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存在を問う

 ( 哲学掲示板 )
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★Gc8HjmXH4j_BiB

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英語:Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形、

「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」
「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」
「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」

などの形でも問われる

3年前 No.0
メモ2018/09/21 20:04 : 優鬼★uJcaHEY0RF_LOn
ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9

 
 
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えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

>見えなくても存在している・・(物質・身体でない存在)についてが形而上学です。


 物質・身体である存在も形而上学の対象になり、観念のみを形而上学が扱っているわけではないように思います。
 例えば、カントの物自体などは、物質・身体である存在を対象として扱い、観念的な思考を行っているのではないでしょうか?
 つまり、見えて存在している・・(物質・身体である存在)についても形而上学だと思いますが、いかがでしょうか?

5ヶ月前 No.754

宿題 ★sicIy89Ne4_gaI

えぴめてうすさん

結局えぴめてうすさんは、限定的に存在していると思いますか?    空間時間を超越して存在していると思いますか?

5ヶ月前 No.755

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

>結局えぴめてうすさんは、限定的に存在していると思いますか? 空間時間を超越して存在していると思いますか?


 もう一度、 >>744 をご覧になってください。私の認識と宿題さんへの質問です。
 それと、「何」が限定的に存在しているというお尋ねですか? 「何」が空間時間を超越して存在しているというお尋ねでしょうか?
 「何」についてなのかお教えいただけるとありがたいです。

5ヶ月前 No.756

宿題 ★hxYn2UbX46_gaI

えぴめてうすさん

存在とは何か?(中味のソフト)

存在しているのかいないのか?(外枠ハード)

同時並行で議論するべきだと思いませんか?

5ヶ月前 No.757

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

>存在とは何か?(中味のソフト)

>存在しているのかいないのか?(外枠ハード)

>同時並行で議論するべきだと思いませんか?


 難しくて、よくわかりませんが、同時並行というか、特定のものを取り上げて問うのでなければ、存在とは何か?(中味のソフト)と存在しているのかいないのか?(外枠ハード)は、ほぼ一体の問題設定ではないでしょうか?

 それで、 >>755 はこのことをおっしゃりたかったんですか?

5ヶ月前 No.758

宿題 ★hxYn2UbX46_gaI

えぴめてうすさん

存在していると認識するには意識が必要です。現実知覚です。

神秘・・本当に時間を超え空間を超え存在する「絶対的意識」があるから神を感じるのではありませんか?

われ思う故に我あり・・という意識・・これが存在です。

5ヶ月前 No.759

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

>存在していると認識するには意識が必要です。現実知覚です。

>神秘・・本当に時間を超え空間を超え存在する「絶対的意識」があるから神を感じるのではありませんか?

>われ思う故に我あり・・という意識・・これが存在です。


 そうですか。認識する意識がなければ、存在はないということですね。
 地球の生物が意識を持つ以前、例えば、2億5000万年以前は、意識を持つものはなく、存在そのものもなかったのでしょうか?
 ある人が死んでも、存在がなくなるわけではないと思いませんか? 死ねば、その人の意識はなくなるので、その人にとって存在を認識できなくなるだけで、存在そのものがなくなると、生きている我々は困りませんか?
 でもそういう立場が、世にいう観念論というものですかね?

 「時間を超え空間を超え存在する「絶対的意識」」と「神を感じる」は、私の中では繋がっていません。もしよろしければ、なぜ感じることができるのかその理由を教えてください。
 また、「時間を超え空間を超え存在する「絶対的意識」」とは、人間の意識ですか?

5ヶ月前 No.760

宿題 ★hxYn2UbX46_gaI

えぴめてうすさん

人間の存在と無機物の存在と・・存在も千差万別の状態の種類があると思いませんか?

5ヶ月前 No.761

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

>人間の存在と無機物の存在と・・存在も千差万別の状態の種類があると思いませんか?


 思いますよ。ただ、観念は微妙ですが…

 ですので、「われ思う故に我あり・・という意識・・これが存在です」となると、無機物は存在でないことになりませんか?

 もう一度、 >>744 をご覧になってください。私の認識と宿題さんへの質問です。それと、 >>760 もよろしくお願いします。

5ヶ月前 No.762

宿題 ★hxYn2UbX46_gaI

えぴめてうすさん

自分で存在を意識する自意識(自我)のある存在・・存在していると思わずに存在する自意識の無い存在・・二通り?

5ヶ月前 No.763

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

>自分で存在を意識する自意識(自我)のある存在・・存在していると思わずに存在する自意識の無い存在・・二通り?


  >>761 でしたら、「人間の存在と無機物の存在と」で、二通り?
 でも「存在も千差万別の状態の種類がある」ってことですから、それ以外に何かありますかね?

  >>759 の「われ思う故に我あり・・という意識・・これが存在です」となると、無機物は存在でないことになりませんか?

  >>760 もよろしくお願いします。

5ヶ月前 No.764

宿題 ★hxYn2UbX46_gaI

えぴめてうすさん

自我があるか無いか?の二通り・・

時間的制限があるか無いか?の二通り・・

空間的制限があるかないか?のふた通り・・

一般的な意識の存在か神のような神秘的超越の存在か?

・・・

5ヶ月前 No.765

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 おっしゃっていることが理解不能です。
 必ずしも2通りと考えなくてよいですが、それがお好きならどうぞ。

5ヶ月前 No.766

宿題 ★hxYn2UbX46_gaI

えぴめてうすさん

家族がPCの場所を占領したので書き込みが中途半端になりました。

色々な視点の違いで存在のとらえ方があるということです。

5ヶ月前 No.767

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 游さんを最近見ませんが、どこへ行かれたかご存知ですか?

5ヶ月前 No.768

宿題 ★hxYn2UbX46_K6b

えぴめてうすさん

他のサイトに移動されたのではありませんか?

アク禁の投稿制限も一カ月以上とかありませんか?

5ヶ月前 No.769

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

「なぜ宇宙・世界があるか」という問いにたいして、それは「私が見るから」あるのだ。という

答えしか思い浮かばないです。私の見ない物はあるとは言えないのでは?

4ヶ月前 No.770

俺、俺だよ ★iPhone=ftOOHJZc2E

「何かがある」なら「何かである」のでもなければならないかもしれないけれど、「何かである」から「何かがある」とは言えず、「何かがある」と「何かである」は区別され、認識の問題は「何かである」に属するとすれば、存在の問いに認識を持ち出すのは的外れだと言えると思う。

というのも、「何があるか」が問われているのではないから。
「何があるか」は、何にせよ「何かがあり」、それが「何であるか」の問いだとすれば、問われているはずの「何かがある」は前提とされ、飛び越えられてしまっているのでは。

そうであれば、「認識されたものが〜」等は「何があるか」には答えているかもしれないが(つまり認識されたものが存在する)、なぜ「何かがあるのか」という問いは飛び越えられてしまっている、と言えるかもしれない。

つまり、「なぜ何かがあるのか」という問いの重点は「何か」ではなく「ある」の方にあり、「何かがある」と「何かである」は区別されるとすれば、「ある」にはその「何か」(内容規定)がなく、「なぜ何かがあるのか」は問いの形式は持っていても、問われている内容がないと言えるかもしれない。

4ヶ月前 No.771

俺、俺だよ ★iPhone=ftOOHJZc2E

「なぜ世界はあるのか」「なぜ宇宙はあるのか」「なぜ何かがあって、何もないのでないのか」。

これらは全て、問題の重点がズレてしまっていると言えるかもしれない。
というのも、ここで問われているのは「存在」ではなく、世界宇宙あるいは何であれ存在する何かがなぜ存在するのか、という問いだろうから。

そのように問題の重点がズレてしまえば、世界宇宙あるいは何であれ何かが存在することとそれらが存在しないこととが対比され、問いたかったはずの「存在」は問いの空間から締め出されてしまう。

とはいえ、「存在」は必ず「何かの存在」であるとすれば、「存在」の問いは「何かの存在」の問いに変貌するか、あるいは、それであることしかできないのかもしれない。

と書いてみて、もし仮に自分がここで問題にしていることが問題であるとして、ここに問題があるとして(実は問題なんてなくただの妄想か勘違いかもしれない)、誰もこんなこと問題にしないかもしれない、そもそも問題としてすら認知されないかもしれない、と思った。

4ヶ月前 No.772

優鬼 ★uJcaHEY0RF_LOn

頭のおかしな人、みんないなくなったかな?…これでやっと「平和」になる。

4ヶ月前 No.773

優鬼 ★uJcaHEY0RF_LOn

ツッコミどころ多すぎて、反論がまとまらなかったのは反省点。詭弁放置が最もまずかった。

4ヶ月前 No.774

宿題 ★sicIy89Ne4_sxd

完全な団体などありえません・・

失業者が必ずいる社会・・

貧乏が必ずある社会・・

犯罪が必ずある社会・・

戦争が必ずある世界・・

4ヶ月前 No.775

俺、俺だよ ★iPhone=ftOOHJZc2E

考えれば考えるほど「何かがある」ことに驚きを感じる。
それが何でなぜこのようにあるのかが分かったとしても、それがなぜあるのかは分からない。
「何かがある」ことは凄いことなんじゃないか、奇跡みたいなものなんじゃないかと思えてくる。

例えば、世界があるのはビッグバンによってだとか、神がそうさせた、とか答えたとしても、なぜビッグバンはあるのか?なぜ神はあるのか?とさらに問えるだろう。
この問いは「ビッグバン」の原因や「神」の原因の問いではないと思う。
もしそのような問いであるとすれば、ビッグバンや神は第一原因として考えられているはずであるから、その原因を問うことはできないだろうし、問えるとすれば、それらが本当に第一原因か、それらが本当にあるのか、そもそも第一原因なんてあるのか等々になるだろう。
そうだとすれば、この問いをビッグバンや神であれ何であれ、それらが「ある」ことへの問いだと考えることはできないか。

そうすると、「ある」だけでなく「あり続けている」ことにも驚きを感じる。
そこに懐疑を差し挟みたくなる人もいるかもしれないけど、それは問題が違う。

とはいっても、こんなのただの妄想勘違いだろ、と自分で自分を疑ってもいるのだけれど。
あることに驚いたり不思議に思ったとしても、そのあることがただの勘違いであることはありえるだろうから。

4ヶ月前 No.776

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

「ある」と「見る」と「存在について、私は以前にその順番を  見る⇒ある⇒存在と書いたがチョットそれは

独我論の誤った見解として、実際は  ある⇒見る⇒存在 だと思う。つまり先に「ある」ということでしょうね。

ここで問題なのは「ありかた」と「見え方」でしょうね? そこに存在の意味があると思います。

4ヶ月前 No.777

優鬼 ★uJcaHEY0RF_LOn

>そうすると、「ある」だけでなく「あり続けている」ことにも驚きを感じる。

>そこに懐疑を差し挟みたくなる人もいるかもしれないけど、それは問題が違う。


存在の問いの根底にあるのは因果律への疑問、「すべてのことには原因がある」ということへの懐疑だ。
無→存在の否定。そしてあり続けること、存在は理由なく無にならない…

因果律が存在するのは時間が存在するからだ。因果律の成立を問うことは時間の成立を問うこと。時間とともに因果律が生まれた。
時間が存在する「前」というのはない。時間という存在に、存在する前はない。ここでは因果律そのものが成立しない。

4ヶ月前 No.778

優鬼 ★uJcaHEY0RF_LOn

時間もまた存在しない。この宇宙は漫画の一コマもしくは映画のワンシーンのようなものからできている(量子力学的にも時間は連続ではなく、プランク定数という一定の単位を持つ)。宇宙のすべての粒子の取りうる状態がすべて存在し、それらの中で近いものだけが一定の時間が過ぎたと主観に認識される形で映し出されている。人生とはそのようにしてできた、漫画・映画である。

4ヶ月前 No.779

宿題 ★sicIy89Ne4_sxd

優鬼さん

周りの心と自分の心の関係はどうですか?

4ヶ月前 No.780

優鬼 ★uJcaHEY0RF_LOn

空飛ぶスパゲッティモンスターは存在する。その世界に自分という個が存在しないだけ。

4ヶ月前 No.781

優鬼 ★uJcaHEY0RF_LOn

複合命題の真理値は真か偽かではない。それを構成する単純命題の真理値によって決まる。
そもそも恒真な論理式が公理と呼ばれるのだから、それを「真かもしれない偽かもしれない」ということが矛盾。
突き詰めていえば、話のすり替え。

4ヶ月前 No.782

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

優鬼さん

論理式の性質は・・恒真・恒偽だけではありません。偶然的なものもあります・・

3ヶ月前 No.783

優鬼さん ★uJcaHEY0RF_eQW

SMB詭弁の骨子は、排中律の悪用にある。

排中律
「いかなる命題も真であるか、または偽である」、または「p∨~pの形の命題はすべて真である。」

排中律は単純命題pを「真であるか、または偽である」ということは必ず真になる、という意味。ここで複合命題p∨~pを「真であるか、または偽である」というと矛盾になる。p∨~pの形の命題を「真であるか、または偽である」ということは排中律そのものを否定しているから。
このように排中律を適用できない複合命題をいつの間にか単純命題のようにすり替えるというトリックだった。

2ヶ月前 No.784

宿題 ★eM1n2yJmTo_pcO

哲学は神学の侍女(はしため)

聖なる教えを受けとるのは、啓示のみにあり、他の諸学問は人間の知性の不十分さゆえに、

それを明瞭にするために、利用されるだけであり、それゆえに、他の諸学問は神学の下女(婢)の地位にあるのだとされるのです。

この考えのスコラ哲学者たちは・・理論のための理論を徹底的にしました・・理論をもてあそぶかのように・・

2ヶ月前 No.785

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>784  優鬼さんさんへ

>排中律

>「いかなる命題も真であるか、または偽である」、または「p∨~pの形の命題はすべて真である。」


 ここまではOK。

>排中律は単純命題pを「真であるか、または偽である」ということは必ず真になる、という意味。


 pは単純命題とは限らず、複合命題p=q∨~qでも何でも良いはずです。

>ここで複合命題p∨~pを「真であるか、または偽である」というと矛盾になる。


 なりません。排中律を真だと仮定すると、p∨~pは排中律により「真」となり、「真」である命題は「真であるか、または偽である」も当然満たしているから、「p∨~pは「真であるか、または偽である」」も真です。「真」≠「真であるか、または偽である」だけれども、「真」→「真であるか、または偽である」、つまり、「真」であるときは「真であるか、または偽である」も満たしているのですよ。「男である」≠「男であるか、または女である」だけれども、「「男である」ならば「男であるか、または女である」」は真です。

 排中律は、数学基礎論でいうヒルベルトの「形式主義」では論理法則として取り入れ、ブラウワーの「直観主義」では取り入れませんが、どちらも無矛盾な真理体系を構成できます。つまり、「排中律」もまた正しい可能性と正しくない可能性の両方がある、というのが最も一般化された、すべての可能性を網羅した状態です。

>p∨~pの形の命題を「真であるか、または偽である」ということは排中律そのものを否定しているから。


 否定していません。「p∨~pは「真であるか、または偽である」」は、r= p∨~pについて「rは「真であるか、または偽である」」ということであり、単純にrについて排中律を適用しているだけ。r= p∨~pは、たまたまこれ自体が排中律の形をしているために「真」だけれど、「真」である命題は「真であるか、または偽である」の方も満たしているので、「p∨~pは「真であるか、または偽である」」は真。

>このように排中律を適用できない複合命題をいつの間にか単純命題のようにすり替えるというトリックだった。


 排中律「p∨~pは真である」は、単純命題pだけでなく、複合命題p=q∨~qの場合も使えるはずです。複合命題p=q∨~qの場合、pは「真」であり、「真」≠「真または偽」ではありますが、「真」→「真または偽」(「真」であるならば、「真または偽」を満たしている)なので、「p∨~pは「真または偽」である」は真です。

    まとめ
 排中律を正しいと見なすとき、
   「p∨~p」は「真」
になるが、「真」である命題は「真または偽」を満たしていないのではなく、「真または偽」をも満たしている。ゆえに、
   「p∨~pは「真または偽」」も真
「真」≠「真または偽」だけれども、「真」→「真または偽」、すなわち、「真」であるならば「真または偽」の方も満たしているからである。A=「真」、B=「真または偽」とすると、A≠Bだけれども、A→Bなのである。よって、「p∨~pは「真」」が真ならば、「p∨~pは「真または偽」」も真。
   Sさんは「男」である
が真ならば、
   Sさんは「男または女」である
も真になるのと同じ。「男」≠「男または女」であるが、「男」→「男または女」、すなわち「男」であれば必ず「男または女」を満たしているから。

2ヶ月前 No.786

優鬼 ★uJcaHEY0RF_eQW

優鬼さんトラップには引っかからなかったようだが、SMBがSumioBabaとは一言もいってないぞ。お前サイコパスじゃね?

排中律が公理でない体系はもちろん存在するが、議論しない。というのも、僕にはその知識はない。
ただ一つ指摘するなら、論点先取。「排中律もまた正しい可能性と正しくない可能性の両方がある」は排中律そのものなので、アプリオリに排中律を適用している。
(前にも同じこと言ったなあ…可能性を限定しなければ間違わない→でも正しいって限定してるじゃん→SMB自身も正しいかどうかはわからないよ、だっけ?今回はなんて答えるんだろ)

2ヶ月前 No.787

優鬼 ★uJcaHEY0RF_eQW

1そんな代入操作はない

いつものできるできる詐欺。できるというなら論理学の教科書から引用してみればいい。
できるというだけならだれでもできるから、今のところ根拠はないといえる。

できないなら話をすり替えているだけ。それは排中律という公理ではなく、「排中律」という言葉が同じだけで、異なる意味を持つ、まったく別の単純命題の話をしている。

それが可能だとどうなるか、ちょっと考えればわかる。単純命題に代入すると「真であるか、または偽である」になるなら、恒真・恒偽はありえない。つまり公理というものが存在しない、そんな論理学。

2

「真であるか、または偽である」という根拠は排中律にある。これはもちろん偽の可能性があるという意味。
いつの間にか意味が変わっているだろ?SMBのそれは、論理学の「真であるか、または偽である」とは意味が違う。

まとめとかいうミスリードやめない?同じ話を4回書く必要がどこにあるんだよ。
論点を余さず網羅するのがまとめだよ。

2ヶ月前 No.788

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>787,788  優鬼さんへ

>>787

>ただ一つ指摘するなら、論点先取。「排中律もまた正しい可能性と正しくない可能性の両方がある」は排中律そのものなので、アプリオリに排中律を適用している。


 「排中律」を誤解しておられます。「排中律」は、「…もまた正しい可能性と正しくない可能性の両方がある」という意味ではありません。「排中律」とは、「どんな命題pも、つまり、単純命題pも、複合命題pも、「恒真」な命題pも、「恒偽」な命題pも、「恒真」でも「恒偽」でもなく状況次第で真にも偽にもなれる命題pも、「必ず「真または偽」を満たしている」、あるいは、「p∨¬pは必ず真になる」」という意味です。

>>788
>「真であるか、または偽である」という根拠は排中律にある。これはもちろん偽の可能性があるという意味。

>いつの間にか意味が変わっているだろ?SMBのそれは、論理学の「真であるか、または偽である」とは意味が違う。


 「排中律」を誤解しているのは貴方の方です。「排中律」=「pは必ず「真または偽」である」=「p∨¬pは恒真である」は、「(pは)偽の可能性がある」という意味ではありません。上の説明のとおり、「どんな命題pも、つまり、単純命題pも、複合命題pも、「恒真」な命題pも、「恒偽」な命題pも、「恒真」でも「恒偽」でもなく状況次第で真にも偽にもなれる命題pも、「必ず「真または偽」を満たしている」、あるいは、「p∨¬pは必ず真になる」」という意味です。

2ヶ月前 No.789

優鬼 ★uJcaHEY0RF_eQW

まるで安倍首相の答弁だな

2ヶ月前 No.790

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

なぜ何も無いのでなく、それはあるのか? の答えは「それは私が生きているから在るのだよ」というほかないです。
単純すぎて困りますが・・・「見るから在る」  「見なければ無い」 だと思います。

2ヶ月前 No.791

田中 ★iPhone=5jixfiig8m

色々と思うところはありますが、まず、「見る」という表現は不適切だと思いますね。
何故かと言って、あなたは「見るから在る」「見なければ無い」という区別を用いていますよね。
では、何を見て何を見ないのですか?
あなたが見る「それ」は、あなたが「見るから在り」「見なければ無い」のだから、それを「見る」ことも不可能でしょう。
何故って、「それ」はあなたが見なければ無いのだから。
「見る」というは、「見る」こととは独立に存在するものによって、見る「それ」が「見る」とは独立に存在することによって、初めて「それ」を「見る」ことが可能なのでは?
そうでなければ、「見るから在る」「見なければ無い」という区別は無意味では?
で、このことによって「見るから在る」「見なければ無い」という区別自体がそもそも無意味では?

2ヶ月前 No.792

田中 ★iPhone=pbVj0lMlCg

同一性の問題です。
在るものと無いものとが個物として同一というのはナンセンスですから、「見るから在るそれ」と「見なければ無いそれ」の「それ」の同一性を確保できないために、「見るから在る」「見なければ無い」という区別自体ナンセンスではないか、という指摘です。

2ヶ月前 No.793

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

実在論と観念論、立場の違いで、答えが違う。

世界をどう見るか、両者を止揚できる可能性はあるのだろうか。

また見られるべき「世界」は存在するのだろうか。

2ヶ月前 No.794

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

 人間は、観念で考え、数学の様に、論理展開を繰り返すが、何時かは対象を把握しようとする。そしてその対象が世界に向けられた時に、数学は物理に応用される数学の開発に変化する。観念は、実在を把握する、観念に変化する。観念は、実在の自分や、公共の福祉に仕様を合わせる様に、変化するのである。

2ヶ月前 No.795

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

観察者と世界。

世界は観察者が作り出したものなのか、観察者とは別に存在するものなのか。

いくら世界の存在に実感があっても、観察者の主観を通じてしか把握できない構造がある。

観察者が見る世界はあくまで観察者の世界である。

しかし、観察者が存在するが、観察者以外は存在しないという根拠はないのではないか。

2ヶ月前 No.796

地下水 ★KATHFaYqOw_Tbw

 赤ん坊を見ていると解るのである。赤ん坊は胎児のときは見えていない。生まれてしばらくは見えていないが、やがて見える様になり、親の顔を見る様になる。乳房は見えない時から、もうすぐくわえられる。そうして1年もすると片言が解って来るが、記憶はまだ定かではない。観念を育てる、大脳新皮質や言語野は、生得的に持っているが、思考の言語である国語でさえ、後発的な学習により徐々に取得される。児童の頃はまだまだ対象把握が不充分であり、空想に囚われており、現実把握や世界観が出来上がっていない。もっともっと現実の世界との対話が必要なのである。しかし直接社会に出すのも足りない物が多いから、学校という限られた空間の中で、文化を学習をする事になる。そして大学の頃、専門分野に限られた現実世界に出る事になる。
 その者の世界観は発達を続け、関心や対象の把握の仕方や、認識される物が異なって来る。

2ヶ月前 No.797

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

観察者の主観と言えど、見るゆえに存在するというのは、見なければ損存在しないのと表裏一体。

認識作用がすべてだと見なせば、世界は消えるが、自分はなぜ消えないというのだろう。

2ヶ月前 No.798

優鬼 ★uJcaHEY0RF_8By

ちょっと考えればわかるだろ、両者は不可分だって。観測者が見ているものが世界なんだから。
そもそもあんたたちが言葉だけ知っているであろう「多世界解釈」は、観測者も系(世界)の一部という発想から生まれた量子力学の観測問題に対する解釈なんだが。

2ヶ月前 No.799

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

物ではなくて、道徳や数式などの観念のみについても、それを存在するというか。

何をもって存在というのか、定義の問題なのか、より本質的な要素が隠れているのか。

「世界以外のすべてが存在する」?

2ヶ月前 No.800

田中 ★iPhone=pbVj0lMlCg

どうしてこうも認識論的な問題設定から抜け出せない人達が多いのか、さっぱり理解できない。
「在る」ということが問題なんじゃないの?
どのようなものが在って、それがなぜ在るのかを知ることができたとしても、「在る」とは何かはわからないんだよ。
どうしてかと言うと、前者の問題設定においては既に「在る」は了解済みでなければならないから。
「在る」が了解済みでなければ、どのようなものが「在って」、それがなぜ「在る」のかということを、「在る」とはどういうことかを知らないのだから、知ることができない。
例え、存在するもの全てを知っても、「存在」だけはわからない。
だから、認識論的な問題設定から抜け出して、まずそこから問わなければならないのだろうけれども、残念なことにどうすればいいのかさっぱりわからない。
そもそも「存在する」ってどういうことだい?
それこそが問題なんじゃないのかなぁ。

2ヶ月前 No.801

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

だから以前に言った通りですね、存在するとは「私が見る」という単なる行為です。私が見ない物、私に見えない物が
存在すると言えるでしょうか?ゆえに、何故に在るか有るかは、自分が見るから在るのじゃあないですか?

2ヶ月前 No.802

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

唯識ですか?

1ヶ月前 No.803
ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9

 
 
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