとつながっているような気がします。
つながりがあるから理解し合えるのかもしれない。
そう思いました。

7日前 No.197

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

確かに救ってもらえたら感謝の思いが沸くでしょう。
いや、本当に神様の力なのだろうか?
何も知らない。今まで神に触れた事がない。
そんな時に強制的に(知らない人にとっては強制的に思えるでしょう)感謝という。
最初の頃はみんなそんな思いがあったのではないだろうか?

>感謝のつながり・・・

最初からそんな風に思えるならいいんだけどね。

何も分からない。神様なんて初めて。
そんな状態で感謝は何を感謝すれば?

とめんくらう人も居るんじゃないかと思います。
それだけ、助かる人が減るかも知れない。
それでは救ってやりたいと思う神様の意図にそわないかも?

7日前 No.198

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


>確かに救ってもらえたら感謝の思いが沸くでしょう。

救ってもらえないと感謝の思いはないってことですか?
見返りを求めるのは「交換条件」があるってことですね。



>何も分からない。神様なんて初めて。
 そんな状態で感謝は何を感謝すれば?


自分の体にも自分以外のすべてにも感謝すること。
が良いと思いますよ。

感謝をすれば
感謝を表す行動や言葉が出るものです。
そういう人を神が助けないことはないでしょう。
僕はそう思いますよ。

7日前 No.199

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

いろいろ言ったけど、感謝の思いは大切そう思ってます。

ただ神に出会った瞬間から感謝を持てるかどうか?
それが左右を分ける事だろうと思います。
でも、神様はその人の全てを許したやりたいと思ってる。

神様を魂ではどう感じてるか。それが大事なんだと思う。

感謝しろと言われて感謝する。
感謝すれば助かると思って感謝する。
ホントにありがたいと思いが沸く。

信仰の程度によって神様が受け取って下さるかどうか。
幾度も奇跡を見ながら感謝できない人と
何も見てないから、そんなの分からない人

違いがそこにあるんだろう。神様が受け取って下さるかどうか。

7日前 No.200

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の人さん


>違いがそこにあるんだろう。神様が受け取って下さるかどうか。

信じるものは救われると言いますが
疑いの思考の中に神の援助はないでしょうね。
そう思いました。


歩くことも
立ち上がることも
見えることも
話すことも
手が動くことも
食べることも
飲むことが出来ることも
トイレに自由に行けることも
何もかも「ありがたい」ことなんだと。
当たり前のことが本当は感謝なんだと思える。

人はもっと敏感になる必要があるのかもしれませんね。

7日前 No.201

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

>信じるものは救われると言いますが
>疑いの思考の中に神の援助はないでしょうね。

疑いの思いがありますけど救われたいです。
疑いの思いを持つ自分も自分ですよね。
認めたくないけど・・・
こんな自分を許せるようになったら変われるでしょうか。

7日前 No.202

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

そぅだ。変わるために手かざしがあるのかもしれない。
こうやって悩むのも苦しみかな。そんな心を魂を浄めて下さる?
手かざしというものをよく分かってなかったのかも知れない。

7日前 No.203

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


>疑いの思いがありますけど救われたいです。
 疑いの思いを持つ自分も自分ですよね。
 認めたくないけど・・・

救われたいと思った時点で疑いはなくなると思いますよ。
疑いの思考では救われるはずがないわけだから。
願い叶わざるものなしという言葉を思いました。


話は違うけど
波動を学んだ時思ったことです。
共鳴すると引き寄せの法則は起きるんじゃないかって。
自分が思ったことが実現するという話です。
それが
どの程度実現するかは本人の判断に委ねられますが。

7日前 No.204

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

波動ですか・・・何が発してるんでしょうか。

共鳴って事は宇宙の全てが発してる?

だとしたら、人も発してる事になるから、幸福な人の波動に触れれば幸せになれる?

7日前 No.205

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


>だとしたら、人も発してる事になるから、幸福な人の波動に触れれば幸せになれる?

あの人と波長が合う
とか
類は友を呼ぶ
とか
言うでしょう?

手かざしも同じですよ。

6日前 No.206

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

手かざしは見えない霊の「ひかり」を対象に当てているとか。。。
「ひかり」も波動を持ってるんですかね?宇宙の中の一つだから。

6日前 No.207

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光


>手かざしは見えない霊の「ひかり」を対象に当てているとか。。。
「ひかり」も波動を持ってるんですかね?宇宙の中の一つだから。


自分の想いが手から出ているんでしょう♪
自分の想いが神の想いと同じであればいいけど。
手かざしを体験した時
僕はそう思いましたよ。

6日前 No.208

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

確かに手をかざすのは人だけど、かざす人に伝わってくるのは・・・神様から。

だから、何の心配をいらない。

6日前 No.209

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


>確かに手をかざすのは人だけど、かざす人に伝わってくるのは・・・神様から。

人の気持ちが神様と同じなら
何の心配もいらないでしょうね。

6日前 No.210

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

その手かざしというのは「浄霊」と呼ばれてるのとは違うんですか。

話がなぜか自分の思いが伝わってるになるいけど、なんで?

浄霊する人の光は、神様・・・いわゆる全宇宙の光とも言えるかな。

6日前 No.211

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光


人の手かざしの行為でどんな結果になるかは人次第だと思うのですが。
浄霊をしようと思えば浄霊になるだろうし
治療をしようとすれば治療になると思います。

6日前 No.212

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

浄霊は幸福を生む方法です。

確かに患部ににかざすとご守護があります。

それは霊の曇りが焼き払われるので患部の必要性がなくなる。
それゆえ患部が健康体になってゆくのです。

6日前 No.213

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


いま気がついたけど
前回のコメントで名前に「さん」が付いていなかったですね。
失礼しました。


>それは霊の曇りが焼き払われるので患部の必要性がなくなる。
それゆえ患部が健康体になってゆくのです。

そういうことなんですね。
わかりました。

6日前 No.214

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

マー坊さん

さん付けなし、自分もたまに経験するので気にしてません。
気付いたら誤ってます。

6日前 No.215

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

空の光さん


神対応ありがとうございます。♪

6日前 No.216

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

感謝というのは多分、自然に生まれてくるものなのだと思います。
それが生まれるのは、全面的な、全く純粋な善意に気づいた時でしょうか…
自分に光が射していることに気付いた時というか…

なかなかそれに気づくことが出来ないから、人は苦しむのかもしれませんね。
しかしだからといって、感謝できないことに負い目を感じる必要はないと思います。


自分は今、人間の善性、自己の善性を見失っているような感じがします。
何か心にもやがかかっているような…
それでも時々、人間から純粋さを見出すことが出来たり、また本来的な善を見ることが出来たりしています。
それを常に見続けることが出来たらと思っています。


Youtubeで、「大学生が演じた新体操が世界で大絶賛」という題名の動画があげられています。
海外でも話題になった男子新体操の演技です。
そこには祈りと呼ぶべきようなもの、命の本質のようなものがあるように感じました。
本来的な善、誕生、のびのびと舞い、更なる自由へ向かおうとする生命、気高い決意と勇気、
様々なものをその演技から見つけることが出来ました。

とても素晴らしい演技なので、皆さんにも是非見ていただきたいです。

6日前 No.217

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

ライチさん


>Youtubeで、「大学生が演じた新体操が世界で大絶賛」

見ました。
素晴らしい演技ですね。


>そこには祈りと呼ぶべきようなもの、命の本質のようなものがあるように感じました。

それを感じさせる演技は素晴らしいと思います。


>本来的な善、誕生、のびのびと舞い、更なる自由へ向かおうとする生命、気高い決意と勇気、

この演技を見ると
「人間社会の社会性」を感じました。
個の違いを乗り越えて全体のために努力する。
それを
「自己犠牲」と言う人もいるけど
みんなのために自分を活かす喜びのようなものだけど。
外国の人は「集団行動」を見て戦時中の日本をイメージする人もいるようです。


>感謝というのは多分、自然に生まれてくるものなのだと思います。

それを言い換えると
自然を感じると感謝という気持ちが生まれてくる。

自然というのはすべてが当たり前で当たり前ではない存在のような気がします。
個はバラバラなのに一つとして存在する。

体操の演技にも集団行動にもそれを感じるのかもしれませんね。

そう思いました。

6日前 No.218

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

マー坊さん

>外国の人は「集団行動」を見て戦時中の日本をイメージする人もいるようです。

協調と捉えるか同調と捉えるかですね…
地震などの災害時に、日本全体が協調性を発揮するのはとても印象的です。
人間の本来的な善性を垣間見ることが出来るのは喜びですね。
この前、財布を落としてしまった時にも見つけた人が届けてくれて、その善良さに感動しました。


自然を感じることで感謝…自分たちはいつも考えでいっぱいになってそれがなかなか出来ないんですね。
マー坊さんにお勧めいただいた「奇跡の脳」を読ませて頂いているのですが、その中にこういう一文がありました。

「頭の中でほんの一歩踏み出せば、そこには心の平和がある。
そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい」(p132より)

分析、判断しようとする左脳を黙らせるというのは、現象学でいう「エポケー」に相当しそうです。
静寂の中に至福があるとも言えそうですね。

6日前 No.219

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

ライチさん


>分析、判断しようとする左脳を黙らせるというのは、現象学でいう「エポケー」に相当しそうです。
静寂の中に至福があるとも言えそうですね。


「エポケー」って初めて聞いたので検索してみました。
昔から研究されていたんですね。

「無」になるという表現もそれに当たるのかもしれないけど。
それは普通の生活では難しいですね。
でも「夢中」になると「無中」になるような気もします。
そんなとき「直感」や「ひらめき」などが頭の中に入ってくる。
そう思います。

ブラスバンドの演奏会の中で遠くのヒソヒソ話を聞くように。♪

6日前 No.220

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

>>217

ライチさん

>感謝というのは多分、自然に生まれてくるものなのだと思います。
>それが生まれるのは、全面的な、全く純粋な善意に気づいた時でしょうか…
>自分に光が射していることに気付いた時というか…

そうですね。

感謝というのは証覚(さとり)から来るものだそうです。

「証覚なくして感謝生まれず」そして証覚は智慧から来る。

智慧はどこから来るのだろう。

5日前 No.221

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

空の光さん

これは自分にも言い聞かせていることなのですが、
「何かを知るには、まず自分がそれを知らないことを認めること」が大切だと思っています。
無知の自覚、つまり無知の知ということですね。哲学の原点です。

無知者である自覚、そして知者(神)への憧れ…
それは罪あるものの自覚、罪なきもの(神)への憧れに似ています。
知を求めるものが哲学であり、許しを求めるのがキリスト教と言えます。
共通して言えるのは、苦しみの自覚、救済への憧れですね。

本来の自己(神)へ近づくには、今の自分が本来の自己らしくないことの自覚が求められるわけです。
無知、無力、罪(罪悪感)、恐怖…。これらは、本来の自己らしくないものです。
それがあることを受け入れ、それを超えたものに憧れを持つこと…
これもまた、言うは易く行うは難しですね。
空の光さんが求めることが大切だということ、「求めよ、さらば与えられん」とはつまり、こういうことだと思います。

持っていることを知らないことの自覚、持っていることを知っていることへの憧れ。
持っていることを知ることは喜びにつながります。
与えられていることを知らないことの自覚、与えられていることを知っていることへの憧れ。
与えられていることを知ることは感謝につながります。

持っていないと決めつけないこと、与えられていないと決めつけないこと、
何かこれが、大切なことのような気がします。

5日前 No.222

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

マー坊さん

学生時代、日の出前に河口湖で釣りをする機会があったのですが、その時とても稀有な体験をしました。
辺りがシンとした静寂の中、「世界は感情である」という直観が突然自分に舞い降りてきたのです。

宇宙に行くと人生観が変わるとよく言われます。
静かな環境に身を置くことで、自分の心も静かになるのだと思います。

5日前 No.223

マー坊 ★18NbNZF3b4_wDx

ライチさん


>学生時代、日の出前に河口湖で釣りをする機会があったのですが、その時とても稀有な体験をしました。
辺りがシンとした静寂の中、「世界は感情である」という直観が突然自分に舞い降りてきたのです。


そうですか。
「世界は感情である」というのは「世界は生きている」という感覚でしょうね。
僕は27歳から5年間くらい天体写真を撮りに山に行っていました。
星空を見ていると地球が宇宙空間に浮かんで回っているのがよくわかります。
とくに明け方は太陽が昇ってくる時感動しますね。
地球も生きているって感じで。



>宇宙に行くと人生観が変わるとよく言われます。
静かな環境に身を置くことで、自分の心も静かになるのだと思います。


地球から離れると地球が生命体だと感じるのかもしれない。
そう思います。
自分から離れて自分を見つめるのに似ているのかもしれないですね。

5日前 No.224

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

マー坊さん

地球が生きている…ガイア理論ですね。
地球が生きているということ実感する体験というのは、自分にはあまりないかもしれません。
心、優しさ、人格のようなものを自然から感じることはあるのですが…躍動感という感じではないですね。

「生きている」という感覚、その体験は憧れです。
「地球が生きている」という感覚ならなおさらです。

躍動を感じることが生命の実感だとすると、それを包み込むものの実感はなんと呼べばいいのか…

マー坊さんはおそらく、躍動に対する感受性が強いのだと思います。
自分はどちらかというと、静止したものに対する感受性の方が強いのかもしれません。

活発なものが好きか静かなものが好きか…だと思います。

5日前 No.225

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

ライチさん

>>222

>「何かを知るには、まず自分がそれを知らないことを認めること」

そうでしょうね。知らないから知ろうとする。お師匠さんに求めるように。

>無知者である自覚、そして知者(神)への憧れ…
>それは罪あるものの自覚、罪なきもの(神)への憧れに似ています。
>知を求めるものが哲学であり、許しを求めるのがキリスト教と言えます。
>共通して言えるのは、苦しみの自覚、救済への憧れですね。

知を元求めるのが哲学
赦しを求めるのがキリスト教=信

全知全能だから、何を求められても知も救いも・・・与えられる?
つまりそこで「求めよ、さらば救われん」がある。

哲学も全知全能に求めれば。早く進んだかも?
自然の中に答えを探したのは神への求めかな。
でも習うになるかな。
自分の心の奥(魂)の働きが鈍るかな?

直感の哲学というものもある。
これは神からの流れかな。
哲学も神に一歩近づいた?魂の前進?

5日前 No.226

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

空の光さん

実際、世界や人生について考える哲学と神について考える神学は、切っても切れない関係にあります。
無神論でさえ、「神はいない」という一つの神についての考えと言えます。

「より善く生きる」は哲学の一つのテーゼです。
ですので、自分の心を大切にすること、素直であることは、哲学の観点からもその目的に適っています。
哲学もある種の信仰「知への憧憬」を持っていますが、それは宗教的なしがらみからは自由です。

自然の構造を知りたいと思うのは、根本的には神の働きを知りたいという願いからだと思います。
おそらく、理としての神を知りたかったのだと思います。

世界、つまり自然や人に人格を見出し、共感を覚えることは、心をより大きく豊かにしますが、
これは情としての神を知りたいという願いがあるからかもしれません。

直感の哲学がある…その通りだと思います。
真理というのはむしろ、直感によって把握されるものだとも思います。
過去の哲学者が自分と同じ直感を得て、そこから哲学を展開していることを知るのもまた哲学の喜びですね。

ゲーテはこう言っています。
「どんな賢明なことでも既に考えられている。それをもう一度考えてみる必要があるだけだ。」

4日前 No.227

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

ライチさん

>「どんな賢明なころでも既に考えられてる。それをもう一度考えてみる必要があるだけだ」<

そうですね。どんな角度から見るかによって。いろん形に見える。
繰り返し考えるのは、その言葉、文字に宿っている人の思い。

そこに何度も触れることになる。
触れれば触れるほど宿る物が自分にも宿る。
頭で考える余地のない心に広がる思い。
それが、必要な時にふっと出る。

直感の哲学と似てるけど違うように思う。
直感はこの大きな世界に流れてる物に触れる事。
それは空のような所かな。
上空に昇れば昇るほど曇りのない綺麗な思いかな。

4日前 No.228

地下水 ★KATHFaYqOw_n3h

>>226 赦しを求めるキリスト教って良く解らない。僕にとってカトリックの典礼聖歌を唱うのは心地良いから。主の祈りを唱えるのも心地良いから。聖堂に行くのもステンドグラスの光が心地良いから。

苔むした御寺の紅葉も心地良い。神社の杜のツブラジイも心地良い。レンゲ畑の蜜の香りも心地良い。虹もきれい。様々な雲が天上まで壮大な絵画を描き出す様も心地良い。

自然数倍の振動数の異なる三角関数が無限に直交している事に気づいた時も自然の不思議にふれました。量子の波動方程式の固有値が異なれば直交していると知った時も自然の不思議にふれました。論理和の否定だけから自然数番地の記憶空間が出来る事に気づいた時も自然の不思議にふれました。

4日前 No.229

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

地下水さん

自然の不思議さ高い、芸術の不思議さ・・・

高い芸術の中にある自然につながるものの不思議さ。
自然も人も神が創り出した。

そして時に人の手を通して作り出すもの、生み出すもの。
人はそれらを奇跡とも言うだろう。

神の目から見れば奇跡でもなんでもない当たり前なこと。
でも、人の目には奇跡とうつり、時に感謝の思いが沸く。

ただ、それになれてくると奇跡が当たり前になってくる。
それでも、感謝の思いが沸くなら良いけど・・・
感謝がわかなくなると信仰ではなくなる・・・かな?

神を知るだけで感謝のわかないもの、そこには奇跡はなくなるかな?
しがらみでなく、奇跡とそれに対する感謝の思い。

4日前 No.230

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

「信仰は愛のようなもので、強制することはできない。」
ショーペンハウアーの言葉です。至言だと思います。

なんにせよ、自分が何を正しいと思うかより、自分が何を好きだと感じるかの方が、
人生の指針としては適切な気がします。
正しさのためと言って自分や他人を、苦しめたり傷つけたりしてもしょうがないです。

神が好きなら神のために生きればいいし、哲学が好きなら哲学のために生きればいい。
人は自分を自由にしてくれる存在を愛するのだと思います。自由を嫌う人はいませんから。

自分が何に縛られているのか、自分にどんな自由が与えられているのか、
なかなか自分でそれに気づくことは出来ないですが、それもまたしょうがないことだと思います。


思考の最適度、考える人と考えない人というのが本スレッドのテーマですが、
自分が疑う余地のないもののために生きることを是としていることが、そのテーマの前提としてあります。

最適な思考とはつまり善のための無駄のない思考であると言えると思います。
また、考えることによっても考えないことによっても、人は善に辿り着くことが可能だと自分は思います。
逆に考えすぎて思考の罠に嵌ったり、関心を払わずそれについて考えないこと、
見て見ぬ振りをすることによって状況を悪化させてしまうことも、人生においては往往にしてあります。
つまり理性というのは道具であって、良いようにも悪いようにも使われることがありうるということです。

善、つまり自分が疑い得ぬもの。
デカルトは「考える自己」として自分自身の理性にそれを定義しましたが、
自分は「自分の気持ち」として自分自身の感情にそれを定義したいと思います。
人間の感情の奥底には愛があると自分は思っています。

自分の気持ちに正直な考え方、これが自分の思う「最適な思考」です。
色々と長々と語りましたが、これが自分にとってのこのスレッドでの答えです。

3日前 No.231

空の光 ★KAILNr2TDE_m9i

ライチさん

>「信仰は愛のようなもので、強制することはできない。」
>ショーペンハウアーの言葉です。至言だと思います。

まさにそうだと思います。押し売りになって神様に失礼だと思います。


>自分が何を好きだと感じるかの方が、人生の指針としては適切な気がします。

それには好きな対象が綺麗であるために心が綺麗じゃないと・・・


>神が好きなら神のために生きればいいし、哲学が好きなら哲学のために生きればいい。
>人は自分を自由にしてくれる存在を愛するのだと思います。自由を嫌う人はいませんから。

自由にしてくれるもの・・・他人を傷つけてしまう自由は自由じゃないよね。


>自分が何に縛られているのか、自分にどんな自由が与えられているのか、
>なかなか自分でそれに気づくことは出来ないですが、それもまたしょうがないことだと思います。

自分は今。。。病に縛られてるかな・・・次に構えてる自由をつかむために・・・


>考える人と考えない人
>自分が疑う余地のないもののために生きることを是としていること>が、そのテーマの前提としてあります。

自分は「考える」と「考えない」が半々かな。
嫌、ここの掲示板で言えば、考えるより閃いてる方が多いかな。
浮かばない時は考えてみるけど、考えつかない。
そんな時は空を眺める、もしくは音楽を聴く、本を読む・・・

理性とは・・・最善を目指すために必要なのかなと・・・
感情とは・・・喜怒哀楽かな。それが行き過ぎないよう理性がある?
意欲とは・・・理性と感情と直感から生まれた物を実行するのかな。
直感とは・・・心に響いてくる全知の神のお裾分けかな?

四つがそろえば怖いものなし?

3日前 No.232

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

空の光さん

「魂が思いをいだき、
精神が創造し、
身体が体験する。
これで循環は完結する。
魂は自らの体験の中で自分を知る。」

「神のメッセージはつねに、
あなたの最高の考え、
最もくもりのない言葉、
最も偉大な感情である。
それ以外はべつの源から生じている。」

「つきつめればあらゆる魂は真実でないものを捨てるし、
あなたが送っている人生での真実とは、神との関係だけだ。」

自分はこうした神との対話の中の言葉に、完璧な真理を見ます。完全な人格を見るとも言えます。
いわゆる琴線に触れるというか…。聖書の中にもそういった言葉がありますね。
それを見ることで、何か神に近づけるような、親しくなれような、そんな気がします。


心を綺麗に保とうとする心がけ、とても素晴らしいと思います。
大切なことは、まずは自分自身を好きでいること、自分自身を大切にすることだと思います。

理性、感情、意欲、直感…それらがいかにして働き、いかなる構造を持つかは興味深いですね。
カントの哲学もしっかり理解したいですが、カントの本は読んでいるとどうしても眠たくなってしまいます…

1日前 No.233

空の光 ★FKS0l6855p_m9i

ライチさん

>「つきつめればあらゆる魂は真実でないものを捨てるし、
>あなたが送っている人生での真実とは、神との関係だけだ。」

真実でないものは捨てる?
真実でないものとはなにか?
実際に起きなかった事なのかな?
つまり、実際に起きた事のみを魂に刻み込む。
経験した中で曇りになるもの、つまり罪?もあるかな。
それが残る故に霊界において、しかるべき位置へ魂が移動する。
そしてこの世にに映る・・・それが現実ので苦しみとなる。
罪が許されれば苦しみも去る。
魂は、罪がなされるたびに刻み込まれる。
許されるたびに綺麗な魂になる。そして魂が軽くなる。
それは幸福の世界へ上昇すると言う事。

>自分はこうした神との対話の中の言葉に、完璧な真理を見ます。
>完全な人格を見るとも言えます。

神との対話ですか・・・霊界で神の位置へと魂が許されたのかな?
それは、イエスキリストに、釈迦の位置に近づいた事なのかな?

>心を綺麗に知るのは自分を好きになる事
>自分自身を大切にする事

自分もそう思います。自分を大切に思う。
それが自分と関わる人へと広がってゆけば、なお自分が大切にされてゆく。

理性、感情。意欲、直感は

理性と感情が交じり合う中で、意欲が働き事を起こす。
それが善となるか悪となるかは、理性と感性の働き次第。
良い事をしたいと願う時、願いで埋め尽くされれば、直感が働くかな?

この世は理性により色づけられた世界(カント)

理性が色づけする。それは、つまり真の姿が見えてない。
アンリベルクソンの言った刹那の吾になってない。
だから真の姿が見えてない。
奇跡?超常現象?それらを認識できない。

1日前 No.234

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

空の光さん

罪というのはあくまで罪悪感の意識、そしてそれが投影されたものであって、罪というものが実在するものではないと思っています。
罪がないことを知ること、それは純粋であることを知ることとも言い換えることが出来ますね。

純粋な存在であることを知るには、純粋に存在すること、つまり「ただ、在る」ことによって可能なのかなと思います。
「理性を介さない、存在に対するの認識」ですね。


木や草、空や夕焼けは何も語りません。そこに「ただ、在る」だけです。
それにも関わらず、自然から純粋さや優しさを感じるのはなぜなのでしょうね。
それらの存在は、自分には生命を肯定しているように思えます。


理性を介さない認識はやっぱり大事だと思います。
自分自身、どうも頭でっかちになっているきらいがありますね。
内面を純化することは以前は習慣でしたが、最近はめっきりです。
感覚が鈍化しているのかもしれません。

カントが理性を介さない認識についてどう語ったのか、自分はまだ勉強不足なので詳細はわかりませんが、
物自体を認識することは出来ないといい、また超常的なものに対しても懐疑的でしたね。(視霊者の夢)
魂についての記述は「魂は不死であることが要請される」くらいなものでしょうか。
カントが批判した霊能者スウェーデンボルグの著作は、読み物としては個人的にとても面白いとは思います。


望ましくない結果は悲しみを、望ましい結果は喜びを生みます。
喜びのために、理性を用いたいですね。

22時間前 No.235

空の光 ★hoKO7qVjCN_m9i

ライチさん

罪のない世界、それが近づいているのかも。
ライチさんのように思う人が出てくるというのは・・・
霊界にもこの世と同じく昼と夜がある。
今まで夜だった。今は昼になってるのかもしれない。
昼は霊の光が強い。
だから罪が霊に作った曇りを生まれ変わらせる。

つまり曇りが消える事は「純粋な心になる」
確かにそうだろうと思います。
それは思いの苦しみ。身体の苦しみが消え去るかな。
幸福への扉が開かれるのかもしれない。

16時間前 No.236

ライチ @litchi☆EGaxVq85lII ★Qnj6tiOo1O_bQp

空の光さん

「夜明け前が一番暗い」という諺があります。
暗いニュースばかりが流れ、人を踏みにじる人ばかりの昨今ですが、
同士討ちの末にみんなそろって墓に入るより、心を寄せ合い、助け合ったほうがいいということにみんなが気づく時が来るのだと思います。

「救済とは
相手の行動のなかにではなく、
あなた自身の反応のなかにある。」

例によってあの本の言葉です。

神という鏡を見た時の反応の中に、救済があるのだと思います。
全面的な感動、全面的な喜びですね。

とにかく自分の心を純化することに勤しんでいた頃、街全体が病んでいるように感じたことがあります。
今では自分の心が病んでいますね。
お互い苦しみはありますが、やはり心も身体も健康が一番です。

常に人間の純粋さを、そして天の光を見ていたいと願います。


「少々のことで 見えないくらい小さなことで
流れをつかみそこねる スイマーよ!!
ぼうっとしてるうちに にごらせちゃった 水の中
しっかりと目をこらしてゆこう

終わることのない 悲しみを歓びに
すべての失敗を成功に
あふれこぼれる 嘆きを唄声に
魔法じゃない じゃないけどできるよ」

(B'z「スイマーよ!!」より)

11時間前 No.237
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