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『純粋理性批判』

 ( 哲学掲示板 )
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てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

ドイツの哲学者カントの『純粋理性批判』を読んで、その内容について議論しよう、というスレです。

この本は、いろいろと訳が出ていると思います。例えば、岩波文庫、平凡社ライブラリー、光文社古典新訳文庫、講談社学術文庫、カント全集、等々。あとは、その他外国語訳もあるでしょうし、ドイツ語のものもあります。ここで扱うのは、それらのうちのどれでも構いません。

どのように議論していくか。

基本的に議論のしかたは自由ですが、次のようなしかたでやってみようかと思います。


・或る人が、『純粋理性批判』の一部を要約して、ここにレスする。要約だけでもいいですし、そこに解釈やコメントや感想をつけ加えてもかまいません。
・その要約された内容やそれの解釈について、他の人がコメントしたり、批判したり、最初にレスした人の疑問点などを解決したりする。
・或る一部を要約して、その続きの箇所を再び要約して投稿する場合、できれば、その前の要約レスに「続きだ」ということを示すリンクを付けてください(ナンバーの指示だけでもかまいません)。なお、続きの箇所を要約する人物は、前の要約をした人と同一人物でも、別の人物でもかまいません。


※文量の制限はありません。一文でもいいし、一節でもいい。一文とかの場合、そのまま本文から引用してもかまいません。
※どこの箇所を要約してもかまいません。序文でもいいし、いきなり後半の箇所でもいいし、A版でもB版でもかまいません。
※或る要約が投稿されていてそれについて議論がされていたとしても、そこにまた別の人が要約を投稿してもかまいません。
※要約を投稿する場合、どの訳のどの部分を使ったか(ページとか目次とか)を、できれば書いてください。見た人が参照できるようにするため。
※外国語を使う場合は、日本語の訳を付けてください。
※要約(か要約へのレス)しか投稿してはならない、というルールではありません。もしなにかカントについて言いたいことがあったら自由にどうぞ。

のんびり行きましょう。

4年前 No.0
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★E6vycvPYvN_pzR

>273
おばあちゃま、
「論理」じゃないyo.「推」のほうを問題としてるの。
ま、いいわ

未知との遭遇のとき、”これなあに?”って知りたくならない?
ま、これもいいわ

ここ、『純粋”理性”批判』についての場だから、
おばあちゃまの言う「予測」と「理性」の結びつきを言ってみて。
>270が”余談”なんだったら、いいわ。

20日前 No.274

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>260

游さまへ
こんばんは

>わたしのばあい、現象学からの哲学へのアプローチです(わたし『純粋理性批判』読んでません)。<

わたしも『純粋理性批判』のごく一部しか読めてませんですm(_ _)m


>(1)【思考する者としてのわたしは、内的な感覚能力の対象であり、〈心〉ゼーレと呼ばれ、外的な感覚能力の対象であるわたしは、〈身体〉ケルパーと呼ばれる。】について、


>わたしは、「対象」を、〈何かに対する何かの象(aに対するbの象)〉(しかも私の外にあるものではなくて、私のうちにあるものとして)って見ているのですが、この見方からすると、<


私の外にあるa、に対する、私のうちにあるbの像、ということかなあ?
と思いましたけど、違っていたらす「ませんm(_ _)m


>「思考するものとしてのわたしは、内的な感覚能力の対象である」は、〈「内的な感覚能力」に対する「思考するものとしてのわたし」の象〉、ってなります。そして、この「思考するものとしてのわたし」を「〈心〉レーゼ」と呼ぶ。また、「外的な感覚能力」に対する「わたし」の象を「〈身体〉ケルパー」と呼ぶ。ってなります。

とすると、〈心〉とは、〈思考するものとしてのわたし〉ということになります。
そして、「内的な感覚能力」「外的な感覚能力」さらに「思考するものとしてのわたし」と「わたし」、これらはどのよう見たらよいのか、ってなってゆくのですが、やめときます。<

感じて知る、とき、わたしの外を知る能力の対象・の・わたし、は、身体
わたしの内を知る能力の対象・の・わたし、は、心。

(わたし)が、対象としての「わたし」を知るけど、
(わたし)を知ろうとしても、いつも対象としての「わたし」になる。
対象としては「わたし」しか見れない。

ということを述べたのが、
カントの文章↓
『自己を意識する能力はこのようにしてみずからを直観するのだが、その際にみずからの像を自発的に直接に思い描くのではなく、みずからがその内部から触発される方法にしたがうのである。だからみずからを、その〈あるがままに〉ではなく、〈みずからに現れるがままに〉直観するのである。』
かな?と、わたしは今の所思いました。

勘違いしてたら申し訳ありませんが、
もし、aとbが、
aに対する、私のうちにあるbの像
という関係性でいいとすれば、

aを直観しようとしても、aの〈あるがままに〉は直観できず、
直観できるのはaに触発され〈みずからに現れるがままに〉現れたbの像を直観することになる、という意味かな、と、今の所思っています。

普通、外のaに対しては、自分のうちにbの像が生じるのかもしれないけど、
この場合、aも自己なので、自己触発などの言葉を解説書で見ます。

>どうやら、カントの時空では、キリスト教の信仰があったため、(純粋理性批判1.p255.256)にあるように、一般に「心」の概念のなかに「霊魂」というのがあったのかもしれません。「心」「意識」「精神」の厳密な区別はなく、“直観的に”区別されているということで、だいたい同じ意味として捉えておくことにします。<


その時代というものを考慮するって重要ということに、游さんの文を読んで気づかされました。

>どうやら、哲学者は、精神(意識、心)を、大きく「受容性」と「自発性」という機能(領域)に分節している感じです。別の言葉では、「受動性」と「能動性」あるいは「所産的」と「能産的」かな?この二つの性(さが)にどのような名をつけるかは別として。

ここでは、前者を「感性」、後者を「知性」と呼び、「知性」=「悟性」としているようです(「知性」と「悟性」を同じものとして見ることには、、わたし、抵抗がありますが)。このようななかで、では、「直観」というのをどこに位置づけしたらよいのか、ということがわたしの問題となっています。<

言葉の定義って本当難しいですね。
定義によって、多分、位置付けも変わりますよね。

現象学のことなにも知らないから、少しだけでも調べてみよう、と、哲学初心者用の『哲学用語図鑑』で現象学のページ読んだとき、あとがきもたまたま目に入って、
『そしてフッサールは、そもそもどうして人は主観の外に世界が実在していると信じているのか、その根拠を探ろうとします。』という著者の田中正人さんの一文がありました。(p340.341)
游さんもそうなのかなーと感想を持ちました(違ってたらすみません)

長文失礼しました。
お返事などはお気遣いなく 、です

おつかれさまです (^ ^)

20日前 No.275

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

アプリオリについての説明を
『カント入門』石川文康先生著から引用します。

『(略)たしかにカント以前、とくにライプニッツにおいては「アプリオリ」と「生得的」とはほぼ同義であった。
しかしカントの場合、「アプリオリ」とは「経験に先立つ」すなわち「経験に由来しない」という意味を出ない。その目印は「普遍妥当性」と「必然性」を持つことである。(略)
とすると「生得的」でもなく「(経験から)獲得的」でもないカントの「アプリオリ」の身分はどのようなものであろうか。ここでカントは従来の二分法を超えて、あらたな第三項を切りひらく。それは、自然法用語に則った「根源的獲得」という領域である。(略)

(略)「根源的獲得」は、一切の先なる所有者を、また先なる根源を前提としない概念である。したがって、神からも経験(先なる根源)からも派生しない概念である。
それは知性がその自己活動によって知性自身から獲得したという意味である。
そしてその意味で、カテゴリーは知性自身にその根拠をもつ概念である。』
p111〜113より抜粋引用

ちなみに『哲学用語図鑑』で『ア・プリオリ』調べてみると、
『カントはイギリス経験論と同じように知識は経験ちよるものだと考えました。
それではなぜ、まったく同じ経験をしてるわけではないのに、私たちはお互いの話を理解することができるのでしょうか?
その答えは、人間には共通の経験の仕方と理解の仕方があらかじめプログラミングされているからだとカントは言います。
経験に先立って成立していることをア・プリオリといいます。

そして、このア・プリオリな人類共通の経験の仕方を感性の形式、理解の仕方を悟性のカテゴリーといいます。

カントは感性の形式の特徴として、人は物事を必ず空間的、時間的に捉えると言います。
また、悟性のカテゴリーの例として、原因と結果をあげます。
人は何かが起こったら、必ずその原因をさぐると彼は考えました。』(p156.157)

と載ってました。

20日前 No.276

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>276 pipitさん、情報ありがとうございます。勉強になります。

誤解を恐れずいうと、「人間の悟性は本能(あらかじめプログラムされたもの)である」ということでしょうか?

「人は『何かが起こったら、必ずその原因をさぐる』という習性ある。だから、『結果には必ず原因がある』と考えてしまう。」というのであれば理解できます。

でもこれは、ヒュームの考えに近いと思います。

20日前 No.277

地下水 ★lHRYPNADL9_khR

>>276  あらかじめプログラミングされている、というのは言い過ぎなのですね。オオカミに育てられた少女に見る様に、オオカミに育てられると人間でもオオカミの様な事しかできなくなるので、人間性の多くは親や近隣や学校の教育によるところが大きいことが解かります。悟性や理性は本能では無いのです。本能ですら、人間の本能とオオカミの本能がありますが、後天的なところもあるのです。
 母国語に於いても、肌の色によらず、育った国によって大きく異なって行くのですね。確かに人間の遺伝子を調べると、言語核の脳の葉野をつくる遺伝子や、変形生成文法の言語核の分野が見つかっていますが、具体的な母国語は多様です。
 大切な悟性や理性などの人間性は後天的なところがあり、アプリオリなところは限られているのです。しかし逆にオオカミに人間性を教え様としても無理な話ではあります。

19日前 No.278

★E6vycvPYvN_pzR

>275 pipitさま

「私の外にあるa、に対する、私のうちにあるbの像、ということかなあ?」−−ここだけお話ししておきます。

わたしの「対象」−〈aに対するbの象〉において、

(1)【思考する者としてのわたしは、内的な感覚能力の対象であり、〈心〉ゼーレと呼ばれ、外的な感覚能力の対象であるわたしは、〈身体〉ケルパーと呼ばれる。】

この文章の見方についてでした。

「思考する者としてのわたし」がb、「内的な感覚能力」がa。
→ここから、「内的な感覚能力」に対する「思考する者としてのわたし」の象。そして、このような「思考する者としてのわたし」をカントは〈心ゼーレ〉と呼んでいる。

「外的な感覚能力」がa、「わたし」がb。
→ここから、「外的な感覚能力」に対する「わたし」の象。そして、このような「わたし」をカントは〈身体ケルパー〉と呼んでいる。

って、わたしは(1)の文章を見た、っていうことです。


わたし、そろそろ現象学に戻ります。

19日前 No.279

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>279

游さん、了解です。
説明ありがとうございました (^O^)/

19日前 No.280

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

みなさま、こんばんは

参考の一つに、と、今読んでる本『カント 信じるための哲学』(石川輝吉さん著)から解説文を引用します。
カントは解説者により解釈がわかれてることも多いので、この先生の解釈が絶対とは言えないでしょうけど、とてもわかりやすくまとめられていると感じています。
ちなみに、下記解説に出てくる客観は、物自体としての客観です。

『まず、カントが主観・客観の問題をどのように解こうとしたか、それをつぎのように整理しておこう。

□ 主観・客観の一致は原理的に不可能で、だれも真理の立場には立てない。人間は理性の本性から物自体(世界そのもの)=客観を言い当てられない(「純粋理性のアンチノミー」)。

□ にもかかわらず、わたしたちは事物経験や自然科学において共通の認識をもつことができる。

□ その理由は、わたしたち一人ひとりがだれでも自分の中から取り出せる。そのことは主観のうちの共通の(共通だと思われる)認識構造を描くことで説明することができる。』(p104)


次に、ヒュームとの対比についての箇所を引用します。

『対象は認識(主観)にしたがう。だが、人間の知の根拠を主観に求めるのならば、それは、まさにわたしたちの知識には他者と共有できるものはまったくない、という〈ひとそれぞれ〉の問題を生むのではないだろうか。
すでに見たように、この問題を先鋭化させたのがヒュームだった。ヒュームは感覚的経験や習慣という原理によって、自然の秩序さえだれとも共有できない〈ひとそれぞれ〉の知識にしたのだった。
だが、わたしたちは、火が熱いという自然の秩序はだれにも共通することがらだと信じて疑わない。ヒュームの考え方では、どうしてもこの人間共通の知識が成立することの理由がうまく説明できないのだ。

カントはこの問題に気づいていた。すでに見たように、カントは、人間は「世界そのもの=物自体」を知りえない、と考えていた。
だから、自然法則は、世界そのものの法則かどうかはわからない。
だが、一方で、「自然法則は世界そのものの法則かどうかはわからないが、人間が確実に知りうることだ」とカントは考える。
言い換えれば、自然科学は人間にとっての共通の知識として成立しうると考えるのだ。
カントはその理由を、人間ならだれもが共通にもっていると思われる、事物を経験するための形式や思考に求める。』(p106.108)

19日前 No.281

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>277

Mobiusさん、こんばんは

>誤解を恐れずいうと、「人間の悟性は本能(あらかじめプログラムされたもの)である」ということでしょうか?<


私見述べます。
悟性がプログラムされたものというよりは、
悟性の内に、思考形式の概念(純粋悟性概念)がプログラムされている、というイメージを私は持っています。

まず、カントの認識論の大枠についての石川輝吉さんの文章を引用します。

『つまり、わたしたちが知りうるのは「物自体」ではなくて「現象」に限られている。このようにカントは人間の認識を限定したのだ。
さて、カントによれば、感性による認識の段階で、わたしたちに与えられているものは「直観」と呼ばれる。直観は感性の能力がつくりだすものなのだが、これは、つぎのような構成になっている。
ここで言われている「直観」は「経験的直観」と呼ばれるものだ。経験的直観はそのつど感覚という内容(素材)と、いつも変わらぬ空間・時間という形式から構成される。
この空間・時間という形式は「純粋直観」と呼ばれる。
(略)

しかし、まだ先がある。こんどは、この経験的直観として与えられた対象が悟性の概念によって思考されるのだ。
先に示した引用では悟性から概念が生まれるように書かれているが、よりカントの認識の枠組みにそって言えば、悟性は概念(「純粋悟性概念」)をもっている(これはあとで見るように一二のカテゴリーとして存在している)。
ようするに、悟性は、経験的直観という(素材)に自分のもっている概念でもって形式を与え、確実な知識、普遍的な知識を成立させるのだ。』(p115.116)

アプリオリとの関連性については、

『カントは、感性の空間・時間という形式(純粋直観)、悟性の純粋悟性概念を「ア・プリオリ」なものと呼ぶ。』(p118)

純粋直観に関する記述は、

『経験の入り口としての空間と時間』(p121)

純粋悟性概念(カテゴリー)については、

『カントの説明は複雑だが、こう考えればいい。感性のレベルでたんに感覚されたものが、こんど悟性のレベルで概念(言葉)を使って考えられる。(略)
カントは純粋悟性概念を「カテゴリー」と呼び、それを一二個示した。
カテゴリーとは、ようするに、わたしたちに共通であると思われる基本的な思考(概念・言葉)の枠組みと考えればいい。』(p126)

です。

19日前 No.282

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

私は不思議なのです。

赤ちゃんが見る世界はどんなのなのかな、って。

赤ちゃんに、単という概念はもうあるのだろうか。

つまり、視界には様々な色がうつってて、そのなかの一部をひとまとまり(単)として、教えられる前から、とらえてるのだろうか。

お母さん、を、単、として認識してるのだろうか。

視界に入る一部をきりとって、単としての存在を意識してるのだろうか。

手をあげる、と、手があがる

と、意識してるのだろうか。

、、、、

まあ、この頃、超越論的観念論でなく、生きるには、素朴実在論でもいいんかなー、とも、思うときもありますけど。
とはいえ、
カント的にも、超越論的観念論である物事は、経験的実在論でもあるから、
行為の出力としては、同じ感じかなーともおもうのですが。

いろいろ誤解してたらすみません。

勉強は続けるつもりはしてます。
(予定は未定ですけど)

19日前 No.283

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

石川文康先生の『カント入門』より

『(略)「根源的獲得」は、一切の先なる所有者を、また先なる根源を前提としない概念である。したがって、神からも経験(先なる根源)からも派生しない概念である。
それは知性がその自己活動によって知性自身から獲得したという意味である。
そしてその意味で、カテゴリーは知性自身にその根拠をもつ概念である。』
p111〜113より抜粋引用

知性の自己活動によって知性自身から獲得した
それがアプリオリ(経験によらない)な純粋悟性概念。

知性に根拠をもつ概念。


石川文康先生の解釈かもしれませんけどね。

カテゴリーの具体的な勉強はこれからです。

難しいだろうなぁ、ややこしいやろうなぁ (ーー;)

19日前 No.284

地下水 ★KATHFaYqOw_khR

>>283  最近、反省する事がある。自分でボタン付けや衣類の破れが直せない。怠惰になってボケた父が散らかした物や、掃除が出来ずに部屋が小汚く、乱雑になっている。料理をせず、健康に良く、日本人の心にしみる味である、味噌汁や野菜の御浸しを長らく食べていない。カーペットや家の修理もしなくなってきた。

 子供の頃から、イエテボリテクニックで虫歯の無い、そして徐々に自分の、衣類の繕い、掃除、基本的な料理、家財の修繕が出来る人間に、是非育てて欲しい。そうすれば自活できるし、仕事や研究に就いても目的意識を失わない。生活の基礎から学ぶ、ペスタロッチの堅実な教育を。それはかつてのカントの地位にもついた、ヘルバルトの教育的教授や、後に大学の5段階教授法に発展した。

19日前 No.285

地下水 ★KATHFaYqOw_khR

>>285  さらにデューイの作業による経験学習は、直截である。

19日前 No.286

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>285
>>286

地下水さん、こんにちは !

返信書いたのですが、「純粋理性批判」と直接的には関係なさそになってしまったので(直観が認識には大切なことなど、実はつながるところもあるかもだけど)
返信を、「中高年掲示板(老)」の「てきとうに、なんでもどうぞ。」という、たまたまさんのトピに投稿させていただきました。

よかったら読んでみてくださいね、おつかれさまです〜(^O^)/

18日前 No.287

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

>おばあちゃまの言う「予測」と「理性」の結びつきを言ってみて。


知識と知能の成果はその都度特殊なもろもろの方法に由来します。

悟性は様々に区分され・・理性は全一無限の客観の世界として統一しようと試みるのです・・

18日前 No.288

★E6vycvPYvN_pzR

〉288
あばあちゃまのいう「予測」って「悟性」のことかしら。

「予測」「悟性」をネットで調べて見ました。

よ‐そく【予測】
事の成り行きや結果を前もっておしはかること。また、その内容。「10年後の人口を予測する」

おし‐はか・る【推(し)量る/推(し)測る】
類似の事実を当てはめてみて、見当をつける。推測する。推量する。「当事者の心中を―・る」

【悟性】
広くは理解力を,より厳密には感覚および理性 ratioに対置された知的能力をさす。プラトン,アリストテレスでは,上級な対象を直接的,直観的にとらえる知的能力ヌース nous; no□sisに対して,より下級な推論を伴う間接的な認識能力ディアノイア dianoia; epist□m□が区別されているが,後者が悟性に相当する。カントによれば悟性はカテゴリー (→範疇 ) によって感覚素材を再構成する機能とされ,原理についての認識ではなく,推理過程の知的作用とされた。


わたしのばあい、「理」を〈分けること〉としてます。
上記に出てくる「原理についての認識」じゃなくて、〈認識の原理〉。
上記の「悟性」の意味はおそらく「認識から」見た推理過程”なのでしょう。
「直観」は「原理」であって、それを基に認知されている、ってわたしは見てます。
「直観」は「認知」より先立つもの(アプリオリ)で、けっして「下級」じゃないよね?「原理」の範疇。


おそらく意味分かんないかもしれませんが、おばあちゃまが言いてることのほうが、”理”解不能。

18日前 No.289

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

感性は直観の能力であり時間と空間という形式を持つ・・カント


【感性】
印象を受け入れる能力。感受性。また、感覚に伴う感情・衝動や欲望。

【悟性】
哲学
人間の認識能力の一つ。論理的な思考力。特に理性と区別して、経験界に関する知性。

【理性】
物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。□

18日前 No.290

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

「カント」で検索して何個か読めば・・解り易く書かれています・・

カントは理性の限界を限界のまま解決しました・・

ヤスパースさんは理性で補い飛躍しようとします・・

18日前 No.291

★E6vycvPYvN_pzR

>290
おばあちゃま、
わたしのを書いてみますね。

「感性は直観の能力であり時間と空間という形式を持つ・・カント」
→直観は感性に依拠している。時間と空間という形式はカントに思われたもの(ノエマ)。


【感性】「印象を受け入れる能力。感受性。また、感覚に伴う感情・衝動や欲望。」
ネットより、
「印象」が哲学一般における最も重要な概念として取上げられたのは,ヒュームの経験論においてであり,美学においてはフェヒナーの心理学的立場からの美的印象の分析美学においてである。ヒュームにおいては,一切の知覚は印象と観念とに区分され,印象はさらに感覚の印象と反省の印象とに分けられる。前者は未知の諸原因から本源的に生じるのに対し,後者は観念が再び心に現れるとき生じる。フェヒナーにおいては,満足,不満足感を喚起する美的印象の分析を通して6つの原理 (1.美的識閾,2.美的高揚,3.多様の統一的結合,4.無矛盾性,一致性,5.明瞭性,6.美的連想) を設定し,直接的,感覚的原因が美的印象の形式的側面に作用し,間接的,連想的原因が美的印象の内容的側面に作用すると考えた。

→「印象を受け入れる能力」の前に、感情・衝動や欲望という志向性がある。

【理性】「物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。」
→「道理」、〈道の理〉=〈道の分け〉。〈道〉=たとえば〈右か左か〉における〈分かれ目〉、分けてるよね。
「考え・判断」=認識から、道理を見てる。
わたしは、このような見方をする人を「主知主義」って呼んでいる(あ、これ、メルロからの受けね)。


>291
”おばあちゃまの「理性」”の意味によると、

カントは「物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力」の限界を限界のまま解決しました・・
ヤスパースさんは「物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。」で補い飛躍しようとします・・

って、なりますよね。
おばあちゃま、「道理」って、好きよね。


わたし、カントについての本は、小牧治氏の『カント』(Kk)っていうのしか読んでないからなんとも言えないんだけど、
この『純粋理性批判』のところだけだけど、カントはこれだけじゃないよね。おばちゃまは知ってるともうけどあえて、書いちゃう。
pipitさまがいってるように、
カント哲学が探求していたもの―ー人間とは何か
(1)人間は何を知りうるのか―『純粋理性批判』
(2)人間は何をなすべきか―『実践理性批判』
(3)道徳と自然との調和―『判断力能力』
(4)何を望んでよろしいか―『たんなる理性の限界内の宗教』
がKKには解説されていました。

わたし、カントの”問い”で好きなのは(2)。
ここのところのKKの最初のところを書きうつしてみます。

わたしたちの日々を考えてみると、ああしたい、こうしたい、と、まったくしたいことの連続である。フロイトのいうごとく、欲求にかりたえられ、その不満をみたそうとして、かけめぐっているようである。動物的な本能や衝動にもとづく欲求のほかに、わけても人間的な地位・名誉・富・長寿など、そうじてこの世の幸福を追いもとめてやむことがない。
だが、こうしたい、ああしたいともがくとき、他方で。こうしてはならぬ、ああしてはならぬ、こうすべきだ、ああすべきだという声に、だれでもぶつかるであろう。その声は、他人からわたしに向けられることもあろう。しかし、他人がおしつけたことを、わたしたちの心がうけとるばあいでも、わたしたちは、「なるほど、こうしてはならぬ、ああすべきだ」と、じぶんでじぶんでいいきかせる。また、たとえ、他人が見ていようといなかろうと、他人が知っていようとしらなろうと、わたしたちは、じぶんの心に、こうしてならぬ、ああすべきだと、いいきかせる。わたしたちの内におこってくるこの声は、いったい、どこからくるのであろうか。

っていう問い。


ちょっと、悪魔ちゃんが怒ってるみたい。

18日前 No.292

★E6vycvPYvN_pzR

>292 訂正です。ごめんなさい。
(3)の『判断力能力』じゃなくて、『判断力批判』でした。
(4)に、「人間は」が抜けてました。ごめんなさい。
(4)は、「人間は何を望んでよろしいか」です。

18日前 No.293

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

悪というものは全てを破壊したいのよ・・もちろん悪〇自身もすべてまるごと・・

17日前 No.294

★E6vycvPYvN_pzR

>294
おばあちゃま

その「悪」、自虐的?しかも、多くの他の人を破壊して最後に自分を破壊するっていう、善と悪という”対”が存在しない存在としての悪。
でもその「悪」は、すべてを破壊できていないから、「絶対悪」じゃないか。

カントの時空には、キリスト教があったみたい。カントは「悪」について、どう思ってたのかしらね。ひょっとしたら「悪」ってなかったのかも。
でも、ニーチェの時空にはあったみたみたい。だって、『善悪の彼岸』っていうのあるよね。

あのね、おばあちゃま、ここ『純粋理性批判』の場よ。結びつけるのたいへんなのよ。
前からいってるけど、ねえ、おばあちゃま、ボケちゃったの?
(ちょと、その”気”入ってるかもよかもよ。”当の本人が気づいていない”っていうことがやっかいなのね。)

わたし、現象学に戻ります。

17日前 No.295

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

ごめんなさい・・


>ちょっと、悪魔ちゃんが怒ってるみたい。


に過剰反応したみたいで・・

一本道では無かった渡辺・・

17日前 No.296

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

一本道ではなかったわ・・にしたのに・・

私って・・ずいぶん呆けたみたい・・それにPCの変換は壊れてしまったわ・・

17日前 No.297

★E6vycvPYvN_pzR

>296、297
おばあちゃま、勝手に言っちゃてるからね。ごめんなさいね。
わたしが悪魔ちゃんだっていう記憶があれば、だいじょうぶかも?

kkの書物にはこんなことが書いてありました。

「年をとると、困ったものです。心身の力を保持しようとすると、どうしたって、だんだんと、機械的に仕事をしないわけにはいかなくなります。この数年間で気づいたのですが、書物を味読するにも、あるいはみずから著作するにも、いずれにせよ夜の時間を決してまとまりのえる研究にあてないことが、わたしには必要なのです。そして、読書するにせよ思考するにせよ、とにかく自分を楽しませものをあれこれと気まぐれに求めるだけで、もっぱら夜の休息が不十分にならないようにするのが、大じなのです。これに反し、朝は早く起きて、午前中いっぱい仕事いたしますが、しかしその一部は、、講義にとらわれてしまいます。それに66歳にもなりますと、ちみつな研究は、ますますわずらわしくなるものです。だから、幸いにもだれかほかのの人が引きついでくれるなら、こんな研究からはなれて、ゆっくり休息したいと思うようになるものです。」

年取ると早寝早起きっていうの、知ってるけど、わたしには実感できない。でもなんとなく。
「どのようにに生きるか」っていうより「どのように生きてゆくか」かな?
「原」は身体だとわたし思ってる。

〈いっぽんみち〉っていうの、よくわかんないけど。

17日前 No.298

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

およぐちゃんも純粋理性批判と現象学の二本道?

17日前 No.299

★E6vycvPYvN_pzR

>299
おばあちゃま

「哲学」ってなあに? から始まっているのね。

17日前 No.300

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

「真理とは何か」の間違いではありませんか?

17日前 No.301

★E6vycvPYvN_pzR

>301
おばあちゃま
〈「真理とは何か」の間違いではありませんか?〉 じゃないよ(たぶん)。

このつづきは「現象学」のところでね。

17日前 No.302

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

およぐちゃん

現象学は哲学の本道では無いです・・

【現象学】
心に浮かぶ事を(なぜそれを思いつくか、それが正しい事かなどの問題は抜きにして)記述して得た資料を、

分類し分析して行くという方法を特色とする、心理的な哲学の方法。

17日前 No.303

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>282 pipitさん、お返事遅くなり、申し訳ありません。

もしわかったら教えて下さい。
カントは、「カテゴリー」として空間と時間を挙げていますが、それ以外の例示はありますか?
できればカント本人の例示だけでなく、後世の人が挙げた例があると理解の助けになって嬉しいです。

例えば、四則演算、ユークリッド幾何の公理、ニュートン力学、万有引力の法則、微分・積分の概念、オイラーの公式、相対性理論、量子力学、コペンハーゲン解釈、エヴェレット解釈、超ひも理論、などなど。


追伸)
読書の方は、053段落(1章の終わり)まで進みました。

14日前 No.304

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>304

Mobiusさん、こんばんは

返信はご随意に、でいいですよ
時間ない時とかいろいろあるので、
気になさらないでくださいね(^_^)

空間と時間ですが、カントはカテゴリーには含めていません。

カントは、感性と悟性が協動して、(人間という種にとっての)確実な知識が生じる、と、考えたようです。

感性により感じたものを、悟性により考えることによって、認識になる、というのがカント的認識論だと私は思っています。

この感性と悟性に、それぞれ働き方の形式が経験する前から備わっていて、
感性の形式が、空間と時間という形式であり、
悟性の形式が、カテゴリーの使用という形式だ、
と、私は理解してます。

つまり
空間と時間、は、感性の形式であり、
悟性の形式ではありません。

反対にカテゴリーは、悟性の形式であり、感性の形式ではありません。

ややこしいでしょうか?

※※※※※※※※

ちょっと実験してみませんか?

Mobiusさん、今、何か、見えてますか?
パソコン?
スマホ?
カーテン?時計?
画面?

見えてるもの全部から、概念を引くことできますか?

まず、名詞、引けますか?
(考えないことできますか?)

名詞引けたら、一つとしてのまとまり、とか、性質、とかの、名詞の裏に隠れてる基礎的な概念も引けますか?
(考えないことできますか?)

すべての概念を引いて、残った景色を、感じるままに置けますか?

(ちなみに、わたしには、無理ですm(_ _)m)
※※※※※※※※

もし、成功したなら、概念をすべて引いた、感じるままの『映像』が、感性の働きによって得たもので、その映し出され方が、空間上と時間上(物自体としてではなく現象の形式としての空間上と時間上)に現れてる、というのが、感性の形式の在り方だと、私は思っています。

そして、、、名詞の裏に隠れてる、人間にとって基礎的な概念(現象の把握の仕方)が、純粋悟性概念と呼ばれるものであり、別名カテゴリーと呼ばれるものだと私は思っています。

※※※※※※※※

カントは、カント独自の感覚で言葉を使用してるかもしれないので、
カテゴリーといっても、他の哲学者とぴったり同じ意味で使用してるかどうかは私にはわかりません。

wikiの『カテゴリー』から抜粋引用します。
引用開始
『アリストテレスよって哲学用語として採用された。アリストテレスにおいてカテゴリは存在のもつ10の基本的性質をあらわし、存在論における基本概念のひとつであったが、イマヌエル・カントは人間認識を基礎付ける超越論的制約のひとつ、純粋悟性概念をカテゴリと呼び、その意味を認識論的意味へと転換した。
哲学用語としての「基本範疇」の意味から発展して、各種分類学などでもカテゴリの用語が用いられることがある。また最近ではウェブディレクトリなどで、範疇という漢訳語を用いずに、英仏独語の音訳であるカテゴリの語が用いられている。数学では圏または範疇のことをカテゴリと呼ぶ。』引用終了

私は、カントのカテゴリー論さえ、今から勉強する者なので、他の方のカテゴリー論はさっぱりわかりません、すみませんm(_ _)m

※※※※※※※※

カント的カテゴリーは12あります。
わたしもちゃんと勉強するのは今から先なので、理解できてませんが、
中山元訳本の第2巻の巻末に、中山先生による解説が載っています。
あと、『カント カテゴリー』の検索でネットで調べても、解説がたくさんでてくるかもしれません。

※※※※※※※※

>追伸)

読書の方は、053段落(1章の終わり)まで進みました<

!!
すごいと思いますよ、心配するくらいです(^^;;

無理しないで、Mobiusさんの好きなものを読んでくださいね(^_^)

おつかれさまです!

13日前 No.305

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>305 pipitさん、こんばんは。早速のお返事ありがとうございます。

すみません。私がお訊ねしたかったのは、「カテゴリ」ではなく、「アプリオリな認識」の方でした。

なぜ空間や時間がアプリオリな概念なのかが理解できなくて、他にアプリオリな概念を示す具体例があれば、少しは近づけるかな〜と思ってお訊ねさせていただきました。


>すごいと思いますよ、心配するくらいです(^^;;

>無理しないで、Mobiusさんの好きなものを読んでくださいね(^_^)


いろいろとお気遣いありがとうございます。

13日前 No.306

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>306

Mobiusさん、こんばんは

了解です(^ ^)

わたしも今、冨田恭彦先生の『カント入門講義』という文庫の第7章「アプリオリな総合判断はいかにして可能か」(p249〜)を理解しながら読もうとチャレンジしてみるところでした。

中山元訳本の第1巻の巻末でも、中山先生は詳細に解説されてそうですね。
冨田先生の文と合わせて読めたらいいかなー、と、思ってますが、、、

自分の勉強になるので、カント的アプリオリについて、またこちらに投稿するかもです。(しなかった・できなかったらすみませんm(_ _)m)


好き勝手に投稿してるので、返信は気になさらないでくださいね(^_^)v

とりあえず、アプリオリな認識でも、
アプリオリで分析的な判断と、アプリオリで総合的な判断とに分別してて、
この区別が重要になってくるみたいです。
中山先生の解説部分を一度目を通されるといいかもしれません。

でも、Mobiusさんは、解説で先入観つけられたくないのかもしれませんね。

でもでも、、、カントの文章は、、、わかりにくすぎるように感じてます(T . T)

おつかれさまです

12日前 No.307

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>307 pipitさん、

>中山先生の解説部分を一度目を通されるといいかもしれません。


ありがとうございます。まずそれを読んでみようと思います。


>でも、Mobiusさんは、解説で先入観つけられたくないのかもしれませんね。


それはあまり気にしていないので、読んでみようと思います。

11日前 No.308

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

カントさんは、伝統的な形而上学に積極的な立場を見出だすことが出来ないで

直に実践的行為の立場に移って行きました・・

カントさんは形而上学を否定したと誤解されましたが実は将来の形而上学の準備だったそうです・・

カントさんとキルケゴールさんをマスターして乗り越えられたヤスパースさんの本はカント哲学も解り易く少し書かれています・・

10日前 No.309

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>309

宿題さん、こんばんは(^O^)/

カントは神様に会えたと、宿題さんは、思いますか ?

10日前 No.310

宿題 ★sicIy89Ne4_khR

pipitさん

こんばんは

カントさんは検閲や制約を受けて晩年は・・認知機能に異常が生じてしまわれたと思います・・

10日前 No.311

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

カントさんが形而上学に踏み込んで認知を正していらしたら・・もっと素晴らしい哲学大経だったことでしょう・・

10日前 No.312

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

カントは人間の理性を信じたが、自由の名の下、欲望に負けがちな人間の傾向、性癖、人間像を想定した。

7日前 No.313

宿題 ★sicIy89Ne4_khR

えぴめてうすさん

ヤスパースさんは妻帯者ですので夜の情熱と言う風にお書きになっていらっしゃいます・・

7日前 No.314

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 カント倫理学の基本的概念です。
 それでは、性癖の意味が……

7日前 No.315

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴめてうすさん

昼と夜との二律背反・・一夫多妻制のような・・夜の情熱があらゆる秩序を突き破る・・

実存の闘争における守護神と魔人・・

魂を売り渡してはいけない・・らしい・・

7日前 No.316

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 カントの純粋理性批判にそう書いてあるのですか? 「純粋理性批判」のスレなので…

 ちなみに、「性癖」は、「性質上のかたより。くせ。」が正しい意味で、宿題さんの >>314>>316 の返信は誤用に基づくものですので…

6日前 No.317

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴすめてすさん

ヤスパースさんの純粋理性批判の場面でのコメントです・・

枝葉が違った方向に延びても根っこはひとつ・・

6日前 No.318

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

 これからも本筋を外さない投稿をしましょうね。
 投稿の趣旨や質問の理由、テーマとの関連性を明記するとわかりやすいですよ。
 できるだけトライしてみてください。

6日前 No.319

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴすめてうすさん

解りました。ここはカントさんの純粋理性批判の内容以外は認められないという板ですね?

6日前 No.320

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

宿題さん

  >>0 によると、ここは、「ドイツの哲学者カントの『純粋理性批判』を読んで、その内容について議論しよう、というスレです。」
 スレ主さんが期待する基本的な議論のしかたは、 >>0 を参照してみてください。
 宿題さんは、私と違って、『純粋理性批判』を読まれていると思いますので、 >>0 に沿った投稿ができるのではないですか。

6日前 No.321

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

えぴめてうすさん

カントさんの道をたどると認知症になりそうなまで別の道を進みます・・

お気遣い痛み入ります・・無礼を勘忍してもらいたいです・・

5日前 No.322

宿題 ★eM1n2yJmTo_khR

申し訳ありません・・カントさんの道を辿ると認知症になりそうなので別の道を進みます・・に訂正致します。

5日前 No.323
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