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時間

 ( 哲学掲示板 )
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ぶっちゃん

そもそも時間とは?
俺は定期的な周期のリズムを数字で表したものだと考えた。
所以に時が止まれば人も止まるとは考えにくい。それは対象の動き運動が停止したと考える。
時はない、あるのは連続される運動としたい。

みなさんは時間について、どう認識してますか?

2006/06/15 09:50 No.0
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バン ★2w5GB3qXiV_cjE

そもそも時間なんていう概念は勝手に人が作り出したものじゃないのか?
もしかしたら、他の世界では存在しえないものなのではないのだろうか

10ヶ月前 No.757

うさぎ ★Tablet=cT88eYp8V3

確かに、時間の概念というものはその通りだと思う。しかし我々は人間で常識的には科学とか物理
で時間というものを知っている。我が家のオス犬が時間を知っているかどうかあやしいものですね。

所詮、時間って人間の言葉なのかもしれませんね?

10ヶ月前 No.758

★30JjgxOVKX_ZFe

いつ、どこで、だれが、なにをした。

言い換えると、

時間、空間、私が、○○をした。

これは、すでに存在している。

10ヶ月前 No.759

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

空間は、定まった流動的な次元。

時間は、各個体に存在する流動的な次元。

^_^笑

10ヶ月前 No.760

俺様 @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

各個体に存在するということは共有な存在ではないと言うことで。
存在しないという解釈も可能では?

10ヶ月前 No.761

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

時間という次元は共通しているのですが、今我々が使ってる時間は、地球の自転からある原子の振動数で時間を認識しています。

しかし、原子だって異なる振動数があります。
惑星だって、質によって周期が異なります。

例えば人間は80年は生きられるが犬や猫は、10数年です。
つまり、空間的次元は3次元に対し時間的次元は個体の中に無数にある。
といった所です。

10ヶ月前 No.762

@mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

>>762

それは時間というももは概念のみであるということになりませんか?

例えば、目の前にあるリンゴは個体として存在しています。

そして、リンゴは世界中に存在し、それぞれ、リンゴとして存在します。

しかし、はじめのリンゴはそのリンゴを指し、誰しもが認識できる固有のリンゴですが、後に出てきたリンゴは

どのリンゴの事を言っているかは判らず、誰しもが認識できるリンゴではなくなっている。

この場合の後者のリンゴは、リンゴそのを指すのではなく、リンゴと言う存在の概念的な総称に変わっています。

それを時間に置き換えて考えると、時間には前者が存在せず、後者しか存在しえません。

その事から、時間の存在は概念であり、実際には存在しないものではないでしょうか?

10ヶ月前 No.763

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

例えば、目の前にあるリンゴは個体として存在しています。
そして、リンゴは世界中に存在し、それぞれ、リンゴとして存在します。
しかし、はじめのリンゴはそのリンゴを指し、誰しもが認識できる固有のリンゴですが、後に出てきたリンゴは
どのリンゴの事を言っているかは判らず、誰しもが認識できるリンゴではなくなっている。

解:同種を混ぜれば、そうなりますね。
個体、個々に無数にあるとは、リンゴという種の中の同じ個体や同位体でも、個々に無数に存在するんです。
環境の変化によって個体の時間の変化もあります。

時間の存在の有無は、時の流れを認識する為にこの事象を時間と言う概念としているだけです。
だから、今は時間に関して科学的根拠はありません。
空間だって、まだありません。
まだ、目に見えない概念のレベルでしかありません。

10ヶ月前 No.764

mina-asobo @mina21 ★Tablet=LsADUPKYuX

まだまだ、未知の領域と言うことでしょうね。

10ヶ月前 No.765

品川 美勇士 ★iPhone=jGDAOrPfY7

未知は楽しいモノです。

いつも、つまらない日本社会の話題を見聞きするから、息抜きになります。

10ヶ月前 No.766

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

時間の本質って何だろう?と考えると面白いです。腕時計の短針か長針か秒針かカレンダーなのか等々・・・

私は秒針の動きが最も時間の本質に近いのじゃないかと思います。存在は時間だが、「時間とは秒針である。」  です

10ヶ月前 No.767

ハンドル ★p4qiG2AEOp_mgE

時間とは、記憶することが出来る生物が、在ると思える感覚ではないのか。生命(いのち)の死によって、記憶の仕組みは無くなり、時間の感覚も無くなってしまう。生命(記憶の仕組み)があって創めて、時間が在ると感知できる。記憶の仕組みにより、現在から過去を想像することができ、時間が在ると感知できる。一瞬一瞬で生きることは、記憶をしないで生きることであり、時間を感知しないであろう。生物の死によって、記憶の仕組みを有する生命(いのち)が無くなり、それと同時に時間を感知できなくなる。

記憶の仕組みにより、現在から過去を想像することによって、時間が在ると感知できる。生命(いのち)があっても、記憶しないで一瞬一瞬で生きることは、記憶をしないので、時間を感知しないであろう。死という生物としての物体の崩壊によって、生命(いのち)が無くなれば、記憶の仕組みが無くなり、時間感覚も無くなってしまうだろう。

生命(いのち)のない物質だけの世界では、物質は刻々と変化し、過去が現在に内包されてゆく。過去は、現在のモノと一体になる。物質だけの世界では、過去と現在を比較することが出来ないから、物質だけの世界では、「時間は知り得ないこととなる」。しかし、物質がある限り、時間は在るはずだ。だが、生命(いのち)が有する記憶の仕組みで感知する時間は、「今」しかない存在しない時間だと考えれば、生命(いのち)が有する記憶の仕組みで感知できる時間は、『幻影』かもしれない。

8ヶ月前 No.768

ハンドル ★PJlXBtax92_mgE

>>768 の改訂版

時間とは記憶の仕組みを有する生物が、在ると感知できる感覚ではないのか。生命(いのち)の死によって、記憶の仕組みも無くなり、時間を感知することができなくなる。記憶の仕組みがあって初めて、時間を感知することができる。記憶の仕組みにより、現在から過去を想像することができ、時間が在ると感知できる。一瞬一瞬で生きることは、刻々と変化する時間そのモノとなり、時間を感知することはないであろう。死という生物としての物体の崩壊によって、生命(いのち)が無くなれば、記憶の仕組みも無くなり、時間を感知することはできなくなる。

生命(いのち)のない物質だけの世界では、物質は刻々と変化し、過去が現在に内包されてゆく。過去は、現在と一体のモノとなる。物質だけの世界では、過去と現在を比較する記憶の仕組みを有し時間を感知できるモノが存在しない。しかし、物質がある限り、時間は存在するはずだ。時間は刻々と変化するモノだ。たとえ、生命(いのち)が記憶の仕組みを有していても、時間が「今」の瞬間のみのモノであるならば、過去は現在と一体である現在に内包されたモノだから、過去はもはや存在しないことになる。

記憶の仕組みを有する生命(いのち)が感知する時間は、『幻想』かもしれない。

生命現象は生命(いのち)の発生とともに生じ、生命(いのち)の死とともに消滅する。同様に、時間現象は物質の生成とともに生じ、物質の消滅とともに無くなる。何を持って生命(いのち)とするのか。何を持って物質とするのか。両者ともに不明である。しかし、生命(いのち)も時間も現象という意味においては同じであろう。物質の存在とともに生じる時間は、生命(いのち)を内包している。

8ヶ月前 No.769

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_A7b

「祈りは時間の中になく、祈りの中に時間がある。犠牲は空間の中になく、犠牲の中に空間がある」
(M・ブーバー『我と汝・対話』(植田重雄訳)、岩波書店、1979年、pp.15-16)

8ヶ月前 No.770

宿題 ★5z6bVAmgS3_BXv

時間は生きてきた長さに比例します・・

長く生きれば生きるほど速く時間が過ぎます・・

小学生でも習いますよ。

道のり÷時間=速さ

生きてきた時間の長さ÷普通の一定の時間=生きていく速さ

8ヶ月前 No.771

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

某法律のできる相談所の元司会者がいうには、時間が過ぎるのを速く感じるようになるのは既知のことが増えるからだそうです。つまり、経験を積んできた分大体のことがわかるようになったということですね。

7ヶ月前 No.772

ハンドル ★USOxj9mhCc_mgE

>>769 の訂正。

文章の中程の終わりの部分。

>・・過去は現在と一体である現在に内包されたモノだから、・・


・・過去は現在に内包されたモノだから、・・
に訂正します。

文章の最後の部分。
>何を持って生命(いのち)とするのか。何を持って物質とするのか。


上記文章の「持って」は誤字でした。正しくは、「以て」です。

7ヶ月前 No.773

宿題 ★hxYn2UbX46_BXv

ハンドルさん

時間も地球が軌道を正確に回っているので規則正しいです。

意志が自己意識を円環すれば自分の軌道を確保して自己から放り投げだされることは無いと思いませんか?

7ヶ月前 No.774

ハンドル ★fmlxftV1fu_mgE

☆ジャネーの法則☆
子供の頃の時間は長かったのに、大人になってからの時間はとても速く過ぎ去ってしまう」と感じている人が、多いのではないだろうか?
この原因について、一例をあげてみよう。10歳の子供の1年間は、10歳の年齢からすると、10分の1の長さである。一方、100歳の人の1年間は、100歳の年齢からすると、100分の1の長さでしかない。この比率が心理的な時間の評価になっていると主張するのが『ジャネーの法則』だ。

その他、新しい体験の量が時間を長くし、過去の体験と同じようなことが多いと、あとで回想しても記憶の量が実質的に少なくなり、時間を短く感じてしまう。

あるいは、心理的な時間と記憶との関連は、「海馬(脳の中で記憶の形成に関係する部位)の中を、どれだけ記憶すべき情報が通過していったかが、私たちが思い出す時間の長さを決めると指摘する人もいる。

7ヶ月前 No.775

ハンドル ★BxEdMYBRno_mgE

『月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして 行きかふ年も また旅人なり』

松尾芭蕉(奥の細道)より。

The moments and days are the travellers of eternity. The years that come and go are also voyagers.

7ヶ月前 No.776

宿題 ★hxYn2UbX46_BXv

ハンドルさん

時は金なり・・しかし光陰矢の如し・・

お金より時間が大切だと思います・・

余計なお金のために時間を失っていると思います。

7ヶ月前 No.777

ハンドル ★10xIjM27lV_mgE

>>777 宿題さん。

ブラボー ブラボー フィバー。ボナンザ。大当たりの番号ですね。

7ヶ月前 No.778

宿題 ★hxYn2UbX46_08J

ハンドルさん

気付きませんでした・・

ここで幸運を使い果たすわけにはいきません・・

天国も地獄も見ないで淡々と・・

7ヶ月前 No.779

ハンドル ★10xIjM27lV_mgE

>>779 宿題さん。

Time is money.

7ヶ月前 No.780

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

 時間にとって本質的なのは「待つこと」である。もしもこの「待つこと」に欠いて時間を捉えるならば、それはベルグソンの言う持続に欠いており、空間的なイメージのもとで時間を捉えていることになるだろう。「待つこと」は空間的なイメージ、すなわち数直線上で表されるような時間のイメージには還元されない。そこには人の生きた営みがある。一方で空間的なイメージのもとで捉えられた時間から、人の生きた営みが見い出されることはないだろう。「待つこと」を本質とする時間は「生きた時間」とでも呼べるものである。そしてこの「生きた時間」から見れば、空間的なイメージで捉えられた時間は、「死せる時間」とでも呼べるものだろう。
 時間にとって本質的なのは「待つこと」である。すべては一挙に与えられない。人間的な真理にはつねにドラマが伴う。無機質な流れをベースに多様なものがつけ加わるのではない。あたかも劇のように、多様なものが場面を展開していく、その営みそのものが時間なのである。だから時間には独特な緊張と弛緩が伴う。

6ヶ月前 No.781

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

時間の本質を待つことと言われたが、私には分かりません。私は途切れなく経過し続けることだと思うの

ですが?時間には過去現在未来がありますが、私は時間には自由があるではないかと思っています。

6ヶ月前 No.782

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

 時間は無感動な現在の堆積ではない。したがってつねに、過去現在未来と数直線上に投影できるイメージのように流れるとはかぎらない。「待つこと」とは可能的なものが現実に到来するまでの「間がある」ということである。

6ヶ月前 No.783

うさぎ ★NV90AsC0hA_UHY

数直線上・・・限らない。  到来するまでの間がある・・・。  面白い見解ですよね

でも、それは理解できます。私は他に「自由の定義」というものを時間に求めたわけです。

私は時間というものを「流れつつある」ものと理解しています。

6ヶ月前 No.784

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

 自由には有限なものと無限なものがある。有限な自由とは社会的なものであり、ある一定の制約のもとで自由であることを意味する。一方で無限な自由とは無差別なものであり、何らの制約も受けることなく好き放題に自由であることを意味する。この二つの自由の差異は、たとえば、目の前にいくつかの選択肢がある場合に顕著となる。有限な自由とは、選ぶ自由であり、同時にそれは他のものを選ばないという自由である。だからそこには責めが伴いうる。「なぜあのとき、私は他のものを選ばなかったのか」という責めが伴いうるのである。一方で無限な自由とは、どの選択肢も根こそぎ選びうるという自由であり、そこには他のものを選ばなかった責めなど存しないことになる。
 有限な自由は責めを伴いうるかぎり、それは自由の主体である私を唯一性、すなわち「かけがえのないもの」として目覚めさせうるものである。なぜなら、私に対し代えが効くのなら、私は何も責めを負う必要などないからである。その意味で責めとは、私が私から逃れられないことにもとづいている。この逃れられなさが唯一性を構成することになる。
 一方で無限な自由の主体は、このような唯一性に欠くかぎりで、まったく宙に浮いて孤立した、抽象の産物にすぎないことになる。つまり、無限な自由の主体である私は、代えの効くものであるということになる。このとき私を私たらしめる唯一の契機は、欲求であり、しかもそれは一般的な欲求である。無差別に選択しうる自由のもとで、欲求は無限に高まることになる。なぜなら、欲求が欠如にもとづくものであるかぎり、この無限な自由の主体である私には、代えが効くという意味で、全否定が適用可能であるので、全面的な欠如が私に属しうることになるからである。この全面的な欠如によって、欲求は他ならぬ自分自身を穿ち深めることになる。

 時間を「待つこと」として捉えるとき、その待っている間が、他ならない責めのための時間へと転じうる。言いかえれば、可能的なものが現実化するまでの間が、責めへと転じうるための時間として与えられる。もしも仮に、この「待つこと」を無視して時間を捉えれば、責めへと転じうるための時間があらかじめ排除されることになり、残るのはただ、無限な自由の主体、すなわち代えの効く抽象の産物としての主体による、無差別な根こそぎの選択のみであることになる。この根こそぎの選択は「今」の連続として現象することになる。すなわち何かを待ちわびる未来や悔いる過去が現象しないのである。それによって、未来や過去が本質的には現在と等質なものとなり、待ちわびることや悔いることとしての現象が単調な流れに還元され、挙句の果てに、そのような実存範疇は記述の対象にならないとまで主張されるに至ることになる。

 問題は時間が現象に付随するものにすぎないのか、あるいは時間とはあらゆる現象の根底に位置し、それを現象たらしめるものなのか、ということである。前者の、時間が現象にとって付随的なものにすぎない、という立場に立てば、「待つこと」という現象は、時間によらずとも、他の概念の助けを借りて、十分に記述することができるだろう。しかし、この「待つこと」を他ならない時間の範疇と捉えるならば、これを記述するには、単調な流れとしての時間、数直線上に還元しうる時間というイメージを破棄しなければならない。つまり等質な空間上に時間のイメージを布置するのではなく、私たちの生きた営みにおける歪な場に時間のイメージを布置し直さなければならないのである。
 自由にとって時間が問題であるのは、時間が自由を与える間だからである。言いかえれば、「時間がある」、つまり時間が残されていることにおいてはじめて、自由が主題として浮上してくるからである。さらに問題なのは、この自由の名のもとで、本来なら自由の前提にあるはずの時間が新たに、空間的なイメージに布置され直されるということである。時間の本質に「待つこと」があると主張することは、この時間を新たに空間的な、つまりは数直線上のイメージに抽象化し直す試みが、行き過ぎた抽象化ではないかと疑義を唱えることに等しい。この時間の平板化によって、たとえば希望といった躍動感のある現象までもが平板化されてしまい、人間的なものが経済的なものにまで還元されてしまうのではないか。というのも、人間的なものは希望にもとづいているからであり、逆に平板化された経済的なものは、ひたすら欲求にもとづいて自らの「領土」を拡張していくことに本旨があるからである。

6ヶ月前 No.785

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_GKj

時間も空間も人間も「間」なんだよな。

間、つまりはスペースなんだよな。

スペースであるかぎり、何かとの間隔なんだよな。

その空隙を満たすものはいろいろあるけれど、

その実態は空隙なんだよな。

5ヶ月前 No.786

宿題 ★hxYn2UbX46_a2e

今日のニュースです・・

アインシュタインは、音波の波長が伸び縮みすることで通過する列車の音の高さが変化するように聞こえるのと同様に、

大きな重力によって光の波長が伸びる可能性があると予測していた。


今回の実験で・・これが正しいらしい・・

時間の伸び縮み?

5ヶ月前 No.787

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_kE1

「時間がある」とは、意識がある、ということであり、まだ消失すべき自己が残っている、ということではないだろうか。

このように考えると、ぼくの時間観では、時間は円を描いていることになる。時間は自己の消失への気づきへ向かって、様々な人生経験をつうじて流れ、ある地点で「得体のしれない何か」との和解、すなわち自己の消失へと至る。でもまた、その無になる瞬間から、迷いや願望が生じ、ふたたび人生が始まる……

今ぼくはこの固定観念に縛られています。

レヴィナス『全体性と無限』の一節にこうあります。

>知の最終的な意味は、<他者>の現前をまえにして自己を問いなおすことであり、自己以前へと回帰することなのである。

この一節が好きです。

2ヶ月前 No.788

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間⇒意識    他者の現前⇒自己  本当にその通りだと思います。時間とは公共的なる同時性であり

みんなに公平なものだと常識では思われている。「今何時?」と「腕・柱時計」が時間のすべてであると・・・

A点からB点へと移動します、点から点ですね。その間はどうなっているのでしょうか?人それぞれ?

5千億人いたら5千億通りの時間感覚??

27日前 No.789

久住哲 @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

http://mb2.jp/_tetsugaku/971.html-369#a

zeitlichという言葉は宗教的な意味で用いられることがある。vergaenglichとかirdischという意味で使われる。すなわち、儚いとか、地上的とか、そういうこと。

これの反対はewigかと思われる。これはunvergaenglichとかzeitlich unendlichとかの意味で使われる。すなわち、永遠とか、無限とか、終わりがないということ。

逆に、zeitlichということはendlichということであり、すなわち有限だということだ。いずれ終わってしまう儚いものが、「時間的なもの」だということ。いずれ死ぬ人間というものは、儚く有限で虚しい時間的な存在者だ。

ところで、儚いとはどういうことか?

それは、まず、積み上げてきたものが無意味になる可能性に晒されているということだ。シンプルに考えると、いくらお金を貯めても死ねば使えない。お金を積み上げることで、どんどん生活の確固さは増してゆくが、死はそれを台無しにする。常にそういう無価値化の可能性があるということ、これが一種の儚さであり、虚しさでもある。

そう考えたとき、お金を積み上げてなにになるだろうと虚しくなることがあるかもしれない。(知識を積み上げてなにになるだろうと思うこともあるだろう。)このとき、この言葉は、なんらかの結果を気にしている。そして、この結果が、無であろうと思ってしまっている。すなわち、どう転んでも結局は、死。どうせ全ては自分から失われる。それなら最初から、全ては無いのと同じではないか。このような、果(はか)の無さが、「はかなさ」である。

いずれ俺は死ぬ。これは俺を鬱にする。

しかし喜びのとき、俺は「もう死んでもいい」と思う。

死んだら、俺の積み上げてきたものが無になる。少なくとも俺にとって全て失われることになる。けど、もう死んでもいい。ということは、俺の積み上げの結果が出たということだ。もう頂点に達したので、終わってもいい、死んでもいい。これから死んでも、無価値になり下がるものがもはや無い。ある意味で、それらはもう価値を発揮し切ってしまった。

ところで、その頂点というのは何なのか?

それは、これまで積み上げてきたものが、その瞬間のためにあったのだというように思えるような、瞬間のことだ。その瞬間が、自らの既往に意味を付与する。そのようにして、過去は救われる。

そして、俺たちは、積み上げてきたものの上で生きている。(自分が積み上げたものなどわずかだ。先人たちの積み上げてきたものは、その真価を忘れられながらも、俺たちを支えている。)それらの意義が回復されることになる。

どうして「いずれ死ぬ」と思うと気持ちが落ち込むのに「もう死んでもいい」という境地のとき人は明るくなるのか。

まだ死んでないけどいずれ死ぬと思うと暗くなるのは、なぜ積み上げるのか、その理由がよく分かってないからだ。虚しく積み上げているわけだ。もしも、積み上げる理由がしっかりとあれば、その営為は虚しくないだろう。ただし、理由があるならば、その積み上げの価値は有限だろう。

無限の価値を求めるとき、人は虚しくなる。

21日前 No.790

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>790  人は御金を持っては死ねない。老化して呆けて、入院する事になったら、入院費に御金が必要になるだけで、もう好きには使えない。やがて延命治療に御金が必要になるだけである。それよりも多く貯蓄しているのならば、それは恐らく、大きな地震で建物が壊れた時に、建て直すための、予備費であったのであろう。堅実な人はそこまで責任を感じて貯蓄している。そうして使わずに済んだ御金は、子供や後進に引き継がれたら良いと思って亡くなって行く。
 そんな節約家の老人に言いたい。少しは御金を使いなさい。好きな美味しい物でも食べなさい。御寺参りや観光にでも行きなさい。年寄り同士で心配なら、若い人に御金を少し御金をあげて連れて行ってもらいなさい。好きな趣味や分野の本でも買いなさい。冥途の土産になりますよ。せっかくの老後ですから、楽しんで死になさい。散歩しなさい、お風呂に入りなさい、喫茶店巡りでもしなさい、冬はエアコンが要らないくらい温かい軽い服を買いなさい、夏は庭いじりをしなさい。
 もっともっと一緒に、御寺参りや観光や食事に行きたかったね、お母さん。

21日前 No.791

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>790  戦争時代を生き残って来た、老人には、贅沢が敵なのである。そのつらい時間を生きて来た人間にとっては、そうなのである、基本的な精神構造が違うのだ。

21日前 No.792

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間とはなにか? 多くの人々が議論してきた問題ですが、わたしは時間とは「私が見ることである」という以外に

ないです。つまり視覚とか視像ですね、目・眼といってもいいと思います。これは「時間とは存在である」にも

つながっていくと思います。私が見る存在は1秒を無限に二分する時間が流れていると思っています。

そのような細かい時間がわたしの前に展開しているのです。ゆえに、「時間とは眼である」ということです。

15日前 No.793

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

時間・・・

大自然・・・宇宙に流れる時があるのかもしれません。

それとは別に個人個人が感じ取る時間。
だから、時の流れに遅速を感じるのかもしれません。

生きてる人の中に流れる時間。死んだら時が止まるのか?
いや、死んであの世に逝ったら時間はあの世の時を感じ取るかも。

あの世の時がどう流れているのか。
よく予言をする人がいますが、あの世の時の流れを見てるのかもしれません。

この世ではどうあがいても未来は未だ来ないし、過去は過ぎ去ったものですから。

あの世の時の流れ・・・どう感じれるんだろう。
あの世が時間をストップしてしまったら・・・この世の時も止まるかな。
あの世の時・・・どうやって進んでるんだろう。

それが分からないとこの世の時の流れも分からないかも?

15日前 No.794

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

時間を論ずる場合、普通は未来・過去・今 が話題になる場合が多い。今とは現在である。
そのうちでは今が一番大切であるのではと思う。今というのは、その同時性から無限に
あるわけであるが、「私の今」は唯一ひとつである。ゆえに独今論として重要といえるのでは?

12日前 No.795

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

*過去や未来を変えれる存在があったら、
*この世は何度も作り直される?
*最後の審判というものがあったら・・・
*今日まで何度も変えられてきた時間、
*それが最後の今を動かしてるのかも。。。
*デジャビュ・・・何度目かの時だからあるのかもしれません。

12日前 No.796

うさぎ ★0jAAcdRpFv_UHY

今・ここ・我  が実存と言われている。「今」はみんなに与えられるが、「ここ」は我(私)のみの観念である。
結局は、わたしとか我というのは「ここ」にあって未来とか過去にあるのではない。

今というのは時間ではあるが、ここは私なのである。

12日前 No.797

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

過去・いま・未来

時は流れてゆく
今は過去へ過ぎ去り
今は未来から来ようとしてる
それは止まることのない時間

時の継ぎ目を感じることなく過ぎてゆく
映画などのフィルムは1コマ1コマ枠が在る
枠は越えられない

この三次元と思ってる現在・・・
場所によって異次元空間(霊界)なのかも
個人も異次元空間を宿してる

そして類は友を呼ぶで、人が場所に吸い寄せられるかな
場所に興味を持ったりする
そして時に流されていく、その場所の持つ時間に・・・
発展してるところは速度が速い、暇な場所は速度が遅い。

有意義な時間、無意味な時間。
人を呼んだ場所は、呼ばれた人の向上に左右される。
その場の霊界を越えるのは不可能かも知れないが・・・
その場の霊界の遅速が変わるほど、変えられたらすごいだろう。

今までそんな事があっただろうか・・・
これからはそんな世の中になるのかも。
なるだけ良い場所に存在できるようにしなきゃ。
それには心(魂)を綺麗にしなければ。。。

11日前 No.798

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

小学生でも知っていると思います・・時間はかんかく・・

道のり÷速さ=時間

たったこれだけのことです・・

11日前 No.799

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

宿題さん

確かに速度も時間も距離もお互いで表せられる。

時間を速く感じたり、遅く感じたりするのを形で表せられたら凄いですよね。

11日前 No.800

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

基準を持たずに仕事を判断することは・・時計を持たずに時間を判断することらしい・・

同じ時間なのに長く感じる人は退屈している。短く感じる人は時間の経つのさえ忘れている・・

10日前 No.801

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

自分は時計を持たずに時間を判断するのは苦手だなぁ。
時を身につけなきゃ?時計を持ってても、次にする事を忘れるぐらい熱中してしまいます。
「あ、時間過ぎちゃった」って感じです。

体内時計が働かないのかも知れない。どうすればいいんだろう。

10日前 No.802

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

悟性の範囲なので・・それほど気にしなくても・・



広くは理解力を,より厳密には感覚および理性 ratioに対置された知的能力をさす。プラトン,アリストテレスでは,
上級な対象を直接的,直観的にとらえる知的能力ヌース nous; no□sisに対して,

より下級な推論を伴う間接的な認識能力ディアノイア dianoia; epist□m□が区別されているが,後者が悟性に相当する。

カントによれば悟性はカテゴリー (→範疇 ) によって感覚素材を再構成する機能とされ,

原理についての認識ではなく,推理過程の知的作用とされた。

10日前 No.803

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

ごめんなさい。ちょっと分かり辛かったです。
直感を知能的と体的なものに分けたんでしょうか?

自分は心的かな?なんて思います。心はどちらになるのでしょうか。

10日前 No.804

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

感性の定義は哲学的、心理学的にさまざまに行われている。認識論では悟性の対極にあって受動的な知覚を担うものであり、
また、人間的な理性よりも下位にあるために、より動物的なものだと論じられることもある。
近代ドイツの哲学者カントが『純粋理性批判』にて「悟性的な認識の基盤を構成する感覚的直感表象を受容する能力」と言ったが、
この場合の感性はより感覚に近い位置づけである。


デカルトは言います。
「正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識とか理性と呼ばれているものである」
「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」

人間の精神の中の知的能力の比較的上等な部分を「理性」と考えても間違いではないと思いますが、デカルトの言う「理性」は個人差なく普遍的な認識ができるもので、人間はこれを正しく使うことで世界の存在や構造を捉えることができるというものです。



心は精神と同じで身体の反対語です。

10日前 No.805

空の光 ★bOZaY9x47z_m9i

理性、感性、意欲

三つがバランス良く動けば神様に近づけるかも知れません。

自然も宇宙もバランスが保たれてこそ存在してる。

そんな中で、人間だけが偏るものだけで存在するはずはないかと。。。

バランスが保たれてないと、バランスを保つ為に何らかの動きがあるのではないかと思います。

10日前 No.806
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