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朝目が覚めたら やっぱり自分だった

 ( 哲学掲示板 )
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神様 ★I7DAQPCQoF_m9i

不思議なことだ、
自分とは、いったぃなんなのか?

自分とは自己意識のことだと もっていたのだが・・・・・
その自己意識ってのが途中で途切れる・・・・

仮に、死んで、自己意識が途切れて、いつか、どっかの星で、復活する ・・・・
ちょうーど、睡眠から覚めるやうに・・・・

霊魂か?

そんなものなぃよな。 絶対にない・・・・


無意識、深層意識、下意識・・・・ フロイト・・・・
そんなもんが あるのだろうけど、霊魂ってものはない。

3年前 No.0
ページ: 1

 
 

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

心のある人と心のない人はいます。

霊魂のある人がたまにはいるかもしれませんよ?

3年前 No.1

神様 ★I7DAQPCQoF_m9i

心ってゆーのも、あらためて、そりゃなんじゃ?
と問われると、また分かんなくなっちゃう・・・・

意識と心は、どー違うのか?

睡眠で意識が途切れても、眼が覚めれば、連続した自分であったり
となりのかぁちゃんと入れ替わったりしないんだよな

摩訶不思議

いづれにしろ、霊魂なんてないよな、

ないほうが面白い。

すべては一回限り、それゆえに いとおしかったりするのだよな。

3年前 No.2

SumioBaba ★KzTfoX50sk_gS5

>>0  神様さんへ

 面白いタイトルだったので、ついつい覗いてしまいました。

 仮に「霊魂」が実在するとしてみます。A氏の「霊魂」は、A氏が今夜眠るとA氏の身体から抜け出します。ただし、「自分は今日までずっとAだった」という記憶はすべてA氏の脳の中に置き去りにし、白紙の状態で抜け出します。そして明日の朝、A氏の「霊魂」はB氏の身体に宿り、B氏の脳から「自分は昨日までずっとBだった」という記憶を受け継ぎ、そう信じ込みます。

 眠った時でなくてもいいです。昼、活動している真っ最中に、A氏の「霊魂」とB氏の「霊魂」とが入れ替わるとします。ただし、A氏の「霊魂」は「自分は今までずっとAだった」という記憶をA氏の脳に置き去りにし、白紙の状態でB氏の身体に移り、B氏の脳から「自分は今までずっとBだった」という記憶を受け継ぎ、そう思い込みます。B氏の「霊魂」は「自分は今までずっとBだった」という記憶をB氏の脳に置き去りにし、白紙の状態でA氏の身体に移り、A氏の脳から「自分は今までずっとAだった」という記憶を受け継ぎ、そう思い込みます。そうすると、A氏の「霊魂」もB氏の「霊魂」も、たった今入れ替わったことに気付けません。

 常識的には、A氏、B氏、C氏の3人は、それぞれ下の〔A〕〔B〕〔C〕の1つの流れだけを体験している、と実感します。
    →A氏(t1)→A氏(t2)→A氏(t3)→A氏(t4)→A氏(t5)→  …〔A〕
    →B氏(t1)→B氏(t2)→B氏(t3)→B氏(t4)→B氏(t5)→  …〔B〕
    →C氏(t1)→C氏(t2)→C氏(t3)→C氏(t4)→C氏(t5)→  …〔C〕
しかし、もしかしたら唯一の心である「神」が、
    →B氏(t5)→A氏(t2)→C氏(t4)→  …〔X〕
のようにデタラメな順序で体験しているのかもしれません。もちろん、〔X〕の中のB氏(t5)は自分を〔B〕の中のB氏(t5)だと思い込んでいます。〔X〕の中のA氏(t2)は自分を〔A〕の中のA氏(t2)だと思い込んでいます。〔X〕の中のC氏(t4)は自分を〔C〕の中のC氏(t4)だと思い込んでいます。

 〔X〕のようなデタラメな「時間の流れ」はどうにでも想定でき、それは実証も反証もできません。だから、特定の「時間の流れ」を想定するのは間違いではないけれど、「なぜ他の「時間の流れ」ではなく、その「時間の流れ」だけが正しいと言えるのか?」という解決不可能な謎を残してしまいます。謎を生じさせない方法は、「「時間の流れ」は実在しない」と考えることです。〔A〕〔B〕〔C〕に出て来た15個の心をMi(i=1、2、3、…、15)とするなら、
    実在するのは「MiはMiである」(i=1、2、3、…、15)という自己認識だけ
    であり、これらには発生も消滅も無く、これら相互間には時間的前後関係
    も空間的位置関係も実在しない。
というのが、最もシンプルな定式になると思われます。この場合、個々の心相互間には時間的前後関係が無いのですから、15個の心はどれも「現在」であり、「過去」も「未来」も有りません。いわゆる「永遠の今」がこれだと解釈できます。

3年前 No.3

神様 ★I7DAQPCQoF_m9i

朝目が覚めたら、かぁちゃんと入れ替わっていた、なんてことが現実にはない。
こりわなぜかとゆぇば、自己ってのが、ぢつわ、身体とつながってる、というか、身体も実は自己の一部であるってことでは
ないのか?
 深層心理学ってゆぅか、仏教風にゆうと、何層にもなっていて、一番深いところが阿頼耶識なんてゆぅが、さらに奥には身体がある。
身体の構成物質は絶えず入れ替わり、配線も絶えず変化している、そんな身体が自己(意識)を構成している。

生生流転、
すべては一回限りであって、生まれては死んで一回限りの「生」が終わり、次から次へと新しい「生」が生まれてくる。

それにしても、死んだらどーなるのか、誰も知らない。

3年前 No.4

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

生まれ変わる魂や
一度きりの魂や
天国の世界に行く魂や
地獄の世界に行く魂や
地縛霊になる魂や
人生いろいろ魂いろいろ・・・・でいいのでは?

3年前 No.5

SumioBaba ★KzTfoX50sk_gS5

>>4  神様さんへ

>朝目が覚めたら、かぁちゃんと入れ替わっていた、なんてことが現実にはない。


 それは、
    朝目が覚めたら、神様さんの記憶が「昨日まで自分はかぁちゃんだった」
    に変わっていたり、かぁちゃんの記憶が「昨日まで自分は神様だった」に
    変わっていた、なんてことは現実にはない。
というだけです。記憶を変えない入れ替わりなら、たとえ毎日起きていても、それに気付けません。そしてそのような入れ替わりは、「起きた」とも「起きていない」とも言えません。「起きた」か「起きていない」かの区別自体が無意味と言えます。

3年前 No.6

てじ ★ZkiDndseok_Ew9

>死んだらどーなるのか、誰も知らない。

死んだら、日本では一般的に、人は火葬されます。死んだら、人知れず、人間は腐敗していきます。このことは、ほとんど誰でも知っていることではないですか。
冗談は止めましょう。ここでの問題の正しい定式化は、《私が死んだら私がどうなるのかどの「私」も知らない》、というようなものになるでしょう。
しかしながら、この定式もまたやはり冗談です。そして、死んだらどうなるか誰も知らないというのは、ナンセンスです。
なぜナンセンスなのか。二つの理由から、このことが言えますが、その理由を示すための問いは次の二つになります。
・「どーなる」とは、どういうことか?
・「私」とは、何か?
この二つの問いを一つにまとめると、
・「私」にかんして、(「私」が死んだら)「どーなる」とは、どういうことなのか?

問いを展開することは、ここでは省略しますが、簡単な答えを示しておくと、
・どうなるかで問題になっているのは、(全体)状況である。
・問題になっている「私」は、《実体ではないような主観》である。
そして結局、死んだらどうなるのかを誰も知らないという、事実を語っているようにみえる発言は、ナンセンスである。

なぜなら、実体ではない主観(私)が問題となっているときには、死んだらどうなるもなにもないからです。死んだらどうなるのかを誰も知らないという、《不在の事態》が現実に起こっているということ、このことはありえません。なぜなら、死んだらどうなるのかという問題がそもそも疑似問題だからです。疑似問題の答えを知るも知らないもありません。

ただし、「誰も云々ない」という全体否定を強調して言うならば、その発言は正しい可能性がある。その発言の意味が、死んだらどうなるもなにもないからそもそも知り得ない、ということになるのだとしたら、です。
また、勿論のこと、その問題に《死んだら火葬される》という答えがありえるのだとしたら、その問題は全くナンセンスではありません。しかし、だとすると、「死んだらどーなるのか、、誰も知らない」という発言は全くの間違いになります。多くの大人はそのことを知っているので、当然、間違いです。でも、そういうことを言いたいのではないでしょう。蛇足ですね。

3年前 No.7

神様 ★I7DAQPCQoF_m9i

ふ〜ん
わし哲学ってのは素人だが、そんな風に考えるのね、ち密だな。
よぉ分からんけど、ま、おっさるよなうなことなのであろう。

火葬されて灰になる、それだけのことだよな、でも、なんか言いたいってのは、心のどっかで
霊魂不滅とか、永遠の生とか、なんかあるんだろうね深層心理に。

人には、ろろんな思い出があって、それを思い出してる自分を見てる自分がいる。死とは、ろろんな思い出の事柄が亡くなることであって、
いわば らる意味、他者の死(世界の死)かも知れん。
などと考えてみたり、思いつきだが

3年前 No.8

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

ハードな部分が身体で
ソフトが魂なのでしょうか?

問題となるところは、体と魂が別物かどうかと言うことです。

3年前 No.9

神様 ★I7DAQPCQoF_m9i

別物でわなぃね、たぶん。
なにごとも、途方もない数が集まれば、そこに振動ってものが発生する。
脳細胞も膨大な数になって、じねんと振動が発生し、それが音楽ってものだろう。
 魂ってものがあるとすれば、これも、その種の物ではなぃか? であるとすれば体と魂が別物とは言えん。

人が意思決定するとき、ぢつわ、それ以前に、筋肉の電流はすでに流れてるそうで、意思決定とは、そも何ぞや
ってはなしだが・・・・
 小人な意思決定者が無数にいて、その集合が振動を発生し、それが分けのわからない、統一された、自己意識ってもんかな?と。
もったり。

3年前 No.10

神様 ★I7DAQPCQoF_m9i

生じたものは必ず滅する
これを認めるほかないのだな。
不滅の魂などなぃのだ。
 死んだら終わりょ

3年前 No.11

うさぎ ★YHyTjqP6Fr_ZFe

<11
すばらしい見解です。しかしながら一点だけ瑕疵があります。「・・・終わりよ」の証拠がない。
結局、5分5分のどちらかの見解になる。魂あるか無いの。

3年前 No.12

亮終無限 ★YbYhTPu8yV_mgE

「朝目が覚めたら やっぱり自分だった」とありますが、感慨としてはよく解かる気がします。

特に睡眠し夢を見て仮の世以外の異界の世界に魂として楽しんでいる夢も見ますし、その時「この方は誰なんだろう?」と
思いながら全然知らない人と交流している世界の夢を観ることがあります。

この世の仮の世界は考えていない状態とこの世の延長上の夢で、過去に経験したこの世のことの出来事がないまぜの若い頃
の夢を観ます。

夢の中で、「あれ、オカシイな」「すでに卒業している学校で、学校生活している夢とか、すでに退職している会社で仕事
に苦んでいる夢とかを観たりして、朝目を覚ますとこの世の肉体の自分に戻って「よかった」と思うときもあります。

要は、夢の中の自分が潜在意識下の本音そのものの自分で、夢から覚めた仮の世の肉体の自分は表面意識の建前の多い自分であります。

3年前 No.13

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

私は、初めて脳の中を見る検査を受けました。(少し被爆)
女医さんがおつしゃるには、綺麗すぎる脳らしいです。
初めて検査を受けるときに、あぁこうやって死んでいくんだという気になりました。
あの世に行く感覚でした。

3年前 No.14

★KpJlOIs1Hp_6st

目が覚めたら、まだあたりは薄暗い。いったい何時なんだ?時計を見ると7時26分。
あ〜、夢だったのか。と、ひと安心。

〈終わり〉の証拠は「生」。「生」には魂はあるが、霊魂はないと、わたしは思っている。

あ、神様のばあい、朝目が覚めたら、やっぱ、自分は神様だったのだ、って”思う”のね。
神様も寝るのね。ちょっと、安心。

3年前 No.15

ロズレイド ★Android=K9A6pgHK10

何から何までが自分なのか
相手の手を握った感触を覚えたとき自分と他者の存在を認知できるなら、
相手の手を握った感触を脳に直接与えるデバイスが登場したとき、
感触を通じて他者と自分を認知することができるのか?

3年前 No.16

ロズレイド ★Android=K9A6pgHK10

スマホを操作する指は果たして自分の指と言えるのだろうか?
細胞の集合群を私は服従させているだけではないのか?

3年前 No.17

神様 ★I7DAQPCQoF_m9i

>細胞の集合群を私は服従させているだけではないのか?

逆でつ
細胞の集合群に服従させられてる私。

一切の言葉は、言い訳、私が服従させているって思うための言い訳に過ぎない。

    一切の言説は仮名にして実なく、ただ妄念に随えるのみして不可得

らるぃわ、神に随えるって言い換えても可なりか?
人は神のおもちゃ、一所懸命踊れば良いのでつ。操縦桿は神の手にある。

3年前 No.18

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

主体としての存在なのか客体としての存在なのか
思惟されたモノか現実的なモノか
自由としての存在か存立としての存在か
この対立を克服して思惟されるもので交錯共鳴する相対的思惟があります。
物理的科学的思惟は発展していくものです。
しかしロボットや人形に魂を入れることが出来る技術が出来るとしたら?

3年前 No.19

★KpJlOIs1Hp_6st

〈ロボットや人形に魂を入れることが出来る技術が出来るとしたら〉が〈物理的科学的思惟〉。
やっぱ、物理学的科学はその物理的秩序から抜け出すことはできないし、そこに留まり続けるることを欲し、喜んでいる。
物理的方法、その試みは、統合度の最も低い構造、単純な関係のモザイクでしかない。
魂なるもには、ロボットとか人形に”入れる”っていう発想のもの基に名ずけられているのではなく、人間身体から生み出されているものに命名しているのである。人間を何だと思っているののよー!

人間を、細胞にしちゃいます?人間をロボットにしちゃいます?ヤバくない?この思考の方向、っていうより、その立場になっちゃってるいう、”そこ”に”立ち出でちゃっている”っていうことが。

キスをする。抱き合う。このような肉。ここにおける魂はおそらく霊魂にはないだろう。

〈自分だった〉は、やっぱ肉を持っていた、っていうのも含まれる気がする。

3年前 No.20

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

唯物論的な私さんもやっぱり魂とか信じちゃってるんですか?

3年前 No.21

★KpJlOIs1Hp_6st

身体主義者は唯物論的、って受け止められるのなら、それはそれでようございますが、唯物論とか唯心論などいう先行するカテゴリーを通過しない処理法のつもりなんですが。わたしが読んでいる哲学書では、「最も身近なものは目立たない」、「身体の媒介というものは、たいていのばあい、私に見逃されている」と、言う。

わたしにおける「魂」の概念は、「精神」「心」という語と同義語。この意味をわたしは漠然とではあるが了解している。でもその内容は信じていません。あの心は、たいていのばあい、わたしを裏切ることが日常茶飯事。

朝目が覚めたら、やっぱ、私ひとりだった。

宿題さまの「魂」なるものはどのようなものなのか。

3年前 No.22

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

私さんとは、国語の勉強になってしまいます。
魂とは、五感を超えた精神や肉体をつかさどる人格的な非物質の存在です。

阿さんの影響を受けた私さんは、この調子ででいくと、言葉の定義に終わってしまいます。

3年前 No.23

★KpJlOIs1Hp_6st

〈魂とは、五感を超えた精神や肉体をつかさどる人格的な非物質の存在です。〉ありがとうございます。ちょっと考えてみますね。

魂とは、
1)非物質の存在である。
2)五感を超えている。
3)精神や肉体をつかさどる。
4)人格的である。



わたし、ここに来る以前にもっとも影響を受けたのはフラニーでした。彼女についての記述は前に記しましたがここでもう一度書いてみますね(以下の記述はここでは却下さるべきものだと思いますが)。

『フラニーは、狼たちについてある番組を聴いている。私は彼女に言う――きみは一匹の狼un loupでありたいと思う? 軽蔑したような返事――そんなの馬鹿げている、たった一匹の狼なんかいるわけないじゃない、狼はいつだって八匹か十匹、六匹か七匹なのよ。これはつまり、たった一人で同時に六匹か七匹の狼であるというのではなく、他の狼であるということだ。〈狼になること〉において重要なこと、それは群集的状況であり、そして何よりもまず、群れに対する、狼―多様体に対する主体自身の位置、彼がそこに入り、あるいは入らないでいるやり方、それに対して彼が保つ距離、彼が多様体に接し、かつ接しない流儀だ。自分のした返事の邪険さを和らげるために、フラニーは一つの夢を語ってくれる――
「砂漠があるの。だからといてやっぱりそれは私が砂漠にいるという意味じゃないのね。それは砂漠のパノラマ的な眺めで、この砂漠は過酷なものでも無人のものでもなくて、ただその色彩、黄土色と、その熱くて影のない光のせいで砂漠なのね。その中に蠢(うごめ)く一つの群れ、蜜蜂の大群、入りみだれているフットボール選手かトゥアレグ族の集団。私はこの群れの縁に、その周辺にいる――でも私はそれに属している、私はそれに私の体の先端で、片手か片足で結ばれているの。私には、この周辺が唯一可能な場所で、もしこの混乱の中心に引きずり込まれてしまったら死んでしまうこと、でも同じくらい確実に、この群れを手放してしまっても、死んでしまうことがわかっている。私の位置を保つのはやさしいことではなくて、立っていることさえとても難しいほどなの。なぜかっていうと、この生き物たちは絶え間なく動いていて、その運動は予想不可能で、どんなリズムももっていないから。あるときは渦を巻くし、北の方へ進むかと思うと突然東に向きを変えて、群れをなす個体のどれ一つとして他の連中に対して同じ場所にとどまったままでいない。だから私も同じように絶えず動き続けている――こういったことはみんなひどい緊張を強いるけれど、ほとんど目が眩むのどの強烈な幸福感をもたらしてくれるの。』

朝目が覚めても、私は同一者である。

3年前 No.24

★KpJlOIs1Hp_6st

わたしは、〈私は同一者である〉と書いた。

フーコーは言う。
『近代の思考は、もはや〈相違性〉のけっして完成されることのない形成にではなく、つねに完遂されなければならならぬ〈同一者〉の解明に向かう思考である。こうした解明は、〈分身〉の同時的出現、さらに、「と」のなかにある、わずかだが克服しえぬあの偏差、そうしたものなしにはおこなわれないであろう。』

〈朝目が覚めたら やっぱり”自分”だった。〉ってね、「思考する」んじゃなくて、”感じてる”んよね。

3年前 No.25

宿題 ★iDmzDk5Pdf_Eca

私の存在を感じる。
私が存在している(理由)を思考する。

これが私なんだなぁって感じる。
何故これが私なのかを思考する。

微妙な違いはあります・・

3年前 No.26

★KpJlOIs1Hp_6st

〈これが私なんだなぁって感じる。何故これが私なのかを思考する。〉ーー私がわたしに働きかけている。

反省とは思考なのかもね。こういうのって哲学的なのかもかもね。

3年前 No.27

天地創造 ★xoWm1gXwx3_M0e

若し“朝目が覚めた”時、今迄の記憶やそれを含めた人格を引き継いでいない誰かに成っていたとしたら、それは“やっぱり自分だった”と、自分自身は思えるのでしょうか。

私は、脳に病を持っているのですが、全生活史健忘(記憶喪失)で保護された事が有るらしいです。
「らしい」というのは、全生活史健忘だった時の自分の記憶が、今の自分に引き継がれていないからなのですが。
例えば、aという記憶を持った人物Aが“朝目覚めたら”、Aの全生活史の記憶を引き継いでいないBという人物に成っていたという感じです。
又、bという記憶を持ち始めた人物Bが“朝目覚めたら”、Bの全生活史の記憶を引き継いでいないAという人物に戻っていたという感じです。

加えて、同時刻に相反する複数の記憶が生じてしまうという症状も、私の場合、出ていました。
この場合も、それは“やっぱり自分だった”と思えるのでしょうか。
例えば、“朝目覚めたら”、時刻tにxという記憶を持た人物Xだったと同時に、同時刻tにyという記憶を持った人物Yだったという感じです。
この場合、xを正史と捉えると、Xは“朝目覚めたら”、Yに成っていたという捉え方も出来ます。
又、yを正史と捉えると、Yは“朝目覚めたら”、Xに成っていたという捉え方も出来ます。

もう1つは、人格(記憶や意識、性格)の統合という現象が起きましたね。
例えば、lという人格を持った人物Lが“朝目覚めたら”、Lの人格を引き継いでいないMという人物に成っていました。
併し、mという人格を持った人物Mが“朝目覚めたら”、Mの人格を引き継いでいないLという人物に戻っていました。
そして、最後に、“朝目覚めたら”、Lの人格もMの人格も両方を受け入れた、或いは、両方を引き継いでいないnという人格を持った人物Nに成っていたという御話です。

以上の現象は、主観的ではありますが、“朝目覚めたら”、“やっぱり自分だった”と、自分では、思えなかった現象です。

併し、過不足無く引き継がれていないのは人格(上の例では主に記憶)であり、第二者や第三者から見た外観等は引き継がれている筈です。
そう考えれば、客観的には、“朝目覚めたら”、“やっぱり自分だった”事に成るのでしょうか。

自分だったと自分が思える事と、その人だったと他人が思える事には、大きな溝が有る気がします。

3年前 No.28

天地創造 ★xoWm1gXwx3_M0e

>>28 に)追記

(人格の例の所に追記です。)

lという人格を持った人物Lとmという人格を持った人物Mとでは、記憶も意識も共有しておらず、性格も全く異なりました。
最後に生まれ出でたnという人格を持った人物Nは、LとMの両方の記憶を引き継いでおりましたが、性格はLともMとも全く異なりました。

3年前 No.29

★KpJlOIs1Hp_6st

〈朝目が覚めてら、やっぱり自分だった〉における問題は〈自分〉とは何か、っていうとこのように思われている。わたしの言葉で表現するなら「私ってな〜に?」っていうところになるのですが。

天地創造さま、ちょっと、聞いて、いいですか?

(1)或る”ひとり”の人物がいます。その人物をXとします。そのXに現れている最後の人格ないし性格がnだとします。
   そこに、時−空間に関係なくlやmが同時に出現する。しかもその人格ないし性格ないし歴史が全く異なっている。
   っていうことでしょうか?
(2)その人物は、毎日、自分の姿や顔を鏡で見ているのですか?

ちょっと聞きたかっただけなんで、ごめんなさいね。

3年前 No.30

天地創造 ★xoWm1gXwx3_M0e

>私様
>>30


>(1)

僕の説明下手で済みません。
人格lと人格mは、統合して人格nに成った為、もう存在していません。
然し乍ら、その性格は全く異なっていました。
人格lが経験している事や学習している事を人格mは経験や学習をしていませんでした。
同様に、人格mが経験している事や学習している事を人格lは経験や学習をしていませんでした。
そういう意味では、歴史が異なっていたとも言えるかも知れません。
より正確には、人格lと人格mは同時には存在せず、双方の歴史は、相容れなかったのです。
現在の人格nを持つ(私様の定義為された)人物Xに成ってから分かった事なのですが、人格mが表に出ていた時の人格lの記憶は、唯だ唯だ真っ暗闇の中で、恐怖の様な感情で一杯でした。
従って、同時刻に於ける人格lと人格mの記憶は、全く異なるものでした。
但、人格lが表に出ていた時の記憶は、人格nを持つ人物Xにとっても、はっきりとはしていないのですが、一応、人格mが表に出ていた時と同様に、真っ暗闇の中に居たという記憶は人格nを持つ人物Xには残っています。
これが恐らく、人格の“統合”という現象の結果なのだと思います。


>(2)

人格lの時は、鏡を見たという記憶は、殆ど有りませんでした。
というより、鏡を見ても何か分からなかったのか、壊してしまいました。
確か、人格lは、鏡を見ても、それが自分の姿だと理解出来る迄、学習及び成長していなかった筈です。
人格mの時は、毎日の様に、鏡を見ていましたし、それが自分だと理解できる迄、学習・成長は達していました。
現在の人格nの時の人物Xも、毎日の様に鏡を見ています。
現在の人格nの時の人物Xは、人格lと人格mの、双方の記憶を引き継いでいますので、嘗ての人格mの学習・成長の御蔭で、鏡を見て自分の姿だと分かります。
但し、人格nの性格は、人格lとも人格mとも全く異なっていた為、人格の統合後は、可也、生活に苦労をしました。
主に表に出ていた人格が人格mでしたので、人格nに成った人物Xは、他者から見て違和感が湧かない様に、最初の内は、外面【ソトヅラ】だけは人格mを演じつつ、段々と、現在の自分である人物Xの人格nの性格の外面【ソトヅラ】に移行していったのです。

3年前 No.31

★KpJlOIs1Hp_6st

〉31、なんとなく、ある私の実存が聞けたような気がして、わたしとしては、よかった。
ありがとうございます。

3年前 No.32

うさぎ ★HJ6YNK7WFD_UHY

寝るという行為(睡眠)は、ある意味で死ぬことと同じではないのか?意識がとぎれて眠りに入った瞬間に死ぬのである。

夢を見ることもあるが、夢をみなければ死と同一ではないか? 違いはただ一つだけ・・・目が覚めるかどうかのみ。

2ヶ月前 No.33

★30JjgxOVKX_m9i

>33
うさぎちゃん

わたしね、寝る時、このまま目が覚めなければいいのに、って思うことあるよ。

2ヶ月前 No.34
ページ: 1

 
 
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