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存在を問う

 ( 哲学掲示板 )
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★Gc8HjmXH4j_BiB

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英語:Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形、

「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」
「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」
「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」

などの形でも問われる

4年前 No.0
メモ2019/11/06 20:40 : 優鬼★uJcaHEY0RF_g5X

・「真であるか、または偽である」を「真かもしれないし、偽かもしれない」と、可能性があるように表現するミスリード

・真理値を0か1のどちらでもよいとすることで、命題を肯定系でも否定形でも表現できる作為性

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宿題 ★5n9Jhh5DYh_NOj

私の見解は狭いかもしれませんよ・・夢でうなされるから無意識について考えただけですから・・

しかし陰陽師のお札をはってから、苦しまないのが謎です。

3年前 No.101

うさぎ ★kTn622sHGL_UHY

私は、何故に事物が「何もないのでなく在るのか」の答えは意識・無意識というより、時間だと思う。

それも、公共的時間でなく個人的な時間だと思う。「時間が有るから事物が在る」と。

3年前 No.102

気まぐれ ★FNtJzmhCHW_Mf2

>>102  うさぎさん

時間に関して私は、時間は認識の形式であると思っています。
時間があるから物事が在るのではなく、物事を認識する際に時間という形式を用いるのだと考えています。カントですね。

3年前 No.103

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

存在がただそのままであり続けないのは時間があるから。

変化の方向性は?すべて無に向かっているのではないか。死、熱力学第二法則。
一方向性。無→有はあり得ない、だから有→無しかない。無は終わり。

無に近づく、無になる?無から存在が再び生じることはない。無になれば、そこから先はない。
方向性があるなら、元に戻ることはない。無に近づいたとしたら、そこから引き返すことはできない。だから、無に近づく→無になる(極限)。

3年前 No.104

宿題 ★5z6bVAmgS3_91p

唯物主義の人は、時間と空間とかの思惟を超越する世界は、解らないと思いませんか?

3年前 No.105

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

量子力学はすべての力を量子の相互作用とする。ある意味、唯物主義そのもの。
物理学では特異点はわからない。ビッグバン(特異点)以前のことはわからない。

3年前 No.106

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

それ一番言われてるから。
http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html-847,854

3年前 No.107

宿題 ★5z6bVAmgS3_91p

哲学の領域は、物質ではない、思惟を超えるような超範囲です。

3年前 No.108

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

無なんて偽りだ。どのレベルで観測するかという疑似問題に過ぎない。
人が死んでも、細胞は生きている。宇宙が熱的死を迎えても、原子は運動している。

3年前 No.109

宿題 ★5n9Jhh5DYh_91p

無は無いようでも在るのです、有るようでも無いのです。

3年前 No.110

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

デスノートを使えば無になれるらしいよ。レッツ思考実験。
僕が宿題の名前をノートに書く。宿題さんは心臓麻痺で死ぬ。でも無にはならず、天国か地獄に行く。
次に優鬼の名前をノートに書く。僕は死ぬが、天国にも地獄にも行けない。ノートを使ったため、無になる。
だが無になった僕は、無になったことを認識できない。死神は天国にも地獄にも僕がいないことを確認した後、「優鬼は無になった」とわかる。

3年前 No.111

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

これは「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を考えたときと似ている。この問いを突き詰めれば、存在とは何か?を考えることになる。そして自分以外の存在については知りえない。
無になったことを認識できる存在はない。「無になる」ということは、対象となる存在そのものがなくなることだから。

結局、不可知論かよ!

何かを延々と問い続ければ、どこかでわからないことに達する。「すべての存在」は、認識の範囲を超えている。
存在は全知全能ではない。人間が存在の始まりと終わりを理解しようなんておこがましいとは思わんかね。

3年前 No.112

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

以下の問いには、答えないで下さい。

>これは「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を考えたときと似ている。この問いを突き詰めれば、存在とは何か?を考えることになる。

どういう理屈で?
なぜ「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を突き詰めれば、「存在とは何か?」という問いになるの?

>人間が存在の始まりと終わりを理解しようなんておこがましいとは思わんかね。

本間先生?

>「すべての存在」は、認識の範囲を超えている。

では、「すべての存在」という言葉で、人間は何のことを考えている?

>何かを延々と問い続ければ、どこかでわからないことに達する。

そもそも分からないから問うのではないの?
或いは、「わからないこと」という単純な、名状しがたい存在にぶつかるということ?

「なぜ何かがあるのか、むしろ無ではないか?」という問いは、誰の問い?(ライプニッツ)
どういう文脈で言われた問い?

>無なんて偽りだ。どのレベルで観測するかという疑似問題に過ぎない。

ベルクソンの「置き換え」の理論?
例えば、何にもない寒村には、道があり畑がある。

無になった僕には、自己の認識の可能性が無いばかりではなく、自己の認識の不可能性が起こることもないのではないか?

>物事を認識する際に時間という形式を用いる

「時間」が「形式」?どういうこと?

無とは何?
この問いで問われているもの(無)は何?
この問いで問われているからには、無は存在するということ?
それとも、無は「存在する」とは別な仕方で存在するの?
天国にも地獄にもいないこと(生きていること)は、無か?

不可知論って何?

以上の問いには、答えないで下さい。

3年前 No.113

宿題 ★5n9Jhh5DYh_91p

優鬼さんの、おとぎ話で無になれると思えるのは・・悪魔に魂を売った人です。

悪魔に魂を売ると詭弁を信じます。

3年前 No.114

うさぎ ★kTn622sHGL_UHY

ナゼ何も無いのでなく何かがあるのか。なぜあるのか、の答えは出しようがない。A=Aとか

円の定義に等しいと思う。なぜ円は定義されるのか?等々と同じ問題なのである。

ただし、「私にとっては、それは無いかもしれない」は成立しうるといいたい。無は私にとってのみ

あることなのだから・・・・

3年前 No.115

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

>>113
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」という問いに「答えられない」という結論。
質問しておきながら「問いに答えないで下さい」という矛盾。

3年前 No.116

宿題 ★5n9Jhh5DYh_91p

>>116

何もないと言うのが嘘だからです。

3年前 No.117

てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

「なぜ何者かがあるのであって、むしろ何も無いのではないか?」という問いは、もちろん、「なぜ何者かがあるのか」と問いつつ、「なぜ何も無いのではないのか」と問うものだ。

この問う人の心境を想像してみよう。

「別に何も無くてもおかしくないじゃないか。なのに、何で何かがあるんだ?何かがあるっておかしい気がするな」という心境ではないか。
とすると、ここには二つの心境がある。まず、「無が当然じゃないか。なのに」という戸惑い。次に「何かが存在するってちょっと変だな」という違和感。

3年前 No.118

宿題 ★5n9Jhh5DYh_91p

自分の願望を真実と思い込みたいのですか?

3年前 No.119

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

疑問を持つことが哲学、答えを出すのが人生。

3年前 No.120

宿題 ★5n9Jhh5DYh_91p

優鬼さんの疑問は何ですか?

私の問は、魂の仕組みと行方を知りたいことです。

3年前 No.121

優鬼 ★8RIdSp0bmf_v95

ボケ防止じゃないのかよ!
じゃあなんでこんな話題に首突っ込んでんのよ?

3年前 No.122

てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

宿題さんの言葉は時々、私を動揺させ、より戻す。

では客観的に行ってみよう。

>>0 はWikipediaからの引用である。私も同じ記事のところから引用しよう。

>自然学者として論じるのではなく、形而上学者として論じると、一般にはあまり用いられていない大原理を使うことになる。その原理とは「何事も十分な理由なしには起こらない」、言い換えると「どんなことでもそれが起こったならば、十分ものを知っている人にはなぜそれがこうなっていて別様にならないのかを決定するための十分な理由を示すことが必ずできる」というものである[注釈 3]。この原理を認めた上で、当然提出される第一の質問は「なぜ無ではなく、何かがあるのか」というものであろう。実際、何もなかった方が、なにかあるよりも簡単で容易であると言える。」


ちなみに、ライプニッツの元々の言葉は、

「Pourquoi y a-t-il quelque chose plut□t que rien?」

らしいですよ。

なぜ、存在するのか、何らかの事物が、無ではなく?

皆様に質問してみたいが、

>何もなかった方が、なにかあるよりも簡単で容易であると言える


という感覚はありますか?

この感覚は、私にとっては訳が分からないものです。

もちろん、この問い自体も変な問いだと思うが、この問いが発想されたのは充足理由律(根拠律)からである、ということには、先ず、目を向けねばならないと思われる。根拠律と同じ発想で、この存在への問いは発せられているだろうからだ。

答えを出そうとする前に、どのようなことを言えば答えになりうるかとか、そもそもこの問いって何を問うものなのかとか、この問いを分析してみよう。

3年前 No.123

てじ @flyonbody ★iPhone=HlJ2JlAFDg

>>121
なぜ、疑問を持つことが哲学なのですか?

3年前 No.124

ぞう ★k1gKxbZrup_NOj

このスレ、120発言も越えて、"Ontologie"のオの字も出ねえってのはどういうわけだ。

3年前 No.125

神様 ★ifi29bygzc_yoD

なぜ自分は存在するのか?
ということだな。

3年前 No.126

宿題 ★5n9Jhh5DYh_91p

何故私は私であると思うことができるのでしょうか?

3年前 No.127

神様 ★ifi29bygzc_yoD

脳内の記憶と一致するとき、見る物が、存在感をもって、なまなましくみゆる。

それが たび重なって 自分という存在感が あるのでないか。

 小林秀雄「無常と言うこと」の最後の文章に、今の人間は鎌倉の生女房(なまにょうぼう、尼さんとかではなくて普通の女という意味か)

ほどにも、無常と言うことが分かんなくなっている、それは常なるものを見失ったからだ、なんてこと書いてるが、この

<常なるもの> とはなにかだな。

  ヘルマン・ヘッセだったか なんだったか、若者がでっかい夢を抱いて都会に出ていき、結局、失敗し、失望の果てに故郷に帰ってくる

そこに待っていたのは、いつもと変わらぬ、昔の故郷の風景だった、これが若者をふたたびやる気を起こさせた・・・・・

なんてゆぅのがあったが、風景なんてものは そぉ簡単に変えちゃいかんもんだな。金儲けのために田んぼを掘り崩してくだらん建物とか立てたりして

それは自分自身を掘り崩してるのといっしょだね、 風景だけじゃない、家族ってものは、たとぃ身障者のゴクツブシであろうが、生きていて欲しいと

願うものだ。 イノベーションとか、斬新な発想とか、改革とか、現代ってのは <常なるもの>を 叩き壊す時代だな、自分自身をたたたき壊してるのだ。

3年前 No.128

宿題 ★5n9Jhh5DYh_91p

>>128

神様
小林秀雄の歴史が美しいと感じるのは、過去が動じないから・・と言うことで

動じない美しさを淡々と述べられていたような・・(記憶違いなら申し訳ありません)

3年前 No.129

気まぐれ ★FNtJzmhCHW_IdS

>>7 で「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」はある種の疑似問題ではないかという提起がされている。
私もそのように感じるところがある。

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いは存在するから問うことが可能になるのであり、存在しなければこの問い(すべての問い)は発生し得ない。
問えるということは存在していることを示すのだから、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」と問われたら、存在しているからだと答えるしかない。とどのつまりは在るから在るのだということである。
存在に理由を問うても無駄だ。理由というものは存在から生ずるのだから順序が逆である。理由があるから存在するのではなく存在するから理由という概念が生ずる。

では、存在するとはどういうことか?

独我論は一見馬鹿げた論に思える。しかし、あれは存在の仕方についての問題提起だと思える。
私と他者の存在の仕方は異なっている。普通は私が感じているこの存在感を、他の私(他者)も同様に感じているのだと受け入れて私と他者を同列化することによってその差異を解消する。
独我論者はその同列化を受け入れない。受け入れるだけの根拠が見当たらないからであろう。私が感じているように他者の感じを感じることができないからだ。
存在にはこの存在感という奴が重要な意味を持つと思われる。

3年前 No.130

気まぐれ ★FNtJzmhCHW_IdS

なぜ何もないのではなく何かがあるのか?と問うてしまうのは、我々が時間を生きているからかもしれない。
時間の中で事物は生滅を繰り返す。人間にはこのことに虚しさを感じる傾向がある。他のスレタイにあるように、どうせ死ぬのになぜ生きる的なアレである。
なぜ何もないのではなく何かがあるのか?という問いにもこの虚しさが作用しているのではないかと思う。そしてその虚しさを隠すように客観化しているのではないだろうか?

これは根拠のない感想である。

3年前 No.131

宿題 ★5z6bVAmgS3_91p

我思うゆえに我あり。・・なぜ思うのか?

3年前 No.132

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>130
 充足理由律って言葉を知っていますか?

 nihil est sine ratione. (何者も理由なくしては存在しない。)

 以下は、 >>123 で引用したライプニッツの言葉です:

>自然学者として論じるのではなく、形而上学者として論じると、一般にはあまり用いられていない大原理を使うことになる。その原理とは「何事も十分な理由なしには起こらない」、言い換えると「どんなことでもそれが起こったならば、十分ものを知っている人にはなぜそれがこうなっていて別様にならないのかを決定するための十分な理由を示すことが必ずできる」というものである。

>この原理を認めた上で、当然提出される第一の質問は「なぜ無ではなく、何かがあるのか」というものであろう。


 「この原理を認めた上で」と書かれている。この問いの背景には、こういう事情があるわけです。

 そしてこの事情なくしては、この存在の問いは、バカみたいな問いでしかない。
充足理由律と呼ばれるようになった原理を認めた上でこそ、この問いは問いになる。


 しかし、
「薔薇は何故という理由もなく咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。」(シレジウス)
「無は根拠なしに存在する」(nihil est sine ratione. )
といった言葉もある。

 だが、これは問いへの答えではない。存在の問いへの答えというのは、出したら問題解決というものではない。
問うこと自体が、課題になるぐらいの、形而上学的な問いです。

  >>130  の「存在する」には主語が欠けている。単に文章的に主語が欠けているのでなく、何についても語っていないという意味で、「実体」がないのだ。

 「なぜ何かがあるのであって、何もないのではないのか」という問いは、「について語る」ということの最たるものです。なぜなら、物事がなぜそうなっているのかの理由を多く知る人は、そういった様々な物事について語るとき、自分が何について語っているかをよく知っている人だからです。

>自然学者として論じるのではなく、形而上学者として論じると、一般にはあまり用いられていない大原理を使うことになる。その原理とは「何事も十分な理由なしには起こらない」、言い換えると「どんなことでもそれが起こったならば、十分ものを知っている人にはなぜそれがこうなっていて別様にならないのかを決定するための十分な理由を示すことが必ずできる」というものである。

3年前 No.133

宿題 ★5z6bVAmgS3_91p

>>133

予期意識の本質的様態は想像作用(Phantasierung)である・・

絶対意識で本質が見えるらしいです。

3年前 No.134

気まぐれ ★FNtJzmhCHW_IdS

>>133

「ない」は「ある」の否定形として「ある」から。「ある自体」がなければ「ない」もない。
これは「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」の理由になりませんか?

3年前 No.135

うさぎ ★Tablet=Jz4o2V6epA

般若心経で色即是空というのがある。すべては空かもしれない、、、は個人としては成立する

だろうが、複数人では成立はしないとおもう。つまり存在と無を決めるのは個人であるから。

3年前 No.136

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

なぜ何もないのではなく何かがあるのか。


「何もない」といえるためには、そもそも「何もない」とも言えない状態でなければならない。
財布を無くした時のことを考えてみよう。
そもそも財布なんて所持もしてないのに、財布を探すという行為は意味をなさないだろう。
これと同じだ。
つまり、存在するとは、「存在」に対する問いが成立するということだ。

3年前 No.137

うさぎ ★Tablet=Jz4o2V6epA

存在するとは、私の知覚である。その知覚がなければ、存在するといえるだろうか?

つまり、存在とは私の知覚であるが故に「無いかもしれない」も個人にとっては成立する。

3年前 No.138

メダカ ★YyDBi4y4k9_91p

自然と云うのは色んな可能性が無作為に試されるんだと思う。
そうして出来たもので、より環境に適していたり、より壊れ難かったりしたものが、その構造を保持し、更に複雑で高機能なモノへの変遷を許させる。

機能と云うのは構造性の性質だから、天然の物質の中でダイヤモンドが一番硬いとしたら、その構造性・正八面体が素空間的な構造のモデルとして最も普遍的で不変的な気がする。

この正八面体は、12本の辺からなり、2本ずつが平行の関係にあって、全部で6組ある。
つまり、6次元と云う事が出来る。・・・素空間の構造

また、この正八面体には6つの頂点があるが、その向かい合う頂点どうしを結びと、3本の対角線が出来る。
つまり、3次元と云う事である。・・・電磁力

3年前 No.139

うさぎ ★kTn622sHGL_UHY

宇宙は無限であるとか言われる。そんな大宇宙にはどこかに中心があるはずであるが、その中心は自分・私・我

であると言ったら異常でしょうか?私にはそれは否定できないと思いますが、、、、

3年前 No.140

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

>>140

>宇宙は無限であるとか言われる。そんな大宇宙にはどこかに中心があるはずであるが、その中心は自分・私・我


どうしてそう思われたんですか?

3年前 No.141

うさぎ ★TTcLo8rHAi_UHY

>141

私自身の知覚及び認識主体からそう思わざるをえないからです。誰か17歳の男子がそう思ったからと言って

他人は(その男子の母親でさえ)否定も肯定もできないと思うからです。むしろ否定はできないのでは?

3年前 No.142

優鬼 ★8RIdSp0bmf_JTu

観測できないからと言って、思考を放棄するのは気が引けてきた。

一つ、考え違いをいていたことがある。以前すべての物質がなくなっても法則は存在するのかと問うた。明らかに存在するだろう。
ビッグバン以前から法則は存在した。でなければビッグバンは起こりえないだろう。
宇宙からすべての物質がなくなっても、エネルギーがある限り対生成する。

ここでいう「存在」という言葉に、法則や理論という抽象的存在が含まれていることが、議論をわかりにくくしている。

3年前 No.143

優鬼 ★8RIdSp0bmf_JTu

ところでなぜ存在の終わりがこんなにも気になるのか。
「始まりがないのならば、終わりもまた存在しない」という対称性。しかしこの対称性には根拠が見いだせない。
もし終わりが存在すれば、存在そのものが不可逆ということになる。存在が終わったら、無しか残らない。そのあとまた存在するようになる、ということはありえない。

3年前 No.144

優鬼 ★8RIdSp0bmf_JTu

なぜ宇宙というものがあって、私はその中にいるのか?何の理由もなく、説明もされていない。すべてのことには理由があり、理由なく存在してはいけないという根拠なき問い。
今ある宇宙を作りだした法則を生み出したメタ法則については何もわからない。世界五分前仮説よろしく、この宇宙が五分後に消滅する可能性も否定できない。

3年前 No.145

濃霧 ★19txCj2bg8_mNx

こうしたテーゼで忘れられているのが
意識ではないでしょうか?
乱暴に言えばある存在が存在したとしてその存在を認識できなければ
存在と言えますか?

あーこうかくと誰も認識してないけど存在しているんだと
言われる方もあるかもしれませんが
それを言う御仁そのものがその存在を肯定しているだけであって
あまり賢い反論ではないと思います。

我々が日常接するモノや怒りや快感などの現象も意識下にあるということで
存在でしょう。

もちろん中を調べてスカスカでもです。

つまりスカスカが人間の脳と相互作用を行うことで

目の前には掴むとそれなりの重量を感じるコップがあったりするわけです。

あなたがたはもう少し存在という概念をシフトしたほうがいいでしょう。

かなり乱暴に結論付けますが

存在とはあるエネルギーがあってそれとの脳との相互作用にしかすぎないのです。

3年前 No.146

うさぎ ★TTcLo8rHAi_UHY

存在の意味は私にはわからないです。ただ、その存在が私の意識のゆえに在るのか、意識とは関係なく在るのかの
二通りの見方ができると思います。右が左を非難しても始まらない。

それらを私の心の外側(外的)に見るか心の内側(内的)に見るかで存在の意味が異なってくるのじゃないですか?
生後3ケ月の乳児なんかは予想ですが、事物を内的に見ているのじゃないだろうか?

もっと、さらに考えると「私」とは意識にとって内的か外的かが面白い。  なんか仏教みたいですが・・・

2年前 No.147

うさぎ ★TTcLo8rHAi_UHY

私が死んでも、この世は残るのか?   これの証明はどうやって行うのか? 私の疑問です。

上記のようにも考えられる、この思考は成立するのか?  私の居ない存在ってあるのかないのか??

2年前 No.148

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_pxp

うさぎさん、死んじゃだめだよ

2年前 No.149

わたし ★30JjgxOVKX_ZFe

うさぎちゃん、

あなたが親しくしていた人に死んだ人います?

2年前 No.150

うどん ★iPhone=i8iYr2iIPT

存在を問うことは、とても危険なことだと思う。
ひょっとしたらそこで、ことばを失い、語るべき何ものも持たないかもしれない。
でもそれは思考しつづけた人にとっては喜びかもしれない。
もっと単純に、存在なんて問うていたら、生活ができない。
日々忙しなく労働に身をやつすことで、糧を得て、ぼくらは暮らしている。
そこで手もとにある存在が目立ってきては、仕事にならない。

ふつう、問うことは問われるものに導かれている。
問われるものは彼方でぼくらを魅了する。
でも存在を問うことだけは違う。
存在の問いは、存在が存在を問うことだ。
存在はあくまでも「身近」にあり、彼方にはない。
だから、底なしの循環に落ちてゆき、無が具体的に不安となって現れるのかもしれない。

ここまでのつぶやきは、ハイデガーから学んだことの一部に過ぎない。

ハイデガーはそれでも存在を問おうとする。
なぜ?
ぼくにはまだわからない。
ハイデガー自身も存在の意味という彼方に導かれていたのだろうか。
そう問うことが侮辱に値するほど、彼の思考には底が見えない。
存在が存在を問うというのは、狂気のなかにいながら、マトモであることだと、今の段階ではそう思う。

2年前 No.151

うさぎ ★TTcLo8rHAi_UHY

色即是空というからにはこの世の存在はすべてが空かもしれない。 それも考えられるのでは?

ただし、それは「私にとって」だろうが、、、これが、太平洋戦争の特攻隊なら「みんなにとっての空」だろね。

日本人は空無が大好きで、みんなの国民的空論が展開された。 世界中の笑いものになったけれど・・・・

2年前 No.152

わたし ★30JjgxOVKX_ZFe

うさぎちゃん、〈世界中の笑いものになったけれど・・・〉?

好奇心

オリエンタリズムってうのもあるみたいだけど。

2年前 No.153

今日人 @shrapit ★Android=EYNWzMb3kY

こんだけ哲学が進んでも >>147 みたいな単純な問いも最終結論が出ないんだなあ。達成感がないよな。それが面白いんじゃ仕方ないけど。

2年前 No.154

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>>154
結論は明らかなんじゃない?
それは、意識する前と意識した後の存在は異なるということ。
意識する前の存在を意識する事はできないし、
意識している存在があるとすればそれは意識する前の存在ではない。

唯心論の誤り:意識する前の存在がないとしている点(存在前存在の不在という誤った主張)
唯物論の誤り:意識する前と意識した後の存在が同じだとしている点(意識の不在という誤った主張)

よく知らないけど、今の哲学って、この程度のこともわかんないんだっけ?

2年前 No.155

今日人 @shrapit ★0FtEoBvIOA_dB9

>>155
おれは全然詳しくないから知らないんですけど、最終結論っていうのは、認識されない存在はあるともないとも言えないってところなんですかね。
でも認識って何なんでしょう。ニュースで見たら認識なのか、それとも実際に見たら認識なのか。

2年前 No.156

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>>156
>認識されない存在はあるともないとも言えない
ないというと唯心論が正しいから、あるとしかいいようがない。
それは、証明可能だと思うけど、面倒だと思う。

>ニュースで見たら認識なのか、それとも実際に見たら認識なのか。
「あなたはニュースを認識していない」というニュースを認識する事は可能か?
というと、不可能なので、ニュースで事象を認識するとき「事象」そのものではなく「ニュースが指す事象」としてしか認識できない。
実際に認識するときも、たとえばある事象を実際に見たとき、「事象」そのものではなく、「見た事象」としてしか認識できない。
知覚の問題は認識と深く関わっているけど、本質的には認識は知覚ではない。

2年前 No.157

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

だから実際に認識できるのは、「事象」そのものではなく、「認識した事象」だということ。
「事象」そのものは、認識していないのだから、認識できない。

2年前 No.158

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

事象を認識されない存在、と置き換えれば、「認識されない存在」そのものは存在しない。また、「認識される存在」そのものも存在しない。
「認識された「認識されない存在」」としての「認識されない存在」は存在する。

「認識されない存在はあるかないか?」という命題における「認識されない存在」というのは存在するが、
「認識されない存在」そのものは存在しない。
なので、この問いには、「ある」と答えるしかない。「ない」と答える事はできない。

2年前 No.159

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

「空飛ぶスパゲッティモンスターはいるかいないか?」という問いに対して、
「いる」と答えるしかない。「いない」と答える事はできない。

2年前 No.160

今日人 @shrapit ★Android=EYNWzMb3kY

>>159
認識された認識されない存在っていうのはどういうこと?
そらとぶスパゲッティモンスタがそのことなんだろうけど…スパゲッティモンスタっているの?俺は見たことないんだけど…「存在する」ってずっと同じ意味?存在するって世界に在るってことだよね。

唯心論になっちゃうからだめってなんで?よく知らないけど死んだら世界はなくなっちゃうって分かりやすいけどな?

認識されない存在は唯心論ではないと言うからあるんだって変な論法じゃないかしらん。あるともないとも言えないでもいいんじゃない

ニュースだけど、
バーチャルリアリティならいかが

2年前 No.161

うさぎ ★Tablet=Jz4o2V6epA

>159

ヒコ太郎さんの言うことは分かるのだけれど、「有る無い」と認識と知覚のからみで

欠落しているものがあります。それは、「私にとって」です。みんなにとって有ると無いではない。

存在するしない、は「みんなにとって」ではなく「私にとって、、、、」なのです。

2年前 No.162

今日人 @shrapit ★Android=EYNWzMb3kY

ああ?物自体はわからないけど、ボールはわかるよって意味か!んでスパゲッティベアーはどうなった?ここはよくわからない

2年前 No.163

うさぎ ★Tablet=Jz4o2V6epA

私は、それら(事象)を鮮明に知覚し、認識する。(ただし、私の観念として)という括弧書きが

必ず附随する。それゆえに、存在とは私の観念であり、私の唯心である。

2年前 No.164

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>>161
>唯心論になっちゃうからだめってなんで?よく知らないけど死んだら世界はなくなっちゃうって分かりやすいけどな?
死んだら世界がなくなっちゃうというよりも、死んだらなくなる世界ははじめからないということ。
唯心論になっちゃだめな理由は、心を自明のものとしているから。

>>164
>私は、それら(事象)を鮮明に知覚し、認識する。(ただし、私の観念として)という括弧書きが

>必ず附随する。

必ずしも付随しない。

>存在とは私の観念であり、私の唯心である。

存在は観念ではない。例えばあなたがリンゴを見たとき、それを自分の心だと思うだろうか。
それが自分の心ならば、なぜあなたはそれを「自分の心」ではなく「リンゴ」と認識したのだろうか。
それを考えれば唯心論がいかにぶっとんでるかわかるはず。

2年前 No.165

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

私には、唯心論を唱える人と、電波で宇宙の意志を受信する人の違いがわからない。

2年前 No.166

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

認識するという事は存在するという事だが、
認識しないという事は存在しないという事ではない。
あなたの知らないことなんか、世の中にいくらでもある。

2年前 No.167

今日人 @shrapit ★Android=EYNWzMb3kY

なぜスパゲッティモンスターが存在するのか教えてください。すごく興味があります。
あと、現象学の立場と唯心論の立場の違いはなんでしょう。
ご教示いただけると幸いです。

2年前 No.168

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>>162
みんなにとって存在していれば、私にとって存在していなくても存在する。

2年前 No.169

うさぎ ★Tablet=Jz4o2V6epA

マジでヒコさんと対話したら、楽しいとおもう。(笑

これは、哲学らしい議論ではあるが「哲学史」を2〜3冊読めば観念論がなぜ発生し発展してきたかが

わかります。現象学や実存はなぜ生まれたのでしょうか?理由は簡単です。我と観念です。

存在とは「みんな」でなく「わたし」なのです。つまり、存在とはワタシなのです。

2年前 No.170

今日人 @shrapit ★Android=EYNWzMb3kY

直感的に >>166 が重要な論点のように思われました。詳しくお聞きできませんか。

2年前 No.171

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>なぜスパゲッティモンスターが存在するのか教えてください。すごく興味があります。
スパゲッティモンスターではありません。空飛ぶスパゲッティモンスターです。
空飛ぶスパゲッティモンスターが存在すると言っているのではなく、
「空飛ぶスパゲッティモンスターは存在するか?」という問いに「存在する」と答えなければならないということです。

>現象学の立場と唯心論の立場の違い
現象学とは何でしょうか・・・

2年前 No.172

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>>170
それは哲学が「わたし」が考えるものだからそうなるのであって、
「みんな」で考えたことは哲学ではないからです。
「哲学史」ではそうなのかもしれませんが「哲学史史」でもはたして観念論が正しいといえるでしょうか?

2年前 No.173

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>>171
唯心論には自分しか存在しません。
だから、唯心論者は自分の意志が宇宙の意志だと思っています。
つまり、唯心論者は、「通常ありえない方法」で宇宙の意志を知っていることになります。

2年前 No.174

うさぎ ★Tablet=Jz4o2V6epA

173さん

私は正しいとか真理とかで、物事を考えません。山道で道に迷った時、途中で道が別れ(右側

と左側)ていたばあい、どちらの道を行くかは自由です。わたしは、日本人の9999人が右側

を選んでもたった一人だけ左側でもかまわない、そういう考え方もあるということ。

それは、有るのでなく、有らしめている、、、、という唯心かな。

2年前 No.175

百理 ★5z6bVAmgS3_dB9

うさぎさんは、倫理の教科書を読んだことがありますか?

うさぎさんの作文は私小説の分野ですよ・・

2年前 No.176

うさぎ ★Tablet=Jz4o2V6epA

コピペの百理さんヤスパースはどう言ってるの?
ししし真理ですか?倫理社会の事典はなんて書いてあるの?コピペ開始!ググリ開始。

2年前 No.177

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>>175
ディズニーランドでそのような光景を目にしたことがあります。
右に行く道をあらしめているのはあなたの心ではなく「ファストパス」です。
左の人からしたら、たまったもんではありません。

2年前 No.178

百理 ★5z6bVAmgS3_dB9

うさぎさん

小学生なら許します・・

2年前 No.179

今日人 @shrapit ★Android=EYNWzMb3kY

>>172
スパゲッティパラダイスマンですが、それは唯心論に陥らないためにってことで、ない、とは言えない。つまり、あると言うか、あるともないとも言えない、の選択肢があるわけです。
しかし、そこであると言わなければならんのはなぜなんだろう。
唯心論はきっと矛盾があるんだと思うわけですが、どんな矛盾なんでっしゃろ。
現象学はフッサールです

2年前 No.180

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>あるともないとも言えない
政治家みたいですね。ないのではないのでから、二重否定で「あり」ます。

>現象学はフッサール
唯心論と比較するなら唯物論ですよね。
対照的でないものを比較するときは、対照的になるような問いが必要です。
現象学と唯心論の違いは、問いが曖昧すぎて意味がよくわかりません。

2年前 No.181

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

>どんな矛盾なんでっしゃろ。
自分の心に嘘はつくと矛盾が生じます。

2年前 No.182

今日人 @shrapit ★Android=EYNWzMb3kY

言葉を慎まねばならないときもあるのでは、ということなんです。唯心論と現象学はとても近いように感じますがそのなかで差違はあるんだろうかという純粋な興味です。どんな嘘をつくんでしょ?

2年前 No.183

一京無限 ★YbYhTPu8yV_mgE



「なぜ宇宙があるのか?」→大宇宙の創造主の思念で宇宙を創造したと思います。

「なぜ世界があるのか?」→大宇宙の創造主が、世界を良しとされたからであると思います。

「なぜ無ではないのか?」→有る無しの無は、限定枠の時間・空間の場として、無し有るはあっても、
 大宇宙の創造主は、最初から原初の光の存在でありますので、原初より有る無しの無とはならない
 と思います。

2年前 No.184

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

今日人さん、
スパゲッティパラダイスマンではありませんよ。
空飛ぶスパゲッティモンスター(FSM)、です。
このような侮辱的発言を悔い改め、FSMを求めよ。
さらば与えられん。

2年前 No.185

ヒコ太郎 ★agBjffSqMl_XWi

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
(新約聖書〜マタイの福音書7章7,8節)

2年前 No.186

わたし ★30JjgxOVKX_ZFe

新約聖書によると以下のように言っている。

彼は”金が欲しい”と求める。お金になるものを捜せ、そうだ!振り込め詐欺をしよう――見出した。私はお金が与えられた。
私はつかまりたくないから、つかまずかくまってくれるところを捜して門をたたいた――あけてもらった。

その後、彼がどうなったかは知らない。新約聖書では、この後、彼の運命はどうなるのか?


確かに、FSMは問題だ。特に白のポロシャツには。

2年前 No.187

百理 ★5n9Jhh5DYh_dB9

わたしさん

広き門より入る道ですね・・

「狭き門より入れ」とは・・どういう意味なのでしょう?

2年前 No.188

うどん粉 @levinas ★gVURwKBNCQ_Nu2

雑感。

「存在を問う」とは、すでに生からの離脱を前提としているのではないか。
存在はただ茫漠とそこにあるのではなく、ここに生きられるのではないか。
眼前存在と実存の区別は、やがて存在一般へと解消されるものではなく、
根本的に次元を異にしているのではないか。

享受の次元を離れた運動などないのではないか。
つまり、「純然と眺められる運動」というのはないのではないか。
それはすでに神の目を前提としている。
けだし、近代は神の目から眺められた世界を前提としている。

しかし、素朴な生を出発点とすべきではないか。
したがって考えるべきは、「我思う、ゆえに我あり」の意味である。
この命題にはすでに、一種の反省作用が働いている。
驚くべきことに、私たちはこの反省作用を介してはじめて、自らの存在を自覚するのである。

しかし、たしかに私たちは自覚などせずとも、すでに自分の存在を理解してしまっている。
ただその場合、それは被投的投企を介して、世界内存在として理解しているのである。
まだ存在一般へと至っているのではない。
しかし、存在一般へと至ることなどできるのか。至る必要があるのか。

日本語には、世界内存在という語をより短く表す語がある。
それは「いる」である。
「いる」という語には、すでに一定の場所にはまり込んでいるという内容が含意されている。
「いる」とは住まうことであり、滞在することである。
どこに。それは世界にである。
「駅の構内にいる」、「彼の傍らにいる」などというとき、
そこにはすでに、一定の「親しまれた」世界にはまり込んでいることが含意されている。
さらに私は、パソコンを見て「いる」し、文字を打ち込んで「いる」。文章を読んで「いる」。
ここにはすでに、世界内部的な存在が適所性として開示されている。
眼前存在もまた、場所にはまり込んでいるのである。
ただし、これらがはまり込んでいるのは世界なのだろうか。

けだし、理解というのは、
「私はある」という理解ではなく、「私はいる」という理解ではないか。
「私はある」という理解はすでに、脱自的である。
そこに暗に、純然と眺められる存在、神の目が前提とされてはいないか。
私は決して、世界を俯瞰できない。
なぜなら私はすでに、ここに生きて「いる」からである。
すでに世界にはまり込んで「いる」からである。

存在はただ茫漠とそこにあるのではなく、ここに生きられるのである。
この主張をなすには、入念な準備が必要だろう。

2年前 No.189

百理 ★5z6bVAmgS3_dB9

意識というものがただの物理的作用かそれとも医学の立ち入れない魂の領域があるのか? にいきつきます・・

2年前 No.190

うどん粉 @levinas ★gVURwKBNCQ_Nu2

>>190

意識というものをただの物理的作用とみなす考えは、すでに神の視点を前提としています。

その考えでいくと、死んでもなお物理的作用は残ることになります。

というのも、私が死んでも、神がなお私の死後の物理的作用を見ているからです。

ここでその考え方を否定するわけではありませんが、

しかしそこには、素朴な生が欠けてはいないでしょうか。

生ははたして、物理的作用に還元できるのでしょうか。

大地は延長として私の下に置かれている以前に、私がそこで糧を得て、支えられて立つところではないでしょうか。

2年前 No.191

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★tC3lf28Gel_lAP

リビドーが生命力の動力源です。

2年前 No.192

百理 ★5n9Jhh5DYh_dB9

言語における一般の概念や原動力を対象とすることを超越して

対象化されない開明されない自己意識や神性という次元を超えた超越へと進入する働きが物理的な働きで可能でしょうか?

2年前 No.193

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★tC3lf28Gel_lAP

人間の持つ、神性については、権力者にとって、都合が良いものですから、つとに、我が国では、天皇の神性については、戦後、禁止されました。

精神医学で、称される、パラノイアに近い感覚だと想われます。(これ又、快楽の一貫だと分析されます。)

2年前 No.194

百理 ★5n9Jhh5DYh_dB9

アメリカの最新ニュースの事と同じことを言ってしまいますが・・

人間の脳みそに「医学の立ち入れない領域」があると思いませんか? (現在論争中らしいです)

2年前 No.195

うどん粉 @levinas ★gVURwKBNCQ_Nu2

>>193

物理的な働きで可能だった場合、それはもはや開明されない自己意識でも神性でもないと思います。

だから不可能だと思いますし、不可能でいいと思います。

はたして、そういった神秘に進入することが大事なのでしょうか。

むしろその隔たりを保ったまま、天を仰ぐという経験が大事な気がします。

2年前 No.196

百理 ★5n9Jhh5DYh_dB9

>>196

考えることを中止せよと言うことですか?

思惟できない世界までも考えたいのに・・

2年前 No.197

うどん粉 @levinas ★iPhone=i8iYr2iIPT

いや、そういうわけではないです。

すいません。

考えることは大事ですからね。

2年前 No.198

百理 ★5n9Jhh5DYh_dB9

うどん粉さんは・・脳みその中に「医学の立ち入れない領域」があると思いますか?

2年前 No.199

うどん粉 @levinas ★gVURwKBNCQ_Nu2

>>199

脳みその中に「医学の立ち入れない領域」はあると思います。

というより、
まさに今、私たちが見て、聞いて、感じる世界の「肌触り(texture)」を
科学は対象とすることができません。

したがって、
「脳みその中」という感じではないですが。

2年前 No.200


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