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現象学について一緒に勉強しましょう

 ( 哲学掲示板 )
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6面 ★efQcIspQ25_Dcn

なかったので立てました。
現象学的なことについて質問したり主張したり議論したり勉強したりメモ書きしたりしましょう。

このスレッドで言う現象学とは、現実の現象、特に自分自身の体が体感しているような身近な現象、を哲学的に解明しようという試みです。


既に現象学という専門用語をご存知の人は、その意味を狭義の現象学と考えて、ここではより日常的、時には素人的に、そしてその分、より広義に現象学というものを広げて捉えて参加していただければいいかと思います。もちろん、専門的な現象学の話がメインになることが私(スレ主)としては望むところですが、専門用語が素人への配慮なしに飛び交うような形は避けたいところであります。

現象学とは、学問的にはハイデッガー、サルトル、メルロー=ポンティ、レヴィナス等の携わった学問という風に位置づけられているようです。
ここでは、そのような学問的実情に関係なく、幅広い意味で「現象学」という言葉を使っています。
ですから、ここでは、哲学者としてデカルトやヘーゲルやアルキメデスなど誰を持ってきて議論しても問題ありません。このスレのテーマの範囲内である限りは。
たとえば、医学や解剖学的な話なども歓迎です。

ではどうぞ。

7年前 No.0
メモ2010/11/03 21:01 : 6面★efQcIspQ25_Dcn

・ちなみに現象学で扱うテーマは、直接的には知覚や意識や感情などです。間接的には、この世界、時間、空間、物などということになります。

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★30JjgxOVKX_m9i

>308

あなたが好きなもので、考えてみたら?


ところで、かわいいイラスト、どうやって入れたの?
教えて。

2ヶ月前 No.309

厨二病 @kec ★n1iSzXUWLB_WcJ

>>309

イラストはスタンプをクリックしたら出てきます。

好きなものですか、好きな物が目の前にあれば、物質として存在しているなと思います。

2ヶ月前 No.310

★30JjgxOVKX_m9i

>310

「スタンプ、クリック」ありがとうございます。


中二病さまは、「好きな物」が、「物質として存在している」としか思わないの?

じゃあね、「好き」ってどこから湧いてくると見てます?

2ヶ月前 No.311

厨二病 @kec ★n1iSzXUWLB_WcJ

>>311

今の例で言うと、自分が好きなその物質が目の前に存在しているのを、自分の視覚で見たら湧いてくると思います。

2ヶ月前 No.312

★30JjgxOVKX_m9i

>312

メルロは、『視覚は問いであり答えである』 と言う。

ちょっと違うかもしれないけど。

おもしろいでしょ?メルロ。

2ヶ月前 No.313

★30JjgxOVKX_ZFe

>290で、現象学的方法について、わたしに見えてきたものを記して見ました。

わたし、現象学ではメルロ派なので、彼が言う〈肉〉について、お勉強中だけど、いまだ見えてこない。


メルロに関して、わたし、解説の方がわかりやすいので、中山元氏のを、ちょっと抜粋して見ますね。


(a)メルロ=ポンティの思想の魅力は、言えないものを言おうとする強靭な思想的な営為にある。わたしたちのだれもが予感のような感じながら、言葉に表現することのできないものを示そうとするメルロ=ポンティの文章は、よどみ、回り道をし、ときには口ごもる。しかしその口ごもりにこそ、メルロ=ポンティが語ろうとしたものがある。伝統的な哲学の概念では割り切れないものを描くために、メルロ=ポンティの哲学は、あえて曖昧さと両義的な概念を逆手にとる。

(b)初期のヴィトゲンシュタインなら、語りえないことについては語るべきではないと禁欲しただろう。しかしメルロ=ポンティは、これまでの哲学においていうまでもなく表現できなかったもの、語りえないと考えているものを語ることにこそ、哲学の課題があると考えていた。
メルロ=ポンティが語るべきだと考えたもの、そして「これまでの哲学の言語では語られていない」と考えたもの、それはデカルト以来の近代的な哲学の主体を客体の二元論ではどうしても把握できないもの、主体でもあり、客体でもあるような人間の存在の〈あまいさ〉である。

(c)この〈あいまいさ〉をここでは一応「身体」と呼んでおこう。メルロ=ポンティが繰り返し語っているように、人間が主体でありうるのは「身体」をもつ存在だからであるが、この「身体」をももつことによって人間は、同時に客体となるからである。これまでの哲学は、人間が身体であることの意味を十分に考察してこなかったとメルロ=ポンティは考える。

(d)たしかにこれまでも、哲学において人間の身体と精神の関係を問う営みは行われてきた。デカルトが身体と精神を延長と精神という二つの異なる実体と定義して以来、心が身体とどのような関係を取り結ぶかということは、哲学の難問になってきたからである。たとえば心身問題をめぐる議論は、現代の重要な哲学的な潮流の一つを形成しているのである。

(d)そしてメルロ=ポンティも精神と身体の関係を考察する。最初の著作『行動と構造』から始まって、『知覚の現象学』の重要な部分は、この問題の考察にあてられているといって間違いではない。これらの著作ではメルロ=ポンティはゲシュタルトの心理学の理論に依拠して、この問題を解決しようとうる。
しかしメルロ=ポンティの〈身体〉の理論の重要性は、それがたんに心身二元論の問題を考察しようとはしていないところにある。メルロ=ポンティの〈身体〉の概念は、心身問題の議論で使われてる〈身体〉の概念よりははるかに広い。この広義の〈身体〉の概念に、メルロ=ポンティの哲学の核心がある。メルロ=ポンティの議論は時とともに変身を遂げていくが、この核心においてはまったくゆらいでいないのである。


こんな感じみたいよ。

2ヶ月前 No.314

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

>>314

およぐちゃん

中山元は〈あいまいさ〉を「身体」と呼んだのなら、何を「精神」と呼んだの?
「身体」があるから主体なんだったら、「精神」いらなくね?
皆さんは、二元論と一元論の違いという基本的な部分はわかってるのだろうか?

wikipediaには一元論の種類のひとつとして、
>唯物論または物理主義。身体だけが現実であり、心は身体に還元されるとするもの。
と書いてあるが、私の頭では >>314 とそれの違いがわからなかった。

それで、メルロや中山元は何を「精神」と呼んだの?

およぐちゃんのこれまでの引用を見ていると、メルロが徹底した物理主義者に見える。
そして即物的なのは実存主義の特徴でもある。(そして、本人たちはそれに気づいていない)
これが二元論とか笑える。

2ヶ月前 No.315

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

>デカルトが身体と精神を延長と精神という二つの異なる実体と定義

に関しても「「精神」が実体?」と思って調べたがギルバート・ライルが「カテゴリーミステイク」とすでに指摘していた。
つまり、メルロが出るまでもなくデカルトの実体二元論は論破されているということだ。
しかも一元論で二元論の論破を試みているとかお茶吹きました・・・水掛け論だけに

2ヶ月前 No.316

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

普通の人なら、0.1秒で気づくことが指摘されるまでに数百年かかる・・・
哲学は「永遠」をテーマにするだけあって、時間の流れが桁違いですなあ・・・

2ヶ月前 No.317

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

幼稚っていうのは悪いんだけど、このレベルだと流石にね。
「アキレスと亀」や「われ思うゆえにわれあり」という天才的発想に哲学者たちが歯向かっていくのは娯楽としては面白い。
「珍解答集」としてコンビニで販売してそうだ。

2ヶ月前 No.318

厨二病 @kec ★n1iSzXUWLB_uKh

いずれにせよ、物質が存在していることは否定できないと思います。

2ヶ月前 No.319

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

存在の解釈によるね。
我々は道を歩くときに無関係な周りの物質にはあまり注意しない。(石ころとか)
これは存在を否定していることにならないだろうか。
存在の定義は、現象学でも大きなテーマになっているはずだよ。よく知らないけど。

2ヶ月前 No.320

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

犯罪者が犯罪を犯し証拠を隠滅するとする。
彼らにその物質について聞くと、彼らは口々にこういう
「そんなものは存在しない」

2ヶ月前 No.321

★30JjgxOVKX_ZFe

>315
あら、天使ちゃん、おしさしぶり。
どう?天使になるお勉強、順調?

あのね、「メルロや中山元は」って、メルロと中山さんを同一視しないほうがいいよ。
>314は、あくまで訳者の言を記述しただけよ。

「(c)この〈あいまいさ〉をここでは一応「身体」と呼んでおこう。」には、
わたし、ちょっと抵抗あるけど、”そのまま”がいいかなって思ったのよ。はぶこうかな、って思った部分だっけどね。

悪魔にとって、人間の考える、身体と精神、一元論・二元論・○○元論、っていう分けと対立は、利用価値あるのよね〜。

2ヶ月前 No.322

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

神様にとって悪魔の利用価値はないよ。

観念して滅びよ

2ヶ月前 No.323

★30JjgxOVKX_ZFe

悪魔にとっては、神さまは十分利用させてもらてます。価値じゃないけどね。

あら?天使ちゃん、悪魔、恐がってるの?
恐がる必要なんてないじゃん。だって天使と悪魔って同類でしょ?

人間が存在している限り、悪魔は滅びないわ。
逆に人間が滅びたら、悪魔もいなくなるね。
神様はどうなの?人間が滅びても存在するのかしら?

2ヶ月前 No.324

★30JjgxOVKX_ZFe

>0

「現象学について一緒に勉強しましょう」な〜んて、言っておきながら、

6面さん「なかったので立てました」でしたね。

ではどうぞ

充分、◯ナッテください。

2ヶ月前 No.325

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

およぐちゃん

人間は悪魔を怖がるけれども、勇敢な天使たちに怖がるという言葉は存在しないよ。

>人間が滅びたら、悪魔もいなくなるね。

きみたちは自分の事を、人間の妄想だとでも思っているのかい?
神様が悪魔を滅ぼそうとするのは、悪魔が人間を滅ぼすからだよ。
これは天罰なんだ。

>神様はどうなの?人間が滅びても存在するのかしら?

不死なる存在に、そんなことは愚問だよ。
悪魔というのは、どこまでも愚かだね。
人間が滅びるとか、滅びないとか、それは神様にとって重要なことじゃない。
神様は暇だから人間というおもちゃで遊んでいるのさ。


>悪魔にとっては、神さまは十分利用させてもらてます。価値じゃないけどね。

悪魔は、神様の作ったものを、壊して回っているだろう?
神様が作ったものを壊すなんて、悪魔はどこまでも不敬だね。
神様は、その理由について問わないし、反省も求めない。
ただきみたちが「悪」だから罰するのさ。

1ヶ月前 No.326

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

少し、現象学から離れてしまったね。
ところで、「精神」というのは何なんだい?

1ヶ月前 No.327

★30JjgxOVKX_ZFe

>327

精神とは、身体である脳から生みだされているもの。略して、脳現象。

って、見てまう。


あ、それから、
悪魔は人間を滅ぼうとしてないよ。ただ直接手を下さないだけよ。
悪魔は神様と違って何かと忙しいなか、人間を楽しませてあげてるじゃない?

1ヶ月前 No.328

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

>>328

およぐちゃん

>精神とは、身体である脳から生みだされているもの。略して、脳現象。

精神が現象を把握するとすれば、脳が現象なのだから、現象が現象を把握する。
つまり現象とは、ただの言葉だと言いたいのかい?

1ヶ月前 No.329

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

「脳が現象」ではなく、「精神が現象」だった。

1ヶ月前 No.330

★30JjgxOVKX_ZFe

>329

わたしの場合はね、

>296で、中島氏が解説していたように、
〔フッサールは、「現れ」に戻ることにより開かれる現象学的地平を目指していると言えよう。〕

のように、「現象」を、(真偽善悪などの意味を含まない)たんに「現れ」と見てるのよね。

天使ちゃんの言う「精神が現象を把握する」は、わたしの場合「精神が現れを把握する」ってなっちゃうから、何かヘンな感じ。


「どこに現わるの?」
「脳じゃない?」

で、脳に現われるものを「精神」っていう名をつけよう、ってしただけ。

ちなみに「学」は「見えるようにすること」。
したがって、「現象学」は「現われを見えるようにすること」としてますよ。

こう見ると、現象(現れ)にはいろんな問いが生まれてくる。
いつ・どこで・何が・どこに・どのように、・・・などなどね。

それとね、「現われ」は「存在」に関係してくるんじゃない?

1ヶ月前 No.331

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

>>331

およぐちゃん

>「精神が現れを把握する」ってなっちゃうから、何かヘンな感じ。

それは、私の言ったことがヘンなのではなく、 >>296 の「現れ」の使い方がヘンだからだよ。
>>296 にも、「誤った現れ」とちゃんと書いてあるじゃないか。
誤ったものだと受け止められる(ヘンだと思われる)と認識しつつ、それを彼は「現れ」と言っているんだよ。

主観的妥当性がもしその通りに主観的に妥当ならば、それを言葉で表現し客観性を持たせようとする試みは、無駄だと思わないかい?
それは「現象」という言葉を、表現したい対象である「現象」から離れたただの言葉にしてしまうんだ。

1ヶ月前 No.332

★30JjgxOVKX_ZFe

今日はお休みだから、いっぱい考えちゃった。

>295,296のN1〜N5は、中島氏“における”ランベルト、カント、フッサールの「現象」という語についての解説。

どこかで書いたつもりだったんだけど、もれちゃったのかも、で、

中島義道さんは、現象と仮象について以下のように記述してます。

[N0]『現象と仮象という両概念は、哲学的にはカントの時代まで正確に区別されることはなかったが、それも当然である。なぜなら、ドイツ語における「現象」(Erscheinug)には「真」という意味が含まれておらず、また「仮象」(Schein)も「仮」という意味を特に担っていないからである。“Erscheinug”も“Schein”も「現れ」であって、ここに真偽ないし正誤の問題はもともと入っていない。ドイツ語では成績表も紙幣も身分証も“Schein”と呼ぶ。これらは「誤った現れ」ではなく、むしろ何ものかの「真の現れ」なのだ。こうした文脈において、カントと彼の同時代人ランベルトとを比べると、両概念がまったく異なった方向に彫琢(宝石などを加工研磨すること、詩や文章を推敲し立派なものにすること、美しく磨き上げる)されてゆくのを看取(見てそれを知ること、観取)できて興味深い。その後ヘーゲルやフッサールの現象学における現象概念も、また両解釈の間を揺れ動いていると言えよう。』

ここから、>295[N1]の
『仮象とはあくまでも真偽以前の「中間物」であり、何ごとにせよ見えるがまま・現れるままの事柄であって、これはドイツ語の“Schein”の意味を忠実に保っていると言えよう。』に繋がるのかな。
もっとも、「中間物」という語が適切かどうかは、わたしとしては?だけどね。

このような中島氏の解説から、わたしに見えているのは、

1.「現象学」(phenomenology)という用語をはじめて使用したのがランベルト(1728-1777)だったらしい。
2.中島氏によれは、ランベルトの現象学は「仮象の学」であり、ここにおける仮象という概念には「真」に対する「偽」という意味合は含まれていなくて、何ごとにせよ見えるがまま・現れるままの事柄のことについての学。
4.日本語に訳されている「現象」「仮象」は、もとはともにたんに「現われ」のこと。
3.カントは、このようなランベルトの「仮象」を、「誤った現れ」「錯覚」と限定してしまった。
4.フッサールにおける現象学は、カントのいう仮象とは異なり、見えるがまま・現れるままの「現われ」を見えるようとすること。

こんな感じです。


ところで、天使ちゃんは、「精神」とは何か、って聞かれたら、どう答えます?

1ヶ月前 No.333

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

およぐちゃん

>ドイツ語では成績表も紙幣も身分証も“Schein”と呼ぶ。これらは「誤った現れ」ではなく、むしろ何ものかの「真の現れ」なのだ。

紙幣が「真の現れ」だなんて、中島義道さんは拝金主義者なのではないだろうか。
これを仮象と解釈するにせよ、現象学的に別のものとして解釈できるにせよ、
成績表も紙幣も身分証も精神によって把握されなければ意味をなさないという事実は変わらない。


>ところで、天使ちゃんは、「精神」とは何か、って聞かれたら、どう答えます?

精神については、最先端の科学においても解明されていない部分が多いから、抽象的な言い方になるけど、
俺は「自由の現れ」という風にとらえている。このとき、自由は本質的なものということができるから、
現象学では「精神」は「現象」としかいえないんじゃないかな。
つまり現象学は何ら意味のあることを言うことができない。
本質を見ないということはそういうことさ。
通常の会話では無意味な会話なんて普通だけれども、それが哲学として成立するかというと、ちょっとね。

1ヶ月前 No.334

★30JjgxOVKX_ZFe

>334

「自由の現れ」、やっぱ、現れじゃん?

いつ・どこで・何が・どこに・どのように、・・・などなど、現れるのかを問い続けてるのが、現象学だと見ているよ、わたしの場合。

あ、それとね、〈現象学では「精神」は「現象」としかいえないんじゃないかな〉
ちょっと誤解されちゃ困るんだけど、精神=脳現象ってしたの、わたしだからね。
現象学でそう書いてあった、というこじゃないから。

「本質」ね、これについてはもうちょっと見ているところなので、またの日に。

1ヶ月前 No.335

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

では、現象学では「精神」はどう書いてあるの?

1ヶ月前 No.336

★30JjgxOVKX_ZFe

>336

「精神と身体」の間の「と」について記述してるんじゃないかしら?

書いてある所を探してみますので、数日後にね。

1ヶ月前 No.337

★30JjgxOVKX_ZFe

>336

現象学とひとくちにいっても、フッサール、ハイデガー、メルロ、それぞれ異なるものがあるんじゃないかっていう感じ。
わたし、メルロ派なので、『知覚の現象学』で「精神」について記しているところを抜粋してみます。

『本来の意味での視覚は、比喩的な意味での視覚の単なる範型であり象徴であるにすぎない。――比喩的な意味での視覚とは、同時に存在する多数のものを「見渡す」(□berschauen)能力であり、対象を措定する、あるいは意識するある仕方なのである。しかし、それでもなお、この型の意識は感覚としての視覚の昇華にすぎないものであって、確かにそれは新しい意味を視野の諸次元に付与しはするが、つねにおれらの諸次元のうちに自己を図式化するのだから、この一般的機能が心理学的な根をもっていることは理解できる。意識は視覚の与件をその本来の意味を超えて自由に発展させ、意識の自発的な作用を表現するためにこれを利用するのであるが、このことは「直観」(intuition)「明証性」(□vidence)「自然の光」(Lumi□re naturelle)といった言葉に、ますます豊かな意味を与える意味論的な発展を見ても明らかである。しかし逆に、これらの言葉のうち、歴史的発展の結果与えれれた最終の意味においてであれ、視覚的な知覚の構造をかえりみずに理解されるようなものは、一つもない。したがって、人間は「精神」であるから見るのだとも、見るから「精神」なのだとも、いうことはできない。実は人間が見るような仕方で見るということと「精神」であるということは、同義なのである。』

メルロの現象学では、こんな感じよ。
他にもあるけど、やめとく。だって、現象学に興味ないでしょ?

おかげで、再認識できてよかった。ありがとね、天使ちゃん。

それとね、
〈存在ならしめているもの〉に「本質」っていう語を当てることにしたよ。

1ヶ月前 No.338

★30JjgxOVKX_ZFe

>338、ごめんなさい。写しまちがえ見つけました。
『つねにおれらの諸次元のうちに』の『おれら』は『これら』のまちがえです。訂正します。
「おれら」でも意味が通っちゃう感じだから。

1ヶ月前 No.339

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_c1Z

>>338
およぐちゃん

ありがとう。


>現象学に興味ないでしょ?

ないね


>おかげで、再認識できてよかった。ありがとね、天使ちゃん。

どういたしまして


>〈存在ならしめているもの〉に「本質」っていう語を当てることにしたよ。

それならば、本質を本質ならしめているのはおよぐちゃんということになるね。

1ヶ月前 No.340

★30JjgxOVKX_ZFe

>340

あら、やっとわかったの、天使ちゃん(じつはわたしもわかんなかった)。

そうね。

本質を本質ならしめているものが「あなた」だっていうことが。


<現象学に興味ないでしょ? ないね>
 いいね!

1ヶ月前 No.341

厨二病 @kec ★n1iSzXUWLB_uKh

構造主義のように人間の意識を、意識以外の物から説明するのは、正しいんじゃないかなと思います。

1ヶ月前 No.342

★30JjgxOVKX_ZFe

>342、
あなたが、中二病っていってるから書いちゃうけど(ごめんね)。

現象学って、「正しい」すら問題としていないんじゃないかしら?

1ヶ月前 No.343

厨二病 @kec ★n1iSzXUWLB_uKh

>>343

人間の意識を意識からだけ説明するのは、片手落ちな気がするんです。

1ヶ月前 No.344

★30JjgxOVKX_ZFe

>344
あら、あたま、こんがらがっちゃてるの?

人間を、人間の意識からだけで説明するのは、片手落ちだと、わたしも思うよ。

ネットで「現象学」を調べて見たら、
(a)〈フッサールは F.ブレンターノの影響を受けながら,「事象そのものへ!」を哲学の標語とし,純粋意識の本質記述学を現象学とし,超越論的還元と形相的還元による純粋意識の本質構造をノエシス,ノエマの相関関係として分析記述した。〉というのがあった。

(b)メルロは、「現象学は存在の意識への現出を研究する。」と言う。

1ヶ月前 No.345

宿題 ★bUKyk3gX2r_c1Z

ちょっとだけ・・

ノエシスという意識作用の中味のノエマは千差万別です。

検索して火の玉を見てみたら?・・

私は今火の玉の世界を見ています・・

1ヶ月前 No.346

★30JjgxOVKX_m9i

>346

「魂」の問題ね。

1ヶ月前 No.347

宿題 ★bUKyk3gX2r_c1Z

およぐちゃん

存在意識と言う(言い表せない明らかにできない)観念を遠回しに意味を表そうとしていくのが哲学です。

魂はもっと広範囲です。

1ヶ月前 No.348

★30JjgxOVKX_m9i

>348
宿題さま、あら、もどっちゃの?ママ。

わたしのいう「魂」というのはね、

「空間の中でひとかたまりとして把握される全体。」

っていう意味よ。

ところで、ママの場合、以下の語を使い分けてます?

「精神」
「心」
「魂」
「気持」

1ヶ月前 No.349

宿題 ★bUKyk3gX2r_c1Z

およぐちゃん

失礼ながら日本語があまり上手ではないので・・・・・・・

説明します。

日本語は、同じ漢字でも使い方によって意味が何通りもあります。

違う漢字でも同類語があります。

1ヶ月前 No.350

★30JjgxOVKX_m9i

>350
ママ、わたしが聞いているのは、そこじゃなくて、

”宿題さまにおける概念(雰囲気)への命名の話しね。

たとえば、わたしの場合、

「脳の現象」というわたしの概念に「精神」っていう語を当ててる、っていう感じね。
脳の現象に「精神」ってう名前を採用しなくても「心」でも「魂」でもよかったんだけど、
「心」という語を別の意味で使おうかなって、思ってる。今ははっきり語れないけど、ちょっと記して見ます。

「視覚」は「精神」の範疇、「まなざし」は「心(こころ)」の範疇、「行動」は「身体」の範疇、「身振り」「振る舞い」は「体(かrだ)」の範疇、
そして、「こころ」と「からだ」という分節の仕方におけるキアスム。

こんな感じ。


「 philosophia」というギリシア語の概念、かつて日本には「存在しなかった」のかな?
これに「哲学」ってう語を「作り出した」っていうことじゃないかしら?

逆に、たとえば、「自」という「語」の意味、これ、西欧にあるのかしら?
メルロの言う「世界における(への)存在」は「自」のことを言っているような気がするのよね、わたしのばあい。

「自」は、「おのずと」と「みずから」という両義的な意味をもっているようよ。

だから、わたしは「自としての存在である私」を見ようとしているわけね。

1ヶ月前 No.351

宿題 ★bUKyk3gX2r_c1Z

およぐちゃん

人間の体は無為自然

人間の精神は有為自然

およぐちゃんはどちらを優先しますか?

1ヶ月前 No.352

★30JjgxOVKX_ZFe

>352
意味わかんないから、ネットで調べて見たのね、ざっと以下のような感じかな?

1)無為=自然のままに任せて手を加えないこと。
2)有為=能力があること、役に立つこと。

3)為 =なす する なる ため。利益があること。役立つこと。原因・理由。わけ。
から、「無為」=理由・利益がない。「有為」=理由・利益がある。

このよな意味から見ると、

人間の
身体は無為自然→身体は、理由・利益がない自然である、とか、身体は〈自然のままに任せて手を加えないこと〉の自然である。
精神は有為自然→精神は、理由・利益がある自然である、とか、精神は〈能力があること、役に立つこと〉の自然である。

こんな感じなるけど、なんか、わたし、意味わからない。

いずれにしても、>352は、身体と精神を共に自然的存在と見ていること、自然には、無為と有為の自然がある、と見ていることになる、
って言ってることは確かなようね(でも、その見方はわたしとのは異なる感じだけどね)。


おばあちゃまの言う「無為」「有為」「自然」の意味を記してもらえます?


「どちらを優先しますか?」という問いに関しては、この後になるよ。

1ヶ月前 No.353

宿題 ★bUKyk3gX2r_xmq

>>353

これは、東洋哲学の老荘思想からです・・

無為自然とは高いところから低いところに水が自然と流れるような・・自然のまま

有為自然とは低いところから高いところに意思を持って持ち上げるような・・自分の思いを・・

1ヶ月前 No.354

★30JjgxOVKX_ZFe

>354
おばあちゃま

>352では、「人間の」っていってますよね。

じゃ、人間の、「高いところと低いところ」について言っていた、っていうこと?

1ヶ月前 No.355

宿題 ★bUKyk3gX2r_xmq

およぐちゃん

無為自然とは自然の欲求に任せるとか楽な方に流れるとか・・

1ヶ月前 No.356

★30JjgxOVKX_ZFe

>356

うそ、うそ。


わたしと違って、せっかく学生の時に、その機会があったみたいなのに、もうちょっと「哲学すること」を学べばよかったのにね、

おばあちゃま。

1ヶ月前 No.357

宿題 ★bUKyk3gX2r_xmq

およぐちゃん

私の哲学科卒業の家族の卒論はヤスパースさんなのです。

私の方が哲学科卒業者の家族より詳しいです・・

1ヶ月前 No.358
ページ: 1 2 3 4 5

 
 
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