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心は物理法則に従わない?No.0 だけを表示しています。

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

 物理法則は「局所的」であるのに対し、心理法則の方は「非局所的」だという本質的な違いが有ります。それなのに、《心・脳同一説》(心は脳の機能である)を正しいと仮定すると、深刻なパラドックスが生じ、自分が心を持つのかどうか、自分でも判断できなくなることが導かれます。なお、ここでいう「心」とは、「心を持つかのような機能・行動」ではなく、「主観的体験」「クオリア」を意味します。

    物理法則は「局所的」
 脳Bは物質であり、物理法則に従うと思われますが、物理法則を一言でいうと「局所的」です。物質は小さく分解していくと分子・原子・素粒子になり、これらの粒子が相互作用する時は、光速以下で移動し、距離0まで接近してぶつかったときに初めて影響を及ぼし合うことになります。ぶつからない粒子からは、何も影響を受けない訳です。ニュートンは重力を、距離が離れている2個の物体間で距離の2乗に反比例する遠隔作用だと理解していたようですが、相対性理論によるとそうではありません。重力は重力子という素粒子が、電磁気力は光子という素粒子が、やはり距離0まで接近して吸収・放出されることで初めて起きる近接作用だと見なされます。

    心理法則は「非局所的」
 一方、この脳Bに発生すると考えられている心Mが従う心理法則の方は「非局所的」です。脳Bは約10^27個くらいの素粒子B1、B2、B3、…、Bn(nは約10^27)で構成されていますが、それに随伴する心Mの方は、B1だけに随伴するM1、B2だけに随伴するM2、B3だけに随伴するM3、…、Bnだけに随伴するMnの独立した総和ではありません。いわばそれらM1、M2、M3、…、Mnが融合して複雑な1つの固まりのような心Mとなり、B全体に随伴する、という状態になっているようです。

    左脳B1と右脳B2とにまたがる心M
 「局所的」な物理法則と「非局所的」な心理法則。このギャップを突いたのが、「右脳不在のパラドックス」です。→ http://mb2.jp/_tetsugaku/843.html-5#a。自分の脳をB、左脳をB1、右脳をB2とします。B1とB2とが接続されたB=B1+B2という正常な状態において、自分の左腕に針を刺すと、自分の心MはB2で左腕の痛みを感じつつ、B1で「左腕が痛い」と言語表現できます。つまり、B=B1+B2全体に、心M=「右脳B2で左腕の痛みを感じつつ、左脳B1で「左腕が痛い」と言語表現している心」が随伴することになります。

    右脳不在のパラドックス
 ここで、奇妙な操作を考えます。B=B1+B2から右脳B2を切り捨て、それを人工的装置D1で置き換え、B1+D1という状態にします。もはやB2は存在しないのですが、B2が左腕の痛みを訴えていたときと全く同じニセ情報を、D1からB1に送り込んでやります。するとB1は、B2がD1に置き換えられていることなど知り得ず、「左腕が痛い」と言語表現してしまうことになります。これが「右脳不在のパラドックス」です。もはや自分の心Mは、左腕の痛みなど感じていないはずなのに、左脳B1が「局所的」な物理法則に従っていると考える限り、それに気付けず「左腕が痛い」と言語表現してしまうことになるのです。

    自分でMとM’の違いが判らない?
 しかもこのパラドックスは深刻です。B1+D1という特殊な状態ではなく、正常な脳B=B1+B2という状態で左腕に針を刺され、「左腕が痛い」と言語表現しているときでさえ、本当に自分の心は、M=「右脳B2で左腕の痛みを感じつつ、左脳B1で「左腕が痛い」と言語表現している心」なのかどうか、判らなくなるのです。もしかしたら、正常なB=B1+B2の場合でさえ、自分の心はM’=「左脳B1だけに随伴し、右脳B2で左腕の痛みなど感じていないのに、感じていると錯覚して「左腕が痛い」と言語表現している心」ではないのでしょうか? 「いや、自分の心はMであって、M’なんかじゃない。自分の心だもん、そのくらい確実に違いが判るよ」と主張したいところでしょう。しかし、こう言われる可能性が有ります。→「はい、残念でした。貴方は自分がB=B1+B2状態だと思い込んでおられるようですが、実は貴方が眠っておられる間にB1+D1に変えておきました。すでにB1+D1の状態なのだから、Mであるはずが無いのですよ。ほら。」…そして証拠を見せられ、愕然とするかもしれません。

    あらゆる主観的体験も錯覚?
 さらにこれは、左腕の痛みだけでなく、他の体験にも適用できます。「自分は今、テレビの映像が見えていると思い込んでいるけれども、本当は見えておらず、見えていると錯覚しているだけではないのか?」「自分は今、美味しいラーメンを食べていると思い込んでいるけれども、本当は食べておらず、食べていると錯覚しているだけではないのか?」…等々。こうして、自分の心が本当に存在しているのかどうか、自分でも判断できなくなってしまうのです。デカルトが主張していた「我思う、ゆえに我あり」さえ疑問が生じます。

    解決策は?
 問題は、どこに有るのでしょう? 心は錯覚であり、本当は存在しないのでしょうか? 心は霊魂の機能であり、「左腕が痛い」と言語表現するとき、霊魂が脳に物理的作用を及ぼしているため、脳は物理法則に従っていないのでしょうか? そもそも、物質世界の方が実在しておらず、心だけが唯一の実在であり、いわば自分が見ている夢の中で、特定の物理法則が成立しているかのように錯覚しているだけなのでしょうか?

2019/09/19 09:19 No.0

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