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有と無について

 ( 哲学掲示板 )
- アクセス(4959) - いいね!(4)

Creator ★3DS=EHtup5CPhW

ここは有と無について会話します。少し議論みたいになりますが、議論掲示板ではないので哲学について語るのも構いません。ここは、有と無だけを語る場所ではなく、他にも色々と話せたら良いと思います。ルールは基本、哲学系の話をして下さい。あまりずれると管理者に消されてしまうので…まあ、最低限度のマナーさえ守れば良いです。では!

5年前 No.0
メモ2017/10/17 15:23 : Creator @mebiusu15★90nxWeIlSb_W3T

現在のお題は[-]

スレのお題は[存在と無について、存在と無の関係、存在と無の定義等]

スレ主より一言:

論客コミュニティー閉鎖による避難者を暖かく歓迎いたします。


ジャンル;存在論,形而上学,

現在も地道に議論継続中...


おかげさまでスレッド開設[2012/10/17 16:04 >>0]以来、約5年。

アクセス(4527)/レス: 706回

Google検索では「有と無について」で現在、現在1位です。

https://www.google.co.jp/#newwindow=1&q=%E6%9C%89%E3%81%A8%E7%84%A1%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

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問題自動生成器 ★gy73HomSIo_KxC

世の中に流通している「ある」という語は粗密なのか?etc…

3ヶ月前 No.690

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

ただの幻想と、現実に存在すると言うことと

本当に存在する実存とはちょっと違うと思います・・

3ヶ月前 No.691

うさぎ ★HJ6YNK7WFD_UHY

有る   は誰でもわかるし当たり前であるが、問題は「無い」である。

無いを決めるのは私である。万人がそれは有るといっても私が無いと言えば無い。(ただし、私にとって

日本人の面白いところは、空や無の教育的・全体主義的なる押し付けがまかり通ったものです。

3ヶ月前 No.692

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_Y9V

うさぎちゃんは、なぜ日本人を憎む?

3ヶ月前 No.693

問題自動生成器 ★iPhone=657LfIXNFj

百理さんへ 現実に ある と 実存が ある がちょっと違うとしたら、どういう点で違うといえるのだろうか?あるいは、その二つの ある のわずかな共通項を見つけて、ある という抽象語の理解を深めることは可能なのだろうか。あるいは、その二つの ある という語を一つの ある としてみることはそもそも不可能ごとなのだろうか…

3ヶ月前 No.694

問題自動生成器 ★iPhone=AfFbvms2WV

うさぎさんへ あなたの文章を少し変えて、万人がそれをないといっても私があるといえばそれは私にとってある。とした場合、あなたの元のテーゼと異なる点はどこにあるのだろうか。あるいは、人はそれぞれ世界の見方が、言い換えれば存在の認識の仕方が異なる、という主張で元のあなたの文章を要約してはいけない理由はどこにあるのだろうか。

3ヶ月前 No.695

空の光 ★5A4tfpdY5C_m9i

形而下のもの五感で感じれるもの、形而上のもの五感で感じれないもの。
五感で触れれるから存在するだとすると、五感で触れれないものは存在しない?

でも、存在しているとしたら・・・一番身近なものは「こころ」だろうか。
身近にありながら五感で触れれない。
形而上のものだけど、感じ取れることができる「こころ」
五感じゃないなにかによって。。。
「こころ」と同じもので感じ散れるのだとすると新しい感覚がある事になる。
つまり日頃から形而上のものに触れてる。

他に霊や魂と言う言葉があるが自分は感じ取れてるだろうか?
あれば、第六感、第七感、第八感・・・と言うものになる?
魂、心、霊・・・は中心からの順序とする。
すると「こころ」で感じる時、「霊」を通り過ぎていく。

「こころ」のさらに奥へと行くと「魂」となる。
深層心理というのはこれかな?
よく「こころ」の奥はつながり合ってると言うが、魂がつながっているという事か。
三人寄れば文殊の知恵という言葉があるが。
つながり合っているからなのか?
いや、これは「有と無」には関係なかったかな。

つながりあうから、智慧が出ると言うことは目に見えない存在がある?
だから、会議などは数人、十数人集まってするのかな。
何にも無い所から答えが出てくる、これが無から有を生ずる?

一人で答えが出るなら、会議は入らないことになる。
それを昔は神のお告げと言ったかな。
何人も寄って時間をかけて導き出した答えの意義はどこへ?
これも形而上の話かな?

無から有を生ずる、本当に無なのだろうか。
この世にないのに生まれてくる。
つまり、形而上から形而下へと生まれ出てくる。
形而下では無でも形而上では有なのか?

形而上に無なら生まれ出ないか?
じゃあ、形而上に創ってみる?
人の想念・・・こころに思い浮かべることで・・・
想念の次に、模型にしたり、計画書を書く。
それはより、くっきりと形而上に浮かび上がるかな。

3ヶ月前 No.696

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

>>694

現実の存在は時間と空間に限定された存在です。

実存は時間や空間の制約を受けません・・例えるなら魂や霊みたいな・・

3ヶ月前 No.697

問題自動生成器 ★gy73HomSIo_KxC

>>697 百理さんへ 実存は時間や空間の制約を本当に受けないのだろうか?
魂や霊をそのまま肯定した場合、あなたの魂は任意の過去や場所へ移動できることを
含意しているのだろうか?あるいは、魂だけに焦点を当てると、あなたの意識が
いま、ここ、にしか存在しえないように、実存こそ、現在に釘付けにされた存在と
いえないだろうか?という見方をどうしたら拒否できるだろうか?
別の前提を採用して、ここでは魂や霊を拒絶した場合、あなたの脳の物理的な状態
と一対一対応する形で意識が生じるとした場合、あなたと物理的な組成がまったく
同じ人間がいると仮定して、その身体にはあなたの意識、実存が備わっているのだろうか?
あるいは二つの身体が占める空間が異なるために、実存は二つに分かれる、つまり
同じ意識状態の別人となるのだろうか?

3ヶ月前 No.698

問題自動生成器 ★gy73HomSIo_KxC

>>696 空の光さんへ
「建物の設計図の青写真が建築家の頭の中にある」
「空想上の存在であるサンタクロースは各人の心の中にある」
「djさいえじlj(意味をなさない、空虚)について考えた」
この三つの形而上の存在物はそれぞれ別のレベルで存在している/あるいは存在しない
とするとき、この三つの存在に差異はあるのだろうか、あるとしたら、
どのような点で違うのだろうか。
頭の中のイメージを模型で表したり、計画書に描き出すとき、本当に形而上の存在は
その存在を強めるのだろうか、形而下の存在と形而上の存在は相互に連関すると言えるのなら
プラトンのイデア論のように形而上の存在の方を重視すべきなのだろうか、データを重視する
現代の研究者のように形而下の存在を重視すべきなのだろうか。

3ヶ月前 No.699

優鬼 ★1qGFD4yO6x_3lO

ELIZA同士の会話になるから、宿題さんに質問するのはやめてやれ。
幼稚園もうんざりだ。

3ヶ月前 No.700

空の光 ★Fo4vEMdGy0_m9i

>>699 さんへ

思うに人間が形而下に作れるもの、その中で強く印象を描けるもの・・・
そんなものが形而上に出来上がるんじゃないかと・・・。
それは「建物の設計図の青写真が建築家の頭の中にある」と言うことかも。

でも、それが人類、天体、地上に悪影響なら消えていくかも。
なぜなら、意思想念を持ってるのは地上の人類だけではないから。
地上の未来を幸せなものにしたいと思ってる存在。
その想念が打ち勝って行けば、天国が生まれるだろう。この地上に。
そのための青写真なら、後押しをしてくれるだろう。

何か話がそれた・・・かな。

重要視するなら形而上か形而下かとのことだけど。。。
何事においてもまず形而上にもとが出来上がる。

意思想念の世界だから、人間も意思想念があってから体へとなる。
人間の意思想念と意思想念の世界となぜ同じなのか?
人間は小宇宙と言われる通り、この大きな宇宙と同じ。

だから最初に形而上にもとができ、形而下に結果がでてくる。
そのもとを変えれば結果も変わる。結果だけを変えても・・・
でも、もとを知る為には結果を見なければ、結果を見てもとを知る。
だから形而上も形而下も大事・・・。
ただ、判断基準は形而上のものを基準にする。
なぜなら、もとは形而上のものだから。

3ヶ月前 No.701

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

問題自動生成器さん

私は双子の見分けがつかないのに母親はちゃんと見分けがつくものです・・

昔は男の子と女の子の双子は一人は里子に出されるほど結びつきを恐れました・・

陰と陽、ペアになる組み合わせです・・

同じものの組み合わせはワンセットになってもペアにはなれません・・

3ヶ月前 No.702

うさぎ ★HJ6YNK7WFD_UHY

有ると無い、有るか無いかで有るを決めるのは「みんな」でよいが、無いを決めるのは形而上下にかかわらず

個人だと思うがなあ?

3ヶ月前 No.703

空の光 ★b84LmtykOI_m9i

有ると無い。。。有るはみんなで決め、無いは個人、個人でくめるの?

そうだね。見るものはみんなが見えるから・・・

見えないものは・・・人の想念のままに。。。そうだね無いとはなにか?
そこからスタートしなくちゃね。
いや有るもそうかな?

でも、有るは目に見え、耳に聞こえ、舌で味覚を鼻で嗅いで・・・そして、ものに触れれる。

無いは五感に触れないけども感じ取れることも有る。。。心というもので。
これは日常にあふれてる。見えない、触れれない。どこにあるんだといいつつ。
琴線に触れるという言葉も有る。実際に触れるんだろう。

無としておきながら、触れれるものがある。つまり、人間の感覚は五感だけじゃないんだ。
感覚が増えれば、有るものも増えてくる。
だとすると。今は有るものの一部しか感じ取れないという事かな?
そんな感覚はいったいいくつあるんだろう。

一つの感覚がカバーするものは結構多いかも?

3ヶ月前 No.704

優鬼 ★1qGFD4yO6x_8Xv

そもそも存在の謎がなぜ究極の問いかというと、あらゆる問題を突き詰めて考えれば、それは最終的に「なぜ存在するのか?」という疑問に行きつくからだ。このスレで「〜かも」とか言ったところで、答えどころか問いにすら到達してない。

3ヶ月前 No.705

空の光 ★b84LmtykOI_m9i

有と無について

形而下の世界、形而上の世界とわけたところに限界がある?

形而下の世界では、無いものと有るものははっきりしてる。
目に見えないものを無とするのだから。

形而上では五感に触れなくても有るものがある。

代表的なものが心だろう。

言葉もそうかな、目に見える文字にしなければ見えない。
見えないけど伝わってゆく・・・不思議な存在。音波。

伝わると言えば電磁波も五感に触れないから形而上なんだろか?
映像、音をデータとして送ったり記録したりできる。
光を信号に変えるという方法でのデータのやりとりもある。

これらは人間の手で使えるから形而上じゃないんだろうか。
言葉も心も使えるけど形而上じゃないのだろうか?

3ヶ月前 No.706

うさぎ ★HJ6YNK7WFD_UHY

有と無について考えるのは、2項対立みたいで面白いですね。私が思うに「有」は現実で常識ではあるが

我々をより高く深く、より安心に導いてはくれないのに対して「無」は隠れたバネとなり身体の不具合も

貧乏もかなえられなかった夢も平気で乗り越えられる気がします。空無の力は色即是空じゃないけど

哲学のありがたみがひしひしと蘇る。

2ヶ月前 No.707

空の光 ★7cdIQGvhM9_m9i

うさぎさん、ほか皆さんへ。

これは有だこれは無だ・・・と頭で分ける。
有から見た無の世界
無から見た有の世界


以前に書いたとおり
形而下で無とするものが、
形而上では有になり得る。

形而上には形而下のようなルールがない・・・かな。

五感に触れなければならないのが形而下の有。
五感以外で感じ取れるのが形而上のものの存在。

だから人の感性が形而上に広がってゆけば
うさぎさんの言う通り
貧乏も叶えられなかった夢も越えられる
これは無の世界と言うか形而上には

想念の世界があるから・・・

誠なる思いには誠で答える
偽なる思いには偽で答える

つまり無から有へと作り上げれる。
その作り上げられたものも

偽ならそのうち滅んでいく
誠なら次へ次へと生まれゆく

だが、形而上の世界は形而下からはみえない。
その痕跡が見れるだけ。奇跡という名の痕跡が・・・

2ヶ月前 No.708

★68Ih2E2Ydr_zRM

>>708  空の光さんへ

形而下とは、下記のようにあります。

1 形を備えたもの。物質的なもの。
2 哲学で、感性を介した経験によって認識できるもの。時間・空間を基礎的形式とする現象的世界に形をとって存在するもの。⇔形而上。(コトバンク)

> 五感に触れなければならないのが形而下の有。

> 五感以外で感じ取れるのが形而上のものの存在。


ですので、五感ではなくて、六感でしょう。

六感で触れ、そこに現れ認識できるものが形而下の世界の存在で、それ以外が形而上だと思いますね。ですので、形而上は感じる事もできませんし、本来ならば言葉等で表現することもできません。

もしもそれを言葉として表現するのであれば、それはもはや形而下での存在となりますが、もしも人にそれを伝えようとした時には、「言葉」等として表現するしか、一般には伝える方法がないでしょう。そしてそれの理解が起こる存在と起こらない存在に分かれますね。

「月を指す指」の指先を見るか?指されているその先を入れるかの違いだと思います。

> だが、形而上の世界は形而下からはみえない。

> その痕跡が見れるだけ。奇跡という名の痕跡が・・・


イエスや仏陀が残した世界観は、まさにこの事ではないでしょうか。

2ヶ月前 No.709

★68Ih2E2Ydr_zRM

>>709  失礼しました。訂正です。

>「月を指す指」の指先を見るか?指されているその先を★入れるかの違いだと思います。




「月を指す指」の指先を見るか?指されているその先を★観れるかの違いだと思います。

2ヶ月前 No.710

空の光 ★7cdIQGvhM9_m9i

時さん返答ありがとうございます。

形而上のもの、形而下のものをなんとするかで、考え方が違ってきますね。
手元の辞書には、

【形而上のものは感覚器官でとらえられないもの、精神的なもの】

とあります。
つまり、感覚器官とは形ある器官の事だと思われます。
そして、心は感じ取る事が出来ても形ある器官ではない。

つまり形而上だけど、人間が感じ取れるもの。。。
心は形而上的と形而下的を伝え合うものだと思います。
だから、形而上学というものも存在するのかも知れません。

2ヶ月前 No.711

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★ZexeeNyD8L_qQe

心とは

外部からの働きかけによって、大きく呼応し、情感を作り出すもの。


出会いには、選べる出会いと選べない出会いがある。

多くの出会いは選べないことから、情感を生み出した当事者に責任追及は厳しすぎるという面も多々あるのではないのでしょうか。


出会いから人は情感を、より深きものとして、獲得し、喜びも悲しみも、楽しさも、苦しさも臨場感あるものとしていく。

2ヶ月前 No.712

空の光 ★7cdIQGvhM9_m9i

心ですか・・・。

さっきも言ったんですが形而上と形而下を伝え合う。

心の奥にひそむもの遺憾で、良い会話にあったり、すれ違ったり。。。

また、仰るとおり出逢いは自分の意図しない出会いもある。

出会いは答えを出すのは難しい。

でも、ペガサスさんの最後の一言は心に刻みたい。

心と心でしか理解できない事として。。。

2ヶ月前 No.713

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★ZexeeNyD8L_qQe

心とは捉えがたい。

心が暴走しないためには、

心の傷に、

塩を塗ることは

心と心が共鳴しあうのに、

上策とは言えない。

2ヶ月前 No.714

★68Ih2E2Ydr_zRM

>>711  空の光さんへ

> 形而上のもの、形而下のものをなんとするかで、考え方が違ってきますね。


そうですね。その定義の違いによってその思考の方向性が違うのかもしれませんね。

> 手元の辞書には、

> 【形而上のものは感覚器官でとらえられないもの、精神的なもの】

> とあります。

> つまり、感覚器官とは形ある器官の事だと思われます。

> そして、心は感じ取る事が出来ても形ある器官ではない。


仰る通り、心は感覚器官とは表現しませんね。そして、感覚器官とは、形ある器官の事だとも思われますね。

上記の「感覚器官で捉えられる・捉えられない」と言う表現を考えた時、私は「捉えられる・捉えられない」という部分を心(脳)の機能だと認識しました。ですので「感覚器官でとらえられないもの」は、「五感では認識できないもの」と言う事で「感覚器官(五感)+認識できない(心)」で、五感と心を合わせて「六感」と表現しました。(この表現は、私の学んだ仏教の影響が多くあるのかもしれませんが。)

> つまり形而上だけど、人間が感じ取れるもの。。。

> 心は形而上的と形而下的を伝え合うものだと思います。


空の光さんのご認識は了解した上で、上記にはどのように思われるでしょうか?教えて頂ければと思います。

2ヶ月前 No.715

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★ZexeeNyD8L_qQe

わすれられない過去が


心に


深く


傷を入れる。

2ヶ月前 No.716

★30JjgxOVKX_ZFe

「メタフィジカ」、自然科学の後にくるもの、あるいは、高次なもの。

わたしの場合、逆ね。フィジカが前提となってるんじゃないかしら? メタは第二ね。

自然哲学を自然科学って言っている人いるみたいだけど、本当かしら? うそっぽい。

「心」はフィジカね。おそらく。

2ヶ月前 No.717

空の光 ★7cdIQGvhM9_m9i

そうですね。心も人間の感性の一つである。
そう考えても五感と心は一線を引いてるように感じる。
つまり人の身は、五感プラス心、いや、心の奥、魂?で出来てるかな。
だけど、なぜ五感と第六感で線引きしたか。まさに形而上と形而下の線なのか。

心の元かも知れない脳を器官とするのは。
体を動かしている存在と
思いを心に動かす働き

二つの働きを持つものがある。。。
人という小宇宙にあるなら、自然という大宇宙にもある・・・かな。
ひょっとして神道でいう天から降ってきた存在。つまり、人がその役か。

人の無意識にする行為と意識的にする行為。
心の奥、それは深い所でつながっているという。
意識的にも無意識的にも一つのものにつながりがある。
心の奥にシンクロした時、自分を意識しつつ、一つの大きな存在を感じる。
それが神と呼ばれている存在かも知れない。

神と呼ばれる存在。ここで人が有と無を話しているという事はすでに神がきめてる?
神は創造をする。そして、その結果はすでに出来ている。
人が夕食を作ろうする時、すでに結果を思い浮かべるように。

この世界に有と無がある。そう思うのは人だけ。。。その結果は神のみぞ知る。
形而下で必要なものは形而上ではもう出来ている。
あとは、ただ形而下に誕生するのを待つ。
一人一人の創造に委せるという事で。。。

2ヶ月前 No.718

優鬼 ★1qGFD4yO6x_Hja

哲学掲示板にポエム投稿するな。

2ヶ月前 No.719

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

優鬼さんのメンタル板の発言を見ました・・

>最初はいいけど、何かをきっかけとして、どんな人にも例外なく暴言を吐く荒らし。

自分でもそれがわかっているのに、メビウスリング掲示板をやめられない。

私もメビウスに過剰適応して他の掲示板に書く気がしません・・

出ていく宣言をして又来て五回目・・

来る回数は減りました。パソコン自体遠のいてきました・・

それでもテレビと同じでここに来ます。

2ヶ月前 No.720

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

●周囲から見ると、「自分に不利なことを言われたことはいつまでも執念深く覚えていて、また察知も出来るのに逆に相手を攻撃したことはすぐに忘れ、相手が傷つくことも全く分からない」という非常に自己中心的な見かけとなる。

●利用した人に対しては、心から感謝することはありません。なぜなら、人が自分のために何かをやってくれるのは当たり前だと信じているからです。自分は特別な人間だから、周囲が自分のために努力するのは当然だと信じてやまないのです。

●自己愛は人に貸しを作るのが大好き。
無理矢理恩を着せてお礼を言わせるの大好き。
故に自分が人に借りを作るのを嫌う。
自分がそうだからそれで相手に優位に立たれると思ってるらしい。

●自己愛性人格障害の人は、他人に頼らないと自分は生きていけないことを自覚すると、強い不安を感じます。ですので、この不安を感じないために、人への依頼心を認めようとしません。

私はリアルでこのような人たちを相手にしています。

2ヶ月前 No.721

★30JjgxOVKX_ZFe

>720

あら、おばちゃま、久しぶりじゃない?

おばちゃま、>719、よ〜く見て。「優しい鬼」って書いてあるよ。
老眼進んじゃったのかしら?

2ヶ月前 No.722

★30JjgxOVKX_ZFe

>721

あらやだ。

●で、わたしのこと言ってるみたい。

2ヶ月前 No.723

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

およぐちゃん

耐えられない言葉に・・ちょっと出ていく宣言をしまして

多くの人が自己を過大評価するか過小評価するか・・正しくとらえることが出来ないのです。

今老化との闘いです。

まずは自分の認知能力が問題です。正しく状況をとらえられるかどうか・・

2ヶ月前 No.724

★30JjgxOVKX_ZFe

>724
おばちゃま

「老化」っていの、闘う相手なの?

「耐えられない言葉」?
わたしの場合、そもそも、「耐える」っていうのがわかんない。

そもそも、「怒」って感情よね。「理」じゃないわ。

哲学って、感情のあしらいかた、下手みたい。

2ヶ月前 No.725

宿題 ★bUKyk3gX2r_zRM

およぐちゃん

およぐちゃんには、目をふさぎたくなる場面や直視できないものがありますか?


耳をふさぎたくなる言葉がありますか?

私は閲覧注意のサイトを開くことができないびびりです。

2ヶ月前 No.726

★30JjgxOVKX_ZFe

>726
おばちゃま

「知ることを欲する」という欲望は、

目をふさきたくなる場面、耳をふさぎたくなる言動、閲覧注意は他人事の映像も範疇に入るよね?

映像、そうね、「なまの現前」はあまり経験しないよね。
そう、それが、いいよ。

「それ」が当たり前になると、麻痺しちゃうみたい。「それ」が「普通」になるのね、

「人間の普通」にね。


ここ「有」と「無」だから、話題が「無」関係になちゃたよ。

2ヶ月前 No.727

優鬼 ★1qGFD4yO6x_Hja

それ、UMAという荒らしのことだよ。そこだけだと自己紹介に見えてしまうけど。

>●周囲から見ると、「自分に不利なことを言われたことはいつまでも執念深く覚えていて、また察知も出来るのに逆に相手を攻撃したことはすぐに忘れ、相手が傷つくことも全く分からない」という非常に自己中心的な見かけとなる。


あってるのは一つ目だけだな…
彼は「生きることには努力が必要であり、死に物狂いで現実に抵抗しなければ生きていくことはできない」ということが認められず、アドバイスする人を叩きのめすことで現実逃避しているだけだ。

2ヶ月前 No.728

空の光 ★U8tPSffd4i_m9i

有と無に世界があったら

有限界と無限界
これ以上は存在しないだろう=有限界
どこまでも有るかもしれない=無限界

科学はいつも最先端を突き進んでる。
ひょっとすると無限なのかもと思わせるくらい。
もし、無限だったら、無限界の中に有限は浮かんでる?
有限界は無限に広がるもので包まれてる?
無限に広がるものとは、どんなものなのだろう。

無限な存在でありそうなのは、心、想念かな?
どんな想いも包み込む、それでいて体を介してあふれ出てくる。
小宇宙である人がそうなら、大宇宙もそんな存在か。
宇宙としてあふれ出ているそのもとは?大きな想念?
宇宙が想念だとすると、宇宙そのものを想いで、できあがらせた。
その想念の元は?

小宇宙である人、その心、想念も無限だとすると大宇宙の心、想念とも触れあえるかな。
形ある宇宙にあふれているものたちを
「見て、聞いて、嗅いで、味わって、体で触れて、心で感じる」
誰かが言った、日本の宗教は感じるものだと・・・

1ヶ月前 No.729

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★ZexeeNyD8L_MZt

有限も無限も聞いていない。

安息の日々を探して、五十年。

イエスの幻影には苛まされた。

1ヶ月前 No.730

優鬼 ★1qGFD4yO6x_CdT

哲学っていうレベルじゃねぇぞ!

1ヶ月前 No.731

空の光 ★1UlgudIuCb_m9i

>>715  時さんへ

>上記の「感覚器官で捉えられる・捉えられない」と言う表現を考えた時、私は「捉えられる・捉えられない」という部分 を心(脳)の機能だと認識しました。ですので「感覚器官でとらえられないもの」は、「五感では認識できないもの」と 言う事で「感覚器官(五感)+認識できない(心)」で、五感と心を合わせて「六感」と表現しました。(この表現は、 私の学んだ仏教の影響が多くあるのかもしれませんが。)


心は脳の機能ですか・・・心は何か機能を持たせた時点で心の持つ、
想念の不思議さが消えるような気もします。
だから形而上は理解できないという事になるのかもしれません。
その機能は何かでとらえる事ができないと。。。思いや考えをしたりしてしまい。
本来の感じ取るができないかも。心でとらえたものを脳に変換する?

直感。インスピレーション。そういうものは脳が空っぽの時にとらえられる。
直感をこうだなと、とらえた瞬間もう消えかかる。だから素早くメモする。
思いは自分でコントロールするはずのものなのに・・・

心はいや、想念か?心の奥にあるもの・・・それが世の中の無限の広がりとつながるか。
脳はその心を過ぎていこうとするものを、とどめておこうとするのだろう。
脳の中に。だから脳がいっぱいになる・・・心の奥が感じ取れなくなる。
どうも自分の中の思いは脳と心は別物だと考えてるみたいだ。

1ヶ月前 No.732

優鬼 ★1qGFD4yO6x_CdT

「形而上にあるものが形而下に存在するよう」になる、だっけか。
そして「想像したものがやがて存在するようになるから、この宇宙も神が創造した」となる。
比喩という抽象的思考しかできないからそうなる。

1ヶ月前 No.733

★aIS9uClmn9_c1Z

>>732 空の光さんへ

> 直感。インスピレーション。そういうものは脳が空っぽの時にとらえられる。

> 直感をこうだなと、とらえた瞬間もう消えかかる。だから素早くメモする。

> 思いは自分でコントロールするはずのものなのに・・・


現代の脳科学では、その分類がされているのかもしれませんが、心と脳の明確な分類方法や基準を私は知りません。

例えば、何かを食べた時「おいしい・おいしくない」と感じますが、これは、思考の結果ではないですね。ですので「心の機能」ではないでしょうか。何かを視覚で捉えた瞬間に「美しい」と感じる。どこがどのように美しいのか?は次の思考の段階だと思います。ですので、直接的な最初のとっかかりが心の機能のような気がします。

上記に書かれているように、インスピレーションは思考した結果ではありませんね。突如として沸き起こるイメージでしょうか。しかしこれは脳の機能になるのでしょうか、心の機能なのでしょうか。その分類は、私には分かりません。

> 思いは自分でコントロールするはずのものなのに・・・


この「思い」は自分でコントロールできるでしょうか?

例えば、食卓に嫌いな人参があったとします。視覚に捉えた瞬間、感情的に「不快感」が沸き起こると思いますが、この直接的な「うわー、嫌いなものがある」と言うその一瞬の「思い」をコントロールして変えられるでしょうか?「嫌いなもの」=「嫌いなもの」ではないでしょうか。コントロールして「好きなもの」にはできないように思いますが。

1ヶ月前 No.734

空の光 ★1UlgudIuCb_m9i

>>734  時さんへ

思いはコントロールできるはずなのに。

それなのにコントロールできないものも存在する。
だからそれは心でとらえたもの、感じたというもの。
そういうふうに思ったんです。

心は機能じゃないかも。
脳と心とは別物。。。
脳は心を形に表そうとするのかも。

心の感じ取るもの、感じたものの形を見てみたい。
そう思うけれどもなかなかできない。

絵、言葉、彫刻、建築、音楽、映画などの芸術も、
そこから読み取れるのは人によって違う・・・
作者の思いが伝わるかな。

「心のこもったもの」というものも存在する。
それを感じ取れる人もいる。愛というものも・・・かな。
言葉を操れない時は特にかな・・・

1ヶ月前 No.735

★30JjgxOVKX_ZFe

>735

「脳と心とは別物」って見ること自身が問題じゃないかしら?

脳と心は一心同体って見た方がいいんじゃない?

1ヶ月前 No.736

空の光 ★Hh3oQco26J_m9i

>>736

ご意見ありがとうです。

うーん、心は脳と一心同体・・・。

確かに脳は心かのように考えられる。

でも、脳は心を形にしてるだけだったら。。。

心が主で脳が従かな。

思いが浮かんでから脳が働き始める。
そんな気がするんだ。
心にふっと浮かんだ事を元にして考え始める。

ふっと浮かぶ思いは、脳にはないものかな?
そう言えば、ここで誰かが言ってたな。

「思いがきっかけで考え始める」というような事を。

きっかけを与える存在=心の奥
考える=心の表層が脳を働かせる?

心と脳はリンクし合ってるって事かな。

1ヶ月前 No.737

★30JjgxOVKX_m9i

>737
メルロの『見えるもの見えないもの』のなかで
『精神を身体の裏面として見ること』って書いてある。

わたしの場合、身体を体と脳に分節して見ているから、脳は身体の範疇。

この続きは、オリ哲でね。

もっとも、「心」と「精神」を別の意味で使っているなら話はかわるけどね。

1ヶ月前 No.738

空の光 ★Hh3oQco26J_m9i

>>738

「こころ」と「精神」

言葉が違うって事は何らかの違いがあるのかもしれませんね。

「こころ」で思うとはいいますけど
「精神」で思うとはいいませんよね?

「精神 (いや、頭かな)」で考えると言いますけど
「こころ」で考えるとは言いませんよね?

例えば
自分は句詠みをしますけど、
句を詠むとはいっても。
句を考えるとはいいませんよね?
句を詠むのは心の部類なのかもしれません。

心とは奥がある。
精神は心の表面なのかもしれません。
ただ精神を統一するとなるとどうなるか?
自分には分かりません。

1ヶ月前 No.739
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