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 ( 哲学掲示板 )
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てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

鬼の存在について議論するスレです。

鬼は人間ではない者。
鬼は予知能力を持つこともある。
デーモンともいう。

1年前 No.0
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てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

では鬼は動物なのか、というと、違う。

動物の上に人があり、人の上に鬼があり、鬼の上に神がある。

「鬼とは、そういった監視システムへの反乱であり、アンチ監視システムたらんとする意識の在り方だと思います」というのは、鬼を「意識の在り方」と見る見方だ。
しかし常識的に(コモンセンス的に)鬼は「意識の在り方」ではなく、ある種の魔人である。

鬼は、歩き、行為し、話し、酒を飲み、踊り、殺し、奪い、支配し、時には泣く。鬼とはそういうもの。「意識の在り方」ではない。



いやまて、鬼なんて実在しないだろ?

こう言う人は、勝手に鬼をイメージして、ツノが無ければ鬼でないとか、パンツ姿でないと鬼でないとか思い込んでいる。そしてそのイメージをそのまま映す存在者は見たことがないと言うのだ。

勝手に存在し得ないものをイメージし、そのイメージをもとにして世の中を探し、見つからないから存在しないと言うのだ。



しかしやはり、鬼は反乱可能性を気づかせるだろう。鬼は、世の中を支配しているルールとは別なルールの存在を示唆する、そんな鬼気迫る気迫を持った「凄いもの」だ。まあこのくらいでいいか、という妥協を鬼は許さない。

…「凄い」という大流行語について、皆さんは考えたことがあるでしょう。
何が真に凄いのか?

鬼こそが凄い。
鬼はダイモーンとも呼ばれる。
ダイモーンはデイノン(凄いもの)である。

1年前 No.6

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

鬼のイメージ

『 酒 』だな。

凄のイメージ

男性を評価する最上級の文字。

1年前 No.7

てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

ここは鬼について話す場にあらず!
鬼の存在について話す場なり!

と言うても、そんな固くならず。

ちょっとググると、「おに」の語源は「隠(おぬ)」と出てくる。
したがって、「おに」は目に見えぬものだ。だから、鬼は歩いたり酒を飲んだり泣いたりするものではない…そう言えそうだ。
だが、どうして語源に囚われて、語源が本来の鬼の存在を反映していると信じるのか。また、この語源を鵜呑みにしていいのか。
だがまた、泣いたり酒を飲んだり殴ったりすることが鬼にとって本質的でないことも確かだ。

「鬼」の字は、魔物や怨霊が「もの」や「しこ」と呼ばれていたので、「鬼」もまた「もの」や「しこ」の読み方をされた…という情報が出てきた。

鬼は「物」である。
鬼は物凄い。

私たちは「物」という字を見て、石や鉄や椅子や商品や物品をイメージしがちだ。「物置」という字を見てそこにあるものをイメージすると、たいていそれらは生命を持たないものだ。そしてこのイメージから、人は物ではないなどと言う。

だが、物というのが本来、何とはなしにたしかにそこに存在しているという意味ならばどうか。物悲しいとか、物思いにふけるとか、物々しいとか、もののけとか、物凄いとか、そういう「物」こそが根源であれば、どうか。

物は私たちに迫ってくる。私たちを囲み、私たちを振り向かせる。私たちを不安にさせる。物は私たちの目を奪い、心を惹きつける。物は意味ありげだが、はっきりした意味を示さない。

さて、「鬼」という字は「もの」と読んだという。
鬼が存在しているとしたら、どのように存在しているのか。あたかも気配のように、「物の気」として存在しているのか。そうであるから、やはり鬼の姿は見えないのか。


鬼は人のように歩き回り、話しかけ、人を殺し、笑ったり泣くのか。
それとも、鬼は「物の怪」として、何と無くの物として、ただ物凄く人に迫るのか。
あるいは、どちらでもないか。

1年前 No.8

てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

梢:「スゴいのよ、彼」

スゴいものは、日々の煩瑣な気苦労や、つまらない心配事を忘れさせる。スゴいものは現実離れしており、夢中にさせる。スゴいものは強く働きかけボーッとさせる。

仮にそれが凄惨なものであっても、やはりそれは非日常として人を茫然とさせる。

「茫」の字に注目。
これを少し並び替えると「荒」となる。
草冠に「亡」という無を表す字、そして「川」。
茫然というのは、頭が真っ白になって静かになって身動きが取れないほど囚われることだ。
この「真っ白さ」というのは、取りつく島のなさである。
「荒」の字の「亡」は、草っ原や川の流れの無性を示唆する。荒地の草原は、荒れ果てて目の前に広がる無である。
雑草や荒地(草原)を意味する字に「蕪」がある。
私たちは「無」と聞いて宇宙空間をイメージすることがある。無であるという点では、草原も川も宇宙空間に劣らない。

スゴいものは、茫然とさせる。なぜなら、スゴいものの動きが基づくところの基準が私たちの普段の基準とは桁違いだからだ。桁違いだから、私たちは普段の基準で動こうという気が起こらないし、普段の動きの基準で動いても追いつきっこない。

そのスゴいものが平凡なものに襲いかかってきたとき、平凡なものは対応できず、ただ夢中にがむしゃらになるしかないだろう。

デイモンは、驚愕させるもの(デイノン)である。すなわち、鬼は怖い。

鬼は怖い。
これほど常識的で正しい言葉があろうか。鬼は怖いものだ。その怖さは、荒地や荒波の茫然とさせる凄さでもある。

工口千ズムの「凄」と「恐」を思い出させる。工口千ズムは、動物性ではないが、世間人間的な人間性でもない。それは世間人間的には忌避される。工口千ズムは、動物的でも人間的でもなく、いわば鬼的。

1年前 No.9

気まぐれな風 ★Tablet=s8iSlmVaWb


 鬼の存在について話す場???


今更ジローだろ。

漫画に出てくる鬼は漫画家が描いた。

君ら1人1人に在る。

 森にひっそり隠れてる状態が『魔』だ。



   魂、鬼と云う。



釣り上げられる魚には

釣り人である君らは

どう?映る?


   鬼のシルシ、笑


どこ探してる?

ソコだ、ソコ。


  もう、いい加減、諦めたらどうだ?


  僕と君、どちらの言葉が正しいか。


  まぁ、僕の言葉が正しければ。


  君らには一大事だろうけど。


  そう、まさに、一大事なんだよ。


 一大事なのに、一大事であることから、目を背けている。


  だから、ますます、問題が大きくなる。

1年前 No.10

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

鬼は人ではない。
鬼は人と異なる凄い怖い物だ。
「異」という感じの「田」の部分は、鬼の頭と解釈されることがある。
「異」という漢字そのものが鬼の象形だという解釈である。

この場は、「鬼とは何か」と問う場所ではない。
鬼の存在を前提して語る場だ。

鬼は異なる物だ。
ところで、「物」とは「凄い物」のことであり、まず「もののけ」のことである。「もののけ」は「物の怪」である。

皆さんは「怪」という字のことを一度は考えたことがあるだろう。
「あやしい」と読むこの字のことを…

「異」という漢字の「田」の部分は、仮面と解釈されることもある。「畏怖」などの「畏」は、仮面をかぶった怪しいものが杖ないし鞭を持っている姿と解釈されることがある。
鬼は凄い怖い畏ろしい怪しい物だ。
怪しい物は、人間の注意を引く。物はこのようにして人間の注意を引くことによって人間を取り囲み、人間に迫り、人間を襲う。

何度も言うが、「鬼」は「物」であり、「物」は「凄い」。

鬼・物・凄・怪・異・畏・魔・茫・荒・蕪・醜

1年前 No.11

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

あなたは鬼に会ったことがあるか?

会ったことがないとしても、探そうとは思わないだろう。
「鬼に会ったところで(笑)」

探そうにも、何が鬼であるか知らないだろう。何が鬼であるか知らない人は、鬼を見つけることはできない。
では、鬼と初対面の人は、どうやって相手を鬼と認知するのだろう。
鬼が自己紹介するか?

鬼と呼ばれる前の怪しい物は異様な雰囲気を放っていたことだろう。
だから、鬼と呼ばれる前の怪しい物は、名も無き時から人の気を引きつけた…と考えられる。
人はそれから呼ばれた。人はそれに答えて呼び返そうとした。…こういうことは考えられる。

鬼は怪しい。怪しく不審な謎の物だ。それは正体不明なまま、たしかに存在はしているが何であるか分からないものとして、人に気づかれる。
何かは知らないが、たしかに存在している。
こういう怪しい物の正体が、何らかの解釈とともに、「何々である!」と判明したとき、人は未知の物に出会う。



ちなみに、鬼は哲学的ではない。鬼の存在を信じるなんて幼稚だ。
しかし、鬼は宗教的でもない。
鬼はひたすら「リアル」だ。「real」という言葉はラテン語の「res・rea」を語源とする。これは「物」のことだ。
リアリズムとは「実在論」のことだ。鬼は実在的である。鬼はレアリエンであるのだ。

1年前 No.12

ゆるぼ @neko1234 ★jYcpx3M6AI_vN9

鬼は「もの」で、「もの」は神と言う人がいます。出雲大社のオオクニヌシは数多くの名前を持ちますが、彼の和魂(ニギミタマ)はオオモノヌシと呼ばれます。名前の通り解釈すれば、偉大なる神々の主ということかと。

日本における神は祟る神であって、最高神とされるアマテラスでさえも祟る神。恵みと祟りの二面性を持つのが神の特徴のようです。鬼もまた善悪の二面性を持っています。よく見る鬼瓦なんかは「厄除け」を目的としています。こうした二面性は自然そのものだろうと思います。

1年前 No.13

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

鬼について語るとき、ヨワさんも地下水さんもぞうさんもhiroさんもマジカルモンキーさんも気まぐれな風さんもてじさんも、どうでもいい。
人間はどうでもいい。鬼は人間ではない。
人間ではない凄い鬼が、私に迫り、私を襲う。
私たちが語り合う(zusammengehoeren)としたら、それは私たちが同じものに襲われているということだ。
この同じものが鬼であるとき、私たちは鬼について語り合う。

鬼は人間とは異なる物だ。これはどうでもいい発言ではない。
鬼は(哲学的な表現で言えば)人間の否定である。

人間とは何か?

この場は、鬼とは何かと問う場ではない。
人間とは何かと問う場だ。

1年前 No.14

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

祟りとは何か。
厄除けとは何か。
魔力・呪力とは何か。
これは問題ではない。

何が「祟り」と呼ばれているかという、その「何」こそが問題だ。
「問題」とは、「ein Vorliegendes」であり、ヒュポケイメノン(基体)である。
何が「祟り」と呼ばれているか。
何が呪力と呼ばれているか。

鬼は目に見えない力(魔力)で人間を傷つけるだろう。
私の心が傷つくとき、私は「呪い」の「基体」に触れるだろう。
(心は「うら」と読み、これもまた目に見えないものだ。)

祟りは英語で「curse」だ。「curse」は汚い言葉(罵倒)という意味を持つ。罵倒は人の心を傷つける。
しかしながら祟りは、目に見えて人の身体を荒れさせ、土地を荒れさせる。


鬼の顔は恐い(怖い・強い・畏ろしい)。
怖い顔が魔を追い払う。ところで、怖い顔が物を追い払うというのは、因果的な力によるものではない。それは習慣的なものと言えば習慣的なものだ。
ギリシャ語で「習慣」は「エートス」である。

「ソクラテス以前の哲学者」と呼ばれるヘラクレイトスはこう言っている:
エートス・アンスローポイ・ダイモーン
Character is for man a daimon.

「習慣」は、人間にとって、「鬼」である。

このダイモーンは、哲学者ソクラテスにも語りかけた。
哲学者ソクラテスに関係してきたダイモーンについてフランスの哲学者ベルクソンは語っている。
ダイモーンはソクラテスに「不可能だ」と語りかけたと言う。「鬼神」とも呼ばれるダイモーンは、ソクラテスが政治に参加することを禁止したと言う。

鬼(デーモン、ダイモーン)は全く哲学とは無縁というわけではないかもしれない。

1年前 No.15

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

以下プラトン『饗宴』から引用:
『ではいったい』――わたしは言った――『何ものなのでしょうか、愛の神(エロース)とは?死すべきものですか』
『いいえ、けっして』
『ではいったい、何だとおっしゃるのです?』
『先の場合と同じように』――彼女は言った――『死すべきものと不死なるものの中間にあるのです』
『ディオティーマ、何でしょう、それは?』
『ソークラテースよ、それは偉大なる鬼神(ダイモーン)なのです。けだし、鬼神的(ダイモニオン)と名のつくものは一切、神と死すべきものとの中間にあるのですから』
『どのような能力を持っているのでしょう?』わたしは言った。
『神々へは、人間から送られることを、人間たちへは、神々から発せられることを、それぞれ説きあかし、伝えるのです。』
:引用終り。

以下プラトン『パイドロス』から引用:
ぼくがまさに川をわたって向うへ行こうとしていたときにね、よき友よ、ダイモーンの合図、いつもよくぼくをおとずれるあの合図が、あらわれたのだ。それはいつでも、何かしようとするときにぼくをひきとめるのだが。
:引用終り。

以下プラトン『ソクラテスの弁明』からの引用:
わたしには、何か神からの知らせとか、鬼神(ダイモーン)からの合図とかいったようなものが、よく起こるのです。(中略)これはわたしには、子供のときから始まったもので、一種の声となってあらわれるのであって、それがあらわれるときは、いつでも、わたしが何かをしようとしているときに、それをわたしにさし止めるのであって、何かをなせとすすめることは、いかなる場合にもない。

以下ベルクソン「哲学的直観」からの引用:
このイマージュをまず特徴づけているのは、その内部にある否定の力です。ソクラテスのダイモーンがどのように振る舞ったかはご存知のとおりです。ダイモーンはある一定の瞬間にソクラテスの意志を止めて、するべきことを命じるのではなく、行動することを妨げました。
:引用終り。

以上によると、ダイモーンは否定者である。それは私たちを思いとどまらせる。
どうしてダイモーン(デーモン)は引き止めるのか。
それは行為が逸脱であり、言葉が裏切りだから。
鬼は名も無きころから私たちに関係してくる(angehen)から。名も無きころから関係してくるものについて語るとき、それの「名も無き昔」について語ることはできないが、名も無きころの鬼のヴァーゼン(was-en)こそが私を語らせる。だから語りは終わらないし、原理的には成功しない。成功はただ間接的に、私の言葉が鬼と人とを偶然結び付けたときにのみ起こる。どんなに言葉を積み重ねても、鬼を作ることはできない。なぜなら、鬼はかねてより存在している(wesen)からだ。初めから存在してしまっているので、言葉であとから鬼を創作することはできない。鬼の存在がそれを許さない。

多くの人は、鬼について語られた言葉について語っている。つまり、鬼の派生物について語っており、鬼の存在について語ってはいない。
この「について」の「ついて」を「つき・て」と分解し、この「つく」を「就く」と書き、それを言い換えて「就する」と言うことにする。
多くの人は、鬼に就するのではなく、鬼について語られた言葉や、鬼を描いた絵やイメージに就している。さらに言うと、鬼の写し絵に就しながら、もともとの鬼の存在に「就いて」語ろうとして、しかもその鬼の存在を否定する方向で語ろうとする。

パルメニデスのあの言葉:
まことに探求の道として考えうるのは、ただこれらのみ。
そのひとつ、すなわち、「ある」そして「あらぬことは不可能」の道は、
説得の女神の道である――それは真理に従うものであるから――。
他のひとつ、すなわち、「あらぬ」そして「あらぬことが必然」の道は、
この道は、まったく知りえぬ道であることを汝に告げておく。
:引用終り。

鬼に就するならば、鬼は「ある」そして「あらぬことは不可能」であって、この道は「真理に従うもの」だ。
真理は、従われるものであり、すなわち支配するものだ。鬼は支配的に、私を使役して私を語らせる。それが「説得の道」だ。
そして「あらぬ」の道は、「知りえぬ道」である。鬼を知り、ものにすることはできない。
鬼は否定者である。ソクラテスは、否定者の声を聞く者だ。ソクラテスは、知りえずに知を恋う道にあるかのように見せかける(皮肉)。
そしてソクラテスは、エピソードとして知者との会話を持ち出してくる。この知者(例えばディオティーマ)が「ある」の道を行っている。

鬼の存在に就するかぎり、あらぬことは不可能。なぜなら、鬼に就するということが、鬼のヴァーゼン(was-en)であり、鬼の存在の支配(walten)であるからだ。
鬼に就するということが、ひとつのこととして、鬼の存在が襲いかかってくることでもあるからだ。

あなたには、怪しきダイモーンの切実さとリアリティが分かるか?
あなたも分かるはずだ。ただそれを「ダイモーン」というギリシャ語では呼んでいないだけで。

この場は、ダイモンスヴァーゼン(Daimonswasen)について語る場だ。ダイモンスヴァーゼン、すなわち、鬼の存在について語る場だ。
the realia of a demon
the essence of demon

1年前 No.16

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

ヘラクレイトス断片86:
「それが知られず、人の目につかないのは、信じないからだ。」

信じるとは、真面目に受け取って信じる相手から影響を受けるがままになることだ。
そのように相手に従って振る舞ってはじめて見えてくるものがある。

何かを信じるとは、それに有効力を認めることだ。
有効力を認めたからには、それに左右されねばならない。もしもそれに左右されないならば、有効力を認めたことになっていない。
信じれば行為の仕方が変わってくる。信じることは、行為の際に実際に尺度を採用することだ。

別な尺度を採用してはじめて見えてくるものがある。
異(い)なる物の尺度を採用しまいとするならば、そうしたものは一生見えてこない。

「それ」って何だろう?
はっきり言って、「それ」とは鬼である。

鬼が知られず、人の目につかないのは、信じないからだ。

鬼が見えてくるような尺度があるだろう…という想像はできる。
その尺度に従えば、あるものが「鬼」と呼ばれる…そういう「考えの尺度」があるかもしれない。

私たちは常に鬼と関わっている。鬼は常にプレッシャーをかけてきているのだが、このプレッシャーに忠実であろうとする人はいない。時々哲学少年が鬼のプレッシャーにそれとなしに気づいて、これを利用してヘラヘラ笑って何か呟いたらすぐに去っていく。

ほとんど誰も主題としない問題がある。
鬼への忠実さ、という問題だ。忠実さは、哲学では「純粋」という言葉に示唆されている。
真(まこと)への適切な態度は誠(まこと)だろう。忠誠は、主に左右されるがままに、意のままに、御心のままに、思し召しのままに、ということだ。

ところで、鬼は否定者である。
鬼への忠実とは、まず、鬼からの否定に忠実であることだ。この否定への忠誠は、否定者への信がもとになっている。
「鬼の存在」に忠実であることで、触れえざるところに根拠(鬼の存在)を保つことができる。しかしこのとき、私には鬼をものにする権利は失われる。私も鬼に触れることはできないからだ。このとき、鬼は「聖なるもの」である。それは侵されざるものとして、絶対者(形而上学的対象)である。

ソクラテスは、説得の根拠を人間(ソクラテス)の中にではなく、自分の外なるダイモーンに置いているので、議論で負けない。だが、議論に勝つわけでもない。説得の根拠がソクラテスの中(ソクラテスの知の中)にはないので、相手の敗北はソクラテスの勝利を意味しないのだ。相手の敗北は、存在している鬼の支配を意味する。

1年前 No.17

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

おもしろい。おそらくそうであろう。

鬼は『 酒乱 』。あれが鬼。

1年前 No.18

てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

「怪力乱神を語らず」という言葉がある。

子不語怪力亂神。

怪力乱神とは、怪異・勇力・悖乱・鬼神のことらしい。不思議なもの、無理矢理なもの、常道から逸れたもの、そして鬼について、孔子は語らないと言う。

この四つは「異常な四つ」と呼んでいいだろう。

@怪異はそのまま異常なもののことだ。普通のやり方(道)とは違う占いや魔法で問題を解決したりすることは怪異だろう。また、人の法とは外れた魔法により行動する魔物たちもまた怪異なるものだろう。
A勇力は、強引で力づくで無理矢理ということで、暴力の意味だろう。
鉄で出来た立体のオブジェから、それに引っかかっているリングを外して下さいというパズルがあるとする。このパズルのパズリング(困らせるもの)への適切な対処法は、あらかじめ用意されているが隠されている方法を見つけて、それを実行することだ。これは、そのパズルオブジェの「法」に合わせるということだ。パズルそのものが指定するやり方が何であるかを探すのがパズルを解くことであり、パズルそのものがその指定を極めて小さな声で命じている。
だが、極めて強い勇力を持っていれば、極端な話、鉄をねじ切ることができる。自分の暴力的勇力の方にパズルを合わせることが、無理やりというもの。これが「道を外れている」と言われるのは、道徳的非難以前のことだ。けだし、無理やりというのは物の道理を無視して行動することであるから。
※だとすると、あくまで道に基づくという思想はいったい何なのか?
B悖乱は、悖(もと)り、乱れるということ。乱れるとは、秩序を失うこと、ごちゃごちゃしていること、惑うことだ。酒乱が「乱」であるのは、普段の秩序を失うからだ。逆に言うと、普段は秩序に則って行動するのが人なのだ。秩序に則っての行動はお決まりのものであり、パターンが読める。乱れていないきちんとした人の行動は不審でなく、怪しくない。そういう人は「何を考えているかわからない人」ではなく、誰もが考える通りに正しく考える人だ。その人は決まりを破らず、礼に適いつづけると期待される。
乱の人は、何をするか分からない。御し難い。酒呑童子という鬼の代表格は盗賊のリーダーである説がある。盗賊は、人の常道に背いて、別な道を歩んでいる。この別道の鬼は、人の道の上では支配できず、このどちらの道をも超えた暴力によって御せられるのが常である。鬼は殺し、鬼は殺される。
C鬼。

この場は、怪力乱神を語るところだ。

1年前 No.19

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

鬼の存在について語る自分への違和感について語らねばなるまい。

まず、鬼など存在しない。

(1)私たちは「原初」について語った。
(2)私たちは原初について語られた言葉について語った。私たちは原初につけられた名前が意味するものについて語った。
(3)原初について語られた言葉は、原初について語られた言葉について語られた言葉の意味を、意味として持つにいたる。

(1)私たちは、或る種の根源的な経験を「鬼を見た」などの表現で語り、
(2)この「目撃」という単純な経験から発想して、目撃したのならば目撃されたものがあるだろうと推測し、
(3)まず「鬼」が何らかの姿をもって存在しており、それを私たちが目撃したと考えるようになった。
だが、鬼は「鬼」と名づけられた何かであって、それを「鬼」と呼んだのは(おそらく)私たちなのだ。
少なくとも、鬼は「おに」と呼ばれていた。自分で自分を「おに」と呼んでいたのだとしても、やはりそれはその存在そのものが鬼という名前であるのではないのだ。

「鬼」という言葉が残っているのは、昔は鬼というものが存在していた証拠だ、ということにはならない。
鬼がいて、それについて「鬼」と言われたのだとしたら、「鬼」という言葉は鬼の存在の証拠である。
だが本当のところ、何物かがあって、それが「鬼」と呼ばれただけであって、はじめから鬼という物が存在していたのではない。さらに言うと、はじめから角が生えて赤かったり青かったりする魔人が存在していたのでもない。

鬼は漂流して着いた外国人ではないかとか、宇宙人ではないかとかの説がある。外人がそのまま鬼なのではなく、伝言ゲームのようにその異形が語り継がれていったのではないだろうか。また、疱瘡を患った盗賊などの説もあるらしい。
いずれにせよ、鬼の正体は鬼ではないという説だ。

鬼の正体は鬼ではないように、鬼の存在は鬼ではない。
この場は鬼について語るのではなく鬼の存在について語る場なのだから、この場は「鬼ではないもの」について語る場なのだ。

そして、「鬼ではないもの」というのが「鬼の存在」であり、「存在」である。

Das EreignisはDas Anfaengnisである。Er-eignisはEr-fahrenされる。
Er-eignisは、特有的なもの(eigen)の起こり(er-)であり、何か(was)がその何かになるという動き(was-en, wesen)である。
RealitaetはWirklichkeitの意味からSachlichkeitの意味に解釈し直され、改めてdie Wesung des Seyns(Ereignis)の方から規定される。

Das Seinはden MenschenにAnsprechenすることでangehenしてくる。Der MenschはSeinにhoerenすることでそれにgehoerenする。
チワワは犬の一種であり、犬に属しているが、それとは別な仕方で。人間は唯一、この「の」というあり方で存在し、存在に「属している」。

自分の表現(言葉)を、根源的原初的存在から規定されるままにすることは、否定的発言につながる。
この原初的制限が生きていると意識しつづけているとき、私は鬼について恥ずかしげもなく語るだろう。
何に「ついて」いるかを私は意識しており、その「何か」が存在しているかどうかは問題ではなくなっている。

「何の話か?」と問われるときの「の」の《宛先》が「何」である。「何」がこの問いでは問われている。
「何の話」という言葉に、人間のあり方が表されている。
属すること(gehoeren)が聞くこと(hoeren)であり、聞くことが語ること(sprechen)であるならば、属することもまた語ることに関わってくるだろう。
「属する」とは「何々について語る」ということであり、しかもそのうちの「について」という核心部分のことである。
この「について」は、語るということに留まらず、聞くことにも行動することにも関わってくる。
「について」というのは、状況に身を置いて、その状況から合図を受け取る用意をしていることである。それは「就く」ことだ。

この「について」に私が名前をつけるならば、「就する」とする。

鬼は存在しない。存在するのは、鬼の存在である。

1年前 No.20

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>20
この「存在」の庭からも脱出しなければならない。

他人を立ち止まらせるために、まず「止まってください」と発言してみる。
だが、「止まれ」と言われて立ち止まるヤツはいったいどうなっているのか。
どうして彼は私の「言うことを聞い」たのか。
なぜ彼は、その時だけであっても、私の支配下に入ってしまったのか。

1年前 No.21

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

鬼は、アルコール中毒のDV野郎だよ。

『 脳 』は、生命にとって大事な部分、よって、脳を毒に侵されることは許されない。

しかし、脳は、アルコールと言う毒を受け入れている。

問題はそこにある。

なぜ、脳は、アルコールの侵入を許可しているのか?

1年前 No.22

操壊 @tukimonoda ★kIBtVXVdAz_g5r

魂に鬼が入ってるのが気になる。

1年前 No.23

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

正直、『 脳 』は、不思議だ。

アルコールを受け入れる理由は何か?

人はアルコールを摂取すると、欲が爆発する。

愚痴を言いだし、小生谷欠も出てきて裸になったり、

寝る奴は寝るし、笑っている奴はずーっと笑っている。

ようは、本性がでる。アルコールの力をつかって。

では、本性が『 鬼 』ならば、どうなる。

問題は、脳に鬼は存在するかどうか。

1年前 No.24

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

一般的な話をしよう。脳に鬼は存在しない。一般的にはね。
脳というのは肉体の一部でしょ。むしろ、鬼だって脳をそなえているかもしれない、という、そういう存在として鬼は考えられている。もちろん、実在はしないとしてもね。

では、鬼は、人ならざるものの象徴なのか。人ならざるものの代表なのか。
しかし、そんなのは「獣」とかでもいいわけだ。

何を鬼と呼ぶか。
という風に考えてもいいけど、「じゃあ、それを『鬼』ではない言葉で呼んでもいいでしょ?」と言われても、たいてい否定できないだろう。

鬼と呼ぶに値するモノを、提示してくれなくては。

アルコール中毒のDV野郎のことは「アルコール中毒のDV野郎」とでも呼んでおけば、そちらの方が正確なのではないか。
こういう指摘は、まったく無しではないでしょう。

鬼と呼ぶに値するモノ、それは鬼才、人鬼(ヒトオニ)、鬼気など、つまり一言で言えば、凄い物だ。

凄いとは何か。

それは、私たちがなあなあで済ましていることを済まさず、徹底して物事に当たるようなことでもある。
それは、私たちが何となく遠慮していることを、あっさりと断行するようなことでもある。
このあっさりとした断行は時に、非人道的な冷酷な行為となって現われることもあるだろう。そういう非人道的行為をする人は「人鬼」と呼ばれる。

鬼は、私たちが積み上げてきた秩序を破壊する、乱すものである。

こう問うところまで行ってもいいだろう。なぜ、本性が鬼であるのか。なぜ、鬼が本性であるのか。
理由だ。

誰もが認めるだろうと思うが、鬼と称されるような人や才能は、周囲にインパクトを与える。だからこそ「鬼才」などと呼ばれる。
鬼は、人をギョッとさせ、ゾッとさせる。
人間には、人をギョッとさせ、ゾッとさせる一面がある。そういうのはテレビドラマとかで誇張されているし、分かりやすいのではないか。

人が自由であり、何となく守られている秩序が何の理由もなく破られることが、とにかくありうることはありうる、ということ。その可能性がほの見えるとき、人はゾッとするだろう。

鬼になってしまった人に「待って」と言っても、何も聞いてくれないかもしれない。鬼は、他人の目配せやそれとなしの注意を、意に介さない。鬼は人間的な、世間的な、気遣いに溢れた世界において、まったく異常な存在だ。それは殺人鬼という形で姿を現わすこともある。鬼は、異常な人間である。そして異常であるならば、彼はほとんど「人」ではない。

鬼は盗賊のことだという説もあるらしい。

1年前 No.25

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

いや、鬼の存在というなれば、鬼には形容がある。

角があり、尻尾がある。これは確実。

鬼と言う漢字の成り立ちはそうである。

1年前 No.26

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

(1)「このことから、神論的問いのみならず存在の問いにとっても、それが成立する動因という意味での根源的な経験とは、実は存在者全体の圧倒性の経験であり、人間の無力さの経験であると考えられるのではないだろうか。」

(2)「アリストテレスが神論の主題とするもの、すなわち「ト・テイオン」を、注目すべきことにハイデガーは次のように理解している。「端的な存在者――天空、つまり包括し圧倒するもの、そのもとに、そこに向かってわれわれが投げ込まれているもの、それによってわれわれが息をのみ、襲われるもの、つまり圧倒的なもの」(GA 26,13)、と。」

(3)「そこでの「神」という語は、あらゆる存在者が操作可能になるなかで、人間の計算を逃れ、人間の意のままにすることができないもの、その意味で人間を圧倒するものを意味しているのではないだろうか。」

上の三つの引用文は、佐藤優子先生の論文からの引用である。
とりあえず、上の三つの引用文から「存在の問い」という言葉を見つけ出していただきたい。

〈存在する〉とはどういうことか。
この「存在の問い」を、どのようにすれば問うことができるのか。
まず、「存在する」という言葉で何が意味されているのかが明らかでなければ、そもそも何が問題の俎上に上がっているかが分からないので、この存在の問いを問うことができないと分かるだろう。

すなわち、存在の問いを問う人がこれから求めていくものは、問う人にとって、すでに何らかのしかたで知られていなければならない。

「もしも、これから問おうとするものをすでに知っているならば、それを今さら問う必要はない。もしも、これから問おうとするものが何であるか分からないのであれば、一体どの時点で、その問いの答えを見つけたということになるだろうか。おそらく、答えとなるものが目の前を通り過ぎても、それに気づかないだろう。なぜなら、問う人はそれを知らないのだから。では、いったいどうして問うということが可能だろうか。」


〈存在する〉とはどういうことか、と問うためには、〈存在する〉ということを予め知っていなければならない。
私たちがすでに知っているもの全てのうちから、まず〈存在〉に狙いを定めなければならない。そうしなければ、まったく的はずれなことを言ってしまうだろう。

ところで引用文(1)で、存在の問いを成立させる動因とされているのは、「存在者全体の圧倒性の経験」「人間の無力さの経験」と呼ばれている。
まず、それは「経験」である。
その経験は、「圧倒性」のそれであり、「人間の無力さ」のそれである。

そして、圧倒性は「ト・テイオン」を意味するが、これは「神的なもの」のことである。
それは、「人間の意のままにすることができないもの」である。

ところで、圧倒的なもの、人間の意のままにできないもの、それは、鬼である。

1年前 No.27

操壊 @tukimonoda ★kIBtVXVdAz_g5r

鬼ということについて知らなさ過ぎるから、ウィキペディアを見ただけでもけっこう面白かった。
鬼と魂との語源についてもぐぐったりしてみた。

鬼とは霊界の者。そこで魂と関連してくるらしい。

鬼はいつも恐い顔をしている。
鬼のお面や鬼の絵などを思い出してみても、怒ってるようにも見えるし、
悲しそうに見えたりもするが、とにかく恐い顔をしている。

鬼が笑うともっと恐いかもしれないが。

恐いとは言っても、ネットに落ちてる狂気に満ちたピエロの顔とか、
そういったものに感じる恐怖ではない。最近は青鬼というホラーゲームの鬼もいるけど。

鬼がその顔を見せる時いつも「こうだ!!」という言い聞かせるような顔をしているように見える。

あれはそういう恐怖だと思う。

言うの少し変化した形で云うと書く、それと鬼と合わせて魂となる。

鬼が「こうだ!!」と云ってくる。それが魂なのではないかと考えながら書いている。

神と同じく魂には逆らえない、私はそう思う。

鬼のような形相で怒るという言い方は、よくどこかで見たことがあるように思う。

鬼の代表的な色は赤だ。鬼はたぎっている。地獄にいるのが鬼だろう。
鬼は熱い。

魂も例えば芸術に込める時、それは情熱という熱がある。

1年前 No.28

操壊 @tukimonoda ★kIBtVXVdAz_g5r

地獄にいる鬼と、天国にいる神。

同じような存在かもしれない。

1年前 No.29

操壊 @tukimonoda ★kIBtVXVdAz_g5r

よく漫画なんかで神が敵になることがあるが、
それは神にある鬼の一面性を敵にしているのではないか。

1年前 No.30

操壊 @tukimonoda ★kIBtVXVdAz_g5r

福は内、鬼は外。

トートロジーは全て内側へ

矛盾は全て外側へ


鬼さんこちら手の鳴る方へ。


鬼を追い出したり、呼び寄せたり。

鬼は云ってくれる、伝えてくれる存在かもしれないが、
時々怖すぎる時がある。

鬼の云うことに怯えすぎても、またよく生きることは出来ないかもしれない。
そこで手懐けようとしたのか。手の鳴る方へ。

そしてまたこれは遊びだ、古くは遊郭の大人の遊びから始まったという説があるそうだけど、
遊びとは大人がやろうと子供心のあるものだ。

鬼がいくら云ってくれようと、子供は怖くてそれどころじゃない。
遊ぶことで子供は鬼と仲良くしようとしたのだろう。

鬼のような親や教師とも遊ぶことで仲良く出来るのだろう。

オーガこと範馬勇二郎を挑発してた、刃牙さんが目に浮かぶ。
天下のオーガを立ち締め。
あの後、鬼とその子供はけっこう仲良く戦ってた。

1年前 No.31

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

俺は鬼才よりも、鬼門の方に興味があるね。
ようは、『 吉凶 』であるという事。
凶を司るのは鬼。
鬼は、怪物というよりも、悪魔のような姿、西洋で言う所のガーゴイルに近い姿と信じている。

俺は運が良いと自分でも思っている。
それはなぜかというと、『 凶 』という方角を選ばないからだ。

1年前 No.32

てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

>>28
「魂」の「云」は「雲」のことであるという説がある。死後、魂は雲気のように霊界に昇るとされる。地上には白い骨が残る。これをつかさどるのが「魄」と呼ばれるという説がある。

1年前 No.33

宿題 ★5n9Jhh5DYh_NOj

魂は肉体から離れて天に昇るとかんがえられていたから・・

西洋は
Geist→Ghost(ゴースト)なのです。

プシュケー(希: Ψυχ□、アルファベット表記:Psyche)とは、古代ギリシアの言葉で、もともとは息(いき、呼吸)を意味しており、転じて生きること(いのち、生命)、また心や魂を意味するようになった言葉である。psycho(心理学っぽい)


言葉の語源って成り立ち方が、しっかりしていると思いませんか?

1年前 No.34

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

いや、魂魄(こんぱく)は、このままの意味だと思う。

生気のない白い死体が、『 魄 』

1年前 No.35

マジカルモンキー ★Pq6LyZ6qjC_KMC

鬼の漢字の、ムの部分は、尻尾です。

1年前 No.36

宿題 ★5n9Jhh5DYh_NOj

魂・・陽・・精神の働き

魄・・陰・・人が死ねば魂は天上に上るが、魄は、じばらく地上に残る。

らしいです。

1年前 No.37

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

 鬼についての伝説は、鬼の姿を明かすとともに、鬼の存在を隠す。

 あたかも伝言ゲームのように、初めのものを伝えるための当のものが、初めの真実を隠すのに一役買う。

 人間は鬼を経験し、それを書き留めたあと、その書き留めたものを読み、そこから読み取られたものを鬼だと思い、そこから読み取られたものについて語られた言葉を鬼について語られた言葉と同一視し、そうして再び、そこから読み取られたものについて語り、それを書き留め、さらにそこから読み取られたものを、初めの鬼についての言葉だと思うとともに、その自己の解釈そのものを鬼と見なすことになる。

 人間が鬼だと思っているものは、鬼ではない危険が高い。だが、鬼について残っている情報が、まさにそのような情報であるということには、根拠がないのではない。

 鬼がどうして人間にこのようなものとして見られるようになったのか、それを、原初の鬼経験から、辿り直すことによって、鬼が何であるかを理解することができるだろう。その行程は、今まで自分が鬼だと思っていたものは実は全然鬼とは別物であり、自分が今まではこれが鬼だとは露ほども思いつかなかったものが、実は鬼であったのだと分かってゆくような過程であるだろう。

  >>1

>それなんて漫画の設定?


という発言が出てきているのは、軽視できないことなのだ。
 鬼といえば、日本昔話とか漫画とかアニメに出てくるものだ、というイメージが、すでに人間に定着しているわけだ。だがこのイメージは、ひょっとすると、伝言ゲームで最後に伝わった伝言のように、最初と照らし合わせると全然違うような、そういうものかもしれない。

  >>10
>どこ探してる?ソコだ、ソコ。

という発言も、格好つけたドラマ口調にすぎないのではない。
 この言葉は、そのままの意味で聞くべきだ。
 鬼を、そこにあるものとして、経験するべきだ、ということだ。
>君ら1人1人に在る。

というのは、短すぎて不細工な文章だが、ある程度は真実をかすっている言葉だ。
 鬼は心のなかに隠れている。

 だが、注意してほしいのは、人間が鬼だと思っているものが実は鬼ではないのと同様、人間が「これが心だ」と思っているものも、実は心ではない。
 例えば,「1人1人に」という言葉は、心への誤解を証明しうるものだ。(しうるのであって、しているのではない。と言うのも、 >>10 は別に「心」とは言っていないからだ。その代わり、「君ら1人1人に在る」という曖昧な表現にとどまっている。)

1年前 No.38

さう ★zsXV5swStL_JcC

お邪魔します

鬼=人は
悪魔=人という思想と似ているかな

飢饉により生きるためならば常人では行わない行動をする子供さして「餓鬼」とか
「殺人鬼」も殺人と言う常軌を逸脱している中でも更なる非道を行う者をさしたり
人喰鬼は語らずとも
人=鬼とさすのは常人ならば理性が働く行いを行う者
大衆の中から逸脱した行為
その行為に至る事情は汲まれないけれどね

自身に悪影響・被害を及ぼす、又はその可能性が存在するだけで鬼と呼ばれる
そしてその迫害をする者も鬼とする者も現れたりとか

日本の神話も各地にあるけれど鬼の信仰も土地によって変わるし
信仰が篤かった時代は鬼や呪いや祟りを語って潰えた集落もあったと思う
潰えた事で鬼や祟りと原因を後付もあれば
原因があって仕返しを祟りとしたでも
どちらであろうとも恐怖が生まれれば信仰心に結び付けやすいし
でも日本の神話の中の名のある神々の行いも酷いのが多いです


悪魔の話だと
魂と引き換えに3つの願いを叶えてやろうという甘言に
応えた人間によっては悪魔を苦しませたというのもあり
悪魔より人間のほうがよほど悪魔らしいとか
悪行を行う人間=悪魔憑きとかもある
悪魔に憑かれた殺人とか
悪魔に憑かれた異常行動とか
人としての尊厳をなくした者と言い換えられるかな

絶対王政の中では苦しめられる弱者の信仰集めでもあったのかも知れないけれど
基盤の神話の神々も悪魔も天使もかなり人間臭いというか私欲な存在が多い
神話は美化の為、悪行は隠され
悪魔の蛮行は脚色された

悪魔の行いより更なる悪行を語る人間でもある


鬼・悪魔=人というのはこんなかなと思う
海外じゃ結構重い言葉だけど神は居ないっていうのも
人間臭い存在でもあったとか
自由に脚色や隠蔽されるお話だからかもね


ピエロ=怖いは海外で実際に起った連続殺人が根底の一部に残ってると思う

呪いは単なる復讐の連鎖とか嫉妬の連鎖とか
嫌な事を呪いの所為だと結論付ける為かな

厄除けは七五三の本質で直ぐわかるかな
とおりゃんせ、とか
御七夜とかも
免疫の持たない子供の早死にや
死ぬ前のお洒落
祈るしかなかったが医療の発達でリスクが減り信仰が薄れた又は入れ替わった
御百度参りも今の時代じゃ稀だし

最後に話が変わったかな
気になったワードを拾いすぎました
長文お邪魔しました

1年前 No.39

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>ほら、概念の拡張(誇大?)解釈に対しては鬼のように容赦なく罵倒する人もいるからさ( http://mb2.jp/_tetsugaku/801.html-1281#a


これはザビビのふくろうさんが鬼灯さんに対して述べた言葉であり、阿さんという人が話題になっている。

彼が2人にとって共通に知られている人物であるということは、例えば『少って顔に見えね?思索スレだよ!』( http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html )内のNo. 1103( http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html-1103#a)とかを見れば分かる。ふくろうさんは彼のことを「かまってちゃん」と呼んだりしていて、基本的に彼のことが気に食わないようである( http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html-1162#a)。阿さんのNo. 1125( http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html-1125#a)等に関わる一連の議論を追ってみると、ふくろうさんと阿さんの間柄が分かる。一方で、鬼灯さんは阿さんのファンである( http://mb2.jp/_tetsugaku/326.html-1408#a)。

阿さんが果たして「概念の拡張(誇大?)解釈に対して」怒っているのかどうか、という問題がまずある。阿さんが何に苛立ちを覚えているかということは『少って顔に見えね?思索スレだよ!』のNo. 413( http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html-413#a)等に見られる。

>こいつらの軽薄な態度は、そのまま、現在時の出来事に対する軽薄さを如実に現している。

>作者は殺されつづけてるんだよ。


阿さんは誇り高く真剣な人物だった。

『ツァラトゥストラかく語りき』で「大いなる軽蔑者」と呼ばれている人に属する。これは第一部4節で出て来る表現だが、同じ節の「わたしは愛する、おのれを浪費して惜しまぬ心情の所有者を。感謝されることを求めず、返礼をしない者を。そういう者はつねに贈るばかりであって、おのれを保存しようとはしないのだ。」という箇所も同時に思い出す。阿さんが自らの「おのれを浪費して惜しまぬ心情」を自覚していたということは、社会人掲示板『よろず屋』の或る箇所を読めば分かる。

ところで、阿さんは高貴さを意識するという、一般人の間では稀少な人物だった。そのような人物の怒りを、私は理解することができない。その私が見るかぎりでは、彼は「実体参照を蔑ろにすること」が失礼であると怒っていた。「失礼だ」と言って怒りを表わすという普通に見られる行動の、原始的な在り方がここに見られる。ちなみに「実体参照」という表現自体も阿さんの投稿( http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html-1178,1179#a)から借りてきた。この投稿において、てじがSumio Babaさんのマニュアル主義を暴力だと称したことを、ザビビのふくろうさんが「非明晰主義だ」と呼んだことが批判されている。すなわちてじは阿さんによって擁護される形になっている。阿さんは「てじ君」を「60点」の人間だとずっと思い込んでいたようで、「てじ」の名を言いつつ私よりも高等な人間について語るようなところがあった。実はこの点も実体参照という話において或る意味を持ちそうな予感がしているのだが、今は措く。

>実体参照、これがアルファにしてオメガ。そっからその「概念」が何に適用できて何に適用できないかわかってくる。


と言うほど、「実体参照」は阿さんが重視していたものだ。鬼灯さんが『オリジナル哲学を投稿しよう』のNo. 1268( http://mb2.jp/_tetsugaku/801.html-1268#a)で引用していた阿さんの言葉:
>それが何であるかもわからずに、それに対していかにアプローチをすればよいかも糞もない。それは何であるか、こうした意識なり行為なりの「対象」の把握を、「頑張る」ことは無視している。意識や行為の「対象」が何であるかに関わらず、「自分が頑張る」ことは可能。

という努力批判もこれに関わってくる。

「工夫は行動ではなく思考の領域」という言葉も考え合わせると、実体参照とは思考に他ならない。そして実体が参照されているからこそ「待つ」ことも出来る。実体というのは現実に自覚的に経験されたものであって、主観が主観的に定義を定めてその存在を措定したものではない。勝手に分かったと思い込んで自己流に解釈して終らせるのではなく、分からないものを分からないまま読むという話を阿さんからされたことがある(その投稿はおそらく削除された)が、この話を私は「否定性の保持」という言葉と共に想起した( http://mb2.jp/_tetsugaku/801.html-922#a 等)。阿さんは大昔に「強さとは関係を結び直し続けること」と述べていたが、この「反復への意志」は、固定化・頑固に対する戦いへの意志でもあり、後述する現象学的解体にも通ずる精神である。

実体参照の逆の態度が、「それが何であるか」ということの無視である。これが「現在時の出来事に対する軽薄さ」である。阿さんは実体参照から「概念」が何に適用できて何に適用できないかわかってくると言ったが、このようにして事柄に即して適用・不適用を考えるのが「工夫」である。だから実体参照しないこと(実体参照しないまま頑張るだけすること等)は、思考を怠けること…工夫しないことである。例えば阿さんはSumio Babaさんの理論を「マニュアル主義」と呼ぶ。マニュアル主義とは何だろうと考えてみるに、用意されたマニュアルを何も考えず追うだけの態度だろう。SB量子神学理論は、問題が何であっても(すなわち実体参照せず)「半存在」や「ダブルトートロジー」という装置によって問題を処理する。私はそれを「暴力」と呼んだのだった( http://mb2.jp/_tetsugaku/824.html-1138,1145#a)。

実体参照しないことが読解においては「作者を殺すこと」であるとしたら、実体参照とは作者を活かすことである。しかし作者を囲うことではない。というのも、作者も参照しているところの実体を参照することによってはじめて、その作者を事象の方から批判することも可能になって来るからだ。作者は、実体参照を通じて、『絶対的に正しい大先生』という位置から(或る意味で)ランクダウンして、批判可能な人物となる。しかしそれでその作者が不当に貶められるというわけでもなく、むしろその作者の言葉には正当な重みが回復される。ハイデガーが『存在と時間』で、現象学的解体による破壊はむしろ「今日」の方に向けられると言っており、この破壊を「根源的諸経験へひきもどす解体作業」と言っているのも、これと同じ事情による(cf. 『存在と時間』§6)。

阿さんが怒りを覚えるだけでなく、その怒りをぶつけるところまで行くのには理由があると、私は思っている。その理由というのは、放っておくと作者は殺されるがままになってしまうからだ。私はこれをハイデガーが言うところの守護(Wahrnis)だと思っており、阿さんからハイデガーの守護を読み、守護から阿さんの言動を解釈している。阿さんの言う「愛」には、「相手への愛」のみならず「話題への愛」も含まれているところからすれば、この「守護」は「愛しながらの戦い」である。阿さんは愛を「親身になること」や「ガチになること」と捉えているが、これはハイデガーの内立性(Instaendigkeit)である。「親身」というのはドイツ語では「Innigkeit」であって「Instandigkeit」は「「痛切さ・真剣さ」を意味する。この内立性は守護とも関係するものであり、そのことは明示的に「Die Instaendigkeit ist der Adel der Armut der Behutsamkeit der Wahr des Anfangs. 」「Die Instaendigkeit ist so die Wahrung der Waechterschaft des Eigentums…」という言葉に現われている(Das Ereignis, S. 212)。

ハイデガーの色々な(一見ばらばらにみえた)言葉が、阿さんという一個の人物において統一されている様子を私は見た。もっとも阿さんは、自分はハイデガーに対して複雑な立ち位置にあると述べている( http://mb2.jp/_tetsugaku/791.html-697)。ここらへんは私には分からないが、ここらへんを知るためには阿さんのフッサール評価のことを考えなければならないだろうと予感している。つまり、阿さんがハイデガー思想を体現しているとかハイデゲリアンであるとかそういう話ではない…ということだ。そうではなく、阿さんはハイデガーが語ろうとしていた話題と同じ話題を参照していたこともあった…ということだ。それが「同じである」とはどういう意味かという問題は、今は措く。この微妙な立ち位置については、その他、「力の行使の喜び」等も考慮に入れなければならない予感がしている。

ザビビのふくろうさんは阿さんを「鬼のように容赦なく」と言っているが、私は彼が鬼であるのだと思う。私が「鬼」と言うときに思うのは「予知能力」だが、この予知能力というのは結局のところ実体参照の能力のことだ。またマジカルモンキーさんが >>7 で「凄のイメージ」と言いこれを「男性を評価する最上級の文字」だと言っているが、阿さんはこれを演出しようとしているように、私には見えた。阿さんは自分の文章を凄いと自画自賛することもあったが、そこには矢張り照れが見られた…すごく人間的でもあった。いわば、サイコパスなところが無い人だった。

このように私が「褒め殺し」と思われるほど彼のことを話すのは『遊動空間』を読む限りもう阿さんがここに来ないのではないかと思ってのことだ。ただ私がてじのこの言葉を見たら私はこう思う:「てじは阿が締めくくるのを見届けたうえで、だめ押しで阿について総括を述べることによって、その総括後に阿がここに戻ってくるのを封じているのではないか?つまりてじは阿を無意識で憎んでいるのではないか?」と。しかし、阿さんは強いので、私の可能的な心理的攻撃にビクともしないと思い、敢えてこれを投稿する。

5ヶ月前 No.40

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

>>40  てじさん

誤解です。

『鬼』に喩えて皮肉ったのは

鬼灯さん本人です。

5ヶ月前 No.41

鬼灯 @flower0 ★iPhone=WHEiqQZPxe

>>てじさん

どうもいつもお世話になっております。
内容自体は面白いけれども、フクロウさんのいう「鬼」とは恐らく、誰だったかスティーブンホーキングのM理論やら多世界解釈やらを誇大解釈してたのを咎めていた時の私を、「鬼のように」と皮肉ったのかと。
今は充電期間でありたいのでこれ以上は首を突っ込みませんが、私の事が話されてるのを見つけてしまったのでこの一言だけを。

5ヶ月前 No.42

てじ @flyonbody ★iPhone=lGsaZGr5tu

>>41,42

誤解したお陰で長く書けたので、誤解してよかったです。

5ヶ月前 No.43

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

阿さんは、自分が考えることすべてを疑い考えている対象を疑い何を疑っているかもわからなくなるくらい疑い・・

自分が解らない・・考えること自体も疑って・・何も知らないことも知らない・・知るとは何かさえ知らない・・


私が考えると言う主体を身売りしてはいけないと思います・・

5ヶ月前 No.44

櫻子 ★aOSsOkjIt5_mgE

鬼とは中国で死人を意味するらしいですね

あと
日本では8月のお盆にご先祖が帰ってくるので招き入れますが
逆に2月の節分では鬼になったご先祖を追い払います
これはどちらも同一人物らしいですね

4ヶ月前 No.45

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

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4ヶ月前 No.46

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>47

私が鬼を前にして鬼について語るとします。

「激しく動いている」

「まったく動かない」

これを聞いた人は「鬼は激しく動くものだと言ったが、今は動いていないのか。はたして、その動いていないのは鬼であるのか?」と聞き返してきます。

私は「前までは動いていたが、今は止まっている」と言い直すでしょう。

このとき聞き手が「鬼というのは激しく動くものだ」という観念にとりつかれていたら、「いや、動いていないそれは、もはや鬼でなくなったのだ」と言うかもしれません。

このとき私は少し強い口調で「私が鬼を見て、鬼を実況している。あなたは鬼を見ていないでしょう」と言うとします。

聞き手は「私は鬼を知っていて、あなたから教わった。鬼は『激しく動いているもの』だ。それなのに同じあなたが、鬼が静止していると言うなんて、悲しい」と言う。

私は「見てみろ。鬼はいま止まっているだろ」と強く言いますが

聞き手「鬼が何であるかは知っていますが、はたして、本当に鬼は存在するのでしょうか?」と言う始末。

私が「鬼は何だ?」と言うと

聞き手「鬼は激しく動くものです」と答えて、そしてこうも言う

「草木は風にあおられて激しく動いています。あれらも鬼なのでしょうか」と言う始末。

「あれは草木だ」と言うと

「もしかしてあなたが見ていたのは草木であって、鬼ではなかったのではないですか?
というのも、草木は激しく動いている。この激しく動くものを、あなたは鬼だと思い込んだのではないですか?」

「いや、激しく動いているものが鬼なのではなく、鬼が激しく動き、そして或るとき動きを止めたんだ」

「どうして激しく動いているものが鬼ではないと断言できるのですか?もしかするとそれが鬼であるかもしれない可能性があるのに…」

いや、そもそも、私が鬼を前にしてそれを実況したんだよ!

「へえ、では鬼の存在はあなたの実況に依存するのですか?あなたに見える世界が世界の全てなのですか?」

そうではなく、鬼が存在するから、鬼の実況も可能になるのだ。

「では、鬼とは何ですか?」

私は鬼を前にして語っている。

「それでは答えになりません。鬼が何であるか定義してください。それをしない限り、あなたが本当に鬼について語っているのか、それとも鬼ではないものについて語っているのかが検討できません。」

ヤスパース「むしろ、実存の客観化は、それと同時にその普遍化は多義的である。すなわち、それはけっして同じものであるのではなく、実存の現象にとどまり、したがってその根拠としての実存と結びついて、普遍的なものを媒体としているこの根拠の側面として唯一回的なものであり続けるか、あるいは、一義的に普遍妥当的となり、したがってそれみずからとの同一性において実存の表現であることをやめるか、このいずれかである。」

そう、鬼を普遍妥当的に定義してしまうと、その叙述は鬼の実存の叙述であることをやめてしまうのだ。

「では、鬼は幻想上の存在ですか?それとして同定できないものが存在するに値するでしょうか?」

そこで私はこう言う

「もういい。私は鬼について話しているのではない。私は私が注目してその動きを実況しているものを『鬼』と呼んでいるだけだ」

聞き手「では、それを『鬼』と呼ぶ根拠はありますか?」

「OK。鬼という名称を、激しく動くものに委ねることにしよう」

「では、あなたは激しく動くなにか鬼ではない別なものを、『鬼』と呼んで、人々を騒がせただけですね?」

「それでいい。鬼は私の前に見えているのだから」

「それ幻だよw」





鬼という名称を使うのはリスキーです。

3ヶ月前 No.47

優鬼 ★1qGFD4yO6x_Gxb

僕の本名は「ゆうき」という。もちろん漢字は違う。
本名をハンドルとして使うと決めたとき「ゆう」の字を見てこれじゃないなと思った。優だろうな。優しいというほかに、優秀という意味もある。
「き」はどうだろう。鬼というのが最初に思い浮かんだ。「ひぐらしのなく頃に」目明し編で詩音が最後に言ったセリフ「私は鬼だったんだ」の影響が大きい。
あと漢字を並べたときの「優鬼」という矛盾した響き。こうして優鬼は誕生した。

※警告に同意して書きこまれました (個人情報)
3ヶ月前 No.48

優鬼 ★1qGFD4yO6x_Gxb

「障害者は人間ではない」僕は人間ではなかった。
かつて高機能自閉症・アスペルガー症候群などと呼ばれたものは広汎性発達障害であり、これからは自閉スペクトラム症となる。名前が変わっても、僕の自己認識が変わることはないだろう。
理解されないなら、されなくていい。診断書一枚で、人間でないとされるなら。
普通でない人、普通しか受け入れない人。どちらが人間ではないのか。

3ヶ月前 No.49

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★irWfAAwagt_J3L

有鬼さん。

世の中の差別・偏見は無くならないと思う。正直。だけれど、自分の世界からは、差別・偏見は無くせると思う。

3ヶ月前 No.50

てじ @flyonbody ★iPhone=AuL4PyZ7fL

優しい鬼というのは確かに矛盾している。

優しさは人間的な人情的なものだが、鬼は非人間的であり非情だからだ。なので、冷酷な人を罵るときの昔風の台詞回しは「鬼、悪魔、吸血鬼!」となっている。

鬼が非常であるのは、鬼が人間レベルの規範を超越しているからだ。鬼のような人は「まあ、このくらいでいいだろう」という人間的な甘さを吹き飛ばす。妥協せず、譲歩せず、自他に厳しい人間が鬼と呼ばれる。一方、優しさというのは、相手に譲ること、相手に甘くすること、折り合うところを探ることである。

このような厳しい人の後ろに見られる何かが、鬼である。それは迫力であり気迫であり鬼気である。

鬼は危である。

畏・異などの「田」の部分は、鬼の頭を意味する。

異形・異常・異様などは、単に別とか他とかでしかない「異なる」という抽象的な意味に尽きない。異形というのは、普通の動物とは形が違うというだけでなく、おぞましく・すさまじく・訳が分からない存在を意味する。異常というのも、いつもと違うというに留まらず、どこか恐ろしく怪しく・真っ赤な月のように異様で凄く・背筋を凍らせる。

このような恐ろしい(畏れを抱かせる)ものが鬼である。鬼の経験が、異なるという現象を、身に染みさせた。鬼(異様)は、異なるという発想の根本である。抽象的な「他」とか「別」とか「違う」という観念は、具体的な、鬼と面した異様な畏れの経験から、反照された鏡にすぎない。

鬼は奇である。

異様=畏怖=鬼は、異なるということを身に染みさせて、とりあえず、それは人とは異なるという解釈を受ける。そは人ならざるもの。繰り返すが、鬼は人ではないから鬼なのではなく、鬼が「異なる」の原型であり、鬼との出会いがはじめて「人と異なる存在」という発想を可能にしたのだ。そしてそこから、あらゆるものに「異なる」という抽象的な観念が適用されるようになった。私たち君は異なるなどの判断の根幹には原始の人間の鬼との出会いがある。

逆に鬼との出会いが、人間達の共同意識を高めただろう。人間共は、自分達が共通に鬼とは異なるという所からはじめて、自分たちが同じ境遇だということを確かめた。すなわち、私達は鬼とは異なって、人間なのだ。鬼という原始的現象が、抽象的な「ヘテロ」と「ホモ」の発想を生み出した。それと同根源的に、鬼が「ひと」という存在者を生み出した。まず人があり、人でないものとして鬼が想定されたのではない。異様な異物としての鬼との出会いが、人ではないものを生み出し、人ではないものではないものとして、私たち人間は自分の存在を定められた。

鬼が人間を目覚ましたのであって、人間が鬼を創作したのではない。

殺人鬼は鬼ではない。なぜなら、十分に迫力を備えてないからだ。すなわち、殺人鬼は鬼として不十分であり、鬼としてはまだまだなのだ。つまり、殺人鬼はまだまだ人間らしさを残している。

鬼は稀である。

3ヶ月前 No.51

てじ @flyonbody ★iPhone=AuL4PyZ7fL

このスレは鬼について語るスレでなく、鬼の存在について語るスレである( >>8 )。

言ってしまえば、鬼がありうるとしたら、鬼はどのような存在の仕方をするだろうかというスレである。しかし私としてみれば、鬼の存在は仮定ではなく、現実である。

鬼は神出鬼没である。神出鬼没とは、場所を選ばず出現するという事だ。逆に場所を選ぶということは、自分の番になったときに自然に出て来るということだ。そこから考えると、神出鬼没というのは、どこにでも現れるという意味でもあるが、急に現れるという意味でもある。

鬼は突如・急激に出没する。

出没…それは「出」だから、現れるということ、陽の目を見るということ、出番になるということ、出て来ること、隠れた所から出されることだ。しかし同時に「没」だから、沈むこと、没落すること、引っ込むこと、死ぬこと、隠れることだ。しかし、出没は主に出現を意味する。出没とは、出つつ隠れつつというあり方で、現れるということだ。

鬼の語源は「おぬ」であるという説がある。「おぬ」すなわち、隠れるという意味だ。鬼は姿を現さない。特定の形を持たない。鬼は異様であり異形であると言われるが、鬼は目に見えない。鬼の異(い)なる形は、目に見える形のことではない。むしろ目に見える形は、鬼の隠密な異形をもとに着想された比較的新しい観念である。その異なる形は、恐怖の形、壮絶の形、陰惨の形、驚愕の形、感動の形、絶句の形、そういうものだ。

鬼は、消えてゆくものの形であり、暗黒渦巻である。鬼は神出鬼没だが、人間の喧騒よりはむしろ異様な静けさにおいて出没する。鬼は人を黙らせる。静かなところから、静かに、しかし落ち着かせず緊張を強いながら、密かに、しかし全く隠れず、心臓を鷲掴みしながら、襲いかかる。急激に、しかし、極めて稀に。

鬼は目にされるのではなく、目を見開かせる。

目を見開く者が次の鬼だ。

3ヶ月前 No.52

ちょっと、まってよ ★t8alAtLKeE_yoD

つまり、鬼とは人のある特定の有様ってことだな。まあ、そうだろうな。その本質が逸脱なのか畏怖なのか恐怖なのか俺には分らんが、まあ、「すげえ」ってことなんだろうな。とりあえず、「人はみな変態である。」と書いておこう。

3ヶ月前 No.53

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

閲覧注意は絶対見ません・・トラウマになります・・

3ヶ月前 No.54

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

母親と言うものは多くの人が鬼になる。

角隠しと言う花嫁衣装があるように・・

3ヶ月前 No.55
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