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少って顔に見えね? 思索スレだよ!

 ( 哲学掲示板 )
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★iPhone=7N1B8VaW5W

つぎの思索スレはきっとうまくやってくれるでしょう。市民、やっちまいな!
文字数が少なすぎるだってお。AAでもぶちこんでやろうかと思ったがさすが賢明な阿さんはそんなことしなかった。賢明なのか。賢明なのだろう。そういうことになった。世はすべてこともなし。

4年前 No.0
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★30JjgxOVKX_ZFe

>1407

おばあちゃま

普通の社会ではもってのほかでも、哲学版ではOKかも。

じゃない?

2ヶ月前 No.1408

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

およぐちゃん

およぐちゃんは、哲学を甘く見ているわ・・普通の人は、哲学にのめり込んだら発狂か自殺に追い込まれるのよ・・

2ヶ月前 No.1409

★30JjgxOVKX_ZFe

>1409
ももちゃん

>1408をよく見て、
「哲学」じゃなくて、「哲学版」って書いているよね、わたし。

ところで、普通の人、って何よ。哲学者といえども哲学にのめり込んだモノスでしょ?
哲学者で、”哲学にのめり込んだために”発狂か自殺に追い込まれた人いるのかしら?

2ヶ月前 No.1410

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

およぐちゃん

我が家の近所に昔、お茶の水女子大の哲学科在学中に自殺された女性がいますよ・・

検索したら京都大学の哲学科は・・自殺者が多いとか・・

2ヶ月前 No.1411

★30JjgxOVKX_ZFe

>1411

ももちゃんは、「自殺者が多い」と、その原因が「哲学にのめり込んだから」って思ってるの?

〈京都大学の哲学科は・・自殺者が多いとか・〉、他の大学の哲学科はどうなのかしら?

ここで、かりに大学の哲学科には自殺者が多い、としましょう。

そこで、

そもそも、その人たちは、どうして大学に入って哲学科を専攻したのか、っていうことも考える必要があるんじゃない?

2ヶ月前 No.1412

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

およぐちゃん

多くの哲学科の人は理系の落ちこぼれが多いのです・・

2ヶ月前 No.1413

★30JjgxOVKX_ZFe

>1413

あ、そうなの? わたし知らなかった。

ところで、ももたんは、哲学科でしたっけ?

2ヶ月前 No.1414

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

およぐちゃん

私は物理と数学が好きだったけど・・特に数学は好きだったけどどうしても数列だけが理解できませんでした・・

哲学科に行ったのは倫理のテストが100点とれるから・・

それと私だけひいきされて、目をかけてもらっていた先生が倫理社会の先生の時病死されたから・・怨念です・・

2ヶ月前 No.1415

★30JjgxOVKX_ZFe

>1415

それは残念でしたね、おばちゃま。

2ヶ月前 No.1416

★30JjgxOVKX_ZFe

てのひらにおさまるその書物は

わたしの身体の空間に統合され開かれる存在となる

2ヶ月前 No.1417

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

ヤスパースさんを読むと頭がこんがらがるような・・もつれることが無くなります・・頭がすっきりします・・

2ヶ月前 No.1418

★30JjgxOVKX_ZFe

メルロはこんなことを書いている。

『「偉大なる詐欺師」である「存在」は能動的に自己を隠し、自分の前にわたしたちの思考とその明証性というスクリーンを立て、この逃れ去ろうとする存在が無であるかのように振る舞うのである。だからもしも哲学の問い掛けが「…が存在するかどうか」(an sit)という普通の問いや懐疑を一般化するだけなら、そしてこれを世界あるいは存在に拡張するだけで、自らを懐疑、非知、不信と考えるにすぎないなら、自己の問い掛けの極限にまで進むことはできない。それほど単純なことではないのである。この普通の問いも、すべてのものを対象にするようになると、意味が変わってくる。哲学はすべての存在から身を隠すために、特定の存在、たとえば「感覚」「表象」「思考」「意識」、ときには〈欺く存在〉を選び出す。哲学は根源的(ラジカル)であろうとするが、根源的(ラジカル)であるためには、哲学をつねに「存在」に結びつける〈へその緒〉を主題として取り上げる必要があろう。そしてすでに取り囲まれてしまって、自ら切り離すことのできない地平を主題とし、事前に行なわれてしまっているために、哲学が繰り返し立ち戻ろうとしながら、立ち戻ることのできない〈手ほどき〉を、主題として取り上げる必要があろう。もはや否定することも、疑うこともできず、世界と「存在」を見るためには後退するしかない。他者の問題を括弧の中にいれるように、世界と「存在」を括弧の中にいれ、それに語らせ、それに耳を傾けるために、後退するしかないのである…。』

ヤスパースさんにはこのような思考、関係ないかもね。

2ヶ月前 No.1419

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃんのメルロさんは一般意識・・

それを超えたヤスパースさんの奇跡には、口をはさむことが出来ない・・時間と空間の制約のない超越・・

2ヶ月前 No.1420

★30JjgxOVKX_ZFe

>1419
まちがっちゃた。
「ヤスパースさんには・・・」じゃなくて、「百理さまには・・・」でした。
わたし、ヤスパースの本を読んだことなかったんだわ。ごめんなさい。

2ヶ月前 No.1421

★30JjgxOVKX_ZFe

>1420

「メルロさんは一般意識」 かも。

メルロの現象学では、『世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。』、『現象学の最も主要なテーマとして提起した「自然的世界概念」あるは「生活世界」の、一つの解明にすぎないのだ。』って言ってる。そう、わたしのような生活世界で生きている一般の人のことを問題としている、ってわたし見てるから。

ちょっとおばちゃまにヤスパースさんについて、いくつか聞いていいかしら?

1.『私たちは必然的に神を信仰せざるをえない、なぜなら私たちの認識作用に認識内容を与えてくれるのは結局のところ包括者、つまり神にほかならないからだ。』

って、言ってるらしいけど、本当かしら?

2ヶ月前 No.1422

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

信仰は他者に押し付けるようなものではありません・・

2ヶ月前 No.1423

★30JjgxOVKX_ZFe

>1423

じゃ〜、なくて〜

2ヶ月前 No.1424

★30JjgxOVKX_ZFe

>1419のつづき

『哲学がすべての存在者から自己を開放することができるのは、懐疑の道によってではなく、「・・・とは何か」という問いによってである。これによって哲学は存在者をその意味に変えるからである。』

メルロはこんなことも書いている。

「存在者」には「わたし」も含まれているのよね。

2ヶ月前 No.1425

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

真理の多様性が深淵に臨む目眩の中へ完全に引き入れ、すべての基底が奪い去られなければならなかったとして

この目眩から超越者が解放するか

現存在が自己欺瞞に逃げ込み自己を閉ざし不安の中に気持ちを固執するか

どちらかでしょう・・

2ヶ月前 No.1426

★30JjgxOVKX_ZFe

>1426

じゃ、次の質問ね。

ヤスパースさんは、

2.『哲学の本質は、真理を探求することのうちにある。それは「途上にあること」、言い換えると、終わりのない努力なのであって、このことは真理を手にすることよりも価値あることなのだ。』

って、言ってるらしいけど、本当なの?

2ヶ月前 No.1427

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

哲学は科学のように進歩します・・

あらゆる側面に開かれている完結不可能な働きです・・

2ヶ月前 No.1428

★30JjgxOVKX_ZFe

>1428

じゃ、次の質問ね。

ヤスパースさんは、

『科学は、哲学は役立たないと批判する。しかしその批判は的を外している。なぜなら哲学は困難に直面したときに役立つようなものではないし、他の何かに弁護されるほど、役に立つものではないからだ。哲学はそもそも役立たないものなのだ。』

って、言ってるらしいけど、本当なの?

2ヶ月前 No.1429

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

理性は役に立ちますか?

2ヶ月前 No.1430

★30JjgxOVKX_ZFe

>1430

じゃ、次の質問ね。

ヤスパースさんは、

4.『私たちがふつうに生きている状態は、自己忘却の状態だ。実存とは、そうした状態から脱出し、私たちが「包括者」(本来の存在、つまり神)によって生きているということを知るために、神へと徹底的に立ち返ることだ。』

って、言ってるらしいけど、本当なの?

2ヶ月前 No.1431

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

姿勢の問題です・・

哲学は世界のすべてをとらえたがっているだけです・・

2ヶ月前 No.1432

★30JjgxOVKX_ZFe

>1432

何の「姿勢」のこと?

身体の姿勢のことかしら。

2ヶ月前 No.1433

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

wiki引用

姿勢(しせい)とは、重力に対して、バランスを取っている時の体の姿である。

見た目の格好、立ち姿等の目に見える姿形をさすだけではなく、

その人の心構え、気持ち、気構えや決意をこの言葉で代用する事がある(例:「姿勢が問われる」「どのような姿勢で臨んだのだろうか」等)。

2ヶ月前 No.1434

★30JjgxOVKX_ZFe

>1434

じゃ、wikiさんに聞くしかないよね。

「人の心構え、気持ち、気構えや決意」における「重力」ってなにかしらね?


あのね、
>1418で、おばちゃまが、「ヤスパースさんを読むと…頭がすっきりする」っていったから、
その世界に入って聞いてみたんだけど、ちがうのね?

2ヶ月前 No.1435

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

数学は数列なんか悩みまくるのですが・・もうぐちゃぐちゃ・・

哲学はすっきり・・かたがつきます・・

2ヶ月前 No.1436

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

猫背姿勢・腰つき出し姿勢・胸つき出し姿勢、悪い姿勢と

正しい姿勢と言うものがあるらしいのです・・

2ヶ月前 No.1437

★30JjgxOVKX_ZFe

「性質」と「本質」を、ネットで調べて見た。

「性質」
qualitas(質とも訳す)はプラトンの造語 poiot□sの訳語としてキケロがつくったもの。事物のあり方を意味し,量の対立概念。アリストテレスは「どのような」という疑問への答えをなすものが性質であるとして,範疇の一つとした。…

「本質」[英]essence[独]Wesen
@物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。
A哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。
□偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。
□実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。
B論理学で、思惟の対象を定義する諸限定。類・種のごとき普遍をさす。
C…アリストテレスは、「それは何であるか」という問いによって問われるものを事物の「本質」とし、また、これがその事物の存在そのものであるという意味で、これを事物の「実体」とよんだ。それは事物の「定義」horismos(ギリシア語)、definitio(ラテン語)のとらえるものである。したがって、それは、個々の事物が属する種に属する多くの事物に共通な共通性であるが、この共通性は個々の事物から離れて、それ自体として存せず、個々の事物のうちにあって、この事物の存在を構成するものであるとした。本質が事物のもともとの「成り立ち」として事物の持続性、本来性を表現するものとしては、それは「(事物の)もともと何であったか」ともいわれる。これに対して、この語のラテン語訳であるessentiaはesse(存在する)に由来する語で、「まさにそれであるところのもの」の意味である。本質は類と種差によって定義される。たとえば、人間の本質は「人間性」であり、これは「理性的動物」として定義される。中世では、神においては、その本質quid estはその存在quod estと区別されぬものとされ、その他の事物においては、これらが区別され、それぞれの事物は固有の本質をもち、これに「存在」esseの働きが賦与されて、現実に存在するものとなるとされた。この本質と存在の区別は現代の実存主義哲学の一つの源泉である。近世科学において、事物の存在がその定義にしたがって実体としてとらえられることなく、その偶有的な働きにおいて機能としてとらえられるようになってから、本質の概念は不明確になった。

ざっと抜粋してみました。
わたしの場合、メルロの現象学だから、「本質」と「存在」を区別する方ね。

つづく

2ヶ月前 No.1438

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

本質と現象は正反対だと思います・・

2ヶ月前 No.1439

★30JjgxOVKX_ZFe

>1439
ももちゃん、
フッサール、ハイデガー、ポンティの本読んだことある?

2ヶ月前 No.1440

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

申し訳ありません・・現象学はスルーしています・・

2ヶ月前 No.1441

★30JjgxOVKX_ZFe

>1438のつづき

メルロは「本質」について以下のように言っているわ。

『哲学が懐疑のもとに、あらかじめ想定された「知」を見いだし、事実として、または疑わしき事実として、事物と世
界の周囲に、わたしたちの否定と肯定を包み込む地平を見いだすならば、そして哲学がこの地平へと入り込むならば、
哲学はこの新しい〈何かあるもの〉を、新たに定義する必要があるのはたしかである。それを「本質」として定義するす
ることは、適切かつ十分にこれを定義したことになるだろうか。本質についての問いは、究極の問いだろうか。本質と、
本質を眺める純粋な観察者を示すことで、わたしたちは本当に起源に立ち戻っているだろうか。本質が何かに依存するこ
とはたしかだ。本質の必要性を列挙する作業は、つねに一つの仮説に依拠してる(カントではこの仮説が繰り返し現れて
いる)』

『わたしたちは、何かがあるということを、どこから知ったのだろか。この知は、本質の根底にある。本質はこの経験の
一部であり、これを包み込むことはできない。本質の存在は、最初のものではなく、自らに依拠するものでもない。わた
したちは本質によって、「存在」とは何かを理解するのではない。本質は哲学的問いの「正解」ではない。』

つづく

2ヶ月前 No.1442

★30JjgxOVKX_ZFe

>1441

いいのよ、おばちゃま。

>1427がヤスパースが言っていることが本当なら、
『終わりのない努力なのであって、このことは真理を手にすることよりも価値あることなのだ。』を、
おばちゃまは無視ているって、わたし、知ってたから。

なにもあやまる必要はないわ。「現象学はスルーしています」って、知ってたから。
モモちゃんのヤスパースの世界の、ヤスパースの言(1〜4)を持ち出して確認してきしてみたんだけど、
…じゃ、なかったみたいね。

ここ、哲学的な話しの場よね、まがりなりにも。

ところで、主義って、哲学すること、なのかしらね?

2ヶ月前 No.1443

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

現象学がしたいの?

人の道を探しているのではなさそうだけど・・

2ヶ月前 No.1444

★30JjgxOVKX_ZFe

いま仕事から帰ってきたところ。缶ビール飲んで書いてるよ。

>1444
「現象学がしたいの?」 意味わかんな〜い。
人間について、メルロの現象学を手がかりに、勉強しているところよ。何言ってるの、おばちゃま。

「人の道」ってなあに?

2ヶ月前 No.1445

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

説明するのはちょっと長くなるから今日見たテレビで・・

お医者さんが「病気を診ているのではない。人をみている。」って病気の話以外の雑談もするらしいです・・

私はおまわりさんとお坊さんとお医者さんにかかわる時はよほど悪い時だと思います・・

お医者さんにかかわりたくないから・・

自分で自助努力してより良く生きる人間の道・・人道を歩いていきたいです・・

2ヶ月前 No.1446

★30JjgxOVKX_ZFe

>1442のつづき

『哲学的な問は純粋な観察者にとって、わたしたちのうちに立てられるのではない。哲学的な問とは、まず純粋な観察者
がどのような方法で、またどのような根拠に基づいて、自己を確立するのか、どのような深い根源から問いを汲み出して
いるのかを知ることである。』

『本質とは存在や世界のあり方やスタイルにすぎないし、「存在」(Sein)そのものではなく「このようにあること」(Sosein)
にすぎない。』

『哲学が本質への問いに還元される傾向があるが、本質への問いとは、それ自体では哲学的なものではない。また場合に
よっては事実への問いも、本質への問いと劣らず哲学的なものとなることがある。哲学の次元は、本質の次元と事実の次
元を交差させる。時間と空間の本質について問うことは、まだ十分に哲学をすることではない。それに続いて時間そのも
のと空間そのものが、それぞれの本質とどのような関係をもつかを問う必要がある。』

現象学に関心がない人には関係ないね。

あー疲れた。きょうはこのぐらいにしておこっかな。

2ヶ月前 No.1447

★30JjgxOVKX_ZFe

>1446

「より良く生きる人間の道」?
なによ、それ。

ボケちゃったのかしら。

2ヶ月前 No.1448

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

ギリシャ哲学をしないでいきなり現象学の一面だけしても・・一側面でしかありません・・

ギリシャ哲学は深い深い根っこが一味も二味も違います・・

2ヶ月前 No.1449

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

本質を問うこと、
つまり「〜とは何か」と問うことは、
存在からさし迫りという性格を放逐することである。

・・・

時間を欠いた存在は、
身を引くことなくさし迫る。

存在は存在者となることがなければ、
さし迫るばかりである。

たとえば急に真っ暗闇に放り出されて、
何かの動く気配がしたとしよう。

そのとき私は、
その気配の切迫に息が詰まりそうになり、
居ても立ってもいられなくなるわけだが、
しかしそれでもなお、
私はその場所にいることができる。

このとき暗闇の気配は具体的なかたちをとることがない。
言いかえれば存在者として現れることはない。

しかしそれでもなお、たしかにそれは”存在する”。
つまり暗闇の気配は存在者なき裸形の存在なのである。

ただそれでもなお、その気配は現前することなく、
暗闇のなかに退いて息をひそめている。

それは「いつか」到来するかもしれないし、
到来しないかもしれない。

それは「いつ」なのか。
気が気で仕方ない。

この「いつ」に気をかけられる状況こそ、
他ならぬ”時間がある”ということである。

つまり、暗闇の気配の正体は、時間のもとで退いてもいるのである。

このとき、私のうちで固有のドラマが展開することになる。

「この気配は何だろうか」
「幽霊だろうか」
「そういえばこのあいだも、部屋に幽霊が出たな」
「そうか、この気配は幽霊に違いない」
「ひょっとしたら、この暗闇も幽霊の仕業かもしれない」

この語りのうちで繰り広げられる場面展開は、
”時間がある”からこそ可能である。

このようにして、
次第に状況を明らかにしていった”つもりの”私は、
段々と落ち着いてくるようになる。

やがて部屋に再び明かりが灯り、
私は我に返る。

そこで懐疑に目覚める。

「いやでも、幽霊なんて本当にいるのだろうか」

冷静になった私は究極的にこう問う。

「そもそも何をもって幽霊と言うのだろう」

つまり幽霊という存在者の本質を問うのである。

このとき、存在は完全に、
その裸形のさし迫りという性格を喪失して存在者と化している。

時間のもとで存在が完全に存在者となるのである。

しかしここで問われる本質に対応しているのは、
本当はあのときの暗闇の気配の正体である。

しかし今や、それは気配のまま問われることなく、
「幽霊」という存在者を通して問われる。

気配のまま問われるとき、
まさに問いはさし迫りにおけるドラマであった。

しかし今や、
本質への問いはドラマたりえない。

なぜならすでに、存在は存在者として、
さし迫ることがないからだ。

つまり本質への問いは、
さし迫りという性格を完全に放逐して存在を問うのである。

その問いはすでに、
十分安心できる場所から問われているのである。

・・・

はたして哲学は、
本質を問う学問と捉えられていいのか。

これに対し、
「そもそも何をもって哲学と言うのだろう」
と問うことは封じられている。

・・・

しかしなお、
「さし迫りとは何か」、
もっと言えば「苦しみとは何か」と問うことはできないだろうか。

苦しみというさし迫りを問うことは、
存在を裸のまま明け渡す。

存在者を介することなき本質への問いは、
苦しみを問うことそのものではないだろうか。

苦しみとは何か。

なぜ苦しみがあるのか。

この問いもまた時間を前提としているのだろうか。
あるいは
時間のほうがこの問いを前提としているのだろうか。

答えを与えることなくこの問いに耐え、
問いつづけることこそが、
本当の意味での時間であり哲学たりうるのではないだろうか。

2ヶ月前 No.1450

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

人間は幸福になるためには不幸を体験するのが早道である・・あえて逆説でしか感じない・・

幸福だけがあるのなら・・まどろみのなかであるだけ・・

実存が無においてもなお本当の意味で存在することが出来れば無力の征服者となる。

人間を超越すると言う限界状況は、未曽有の苦痛と確信を・・

まずは伝統の歴史的に明哲なギリシャの哲人のような冷静な人間性の尊さを知らねばならない・・

2ヶ月前 No.1451

★30JjgxOVKX_ZFe

>1451


「不幸を体験する」「人間を超越すると言う限界状況」「未曽有の苦痛」
この体験をした、限界状況であったのだろうけど、結局は生きているのよね。

「実存が無において」の「無」ってな〜に?
「存在することが出来れば」っていう仮定を前提としてません?

「伝統の歴史的に明哲なギリシャの哲人のような冷静な人間性」って、どのようんして知ったのかしら?

2ヶ月前 No.1452

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

ギリシャ哲学を御存知ですか?

2ヶ月前 No.1453

★30JjgxOVKX_ZFe

>1453
「ギリシア哲学」? わたし、よくわかんな〜い。

おばちゃまは、御存知?

2ヶ月前 No.1454

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

満月でお外が危ないので隠れます・・食欲の秋・・

2ヶ月前 No.1455

★30JjgxOVKX_ZFe

>1455

おばちゃま、「言葉」さがしましたね?

2ヶ月前 No.1456

★30JjgxOVKX_ZFe

わたしの教科書の中に次のような記述がある。

『ボールが飛んできて思わず手を出そうとしてしまうとき、その状況には「運動的意味」がある、とメルロ=ポンティは言う。かれにとって意味とは知的解釈の対象ではなく、生きられる次元変換回路である。「笑う」という字を見たとき、われわれは自然にひとの表情を思い浮かべるが、漢字を知らない外国人はは「人が踊っているような形だね」などと言う。外国人が視覚的形状に気がつくのは、視覚次元に変換する回路すなわち言語的意味をもたないからだ。…』

っていうのがあった。「笑」という顔と「少」という顔。アルファベッドでの意味と日本語での意味、人間は経験によって意味を通じて共存する。
かな?

場所を変える。

2ヶ月前 No.1457
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