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独我論を乗り越える方法

 ( 哲学掲示板 )
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すぴのざ ★0gLpHaJ.DeM

【レスする前に】
このスレで使う言葉の意味は辞書、wikipediaに記述してあるものを使用してください。2つに記述されていない意味を使用する場合は、どのように定義しているかを明示してください。

【独我論とは(wikipedia「独我論」から転載)】
概念

「客観的存在に対する常識的見解」
私たちが事物を認識するとき、何らかの客観的な事物が存在し、感覚器官を通じてその事物が意識の中に現れると考える。例えば、「私はリンゴを見ている」というとき、私の認識とは無関係に存在する客観的なリンゴがあり、私の視覚を通じて、私の意識の中に、主観的なリンゴの形や色が現れる。これが、事物を説明するにあたっての常識的な考え方である。


「独我論からの反論」
これに対して、独我論は、私の認識とは無関係な事物の存在を否定する。リンゴが存在するのは、私が認識しているときだけであり、私が認識を止めると、リンゴもまた消滅する(見えなくなるのではなく、存在しなくなる)。全ては私の意識の中にのみ存在し、私の意識を離れては何物も存在しない。これが独我論の基本的な世界観である。

このような一見突拍子のない発想には、次のような根拠がある。普通、私が認識しようとしまいとリンゴは存在する、というが、私はそのことを論理的には証明できない。なぜなら、認識の前に存在するリンゴを認識することはできないからである。いかなるリンゴも、私の認識後にのみ存在するのであり、認識されていないリンゴについて何かを説明することはできない。

このような客観的事物の認識の不可能性は、バークリーやカントなどの観念論に代表される(もっとも、カントは、このようなの不可能性を認めた上で、あえてそのような認識前の存在(物自体)を肯定する。バークリーも、他者や神の存在を認める以上、独我論者であるとは言えない)。

ウィトゲンシュタインにおいて、自己と他者の非同一性の考察から出発した、世界の人間のうち、一人だけ本当の私がいて、他の人間は意識的な存在者ではあっても、この私ではない。すなわち、本当の私は自分一人のみであるという主張。また、彼においては「私に見えるもの(あるいは今見えるもの)だけが真に見えるものである」ということで表現される。

バートランド・ラッセルによれば、非演繹的推理によって自己の直接的経験を超え出ることを認めない限りは、瞬時における自我だけが存在するとする瞬間の独我論を容認することは避けられないといわれる。

古来はその世界観(世界の存在を通して)を批判されていたが、現代ではその「私」とは何であるかという形で批判を受けている。


【本題】
独我論は論破または乗り越えることができるのでしょうか?
出来るとしたら、その方法は?
あなたの独我論に関する考えを教えてください。

参考書籍などを記載してもらえるとありがたいです。

2007/08/23 10:38 No.0
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気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>>570

>安直ですが、「素材としての世界に意味を付与することによって、世界を意味的に構成する主観である」と理解しました。


> そのうえで、


>>客観的世界が意識の外側に存在すると言えないのですよね。


> というときの理由がわからない。、超越論的主観としては、意識の外側に存在するものに意味付けをするととらえることができるように思いますが。


うーんと、意識を超越論的主観として読んでいただいたのですよね。
だから、超越論的主観としては、超越論的主観の外側に存在するものに意味付けをするととらえることができるように思いますが。ということですよね?

もちろん出来ますよ。超越論的主観の外側に存在すると超越論的主観が意味付けしているのです。
ですがそれは、客観的世界が超越論的主観と無関係に超越論的主観の外側に存在するわけではなく、超越論的主観が「超越論的主観の外側に存在する」と意味付している限りにおいて客観的世界が超越論的主観の外側に在ることに成るのです。

>>「意識の外側に世界が存在し、その世界で物質から脳ができて、脳の機能として意識が生ずる」という知識が意識内に存在するだけということですよね。


>"「〜」〜意識内に存在する"までは、違和感なし。「〜だけ」となぜ言うのかがわからない。


「「意識の外側に世界が存在し、その世界で物質から脳ができて、脳の機能として意識が生ずる」という知識が意識内に存在するけれど、その意識は脳から生まれる」ということではないということです。


>「意識が脳を含む全てのものを生み出す」の表現を額面どおりとるべきでないんだろうなという感じです。


「意識が脳を含む全てのものを生み出す」は言い過ぎでしたね。脳が意識を生み出すわけではなく、意識は在るのであって生まれないと言いたいのです。

15日前 No.581

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれ さん

>>581

>もちろん出来ますよ。超越論的主観の外側に存在すると超越論的主観が意味付けしているのです。

ですがそれは、客観的世界が超越論的主観と無関係に超越論的主観の外側に存在するわけではなく、超越論的主観が「超越論的主観の外側に存在する」と意味付している限りにおいて客観的世界が超越論的主観の外側に在ることに成るのです。

 すべて意味づけしないと、理解の外ですから、わかります。であれば、「客観的世界が意識の外側に存在すると言えるのですよね。 」というべきではないのですか。

>>「意識の外側に世界が存在し、その世界で物質から脳ができて、脳の機能として意識が生ずる」という知識が意識内に存在するだけということですよね。

>"「〜」〜意識内に存在する"までは、違和感なし。「〜だけ」となぜ言うのかがわからない。

「「意識の外側に世界が存在し、その世界で物質から脳ができて、脳の機能として意識が生ずる」という知識が意識内に存在するけれど、その意識は脳から生まれる」ということではないということです。
>「意識が脳を含む全てのものを生み出す」の表現を額面どおりとるべきでないんだろうなという感じです。

 「意識が脳を含む全てのものを生み出す」は言い過ぎでしたね。脳が意識を生み出すわけではなく、意識は在るのであって生まれないと言いたいのです。

 特定の人(他えば、気まぐれさん、あした生まれる赤ちゃん)の意識は、生まれずして、いつから在るのですか?
 たとえば、「気が付いた時には、もう在ったのであり、人は意識の在るときしか経験していないのであって、それを「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」と理解するのは、単に超越論的主観による意味づけの結果でしかない。」ということですか。

14日前 No.582

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>「客観的世界が意識の外側に存在すると言えるのですよね。 」というべきではないのですか。


それで構いません。
ポイントは“と言える”です。
「客観的世界が意識の外側に存在するのですよね。 」ではなく、「客観的世界が意識の外側に存在する“と言える”のですよね。 」
客観的世界は、「客観的世界は(意識によって)意識の外側に存在する」と意味づけされているから、意識の外側に存在すると言えるのです。


>特定の人(他えば、気まぐれさん、あした生まれる赤ちゃん)の意識は、生まれずして、いつから在るのですか?

>たとえば、「気が付いた時には、もう在ったのであり、人は意識の在るときしか経験していないのであって、それを「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」と理解するのは、単に超越論的主観によ

>る意味づけの結果でしかない。」ということですか。



「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」という知識が現に在る意識の中に存在していて、それ(「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」)が客観的事実だと意味付けされているということです。
「気が付いた時には、もう在ったのであり、人は意識の在るときしか経験していない」が既に超越論的主観による意味付です。

14日前 No.583

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

>気まぐれさん


>>583

>「気が付いた時には、もう在ったのであり、人は意識の在るときしか経験していない」が既に超越論的主観による意味付です。


 そうでしょうね。この世の何らかの言説は、すべて超越論的主観による意味付けなのではないですか。そうでないものは皆無ではないのでしょうか。

 で、
 >特定の人(他えば、気まぐれさん、あした生まれる赤ちゃん)の意識は、生まれずして、いつから在るのですか?
 は、その人が気付いた時ということですか? そうでないなら、その答えは何ですか?

14日前 No.584

いのしし ★iPhone=CzYkXaZgcW

>>584 えぴめてうすさんへ

>そうでしょうね。この世の何らかの言説は、すべて超越論的主観による意味付けなのではないですか。そうでないものは皆無ではないのでしょうか。

横レスで申し訳ありませんが、その主張は、(過去の貴方の内容を含む)投稿の時間的差異から考えて、「デカルト論破」と「デカルト論破2」のスレ主であるホントウの真理を発見した者さんの主張(結論部分)をパクっただけではないですか?

ホントウの真理を発見した者さんの主張(結論部分)以前に、貴方がそのような内容を主張した投稿が見当たりません。

14日前 No.585

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

いのししさん

>>585

>ホントウの真理を発見した者さんの主張(結論部分)以前に、貴方がそのような内容を主張した投稿が見当たりません。


 そうでしょうね。私もそのような投稿をした記憶はありません。
 ホントウの真理を発見した者さんの主張(結論部分)が何だったかもよく読み返さないとわかりません。
 私と気まぐれさんとのやり取りの文脈から、それが私自身の主張ではないということがわかりませんか。  >>584 だけ読んだのですか?

 ホントウの真理を発見した者さんの主張(結論部分)と「この世の何らかの言説は、すべて超越論的主観による意味付けなのではないですか。そうでないものは皆無ではないのでしょうか」はお同じ趣旨なのですか。

14日前 No.586

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

で、
 >特定の人(他えば、気まぐれさん、あした生まれる赤ちゃん)の意識は、生まれずして、いつから在るのですか?

いろいろな答え方ができます。

当人からみれば、当人が自覚した時からとなるでしょうし、他者の意識の発生としてみれば、生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在しているとなるでしょう。
それらは全て、超越論的主観に意味付けされているのであり、超越論的主観がある時期に生まるということはありません。時間は超越論主観の構成要件ですから。

14日前 No.587

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

>>587

>>特定の人(他えば、気まぐれさん、あした生まれる赤ちゃん)の意識は、生まれずして、いつから在るのですか?

>当人からみれば、当人が自覚した時からとなるでしょうし、他者の意識の発生としてみれば、生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在しているとなるでしょう。


 これは、通常の超越論的主観に意味付けからすると、矛盾していると意味付けされ、その整合性をとるべく、新たな何らかの超越論的主観による意味付けが必要ではないのでしょうか。

 気まぐれさんの超越論的主観は、それを要求しませんか?
 ちなみに私のなりきり超越論的主観はそれを要求し、主観の意味付けの内容に不備があるのではという疑義として意味付けします。
 これが、私のなりきり超越論的主観からみた「違和感」です。

14日前 No.588

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>これは、通常の超越論的主観に意味付けからすると、矛盾していると意味付けされ、その整合性をとるべく、新たな何らかの超越論的主観による意味付けが必要ではないのでしょうか。


どういう矛盾ですか?

当人からみれば、自覚した意識の中に「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」という知識が存在しているということになります。
独今論における過去と同じ構造です。特別な今において「何歳ころのあの時、自家が目覚めたような気がするな」という記憶を持っていて、それと同じことが他者においても起こっているのだろうなという推測を一般化すれば「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」につながっていくと思います。

14日前 No.589

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

>>589

>>これは、通常の超越論的主観に意味付けからすると、矛盾していると意味付けされ、その整合性をとるべく、新たな何らかの超越論的主観による意味付けが必要ではないのでしょうか。

>どういう矛盾ですか?

>当人からみれば、自覚した意識の中に「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」という知識が存在しているということになります。


 当人のことについて「当人からみれば、当人が自覚した時からとな」り、他者のことについて「他者の意識の発生としてみれば、生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」という、なりきりの通常の超越論的主観に意味付けでは、同じ人間なのに、その違いは何かという疑問を意味として呈します。この「通常」は、世間一般ぐらいの意です。当人と他者は同じ意味付けがされていないのでしょうか。なりきり歴が短いので、その辺がよくわかりませんが。

 つまり、他者の場合の意識の発生・存在が、「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」であるのであれば、それと同じことが自己においても起こっているのだろうなという推測を一般化すれば、自己も「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」につながっていくように思います。

 この整合のとれなさも「違和感」に繋がっているのではと思いします。

14日前 No.590

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

 ここでの議論に関係ありそうなので、横レスというかなんというか、デカルト論破2の >>26 でのMobiusさんとのやり取りを見ての感想を書きます。

>ここでいう気づきは「もしかして自分は存在していないかもしれない」「『自分が存在している』と感じるのは錯覚かもしれない」ではなく、「私」という言葉の意味、「存在する」という言葉の意味が意味を持たないかもしれないという気づきです。


 この気づきは、「素材としての世界に意味を付与することによって、世界を意味的に構成する主観である」超越論的主観からすれば、あまり意味のないコメントのような気がします。
 もちろん、前後の文脈から発言されていることは了解していますので、この文脈(Mobiusさんとのやり取りを)と切り離してという前提でお受け取りいただきたいのですが、「私」という言葉の意味、「存在する」という言葉が意味を持たないかもしれないというべきではなく、超越論的主観が意味を付与しない限り、「私」や「存在する」には、意味はあり得ないと言い切るべきではないかというのが、私のなりきり超越論的主観からの感想です。

>>「もしかして自分は存在していないかもしれない」「『自分が存在している』と感じるのは錯覚かもしれない」と気づくのは、意味の成立以降の話ではないでしょうか?

>そうですね。


 これも、超越論的主観からは、主観自体が(「存在していない」、「錯覚」、「悪魔に騙されている」)+「かもしれない」と意味付けしているだけではないのでしょうか。
 だから、錯覚かどうか、悪魔に騙されているかどうかは、主観による意味付けの仕業ということになると思われますが、いったいその主観は、どのようにして、このような疑問を抱くような意味付けをし、さらに、そのどちらになるかという結論の意味付けをするのでしょうか。

>この場合でも、意味成立以降から意味成立以前を志向していると言えます。


 ただ、意味成立以前=世界の外=語りえぬもの なら、何も語ることはできず、永遠に何も得られないのではないですか。

14日前 No.591

ムルソクラテス ★iPhone=CzYkXaZgcW

>>587 気まぐれさん

あなたですか。

>それらは全て、超越論的主観に意味付けされているのであり、

ホントウの真理を発見した者さんの主張(結論部分)をパクったのは。

ホントウの真理を発見した者さんの主張(結論部分)以前に、貴方がそのような内容を主張した投稿が見当たりません。

ホントウの真理を発見した者さんを尊敬しているのであれば、そうすれば良いのです。

無断使用は盗作と同一です。

14日前 No.592

工卜 ★Tablet=Pssqz2zfgD

>>592

あれれー?

「おしゃべり」はしましぇーん(泣)

だった君はどこへやら?笑

また嘘か…。

というか、

結論部分が同じというだけで盗作とか笑

それにまだその気色悪い自演するんだね笑

証拠をどうぞ。

いのしし
=★CzYkXaZgcW
= http://mb2.jp/_main/history-id-CzYkXaZgcW.html
=ホントウの真理を発見した者
=違反報告(削除報告)

14日前 No.593

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>>590

>当人のことについて「当人からみれば、当人が自覚した時からとな」り、他者のことについて「他者の意識の発生としてみれば、生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」という、

>なりきりの通常の超越論的主観に意味付けでは、同じ人間なのに、その違いは何かという疑問を意味として呈します


違いはありませんよ。当人とは変数Xであり、任意の個人という意味ですから。超越論的主観はこのXには入りません。超越論的主観がXを含んでいるのですから。

つまり、他者の場合の意識の発生・存在が、「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」であるのであれば、それと同じことが自己においても起こっているのだろうなという推測を一般化すれば、自己も「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」につながっていくように思います。

自己自身についても「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」として捉えることは容易だと思います。それは自己と他の事物や他者と同じレベルで扱った場合、そうなるでしょうね。

13日前 No.594

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>>591

>超越論的主観が意味を付与しない限り、「私」や「存在する」には、意味はあり得ないと言い切るべきではないかというのが、私のなりきり超越論的主観からの感想です。


意味論的懐疑は超越論的主観が付与する意味自体が悪霊によって欺かれているかもしれないという懐疑です。

>これも、超越論的主観からは、主観自体が(「存在していない」、「錯覚」、「悪魔に騙されている」)+「かもしれない」と意味付けしているだけではないのでしょうか。

>だから、錯覚かどうか、悪魔に騙されているかどうかは、主観による意味付けの仕業ということになると思われますが、いったいその主観は、どのようにして、このような疑問を抱くような意味付けをし、

>さらに、そのどちらになるかという結論の意味付けをするのでしょうか。


私の想定は超越論的主観の成立自体が悪霊による欺きであることを想定していたため、このような疑問は発生しません。
超越論的主観が悪霊を構成しているのならば、超越論的主観が言葉の意味を疑うことはできないと思います。


>ただ、意味成立以前=世界の外=語りえぬもの なら、何も語ることはできず、永遠に何も得られないのではないですか。


何も語れないのはその通りですが、何も得られないのではなく、全てはそこから生じているのだと思います。

13日前 No.595

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

>>594

>超越論的主観はこのXには入りません。超越論的主観がXを含んでいる


 これはどういう意味ですか?
 当人=変数X(任意の個人)と「超越論的主観」の違い
 入らず含んでいるとは?
 人類共通の概念としての主観とう意味ですか?

>つまり、他者の場合の意識の発生・存在が、「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」であるのであれば、それと同じことが自己においても起こっているのだろうなという推測を一般化すれば、自己も「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」につながっていくように思います。


 (1)当人のことについて「当人からみれば、当人が自覚した時からとな」り、(2)他者の場合の意識の発生・存在が、「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から」であるのであれば、それと同じことが自己においても起こっているのだろうなという推測を一般化すれば、自己も「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」となるのですね。

 (1)と(2)は、そういう違った見方ができて、どちらもその限りで正しいということですか。

>自己自身についても「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から存在している」として捉えることは容易だと思います。それは自己と他の事物や他者と同じレベルで扱った場合、そうなるでしょうね。


 見方・考え方によって、いろいろ解釈できるよと言っている以上の意味は何ですか?

>>595

>意味論的懐疑は超越論的主観が付与する意味自体が悪霊によって欺かれているかもしれないという懐疑です。


 「私」や「存在する」という言葉を知っているということは、意味が与えられた後ではないですか?
 超越論的主観によって意味付けられた本来の「私」、「存在する」と、悪魔によって欺いて意味付けされた「私」、「存在する」があるということですか?

>私の想定は超越論的主観の成立自体が悪霊による欺きであることを想定していたため、このような疑問は発生しません。

>超越論的主観が悪霊を構成しているのならば、超越論的主観が言葉の意味を疑うことはできないと思います。


 気まぐれさんのそのような想定を知らなかったので、何ともわかりません。それとも、もともと一般的な「超越論的主観」の定義に含まれている概念ですか?
 悪霊による欺きなら、付与する意味自体が悪霊によって欺かれているかもしれないという懐疑は生じませんが。

>何も語れないのはその通りですが、何も得られないのではなく、全てはそこから生じているのだと思います。


 この文からは、思考の材料が全く見受けられないので、何も語ることができず、コメントのしようがありません。

13日前 No.596

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>>596

>これはどういう意味ですか?

>当人=変数X(任意の個人)と「超越論的主観」の違い

>入らず含んでいるとは?

>人類共通の概念としての主観とう意味ですか?


超越論的主観は「素材としての世界に意味を付与することによって、世界を意味的に構成する主観」であり、任意の個人は「超越論的主観によって構成された主観」であるということです。

>見方・考え方によって、いろいろ解釈できるよと言っている以上の意味は何ですか?


「(1)と(2)は、そういう違った見方ができて、どちらもその限りで正しいということですか。」これと同じことです。
誰でも当人としてみれば、当人が自覚した時から意識が存在し、その当人ではない他者については「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から意識がある」となるが、「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から意識がある」は当人自身にも適用することが可能で、当人自身も「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から意識がある」と思っている。
しかし、それは当人の意識によって自身の意識は「生物的な誕生と脳の発達に伴って自意識が発生した時から意識がある」と意味付けされているのであり、実際に当人の意識が脳から生じているのではない。

超越論的主観によって個人の主観が意味付され、個人の主観によって上記のようなことを含むあらゆる他との差異が意味付けされると考えます。
個人の主観は超越論的主観ではなく、超越論的主観によって構成されたものであり、超越論的主観によって構成されたものであるからこそ、超越論的主観と繋がっている。

>「私」や「存在する」という言葉を知っているということは、意味が与えられた後ではないですか?

意味が与えられた後です。

>超越論的主観によって意味付けられた本来の「私」、「存在する」と、悪魔によって欺いて意味付けされた「私」、「存在する」があるということですか?

超越論的主観によって意味付けられた「私」等の概念が実は意味を持っていないということです。

>私の想定は超越論的主観の成立自体が悪霊による欺きであることを想定していたため、


これは言いすぎでした。超越論的主観の意味付けが悪霊による欺きだと想定します。
なぜ言いすぎたかというと、私は悪霊が超越論的主観によって構成された存在だと想定していなからです。
そのため

>これも、超越論的主観からは、主観自体が(「存在していない」、「錯覚」、「悪魔に騙されている」)+「かもしれない」と意味付けしているだけではないのでしょうか。

>だから、錯覚かどうか、悪魔に騙されているかどうかは、主観による意味付けの仕業ということになると思われますが、いったいその主観は、どのようにして、このような疑問を抱くような意味付けをし、

>さらに、そのどちらになるかという結論の意味付けをするのでしょうか。


このような問題意識は持っていません。

超越論的主観による意味づけが悪霊による欺きである場合、「私」の意味が確実とは言えないということは変わりませんが…。

13日前 No.597

削除済み ★iPhone=CzYkXaZgcW

【この投稿は”管理者-kotori-”により削除されました】 削除者: ことり☆リーダー ( 2019/01/13 00:51 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

13日前 No.598

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

>>597

 何というか、ご説明を聞くと、その個所は何となくわかるような気がするのですが、そこから疑問が生まれ、さらなる説明を聞くと、どんどん新たな設定や前提条件が出てきて、それを理解しようとすると、これまでのことと整合性が取れなく感じ、それを質問すると、またまた意外な説明が帰ってきて、振出しに戻るということの繰り返しをしています。

  >>597 でレスいただいたことについても全く同様です。

 なので、ほとんど理解できませんでしたが、ここで断念し、もう質問するのを切り上げようと思います。

 現在の感想は、いままでに聞いたことがない、革新的なストーリーがないかぎり、超越論的主観による意味づけが、悪霊による欺きであるかどうかは、わかりようがないように思います。

 別の話ですが、私の観念論への違和感は、独我論的な観念論に対するものです。このスレの最初に書いてあるような。
 野矢さんの本を参考にそのことを考えてみようかなと思っています。

 ということで、質問は尽きませんが、ここで打ち止めとさせていただきます。何かご質問等があればどうぞ。

13日前 No.599

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

悪霊による欺きとは、万人が受けているものですか?

13日前 No.600

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

また、悪霊とは、悪いことをするのが普通だと思うのですが、なぜ人間に善行をさせているのでしょうか。

13日前 No.601

削除済み ★iPhone=CzYkXaZgcW

【この投稿は”管理者-kotori-”により削除されました】 削除者: ことり☆リーダー ( 2019/01/13 00:51 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

13日前 No.602

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

低_レベルな人に低_レベルと言われるとものすごく愉快な気分になりますね。

どうぞ、続けてください。

13日前 No.603

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ゆみさん

>>600,601

 気まぐれさんの「超越論的主観」の考え方について、質問をしてきました。

 悪霊による欺きとは、気まぐれさんが、 >>595 などでおっしゃっている説明の一部で、私もそれを聞いている立場ですので、気まぐれさんからご説明いただくのが良いと思います。

 ただし、 >>558 あたりからざっとやりとりを斜め読みでもしてからの方が、気まぐれさんの説明が分かりやすいと思います。

 ただ、全体像の理解が難しく、私としては、 >>599 に至りました。残念。

13日前 No.604

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

なるほど、気まぐれさんがおっしゃったことだったんですね。

間違えました、失礼しました。



気まぐれさんへ

悪霊はなぜ人間に善行を行わせるのでしょうか。

13日前 No.605

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

せっかくだから、独我論についてお話ししませんか。

私は生物学からも独我論は論破される(つまり父と母が自分が存在する前から存在していて、
そこから「私」が生まれているのだから、独我論は論破されているという意見)なのですが、
それについてえぴめてうすさんはどう思われますか。

13日前 No.606

削除済み ★iPhone=CzYkXaZgcW

【この投稿は”管理者-kotori-”により削除されました】 削除者: ことり☆リーダー ( 2019/01/13 00:51 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

13日前 No.607

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

席汚ししている人から席汚ししていると言われるととっても愉快です。

どうぞ、続けてください。

13日前 No.608

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>>599

了解しました。
うまく説明できませんでしたね。ごめんなさい。
私自身も歯がゆい思いです。

ちなみに、えぴめてうすさんはどのような世界(観)を生きているのでしょうか?

13日前 No.609

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

気まぐれさんへ

悪霊ってなんのことですか?

13日前 No.610

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

ゆみさん

>悪霊はなぜ人間に善行を行わせるのでしょうか。


悪霊による欺きはデカルトに習ってその想定をしているだけで、本当に悪霊に欺かれていることを想定しているわけではありません。

省察のwikiにこのように書いてあります。


方法的懐疑
幼児の時から無批判に受け入れてきた先入観を排除し、真理に至るために、一旦全てのものをデカルトは疑う。

この方法的懐疑の特徴として、2点挙げられる。1つ目は懐疑を抱く事に本人が意識的・仮定的である事、2つ目は一度でも惑いが生じたものならば、すなわち少しでも疑わしければ、それを完全に排除する事である。つまり、方法的懐疑とは、積極的懐疑の事である。

この強力な方法的懐疑は、もう何も確実であるといえるものはないと思えるところまで続けられる。まず、肉体の与える感覚(外部感覚)は、しばしば間違うので偽とされる。また、「痛い」「甘い」といった内部感覚や「自分が目覚めている」といった自覚すら、覚醒と睡眠を判断する指標は何もない事から偽とされる。さらに、正しいと思っている場合でも、後になって間違っていると気付く事があるから、計算(2+3=5のような)も排除される。そして、究極的に、真理の源泉である神が実は欺く神(Dieu trompeur)で、自分が認める全てのものが悪い霊(genius malignus)の謀略にすぎないかもしれない、とされ、このようにあらゆるものが疑いにかけられることになる。

13日前 No.611

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

気まぐれさんへ

まぁデカルトは悪霊のケースまでをも用いてすべてを疑ったことを自慢したいのでしょうから(笑)

13日前 No.612

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

気まぐれさんへ

ということで、悪霊の件については、気まぐれさんも私も同じ理解ということでよろしいでしょうか。

つまり、悪霊は単に疑いを心底したことの証として登場させただけだ、ということで。

13日前 No.613

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

ゆみさん

>まぁデカルトは悪霊のケースまでをも用いてすべてを疑ったことを自慢したいのでしょうから(笑)


なぜそうなるのかわかりません。
そのように解釈することはゆみさんの自由だと思いますが、私はその解釈に哲学的意義を見いだせません。
デカルトの試みに寄り添えのないなら、そのことについて議論する必要はないと考えます。

13日前 No.614

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

気まぐれさんへ

なら、デカルトの試みに寄り添うような解釈を気まぐれさんが書いてくださればいいだけの話です。

13日前 No.615

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

ゆみさん

私には荷が重すぎます。
誰かほかの人をあたってください。

13日前 No.616

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

気まぐれさんへ

なら、結構です。

13日前 No.617

削除済み ★iPhone=CzYkXaZgcW

【この投稿は”管理者-kotori-”により削除されました】 削除者: ことり☆リーダー ( 2019/01/13 00:51 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

13日前 No.618


えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ゆみさん

>>606

>私は生物学からも独我論は論破される(つまり父と母が自分が存在する前から存在していて、

そこから「私」が生まれているのだから、独我論は論破されているという意見)なのですが、
それについてえぴめてうすさんはどう思われますか。

 私も似たような感じです。
  >>427>>453 を見てみてください。
 ただ、独我論といっても、人によって定義が違うのではないかと思いますので、ここで私は本スレの >>0 の内容を前提にして考えるということをしています。

13日前 No.620

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

>>609

>ちなみに、えぴめてうすさんはどのような世界(観)を生きているのでしょうか?


 自分でも一言で説明しにくいのですが、ベタな言い方をすると、「論理や自然科学的発想をもとに哲学的に物事を見る」という感じでしょうか。
 それで、どこまで世界を説明できるかをやっています。逆にいうと論理や自然科学に対する哲学的な批判ということになるでしようか。

13日前 No.621

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

なるほどです、ありがとうございます。

13日前 No.622

気まぐれ ★enkLv60QnF_Qi5

えぴめてうすさん

>それで、どこまで世界を説明できるかをやっています。逆にいうと論理や自然科学に対する哲学的な批判ということになるでしようか。


そうですね。よろしくお願いします。

13日前 No.623

バステトリス@おるぺんず @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 それよか太陽と月、地球の距離感考えやうぜ。
アメリカンジーザスから僕の地球を守ってよ!!

8日前 No.624

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>> ザビビのふくろうさんへ


 このスレッドで答えさせて頂きます。

>うちのワンコは実はすごい賢くてですね(笑), >>124 でゆみさんが挙げられた1〜3を,一応充たすんですよ。

>言葉の理解はかなりのものがありますが,それでも文法は理解できていないと思われます。

>つまり,音声記号と物,行動とを結び付けて理解しているようです。

>で,私は確信しているんですが,うちのワンコには心があります(笑)いや,真面目な話です。

>それは、ふつうに喜怒哀楽など、「心あるふるまい」をするからです。

>しかし,いわゆる「自己意識」は存在せず,また「我思う」の「我」はないと思います。

>つまり,私は

> 我の存在⇔心の存在

とはみなせません。
> SumioBabaさんは,この点について,同値関係がなりたつように考えておられるようですが,だとすると,ワンコには心がない,という考えでしょうか?

>それとも、ワンコも「われ」があるのでしょうか?


 自分の心M1にとって他者の心M2(≠M1)は、M2が人間の心であろうと犬の心であろうと、<M1|M2>≠1【M1にとってM2の存在確率は1にはなり得ない。M1にとってM2は、「存在する」と「存在しない」の重ね合わせのままである。不確定性原理の一種。】が成立するので、決してM1はM2の存在を確実に知ることはできません。

 SumioBabaは、「心」と「我」(私)をほぼ同義語として使っています。犬がクオリアを持っているかどうかも、SumioBabaにとっては「持っている」と「持っていない」の重ね合わせなので、どちらと確定することはできません。ただ、クオリアを持っている場合の犬の視点を想定することは可能です。犬がクオリアを持っている場合なら、犬は「心」を持ち、「我」(私)を持つことになります。犬の心M2がM2の存在と状態とを自己認識できている以上、<M2|M2>=1【M2にとってM2の存在確率は1に確定している。】です。そしてこれを、デカルトの言う「我思う、ゆえに我有り」だと見なします。

>失語症の人が,例えば「鉛筆」という言葉を失うと,仮に鉛筆というものがどういうものか理解できなくなるとすると,

>言葉を失うということは,世界を失うことだ

>というようなイメージを抱いてしまいますが,実際のところはどうなんでしょうか?

>言語処理能力に何らかの障害が出ても,一たん成立した言語分節構造を有する知覚世界はそのままということもありうるかもしれませんしね。

>仮に言語処理に障害があって「私」という語を使用できないとしても,ふつうに自己意識を持っているようなふるまいをしているのであれば,“我”があると言ってもいいようにも思いますし。


 「クオリア」や「言語」の定義によって、いろいろ変わるのだと思います。
 SumioBabaは「クオリア」という言葉を、最大限に拡張した意味で用い、五感の感覚はもちろん、言葉の意味、時間感覚、空間感覚、デカルトが「我思う、ゆえに我有り」と表現した自我の存在感覚などもすべて、「クオリア」に含めます。だから、「クオリアを全く持たない」ということは「完全無意識状態」を意味することになります。
 さらに「言語」の方も、いろいろ拡張できます。言葉を話したり、文字で記述するだけでなく、「赤い札」で「ご飯だよ」の合図だと判断したり、「青い札」で「お風呂だよ」の合図だと判断するのも、広い意味では「言語」による情報のやり取りだと見なせます。

 つまり、「クオリア」や「言語」の意味を究極まで拡張していくと、「クオリアを認識し識別すること」には必ず「言語処理が使用されている」と言えるかもしれません。自分の心の状態が、「この状態であって他の状態ではない」と自己認識できることがクオリアの本質であり、これを認識できるためには、「同一律」という《論理》がすでに要求されます。つまり、クオリアの存在が有意味であるためには、すでに《論理》が必要だと言えます。そして、「言語」=「論理」まで拡張することも可能です。

>それと,SumioBabaさんの立論で,私が違和感を抱くのは,やはりクオリアに関してです。

>あなたの考えでは,ワンコや動物はクオリアを有しているんでしょうか?


 両方の可能性が重ね合わせのままです。クオリアを有している犬や動物の視点に立ってみることは可能です。

>あなたは言葉を失ったけど,クオリアは有していると仮定されましたが,その人(及びすべての人間)がクオリアを有しているとどうやって知るのでしょうか?

>その人が色を識別できること以外にどのような方法でそれを知るのでしょうか?


 他人や犬がクオリアを持つかどうか、知る方法は有りません。「片方に決まっているけれど、知る方法は無い」ではなく、「片方に決まっていない」です。「M2と異なるM1の視点に立つ」ということが、すなわち、「M2は「存在する」と「存在しない」の重ね合わせになり、片方だけに確定していない」という視点に立つことなのです。
 存在し得るすべての心M1、M2、M3、…は、無限次元ヒルベルト空間内で様々な向きを持つ長さ1の単位ベクトルと見なされます。M1とM2の間の角をθとすると、内積は<M1|M2>=cosθです。<M1|M2>^2が「M1にとってのM2の存在確率」になります。θ=0すなわちM1とM2とが全く同じベクトルでM1=M2の場合だけ<M1|M2>=1【M1にとってM2の存在確率は1】が言えます。M1≠M2でθ≠0(かつθ≠π)の場合、<M1|M2>=cosθ<1【M1にとってM2の存在確率は(cosθ)^2で1未満】となります。→ http://mb2.jp/_tetsugaku/824.html-543

>ちなみに,ワンコはすべてか知りませんが,基本的に色盲のようです。

>まあ,とにかくですね,私はクオリアを怪しい概念と思っていますので,

>私としてはやはり,クオリアを有することが心や我が存在することの必要十分条件とはみなせないということですね。


 ザビビのふくろうさんの解釈だと、言葉を自由に話せて「チューリング・テスト」に合格できたAIは、たとえクオリアを持たなくても、つまり本当は完全無意識状態なのだけれど、周囲の人間が見るといかにも心を持つかのように振る舞えるというだけで、デカルトが「我思う、ゆえに我有り」と表現した「我」を持つことになりませんか? あるいは逆に、失語症の人はデカルトの言う「我」は持たないけれど、「心」は持っている可能性が出て来ます。「心」は持たなくても「我」は存在し得る(AIの場合)、「我」は存在しなくても「心」は存在し得る(失語症の場合)、…デカルトは「我思う、ゆえに我有り」で、そんなことを言いたかったのでしょうか?

 SumioBabaはやはり、「クオリアを有すること」こそが、「心や我が存在すること」の必要十分条件だと思います。デカルトは、「物質世界の方は状態も存在も自分の心の中の幻覚だと疑えるが、自分の心すなわちクオリアの存在だけは決して疑えない」と言いたかったように思います。まあ、言葉の使い方(定義)の問題ですから、どちらが正しいとは言えませんが。

 「純粋経験」や「無分別智」という概念も、矛盾しているように思います。
 もし「純粋経験」を、論理さえ成立していないところでの経験だとすると、《同一律》も成立しないので、それがどんな経験かも決まらないでしょう。自己同一性を保てない経験、つまり、自分の経験がどんな経験なのか何一つ特定できない経験は、経験とは見なせないと思います。純粋経験の具体例を、M1=「夕陽とそれを見る自分とが渾然一体となり、主客の区別が無い状態」だとした場合も、「M1はM1であって他のM2、M3、M4、…ではない」と識別するためには、同一律という《論理》が必要です。《論理》なしには、「純粋経験」という概念すら成立しないように思います。
 「無分別智」もそうです。本当に「無分別」だったら「智」には成り得なくて「無智」になるはずです。「有智」になるためには「有分別」であることが必要です。

 では、「純粋経験」や「無分別智」は、全く無意味な概念かというと、そうでもないと思います。「純粋経験」も「無分別智」も、単純に「無」でもなければ単純に「有」でもなく、「無と有の境界」を表したかったのではないでしょうか。どちらも、「無→有」という両者の境界、すなわち「→」の部分を表現しようとしたように思います。
 いわば「クオリア」と「論理」とはブーツストラップの関係にある、と表現できます。どちらも、単独では存在できない訳です。「クオリア」が存在するためには「論理」の存在が必要だし、「論理」が存在するためには「クオリア」の存在が必要なのです。

6日前 No.625

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

初心に戻って、またこのスレの「独我論」って何んかおかしいんじゃない? ってところからボチボチと考えてみます。
このスレの独我論( >>0 )は、標準的な内容なのかそうでないのかもわかりませんが、この問いかけを再びから。


独我論者の方に、お伺いします。

あなたに問いかけている私は、あなたの意識の中にのみ存在する人物ですか。

あなたが、日常において、会話する家族や仲間は、あなたが認識しているときだけ存在し、認識をやめると消滅し、再び認識すると存在するのですか。

あなたの認識とは無関係な事物は存在せず、認識した時にいきなり存在が現れるという世界に生きているという実感がありますか。

あなたは、どのようにして生まれたのですか。

あなたが知っている科学や歴史の知識は、あなたの意識が創造したものですか。

このあなたへの問いかけは、私の認識の中のみの出来事でしょうか。

つまりあなたは私と同じ認識する主体ではないのですか。

2017/11/05 19:17 >>453

5日前 No.626

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>625  ザビビのふくろうさんへ

>まあ,とにかくですね,私はクオリアを怪しい概念と思っていますので,


 これは、デカルトとは正反対の主張ではありませんか? 「クオリア」が「怪しい概念」なのであれば、「クオリア」以上に確実なものって何なのでしょうか?

 SumioBabaはデカルトがこう言いたかったのだと解釈します。→「物質世界の方は状態も存在も自分の心の中の幻覚だと疑えるが、自分の心すなわちクオリアの存在だけは決して疑えない」( >>625 )。なぜなら、自分が直接知り得るのは、自分の心すなわちクオリアの存在と状態だけだからです。
 自分のクオリア以外のもの、例えば「物質世界なるものが、自分の知覚・認識から独立して客観的に実在しているように思える」や「過去や未来が実在しているかのように思える」や「自分以外にも多くの人間がいて、それぞれが心(クオリア)を持ちながら、客観的物質世界の中で生活しているように思える」…等々はすべて、自分の心(クオリア)を分析して得られた推測です。だからこそ、「客観的物質世界の存在」も「過去や未来の存在」も「他人の心の存在」も、本当はすべて夢かもしれないと疑えます。しかし、自分の心(クオリア)の実在だけは、決して疑えません。仮にすべてが夢だったとしても、夢を見ている自分の心(クオリア)が実在している事実だけは疑えないからです。敢えて自分の心(クオリア)の存在を疑うと、矛盾が生じてしまい、疑っているのか疑っていないのかも確定せず、すべてが無意味になってしまいます。

1日前 No.627

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>626  えぴめてうすさんへ

>独我論者の方に、お伺いします。


 SumioBabaは「独我論」を、肯定するでもなく、否定するでもない、という立場を取ります。なぜなら「独我論」は、実証も反証もできないから、です。そして、実証も反証もできないことは、どちらか片方に確定しているのではなく、「両方」の重ね合わせのまま、片方に確定してさえいないと考えます。「両方」か「片方」かも、実証も反証もできないので、「両方」と「他方」もまた、重ね合わせのままです。

 SumioBabaの考え方では、自分の心M1が住む世界W1は、M1が情報を認識している領域だけは状態が確定しているけれど、情報を持たない部分はあらゆる可能性が重ね合わせのままだと考えます。「独我論は正しい(YES)か?、正しくない(NO)か?」と問われるなら、答は、aYES+bNO(aとbの値は不明)となります。YES(a=1かつb=0)かもしれない、NO(a=0かつb=1)かもしれない、「両方」(a≠0かつb≠0)かもしれない、「片方」(a=1かつb=0、または、a=0かつb=1)かもしれない、という意味です。

>あなたに問いかけている私は、あなたの意識の中にのみ存在する人物ですか。


 YESなのかNOなのか、自分の心M1は情報を持たないので、aYES+bNO(aとbの値は不明)という重ね合わせのままです。両方の可能性が有ります。真理がどちらか一方だと主張するためには、それが正しいことを証明せねばなりません。しかし、実証も反証もできません。実証も反証もできないのに、片方だけを真だと主張してしまうと、論理の飛躍になってしまいます。aYES+bNO(aとbの値は不明)、すなわち、YESかもしれない、NOかもしれない、両方かもしれない、片方かもしれない、と答えておけば、あらゆる可能性を網羅しているので決して外れる危険性は無く、証明不要のまま恒真(トートロジー)です。

>あなたが、日常において、会話する家族や仲間は、あなたが認識しているときだけ存在し、認識をやめると消滅し、再び認識すると存在するのですか。


 これも、aYES+bNO(aとbの値は不明)です。

>あなたの認識とは無関係な事物は存在せず、認識した時にいきなり存在が現れるという世界に生きているという実感がありますか。


 その可能性は有ると思います。そうかもしれないし、そうでないかもしれない、両方かもしれないし、片方かもしれない、です。

>あなたは、どのようにして生まれたのですか。


 常識的な「実在論」(物質世界は、自分の心による認識とは無関係に、特定の物理状態で客観的に実在している)の立場を取るのか、それとも、「独我論」(実在するのは自分の心だけ)の立場を取るのか、で説明が異なります。そして、どちらが正しいかに関しても、答は、a「実在論」+b「独我論」(aとbの値は不明)です。そうすると、謎がすべて消滅します。

 「実在論」の場合、自分は母親から生まれました。母親からの自分の誕生を、自分は認識していなかったけれども、過去の客観的事実として実在していたと考えることになります。ただしこう考えると、「なぜ自分は、「生まれない」ではなく「生まれた」の方なのか?」「なぜ他の母親でなく、この母親だったのか?」…など無数の謎が発生してしまいます。

 逆に「独我論」を正しいと考えてしまっても、 >>404,405 に書いたように、《謎1》=「なぜ多数の人間すべてが心を持つのではなく、たった1人だけが心を持つのか?」、《謎2》=「心を持つたった1人の人間は、なぜ他の人たちではなくこの自分なのか?」、…等々が生じてしまいます。

 そこで、自分の心M1がどのようにして生まれたのかも、自分ははっきり知らないので、あらゆる可能性が重ね合わせのまま、どれか1つに確定していない、と考えます。そうすれば、謎は何も無くなります。

>あなたが知っている科学や歴史の知識は、あなたの意識が創造したものですか。

>このあなたへの問いかけは、私の認識の中のみの出来事でしょうか。

>つまりあなたは私と同じ認識する主体ではないのですか。


 3つの質問、どれも答は、aYES+bNO(aとbの値は不明)です。YESであるとも、NOであるとも、実証も反証もできないからです。えぴめてうすさんは、これらの質問にどう答えるのですか?

1日前 No.628

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>627 SumioBabaさん

突っ込みありがとうございます。
実は、別スレの議論をBabaさんが読んでいらしたら、ふくろうが矛盾したこと言ってるぞって思ってるんじゃないかと、考えていました(笑)

私の立場を簡単に言うと、いわゆる主観的世界−客観世界、というのは、要するに一つの実在の異なる記述だとするものです。
実在世界を一人称記述と三人称記述、あるいは、視点記述と無視点記述したものが、主観的世界と客観的世界であるということ。
ですから、いわゆる意識のハードプロブレムというのは、私は疑似問題にすぎないと考えています。
クオリアというのは、二元論を前提するから必要な概念だと思います。
デカルトは二元論なので、あなたの次の解釈に同意します。

>SumioBabaはデカルトがこう言いたかったのだと解釈します。→「物質世界の方は状態も存在も自分の心の中の幻覚だと疑えるが、自分の心すなわちクオリアの存在だけは決して疑えない」( >>625 )。なぜなら、自分が直接知り得るのは、自分の心すなわちクオリアの存在と状態だけだからです。


ただし、私の立場でも、主観記述を客観記述に還元消去できないということを認めますので、その点に限り、クオリア論者と同意見なんです。
それで、相手があまりにレベルが低いので、わかりやすくするためにクオリア論を擁護する立場からの説明をしています。
その点がSumioBabaさんには引っかかっているかもしれません。

1日前 No.629

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

SumioBabaさん

>>628

 コメントありがとうございます。
 私は、 >>0 のような考え方に違和感を持っています。(「そんなんおかしいだろ」と思っています。)
 なので、まじめにそのような考えを持っている方や主張をされる方【独我論者】にお聞きしたいと思っています。
 ですので、SumioBabaさんが独我論者でないなら、成り切ってレスいただけるとありがたいです。

>SumioBabaは「独我論」を、肯定するでもなく、否定するでもない、という立場を取ります。


 SumioBabaさんは、独我論を否定する方が合理的とお考えかと思っていました。

15時間前 No.630
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