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存在を問う

 ( 哲学掲示板 )
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★Gc8HjmXH4j_BiB

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英語:Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形、

「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」
「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」
「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」

などの形でも問われる

2年前 No.0
メモ2018/07/04 20:08 : 優鬼★uJcaHEY0RF_Tzt
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★gxBzDJxPxd_XGK

>>656  ザビビのふくろうさんへ

>時さんなんか、井戸のたとえでおしまい、偉いですね(笑)


偉いでしょ?(笑)

ただ単に、難しいお話は分からないだけです。(笑)

2ヶ月前 No.657

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ザビビのふくろうさん

>>656

>私は、自身の立場としては、SumioBabaさんの立場には賛同していません。

それから言うと、公理Rを置くことには否定的です。
しかし、SumioBabaさんの立場を認める場合、したがってまたそれをきちんと理解しようとする場合には、別に公理Rを採っても構いません。

 誤解のないよう、再度申し上げますが、公理Rをその内容として置くべきと考えたのは私です。

>この形而上学的仮説の観点、すなわちメタ視点に立ってケース1の場合を見たら、

>>【問い】

 世界は、なぜ「何もない」のではなく、「何かがある」のか?
>が疑似問題として解消します。


 そうなるということはすでに分かっているのですが、作業の途中であり、思考の過程であることを伝えきれていないようで、残念です。いったい何の作業だということかと思います。私が結論だけ見て話を終わらそうとしていないわけですから、「話をどんどんややこしくしている」ように見えるのでしょうね。だから、そのご指摘になるのはわかります。
 私にとっては、明確にしたいだけなのですが、そこらへんの事情をザビビのふくろうさんに説明してわかってもらおうとするのは、互いに意味のない事のように思いますので、これ以上のご質問は控えさせていただきます。
 かみ合わないことばかり申し上げ大変失礼いたしました。

2ヶ月前 No.658

審判 ★ix1tJ4uSt5_Ew9

フクロウがもしスミオババとエピメテウスの議論に首をつっこみたいなら、両者の意見を順を追って理解してから参加すべきちゃうけ。参加することに意義があるわけないやろとは俺の口からはよう言わんけど、参加することに意義があると思うんやったらそれが最低限の礼儀ちゃうか。前にも言ったけどフクロウの指摘はだいぶんずれとるで。

2ヶ月前 No.659

俺、俺だよ ★iPhone=ftOOHJZc2E

世界の「存在」の問いが世界の「選択」の問いに変わってる!
なぜ「ある」のか、でなく、なぜ「こうある」のかに。
「かまたは」を使用することによる必然的なことだろうか。

2ヶ月前 No.660

俺、俺だよ ★iPhone=ftOOHJZc2E

それとも、実は「存在」の問いとは「選択」の問いなんだろうか。

2ヶ月前 No.661

審判 ★lY0hNGXxF8_Ew9

とはいえエピメテウスよ、スミオババに確認しつつの共同作業ではこれ以上の進展は無理ちゃうか。実際に議論は数ヶ月とどこおってたやろ。スミオババが試合とか言ってたから勝手に審判役してたけど、結局スミオババの目的は自説の布教で、試合なんてする気はさらさら無いねんから、目的を達成したいじょう、スミオババがエピメテウスとのさらなら議論に参加することはもう無いやろ。本人もそんな感じのことたしか言っとったし。ましてや自説が解体される可能性がある議論やったらなおさら手を貸したく無いのではなくって。こういう途中で議論を投げ出すような輩はスミオババ自身が批判してたんやけど、まあ無理に議論に参加する義務があるわけじゃないし。
エピメテウスはスミオババからの返答を諦めて、そろそろ次の段階に移るべきやと思うな。

2ヶ月前 No.662


えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

審判さん

>>662

 いつも私の投稿をよく読んでもらってありがとうございます。こんなごちゃごちゃした議論にお付き合いいただき、感動すら覚えています。
 「そろそろ次の段階に移るべきやと思うな」とのお言葉からして、このスレでの展開と進捗状況を正確に理解されていると思います。

 私のここでの姿勢と目標は、中学生の心でこの問いを考え、自分自身の納得を得るために思考を進めることでした。(≠布教、 >>560 の冒頭を参照ください。)
 そして、現時点で、私としては、SumioBabaさんはじめ、このスレで教えてもらったことなどを通じて、この問いに関する自分としての理解を得たと思っています。

 願わくは、普通の論文作成時にとられる「現状 → 先行研究の整理 → 先行研究に対する見解 → 結論」という展開で投稿して、いろんな方のご意見をいただいて、さらに理解を改善しようと思っていましたが、だれにとってもまどろっこしい自己満足的でわかりにくい迷惑な投稿ということになってはいけませんので、とりあえずこの辺で撤退しようとか思います。

 私の得た理解とは、少し >>560>>583 で書いたことの延長にあります。
 ただし、ザビビのふくろうさんが指摘された@「なぜ世界が存在するのか」とA「なぜ世界はこうなっているのか」の説明については、SumioBabaさんとは違い、@の説明とAの説明の二本立てとなります。とりあえず、@は、「何もない」を疑うところがポイントで(特に独創というわけはなく、ギリシャからあった考え方です。)、Aは常識的な姿勢で考えました。

 今後、別スレの「世界平和の実現」について所見を述べたいと思っており、それが済んだら、 >>560 で書きましたように、昨年10月以来に始めた独我論への疑問(別スレ)を再開しようと思います。(夏以降か?)

 このスレは、大変勉強になりました。皆さんありがとうございました。
 審判さん、ありがとう。またどこかでお会いしましょう。

2ヶ月前 No.664

審判 ★R7jZuFZamG_Ew9

:審判総評:
スミオババとエピメテウスの議論が噛み合ない場面が散見されたが、その原因は「宗教脳」と「哲学脳」の違いじゃないかと思う。

 一般的に人間は自分の信念(宗教)を崩さぬように異物を排除する。無意識に。信徒に神の不在を説いても聞こえないし、逆に無神論者に神の存在を説いても聞こえない。聞こえないから認識できない。認識できないから存在しない。神の不在を肯定する情報は逃さず収集し、神の不在を否定する情報は無意識に排除する。その結果、神の不在はさらに強固な信念に変わる。このような思考の傾向を「宗教脳」と名付ける。宗教を信じてるから宗教脳なんじゃないよ。わかるかな。ちなみにこれが普通。ほとんどの人が、自分の信じるものをより強く信じるような思考の傾向を有している。でないと心の平安を保てないからね。だから普通は宗教脳やねん。スミオババ(とトキ)もモロこっち。だから自説に不備があるなんてこれっぽっちも考えてへん。我々に賛同せぬものは頭が悪いのか無理解なのか人間力が低いのか >>537, そう考えて自説の不備の可能性を最初から排除している。まあでもこれが普通。人間の脳は進化の過程でこのような思考傾向を有するようになった。
 いっぽうで疑う事を止めない人々がいる。わき上がる疑念に歯止めをかけず、中学生のあの頃のようにただただ素直に考えてしまう。規則を疑い、常識を疑い、権威を疑い、認識を疑い、全てを疑う事を止めない。宗教脳の人も同じように疑うねん。でもすぐに疑う事を止める。心が乱れて、ろくな事が無いからな。大人になるってことは、全身を強固な鎧で固めていくことなんやと思う。その鎧はたしかにその人を守ってくれるんやけど、その安全は強度を増すほどに自由な思考をしばる。安全は窮屈だ。だから頭が固くなる。常識的な大人とは、つまりは固定観念でこりかたまった人間の総称である。
 哲学脳とは疑う事を止めない人のことだ。何の得もないけど疑う。心がかき乱されるけど疑う。心の平安なんてどうでもいいんだよ哲学脳の人は。ただ疑う。そんで壊す。また疑う。壊す。こんなちょうしで疑い続ける事を止めない。この過程をスミオババは「無限後退」と表現した。でもな、哲学脳はそんなん気にせえへんし、なにより「後退」じゃねえし。無限「前進」やから。この思考の過程を「後退」と表現したのは、いかにも宗教脳らしいと思った。思惟の無限性に潜在的な恐怖を抱いていることの証拠とちゃうかな。哲学脳ちゅうのはたぶんこのへんの安全装置がぶっ壊れてるんやと思う。だからむしろこっちが異常者。
 思考には位階がある。思考を続けるほどに世界は広がる。足がすくむような高さやけど、そこからしか見えない景色がある。そしてその高みから発する哲学者の言葉には、とてつもない異常さと圧倒的な迫力がある。
 問いは無限だよ。どんな問いにもメタ問いはある。それだけは確定している。言葉を発明した人間は、幸か不幸かこの思惟の無限性をも手に入れた。この無限の深淵に恐怖するものは哲学するには向いていない。心底そう思う。

 さてエピメテウスよ。最後にちょっとだけチクリ。エピメテウスの謙遜は悪癖やと思う。その悪癖が二人を勘違いさせて議論がより一層わかりにくくなっていたと思う。いくら丁寧にことを進めても、目的が違う両者が共通認識を持つのんは難しい。布教をしにきたスミオババ(とトキ)、思考を深めたいエピメテウス。両者が理解し合えないのは必然やったと思う。
とはいえたぶんあなたはこんなこと指摘されるまでもなくわかってるんだろうね。だから「思考のフェーズというか段階の違い >>607 」なんて事を言う。じゃあエピメテウスの目的は何なのか。位階の違いを認識しながら病的なまでに謙る。エピメテウスは存外、一番イジワルなのかもしれないね。

:審判ジャッジ:
ジャッジを下す。ドロー。誰かが言ってたけど議論に勝ち負けなんか無いしな。参加者の知識の位階が少しでも上がったんならその議論は有意義やったんやろうけど、そこに注目するんやったらエピメテウスの方にたくさんの収穫があったんかもしれんね。それとスミオババが訴えてたけど、文句ばっか言ってないで代案を述べろ、というのはもっともかもしれんね。自分で言わんほうがいいとは思うけど。この議論を試合として捉えるなら、理論を提出したスミオババが圧倒的に不利やった。構図としては防戦一方になるからな。壊すのは誰にでも出来る簡単なお仕事。創るのは難しい。だからあえてこの議論における独創性に着目するなのらスミオババのほうが優勢やったと言える。

:審判雑感:
かりにスミオババ理論が正しいとしても、それでも他の世界の自分じゃなくて現実の自分しか認識できない理由を問われたなら、それは偶然であるとしか言えない。つまり、 >>0 の問いに戻る。これはエピメテウスがどっかで指摘してたけど、オレだって気づいてたもんね。ウソじゃないもん。
それとトートロジー。言論言説においてトートロジーは例外無くインチキ認定される。世にあるインチキ循環論法やトートロジーは巧妙に作製されてるから見つけるのが難しいんだけど、スミオババ理論はしょっぱなからトートロジーという看板を掲げている非常に斬新な理論だ。この理論の魅力は適度な難解さにあると思う。この理論を理解していく過程はなんだかパズルを解くみたいで楽しかったわわりとまじで。

最後になりましたが、SumioBaba氏におかれましては、SB量子神学をさらに発展昇華させてていただければ幸いに存じます。私の数々の非礼無礼をお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

2ヶ月前 No.665

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

 最近思うのは、問いにはテストの問題のように単に答えを求めるだけのものから、「正義とは何か」のようにいろいろな答えがありそうなものまでいろいろあるということです。単に答えを求めるだけの問いの場合、大事なのは徹底して厳密な論理操作かと思われます。しかし後者の、いろいろな答えがありそうな問いの場合、大事なのは厳密さや正確性よりもむしろ、その問いの発せられる状況なのではないかな、と思います。たとえば「正義とは何か」と問うとき、人はたんに論理的な回答を求めているだけではありません。たとえば法廷で不正がまかり通ったとき、「正義とは何か」という問いは、私たちのあり方そのものを問いただすように発せられます。それは答えを求めるため、というよりむしろ、私たちに反省を迫るようにして問われることになります。このように問いには、答えを求めることが重要な場合と、それを発する状況が重要な場合の二通りがあるとぼくは考えます。
 そこで「なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか」という問いを考えてみると、ぼくはこの問いは明らかに後者、すなわちそれを発する状況が重要なケースに当てはまると思います。素朴に生きる人にとって、このような問いが問われることはあまりありません。しかし素朴なものの見方を反省し、根底から世界を疑いにかけてみることで、このような問いが問われることになる。思うにこのような問いは、人生における相当な危機に直面しないかぎり、考えることを迫られないのではないでしょうか。
 問いは発せられる段階ですでに、無知と答えの両方から一定の間隔を有していることになります。というのも、答えがわかっているなら問う必要はないし、答えがまったくわからないならそもそも問うことができないからです。したがって問いには、それが発せられる状況からの離脱が属することになります。かといってそれは完全な離脱ではなく、あくまでもそれが発せられる状況に留まったまま、離脱するのです。
 だから「なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか」と問うとき、そこにはそれが発せられる状況からの離脱が属することになります。とすればこの問いは存在からの離脱を意味することになります。しかし素朴に生きる人は、わざわざ存在から離脱しようとは思わないでしょう。だからそこにはそれなりのきっかけが必要になります。経験が必要なのです。しかも人生を揺さぶるような根本的な経験が。
 そこで疑問なのは、哲学はこの問いが発せられるきっかけとなる根本的な経験を目指して営まれるのか、それともそこを起点として営まれるのか、あるいはそのどちらでもある、つまりすべての哲学はそこに始まりそこに終わるのか、ということです。仮にすべての哲学が「なぜなにもないのでなく、なにかがあるのか」という問いを可能にする根本的な経験に始まり、そこに終わるとしたら、少なくとも哲学の求める真理は答えではなく問いの形をとることになります。つまり「なぜなにもないのでなく、なにかがあるのか」という問いを心から問うことができる段階で、すでにこの哲学者は真理に巻き込まれていることになります。このことは真理がたんなる認知ではなく経験であり、たんなる終着点ではなく運動であることを意味します。
 いずれにせよ「なぜなにもないのでなく、なにかがあるのか」という問いは、それが発せられる状況を決して無視してはならない問いであり、むしろそこにこの問いのエッセンスがある。ぼくが言いたいのは、ぼくの目にはこの問いが、それだけでひとつの真理の表現であるように映るということです。

2ヶ月前 No.666

ちょっと、まってよ ★t8alAtLKeE_yoD

ちょっと、まってね。「なにかがある」とは、一体どういうことなんだろうか?

2ヶ月前 No.667

ひこ太 @hikotarou ★r5box4meL6_zRF

ちょっと、まってろ。「何もない」とは、どういうことだ?

2ヶ月前 No.668

サイコパス ★uJcaHEY0RF_APy

やっぱり今回も駄目だったよ
あいつは話を聞かないからな
そうだな、次はこれを見ている奴にも付き合ってもらうよ。

2ヶ月前 No.669

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>665  審判さんへ

>最後になりましたが、SumioBaba氏におかれましては、SB量子神学をさらに発展昇華させてていただければ幸いに存じます。私の数々の非礼無礼をお詫びいたします。申し訳ありませんでした。


 これはこれは。礼儀正しくお詫び頂けましたので、こちらも返事を書きたくなりました。1つだけ、疑問点にお答えします。

>かりにスミオババ理論が正しいとしても、それでも他の世界の自分じゃなくて現実の自分しか認識できない理由を問われたなら、それは偶然であるとしか言えない。つまり、 >>0 の問いに戻る。これはエピメテウスがどっかで指摘してたけど、オレだって気づいてたもんね。ウソじゃないもん。


 現在の自分の心をM1とし、「自分が体験しているのはM1だけだ」と思い込むと、《状態選択の謎》=「なぜ自分の心は他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」と《存在選択の謎》=「なぜ自分の心M1は「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」が生じてしまいます。

 そこで、真の自分は全知全能の「神」なのであり、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…について、それが「存在する」と「存在しない」の両方を線形の重ね合わせのまま体験している、と考えます。M1とM2が、シュレディンガーの猫の生死を観測して「生」だった心と「死」だった心のように矛盾した情報を持つとき、<M1|M1>=1(M1にとってM1の存在確率は1)、<M2|M2>=1(M2にとってM2の存在確率は1)、<M1|M2>=0(M1にとってM2の存在確率は0)、<M2|M1>=0(M2にとってM1の存在確率は0)が成立します。つまり、M1を体験しているとき、「M1は存在する」と「M2は存在しない」を体験しています。M2を体験しているとき、「M2は存在する」と「M1は存在しない」を体験しています。

 「神」にとってM0、M1、M2、M3、…は平等な存在であり、M1だけが選ばれている訳ではないので、《状態選択の謎》は事実誤認だったこととなり消滅します。「神」は「M1は存在する」と「M1は存在しない」の両方を体験しているので、「M1は存在する」だけが選ばれている訳でもなく、《存在選択の謎》も事実誤認だったこととなり消滅します。

 疑問点の中に、「他の世界の自分じゃなくて現実の自分しか認識できない理由を問われたなら、それは偶然であるとしか言えない。」と書いてありますが、これも偶然ではありません。「この世界の自分を選べば、この世界の自分が選ばれる」「他の世界の自分を選べば、他の世界の自分が選ばれる」「何も選ばなければ、真の自分である「神」はすべての心M0、M1、M2、M3、…についてa「存在する」+b「存在しない」(aとbは不明)を体験している」となり、3つともトートロジーであるため、偶然ではなく必然です。特に3つめは、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…について、それぞれ「存在する」「存在しない」「両方」「片方」というすべての可能性を網羅した上で、正しいのはその中のどれかだと主張しており、決して外れることは有り得ないという意味で恒真(トートロジー)です。

2ヶ月前 No.670

★2jNIVRCOxh_XGK

 馬場さんへ

こちらも一段落でしょうか。(笑)

人は神と分離した存在としてそれぞれの世界に生きていると錯覚し、そのそれぞれの価値観を中心に無矛盾の世界を生きているつもりになっています。

考えてみれば、ごくごく簡単な事のはずなのにそれに気が付けないのでしょう。気が付けないままに、その分離した世界観同士で矛盾した主張をぶつけ合い、争い事を生んでいます。

人は神とは分離していません。分離できるわけがありません。本来は矛盾などない無矛盾の世界に我々は存在するのだと言うことに気が付くだけなのですが。

同時に、この神から分離する方法はあります。そして神を見下ろせます。ただし、見下ろしたその瞬間に、神から分離した世界が眼前に広がります。そして再度、神とは分離していないことに気が付きます。

夢のまた夢です。下らない。もう、こちらでも何も伝える意味もなさそうです。

いろいろな世界観での会話を見続けていると、時には、周回遅れのような感覚に陥ることがありますが、それも幻想。もういい加減飽きました。集めた知識自慢に見栄の張り合い、同じ事の繰り返しです。(笑)下らない。

いつの日か、聖者と呼ばれた人々の世界観と量子力学の世界との融合があるのかもしれません。また、ないのかもしれません。今はまだ、重ね合わせの状態でしょうか(笑)そしてその架け橋にSB量子神学がなるのかもしれませんが、そんなことには今はもう興味はないのかもしれませんね。

つまらぬことをつらつらと書きました。議論、お楽しみください。

2ヶ月前 No.671

地下水 ★lHRYPNADL9_zRF

>>670
まずスケールの点で間違っている。量子論理は神では無くて、極小の原子などの量子の中での御話しである。
もちろん量子性を拡大した量子計算機や量子テレポーテーションを用いた量子暗号などは、現実スケールの世界で有用になり、近未来のブレークスルーをひかえている。

それから時間の観点が無い。これも量子論理でエネルギーとの関係で定量されている。
そして因果関係の観点が欠けている。これもまたプランク定数との関係で、不確定性が定量されている。

これらを入れて行かないと、量子AIの未来を予測することはできない。

2ヶ月前 No.672

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>672  地下水さんへ

>まずスケールの点で間違っている。量子論理は神では無くて、極小の原子などの量子の中での御話しである。

>もちろん量子性を拡大した量子計算機や量子テレポーテーションを用いた量子暗号などは、現実スケールの世界で有用になり、近未来のブレークスルーをひかえている。

>それから時間の観点が無い。これも量子論理でエネルギーとの関係で定量されている。

>そして因果関係の観点が欠けている。これもまたプランク定数との関係で、不確定性が定量されている。

>これらを入れて行かないと、量子AIの未来を予測することはできない。


 このスレッドのタイトルは『存在を問う』であり、具体的なテーマは「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」です。哲学における最大の謎(アポリア)とされる「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」に対する地下水さんの答は? 前にも一度尋ねましたが、返って来たのは科学の専門知識の羅列だけで、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という哲学の問いには、何の答にもなっていませんでしたよ。

 それから、余計なお世話かもしれませんが、現在の自分の人生を「最高に幸福だ!!」と思えますか? SumioBabaや時さんは、現在の自分の人生がどんな内容であろうと、そう思える方法を知っています。他人にまで押し付けはしませんが、参考にしてみませんか?

1ヶ月前 No.673

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>646  審判さんへ

>「なぜ何もないのではなく何かがあるのか?」について科学的に答えるなら、「ダークマターとダークエネルギーの比率がいい具合やった」も付け加えてええんちゃうかな。

>科学的な答えをふまえた上でさらに「なぜ世界はそんなちょうどいい具合の比率なのか?」と問うことができそうやね。これについて現代科学は「わからない」「たまたまそうなった」としか答えられない。スミオババ理論なら「無数の比率の世界が存在してて、その一つである我々の世界はちょうどいい具合の世界なのよ」と答えることができそう。


 はい、ここまでは良しです。

>ならば「なぜ我々の世界は他ではなくちょうどいい具合の世界なのか?」と問うことができ、現代科学はこれまた「わからない」「たまたまそうなった」としか答えられない。スミオババ理論ではどうだろう。「...たまたまかな?」


 答は、「問い自体が無意味であり、問いになっていない」です。
  (1)=「無数の比率の世界が存在してて、我々の世界はちょうど
   いい具合の世界であった。」
  (2)=「無数の比率の世界が存在してて、我々の世界はちょうど
   いい具合の世界ではなかった。」
とします。もし(1)と(2)が異なり、実現しているのが(1)の方だけなのであれば、《謎》=「なぜ(2)ではなく(1)だけが選ばれて実現したのだろう?」が確かに存在します。ところが本当は、(1)=(2)=(3)であり、実現しているのは次の(3)です。
  (3)=「無数の比率の世界が存在してて、その中には、ちょうど
   いい具合の世界も、ちょうどいい具合でない世界も有った。」
(3)において、ちょうどいい具合の世界の視点に立てばそれが(1)になり、(3)において、ちょうどいい具合でない世界の視点に立てば(2)になる、というだけであり、両者は別物ではなく同一のものです。実現しているのは(3)[=(1)=(2)]なので、《謎》=「なぜ(2)ではなく(1)だけが選ばれて実現したのだろう?」は、事実誤認のために生じた疑似問題ということになります。

 これこそ、永井均氏の「独在論の<私>」そのものです。「<私>は永井均である。その理由が解らない。<私>は他のA氏、B氏、C氏、…でも良かったはずなのに、なぜか<私>は永井均である。これは科学では決して解明できない謎だ。」という内容です。
 この場合も永井氏は、次の[1]と[2]を別物だと思い込み、【謎】=「なぜ[2]ではなく[1]だけが選ばれて実現したのだろう?」と問うています。
  [1]=「多数の人間が存在し、「私」が永井均氏である世界。」
  [2]=「多数の人間が存在し、「私」が永井均氏でない世界。」
しかし本当は、[1]と[2]は別物ではなく同一のものであり、[1]=[2]=[3]です。
  [3]=「多数の人間が存在し、それぞれが自分を「私」であると
   認識する世界。」
[3]において、永井均氏の視点に立てば[1]になるし、[3]において、永井均氏以外の人間の視点に立てば[2]になる、というだけであり、両者は別物ではなく同一のものです。実現しているのは[3](=[1]=[2])なので、【謎】=「なぜ[2]ではなく[1]だけが選ばれて実現したのだろう?」は、事実誤認のために生じた疑似問題ということになります。

1ヶ月前 No.674

うさぎ ★Tablet=cT88eYp8V3

「なぜあるのか」のこたえは、それは「私が生きているから有る」ではないだろうか?
あくまで、「わたしにとって」だろうが、私が死ねば存在は無くなるのでは?

1ヶ月前 No.675

宿題 ★hxYn2UbX46_BXv

うさぎさん

うさぎさんのお母様が亡くなられたらうさぎさんも死ぬのですか?

1ヶ月前 No.676

審判 ★evzb6UsgcI_Ew9

>>670
あんま時間ないから質問だけ

問1:なぜわたしはこの世界の自分しか選べないのか? (それを選択したって言うけど今の自分以外に選択の自由がないだろ)
問2:なぜわたしは神の一部であって神ではないのか? (認識が1つしか持てないのはなぜかってことね)
問3:なぜスミオババは世界がスミオババ理論であると信じているのか? (おれは納得できないから信じてないが、スミオババは何に納得して信じているのか)

1ヶ月前 No.677

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>673
自発的な対称性の破れが自然にはあるからです。

真空のエネルギーから、粒子と反粒子が対になって出てきますが、五回目の対発生の時には、粒子と粒子が対になって出てくる、対称性の破れが起きまして、この世界には粒子の方が多くなるので、何かがあるという事が起きます。
しかし最初の、では真空にあるエネルギーとは何か、と言われると、ビッグバンの前は何だったか、と聞かれている様なもので、にわかには解かりかねます。


ちなみにまた違った意味でこれは六次元の行列で起きる事が示されまして、素粒子の発見につながったのでしたね。

1ヶ月前 No.678

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>673
哲学はフィロソフィーへの訳語だそうです。原義は智を愛することだそうです。
理学体系には膨大な、それでいて信頼のおける証明された知識が整理されています。
この知識を活用して、無知の知を悟り、個人趣味の詭弁から脱出する、というわけには行きませんかね。

1ヶ月前 No.679

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>677  審判さんへ

>問1:なぜわたしはこの世界の自分しか選べないのか? (それを選択したって言うけど今の自分以外に選択の自由がないだろ)


 この場合の「わたし」という言葉は、「この世界の自分だけを指す」という限定がなされている(YES)のか?、いない(NO)のか? YESなら、「わたし」=「この世界の自分だけを指す」と限定された「わたし」がこの世界だけにいるのはトートロジーで当たり前。NOなら、この場合の「わたし」はこの世界の自分だけでなくあの世界の自分も含むから、「わたしはこの世界の自分しか選べない」が事実誤認。

>問2:なぜわたしは神の一部であって神ではないのか? (認識が1つしか持てないのはなぜかってことね)


 この場合の「わたし」という言葉は、「神の一部であるこのわたしだけを指す」という限定がなされている(YES)のか?、いない(NO)のか? YESなら、「わたし」=「神の一部であるこのわたしだけを指す」と限定された「わたし」が「神の一部」であることはトートロジーで当たり前。NOなら、この場合の「わたし」は「神の一部」M1、M2、M3、…になり得ているだけでなく、「神」そのものM0=M1+M2+M3+…でもあり得ているので、「わたしは神の一部であって神ではない」が事実誤認。

>問3:なぜスミオババは世界がスミオババ理論であると信じているのか? (おれは納得できないから信じてないが、スミオババは何に納得して信じているのか)


 「信じている」のではなく、トートロジーなので、無矛盾な世界でさえあれば恒真だと主張するだけです。審判さんの方こそ、トートロジーを信じないのですか、へー、そんな人もいるんだー。

1ヶ月前 No.680

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

SumioBabaさんは、“難しい問い”に答えるのを避けているように見える。

1ヶ月前 No.681

審判 ★5JaJ3ARzeD_Ew9

>>680
問3は聞き方が悪かったね

問4:何かを問われた際に答えがトートロジーになるスミオババ理論には何か意味があるのか?
(「明日の天気は晴れかそれ以外だ」というのは、全ての可能性を網羅しているだけの意味のない表現なので、聞き手に認識の変化が生じない。スミオババ理論は聞き手に何らかの認識の変化を及ぼすことを想定しているのか、もし想定してるならそれは何かってことね。)

1ヶ月前 No.682

審判 ★D2naiBkmHL_Ew9

問5:無矛盾な世界において「矛盾を含みつつも無矛盾な論理」というのを数式であらわせますか?

ひとつお願いなんやけど、答えに窮した場合でも難癖をつけたり途中退席するのはやめてほしい。考えるのに時間がかかるなら「長考する」と宣言すればいいし。審判が出題者スミオババが解答者のパズル感覚で気楽にいきましょ。

1ヶ月前 No.683

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>683  審判さんへ

>問4:何かを問われた際に答えがトートロジーになるスミオババ理論には何か意味があるのか?

(「明日の天気は晴れかそれ以外だ」というのは、全ての可能性を網羅しているだけの意味のない表現なので、聞き手に認識の変化が生じない。スミオババ理論は聞き手に何らかの認識の変化を及ぼすことを想定しているのか、もし想定してるならそれは何かってことね。)

 殆どの人々は、いろんな○○○について、実現しているのは「○○○である」の片方だけであり、「○○○でない」の方は実現していないと思い込んでいます。そして、○○○がトートロジーでない場合、「「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現せねばならない」という論理的必然性は存在しません。その結果、「なぜ「○○○でない」ではなく「○○○である」の方だけが選ばれて実現したのか?」という答の存在しない謎が発生します。このスレッドのテーマである「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」がその代表例です。そこで、本当は「○○○である」と「○○○でない」の両方が実現したと考えます。そうすれば、ただのダブル・トートロジーだったことになり、謎はすべて消滅します。
 つまり、SumioBabaの説明によって聞き手の認識は、「「○○○である」だけが実現したと考える。(解けない謎が残ってしまう。)」→「「○○○である」と「○○○でない」の両方が実現したと考える。(すべての謎が消滅した。)」と変化することを想定しています。これを《井の中の蛙》と表現しています。「井の中だけが世界だと思い込む狭い視野だと、解けない謎が残る。井の外にも別の世界が有ると考える広い視野だと、すべての謎は消滅する。」…ということです。

>問5:無矛盾な世界において「矛盾を含みつつも無矛盾な論理」というのを数式であらわせますか?


 質問の意味が理解できないので、数式で表せません。でも、何か面白そうな気はします。審判さんの方で具体例など挙げて、詳しく説明して下さい。興味を感じればコメントします。

>ひとつお願いなんやけど、答えに窮した場合でも難癖をつけたり途中退席するのはやめてほしい。考えるのに時間がかかるなら「長考する」と宣言すればいいし。審判が出題者スミオババが解答者のパズル感覚で気楽にいきましょ。


 「答えに窮した場合でも難癖をつけたり途中退席するのはやめてほしい。」は、こちらが言いたいセリフです。審判さんの問1と問2にSumioBabaはきちんと答えたのに対し、それっきり途中退席してしまったのは審判さんの方です。「解った」なら「解った」と答えるのがマナーです。
 それに、質問に答えるか答えないかは個人の自由であり、相手に強制すべきものではありません。「くだらない質問だと思われたらスルーして下さい」という態度で質問するのがマナーです。マナーが守れない人とは議論しません。

1ヶ月前 No.684

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>684
極小の原子以下の世界で成り立つ、量子論理を現実のスケールや、更に大きな神にあてはめようとしても、成り立たないのではないでしょうか。
人間のサイズでは、むしろニュートン力学の因果関係の方が良く成り立ちますよ。

ペンローズが言うように、脳が量子脳になっているのならば、幾らかは量子論理の多世界解釈も、思考の内では起きえますが。
現実の世界に、量子論理の多世界解釈をあてはめるのは、どうかと思いますよ。単なる現実逃避ではないですか。

現実の世界にも、中性子星の様に量子効果が、むき出しになっているものもありますが、多世界解釈の現象は起きていませんね。

量子コンピューターを用いたAIが大きくなれば、ネットワークの中の情報の世界を、幾分多世界解釈から判定する様になるかもしれませんが、そこから得られる現実に対する解としては、考える必要が無いですね。

量子論理には、プランク定数が定める因果関係の範囲や、時間とエネルギーの関係などもありますが、貴方の考えは全く発展しておらず、これらを導入できていないのではないですか。プランク定数の範囲より大きいと、因果関係も、時間も、関係付いてきますよ。

>>678  に述べた様に、「なぜ何かがあるのか」というスレタイは、自発的対称性の破れの、話の方がそぐいますよ。

1ヶ月前 No.685

審判 ★79g6LN0pmU_Ew9

問4-0:何かを問われた際に答えがトートロジーになるスミオババ理論には何か意味があるのか?
回答: >>684

問4-1: >>684 での「(片方だけしか実現していないと)思い込んでいます」というのは「両方が実現している」を含意してるんだろうけど、「両方が実現している」とするその根拠はあるのか? それとも根拠のない思考実験なのか?


問5の補足説明(参考 >>683,684
「無矛盾な世界」というのは、我々が一般的に認識している物理法則の世界で、論理式や数式であらわすことができる。「矛盾を含みつつ無矛盾な論理」というのはスミオババ理論(SB量子神学、以下「S理論」)を想定している。無矛盾な世界でスミオババがS理論を論理的に認識しているのなら、それを数式であらわすことが可能で、その数式を判定すればS理論の是非を評価できる。もしS理論を数式であらわすことが出来ないなら、S理論は無矛盾な世界内における論理的な理論ではないということになるので、論理的な言語によっては理解出来ず、ここでの議論や説明は徒労に終わるんじゃないか。(論理的でない理論なんてないんだろうけど便宜上の名称なので気にするな)
問5はS理論の性質を理解するうえで重要だと考え質問したしだいである。
先に言っとくと、問5においてシンパンが想定してる回答は「不可能」。もしS理論が数式であらわせないなら、S理論のどこかに論理的でないものが混じっている可能性が出てくるやろ。その論理的でないものを取り除くとより良い理論になるっちゅうわけやな。

1ヶ月前 No.686

審判 ★nLuhby7JMS_Ew9

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1ヶ月前 No.687

審判 ★nLuhby7JMS_Ew9

>>684
 問1.2にたいする >>680 の答えに矛盾は無いと思うんやけど、過去のエピメテウスとのやりとりからの乖離が見られるから、スミオババが意見を変更した印象やな。ただこの点を指摘しても今までと同じようなフモウなやりとりが続くのは目に見えてるから、問1.2は一旦保留し、スミオババが絶対視しているトートロジーについての価値評価を先に済ませようと考えての問4やな。シンパンはトートロジーに意味を見出してないけど、スミオババはトートロジーを絶対視している。ここに疑問を感じるのはシンパンだけじゃないと思うよ。

 シンパンが問うてるのはS理論の構造についてやから「くだらない質問 >>684 」なんて一つもないで。S理論を理解しようとする過程で誰にでもわいてくる疑問やろうから、スミオババにとっても重要な質問やと思うわ。
 もうちょっと詳しく書こか。S理論は人気がないやろ。つまり支持者が少ない。それはS理論を聞いても聞き手が納得できへんからやな。 >>684 で「S理論は聞き手の謎を全て消滅させる」と書いてるけど、実際には聞き手に謎が消滅したという認識は生じてない。その理由として考えられるのは、S理論について理解が及んでないのか、S理論自体に問題があるのかのどっちかやろ。
 シンパンはS理論自体に問題があると思って質問してるんやけど、その過程でS理論についてのシンパンの無理解が露呈するかもしれん。もしそうなったら聞き手の無理解の構造が明らかになって、S理論の理解者はいっきに増えるんちゃうか。だからシンパンの質問はスミオババにとって「くだらない質問」ではなく、理解者を増やす絶好の機会になりえる。であるにも関わらずスミオババが途中退席や議論に難癖をつけるなら、それは読み手からは苦し紛れの行動に映るだろうし、S理論の不備を自ら認めたような印象を持たれるんちゃうかな。それじゃ今までと同じになる。
これで >>683 の「お願い」の意味が伝わるかな。

1ヶ月前 No.688

審判 ★vysAdjRdyz_Ew9

 物事を理解するというのは、その物事にたいする論理的な認識が生ずることであり、その認識はより論理的なものによって容易に変化する可塑性の高いものだと考えている。構造や確度の違いはあるにせよ、何らかの論理的な認識に至った状態を理解であるとするなら、S理論を構築したスミオババと、S理論を理解したと主張するシンパンにおいても、S理論についての何らかの論理的な認識が生じていることになる。

 今ここで問題になっているのは、一つの物事(S理論)にたいして異なった認識が生じていることで、その認識の違いというのがその物事の意義を根底から揺るがしうるほどの相違である点やな。このような認識の違いは、議論によってより論理的な意見に収斂されるのが一般的で、シンパンの問いかけはこの作業の一環であると考えている。
 S理論の問題点は、論理的な部分と非論理的な部分とが混在している点にあるように思ってるんやけど、スミオババはそれをふまえてS理論の今後の方向性を選択すべきやと思うな。S理論を論理的なものとして誰かに認知させたいんやったら、非論理的な箇所を削除して再構築するべきやし、そうではなくS理論を非論理的なものをも包含する一つの考え方で良しとするなら、論理的な議論は無意味やねんから、これ以上の議論は終了すればええ。
 認識を固定させたがる人はシンパンとは価値観が違うし、そういう人は論理的な議論に向いてないと思うわ。( >>665 でも同じこと言ったつもりやったけどスミオババが議論を再開させたから還ってきた)

 個人的には、存在の問いの構造分析は論理的で秀逸な見識やと思うから、このあたりを足がかりに論理を再構築すれば面白いものが出来上がりそうやと思うわ。だからここで思考停止するのは勿体ないと思うねんけど、まあこんなもんは本人の腹積もり次第やからな。

今のままの認識でいいなら議論する必要はないってゆうお話でした。

1ヶ月前 No.689

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>審判さんへ


 相手を「さん」付けで呼ぶとか、丁寧語を使うとか、なぜこんな簡単な事ができないのですか? マナーを守れない人とは議論しません。
 例えばSumioBabaがA社の社長、貴方がB社の社長で、取引のために商談をするとします。SumioBabaは「私がA社の社長をしている○○○です。あなたがB社社長の△△△さんですね。よろしくお願いします。」と、貴方を「さん」付けで呼び、丁寧語を用いて話しています。ところが貴方は、「おう、オマエがA社社長の○○○か、オレがB社社長の△△△だ。」とこちらを呼び捨てにし、丁寧語も使えません。こういう場合、SumioBabaの方としては呆れ返ってしまい、「貴方のように常識の無い人とは取引はしない。」で終です。以上。

1ヶ月前 No.690

地下水 ★lHRYPNADL9_BXv

>>684
地球がある、というのは現実ですが、地球がない、というのは空想ではないですか。

1ヶ月前 No.691

★ZaTj169jDe_A7b

>>410  えぴめてうすさんへ

>  また繰り返しで恐縮ですが、私が問うている(哲学する)のは、純粋に自分自身の納得を得るためで、それ以外ではありません。問題は、私の井戸の中にあり、その問題を解決したいのであって、人間の共通知を生み出そうとか、他者に広めようという内容を考えているわけではないのです。(えぴめてうすさん)


>>412
> 私も同様に、広めようという事は考えていません。ただ独りの井戸の中で日々起こっては消えていく問題を考え続けただけです。ほとんど全て体現として納得できています。世界での大きな問題?で言うと「世界平和はなぜ訪れないのか?」から、小さなことでは「なぜ、あの石ころにけつまづいたのか?」「なぜ、体育の先生は怒ったのか?」「なぜ、黄色のチョークがなくなったのか?」・・なぜの連続でしたよ。そして現在、自由意志が存在するのだとしたら、私は平和を選びます。と言う事だけです。(時)


今さらながらですが、過去に >>410 のえぴめてうすさんのご意見に、私(時)は、 >>412 のようにお答えしました。

学問としてではなくて、実践としての「哲学とは何か」を考察すると、自身に納得のできる本当の事(答え)を知る事。だと思います。勿論、自分自身で納得できれば良いので、人には押し付けたりしませんね。

では、この本当の事とはどう言った事なのか?私はこれを「真理」と表現します。

理とは、物事の理非を分かち定める意から。当然のこと。もっともなこと。等とあります。
真(まこと)の理(当たり前の事)で、真理です。

以前、井戸のたとえ話をしたと思います。「井の中の蛙大海を知らず・・」から作ったものですが、この蛙視点の上には燕視点があります。その世界は、大きく広く、多くの井戸を同時に観る事が出来るような世界観です。そしてその世界で観る事をやめると、そこは平穏な世界です。ここを別の表現ですると、命の根源の世界です。ここでは、木も花も虫も人間も毒虫もクジラも鳥も・・の全ての命の大元の世界です。そしてここは、人間界で言うところの「善悪、男女、是非、上下、左右」等々の相対的な概念は存在しない世界です。そして実は、もう一つ上の世界もあるのですよ。もしも体現された方がおられたのであえば、ご存知かと思います。

勿論、これは、精神的な世界であり、その思考や精神状態での世界観であるという事です。

上記を個人の心の状態に当てはめてみると、まずは普通の心の人の場合には「良い・悪い」等の相対的な比較の世界です。人生山あり谷ありと言われるような人生を送ります。いわゆる普通の世界です。(これが井戸の中の世界です)

これをもう少し精神状態が上がると燕の世界です。上の井戸の世界を多く同時に見る事ができます。全てが見渡せますので、この時点ではすごく楽しいです。有頂天という表現があるでしょう?これにぴったりですよ。有頂天・・有の頂点・・有の世界の頂点という事で、これを神の処、神視点と表現しています。この視点まで来れば、一応は「問題ありません」という感覚が自覚できると思います。その理由の理解も起こります。

有頂天  うまくいった喜びで夢中になっていること。
     (仏)三界のうちの最上位の天。また、形あるものの世界の最高の所。

上での三界を(欲界、色界、無色界)(欲界、瞋恚界、害意界)(離欲界、無瞋界、不害界)(劣界、中位界、優界)等々と、仏教では表現していますが、有頂天はこれら有漏の世界での頂点の世界です。ですので、ブラフマンや梵天、天の父等と同じ次元の世界だろうと思います。

この世界は命の根源の世界ですと上で書きましたが、ここを自覚できると「アガペー」の意味の理解が起こると思います。つまりは、自覚できるという事です。

アガペー 無償の愛。神の愛。ですが、見返りを求めない、つまり、損得勘定ではない、愛の世界だという事です。(この世界には、損だ得だと言った相対的な概念が存在しませんから)

ですから、順番に表現すると、まずは相対的なこの世界観。ここでは苦しみや争い事が絶えません。次は神の処、有頂天、極楽等と表現されていますが、その相対的な世界を観ている世界です。この世界観では、最初は喜び=幸せ感で満たされます(有頂天と表現されています)が、次には、それを遍く知ると、平穏の状態(この境地が、アガペーです)に変化します。そしてそれをも超えた境地が、静寂の世界です。

なぜ、幸せを求めるのか?なぜ、幸せなのか?なぜ、最終が静寂なのか?なぜ、動揺するのか?なぜ、嫉妬するのか?なぜ、最初に沸き起こる感情のコントロールができないのか?なぜ、人は死ぬのか?なぜ、人は生まれるのか?全て、答えはありそうですよ。

少しではありますが、今まで私の疎い考察を綴ってみましたが、えぴめてうすさんも、近い将来「存在とは何か?」という問いも含めた、ご自身の井戸の中の全ての問題を解決できることを願っています。色々と考察してみてくださいね。以上です。

レスは不要です。

1ヶ月前 No.692

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん

>>692

 貴重なご示唆ありがとうございます。

 「存在への問い」については、このスレで勉強させていただき、自分なりの考えがまとまりましたので、よかったなと思っています。それが最終解決かどうかは別として、先を急ぐこともないなと思っています。

 私にとっては、他人の井戸の中を上から眺められる燕の視点ということは考えられません。ただ、自分の井戸にいながら、そのように想像することはできるというだけです。ですので、時さんの到達されたところに、私が到達することは想像すらできません。

 いまは、普通の世界について、考えたいと思っています。皆さんの議論が一段落したら、「世界平和は実現するか。 Part2」に投稿を始めようと思っているところです。

 なお、「存在への問い」は一段落ですが、「独我論」は未解決ですので、「独我論を乗り越える方法」でまたご意見いただければと思います。

 懐疑と思考は続けたいと思っていますので、よろしくお願いします。

1ヶ月前 No.693

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

SumioBabaさん、 http://mb2.jp/_tetsugaku/1016.html-1864の続きをこちらに書かせて戴きます。

> >>「何もない」の方は、それを認識する我々が発生しないからです。我々が発生して何かを認識するとき、必ず「何かがある」の方になります。こういうのを《人間原理》あるいは《観測者選択効果》と呼びます。(以下略)


> >だとすると、それが《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》の問いに対する答えの本質部分だと思います。ダブル・トートロジーは、この部分の回答を避けていますので、問いの本質を捉えた回答とは言えません。


>《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》という謎が、2つに分裂してしまっています。1つめは「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」。2つめは「「何かがある」と「何もない」の両方が起きたのだとすれば、なぜ我々は「何かがある」の方だけしか認識できないのか?」。1つめだったらダブル・トートロジーで解消です。2つめだったら《人間原理》《観測者選択効果》で解決です。


1つめの問いの意味がよくわかりません。私にはナンセンスな問いに思えます。なので、2つめの問いの方の回答が本質的な回答だと思いました。

1つめの問いをナンセンスだと思う理由を以下に述べます。
「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」

ここでいう「「何もない」の方が起きる」というのはどういう意味でしょうか?
単純論理的に考えるとそれは「「何かがある」の方が起きない」と等価になります。
これを元の文に代入すると、
「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きなくなかったのか?」
となります。
後ろの二重否定文を肯定文に直すと、
「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きたのか?」
となり、前の文と後ろの文が一致します。
故に後ろの文を省略して
「なぜ「何かがある」の方だけが起きたのか?」
となります。
もっと省略して書くと、
「なぜ「何かがある」が起きたのか?」
「なぜ何かがあるのか?」
となります。
ダブル・トートロジーでは、
「なぜ何かがあるのか?」に対する答えは「何かがあるから」ですから、言っても言わなくても一緒です。

以上のことより、Babaさんの1つめの問いとそれに対する解消法は、あってもなくてもよいようなものです。※

※誤解なきように付け加えさせて戴きますが、ダブル・トートロジーが無意味だと言っているのではありません。多世界解釈に基づき世界の在り方をそのように捉えるなら、それに対する説明の仕方として有効だということは認めます。しかし、この例では、分岐したもう一方の世界は「無い」のですから、これにダブル・トートロジーを適用するのは意味が無いように思えます。(言葉遊びのように思える という意味です。)


※※Mobiusは、1つめの問いの深淵がわからない愚か者(もしくは子供)だと捉えて戴いて、その子供に教えるつもりで教えて戴けるとありがたいです。私もできるだけ失礼にならないように心掛けます。

21日前 No.694

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>694  Mobiusさんへ

>1つめの問いをナンセンスだと思う理由を以下に述べます。

>「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」


>ここでいう「「何もない」の方が起きる」というのはどういう意味でしょうか?

>単純論理的に考えるとそれは「「何かがある」の方が起きない」と等価になります。

>これを元の文に代入すると、

>「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きなくなかったのか?」となります。

>後ろの二重否定文を肯定文に直すと、

>「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何かがある」の方は起きたのか?」

>となり、前の文と後ろの文が一致します。

>故に後ろの文を省略して

>「なぜ「何かがある」の方だけが起きたのか?」となります。

>もっと省略して書くと、

>「なぜ「何かがある」が起きたのか?」

>「なぜ何かがあるのか?」

>となります。

>ダブル・トートロジーでは、

>「なぜ何かがあるのか?」に対する答えは「何かがあるから」ですから、言っても言わなくても一緒です。

>以上のことより、Babaさんの1つめの問いとそれに対する解消法は、あってもなくてもよいようなものです。※


 量子力学では確率が入って来るので、ちょっと違います。「なぜ「何かがある」の方だけが起こり、「何もない」の方は起きなかったのか?」は、「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」の意味になります。

21日前 No.695

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>695 SumioBabaさん、

<疑問1>
なぜ唐突に量子力学の話になるのか、話の脈絡がわかりません。


<疑問2>

>「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」


確率が0で無ければ 何かが起きても不思議ではありません。だから、「“何かがある”が起きたこと」を以て「確率が1であった」とは言えないのではないでしょうか?

だから、正しくは、
「なぜ「何かがある」が起きた確率は、0ではなかったのか?」
だと思います。

また、「確率が0か0以外か」を論じるのであれば、確率で論じる意味がありません。なぜなら、確率は量を論じて初めて確率としての意味を持つからです。

<疑問3>
あなたの信奉する「多世界解釈」では、観測対象と観測者が同じ確率で分布してしまうのですから、確率は論じ得ない(観測者からは語り得ない(どの観測者にとっても存在確率は1な))のではないでしょうか?

だとすると、「“何かがある”が起きた確率を1とするのは、多世界解釈の定義上 そうみなしているから」ということになりはしないでしょうか?

以上です。

できれば、<疑問1>にお答え下さい。
<疑問1>がわからぬまま<疑問2><疑問3>に進んでいますので、<疑問2><疑問3>は的を外している可能性が高いです。

20日前 No.696

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>696  Mobiusさんへ

><疑問1>

>なぜ唐突に量子力学の話になるのか、話の脈絡がわかりません。


 SumioBabaの解決方法は、これまで古典物理学の常識とされてきた「素朴実在論」「科学実在論」の立場では解けなかった《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》を、量子力学の考え方を利用して解決してみようというものだから、です。

><疑問2>

>「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」

>確率が0で無ければ 何かが起きても不思議ではありません。だから、「“何かがある”が起きたこと」を以て「確率が1であった」とは言えないのではないでしょうか?

>だから、正しくは、

>「なぜ「何かがある」が起きた確率は、0ではなかったのか?」

だと思います。

 いや、そういう意味ではなくて、《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》と問うている人は、勝手に「「何かがある」だけが確率1で起きた」と思い込んでいて、それゆえ「なぜ「何かがある」が起きた確率は1であり、1未満ではなかったのか?」と問うてしまっているのではないか?、ということです。それに対するSumioBabaの解決方法が、「いや、確率1とは限らないよ。「何かがある」も「何もない」も、両方起きている可能性が有る。確率の値は不明なので、a「何かがある」+b「何もない」(aとbは不明)が起きたのだ、と考えれば、ダブル・トートロジーで謎は解消するよ。」です。「何かがある」の確率が|a|^2、「何もない」の確率が|b|^2になります。

><疑問3>

>あなたの信奉する「多世界解釈」では、観測対象と観測者が同じ確率で分布してしまうのですから、確率は論じ得ない(観測者からは語り得ない(どの観測者にとっても存在確率は1な))のではないでしょうか?

>だとすると、「“何かがある”が起きた確率を1とするのは、多世界解釈の定義上 そうみなしているから」ということになりはしないでしょうか?


 そうです。だから、自分は「何かがある」を確率1で認識しているように感じているからといって、「何かがある」だけが確率1で起きたとは限らない、ということです。そしてSumioBabaの解決方法は、「「何かがある」が確率1で起きたのではなく、a「何かがある」+b「何もない」(aとbは不明)が起きた」です。

19日前 No.697

宿題 ★hxYn2UbX46_08J

何故無は存在しないのでしょうか?

何故0で割ることが出来ないのでしょうか?

それは無は0でも無くマイナスでも無いからです。

「1は1以外に他にない」のにAはαでもあります。

AはAでありαでありオメガでもあります。

19日前 No.698

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>697 SumioBabaさん、

> ><疑問1>

> >なぜ唐突に量子力学の話になるのか、話の脈絡がわかりません。


>SumioBabaの解決方法は、これまで古典物理学の常識とされてきた「素朴実在論」「科学実在論」の立場では解けなかった《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》を、量子力学の考え方を利用して解決してみようというものだから、です。


了解しました。“量子力学”は、前提なのですね。
そうなると、「ある」「ない」の定義が従来とは変わってきそうですね。

そうなると「量子力学でいうところの『ある』とは何か?」の定義を明確にする必要がありますね。
でも これには いろいろな流派がありそうですね。

で、流派ごとに定義が異なるのでしょうね。
中には、流派同士で相矛盾する定義が含まれていたりするのでしょうね。
そうなると、流派同士の争いというのもあるのでしょうね。
それぞれの流派にはそれぞれの“妥当な言い分”というのがあるのでしょうね。
だから どの流派も「一理ある」という状態なのでしょうね。
なので、決定打がないので、色々な流派に分かれているのでしょうね。

こういう状況は宗教にも似ていますね。宗教にも色々な宗派がありますから。

観測によって確かめられないと、色々な流派が発生してしまうのは止むを得ないですね。

すみません。だらだらと書き過ぎました。
見ていただいた通り、まだ何も進んでいません。

(今、ベルの定理について調査中です。)

19日前 No.699

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

一般に 物理学における「ある」とは、「相互作用が確認される」という意味だ。
例えば磁力。目には見えないけど、方位磁針を南北の方向に向けさせる力が働いているのを確認できているので、「磁力は存在している」とみなされる。

SumioBabaさんの説明による「ある」は、「存在確率1で局在している(位置が決定)」という意味のように思える。
なので、「存在確率が1未満で散在している(位置が不定)」の場合は、「“ある”と“ない”の重ね合わせ」と表現しているようである。

私は、冒頭の通りに考えていたので、SumioBabaさんのいう「“ある”と“ない”の重ね合わせ」は、私の言い方だと「ある」となる。

この辺の言葉の使い方を揃えないと意味が通じないので、注意する必要がある。
(ただ、揃えなければならない事柄は、これだけではないと思う。)

19日前 No.700

★aMPDKhlhm0_GOx

〜なぜ何も”ない”のではなく、何かが”ある”のか?〜

「ある・ない」の重ね合わせの状態を「ある」と思い込むと、この問いは解けないでしょう。

それを「ある」だけとは思い込まずに「ある・ない」という状態だという事に気付ければ、それはもう問いではなくなります。

縛りを外せないで「ある」という思考回路のみでしか考えられなければ答えが見つからず、「あるものはあるんだ」という事でドン詰まります。(思い込みによる縛りです)

縛りを外せて考えられれば「ある・ない」という思考の世界で考えられますので「ある・ない」の両方の世界が実現していて、我々はその一方「ある」の世界を体験しているだけなのです。と言う事に気付けるかと思います。

よって「なぜ何も”ない”のではなく、何かが”ある”のか?」というアポリアは、ここで解消することになるのでしょう。(最初から謎ではなかったという事です)

哲学の先人たちも「ある」という縛りの中だけで思考していたので、答えが見つからなかったのだと思います。

馬場さんは、このような事を仰っているのではないでしょうか。

19日前 No.701

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>701  時さんへ

>〜なぜ何も”ない”のではなく、何かが”ある”のか?〜

>「ある・ない」の重ね合わせの状態を「ある」と思い込むと、この問いは解けないでしょう。

>それを「ある」だけとは思い込まずに「ある・ない」という状態だという事に気付ければ、それはもう問いではなくなります。

>縛りを外せないで「ある」という思考回路のみでしか考えられなければ答えが見つからず、「あるものはあるんだ」という事でドン詰まります。(思い込みによる縛りです)

>縛りを外せて考えられれば「ある・ない」という思考の世界で考えられますので「ある・ない」の両方の世界が実現していて、我々はその一方「ある」の世界を体験しているだけなのです。と言う事に気付けるかと思います。

>よって「なぜ何も”ない”のではなく、何かが”ある”のか?」というアポリアは、ここで解消することになるのでしょう。(最初から謎ではなかったという事です)

>哲学の先人たちも「ある」という縛りの中だけで思考していたので、答えが見つからなかったのだと思います。

>馬場さんは、このような事を仰っているのではないでしょうか。


 はい、全くその通りです。確率は「客観的」ではなく「主観的」なのです。a「○○○である」+b「○○○でない」(aとbは不明)というのは、aとbが「不明」であると同時に「不定」でもあります。「○○○である」の確率が|a|^2、「○○○でない」の確率が|b|^2ですが、これが「客観的」ではなく「主観的」なのです。つまり、「○○○である」の視点に立てば、|a|^2=1、|b|^2=0、になります。「○○○でない」の視点に立てば、|a|^2=0、|b|^2=1、になります。「○○○である」と「○○○でない」とがちょうど半々で重ね合わせだと認識する視点に立てば、|a|^2=1/2、|b|^2=1/2、になります。だから、a「○○○である」+b「○○○でない」(aとbは不明)を見て、一方的に「○○○である」の方だとも言えないし、一方的に「○○○でない」の方だとも言えません。正解は、「○○○である」とも言えるし、「○○○でない」とも言えるし、「○○○である」+「○○○でない」とも言える、です。

18日前 No.702

★JNv11SraQr_GKj

富士山はあるのか?ないのか?

日本を代表する山の富士山は、あるのか?ないのか?を考察してみます。

富士山という山は、常にあるように思われていると思いますが、そうではありません。富士山が見える人には「ある」と言う事ができ、見えない人には「ある」と言う事はできない。がその答えだろうと思われます。

富士山を客観的な物質として心で主観的に認識した場合には、その物質はある。という事で、客観的な物質として心で主観的に認識できない場合には、その物質は「ない」ではなくて「あると言う事はできない」という事だろうと思われます。

仮に、ある時、富士山が噴火してその姿が消滅したとしましょう。富士山の近隣に住むという条件の人で、その噴火を目の当たりにした人にとっては、富士山が無くなったことを心で主観的にもはっきりと認識できますが、その事実をまだ知らない人にとっては、通常、あるもないもなく富士山はあると思い込んでいます。

ここで、その思い込みを外して考えた場合には、その噴火後に富士山が消滅したことを目の当たりにした人にとっての認識は、富士山は「あった→噴火でなくなった→ない」であり、それを目の当たりにしていない人にとっては、富士山は「あるかどうかは分からない」となります。

ですので、@客観的な富士山は、その「ある」という事実を主観的に認識した人にとっては「ある」であり、主観的な認識である心の状態と一致します。

一方、A客観的な富士山は、その「ある」という事実を主観的に認識できない人にとっては「ある・ない」のどちらかであると思われがちですが、主観的な認識である心の状態と一致しませんので、実際には「ある・ない」とは言えないはずです。

上記、@、Aともに一般的には「ある・ない」のどちらかの認識になりますが、@の場合には、客観的な事実とともに主観的な認識が一致し、Aの場合には、客観的事実は知らないのにその主観的な思い込みによって客観的事実だと決めつけようとします。これが思い込みによる断定です。

ですので多世界解釈を採用するのであれば、客観的な世界ではなく、主観的な世界にのみ当てはまるように思います。

そして客観的世界の物質現象を主観でも認識した人にとっては、客観と主観が一致しますので、それが事実と言えるように思います。

片や、客観世界の物質現象を主観で認識していない人にとっては、その客観世界の物質の有無自体が認識できませんので「ない」のではなくて「有無はわからない」という答えになるのではないでしょうか。ですのでこの場合は「分からない」が事実という事が言えるでしょう。

見ていない時、月は存在するのか?見ていない時、富士山は存在するのか?見ていない時、宇宙は存在するのか?等々・・意識していない時、それらの存在は、物理的な表現として重ね合わせの状態だという事ができるでしょう。つまりは一般的な表現としての「わからない」という事です。そしてそれは、確率的にあるとないの重ね合わせなのだという答えも、間違いとは言えないように思います。

最後に、もしも私が「富士山はあるのか?ないのか?」と問われれば、「見ているときにはあります。見ていない時には、あるともないとも言えません」と言う答え方になるでしょうか。

量子力学の専門の扉は開かずに、後は、専門の方々にお任せした方がよさそうです。もしもその扉を開けば、そこには、きっと永く続く奇妙な旅路が待っている事でしょう。

16日前 No.703

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

「ある」とはどういうことか?

「意識がそれ(「あるもの」や「あること」)を知覚すること」だろうか?

この場合、「幻覚」はどうなるのだろう?

「幻覚」とは「『ないもの』を知覚すること」だから、意識が何かを知覚したからといって、それが直ちに「ある」にはならない。

「幻覚」か「実覚」かは、区別がつかない。
ではどうすれば良いのか?

複数の人格で知覚することを以て「実覚」と「幻覚」を区別するのだろうか?
では、「集団幻覚」はどうなるのか?

正直いって、世界中の人が集団幻覚を知覚しているのだとしたら、それと実存を区別する術は無い。

だから私は、「再現性の良い集団幻覚」と「実存(実際に存在するもの)」を区別せず、両者とも「ある」としている。

そういう意味で、「月は存在する」「富士山は存在する」「電磁気は存在する」と思う。

9日前 No.704

宿題 ★hxYn2UbX46_a2e

マトリックスと言う映画を見て・・

コンピューター・ネットワーク上のサイバースペース(電脳空間)に築かれた「仮想現実空間」、

人類の全コンピューター・システムから引き出されたデータの「視覚的再現」、「共感覚幻想」のことを「マトリックス」と呼んでいる。

どちらが真実か映画で分からなくなる・・世界・・

8日前 No.705

宿題 ★hxYn2UbX46_a2e

あっ・・間違いました・・

トータルリコールと言う映画を見てでした・・訂正いたします。申し訳ありません・・

8日前 No.706
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