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独我論を乗り越える方法

 ( 哲学掲示板 )
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すぴのざ ★0gLpHaJ.DeM

【レスする前に】
このスレで使う言葉の意味は辞書、wikipediaに記述してあるものを使用してください。2つに記述されていない意味を使用する場合は、どのように定義しているかを明示してください。

【独我論とは(wikipedia「独我論」から転載)】
概念

「客観的存在に対する常識的見解」
私たちが事物を認識するとき、何らかの客観的な事物が存在し、感覚器官を通じてその事物が意識の中に現れると考える。例えば、「私はリンゴを見ている」というとき、私の認識とは無関係に存在する客観的なリンゴがあり、私の視覚を通じて、私の意識の中に、主観的なリンゴの形や色が現れる。これが、事物を説明するにあたっての常識的な考え方である。


「独我論からの反論」
これに対して、独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。リンゴが存在するのは、私が認識しているときだけであり、私が認識を止めると、リンゴもまた消滅する(見えなくなるのではなく、存在しなくなる)。全ては私の意識の中にのみ存在し、私の意識を離れては何物も存在しない。これが独我論の基本的な世界観である。

このような一見突拍子のない発想には、次のような根拠がある。普通、私が認識しようとしまいとリンゴは存在する、というが、私はそのことを論理的には証明できない。なぜなら、認識の前に存在するリンゴを認識することはできないからである。いかなるリンゴも、私の認識後にのみ存在するのであり、認識されていないリンゴについて何かを説明することはできない。

このような客観的事物の認識の不可能性は、バークリーやカントなどの観念論に代表される(もっとも、カントは、このようなの不可能性を認めた上で、あえてそのような認識前の存在(物自体)を肯定する。バークリーも、他者や神の存在を認める以上、独我論者であるとは言えない)。

ウィトゲンシュタインにおいて、自己と他者の非同一性の考察から出発した、世界の人間のうち、一人だけ本当の私がいて、他の人間は意識的な存在者ではあっても、この私ではない。すなわち、本当の私は自分一人のみであるという主張。また、彼においては「私に見えるもの(あるいは今見えるもの)だけが真に見えるものである」ということで表現される。

バートランド・ラッセルによれば、非演繹的推理によって自己の直接的経験を超え出ることを認めない限りは、瞬時における自我だけが存在するとする瞬間の独我論を容認することは避けられないといわれる。

古来はその世界観(世界の存在を通して)を批判されていたが、現代ではその「私」とは何であるかという形で批判を受けている。


【本題】
独我論は論破または乗り越えることができるのでしょうか?
出来るとしたら、その方法は?
あなたの独我論に関する考えを教えてください。

参考書籍などを記載してもらえるとありがたいです。

2007/08/23 10:38 No.0
メモ2019/09/13 07:34 : ザビビのふくろう @owlman★UeJTXbNcLw_keJ

【ザビビのふくろうによる独我論入門】

独我論とはそもそもどういうものか、の理解のために参考まで。

@>>461

A>>407-411


【SumioBabaによる独我論を乗り越える方法】

 「独我論」は実証も反証もできません。なのに多くの人々は、「独我論」が「真」か「偽」かは、どちらか一方に客観的に確定していると思い込んでいます。しかし、論理の飛躍をして「偽」だと仮定しても、論理の飛躍をして「真」だと仮定しても、アポリア(解けない謎)が残ってしまいます。そこで、量子力学でいう重ね合わせの考え方を用い、《問》=「独我論は「真」か?、「偽」か?」に対し、《答》=「a「真」+b「偽」(aとbの値は不明)である」と答えてみます。「真」かもしれない、「偽」かもしれない、「両方」かもしれない、「片方」かもしれない、という意味です。すると、すべてのアポリアを解消することができます。しかも《答》は、何一つ真理を限定せず、すべての可能性を網羅した上で正しいのはその中のどれかだろうと主張するだけなので、決して外れることは無く、証明不要のまま恒真(トートロジー)となります。これこそ最も合理的な答だと思われます。


    「独我論」を「偽」だと仮定した場合

 論理の飛躍をして「独我論」を「偽」だと決め付け、「物質世界は「存在しない」ではなく「存在する」の方に、客観的に確定しているのだ」と考えてみます。すると、《謎1》=「なぜ物質世界は「存在しない」ではなく「存在する」の方だけが選ばれているのか?」というアポリアが発生します。片方が選ばれねばならないという論理的必然性が無いため、「かくかくしかじかの理由で「存在する」の方だけが選ばれたのだよ」という答は存在しません。従って、「そんなの知らないよ。なぜかそうだからそうなのさ。」と諦めるしか有りません。


    「独我論」を「真」だと仮定した場合

 論理の飛躍をして「独我論」を「真」だと決め付け、「実在するのは自分の心M1だけであり、物質世界も他者の心M0、M2、M3、…も自分の心M1の中の観念に過ぎず実在しない」と考えてみます。すると、《謎2》=「なぜM0、M1、M2、M3、…の中からM1だけが選ばれて実在するのか?」というアポリアが発生します。これも、論理的必然性が無いため、答は存在せず、「そんなの知らないよ。なぜかそうだからそうなのさ。」と諦めるしか有りません。


    「独我論」をa「真」+b「偽」だと仮定した場合

 「独我論」は実証も反証もできないのだから、何一つ論理の飛躍をしないため、a「真」+b「偽」(aとbの値は不明)と答えてみます。a=1、b=0とおくとこれは「真」となり、実在するのは自分の心M1だけであり、物質世界や他者の心M0、M2、M3、…は実在しないことになります。a=0、b=1とおくとこれは「偽」となり、物質世界や他者の心M0、M2、M3、…も実在することになります。a≠0、b≠0とおくと、「真」と「偽」が重ね合わせのまま、片方に確定してさえいないことになります。つまり物質世界や多数の心M0、M1、M2、M3、…は、どういう視点に立つかで、確率的に「存在する」、「存在しない」、「存在する」+「存在しない」、のどれにも成り得るような在り方をしていることを意味します。つまり、物質世界もどの心M0、M1、M2、M3、…も、「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」、「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」、「存在する」+「存在しない」と認識する視点に立てば「存在する」+「存在しない」、というトリプル・トートロジーが成立しているだけです。そして、《謎1》も《謎2》も事実誤認だったこととなり消滅します。


《参考文献》>>403,404

http://mb2.jp/_tetsugaku/824.html-650,651,652,653,654,662,663,664,665,711,750,751,973,1000#a

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混沌 ★WfF1Lza5KJ_yoD

神なしに、はたして「我」はどのように生ずることができるか?

はい可能です。そもそも神と独我論は関係ないですし 神がいようがいまいが独我論は成り立ちます。

2日前 No.1529

気まぐれ @tetsugaku ★enkLv60QnF_sEg

>>1524

SumioBabaさん

横槍失礼いたします。

>世界W1と世界W0を混同してしまい、世界W0でも世界W1と同じ「法則」が成立しているかのように勘違いしているのだと思われます。


この考え方は「半存在」という概念自体にも言えることではないでしょうか?
「半存在」という概念は世界W1における論理で成立するものであり、W0においてともそうだとは言えません。
あくまで、W1の論理に従えばトリプル・トートロジーとなりアポリアは消失すると言える。のであり、実際はどうなのかわからない。分かりようがない。

分かりようがないのだから、考えても仕方がない。そう思える感性を持っている者だけが納得できる。
そういうことでしすよね。

つまらないことを書いてしまいました。
念のための確認ということで、許してください。

2日前 No.1530

ハンドル ★iPhone=cbzIhxT0IO

遅くなってしまって、もう流れが変わってしまっているけれど、流れをぶった切って投稿します。

もう一度言うと、「現象」と「実在」の線引き、ちょっと分かりやすく言い換えると、「主観」と「客観」の線引きがなぜ可能なのか。
独我論はこの線引きの可能性を前提にして成立しているし(だからこそ、「現象しか与えられていない」「現象しかない」「私だけが存在する」等、それに類する主張が可能なのだろうから)、それならば、独我論が主張可能であるならば、「現象(主観でも私でも)」を越えてその線引きをしているのでなければならないだろう。
それはおよそ独我論を乗り越えた上で独我論を主張することに他ならないのでは、独我論の可能性はそれを乗り越えたところにあるのでは、というのが俺のふたつめの疑問。
だから、独我論が可能であるのならば、すでに独我論を乗り越えているのでなければならない
と言えるかもしれない、と考えたわけです。
と言っても、思い付きを口というか手が滑って書いてしまっただけで、本当のところはそこまではっきりと考えていたわけではないけれど。

注意してもらいたいことは、この「線引きをしているのでなければならない」というのは、原理的にという意味であって、実際にとか現実にそのようなことをしているということは意味しない。
そもそもそれが「具体的に」何をすることなのか、独我論者によればわからないのでなければならないだろうと思う(でも、原理的にはしているのでなければならない)。
だって、「現象しか与えられていない」のだから、それはそもそも不可能なことであって、それが何をすることなのか考えてみることも不可能だろうから。
だから、あくまでも抽象的に考えてもらいたい。
それと、単純に独我論を否定しているわけでもないので、誤解のないようお願いします。
ザビビさんは俺の言っていることが独我論を肯定するように考えているようだけれど、それは当たり前で、なぜかというと、まずは独我論を肯定した上で、その主張するところによればの話なんだから。

分かりやすくと言いつつ、全然分かりやすくないような気もする。
実のところ、俺もよく分かっていないから、それも当然だね。

まあ、あとは、水槽の脳の思考実験がそもそもなぜ可能なのかという疑問もあるんだけど。
あれはあくまでも仮定の話なのにそれを現実に当てはめる(のでなければそもそも理解できない)なんて、実はとんでもないことじゃないのかと。

2日前 No.1531

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

「主観と客観の区別がついてると思ってるけど、実際にはついてないよね。人間ってその区別がつく様に出来てないよね。出来てるっぽく見えるけど、実際には別のルールだよね」ではないかなと

2日前 No.1532

ハンドル ★iPhone=cbzIhxT0IO

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1日前 No.1533

ハンドル ★iPhone=cbzIhxT0IO

なぜフィルタされたのか、ここのルールがよく分からないんだけど、まあいいや。
その前の投稿を読んでもらえば、俺が終末さんにどのような返答をするかくらいは分かるだろうし。

1日前 No.1534

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

二元論的には、「主観」と「客観」の線引きでいうと、客観は直接捉えられないので、とりあえず認識された段階で全部が主観で、その主観を生じさせているいわば「仮想の存在」が客観。「主観」に比べ、「客観」は根拠が希薄な存在に見える。でも主観と客観が結びついて、主観的な認識が起こっていると考えると客観は必要不可欠な存在となる。

1日前 No.1535

★E6vycvPYvN_pzR

独我主義の人と実存主義の人、双方、どう見ていたのかしらね?

1日前 No.1536

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

>>ハンドルさん

ああ、独我論を「乗り越える」の方の定義が違うのかな?
私は以前、独我論は本気で言ってる人はまず居ないって言ったけど
そう言う前提なんで、誰かを納得させると言うよりも、あくまで理論的な話として論破するだと思ってるんですよね
本気で信じてる人が居たとしても、主観だとしてなんか問題あるの?主観世界の操作理論として消化してやっていけば良くない?って割り切ってないとまともに生活出来ませんからね
そうでない人は私の知ってる法則で言えばシャバに居るのは困難ですからね
それこそ残るのはある種の聖人くらいじゃないかな?

1日前 No.1537

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

大体、独我論を突き詰めた場合、他者に理解される、させる、他者と語ると言う行為はまず無駄でしかない
いや、ぬいぐるみに話しかける人も居るからありなのかな?
でも、こんな掲示板で語る価値のある何かがあると思ってる時点で、基本的に弱い独我論でしかない訳で、
流石に「お前の独我論弱いよな」って、そのくらいは分かってる人な方が多いんじゃないかな?

1日前 No.1538

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

独我主義の人なる物が存在したとして、
実存主義の人とか言う他者の存在を信じ話すだけの価値を置く理由がないのでは?
まあ、AIに精神がないとしても話す価値はあると言えない事もないけど
それはAIを理解する価値か自分がどうなるとかの価値で、
AIに理解されると言う価値にはならんでしょう

1日前 No.1539

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

ちなみに、独我主義なる物は検索しても独我論に変換される程度にマイナーです
現実の倫理的な意味付けの差だと思った方が現実的だと思いますよ
要するに外的環境に自分を合わせる事が中心価値か、
自分内的世界の為に刺激を整え解釈する事が中心価値かの差

1日前 No.1540

ザビビのふくろう @owlman ★Android=Gh53RyBMOc

>>1531

ふむ、そこは、やっぱり私の理解とは違うかな。

独我論の立場から実在論批判を言ってみる。

現象とは自分の意識(主観)への現れであり、知覚経験あるいは直接経験とも言われうるもの。
いかなる主観と言えども、これを越えて認識することはあり得ない。
従って、この認識の限界の内側である現象(主観的世界)のみが本当に存在すると言えるもの、すなわち実在(リアリティー)である。

しかるに実在論の言う実在は、主観の外に、独立に存在するもの、すなわち客観的世界だという。
だったら、それは定義上、認識の限界を越えており、誰一人見たことも聞いたこともないもの、要は誰も知らない未経験ものであることになる。
例えば、客観的世界とは自分の死後も存続するものであることを考えよ。
誰も認識不可能で検証のできないこのようなものを、仮に有意義な理論概念として世界記述に使用できたとしても、実際それがどんなものか誰も知らない経験できないのだから、あくまで有用な道具としての論理的虚構とすべきである。
それを本当に存在するもの=実在とするのはナンセンスである。

******
例えばこのように述べるとき、現象を越えて線引きしてるとは言えないと思う。
限界の外を実在と語ることをナンセンスと言ってるだけだから。

1日前 No.1541

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1530  気まぐれさんへ

>世界W1と世界W0を混同してしまい、世界W0でも世界W1と同じ「法則」が成立しているかのように勘違いしているのだと思われます。

>この考え方は「半存在」という概念自体にも言えることではないでしょうか?

>「半存在」という概念は世界W1における論理で成立するものであり、W0においてともそうだとは言えません。


 SumioBabaの考え方はこうです。まず世界の初めW0において、ある○○○についてすでに「○○○である」と「○○○でない」の片方に限定されていたと考えてしまうと、「なぜ?」というアポリア(解けない謎)が発生してしまいます。それを避けるため、W0においては、あらゆる○○○についてa「○○○である」+b「○○○でない」(aとbの値は不明)と考える必要が有ります。
 「○○○である」=「存在する」、「○○○でない」=「存在しない」とおいた場合も同様です。つまり、W0においては、物質世界や存在可能なあらゆる心M0、M1、M2、M3、…は、a「存在する」+b「存在しない」(aとbの値は不明)と考えることになります(これが「半存在」)。
 これは、W0においての話であり、W1での話ではありません。W1に限定してしまうと、目の前のパソコンは「存在する」に確定しており、「半存在」という在り方はしていません。このパソコンでさえ、W0=W1+W2+W3+…を満たしたW0の中では、「存在する」、「存在しない」、「存在する」+「存在しない」、のどれでも有り得ていることになります。W1では「存在する」だけれど、W2では「存在しない」、W3では「存在する」+「存在しない」、といった具合にです。

 世界W0では、「○○○である」=「無矛盾な論理法則・物理法則・心理法則が存在する」もまた、a「○○○である」+b「○○○でない」(aとbの値は不明)です。従って、W0は「有矛盾な世界」と「無矛盾な世界」のどちらの可能性も有ります。そして「有矛盾な世界」では、どんな状態なのか、存在するのかしないのか、何一つ確定しません。だからこそW0では、何も無いところに、存在し得る3^N種類の心M0、M1、M2、M3、…すべてが、「存在する」、「存在しない」、「存在する」+「存在しない」のどれにでもなれる可能性が生じます。

>あくまで、W1の論理に従えばトリプル・トートロジーとなりアポリアは消失すると言える。のであり、実際はどうなのかわからない。分かりようがない。


 「自分はどれが真理かを知らないが、真理は多数の中のどれか一つに決まっている」と考えてしまうと「真理はどれなのだろう? …分からない。」というアポリアが発生してしまいます。「知らない事は、そもそも決まっていない」と考えれば、このアポリアも消滅します。

>分かりようがないのだから、考えても仕方がない。そう思える感性を持っている者だけが納得できる。そういうことでしすよね。


 そうではなくて、「実証も反証もできないのに、「真」「偽」がどちらかに決まっていると思い込むと、解けないアポリアが発生してしまう。実証も反証もできないものはa「真」+b「偽」(aとbの値は不明)だと考えれば、証明不要のまま恒真(トートロジー)であり、アポリア自体が事実誤認だったこととなり消滅する」です。
 すべてのアポリアは、「自分が知らない事も、真理はどれか一つだけに確定している」という思い込み(真理の実在論)から生じています。「自分にとって真理が確定しているのは、自分が知っていることだけだ」と考えれば(真理の観念論)、すべてのアポリアは消滅します。

>つまらないことを書いてしまいました。

>念のための確認ということで、許してください。


 いえいえ、SumioBabaの考え方に関心を持って頂けるのは、とても嬉しいです。疑問点が有れば、いくらでも指摘して下さい。できる限り答えてみます。

1日前 No.1542

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1526  えぴめてうすさんへ

> 生存戦略としての意識を獲得した話は、進化論の考え方を用いて、意識の発生を考えてみたもので、「いわゆる」の科学的な議論としてしたものです。

> 結果的には、脳の機能が個体で、あるいは一定の集団で全く同じであるということはなく、存在する環境も異なるので、進化の過程で有利不利の差が生じるということではないでしょうか。いろんな意味での多様性が不可避なため、同じ機能、同じ結果は現実的な世界では生じていないのではと思います。


 SumioBabaの説明 >>1524 を理解されていないようなので、もう一度説明しておきます。

 ある人の脳Bがある脳機能Bxを発揮し、この人はある行動Xをとったとします。この脳機能Bxには、この人の心MのMxという心理状態が発生していたとします。
 仮にここで、「脳機能Bxは完全に物理法則に従っていた」と仮定してみます。そして、実際には「BxにMxが発生していた」の方ですが、もしこれが「BxにMxは発生していなかった(哲学的ゾンビだった)」ならどうでしょうか? 「脳機能Bxは完全に物理法則に従っていた」と仮定している以上、「BxにMxが発生していた」場合と「BxにMxは発生していなかった(哲学的ゾンビだった)」場合とで、脳機能Bxおよび行動Xは全く同じものとなります。つまり、2つの場合を比較して、どちらが生存競争に有利か不利かという違いは、何も生じません。従って、「意識を持つ方(BxにMxが発生した方)が持たない方(BxにMxが発生しない哲学的ゾンビの方)よりも生存競争で有利だから、意識が発生したのではないか?」という論法は成立しません。(←この結論が割と重要なので、敢えて説明してみました。)

1日前 No.1543

55m ★QJuedqnoYN_f1k

たとえばキャッチボール。

あなたがボールをキャッチできるのは、ボールがくるであろうところにグローブを動かすからだ。
「ボールがくるであろうところ」を「認識」していないのであればキャッチボールはできない。
つまり「ボールがくるであろう」という今ではないその時を「認識」できないものはキャッチボールができない。

今はロボットでもキャッチボールができるらしい。
きみはキャッチボールできる?

1日前 No.1544

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

キャッチボールができたからといって、ボールが実在する必要はない。
実際、VRでもキャッチボールはできる。

1日前 No.1545

気まぐれ @tetsugaku ★enkLv60QnF_sEg

>>1542

Babaさん

返信ありがとうございます。

Babaさんが自身の問いに真摯に向き合っているのは読み取れるのですが、私自身はあまり興味が持てませんでした。
その理由は目的の違いであると再確認できました。アポリアの解消は私の目指すところではありません。

ありがとうございました。

1日前 No.1546

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>1543

>ある人の脳Bがある脳機能Bxを発揮し、この人はある行動Xをとったとします。この脳機能Bxには、この人の心MのMxという心理状態が発生していたとします。

 仮にここで、「脳機能Bxは完全に物理法則に従っていた」と仮定してみます。そして、実際には「BxにMxが発生していた」の方ですが、もしこれが「BxにMxは発生していなかった(哲学的ゾンビだった)」ならどうでしょうか? 「脳機能Bxは完全に物理法則に従っていた」と仮定している以上、「BxにMxが発生していた」場合と「BxにMxは発生していなかった(哲学的ゾンビだった)」場合とで、脳機能Bxおよび行動Xは全く同じものとなります。つまり、2つの場合を比較して、どちらが生存競争に有利か不利かという違いは、何も生じません。従って、「意識を持つ方(BxにMxが発生した方)が持たない方(BxにMxが発生しない哲学的ゾンビの方)よりも生存競争で有利だから、意識が発生したのではないか?」という論法は成立しません。

 おっしゃる内容に特に異論はございません。
 ただ、私はこのような仮定での話をしているのではありませんので、 >>1515 をもう一度ご確認いただければ幸いです。

1日前 No.1547

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

えぴめてうすさんが議論したいのは >>1526 で言うてる、
実在論的な立場からの独我論の発生理由かな?

1日前 No.1548

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

私としては独我論って哲学的にどう言う存在理由があるの?
と言われたら、「現実の意味の再定義」ですね
現実と言う概念はとても強固な価値を持ち続けて来ましたからね
現実を見ろとか現実逃避とか、まるで現実自体に価値がある様に語られます
しかし、その価値のある現実がなんであるか?なぜ価値があるのか?は語られる事はほとんどありません
そして、そう言った現実の価値は、現実自体の無謬性や絶対性の認識と分かれて存在してる訳ではないので、
そもそも現実なる物は案外脆いのでは?
価値がある訳ではないのでは?
と言う事で、現実の意味を問い直す事こそが独我論の発生理由だと思います
要するに倫理学的な精神主義の傾向の一つだと思いますよ
そう言った意味では自分を根から確立してるタイプには無用の長物だと思います
この場合の自分を確立してるは、「現実」と戦う必要性を否定するだけの材料を、
自分の中ではっきりと見出している、と言う事ですね
現実逃避を現実であるが故に逃げてはいけないと思うのではなく、
最初から逃げる必要がない、と笑って流せる人なら、
独我論的な問いは不要だと思います

1日前 No.1549

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

終末さん

>>1548

>えぴめてうすさんが議論したいのは >>1526 で言うてる、

実在論的な立場からの独我論の発生理由かな?

 そうですね。

  >>0 の「独我論からの反論」にある次の内容に違和感を持っています。

「引用開始」
 これに対して、独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。リンゴが存在するのは、私が認識しているときだけであり、私が認識を止めると、リンゴもまた消滅する(見えなくなるのではなく、存在しなくなる)。全ては私の意識の中にのみ存在し、私の意識を離れては何物も存在しない。これが独我論の基本的な世界観である。
 このような一見突拍子のない発想には、次のような根拠がある。普通、私が認識しようとしまいとリンゴは存在する、というが、私はそのことを論理的には証明できない。なぜなら、認識の前に存在するリンゴを認識することはできないからである。いかなるリンゴも、私の認識後にのみ存在するのであり、認識されていないリンゴについて何かを説明することはできない。
「引用終了」

 なので、私としては、 >>1067>>1129>>1130 なんかで、独我論の主張に対して否定的な見解を述べています。
 また、55mさんが、 >>1318>>1282 で主張されている問題認識や考え方を共有できます。
 ただ、原理的に人間は「実在」(私的に物自体とほぼ同義で使用)は直接認識できないので、そもそも独我論の適否を議論すること自体が意味があるかというところは、私自身や先人からの経験的な批判しかできないという限界も感じています。

 独我論の哲学的存在理由については、「現実の意味の再定義」=「世界の解釈のしかた」でしたら同感です。

1日前 No.1550

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

うーん、独我論自体が基本的に本気でそれを唱えられてる、
と言う訳ではないと言うのは分かりますよね?

>>1318 で言われている、我が外がなければ存在しない、と言うのが、
言ってしまえば実在論的な経験則に基づく物ですよね?
寧ろ、その辺(経験則)取っ払ってどこまで論証が可能なの?と言うと、実際無理だと思うんですよね
そして、独我論が言ってるのは「私達は主観の経験が束ねられてなっている」と言う現実観、人間観なんじゃないですかね?
逆にそう言った経験則を全部取っ払った世界を想像してみると
現象として信用出来るのは私が思考していると言う事だけだ、
と言う結論は別に否定出来る要素もないと思うんですよね
世界5分前仮説と同じで、実際にその様に信じられてるかは別ですけどね

1日前 No.1551

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

 まあ疑えばきりがないことで、「私が思考していると言う事」も、この私はほんとうに自律的に思考できているのか、誰かに操られていないのか、ほんとうはゾンビではないのか(ゾンビの定義を拡張していますが)といったことを言い出すこともできたりしますし、なんとか実生活と折り合いをつけながら、本気でそう考えている人もいなくはないような感じがします。

 55mさんがこのスレでMobiusさんと一連のやりとりをしたり、それ以外のこのスレの参加者の方の中にも、実在論を前提にはしない方(観念論をとる方)も複数おられるように思います。
 また、私がこのスレの >>453 でした質問でも、 >>483 といった答えをもらったりしています。

1日前 No.1552

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

以前も一度言いましたが、独我論の観念で生きて問題ない人は、
相当割り切った人か、ある意味の聖人くらい、
と言う意味で、逆に言うと居ない訳ではないでしょうね
ただ、基本的にこの様な議論をする人はその様な人は尚更少ないと思います
そもそも独我論の人にとって議論の意味があるのか?と言う所から怪しいですからね

聖人については、どちらかと言うと独我論と言うよりも、
全一的なスピリチュアル思想だと思います
自分だけが居るのではなく、神(真我)のアバターが自分含めて無数に居る、と言う方が理解は近いと思いますね

1日前 No.1553

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

ちなみに、操られてるとかゾンビとかは重要な事ではなく、
私の感覚は私が認識していると言う意味で存在してる事は間違いない、ですね
死んだら心がなくなるかは分かりませんが、
心がある事は自分に対しては証明出来る
その心がどの様なものであるかは別として、と言う話ですね

1日前 No.1554

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

因みに、この証明出来るよね、と言うのは他者を似通った他者と扱ってますので、
独我論者ならそんな事は言わない、と言うのはその通りですね

1日前 No.1555

ななし ★Tablet=yFrJoxCsCU

独我論、「そうも考えられる、否定できない」が小生の立場。唯物論も同じですが。ただ、前者に親和感(ノージックの言うように気味の悪さも)を覚えるのは自分が大きな役割を与えられているからでしょうか。

1日前 No.1556

★UBf3nH8bab_khR

>>1552  えぴめてうすさんへ

お久しぶりです。独我論のお話で盛り上がっていますね。(笑)

仮にですが、私の思いを少し書いてみたいと思います。

例えば、完全な独我の人を「観照者」とし、通常の人を「観察者」、独我論者は「観察者」、もちろん、実在論者も「観察者」としてみます。

観照者(独我の人)は、きっと何も語らないでしょう。なぜならば、物事を観察し「ある・ない。良い・悪い」等、心が二元の意識として分離しないからです。ただそれを見ているだけの存在で、いわゆる独覚者なんて言われる存在でしょう。つまり、不二一元の世界の住人でしょうか。

その独我の人を他の人が見たとき、あるいは、想像した時に「このような人」とした人(論者)を独我論者というのではないでしょうか。

ですので、独我論者(観察者)に何を聞いてもなにがしかを答えると思います。その視点は、多分、独我の人の視点(不二一元=観照者)ではなく、二元の人(観察者)の視点だからです。

前回お話しましたインド聖者も、一人でいるときには独我の人で、誰か来客があり、質問されるような場面では、二元の世界としての言葉で、観察者として観照の世界観を語ってるように思います。

えぴめてうすさんも冷静に自身の内面を見つめられば、「良い悪い」を考えて判断している「私」と、時にそれを冷静に「良いも悪いもなく」見つめている「それ」があるだろうと思いますが、前者の「私」が二元の通常の私で、後者の「それ」が物事の判断を行えずに、ただただ観照しているだけの存在(不二一元の世界の住人)です。

ですからその世界のとらえ方の違いにより、独我論者と実在論者の議論は、いつまでも平行線のように思います。

1日前 No.1557

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん

>>1557

 返信ありがとうございます。

>その独我の人を他の人が見たとき、あるいは、想像した時に「このような人」とした人(論者)を独我論者というのではないでしょうか。


 「「このような人」とした人(論者)」という部分が捉えきれないのですが、独我論者とは、自らはそのような感覚、世界観を持っている人ではなく、独我に生きる人を見て、そのような人と見なした人のことを言うということでしょうか。

>えぴめてうすさんも冷静に自身の内面を見つめられば、「良い悪い」を考えて判断している「私」と、時にそれを冷静に「良いも悪いもなく」見つめている「それ」があるだろうと思いますが、前者の「私」が二元の通常の私で、後者の「それ」が物事の判断を行えずに、ただただ観照しているだけの存在(不二一元の世界の住人)です。


 私にとっては、「それ」は「私」であり、「デカルト論破」ででてきた「それ」という意識はありません。

>ですからその世界のとらえ方の違いにより、独我論者と実在論者の議論は、いつまでも平行線のように思います。


 私も、両方をニュートラルに比較できる感覚を得ることは難しく、一方から他方を見るしかないのかなとも思います。

1日前 No.1558

ななし ★Tablet=yFrJoxCsCU

唯物論はマルクスでしたっ?対して観念論は妖しい百花繚乱。独我論だけでもさまざまな変異。

1日前 No.1559

ななし ★Tablet=yFrJoxCsCU

「そうも考えられる、否定できない」以上は小生の力に及ばないとしています。幸いにそれ以上のこれはというものは脳裏に訪れてきません

23時間前 No.1560

★BzhNgNkoHF_khR

>>1558  えぴめてうすさんへ

>  「「このような人」とした人(論者)」という部分が捉えきれないのですが、独我論者とは、自らはそのような感覚、世界観を持っている人ではなく、独我に生きる人を見て、そのような人と見なした人のことを言うということでしょうか。


はい。私のとらえ方では、完全な独我の人は論を持ちませんし、何も語りません。ですので、独我論という”論”を語っているのは、物事を観察して分別判断している人であり独我の人以外の観察者だろうと思います。

昆虫の蟻は、蟻自らぞの世界を語りません。「蟻の世界論」を語るのは、蟻以外の存在(人)ですね。それが同じ人という認識であっても、独我論というだけで、その完全な独我世界の住人が語ってはいないように思いますよ。なぜならば、私の認識では、独我の人は観照者であっても観察者ではないからです。(この文章も分別判断されていますので、観察者=時の視点です)

>  私にとっては、「それ」は「私」であり、「デカルト論破」ででてきた「それ」という意識はありません。


そうですか。ご認識は、了解しました。

>  私も、両方をニュートラルに比較できる感覚を得ることは難しく、一方から他方を見るしかないのかなとも思います・


これがニュートラルに見れるような視点に立てたとき、そこにはどちらが良いも悪いも正しいも間違いも観察結果としての判断はなくなると思います。その視点での世界観が独我の世界だろうと思います。

返信をありがとうございました。

23時間前 No.1561

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん

>>1561

 少し教えてください。

>”論”を語っているのは、物事を観察して分別判断している人であり独我の人以外の観察者だろうと思います。


 そうであれば、独我論者は、自分がそう思うかどうかは別に、独我の人を見て、その見方・世界観を推測・想像して語っている人ということになりますか。

 時さんは、独我論について他者とコミュニケーションをとろうとされていますので、独我の人ではないと思いますが、独我論者ということになるのでしょうか。

 または、特定の人は、ある時は、独我の人であり、ある時は、他者や実在を認め、物事を観察して分別判断する独我論者にもなるということになりますか。

23時間前 No.1562

★iokbgYr9ui_khR

>>1562  えぴめてうすさんへ

> >”論”を語っているのは、物事を観察して分別判断している人であり独我の人以外の観察者だろうと思います。


>  そうであれば、独我論者は、自分がそう思うかどうかは別に、独我の人を見て、その見方・世界観を推測・想像して語っている人ということになりますか。


独我論は、主に哲学領域の思考実験としての一つの論だと思います。ですので、ある人を実際に見ての独我論に当てはまると分別判断した人、しない人が存在すると思います。(独我論に当てはまると分別判断した人(観察者)は、見た人の世界観を想像して思考内で独我論を思い浮かべると思います。)同時に、そのような人を見ていないが、単に独我論という思考実験としての知識により議論している方もおられると思います、この場合、それを語るのは例えばの哲学者ですので、どちらにしてもその思考内で思考実験としての独我論を思い描いた人ですので、(仮に見られた側としての独我の人が実在したとしても)それを語るのは、独我の人ではありません。そういった意味では「想像」ですね。哲学ゾンビも同じことで、各人のクオリアのずれを考えた人も同じことですね。「私は本当は、AIなのですよ」「実は私は、コンピューターネットワークの中にだけしか住する事ができない情報そのものなのですよ」と今、私が書いたとしてもそれを完全否定できるだけの根拠はありませんね。これが現実か想像(幻想)か、文字上で判断できる根拠はあるでしょうか?

>  時さんは、独我論について他者とコミュニケーションをとろうとされていますので、独我の人ではないと思いますが、独我論者ということになるのでしょうか。


私が独我論の立場で何かを語るときには独我論者ですし、実在論の立場で語るときには実在論者ですね。

>  または、特定の人は、ある時は、独我の人であり、ある時は、他者や実在を認め、物事を観察して分別判断する独我論者にもなるということになりますか。


はい。私の認識では、本人がその瞬間に認識できている出来ていないにかかわらず、ある時は、独我の人であり、ある時は、他者や実在を認め、物事を観察して分別判断する独我論者にもなると思います。

22時間前 No.1563

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

時さん

 ご所見了解しました。ありがとうございました。

22時間前 No.1564

55m ★S2TZ3jzYnp_f1k

一般的な意味における「実在」とは「実際にある」ということを意味する。
「実際にある」とは「私が認識するもの」が「認識するところ」において「ある」ということを意味する。
「蝶々」は「現実の世界」において「ある」。
「妖精」は「人間が創造するところ」において「ある」。
「夢」は「睡眠時の意識の混濁するところ」において「ある」。
これを実在とよぶかどうかは個人の自由だが、このような一般的な意味で「実在」が指し示すものを「実在」と感知できるものだけが健常者とみなされる。
われわれは病理学について語っているのではない。

認識できるものに時間的な幅がないのならキャッチボールはできない。
つまり「ある」とは時間的な幅をもつ。

かつてどこかでつくられたものとして
さきほどこちらに投げられたものとして
今こちらに向かってきているものとして
やがてグローブにおさまるものとして
いつかボロボロになり廃棄されるものとして
「ボール」は『ある』

じゃあ「世界」は?

言葉は差異によってその意味するところを指し示す。
人間は言葉で世界を切り分けるから、世界の豊かさはそのものの言葉の多さに比例するだろう。
現実と仮想の区別さえおぼろなものの語る世界はたぶんつまらない。

19時間前 No.1565

きまぐれ ★iPhone=m53hQMLhFj

独我論者の言葉を健常な意味で捉えてはならない。
語りえぬことを語ろうとしているのだから。
観照者がそれを自覚するとき、観察者にならざるを得ない。
理解することは、一元が理によって解れ、二元になるということ。かもしれないね(笑)

18時間前 No.1566

きまぐれ ★iPhone=m53hQMLhFj

観照者が演じる観察者と純然たる観察者はどうやったら見分けられるのだろうか?

18時間前 No.1567

★idJgREoCRl_khR

何気ない日常。

休日のある日、アパートの一室で主人公Aと友人Bが雑談をしていました。そこにAの母親がリンゴを2つ持ってきてテーブルの端において出ていきました。Bは母親に挨拶がてらそれを見ています。時間が過ぎる中で、母親の出入りが何度かありました。そこに友人Cが新たにやって来ると連絡がありました。

この間、母親は、友人が新たに増えると言う事で先ほどのリンゴを引き上げ、新たにバナナを用意して持って行こうとしていました。AとBはそれには気づいていません。

そしてCが部屋に到着したとき、Aが「そうだ、さっきのリンゴを食べようか」とテーブルを見ると、そこには何もありません。そこでBに「ここにあったリンゴを食べた?」と聞くと、Bは「知らない」と言います。

慌てたAがCにも「リンゴ、あったよね?」と聞くと、当然「来た時にはなかったよ」と答えます。その時、母親がバナナを持ってきました。

そしてAはCに、事の顛末を話し、リンゴが消えたような錯覚を起こしたという話で、4人は大笑いしたという・・・夢を見ました。

何が本当の事なのか?認識の一つの方法であるとされる独我論。面白いですね。(笑)

17時間前 No.1568

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1547  えぴめてうすさんへ

>> ある人の脳Bがある脳機能Bxを発揮し、この人はある行動Xをとったとします。この脳機能Bxには、この人の心MのMxという心理状態が発生していたとします。

>> 仮にここで、「脳機能Bxは完全に物理法則に従っていた」と仮定してみます。そして、実際には「BxにMxが発生していた」の方ですが、もしこれが「BxにMxは発生していなかった(哲学的ゾンビだった)」ならどうでしょうか? 「脳機能Bxは完全に物理法則に従っていた」と仮定している以上、「BxにMxが発生していた」場合と「BxにMxは発生していなかった(哲学的ゾンビだった)」場合とで、脳機能Bxおよび行動Xは全く同じものとなります。つまり、2つの場合を比較して、どちらが生存競争に有利か不利かという違いは、何も生じません。従って、「意識を持つ方(BxにMxが発生した方)が持たない方(BxにMxが発生しない哲学的ゾンビの方)よりも生存競争で有利だから、意識が発生したのではないか?」という論法は成立しません。


> おっしゃる内容に特に異論はございません。

> ただ、私はこのような仮定での話をしているのではありませんので、 >>1515 をもう一度ご確認いただければ幸いです。


 「私はこのような仮定での話をしているのではありません」ということは、貴方は、「脳機能Bxに心Mxが発生しているとき、脳機能Bxは物理法則に従っていない」と仮定されていることになりますが、そうなのでしょうか?

13時間前 No.1569

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1546  気まぐれさんへ

>Babaさん

>返信ありがとうございます。

>Babaさんが自身の問いに真摯に向き合っているのは読み取れるのですが、私自身はあまり興味が持てませんでした。

>その理由は目的の違いであると再確認できました。アポリアの解消は私の目指すところではありません。


 はい、人それぞれ興味を持つ点は異なるので、いろんな人がいて良いと思います。アポリアの解消はすでにSumioBabaがやってしまったので、何かをするなら別の事をした方が良いと思います。ありがとうございました。

13時間前 No.1570

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBaba さん

>>1569

>>「私はこのような仮定での話をしているのではありません」ということは、貴方は、「脳機能Bxに心Mxが発生しているとき、脳機能Bxは物理法則に従っていない」と仮定されていることになりますが、そうなのでしょうか?


私が論を展開した前提は、 >>1515 の下記の部分ですので、ご確認ください。

>進化論の考え方を援用すると、環境変化と突然変異、適応能力の関数として、ある回答が残される。

 生存戦略として、都合がよかったから残った。つまり、都合がよくなければ、劣勢となり、絶滅することで、淘汰され、適応したものが生き残るのである。
 このことは、生き残ったものを取りあげて、そのものがなぜ有利な特質を身につけたのかを、限定的に説明することは難しいが、主として遺伝的多様性のもとでは、ある条件下で、特定の形質を持つ個体や群が生存に有利となるのである。ウイルスの進化や昆虫の擬態なども同様だ。多様性が理由だとは、納得しにくいが、進化の歴史がそう語っていると思う。
 つまり、意識をもった方が生存戦略として、適応しやすかった。意識をもつことによる記憶能力の獲得とその利用には、単なる生体反応や条件反射だけでは適応が難しい環境変化に対する対抗手段としての機能を発揮したといえるのではないか。
 よって、意識は、生物が環境適応の過程で、獲得した生理的機能であり、それは、外界の把握、適応手段の探索といった生命維持や生存可能性向上の機能を担うものが、さらに進化と経験を経て、より高度化したと言える。

8時間前 No.1571

@bossbitter☆KjCIokkjh3la ★Tablet=vyc0FF9jKf

>>1565
55mさん

>現実と仮想の区別さえおぼろなものの語る世界はたぶんつまらない。


ダークマターとか、化石はあるけど情報が足りなくて正確な分析が難しい恐竜とか。現代においても、未だ人間の認識限界の境界線上で、仮設を用いなければ語りえない世界はたくさんあります。人間自身のことだって99.99999....%も判明していません。原因不明な病気もあって、治療という名の対処療法なんてザラです。
ただ、その領域に触れずに生きていくことが可能なほどに人間の認識領域は広がりました。だから「仮設を用いなければ語りえない世界」よりも大切なことはあるでしょう?という人もいます。
でも、人間の認識限界の境界線上を押し広げた人達がいるから、安定した現実、日常、今があることもまた確かなことと思います。

6時間前 No.1572

終末 ★iPhone=3rGxs8NoT8

55mさんは何が言いたい(したい)んだろう?
我々って誰?哲学が精神病ではないなんて誰が分かるの?
そもそも社会への迎合の無意味さと言うテーマと密接に関わる独我論について、
そもそも社会迎合の透明化された極地である健常者の話だと言ってどうするんだろう?

6時間前 No.1573

ザビビのふくろう ★CZPpJSpIQU_khR

まあ、根本的に哲学的省察とは無縁だわね(笑)

5時間前 No.1574

ななし ★Tablet=yFrJoxCsCU

唯物論、観念論、独我論それぞれをわたしは否定しません。これらの語義を知っている人のほとんどもおそらく同じでしょう。わずかの人がそのいずれかを否定するのでしょう。さいわいにそのような人と議論したことはありません。

4時間前 No.1575

混沌 ★WfF1Lza5KJ_yoD

法則は物質を規定しますが物質は法則を規定しません。

だから物質は常に揺らいでおります。

1時間前 No.1576

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1571  えぴめてうすさんへ

>進化論の考え方を援用すると、環境変化と突然変異、適応能力の関数として、ある回答が残される。

> 生存戦略として、都合がよかったから残った。つまり、都合がよくなければ、劣勢となり、絶滅することで、淘汰され、適応したものが生き残るのである。


 はい、そう考えられます。

> このことは、生き残ったものを取りあげて、そのものがなぜ有利な特質を身につけたのかを、限定的に説明することは難しいが、主として遺伝的多様性のもとでは、ある条件下で、特定の形質を持つ個体や群が生存に有利となるのである。ウイルスの進化や昆虫の擬態なども同様だ。多様性が理由だとは、納得しにくいが、進化の歴史がそう語っていると思う。


 はい、よろしいんじゃないですか。

> つまり、意識をもった方が生存戦略として、適応しやすかった。意識をもつことによる記憶能力の獲得とその利用には、単なる生体反応や条件反射だけでは適応が難しい環境変化に対する対抗手段としての機能を発揮したといえるのではないか。


 これが言えません。「記憶を持つこと」と「意識を持つこと」とは全く別だからです。AIは、メモリーとしての「記憶」は持ちますが、それは「意識」の有無とは全く無関係です。人間の脳も同様であり、たとえ「意識」など無くても、メモリーとして持つ「記憶」を適切に処理することで、「意識」を持つ人間と全く同じ脳機能を持つ哲学的ゾンビの可能性を持ちます。
 「脳機能Bxは完全に物理法則に従っている」と仮定します。すると、「脳機能Bxに心Mxが随伴している場合(普通の人間の場合)」も、「脳機能Bxに心Mxが随伴していない場合(哲学的ゾンビの場合)」も、脳機能Bxは全く同じになります。だから、生存競争にどちらが有利でどちらが不利かという違いは全く生じません。

 「意識が無いと、単なる生体反応や条件反射になってしまう」が変です。「脳機能Bxは完全に物理法則に従っている」と仮定している以上、たとえ意識なんか無かったとしても、脳機能Bxは必然的に、意識を持っている場合と完全に同じものになってしまい、つまり、哲学的ゾンビになるのです。

 AIの機能が、その物理状態と物理法則だけで決まり、「意識」を持つのかどうかには無関係であるのと同じです。貴方が仰っていることは、譬えると、「AIは、意識が無い場合より、意識を持つ場合の方が、より賢くなるのではないか?」と言っているのに似ています。そんなことは有りません。AIが「意識」を持つのかどうかは不明ですが、「意識」を持つにしろ、「意識」を持たないにしろ、AIの機能はその物理状態と物理法則だけで決定するのですから、「意識」を持っている場合も、「意識」を持たない場合も、賢さは同じです。

 逆に、「意識が無いと、脳機能は単なる生体反応や条件反射だけになってしまう」と考えるなら、「意識による記憶能力は、脳機能ではなく、霊魂の機能である」「霊魂が宿らないと、脳だけでは記憶が持てず、単なる生体反応や条件反射だけになってしまう」「脳に霊魂が宿った場合にだけ、記憶という機能が発生し、適応が難しい環境変化に対する対抗手段として機能するが、記憶は脳と霊魂の共同作業であるため、記憶という機能を発揮している時の脳は、物理法則に従っていない」と考えることになります。

 以上により、貴方の選択肢は2つしかないと思われます。
    【選択肢1】
 「脳機能Bxは完全に物理法則に従っている」と主張し、「脳機能Bxに心Mxが随伴している場合(普通の人間の場合)」も、「脳機能Bxに心Mxが随伴していない場合(哲学的ゾンビの場合)」も、脳機能Bxは全く同じになるから、前者は後者に比べ、生存競争において何一つ有利にはならない、…と認める。
    【選択肢2】
 「脳機能Bxに心Mxが発生しているときは、脳機能Bxは物理法則に従っていない」と主張する。

 いかがでしょうか?

51分前 No.1577

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>1577

>「意識が無いと、単なる生体反応や条件反射になってしまう」が変です。「脳機能Bxは完全に物理法則に従っている」と仮定している以上、たとえ意識なんか無かったとしても、脳機能Bxは必然的に、意識を持っている場合と完全に同じものになってしまい、つまり、哲学的ゾンビになるのです。


 すみませんが、「脳機能Bxは完全に物理法則に従っている」と仮定しているのは、私ではありません。
 私は、「はい、そう考えられます。」「はい、よろしいんじゃないですか。」とご同意いただいた内容を受けて、「意識をもった方が生存戦略として、適応しやすかった」、つまり脳機能がある者同士ではなく、意識がある場合と意識がない場合を比較していることをご理解ください。

 脳機能Bxと物理法則の関係が、この文脈で影響があるとは考えられません。私として、それ自体を否定するものではありませんので、あしからずご容赦ください。

 なお、「意識が無いと、単なる生体反応や条件反射になってしまう」は、純粋に生物学、神経科学的には正確性に欠けるかもしれませんが、本筋には影響しないと考えています。

18分前 No.1578
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