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時間

 ( 哲学掲示板 )
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ぶっちゃん

そもそも時間とは?
俺は定期的な周期のリズムを数字で表したものだと考えた。
所以に時が止まれば人も止まるとは考えにくい。それは対象の動き運動が停止したと考える。
時はない、あるのは連続される運動としたい。

みなさんは時間について、どう認識してますか?

2006/06/15 09:50 No.0
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宿題 ★hxYn2UbX46_BXv

ハンドルさん

時間も地球が軌道を正確に回っているので規則正しいです。

意志が自己意識を円環すれば自分の軌道を確保して自己から放り投げだされることは無いと思いませんか?

11ヶ月前 No.774

ハンドル ★fmlxftV1fu_mgE

☆ジャネーの法則☆
子供の頃の時間は長かったのに、大人になってからの時間はとても速く過ぎ去ってしまう」と感じている人が、多いのではないだろうか?
この原因について、一例をあげてみよう。10歳の子供の1年間は、10歳の年齢からすると、10分の1の長さである。一方、100歳の人の1年間は、100歳の年齢からすると、100分の1の長さでしかない。この比率が心理的な時間の評価になっていると主張するのが『ジャネーの法則』だ。

その他、新しい体験の量が時間を長くし、過去の体験と同じようなことが多いと、あとで回想しても記憶の量が実質的に少なくなり、時間を短く感じてしまう。

あるいは、心理的な時間と記憶との関連は、「海馬(脳の中で記憶の形成に関係する部位)の中を、どれだけ記憶すべき情報が通過していったかが、私たちが思い出す時間の長さを決めると指摘する人もいる。

11ヶ月前 No.775

ハンドル ★BxEdMYBRno_mgE

『月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして 行きかふ年も また旅人なり』

松尾芭蕉(奥の細道)より。

The moments and days are the travellers of eternity. The years that come and go are also voyagers.

11ヶ月前 No.776

宿題 ★hxYn2UbX46_BXv

ハンドルさん

時は金なり・・しかし光陰矢の如し・・

お金より時間が大切だと思います・・

余計なお金のために時間を失っていると思います。

11ヶ月前 No.777

ハンドル ★10xIjM27lV_mgE

>>777 宿題さん。

ブラボー ブラボー フィバー。ボナンザ。大当たりの番号ですね。

11ヶ月前 No.778

宿題 ★hxYn2UbX46_08J

ハンドルさん

気付きませんでした・・

ここで幸運を使い果たすわけにはいきません・・

天国も地獄も見ないで淡々と・・

11ヶ月前 No.779

ハンドル ★10xIjM27lV_mgE

>>779 宿題さん。

Time is money.

11ヶ月前 No.780

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

 時間にとって本質的なのは「待つこと」である。もしもこの「待つこと」に欠いて時間を捉えるならば、それはベルグソンの言う持続に欠いており、空間的なイメージのもとで時間を捉えていることになるだろう。「待つこと」は空間的なイメージ、すなわち数直線上で表されるような時間のイメージには還元されない。そこには人の生きた営みがある。一方で空間的なイメージのもとで捉えられた時間から、人の生きた営みが見い出されることはないだろう。「待つこと」を本質とする時間は「生きた時間」とでも呼べるものである。そしてこの「生きた時間」から見れば、空間的なイメージで捉えられた時間は、「死せる時間」とでも呼べるものだろう。
 時間にとって本質的なのは「待つこと」である。すべては一挙に与えられない。人間的な真理にはつねにドラマが伴う。無機質な流れをベースに多様なものがつけ加わるのではない。あたかも劇のように、多様なものが場面を展開していく、その営みそのものが時間なのである。だから時間には独特な緊張と弛緩が伴う。

10ヶ月前 No.781

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

時間の本質を待つことと言われたが、私には分かりません。私は途切れなく経過し続けることだと思うの

ですが?時間には過去現在未来がありますが、私は時間には自由があるではないかと思っています。

10ヶ月前 No.782

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

 時間は無感動な現在の堆積ではない。したがってつねに、過去現在未来と数直線上に投影できるイメージのように流れるとはかぎらない。「待つこと」とは可能的なものが現実に到来するまでの「間がある」ということである。

10ヶ月前 No.783

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

数直線上・・・限らない。  到来するまでの間がある・・・。  面白い見解ですよね

でも、それは理解できます。私は他に「自由の定義」というものを時間に求めたわけです。

私は時間というものを「流れつつある」ものと理解しています。

10ヶ月前 No.784

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

 自由には有限なものと無限なものがある。有限な自由とは社会的なものであり、ある一定の制約のもとで自由であることを意味する。一方で無限な自由とは無差別なものであり、何らの制約も受けることなく好き放題に自由であることを意味する。この二つの自由の差異は、たとえば、目の前にいくつかの選択肢がある場合に顕著となる。有限な自由とは、選ぶ自由であり、同時にそれは他のものを選ばないという自由である。だからそこには責めが伴いうる。「なぜあのとき、私は他のものを選ばなかったのか」という責めが伴いうるのである。一方で無限な自由とは、どの選択肢も根こそぎ選びうるという自由であり、そこには他のものを選ばなかった責めなど存しないことになる。
 有限な自由は責めを伴いうるかぎり、それは自由の主体である私を唯一性、すなわち「かけがえのないもの」として目覚めさせうるものである。なぜなら、私に対し代えが効くのなら、私は何も責めを負う必要などないからである。その意味で責めとは、私が私から逃れられないことにもとづいている。この逃れられなさが唯一性を構成することになる。
 一方で無限な自由の主体は、このような唯一性に欠くかぎりで、まったく宙に浮いて孤立した、抽象の産物にすぎないことになる。つまり、無限な自由の主体である私は、代えの効くものであるということになる。このとき私を私たらしめる唯一の契機は、欲求であり、しかもそれは一般的な欲求である。無差別に選択しうる自由のもとで、欲求は無限に高まることになる。なぜなら、欲求が欠如にもとづくものであるかぎり、この無限な自由の主体である私には、代えが効くという意味で、全否定が適用可能であるので、全面的な欠如が私に属しうることになるからである。この全面的な欠如によって、欲求は他ならぬ自分自身を穿ち深めることになる。

 時間を「待つこと」として捉えるとき、その待っている間が、他ならない責めのための時間へと転じうる。言いかえれば、可能的なものが現実化するまでの間が、責めへと転じうるための時間として与えられる。もしも仮に、この「待つこと」を無視して時間を捉えれば、責めへと転じうるための時間があらかじめ排除されることになり、残るのはただ、無限な自由の主体、すなわち代えの効く抽象の産物としての主体による、無差別な根こそぎの選択のみであることになる。この根こそぎの選択は「今」の連続として現象することになる。すなわち何かを待ちわびる未来や悔いる過去が現象しないのである。それによって、未来や過去が本質的には現在と等質なものとなり、待ちわびることや悔いることとしての現象が単調な流れに還元され、挙句の果てに、そのような実存範疇は記述の対象にならないとまで主張されるに至ることになる。

 問題は時間が現象に付随するものにすぎないのか、あるいは時間とはあらゆる現象の根底に位置し、それを現象たらしめるものなのか、ということである。前者の、時間が現象にとって付随的なものにすぎない、という立場に立てば、「待つこと」という現象は、時間によらずとも、他の概念の助けを借りて、十分に記述することができるだろう。しかし、この「待つこと」を他ならない時間の範疇と捉えるならば、これを記述するには、単調な流れとしての時間、数直線上に還元しうる時間というイメージを破棄しなければならない。つまり等質な空間上に時間のイメージを布置するのではなく、私たちの生きた営みにおける歪な場に時間のイメージを布置し直さなければならないのである。
 自由にとって時間が問題であるのは、時間が自由を与える間だからである。言いかえれば、「時間がある」、つまり時間が残されていることにおいてはじめて、自由が主題として浮上してくるからである。さらに問題なのは、この自由の名のもとで、本来なら自由の前提にあるはずの時間が新たに、空間的なイメージに布置され直されるということである。時間の本質に「待つこと」があると主張することは、この時間を新たに空間的な、つまりは数直線上のイメージに抽象化し直す試みが、行き過ぎた抽象化ではないかと疑義を唱えることに等しい。この時間の平板化によって、たとえば希望といった躍動感のある現象までもが平板化されてしまい、人間的なものが経済的なものにまで還元されてしまうのではないか。というのも、人間的なものは希望にもとづいているからであり、逆に平板化された経済的なものは、ひたすら欲求にもとづいて自らの「領土」を拡張していくことに本旨があるからである。

10ヶ月前 No.785

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

時間も空間も人間も「間」なんだよな。

間、つまりはスペースなんだよな。

スペースであるかぎり、何かとの間隔なんだよな。

その空隙を満たすものはいろいろあるけれど、

その実態は空隙なんだよな。

9ヶ月前 No.786

宿題 ★hxYn2UbX46_a2e

今日のニュースです・・

アインシュタインは、音波の波長が伸び縮みすることで通過する列車の音の高さが変化するように聞こえるのと同様に、

大きな重力によって光の波長が伸びる可能性があると予測していた。


今回の実験で・・これが正しいらしい・・

時間の伸び縮み?

9ヶ月前 No.787

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_kE1

「時間がある」とは、意識がある、ということであり、まだ消失すべき自己が残っている、ということではないだろうか。

このように考えると、ぼくの時間観では、時間は円を描いていることになる。時間は自己の消失への気づきへ向かって、様々な人生経験をつうじて流れ、ある地点で「得体のしれない何か」との和解、すなわち自己の消失へと至る。でもまた、その無になる瞬間から、迷いや願望が生じ、ふたたび人生が始まる……

今ぼくはこの固定観念に縛られています。

レヴィナス『全体性と無限』の一節にこうあります。

>知の最終的な意味は、<他者>の現前をまえにして自己を問いなおすことであり、自己以前へと回帰することなのである。

この一節が好きです。

6ヶ月前 No.788

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間⇒意識    他者の現前⇒自己  本当にその通りだと思います。時間とは公共的なる同時性であり

みんなに公平なものだと常識では思われている。「今何時?」と「腕・柱時計」が時間のすべてであると・・・

A点からB点へと移動します、点から点ですね。その間はどうなっているのでしょうか?人それぞれ?

5千億人いたら5千億通りの時間感覚??

4ヶ月前 No.789

久住哲 @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

http://mb2.jp/_tetsugaku/971.html-369#a

zeitlichという言葉は宗教的な意味で用いられることがある。vergaenglichとかirdischという意味で使われる。すなわち、儚いとか、地上的とか、そういうこと。

これの反対はewigかと思われる。これはunvergaenglichとかzeitlich unendlichとかの意味で使われる。すなわち、永遠とか、無限とか、終わりがないということ。

逆に、zeitlichということはendlichということであり、すなわち有限だということだ。いずれ終わってしまう儚いものが、「時間的なもの」だということ。いずれ死ぬ人間というものは、儚く有限で虚しい時間的な存在者だ。

ところで、儚いとはどういうことか?

それは、まず、積み上げてきたものが無意味になる可能性に晒されているということだ。シンプルに考えると、いくらお金を貯めても死ねば使えない。お金を積み上げることで、どんどん生活の確固さは増してゆくが、死はそれを台無しにする。常にそういう無価値化の可能性があるということ、これが一種の儚さであり、虚しさでもある。

そう考えたとき、お金を積み上げてなにになるだろうと虚しくなることがあるかもしれない。(知識を積み上げてなにになるだろうと思うこともあるだろう。)このとき、この言葉は、なんらかの結果を気にしている。そして、この結果が、無であろうと思ってしまっている。すなわち、どう転んでも結局は、死。どうせ全ては自分から失われる。それなら最初から、全ては無いのと同じではないか。このような、果(はか)の無さが、「はかなさ」である。

いずれ俺は死ぬ。これは俺を鬱にする。

しかし喜びのとき、俺は「もう死んでもいい」と思う。

死んだら、俺の積み上げてきたものが無になる。少なくとも俺にとって全て失われることになる。けど、もう死んでもいい。ということは、俺の積み上げの結果が出たということだ。もう頂点に達したので、終わってもいい、死んでもいい。これから死んでも、無価値になり下がるものがもはや無い。ある意味で、それらはもう価値を発揮し切ってしまった。

ところで、その頂点というのは何なのか?

それは、これまで積み上げてきたものが、その瞬間のためにあったのだというように思えるような、瞬間のことだ。その瞬間が、自らの既往に意味を付与する。そのようにして、過去は救われる。

そして、俺たちは、積み上げてきたものの上で生きている。(自分が積み上げたものなどわずかだ。先人たちの積み上げてきたものは、その真価を忘れられながらも、俺たちを支えている。)それらの意義が回復されることになる。

どうして「いずれ死ぬ」と思うと気持ちが落ち込むのに「もう死んでもいい」という境地のとき人は明るくなるのか。

まだ死んでないけどいずれ死ぬと思うと暗くなるのは、なぜ積み上げるのか、その理由がよく分かってないからだ。虚しく積み上げているわけだ。もしも、積み上げる理由がしっかりとあれば、その営為は虚しくないだろう。ただし、理由があるならば、その積み上げの価値は有限だろう。

無限の価値を求めるとき、人は虚しくなる。

4ヶ月前 No.790

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>790  人は御金を持っては死ねない。老化して呆けて、入院する事になったら、入院費に御金が必要になるだけで、もう好きには使えない。やがて延命治療に御金が必要になるだけである。それよりも多く貯蓄しているのならば、それは恐らく、大きな地震で建物が壊れた時に、建て直すための、予備費であったのであろう。堅実な人はそこまで責任を感じて貯蓄している。そうして使わずに済んだ御金は、子供や後進に引き継がれたら良いと思って亡くなって行く。
 そんな節約家の老人に言いたい。少しは御金を使いなさい。好きな美味しい物でも食べなさい。御寺参りや観光にでも行きなさい。年寄り同士で心配なら、若い人に御金を少し御金をあげて連れて行ってもらいなさい。好きな趣味や分野の本でも買いなさい。冥途の土産になりますよ。せっかくの老後ですから、楽しんで死になさい。散歩しなさい、お風呂に入りなさい、喫茶店巡りでもしなさい、冬はエアコンが要らないくらい温かい軽い服を買いなさい、夏は庭いじりをしなさい。
 もっともっと一緒に、御寺参りや観光や食事に行きたかったね、お母さん。

4ヶ月前 No.791

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>790  戦争時代を生き残って来た、老人には、贅沢が敵なのである。そのつらい時間を生きて来た人間にとっては、そうなのである、基本的な精神構造が違うのだ。

4ヶ月前 No.792

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間とはなにか? 多くの人々が議論してきた問題ですが、わたしは時間とは「私が見ることである」という以外に

ないです。つまり視覚とか視像ですね、目・眼といってもいいと思います。これは「時間とは存在である」にも

つながっていくと思います。私が見る存在は1秒を無限に二分する時間が流れていると思っています。

そのような細かい時間がわたしの前に展開しているのです。ゆえに、「時間とは眼である」ということです。

4ヶ月前 No.793

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

時間・・・

大自然・・・宇宙に流れる時があるのかもしれません。

それとは別に個人個人が感じ取る時間。
だから、時の流れに遅速を感じるのかもしれません。

生きてる人の中に流れる時間。死んだら時が止まるのか?
いや、死んであの世に逝ったら時間はあの世の時を感じ取るかも。

あの世の時がどう流れているのか。
よく予言をする人がいますが、あの世の時の流れを見てるのかもしれません。

この世ではどうあがいても未来は未だ来ないし、過去は過ぎ去ったものですから。

あの世の時の流れ・・・どう感じれるんだろう。
あの世が時間をストップしてしまったら・・・この世の時も止まるかな。
あの世の時・・・どうやって進んでるんだろう。

それが分からないとこの世の時の流れも分からないかも?

4ヶ月前 No.794

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間を論ずる場合、普通は未来・過去・今 が話題になる場合が多い。今とは現在である。
そのうちでは今が一番大切であるのではと思う。今というのは、その同時性から無限に
あるわけであるが、「私の今」は唯一ひとつである。ゆえに独今論として重要といえるのでは?

4ヶ月前 No.795

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

*過去や未来を変えれる存在があったら、
*この世は何度も作り直される?
*最後の審判というものがあったら・・・
*今日まで何度も変えられてきた時間、
*それが最後の今を動かしてるのかも。。。
*デジャビュ・・・何度目かの時だからあるのかもしれません。

4ヶ月前 No.796

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

今・ここ・我  が実存と言われている。「今」はみんなに与えられるが、「ここ」は我(私)のみの観念である。
結局は、わたしとか我というのは「ここ」にあって未来とか過去にあるのではない。

今というのは時間ではあるが、ここは私なのである。

4ヶ月前 No.797

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

過去・いま・未来

時は流れてゆく
今は過去へ過ぎ去り
今は未来から来ようとしてる
それは止まることのない時間

時の継ぎ目を感じることなく過ぎてゆく
映画などのフィルムは1コマ1コマ枠が在る
枠は越えられない

この三次元と思ってる現在・・・
場所によって異次元空間(霊界)なのかも
個人も異次元空間を宿してる

そして類は友を呼ぶで、人が場所に吸い寄せられるかな
場所に興味を持ったりする
そして時に流されていく、その場所の持つ時間に・・・
発展してるところは速度が速い、暇な場所は速度が遅い。

有意義な時間、無意味な時間。
人を呼んだ場所は、呼ばれた人の向上に左右される。
その場の霊界を越えるのは不可能かも知れないが・・・
その場の霊界の遅速が変わるほど、変えられたらすごいだろう。

今までそんな事があっただろうか・・・
これからはそんな世の中になるのかも。
なるだけ良い場所に存在できるようにしなきゃ。
それには心(魂)を綺麗にしなければ。。。

4ヶ月前 No.798

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

小学生でも知っていると思います・・時間はかんかく・・

道のり÷速さ=時間

たったこれだけのことです・・

4ヶ月前 No.799

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

宿題さん

確かに速度も時間も距離もお互いで表せられる。

時間を速く感じたり、遅く感じたりするのを形で表せられたら凄いですよね。

4ヶ月前 No.800

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

基準を持たずに仕事を判断することは・・時計を持たずに時間を判断することらしい・・

同じ時間なのに長く感じる人は退屈している。短く感じる人は時間の経つのさえ忘れている・・

4ヶ月前 No.801

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

自分は時計を持たずに時間を判断するのは苦手だなぁ。
時を身につけなきゃ?時計を持ってても、次にする事を忘れるぐらい熱中してしまいます。
「あ、時間過ぎちゃった」って感じです。

体内時計が働かないのかも知れない。どうすればいいんだろう。

4ヶ月前 No.802

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

悟性の範囲なので・・それほど気にしなくても・・



広くは理解力を,より厳密には感覚および理性 ratioに対置された知的能力をさす。プラトン,アリストテレスでは,
上級な対象を直接的,直観的にとらえる知的能力ヌース nous; no□sisに対して,

より下級な推論を伴う間接的な認識能力ディアノイア dianoia; epist□m□が区別されているが,後者が悟性に相当する。

カントによれば悟性はカテゴリー (→範疇 ) によって感覚素材を再構成する機能とされ,

原理についての認識ではなく,推理過程の知的作用とされた。

4ヶ月前 No.803

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

ごめんなさい。ちょっと分かり辛かったです。
直感を知能的と体的なものに分けたんでしょうか?

自分は心的かな?なんて思います。心はどちらになるのでしょうか。

4ヶ月前 No.804

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

感性の定義は哲学的、心理学的にさまざまに行われている。認識論では悟性の対極にあって受動的な知覚を担うものであり、
また、人間的な理性よりも下位にあるために、より動物的なものだと論じられることもある。
近代ドイツの哲学者カントが『純粋理性批判』にて「悟性的な認識の基盤を構成する感覚的直感表象を受容する能力」と言ったが、
この場合の感性はより感覚に近い位置づけである。


デカルトは言います。
「正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識とか理性と呼ばれているものである」
「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」

人間の精神の中の知的能力の比較的上等な部分を「理性」と考えても間違いではないと思いますが、デカルトの言う「理性」は個人差なく普遍的な認識ができるもので、人間はこれを正しく使うことで世界の存在や構造を捉えることができるというものです。



心は精神と同じで身体の反対語です。

4ヶ月前 No.805

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

理性、感性、意欲

三つがバランス良く動けば神様に近づけるかも知れません。

自然も宇宙もバランスが保たれてこそ存在してる。

そんな中で、人間だけが偏るものだけで存在するはずはないかと。。。

バランスが保たれてないと、バランスを保つ為に何らかの動きがあるのではないかと思います。

4ヶ月前 No.806

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

理性的だと情が働かない。
別れが悲しいだとか。出会いが嬉しいだとかがない。

感性的だと正義感に 乏しくなる。

意欲がなくなると、やる気がなくなる、


時の流れを知ると・・・

理性的だと。。。何時からこれを始めると決めれば
きっちりと時間に沿って行動を起こす。
仕事が時にはまっていくという感じ。

感性的だと。。。何時からこれを始めると決めると
あと何分で時間通りだろうと思う。
時間に追われつつ仕事をするという感じ。

意欲的だと・・・何時からこれを始めると決めると
理性的でも感性的でもやる気が起きてくる。

仕事へのエネルギーがわき起こるというところかな。

エネルギーに満ちる・・・働きかけるのは空間へ。
時間をかけて空間を変えてゆく。

感情の喜怒哀楽が意欲的なエネルギー源となる。
それはエネルギーの満ちる世界で喜怒哀楽を相手も感じ取る。
空間を変えた喜怒哀楽に触れた時に感じ取る。
愉快になったり不愉快になったりする。

理性が満ちれば良い思いが勝ってゆく。

3ヶ月前 No.807

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

最近、時間について考えていますがそれは「時間は誰に属するのか」です。時間は科学的で公共的なものか?
あるいは、時間って私の個人的なものか?です。

点から点に向かう時間というものは常識では公共的な時間でしょうか?また次のようにも言えます。時間が
公共的なものであれば、当然に時間の同時性があるに決まっています  □常識では

では個人的な時間って一体全体にどんな時間なのでしょうか?? または、時間というものは「私に属する」
ものでしょうか?

3ヶ月前 No.808

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

空の光さん

うさぎさんに教えてあげてもらいたいです・・手とり足とり・・・・うさぎさんの理解には丁度あっていると思います・・

3ヶ月前 No.809

空の光 ★2PlhFBPJSB_m9i

おお、宿題さんに要請されてしまった。これは一大事。

時間は誰に?んん。個人も持ってるし、公共の場にもあるかな。
個人の持つ時間。これは動植物にも個々の時間があるかと。
たとえば時計を持たずに自己の時を刻んでみる。
そこには人それぞれの遅速が。。。
植物も咲くと言われてる時期を期待しても、時期には幅がある。
つまり、個々の持つ時間が違う、遅速がある事が当然視されてる。

人だけが決めた時間が公共の場の時間かな。
人同士がお互いに合わせるという事が重要な場合がある。
会う約束をする時、公共のバス、電車、飛行機などを利用する時。
店の開閉時間、企業の労働時間。

合わせられると言う事は、個人個人に備わってる時間を遅速させる事が出来るから。
つまり、時間は個人個人のものとも言えるかな?

こんな感じになりました。

3ヶ月前 No.810

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

>810 空の光さん  時間の観念ではよくわかってらっしゃる。9割方は同意します。

そのとおりだと思います。「時間の遅速」という言葉はベルクソンに近いとおもいますねえ。

3ヶ月前 No.811

空の光 ★2PlhFBPJSB_m9i

ああ、うさぎさん。9割方同意。
思いが伝わって良かったです。

ベルクソンの哲学ですか。
直感の説、刹那の吾、万物流転なら教えて下さった方が・・・

「時間の遅速」は直感です。

祖父が句集の中で花の遅速について詠んでました。
それが、ここで使うことになるとは思いもしませんでした。

3ヶ月前 No.812

空の光 ★2PlhFBPJSB_m9i

時間の所有者は・その2

別の角度から見てみる。時は宇宙全体に流れてる。
銀河にも太陽系にも流れてる。地球にも自然界にも。
人間の社会、動植物、生命体。鉱物にも流れてる。

もっといくと原始、電子、原子核(陽子・中性子)にも流れてる。
素粒子、微粒子にも。。。
無限大な存在の時にも無限微の微粒子にも流れる。

大きな流れと小さな流れ、違うようで時は同じ数だけしか刻まない。
時の大きな時、時の小さな時。
小さくて見えない時は一つ一つにしか目が行かない。
大きくて見えてる時は大きくて一つでしか見えない。

二つが一つになれば大きな時の中に小さな時が・・・
小さな時は小さく進む大きな時は大きく進む。

大きな時は神の時だが。
小さい時は、個人の時、個々の動植物の時、個々の生命体の時

人は神の時、自然の時、宇宙の時を忘れたのかも。
そして、作った暦、作った時。のままに時の道を歩んでる。
確かに正確に出来てる。それは人が大自然に合わせたから。

人の時は宇宙から自然から一度、外れたかな?
しかし、自分の時を相手に合わせられるという、特技を手にいれた。
まるで魔法だね。

3ヶ月前 No.813

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間とは何か・・と多くの人が定義をしたがる。そしてその大概は時間直線の上に点を打つ、そしてその点と点の間が時間

である、と定義する。なぜなら、それは科学と常識であるから・・・。点と点の間は問わない「人それぞれだから」

以上が常識的な時間の定義だと思います。ベートーヴェンの第九は始と終に点が打てるが、その間は一体何なのでしょうか?

2ヶ月前 No.814

空の光 ★1k5tCf7ARj_m9i

時の点と点の間

個人個人の時・・・体内時計によって違うんでしょうね。

それでも時を決めてそれに合わそうとする事が出来る。

自分の時を持ってる。。。

ひょっとすると魂と呼ばれる死後の存在が時を持ってるのかも。
死後の世界は時の流れが、その個人個人の時で流れてゆくのかも?
死後は、その人の時に応じた世界へ行くのかな?

神様のいる世界に近づくと時間空間を越えられるのかも、その時、その場へ自由に・・・
時間を越えるいう事は忙しいという観念がなくなるかな。
時間に追われるという事がないから・・・

同じ仕事をしても忙しい人と忙しくない人の差は、そこからくるのかな?

2ヶ月前 No.815

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間に点は打てないでしょ? 科学と常識では平気で点点点点を打ちますが、アキレスが亀をいまだに追い越せない

理由は時間に点を打ったためなのです。ギリシャ時代のあの競争から数千年!!まだアキレスは亀を追い越せないですね?

時間に点を打たなければ、一回勝負であっという間に(とうの昔に)追い越していますね?  結論;時間に点は打てない

2ヶ月前 No.816

宿題 ★eM1n2yJmTo_sNF

瞬間の永遠もあり・・

2ヶ月前 No.817

空の光 ★0lAwBkNNa5_m9i

宿題さん

瞬間の永遠・・・。

時を持たないという事はどういうことか?
時を追い越すこともなければ、
時に追い越される事もない。

超時空。瞬間、瞬間に存在する。

永遠にそこにいる場合もある。

でも、どちらも人の目から見て・・・だと思う。

存在の意思のままに動く。

超時空だから、時に縛られない。

過去を知ったらどうなるか?
人には見えるだけかもしれない。

変えられる存在は創造主だけ?

創造主の元へ人が報告に逝った時。
その人の報告のあった時を創造をする。
だから、瞬間瞬間に時が変化する。
たぶん人に気づきはないだろう。

デジャビューがあるのはその為か。
前世の記憶・・・それがデジャビュー。
過去に経験し、神へ報告、神の創造。

2ヶ月前 No.818

つみれ ★l1599yqQ3V_5ZM

デジャビュー□、まずはその言葉を知って、体験したいと望むことが遭遇の一番の理由でしょうね。

2ヶ月前 No.819

空の光 ★0lAwBkNNa5_m9i

デジャビューを体験したいと望むことですか。んー、そんなものなんですかね。
袖すり合うも他生の縁もでしょうか?

何かを感じ取りたい、それが思い思われの始まり?

2ヶ月前 No.820

速水透 ★iPhone=pQbyGgvVdX

こんにちは。速水透と申します。宜しかったら、「速水透のホームページ」を覗いてみてください。

1ヶ月前 No.821

うさぎ ★H2MUC7vJWt_UHY

非常におもしろくて興味があったので、ホームページを全部コピーしましたよ。時間論と唯物観念論については同感します。

1ヶ月前 No.822

速水透 ★iPhone=DQMNoZvWWU

うさぎさん、ありがとうございます。良かったなあ。これからもよろしくお願います。いや、参考になります。

1ヶ月前 No.823
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