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時間

 ( 哲学掲示板 )
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ぶっちゃん

そもそも時間とは?
俺は定期的な周期のリズムを数字で表したものだと考えた。
所以に時が止まれば人も止まるとは考えにくい。それは対象の動き運動が停止したと考える。
時はない、あるのは連続される運動としたい。

みなさんは時間について、どう認識してますか?

2006/06/15 09:50 No.0
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00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>722

>議論者においてそのデメリットはあなたのものです。


いや、全員が共有するものだと思いますよ。貴方も自分の発言を総て記憶していませんし、貴方も他のスレで私に何についてのレスなのか不明と言っていましたし。

>あなたさえしっかりとした主張や意見があれば何も問題ありません。


私は宗教家ではありませんので、自分の主張や意見を根拠なしに人に押し付けるつもりはありません。

3ヶ月前 No.723

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

00100さん

デメリットというと確かに全体で共有しなくてはならないという風に捉えられますね。

デメリットではありませんね。

議論者としてのあなたの欠点です。

そこは直しましょう。(((^^;)

3ヶ月前 No.724

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

00100さん

>私は宗教家ではありませんので、自分の主張や意見を根拠なしに人に押し付けるつもりはありません。

はい、やめてください。

ただし、自分の主張がなんだったのかを他人に聞くような行為もやめてください。

レス番が無ければ自分が何を言ったかも思い出せないような議論はするべきではありません。

3ヶ月前 No.725

00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>725
であれば貴方も同じ理由でここへの参加をやめなければなりませんね。

3ヶ月前 No.726

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

00100さん

私は自分の主張はありますので、他人に確認するようなことはしませんよ。

レス番がなくても何についての質問かを書いてもらえれば答えられます。

また、流れがわかるすぐの反論であれば、仮にレス番が間違っていても正しく反論できます。笑

3ヶ月前 No.727

00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>727

>私は自分の主張はありますので、他人に確認するようなことはしませんよ。


宗教じゃないのですから、他人の主張や反論くらい聞きましょうよ。でなければ只貴方は自分の主張の押し付けをしているだけに成り下がってしまいますから。

>レス番がなくても何についての質問かを書いてもらえれば答えられます。


貴方の主張ですとそれすらも書いていなくても答えられなけれならないのですけどね。レス番を書く理由や意味を正しく理解していれば、このレスがどれだけ的外れなレスか分かると思いますが。

>また、流れがわかるすぐの反論であれば、仮にレス番が間違っていても正しく反論できます。笑


人には其々都合があって、貴方を含め我々はこのBBSにレスをする事で生計を立てているわけではありません。
相手方が常に貴方とのやり取りを監視しているわけではない上に、他の人のレスも間に入り込み、皆で会話をしているわけですから、貴方のレスが必ずしも直近に来るとは限りません。
尚且つ話が続けば過去のレスを見返す事もあります。
直近ですら貴方自身が正しく反論できていない事が多々あるのに、正しく反論できると強弁されても、また嘘をついていると判断するしかありません。

3ヶ月前 No.728

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

ここは時間の項目だから、時間について述べるのがいいと思う。

時間って時計版の長針と短針と秒針のことでしょ???ここは時間板ですよ?

3ヶ月前 No.729

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

うさぎさん

それ時計の説明だね。

時間の概念を人間にわかりやすく見せるための道具です。

時間そものではありませんよ。笑

3ヶ月前 No.730

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

00100さん

>>728

それは身勝手です。

その程度の遊びで発言しているのなら、私もそれなりの話で反論しますよ。

遊びであるなら、極論も、屁理屈もありですよね。

それで、あなたは時よりその様な発言をするのですか?

仮にも、哲学掲示板で屁理屈はダメでしょ!

話はまじめに戻って、あなたは過去の存在の証明は簡単だといいましたが、それの対とも言える未来の存在の証明なぜ出来ないのですか?

その時点で過去の証明が怪しいとは思わないのでしょうか?

3ヶ月前 No.731

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

mina さん  時計の説明は時間の説明じゃないのですか? だって時間とは経過することだと

思うからです。時間の測定はストッポッチか腕時計で測ると思うのだが?

3ヶ月前 No.732

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

うさぎさん

では時計で10分前の時間や、10後の時間が作れますか?

表示として出すことは出来ますが、定規で10cmの紐を作るかのように、時計で10分後の時間を作れますか?

紐の例えも怪しいのですが、今回の話を解りやすくするために使用しています。

3ヶ月前 No.733

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

minaさん  10分前と後の時間は当然に作れるでしょうね。 つまり1Mの定規で現在と過去と未来は常識では点で

表されるからです、線は点で成り立っており、どの時間の点も存在します。

3ヶ月前 No.734

00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>731

>それは身勝手です。


それとはどれですか?

>話はまじめに戻って、あなたは過去の存在の証明は簡単だといいましたが、それの対とも言える未来の存在の証明なぜ出来ないのですか?


過去は既におきた事象ですから見返したり調べたりができます。
未来は未だおきていない事象ですからそれができません。
簡単な例え話をすると、A君が10:00に家を出て1km/hで歩きました。今10:30で、A君は家から500mの地点にいます。では11:00にA君はどの地点にいるでしょうか?
10:30で家から500mの地点にいる事は現在を含む過去の事実ですから確実にどの地点だという事は確実に言えます。しかし11:00にどこにいるのかは未来の話ですから、1kmの地点にいる「だろう」という事は言えますが、確実に1kmの地点にいるとは誰にも言えません。

>その時点で過去の証明が怪しいとは思わないのでしょうか?


思いません。

3ヶ月前 No.735

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

>735さん   だろうって、途中でアイスクリームを食べていたから6分の誤差が到着時刻を遅らせた??

それは、吉本興業とか漫才の題材であって科学・哲学ではないですね・・・ここものすごいレベルですね((笑)

3ヶ月前 No.736

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

うさぎさん

その未来の点や過去の点を現在に表現できますか?

現在に表現できないと観測出来ませんよ。

この観測でさえ、実際に出来ているのか、時間の概念と物理学からすると疑問なのですが。。。。

3ヶ月前 No.737

00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>736
それくらい未来の事は分からないという事です。
疲れて歩くスピードが落ちるかも知れませんしね。
>>735 が何に対するレスなのか理解できれば、そういう事も決して的外れではない事が分かるかと思います。

3ヶ月前 No.738

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

00100さん

>過去は既におきた事象ですから見返したり調べたりができます。
>未来は未だおきていない事象ですからそれができません。

見返す作業も、調べたりする作業も現在でする作業です。

その行為自体、歩くという行為と何が違うのでしょうか。

3ヶ月前 No.739

00100 @00100 ★iPhone=NxaBU8I489

>>739
A君が時速何kmで歩き何時にA君が何処にいたのかが事実です。
A君が何時に何処にいたのかについては調べて分かる過去の事実です。
未来の何時にA君が何処にいたのか(いるのかではない)は調べても分かりません。

3ヶ月前 No.740

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

>737  さん   カメラとかCDやビデオがあれば表現できるでしょうね。ただ、未来については決定論に


従わざるを得ないでしょうね?(自由意志論ではなく

現在はすぐに過去になり、未来もいずれ過去になります。結局はすべては過去であると言っても過言ではない。

3ヶ月前 No.741

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

うさぎさん

その過去とは人間の意識が作り上げたものであり、実際には行く事も出来ない、戻すことも出来ないのです。

その過去とはいったい何なのか、それは人間の記憶の中にしかないのでは。

過去の存在を証明できるのか?

という事です。

少なくとも過去の存在が証明されなければ、時間が流れているという事は言えないのではないか。

3ヶ月前 No.742

ハンドル ★WCCXM8xEFN_yoD

時間は物理量です。現実に在るモノだと思います。時間は観念ではないと思います。時間が観念であるならば、我々は存在しません。時間と共に実在があり、実在があって観念があると思います。

3ヶ月前 No.743

宿題 ★5z6bVAmgS3_t5r

時間は移動・・

2ヶ月前 No.744

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

時間は主観的時間と客観的時間とに分けられる。客観的時間は時点に区切られた時間のことであり、主観的時間とは我々が日常経験している流れのようなものである。

マグダガートやカントもそうだが、時間は主観的には実在しないといった。言い換えれば、「実在」としての時間は存在しないといっている。その点を考えるなら、「時間は物理量だから時間は現実に存在する」ということは時間の非実在性の意見に対して答えれているとはいえない。「現実に存在する」とは必ずしも「流れが存在する」と言う事を意味しないからだ。というかはなから「流れ」というものを考える必要性が物理学にはない。物理学における時間とは微細な生物を見るための顕微鏡のような役割しか担っていないからだ。

2ヶ月前 No.745

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

ひろさん の見解はまったくそのとおりだと思う。

私は四つの単語を並べたいです。(存在と時間)と(私とみんな)です。
時間とは存在(すべての物質)だし、存在(私を含む)とは時間である。

存在と時間は「私」と「みんな」では違うのです。時間を論ずる場合スポットライトは私に当たっているのです。
みんなの時間は「真の」時間ではない・・・・と。

2ヶ月前 No.746

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

うさぎさん
時間を問うということは死を問うということである。
今を生きる私も過去を生きる私も、結局は何のために生きているのか、ということを考えさせられるからだ。だからこそ、「流れ」としての時間の見方は考えるに値する。

2ヶ月前 No.747

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

ひろさん

死とは?

自分の死ですか?他者の死ですから?すべての死ですか?

死んで後は?この個体にとって時間はなくなるのでしょうか?

物質が全く同じ座標に存在できないことと同じように、時間も全く同じものを共有することはできないということでしょうか?

2ヶ月前 No.748

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

minaさん
「流れ」としての現在は私自身に時間の有限性を認識させます。何事においても、時間には区切りがあり、一定のスパンで始まりと終わりの完結があるからです。この一定のスパンでの始まりと終わりがないところには、「流れ」はないでしょう。そのことが「私にとっての死の問題」を考えさせられるきっかけを与えています。つまり、有限な生物であり、かつ永遠を志向することができる人間だからこそ問える問題だということです。だから、私は時間を問うことは死の問題に接近していくのだと考えました。

>死んで後は?この個体にとって時間はなくなるのでしょうか?


例えば、魂という存在を前提に考えてみましょう。意識が完全になくなった状態でかつ身体が消滅した状態であっても、魂だけは残り続けると考えるならば、時間は存在しているのではないでしょうか。魂は意識が限りなく低い状態で自らを自己認識できないだけで、記憶の残骸みたいなものは取り止めもなく溢れているというふうに想像できるからです。まぁ、あくまでも「想像上の話」ですが。

>物質が全く同じ座標に存在できないことと同じように、時間も全く同じものを共有することはできないということでしょうか?


例えば、ボクシングをしている時の時間とボクシングの話をしている時の時間とでは流れ方が違っている。それゆえ、ライブ中継で同じ時刻に複数人の視聴者が同じボクシングの中継を楽しんでいるものと前提とするならば、同じ時間を共有していると言えます。しかし、この同時刻に「ボクシングをしている人」とライブ中継を見ながら「団欒している人」とでは、時間の流れ方は違っていますから、そういった意味で「同じ時間は共有できない」ということになるでしょうね。

2ヶ月前 No.749

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

ひろさん

>例えば、ボクシングをしている時の時間とボクシングの話をしている時の時間とでは流れ方が違っている。それゆえ、ライブ中継で同じ時刻に複数人の視聴者が同じボクシングの中継を楽しんでいるものと前提とするならば、同じ時間を共有していると言えます。

同じ事象を同時に確認していれば時間は共有されるということですか?

>しかし、この同時刻に「ボクシングをしている人」とライブ中継を見ながら「団欒している人」とでは、時間の流れ方は違っていますから、そういった意味で「同じ時間は共有できない」ということになるでしょうね。

これは同じ観戦者は時間を共有できるがプレイヤーと観戦者では共有できないという事でしょうか?

その違いがいまひとつ理解できないのですが、どうして共有できるとできないに分かれるのでしょうか?

2ヶ月前 No.750

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

いつも、ひろさん  の意見は分かりやすくて、内容がきわめて深い。(笑

>749からひろさんは時間感覚をほぼ知っておられると思う。私は今日、ぶらっと散歩しながら考えたのですが、

睡眠中の時間はどうなるのだろうか?という愚かな疑問です。90年間生きた場合に実際に時間が流れたのは

50年間じゃないのか?という愚問です。存在と時間と意識と時間が脳裏に浮かびました。

「睡眠中の時間」についてはどの哲学書にも書いてありませんし、誰も述べていない。やはり時間とは存在である

と同時に時間とは意識でしょうね?主人公は「わたし」「我」であるのは分かりますが・・・・

2ヶ月前 No.751

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

minaさん

>同じ事象を同時に確認していれば時間は共有されるということですか?


「同じ事象を同時に確認している」という事が条件であるならば、ボクシングの中継を見ていない人にとってはボクシングの試合が行われている時間が存在しないということになってしまいますね。
あくまでも、時間を共有している、ということは「何時何分何秒の出来事」という時点的認識が成立していることの条件を必要とします。

>これは同じ観戦者は時間を共有できるがプレイヤーと観戦者では共有できないという事でしょうか?


ボクシングプレーヤーは一瞬一瞬の瞬間の中で生きています。相手は次にアッパーかフックか、それともボディブローかということを考えながら選手はリングの上に立っているからです。私はこのような時間意識を「ボクシング的時間」と定義します。
それに対し、そのようなやり取りを外から見ている人にとっては、これは個人差がありますが、ボクシングをゆったりとした雰囲気で見ている人にとっては「ゆったり」とした時間が流れています。これを「団欒的時間」と定義します。
ボクシング的時間は一点集中的であり、そこには忙しさが付き纏います。対して、団欒的時間には緩さが付き纏います。従って、ある事象の変化に対する感じ方という点では両者は同じ時間を共有していません。もっとも、これは主観的な時間においての話であって、誰もが試合を観戦していて、選手はボクシングをしているという事象は客観的には時間は共有されています。

共有されてないのは、「今をどう生きているのか」と言った点です。なぜなら、「どうしてボクシングを見ているのか」ということと「どうしてボクシングをしているのか」ということとには各々経緯があり、各々の行動の結果に至るまでの過程には主観的な違いがあるからです。

「今ここ」でボクシングをしている人はこのリングで試合を行うまでの間にどれだけ苦しい思いをしてきたのかということを想像するならば、ボクシングをしている人にとってその試合に対する意識には重みがあります。それに対して、たまたまテレビを付けてボクシングを見ている人にとっては「ボクシングを見る」ことにはそれほどの重みのある理由は考えられないのではないでしょうか。もっとも、ボクシングをテレビで観戦している人がボクシングの試合に出ている人の親御さんだったり、友達だったりする場合は話は変わってきますが。

うさぎさん
例えば、200年の人類補完計画というものが計画されていて、そこでうさぎさんが被験者に選ばれたとします。うさぎさんは突然誘拐されてしまい、冷凍保存機の中に強制的に閉じ込められたとしましょう。そして、200年後にうさぎさんが目を覚ましました。さて、うさぎさんにとってのこの200年という時はなんだったのか、という思考実験をしてみたら理解が深まるのではないでしょうか。

客観的には200年という時が経ったが、うさぎさんにとっては(誘拐された時30歳であったのなら)200年も20年も2年も、区別もついていないような状態なのではないでしょうか。

ということを考えると、冷凍保存機に眠らされている時の時間というのは誘拐された時から何ら進展していないような時間の流れの中にいるのだと思います。

このことからわかることというのは、時間は「寝ている時」と「目が覚めている時」との比較が可能である状態としての現在、すなわち、「目が覚めた時」が基軸となって時間が「生成してくる」ということです。「目が覚めた私」が眠っていたことを思い出して、「眠っていた私」を発見するということが起きているということですね。
しかし、特別な事情がない限りそんなことはまず起きません。なぜなら、「私がこれから眠ること」は「私の眼が覚める」ことを前提とし、「眠る」ということと「目が覚める」ということとはイコール関係で結ばれているからです。ですから、日常的には「私」という存在は時間に対して結構鈍感なのですよね(笑)
というのも、無理くり考えれば眠った後に私が目覚める確実性なんてどこにも保証されてませんから。だからこそ、人間は自らの主観的な時間を「客観的な時間」で管理しなければならないのだと思います。客観的な時間とは主観の中で生きられる時間に対して抽象的であるような時間のことで、数値化された時間がそうです。この数値化された時間が私に「忘我の意識」を与えます。

2ヶ月前 No.752

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

忘我の意識とは日常性への埋没のことです。ハイデガーが確か同じようなことを言っていたのを記憶しています。

2ヶ月前 No.753

mina @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

ひろさん
実に面白いですね。

時間に対する、経験というファクターが重みという干渉でここに変化する。

これは、ニューロンにおけるシナプスの結合にも同じことが言えると考えられています。

個体におけるニューロンの差はさほどないが、シナプス結合における重みは個体差が大きく、それが精神や思考、記憶の取り出し保管にも作用することで個体の意識をもつかさどっているのではと言われています。

それと時間が同じ理論で繋がれば、記憶と時間、思考と時間、意識と時間が同一の理論で説明できるかもしれません。

実に興味深いですね。

2ヶ月前 No.754

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

minaさん
「重み」は「情報の豊富さ」と言い換えることができます。例えば、アニメは高画質で見た方が映像のありありとした感じが与えられます。ですから、記憶としても残りやすい。しかし、「どのような情報」が記憶として残りやすいのかということは、個体の主観的な傾向に左右されることもあります。例えば、ダウンロードアプリでダウンロードした音楽よりも、CDの方が、中身を開けたらどんなものがあるのだろうといった期待感だったり、CDという形あるものによってよりコレクション意識が刺激されたりする現象は、個体の経験してきたことに依存している面もあります。それゆえ、情報とは量的にも規定されますし、質的にも規定されます。

意識と時間、思考と時間との関係を仲介している「情報」という概念を明瞭化していくことで、より「時間とはなんなのか」ということへの理解を深めていけるのではないかと思いますね。

2ヶ月前 No.755

mina @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

ひろさん

私の言った重みの意味はシナプス間における情報の伝達抵抗というか、どのシナプス間の伝達を優先するかの重みのことです。

時間から次の時間に繋がる場合、その繋がりに重みという事象が添加されることでその重みが変化し、それぞれの次なる時間軸が変化する。その変化を未来と呼ぶなら、人間が脳により物質や言語、画像などを認識する意識の差によって個々の時間軸も変化するという、ことが考察されるのではない。

意識において個人が個々に存在するとするなら、時間もそれと同じで個々に存在するものであって共有はしない。

共有している時間とは見せかけの共有であり、相対的に比べることで共有しているかのように見えているだけで、実際は時間は個々の意識により変化し、ここの意識と同じ次元に存在するものである。

この事実が、時間を長く感じたり、短く感じたりする個人差の意識によるものである。

その感じている時間は実は感じているのではなく、本当に長くなっていたり、短くなっているのだとしたら面白いですよね。

2ヶ月前 No.756

バン ★2w5GB3qXiV_cjE

そもそも時間なんていう概念は勝手に人が作り出したものじゃないのか?
もしかしたら、他の世界では存在しえないものなのではないのだろうか

2ヶ月前 No.757

うさぎ ★Tablet=cT88eYp8V3

確かに、時間の概念というものはその通りだと思う。しかし我々は人間で常識的には科学とか物理
で時間というものを知っている。我が家のオス犬が時間を知っているかどうかあやしいものですね。

所詮、時間って人間の言葉なのかもしれませんね?

2ヶ月前 No.758

★30JjgxOVKX_ZFe

いつ、どこで、だれが、なにをした。

言い換えると、

時間、空間、私が、○○をした。

これは、すでに存在している。

2ヶ月前 No.759

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

空間は、定まった流動的な次元。

時間は、各個体に存在する流動的な次元。

^_^笑

2ヶ月前 No.760

俺様 @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

各個体に存在するということは共有な存在ではないと言うことで。
存在しないという解釈も可能では?

2ヶ月前 No.761

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

時間という次元は共通しているのですが、今我々が使ってる時間は、地球の自転からある原子の振動数で時間を認識しています。

しかし、原子だって異なる振動数があります。
惑星だって、質によって周期が異なります。

例えば人間は80年は生きられるが犬や猫は、10数年です。
つまり、空間的次元は3次元に対し時間的次元は個体の中に無数にある。
といった所です。

2ヶ月前 No.762

@mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

>>762

それは時間というももは概念のみであるということになりませんか?

例えば、目の前にあるリンゴは個体として存在しています。

そして、リンゴは世界中に存在し、それぞれ、リンゴとして存在します。

しかし、はじめのリンゴはそのリンゴを指し、誰しもが認識できる固有のリンゴですが、後に出てきたリンゴは

どのリンゴの事を言っているかは判らず、誰しもが認識できるリンゴではなくなっている。

この場合の後者のリンゴは、リンゴそのを指すのではなく、リンゴと言う存在の概念的な総称に変わっています。

それを時間に置き換えて考えると、時間には前者が存在せず、後者しか存在しえません。

その事から、時間の存在は概念であり、実際には存在しないものではないでしょうか?

2ヶ月前 No.763

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

例えば、目の前にあるリンゴは個体として存在しています。
そして、リンゴは世界中に存在し、それぞれ、リンゴとして存在します。
しかし、はじめのリンゴはそのリンゴを指し、誰しもが認識できる固有のリンゴですが、後に出てきたリンゴは
どのリンゴの事を言っているかは判らず、誰しもが認識できるリンゴではなくなっている。

解:同種を混ぜれば、そうなりますね。
個体、個々に無数にあるとは、リンゴという種の中の同じ個体や同位体でも、個々に無数に存在するんです。
環境の変化によって個体の時間の変化もあります。

時間の存在の有無は、時の流れを認識する為にこの事象を時間と言う概念としているだけです。
だから、今は時間に関して科学的根拠はありません。
空間だって、まだありません。
まだ、目に見えない概念のレベルでしかありません。

2ヶ月前 No.764

mina-asobo @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

まだまだ、未知の領域と言うことでしょうね。

2ヶ月前 No.765

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

未知は楽しいモノです。

いつも、つまらない日本社会の話題を見聞きするから、息抜きになります。

2ヶ月前 No.766

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

時間の本質って何だろう?と考えると面白いです。腕時計の短針か長針か秒針かカレンダーなのか等々・・・

私は秒針の動きが最も時間の本質に近いのじゃないかと思います。存在は時間だが、「時間とは秒針である。」  です

2ヶ月前 No.767

ハンドル ★p4qiG2AEOp_mgE

時間とは、記憶することが出来る生物が、在ると思える感覚ではないのか。生命(いのち)の死によって、記憶の仕組みは無くなり、時間の感覚も無くなってしまう。生命(記憶の仕組み)があって創めて、時間が在ると感知できる。記憶の仕組みにより、現在から過去を想像することができ、時間が在ると感知できる。一瞬一瞬で生きることは、記憶をしないで生きることであり、時間を感知しないであろう。生物の死によって、記憶の仕組みを有する生命(いのち)が無くなり、それと同時に時間を感知できなくなる。

記憶の仕組みにより、現在から過去を想像することによって、時間が在ると感知できる。生命(いのち)があっても、記憶しないで一瞬一瞬で生きることは、記憶をしないので、時間を感知しないであろう。死という生物としての物体の崩壊によって、生命(いのち)が無くなれば、記憶の仕組みが無くなり、時間感覚も無くなってしまうだろう。

生命(いのち)のない物質だけの世界では、物質は刻々と変化し、過去が現在に内包されてゆく。過去は、現在のモノと一体になる。物質だけの世界では、過去と現在を比較することが出来ないから、物質だけの世界では、「時間は知り得ないこととなる」。しかし、物質がある限り、時間は在るはずだ。だが、生命(いのち)が有する記憶の仕組みで感知する時間は、「今」しかない存在しない時間だと考えれば、生命(いのち)が有する記憶の仕組みで感知できる時間は、『幻影』かもしれない。

13日前 No.768

ハンドル ★PJlXBtax92_mgE

>>768 の改訂版

時間とは記憶の仕組みを有する生物が、在ると感知できる感覚ではないのか。生命(いのち)の死によって、記憶の仕組みも無くなり、時間を感知することができなくなる。記憶の仕組みがあって初めて、時間を感知することができる。記憶の仕組みにより、現在から過去を想像することができ、時間が在ると感知できる。一瞬一瞬で生きることは、刻々と変化する時間そのモノとなり、時間を感知することはないであろう。死という生物としての物体の崩壊によって、生命(いのち)が無くなれば、記憶の仕組みも無くなり、時間を感知することはできなくなる。

生命(いのち)のない物質だけの世界では、物質は刻々と変化し、過去が現在に内包されてゆく。過去は、現在と一体のモノとなる。物質だけの世界では、過去と現在を比較する記憶の仕組みを有し時間を感知できるモノが存在しない。しかし、物質がある限り、時間は存在するはずだ。時間は刻々と変化するモノだ。たとえ、生命(いのち)が記憶の仕組みを有していても、時間が「今」の瞬間のみのモノであるならば、過去は現在と一体である現在に内包されたモノだから、過去はもはや存在しないことになる。

記憶の仕組みを有する生命(いのち)が感知する時間は、『幻想』かもしれない。

生命現象は生命(いのち)の発生とともに生じ、生命(いのち)の死とともに消滅する。同様に、時間現象は物質の生成とともに生じ、物質の消滅とともに無くなる。何を持って生命(いのち)とするのか。何を持って物質とするのか。両者ともに不明である。しかし、生命(いのち)も時間も現象という意味においては同じであろう。物質の存在とともに生じる時間は、生命(いのち)を内包している。

10日前 No.769

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_A7b

「祈りは時間の中になく、祈りの中に時間がある。犠牲は空間の中になく、犠牲の中に空間がある」
(M・ブーバー『我と汝・対話』(植田重雄訳)、岩波書店、1979年、pp.15-16)

8日前 No.770

宿題 ★5z6bVAmgS3_BXv

時間は生きてきた長さに比例します・・

長く生きれば生きるほど速く時間が過ぎます・・

小学生でも習いますよ。

道のり÷時間=速さ

生きてきた時間の長さ÷普通の一定の時間=生きていく速さ

8日前 No.771

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

某法律のできる相談所の元司会者がいうには、時間が過ぎるのを速く感じるようになるのは既知のことが増えるからだそうです。つまり、経験を積んできた分大体のことがわかるようになったということですね。

5日前 No.772
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