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樹木 自然 

 ( 哲学掲示板 )
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人の成長する様は(心身両面) 樹木の成長する様に似たり 
と最近深く実感している。
四季おりおりの変化に従って 時にはグンと伸びたり 時にはゆっくり伸びる。
そして冬が来れば 成長を止めて耐え忍ぶ。種を蒔き またそれを刈る。
その成長というプロセスは生命全体の底に流れる統一性であるような気がしている。
自然であるとは? 成長するとは?
自然と自身の成長を関係させて考えていきたい。

2006/06/14 01:05 No.0
ページ: 1

 
 

蜘蛛

自然であるの自然は、大自然の自然では無いと思うのですが。

2006/06/14 18:16 No.1

確かに違いますけどつながっている事柄だと思います。
自分自体、人間自体がもともとは自然の代物なのです。

2006/06/14 21:10 No.2

蜘蛛

なるほど。

僕の考えは、自然であるっていうのは、あるがままといか、意識せずにしっくりと来るようにしていること、というような感じかな。
だから、自然であるっていうのは、何に対して自然であるのか?という話になってくると思うのですよ。
自分の気持ちに対して、エゴに対して、環境に対して、現代社会に対して。
色んな自然であるあり方があると思いますよ。
なので、時には自然環境に逆らう事が自然である場合なんかもありえると思うのですよ。

2006/06/14 22:05 No.3

なるほど、、
 設定範囲によって自然な選択というものが異なってくるということですね。しかし自然環境に逆らっているとしっぺ返しが来るということは人類は経験済みなわけです。(というか僕も経験済みです。いろんな面で。

2006/06/14 23:09 No.4

蜘蛛

>しっぺ返しが

論点がずれてるから(苦笑)
んでも、来るなら来てもいいんじゃない?と思うけれど。
それでどうにかなるような人類なら、そこまでだっただけの話でしょう。

2006/06/14 23:51 No.5

でも夏が今までよりメチャ暑かったり 気象が不安定だったり
排気ガスのせいでアレルギーになったりするのは嫌でしょう?
 っていうか論点ずれてますね。

2006/06/15 00:05 No.6

蜘蛛

はい、論点ずれてます。

>嫌でしょう?
なるもんは仕方ないし、たとえなるとしても文明の利器を選ぶかな。

2006/06/15 18:16 No.7

とりあえず論点戻します…
 つまり自然界の成長のプロセスが人間の心の成長のプロセスに合致している(完全にではないですが)と感じるのです。
「あいつはまだ青い。」とか「青春」とか「芽を伸ばす」とか、人の心を自然界に例えることはよくあり。またそれを聞いて納得したりします。
あらゆる事象、生物の形は違えどその根底に流れる性質には統一性があるのではないかと考えます。 肉体と心の間も然りです。
  

2006/06/15 21:44 No.8

蜘蛛

心の成長って、植物みたく成長する方向性が一定方向じゃないでしょう。

植物なら、種→芽→花→実というような方向性がありますよね。
んでも心なんかはそうじゃなくてありとあらゆる方向に成長するし、他人から見てのと自分視点でののように視点次第で成長、停滞、退行の判断は分かれると思うのです。

2006/06/15 22:46 No.9

しかし心の一面 一部分に限定した時にはそこに一定の方向性を見いだすことができるのではないでしょうか?
例えば、ある時突然学問に興味を持った(種)そして猛烈に勉強をやりだした(芽が伸びる)論文が認められた(花)という感じです。

こういう考え方を持つようになったきっかけとしいうのは細木数子の六星占術(抵抗のある人もいるかもしれませんが…)を勉強してからなんですけど、、
運命の周期というのがあって 種子 緑生 立花 健弱 達成 乱気 再会 財成 安定 陰影 停止 減退 という12の繰り返しで運命が成り立っているということです。そして自分の過去の歴史を振り返って整理してみるとまさに合致していたし、そのことを知ってから12周期に注意しながら生活してみるとまさに一致しているのを感じました。種子の時に何か始めたい衝動にかられていたり、立花の時に自分にとって奇跡的なことが起こったり、停止の時は最悪な心象風景。まあこのことに関しては流してもらっても構いませんが…

2006/06/15 23:08 No.10

蜘蛛

その例、心の成長の例じゃない気がするのですが。
なんだろ、行動の流れ?
そんな感じの事柄の例ですよね。

2006/06/15 23:33 No.11

表面的にはそうですけどやはりひとつの心の成長というか学問の面での成長だと思いますよ。
では別の例えを言うと。。。
弟が生まれて兄貴になったそして兄貴であることを意識し始めた(種子)
積極的に弟の面倒を見るようになった(緑生)
弟がなついて更に兄貴としての喜びを感じるようになる(立花)
  いろいろ例えは出てきますけど結局言いたいのはその行動の背景にあるエネルギー(心、意識)なんですね。嫌々学問をやったって成果なんて出ないわけですし

2006/06/16 00:39 No.12

ブレネリ

人間の成長する様を、自然と関連付けて捉える洋さんの考え方に深く共鳴するなあ。特に、人の心を自然界に例える観点は重要だと思う。
「いい先生って」のスレで述べた私見を以下に。参考になれば。


いい先生...。それは大自然のなかにある。
問い、も、答え、も、その中にある。
にも拘らず、問い、を決して押し付けず、
自分からそれを見つけるように促し、
常に、ふさわしい答えを用意する。
もちろん、「勉強しろ」とは決して言わないので、
個は自由に学び始める。



私は、良い意味のこういうナチュラリスト志向を今こそ、
子育てや学校教育にも取り入れるべきだと思うね。

2006/06/16 01:01 No.13

僕も子育てや学校教育に取り入れるべきだと思います。
 自然を大事にする心というのは 我を無くす効果もあるし。
無意識っていうのもある意味自然だと思うんですね。普段は意識の中で考えている自分だけが自分だ というような錯覚を起こしているんですけど実は自分を構成するほとんどが無意識なわけで、意識(考えてる自分)というのは表面のほんのちょっとですから。それだけを大事にしているとどんどんおかしくなってくる。
植物などの自然界を大事にするという心構えはそういう自分の中にある知られない自分(無意識)を大事にすることにつながると思うんです。その知られない自分(無意識)を大事にすることは他者を大事にすることにもつながると思うのです。

2006/06/16 01:16 No.14

実際に使われている表現の例えの続き…
「この問題は根が深い」「お前がまいた種だろ!」「役者として花開かせる」「性根が悪い」「実を結ぶ」

2006/06/16 23:02 No.15

蜘蛛

>弟が生まれて兄貴になったそして兄貴であることを意識し始めた(種子)
積極的に弟の面倒を見るようになった(緑生)
弟がなついて更に兄貴としての喜びを感じるようになる(立花)

弟が生まれて兄貴になった
そして兄貴であることを意識し始めた
積極的に弟の面倒を見るようになった
懐いてくる弟がうざくなってきた
弟のことが嫌いな自分に気がついた
弟を憎むようになった
弟と離れる為に家を出た

例えばこういうことも成長かと。
種→芽→花のように特定方向へと成長する植物と、多種多様に成長する人の心。
それが違いですかね。

2006/06/16 23:43 No.16

英斗

面白いですね。

2006/06/17 00:09 No.17

そうですね。それも成長だと思います。
(その場合は茎のどこかの部分に邪なものが入ったのだと僕は考えます。実際の樹木だって成長の途中で汚染物質が混入すれば病んだまま成長してしまいます。未成長の樹木に針金を巻いたままにしておくと成長とともに食い込んでしまってこれもその先いびつな成長をしてしまいます。)
ただ、人の場合はその時点では成長なんだか退行なんだか分からないから困りものです。

2006/06/17 00:44 No.18

蜘蛛

退行はね。
今まで進んでいた方向とは逆方向に成長することだと僕は考えるのですよ。

2006/06/17 00:46 No.19

価値観がひっくりかえるということでしょうか?

2006/06/17 00:48 No.20

蜘蛛

いや、単純に成長する方向性がそれまでと違うということ。
そしてそういう風に成長する事もあるということを含めて、植物との違いの多種多様に成長するということです。
価値観がひっくり返る云々はあまり関係ないかな。

2006/06/17 00:56 No.21

いろんなモノサシがあるってことですかね

2006/06/17 01:05 No.22

蜘蛛

右折左折Uターンに近道遠回り。
下道高速、バイパス、フェリー。
色んな道があるって事です。

2006/06/17 01:09 No.23

(全てに通ずる絶対的なモノサシが欲しいものです。全ての裏側で全てを統率しているモノサシがあると信じたい。)
ちなみに蜘蛛さんはどうなれば成長だと考えますか?
どこに向かうことがほんとうの成長だと考えますか?(また脱線の予感…)

2006/06/17 01:20 No.24

蜘蛛

ほんとうの成長ってのはよく分からないかな。
概念がって話ですが。

なんだろう。
今までの自分と変わっているのであればそれは何らかの成長があったって事じゃないですか。

2006/06/17 01:22 No.25

退行である可能性はないですか?

2006/06/17 01:28 No.26

蜘蛛

んだから、退行もまた成長であると。

2006/06/17 02:19 No.27

失敬 そうでしたね

2006/06/17 09:08 No.28

最近思ったことですが、
生命とは元素が運動する組織ではないかと思います。その運動する組織が発達すれば成長なわけです。(石ころと植物の違いはなんでしょうか?それはその組織が運動しているかどうかです。)
樹木でいえば 大木となるとめの情報と意図をはらんだ種が栄養のある土に落とされ、土の養分、水分、を吸収し、太陽光を吸収するシステムを構築していきます。その芽となった組織は更に大きな組織へと発達し…etc
 つまり弟の例でいくと、自分という大地(意識)に「兄貴である」という自覚という種がまかれ、その種が成長し兄貴としてふさわしい反応をするような脳の神経ネットワークが組織化されて、兄貴らしくなっていく。そして弟から好かれる、あるいは弟から嫌われる、という実を刈り取る。
あるいは親に褒められるという実を刈り取るかもしくは叱られるという実を刈り取る。

2006/06/17 21:58 No.29

最近思ったことですが、
物事を続ける、上達させる。というのもやはり植物的な感じだと思います。
挫折というのはその茎が折れること。自分の中ではそういうイメージがだんだん具体化されています。「ああ、今は伸びてるな」「今、種をまいた」みたいな感じ。でも種を掘り返したらだめなんだな。伸びてる芽に対してもいろいろいじくったりしないほうがいい。全部勝手に進んでくれるんだから。

2006/06/23 03:47 No.30
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