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久住哲 @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

http://mb2.jp/_tetsugaku/971.html-369#a

zeitlichという言葉は宗教的な意味で用いられることがある。vergaenglichとかirdischという意味で使われる。すなわち、儚いとか、地上的とか、そういうこと。

これの反対はewigかと思われる。これはunvergaenglichとかzeitlich unendlichとかの意味で使われる。すなわち、永遠とか、無限とか、終わりがないということ。

逆に、zeitlichということはendlichということであり、すなわち有限だということだ。いずれ終わってしまう儚いものが、「時間的なもの」だということ。いずれ死ぬ人間というものは、儚く有限で虚しい時間的な存在者だ。

ところで、儚いとはどういうことか?

それは、まず、積み上げてきたものが無意味になる可能性に晒されているということだ。シンプルに考えると、いくらお金を貯めても死ねば使えない。お金を積み上げることで、どんどん生活の確固さは増してゆくが、死はそれを台無しにする。常にそういう無価値化の可能性があるということ、これが一種の儚さであり、虚しさでもある。

そう考えたとき、お金を積み上げてなにになるだろうと虚しくなることがあるかもしれない。(知識を積み上げてなにになるだろうと思うこともあるだろう。)このとき、この言葉は、なんらかの結果を気にしている。そして、この結果が、無であろうと思ってしまっている。すなわち、どう転んでも結局は、死。どうせ全ては自分から失われる。それなら最初から、全ては無いのと同じではないか。このような、果(はか)の無さが、「はかなさ」である。

いずれ俺は死ぬ。これは俺を鬱にする。

しかし喜びのとき、俺は「もう死んでもいい」と思う。

死んだら、俺の積み上げてきたものが無になる。少なくとも俺にとって全て失われることになる。けど、もう死んでもいい。ということは、俺の積み上げの結果が出たということだ。もう頂点に達したので、終わってもいい、死んでもいい。これから死んでも、無価値になり下がるものがもはや無い。ある意味で、それらはもう価値を発揮し切ってしまった。

ところで、その頂点というのは何なのか?

それは、これまで積み上げてきたものが、その瞬間のためにあったのだというように思えるような、瞬間のことだ。その瞬間が、自らの既往に意味を付与する。そのようにして、過去は救われる。

そして、俺たちは、積み上げてきたものの上で生きている。(自分が積み上げたものなどわずかだ。先人たちの積み上げてきたものは、その真価を忘れられながらも、俺たちを支えている。)それらの意義が回復されることになる。

どうして「いずれ死ぬ」と思うと気持ちが落ち込むのに「もう死んでもいい」という境地のとき人は明るくなるのか。

まだ死んでないけどいずれ死ぬと思うと暗くなるのは、なぜ積み上げるのか、その理由がよく分かってないからだ。虚しく積み上げているわけだ。もしも、積み上げる理由がしっかりとあれば、その営為は虚しくないだろう。ただし、理由があるならば、その積み上げの価値は有限だろう。

無限の価値を求めるとき、人は虚しくなる。

2018/12/30 00:28 No.790

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