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神はなぜ悪を創ったのか?

 ( 哲学掲示板 )
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薪の王 @arom ★Android=be6xaWPL7M

悪は裁かれる存在

神は完璧な存在である
完璧な存在であるはずの神はあるミスを犯している
それはこの世に悪を創ったことだ
先ほど述べたように悪は裁かれる存在である
なら何故悪を創ったのか?
悪を創りそして罰するなど
私たちの神はずいぶん無能で無慈悲なものだ

それとも悪とは本当に悪なのか?
自然界において悪とはあるのか?
悪とは人類が発達し社会を築き上げたからできたのか?

4年前 No.0
ページ: 1 2

 
 
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★7yuMH7MX47_Pmd

>神が◯◯を創ったと言われるとき、この◯◯を措定する神とは何であるか?


>この問いで現実に問われていることから離れて


「現実に問われていること」とは、何でしょうか?「誰が」「何を」問うているのでしょうか?

3年前 No.38

霑キ縺□賢 @mebirin12 ★lFoLi7dEwE_VrM

そもそも、神なんていないと思うけどな。

3年前 No.39

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>前提条件として「神が悪を創ったと言われるとき」と言うのが書かれていますが、神は悪を造りません。

...神が悪を造らないとしても...人が誤って「神が悪を創った」と言うことはあります。
>神は悪を造りません。

神が悪を造らないのは、神の本質ゆえですか、それとも、悪の本質ゆえですか、それとも、神の気まぐれでしょうか。

>強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在するとしておきます。

これに従うと、
「神が悪を創った」と言われるとき...たとえ、それが神についての誤解にもとづいているとしても...そこでの悪は観念として考えられており...「神が悪を創った」と言う人に親切心を掛けてあげるならば...その言葉をこう解釈してやってもいいでしょうね...神が悪という観念を「この世に創った」という風に...
>現実に悪は存在しません。強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在する

しかし、こう言うことはできるでしょう...「現実に悪い行為は存在する」...悪い行為は実際になされています...私たちが...薪の王さんと私が...悪があると言うときには...それはほとんど...悪事や悪人がこの世にいるというようなことを念頭に置いているでしょう...しかも観念としての悪は問題にもならず...悪という観念があるということそれじたいは問題にならず...悪い行為、厄介な災厄、病気、汚れなどが現実にあって、それが私たちを襲うからこそ...だからこそ「なぜ?」とも問われるのです。
すなわち、悪は悪であるから現実に存在しないのではなく...観念は一般に現実に存在せず...悪が現実に存在しないことはこの観念の一般的性格に負っており...悪の本質によって悪が現実に存在しないのではないということになります...いや...あるいはですね...悪が本質的に観念であるということはありえる...しかし、もしこうであるならば...悪が何故本質において観念であるかということが問われなければなりません。

>造られうる悪とは、観念であり幻です。

...ここからこうも言えるでしょうか...神に造られうるものは観念のみである...と。あるいはそれとも、神は現実に存在するものもまた造り、観念もまた造る...と。
>悪は、実体として存在しません。てじさんは、悪は、実体として存在すると思っているのですね?

私は...てじさんは...悪が実体として存在するとは思っていません...実体とは何かということが...ここで語られなければならないでしょう...実体とはギリシャ語のヒュポケイメノンのことだと考えてもいいでしょう...私たちはヒュポケイメノンについて、そのものが云々であると述語づけなどします...その意味では...私たちは...「悪は云々である」と言うことがあるので...悪が実体でもありえるようにも思えます...しかし...悪はむしろ行為や人などに帰せられる性格であって...実体としての現実に存在する人間や現実になされる行為などについて言われるもので...つまり人や行為がなくてもそこに残るようなものではないのですから...悪は実体というよりは性格のようなものであると言った方が適切でしょう。
ところで...神が何かを造るとしても...何かに備わる性格だけを造ってそれが備えられる実体は造らないということがあるでしょうか...それは奇妙に思われます...むしろ神は何らかの実体を造りその実体に悪が内在していると考えた方がまだましではあるでしょう...しかし神が実体を造るのかどうかということはここでは決めないでおきます。

>「神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?」と言う文章において「神」「悪」「創った」「言われる」「とき」「措定する」と言う言葉のてじさんの理解をお書きいただければと思います。

望みは答えるべきものでしょう...しかし私はまず...「神が悪を創った」というのは他人の言葉であると言っておきましょう...これはスレ主の言葉です...私は今はなきスレ主とこのスレで「神はなぜ悪を創ったのか?」という問いに答える気がある全ての人に上述のように問いました...
「神」は...das Unbedingte...自らは制約されることも引き起こされることもなく...全てを(様々な意味で)動かすものであり...「観念」という言葉を乱暴に使うならば...観念ではなく...現実に働いているものです。「悪」とは...評価の際に結論として出されるもので...私たちに不都合であるということ、とも言えるでしょう...厳密に言うと...悪が現実に存在するとは言えず...悪い人間などが現実に存在するのですが...その人格において悪が永続するというよりは...その人の行為のしかたが不快であるような場合にその不快を人格に帰するところからして...「悪い人間」などと言うようになると考えます...ご覧の通り...悪の所在は不明です。「創った」は...これは少なくとも完了した行為ではあります...先程も言いましたが...これは私の言葉ではありませんが...創るとは何かが実現するようになるために障害を取り払うことです...或いは工夫して組み立てることでもあります...組み立てられたものは機能を制約されつつ特殊な機能を引き出されます...人間の創るということは力を解放させてやることでしょう...ところで今つくられるものは悪である...悪を解放させるために制約しつつ解き放つことなどできるのか想像もつきません...ただ...パンは放っておくと悪くなります...人間が放っておくとパンが悪くなる...私たちは困って「なぜ神はパンが放っておくと腐るようにしたんだ」などと言うかもしれません...このとき「創る」とは...パンの事情を定めることでもあります...つくるとは...事情を手配すること...整えることでもあるのですから...悪を創るとは...何ものかが悪くなるような事情に手配したという意味かもしれません...
「言われる」とは...とりあえず或る人が或る言葉を発することであり...同じく或る人がネット掲示板に書き込むこともまた「言う」と称してよいでしょう...というのも...「言う」ということは空気を震わせることでも音声を発することでもなく...或る事情を示すことだからです...「神が悪を創った」と「言う」人は...何らかの事情を念頭に置きながらそう言っていることでしょう...あるいはそういう文句がよく言われる決まり文句であるから...そういう文句があるということだけからして...事情を顧みずにそう言っているのかもしれませんが...もしそうならば...その言葉は中身が無いかもしれません...ところでここで「中身」というのは...そもそもそれについて語られたのだというその語られた事情のことです。
「とき」とは...場合のことで...云々と言われた「とき」と言うのを聞くと...私たちは何らかの状況を提示されることになります...私たちは話の土台を...それが粗雑なものだとしても...与えられることになります...土台というのは...前提と言ってもいいかもしれない...私たちはパソコンやスマホを前にしている状態にあるかもしれませんが...「一緒に旅行に言っているとしたら」などと非現実の状況を仮定することができます...このとき私たちは徐々にその想定に肉付けしてゆくこともできますが...その肉付けの果てにその旅行が現実化することはなく...想定された旅行を現実化するにはもう一度時間的に始めからやり直さなければならない...すなわち実際に外に出て会わなければならないことになる...「とき」は、私たちが話をするときのヒュポケイメノンとなり...「とき」が遠く離れた私たちを同じ場所にとどめる...「神が悪を創った」と言われる「とき」...そのとき私たちは主には発言者を想定して彼に問うことができるでしょう...私たちは発言者の発言の由来を...肉付けしながら...明瞭にすることもできるでしょう...もしもその発言に中身があるという肉付けがそもそも不可能なのでなければ。
「措定する」とは...物事が何らかのしかたで何らかの状況の最中にあるように仕向けることであり...つくることと同じような意味を持っていると言えます。

さて、
>造られうる悪とは、観念であり幻です。

>神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?

この二つを考え合わせると...神が悪を創ったと言われるとき、神は観念と幻を創っている...すなわち...神は人間に幻(観念)を見せるものである...というのも、幻や観念を創るということは、おそらく、人間などに夢を見せるようなこと...人間が幻に会うように仕組むことであろうから...そして...悪もまた幻や観念であるから...私たちは神に悪を見せられることになるでしょう...私たちは悪を見るでしょう...ただし、何か振る舞いや災害などを見て、それと同時に悪をも見るというしかたで...すなわち私たちの目に映ずるものそれじたいが悪なのではなく、そのものの意味が悪であるという風に...例えば...夢に出て来る人々に何らかの設定が織り込まれていて、そのことが何となく分かっているように...ということは神が何であるかというと...現実という夢の設定を仕込む監督であり...「とき」をもたらすものでしょう...悪ということに関連させるならば...悲劇を演出するものが神であることになるでしょう...神は手配者である...だから「神の摂理」などと言われるし「天命」とも言われるのでしょう...神の「動かす」とは...演出の手配に応じて駒を動かすようなものでありつつ...演出それじたいが役者を左右することでもあり...人形劇のように神が人々を完全に操るのではなくて...むしろ神は人々のアドリブに制約を加える不制約者として...人々の動きに限界を与える...ということにもなるでしょう...

ところで...神が創ったものとして不思議がられている悪とは...具体的には一体どのようなものでしょうか...
また...神は一体何を創ったのか...すなわち...神は何を演出したのか...何を手配しているのか...この手配されたものが善と呼ばれるとして...この手配が人間とどう関係しているのか...そういうことを尋ねてもよいでしょう...私たちはそれを尋ねてめぐりめぐって...神に出会うかもしれません...言いかえると...神を見るかもしれません...そして神を見たならば...そこから全ての「神」という言葉のうちに嘘と真実を見分けることができるでしょう...しかし...その人が現実に見つけたものは本当に「神」と呼ばれるに値するものなのか...このことは常に吟味されなければならないでしょうし...十分に吟味されるべきでしょう...

...色々言い過ぎましたが...時さんが何度か言っている観念について...それは何であるかと尋ねてみましょう...それは何ですか?

3年前 No.40

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>38
すみません...「この問い」とは(◯◯云々の問いではなく) >>30 の問いのことです。
誰が?――「私が」...何を?――「悪をつくるかぎりでの神の『quidditas=何たるか』を」問うています。

3年前 No.41

★7yuMH7MX47_Pmd

> >前提条件として「神が悪を創ったと言われるとき」と言うのが書かれていますが、神は悪を造りません。

> ...神が悪を造らないとしても...人が誤って「神が悪を創った」と言うことはあります。


神がいるだのいないだのと、まるでそれを人格的なものとして扱うもの達には、誤表現はありますね。

> >神は悪を造りません。

> 神が悪を造らないのは、神の本質ゆえですか、それとも、悪の本質ゆえですか、それとも、神の気まぐれでしょうか。


神も観念だからですよ。神と表現する観念は、悪と表現する観念を創れません。ですので、神はいるでもいないでも問題ないのですよ。

> >強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在するとしておきます。

> これに従うと、

> 「神が悪を創った」と言われるとき...たとえ、それが神についての誤解にもとづいているとしても...そこでの悪は観念として考えられており...「神が悪を創った」と言う人に親切心を掛けてあげるならば...その言葉をこう解釈してやってもいいでしょうね...神が悪という観念を「この世に創った」という風に...


「神が悪と言う観念をこの世に創った。・・・そしてこれも観念ですよ。」と言う風なものが一番親切でしょうか?相手が理解できればですが。この場合も、相手の理解が起こればこの表現は親切になり、理解が起こらなければ、無意味になりますね。

> >現実に悪は存在しません。強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在する

> しかし、こう言うことはできるでしょう...「現実に悪い行為は存在する」...悪い行為は実際になされています...私たちが...薪の王さんと私が...悪があると言うときには...それはほとんど...悪事や悪人がこの世にいるというようなことを念頭に置いているでしょう...しかも観念としての悪は問題にもならず...悪という観念があるということそれじたいは問題にならず...悪い行為、厄介な災厄、病気、汚れなどが現実にあって、それが私たちを襲うからこそ...だからこそ「なぜ?」とも問われるのです。


てじさんは、私の表現する「幻」を見ているのですよ。なぜなら、上で書かれた「悪い行為、厄介な災厄、病気、汚れなど」は現実に私(時)にはありません。ないものは襲いようがありませんが、てじさんには、実際にはそれがあり、それが襲うと言う思いがあるからこそ「なぜ?」が発生してしまうのですよ。例えば、宗教の修行でもいいですし、哲学を進めてもいいでしょう。今後、その答えを出してみてください。

> すなわち、悪は悪であるから現実に存在しないのではなく...観念は一般に現実に存在せず...悪が現実に存在しないことはこの観念の一般的性格に負っており...悪の本質によって悪が現実に存在しないのではないということになります...


逆ですよ。

>いや...あるいはですね...悪が本質的に観念であるということはありえる...しかし、もしこうであるならば...悪が何故本質において観念であるかということが問われなければなりません。


問う必要はありませんよ。その本質自体も観念ですから。

> >造られうる悪とは、観念であり幻です。

> ...ここからこうも言えるでしょうか...神に造られうるものは観念のみである...と。


そしてその神も観念ですよ。

>あるいはそれとも、神は現実に存在するものもまた造り、観念もまた造る...と。


現実に存在するものをと表現する段階で、唯物的な発想(観念)が起こっており、観念をも作ると表現する段階で、観念的な発想(観念)が起こっていますね。っで、迷い道に入り込んでいます。勿論これも観念的表現です。

> >悪は、実体として存在しません。てじさんは、悪は、実体として存在すると思っているのですね?

> 私は...てじさんは...悪が実体として存在するとは思っていません...実体とは何かということが...ここで語られなければならないでしょう...実体とはギリシャ語のヒュポケイメノンのことだと考えてもいいでしょう...私たちはヒュポケイメノンについて、そのものが云々であると述語づけなどします...その意味では...私たちは...「悪は云々である」と言うことがあるので...悪が実体でもありえるようにも思えます...しかし...悪はむしろ行為や人などに帰せられる性格であって...実体としての現実に存在する人間や現実になされる行為などについて言われるもので...つまり人や行為がなくてもそこに残るようなものではないのですから...悪は実体というよりは性格のようなものであると言った方が適切でしょう。


それを神と呼ぼうが、ヒュポケイメノと呼ぼうが愛と呼ぼうが問題ありませんが、ただそれだけが在るのですよ。それ以外の、悪だ善だ等々は観念ですよ。そして同時に、神やヒュポケイメノや愛等々だけが在るというのも観念的表現です。

> ...色々言い過ぎましたが...時さんが何度か言っている観念について...それは何であるかと尋ねてみましょう...それは何ですか?


私の解釈では、沸き起こる思いや考えの事です。

> すみません...「この問い」とは(◯◯云々の問いではなく) >>30 の問いのことです。

> 誰が?――「私が」...何を?――「悪をつくるかぎりでの神の『quidditas=何たるか』を」問うています。


私(てじさん)が神を問うているのですね。では、もう一度お聞きします。てじさんが書かれた「私」とは何でしょうか?

3年前 No.42

★7yuMH7MX47_Pmd

>>34

>意味があるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために無意味を説き

>無意味であるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために意味を説きます。


ですので「神はなぜ悪を創ったのか?」と問うものに対しては「神は悪はを創っていません。」と答えています。

そして以前に書きましたが、神は全てです。言い換えるのならば、神は何でもありです。勿論、これも観念です。

では、なぜ神は悪を創らないと表現したのでしょうか?

>意味があるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために無意味を説き

>無意味であるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために意味を説きます。


だからです。通じるでしょうか?もしも通じなければ、今後もてじさんに「なぜ?」が襲ってきます。ただそれだけの事ですね。以上です。

3年前 No.43

削除済み @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2015/05/09 14:51 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

3年前 No.44

★GUiGew9BrZ_Pmd

>おい、愚かで哀れな時よ、観念の説明がわけわからん。ちゃんと答えろ。


ん?何故に怒りが湧いているのだろうか?私(時)は、愚か者と自認していますし、何もできない事を知っている存在です。

goo辞書には、以下のように書かれています。仏語の意味があるとは知りませんでしたが、私が書いたのは3番の意味ですよ。

かん‐ねん〔クワン‐〕【観念】
[名](スル)
1 物事に対してもつ考え。「時間の―がない」「固定―」
2 あきらめて、状況を受け入れること。覚悟すること。「もうこれまでと―する」
3 哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像。表象。心理学的には、具体的なものがなくても、それについて心に残る印象。
4 仏語。真理や仏・浄土などに心を集中して観察し、思念すること。観想。

怒り(仏語では瞋恚)がなぜ発生するのか?そしてその怒りは、どのようにすれば消滅するのか?今後、哲学してみてください。
無明とは、貪欲・瞋恚・無知を言うのですよ。

>わけわからん。ちゃんと


てじさんはこの意味を、自ら分かった上で書いているのだろうか?

まぁ、問題ありませんが。

3年前 No.45

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>45

>ん?何故に怒りが湧いているのだろうか?

やはり「何故」が襲ってきましたか。どうして時さんはここで...問題がないのに...反応してしまうのでしょうか。
...ただし、この「何故」を...「哲学する」ことによって消滅させる前に、書き進めるだけで消滅させることができます。

時さんの「解釈」では観念は沸き上がる思いや考えであるようですが、goo辞書では「表象」や「主観的な像」であるらしいですが、神は観念ではありません。
神は観念ではない。神の観念は観念である。この区別を付けなければならない。

>てじさんはこの意味を、自ら分かった上で書いているのだろうか?

>>44 は嘘です。本当にあれを言うならば、私は別な形で答えを求めますからね。たとえば、観念の差異について答えをもらえるよう仕向けるでしょう。「何であるか?」「観念である」では、何にもならないですからね。

>無明とは、貪欲・瞋恚・無知を言うのですよ。

これの必然性を説明できるでしょうか...すなわち無名からこの三つが必然的に出て来るようなしかたで説明できるでしょうか。

時さんは「おい、愚かで哀れな時よ、観念の説明がわけわからん。ちゃんと答えろ。」という言葉に「瞋恚」を見出したでしょう。なぜ、 >>44 のレスをまず読んで「怒り」というものについて語り出したのか。それは私の怒りが(時さんいわく私に襲ってくるような)問題となったからだ。怒りが告発されて、怒りのカテゴリーのもとに、私の >>44 が怒りであると映じた。ここでの対話で、私の怒りなどが問題になるでしょうか。個人の怒りなど、それこそ問題がない、というか、いまの話に外れたことです。




元々の話に戻ります:
悪が創られうるのだとしたら、そういう悪はどういうものでなければならないだろうか?
神が悪を創ったと言われるときに、そういう、悪を創った神とは何であるか?

3年前 No.46

★HByxFcRLUZ_Pmd

やはり面白いですね(笑)

> >ん?何故に怒りが湧いているのだろうか?

> やはり「何故」が襲ってきましたか。どうして時さんはここで...問題がないのに...反応してしまうのでしょうか。


今までの私の経験により、大雑把な表現をすると、何かが沸き起こりそれについて考察した結果、問題がないと言う結論に至っています。問題があるから反応するのではなくて、その時どきに何かが意識の上に沸き起こり、それについての認知認識が起こり、次に思考が起こり、その思考が継続されると問題が発生したりしなかったりと言う事がその意識に起こります。ですから最初の段階で、意識に >>44 の投稿内容が意識に起こり、次にそれの内容についての認知認識が起こり、過去の経験と照らし合わせた思考が起こり、そして最終的にレスとして書くことが起こった時に、何故にてじさんに怒りが沸いているのだろうか?と言う表現が起こっただけですよ。問題はありません。

> 時さんの「解釈」では観念は沸き上がる思いや考えであるようですが、goo辞書では「表象」や「主観的な像」であるらしいですが、神は観念ではありません。

> 神は観念ではない。神の観念は観念である。この区別を付けなければならない。


3 哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像。表象。心理学的には、具体的なものがなくても、それについて心に残る印象。と書かれていますよ。

>神は観念ではありません。


では、神とは何でしょうか?答え出ます?

> >無明とは、貪欲・瞋恚・無知を言うのですよ。

> これの必然性を説明できるでしょうか...すなわち無名からこの三つが必然的に出て来るようなしかたで説明できるでしょうか。


無名ではありませんで、無明ですね。そしてこの無明からこの三つが必然的に出るような説明ですか?この三つを合わせたものを無明と表現しているだけですよ。ですので、無明から必然的にこの三つが出るというものではありません。例えばですが、バナナ(貪欲)とリンゴ(瞋恚)とオレンジ(無知)を合わせてフルーツセット(無明)と言います。と言う店主(釈尊)の定義があった場合に、この三つでフルーツセットと表現していますとしか説明できないでしょうね。

> 時さんは「おい、愚かで哀れな時よ、観念の説明がわけわからん。ちゃんと答えろ。」という言葉に「瞋恚」を見出したでしょう。なぜ、 >>44 のレスをまず読んで「怒り」というものについて語り出したのか。それは私の怒りが(時さんいわく私に襲ってくるような)問題となったからだ。怒りが告発されて、怒りのカテゴリーのもとに、私の >>44 が怒りであると映じた。ここでの対話で、私の怒りなどが問題になるでしょうか。個人の怒りなど、それこそ問題がない、というか、いまの話に外れたことです。


掲示板に限らず、真摯な態度ではない人は多くいますからね。レス内容もスレタイから大きく外れてしまう人も多くいますから。これも私の経験からくるものですが、もちろん私(時)もそれを知っていますし、そのような行いが起こったという記憶もあるという事ですよ。

> 私の怒りなどが問題になるでしょうか。個人の怒りなど、それこそ問題がない、というか、いまの話に外れたことです。


ですから、問題ないでしょ?ではなぜにそのような投稿を私がしたのかについては、直上で説明してます。

> 元々の話に戻ります:

> 悪が創られうるのだとしたら、そういう悪はどういうものでなければならないだろうか?

> 神が悪を創ったと言われるときに、そういう、悪を創った神とは何であるか?


強いて書くのであれば、私はそれを知っています。知らないのはてじさんですね。そして今回のてじさんの対応は真摯な対応だとは思えません。(観念です)ですので、今回はこれで一応最後にしましょうか。問題ないでしょ?(笑)

>>42
>私(てじさん)が神を問うているのですね。では、もう一度お聞きします。てじさんが書かれた「私」とは何でしょうか?


についても答え出ます?またお暇なときにでも、どこかに書いておいて頂ければと思います。

3年前 No.47

SumioBaba ★KzTfoX50sk_gS5

>>0

>神は完璧な存在である

>完璧な存在であるはずの神はあるミスを犯している

>それはこの世に悪を創ったことだ

>先ほど述べたように悪は裁かれる存在である

>なら何故悪を創ったのか?

>悪を創りそして罰するなど

>私たちの神はずいぶん無能で無慈悲なものだ


 こういう謎は、「多世界解釈」であっという間に解決です。「神」は全知全能であり、存在し得るすべての世界を造っているのです。「善ばかりの世界」、「善と悪とが入り混じっている世界」、「悪ばかりの世界」も含まれています。仮に「神」が「善ばかりの世界」だけを作ったとすると、「善と悪とが入り混じっている世界」や「悪ばかりの世界」は放棄したことになり、全知全能でなくなってしまいます。3つとも造ることで、「神」はより全知全能になり得ます。それだけのことです。
 全知全能の「神」は、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…の集合{M}を作り出し、自らそれらを体験するという遊戯をしているだけです。殆どの人間はそれに気付かず、自分を1人の人間だと思い込んでいるようですが、本当は誰もが「神」なのです。自分を1人の人間だと錯覚し、自分が体験できるのはどれか1つの心だけだと考えると、「幸福は良いが不幸は嫌だ」とか「善は望むが悪は好まない」とか、いろんな好き嫌いが発生します。しかし「神」にとっては、幸福や善を体験する心だけ集めても全知全能にはなれず、不幸や悪を体験する心もすべて集めたときに初めて、完璧なコレクション{M}が完成します。「神」が全知全能であるとは、そういうことなのです。

3年前 No.48

柊零 @arutov2 ★VQBm82F8gu_mLY

>>48

 なるほど、「多世界解釈」ですか。一理あります。
 私の考えだと、神は実験者なのではないのでしょうか。
「善のみの世界」「悪のみの世界」「両方が同じくらい存在する世界」「悪が多いが両方存在する世界」「膳が多いが両方存在する世界」それどころか、「猿人、新人が誕生しなかった世界」「明確な知能を持つ生物しか存在しない世界」などなど。そんなあらゆる世界を試し、神が思う正解を残し、他は消すのではないでしょうか。
 ですがそこは神、実験に1数十億年どころでは駄目で、千数百億年ほどかかるので、この世界は消えていないのでは。

3年前 No.49

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

怒りは、自分がそこから活力を得てくるような源を犯されたときに湧く。すなわち、自分が活動するときに、自分が根底とするものを破壊されたとき、それが生き生きとした根底として働かなくなるまで活力を奪われたとき、自分は怒る。仮に、決して怒らない者がいるとしたらその者は、自分を支える根底が決して侵されることのない聖なるものであることを知っているものだ。そのような者には、動かされざる真理が明らかとなっている。すなわち、どれほど根底が破壊されているように見えても、それは見かけだけであって、常に侵されざる源が存続しているということが彼には啓かれている。怒る者は何らかの意味でいまだにこの聖なる明示にたいして無知である。
決して損なわれざる聖なる真実が明らかでないものは、自分がすでに満たされうるということを知らず、完全に無償な(ただ与えるばかりの)活力源がすでにあるということを知らず、「自分はまだ...可能以上に与えられるべきだ」と、自分に恵まれるもの以上のものを望む。すなわち、聖なるものが明らかにされていないものは不当な分け前を貪欲に望み、その恵まれていない不当分が損なわれることに対して不当な(悪い)怒りを覚える。
怒りは貪欲と同じものである。貪欲は無知と同じものである。無知は怒りと同じものである。貪欲と瞋恚と無知は、ただ皿に並べて盛られた盛り合わせではない。それらは無明の三つの姿であり、無明という同一のものがその三つの姿に化けて現われる。

この聖なる無限に与えるものを神と考えるとき、神が悪(怒りや貪欲)を創ると考えることはできない。悪はいわば、私たちがどの程度神に対して顔を背けているかのその角度にすぎないようなもの、背ける顔に翳る翳りのように、存在しないものである。
では、この翳りの闇はどうしてこれほどにまでしつこくこの世に残っているのか。それは、私たちが何か別の源を金の子牛のように立てて、それを崇拝するからだ。この偶像崇拝がどれほど強力であるか。そしてなぜ偶像崇拝が必然的に起こるのか。

神が悪を創ったと言われるとき不思議になるのは、人間に必然的に偶像崇拝が起こることである。光から目を背けざるをえない弱い目を神が与えたのだとしたら、それゆえ必然的に人間が本来とは別なものに忠誠を誓わざるをえないとしたら、これはどういう事情であるのか。これが問題になるとき、神だけが問題になるのではない...神の恵みと人間の弱さが同時に問題になり、聖なるものと偽善のものが同時に問題になる。そしてそれを同時に問題にするためには、それらを纏めて問題へと集結させるための問題圏が明らかにされなければならない。無明という切り拓かれた問題圏のように。しかし...この切り拓かれた問題圏は、一つの概念となり、一つの常識となり、根本的な問題を回収してゆくエネルギーは奪われ、ただそれが開拓されたという功績の七光りだけが利用されることになる。

>悪とは人類が発達し社会を築き上げたからできたのか? ( >>0

>悪が神を作った ( >>6

ここに二つの問いがあると言える。……

3年前 No.50

うさぎ ★YHyTjqP6Fr_ZFe

悪とは知性の産物だろうね、アダムとイブのイブがリンゴ(知性)を食べたからこうなってしまった。
自然界には悪というものは  「無い」   のです。

3年前 No.51

宿題 ★RbvL5VVr1p_s2P

悪というものがあるのなら悪しくありうる意志のみひとり、悪であります。
悪しき意志とは、主観性と客観性をもって存在する自己存在に対する
経験的な主我の反抗を自らの本質とする反抗の意志活動が悪しきものです。

自己自身に背く悪しき意志は、善か悪かを選択する意志では無く自身を破棄してしまい結果悪となるのでは?

3年前 No.52

badapple @0829110 ★Android=n8TsJajQYF

悪がなかったら何が善か分からない。
よって善があたりまえとなり、幸福だとか感じることが出来ない。

俺が考えるに、悪は善や喜びを与えるために創ったのではないかと。

3年前 No.53

宿題 ★RbvL5VVr1p_2SX

神様は、自分を偉大に見せるために、引き立て役を作るとは思えません。

徳に反発する力(罪)は、引き立て役にはならないと思います。

3年前 No.54

badapple @0829110 ★Android=n8TsJajQYF

うんと、俺は神様を引き立たせるためって
言った訳では無くて
善を感じさせるために悪を創ったのではないのかな、と
言ったんだけどなー。

勘違いさせたのならすみません。

3年前 No.55

宿題 ★RbvL5VVr1p_2SX

>>55
上から見たら円でも横から見たら長方形・・みたいな捉え方をしてしまいました。申し訳ありません。

太宰治さんのように感じる心を亡くし
幸福も不幸も無くただ一切は、過ぎていきます。という善にも悪にも不感症の人をどう思いますか?

3年前 No.56

ことこと ★Android=0Z31BkedSI

神様は宇宙創って太陽創って地球創っただけです。
その上に住まわせてもらっている私らの価値観が勝手に決めたことを、神様のせいにしない。

3年前 No.57

うさぎ ★w71GsOkauY_UHY

悪とか善というのは人間が決めたことであって、神様が決めたわけではない。猫や猿の行為を悪だ善だと

言い切れるだろうか??

1年前 No.58

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

↓悪魔ちゃんがひとこと

1年前 No.59

悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

〉59、
あのね、天使ちゃん、わたしにフラないで。
(ここだけの話しよ。神と悪魔の子どもが天使ちゃんと悪魔ちゃんだって聞いたことあるけど、これって、誰にも言わないでね。)

〉58、うさぎちゃんは、まだ赤ちゃんだから、上記の意味、わかんなかもしれないけど、

「悪とか善というのは人間が決めたことであって」と「神様が決めたわけではない」は、なんか、変よ。

1年前 No.60

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>>60
子どもってそういうことか〜
じゃ、神様のローゴは悪魔ちゃんが支えてね
僕は代わりに悪魔を生むから

1年前 No.61

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

でも、悪魔って生まれたら死んじゃうんだったね
まあいっか、天使だし

1年前 No.62

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

不誠実な神は誠実な神なくして無意味であるとするならば、誠実な神は不誠実な神なくして無意味であるのだろうか?
悪がいったいなんで存在するのかは、やはり人間が悪を犯すからであり、だから悪は存在する。しかし、善に関しては人間が善の行為を行うから善が存在するというわけではない。「善」という完全なる理想があるから善を行うのであって、「善」という完全なる理想から外れるから悪は存在する。

我々はそもそも「悪」を目指そうとしない。
なぜなら「悪」を目指すということは、目指されるところのものが「善的」であるからこそ目指すのであって、善的でないところに「目指す」という行為は無意味なのである。

デカルトは「私が間違いうることを知っているのはなぜだろう?」と考えた時、不完全な私の存在が不完全だと知っていることから、このことが自分自身でわかることができる根拠を「完全性」の存在に求めた。
また、カントも「もし人がみんな嘘吐きばかりだったら、嘘をつくということそれ自体が成立しなくなる」とも言っている。
私の見解は後者のカントの言い分に従っている。

従って、悪は神によって作られたのではない。悪を作るのは人間である。しかし善はそうではない。

1年前 No.63

悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

〉63

神と悪魔、善と悪とは別に考えた方がいい、ってうこと?

1年前 No.64

ぽっぽ ★Tablet=K7huayrpar

つか、たぶん皆根は良い奴だから

勝手に悪くなったんじゃね?

まぁ、失敗は誰にでもあるから

神を責めないでね。

1年前 No.65

悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

ぽっぽちゃんって、新潟の子?(あ、これ内容に関係ないから気にしないでね)

神は沈黙するのみね。人間みたいにペラペラしゃべらないわ。
それをいいことに人間は神を利用したり、神について言いたい放題。

神の名のもとに人を殺す人もいれば、神を陰湿にいじめたりするもの(わたし)もいるし、まして殺しっちゃた人もいるみたいね。

神は人間とちがって、死はないわ。人間は身体をもつ。ここが根本的な違いかな?

あ、悪魔ちゃんもそうよ。

1年前 No.66

人間が悪を創った ★23nBkyRn09_Noa

そもそも、神が悪を創ったわけではなく、人間が勝手に神になれると勘違いした。

その勘違いこそ、悪=間違いである。


あなた自身も、神様が悪意を創っていると勘違いして
それを世間にこうやって吹聴しているが、
あなた自身が妄想してそう言っているに過ぎない。

人間社会でも何の根拠も事実もなく
犯したわけでもない罪を何もしていない人間に着せることは
濡れ衣という。

あなたも同じように、何の事実も根拠もなく
何も悪いことなどしていない神様にその罪を着せることは
濡れ衣であり、侮辱だ。

あなたは神様を裁けるほど偉いのか?

神様は悪意の張本人だと非難できるほど、あなたは正しいのか?

1年前 No.67

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ホビット 思いがけない冒険 という映画を観ていたら・・

東洋には苦と楽しかなかったけれど

西洋人は、悪魔や神と言う奇想天外なスケールを作り善と悪とを戦わせたかったのだと思いました・・

1年前 No.68

うさぎ ★HJ6YNK7WFD_UHY

人間だけに悪があって、他のすべての生物には悪がなく善もないのであるなら、神が悪をつくったので

はなく、人間が作ったというべきだろうね。本当は善悪というものはないのかもしれない。

悪とはなにか、を考えた時「知性」「知識」といえるかも?

1年前 No.69

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

私が持っている知識では

善と悪は対比はしていない。対比しているのは、善の勢力と、悪の勢力が、力の上で対比しているのである。

その比率は善:悪=20:1である。

善と言うものを究極まで考えると、悪が生まれる。悪と言うものを究極まで考えると善が生まれる。

つまり、

善の時代、悪の時代、善の時代、悪の時代と、人は繰り返しているだけなのである。

詳しく書くと、

皆仲よし、少人数が良い、皆仲良し、少人数が良いを繰り返しているだけなのである。

ま、これが理論上の悪だろう。

では、

死刑囚になるまでの残忍な犯行をおかしてしまう悪は何なのか?

それは『 ハグレ悪 』である。

その逆もある、『 ハグレ善 』もある。

これが『 事件 』と呼ばれる原因なのである。

つまり、善の勢力の中にはぐれてしまった悪が、事件を起こすのである。

悪は悪の世界へいけばいいのに。悪はわざわざ、善の世界へ紛れ込むだ。

ようはポジションの問題なのだ。

邪な心をもって、教職員なったものの、教育現場は、善の塊であり、悪にとっては地獄であろう。

1年前 No.70

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

悪とはなにか? 悪の定義ですが、私は公(おおやけ)というものを、民族・国家・自分の属する集団のために

行う行為言動のすべてだと思う。つまり、公(おおやけ)を人類に置かず自己中的な井の中カエルとか

自国(我が国)に求める行為すべてです。まあ世界史の15世紀以前だといって間違いないが・・・・

公とは島国か人類か・・

10ヶ月前 No.71

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_Vzx

最近出会った悪

『 俺がいなければ、会社はもたないぞ 』という阿保

そのまま、クビへ(笑) 45歳、クソバカ。

※警告に同意して書きこまれました (マナー/リアクション)
3ヶ月前 No.72

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_Vzx

悪の特徴は、やはり、『 記憶の改竄 』だと思う。

ようは、自分の脳・自分の心を改竄してしまう所だと思う。

しかし、つらい経験をし、自分の脳・自分の心を自分自身が改竄する行為はあると思われる。

例えば、二重人格とか。

では、ここで問題になってくるのは、★★ 人間にとって何か辛いのか? ★★

3ヶ月前 No.73

Kinchan ★Android=UJup4J1S1J

善と悪を考えた時、色々な意見はあるでしょうが、やはり何も罪の無い子供や普通に精一杯生きている人や自然を傷つけたり地球に危害を加えたりする人にはやはり悪が存在し、そしてその悪とは欲望に他ならない。

もしこの世に有り余る食料や資源があって、自分の生きていくのに全てが無料で無限大にあれば、人は何も奪い合う必要も無く結果的にはお金も必要無くなりそして戦争も無くなるでしょう。

よくネットで言われている事ですが、我々より進んだ宇宙人いたとして、結局彼らも物取り合戦しか出来ない下等な生物である限り、この宇宙での弱肉強食は続いて行くでしょう。。。

大きな銀河がが小さな銀河を飲み込むように。。。

しかし、これからどんどん科学も発達し、超未来が訪れた時、我々もそれらの全てを克服し、神への一歩手前のところまで到達するか、もしくは神への領域に行けるかも知れません。

その時、我々は本当に恵まれた世界へと移行出来るはずです。

なぜなら、我々は神の子だからです。。。

21日前 No.74

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_gSB

最近、新たな境地に立った。

まず、奴隷ってのはなぜに奴隷をしているのか?という点。
走って逃げれば良いものの…、悪人にこき使われて人生を終える…。

これでよかったのか?と

しかし、人はある日、ある悟りに行きつく。
自分の性を。
どうしようもない自分の性。

自分のためにしか生きられない自分。
他人のためにしか生きられない自分。

自分のためにしか生きられないのが、生命である。
そのような仕組みになっているのが、DNAだ。

15日前 No.75

空の光 ★HEt5gVPwdK_m9i

全知全能な神だから失敗はないだろう。

だとすれば悪も必要だったから作れらた。そして唯物主義も・・・

では、なぜ必要であったか。神のなさる事だから人には分からない。
でも、必要だったから。。。から・・・つまりいつまでも必要ではない。
いや、今もすでに必要ないものとされているんだろう。

では、神は悪人を裁くのか・・・
いや、悪はすればするほど魂に曇りが出来る。
魂には重量がある。
そして、霊界では曇りの重量分だけ下降する。
つまり、地獄へ近づく。。。

でも、今からでも罪の重荷を減らして行ければいいかな。

罪と同じ分だけ、浄まっていけばいい。

一番簡単なのは高い芸術に触れることかな。

8日前 No.76

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_gSB

なるほど…

皆さんがおそらく勘違いしている部分は…

いや、今から恐ろしい事をいうが…

神は悪なんてもんは作っていない。

悪は神よりも先に生まれたのだよ。

しかし、まぁ、人は都合よく考えるモノだとつくづく感じる。

@ 最初に悪が広がった。

A その後、神が現れた。

人は神一辺倒に考慮してしまう。

それは人が明かりを欲する生き物だからだ。

しかし、この宇宙の原初には、光が全くなかった。

光は闇に包まれていたのだ。

闇が一気に世界に広がったせいで、まるで鶏の卵の殻が割れるように

卵の中身、すなわち光が後から発生したのだ。

つまり世界の果ては、悪魔がいる。

それを追いかけるがごとく神が広がるといった具合でしょう。

7日前 No.77

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_gSB

わかりやすく言うと

神がいなかった時代があるという事。

神がいなかった時代は悪が世界を支配していたという事。

視野が狭いのだ。

この世界の神のみぞ知るのではなく、この世界の悪魔のみぞ知るという事がある。

神を信用できるかできないのか?…だけではなく、

悪魔を信用できるかできないか?も考えなければいけない。

つまり派閥のようなものだ。

神に一票をいれるか、悪魔に一票をいれるかの話である。

潜在意識の中で、人は、神しかいないと思っている。

いや、ちゃんと悪魔はいる。

神が悪魔を作ったのではない。初めから悪魔が存在しているのだ。

7日前 No.78

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_gSB

本屋にいくと、つくづく思う事。

本屋に『 悪の書はない 』

しかし、凶悪犯は本屋にうろついている。

それは悪魔に一票投じた悪魔自身が、悪魔の書を探しているからだ。

神とは別に、悪魔は最初から悪魔として生まれてくるのだ。




マジモンの悪魔理論。

輪廻転生。

悪魔は一子相伝。

悪魔は解脱により、悪魔というレッテルから解放される。

悪魔は、前世も後世も悪魔である。

悪魔は悪魔としか結婚できない。

7日前 No.79

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_gSB

悪魔の作り方。

愛情を注がなく、非難ばかりすれば悪魔は自然にやってくる。
では非難とはなんなのか?
それはペンギンである。鳥なのに、空がとべないペンギン。
人間なのに、人間として扱われない、その時、その人物は悪を選択する。

飛べない鳥、それが非である。
愛されない心、それが悪である。

自分は自分を守る。非難され続ければ、人は善より悪を選んでしまう。
悪の凄惨さは、この世で表現されるミステリー小説を逸脱している。
善人は悪人を理解できないのだ。
羊はどこまでいっても、羊であり、狼の気持ちなど理解できなのだ。

悪人はいったい何を考えているのだろうか?

一線を越えたら、私は戻れるのだろうか?

ペンギンは空が飛べる鳥をどう思っているのだろうか?

ペンギンは空を捨て海に居住地を映した。

悪人もそうだろう。

日中、活動的に動く人間社会。その善人の世界から逃げ出した臆病者の悪人は夜行性になった。

悪人は、人間社会に適応する人間をどう思っているのだろうか?

夜になると自動的に眠る人間。それを見下ろす夜行性の一匹の悪人。

悪人はこう思っているだろう。

こいつらはいつでも殺せると…。だって、私の足元で、彼らは安らかに無防備に寝ているのだから。
寝首を狩る。自分で自分を守るのなら、ここに眠る阿呆どもの寝首を狩るのが一番だと…。

人は無防備だ。

悪は虎視眈々だ。

悪は牙や爪を研ぐであろう。実際にそれをするだろう。

まさか、あの人が爪を伸ばして、ヤスリで研いでいるなんて思ってもいないだろう。

それが悪人の生き方である。

それが非人間の生き方である。

それが狼の生き方、ペンギンの生き方である。

神は悪を創造したのではない。

神の力は悪に届かないのだ。

悪は神よりも一歩リードしている。
悪はすでに道を踏み外している。
もう、一線を越えているのだ。
その一線が神の力が届く場所で、その先が悪魔が住む領域なのだ。

それゆえ、悪にすがる人間のパワーは凄まじい。
神の領域を超えてしまうからだ。

人は神に甘えていればいいのだ。
神のいう事を聞いておればよいのだ。

一線を越えればかえってこられないのだ。
もう、元の自分に戻れないのだ。

7日前 No.80

地下水 ★lHRYPNADL9_TJc

親が、子供をつくった。その後、子供が悪に染まったとしても、親が悪をつくったわけではない。
神が、人間をつくったとしよう。その後、人間が悪に染まったとしても、神が悪をつくったわけではない。神は、人間をつくっただけだ。
神が、宇宙をつくったとしよう。その後、宇宙の中に悪がうまれたとしても、神が悪をつくったわけではない。神は、宇宙をつくっただけだ。
万物の創造主である神は、宇宙のその後を、全て制御しているわけではないからだ。
全知全能の神も、悪をすべて把握して、常に制御しているわけではない。宇宙は広過ぎて、神も、見逃す悪が出てきてしまうだけだ。

6日前 No.81

空の光 ★HEt5gVPwdK_m9i

全知全能の神

人間に悪を制御しきれなくても・・・全知全能の神にで出来ないことはないんじゃない?

悪が好き勝手してるようで、神はなすすべがないのじゃないのかも。
悪がいつか自分から善になろうとするのをまってるかも?

それがいつまでもは続かないかな?悪がはびこるとこの世が滅びてしまう。
だから、そうならないうちに、善に立ち返らせるかな?

全知全能で人の思いを優先する神。自分から立ち返れるだろうと・・・

諸悪、邪法は改まる日が来るのだろう。

そんな中では悪は何も出来ないだろう。

6日前 No.82

地下水 ★lHRYPNADL9_TJc

 世界には、極わずかの超富豪が居て、その傘下に軍需産業や、退廃産業がある。超富豪は夏に南の島へ遊びに行って、架空口座で脱税をする。そこには1800兆円も集まっているそうだ。文明の兵器などは、資本の集中をますます生じ、脱税は再分配を阻害する。兵器などが開発され、大虐殺の悪が繰り返される。わずかな超富豪は、世界の半分以上の資産をまきあげているのが、現状だ。大統領は超富豪に破産を助けてもらい、政治はひも付きとなって、贅沢税、財産税、高額所得税などは撤廃され、消費税が庶民を苦しめる。
 貧しい者の味方であったはずの政党も、一党独裁となり、ほんのすこしの支配者が、資金も権力も独り占めしている。優秀な大勢の党員は庶民を統制し、時には粛清して、中央集権の犬と化している。
 超富豪と兵器開発、退廃による制御の構図は、強まるばかりだ。

 神社仏閣の御参り、紅葉狩りの楽しみ、桜の花見の楽しみ、わずかな心休まる一時が、庶民には残されているのである。さらに貧しい者には、何が残されているのだろう。

6日前 No.83

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_gSB

>>82

悪が善に戻れる方法がないのだよ。

狼は羊を食す。そんな狼が羊になるわけなかろう。

喰らう者の気持ちがわかる者が喰われる側に好き好んで進むわけなかろう。

5日前 No.84

トムコルレオーネ ★Tablet=0P2EQLgHIH

進化の反対を
退化、停滞、妥協
等と答える人々
長老は、これは適応と答えた

悪になる人は適応する必要を感じて適応したのではないのでしょうか

5日前 No.85

空の光 ★HEt5gVPwdK_m9i

悪の存在

人間社会にだけ悪がある。
なぜなのだろう。悪があるから善の側も警戒しなければならない。
時には悪と善が一戦を交えることもある。
そのたびごとに人類は進化してきた。

善が身を守るために・・・

でも、そんな進化を悪が利用してしまう。
それでもあきらめず善は進歩しようとして来た。
ところが悪が利用し続けた事で核兵器という破壊の究極天を生み出した。
こうなっては戦争ではなく一切の破壊になってしまう。

勝ちも負けもないのだ。戦争に手が出せない。
つまり悪の勝手で戦争を繰り返し、戦争不可能な事態になった。
誰も予想だにしなかった状態。

悪もこれには唖然としてしまったかな?

4日前 No.86

空の光 ★HEt5gVPwdK_m9i

夫婦喧嘩、親子喧嘩、親戚知人との仲違い。
悪があるから争いごとが起きる。
ではなぜ悪が発生したか・・・
悪の行為は時に人の心を苦しめる。
つまり、なぜ苦しみがあるのか?
それが分かれば悪行為もなくなるかな?

苦しみの解決した後は、気分もすっきりして天に昇る気分。
この気持ちが大事なんだと思う。
争いがなくても、いつもこんな気分ならいいのに・・・
苦しみの起こる直前は、心がどんよりしてる事が多い。
それが苦しみによって心のどんよりが消える。

これは、心のいや魂かな?の曇りを、苦しみが拭い去ってくれるのか?
苦しみもいろいろあるけど、病気、貧乏、争いかな。

心の苦しみをとる方法は・・・

難行苦行をする、つまり自発的な苦しみでとる。

人知れず徳積をする・・・つまり徳積に対しての人々の感謝の思いがぬぐいとる。

高い芸術に触れる・・・すでに心の苦しみのない人の心に触れるかな。

4日前 No.87
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