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『純粋理性批判』

 ( 哲学掲示板 )
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てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

ドイツの哲学者カントの『純粋理性批判』を読んで、その内容について議論しよう、というスレです。

この本は、いろいろと訳が出ていると思います。例えば、岩波文庫、平凡社ライブラリー、光文社古典新訳文庫、講談社学術文庫、カント全集、等々。あとは、その他外国語訳もあるでしょうし、ドイツ語のものもあります。ここで扱うのは、それらのうちのどれでも構いません。

どのように議論していくか。

基本的に議論のしかたは自由ですが、次のようなしかたでやってみようかと思います。


・或る人が、『純粋理性批判』の一部を要約して、ここにレスする。要約だけでもいいですし、そこに解釈やコメントや感想をつけ加えてもかまいません。
・その要約された内容やそれの解釈について、他の人がコメントしたり、批判したり、最初にレスした人の疑問点などを解決したりする。
・或る一部を要約して、その続きの箇所を再び要約して投稿する場合、できれば、その前の要約レスに「続きだ」ということを示すリンクを付けてください(ナンバーの指示だけでもかまいません)。なお、続きの箇所を要約する人物は、前の要約をした人と同一人物でも、別の人物でもかまいません。


※文量の制限はありません。一文でもいいし、一節でもいい。一文とかの場合、そのまま本文から引用してもかまいません。
※どこの箇所を要約してもかまいません。序文でもいいし、いきなり後半の箇所でもいいし、A版でもB版でもかまいません。
※或る要約が投稿されていてそれについて議論がされていたとしても、そこにまた別の人が要約を投稿してもかまいません。
※要約を投稿する場合、どの訳のどの部分を使ったか(ページとか目次とか)を、できれば書いてください。見た人が参照できるようにするため。
※外国語を使う場合は、日本語の訳を付けてください。
※要約(か要約へのレス)しか投稿してはならない、というルールではありません。もしなにかカントについて言いたいことがあったら自由にどうぞ。

のんびり行きましょう。

4年前 No.0
ページ: 1 2 3 4 5

 
 

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

「真理とは何か」の間違いではありませんか?

3ヶ月前 No.301

★E6vycvPYvN_pzR

>301
おばあちゃま
〈「真理とは何か」の間違いではありませんか?〉 じゃないよ(たぶん)。

このつづきは「現象学」のところでね。

3ヶ月前 No.302

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

現象学は哲学の本道では無いです・・

【現象学】
心に浮かぶ事を(なぜそれを思いつくか、それが正しい事かなどの問題は抜きにして)記述して得た資料を、

分類し分析して行くという方法を特色とする、心理的な哲学の方法。

3ヶ月前 No.303

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>282 pipitさん、お返事遅くなり、申し訳ありません。

もしわかったら教えて下さい。
カントは、「カテゴリー」として空間と時間を挙げていますが、それ以外の例示はありますか?
できればカント本人の例示だけでなく、後世の人が挙げた例があると理解の助けになって嬉しいです。

例えば、四則演算、ユークリッド幾何の公理、ニュートン力学、万有引力の法則、微分・積分の概念、オイラーの公式、相対性理論、量子力学、コペンハーゲン解釈、エヴェレット解釈、超ひも理論、などなど。


追伸)
読書の方は、053段落(1章の終わり)まで進みました。

2ヶ月前 No.304

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>304

Mobiusさん、こんばんは

返信はご随意に、でいいですよ
時間ない時とかいろいろあるので、
気になさらないでくださいね(^_^)

空間と時間ですが、カントはカテゴリーには含めていません。

カントは、感性と悟性が協動して、(人間という種にとっての)確実な知識が生じる、と、考えたようです。

感性により感じたものを、悟性により考えることによって、認識になる、というのがカント的認識論だと私は思っています。

この感性と悟性に、それぞれ働き方の形式が経験する前から備わっていて、
感性の形式が、空間と時間という形式であり、
悟性の形式が、カテゴリーの使用という形式だ、
と、私は理解してます。

つまり
空間と時間、は、感性の形式であり、
悟性の形式ではありません。

反対にカテゴリーは、悟性の形式であり、感性の形式ではありません。

ややこしいでしょうか?

※※※※※※※※

ちょっと実験してみませんか?

Mobiusさん、今、何か、見えてますか?
パソコン?
スマホ?
カーテン?時計?
画面?

見えてるもの全部から、概念を引くことできますか?

まず、名詞、引けますか?
(考えないことできますか?)

名詞引けたら、一つとしてのまとまり、とか、性質、とかの、名詞の裏に隠れてる基礎的な概念も引けますか?
(考えないことできますか?)

すべての概念を引いて、残った景色を、感じるままに置けますか?

(ちなみに、わたしには、無理ですm(_ _)m)
※※※※※※※※

もし、成功したなら、概念をすべて引いた、感じるままの『映像』が、感性の働きによって得たもので、その映し出され方が、空間上と時間上(物自体としてではなく現象の形式としての空間上と時間上)に現れてる、というのが、感性の形式の在り方だと、私は思っています。

そして、、、名詞の裏に隠れてる、人間にとって基礎的な概念(現象の把握の仕方)が、純粋悟性概念と呼ばれるものであり、別名カテゴリーと呼ばれるものだと私は思っています。

※※※※※※※※

カントは、カント独自の感覚で言葉を使用してるかもしれないので、
カテゴリーといっても、他の哲学者とぴったり同じ意味で使用してるかどうかは私にはわかりません。

wikiの『カテゴリー』から抜粋引用します。
引用開始
『アリストテレスよって哲学用語として採用された。アリストテレスにおいてカテゴリは存在のもつ10の基本的性質をあらわし、存在論における基本概念のひとつであったが、イマヌエル・カントは人間認識を基礎付ける超越論的制約のひとつ、純粋悟性概念をカテゴリと呼び、その意味を認識論的意味へと転換した。
哲学用語としての「基本範疇」の意味から発展して、各種分類学などでもカテゴリの用語が用いられることがある。また最近ではウェブディレクトリなどで、範疇という漢訳語を用いずに、英仏独語の音訳であるカテゴリの語が用いられている。数学では圏または範疇のことをカテゴリと呼ぶ。』引用終了

私は、カントのカテゴリー論さえ、今から勉強する者なので、他の方のカテゴリー論はさっぱりわかりません、すみませんm(_ _)m

※※※※※※※※

カント的カテゴリーは12あります。
わたしもちゃんと勉強するのは今から先なので、理解できてませんが、
中山元訳本の第2巻の巻末に、中山先生による解説が載っています。
あと、『カント カテゴリー』の検索でネットで調べても、解説がたくさんでてくるかもしれません。

※※※※※※※※

>追伸)

読書の方は、053段落(1章の終わり)まで進みました<

!!
すごいと思いますよ、心配するくらいです(^^;;

無理しないで、Mobiusさんの好きなものを読んでくださいね(^_^)

おつかれさまです!

2ヶ月前 No.305

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>305 pipitさん、こんばんは。早速のお返事ありがとうございます。

すみません。私がお訊ねしたかったのは、「カテゴリ」ではなく、「アプリオリな認識」の方でした。

なぜ空間や時間がアプリオリな概念なのかが理解できなくて、他にアプリオリな概念を示す具体例があれば、少しは近づけるかな〜と思ってお訊ねさせていただきました。


>すごいと思いますよ、心配するくらいです(^^;;

>無理しないで、Mobiusさんの好きなものを読んでくださいね(^_^)


いろいろとお気遣いありがとうございます。

2ヶ月前 No.306

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>306

Mobiusさん、こんばんは

了解です(^ ^)

わたしも今、冨田恭彦先生の『カント入門講義』という文庫の第7章「アプリオリな総合判断はいかにして可能か」(p249〜)を理解しながら読もうとチャレンジしてみるところでした。

中山元訳本の第1巻の巻末でも、中山先生は詳細に解説されてそうですね。
冨田先生の文と合わせて読めたらいいかなー、と、思ってますが、、、

自分の勉強になるので、カント的アプリオリについて、またこちらに投稿するかもです。(しなかった・できなかったらすみませんm(_ _)m)


好き勝手に投稿してるので、返信は気になさらないでくださいね(^_^)v

とりあえず、アプリオリな認識でも、
アプリオリで分析的な判断と、アプリオリで総合的な判断とに分別してて、
この区別が重要になってくるみたいです。
中山先生の解説部分を一度目を通されるといいかもしれません。

でも、Mobiusさんは、解説で先入観つけられたくないのかもしれませんね。

でもでも、、、カントの文章は、、、わかりにくすぎるように感じてます(T . T)

おつかれさまです

2ヶ月前 No.307

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>307 pipitさん、

>中山先生の解説部分を一度目を通されるといいかもしれません。


ありがとうございます。まずそれを読んでみようと思います。


>でも、Mobiusさんは、解説で先入観つけられたくないのかもしれませんね。


それはあまり気にしていないので、読んでみようと思います。

2ヶ月前 No.308

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

カントさんは、伝統的な形而上学に積極的な立場を見出だすことが出来ないで

直に実践的行為の立場に移って行きました・・

カントさんは形而上学を否定したと誤解されましたが実は将来の形而上学の準備だったそうです・・

カントさんとキルケゴールさんをマスターして乗り越えられたヤスパースさんの本はカント哲学も解り易く少し書かれています・・

2ヶ月前 No.309

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>309

宿題さん、こんばんは(^O^)/

カントは神様に会えたと、宿題さんは、思いますか ?

2ヶ月前 No.310

宿題 ★sicIy89Ne4_khR

pipitさん

こんばんは

カントさんは検閲や制約を受けて晩年は・・認知機能に異常が生じてしまわれたと思います・・

2ヶ月前 No.311

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

カントさんが形而上学に踏み込んで認知を正していらしたら・・もっと素晴らしい哲学大経だったことでしょう・・

2ヶ月前 No.312

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

カントは人間の理性を信じたが、自由の名の下、欲望に負けがちな人間の傾向、性癖、人間像を想定した。

2ヶ月前 No.313

宿題 ★sicIy89Ne4_khR

えぴめてうすさん

ヤスパースさんは妻帯者ですので夜の情熱と言う風にお書きになっていらっしゃいます・・

2ヶ月前 No.314

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 カント倫理学の基本的概念です。
 それでは、性癖の意味が……

2ヶ月前 No.315

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴめてうすさん

昼と夜との二律背反・・一夫多妻制のような・・夜の情熱があらゆる秩序を突き破る・・

実存の闘争における守護神と魔人・・

魂を売り渡してはいけない・・らしい・・

2ヶ月前 No.316

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 カントの純粋理性批判にそう書いてあるのですか? 「純粋理性批判」のスレなので…

 ちなみに、「性癖」は、「性質上のかたより。くせ。」が正しい意味で、宿題さんの >>314>>316 の返信は誤用に基づくものですので…

2ヶ月前 No.317

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴすめてすさん

ヤスパースさんの純粋理性批判の場面でのコメントです・・

枝葉が違った方向に延びても根っこはひとつ・・

2ヶ月前 No.318

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 これからも本筋を外さない投稿をしましょうね。
 投稿の趣旨や質問の理由、テーマとの関連性を明記するとわかりやすいですよ。
 できるだけトライしてみてください。

2ヶ月前 No.319

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴすめてうすさん

解りました。ここはカントさんの純粋理性批判の内容以外は認められないという板ですね?

2ヶ月前 No.320

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

  >>0 によると、ここは、「ドイツの哲学者カントの『純粋理性批判』を読んで、その内容について議論しよう、というスレです。」
 スレ主さんが期待する基本的な議論のしかたは、 >>0 を参照してみてください。
 宿題さんは、私と違って、『純粋理性批判』を読まれていると思いますので、 >>0 に沿った投稿ができるのではないですか。

2ヶ月前 No.321

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴめてうすさん

カントさんの道をたどると認知症になりそうなまで別の道を進みます・・

お気遣い痛み入ります・・無礼を勘忍してもらいたいです・・

2ヶ月前 No.322

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

申し訳ありません・・カントさんの道を辿ると認知症になりそうなので別の道を進みます・・に訂正致します。

2ヶ月前 No.323

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

こんばんは!
他掲示板(ニーチェクラブというサイトのディオニュソスホールという所です)に投稿させてもらった私の書き込みを、この『純粋理性批判』トピにも投稿させていただきます。
純粋理性批判における『アプリオリ』についてと、
純粋理性批判における『アプリオリな総合判断』についての今の段階での私見です。
誤解してたらすみませんm(_ _)m

あと、最後に、関連箇所の解説本からの引用が含まれた投稿もコピペします。

できるなら、『純粋理性批判』を少しずつでも読み進めてみたいな、と、思っています。
(全然進んでません(ーー;))
※※※※※※※※

アプリオリについて。

カントの文脈で言えば、
アプリオリとは、
経験によらず、しかもその源泉は人間の能力にある、ということだと思っています。

石川文康先生は、カントの文脈でのアプリオリとは、根源的獲得のことだと記されてます。
(『カント入門』p112〜)
私の理解で言えば、
空間時間は、人間の感性能力から獲得されたものであり、
純粋悟性概念は、人間の知性能力から獲得されたもの、ということかと思いました。

ロックは、『獲得的』という言葉で、経験からの獲得という意味で、アポステリオリを意味したのかな?(違ったらすみません)
それに対抗して(?)カントは、《根源的》を追加して、『根源的獲得』という言葉で、アプリオリを意味させたのかな、と思いました。

カントのアプリオリの定義が数学では認められない、というなら、
数学の定義の中で、カントが思案したことを考えてみればいいのでは?と、思いました。

そして、数学の定義の中でカントの思案したことが否定されるなら、
それは、空間時間がアポステリオリなもの、人間ではなく人間の外側にあるもの、という判断がなされたということなのかな、と、思いました。

アプリオリな総合判断は存在しない、というのは、
人間は経験からしか知識を作れない、と、同義であり、
それは、常識的に正常に思える判断だと私には思えます。

だから、カントが変人なだけなんじゃないですかねー

※※※※※※※※

アプリオリな総合判断について。

アプリオリな総合判断が成り立つのか?
をカントが問題にしたのは、形而上学が成り立つのか?という問いが根底にあるからと思います。

形而上学は、経験に頼らない。
経験に頼らないのに、知識を拡大できるのか?
それがカントの問いだと思います。

アプリオリな総合判断が成り立つならば、
経験に頼らない知識の拡大が可能となる、
という目論見が、
『アプリオリな総合判断は可能か?』という問いの根底にあると思います。

かくして、アプリオリな総合判断は可能か?という探求が始まるのですが、
『純粋理性批判』におけるこの探求の答えは、
【アプリオリな総合判断は可能であるが、それは、人間の経験を可能にする原理としてのみ可能である。】だと、私は思います。(後で関連箇所を引用します。)

人間にとっての経験を可能にしてるのは、感性と悟性(知性)であり、感性と悟性の働き方の過程でのみ、アプリオリな総合判断は可能、ということだと私は思いました。

アプリオリな総合判断、が、感性と悟性の働きの中で可能となるとき、
アプリオリな総合判断として出された【意味を付与された概念】は、全て、感性と悟性の働きを経たものということだと思いました。

それは、感性と悟性の働き、からの、分析判断、ということでしょう?
『感性能力の分析判断』という言葉は、カントの文脈での言葉では決してありません。
現代数学で使われる(?)『アプリオリな分析判断』という言葉の使い方に合わせて、
私が述べた言葉です。

図形の性質から機械的に分析判断で『三角形の内角の和は180度』という命題が成立するというとき、且つそれは、アプリオリな分析判断だ、と言う時、
図形の性質に幾何学の全てが含まれてる、ということかと思います。

カントは、その図形の性質が感性能力により成り立つ。
つまり、図形の性質は、全て、感性の能力を経て生まれている、という主張をしてるとするなら、現代数学の言葉で言えば、カントの言ってることは、
幾何学の全ては、感性の能力の分析判断だ、と、同意味ではないかと私は思いました。

直線は180度の性質から、三角形の内角の和は180度、ってどうやってわかるの?と、息子に聞くと、カントが『アプリオリな総合判断の例』として提示していた解き方と一緒っぽいものを教えてくれました。ちなみに、その解き方は私も知ってました。
同じ解き方を、
現代数学は、アプリオリな分析判断と言い、
カントは、アプリオリな総合判断と言った。

現代数学では、ある一定条件内における図形の性質からの分析判断と考え、
カントは、感性のアプリオリな性質からの総合判断と考えた。

アプリオリな総合判断は現代数学では成り立たない、で、オーケーです。

(ユークリッド幾何学?では)直線、は、2点間の最短距離、は、現代数学ではアプリオリな分析判断で、
カント哲学では、アプリオリな総合判断。

カントの考え方は、現代数学では通用しない、ということを了解しました。


※※※※※※※※

こんばんは☆

後で引用しますと言っていた箇所を引用します。
『カント哲学の核心』御子柴善之先生著、p156.157からの引用です。
冒頭二文がカントの言葉。後が御子柴先生の解説です。

『 さて、以上のことから、これまで探求してきたことすべてについて、以下のことが帰結する。「すべてのア・プリオリな総合的原則は可能な経験の原理に他ならない」、また、決して物それ自体に関係づけられることはできず、経験の対象としての諸現象にしか関係づけられ得ない。(Ak313、中公100、岩波131)

カントもここに明記しているように、これは「いかにしてア・プリオリな総合判断は可能か」という問いに導かれてきた、これまでの探求すべての結論である。すなわち、純粋自然科学を可能にする純粋悟性の諸原則はたしかにア・プリオリな総合的原則であり、ア・プリオリな総合的命題として表現される。しかし、それは可能な経験の原理に他ならないのである。縮めて言えば、ア・プリオリな総合的判断は経験を可能にする原理としてのみ可能なのである。したがって、それは経験の諸対象の領域である現象界(感性界)を超え出ることができない。ア・プリオリな総合的判断を含む、純粋数学も純粋自然科学も現象界を超え出ることはできないのである。これはもう、従来型の独断論的形而上学の不可能宣言に他ならない。』
引用終了

おつかれさまです、おやすみなさい ☆彡

※※※※※※※※

おつかれさまです

ちなみに、カントは『学として』の形而上学においては、神様のこととか断言的に肯定するのも否定するのも無理、みたいなこと、言ったかもしれないけど、
神様信じることとかは、否定してないと、今の所理解してます (^ ^)

24日前 No.324

★E6vycvPYvN_pzR

おじゃまします。
カントにおいて、「理性」っていうの、問題だと思う。
カントは”どのようなもの”を「理性」っていう語で呼んでいるのかしら?
たとえば、”アプリオリな総合判断をすること”を「(純粋)理性」と呼んでいる、とか?
pipitさま、そこんとこ、何か書いてません?カントさんは。 理性とは‥‥のことである、とか。

23日前 No.325

悪魔ちゃん ★E6vycvPYvN_pzR

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22日前 No.326

悪魔ちゃん ★E6vycvPYvN_pzR

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22日前 No.327

悪魔ちゃん ★E6vycvPYvN_pzR

>327b
え、どれがだめなの?
じゃ、

排泄物によって、健康状態を知ることができる。


これ、どう?

22日前 No.328

悪魔ちゃん ★E6vycvPYvN_pzR

>328
「排泄物」はOKね?

22日前 No.329

悪魔ちゃん ★E6vycvPYvN_pzR

>329、OKみたい。
なんか面白そう。
ここでの紙面を無駄にしちゃいけないから別のとことでこの続きして見ます。

ねえ、突然笑ってみて。

22日前 No.330

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

あは 〜 (⌒▽⌒)

悪魔ちゃんなに書いたのかな?

用事とか一通りおわってから、本を調べたりして、後で書き込みますね〜
明日以降になったらすみません

私の今の段階の理解(誤解してたらすみません)では、

悟性は、現象の基礎土台的な把握理解の能力、
理性は、しっかり意識的に考えることによる推論能力、かな?
って感じに思ってますよー

排泄物で健康状態知るのは、理性なんじゃないのかな?
でも排泄物が排泄物として存在してるように人間にみえるのは、悟性によってるんじゃないかな?

理性のこと、調べてみますね、ありがとです〜(^O^)/

追伸

わたし、仕事先のパソコンで、『運賃』という言葉を入力しようとすると、いつも変換候補の1つに、□イラスト出てきて、和みます。

22日前 No.331

★E6vycvPYvN_pzR

>331
<悪魔ちゃんなに書いたのかな?>
「ここ」を書いたの。

<用事とか一通りおわってから、本を調べたりして、後で書き込みますね〜明日以降になったらすみません>
いつでもいいのよ。わたしも用事、いろいろあるから。

<私の今の段階の理解(誤解してたらすみません)では、>
それは「誤解である」、ってだれが判断するのかしらね。

あとは省略する。

わたし、<仕事先のパソコンで、『運賃』という言葉を入力しようとすると、いつも変換候補の1つに、□イラスト出てきて、和みます>
の<□イラスト出てきて、和みます>は意味がわかりません。

22日前 No.332

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>332

><私の今の段階の理解(誤解してたらすみません)では、>

それは「誤解である」、ってだれが判断するのかしらね。<


わたしがカント哲学のこと誤解してたら、その解釈は誤解だよ、って教えてくれる人がいるといいな、と、思っています。
カント哲学を私よりちゃんと理解してる人が、私の解釈の間違いを教えてくれればいいな、って。

22日前 No.333

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

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22日前 No.334

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

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22日前 No.335

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

あれもダメ、これもダメ

o(`ω´ )o

再度言葉を替えて投稿します。

>□イラスト出てきて、和みます>は意味がわかりません。<


排泄物の絵文字が、□に変換されました。
といっても、よく意味わからないかもですね、伝えるの難しいですm(_ _)m

22日前 No.336

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

やっぱり、アレとアレが、禁止ワードだな d(^_^o)

22日前 No.337

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>325

游さま

>カントは”どのようなもの”を「理性」っていう語で呼んでいるのかしら?

たとえば、”アプリオリな総合判断をすること”を「(純粋)理性」と呼んでいる、とか?
pipitさま、そこんとこ、何か書いてません?カントさんは。 理性とは‥‥のことである、とか。<

カントは、人間の認識能力を総称して『理性』と呼ぶこともあるそうですけど、
それは別として、
人間の認識能力を、感性/悟性/理性に分けた時の、理性についての記述と思われるものを引用しますね。


『わたしたちのすべての認識は、感覚能力に始まって知性を経由し、理性で終わる。直観の素材に働きかけて、思考の最高の統一のもとにもたらす能力としては、理性よりも高次のものは存在しない。
(略)
理性の第一の〈論理的な使用の能力〉はもちろん、以前から論理学者たちによって間接的な推論の能力として説明されてきたものであり、これは直接的な推論とは区別されてきたものである。
第二の〈実在的な使用の能力〉は、理性がみずから概念を作りだすものであるが、それだけではまだこの能力について理解できない。ここでは理性を論理的な能力と超越論的な能力に区別するわけであるから、理性の二つの源泉の概念を、みずからのもとに統合するような高次の概念が必要とされる。
(略)
超越論的な論理学の第一部においては、知性を〈規則を作る能力〉と説明してきた。ここでは理性は〔規則ではなく〕原理を作る能力と呼ぶことによって、知性との違いを明確にしたいと思う。
(略)
わたしが〈原理〉による認識と呼ぶものは、概念によって特殊なものを普遍的なもののうちに認識する働きをする認識である。
(略)
すでに指摘したように、知性は規則に基づいて現象を統一する能力であるが、これにたいして理性は原理のもとで知性の規則を統一する能力である。だから理性は直接に経験や、ある経験の対象にかかわるのではなく、知性に働きかけるのである。そして概念によって知性の多様な認識に、アプリオリな統一を与えるのである。だからこの統一は〈理性の統一〉と呼ぶことができるのであり、これは知性がもたらすことのできる統一とは、まったく異なる種類のものである。』
カント『純粋理性批判4』中山元訳、p28〜35より抜粋引用

22日前 No.338

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>338

中山先生が、『知性』と訳されてる単語は、『悟性』と訳されてることも多い単語です。

この悟性などについての解説を、
『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生の本から引用します。

『「悟性」(Verstand)はドイツ語verstehen(理解する)の名詞形である。英語だと、understandingに当たる。
英語でも、理解する(understand)の名詞形がunderstandingで、通常「知性」と訳される。
したがって「悟性」(Verstand)は、「知性」(understanding)とほぼ同じことなのである。
そもそも悟性(Verstand)も知性(understanding)も、もともとは、ラテン語のインテレクトゥスintellectus(知性)を近代語に訳したものである。インテリなどという言葉もあるが、ラテン語でも、インテレクトゥスは動詞intelligo(理解する)からできた言葉である。

これに対して、理性(Vernunft)のほうはちょっと系列が違う。英語ではreasonに対応する。
これは、もともとラテン語のラチオratioから来ている。合理的とか理想的とかいう意味もあるが、基本的には、ラチオは〈比〉のことであり、〈比較〉して考える、推論して考える、という意味である。

だからこれらの問題を考えるには、カントよりさかのぼって、ラテン語の中世・スコラ哲学におけるインテレクトゥス(知性)とラチオ(理性)の基本対立を押さえておけばよいことになる。
インテレクトゥスは、基本的に、媒介を経ないで全体を一瞬で把握する能力、他方、ラチオは、これがこうで、それがそうだから、すると、あれがああなって、と理詰めで次々推論していく能力である。』
p61.62より引用

22日前 No.339

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

ちなみに、山下和也先生は、『カントとオートポイエーシス』において、

オートポイエーシスの認識論を、

1.生命システム、
2.意識システム、
3.認識システム

という三つのシステムがカップリングしているとした時、

その三つが、カント哲学においては、
1.感性
2.悟性
3.理性
が、それぞれのシステムに対応している、と、考えられているようです。

22日前 No.340

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

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22日前 No.341

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

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22日前 No.342

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

いろいろひっかかって、投稿できないので、冒頭変えてみます。

結論からいうと、
物事を論理的に筋道立てて考えることを、理性と言ってもいいんじゃないかな、と、今の段階の私見では思いました。

で、小分けにして、投稿します。

『カント信じるための哲学』石川輝吉先生の本は初学者でも理解しやすい解説本だと感じます。
カント哲学の文脈での『理性』についてもわかりやすい言葉で書かれてありましたので引用します。

22日前 No.343

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>343

石川輝吉先生の本の、p60からの引用です。



『このどこまでも自分で考えぬく力を、広い意味で「理性」と言っておこう。哲学者たちはこの力を信じ、ほんとうに真剣に考えぬけば究極のものがわかると考えた。究極のものとは全体、統一、完全、絶対、無条件なもの、といった理念を意味する。理性はこうした理念を知ろうとしてやまない。
ところが、カントはこうも言っている。理性が究極的なものを知ろうとすれば、その試みはかならず失敗する、と。
(略)
理性はどこまでもいけるというわけではなく、ある(略)越えれば、かならず矛盾や(略)議論を生みだし、(略)。

考えることは大切だ、とただ理性を誉め称えるだけでは意味がない。
このことに気づいたのがカントだったのだ。そして、理性をよく吟味し、その能力の限界を指摘する仕事が理性の「批判」となる。』


フィルターかかりませんように

22日前 No.344

★E6vycvPYvN_pzR

pipitさま、ありがとうございます。

雰囲気的に、pipitさまによると、カントの場合、「考えること」を「理性」って呼んでる気がするけど。
>340に、「三が、カント哲学においては、1.感性 2.悟性 3.理性」っていように、”何か”において区別されているようだけど、
この三つの区別において、それぞれの範疇と関係をカントの場合どう見ているのかしら?
「3.理性」を「考えること」だとしたらね。

21日前 No.345

宿題 ★eM1n2yJmTo_KEr

ちょっと生意気かもしれませんが・・

理性の限界を指摘して話が終わっているカントさんに比べ、

ヤスパースさんは理性を補う理性の超越の仕方を開明しています・・

21日前 No.346

★E6vycvPYvN_pzR

>346
「理性を補う理性の超越の仕方」っていうの、あくまでも「理性」を”中心”として、展開している、ってしてる、っていうことよね?
おばあちゃまは、ヤスパースさんが、どうして(おばあちゃまの言うような)当初現象学に関心を持ったか、っていうことについては、思わないのかしら?

それちゃってるけど、ごめんね、てじさま。

21日前 No.347

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>345

游さま

ありがとうございます。

>>340に、「三が、カント哲学においては、1.感性 2.悟性 3.理性」っていように、”何か”において区別されているようだけど、

この三つの区別において、それぞれの範疇と関係をカントの場合どう見ているのかしら?
「3.理性」を「考えること」だとしたらね。<

私見書きます。
1の感性は、感受したものを『現わす』能力。
2の悟性は、1によって現れたものを、人間にとっての最低限の意味ある概念に包摂させる能力。
3の理性、は、2によって規定された概念を使って、推論により、より高次の概念に包摂させる能力。

2悟性、も、考える、ですが、
3理性の、考える、とは志向(?)が違うかな、と思います。

カントの文章でいえば、
『知性は規則に基づいて現象を統一する能力であるが、これにたいして理性は原理のもとで知性の規則を統一する能力である。』

游さま、何が見えてますか?
1.とりあえず、なにかの色は見えてますか?
2.色、が、何かの実体としての固まりに思えてますか?
3.何か実体として捉えたものは、いつかは壊れると思いますか?

2が、規則をつくる能力
3が、原理をつくる能力
だと、私は思っています。

カントの文章です↓
『超越論的な論理学の第一部においては、知性を〈規則を作る能力〉と説明してきた。ここでは理性は〔規則ではなく〕原理を作る能力と呼ぶことによって、知性との違いを明確にしたいと思う。
(略)
わたしが〈原理〉による認識と呼ぶものは、概念によって特殊なものを普遍的なもののうちに認識する働きをする認識である。
(略)
すでに指摘したように、知性は規則に基づいて現象を統一する能力であるが、これにたいして理性は原理のもとで知性の規則を統一する能力である。だから理性は直接に経験や、ある経験の対象にかかわるのではなく、知性に働きかけるのである。そして概念によって知性の多様な認識に、アプリオリな統一を与えるのである。だからこの統一は〈理性の統一〉と呼ぶことができるのであり、これは知性がもたらすことのできる統一とは、まったく異なる種類のものである。』

游さまのご質問の意味を、私は間違えてとらえてましたか?
もし間違えてたらすみません。

21日前 No.348

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>348


黒崎政男先生の解説を参考にすると、
『インテレクトゥスは、基本的に、媒介を経ないで全体を一瞬で把握する能力、他方、ラチオは、これがこうで、それがそうだから、すると、あれがああなって、と理詰めで次々推論していく能力である』
2悟性としての思考がインテレクトゥス、
3理性としての思考がラチオ、だと思っています。

どちらも考える、ですね。
だから、カント哲学においては、広い意味での理性と、『狭義の理性』が区別されてる解説を目にします。

詳しくなくてすみません。

私はまだ『純粋理性批判』を通読できてない者です。

21日前 No.349

★E6vycvPYvN_pzR

pipit さま
ありがとうございます。

pipit さまの私見(「私見」っていうの、わたし、これフィロソフィア的だと思ってるから、誤解しないでね)
1の感性は、感受したものを『現わす』能力。
2の悟性は、1によって現れたものを、人間にとっての最低限の意味ある概念に包摂させる能力。
3の理性、は、2によって規定された概念を使って、推論により、より高次の概念に包摂させる能力。
に対して、

わたしの私見。
1,2,3は、〈理性は悟性に依拠し、悟性は感性に依拠してる〉って見ます。
とすると、
「理性」を問題とし、その「真理性」そのを問うときには、感性や悟性なるものが問われなけれなければならないんじゃじゃないかって。
もし、何かの色が見えていたとします。たとえば、その人にはその色が赤に見えたとします。でも本当は青だったとします。そして悟性や理性は赤を前提してくりひろげられてゆくことになります。で、そこから導き出された判断の真理性はどのように判断したらよいのうでしょうか。
っていう感じになります。

わたしのばあい、現象学で手いっぱい(あ、これも現象学を手引きにしたものね)。

20日前 No.350

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>350

游さん、ありがとうございます

>もし、何かの色が見えていたとします。たとえば、その人にはその色が赤に見えたとします。でも本当は青だったとします。そして悟性や理性は赤を前提してくりひろげられてゆくことになります。で、そこから導き出された判断の真理性はどのように判断したらよいのうでしょうか。

っていう感じになります。<

カントの言葉をご紹介します。↓

『たんなる純粋悟性や純粋理性からする物の認識は、すべて単なる仮象にほかならず、真理は経験のうちにのみ存する。』
『プロレゴメナ』付録、Aka.W.374

ちなみに、すみません、私は感性として『色』を例に出しましたけど、
カントは、『色』は主観的なものと断言してた覚えがあるので、認識の材料には考慮しない可能性が大です。(書き込み時に気づかずすみません。)
認識の材料としては、『延長』みたいな感じかな?
空間の中でどこかの『位置』を持って感受される、って感じかな?

おもしろいですよね、

色は、同じ色見てるかわからなくても、見えてるものについての位置は一応お互いに確かめあえる気がしますね。

20日前 No.351

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

ちなみに、経験には、感性と悟性の協働が必要とカントは言った、と今のところ理解しています。

20日前 No.352

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

あ、また、間違えたかも、

感性は、感じたものを、空間のどこかの位置に(受動的であれ)表す、ってかんじかも?

20日前 No.353

宿題 ★eM1n2yJmTo_KEr

思惟しうるものの普遍的諸形式は・・範疇です。

超越する思考は・・思惟しえない事において完成される思惟です。



形而上学は絶対者・超越者・神を覚知させる思惟です。神の本質を規定する思惟ではありません。

18日前 No.354

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

宿題さん、こんばんは。

宿題さんが考えていることを、お聞きしてもいいですか ?

>思惟しうるものの普遍的諸形式は・・範疇です。<


この、範疇は、カントの言うカテゴリーのことですか?
思惟は、考える、ということですか?

考えることが可能なものの、普遍的形式は、カテゴリー、という意味ですか?

考える、対象、の、対象の形式は、カテゴリー、ということですか?


>超越する思考は・・思惟しえない事において完成される思惟です。<


超越する思考、って、何を超越するのですか?
超越する思考、は、思考できない事において、完成される思考、ということですか?

思考、思惟、を、考える能力、に、置き換えてみますね。

超越する考える能力は・・考える能力が機能しないことにおいて完成される考える能力です。


>形而上学は絶対者・超越者・神を覚知させる思惟です。神の本質を規定する思惟ではありません。<


形而上学は、
絶対者を知るための考える能力です。
神がどういうものかを考える能力ではありません。
ということですか?

例えば、物理学は、
現象の原理を知るために考える能力。
形而上学は、絶対者を知るために考える能力。

考えたら絶対者を知ることができると宿題さんは思っているのですか?

18日前 No.355

宿題 ★eM1n2yJmTo_KEr

pipitさん

だいたいそういう解釈で・・

絶対者と言うよりは何か神秘・超越した感じの不可思議な・・とでも言いましょうか?

18日前 No.356

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

宿題さん、ありがとうございます

本当に、世界は、不思議に思えます

18日前 No.357

宿題 ★eM1n2yJmTo_po8

pipitさん

哲学はカントさんの供託物としてのみ保存されています・・

万人がカントさんの哲学に達するのは程遠いでしょう。

人間を現存在の狭さと束縛から飛翔させようとする意志は・・

(人間を迫害し絶滅させようとする力や堕落させ安直な人間にしてしまうことへの対抗する)

誠実・理性・人間の威厳により・・人間の生の真の意味を見出すでしょう・・

12日前 No.358

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>358

宿題さん、こんばんは

カントがもっとわかりやすい文章表現してくれてたらな、と、残念に思います。

カントの言いたかったことを聞こうとしても、本人はすごく言葉を尽くして説明してくれてるのかもだけど、何言ってるのか全然わからんな〜、みたいな気持ちによくなります。

理解する前に、きっと、こちらの命が先に尽きるな、とさえ、思います(T . T)

カントに限らず、

哲学が、心を自由に解放してくれる助けになるなら、それはすごいことですね。

12日前 No.359

宿題 ★eM1n2yJmTo_po8

pipitさん

簡単に作った物は簡単に壊れる・・

「安直」の意味は、 1.値が安いこと。 お金がかからないこと。 ... いい加減なさま」という意味では、

「安直な方法」「安直な手段」「安直な考え」などと使います。 主に、「安直」は「深く考えずいい加減。

世界の宝物は深淵複雑摩訶不思議念入りなのでしょう・・

12日前 No.360

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>360

>深淵複雑摩訶不思議念入り<


最後の念入り、の語句、おもしろく感じました
(^_^)

あ、念、って、今の心、って書くんですね

宿題さん、ありがとうございます

12日前 No.361

pipit ★iPhone=lshVIhkuSL

安齋さまへ

カントの『意識一般』って、どのような意味で言葉を使ってるのかなあ、と、疑問に思っていました。
もし、ご存知なら教えていただけたら嬉しいです。

下記は、pipitが他掲示板へ投稿したもののコピペです。

コピペ開始
『今、カントの、原則の分析論・経験の類推の箇所を勉強しようとしてるのですけど、その過程で、

意識一般

というカントによる概念用語を初めて意識しました。(目は通してたけど頭にちゃんとは入ってきてませんでした)

御子柴善之先生の文章の引用↓
『(略)、私たちがすでに検討したように、知覚判断と経験判断がある。知覚判断は主観的であり、諸知覚を結合するものであり、認識主観の状態を判断するものに過ぎない。この判断が客観の経験に届くことはない。では経験判断は、何ができたときに成立するのだろうか。それをカントは「私が知覚を意識一般において結合するとき(Ak300、中公81、岩波103)と記している。結合されるものが知覚であっても、〈私の主観的意識〉ではなく「意識一般」においてそれが結合されるとき、経験が成立するというのである。意識一般とは、〈私の意識〉や〈君の意識〉を概念的に包み超えた意識である。そんな意識がどこかにあるだろうか。あるのは〈私の意識〉や〈君の意識〉だけなのではないか。いや、それでは自然科学が成立するはずはない。権利上、〈私の意識〉や〈君の意識〉に通底する「意識一般」の可能性が想定され、そこで諸知覚が結合されるとき、経験判断が成立するのである。こうして、カントは経験一般の分析を通して「意識一般」というキーワードを取りだした。』
(『カント哲学の核心』御子柴善之先生、p128.129より引用)


なにこれーーー

意識一般、って、おもしろそうなキーワードじゃないですか〜!(◎_◎;)

カント先生、そんなこと述べてられましたの〜?

ルソーの一般意志のパクリ(×)
、、、触発されて閃いたのかなぁ
違うかなぁ?

また機会があったら、一般意識についても調べてみたいな(^ ^)

コピペ終了

御子柴先生のこの本は、『プロレゴーメナ』を解説されたものだそうです。

21時間前 No.362

pipit ★iPhone=lshVIhkuSL

>>362

御子柴先生の解説内容は、カント解釈で一般的なものなのか、
それとま、
解釈が分かれているものなのか、
など、ご存知なこと教えていただければとても嬉しいです。m(_ _)m

21時間前 No.363

安齋昌宏 ★IpEO77cCOU_fud

御子柴先生のこの御説は十分、広く通用するものです。私は賛成します。「意識一般」はカントの哲学の根本的性格を表わした言葉の一つだと思います。これはヤスパースなどからは批判を受けています。

4時間前 No.364

安齋昌宏 ★IpEO77cCOU_fud

実は御子柴先生とは毎年年賀状をやり取りしている仲です。大学院生時代には少し自慢になってしまいますが「机を並べて」カントを別居うした経験があります。しかし実力、人格共にまったく別格でした。私の後輩もみんなカントのことは御子柴先生に質問に行くのです。私は「俺もいるのに・・・。しかし、仕方がないか・・・。」と思いました。何もかも完璧な方でした。私は公立の高校教師に先生は研究者の水戸を進まれました。とにかくばらしますけど「愛妻家の人格者」です。お人柄は「とっても良い方」です。良すぎると言っていいと思います。最近の先生とのやり取りでは「平和」を繰り返し強調されています。時々、カントの専門書を送ってくださいます。本当にありがたいです。おかげで細々とですが勉強が続いています。

4時間前 No.365

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