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『純粋理性批判』

 ( 哲学掲示板 )
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てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

ドイツの哲学者カントの『純粋理性批判』を読んで、その内容について議論しよう、というスレです。

この本は、いろいろと訳が出ていると思います。例えば、岩波文庫、平凡社ライブラリー、光文社古典新訳文庫、講談社学術文庫、カント全集、等々。あとは、その他外国語訳もあるでしょうし、ドイツ語のものもあります。ここで扱うのは、それらのうちのどれでも構いません。

どのように議論していくか。

基本的に議論のしかたは自由ですが、次のようなしかたでやってみようかと思います。


・或る人が、『純粋理性批判』の一部を要約して、ここにレスする。要約だけでもいいですし、そこに解釈やコメントや感想をつけ加えてもかまいません。
・その要約された内容やそれの解釈について、他の人がコメントしたり、批判したり、最初にレスした人の疑問点などを解決したりする。
・或る一部を要約して、その続きの箇所を再び要約して投稿する場合、できれば、その前の要約レスに「続きだ」ということを示すリンクを付けてください(ナンバーの指示だけでもかまいません)。なお、続きの箇所を要約する人物は、前の要約をした人と同一人物でも、別の人物でもかまいません。


※文量の制限はありません。一文でもいいし、一節でもいい。一文とかの場合、そのまま本文から引用してもかまいません。
※どこの箇所を要約してもかまいません。序文でもいいし、いきなり後半の箇所でもいいし、A版でもB版でもかまいません。
※或る要約が投稿されていてそれについて議論がされていたとしても、そこにまた別の人が要約を投稿してもかまいません。
※要約を投稿する場合、どの訳のどの部分を使ったか(ページとか目次とか)を、できれば書いてください。見た人が参照できるようにするため。
※外国語を使う場合は、日本語の訳を付けてください。
※要約(か要約へのレス)しか投稿してはならない、というルールではありません。もしなにかカントについて言いたいことがあったら自由にどうぞ。

のんびり行きましょう。

3年前 No.0
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百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

酸いも甘いも噛み分ける

【読み】すいもあまいもかみわける

【意味】酸いも甘いも噛み分けるとは、人生経験を積み、人情に精通し、世の中の裏も表も知り尽くしていることのたとえ。

愛は煮たり焼いたり冷ましたり酸っぱくしたり・・



私には経験豊富な人生は無理です・・

真理一筋でしか生きていけないので哲学なのです・・

1年前 No.166

てじ @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

>>58

>「自己流哲学」の紹介や、一般的すぎる問いや、本題から逸れた西田批判等は、別なスレでやってほしいと思います。


いや、自由にやりなよ。

5ヶ月前 No.167

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

てじさん

宇宙の始まりがあるか無しかでカント哲学は出来ています・・

5ヶ月前 No.168

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

こんばんは。

光文社古典新訳文庫
『純粋理性批判1』カント 中山元訳
を読んでみたいと思います。

よろしくお願いします。


第一部門 超越論的な感性論

感性・・・人間は、対象から心を触発され、心の内に像を形成する能力を持つ。(p70)

感性により、わたしたちのうちに感覚が現れる、その感覚の直観(すぐに疑問の余地なく理解できること、対象を看取すること)が、一般的に現象と呼ばれる。(p70.p250)

現象は、現象の素材と、現象の形式に分けられる。
素材はアポステリオリに与えられる。
形式はアプリオリに与えられている。
(p71)


↑とカントは言っているのかな、と、思いました。

【感想】
わたしたちは、色を感じたり、音を感じたりします。

感じている、具体的な生々しい色、が、アポステリオリに与えられた現象の素材であり、

感じてる色は、その時その時にアポステリオリ的に「位置」を持ってるように私たちにはみえます。
色を空間認知している、と、わたしは解しています。

この空間認知という在り方が、アプリオリなものだとカントは言っているのかなと今の所思いました。

空間認知という「形式」で、感覚を直観する。

また、感覚の直観が心の内に現れるのは、時間という形式の下に現れる、と言ってるのかな、と今の所思っています。

外的な物(≠物自体)の直観(例えば、色という現象)は、今ここ、という時間の位置を持ち、
記憶物の直観は(記憶の出力は現在にもかかわらず)過去に位置づけられ、現在と過去の対比により、動き(変化)が現れる。

ただ、この形式としての時間、は、本をまだちゃんと読めてなくて、カントはそう言ってるんじゃないかな〜という予想なので、全然外してたらすみません。

これから読んでいきたいと思っています。

とりあえずp72あたりまで、読んでみました。

1ヶ月前 No.169

空の光 ★j7nCe6nY8T_m9i

カントは人は「ものそのもの」を見る事は出来ない。
見るものを「どうとらえるか」だと言った。

つまり、見るもの全てを「自分色に染めてみている」と言った。

アンリ・ベルクソンも人は「ものそのもの」を見てないと言った。
「自分の中に長い間作り上げた棒を通してみてる」と言った。

ベルクソンは「ものそのもの」を見る。直感の哲学を提唱した。
見た瞬間の「ものそのもの」をとらえる。

それには、自分の中の棒の邪魔のない見たままをとらえる。
それを「刹那の吾」で見るとも言った 。ものを見た瞬間の自分を表に出す。


世の中の真理に近づく「見真実」になると判らぬものはなくなる。
「ものそのもの」=「真理」をみる事が出来る。

「ものそのもの」の実態は霊にある。霊が体に宿る。
人には霊の形は見えないから、宿った時の姿を見るしかない。

そして、霊の形が変われば、宿った物の姿もかわる。
だから「ものそのもの」は普通は見えない。
「現れたかたち」をとらえるしかない。

1ヶ月前 No.170

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

カントさんは理性の限界を補完する理論を述べてらっしゃいません・・

1ヶ月前 No.171

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

こんばんは。中山元先生訳1巻読みます。

p77〜

心の特性として、外的な感覚能力、と、内的な感覚能力。

外的感覚能力・・・対象をわたしたちの外的にあるものとして(空間の内にあるものとして)心に描く。この空間において、対象の形、大きさ、互いの関係が規定されうる。【外的な感覚能力の形式は空間】

内的感覚能力・・・自己を、あるいは、みずからの内的な状態を直観する。その内的な規定に属するすべてのものは、時間という形式との関係で心に思い描かれる。【内的な感覚能力の形式は時間】
(p78)

ところで、、、

人間が心で思い描く像はすべて、それが外部の物を対象とするかどうかを問わず、すべて人間の心の規定であるために、心の内的な状態に属する。そのため、時間はすべての現象一般にそなわるアプリオリな形式的条件である。
【時間は、内的な現象の直接的な条件であり、そのことによって、外的な現象の間接的な条件でもある。】
(p104)


わたしたちは、「すべての事物が時間のうちにある」と語ることはできないが、
「現象としての(すなわち感覚能力による直観の対象としての)すべての事物は、時間のうちにある」と語った場合には、この原則は客観的に正しいものであり、アプリオリな普遍性をそなえている。
(p106)


空間と時間は、経験的な実在性をそなえてると主張すると同時に、経験についての超越論的な観念性もそなわっている、と主張してるのだ(p90)


《他の本より》
1772年、カントはヘルツ宛の書簡で、
『変化が実在的なものであることは否定しません。ただしこの場合私が言っているのは、実在的なものとは現象に対応しているものだ、ということなのです。』
と述べてるそうです。
黒崎政男著
『カント『純粋理性批判』入門』講談社選書メチエ p76より

1ヶ月前 No.172

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

『純粋理性批判』
初版は1781年
第2版は1787年の発行だそうです。

ヘルツ宛の書簡の文章は1772年。

カントは1724年生まれだそうで、48歳くらいの書簡ですね。
初版発行の9年前。
考えてることも変化してるとこも変わってないとこもあるんでしょうね。

1ヶ月前 No.173

空の光 ★j7nCe6nY8T_m9i

宿題さん

詳しい事は分からないのですが。自分の中に残ったカントさんの説と
アンリ・ネルクソンの説を書かせていただきました。

理性の限界を補完・・・ごめんなさい。よく分かりません。

1ヶ月前 No.174

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

空の光さん

カントさんを他の哲学者さんたちが色々述べていてそちらからの視点の方が解り易いです・・

1ヶ月前 No.175

空の光 ★j7nCe6nY8T_m9i

宿題さん

ありがとうございます。
今のところ唯一手元にある「ソフィーの世界」を何度も読んでみます。

1ヶ月前 No.176

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

空の光さん

ソフィーの世界は入門書です・・

哲学書は難しいですよ〜

1ヶ月前 No.177

空の光 ★j7nCe6nY8T_m9i

宿題さん

哲学書・・・そうでしょうね。

ここでの会話すら追いつけないから・・・

それでもなせか哲学版は好きです。

1ヶ月前 No.178

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

空の光さん

空の光さんの感性のせっかくの文学のひらめきが・・

理屈っぽくなりますよ・・

1ヶ月前 No.179

空の光 ★j7nCe6nY8T_m9i

宿題さん

ありがとうです。
哲学以外の本も読むようにします。

1ヶ月前 No.180

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>直観が心の内に現れるのは、時間という形式の下に現れる、と言ってるのかな、と今の所思っています。

外的な物(≠物自体)の直観(例えば、色という現象)は、今ここ、という時間の位置を持ち、
記憶物の直観は(記憶の出力は現在にもかかわらず)過去に位置づけられ、現在と過去の対比により、動き(変化)が現れる。
ただ、この形式としての時間、は、本をまだちゃんと読めてなくて、カントはそう言ってるんじゃないかな〜という予想なので、全然外してたらすみません。<

中山元先生訳第1巻p110に、

『わたしはたしかに「わたしの思い描いた像は継起する」と語ることができる。
しかしこれが意味するのは、わたしがこうしたさまざまな像を、時間の継起にしたがうものとして、すなわち内的な感覚能力の形式にしたがって、意識するということにすぎない。だから時間は〈何ものか〉自体ではないし、事物に客観的に結びついた規定でもないのである。』

という文章がありました。
ので、
〉 〈 のような考え方でいいかな、と、とりあえず今は考えました。
意識に上る物は、アプリオリな時間という形式のどこかに位置を持っている、ということかな、と。

外的な色が、空間という形式で位置を持ってわたしたちの意識に上るように、
内的に意識する像も、時間という形式に位置を持つ。

で、外的な色も、結局内的な意識に上ってはじめて知覚されるので、

『時間はすべての現象一般にそなわるアプリオリな形式的な条件である。空間もまたすべての外的な〔事物のための〕直観の純粋な形式であるが、〔時間とは違って、人間の〕外部の現象だけにそなわるアプリオリな条件であるという制限がある。』
p103

『時間は内的な現象の直接的な条件であり、そのことによって、外的な現象の間接的な条件でもある。』
p104

ということかな、と、思いました。

1ヶ月前 No.181

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

何故カントさんは形而上学の見えない世界には言及されなかったのでしょう?

1ヶ月前 No.182

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

宿題さんこんにちは

まだ全然勉強できてないのですが、

カントは道徳の形而上学について述べてると思ってたのですけど、違うのでしょうか?

はやくそのあたりまで進みたいのですが、難しすぎてまったく辿り着きません(T . T)

1ヶ月前 No.183

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

今、カントは内的な直観の形式はすべて時間って言うけどほんとかなー、と、自分の意識を観察してみてたんですけど、妄想してる時の時間規定ってされてるのか自分では疑問に思いました。
カントの『認識』の定義を調べないといけないな、と、思いました。

哲学って時間かかりすぎますね。。。(私的感想です)

1ヶ月前 No.184

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

pipitさん

道徳とは社会生活の善悪の判断です・・善悪は真偽より下位なのです・・

【真善美】
人間の最高の価値としての、真と善と美。□「―の調和」

1ヶ月前 No.185

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

哲学者的には、

道徳の形而上学を述べる、なんて、

クレイジー的

なのかもですね ☆彡

1ヶ月前 No.186

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

pipit さん

[カントの]主著『純粋理性批判』(1781)の問題とするところは、 形而上学が学問として成り立つかどうか、ということであった。

 カントさんは・・形而上学は避けていらっしゃったそうです・・

1ヶ月前 No.187

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

宿題さん、こんばんは

カントは『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ』という本を出してるそうです。

この本を解説した、御子柴善之先生の『カント哲学の核心』という本の、p6に、
『したがってこの著作は、〈将来の形而上学〉の可能性を確信したカントによる、その形而上学体系に対する序説である。『プロレゴーメナ』の読解に際しては、彼が〈将来の形而上学〉に向けて、哲学の新しい問いを発してることが中心に据えられねばならない。』

とありました。

でも、カントの言う《将来の形而上学》は、宿題さんの定義する形而上学からは外れてるのかもしれませんね。

wikiにもこの本の説明載ってました。

最後らへんに、カントの文ではなく、wikiの記事として
『そこから形而上学的な問題提起が、世界の時間的空間的な制約に従って、全ての存在者の第一原因あるいは神の実存に従って、生じる。このことは、認識能力としての我々の理性の批判によって、理性がその能力のうちで証明したいものだが、理性はまた同時に制限され、全てのこの問題提起の(理論的な)解決不可能性だけが証明されるのである。』

とありました。

宿題さんは、神の実存の理論的な証明がされてほしいのかな、と、想像しましたけど、全然違ったらごめんなさいm(_ _)m

1ヶ月前 No.188

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

ところで、カントの時間に対する考え方を理解したいと思って、つまみ読み的にあちこち読んでますが、


ほんと、わからんです (~_~;)

時間だけが過ぎていく。。。

↑、あ、時間。。。。

1ヶ月前 No.189

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

上記御子柴先生の本、p49に、
『客観に妥当する判断を下すことが「認識」なのである。』前後云々とありました。

カント本文にも、
『(これには快と不快の感情や意志は含まれない。これらは認識ではないからである)、』(中山元訳1巻p130)
という記述をみつけました。

んー、かなり、範囲をキツく狭くとってる気がするなー

1ヶ月前 No.190

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

引き続き純粋理性批判を読んでいきたいと思っているのですが、ご縁があって、

『ニーチェクラブ』というサイト内にある、
『BBS ディオニュソスホール』という掲示板で続きを書かせていただくことになりました。

ディオニュソスとは混沌という意味だそうで、管理人さんもニーチェに限らず『なんでもウェルカムのディオニュソス掲示板』とおっしゃってて、宿題さんはじめ、このページを読んでくださった方も、もしよかったら気軽に遊びにきて書き込んでくださればとても嬉しいです(^ ^)♪

『ニーチェクラブ』と検索すればサイトが出てくると思います。

宿題さん、ありがとうございます

少しだけだったけど、楽しかったです!

また機会があったらぜひお話ししてくださいね( ´ ▽ ` )ノ

1ヶ月前 No.191

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

pipit さん

基本私はヤスパースさん師事です・・この掲示板なら私なんかで良ければいつでもresponseしますよ・・

1ヶ月前 No.192

ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙 ★fofH1MgenE_keJ

純粋理性批判とは『人間とは何か?』

1ヶ月前 No.193

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙さん

カントさん・・お読みになってお解りになられましたか?

30日前 No.194

ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙 ★fofH1MgenE_keJ

全く分かりませんでした

30日前 No.195

宿題 ★sicIy89Ne4_l7r

ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙さん

私は高校生の時カントさんの本が全く解りませんでした・・

しかししばらく哲学を離れて50歳を超えて戻ってみたら解るようになりました・・

私は自力で哲学書を読みましたが・・

今は離乳食のように飲み込みやすく解説されています・・

哲学の水先案内人が居たら・・登山ガイドが居たら・・楽々コースですね・・

30日前 No.196

ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙 ★fofH1MgenE_keJ

私は『放送大学』という文部省が設置した教養学部だけの大学でカントの勉強をしました

テキストは『近代哲学の射程』

これで何とかカントの考えは理解できましたが

今でも『純粋理性批判』をよんでもさっぱりわかりません

30日前 No.197

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙さん

「人間の理性は、或る種の認識について特殊の運命を担っている、即ち理性が斥けることもできず、

さりとてまた答えることもできないような問題に悩まされるという運命である。

斥けることができないというのは、これらの問題が理性の自然的本性によって理性に課せられているからである、

また答えることができないというのは、かかる問題が人間理性の一切の能力を越えているからである」



この部分位は理解できるでしょう?

29日前 No.198

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

こんにちは

今、ニーチェクラブさんという他掲示板で、純粋理性批判(第二版)の英訳文の抜粋を、少しずつ日本語訳にしていってます。

ある程度まとまったら、こちらの純粋理性批判トピに投稿してみます。

誤訳、誤解してたらすみません。

「純粋理性批判」のめちゃ大まかな構成書きます。

●序文
●序論
●《1》原理論
□感性論・・・1.空間論 2.時間論
□論理学・・・1.分析論 2.弁証論

●《2》方法論


序文、序論は有名な箇所だと思うのですが、まだほとんど通読してない身にはちんぷんかんぷんなことも多々あるので、
感性論から読んで行ってます。

英訳は、
「THE CRITIQUE OF PURE REASON
J. M. D. Meiklejohn」
を使わせていただきます。
無料でダウンロードできました。

著作権のことなどがあって、英訳を日訳しはじめたのですが、日訳する部分は一文一文に対峙することになり、強制勉強になっています(^^;;

私の英語力ではとても疲れますが、続けれるうちは続けたいと思っています。

中山元先生の日訳文庫本を大いに参考にさせていただいていますm(_ _)m

14日前 No.199

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

英訳文

DOCTRINE OF ELEMENTS.
FIRST PART. TRANSCENDENTAL AESTHETIC.

SS I. Introductory.

In whatsoever mode, or by whatsoever means, our knowledge may relate to objects , it is at least quite clear that the only manner in which it immediately relates to them is by means of an intuition.

(略)

The capacity for receiving representations (receptivity) through the mode in which we are affected by objects, objects, is called sensibility.


By means of sensibility, therefore, objects are given to us, and it alone furnishes us with intuitions;

(略)

That which in the phenomenon corresponds to the sensation, I term its matter; but that which effects that the content of the phenomenon can be arranged under certain relations, I call its form.


But that in which our sensations are merely arranged, and by which they are susceptible of assuming a certain form, cannot be itself sensation.

then, the matter of all phenomena that is given to us a posteriori;

the form must lie ready a priori for them in the mind, and consequently can be regarded separately from all sensation.

(略)
In the science of transcendental aesthetic accordingly, we shall first isolate sensibility or the sensuous faculty, by separating from it all that is annexed to its perceptions by the conceptions of understanding, so that nothing be left but empirical intuition.


In the next place we shall take away from this intuition all that belongs to sensation, so that nothing may remain but pure intuition, and the mere form of phenomena, which is all that the sensibility can afford a priori.

From this investigation it will be found that there are two pure forms of sensuous intuition, as principles of knowledge a priori, namely, space and time. To the consideration of these we shall now proceed.

14日前 No.200

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

日本語訳(誤訳してたらすみません)

1.超越論的原理論 第一部門 超越論的感性論

第一項 序文

私たちの認識が対象に関係する方式や手段が何であれ、認識が直接に対象と関係するたった一つの方法は、直観によるしかないのはきわめて明らかである。

(略)

私たちが対象によってなんらかの影響を与えられる(触発される)という方法を通して、表象を受け取る能力は、感性と呼ばれる。

この感性という手段によって、対象は私たちに与えられ、そして、それのみが私たちに直観をもたらすのだ。

(略)


現象の中で、感覚に該当するものを、その内容、質料(matter)と私は呼ぶ。
しかしながら、その現象の内容をある特定の関係下に整えることに影響を持つものを、その形式(form)と私は呼ぶ。

(略)

全ての現象の内容(matter)は、わたしたちにアポステリオリに与えられるのであるが、

その形式(form)は、アプリオリに心の中に準備されていなければならず、
したがって、(形式は、)全ての感覚からは区別され考察されることができるのである。

この超越論的感性論という学において、わたしたちは最初に、
受け取るものに、知性の概念によって付け加えられるものから、(知性によるものを)分離して、
感性あるいは感覚の能力を孤立させてみよう。
そうすれば、経験的な直観だけが残される。

次に、わたしたちはその(経験的な)直観から感覚に属するものを全て取り去ってみよう、
そうすれば、純粋な(=経験的ではない)直観だけが残されるだろう、
(残されたもの、純粋なものは)現象の単なる形式であり、それだけが感性がアプリオリにもたらすことのできるものなのである。

この探査から、アプリオリな認識の原理として、感性の直観の純粋な形式が2つ見つけられるであろう。
すなわち、空間と時間である。
さあ、今からこれらの考察を、わたしたちは続けよう。

(感性論序文終わり、感性論1空間について、に続く。)

14日前 No.201

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

紹介

YouTubeに
信州読書会さんの
「カント『純粋理性批判』を精読する」
という動画シリーズがあります。

12日前 No.202

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

スレ主のてじさんですね!
はじめまして、pipitと申します、
カントに興味もったのは2年くらい前からで、哲学素養も全然備わってないおっちょこちょいの未熟者ですが、
どうぞよろしくお願いします。
いろいろ教えていただけると嬉しいです。

ユーチューブのご紹介ありがとうございます。

後ほど拝見させていただきますね(^人^)

11日前 No.203

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>203

pipitさん、はじめまして!

私は4年ほど前にカントの『道徳形而上学原論』について大学の卒論を書きました。
『純粋理性批判』も読んだことありますが、中途半端な仕方で、でした。
教えられることなどありませんが、情報提供など出来ればなと思います。
よろしくお願いします。

11日前 No.204

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

てじさんへ

きちんとカントを学ばれた方だったのですね、いろいろな素養が欠けている私から見ればすごいなぁ!と思うし、頼もしいです。

誤読、誤訳、をたくさんすると思うのですが、気が向いたらご指摘いただければとてもありがたいですm(_ _)m

私はカントの倫理的な思考に一番興味があって、どのようなことをカントは言ってるのか知りたいな、と、思うのですが、その前に、純粋理性批判の内容をある程度は把握したいと思って、、、そうして全然そこから進めてません(^^;;

死ぬまでに(私はメビリン掲示板でいえばもう、中高年(老)カテゴリーなので)倫理部門に進めるか本気で危ぶんでいます。


信州読書会さんのユーチューブ、2本くらい見てみました。
30分程度 × 45本で、まだ、感性論に入る前の、序論部分 !
本当に精読ですね。

でも、序文、序論、でも、本編の内容のまとめ的な箇所がたくさんあるようですね。
自分が勉強している箇所に関連する動画を、その都度拝見したらいいな、と、思っています。
ご紹介ありがとうございます!

10日前 No.205

嫌われ霊夢と嫌われ魔理沙 ★fofH1MgenE_keJ

> >>198

宿題さん

あなた…相当できますね

10日前 No.206

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

こんばんは
おじゃましますm(_ _)m

DOCTRINE OF ELEMENTS.
FIRST PART. TRANSCENDENTAL AESTHETIC.

SECTION I. Of Space.
SS 2. Metaphysical Exposition of this Conception.


(略)
In order to become informed on these points, we shall first give an exposition of the conception of space.
By exposition, I mean the clear, though not detailed, representation of that which belongs to a conception; and an exposition is metaphysical when it contains that which represents the conception as given a priori.

1. Space is not a conception which has been derived from outward experiences.
(略)

2. Space then is a necessary representation a priori, which serves for the foundation of all external intuitions.
(略)

3. Space is no discursive, or as we say, general conception of the relations of things, but a pure intuition.

(略)

4. Space is represented as an infinite given quantity.

(略)

4日前 No.207

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

日本語訳(誤訳してたらすみません)

超越論的原理論 第一部門 超越論的感性論

1.空間について
第2項
この概念の形而上学的な解明

(略)
これらの点について見識を得るため、私たちはまず、空間の概念の解明を行おう。
私が言っている解明とは、ある概念に所属するものを、詳細でなくとも明確に描写することだ。
そして、その解明が、概念をアプリオリに与えられたものとして提示することを含む場合、その解明は形而上学的なのである。

1.空間は、外的な経験から引き出される概念ではない。

(略)

2.空間はアプリオリで必然的な像であり、全ての外的直観の土台となるものである。

(略)

3.空間は論証的(discursive:⇔intuitive)な概念ではなく、また、私たちが言うような事物の関係の一般的な概念でもなく、純粋な直観なのである。

(略)

4.空間は無限に与えられた量として表される。

(略)

4日前 No.208

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

てじさんへ

この部分の『形而上学的』の意味をお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?

アプリオリな認識(経験に依らない認識)、が、形而上学としての認識ということなのでしょうか ?

初歩以前、みたいなこと聞いてすみませんm(_ _)m

4日前 No.209

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>209

>アプリオリな認識(経験に依らない認識)、が、形而上学としての認識ということなのでしょうか ?


内実を掴んでいれば、細かいところは許容されるとは思いますが、
細かいところを言えば、
ここで「形而上学的」と形容されているのは、「認識」でなく「解明」ですね。

概念の解明とは
>the clear, though not detailed, representation of that which belongs to a conception

その概念にどういうことが含意されてるか、これを明瞭明白にするということですね。

そういった説明に
>that which represents the conception as given a priori

アプリオリに与えられたものとしての概念を表わすもの、が含まれていたら、
その説明は「形而上学的」解明である、と。

>2.空間はアプリオリで必然的な像であり、全ての外的直観の土台となるものである。

っていうのが、それに該当しますよね。
空間に対して、空間←経験という「後件から」でなく、空間→経験という「前件から」すなわち「ア・プリオリ」で、空間を説明しているので。
すなわち、空間概念が、経験の一般化によって後から得られたものでなく、空間は、経験を可能にしている条件だという風に説明している。
空間は純粋直観だという原理。
この原理を含んでいるから、形而上学的なんだ、と。

カントは形而上学に関して序文(光文社1巻p. 157)で

>形而上学の課題とするところは、対象をアプリオリに認識する可能性を確保すること、すなわち対象がわたしたちに[経験によって]与えられる以前に、対象について何ごとかを確認できるようにすることにある。


と言っています。

認識(経験)が可能となるための原理のひとつが、空間は純粋直観だというものでしょう。

上のような事情から、「形而上学的」と言われているのではないかと、思います。

3日前 No.210

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>210

てじさん、返信ありがとうございます

(^ ^)経験→『顔文字』という概念を人間が作って使用しているとき、

『顔文字』概念に含意されてるものを明瞭明白にしても、それらの内容はみんなアポステリオリ的なものしかでてこないけど、

『空間』という概念は、

空間 → 経験
という成り立ちをしていることが、
『空間』という概念に含意されていることを解明しているので、

この解明は、形而上学的解明とよばれる。


それがどうして『形而上学的』かというと、、、

ここで、光文社1巻p157見てみました。

第二版序文の、コペルニクス的転回の箇所ですね !

形而上学の課題は、対象をアプリオリに認識する可能性を確保すること、とカントは考えてたから、
可能性の確保に貢献する、純粋直観の原理を提示する解明は、形而上学的と表現したのかな、と、思いました。

哲学的に考えたら複雑になりそうですが、
もし、小学校の算数学、というものが仮にあれば、

1+2=3

という概念の解明(平易版)を行えば、
その解明は、

小学校の算数学的解明、ということかな、
と、今の時点では思いました。

すごく勘違いしてたらすみません。
とても助かります、ありがとうございます。

3日前 No.211

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

コペルニクス的とは天文学の二番煎じの応用・・

空間物質は限定的

精神は空間を超えて無限

1日前 No.212

pipit ★iPhone=OXdznfxiJz

>>212

宿題さんは超越がお好きですね〜(o^^o)

カントは『純粋理性批判』の序文で、
形而上学が、学としての確実な道を歩むために、数学と自然科学が確実な学となった経緯に学ぶべきではないか、模倣してみてもいいのではないか、って言ってるみたいです。

純粋理性批判の第ニ版序文から引用します。
『そこでわたしが考えたのは、形而上学においても数学と自然科学の実例に学ぶべきではないかということだった。(略)形而上学は、理性による認識であるという点で、数学や自然科学と共通しているのだから、形而上学がこれらの二つの学を模倣しようと試みるのは、望ましいことではないだろうか。』
『純粋理性批判1』カント、中山元訳、光文社古典新訳文庫 p156.157より引用。

ちなみに、wikiによると、
『1755年春、『天界の一般的自然史と理論』を刊行するが、印刷中に出版社が倒産したため、極少数のみが公刊された。この論文でカントは太陽系が星雲から生成されたと主張しており、この学説は1796年にラプラスが唱えた理論と似ていたため、19世紀にはカント・ラプラス理論と呼ばれた。』
そうで、
天文学も学として取り組んでた時期があるのかもしれませんね。

、、、
メビウスリング哲学版のルール見たら、なんか雑談禁止っぽくて
スレッドテーマからそれて会話するの気がひけるところがあります。

でも、宿題さんとは、いっぱい話してみたいですよ !(o^^o)
お恥ずかしながらカントに関して、あばたもえくぼ状態でしたけど、
宿題さんとの会話のおかげで、
冷静になるとパーフェクトじゃないな。。。と。。。思いましたよ。。。
宿題さんのせい(×)、おかげさま(◯)で 、、、
。・゜・(ノД`)・゜・。

前にも書いたけど、私はニーチェクラブというサイトの掲示板によく書き込みさせてもらってるので、
宿題さんの気が向いたらいつでも遊びに来てくださいね!!

おつかれさまです ♪

1日前 No.213

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

pipitさん

丁寧な言葉かけかたじけないです。

私の一番好きなヤスパースさんが実存主義。

私の一番嫌いなニーチェさんが実存主義。

どういうことでしょう?

私はしばらくここに居ます・・

ニーチェさん・・・・・・・・それは・・

1日前 No.214

嫌われ霊夢と嫌われ魔理沙 ★fofH1MgenE_keJ

>>214

『それが生きるというものだったのか!よしもう一度』

これが勇気を奮い起させる

4時間前 No.215
ページ: 1 2 3

 
 
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