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存在を問う

 ( 哲学掲示板 )
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★Gc8HjmXH4j_BiB

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英語:Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形、

「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」
「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」
「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」

などの形でも問われる

3年前 No.0
メモ2019/11/06 20:40 : 優鬼★uJcaHEY0RF_g5X

・「真であるか、または偽である」を「真かもしれないし、偽かもしれない」と、可能性があるように表現するミスリード

・真理値を0か1のどちらでもよいとすることで、命題を肯定系でも否定形でも表現できる作為性

ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

 
 

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>598

>> Rはトートロジーなので、メタ問いは生じません。メタ問いが生じるのはトートロジーでないQの方です。メタ問いは「なぜ「Qでない」ではなく、「Qである」のか」です。


 なぜ「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」のかという問いはありうるような気がしているのですが、しかし、

・「常識的に考えた場合」という設定自体において、
・あるか、ないかの二者択一しかないとの「暗黙の了解」を置いており、
・Rに対するメタ問い「なぜ、世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現しているのか」は、この「暗黙の了解」というメタ公理でそうなっているのだとの説明がなされ、
・そして、「暗黙の了解」というメタ公理に対するメタ問い「なぜ、「あるか、ないかの二者択一しかない」のか」に対しては、それが「常識的に考えた場合という設定なので」というのが最終回答になる、

 つまり、公理は、本来、疑いうる(問いうる)ものであるが、疑わない(問わない)というルールのもとに置いたものだということであり、なぜ「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」のかを問うことは、「常識的に考えた場合」という自分で置いた設定を、無視あるいは自分で破っているようなものということになるのでしょうか。

 一般的に「Aは、BまたはCだ」というような全体集合を示す表現であるトートロジーの場合に、「BまたはC」がほんとうに全体集合であるかどうかを問うことはできるように思うのですが。

1年前 No.601

★UKr5QaxyiN_kuu

>>601  えぴめてうすさんへ

> つまり、公理は、本来、疑いうる(問いうる)ものであるが、疑わない(問わない)というルールのもとに置いたものだということであり、なぜ「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」のかを問うことは、「常識的に考えた場合」という自分で置いた設定を、無視あるいは自分で破っているようなものということになるのでしょうか。


何やら投稿文全体の文脈が解りづらいので、少し教えて頂けますか。

>《ケース1 常識的に考えた場合》

>【公理】

> R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している


>【問い】

> 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?


上記は、常識的に考えた場合で、えぴめてうすさんご自身で「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している 」を「公理」に設定しているのに、それをも疑った内容を書かれていると言う事でしょうか?

1年前 No.602

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん

>>602

> 何やら投稿文全体の文脈が解りづらいので、少し教えて頂けますか。

> 上記は、常識的に考えた場合で、えぴめてうすさんご自身で「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している 」を「公理」に設定しているのに、それをも疑った内容を書かれていると言う事でしょうか?


 ご指摘のとおり大変わかりにくい展開になっていると思いますので、すこし説明させてください。

  >>559 までは、私が時さんやSumioBabaさんに多世界解釈をはじめとするこの問題に対する幅広い知識をお考えを教えていただき、自分が常識的にいだいていた考え方と対比しながら、整理する過程でした。
 整理した結果が「検討の枠組み」です。自分の考えを進めるためには、まずこの「検討の枠組み」をつくる必要があるという認識で進めてきました。
 ケース1が、常識的に考える場合、ケース2が、多世界解釈を導入した場合です。
 この「検討の枠組み」を完成させるために、特に「常識的に考える場合に答えがないという理由」など、さまざまなことについて疑義が残らないようにと、何度も確認させていただいていたというわけです。

>>542
>>《ケース1 常識的に考えた場合》)では「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか? 」について・・

>>どういう理由で「答えはある」と考えられるのでしょうか?(えぴめてうすさんが「答えはある」という主張をされているのではないことは理解していますよ)

> 大変恐縮ですが、もう少しお待ちください。

> 「検討の枠組み」が整理できたら、自分の思考を進めたいと思っており、まずこの問題に取り組みたいと考えていますので。


 しかし、ケース2も含め、不十分な感はありましたが、これ以上、「検討の枠組み」の完成にこだわるのはご迷惑かと判断し、 >>560 で、自分の考えを進めることとしました。

>>559
>まだ、十分理解できていないところもあるとは思いますが、ここまで来ましたので、これまでもご指摘いただき、自分としてもそうしようと思っていたように、自分の納得できる答えを求め、私なりの理解のもと思考を進めてみようかと思います。


 ですので、 >>560 の宛てが「ご参加の皆さん、SumioBabaさん、時さん」となっているように、その前後で検討のフェーズが異なります。

 ただ、そうはいっても、 >>560 以降も、このケース1の「検討の枠組み」に見直しが入っておりますので、実際には「検討の枠組み」そのものを修正する作業と、「検討の枠組み」を使って疑う作業が入り混じっている状況です。できるだけ、このような事態は避けたいと思っていたのですが、私の力量不足もあり、残念なところです。

 そして、すでに疑うモードに入っていたものですから、常識的な考え方を検討する場合と、それを疑う場合との立ち位置を意識せず、書いているところがあるかもしれません。

>つまり、公理は、本来、疑いうる(問いうる)ものであるが、疑わない(問わない)というルールのもとに置いたものだということであり、なぜ「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」のかを問うことは、「常識的に考えた場合」という自分で置いた設定を、無視あるいは自分で破っているようなものということになるのでしょうか。


 これは、「検討の枠組み」の《ケース1 常識的に考えた場合》の理解を正しくしておきたいということと、《ケース1 常識的に考えた場合》を疑うということの2つの意味があります。

1年前 No.603

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん、SumioBabaさん

>>600

>>>《ケース1 常識的に考えた場合》

>>>【公理】

>>> R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している

>>>    ↓

>>>【前提】

>>> Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない

>>>    ↓

>>>【問い】

>>> 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?

>>>    ↓

>>>【答え】

>>> 前提で、世界を限定したことについて、論理的必然性が存在せず、経験科学的真理にとどまるため、謎は解消せず、メタ問い「なぜ「Rでない」ではなく、「Rである」のか」も生じる。

>> Rはトートロジーなので、メタ問いは生じません。メタ問いが生じるのはトートロジーでないQの方です。メタ問いは「なぜ「Qでない」ではなく、「Qである」のか」です。

> そうですよね。Rはトートロジーですよね。ですので、メタの問いが発生して、アポリアと表現されるのは、Qの方ですよね。


 【前提に対するメタ問い】
 なぜ「Qでない」ではなく、「Qである」のか?
 「Qでない」とは、公理から、「「何もない」だけが実現し「何かがある」は実現していない」であり、
 「「Qでない」ではなく、「Qである」のか?」は、
 「なぜ、「「何もない」だけが実現し「何かがある」は実現していない」のではなく、「「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない」のか」となると思いますが、この内容は、【問い】「世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?」と同じですか?

時さん

>>600

> そうですよね。Rはトートロジーですよね。ですので、メタの問いが発生して、アポリアと表現されるのは、Qの方ですよね。

> R=高きより低きに水は流れる。(低きより高きに水は流れない)

> Q=では、なぜこの世界は、水は高きより低きに流れる世界なのか?

> Rは、物理法則等で答えられますね。しかしQには、答えられません。


 「R=高きより低きに水は流れる。(低きより高きに水は流れない)」は、トートロジーという意味でしょうか。

1年前 No.604

★tH9A53FpFn_kuu

>>603  えぴめてうすさんへ

なるほど、傍目からは、複雑怪奇な文脈になるわけですね。

>  これは、「検討の枠組み」の《ケース1 常識的に考えた場合》の理解を正しくしておきたいということと、《ケース1 常識的に考えた場合》を疑うということの2つの意味があります。


>>559
>まだ、十分理解できていないところもあるとは思いますが、ここまで来ましたので、これまでもご指摘いただき、自分としてもそうしようと思っていたように、自分の納得できる答えを求め、私なりの理解のもと思考を進めてみようかと思います。


と言う事で、この >>559 で一旦終了とし、 >>660 からはご自身の考え方で進めよとされたと言事ですね。とは言うものの・・

>  ただ、そうはいっても、 >>560 以降も、このケース1の「検討の枠組み」に見直しが入っておりますので、実際には「検討の枠組み」そのものを修正する作業と、「検討の枠組み」を使って疑う作業が入り混じっている状況です。できるだけ、このような事態は避けたいと思っていたのですが、私の力量不足もあり、残念なところです。


これをされるので、読み手には、大変理解しずらいと感じますね。はっきりと書きますと「検討の枠組み」自体は、えぴめてうすさんご自身の理解へのこだわりであって、私(時)や馬場さんには無関係の事ですので。

言葉にしますと「あれ?えぴめてうすさんは、あそこまでは理解されているはずなのに?どうして今頃このような事を?」という印象を持ったところが度々ありました。ですのでこれが、会話としての堂々巡りのような印象を持つ原因かと思います。

要は、えぴめてうすさんのお考えの中には、「検討の枠組み」と表現される下記の2つがメインの柱ですね。

> 《ケース1 常識的に考えた場合》と《ケース2 多世界解釈を導入した場合》


しかし、 >>542 でも書きましたが・・

> 了解しました、ですが、その検討の枠組みが出来上がった段階で、ある程度の答えが出ているようにも感じますが。


上記の「検討の枠組み(2つのメインの柱)」がもしもえぴめてうすさんのお考えの中で完成したとすれば、もうこれは、常識的に考えた場合と多世界解釈での場合との両者の世界観の違いの理解を意味しますので、ほぼ検討の余地はないと思います。なぜならば、「検討の枠組み(2つのメインの柱)」の完成すると言う事は、それぞれの世界観を理解しているはずからです。(両者を理解していなければ、その検討の枠組みの完成を見ませんね)

1年前 No.605

★tH9A53FpFn_kuu

>>605  失礼しました。訂正です。

>と言う事で、この >>559 で一旦終了とし、★ >>660 からはご自身の考え方で進めよとされたと★言事ですね。とは言うものの・・




と言う事で、この >>559 で一旦終了とし、 ★ >>560 からはご自身の考え方で進めよとされたと★言う事ですね。とは言うものの・・

1年前 No.606

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん

>>605

>これをされるので、読み手には、大変理解しずらいと感じますね。はっきりと書きますと「検討の枠組み」自体は、えぴめてうすさんご自身の理解へのこだわりであって、私(時)や馬場さんには無関係の事ですので。

>言葉にしますと「あれ?えぴめてうすさんは、あそこまでは理解されているはずなのに?どうして今頃このような事を?」という印象を持ったところが度々ありました。ですのでこれが、会話としての堂々巡りのような印象を持つ原因かと思います。


 「検討の枠組み」という最低限の構図がないと、私も論を進めにくいですが、私の論に対する正確な意見が得られにくいのではないかと思っています。

 当初に申し上げているとおり、時さんやSumioBabaさんとは「思考のフェーズというか段階の違い」があることを忘れるべきではないと思っています。
 これまでの投稿のやり取りで、いろいろお教えいただき、私なりに理解しましたが、表面上理解し、合意されたことになっていても、その内容の真の含意や思想的背景まで共有できるとは到底思えません。要するに、私の理解は浅いであろうということです。

 ですので、私が思考の前提にしている構図、ここでは「検討の枠組み」を提示しないで進めた場合、どこでどうズレているのか、間違っているのか、誤解しているのかが互いにわからないことになるのではと思っています。

 このように、「検討の枠組み」の提示は、私の理解へのこだわりであることは確かですが、最近見始められた参加者の方も含めてご意見をもらうときに「えぴめてうす」が何をどう考えて、そういっているのかがわかるために必要になるものと理解しています。
 そういう意味では、ぜひ「検討の枠組み」を完成させて、スタートしたかったのですが……。

 「会話としての堂々巡りのような印象」を持たれたことは想像できます。ただ、それは、これまでの投稿で都度説明させていただいたとおりとしか言いようがありません。教えていただいたことに矛盾や齟齬があると感じたときは、逐一確認するという姿勢でした。「思考のフェーズというか段階の違い」がなければそうはならなかったでしょうが。

 いずれにしても、結果として、わかりにくい状況になっていると思いますので、責任は感じています。
 ただ、ケース2も含め、「検討の枠組み」の完成と、自分の考えを進めることを平行して行わざるを得ません。

>上記の「検討の枠組み(2つのメインの柱)」がもしもえぴめてうすさんのお考えの中で完成したとすれば、もうこれは、常識的に考えた場合と多世界解釈での場合との両者の世界観の違いの理解を意味しますので、ほぼ検討の余地はないと思います。なぜならば、「検討の枠組み(2つのメインの柱)」の完成すると言う事は、それぞれの世界観を理解しているはずからです。(両者を理解していなければ、その検討の枠組みの完成を見ませんね)


 ここでも、おっしゃる私の「理解」の程度・内容が心もとないですね。時さんの使われた「理解」と私のできる「理解」はすでに違うかもしれません。
 結論的に申しますと、「理解したうえで疑う、自分がどう考えるべきなのかを問う」ということを、ケース1とケース2の理解の上に行いたいと考えています。
 理解していないものを疑ってみても、単なる疑いで止まってしまいますので。

1年前 No.607

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>597  Mobiusさんへ

>「空間を限定して その中に入っているか否か」という話ではなく、「この世に存在するか否か」という話をしています。よくわかっていないので教えて欲しいのですが、全空間内の存在確率の総和が1にならない粒子って あるのでしょうか?


 全空間内の存在確率の総和が1ではなく1/2の光子の作り方です。まず、光子対発生装置で、光子1と光子2とを対発生させ、光子2の方を検出器で確認します。光子2が検出されたということは、直接観測していない光子1の方も確率1で発生していると言えます。次に光子1をハーフミラーで経路Iと経路IIとに確率1/2ずつで分岐させ、経路IIを通って来た方は何かに吸収させて消滅させます。そして、経路Iを通って来た方だけを箱の中に入れます。この光子1は、箱の中に存在する確率が1/2(箱の中に存在しない確率も1/2)、箱の外に存在する確率は0です。つまり光子1は、全空間内の存在確率の総和が1/2です。

1年前 No.608

★t0k3CQvG4n_kuu

>>607  えぴめてうすさんへ

>  「検討の枠組み」という最低限の構図がないと、私も論を進めにくいですが、私の論に対する正確な意見が得られにくいのではないかと思っています。


はい。常識的な解釈と、多世界での解釈の2本柱が「検討の枠組み」と表現される最低限の構図ではないのでしょうか。情報としては、これ以上は、私には不必要ですが。(勿論、お書きいただいても結構ですが)

>  当初に申し上げているとおり、時さんやSumioBabaさんとは「思考のフェーズというか段階の違い」があることを忘れるべきではないと思っています。

>  これまでの投稿のやり取りで、いろいろお教えいただき、私なりに理解しましたが、表面上理解し、合意されたことになっていても、その内容の真の含意や思想的背景まで共有できるとは到底思えません。要するに、私の理解は浅いであろうということです。


お気づきかとは思いますが、馬場さんはかなり高いレベルでのお話を分かりやすくされていますよ。お話がもっと進めば、もっと面白い興味深いお話をしていただけるものと思いますが・・

何が違うのでしょうか。その馬場さんのお話をそのまま理解すればよいだけだと思うのですが。でもまぁ、この「理解」が何やら難しい事は、今までの多くの経験で知ってはいますが。

バイアスがかかっているといいますか、フィルターを通してみているといいますか。そんな感じがしますね。

>  このように、「検討の枠組み」の提示は、私の理解へのこだわりであることは確かですが、最近見始められた参加者の方も含めてご意見をもらうときに「えぴめてうす」が何をどう考えて、そういっているのかがわかるために必要になるものと理解しています。

>  そういう意味では、ぜひ「検討の枠組み」を完成させて、スタートしたかったのですが……。


最近参加の人たちの事まで考える必要はないと思いますよ。そこまでの余裕はあるのでしょうか?

>  いずれにしても、結果として、わかりにくい状況になっていると思いますので、責任は感じています。

>  ただ、ケース2も含め、「検討の枠組み」の完成と、自分の考えを進めることを平行して行わざるを得ません。


はい。ご自身のお考えでおすすめください。(この言葉には、何の悪気もありませんよ)

>  ここでも、おっしゃる私の「理解」の程度・内容が心もとないですね。時さんの使われた「理解」と私のできる「理解」はすでに違うかもしれません。

>  結論的に申しますと、「理解したうえで疑う、自分がどう考えるべきなのかを問う」ということを、ケース1とケース2の理解の上に行いたいと考えています。

>  理解していないものを疑ってみても、単なる疑いで止まってしまいますので。


下記リンクは「理解とは何か」で、過去に少し書きましたものです。良ければ、ご参考まで。

http://mb2.jp/_tetsugaku/31.html-176,178,184,195,196,198,225,227,228#RES

1年前 No.609

審判 ★KTl0GEYb3Z_Ew9

:審判雑感:
「スミオババ池」には「スミオババ理論」が入っている。
「トキ池」にも「スミオババ理論」が入っている。
「エピメテウス池」にも「スミオババ理論」が入っている。

エピメテウスは、「世界(「エピメテウス池」)」を上から見たら何が見えるんだろう?」という疑問を持ってる。
スミオババとトキ、「この池が世界だゲコ。外には何もないゲコよ。これで納得しないのはレベルが低いゲコよ。」

「哲学脳」と「宗教脳」の違いやね

1年前 No.610

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>604  えぴめてうすさんへ

>>>《ケース1 常識的に考えた場合》

>>>【公理】

>>> R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している

>>>    ↓

>>>【前提】

>>> Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない

>>>    ↓

>>>【問い】

>>> 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?

>>>    ↓

>>>【答え】

>>> 前提で、世界を限定したことについて、論理的必然性が存在せず、経験科学的真理にとどまるため、謎は解消せず、メタ問い「なぜ「Rでない」ではなく、「Rである」のか」も生じる。


 《ケース1 常識的に考えた場合》というのがRやQを含意しているのかどうかが不明です。

 含意していなければ、《ケース1 常識的に考えた場合》とRとQの3つは独立した設定であり、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みの中で、RやQの肯定や否定を考えることになります。

 含意しているのであれば、《ケース1 常識的に考えた場合》とRとQの3つは独立しておらず、《ケース1 常識的に考えた場合》という言葉の意味を詳しく説明したのがRとQだと見なされます。この場合、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを保ったままでRやQを否定することはできません。RやQを否定するということは、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを否定することであり、多世界解釈を要求していることになります。

 どちらなのか不明です。

1年前 No.611

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>608 Sumiobabaさん、詳しい解説ありがとうございます。

>経路IIを通って来た方は何かに吸収させて消滅させます。


すみません、ここの部分がよく理解できませんでした。

ハーフミラーを通過もしくは反射した光子が経路2を進んだ場合は何かに吸収され、経路1を進んだ場合は箱に収まる ということでしょうか?

この場合、経路1上に観測器を置いておけば、経路1で光子が検出された場合は 経路2での吸収はなく、経路1で光子が検出されなかった場合は経路2で吸収されたということなのではないでしょうか?

「経路2で『存在確率の1/2』が吸収される」という考え方は、なじみません。
「経路2では、1/2の確率で光子が吸収される」だと思います。

1年前 No.612

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>611

>《ケース1 常識的に考えた場合》というのがRやQを含意しているのかどうかが不明です。


 《ケース1 常識的に考えた場合》においては、
  R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している
  Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない
  を含意しており、「《ケース1 常識的に考えた場合》という言葉の意味を詳しく説明したのがRとQだと」考えています。

 なお、 >>603 で書きましたように、 >>560 以降、ケースを前提に考えたり、見直す場合と、ケースそのものを疑う場合があります。今後は、その都度、明示していきたいと思います。

★ケースを前提に考えたり、見直す場合
 上記のように含意しているケース1の場合、メタ問い「なぜ「Qでない」ではなく、「Qである」のか」は生じますでしょうか。
 また、メタ問い「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」は生じませんでしょうか。

1年前 No.613

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>612  Mobiusさんへ

>ハーフミラーを通過もしくは反射した光子が経路2を進んだ場合は何かに吸収され、経路1を進んだ場合は箱に収まる ということでしょうか?


 その通りです。

>この場合、経路1上に観測器を置いておけば、経路1で光子が検出された場合は 経路2での吸収はなく、経路1で光子が検出されなかった場合は経路2で吸収されたということなのではないでしょうか?


 それだと、光子が経路Iと経路IIのどちらを通っているかを観測してしまうので、その時点で経路Iを通ってくる確率が0か1かに波動関数の収縮を起こしてしまい、箱に入る確率も0か1かに確定してしまいます。観測せず、経路Iを通っている確率も1/2、経路IIを通っている確率も1/2のままでやるからこそ、箱の中に存在する確率が1/2になるのです。

>「経路2で『存在確率の1/2』が吸収される」という考え方は、なじみません。

>「経路2では、1/2の確率で光子が吸収される」だと思います。


 確率1/2で経路IIを通ってくる波の方だけを何かに吸収させる、確率1/2で経路Iを通ってくる波だけを箱の中に入れる、ですね。

1年前 No.614

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>614 SumioBabaさん、

>確率1/2で経路IIを通ってくる波の方だけを何かに吸収させる、確率1/2で経路Iを通ってくる波だけを箱の中に入れる、ですね。


承知しました。いろいろ教えて下さりありがとうございました。

1年前 No.615

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いに対して、「確率1/2で存在する」のようなケースを含めることは、問いの前提崩しである気がする。

一旦は「『ある』か『無い』かのいずれかであり、『ある』=『¬無い』、『無い』=『¬ある』である」の前提を守らないと収拾つかなくなる気がする。

「ある」が観測によってしか確かめられないのなら、「何かが“ある”かどうかすら疑わしい」ということになってしまい、問いの前提が崩れる。

1年前 No.616

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>613  えぴめてうすさんへ

> 《ケース1 常識的に考えた場合》においては、

>  R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している

>  Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない

>  を含意しており、「《ケース1 常識的に考えた場合》という言葉の意味を詳しく説明したのがRとQだと」考えています。


 はい、解りました。

> 上記のように含意しているケース1の場合、メタ問い「なぜ「Qでない」ではなく、「Qである」のか」は生じますでしょうか。


 含意しているのであれば、Rはトートロジーだから無視して、《ケース1 常識的に考えた場合》=Qと見なして良いと思われます。メタ問いは、Qに《ケース1 常識的に考えた場合》を代入し、「なぜ「《ケース1 常識的に考えた場合》でない」ではなく、「《ケース1 常識的に考えた場合》である」のか」になります。(なぜ「多世界解釈」を採らず「常識的に考える」のか?という意味です。)

> また、メタ問い「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」は生じませんでしょうか。


 Rは《ケース1 常識的に考えた場合》においてはトートロジーだから、謎もメタ謎も有りません。

 ところが多世界解釈を採ると、Rはトートロジーでなくなります。多世界解釈においてトートロジー(すべての可能性を網羅した命題)になるのは「多世界解釈」(合)であり、これが【公理】に相当します。「多世界解釈」(合)は、P=「「何かがある」と「何もない」の両方が実現している」も、Q=「「何かがある」だけか実現し「何もない」は実現していない」も含んでいます。
 後は >>508 の通り。【前提】としてPを選べば、《謎》は解消しますが、《メタ謎P》が生じます。【前提】としてQを選べば、《謎》は解消しないまま、《メタ謎Q》も生じます。【前提】としてP+Qを選べば、《謎》も《メタ謎P》も《メタ謎Q》も解消します。

1年前 No.617

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>617

>含意しているのであれば、Rはトートロジーだから無視して、《ケース1 常識的に考えた場合》=Qと見なして良いと思われます。メタ問いは、Qに《ケース1 常識的に考えた場合》を代入し、「なぜ「《ケース1 常識的に考えた場合》でない」ではなく、「《ケース1 常識的に考えた場合》である」のか」になります。(なぜ「多世界解釈」を採らず「常識的に考える」のか?という意味です。)


 このメタ問い「なぜ「《ケース1 常識的に考えた場合》でない」ではなく、「《ケース1 常識的に考えた場合》である」のか」は、そもそも《ケース1 常識的に考えた場合》だとしているにもかかわらず、それを否定した選択肢を引き合いに出していることになり、答えは、任意の選択として、ケース2ではなく、ケース1を選んだ場合だからとしかならないように思いますが、いかがでしょうか。

1年前 No.618

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>575 SumioBabaさん、

>心に「中味」「外側」という区別は無意味だと思います。あるいは、「中味」が何か有る場合にだけ、それが入っている「外側」(容器)のようなイメージが生じますが、「中味」が何も無いときは「外側」(容器)の方も無くなっていると思われます。「中味」の方を見られる側「客観」と呼び、「外側」(容器)の方を見る側「主観」と呼ぶと、「客観」が存在するためには「主観」が存在せねばならないし、「主観」が存在するためには「客観」が存在せねばなりません。片方だけの存在というのは、無意味なのではないでしょうか。


だとすると、「何も無い世界」というのは存在せず、「何かがあるからこそ世界である」ということになるのではないでしょうか?

1年前 No.619

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>618  えぴめてうすさんへ

> このメタ問い「なぜ「《ケース1 常識的に考えた場合》でない」ではなく、「《ケース1 常識的に考えた場合》である」のか」は、そもそも《ケース1 常識的に考えた場合》だとしているにもかかわらず、それを否定した選択肢を引き合いに出していることになり、答えは、任意の選択として、ケース2ではなく、ケース1を選んだ場合だからとしかならないように思いますが、いかがでしょうか。


 その通りです。「メタ問い」というのは、《ケース1 常識的に考えた場合》の内部の問いではなく、《ケース1 常識的に考えた場合》と「多世界解釈」のうち、なぜ《ケース1 常識的に考えた場合》の方の視点に立っているのだろう?という「メタ問い」のことです。そして、《ケース1 常識的に考えた場合》の内部では答ようが有りません。《ケース1 常識的に考えた場合》の視点に立つ、というのが証明なしに定めた【公理】であり【前提】なのですから。
 「メタ問い」に答えるためには、「多世界解釈」(合)すなわち《ケース1 常識的に考えた場合》+「多世界解釈」の視点に立つ必要が有ります。すると、「メタ問い」=「なぜ「《ケース1 常識的に考えた場合》でない」ではなく、「《ケース1 常識的に考えた場合》である」のか」への答は、こうなります。→「《ケース1 常識的に考えた場合》を選んだから《ケース1 常識的に考えた場合》が選ばれただけ。「多世界解釈」を選べば「多世界解釈」が選ばれる。どちらもただのトートロジー。」。

1年前 No.620

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>619  Mobiusさんへ

>>心に「中味」「外側」という区別は無意味だと思います。あるいは、「中味」が何か有る場合にだけ、それが入っている「外側」(容器)のようなイメージが生じますが、「中味」が何も無いときは「外側」(容器)の方も無くなっていると思われます。「中味」の方を見られる側「客観」と呼び、「外側」(容器)の方を見る側「主観」と呼ぶと、「客観」が存在するためには「主観」が存在せねばならないし、「主観」が存在するためには「客観」が存在せねばなりません。片方だけの存在というのは、無意味なのではないでしょうか。


>だとすると、「何も無い世界」というのは存在せず、「何かがあるからこそ世界である」ということになるのではないでしょうか?


 「何も無い世界」という表現が矛盾しているのでしょうね。要は、「何かがある」と「何もない」のうち、「何かがある」だけが選ばれ実現していると考えてしまうと、その論理的必然性は無いため、《謎》=「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」に答が無くなってしまう、ということです。「確率Pで「何かがある」が、確率1−Pで「何もない」が、両方起きた(Pの値は不明)。ただし、「何かがある」の方はそれを認識できる心が発生し得たのに対し、「何もない」の方はそれを認識する心さえ発生しない。」、と考えれば良いのです。これで《謎》は解消します。

1年前 No.621

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>620

★ケースそのものを疑う場合

> その通りです。「メタ問い」というのは、《ケース1 常識的に考えた場合》の内部の問いではなく、《ケース1 常識的に考えた場合》と「多世界解釈」のうち、なぜ《ケース1 常識的に考えた場合》の方の視点に立っているのだろう?という「メタ問い」のことです。そして、《ケース1 常識的に考えた場合》の内部では答ようが有りません。《ケース1 常識的に考えた場合》の視点に立つ、というのが証明なしに定めた【公理】であり【前提】なのですから。


 確認ですが、メタ問いとは、次のどちらの意味でしょうか。
 1 メタ問い=【前提】を疑うということ(常に内部の問いではないもの)
 2 メタ問い=ある理由に対するさらなる問いのこと。たまたま、上の場合は「前提」に対する問いを指す。

 下の前提Qという認識は、公理Rがもととなっています。Rに依拠して、Qの認識が存在します。
 例えば、このRをP=「世界は、「何かがある」と「何もない」の両方が同時に実現している」に置き換えれば、前提Qという認識は生まれないと思います。

《ケース1 常識的に考えた場合》
【公理】
 R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している

【前提】
 Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない

【問い】
 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?

 もし、《ケース1 常識的に考えた場合》そのものを問うのであれば、次のbのようにならないでしょうか。

 a《ケース1 常識的に考えた場合》の内部で問う場合
 「Qでない」とは、公理Rから、「「何もない」だけが実現し「何かがある」は実現していない」である。
 メタ問い@は、「「Qでない」ではなく、「Qである」のか?」は、「なぜ、「「何もない」だけが実現し「何かがある」は実現していない」のではなく、「「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない」のか」となる。

 b《ケース1 常識的に考えた場合》そのものを問う場合
 「Qでない」とは、「多世界解釈」を意味する。「常識的な考え方」を「世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない」と置くと、
 メタ問い@は、「なぜ、「多世界解釈」ではなく、「常識的な考え方」なのか」となる。
 メタ問い@の答えは、「公理をRと定めているから」となる。
 メタ問いAは、「なぜRを公理に定めているのか」となる。
 メタ問いAの答えは、「えぴめてうすが任意にRを公理として選択したから」となる。
 すると、メタ問いB「なぜ、えぴめてうすは、任意にRを公理として選択したのか」が生じる。

 このように、《ケース1 常識的に考えた場合》そのものを問う場合は、公理Rを問うことになるのではないでしょうか。

 違う言い方をすると、以下のとおりです。
 【前提】「Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない」は、世界のある状態を示している。
 【公理】「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」は、世界のあり方を示している。
 問いの流れとして、Qに対し、メタ問い@で、「なぜそのような状態であると考えるのか」を問い、「公理として置かれた世界のあり方がそうだから」が答えとなり、そして、Rに対し、メタ問いAで、「なぜそのような世界のあり方と考えるのか」を問うこととなる。

1年前 No.622

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>622  えぴめてうすさんへ

> 確認ですが、メタ問いとは、次のどちらの意味でしょうか。

> 1 メタ問い=【前提】を疑うということ(常に内部の問いではないもの)

> 2 メタ問い=ある理由に対するさらなる問いのこと。たまたま、上の場合は「前提」に対する問いを指す。


 2の方が広義でしょうね。今はたまたま1のようですが。

> 下の前提Qという認識は、公理Rがもととなっています。Rに依拠して、Qの認識が存在します。


 そうも言えるし、逆も言えます。Qの認識が有るからこそ、公理Rを定めたのだ、とも言えます。

> 例えば、このRをP=「世界は、「何かがある」と「何もない」の両方が同時に実現している」に置き換えれば、前提Qという認識は生まれないと思います。


 そうも言えるし、逆も言えます。【前提】をQからPに変えれば、【公理】はRではあり得なくなり「多世界解釈」(合)に変えねばならなくなります。

> このように、《ケース1 常識的に考えた場合》そのものを問う場合は、公理Rを問うことになるのではないでしょうか。


 例えば、A、B、Cという3つの公理・前提を定めた公理系が矛盾していることを証明する方法には、いくつか有ります。SumioBabaは、AとBを正しいと仮定すると¬Cが導ける、という方法で証明しました。えぴめてうすさんは、BとCを正しいと仮定すると¬Aが導ける、という方法で証明しました。時さんは、AとCを正しいと仮定すると¬Bが導ける、という方法で証明しました。AとB、BとC、AとC、2つだけなら矛盾は無いので、どれか1つが間違いだと決められるわけではありません。言えるのは、A、B、C、の3つがすべて同時に正しいことは有り得ない、です。矛盾を無くすために、A、B、Cのどれを廃棄するかはいろいろ考えられます。同様に、QとRも、解釈次第でどちらを疑っても良いのではないでしょうか。両方疑っても良いし。

1年前 No.623

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>623

>> 1 メタ問い=【前提】を疑うということ(常に内部の問いではないもの)

>> 2 メタ問い=ある理由に対するさらなる問いのこと。たまたま、上の場合は「前提」に対する問いを指す。

> 2の方が広義でしょうね。今はたまたま1のようですが。


 了解しました。

> 例えば、A、B、Cという3つの公理・前提を定めた公理系が矛盾していることを証明する方法には、いくつか有ります。SumioBabaは、AとBを正しいと仮定すると¬Cが導ける、という方法で証明しました。えぴめてうすさんは、BとCを正しいと仮定すると¬Aが導ける、という方法で証明しました。時さんは、AとCを正しいと仮定すると¬Bが導ける、という方法で証明しました。AとB、BとC、AとC、2つだけなら矛盾は無いので、どれか1つが間違いだと決められるわけではありません。言えるのは、A、B、C、の3つがすべて同時に正しいことは有り得ない、です。矛盾を無くすために、A、B、Cのどれを廃棄するかはいろいろ考えられます。同様に、QとRも、解釈次第でどちらを疑っても良いのではないでしょうか。両方疑っても良いし。


 A、B、C の話が何を示唆するのか十分理解できていないのですが、 >>617 の「Rは《ケース1 常識的に考えた場合》においてはトートロジーだから、謎もメタ謎も有りません」については、次のような理解でよいでしょうか。
・ある公理系の内部で考える場合は、公理がトートロジーである限り、問いもメタ問いも生じない。(そもそも内部で考えるのなら、公理を問うこと自体がないと思いますが。)
・ある公理系そのものを疑う場合は、公理がトートロジーであるかどうかにかかわらず、問いもメタ問いも生じる。
 ※「謎」を「問い」と同義とみなす。

1年前 No.624

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>624  えぴめてうすさんへ

>  >>617 の「Rは《ケース1 常識的に考えた場合》においてはトートロジーだから、謎もメタ謎も有りません」については、次のような理解でよいでしょうか。

>・ある公理系の内部で考える場合は、公理がトートロジーである限り、問いもメタ問いも生じない。(そもそも内部で考えるのなら、公理を問うこと自体がないと思いますが。)

>・ある公理系そのものを疑う場合は、公理がトートロジーであるかどうかにかかわらず、問いもメタ問いも生じる。


 今の場合、RとQと2つの設定が有って、RがトートロジーなのかどうかがQに依存してしまっている状況です。【前提】がQならRはトートロジーで良しですが、【前提】がPに変わるとRはトートロジーでなくなります。従って、「公理がトートロジーであるかどうかにかかわらず、問いもメタ問いも生じる。」は、間違いではないけれど不正確だと思います。RとQにより設定された公理系の内部では、Rはトートロジーですから、疑う必要は有りません。RとQにより設定された公理系の外に出ると、もはやRはトートロジーではなくなるので、疑う必要が生じるのだと思われます。もしRが、RとQにより設定された公理系の外でもトートロジーなのであれば、疑う必要は有りません。やはり、「トートロジーは疑う必要が無い」「トートロジーでない命題は必ず疑うことができる」ではないでしょうか。

1年前 No.625

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>625

> RとQにより設定された公理系の内部では、Rはトートロジーですから、疑う必要は有りません。


 やはり私は、「トートロジーは、疑う必要がない」というところが分かっていないようです。

●「疑う」ということについて
 一般的に、問いに対するメタ問いを繰り返すと、やがて公理に対する問いに至ると思っています。
 そのとき、公理を公理として認めれば、思考は内部にとどまり、そこで問いは終了する。
 しかし、公理系の外に出て、公理を疑おうとするのであれば、問いは公理に対するメタ問いとなって続くのだと思います。

●「トートロジーを疑う」ということについて
 トートロジーの場合に、それがトートロジーであるがゆえに、疑えないのかどうかですが、一般的に、「Aは、BまたはCだ」というような全体集合を示す命題であるトートロジーの場合に、それが公理であるかどうかとは関係なく、「BまたはC」がほんとうに全体集合であるかどうかを問うことはできるように思うのですが。

 R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している
  ↓
 なぜRではないではなく、Rなのか。

 Rでない=
  「何かがある」及び「何もない」の両方が実現
  「何かがある」のみが実現
  「何もない」のみが実現

 これは、「RとQにより設定された公理系の外に出ると、もはやRはトートロジーではなくなるので、疑う必要が生じる」というより、結局同じことを言っているのかもしれませんが、ある命題(又は公理系)を疑うこと自体が、トートロジーかどうかに関わらず、その命題(又は公理系)の世界観をいったん留保し、その外に出る行為なのではないでしょうか。

 つまり、命題を「疑う」ということは、一旦トートロジーと見なしたある命題に対し、多世界解釈を採るかどうかは別として、トートロジーではないと否定する視点を持つことと同値なのではないでしょうか。

 なかなかこの考えを離れることができません。おかしいところをご指摘いただければ幸いです。

1年前 No.626

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>626  えぴめてうすさんへ

> R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している

>  ↓

> なぜRではないではなく、Rなのか。


> Rでない=

>  「何かがある」及び「何もない」の両方が実現

>  「何かがある」のみが実現

>  「何もない」のみが実現


 いまだにこれが解りません。「Rでない」=「「何かがある」も「何もない」も実現していない」=φ(空集合)ではないのですか?

1年前 No.627

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>627

>> R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している

>>  ↓

>> なぜRではないではなく、Rなのか。


>> Rでない=

>>  「何かがある」及び「何もない」の両方が実現

>>  「何かがある」のみが実現

>>  「何もない」のみが実現


>いまだにこれが解りません。「Rでない」=「「何かがある」も「何もない」も実現していない」=φ(空集合)ではないのですか?


 哲学において疑うとは、ある命題の世界観を一旦留保し、その外に出る行為なのではないかと思っています。
 そうであれば、「何かがある」+「何もない」が全体集合であるというRの世界観を温存する必要はないと思いますので、それを疑うと、「何かがある」のみが実現 と、「何もない」のみが実現 が、「Rではない」ものとして、考えられます。
 また、どちらかが実現 を疑えば、多世界解釈を採ることになり、「何かがある」及び「何もない」の両方が実現 と考えられるのではないでしょうか。

>>611
 含意しているのであれば、《ケース1 常識的に考えた場合》とRとQの3つは独立しておらず、《ケース1 常識的に考えた場合》という言葉の意味を詳しく説明したのがRとQだと見なされます。この場合、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを保ったままでRやQを否定することはできません。RやQを否定するということは、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを否定することであり、多世界解釈を要求していることになります。

 なお、「Rでない」=「「何かがある」も「何もない」も実現していない」=φ(空集合)は、「何かがある」+「何もない」が全体集合であるという世界観の中で(《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを保ったままで)考えた場合の結果ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 通常は、公理の下にある命題であれば、世界観に疑問を持たれても、より上位の命題がその世界観の正統性を支持してくれますが、公理の場合は、それ以上、正統性を支持してくれる命題が存在しないということかと思います。

1年前 No.628

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>628  えぴめてうすさんへ

 単純な話です。
   R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している
について、「Rである」はRの肯定を意味し、「Rでない」はRの否定を意味します。それゆえ、「Rである」=「Rの肯定」=「「何かがある」または「何もない」のどちらかが実現している」の場合、「Rでない」=「Rの否定」=「「何かがある」も「何もない」も実現していない」だと思いますが? 《ド・モルガンの法則》により、「「Aである」または「¬Aである」」の否定は「「Aでない」かつ「¬Aでない」」ですので。

1年前 No.629

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>628

>単純な話です。

 R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している
について、「Rである」はRの肯定を意味し、「Rでない」はRの否定を意味します。それゆえ、「Rである」=「Rの肯定」=「「何かがある」または「何もない」のどちらかが実現している」の場合、「Rでない」=「Rの否定」=「「何かがある」も「何もない」も実現していない」だと思いますが? 《ド・モルガンの法則》により、「「Aである」または「¬Aである」」の否定は「「Aでない」かつ「¬Aでない」」ですので。

 これは、
>>「何かがある」+「何もない」が全体集合であるという世界観の中で(《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを保ったままで)考えた場合の結果ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。


 一方、上記のように考えるのであれば、下記のようにはならないように思いますが、いかがでしょうか。

>>611
 含意しているのであれば、《ケース1 常識的に考えた場合》とRとQの3つは独立しておらず、《ケース1 常識的に考えた場合》という言葉の意味を詳しく説明したのがRとQだと見なされます。この場合、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを保ったままでRやQを否定することはできません。RやQを否定するということは、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを否定することであり、多世界解釈を要求していることになります。

1年前 No.630

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>625

>今の場合、RとQと2つの設定が有って、RがトートロジーなのかどうかがQに依存してしまっている状況です。【前提】がQならRはトートロジーで良しですが、【前提】がPに変わるとRはトートロジーでなくなります。従って、「公理がトートロジーであるかどうかにかかわらず、問いもメタ問いも生じる。」は、間違いではないけれど不正確だと思います。RとQにより設定された公理系の内部では、Rはトートロジーですから、疑う必要は有りません。RとQにより設定された公理系の外に出ると、もはやRはトートロジーではなくなるので、疑う必要が生じるのだと思われます。もしRが、RとQにより設定された公理系の外でもトートロジーなのであれば、疑う必要は有りません。やはり、「トートロジーは疑う必要が無い」「トートロジーでない命題は必ず疑うことができる」ではないでしょうか。


  >>625 を読み直しました。おっしゃる通りだと思いました。
 この理解でよろしいでしょうか。
 Rがトートロジーであるかないかは、公理系を受け入れ、その内部で考えようとするか、公理系の外部から、トートロジーであることも含めて疑うかという、哲学的姿勢によって決まる。
 そういう意味で、公理系の内部でトートロジーとして受け入れられたRは、「トートロジーは疑う必要が無い」であり、公理系の外部から疑うことで、トートロジーでなくなったRは、「トートロジーでない命題は必ず疑うことができる」となる。

1年前 No.631

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>630  えぴめてうすさんへ

> 一方、上記のように考えるのであれば、下記のようにはならないように思いますが、いかがでしょうか。

> >>611

> 含意しているのであれば、《ケース1 常識的に考えた場合》とRとQの3つは独立しておらず、《ケース1 常識的に考えた場合》という言葉の意味を詳しく説明したのがRとQだと見なされます。この場合、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを保ったままでRやQを否定することはできません。RやQを否定するということは、《ケース1 常識的に考えた場合》という枠組みを否定することであり、多世界解釈を要求していることになります。


 なぜ? R=「「何かがある」または「何もない」のどちらかが実現している」を¬R=「「何かがある」も「何もない」も実現していない」に変えても、あるいは、Q=「「何かがある」だけか実現し「何もない」は実現していない」を¬Q=「「何もない」だけか実現し「何かがある」は実現していない」に変えても、《ケース1 常識的に考えた場合》の話ではなくなってしまいます。それゆえ、別の枠組みである「多世界解釈」が要求されることになります。そして「多世界解釈」を採ると、枠組み自体が拡張されるので、単純に¬Rや¬Qを使えば良いという訳でもなくなるのですね。

>>631  えぴめてうすさんへ

>  >>625 を読み直しました。おっしゃる通りだと思いました。

> この理解でよろしいでしょうか。

> Rがトートロジーであるかないかは、公理系を受け入れ、その内部で考えようとするか、公理系の外部から、トートロジーであることも含めて疑うかという、哲学的姿勢によって決まる。

> そういう意味で、公理系の内部でトートロジーとして受け入れられたRは、「トートロジーは疑う必要が無い」であり、公理系の外部から疑うことで、トートロジーでなくなったRは、「トートロジーでない命題は必ず疑うことができる」となる。


 はい、そういうことです。

1年前 No.632

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>632

 ありがとうございます。
 公理系とメタ問いの関係について、すっきりいたしました。
 これまでわかったことを踏まえ、「検討の枠組み」を以下のように修正しましたが、いかがでしょうか。

●ケース1の修正について
 ケース1の内部で考えたときは、メタ問いは発生しないので、【答え】から、その部分を削除
 ただし、ケース1そのものを疑うときは、Rについてもメタ問いは発生する。(記載せず)

《ケース1 常識的に考えた場合》
【公理】
 R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している
    ↓
【前提】
 Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない
    ↓
【問い】
 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?
    ↓
【答え】
 【前提】で、世界を限定したことについて、論理的必然性が存在せず、経験科学的真理にとどまるため、謎は解消しない。

●ケース2の修正について
 ケース1に倣って、【前提】を追加し、【公理】からは削除
 ケース2の内部でP、Qそれぞれについて考えたときは、それぞれメタ問いが発生する。P+Qの全体で考えたとき、メタ問いは生じない。P+Qの【答え】を詳細に記載。

《ケース2 多世界解釈を導入した場合》
【公理】
 PおよびQの両方が同時に実現している
   ↓
【前提】
  P=世界は、「何かがある」と「何もない」の両方が同時に実現している
  Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない
   ↓
【問い】
 世界は、なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?
   ↓
【答え】
(Pの場合)
 ダブル・トートロジーが実現し、謎は解消する。
 メタ問い「なぜ「Pでない」ではなく、「Pである」のか」が生じる

(Qの場合)
 【前提】で、世界を限定したことについて、論理的必然性が存在せず、経験科学的真理にとどまるため、謎は解消しない。
 メタ問い「なぜ「Qでない」ではなく、「Qである」のか」も生じる

(P+Qの場合)
 Pを選べば「《謎》は解消する」が選ばれる、Qを選べば「《謎》は解消しない」が選ばれる、というダブル・トートロジーが成立しているだけであり、《メタ問いP》と《メタ問いQ》も解消する。
 同時に、《謎》が解消する理由、解消しない理由も解っているので、《謎》の答も得られたことになる。

・「謎」は、解けない「問い」という意味で使用。
・なお、《ケース1 常識的に考えた場合》というのは、《ケース2 多世界解釈を導入した場合》のQを選んだ場合と同じである。

1年前 No.633

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

私は存在してるか、してないか?

1年前 No.634

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>SumioBabaさん

>えぴめてうすさん


もうずいぶん前に書いたんですけど投稿制限で書き込めず、
完全に時宜を逸してしまっていますがせっかく書いたので(笑)、
ちょっと横から失礼します。

ちゃんとは議論をフォローできてはいないのですが,さすがにややこしすぎると思うので、
余計なお世話かもしれませんが,ちょっと私なりに議論の骨子を整理してみたいと思います。

[ポイント1]
まず、私がSBさんの説明でも違うんじゃないかと思う点なのですが,
私見では,常識的観点の公理となっているのは,
有の公理:「何かがある」
であって,
「何かがあるか,または何もない」
というトートロジーではないんじゃないでしょうか。
だからこそ,何もないことも可能なはずなのに,なぜ有の公理を採用せねばならないのか,という謎として,
存在の問い:「なぜ何かがあるのであって,何もないのではないのか?」
が生じるのだと思うのです。
にもかかわらずSBさんは「何かがあるか,または何もない」というトートロジーが公理であると説明しているので,えぴめてうすさんをミスリードしているように思います。

その上で,
SB流多世界解釈の立場(以後,「多重世界解釈」と呼ぶ)では,
無の公理:「何もない」
の世界,すなわち無の世界も存在すると考えるので,存在の問いは消失するということ。
というのも,多重世界解釈によれば,限定的真理の成立は,多重実現しているそれら各世界に相対的だからです。詳しくは次に述べます。

[ポイント2]
SBさんの議論の基本的構造は,ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学にたとえて考えればわかりやすいと思います。
非ユークリッド幾何学が、ユークリッド幾何学と並び立つ公理系として認知されるまでは,「なぜ三角形の内角の和は180度であって,それ以外ではないのか?」ということは謎でありえたわけです。
それは結局ユークリッド幾何学の公理に対する「なぜ」に帰着するわけですが,しかしこういった問いが問いとして成立するのは,非ユークリッド幾何学の存在が知られていなかったからにすぎないわけです。
周知のように,非ユークリッド幾何学の公理を前提にすれば,三角形の内角の和は180度でないからです。
つまり,ユークリッド幾何学の公理を前提にすれば三角形の内角の和は180度だし,非ユークリッド幾何学の公理を前提にすれば内角の和は180度でない,といういずれも論理的に証明可能なダブルトートロジーになるわけです。
ここから言えるは,この「なぜ三角形の内角の和は180度なのか?」という問い自身が,既にユークリッド幾何学の公理(視点)を限定的に前提にしているからこそ成り立つのであって,こういった事実及びそれを問うこと自体が,あくまで視点(公理)相対的であることに無自覚である,ということです。
存在の問い「なぜ何かがあって,何もないのではないのか?」
が生じるのも,
有の公理:「何ものかがある」
を限定的に前提する視点(特定の井戸の中の視点)に立つからであって,
無の公理:「何ものもない」
という視点(別の井戸の中の視点)に立てば,何もないわけです。

で,これらはユークリッド幾何学の公理と非ユークリッド幾何学の公理が内容的には排他的であるものの,独立した公理系(ユークリッド世界と非ユークリッド世界)としては両立しているのと同様に,
有の公理を満たす世界と無の公理を満たす世界が重ねて存在するとするのが,SB流多世界解釈=多重世界解釈であるわけです。
この多重世界解釈は,「何かがあるか,または何もない」の全論理的可能性の現実存在を肯定するから何も限定せず,有の公理(視点)に立てば何かが存在するし,無の公理(視点)に立てば何も存在しないし,ということでダブルトートロジーとなって,謎も消失するという理屈。
これは、多重世界解釈が特定の限定的視点(井戸の中の視点)に立つのではなく、あらゆる井戸の外の視点(メタ視点)から眺めるからこそ成り立つ理屈であるわけです。

このSB流論法は容易に一般化可能です。
謎Q:「なぜPであってPでないではないのか?」
という問いに対して,
いや,PだけでなくPでないも論理的に可能で,それら全可能性が重ねて実現しているという多重世界解釈によれば,Pでない視点に立てばPでないのだから,この謎Qという問いは,単にPという視点に立っているがゆえにPであるにすぎないのに,それをわかっていないから生じている疑似問題であって,本当は謎でも何でもない,となるわけです。

見ていると,えぴめてうすさんは,何とかSBさんのメタな位置に立って謎が残ると言いたいように思います。
間違っていたら取り下げますが,えぴめてうすさんは,SBさんが何らかの公理を採用している限り,なぜそれが成り立つのか,なぜそれを受け入れなくてはならないのかと,さらなる謎として提起できるのではないか,と考えているのではないでしょうか?
だけど,以上述べたような理由で無理なわけです。
SB流多重世界解釈はあくまで、可能なあらゆる世界(公理系・井戸)の外からそれらをいわば俯瞰する視点(メタ視点)から世界を眺めることであって、それ自体では何等かの限定的真理を前提する公理もしくは公理系ではないのです。
つまり、多重世界解釈自体は何も限定せず,したがって有の公理や無の公理のような限定的真理を前提として立てるような公理ではありません(この点についてのSBさんの説明もやや曖昧で,えぴめてうすさんをミスリードしてしまっている気がします)。
仮に、えぴめてうすさんがどんな謎Qを提起しようと,「なぜ三角形の内角の和は180度であるのか?」と同じく、謎はある視点(井戸の中の視点)を限定的に前提するからこそ生じるものです。
つまり、えぴめてうすさんが何らかの謎を提起した場合、それは即ちえぴめてうすさんが何らかの限定的視点(井戸の中の視点)に立っていることを意味するのであって、井戸の外(メタ位置)に立ってはいないのです。
ですから,仮にどのような謎Qが提起されたとしても、そうでない視点を前提することも論理的に可能で,それら論理的に可能ないかなる可能世界も現実存在するというSB流多世界解釈の立場・視点をとれば,どんな公理(真理)であれそれが限定的真理である限り視点相対的だから,「なぜ」という問いにはダブルトートロジー的説明を与えることができ,そうである視点に立つからそうであるという当たり前のこととして,すべての謎は消失するわけです。
えぴめてうすさんが議論において幾らS Bさんのメタ位置を取っているつもりでも実は常に井の中の蛙に過ぎず、SBさんはいつもその井戸の外からえぴめてうすさんを覗きこんでいる構図になっているということです。

というまとめですが、どんなもんでしょう。
換骨奪胎しすぎ,単純化しすぎ,的外れであればご容赦ください。
まあレスはけっこうです、気にしないでください(笑)
少しでも参考になれば幸いです。

1年前 No.635

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ザビビのふくろうさん

>>635

>私見では,常識的観点の公理となっているのは,

有の公理:「何かがある」であって,
「何かがあるか,または何もない」
というトートロジーではないんじゃないでしょうか。
だからこそ,何もないことも可能なはずなのに,なぜ有の公理を採用せねばならないのか,という謎として,
存在の問い:「なぜ何かがあるのであって,何もないのではないのか?」
が生じるのだと思うのです。

 ありがとうございます。

 常識的な考え方における公理があるのであれば、「何かがあるか,または何もない」と思っているのは、私です。(一応やり取りの中で、確認させてはいただいていますが。)

 つまり、「何もないことも可能なはずなのに,なぜ有の公理を採用せねばならないのか」という謎が生じるためには、「何もない」がありうることを前提しなければならないと考えました。よって、世界は、「何かがあるか,または何もない」なのに、なぜあるの方なのか、その理由が求められているのがこの問題だと思っています。

1年前 No.636

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_8gk

>>636

>えぴめてうすさん


>世界は、「何かがあるか,または何もない」なのに、なぜあるの方なのか、その理由が求められているのがこの問題だと思っています。


もちろん、最初から問題はこれですよ。
そして、その問いに対して、そういう井戸の中の視点に立っているからだということを、
SumioBabaさんと時さんが繰り返し説明してこられたわけですけどね…
まあ、納得できないものはしょうがないか(笑)
失礼しました。

>SumioBabaさん


やっぱり、えぴめてうすさんは、公理系の喩えがわかっていないみたいですね。
>636の発言を見る限りでは、いわば非ユークリッド幾何学は認知されたけど、未だ相対性理論が生まれていなくて、

宇宙は何で非ユークリッド宇宙ではなく、ユークリッド宇宙なのだ?と言ってるようなもんではないですかね?

この説明、もしSumioBabaさんにわからなかったら誰にもわからないと思いますので、スルーしてください(笑)
蒸し返してすみませんm(__)m

1年前 No.637

サイコパス ★uJcaHEY0RF_APy

そうなんかな?ユークリッド幾何学の中でも「なぜ三角形の内角の和は180度なのか?」を問うことはできると思うけど…
ちょっと毒されすぎてる。定理がなぜ成り立つかは、公理から問うことができる。

井戸が世界のたとえなんだから、その井戸に外はない。子供じゃあるめえし、いつまでたってもたとえでしか表現できないのもどうかと思うがな。
審判とか神とか言ってたとき「議論に審判はいないし、人は神にはなれない。」って一言で両陣営をぶった切ったろ?お前も井戸の中にいるんだよ。

1年前 No.638

地下水 ★lHRYPNADL9_iR4

>>636
エネルギー密度が高いと、そこから物質と反物質の対ができるそうですが、何故この宇宙には反物質が見られないのか。
ある程度生成すると、物質と物質の対が生成して、物質の方が多くなり、残るからだとする研究があるそうですね。

1年前 No.639

宿題 ★5z6bVAmgS3_iR4

ユークリッド幾何学は果たして完璧なのでしょうか?

非ユークリッド幾何学には真理や魂の存在はあるのでしょうか?

1年前 No.640

地下水 ★otncK03kC4_zRF

>>640
真理は物理法則などにありますから、実用的局所的にはユークリッド幾何学、大域的宇宙物理への応用では非ユークリッド幾何学が有効です。
魂は、人間などの高等生物の脳に宿っている、精神の基本であったり、精魂込めた職人技の製品などにも、あると言いますね。
高等数学も精魂が込められてできてきたものもあるでしょうから、学者の魂が込められている、と言えますね。

1年前 No.641

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>635  ザビビのふくろうさんへ

 久しぶりに目を通しました。返事が遅れて申し訳ありません。

>[ポイント1]

>まず、私がSBさんの説明でも違うんじゃないかと思う点なのですが,

>私見では,常識的観点の公理となっているのは,

>有の公理:「何かがある」

>であって,

>「何かがあるか,または何もない」

というトートロジーではないんじゃないでしょうか。
>だからこそ,何もないことも可能なはずなのに,なぜ有の公理を採用せねばならないのか,という謎として,

>存在の問い:「なぜ何かがあるのであって,何もないのではないのか?」

>が生じるのだと思うのです。

>にもかかわらずSBさんは「何かがあるか,または何もない」というトートロジーが公理であると説明しているので,えぴめてうすさんをミスリードしているように思います。


 SumioBabaの説明は >>508 までで完了しています。その後は、えぴめてうすさんが自分流に書き変えたいと仰ったので、SumioBabaは半分反発しながらも半分協力したような状況でした。「何かがあるか,または何もない」というトートロジーを【公理】に定めたいと仰ったのは、えぴめてうすさんです。トートロジーは公理に定めなくても恒真なのですから、敢えて公理に定める必要は無いのですが。ザビビのふくろうさんが仰る通り、重要なのは、トートロジーではないけれどなぜか自分にとって真である有の公理「何かがある」の方ですよね。だからSumioBabaは、これを【前提】として追加するように提案した次第でした。

>その上で,

>SB流多世界解釈の立場(以後,「多重世界解釈」と呼ぶ)では,

>無の公理:「何もない」

>の世界,すなわち無の世界も存在すると考えるので,存在の問いは消失するということ。

>というのも,多重世界解釈によれば,限定的真理の成立は,多重実現しているそれら各世界に相対的だからです。


 はい、その通りです。正しく理解して下さっています。

>[ポイント2]

>SBさんの議論の基本的構造は,ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学にたとえて考えればわかりやすいと思います。

>非ユークリッド幾何学が、ユークリッド幾何学と並び立つ公理系として認知されるまでは,「なぜ三角形の内角の和は180度であって,それ以外ではないのか?」ということは謎でありえたわけです。

>それは結局ユークリッド幾何学の公理に対する「なぜ」に帰着するわけですが,しかしこういった問いが問いとして成立するのは,非ユークリッド幾何学の存在が知られていなかったからにすぎないわけです。

>周知のように,非ユークリッド幾何学の公理を前提にすれば,三角形の内角の和は180度でないからです。

>つまり,ユークリッド幾何学の公理を前提にすれば三角形の内角の和は180度だし,非ユークリッド幾何学の公理を前提にすれば内角の和は180度でない,といういずれも論理的に証明可能なダブルトートロジーになるわけです。

>ここから言えるは,この「なぜ三角形の内角の和は180度なのか?」という問い自身が,既にユークリッド幾何学の公理(視点)を限定的に前提にしているからこそ成り立つのであって,こういった事実及びそれを問うこと自体が,あくまで視点(公理)相対的であることに無自覚である,ということです。

>存在の問い「なぜ何かがあって,何もないのではないのか?」

>が生じるのも,

>有の公理:「何ものかがある」

>を限定的に前提する視点(特定の井戸の中の視点)に立つからであって,

>無の公理:「何ものもない」

>という視点(別の井戸の中の視点)に立てば,何もないわけです。


 全くその通りです。

>で,これらはユークリッド幾何学の公理と非ユークリッド幾何学の公理が内容的には排他的であるものの,独立した公理系(ユークリッド世界と非ユークリッド世界)としては両立しているのと同様に,

>有の公理を満たす世界と無の公理を満たす世界が重ねて存在するとするのが,SB流多世界解釈=多重世界解釈であるわけです。

>この多重世界解釈は,「何かがあるか,または何もない」の全論理的可能性の現実存在を肯定するから何も限定せず,有の公理(視点)に立てば何かが存在するし,無の公理(視点)に立てば何も存在しないし,ということでダブルトートロジーとなって,謎も消失するという理屈。

>これは、多重世界解釈が特定の限定的視点(井戸の中の視点)に立つのではなく、あらゆる井戸の外の視点(メタ視点)から眺めるからこそ成り立つ理屈であるわけです。


 はい、非の打ちどころが有りません。的確だし、平易な言葉で説明して下さっているので、他の読者にも理解して貰えると思います。有難うございます。

>このSB流論法は容易に一般化可能です。

>謎Q:「なぜPであってPでないではないのか?」

>という問いに対して,

>いや,PだけでなくPでないも論理的に可能で,それら全可能性が重ねて実現しているという多重世界解釈によれば,Pでない視点に立てばPでないのだから,この謎Qという問いは,単にPという視点に立っているがゆえにPであるにすぎないのに,それをわかっていないから生じている疑似問題であって,本当は謎でも何でもない,となるわけです。


 はい、その通りです。そして少し違った表現をすると、「全知全能の「神」があらゆる○○○について「○○○である」と「○○○でない」の両方を実現している、…こう考えるとすべての謎は解消する」になります。

>見ていると,えぴめてうすさんは,何とかSBさんのメタな位置に立って謎が残ると言いたいように思います。

>間違っていたら取り下げますが,えぴめてうすさんは,SBさんが何らかの公理を採用している限り,なぜそれが成り立つのか,なぜそれを受け入れなくてはならないのかと,さらなる謎として提起できるのではないか,と考えているのではないでしょうか?


 それはどうなのでしょうね? SumioBabaの説明をえぴめてうすさん流に書き変えようとする時点で多少混乱は有ったようですが、 >>508 までのSumioBabaの説明に関しては、えぴめてうすさんのご理解は極めて正確であるようにも感じましたが。

>SB流多重世界解釈はあくまで、可能なあらゆる世界(公理系・井戸)の外からそれらをいわば俯瞰する視点(メタ視点)から世界を眺めることであって、それ自体では何等かの限定的真理を前提する公理もしくは公理系ではないのです。

>つまり、多重世界解釈自体は何も限定せず,したがって有の公理や無の公理のような限定的真理を前提として立てるような公理ではありません(この点についてのSBさんの説明もやや曖昧で,えぴめてうすさんをミスリードしてしまっている気がします)。


 えぴめてうすさん流の表現ではなく、SumioBaba自身の説明は、 >>461,508 あたりですが、いかがでしょう?

>仮に、えぴめてうすさんがどんな謎Qを提起しようと,「なぜ三角形の内角の和は180度であるのか?」と同じく、謎はある視点(井戸の中の視点)を限定的に前提するからこそ生じるものです。

>つまり、えぴめてうすさんが何らかの謎を提起した場合、それは即ちえぴめてうすさんが何らかの限定的視点(井戸の中の視点)に立っていることを意味するのであって、井戸の外(メタ位置)に立ってはいないのです。

>ですから,仮にどのような謎Qが提起されたとしても、そうでない視点を前提することも論理的に可能で,それら論理的に可能ないかなる可能世界も現実存在するというSB流多世界解釈の立場・視点をとれば,どんな公理(真理)であれそれが限定的真理である限り視点相対的だから,「なぜ」という問いにはダブルトートロジー的説明を与えることができ,そうである視点に立つからそうであるという当たり前のこととして,すべての謎は消失するわけです。


 はい、「素晴らしい!!」の一語に尽きます。上から目線で恐縮ですが、もしSumioBabaが先生の立場で、「SB量子神学」に関する生徒たちの理解度に合格・不合格の判定を下すとしたら、時さん、ザビビのふくろうさん、えぴめてうすさんの3人には十分合格点を与えて良いと感じております。正しく理解できた方が3人も現れて下さった事は、大変な収穫であり、この掲示板でのSumioBabaの議論を大変楽しいものにして頂けました。心より感謝致します。また何か疑問点が見付かれば、いつでも指摘して下さい。どのスレッドでもOKです。

1年前 No.642

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>642 SumioBabaさん
遅すぎのコメントでしたのに,レスをありがとうございます。

>>636 の,えぴめてうすさんの言葉を見ると,公理を用いた説明のポイントを理解されていないと私は思います。
なので,それを前提にえぴめてうすさんがどのようなことを論じられようと的外れだと思うので,私は正直えぴめてうすさんの議論にはついて行く気になれず,ちゃんと読んでいません。
わたしとしては,えぴめてうすさんが「何かがあるか,または何もない」を公理に定めたいと言われたのであれば、その時点で,「いや,それ,意味ないから」と拒絶するべきだったんじゃないかと思うわけです。寛容すぎる譲歩はミスリーディングになりますから。実際,その後がややこしすぎるように思うんですよね。
したがって,えぴめてうすさんの主張を私はちゃんと理解していないんですが,ま,ここではSumioBabaさんの考えが主題になっているので,とりあえず勘弁していただきたいと思います。
えぴめてうすさんにはあまり意味がなかったかもしれませんが,とりあえず,私のSB流多世界解釈の整理が的外れではなかったということでよかったです。

で,SumioBabaさんの思想についても,私は時さんのように深く理解できてはいませんし,SB量子神学の理論的身分についての捉え方も,前に述べましたが,あなたご本人のそれとは異なります。
また,量子神学に基づいたこの存在論的問いの解消法についても,私は同意しているわけではありません。
ただ,この量子神学そのものについては,私自身が支持できないにしても,首尾一貫した理論であって,この存在問題についての解決法についても,よく考えられていると思います。
ですから,私としては,それについて反論を述べるとすれば,あなたの考えを批判するのではなく,違う観点からの異論を私自身が提出して,その解法のほうがすぐれていることを示さないと仕方ないと思います。
ところが残念ながら,これも前にも言いましたように、きちんとまとまった形でそれを提出することはできないので,ただ余計なお世話でちょっと寄らせてもらったというわけです。おほめをいただき,どうもありがとうございました。

1年前 No.643

審判 ★KmpcfRa12V_Ew9

フクロウの指摘は的外れやわ。エピメテウスはスミオババ理論をスミオババが認める形で正確に理解しようとしてただけやで。
公理うんぬんはスミオババが言い出したことで、スミオババ理論を正確に理解しようとしてたエピメテウスが、スミオババの言い出した公理定理の考えに沿ってスミオババ理論を整理してたんやけど、途中からスミオババが訳のわからん言いがかりを付けて、議論が乗数的に複雑さを増していった、というのがここまでの流れ。

スミオババ理論を理解するのは簡単やしエピメテウスも理解してるんやろうけど、エピメテウスがこだわったのは、スミオババが認める形でスミオババ理論を整理することやな。なぜそこにこだわるのかはエピメテウスに聞かなわからんけど、スミオババ本人が認める形でスミオババ理論の問題点を指摘しようとしてたんちゃうかな。その気配を察知して、スミオババは難癖をつけはじめた。スミオババ理論は宗教やから、教義に不備があったらまずいと思たんやろ。

1年前 No.644

地下水 ★lHRYPNADL9_zRF

自発的対称性の破れと言うのが、物質と反物質の均衡の破れをまねいて、物質の方を多くしているそうです。

解かり易く例示でいうと、キュリーポイント以上の温度のエネルギー状態では、磁石は磁化しておらず、磁区はランダムな方向を向いています。しかしそれよりも温度が下がりエネルギーが下がると、どちらか一方の方向に磁極が集まって行きまして、磁区の対称性が無くなり方向性を示します。

この様な事が、真空のエネルギーから物質と反物質の対が生成する時にも起きて、物質が物質と対をなして出て来る、片寄った状態が生じる事があるそうです。その為に物質の方が多くなり残って、何かがあるそうです。

また標準理論によると、ヒッグス粒子などが、この質量の起源であるとされています。
標準理論は三つの力と、四つの素粒子の種類を統一する式で記述できたそうです。

しかしこれではまだ重力子が含まれておらず、それをも含んだ、超弦理論の展開が待たれるそうです。

また何故最初に高エネルギーの状態があったのかという、ビッグバン以前の状態の研究は、まだまだ困難な様子です。

1年前 No.645

審判 ★HujhBwsa2l_Ew9

>>645
「なぜ何もないのではなく何かがあるのか?」について科学的に答えるなら、「ダークマターとダークエネルギーの比率がいい具合やった」も付け加えてええんちゃうかな。
科学的な答えをふまえた上でさらに「なぜ世界はそんなちょうどいい具合の比率なのか?」と問うことができそうやね。これについて現代科学は「わからない」「たまたまそうなった」としか答えられない。スミオババ理論なら「無数の比率の世界が存在してて、その一つである我々の世界はちょうどいい具合の世界なのよ」と答えることができそう。
ならば「なぜ我々の世界は他ではなくちょうどいい具合の世界なのか?」と問うことができ、現代科学はこれまた「わからない」「たまたまそうなった」としか答えられない。スミオババ理論ではどうだろう。「...たまたまかな?」
「なぜ何もないのではなく何かがあるのか?」についての答えが「たまたまそうなった」になることの不可思議さがこの問いの魅力なんだろうし、哲学的な観点からいうなら永遠に問い続けることが出来るような性質の問いなんだと思う。(おれは興味ないけど)

1年前 No.646

地下水 ★otncK03kC4_zRF

>>646
 それは人間性理論というのですね。マルチバース理論の示す様に、宇宙は沢山あるのだけれども、たまたま存在できる法則の成り立つこの宇宙に人間が生れてこの宇宙を見ているので、何かが存在できる世界を見ている。

 量子論理を多世界解釈まで拡張するのは、私もどうかと思いますね。そんなところまで対称的な考え方を広げるのは問題ではないか。素粒子の世界でも、もう既に6行6列の行列で素粒子を表現すると、自発的対称性の破れが起きる事を、南部先生が問題を提出され、益川先生と小林先生などが証明され予言されたので、6つの素粒子が見つかったのですから。素粒子論の範囲内では既に対称性が破れています。
 もちろん量子論理は新世代の量子計算機には有用ですけれどもね。

1年前 No.647

地下水 ★otncK03kC4_zRF

>>646
 重力を加重して宇宙がバラバラになるのを防ぐダークマターが27%、反重力を持って大質量が集まり過ぎてブラックホールに潰れてしまうのを防ぐダークエネルギーが68%で、丁度良い割合だったので、宇宙が小さく潰れ過ぎたりバラバラに広がり過ぎたりしなかったので、今丁度この宇宙を見る事ができる、という話ですね。
 しかし今宇宙の加速膨張が観測されていますから、思ったよりもダークエネルギーが多かったわけで、このままでは宇宙はバラバラになるそうですね。今だから美しい天体が見られるけども、遠い将来では宇宙観測をしても真っ暗になってしまうと言う事ですね。

1年前 No.648

審判 ★9DevJWgNFq_Ew9

>>647
スミオババ理論は科学的な話じゃないからマルチバースとかは関係ないんよ。どっちかっちゅうと宗教的な話やから信じたい人はどうぞみたいな話。
最新の科学理論はおもろいな。理解するのはなかなか難しいけど、存在への問いに対する科学的な答えの輪郭はもう見えてる感じやね。科学と哲学を比べるのはあんま行儀がよくないけど、科学の発展で哲学の意義はどんどん薄まってるように思う。心の在処なんかも脳科学的な説明のほうが説得力があるし。

1年前 No.649

地下水 ★otncK03kC4_zRF

>>649
 そうした新しい科学的知見を入れて、訂正された概念が幾つもあるわけですが、これらを総合して見ると、人間や世界に対する哲学的な新たな見解が得られると思いますよ。人間は最後は対象を哲学的に把握し直して、それをシェーマとして扱って行く必要がありますから。バラバラな知識のままでは扱えませんので。

 心の意識は前頭前野辺縁系にあるとされています。視覚は後頭部に投影されますが、そこから概念が複層で構成されて認識が上がってきて、前頭の短期記憶のワークスペースやブラックボードというところに上がってきて、7個程度のオブジェクトを同時に意識的に見る事ができるとされています。論理的な認識は意識下にあるとされており、この様に認識が文章化されるのは、一段下の意識の下でなされているので、意識するには時間がかかるとされています。
 意識は簡単には、モニターの様なものではないかと考えていましたが、概念対象の運動把握の様な、もう少し高等なものですね。

1年前 No.650

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

地下水さん

水力発電と火力発電と原子力発電は構造に違いがあります。

意識や知覚も十把一絡げの理論ではないと思いませんか?

1年前 No.651

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ザビビのふくろうさん

>>635

>私見では,常識的観点の公理となっているのは,

有の公理:「何かがある」
であって,
「何かがあるか,または何もない」
というトートロジーではないんじゃないでしょうか。
だからこそ,何もないことも可能なはずなのに,なぜ有の公理を採用せねばならないのか,という謎として,
存在の問い:「なぜ何かがあるのであって,何もないのではないのか?」
が生じるのだと思うのです。

  >>636 の返答で、明確に説明できていないのかもしれないと思い、この点をあらためて書きます。

 存在の問い:「なぜ何かがあるのであって,何もないのではないのか?」は、そもそも「何もない」という認識がなければ生じません。もし公理を「何かがある」にすれば、この問いへの答えは、この公理ゆえにそうなる(公理=「何かがある」→「何かがある」:同一律)となってしまいませんか。
 私としては、「何もない」という場合もあるのに、なぜこの世界は「何かがある」のかという視点で問うため、《ケース1 常識的に考えた場合》( >>633 参照)の【公理】を、「R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している」と置いたのです。

 また、トートロジーを「公理」に置くこと自体が適切ではないとお考えでしょうか。あわせてお伺いできればと思います。

>>637
>>世界は、「何かがあるか,または何もない」なのに、なぜあるの方なのか、その理由が求められているのがこの問題だと思っています。

>もちろん、最初から問題はこれですよ。

そして、その問いに対して、そういう井戸の中の視点に立っているからだということを、
SumioBabaさんと時さんが繰り返し説明してこられたわけですけどね…

 「「何かがあるか,または何もない」なのに、なぜあるの方なのか」という認識の下での問いの枠組みを整理したのが、《ケース1 常識的に考えた場合》( >>633 参照)で、「そういう井戸の中の視点に立っている」から、謎が解消しないということを示しているのですが、何か問題がありますか。

 なお、視点が違うことで語句の意味内容が異なることや、トートロジーがトートロジーでなくなることについて、 >>632 をご参照ください。

1年前 No.652

サイコパス ★uJcaHEY0RF_APy

なんかしきりにミスリードしたがってるけど、理解して同意してないんだよ。しかも同意してないのは同時実現ってところだけ。
同時実現なんて何も説明してないでしょ。何と何が同時なのかって。
そもそも多世界解釈を拡張した時点でシュレディンガー方程式の経時変化なんてなくなってるはずで、同時なんて概念はない。

ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は同時実現してるか?
二つの学問分野が存在してるだけだ。
「独立」してとか「個別」にとかな。
SMBマジック。

1年前 No.653

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>652  えぴめてうすさん

答える前に、質問しておきたいのですが、
あなたは基本的にSumioBabaさんの考えに対して、同意するか否かは別として、理解あるいは納得したんでしょうか?
SumioBabaさんがえぴめてうすさんはちゃんと理解されていると認定されているので、もしあなたが納得はしているとおっしゃるのであれば、これ以上私がごちゃごちゃ横から言うのも失礼というかおかしな話なので、私は引っ込みます。

ま、しかしまあとりあえず、不十分かもしれませんが幾つかお答えします。

曖昧な言葉遣いのせいで、相互誤解が生じてしまっているようですね。

>私見では,常識的観点の公理となっているのは,

有の公理:「何かがある」
であって,
「何かがあるか,または何もない」
というトートロジーではないんじゃないでしょうか
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「常識的観点の公理となっている」というのはですね、この現実世界というのは有の公理を充たす世界(すなわち何かがある世界)であるから、普通の我々の視点というのは、有の公理の成立を前提としている視点である、ということです。
平たく言うと、普通我々は誰でも、世界には何かがある、ということを前提にしている、ということです。

>>637
>>世界は、「何かがあるか,または何もない」なのに、なぜあるの方なのか、その理由が求められているのがこの問題だと思っています。


>もちろん、最初から問題はこれですよ。

>そして、その問いに対して、そういう井戸の中の視点に立っているからだということを、

SumioBabaさんと時さんが繰り返し説明してこられたわけですけどね…

>「「何かがあるか,または何もない」なのに、なぜあるの方なのか」という認識の下での問いの枠組みを整理したのが、《ケース1 常識的に考えた場合》( >>633 参照)で、「そういう井戸の中の視点に立っている」から、謎が解消しないということを示しているのですが、何か問題がありますか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ああ、ここも表現がミスリーディングでしたかね。
「そういう井戸の中の視点」というのはあなたの解釈の意味ではなく、私が上の引用文で言っているのは「有の公理が適合する世界(すなわちこの現実世界)の中の視点」のことです。

「常識的観点」といった表現があいまいで混乱の原因になっているように思われるので、あなたにもわかりやすいように言い直してみましょう。
存在の問いを、目下の言い方で言い換えると、要するにこういうことではないでしょうか。

「何かがある」という有の公理を公理としてもつ「有の公理系」と、「何もない」を公理とする「無の公理系」が論理的には成立可能(なはず)であり、したがってこの世界は論理的にはどちらの公理系が適用可能な世界であってもよいはずなのに、この世界は「有の公理系」の適合する世界である。
なぜ、この現実世界は「有の公理系」が適合する世界であって、「無の公理系」が適合する世界ではないのか?

これで問いそのものは誤解なく共有できたでしょうか?
もしそうであれば、以上の修正を念頭に置いて >>635 を読んでおらえれば、私の述べていることは理解してもらえると思うのですが。

あっ、それと、もう一つ。
>>633 で、あなたはケース2の場合として、次のようにまとめていますよね。

《ケース2 多世界解釈を導入した場合》
【公理】
 PおよびQの両方が同時に実現している
   ↓
【前提】
  P=世界は、「何かがある」と「何もない」の両方が同時に実現している
  Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない
   ↓
【問い】
 世界は、なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?
   ↓
【答え】
(Pの場合)
 ダブル・トートロジーが実現し、謎は解消する。
 メタ問い「なぜ「Pでない」ではなく、「Pである」のか」が生じる
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここで、
P:pかpではない
とすると、
メタ問い:なぜ「pかpでない、ではない」ではなく、「pかpでない」であるのか
となります。
このとき、「なぜ「Pでない」ではなく、「Pである」のか」という文が有意義な問いとして成り立つには、「P」も「Pでない」も論理的に可能でなくてはなりません(例えば、「なぜa≠aではなく、a=aなのか」はナンセンス)。
しかし当然、Pというのは全論理的可能性を含んでいる(すなわち恒真である)わけですから、「Pでない」は恒偽であり論理的に不可能なんですよ。
したがって、あなたの挙げている「メタ問い」というのは論理的にナンセンスであり、問いとして成立しないのです。
 これが >>635 の終わりのほうのパラグラフで、SumioBabaさんのメタ位置はとれない、みたいなことを言っている理由です。
こんなもんでどうでしょうか?

1年前 No.654

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ザビビのふくろうさん

>>654

 お手数をかけてます。

>答える前に、質問しておきたいのですが、

あなたは基本的にSumioBabaさんの考えに対して、同意するか否かは別として、理解あるいは納得したんでしょうか?
SumioBabaさんがえぴめてうすさんはちゃんと理解されていると認定されているので、もしあなたが納得はしているとおっしゃるのであれば、これ以上私がごちゃごちゃ横から言うのも失礼というかおかしな話なので、私は引っ込みます。

 答えに窮するご質問です。
 私が、SumioBabaさんの考えを理解しようと努めてきたことは事実です。存在の問いに対し、私自身の思考を巡らすために、先行研究として学んでいるのが、SumioBabaさんの多世界解釈に基づく世界観ということです。
 ただし、SumioBabaさんが持っておられる自然科学分野の素養は私にはありませんし、世界観の全体像を把握しているわけではありませんので、ほんとうに思想そのものを理解したかどうかはわからないとしか言いようがありません。
 先行研究として参考にするためには、少なくとも存在に対する問いに関する部分については、思想の構造を、検討の枠組み(ケース1やケース2のこと)として整理して見える化する必要があると考え、確認を続けてきたところです。
 というのは、そういった工夫なしに進めた場合、公理や視点のお話も含め、複雑で多義的な内容で議論することになりますので、先行研究と自分の考えなどの、どこをどう比較し、どう問題にしたのかが、わからなくなって、消化不良あるいは迷走に陥らないかと危惧しているからです。
 ですので、その都度、SumioBabaさんの確認がとれたところは、それを前提にしていますし、間違っているのなら、正しい内容にしてから進めたいと思っています。まだ、自分の考えを展開するという段階ではなく、その前提条件である検討の枠組みを整理しているところです。


>「常識的観点の公理となっている」というのはですね、この現実世界というのは有の公理を充たす世界(すなわち何かがある世界)であるから、普通の我々の視点というのは、有の公理の成立を前提としている視点である、ということです。

平たく言うと、普通我々は誰でも、世界には何かがある、ということを前提にしている、ということです。

 おっしゃることに異論はございません。
 普通の我々の視点である「何かがある」という認識があるからこそ、この存在の問いが発せられるのだと思います。
 この認識について考慮しているのは、ケース1の前提Qです。
 ここで、前提や問いの中に出てくる「何もない」という認識を、公理の段階で盛り込んでいます。(そうでないとどこからも出てこないため)
 この公理や前提について何か問題がありますか。
 また、公理Rは、常識的な考え方ではトートロジーですが、トートロジーを公理に置くことは適切ではないとお考えですか。

《ケース1 常識的に考えた場合》
【公理】
 R=世界は、「何かがある」又は「何もない」のどちらかが実現している
    ↓
【前提】
 Q=世界は、「何かがある」だけが実現し「何もない」は実現していない
    ↓
【問い】
 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?
    ↓
【答え】
 【前提】で、世界を限定したことについて、論理的必然性が存在せず、経験科学的真理にとどまるため、謎は解消しない。

 普通の我々の視点である「何かがある」という認識を、公理に定めた場合、規範性が生じると思います。
 つまり、公理ですから、「何かがある」べきであるという要請となり、「何もない」であってはならないという禁止として作用するのではないでしょうか。
 よって、「何かがある」という公理を定めれば、この問いに対して「公理によって「何かがある」のである」という論理的な答えが出てしまいます。
 私は、公理の意味を誤解していますか。


>存在の問いを、目下の言い方で言い換えると、要するにこういうことではないでしょうか。

「何かがある」という有の公理を公理としてもつ「有の公理系」と、「何もない」を公理とする「無の公理系」が論理的には成立可能(なはず)であり、したがってこの世界は論理的にはどちらの公理系が適用可能な世界であってもよいはずなのに、この世界は「有の公理系」の適合する世界である。
なぜ、この現実世界は「有の公理系」が適合する世界であって、「無の公理系」が適合する世界ではないのか?
これで問いそのものは誤解なく共有できたでしょうか?

 上記のケース1がこのことを示していると思うのですが。「有の公理系」と「無の公理系」をあわせてRと置いているだけで同じに見えますが、理解不足でしょうか。


>Pというのは全論理的可能性を含んでいる(すなわち恒真である)わけですから、「Pでない」は恒偽であり論理的に不可能なんですよ。

したがって、あなたの挙げている「メタ問い」というのは論理的にナンセンスであり、問いとして成立しないのです。

 P=多世界解釈が正しい場合、Q=常識的に考えた場合=多世界解釈が正しくない場合 という意と理解しています。
 確か、SumioBabaさんは、Pは一旦恒真と見なすものの、Q(=Pが偽の場合)をも考慮に入れたP+Qを多世界解釈(合)として考えられていたのではなかったかと思います。

>>508 のSumioBabaさんのコメントです。
 P=「「何かがある」と「何もない」の両方が実現している」と考えれば、ダブル・トートロジーの実現により、《謎》=「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」は解消されます。その代わり、「なぜ「Pでない」ではなく「Pである」の方なのか?」=《メタ謎P》が発生してしまいます。

1年前 No.655

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>655  えぴめてうすさん

>この公理や前提について何か問題がありますか。

>また、公理Rは、常識的な考え方ではトートロジーですが、トートロジーを公理に置くことは適切ではないとお考えですか。

>上記のケース1がこのことを示していると思うのですが。「有の公理系」と「無の公理系」をあわせてRと置いているだけで同じに見えますが、理解不足でしょうか。


私は、自身の立場としては、SumioBabaさんの立場には賛同していません。
それから言うと、公理Rを置くことには否定的です。
しかし、SumioBabaさんの立場を認める場合、したがってまたそれをきちんと理解しようとする場合には、別に公理Rを採っても構いません。
ただ、不必要なだけです。
同じと言えば同じですが、私の説明のほうが単純で、簡単です。

ケース2などというのは、本来意味がありません。

>《ケース2 多世界解釈を導入した場合》

【公理】
 PおよびQの両方が同時に実現している

と、あなたはしていますが、この多世界解釈は公理ではなく、いわば形而上学的仮説なんですよ。
そして、この形而上学的仮説の観点、すなわちメタ視点に立ってケース1の場合を見たら、

>【問い】

 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?

が疑似問題として解消します。
そして、メタ問いも生じません。
で、おしまい。
時さんなんか、井戸のたとえでおしまい、偉いですね(笑)

あなたが、話をどんどんややこしくしていることがわかっていない証拠だと私は思いますし、メタ問いについてSumioBabaさんはあなたに付き合ってるだけじゃないかと思ってたんですけどね。
>えぴめてうすさんが議論において幾らS Bさんのメタ位置を取っているつもりでも実は常に井の中の蛙に過ぎず、SBさんはいつもその井戸の外からえぴめてうすさんを覗きこんでいる構図になっている( >>635 )

ということを示すためにね。
SumioBabaさんが、あなたが理解していると言われるのは私には謎です(笑)

1年前 No.656

★gxBzDJxPxd_XGK

>>656  ザビビのふくろうさんへ

>時さんなんか、井戸のたとえでおしまい、偉いですね(笑)


偉いでしょ?(笑)

ただ単に、難しいお話は分からないだけです。(笑)

1年前 No.657

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ザビビのふくろうさん

>>656

>私は、自身の立場としては、SumioBabaさんの立場には賛同していません。

それから言うと、公理Rを置くことには否定的です。
しかし、SumioBabaさんの立場を認める場合、したがってまたそれをきちんと理解しようとする場合には、別に公理Rを採っても構いません。

 誤解のないよう、再度申し上げますが、公理Rをその内容として置くべきと考えたのは私です。

>この形而上学的仮説の観点、すなわちメタ視点に立ってケース1の場合を見たら、

>>【問い】

 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?
>が疑似問題として解消します。


 そうなるということはすでに分かっているのですが、作業の途中であり、思考の過程であることを伝えきれていないようで、残念です。いったい何の作業だということかと思います。私が結論だけ見て話を終わらそうとしていないわけですから、「話をどんどんややこしくしている」ように見えるのでしょうね。だから、そのご指摘になるのはわかります。
 私にとっては、明確にしたいだけなのですが、そこらへんの事情をザビビのふくろうさんに説明してわかってもらおうとするのは、互いに意味のない事のように思いますので、これ以上のご質問は控えさせていただきます。
 かみ合わないことばかり申し上げ大変失礼いたしました。

1年前 No.658

審判 ★ix1tJ4uSt5_Ew9

フクロウがもしスミオババとエピメテウスの議論に首をつっこみたいなら、両者の意見を順を追って理解してから参加すべきちゃうけ。参加することに意義があるわけないやろとは俺の口からはよう言わんけど、参加することに意義があると思うんやったらそれが最低限の礼儀ちゃうか。前にも言ったけどフクロウの指摘はだいぶんずれとるで。

1年前 No.659

俺、俺だよ ★iPhone=ftOOHJZc2E

世界の「存在」の問いが世界の「選択」の問いに変わってる!
なぜ「ある」のか、でなく、なぜ「こうある」のかに。
「かまたは」を使用することによる必然的なことだろうか。

1年前 No.660

俺、俺だよ ★iPhone=ftOOHJZc2E

それとも、実は「存在」の問いとは「選択」の問いなんだろうか。

1年前 No.661

審判 ★lY0hNGXxF8_Ew9

とはいえエピメテウスよ、スミオババに確認しつつの共同作業ではこれ以上の進展は無理ちゃうか。実際に議論は数ヶ月とどこおってたやろ。スミオババが試合とか言ってたから勝手に審判役してたけど、結局スミオババの目的は自説の布教で、試合なんてする気はさらさら無いねんから、目的を達成したいじょう、スミオババがエピメテウスとのさらなら議論に参加することはもう無いやろ。本人もそんな感じのことたしか言っとったし。ましてや自説が解体される可能性がある議論やったらなおさら手を貸したく無いのではなくって。こういう途中で議論を投げ出すような輩はスミオババ自身が批判してたんやけど、まあ無理に議論に参加する義務があるわけじゃないし。
エピメテウスはスミオババからの返答を諦めて、そろそろ次の段階に移るべきやと思うな。

1年前 No.662


えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

審判さん

>>662

 いつも私の投稿をよく読んでもらってありがとうございます。こんなごちゃごちゃした議論にお付き合いいただき、感動すら覚えています。
 「そろそろ次の段階に移るべきやと思うな」とのお言葉からして、このスレでの展開と進捗状況を正確に理解されていると思います。

 私のここでの姿勢と目標は、中学生の心でこの問いを考え、自分自身の納得を得るために思考を進めることでした。(≠布教、 >>560 の冒頭を参照ください。)
 そして、現時点で、私としては、SumioBabaさんはじめ、このスレで教えてもらったことなどを通じて、この問いに関する自分としての理解を得たと思っています。

 願わくは、普通の論文作成時にとられる「現状 → 先行研究の整理 → 先行研究に対する見解 → 結論」という展開で投稿して、いろんな方のご意見をいただいて、さらに理解を改善しようと思っていましたが、だれにとってもまどろっこしい自己満足的でわかりにくい迷惑な投稿ということになってはいけませんので、とりあえずこの辺で撤退しようとか思います。

 私の得た理解とは、少し >>560>>583 で書いたことの延長にあります。
 ただし、ザビビのふくろうさんが指摘された@「なぜ世界が存在するのか」とA「なぜ世界はこうなっているのか」の説明については、SumioBabaさんとは違い、@の説明とAの説明の二本立てとなります。とりあえず、@は、「何もない」を疑うところがポイントで(特に独創というわけはなく、ギリシャからあった考え方です。)、Aは常識的な姿勢で考えました。

 今後、別スレの「世界平和の実現」について所見を述べたいと思っており、それが済んだら、 >>560 で書きましたように、昨年10月以来に始めた独我論への疑問(別スレ)を再開しようと思います。(夏以降か?)

 このスレは、大変勉強になりました。皆さんありがとうございました。
 審判さん、ありがとう。またどこかでお会いしましょう。

1年前 No.664

審判 ★R7jZuFZamG_Ew9

:審判総評:
スミオババとエピメテウスの議論が噛み合ない場面が散見されたが、その原因は「宗教脳」と「哲学脳」の違いじゃないかと思う。

 一般的に人間は自分の信念(宗教)を崩さぬように異物を排除する。無意識に。信徒に神の不在を説いても聞こえないし、逆に無神論者に神の存在を説いても聞こえない。聞こえないから認識できない。認識できないから存在しない。神の不在を肯定する情報は逃さず収集し、神の不在を否定する情報は無意識に排除する。その結果、神の不在はさらに強固な信念に変わる。このような思考の傾向を「宗教脳」と名付ける。宗教を信じてるから宗教脳なんじゃないよ。わかるかな。ちなみにこれが普通。ほとんどの人が、自分の信じるものをより強く信じるような思考の傾向を有している。でないと心の平安を保てないからね。だから普通は宗教脳やねん。スミオババ(とトキ)もモロこっち。だから自説に不備があるなんてこれっぽっちも考えてへん。我々に賛同せぬものは頭が悪いのか無理解なのか人間力が低いのか >>537, そう考えて自説の不備の可能性を最初から排除している。まあでもこれが普通。人間の脳は進化の過程でこのような思考傾向を有するようになった。
 いっぽうで疑う事を止めない人々がいる。わき上がる疑念に歯止めをかけず、中学生のあの頃のようにただただ素直に考えてしまう。規則を疑い、常識を疑い、権威を疑い、認識を疑い、全てを疑う事を止めない。宗教脳の人も同じように疑うねん。でもすぐに疑う事を止める。心が乱れて、ろくな事が無いからな。大人になるってことは、全身を強固な鎧で固めていくことなんやと思う。その鎧はたしかにその人を守ってくれるんやけど、その安全は強度を増すほどに自由な思考をしばる。安全は窮屈だ。だから頭が固くなる。常識的な大人とは、つまりは固定観念でこりかたまった人間の総称である。
 哲学脳とは疑う事を止めない人のことだ。何の得もないけど疑う。心がかき乱されるけど疑う。心の平安なんてどうでもいいんだよ哲学脳の人は。ただ疑う。そんで壊す。また疑う。壊す。こんなちょうしで疑い続ける事を止めない。この過程をスミオババは「無限後退」と表現した。でもな、哲学脳はそんなん気にせえへんし、なにより「後退」じゃねえし。無限「前進」やから。この思考の過程を「後退」と表現したのは、いかにも宗教脳らしいと思った。思惟の無限性に潜在的な恐怖を抱いていることの証拠とちゃうかな。哲学脳ちゅうのはたぶんこのへんの安全装置がぶっ壊れてるんやと思う。だからむしろこっちが異常者。
 思考には位階がある。思考を続けるほどに世界は広がる。足がすくむような高さやけど、そこからしか見えない景色がある。そしてその高みから発する哲学者の言葉には、とてつもない異常さと圧倒的な迫力がある。
 問いは無限だよ。どんな問いにもメタ問いはある。それだけは確定している。言葉を発明した人間は、幸か不幸かこの思惟の無限性をも手に入れた。この無限の深淵に恐怖するものは哲学するには向いていない。心底そう思う。

 さてエピメテウスよ。最後にちょっとだけチクリ。エピメテウスの謙遜は悪癖やと思う。その悪癖が二人を勘違いさせて議論がより一層わかりにくくなっていたと思う。いくら丁寧にことを進めても、目的が違う両者が共通認識を持つのんは難しい。布教をしにきたスミオババ(とトキ)、思考を深めたいエピメテウス。両者が理解し合えないのは必然やったと思う。
とはいえたぶんあなたはこんなこと指摘されるまでもなくわかってるんだろうね。だから「思考のフェーズというか段階の違い >>607 」なんて事を言う。じゃあエピメテウスの目的は何なのか。位階の違いを認識しながら病的なまでに謙る。エピメテウスは存外、一番イジワルなのかもしれないね。

:審判ジャッジ:
ジャッジを下す。ドロー。誰かが言ってたけど議論に勝ち負けなんか無いしな。参加者の知識の位階が少しでも上がったんならその議論は有意義やったんやろうけど、そこに注目するんやったらエピメテウスの方にたくさんの収穫があったんかもしれんね。それとスミオババが訴えてたけど、文句ばっか言ってないで代案を述べろ、というのはもっともかもしれんね。自分で言わんほうがいいとは思うけど。この議論を試合として捉えるなら、理論を提出したスミオババが圧倒的に不利やった。構図としては防戦一方になるからな。壊すのは誰にでも出来る簡単なお仕事。創るのは難しい。だからあえてこの議論における独創性に着目するなのらスミオババのほうが優勢やったと言える。

:審判雑感:
かりにスミオババ理論が正しいとしても、それでも他の世界の自分じゃなくて現実の自分しか認識できない理由を問われたなら、それは偶然であるとしか言えない。つまり、 >>0 の問いに戻る。これはエピメテウスがどっかで指摘してたけど、オレだって気づいてたもんね。ウソじゃないもん。
それとトートロジー。言論言説においてトートロジーは例外無くインチキ認定される。世にあるインチキ循環論法やトートロジーは巧妙に作製されてるから見つけるのが難しいんだけど、スミオババ理論はしょっぱなからトートロジーという看板を掲げている非常に斬新な理論だ。この理論の魅力は適度な難解さにあると思う。この理論を理解していく過程はなんだかパズルを解くみたいで楽しかったわわりとまじで。

最後になりましたが、SumioBaba氏におかれましては、SB量子神学をさらに発展昇華させてていただければ幸いに存じます。私の数々の非礼無礼をお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

1年前 No.665

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

 最近思うのは、問いにはテストの問題のように単に答えを求めるだけのものから、「正義とは何か」のようにいろいろな答えがありそうなものまでいろいろあるということです。単に答えを求めるだけの問いの場合、大事なのは徹底して厳密な論理操作かと思われます。しかし後者の、いろいろな答えがありそうな問いの場合、大事なのは厳密さや正確性よりもむしろ、その問いの発せられる状況なのではないかな、と思います。たとえば「正義とは何か」と問うとき、人はたんに論理的な回答を求めているだけではありません。たとえば法廷で不正がまかり通ったとき、「正義とは何か」という問いは、私たちのあり方そのものを問いただすように発せられます。それは答えを求めるため、というよりむしろ、私たちに反省を迫るようにして問われることになります。このように問いには、答えを求めることが重要な場合と、それを発する状況が重要な場合の二通りがあるとぼくは考えます。
 そこで「なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか」という問いを考えてみると、ぼくはこの問いは明らかに後者、すなわちそれを発する状況が重要なケースに当てはまると思います。素朴に生きる人にとって、このような問いが問われることはあまりありません。しかし素朴なものの見方を反省し、根底から世界を疑いにかけてみることで、このような問いが問われることになる。思うにこのような問いは、人生における相当な危機に直面しないかぎり、考えることを迫られないのではないでしょうか。
 問いは発せられる段階ですでに、無知と答えの両方から一定の間隔を有していることになります。というのも、答えがわかっているなら問う必要はないし、答えがまったくわからないならそもそも問うことができないからです。したがって問いには、それが発せられる状況からの離脱が属することになります。かといってそれは完全な離脱ではなく、あくまでもそれが発せられる状況に留まったまま、離脱するのです。
 だから「なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか」と問うとき、そこにはそれが発せられる状況からの離脱が属することになります。とすればこの問いは存在からの離脱を意味することになります。しかし素朴に生きる人は、わざわざ存在から離脱しようとは思わないでしょう。だからそこにはそれなりのきっかけが必要になります。経験が必要なのです。しかも人生を揺さぶるような根本的な経験が。
 そこで疑問なのは、哲学はこの問いが発せられるきっかけとなる根本的な経験を目指して営まれるのか、それともそこを起点として営まれるのか、あるいはそのどちらでもある、つまりすべての哲学はそこに始まりそこに終わるのか、ということです。仮にすべての哲学が「なぜなにもないのでなく、なにかがあるのか」という問いを可能にする根本的な経験に始まり、そこに終わるとしたら、少なくとも哲学の求める真理は答えではなく問いの形をとることになります。つまり「なぜなにもないのでなく、なにかがあるのか」という問いを心から問うことができる段階で、すでにこの哲学者は真理に巻き込まれていることになります。このことは真理がたんなる認知ではなく経験であり、たんなる終着点ではなく運動であることを意味します。
 いずれにせよ「なぜなにもないのでなく、なにかがあるのか」という問いは、それが発せられる状況を決して無視してはならない問いであり、むしろそこにこの問いのエッセンスがある。ぼくが言いたいのは、ぼくの目にはこの問いが、それだけでひとつの真理の表現であるように映るということです。

1年前 No.666

ちょっと、まってよ ★t8alAtLKeE_yoD

ちょっと、まってね。「なにかがある」とは、一体どういうことなんだろうか?

1年前 No.667

ひこ太 @hikotarou ★r5box4meL6_zRF

ちょっと、まってろ。「何もない」とは、どういうことだ?

1年前 No.668

サイコパス ★uJcaHEY0RF_APy

やっぱり今回も駄目だったよ
あいつは話を聞かないからな
そうだな、次はこれを見ている奴にも付き合ってもらうよ。

1年前 No.669

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>665  審判さんへ

>最後になりましたが、SumioBaba氏におかれましては、SB量子神学をさらに発展昇華させてていただければ幸いに存じます。私の数々の非礼無礼をお詫びいたします。申し訳ありませんでした。


 これはこれは。礼儀正しくお詫び頂けましたので、こちらも返事を書きたくなりました。1つだけ、疑問点にお答えします。

>かりにスミオババ理論が正しいとしても、それでも他の世界の自分じゃなくて現実の自分しか認識できない理由を問われたなら、それは偶然であるとしか言えない。つまり、 >>0 の問いに戻る。これはエピメテウスがどっかで指摘してたけど、オレだって気づいてたもんね。ウソじゃないもん。


 現在の自分の心をM1とし、「自分が体験しているのはM1だけだ」と思い込むと、《状態選択の謎》=「なぜ自分の心は他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」と《存在選択の謎》=「なぜ自分の心M1は「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」が生じてしまいます。

 そこで、真の自分は全知全能の「神」なのであり、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…について、それが「存在する」と「存在しない」の両方を線形の重ね合わせのまま体験している、と考えます。M1とM2が、シュレディンガーの猫の生死を観測して「生」だった心と「死」だった心のように矛盾した情報を持つとき、<M1|M1>=1(M1にとってM1の存在確率は1)、<M2|M2>=1(M2にとってM2の存在確率は1)、<M1|M2>=0(M1にとってM2の存在確率は0)、<M2|M1>=0(M2にとってM1の存在確率は0)が成立します。つまり、M1を体験しているとき、「M1は存在する」と「M2は存在しない」を体験しています。M2を体験しているとき、「M2は存在する」と「M1は存在しない」を体験しています。

 「神」にとってM0、M1、M2、M3、…は平等な存在であり、M1だけが選ばれている訳ではないので、《状態選択の謎》は事実誤認だったこととなり消滅します。「神」は「M1は存在する」と「M1は存在しない」の両方を体験しているので、「M1は存在する」だけが選ばれている訳でもなく、《存在選択の謎》も事実誤認だったこととなり消滅します。

 疑問点の中に、「他の世界の自分じゃなくて現実の自分しか認識できない理由を問われたなら、それは偶然であるとしか言えない。」と書いてありますが、これも偶然ではありません。「この世界の自分を選べば、この世界の自分が選ばれる」「他の世界の自分を選べば、他の世界の自分が選ばれる」「何も選ばなければ、真の自分である「神」はすべての心M0、M1、M2、M3、…についてa「存在する」+b「存在しない」(aとbは不明)を体験している」となり、3つともトートロジーであるため、偶然ではなく必然です。特に3つめは、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…について、それぞれ「存在する」「存在しない」「両方」「片方」というすべての可能性を網羅した上で、正しいのはその中のどれかだと主張しており、決して外れることは有り得ないという意味で恒真(トートロジー)です。

1年前 No.670

★2jNIVRCOxh_XGK

 馬場さんへ

こちらも一段落でしょうか。(笑)

人は神と分離した存在としてそれぞれの世界に生きていると錯覚し、そのそれぞれの価値観を中心に無矛盾の世界を生きているつもりになっています。

考えてみれば、ごくごく簡単な事のはずなのにそれに気が付けないのでしょう。気が付けないままに、その分離した世界観同士で矛盾した主張をぶつけ合い、争い事を生んでいます。

人は神とは分離していません。分離できるわけがありません。本来は矛盾などない無矛盾の世界に我々は存在するのだと言うことに気が付くだけなのですが。

同時に、この神から分離する方法はあります。そして神を見下ろせます。ただし、見下ろしたその瞬間に、神から分離した世界が眼前に広がります。そして再度、神とは分離していないことに気が付きます。

夢のまた夢です。下らない。もう、こちらでも何も伝える意味もなさそうです。

いろいろな世界観での会話を見続けていると、時には、周回遅れのような感覚に陥ることがありますが、それも幻想。もういい加減飽きました。集めた知識自慢に見栄の張り合い、同じ事の繰り返しです。(笑)下らない。

いつの日か、聖者と呼ばれた人々の世界観と量子力学の世界との融合があるのかもしれません。また、ないのかもしれません。今はまだ、重ね合わせの状態でしょうか(笑)そしてその架け橋にSB量子神学がなるのかもしれませんが、そんなことには今はもう興味はないのかもしれませんね。

つまらぬことをつらつらと書きました。議論、お楽しみください。

1年前 No.671

地下水 ★lHRYPNADL9_zRF

>>670
まずスケールの点で間違っている。量子論理は神では無くて、極小の原子などの量子の中での御話しである。
もちろん量子性を拡大した量子計算機や量子テレポーテーションを用いた量子暗号などは、現実スケールの世界で有用になり、近未来のブレークスルーをひかえている。

それから時間の観点が無い。これも量子論理でエネルギーとの関係で定量されている。
そして因果関係の観点が欠けている。これもまたプランク定数との関係で、不確定性が定量されている。

これらを入れて行かないと、量子AIの未来を予測することはできない。

1年前 No.672

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>672  地下水さんへ

>まずスケールの点で間違っている。量子論理は神では無くて、極小の原子などの量子の中での御話しである。

>もちろん量子性を拡大した量子計算機や量子テレポーテーションを用いた量子暗号などは、現実スケールの世界で有用になり、近未来のブレークスルーをひかえている。

>それから時間の観点が無い。これも量子論理でエネルギーとの関係で定量されている。

>そして因果関係の観点が欠けている。これもまたプランク定数との関係で、不確定性が定量されている。

>これらを入れて行かないと、量子AIの未来を予測することはできない。


 このスレッドのタイトルは『存在を問う』であり、具体的なテーマは「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」です。哲学における最大の謎(アポリア)とされる「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」に対する地下水さんの答は? 前にも一度尋ねましたが、返って来たのは科学の専門知識の羅列だけで、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という哲学の問いには、何の答にもなっていませんでしたよ。

 それから、余計なお世話かもしれませんが、現在の自分の人生を「最高に幸福だ!!」と思えますか? SumioBabaや時さんは、現在の自分の人生がどんな内容であろうと、そう思える方法を知っています。他人にまで押し付けはしませんが、参考にしてみませんか?

1年前 No.673

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>646  審判さんへ

>「なぜ何もないのではなく何かがあるのか?」について科学的に答えるなら、「ダークマターとダークエネルギーの比率がいい具合やった」も付け加えてええんちゃうかな。

>科学的な答えをふまえた上でさらに「なぜ世界はそんなちょうどいい具合の比率なのか?」と問うことができそうやね。これについて現代科学は「わからない」「たまたまそうなった」としか答えられない。スミオババ理論なら「無数の比率の世界が存在してて、その一つである我々の世界はちょうどいい具合の世界なのよ」と答えることができそう。


 はい、ここまでは良しです。

>ならば「なぜ我々の世界は他ではなくちょうどいい具合の世界なのか?」と問うことができ、現代科学はこれまた「わからない」「たまたまそうなった」としか答えられない。スミオババ理論ではどうだろう。「...たまたまかな?」


 答は、「問い自体が無意味であり、問いになっていない」です。
  (1)=「無数の比率の世界が存在してて、我々の世界はちょうど
   いい具合の世界であった。」
  (2)=「無数の比率の世界が存在してて、我々の世界はちょうど
   いい具合の世界ではなかった。」
とします。もし(1)と(2)が異なり、実現しているのが(1)の方だけなのであれば、《謎》=「なぜ(2)ではなく(1)だけが選ばれて実現したのだろう?」が確かに存在します。ところが本当は、(1)=(2)=(3)であり、実現しているのは次の(3)です。
  (3)=「無数の比率の世界が存在してて、その中には、ちょうど
   いい具合の世界も、ちょうどいい具合でない世界も有った。」
(3)において、ちょうどいい具合の世界の視点に立てばそれが(1)になり、(3)において、ちょうどいい具合でない世界の視点に立てば(2)になる、というだけであり、両者は別物ではなく同一のものです。実現しているのは(3)[=(1)=(2)]なので、《謎》=「なぜ(2)ではなく(1)だけが選ばれて実現したのだろう?」は、事実誤認のために生じた疑似問題ということになります。

 これこそ、永井均氏の「独在論の<私>」そのものです。「<私>は永井均である。その理由が解らない。<私>は他のA氏、B氏、C氏、…でも良かったはずなのに、なぜか<私>は永井均である。これは科学では決して解明できない謎だ。」という内容です。
 この場合も永井氏は、次の[1]と[2]を別物だと思い込み、【謎】=「なぜ[2]ではなく[1]だけが選ばれて実現したのだろう?」と問うています。
  [1]=「多数の人間が存在し、「私」が永井均氏である世界。」
  [2]=「多数の人間が存在し、「私」が永井均氏でない世界。」
しかし本当は、[1]と[2]は別物ではなく同一のものであり、[1]=[2]=[3]です。
  [3]=「多数の人間が存在し、それぞれが自分を「私」であると
   認識する世界。」
[3]において、永井均氏の視点に立てば[1]になるし、[3]において、永井均氏以外の人間の視点に立てば[2]になる、というだけであり、両者は別物ではなく同一のものです。実現しているのは[3](=[1]=[2])なので、【謎】=「なぜ[2]ではなく[1]だけが選ばれて実現したのだろう?」は、事実誤認のために生じた疑似問題ということになります。

1年前 No.674

うさぎ ★Tablet=cT88eYp8V3

「なぜあるのか」のこたえは、それは「私が生きているから有る」ではないだろうか?
あくまで、「わたしにとって」だろうが、私が死ねば存在は無くなるのでは?

1年前 No.675

宿題 ★hxYn2UbX46_BXv

うさぎさん

うさぎさんのお母様が亡くなられたらうさぎさんも死ぬのですか?

1年前 No.676

審判 ★evzb6UsgcI_Ew9

>>670
あんま時間ないから質問だけ

問1:なぜわたしはこの世界の自分しか選べないのか? (それを選択したって言うけど今の自分以外に選択の自由がないだろ)
問2:なぜわたしは神の一部であって神ではないのか? (認識が1つしか持てないのはなぜかってことね)
問3:なぜスミオババは世界がスミオババ理論であると信じているのか? (おれは納得できないから信じてないが、スミオババは何に納得して信じているのか)

1年前 No.677

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>673
自発的な対称性の破れが自然にはあるからです。

真空のエネルギーから、粒子と反粒子が対になって出てきますが、五回目の対発生の時には、粒子と粒子が対になって出てくる、対称性の破れが起きまして、この世界には粒子の方が多くなるので、何かがあるという事が起きます。
しかし最初の、では真空にあるエネルギーとは何か、と言われると、ビッグバンの前は何だったか、と聞かれている様なもので、にわかには解かりかねます。


ちなみにまた違った意味でこれは六次元の行列で起きる事が示されまして、素粒子の発見につながったのでしたね。

1年前 No.678

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>673
哲学はフィロソフィーへの訳語だそうです。原義は智を愛することだそうです。
理学体系には膨大な、それでいて信頼のおける証明された知識が整理されています。
この知識を活用して、無知の知を悟り、個人趣味の詭弁から脱出する、というわけには行きませんかね。

1年前 No.679

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>677  審判さんへ

>問1:なぜわたしはこの世界の自分しか選べないのか? (それを選択したって言うけど今の自分以外に選択の自由がないだろ)


 この場合の「わたし」という言葉は、「この世界の自分だけを指す」という限定がなされている(YES)のか?、いない(NO)のか? YESなら、「わたし」=「この世界の自分だけを指す」と限定された「わたし」がこの世界だけにいるのはトートロジーで当たり前。NOなら、この場合の「わたし」はこの世界の自分だけでなくあの世界の自分も含むから、「わたしはこの世界の自分しか選べない」が事実誤認。

>問2:なぜわたしは神の一部であって神ではないのか? (認識が1つしか持てないのはなぜかってことね)


 この場合の「わたし」という言葉は、「神の一部であるこのわたしだけを指す」という限定がなされている(YES)のか?、いない(NO)のか? YESなら、「わたし」=「神の一部であるこのわたしだけを指す」と限定された「わたし」が「神の一部」であることはトートロジーで当たり前。NOなら、この場合の「わたし」は「神の一部」M1、M2、M3、…になり得ているだけでなく、「神」そのものM0=M1+M2+M3+…でもあり得ているので、「わたしは神の一部であって神ではない」が事実誤認。

>問3:なぜスミオババは世界がスミオババ理論であると信じているのか? (おれは納得できないから信じてないが、スミオババは何に納得して信じているのか)


 「信じている」のではなく、トートロジーなので、無矛盾な世界でさえあれば恒真だと主張するだけです。審判さんの方こそ、トートロジーを信じないのですか、へー、そんな人もいるんだー。

1年前 No.680

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

SumioBabaさんは、“難しい問い”に答えるのを避けているように見える。

1年前 No.681

審判 ★5JaJ3ARzeD_Ew9

>>680
問3は聞き方が悪かったね

問4:何かを問われた際に答えがトートロジーになるスミオババ理論には何か意味があるのか?
(「明日の天気は晴れかそれ以外だ」というのは、全ての可能性を網羅しているだけの意味のない表現なので、聞き手に認識の変化が生じない。スミオババ理論は聞き手に何らかの認識の変化を及ぼすことを想定しているのか、もし想定してるならそれは何かってことね。)

1年前 No.682

審判 ★D2naiBkmHL_Ew9

問5:無矛盾な世界において「矛盾を含みつつも無矛盾な論理」というのを数式であらわせますか?

ひとつお願いなんやけど、答えに窮した場合でも難癖をつけたり途中退席するのはやめてほしい。考えるのに時間がかかるなら「長考する」と宣言すればいいし。審判が出題者スミオババが解答者のパズル感覚で気楽にいきましょ。

1年前 No.683

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>683  審判さんへ

>問4:何かを問われた際に答えがトートロジーになるスミオババ理論には何か意味があるのか?

(「明日の天気は晴れかそれ以外だ」というのは、全ての可能性を網羅しているだけの意味のない表現なので、聞き手に認識の変化が生じない。スミオババ理論は聞き手に何らかの認識の変化を及ぼすことを想定しているのか、もし想定してるならそれは何かってことね。)

 殆どの人々は、いろんな○○○について、実現しているのは「○○○である」の片方だけであり、「○○○でない」の方は実現していないと思い込んでいます。そして、○○○がトートロジーでない場合、「「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現せねばならない」という論理的必然性は存在しません。その結果、「なぜ「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現したのか?」という答の存在しない謎が発生します。このスレッドのテーマである「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」がその代表例です。そこで、本当は「○○○である」と「○○○でない」の両方が実現したと考えます。そうすれば、ただのダブル・トートロジーだったことになり、謎はすべて消滅します。
 つまり、SumioBabaの説明によって聞き手の認識は、「「○○○である」だけが実現したと考える。(解けない謎が残ってしまう。)」→「「○○○である」と「○○○でない」の両方が実現したと考える。(すべての謎が消滅した。)」と変化することを想定しています。これを《井の中の蛙》と表現しています。「井の中だけが世界だと思い込む狭い視野だと、解けない謎が残る。井の外にも別の世界が有ると考える広い視野だと、すべての謎は消滅する。」…ということです。

>問5:無矛盾な世界において「矛盾を含みつつも無矛盾な論理」というのを数式であらわせますか?


 質問の意味が理解できないので、数式で表せません。でも、何か面白そうな気はします。審判さんの方で具体例など挙げて、詳しく説明して下さい。興味を感じればコメントします。

>ひとつお願いなんやけど、答えに窮した場合でも難癖をつけたり途中退席するのはやめてほしい。考えるのに時間がかかるなら「長考する」と宣言すればいいし。審判が出題者スミオババが解答者のパズル感覚で気楽にいきましょ。


 「答えに窮した場合でも難癖をつけたり途中退席するのはやめてほしい。」は、こちらが言いたいセリフです。審判さんの問1と問2にSumioBabaはきちんと答えたのに対し、それっきり途中退席してしまったのは審判さんの方です。「解った」なら「解った」と答えるのがマナーです。
 それに、質問に答えるか答えないかは個人の自由であり、相手に強制すべきものではありません。「くだらない質問だと思われたらスルーして下さい」という態度で質問するのがマナーです。マナーが守れない人とは議論しません。

1年前 No.684

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>684
極小の原子以下の世界で成り立つ、量子論理を現実のスケールや、更に大きな神にあてはめようとしても、成り立たないのではないでしょうか。
人間のサイズでは、むしろニュートン力学の因果関係の方が良く成り立ちますよ。

ペンローズが言うように、脳が量子脳になっているのならば、幾らかは量子論理の多世界解釈も、思考の内では起きえますが。
現実の世界に、量子論理の多世界解釈をあてはめるのは、どうかと思いますよ。単なる現実逃避ではないですか。

現実の世界にも、中性子星の様に量子効果が、むき出しになっているものもありますが、多世界解釈の現象は起きていませんね。

量子コンピューターを用いたAIが大きくなれば、ネットワークの中の情報の世界を、幾分多世界解釈から判定する様になるかもしれませんが、そこから得られる現実に対する解としては、考える必要が無いですね。

量子論理には、プランク定数が定める因果関係の範囲や、時間とエネルギーの関係などもありますが、貴方の考えは全く発展しておらず、これらを導入できていないのではないですか。プランク定数の範囲より大きいと、因果関係も、時間も、関係付いてきますよ。

>>678  に述べた様に、「なぜ何かがあるのか」というスレタイは、自発的対称性の破れの、話の方がそぐいますよ。

1年前 No.685

審判 ★79g6LN0pmU_Ew9

問4-0:何かを問われた際に答えがトートロジーになるスミオババ理論には何か意味があるのか?
回答: >>684

問4-1: >>684 での「(片方だけしか実現していないと)思い込んでいます」というのは「両方が実現している」を含意してるんだろうけど、「両方が実現している」とするその根拠はあるのか? それとも根拠のない思考実験なのか?


問5の補足説明(参考 >>683,684
「無矛盾な世界」というのは、我々が一般的に認識している物理法則の世界で、論理式や数式であらわすことができる。「矛盾を含みつつ無矛盾な論理」というのはスミオババ理論(SB量子神学、以下「S理論」)を想定している。無矛盾な世界でスミオババがS理論を論理的に認識しているのなら、それを数式であらわすことが可能で、その数式を判定すればS理論の是非を評価できる。もしS理論を数式であらわすことが出来ないなら、S理論は無矛盾な世界内における論理的な理論ではないということになるので、論理的な言語によっては理解出来ず、ここでの議論や説明は徒労に終わるんじゃないか。(論理的でない理論なんてないんだろうけど便宜上の名称なので気にするな)
問5はS理論の性質を理解するうえで重要だと考え質問したしだいである。
先に言っとくと、問5においてシンパンが想定してる回答は「不可能」。もしS理論が数式であらわせないなら、S理論のどこかに論理的でないものが混じっている可能性が出てくるやろ。その論理的でないものを取り除くとより良い理論になるっちゅうわけやな。

1年前 No.686

審判 ★nLuhby7JMS_Ew9

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1年前 No.687

審判 ★nLuhby7JMS_Ew9

>>684
 問1.2にたいする >>680 の答えに矛盾は無いと思うんやけど、過去のエピメテウスとのやりとりからの乖離が見られるから、スミオババが意見を変更した印象やな。ただこの点を指摘しても今までと同じようなフモウなやりとりが続くのは目に見えてるから、問1.2は一旦保留し、スミオババが絶対視しているトートロジーについての価値評価を先に済ませようと考えての問4やな。シンパンはトートロジーに意味を見出してないけど、スミオババはトートロジーを絶対視している。ここに疑問を感じるのはシンパンだけじゃないと思うよ。

 シンパンが問うてるのはS理論の構造についてやから「くだらない質問 >>684 」なんて一つもないで。S理論を理解しようとする過程で誰にでもわいてくる疑問やろうから、スミオババにとっても重要な質問やと思うわ。
 もうちょっと詳しく書こか。S理論は人気がないやろ。つまり支持者が少ない。それはS理論を聞いても聞き手が納得できへんからやな。 >>684 で「S理論は聞き手の謎を全て消滅させる」と書いてるけど、実際には聞き手に謎が消滅したという認識は生じてない。その理由として考えられるのは、S理論について理解が及んでないのか、S理論自体に問題があるのかのどっちかやろ。
 シンパンはS理論自体に問題があると思って質問してるんやけど、その過程でS理論についてのシンパンの無理解が露呈するかもしれん。もしそうなったら聞き手の無理解の構造が明らかになって、S理論の理解者はいっきに増えるんちゃうか。だからシンパンの質問はスミオババにとって「くだらない質問」ではなく、理解者を増やす絶好の機会になりえる。であるにも関わらずスミオババが途中退席や議論に難癖をつけるなら、それは読み手からは苦し紛れの行動に映るだろうし、S理論の不備を自ら認めたような印象を持たれるんちゃうかな。それじゃ今までと同じになる。
これで >>683 の「お願い」の意味が伝わるかな。

1年前 No.688

審判 ★vysAdjRdyz_Ew9

 物事を理解するというのは、その物事にたいする論理的な認識が生ずることであり、その認識はより論理的なものによって容易に変化する可塑性の高いものだと考えている。構造や確度の違いはあるにせよ、何らかの論理的な認識に至った状態を理解であるとするなら、S理論を構築したスミオババと、S理論を理解したと主張するシンパンにおいても、S理論についての何らかの論理的な認識が生じていることになる。

 今ここで問題になっているのは、一つの物事(S理論)にたいして異なった認識が生じていることで、その認識の違いというのがその物事の意義を根底から揺るがしうるほどの相違である点やな。このような認識の違いは、議論によってより論理的な意見に収斂されるのが一般的で、シンパンの問いかけはこの作業の一環であると考えている。
 S理論の問題点は、論理的な部分と非論理的な部分とが混在している点にあるように思ってるんやけど、スミオババはそれをふまえてS理論の今後の方向性を選択すべきやと思うな。S理論を論理的なものとして誰かに認知させたいんやったら、非論理的な箇所を削除して再構築するべきやし、そうではなくS理論を非論理的なものをも包含する一つの考え方で良しとするなら、論理的な議論は無意味やねんから、これ以上の議論は終了すればええ。
 認識を固定させたがる人はシンパンとは価値観が違うし、そういう人は論理的な議論に向いてないと思うわ。( >>665 でも同じこと言ったつもりやったけどスミオババが議論を再開させたから還ってきた)

 個人的には、存在の問いの構造分析は論理的で秀逸な見識やと思うから、このあたりを足がかりに論理を再構築すれば面白いものが出来上がりそうやと思うわ。だからここで思考停止するのは勿体ないと思うねんけど、まあこんなもんは本人の腹積もり次第やからな。

今のままの認識でいいなら議論する必要はないってゆうお話でした。

1年前 No.689

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>審判さんへ


 相手を「さん」付けで呼ぶとか、丁寧語を使うとか、なぜこんな簡単な事ができないのですか? マナーを守れない人とは議論しません。
 例えばSumioBabaがA社の社長、貴方がB社の社長で、取引のために商談をするとします。SumioBabaは「私がA社の社長をしている○○○です。あなたがB社社長の△△△さんですね。よろしくお願いします。」と、貴方を「さん」付けで呼び、丁寧語を用いて話しています。ところが貴方は、「おう、オマエがA社社長の○○○か、オレがB社社長の△△△だ。」とこちらを呼び捨てにし、丁寧語も使えません。こういう場合、SumioBabaの方としては呆れ返ってしまい、「貴方のように常識の無い人とは取引はしない。」で終です。以上。

1年前 No.690

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>684
地球がある、というのは現実ですが、地球がない、というのは空想ではないですか。

1年前 No.691

★ZaTj169jDe_A7b

>>410  えぴめてうすさんへ

>  また繰り返しで恐縮ですが、私が問うている(哲学する)のは、純粋に自分自身の納得を得るためで、それ以外ではありません。問題は、私の井戸の中にあり、その問題を解決したいのであって、人間の共通知を生み出そうとか、他者に広めようという内容を考えているわけではないのです。(えぴめてうすさん)


>>412
> 私も同様に、広めようという事は考えていません。ただ独りの井戸の中で日々起こっては消えていく問題を考え続けただけです。ほとんど全て体現として納得できています。世界での大きな問題?で言うと「世界平和はなぜ訪れないのか?」から、小さなことでは「なぜ、あの石ころにけつまづいたのか?」「なぜ、体育の先生は怒ったのか?」「なぜ、黄色のチョークがなくなったのか?」・・なぜの連続でしたよ。そして現在、自由意志が存在するのだとしたら、私は平和を選びます。と言う事だけです。(時)


今さらながらですが、過去に >>410 のえぴめてうすさんのご意見に、私(時)は、 >>412 のようにお答えしました。

学問としてではなくて、実践としての「哲学とは何か」を考察すると、自身に納得のできる本当の事(答え)を知る事。だと思います。勿論、自分自身で納得できれば良いので、人には押し付けたりしませんね。

では、この本当の事とはどう言った事なのか?私はこれを「真理」と表現します。

理とは、物事の理非を分かち定める意から。当然のこと。もっともなこと。等とあります。
真(まこと)の理(当たり前の事)で、真理です。

以前、井戸のたとえ話をしたと思います。「井の中の蛙大海を知らず・・」から作ったものですが、この蛙視点の上には燕視点があります。その世界は、大きく広く、多くの井戸を同時に観る事が出来るような世界観です。そしてその世界で観る事をやめると、そこは平穏な世界です。ここを別の表現ですると、命の根源の世界です。ここでは、木も花も虫も人間も毒虫もクジラも鳥も・・の全ての命の大元の世界です。そしてここは、人間界で言うところの「善悪、男女、是非、上下、左右」等々の相対的な概念は存在しない世界です。そして実は、もう一つ上の世界もあるのですよ。もしも体現された方がおられたのであえば、ご存知かと思います。

勿論、これは、精神的な世界であり、その思考や精神状態での世界観であるという事です。

上記を個人の心の状態に当てはめてみると、まずは普通の心の人の場合には「良い・悪い」等の相対的な比較の世界です。人生山あり谷ありと言われるような人生を送ります。いわゆる普通の世界です。(これが井戸の中の世界です)

これをもう少し精神状態が上がると燕の世界です。上の井戸の世界を多く同時に見る事ができます。全てが見渡せますので、この時点ではすごく楽しいです。有頂天という表現があるでしょう?これにぴったりですよ。有頂天・・有の頂点・・有の世界の頂点という事で、これを神の処、神視点と表現しています。この視点まで来れば、一応は「問題ありません」という感覚が自覚できると思います。その理由の理解も起こります。

有頂天  うまくいった喜びで夢中になっていること。
     (仏)三界のうちの最上位の天。また、形あるものの世界の最高の所。

上での三界を(欲界、色界、無色界)(欲界、瞋恚界、害意界)(離欲界、無瞋界、不害界)(劣界、中位界、優界)等々と、仏教では表現していますが、有頂天はこれら有漏の世界での頂点の世界です。ですので、ブラフマンや梵天、天の父等と同じ次元の世界だろうと思います。

この世界は命の根源の世界ですと上で書きましたが、ここを自覚できると「アガペー」の意味の理解が起こると思います。つまりは、自覚できるという事です。

アガペー 無償の愛。神の愛。ですが、見返りを求めない、つまり、損得勘定ではない、愛の世界だという事です。(この世界には、損だ得だと言った相対的な概念が存在しませんから)

ですから、順番に表現すると、まずは相対的なこの世界観。ここでは苦しみや争い事が絶えません。次は神の処、有頂天、極楽等と表現されていますが、その相対的な世界を観ている世界です。この世界観では、最初は喜び=幸せ感で満たされます(有頂天と表現されています)が、次には、それを遍く知ると、平穏の状態(この境地が、アガペーです)に変化します。そしてそれをも超えた境地が、静寂の世界です。

なぜ、幸せを求めるのか?なぜ、幸せなのか?なぜ、最終が静寂なのか?なぜ、動揺するのか?なぜ、嫉妬するのか?なぜ、最初に沸き起こる感情のコントロールができないのか?なぜ、人は死ぬのか?なぜ、人は生まれるのか?全て、答えはありそうですよ。

少しではありますが、今まで私の疎い考察を綴ってみましたが、えぴめてうすさんも、近い将来「存在とは何か?」という問いも含めた、ご自身の井戸の中の全ての問題を解決できることを願っています。色々と考察してみてくださいね。以上です。

レスは不要です。

1年前 No.692

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん

>>692

 貴重なご示唆ありがとうございます。

 「存在への問い」については、このスレで勉強させていただき、自分なりの考えがまとまりましたので、よかったなと思っています。それが最終解決かどうかは別として、先を急ぐこともないなと思っています。

 私にとっては、他人の井戸の中を上から眺められる燕の視点ということは考えられません。ただ、自分の井戸にいながら、そのように想像することはできるというだけです。ですので、時さんの到達されたところに、私が到達することは想像すらできません。

 いまは、普通の世界について、考えたいと思っています。皆さんの議論が一段落したら、「世界平和は実現するか。 Part2」に投稿を始めようと思っているところです。

 なお、「存在への問い」は一段落ですが、「独我論」は未解決ですので、「独我論を乗り越える方法」でまたご意見いただければと思います。

 懐疑と思考は続けたいと思っていますので、よろしくお願いします。

1年前 No.693

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

SumioBabaさん、 http://mb2.jp/_tetsugaku/1016.html-1864の続きをこちらに書かせて戴きます。

> >>「何もない」の方は、それを認識する我々が発生しないからです。我々が発生して何かを認識するとき、必ず「何かがある」の方になります。こういうのを《人間原理》あるいは《観測者選択効果》と呼びます。(以下略)


> >だとすると、それが《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》の問いに対する答えの本質部分だと思います。ダブル・トートロジーは、この部分の回答を避けていますので、問いの本質を捉えた回答とは言えません。


>《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》という謎が、2つに分裂してしまっています。1つめは「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」。2つめは「「何かがある」と「何もない」の両方が起きたのだとすれば、なぜ我々は「何かがある」の方だけしか認識できないのか?」。1つめだったらダブル・トートロジーで解消です。2つめだったら《人間原理》《観測者選択効果》で解決です。


1つめの問いの意味がよくわかりません。私にはナンセンスな問いに思えます。なので、2つめの問いの方の回答が本質的な回答だと思いました。

1つめの問いをナンセンスだと思う理由を以下に述べます。
「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」

ここでいう「「何もない」の方が起きる」というのはどういう意味でしょうか?
単純論理的に考えるとそれは「「何かがある」の方が起きない」と等価になります。
これを元の文に代入すると、
「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きなくなかったのか?」
となります。
後ろの二重否定文を肯定文に直すと、
「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きたのか?」
となり、前の文と後ろの文が一致します。
故に後ろの文を省略して
「なぜ「何かがある」の方だけが起きたのか?」
となります。
もっと省略して書くと、
「なぜ「何かがある」が起きたのか?」
「なぜ何かがあるのか?」
となります。
ダブル・トートロジーでは、
「なぜ何かがあるのか?」に対する答えは「何かがあるから」ですから、言っても言わなくても一緒です。

以上のことより、Babaさんの1つめの問いとそれに対する解消法は、あってもなくてもよいようなものです。※

※誤解なきように付け加えさせて戴きますが、ダブル・トートロジーが無意味だと言っているのではありません。多世界解釈に基づき世界の在り方をそのように捉えるなら、それに対する説明の仕方として有効だということは認めます。しかし、この例では、分岐したもう一方の世界は「無い」のですから、これにダブル・トートロジーを適用するのは意味が無いように思えます。(言葉遊びのように思える という意味です。)


※※Mobiusは、1つめの問いの深淵がわからない愚か者(もしくは子供)だと捉えて戴いて、その子供に教えるつもりで教えて戴けるとありがたいです。私もできるだけ失礼にならないように心掛けます。

1年前 No.694

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>694  Mobiusさんへ

>1つめの問いをナンセンスだと思う理由を以下に述べます。

>「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」


>ここでいう「「何もない」の方が起きる」というのはどういう意味でしょうか?

>単純論理的に考えるとそれは「「何かがある」の方が起きない」と等価になります。

>これを元の文に代入すると、

>「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きなくなかったのか?」となります。

>後ろの二重否定文を肯定文に直すと、

>「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きたのか?」

>となり、前の文と後ろの文が一致します。

>故に後ろの文を省略して

>「なぜ「何かがある」の方だけが起きたのか?」となります。

>もっと省略して書くと、

>「なぜ「何かがある」が起きたのか?」

>「なぜ何かがあるのか?」

>となります。

>ダブル・トートロジーでは、

>「なぜ何かがあるのか?」に対する答えは「何かがあるから」ですから、言っても言わなくても一緒です。

>以上のことより、Babaさんの1つめの問いとそれに対する解消法は、あってもなくてもよいようなものです。※


 量子力学では確率が入って来るので、ちょっと違います。「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」は、「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」の意味になります。

1年前 No.695

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>695 SumioBabaさん、

<疑問1>
なぜ唐突に量子力学の話になるのか、話の脈絡がわかりません。


<疑問2>

>「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」


確率が0で無ければ 何かが起きても不思議ではありません。だから、「“何かがある”が起きたこと」を以て「確率が1であった」とは言えないのではないでしょうか?

だから、正しくは、
「なぜ「何かがある」が起きた確率は、0ではなかったのか?」
だと思います。

また、「確率が0か0以外か」を論じるのであれば、確率で論じる意味がありません。なぜなら、確率は量を論じて初めて確率としての意味を持つからです。

<疑問3>
あなたの信奉する「多世界解釈」では、観測対象と観測者が同じ確率で分布してしまうのですから、確率は論じ得ない(観測者からは語り得ない(どの観測者にとっても存在確率は1な))のではないでしょうか?

だとすると、「“何かがある”が起きた確率を1とするのは、多世界解釈の定義上 そうみなしているから」ということになりはしないでしょうか?

以上です。

できれば、<疑問1>にお答え下さい。
<疑問1>がわからぬまま<疑問2><疑問3>に進んでいますので、<疑問2><疑問3>は的を外している可能性が高いです。

1年前 No.696

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>696  Mobiusさんへ

><疑問1>

>なぜ唐突に量子力学の話になるのか、話の脈絡がわかりません。


 SumioBabaの解決方法は、これまで古典物理学の常識とされてきた「素朴実在論」「科学実在論」の立場では解けなかった《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》を、量子力学の考え方を利用して解決してみようというものだから、です。

><疑問2>

>「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」

>確率が0で無ければ 何かが起きても不思議ではありません。だから、「“何かがある”が起きたこと」を以て「確率が1であった」とは言えないのではないでしょうか?

>だから、正しくは、

>「なぜ「何かがある」が起きた確率は、0ではなかったのか?」

だと思います。

 いや、そういう意味ではなくて、《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》と問うている人は、勝手に「「何かがある」だけが確率1で起きた」と思い込んでいて、それゆえ「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」と問うてしまっているのではないか?、ということです。それに対するSumioBabaの解決方法が、「いや、確率1とは限らないよ。「何かがある」も「何もない」も、両方起きている可能性が有る。確率の値は不明なので、a「何かがある」+b「何もない」(aとbは不明)が起きたのだ、と考えれば、ダブル・トートロジーで謎は解消するよ。」です。「何かがある」の確率が|a|^2、「何もない」の確率が|b|^2になります。

><疑問3>

>あなたの信奉する「多世界解釈」では、観測対象と観測者が同じ確率で分布してしまうのですから、確率は論じ得ない(観測者からは語り得ない(どの観測者にとっても存在確率は1な))のではないでしょうか?

>だとすると、「“何かがある”が起きた確率を1とするのは、多世界解釈の定義上 そうみなしているから」ということになりはしないでしょうか?


 そうです。だから、自分は「何かがある」を確率1で認識しているように感じているからといって、「何かがある」だけが確率1で起きたとは限らない、ということです。そしてSumioBabaの解決方法は、「「何かがある」が確率1で起きたのではなく、a「何かがある」+b「何もない」(aとbは不明)が起きた」です。

1年前 No.697

宿題 ★hxYn2UbX46_08J

何故無は存在しないのでしょうか?

何故0で割ることが出来ないのでしょうか?

それは無は0でも無くマイナスでも無いからです。

「1は1以外に他にない」のにAはαでもあります。

AはAでありαでありオメガでもあります。

1年前 No.698

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>697 SumioBabaさん、

> ><疑問1>

> >なぜ唐突に量子力学の話になるのか、話の脈絡がわかりません。


>SumioBabaの解決方法は、これまで古典物理学の常識とされてきた「素朴実在論」「科学実在論」の立場では解けなかった《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》を、量子力学の考え方を利用して解決してみようというものだから、です。


了解しました。“量子力学”は、前提なのですね。
そうなると、「ある」「ない」の定義が従来とは変わってきそうですね。

そうなると「量子力学でいうところの『ある』とは何か?」の定義を明確にする必要がありますね。
でも これには いろいろな流派がありそうですね。

で、流派ごとに定義が異なるのでしょうね。
中には、流派同士で相矛盾する定義が含まれていたりするのでしょうね。
そうなると、流派同士の争いというのもあるのでしょうね。
それぞれの流派にはそれぞれの“妥当な言い分”というのがあるのでしょうね。
だから どの流派も「一理ある」という状態なのでしょうね。
なので、決定打がないので、色々な流派に分かれているのでしょうね。

こういう状況は宗教にも似ていますね。宗教にも色々な宗派がありますから。

観測によって確かめられないと、色々な流派が発生してしまうのは止むを得ないですね。

すみません。だらだらと書き過ぎました。
見ていただいた通り、まだ何も進んでいません。

(今、ベルの定理について調査中です。)

1年前 No.699

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

一般に 物理学における「ある」とは、「相互作用が確認される」という意味だ。
例えば磁力。目には見えないけど、方位磁針を南北の方向に向けさせる力が働いているのを確認できているので、「磁力は存在している」とみなされる。

SumioBabaさんの説明による「ある」は、「存在確率1で局在している(位置が決定)」という意味のように思える。
なので、「存在確率が1未満で散在している(位置が不定)」の場合は、「“ある”と“ない”の重ね合わせ」と表現しているようである。

私は、冒頭の通りに考えていたので、SumioBabaさんのいう「“ある”と“ない”の重ね合わせ」は、私の言い方だと「ある」となる。

この辺の言葉の使い方を揃えないと意味が通じないので、注意する必要がある。
(ただ、揃えなければならない事柄は、これだけではないと思う。)

1年前 No.700


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