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哲学の意味

 ( 哲学掲示板 )
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ハンドル ★m89kzWjz71_Xty

哲学は、何を哲かにできるのか?
哲学は、何を哲かにしてきたのか?
哲学は、何を為してきたのか?
哲学をするのに、意味があるのか?

4年前 No.0
メモ2016/03/14 18:09 : 排便中? (ブリッ★vyISkUMai7_0V2

この掲示板狂ってるからやめたほうがいいよ☆

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ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

宿題さん  >>495
>魂の仕組みと行方が一番知りたいです・・


それが分った人は、今まで誰もいません。これからも、分かる人はいないでしょう。答えの無い疑問だと思います。

答えようのない事や解らない事の「ないものねだり」だと思います。解らないことは、解らないとすれば良いと思います。魂の仕組みは、「人体・神秘の巨大ネットワーク」とでもいうべきか、人知の及ぶところではなく永遠の謎でしょう。魂の行方は、生命(いのち)の発生とともに生じ、生命(いのち)の消滅とともに消えるのではないでしょうか。

2ヶ月前 No.506

ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

≪懐疑について≫

三木 清(1897〜1945)、哲学者。或る場合には懐疑は神秘化され、それから一つの宗教が生ずるまでに至っている。懐疑は知性の一つの徳であり得るであろうに。いずれにしても確かなことは、懐疑が特に人間的なものであるということである。実際、多少とも懐疑的でないような知性人がいるであろうか。ソクラテスは懐疑が無限の探究にほかならぬことを示した。論理によって懐疑が出てくるのではなく、懐疑から論理が求められてくるのである。
不確実なものが確実なものの基礎である。哲学者は自己のうちに懐疑が生きている限り哲学し、物を書く。信仰の根源は他者にある。それは宗教の場合でも同じで、宗教家は自分の信仰の根源を「神」とする。真の懐疑家は論理を追及する。しかるに独断家は全く論証しないか、ただ形式的に論証するのみである。懐疑が方法であることはデカルトによって確認された真理である。懐疑は根源への関係付けであり、独断は目的への関係付けである。理論家が懐疑的であるのに対して実践家は独断的であり、動機論者が懐疑家であるのに対して結果論者は独断家であるというのがつねである・・。肯定が否定においてあるように、物質が精神においてあるように、独断は懐疑においてある。すべての懐疑にも拘(かかわ)らず人生は確実なものである。なぜなら、人生は形成作用である故に、単に在るものではなく、作られるものである故に。

2ヶ月前 No.507

ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

≪ヤスパースの神・暗号についての疑問≫

私は、ヤスパースの“神”とか“暗号”についての考え方には疑問を感じます。もはや、宗教哲学と言うべきか。

三木 清(1897〜1945)、哲学者。信仰の根源は他者にある。それは宗教の場合でも同じで、宗教家は自分の信仰の根源を「神」とする。

“神”に関しては、私には、よく解りません。

2ヶ月前 No.508

ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

≪カール・ヤスパースについて≫

☆カール・ヤスパース(1883〜1969)。ドイツのオルテンブルク市に生まれたヤスパースは、若い頃から哲学に関心をもっていたが、哲学は生活のためにやるものであってはならないと考えて、学生時代は医学を専攻し、精神医学を専門とする。精神医学者としての彼の業績は、いまなお古典とされる『精神病理学原論』(1913年)に集約されている。だが、哲学の抽象的思弁を嫌う一方で、科学的な方法で人間が完全に理解できるとも思えなかった。ヤスパースは、両者を綜合する新しい哲学の可能性を模索するようになる。

第一次世界大戦(1914〜1919)の敗戦後の時期の思索の成果が、三巻からなる大著『哲学』(1932年)に結実する。浩瀚(こうかん)な『哲学』を出版したヤスパースは、同時期に『存在と時間』(1927年)を刊行したハイデガ―(1889〜1976)と共に、「実存哲学」の担い手と目された。


☆限界状況☆
ヤスパースの実存哲学の主要概念の一つ。実存が直面せざるを得ない状況を指す。『哲学』のなかでヤスパースは、学問の発展に三段階を区別している。

※第一の段階は、諸科学が提示する知見に基づいて普遍的・総体的な世界観を確立しようと努力する段階である。これによって、我々は「客観的な真理」を獲得することになる。

※第二の段階として、自己の実存に根ざした新しい世界了解の可能性を探ることが不可欠になる。この実在にとっては、もはや「客観的真理」に重要性はない。とにかく、実在としての我々は、決して普遍的な視点には立ちえず、常にそのつど特定の状況に拘束されている。それ故、今や自己の存在に訴えかけてくる真理としての「哲学的真理」が求められることになる。この様に、状況づけられているということが、実在にとって絶対に逃げられない根本事態であることが明らかとなる。さらに状況のなかには、我々に如何ともしがたく迫ってくるものもある。例えば、いつかは死ななければならないし、様々な悩みを背負わずにいられないし、時には他人との争いが避けられないといった状況がそれである。こうした状況をまとめて、ヤスパースは「限界状況」と呼ぶのである。

だが、「限界」という表現には二様の意味があるとヤスパースは言う。一つは普通考えられるように、物事の終わりを画する「限界」という意味である。もう一つは、例えば国境線は、確かにある国の領土の終わりを記しづけるが、同時にその先には新しい国が広がっている。つまり、この意味での「限界」とは、新しい別の次元の始まりを告げる先触れなのである。

※第三の段階は、こうした様々なかたちで限界状況にぶっかるなかで、実存に対して、実存という在り方を超越する新しい領域としての「形而上学」の次元が開かれていくのだと、ヤスパースは主張する。この超越的なものは、神に通じる道であるが、気づいてみれば神は「暗号」というかたちで、自己の存在を人間にいつでも告げ知らせているのである。この段階にまで至って始めて、哲学は真に完結するとヤスパースは考えた。


☆交わり☆
実存のありようを特徴づけるために、ヤスパースが用いた述語。ヤスパースにおいて「交わり」は、真理を可能にするものである。というのも、本来、真理とは複数の人間に共有されてこそ真理であって、私だけにとっての真理というのは不条理に過ぎないからである。それ故、真理は常に「交わり」を前提とせざるを得ない。以上のような多層的な意味において、「交わり」という概念は、ヤスパースの考える実在の在り方を端的に示す用語となっている。

2ヶ月前 No.509

ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

≪ヤスパースについての私見≫

≪古今東西の哲学者のみならず、誰しも自分独自の考え方をしている≫

カール・ヤスパース(1883〜1969)は、第一次世界大戦(1914〜1919)と第二次世界大戦(1939〜1945)という世界動乱の時代を生きた。この混乱した時代においては、誰もが何らかの生きづらさを実感していたと思われる。ヤスパースも例外ではなかった。ヤスパースの哲学は、この様な時代背景を投影したものと思える。ヤスパースの「限界状況」の考え方は、この陰鬱な時代に漂う漠然とした存在に対する「不安」を反映したものだろう。ヤスパースは「限界状況」という考え方から、独自の哲学を展開していく。

誰もが、何らかの重荷を背負っている。生まれたら必ず死ぬ。西洋の哲学者は、自己の考え方を説明できなくなれば、「神」をもち出す。「神」をもち出すことによって、一般的な考え方とかけ離れていく。「神」をもち出すことによって、哲学は宗教となり、信仰へと変貌していく。信仰が悪いとは思わないが、度を超すと自分の考え方が正しいと妄信しかねない。

三木 清(1897〜1945)、哲学者。信仰の根源は他者にある。それは宗教の場合でも同じで、宗教家は自分の信仰の根源を「神」とする。

ヤスパースが、超越的な「神」と人間を介し通じる道を「暗号」とするに至っては、もはや宗教哲学ではなく、「オカルト」と言っても過言ではない。

哲学は哲学的真理を探究する。自然科学は新しい事物を発見し、客観的な真理を解明していく。真理の探究や事物の解明によって、哲学や自然科学は絶えず更新されていく。しかし、哲学の真理や自然科学の客観的な真理は、決して解明できるものではない。何故なら、自然は≪混沌・カオス≫そのモノであるからだ。


※限界状況※
第一段階で、ヤスパース(1883〜1969)は諸科学によって「客観的な真理」を獲得すると言っているが、現代科学でさえ未だに客観的な真理など解明されておらず、何事においても分からない事ばかりで不明なことだらけである。

第二段階で、ヤスパースは「哲学的真理」を求めていく。この段階では、死などの実存によっての避けられない「限界状況」の考えを展開する。時勢が、第一次世界大戦(1914〜1919)から第二次世界大戦(1939〜1945)の戦前・戦中・戦後にかけての混乱状態にあったため、人々は「不安」に駆り立てられ煽(あお)られていたのだろう。実存主義の哲学は、この様な社会情勢によって、鮮烈に思索を深めていったと思われる。ハイデガー(1889〜1976、死の哲学者)やサルトル(1905〜80)も、同時代の哲学者であり、自己の存在の危うさから、「不安」を感じていたに違いない。セーレン・キルケゴール(1813〜1855)は、「不安」・「絶望」などをテーマとする実存主義(自分で人生を切り開く)の先駆者と言われる。

第三段階で、ヤスパースは「限界状況」の壁にぶつかり、新しい領域としての「形而上学」という次元の考えを展開し、超越的なものとして「神」をもち出す。ここに至っては、ヤスパースの思索は行き詰まっており、自己の考えの限界に達していると思われる。補足説明→日常使われている「形而下」、「形而上」という言葉は、アリストテレスに由来する。「形而下」は通常、物質的・肉体的・感覚的を意味し、「形而上」は精神的・超越的・超自然を意味するが、この用法はアリストテレスの『形而上学』の成立とその意味の変遷に密接に関係している。


※交わり※
真理は、誰にとっても理解しうるものが真理であると述べている。自然科学においては、事物の始まりと終わりを探究しているが、箱の中に箱が入っているかの如く、物質は際限なく分割され限がなく、宇宙は果てしなく広がっている。自然の事物の始まりと終わりの解明は無理だろう。しかし、その探究と解明には意義がある。自然は、人間が解明できるほど単純明快なモノではない。

哲学において、「神」という言葉が出てきたら、その人の思索が限界に達していると思われる。「神」という言葉によって、事物の解明や説明を回避している。それ以上、思索を続けると、その哲学は宗教哲学となる。

2ヶ月前 No.510

ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

≪フィルターバブル≫・≪エコーチェンバー≫・≪集団極性≫

☆フィルターバブル。
SNSやブログなどで、好のみの情報のみだけが表示され、それ以外はフィルターで遮(さえぎ)られるような状態。SNSやブログなどを通じて、見たい情報を積極的に集めると同じ意見ばかりが飛び交うために閉鎖的になり、危険な状態に陥ることがあります。

☆エコーチェンバー(共鳴室)。
同質的な意見や考え方が反響し増幅し合う共鳴現象。

☆集団極性。
人間はグループで議論して物事を決めようとすると、より強い意見に引きずられていく傾向があると指摘されている。

2ヶ月前 No.511

宿題 ★sicIy89Ne4_iGf

ハンドルさん

ヤスパースさんは・・限界状況後の根源における超越者の導きを感じる努力によって絶対的意識を獲得するのです・・

2ヶ月前 No.512

ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

宿題さん  >>512

>ヤスパースさんは・・限界状況後の根源における超越者の導きを感じる努力によって絶対的意識を獲得するのです・・



「絶対的意識」とは、何ですか?
絶対意識という考えが、宗教哲学というか神秘主義というかオカルト的に思えるのです。

2ヶ月前 No.513

ハンドル ★fyBd9D1Vgg_mgE

宿題さん  >>512

>ヤスパースさんは・・限界状況後の根源における超越者の導きを感じる努力によって絶対的意識を獲得するのです・・



「根源における超越者」とは「神」のことであり、「導きを感じる努力」とは「暗号」のことのように思えます。宗教は自由です。

2ヶ月前 No.514

宿題 ★eM1n2yJmTo_iGf

ハンドルさん

一般意識は主観無くしてはいかなる客観も無い。客観無くしては如何なる主観も無い。この二重性を一つとすることです。

絶対的な意識は、全一の存在の対象化されない根源への運動です・・

2ヶ月前 No.515

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_kE1

そもそもなぜ、哲学があるのか?

2ヶ月前 No.516

宿題 ★eM1n2yJmTo_iGf

すめんさん

楽しくて夢中で例えば自然と一体になるような活動をしているときは哲学はしません。

退屈な時や暇なとき・・こうありたい理想の自分と現実のもどかしい自分とが二律背反の背中合わせになり

緊張状態になります。

この引き裂かれそうな緊張状態になると自分は何なのか考え始めます・・

2ヶ月前 No.517

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>516

ロゴスを有する人間が、哲学的問いを抱え込まざるをえないからじゃないですかね。

2ヶ月前 No.518

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_kE1

宿題さん ザビビのふくろうさん

お答えいただきありがとうございます。
参考にさせていただきます。

2ヶ月前 No.519

ハンドル ★6RV02LKDfM_mgE

《幸福について》

人は人らしい人生を過ごせれば、幸福と感じるようにできているのではないだろうか。

2ヶ月前 No.520

ハンドル ★6RV02LKDfM_mgE

《神について》

神を『信じるか 信じないかは あなた次第です』

2ヶ月前 No.521

ハンドル ★6RV02LKDfM_mgE

宿題さんの >>515

>一般意識は主観無くしてはいかなる客観も無い。客観無くしては如何なる主観も無い。この二重性を一つとすることです。

>絶対的な意識は、全一の存在の対象化されない根源への運動です・・



主観と客観を一つにすることなど、不可能だと思います。自分(主観)が在って無いような状態であり、自分以外のモノ(客観)が在ってないような状態とでもいうのでしょうか。禅でいう「無我の境地」でしょうか。もし「無我の境地」に達することができたならば、そこにはもはや自分(主観)である意識は存在しないと思います。


「絶対的な意識」となると、もはや宗教哲学になると思います。

2ヶ月前 No.522

宿題 ★sicIy89Ne4_iGf

ハンドルさん

@客観性が理念になり、主観性が人格となる全体が円になることで主観と客観は一体化されます。(これは宗教ではありません)

A禅宗でも円相(えんそう)は、禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。

「 一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。

悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。

この円も一体化です。

2ヶ月前 No.523

宿題 ★sicIy89Ne4_iGf

哲学する衝動は下記の緊張状態で・・

絶対的意識と単なる現存在の意識との間の緊張まだ成立していない(成立すべき)真理と確たる成立している真実との緊張



存在意識は明晰な対象のある一般意識と根源の対象とならない絶対意識に構成されています・・

2ヶ月前 No.524

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

宿題さんへの >>512
>一般意識は主観無くしてはいかなる客観も無い。客観無くしては如何なる主観も無い。この二重性を一つとすることです。

>ヤスパースさんは・・限界状況後の根源における超越者の導きを感じる努力によって絶対的意識を獲得するのです・・


☆主観と客観という考え方は二元論です。影があれば光があり、光があれば影がある。主観と客観の二重性を一つにするのは、弁証法的な考え方だと思います。ヘーゲル(1770〜1831)の絶対的観念論によれば、認識であれ存在であれ全てのものは、「即自」、「対自」、「即自かつ対自」という三つの段階を経て弁証法的に発展していく。

主観と客観を一つとするとは、ヘーゲルがいう「即自かつ対自」のことですか。超越者とは神なのですか。何のために主観と客観を一つにするのですか。何のために主観と客観を超越して、絶対的意識を獲得しょうとするのですか。絶対的意識を獲得して、何がどうなるのですか。何の意味があるのですか。

☆超越者の導きを感じるとは、何を感じるのですか。導きを感じる努力とは、どの様なことですか。その努力によって、一体どうなるのですか。何がどうなるのですか。絶対的意識を獲得して、どうだというのですか。何を成したいのですか??

>>515
>絶対的な意識は、全一の存在の対象化されない根源への運動です・・

☆絶対的な意識とは、「神」のことですか。対象化されない根源への運動とは、どの様な運動なのですか。宿題さんは、一体何を成したいのですか。何を信じているのですか??

ヤスパースは、始めは実存主義者の立場でしたが、「神」という言葉を用いるようになってから、宗教哲学者になったようです。「暗号」といった言葉を用いてからは、神秘主義者になってしまったようです。もはや、哲学ではなく「オカルト」と言えるのではないですか。宿題さんは、ヤスパースの後半の「神」や「暗号」という事に、強く感化され過ぎてしまった様に思えます。「暗号」に至っては、もはや「オカルト」の世界です。

☆神や宇宙人などの超越的存在と交信することを、オカルトではチャネリングといいます。チャネリングを行う人をチャネラーといいます。宿題さんは、チャネラーですか?

神を『信じるか 信じないかは あなた次第です』

1ヶ月前 No.525

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

すめん さんの >>516
>そもそもなぜ、哲学があるのか?


哲学は、世界・人生などの根本原理を究める学問です。哲学は、物事を明らかにすることだと思います。だから、哲学に疑問を抱いた時に、すでに哲学が始まっているのだと思います。

1ヶ月前 No.526

宿題 ★eM1n2yJmTo_pcO

ハンドルさん

ヤスパースさんの超越者は眩暈や混乱に落ちることなく・・時間を超越した存在になる事です・・

時間を超越するなどと偉そうと憤慨なされるなら・・時間が気にならなくなるという位のことでお許し願います・・

1ヶ月前 No.527

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

ザビビのふくろう さんが >>518 で書かれておられる、
すめん さんへの >>516 に対する回答について、以下。

>ロゴスを有する人間が、哲学的問いを抱え込まざるをえないからじゃないですかね。


☆哲学があるのは、人間がロゴスを有しているからと言う意見に同感です。

1ヶ月前 No.528

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

≪ロゴス≫

☆ロゴス(logos、ギリシャ語)。
ロゴスとは、言葉・理性・論理のこと。

※言葉とは言語であり、例えばリンゴとかミカンといった言語と言えます。

※理性とは、本能や感覚に惑わされず、物事を合理的に考え正しく判断する能力のこと。判断するには、五感という能力が必要となります。視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚の5つの感覚です。リンゴとかミカンを判断するには、これらの五感の能力が具わっていなければなりません。

※論理とは、議論や考え方の筋道のこと。論理とは、例えば「リンゴはリンゴ」です。「リンゴはミカン」ではありません。と、いった論理のことです。

※考える事ができるのは、ロゴスという言語・判断する能力・論理という基本があって始めて、思考することが可能となります。思考が可能となる前提には、必ず「比較」することが不可欠です。物事を比較することなくして、思考することはできないと思います。

1ヶ月前 No.529

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

≪ 恋愛について ≫

恋愛は相互的だが、相互的なものは無くてもよい。恋愛はリスクを伴う。リスクを取ることを極力避ける。最小リスクで、最大のものを得ようとする。ただし、得られる最大のものはバーチャル(仮想)のものである。現在の日本の社会のように、物が溢れ飽和状態であると、敢えて現在の安定を捨て、危険を冒してまでリスクを取ろうとしないのが、今の日本の草食男子だろうか。

人類愛は円環する。しかし、一対一の恋愛は、入り込むと得るものもあるが、失うものも巨大なものとなる。

1ヶ月前 No.530

宿題 ★eM1n2yJmTo_pcO

ハンドルさん

例えば私が作成した請求書のようなものをすり替えられて別の用紙にされたとします・・

その時混乱に陥らなかったのは、その用紙の質が私専用の用紙と違っていて文字の形が私の使っているPCと微妙に違っていました。

私は用紙をすり替えられたとはっきり理解して混乱に陥りませんでした・・

実際すり替えられて発狂しかけたお堅い仕事の人がいると聞いたことがあります。

論理が正しさを証明します・・

1ヶ月前 No.531

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

≪ 時 ≫

昼 仮眠をとる
テレビより 人の笑い声が 遠くの方から ボンヤリと聞こえる
ふっ・・ 私とは 何の関係もない 世界だ
大富豪が 幾ら稼ごうが 私の知ったことではない
有名人が どうであれ 私の知ったことではない
次第に 人の声が 薄れていく
・・・・・
遠くの方から 人の声が かすかに聞こえてくる
時は ゆったりと 流れているようだが
時は アッという間に 消えていく

1ヶ月前 No.532

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

≪ 空 ≫

夕暮れ前の 薄らぎゆく 青い空を見上げる
音もなく 小さく見える 旅客機が 北の方へ 飛んでいく
東の空には 2本の白い雲の線を引いて 小さなジェット機が かすかに見える
私は 想った
ほんの200年程前には 見ることのない光景だ
西の空を見れば 下弦の月が 天空にポッカリと 浮かんでいる
私は あと何年 生きれる のだろうか
アッという間の 短い人生であろう

1ヶ月前 No.533

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

≪白骨≫

生まれたとき 私は 何もわからなかった
しばらくして 私は いつまで生きるのだろうと 思った
その様な考えは 無用だった
先人たちが 次々に この世から 消えていく
私も すぐに 白骨となるだろう

1ヶ月前 No.534

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

宿題さん  >>531

「生き馬の目を抜く」世間です。常に気をつけていなければならない。「人を見れば泥棒と思え」です。信じる者は、救われません。哲学の分野においても同様かと思います。

1ヶ月前 No.535

宿題 ★eM1n2yJmTo_pcO

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1ヶ月前 No.536

宿題 ★eM1n2yJmTo_pcO

ハンドルさん

落ち武者の夢の中の私は現実より緊迫感があります・・

夢の中で何度も見る前世のような・・

私は鳥だったのかもしれない・・鳥の巣のような羽もうのふかふか感覚が・・

哲学は疑うことから始まります・・私は人間だったのだろうかと・・人間になりたかったのだろうかと・・現世だけが命?かと

1ヶ月前 No.537

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

>>537

何となく、「オカルト」的な表現ですね。シャーマンですか?

1ヶ月前 No.538

宿題 ★sicIy89Ne4_pcO

ハンドルさん

現存在だけが存在だと思いますか?

1ヶ月前 No.539

ハンドル ★64HesKkbl9_mgE

>>539

「オカルト」の質問てすね。??? 終了。

1ヶ月前 No.540

ハンドル ★CvZvlwtQkX_mgE

≪ある・ない≫

自然が元々「在った」のか、自然が突然「生じた」のか?
「ある」と「ない」の問いは、比較することが出来ないので、論理的には説明できない。論理的に説明できるのは、「ある」が存在している時のみです。

1ヶ月前 No.541

ハンドル ★CvZvlwtQkX_mgE

☆宿題さんは、いつも誘導質問をしているみたいですね。
☆何か自分の考えを、他の人に理解してもらおうとか、他の人に自分の考えを押し付けているように感じます。宗教の布教活動みたいですね。


>>472>>475

>何かがある。何もない。

>これだけが存在とは言い切れないのです。

>これだけが思惟の対象ではありません・・


☆これは、ヤスパースの言葉だそうですね。「何かがある」と「何もない」、これ以外に何があると言われるのですか。これ以外に思惟の対象に何があると言われるのですか。

「ある」と「ない」の問いは、比較することが出来ないので、論理的には説明できない。論理的に説明できるのは、「ある」が存在している時のみです。


>>495
>魂の仕組みと行方が一番知りたいです・・


☆魂は、生命(いのち)が消えてしまえば無くなると思います。そんな、取り越し苦労はせずに、生きている「今」の事を、「今」考えれば良いと思います。死後のことは、死んだ後に考えればいいのではないでしょうか(可能であるならば)。


>>517
>退屈な時や暇なとき・・こうありたい理想の自分と現実のもどかしい自分とが二律背反の背中合わせになり

>緊張状態になります。

>この引き裂かれそうな緊張状態になると自分は何なのか考え始めます・・


☆宿題さんは、理想が高すぎるのではないですか。上昇志向が強いように感じます。だから、自己が理想と現実の二律背反になってしまい、引き裂かれそうな緊張状態になるようですね。もう少し理想を実現可能な所まで下げてもよいと思います。あるがままの自分でもいいと思います。のんきに構える。心配しない。Take it easy.

1ヶ月前 No.542

ハンドル ★CvZvlwtQkX_mgE

☆宿題さんの >>515

>一般意識は主観無くしてはいかなる客観も無い。客観無くしては如何なる主観も無い。この二重性を一つとすることです。

>絶対的な意識は、全一の存在の対象化されない根源への運動です・・


☆私の客観と主観についての考えを述べます。
客観の内に主観がある。宇宙の内に自分が存在するように。
客観は主観を含む。
主観は客観の一部である。
主観は、すでに客観の一部を有している。
強いて、宿題さんが書いておられる、上記の「客観と主観の二重性を一つにする」必用はないのではないか。宿題さんの、「客観と主観の二重性を一つにする」ことは無用と思います。何故なら、主観は客観の一部として、すでに存在しているのだから。主観は、「自然のまま、ありのまま」でいいと思います。「自然のまま、ありのまま」が、客観そのものであり主観だからです。Let it be.

宿題さんの >>523
>@客観性が理念になり、主観性が人格となる全体が円になることで主観と客観は一体化されます。(これは宗教ではありません)

>悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。



☆座禅やヨガや瞑想にストイックに陶酔して、それで健康と心の平安を得られていて、自分が満足しておれば、それはそれで良いと思います。座禅・ヨガ・瞑想は、健康と心の平安を得られると信じられて行われている、一つの手段であり方法だと思います。

宿題さんが、上記の@で「客観性が理念になり、主観性が人格となる全体が円になることで主観と客観は一体化されます」と書かれておられます。しかし、強いて無理に客観性の理念と主観性の人格を一体化させて、全体を円にする必要はないと思います。理念と人格とは、何の関係があるのですか。どのようにして、客観の理念と主観の人格が一体化しょうとされているのですか。これは、実現可能なことですか。無意味で無益なことを考え行っておられるように思えます。円形のどこが良いのですか。「円相」は、宗教哲学の限界である「循環論」です。無限の循環です。それ以上は、思考できないということです。循環論に陥るのは、自然そのものが、時々刻々と変化をしているので、「今」この一瞬を比較することが可能なモノは、「今」在るモノだけです。過去は既に無く、未来は未だ無いのです。仏教哲学の「円相」は、西洋哲学の限界である「神」と同じです。思考不可能を意味しています。

悟りや真理とは、諸々の限界を知ることではないでしょうか。ソクラテスが言うところの、『無知の知』を知ることだと思います。

1ヶ月前 No.543

ハンドル ★CvZvlwtQkX_mgE

☆宿題さんの考えを、勝手に想像すると、以下のように推察いたします。

ヤスパースを愛読書としている

客観と主観の一体化の実現への努力

悟り・真理・円相

循環論

ヤスパースのいう限界状況・「自己の死」を打開する方法(哲学的な意味において)

私の提案としては、ニーチェのニヒリズムによって、出て来る最後の答えも否定する

ヤスパースの神・暗号の哲学を否定する

ヤスパースの哲学を超える

ニーチェのいう超人の出現

新たな自己の哲学の誕生

自己の新しい哲学の探究と確立

1ヶ月前 No.544

久住哲 @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

哲学は、言葉を扱います。

どこまでいっても言葉です。

だから、論理学が大切です。

1ヶ月前 No.545

久住哲 @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

私たちは言葉から状況を察します。

サイレンを聞いて、火事かな〜と思うように。

1ヶ月前 No.546

ハンドル ★zS1IOwn9Ne_mgE

私の >>543 の最終部分の文章の訂正。

「円相」は、宗教哲学の限界である「循環論」です。無限の循環です。それ以上は、思考できないということです。循環論に陥るのは、自然そのものが、時々刻々と変化をしているからです。

「今」この一瞬を比較することが可能なモノは、「今」この一瞬に在るモノだけです。過去は既に無く、未来は未だ無いのです。仏教哲学の「円相」は、西洋哲学の限界である「神」と同じです。思考不可能を意味しています。

悟りや真理とは、諸々の限界を知ることではないでしょうか。ソクラテスが言うところの、『無知の知』を知ることだと思います。

9日前 No.547

ハンドル ★wvOy2wQVui_mgE

≪ 宗教 ≫  ジャレット・ダイヤモンド博士。

☆世界中のどの社会にも、何らかの信仰がある。なぜ、人類には宗教があるのか。
4つの理由を考えている。
1 不安を和らげる機能がある。平静を保ち、怒りっぽくなる事もなく、夜もよく眠れることが出来たという報告があります。
2 悲惨なことが起きた時に心を癒(いや)すという効果があります。
3 支配者が人々を服従させる根拠となりました。世界の各地域で、王や皇帝による支配が始まったとき、彼らは自分達が神聖なる存在であると人々に教え込みました。
4 戦争の正当化。

この様に、さまざまな意味と機能があるから宗教は存在してきた。私たちは、見えないものでも、その存在を信じることができます。例えば病原菌の存在を信じています。信頼している人が、そう言っているからです。


☆何故、ヒトは嘘をつくのか。嘘をつくのは、嘘をついた方が得だからです。

9日前 No.548

ハンドル ★wvOy2wQVui_mgE

≪ 進化 ≫

進化というのは意志・狙い・目的をもってやるわけではない。生き残った結果として、身についた仕組みが進化の帰結。

前適応。
生物のある形質が進化の過程で元来とは別の機能や役割を持つ形質として転用されること。

9日前 No.549

ハンドル ★wvOy2wQVui_mgE

≪ 文化・文明 ≫

哲学も宗教も医学も政治も芸術も科学も文学も音楽も絵画もその他諸々の文化・文明は、ヒトが≪生命を存続させるために≫創りだしたモノであろう。

9日前 No.550

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

ハンドルさん

夏目漱石さんは論理学が優秀な成績だったらしいです・・

哲学なら真理を求めて生きるのに・・

夏目漱石さんは則天去私・・最後の小説で「今日は今日・・明日は明日・・」お天気みたいな考え方になられました・・

論理学は完璧だったのに・・何故最後は天に任されてしまわれたと思いますか?

9日前 No.551

ハンドル ★wvOy2wQVui_mgE

《 元号 》


2019.5.1から新しくなる元号は、何になるのでしょうか?
宮内庁のトップ・シークレット
極秘!!

9日前 No.552

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

ハンドルさん

何もかも平たくなったから・・

今度は豊潤になって欲しいです・・

8日前 No.553

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

むかし人は自然の摂理が説明できなかった。
そこで、神の存在を自然の中に見いだした。

しかし、それは宗教とはおよそかけ離れていた。
それを一度リセットする為に、神の存在を信じれなくする必要があったのかも?

それが行きすぎると、命に関わるので時に宗教が出来ては行き先を舵取りした。

しかし、今までの宗教は舵取り以上の事が出来なかった。
つまり右に行きすぎれば左に、左に行きすぎれば右に。

一つの宗教で右も左も包含して、時には右に時には左に舵取りをする。
そんなものは出来なかった。

だから、ますます宗教から離れていこうとする。

そして、ついに右も左も包含するという宗教が出来た。
しかし昔の宗教と同じ次元で見る人には受け止められなかった。

それでは、いつまで経っても「信じて欲しいんだ」という神に近づけない。
信じる手段として生み出される「奇跡」
それを手品のようにタネがあると思ってる人もいる。

サイババさんも奇跡を現した。
教えに重きを持つ人の間では奇跡は逆効果だったのだろうか。

この後、どうなるかは神にゆだねるしかない・・・

8日前 No.554

終末 ★fDRK1HYmt2_keJ

>>550

>哲学も宗教も医学も政治も芸術も科学も文学も音楽も絵画もその他諸々の文化・文明は、ヒトが≪生命を存続させるために≫創りだしたモノであろう


論理に飛躍があります
生命体としての生存はあくまで高確率に起こる派生事象に過ぎず、求めているのは幸福です
(そこまで含めて行っているのであれば、まずは生命とは何かを定義・明確化する事です)
音楽や文学は生命体としての生存に直接資する物ではなく、実存する性質に対するリスク要因(ストレス)への対処療法に過ぎません

そして、「物的に生きる」事に主軸が置かれている場合、別のメリットがないリスク要因は、リスク要因自体の消去が最も適切な対処です
学習性無気力と言う行動習性は動物から人間までほぼ同様に存在する物であり、激しい怒りや恐怖も既に平静さを失わせる過剰なリスク要因でしかありません
言ってしまえば生きる事を目的とする生物としては人間は明らかに自らの文明に対して「時代遅れ」です

種にしろ個にしろ「生きる」事を求めるのであれば人間の適切な対応は早々に人間を止める事、種の進化です
生きる事が生命の目的だと言うなら、答えが分かったら文化を捨てて種として進化を目指してください

実際には生は生物にとって二次的であり、幸福の方が本質です
死は幸福に対する強い不安要素として強く拒絶されているに過ぎません
「滅び方」を分からないから「生」に執着しているに過ぎません

植物に喜ぶ音楽と嫌悪する音楽があってメリットはありません
常に最大スペックで反応する方が個体や集団の原理としては基本的に合理的です
人間も動物も同様です、ロボットの様である方が良いのに「苦痛」が存在するのは、決して「物的生存」の為ではありません
だからこそ「精神的な生存=確信と幸福」を問う哲学や芸術が評価されるのです
一般的な語義として「生きる為」などではありません

8日前 No.555
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