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神はなぜ悪を創ったのか?

 ( 哲学掲示板 )
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薪の王 @arom ★Android=be6xaWPL7M

悪は裁かれる存在

神は完璧な存在である
完璧な存在であるはずの神はあるミスを犯している
それはこの世に悪を創ったことだ
先ほど述べたように悪は裁かれる存在である
なら何故悪を創ったのか?
悪を創りそして罰するなど
私たちの神はずいぶん無能で無慈悲なものだ

それとも悪とは本当に悪なのか?
自然界において悪とはあるのか?
悪とは人類が発達し社会を築き上げたからできたのか?

2年前 No.0
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ssc7271 ★GWThtjDHOS_9PM

>18 マジカルモンキーさん
同意してくれるのですね。ありがとうございます。

私はキリスト教徒ではないので詳しくはわからないのですが、
キリスト教における(聖書の解釈としての)悪の起源は、アダムとイブが知恵の実を食べたことによるのではないでしょうか。
神が悪を創ったのではなく、人間が神との約束(ルール、法律)をやぶったことによって悪が発生した。

ではこの「知恵の実を食べる」とはどういうことなのか?
私は「悪の根源は無知である」と思っているので、この知恵の実とは「自分は知っている、優れている」という思い込みではないかと考えます(他にも解釈はありますが)。
そうすると、自分は知っていると思い込んでいる実は無知の人(知恵の実を食べた人)が悪を行うのであり、悪を為さないためには、自分は無知であると自覚すること(ソクラテスの「無知の知」)が大切だということになると思います。

2年前 No.19

宿題 ★iDmzDk5Pdf_9PM

マジカルモンキーさん
無知ゆえに悪を為すと思われますか?

2年前 No.20

火の口車 ★GA7WRRYJP4_M0e

「神はなぜ悪を創ったのか?」

正直に申し上げますと、神学についても哲学についても全くわかりません。不信心の罰当たりです。
私にできそうなのは、ここまでの議論のちょっとした整理だけです。

@
最初に茨の王さんの主張を可能な範囲で確認してみます。

神は完璧な存在である → 完璧な創造主から創られた被造物(人)もまた完璧なはずである

→ ところが、人間は完璧からほど遠く、悪に染まりやすい。 → 神自ら、悪に染まりやすい存在物を創造した上で、

それを罰するのは解せない。

A
ssc7271さんが、それについて興味深い指摘(A〜D)を複数示されています。

A「神が悪を創った」と言っていますが、それは聖書に書かれているのでしょうか?

→これに関しては私にはわかりません。


B「神は人を創った」「ソドムの住人は邪悪だ」ここから、「邪悪なソドムの住人を創ったのは神だ」という推論なのでしょうか?

→おそらく、これが茨の王さんのそもそもの疑問だと思います。

「神は人を作った。」→「人には悪の性質がある。」→「神が悪の性質を作ったことになる。」


C「神は闇を創った。その闇とは悪のことである」という発想なのでしょうか?

→この発想は宿題さんとマジカルモンキーさんとの議論の間で生まれたもので、茨の王さんの元々の疑問から離れていってしまっている

ように思います。


D「キリスト教における(聖書の解釈としての)悪の起源は、アダムとイブが知恵の実を食べたことによるのではないでしょうか。
 神が悪を創ったのではなく、人間が神との約束(ルール、法律)をやぶったことによって悪が発生した。」

→ここが私が魅力的に感じ、そして議論の穴にも見える点です。既出の論をまず確認すると…

 「神は人を作った。」→「人には悪の性質がある。」→「神が悪の性質を作ったことになる。」

ここで少し手を加えてみます。

 「神は人を作った。」→「人には約束を反故にする性質がある。」→「神が約束を反故にするという性質を作ったことになる。」

無知が罪の源泉であるというssc7271さんの慧眼は正直すごいと感じました。それを前提に片目をつぶって聞いてください。

ここでは最初の投稿者さま、茨の王さんの論点がズラされていることが確認できます。元々の疑問は、

「なぜ、完璧な存在者たる神が悪という性質をもつ人を生み出したのか」というものでした。

ここで、「神は悪を作り出したわけではなく、人間が神との約束を破ったことが悪の源泉である。」という説明を持ち出しても、

「そもそも、なぜそんな欠陥品(無知で約束を破る)を創りだしてこの世に放り出したのか」という茨の王さんの疑問は残された

ままです。



……揚げ足とりをするようなことを書きましたが、私自身はまったく茨の王さんが納得いきそうな答えを提出できそうにありません。

(無知こそが罪という見方が素晴らしいとおもった理由の一つです。)いつかどこかで聞いたことがあるような「なぜ、全知全能の完璧な

存在者がわざわざ不完全なものを創ったのか?」それは不完全な我々には決して知ることが出来ない。信仰こそが大事。というお茶を

濁した解答で〆させてください……。

2年前 No.21

ssc7271 ★GWThtjDHOS_9PM

>21 火の口車さん
とてもわかりやすい整理だと思いました。

さて、これに私が何か言うのは差し出がましいような、もう私は引っ込んでいたほうがいいような気もするのですが、少し。

まず私がNo16を書いたのは、宿題さんとマジカルモンキーさんのやりとりを見たからです。

マジカルさん>悪が神を作ったと俺は記憶している。
宿題さん>神様の親分が悪なんて滅茶苦茶やん・・

宿題さんのほうが正しい言い分だと思います。「悪が神を作った」などと私は聞いたことがありません。

マジカルさん>闇から光が登場したんじゃなかったか?
宿題さん>闇=悪ではありません。

私の記憶では、『創世記』において、闇に悪の意味を含めているようには思えません。ここでも宿題さんのほうが正しいと思います。

マジカルさん>宿題さんは良く考えてから、文章書いたら?

これはちょっとヒドイのではないかと思いました。そして、

マジカルさん>『 闇=悪ではありません 』と言い切るんだったら、宿題さんは、悪の正体を知っているって事じゃない?

マジカルさん自身は悪の正体を知っているのだろうか?
それともマジカルさんも知らなくて、そして宿題さんが答えられない質問をして、その答えられないことによって「議論に勝った」とするつもりなんだろうか?

これはこの掲示板でよくあるテクニックです。
自分の無知を棚に上げて、または無知を装って、相手に答えられないような質問をする。
「お前が私に理解させられないのなら、お前の言っていることは間違い」と、相手に執拗に説明を求める。
しかしこれでは、「理解できない」と無知を装っている者が議論の勝者となってしまう。
私は、こういう議論のテクニックが嫌いです。
無知な者をエライとするのは、すごく滑稽なことです。

そしてもう一つ。
「悪の正体は何か?」
マジカルさんや宿題さんは答えることができないでしょう。
でも総理大臣や大統領やローマ法王や天才と言われる人、たとえばスティーヴン・ホーキングでも答えられないでしょう。
おそらくこんなのを答えられるのは私だけだと思います。
だから私が答えるべきだと思い、書き込みました。

そういうことで、火の口車さんは「薪の王さんの論点がズラされている」と指摘されますが、そもそも私にとって「なぜ、完璧な存在者たる神が悪という性質をもつ人を生み出したのか」という元々の疑問には正面から答えるつもりがなかった、というか。

2年前 No.22

ssc7271 ★GWThtjDHOS_9PM

おそらく聖書には「神が悪を創った」とは、直接は書かれていないでしょう。
そうすると「なぜ、完璧な存在者たる神が悪という性質をもつ人を生み出したのか」という疑問は、勝手に聖書を拡大解釈して批判しているわけです。
たとえば議論においても、自分の意図とは違ったように拡大解釈して批判されても、「私はそんなことは言っていない」と答えるだけでしょう。
モーゼだって「創世記はそういうことを意図しているのではない」と答えるのではないでしょうか?

しかしキリスト教徒は信者を増やすために(異教徒を信者にするために)そういう疑問に答えてきました。
もともとモーゼが意図していないのですから、キリスト教徒が聖書を解釈して答えを出したとしても、それはなにか今一つ納得できるものにはならないでしょう。

私はキリスト教徒ではなく、はるか昔、アウグスティヌスの『告白』を読んだだけです。
「なぜ、完璧な存在者たる神が悪という性質をもつ人を生み出したのか」という疑問はありふれたものですから、もしかしたら『告白』でアウグスティヌスが答えているかもしれません。
しかしもう『告白』の内容を思い出すこともできず、かといってまたアレを読むのも億劫で(だから「元々の疑問には正面から答えるつもりがなかった」のですが)。
そういうことで、もしアウグスティヌスならどう答えるだろうか?という想像でお茶を濁すことにします。

さて、全知全能の完璧な存在者が、全知全能の完璧な人間を創ったとしたら、この人間は神への奉仕者となるだろうか?
この完璧な人間は神と対等の存在になるだろう。
神への奉仕者としてそのような存在はふさわしくない。
神はなんの目的もなく人間を創ったのではなく、自分への奉仕者として人間を創った。

ところで、神がすべてのことをいちいち指示しなければならないのであれば、それは神が奉仕している状態になる。部下にすべてのことを指示しなければならないのは、部下に代わって頭脳労働をしているということだから。
そうならないために裁量を与えます。
神は主で、人間は従。そういう関係だから、神は奉仕する人間に裁量を与えた。
裁量とは自分で判断することだから、そこで間違いが発生することもある。

「なぜ、全知全能の完璧な存在者がわざわざ不完全なものを創ったのか?」
神は自分への奉仕者として人間を創ったから。
というのは、どうでしょう?

さて、でもこれでは「なぜ人間は不完全なのか」に答えたことにはなっても、その「不完全」に「悪」は必要ないだろ?というのには答えられていない。
「なぜ、完璧な存在者たる神が悪という性質をもつ人を生み出したのか」。
これにも答えたほうがいいと思うのですが、そしてそれは自分のブログに書いてあることをまとめるとその答えになりそうなんですが、でもその気力がないので、今回はここまでにさせてください。
と言っても、次回も未定です。ごめんなさい。

2年前 No.23

火の口車 ★mQM4jDmu9x_M0e

短文レスは趣味ではないのですが、書き込みたくなりました。
ssc7271さん、誠実な書き込みありがとうございます。

2年前 No.24

★KpJlOIs1Hp_6st

〈自然界において悪とはあるのか?〉、ありません。

〈短文レスは趣味ではないのですが〉すなわち、言葉の意味を知らない、っていうことね。

〈神はなぜ悪を創ったか〉って?について、
神も悪も、善も、真理、偽も、理も、「ありません」。

わたし、誠実「物」じゃないんで、ごめんあさいね。

2年前 No.25

マジカルモンキー ★7gE4yVfVeW_KMC

悪は説明できます。

悪と魔はまず違う。

悪は、生活圏に存在する。
魔は、どちらかというと自然圏に存在する。

生活圏に住んでいる大物の悪は、通常の人間には発見されにくい。
悪は人権は理解できない。

例をあげるとなると、悪の発見出来る場所は、衣食住である。
悪は自らの衣食住はできるが、他に対する衣食住ができない。
悪は人権が理解できていない。
自分以外の他人が人間であることが理解できない。

悪は、他人の服をはぎ取る。悪はボロボロの服を着させる。悪は濡れた服を着させる。
悪は、寝かさない。悪は、起こさせない。悪は児童、ペットを虐待を虐待する。
悪は、毒を食わせる。悪は水を飲ませない。悪は泥を食わせる。
悪は、繁殖を妨げる。不純異性行為という。

悪は、【 健全を嫌う 】



人は他人を人と思う。その人は、自分と同じように人であると思っている。
人は親がいて、人は恋人がいて、子供がいて、この人を頼りにしている人がいる。

悪は、それらを考えていない。
目の前のホモサピエンス・サピエンスには、親がいなく、恋人がいなく、子供がいなく、頼りにしている人がいない。
ただただ、単なる単体としてみている。

こいつを怒らせたらバチが当たるなんて、一瞬でも思わない。

なので、悪はエスカレートする。下手すると誰かが止めるまで、続く。
破滅や死というゴールを切るまで、止まらない。

2年前 No.26

マジカルモンキー ★7gE4yVfVeW_KMC

悪は、よく、一線を越えることで誕生する、表現が多い。

初犯と常習犯は違うのだ。

初犯は、一線を越えて間もないため、悪行を失敗する。
常習犯の場合、発見するのは難しいだろう。

悪行をするということは、悪いことだ理解していて、実行する行為だ。
悪い事をした事が無い人の場合、その一線を越えるのは難しい。

 善 | 悪

人は善と悪の違いを理解できている。

2年前 No.27

マジカルモンキー ★7gE4yVfVeW_KMC

悪は、頭がいい。そして、常にこんな事を考えている。

『 どうなるんだろう? 』

悪は、良く知っている。彼らは実験をしている。この社会を使って。

『 これこれこうやったら、どうなるんだろう? 』と

人に毒を飲ませたらどうなるんだろうとか、
爆弾を爆発させたら、どうなるんだろうと……




善は、無知になりやすいと思う。良い事ばかりで考えることが余りないからだ。
ただ、知能テストを受けたマジカルモンキーの経験から言わせてもらえば、

☆☆ 脳は、善なる行為を前提に、先を読み、それを絵本にして、行動する ☆☆

これを予知能力といったら、嘘になってしまうので、先見性が鋭いといっておく。

知能高い人は、この先見性が無意識に鋭いのである。
これは善なる社会が前提であって、そこには悪行が存在しない。

まさか、お前がそういう行動でるとは思わなかった…、悪行をするとは思わなかった……

☆☆ 善は裏切りに非常に弱い ☆☆

ブルータスお前もか?など…

2年前 No.28

マジカルモンキー ★7gE4yVfVeW_KMC

善はどちらかというと物理の法則で動いている。
衝突のないように、秩序正しく整理整頓が得意。

悪は、傍観している。
どうなるのだろうか?と、一石を投る準備をしながらと虎視眈眈と社会を眺めている。

2年前 No.29

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?

2年前 No.30

夢心 ★LrLSnWibqU_XaU

神が悪を創ったとするのは、性悪説に基づくものでしょうか?

神から分かれた神の子は、森羅万象の自然でありましょう。

神の属性に悪はありませんから、善なる神性としての神の子であるならば、性善説に基づくことになりますから、
神が悪を創ったとするのはありえないことのように思います。

ただ、神が不機嫌なときは、悪の形として創られることはあるようであります。

2年前 No.31

★Xpu0iDOg2B_Pmd

>神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?


神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?
神が善を創ったと言われるとき、この善を措定する神とは何であるか?

答え出ます?

2年前 No.32

★Xpu0iDOg2B_Pmd

神が悪を創っていないと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?
神が善を創っていないと言われるとき、この善を措定する神とは何であるか?

答え出ます?

2年前 No.33

★Xpu0iDOg2B_Pmd

神が意味を創ったと言われるとき、この意味を措定する神とは何であるか?
神が無意味を創ったと言われるとき、この無意味を措定する神とは何であるか?
神が意味を創っていないと言われるとき、この意味を措定する神とは何であるか?
神が無意味を創っていないと言われるとき、この無意味を措定する神とは何であるか?

意味があるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために無意味を説き
無意味であるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために意味を説きます。

見取(見解への執着)が消滅する時、それは発現します。

神が発現されたと言われるとき、この発現されたものを措定する神とは何であるか?
神が発現されなかったと言われるとき、この発現されなかったものを措定する神とは何であるか?

それを知るものは、探究自体が問題だと言います。なぜなら、探究自体が無意味だからです。

答え出ます?

2年前 No.34

夢心 ★tzyJahbbaL_Zos

悪の発生原因を、人・時・所によって悪が発生するという考え方もあると思いますが、
神の不機嫌さによって、悪が発生するならば、神の子の人間も不機嫌によって悪は生
まれると思います。

人が他の人の反応によって、起きる場合もありますが、他の人の反応出ないときも、人
が不機嫌によって悪想念が生じ、清い心に曇りを生じさせることで、人に曇りにおける
悪の発生した自覚がなくとも、神から観たら、その人の不機嫌によって悪が生じたよう
に観えると思われます。

2年前 No.35

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>32
そうですね...「答え」なんていくらでも「出ます」よ。
しかし...その前に検討しておかなければならないことがあります。

>神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?


私たちは...私と時さんは...すぐに悪というテーマを忘れて...問いの形式を保ったまま...
「神が◯◯を創ったと言われるとき、この◯◯を措定する神とは何であるか?」という形だけ保ったまま...
この問いで現実に問われていることから離れて...問いの形式の可能性を問うにいたっていますね。
しかしですね...私たちはそれを考える前に...「悪を創った」という言葉...この言葉に引っかからなくてはならないでしょう。
私たちは...時さんと私は...この問いに答える前に...問いそれじたいを問わなければならないことになります。

すなわち、創られうる悪とは何であるかと問われなければなりません。
同じことですが、悪と意味とがそれであるものが何であるかを、私たちははっきりさせておかなければならないでしょう。

時さんは...悪を創ると聞いて...何の話がされているか了解していますか。

2年前 No.36

★7yuMH7MX47_Pmd

>神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?


まずは、私の理解では、この文章自体が奇妙な文章です。前提条件として「神が悪を創ったと言われるとき」と言うのが書かれていますが、神は悪を造りません。ですので、この文章自体がおかしな問いかけです。少なくとも私にはそう映っています。

>私たちは...私と時さんは...すぐに悪というテーマを忘れて...問いの形式を保ったまま...


ですので、形式を保ったままの問いで問うているのではありませんで、現実に悪は存在しません。強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在するとしておきます。

>すなわち、創られうる悪とは何であるかと問われなければなりません。


造られうる悪とは、観念であり幻です。悪は、実体として存在しません。てじさんは、悪は、実体として存在すると思っているのですね?

>同じことですが、悪と意味とがそれであるものが何であるかを、私たちははっきりさせておかなければならないでしょう。


同じ事ですね。悪や意味は、世間でいう処の観念でしょう。「神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?」と言う文章において「神」「悪」「創った」「言われる」「とき」「措定する」と言う言葉のてじさんの理解をお書きいただければと思います。私の答えは、全てが観念です。

>時さんは...悪を創ると聞いて...何の話がされているか了解していますか。


まだ話は始まったばかりですので、てじさんの了解されていることを私が了解しているとは言えません。今現在では、悪を創ると聞けば、その悪と言う観念の出何処の事をてじさんは問うているんだなと解釈しています。それがてじさんの表現されている「神」ではないのでしょうか。

2年前 No.37

★7yuMH7MX47_Pmd

>神が◯◯を創ったと言われるとき、この◯◯を措定する神とは何であるか?


>この問いで現実に問われていることから離れて


「現実に問われていること」とは、何でしょうか?「誰が」「何を」問うているのでしょうか?

2年前 No.38

霑キ縺□賢 @mebirin12 ★lFoLi7dEwE_VrM

そもそも、神なんていないと思うけどな。

2年前 No.39

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>前提条件として「神が悪を創ったと言われるとき」と言うのが書かれていますが、神は悪を造りません。

...神が悪を造らないとしても...人が誤って「神が悪を創った」と言うことはあります。
>神は悪を造りません。

神が悪を造らないのは、神の本質ゆえですか、それとも、悪の本質ゆえですか、それとも、神の気まぐれでしょうか。

>強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在するとしておきます。

これに従うと、
「神が悪を創った」と言われるとき...たとえ、それが神についての誤解にもとづいているとしても...そこでの悪は観念として考えられており...「神が悪を創った」と言う人に親切心を掛けてあげるならば...その言葉をこう解釈してやってもいいでしょうね...神が悪という観念を「この世に創った」という風に...
>現実に悪は存在しません。強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在する

しかし、こう言うことはできるでしょう...「現実に悪い行為は存在する」...悪い行為は実際になされています...私たちが...薪の王さんと私が...悪があると言うときには...それはほとんど...悪事や悪人がこの世にいるというようなことを念頭に置いているでしょう...しかも観念としての悪は問題にもならず...悪という観念があるということそれじたいは問題にならず...悪い行為、厄介な災厄、病気、汚れなどが現実にあって、それが私たちを襲うからこそ...だからこそ「なぜ?」とも問われるのです。
すなわち、悪は悪であるから現実に存在しないのではなく...観念は一般に現実に存在せず...悪が現実に存在しないことはこの観念の一般的性格に負っており...悪の本質によって悪が現実に存在しないのではないということになります...いや...あるいはですね...悪が本質的に観念であるということはありえる...しかし、もしこうであるならば...悪が何故本質において観念であるかということが問われなければなりません。

>造られうる悪とは、観念であり幻です。

...ここからこうも言えるでしょうか...神に造られうるものは観念のみである...と。あるいはそれとも、神は現実に存在するものもまた造り、観念もまた造る...と。
>悪は、実体として存在しません。てじさんは、悪は、実体として存在すると思っているのですね?

私は...てじさんは...悪が実体として存在するとは思っていません...実体とは何かということが...ここで語られなければならないでしょう...実体とはギリシャ語のヒュポケイメノンのことだと考えてもいいでしょう...私たちはヒュポケイメノンについて、そのものが云々であると述語づけなどします...その意味では...私たちは...「悪は云々である」と言うことがあるので...悪が実体でもありえるようにも思えます...しかし...悪はむしろ行為や人などに帰せられる性格であって...実体としての現実に存在する人間や現実になされる行為などについて言われるもので...つまり人や行為がなくてもそこに残るようなものではないのですから...悪は実体というよりは性格のようなものであると言った方が適切でしょう。
ところで...神が何かを造るとしても...何かに備わる性格だけを造ってそれが備えられる実体は造らないということがあるでしょうか...それは奇妙に思われます...むしろ神は何らかの実体を造りその実体に悪が内在していると考えた方がまだましではあるでしょう...しかし神が実体を造るのかどうかということはここでは決めないでおきます。

>「神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?」と言う文章において「神」「悪」「創った」「言われる」「とき」「措定する」と言う言葉のてじさんの理解をお書きいただければと思います。

望みは答えるべきものでしょう...しかし私はまず...「神が悪を創った」というのは他人の言葉であると言っておきましょう...これはスレ主の言葉です...私は今はなきスレ主とこのスレで「神はなぜ悪を創ったのか?」という問いに答える気がある全ての人に上述のように問いました...
「神」は...das Unbedingte...自らは制約されることも引き起こされることもなく...全てを(様々な意味で)動かすものであり...「観念」という言葉を乱暴に使うならば...観念ではなく...現実に働いているものです。「悪」とは...評価の際に結論として出されるもので...私たちに不都合であるということ、とも言えるでしょう...厳密に言うと...悪が現実に存在するとは言えず...悪い人間などが現実に存在するのですが...その人格において悪が永続するというよりは...その人の行為のしかたが不快であるような場合にその不快を人格に帰するところからして...「悪い人間」などと言うようになると考えます...ご覧の通り...悪の所在は不明です。「創った」は...これは少なくとも完了した行為ではあります...先程も言いましたが...これは私の言葉ではありませんが...創るとは何かが実現するようになるために障害を取り払うことです...或いは工夫して組み立てることでもあります...組み立てられたものは機能を制約されつつ特殊な機能を引き出されます...人間の創るということは力を解放させてやることでしょう...ところで今つくられるものは悪である...悪を解放させるために制約しつつ解き放つことなどできるのか想像もつきません...ただ...パンは放っておくと悪くなります...人間が放っておくとパンが悪くなる...私たちは困って「なぜ神はパンが放っておくと腐るようにしたんだ」などと言うかもしれません...このとき「創る」とは...パンの事情を定めることでもあります...つくるとは...事情を手配すること...整えることでもあるのですから...悪を創るとは...何ものかが悪くなるような事情に手配したという意味かもしれません...
「言われる」とは...とりあえず或る人が或る言葉を発することであり...同じく或る人がネット掲示板に書き込むこともまた「言う」と称してよいでしょう...というのも...「言う」ということは空気を震わせることでも音声を発することでもなく...或る事情を示すことだからです...「神が悪を創った」と「言う」人は...何らかの事情を念頭に置きながらそう言っていることでしょう...あるいはそういう文句がよく言われる決まり文句であるから...そういう文句があるということだけからして...事情を顧みずにそう言っているのかもしれませんが...もしそうならば...その言葉は中身が無いかもしれません...ところでここで「中身」というのは...そもそもそれについて語られたのだというその語られた事情のことです。
「とき」とは...場合のことで...云々と言われた「とき」と言うのを聞くと...私たちは何らかの状況を提示されることになります...私たちは話の土台を...それが粗雑なものだとしても...与えられることになります...土台というのは...前提と言ってもいいかもしれない...私たちはパソコンやスマホを前にしている状態にあるかもしれませんが...「一緒に旅行に言っているとしたら」などと非現実の状況を仮定することができます...このとき私たちは徐々にその想定に肉付けしてゆくこともできますが...その肉付けの果てにその旅行が現実化することはなく...想定された旅行を現実化するにはもう一度時間的に始めからやり直さなければならない...すなわち実際に外に出て会わなければならないことになる...「とき」は、私たちが話をするときのヒュポケイメノンとなり...「とき」が遠く離れた私たちを同じ場所にとどめる...「神が悪を創った」と言われる「とき」...そのとき私たちは主には発言者を想定して彼に問うことができるでしょう...私たちは発言者の発言の由来を...肉付けしながら...明瞭にすることもできるでしょう...もしもその発言に中身があるという肉付けがそもそも不可能なのでなければ。
「措定する」とは...物事が何らかのしかたで何らかの状況の最中にあるように仕向けることであり...つくることと同じような意味を持っていると言えます。

さて、
>造られうる悪とは、観念であり幻です。

>神が悪を創ったと言われるとき、この悪を措定する神とは何であるか?

この二つを考え合わせると...神が悪を創ったと言われるとき、神は観念と幻を創っている...すなわち...神は人間に幻(観念)を見せるものである...というのも、幻や観念を創るということは、おそらく、人間などに夢を見せるようなこと...人間が幻に会うように仕組むことであろうから...そして...悪もまた幻や観念であるから...私たちは神に悪を見せられることになるでしょう...私たちは悪を見るでしょう...ただし、何か振る舞いや災害などを見て、それと同時に悪をも見るというしかたで...すなわち私たちの目に映ずるものそれじたいが悪なのではなく、そのものの意味が悪であるという風に...例えば...夢に出て来る人々に何らかの設定が織り込まれていて、そのことが何となく分かっているように...ということは神が何であるかというと...現実という夢の設定を仕込む監督であり...「とき」をもたらすものでしょう...悪ということに関連させるならば...悲劇を演出するものが神であることになるでしょう...神は手配者である...だから「神の摂理」などと言われるし「天命」とも言われるのでしょう...神の「動かす」とは...演出の手配に応じて駒を動かすようなものでありつつ...演出それじたいが役者を左右することでもあり...人形劇のように神が人々を完全に操るのではなくて...むしろ神は人々のアドリブに制約を加える不制約者として...人々の動きに限界を与える...ということにもなるでしょう...

ところで...神が創ったものとして不思議がられている悪とは...具体的には一体どのようなものでしょうか...
また...神は一体何を創ったのか...すなわち...神は何を演出したのか...何を手配しているのか...この手配されたものが善と呼ばれるとして...この手配が人間とどう関係しているのか...そういうことを尋ねてもよいでしょう...私たちはそれを尋ねてめぐりめぐって...神に出会うかもしれません...言いかえると...神を見るかもしれません...そして神を見たならば...そこから全ての「神」という言葉のうちに嘘と真実を見分けることができるでしょう...しかし...その人が現実に見つけたものは本当に「神」と呼ばれるに値するものなのか...このことは常に吟味されなければならないでしょうし...十分に吟味されるべきでしょう...

...色々言い過ぎましたが...時さんが何度か言っている観念について...それは何であるかと尋ねてみましょう...それは何ですか?

2年前 No.40

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>38
すみません...「この問い」とは(◯◯云々の問いではなく) >>30 の問いのことです。
誰が?――「私が」...何を?――「悪をつくるかぎりでの神の『quidditas=何たるか』を」問うています。

2年前 No.41

★7yuMH7MX47_Pmd

> >前提条件として「神が悪を創ったと言われるとき」と言うのが書かれていますが、神は悪を造りません。

> ...神が悪を造らないとしても...人が誤って「神が悪を創った」と言うことはあります。


神がいるだのいないだのと、まるでそれを人格的なものとして扱うもの達には、誤表現はありますね。

> >神は悪を造りません。

> 神が悪を造らないのは、神の本質ゆえですか、それとも、悪の本質ゆえですか、それとも、神の気まぐれでしょうか。


神も観念だからですよ。神と表現する観念は、悪と表現する観念を創れません。ですので、神はいるでもいないでも問題ないのですよ。

> >強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在するとしておきます。

> これに従うと、

> 「神が悪を創った」と言われるとき...たとえ、それが神についての誤解にもとづいているとしても...そこでの悪は観念として考えられており...「神が悪を創った」と言う人に親切心を掛けてあげるならば...その言葉をこう解釈してやってもいいでしょうね...神が悪という観念を「この世に創った」という風に...


「神が悪と言う観念をこの世に創った。・・・そしてこれも観念ですよ。」と言う風なものが一番親切でしょうか?相手が理解できればですが。この場合も、相手の理解が起こればこの表現は親切になり、理解が起こらなければ、無意味になりますね。

> >現実に悪は存在しません。強いて表現するのであれば、観念としての悪は存在する

> しかし、こう言うことはできるでしょう...「現実に悪い行為は存在する」...悪い行為は実際になされています...私たちが...薪の王さんと私が...悪があると言うときには...それはほとんど...悪事や悪人がこの世にいるというようなことを念頭に置いているでしょう...しかも観念としての悪は問題にもならず...悪という観念があるということそれじたいは問題にならず...悪い行為、厄介な災厄、病気、汚れなどが現実にあって、それが私たちを襲うからこそ...だからこそ「なぜ?」とも問われるのです。


てじさんは、私の表現する「幻」を見ているのですよ。なぜなら、上で書かれた「悪い行為、厄介な災厄、病気、汚れなど」は現実に私(時)にはありません。ないものは襲いようがありませんが、てじさんには、実際にはそれがあり、それが襲うと言う思いがあるからこそ「なぜ?」が発生してしまうのですよ。例えば、宗教の修行でもいいですし、哲学を進めてもいいでしょう。今後、その答えを出してみてください。

> すなわち、悪は悪であるから現実に存在しないのではなく...観念は一般に現実に存在せず...悪が現実に存在しないことはこの観念の一般的性格に負っており...悪の本質によって悪が現実に存在しないのではないということになります...


逆ですよ。

>いや...あるいはですね...悪が本質的に観念であるということはありえる...しかし、もしこうであるならば...悪が何故本質において観念であるかということが問われなければなりません。


問う必要はありませんよ。その本質自体も観念ですから。

> >造られうる悪とは、観念であり幻です。

> ...ここからこうも言えるでしょうか...神に造られうるものは観念のみである...と。


そしてその神も観念ですよ。

>あるいはそれとも、神は現実に存在するものもまた造り、観念もまた造る...と。


現実に存在するものをと表現する段階で、唯物的な発想(観念)が起こっており、観念をも作ると表現する段階で、観念的な発想(観念)が起こっていますね。っで、迷い道に入り込んでいます。勿論これも観念的表現です。

> >悪は、実体として存在しません。てじさんは、悪は、実体として存在すると思っているのですね?

> 私は...てじさんは...悪が実体として存在するとは思っていません...実体とは何かということが...ここで語られなければならないでしょう...実体とはギリシャ語のヒュポケイメノンのことだと考えてもいいでしょう...私たちはヒュポケイメノンについて、そのものが云々であると述語づけなどします...その意味では...私たちは...「悪は云々である」と言うことがあるので...悪が実体でもありえるようにも思えます...しかし...悪はむしろ行為や人などに帰せられる性格であって...実体としての現実に存在する人間や現実になされる行為などについて言われるもので...つまり人や行為がなくてもそこに残るようなものではないのですから...悪は実体というよりは性格のようなものであると言った方が適切でしょう。


それを神と呼ぼうが、ヒュポケイメノと呼ぼうが愛と呼ぼうが問題ありませんが、ただそれだけが在るのですよ。それ以外の、悪だ善だ等々は観念ですよ。そして同時に、神やヒュポケイメノや愛等々だけが在るというのも観念的表現です。

> ...色々言い過ぎましたが...時さんが何度か言っている観念について...それは何であるかと尋ねてみましょう...それは何ですか?


私の解釈では、沸き起こる思いや考えの事です。

> すみません...「この問い」とは(◯◯云々の問いではなく) >>30 の問いのことです。

> 誰が?――「私が」...何を?――「悪をつくるかぎりでの神の『quidditas=何たるか』を」問うています。


私(てじさん)が神を問うているのですね。では、もう一度お聞きします。てじさんが書かれた「私」とは何でしょうか?

2年前 No.42

★7yuMH7MX47_Pmd

>>34

>意味があるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために無意味を説き

>無意味であるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために意味を説きます。


ですので「神はなぜ悪を創ったのか?」と問うものに対しては「神は悪はを創っていません。」と答えています。

そして以前に書きましたが、神は全てです。言い換えるのならば、神は何でもありです。勿論、これも観念です。

では、なぜ神は悪を創らないと表現したのでしょうか?

>意味があるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために無意味を説き

>無意味であるという幻想を描いているものの幻想を取り除くために意味を説きます。


だからです。通じるでしょうか?もしも通じなければ、今後もてじさんに「なぜ?」が襲ってきます。ただそれだけの事ですね。以上です。

2年前 No.43

削除済み @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2015/05/09 14:51 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

2年前 No.44

★GUiGew9BrZ_Pmd

>おい、愚かで哀れな時よ、観念の説明がわけわからん。ちゃんと答えろ。


ん?何故に怒りが湧いているのだろうか?私(時)は、愚か者と自認していますし、何もできない事を知っている存在です。

goo辞書には、以下のように書かれています。仏語の意味があるとは知りませんでしたが、私が書いたのは3番の意味ですよ。

かん‐ねん〔クワン‐〕【観念】
[名](スル)
1 物事に対してもつ考え。「時間の―がない」「固定―」
2 あきらめて、状況を受け入れること。覚悟すること。「もうこれまでと―する」
3 哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像。表象。心理学的には、具体的なものがなくても、それについて心に残る印象。
4 仏語。真理や仏・浄土などに心を集中して観察し、思念すること。観想。

怒り(仏語では瞋恚)がなぜ発生するのか?そしてその怒りは、どのようにすれば消滅するのか?今後、哲学してみてください。
無明とは、貪欲・瞋恚・無知を言うのですよ。

>わけわからん。ちゃんと


てじさんはこの意味を、自ら分かった上で書いているのだろうか?

まぁ、問題ありませんが。

2年前 No.45

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>45

>ん?何故に怒りが湧いているのだろうか?

やはり「何故」が襲ってきましたか。どうして時さんはここで...問題がないのに...反応してしまうのでしょうか。
...ただし、この「何故」を...「哲学する」ことによって消滅させる前に、書き進めるだけで消滅させることができます。

時さんの「解釈」では観念は沸き上がる思いや考えであるようですが、goo辞書では「表象」や「主観的な像」であるらしいですが、神は観念ではありません。
神は観念ではない。神の観念は観念である。この区別を付けなければならない。

>てじさんはこの意味を、自ら分かった上で書いているのだろうか?

>>44 は嘘です。本当にあれを言うならば、私は別な形で答えを求めますからね。たとえば、観念の差異について答えをもらえるよう仕向けるでしょう。「何であるか?」「観念である」では、何にもならないですからね。

>無明とは、貪欲・瞋恚・無知を言うのですよ。

これの必然性を説明できるでしょうか...すなわち無名からこの三つが必然的に出て来るようなしかたで説明できるでしょうか。

時さんは「おい、愚かで哀れな時よ、観念の説明がわけわからん。ちゃんと答えろ。」という言葉に「瞋恚」を見出したでしょう。なぜ、 >>44 のレスをまず読んで「怒り」というものについて語り出したのか。それは私の怒りが(時さんいわく私に襲ってくるような)問題となったからだ。怒りが告発されて、怒りのカテゴリーのもとに、私の >>44 が怒りであると映じた。ここでの対話で、私の怒りなどが問題になるでしょうか。個人の怒りなど、それこそ問題がない、というか、いまの話に外れたことです。




元々の話に戻ります:
悪が創られうるのだとしたら、そういう悪はどういうものでなければならないだろうか?
神が悪を創ったと言われるときに、そういう、悪を創った神とは何であるか?

2年前 No.46

★HByxFcRLUZ_Pmd

やはり面白いですね(笑)

> >ん?何故に怒りが湧いているのだろうか?

> やはり「何故」が襲ってきましたか。どうして時さんはここで...問題がないのに...反応してしまうのでしょうか。


今までの私の経験により、大雑把な表現をすると、何かが沸き起こりそれについて考察した結果、問題がないと言う結論に至っています。問題があるから反応するのではなくて、その時どきに何かが意識の上に沸き起こり、それについての認知認識が起こり、次に思考が起こり、その思考が継続されると問題が発生したりしなかったりと言う事がその意識に起こります。ですから最初の段階で、意識に >>44 の投稿内容が意識に起こり、次にそれの内容についての認知認識が起こり、過去の経験と照らし合わせた思考が起こり、そして最終的にレスとして書くことが起こった時に、何故にてじさんに怒りが沸いているのだろうか?と言う表現が起こっただけですよ。問題はありません。

> 時さんの「解釈」では観念は沸き上がる思いや考えであるようですが、goo辞書では「表象」や「主観的な像」であるらしいですが、神は観念ではありません。

> 神は観念ではない。神の観念は観念である。この区別を付けなければならない。


3 哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像。表象。心理学的には、具体的なものがなくても、それについて心に残る印象。と書かれていますよ。

>神は観念ではありません。


では、神とは何でしょうか?答え出ます?

> >無明とは、貪欲・瞋恚・無知を言うのですよ。

> これの必然性を説明できるでしょうか...すなわち無名からこの三つが必然的に出て来るようなしかたで説明できるでしょうか。


無名ではありませんで、無明ですね。そしてこの無明からこの三つが必然的に出るような説明ですか?この三つを合わせたものを無明と表現しているだけですよ。ですので、無明から必然的にこの三つが出るというものではありません。例えばですが、バナナ(貪欲)とリンゴ(瞋恚)とオレンジ(無知)を合わせてフルーツセット(無明)と言います。と言う店主(釈尊)の定義があった場合に、この三つでフルーツセットと表現していますとしか説明できないでしょうね。

> 時さんは「おい、愚かで哀れな時よ、観念の説明がわけわからん。ちゃんと答えろ。」という言葉に「瞋恚」を見出したでしょう。なぜ、 >>44 のレスをまず読んで「怒り」というものについて語り出したのか。それは私の怒りが(時さんいわく私に襲ってくるような)問題となったからだ。怒りが告発されて、怒りのカテゴリーのもとに、私の >>44 が怒りであると映じた。ここでの対話で、私の怒りなどが問題になるでしょうか。個人の怒りなど、それこそ問題がない、というか、いまの話に外れたことです。


掲示板に限らず、真摯な態度ではない人は多くいますからね。レス内容もスレタイから大きく外れてしまう人も多くいますから。これも私の経験からくるものですが、もちろん私(時)もそれを知っていますし、そのような行いが起こったという記憶もあるという事ですよ。

> 私の怒りなどが問題になるでしょうか。個人の怒りなど、それこそ問題がない、というか、いまの話に外れたことです。


ですから、問題ないでしょ?ではなぜにそのような投稿を私がしたのかについては、直上で説明してます。

> 元々の話に戻ります:

> 悪が創られうるのだとしたら、そういう悪はどういうものでなければならないだろうか?

> 神が悪を創ったと言われるときに、そういう、悪を創った神とは何であるか?


強いて書くのであれば、私はそれを知っています。知らないのはてじさんですね。そして今回のてじさんの対応は真摯な対応だとは思えません。(観念です)ですので、今回はこれで一応最後にしましょうか。問題ないでしょ?(笑)

>>42
>私(てじさん)が神を問うているのですね。では、もう一度お聞きします。てじさんが書かれた「私」とは何でしょうか?


についても答え出ます?またお暇なときにでも、どこかに書いておいて頂ければと思います。

2年前 No.47

SumioBaba ★KzTfoX50sk_gS5

>>0

>神は完璧な存在である

>完璧な存在であるはずの神はあるミスを犯している

>それはこの世に悪を創ったことだ

>先ほど述べたように悪は裁かれる存在である

>なら何故悪を創ったのか?

>悪を創りそして罰するなど

>私たちの神はずいぶん無能で無慈悲なものだ


 こういう謎は、「多世界解釈」であっという間に解決です。「神」は全知全能であり、存在し得るすべての世界を造っているのです。「善ばかりの世界」、「善と悪とが入り混じっている世界」、「悪ばかりの世界」も含まれています。仮に「神」が「善ばかりの世界」だけを作ったとすると、「善と悪とが入り混じっている世界」や「悪ばかりの世界」は放棄したことになり、全知全能でなくなってしまいます。3つとも造ることで、「神」はより全知全能になり得ます。それだけのことです。
 全知全能の「神」は、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…の集合{M}を作り出し、自らそれらを体験するという遊戯をしているだけです。殆どの人間はそれに気付かず、自分を1人の人間だと思い込んでいるようですが、本当は誰もが「神」なのです。自分を1人の人間だと錯覚し、自分が体験できるのはどれか1つの心だけだと考えると、「幸福は良いが不幸は嫌だ」とか「善は望むが悪は好まない」とか、いろんな好き嫌いが発生します。しかし「神」にとっては、幸福や善を体験する心だけ集めても全知全能にはなれず、不幸や悪を体験する心もすべて集めたときに初めて、完璧なコレクション{M}が完成します。「神」が全知全能であるとは、そういうことなのです。

2年前 No.48

柊零 @arutov2 ★VQBm82F8gu_mLY

>>48

 なるほど、「多世界解釈」ですか。一理あります。
 私の考えだと、神は実験者なのではないのでしょうか。
「善のみの世界」「悪のみの世界」「両方が同じくらい存在する世界」「悪が多いが両方存在する世界」「膳が多いが両方存在する世界」それどころか、「猿人、新人が誕生しなかった世界」「明確な知能を持つ生物しか存在しない世界」などなど。そんなあらゆる世界を試し、神が思う正解を残し、他は消すのではないでしょうか。
 ですがそこは神、実験に1数十億年どころでは駄目で、千数百億年ほどかかるので、この世界は消えていないのでは。

2年前 No.49

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

怒りは、自分がそこから活力を得てくるような源を犯されたときに湧く。すなわち、自分が活動するときに、自分が根底とするものを破壊されたとき、それが生き生きとした根底として働かなくなるまで活力を奪われたとき、自分は怒る。仮に、決して怒らない者がいるとしたらその者は、自分を支える根底が決して侵されることのない聖なるものであることを知っているものだ。そのような者には、動かされざる真理が明らかとなっている。すなわち、どれほど根底が破壊されているように見えても、それは見かけだけであって、常に侵されざる源が存続しているということが彼には啓かれている。怒る者は何らかの意味でいまだにこの聖なる明示にたいして無知である。
決して損なわれざる聖なる真実が明らかでないものは、自分がすでに満たされうるということを知らず、完全に無償な(ただ与えるばかりの)活力源がすでにあるということを知らず、「自分はまだ...可能以上に与えられるべきだ」と、自分に恵まれるもの以上のものを望む。すなわち、聖なるものが明らかにされていないものは不当な分け前を貪欲に望み、その恵まれていない不当分が損なわれることに対して不当な(悪い)怒りを覚える。
怒りは貪欲と同じものである。貪欲は無知と同じものである。無知は怒りと同じものである。貪欲と瞋恚と無知は、ただ皿に並べて盛られた盛り合わせではない。それらは無明の三つの姿であり、無明という同一のものがその三つの姿に化けて現われる。

この聖なる無限に与えるものを神と考えるとき、神が悪(怒りや貪欲)を創ると考えることはできない。悪はいわば、私たちがどの程度神に対して顔を背けているかのその角度にすぎないようなもの、背ける顔に翳る翳りのように、存在しないものである。
では、この翳りの闇はどうしてこれほどにまでしつこくこの世に残っているのか。それは、私たちが何か別の源を金の子牛のように立てて、それを崇拝するからだ。この偶像崇拝がどれほど強力であるか。そしてなぜ偶像崇拝が必然的に起こるのか。

神が悪を創ったと言われるとき不思議になるのは、人間に必然的に偶像崇拝が起こることである。光から目を背けざるをえない弱い目を神が与えたのだとしたら、それゆえ必然的に人間が本来とは別なものに忠誠を誓わざるをえないとしたら、これはどういう事情であるのか。これが問題になるとき、神だけが問題になるのではない...神の恵みと人間の弱さが同時に問題になり、聖なるものと偽善のものが同時に問題になる。そしてそれを同時に問題にするためには、それらを纏めて問題へと集結させるための問題圏が明らかにされなければならない。無明という切り拓かれた問題圏のように。しかし...この切り拓かれた問題圏は、一つの概念となり、一つの常識となり、根本的な問題を回収してゆくエネルギーは奪われ、ただそれが開拓されたという功績の七光りだけが利用されることになる。

>悪とは人類が発達し社会を築き上げたからできたのか? ( >>0

>悪が神を作った ( >>6

ここに二つの問いがあると言える。……

2年前 No.50

うさぎ ★YHyTjqP6Fr_ZFe

悪とは知性の産物だろうね、アダムとイブのイブがリンゴ(知性)を食べたからこうなってしまった。
自然界には悪というものは  「無い」   のです。

2年前 No.51

宿題 ★RbvL5VVr1p_s2P

悪というものがあるのなら悪しくありうる意志のみひとり、悪であります。
悪しき意志とは、主観性と客観性をもって存在する自己存在に対する
経験的な主我の反抗を自らの本質とする反抗の意志活動が悪しきものです。

自己自身に背く悪しき意志は、善か悪かを選択する意志では無く自身を破棄してしまい結果悪となるのでは?

2年前 No.52

badapple @0829110 ★Android=n8TsJajQYF

悪がなかったら何が善か分からない。
よって善があたりまえとなり、幸福だとか感じることが出来ない。

俺が考えるに、悪は善や喜びを与えるために創ったのではないかと。

2年前 No.53

宿題 ★RbvL5VVr1p_2SX

神様は、自分を偉大に見せるために、引き立て役を作るとは思えません。

徳に反発する力(罪)は、引き立て役にはならないと思います。

2年前 No.54

badapple @0829110 ★Android=n8TsJajQYF

うんと、俺は神様を引き立たせるためって
言った訳では無くて
善を感じさせるために悪を創ったのではないのかな、と
言ったんだけどなー。

勘違いさせたのならすみません。

2年前 No.55

宿題 ★RbvL5VVr1p_2SX

>>55
上から見たら円でも横から見たら長方形・・みたいな捉え方をしてしまいました。申し訳ありません。

太宰治さんのように感じる心を亡くし
幸福も不幸も無くただ一切は、過ぎていきます。という善にも悪にも不感症の人をどう思いますか?

2年前 No.56

ことこと ★Android=0Z31BkedSI

神様は宇宙創って太陽創って地球創っただけです。
その上に住まわせてもらっている私らの価値観が勝手に決めたことを、神様のせいにしない。

2年前 No.57

うさぎ ★w71GsOkauY_UHY

悪とか善というのは人間が決めたことであって、神様が決めたわけではない。猫や猿の行為を悪だ善だと

言い切れるだろうか??

3ヶ月前 No.58

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

↓悪魔ちゃんがひとこと

3ヶ月前 No.59

悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

〉59、
あのね、天使ちゃん、わたしにフラないで。
(ここだけの話しよ。神と悪魔の子どもが天使ちゃんと悪魔ちゃんだって聞いたことあるけど、これって、誰にも言わないでね。)

〉58、うさぎちゃんは、まだ赤ちゃんだから、上記の意味、わかんなかもしれないけど、

「悪とか善というのは人間が決めたことであって」と「神様が決めたわけではない」は、なんか、変よ。

3ヶ月前 No.60

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>>60
子どもってそういうことか〜
じゃ、神様のローゴは悪魔ちゃんが支えてね
僕は代わりに悪魔を生むから

3ヶ月前 No.61

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

でも、悪魔って生まれたら死んじゃうんだったね
まあいっか、天使だし

3ヶ月前 No.62

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

不誠実な神は誠実な神なくして無意味であるとするならば、誠実な神は不誠実な神なくして無意味であるのだろうか?
悪がいったいなんで存在するのかは、やはり人間が悪を犯すからであり、だから悪は存在する。しかし、善に関しては人間が善の行為を行うから善が存在するというわけではない。「善」という完全なる理想があるから善を行うのであって、「善」という完全なる理想から外れるから悪は存在する。

我々はそもそも「悪」を目指そうとしない。
なぜなら「悪」を目指すということは、目指されるところのものが「善的」であるからこそ目指すのであって、善的でないところに「目指す」という行為は無意味なのである。

デカルトは「私が間違いうることを知っているのはなぜだろう?」と考えた時、不完全な私の存在が不完全だと知っていることから、このことが自分自身でわかることができる根拠を「完全性」の存在に求めた。
また、カントも「もし人がみんな嘘吐きばかりだったら、嘘をつくということそれ自体が成立しなくなる」とも言っている。
私の見解は後者のカントの言い分に従っている。

従って、悪は神によって作られたのではない。悪を作るのは人間である。しかし善はそうではない。

3ヶ月前 No.63

悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

〉63

神と悪魔、善と悪とは別に考えた方がいい、ってうこと?

3ヶ月前 No.64

ぽっぽ ★Tablet=K7huayrpar

つか、たぶん皆根は良い奴だから

勝手に悪くなったんじゃね?

まぁ、失敗は誰にでもあるから

神を責めないでね。

2ヶ月前 No.65

悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

ぽっぽちゃんって、新潟の子?(あ、これ内容に関係ないから気にしないでね)

神は沈黙するのみね。人間みたいにペラペラしゃべらないわ。
それをいいことに人間は神を利用したり、神について言いたい放題。

神の名のもとに人を殺す人もいれば、神を陰湿にいじめたりするもの(わたし)もいるし、まして殺しっちゃた人もいるみたいね。

神は人間とちがって、死はないわ。人間は身体をもつ。ここが根本的な違いかな?

あ、悪魔ちゃんもそうよ。

2ヶ月前 No.66

人間が悪を創った ★23nBkyRn09_Noa

そもそも、神が悪を創ったわけではなく、人間が勝手に神になれると勘違いした。

その勘違いこそ、悪=間違いである。


あなた自身も、神様が悪意を創っていると勘違いして
それを世間にこうやって吹聴しているが、
あなた自身が妄想してそう言っているに過ぎない。

人間社会でも何の根拠も事実もなく
犯したわけでもない罪を何もしていない人間に着せることは
濡れ衣という。

あなたも同じように、何の事実も根拠もなく
何も悪いことなどしていない神様にその罪を着せることは
濡れ衣であり、侮辱だ。

あなたは神様を裁けるほど偉いのか?

神様は悪意の張本人だと非難できるほど、あなたは正しいのか?

1ヶ月前 No.67

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ホビット 思いがけない冒険 という映画を観ていたら・・

東洋には苦と楽しかなかったけれど

西洋人は、悪魔や神と言う奇想天外なスケールを作り善と悪とを戦わせたかったのだと思いました・・

1ヶ月前 No.68
ページ: 1 2

 
 
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