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心は物理法則に従わない?

 ( 哲学掲示板 )
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SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

 物理法則は「局所的」であるのに対し、心理法則の方は「非局所的」だという本質的な違いが有ります。それなのに、《心・脳同一説》(心は脳の機能である)を正しいと仮定すると、深刻なパラドックスが生じ、自分が心を持つのかどうか、自分でも判断できなくなることが導かれます。なお、ここでいう「心」とは、「心を持つかのような機能・行動」ではなく、「主観的体験」「クオリア」を意味します。

    物理法則は「局所的」
 脳Bは物質であり、物理法則に従うと思われますが、物理法則を一言でいうと「局所的」です。物質は小さく分解していくと分子・原子・素粒子になり、これらの粒子が相互作用する時は、光速以下で移動し、距離0まで接近してぶつかったときに初めて影響を及ぼし合うことになります。ぶつからない粒子からは、何も影響を受けない訳です。ニュートンは重力を、距離が離れている2個の物体間で距離の2乗に反比例する遠隔作用だと理解していたようですが、相対性理論によるとそうではありません。重力は重力子という素粒子が、電磁気力は光子という素粒子が、やはり距離0まで接近して吸収・放出されることで初めて起きる近接作用だと見なされます。

    心理法則は「非局所的」
 一方、この脳Bに発生すると考えられている心Mが従う心理法則の方は「非局所的」です。脳Bは約10^27個くらいの素粒子B1、B2、B3、…、Bn(nは約10^27)で構成されていますが、それに随伴する心Mの方は、B1だけに随伴するM1、B2だけに随伴するM2、B3だけに随伴するM3、…、Bnだけに随伴するMnの独立した総和ではありません。いわばそれらM1、M2、M3、…、Mnが融合して複雑な1つの固まりのような心Mとなり、B全体に随伴する、という状態になっているようです。

    左脳B1と右脳B2とにまたがる心M
 「局所的」な物理法則と「非局所的」な心理法則。このギャップを突いたのが、「右脳不在のパラドックス」です。→ http://mb2.jp/_tetsugaku/843.html-5#a。自分の脳をB、左脳をB1、右脳をB2とします。B1とB2とが接続されたB=B1+B2という正常な状態において、自分の左腕に針を刺すと、自分の心MはB2で左腕の痛みを感じつつ、B1で「左腕が痛い」と言語表現できます。つまり、B=B1+B2全体に、心M=「右脳B2で左腕の痛みを感じつつ、左脳B1で「左腕が痛い」と言語表現している心」が随伴することになります。

    右脳不在のパラドックス
 ここで、奇妙な操作を考えます。B=B1+B2から右脳B2を切り捨て、それを人工的装置D1で置き換え、B1+D1という状態にします。もはやB2は存在しないのですが、B2が左腕の痛みを訴えていたときと全く同じニセ情報を、D1からB1に送り込んでやります。するとB1は、B2がD1に置き換えられていることなど知り得ず、「左腕が痛い」と言語表現してしまうことになります。これが「右脳不在のパラドックス」です。もはや自分の心Mは、左腕の痛みなど感じていないはずなのに、左脳B1が「局所的」な物理法則に従っていると考える限り、それに気付けず「左腕が痛い」と言語表現してしまうことになるのです。

    自分でMとM’の違いが判らない?
 しかもこのパラドックスは深刻です。B1+D1という特殊な状態ではなく、正常な脳B=B1+B2という状態で左腕に針を刺され、「左腕が痛い」と言語表現しているときでさえ、本当に自分の心は、M=「右脳B2で左腕の痛みを感じつつ、左脳B1で「左腕が痛い」と言語表現している心」なのかどうか、判らなくなるのです。もしかしたら、正常なB=B1+B2の場合でさえ、自分の心はM’=「左脳B1だけに随伴し、右脳B2で左腕の痛みなど感じていないのに、感じていると錯覚して「左腕が痛い」と言語表現している心」ではないのでしょうか? 「いや、自分の心はMであって、M’なんかじゃない。自分の心だもん、そのくらい確実に違いが判るよ」と主張したいところでしょう。しかし、こう言われる可能性が有ります。→「はい、残念でした。貴方は自分がB=B1+B2状態だと思い込んでおられるようですが、実は貴方が眠っておられる間にB1+D1に変えておきました。すでにB1+D1の状態なのだから、Mであるはずが無いのですよ。ほら。」…そして証拠を見せられ、愕然とするかもしれません。

    あらゆる主観的体験も錯覚?
 さらにこれは、左腕の痛みだけでなく、他の体験にも適用できます。「自分は今、テレビの映像が見えていると思い込んでいるけれども、本当は見えておらず、見えていると錯覚しているだけではないのか?」「自分は今、美味しいラーメンを食べていると思い込んでいるけれども、本当は食べておらず、食べていると錯覚しているだけではないのか?」…等々。こうして、自分の心が本当に存在しているのかどうか、自分でも判断できなくなってしまうのです。デカルトが主張していた「我思う、ゆえに我あり」さえ疑問が生じます。

    解決策は?
 問題は、どこに有るのでしょう? 心は錯覚であり、本当は存在しないのでしょうか? 心は霊魂の機能であり、「左腕が痛い」と言語表現するとき、霊魂が脳に物理的作用を及ぼしているため、脳は物理法則に従っていないのでしょうか? そもそも、物質世界の方が実在しておらず、心だけが唯一の実在であり、いわば自分が見ている夢の中で、特定の物理法則が成立しているかのように錯覚しているだけなのでしょうか?

メモ2019/10/05 20:31 : SumioBaba★A5wHmsjWwP_yoD

 SumioBabaがいう「心は物理法則に従わない」は、「心M(≠0)が発生している時の脳Bは、物理法則に従っていない」という意味であり、「心は物理法則で説明できない」という意味ではありませんので、誤解の無いよう注意して下さい。


 「心は物理法則で説明できない」だったら、今さら主張するまでもなく、とっくに周知となっている事実です。物理法則による因果関係を、「X(物理状態)→Y(物理状態)」のように書くと、「原因」Xも「結果」Yも、「心理状態」ではなく「物理状態」です。だから、脳Bのある「物理状態」を「原因」Xと見なし、それに物理法則を適用しても、「結果」Yとして導けるのは「物理状態」だけであり、なぜそこに「心理状態」(色・形、音、匂い、味、手触りなどの五感、喜怒哀楽の感情、時間感覚や空間感覚、…などの主観的体験・感覚質クオリア)が発生するのかを、物理法則は決して導けません。「物理状態」を「原因」Xとし、「心理状態」を「結果」Yとして導くためには、「X(物理状態)→Y(心理状態)」という形をした法則を新たに発見し、定式する必要が有ります。かつて大森荘蔵氏は、これを「キメラ法則」と呼びました。


 「心は物理法則で説明できない」だったら、誰もが受け入れると思われますが、これだけでは、「心も物理法則に従う」のか「心は物理法則に従わない」のか、どちらとも言えません。もし「心M(≠0)が発生している時の脳Bも、物理法則に従っている」であれば、「心も物理法則に従っている」になります。もし「心M(≠0)が発生している時の脳Bは、物理法則に従っていない」であれば、「心は物理法則に従っていない」になります。


以上(SumioBaba)

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SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    「客観的面」と「主観的面」の峻別

 アーノルド・ズボフの『ある脳の物語』による問題提起に対し、D・C・デネットが、編者短評で次のような疑問を示しているのですが、これが典型的な問題のすり替えなのです。

>たとえば、ある人がミケランジェロの「ダビデ像」と顕微鏡で調べても寸分たがわぬ(しかも大理石の)複製を自分の家にもっていると主張したとしよう。あなたがその大理石の像を見に行くと、二十フィート(約六メートル)の高さのほぼ直方体の白い大理石の塊が、彼のリビングルームに置かれているだけである。「僕はまだ中身を取り出す暇がなくてね」と彼は言う。「だけど、複製がその中にあるのは確かなんだよ」。//

>多分、書物などという代物はそもそも必要ないことを、ズボフと同じやり方で証明する議論を組み立ててみれば、彼の議論がばかげたものだということが納得されよう。すなわち、彼の伝でいくと、アルファベットの一式を一度だけ印刷すれば事足れりであり、書物の出版など一切無用ということにはなるまいか。いや、アルファベット一式だって印刷する必要があろうか。一字だけで、あるいは一字画だけで間に合うのでは。さらに、一つの点だけではどうだろう。//


 デネットが言いたいのは、こういう事です。《デネットの主張@》=「脳B全体の状態を見渡せるメタ立場の視点から見ると、「正常な脳Bの状態」と、「個々のニューロンB1-Bnに分解され、それぞれが人工的装置D1-Dnに接続された状態B1+D1、B2+D2、…、Bn+Dn」とは、明らかに異なる。正常な脳Bでは、全体に複雑・高度な情報処理機能が構成されているが、B1+D1、B2+D2、…、Bn+Dnでは、そのような情報処理機能は消滅しているのだから、両者を同一視することはできない。」これは、メタ立場に立った「客観的面」(心を持つかのように振る舞うための脳機能)についての話です。

 一方、ズボフが言っているのは、こういう意味です。《ズボフの主張@》=「個々のニューロンB1-Bnは、現在自分が「正常な脳Bの状態」に置かれているのか、それとも「個々のニューロンB1-Bnに分解され、それぞれが人工的装置D1-Dnに接続された状態B1+D1、B2+D2、…、Bn+Dn」なのかを識別できない。」つまり、ズボフは「主観的面」(主観的体験、感覚質クオリア)についての話をしているのです。

 どちらの主張も正しいのですが、ズボフは「主観的面」についての問題提起をし、デネットはそれを「客観的面」の話ですり替えてしまった訳です。「心・脳問題」についての混乱は、いつもこれら両面の混同から始まります。

 個々のニューロンB1-Bnが、正常な脳Bを構成しているのか、それともばらばらに分解されたB1+D1、B2+D2、…、Bn+Dnという状態にあるのかを識別できるのは、メタ立場の観測者だけであって、個々のB1-Bnはその違いを知り得ません。個々のB1-Bnの機能が時間的に「同調」しているのかどうかも、メタ立場の観測者が知り得るだけで、個々のB1-Bnは知る事ができません。個々のB1-Bnは、自分以外のn-1個が本当に存在しているのかどうかさえ知らないのです。

 ズボフの主張を言い換えると、こうなります。《ズボフの主張A》=「正常な脳→第1段階→第2段階→ … →第5段階、と変形させると、「客観的面」の機能の方は分解して消滅するが、「主観的面」の方は何も変わらない。」ズボフは、SF小説としての面白みを出すために、《ズボフの主張B》=「正常な脳では、全脳的経験が発生している。ゆえに、第5段階でも、全体に全脳的経験が発生する。」という常識外れな結論を出して見せています。正しくは、逆に推論すべきでしょう。《SumioBabaの主張@》=「第5段階では、全脳的経験など何も発生しない。第5段階→第4段階→ … →第1段階→正常な脳と変形する時、「客観的面」の方は高度な情報処理機能が発生するが、「主観的面」の方は何も変わらない。ゆえに、正常な脳でも、全脳的経験、すなわち「主観的面」としての心は何も発生しない。」です。個々のB1-Bnを時間・空間内に複雑に配置することで、個々の部分には無い高度な情報処理機能をB全体に構成することは可能ですが、それは「客観的面」だけの話。「主観的面」の方は、何も作り出せません。これが、ズボフの問題提起なのです。

 もちろん、[A]=「「非局所的相互作用」は存在しない。」、[B]=「非物質的実体「霊魂」は存在しない。」の2つを正しいと仮定した場合の話です。ズボフは、特に明記してはいませんが、この[A]と[B]が正しい事は、暗黙の前提にしているように思われます。

28日前 No.13

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

 「いいね(4)」有難うございます。これからも努力・精進を続けたいと思います。「なかなか面白い事が書いてあるじゃないか」と感じて下さった方は、ぜひこれからも押して下さい。有難うございました。

26日前 No.14

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

  >>7 に書いた「量子もつれ」について、もう少し詳しく考えてみます。

 まず、「量子もつれ」を考えず、ニュートン力学ふうに脳機能を考えてみます。左腕に針を刺されると、その刺激が光速以下の「局所的相互作用」で右脳B2に伝わり、B2a=「右脳が左腕の痛みを感じている状態」になります。そしてそれが光速以下の「局所的相互作用」で左脳B1に影響を及ぼし、B1a=「左脳が「左腕が痛い」と言語表現している状態」になります。
 この場合、右脳B2を切り捨てておきながら、人工的装置D1からニセ情報を左脳B1に送り込み、今でも右脳B2が左腕の痛みを感じているかのように左脳B1を騙すことで、左脳B1に「左腕が痛い」と言語表現させることが可能になってしまいます。

 そこで、「量子もつれ」を考慮します。これから自分は、左腕に針を刺されるか否かのどちらかを選ばれるとします。…、3、2、1、0、と秒読みがなされ、0のときにチクッと痛むか痛まないかのどちらかだとします。そして、「左腕が痛い」または「左腕は痛くない」と正しく答えようとしている状況だとしましょう。この時すでに、「「B1aかつB2a」または「B1bかつB2b」」という「量子もつれ」が生じていると考えるのです。つまり、可能性は「B1aかつB2a」または「B1bかつB2b」の2つだけに限定され、「B1aかつB2b」と「B1bかつB2a」の可能性はすでに無くなっています。ただし、「B1aかつB2a」と「B1bかつB2b」のどちらなのかは、これから0のときに観測するので、まだ片方に確定せず、重ね合わせのままだと考えます。ただし、記号の意味は以下の通りです。
  B1a=「左脳が「左腕が痛い」と言語表現している状態」
  B1b=「左脳が「左腕は痛くない」と言語表現している状態」
  B2a=「右脳が左腕の痛みを感じている状態」
  B2b=「右脳が左腕の痛みを感じていない状態」
 0のとき、チクッと痛みを感じました。左腕に針を刺されたらしく、それが右脳B2に伝わり、B2a=「右脳が左腕の痛みを感じている状態」になったらしい事を示しています。右脳B2がB2bではなくB2aの方だと自分の心Mが認識すると、それが光速以下の「局所的相互作用」で左脳B1に伝わるのではなく、超光速のテレパシーのような効果で、左脳B1はB1bではなくB1aの方に確定します。これが「量子もつれ」の奇妙な性質です。「局所的相互作用」だったら、本当は右脳B2を切り捨てた上で人工的装置D1を用い、左脳B1を騙して「左腕が痛い」と言語表現させることができました。一方「量子もつれ」により、右脳B2と左脳B1とがテレパシーでつながっているのであれば、左脳B1を騙すことはできなくなります。これが「量子脳理論」による説明です。

 この「量子脳理論」を用いた説明は、「霊魂説」そのものです。脳B=B1+B2全体に霊魂が宿っていると考えているのと同じなのです。右脳B2がB2a=「右脳が左腕の痛みを感じている状態」になり、自分の心Mすなわち霊魂が右脳B2で左腕の痛みを感じると、自分の霊魂は左脳B1に物理的作用を及ぼしてB1bではなくB1aの方を選びます。その結果、左脳B1は「左腕が痛い」と言語表現します。こう考えると、「右脳不在のパラドックス」を克服することが可能であり、自分の心Mは、自分が左腕の痛みを感じているのか否かを正しく知り、正しく言語表現できることになります。右脳B2と左脳B1とが矛盾した状態にならず、整合的な状態であるようにと、霊魂が管理している訳です。

26日前 No.15

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

私は汎神論を唱えています。
私たち人間が心を備えているのだとすると、猿も心を備えている可能性があります。犬も心を備えている可能性があります。猫も心を備えている可能性があります。ねずみも心を備えている可能性があります。鳥も心を備えている可能性があります。ヘビも心を備えている可能性があります。カエルも心を備えている可能性があります。魚も心を備えている可能性があります。クラゲも心を備えている可能性があります。ミジンコも心を備えている可能性があります。ゾウリムシも心を備えている可能性があります。ミドリムシも心を備えている可能性があります。バクテリアも心を備えている可能性があります。ウィルスも心を備えている可能性があります。カビも心を備えている可能性があります。松も心を備えている可能性があります。サボテンも心を備えている可能性があります。
もちろん、私たち人間の心とサボテンの心は、互いに理解しあえるほど似通ってはいないと思いますが。
さて、ウィルスにも(なんらかの)心(の萌芽)が含まれているのだとすると、もっと下の“酵素”のようなものにも心(の源)が含まれている可能性があります。酵素に心(の源のようなもの)が含まれているのだとすると、その下の高分子にも心(の種)が含まれているかもしれません。高分子にも心(の種)のようなものが含まれているのだとすると、その下の分子にも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。

分子にも心(の構成部品)が含まれているのだとすると、半導体にも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。トランジスタにも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。ICにも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。マイコンにも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。AIにも心が含まれている可能性があります。
人間そっくりに作られたアンドロイドには、人間と類似した心が備わっている可能性があります。

そういう意味では、アンドロイドに限らず、あらゆる工業製品には心が備わっている可能性があります。

私は、大きなシロナガスクジラを見ると 神さまが宿っているように見えます。
私は、富士山を見ても 神さまが宿っているように見えます。
太陽にも神さまが宿っているように見えます。月にも神さまが宿っているように見えます。
大きなまとまり・かたまりを見ると、それに神さまが宿っているように見えてしまうのです。

大きなまとまり・かたまりに神さまが宿っているのだとすると、それを構成する要素(小さなまとまり・かたまりにも神さま(の部品)が含まれている可能性があります。
水素原子、ヘリウム原子にも神さま(の構成要素)が含まれている可能性があります。

とりとめないですが、以上です。

26日前 No.16

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>16  Mobiusさんへ

>私は汎神論を唱えています。


 コメント有難うございます。なるほど、「汎神論」は一番合理的な解釈かもしれませんね。「アニミズム」という呼び方もできるでしょう。D・チャーマーズも、「サーモスタットにさえ意識が有るかもしれない」と言ってました。サーモスタットを挙げた理由は、自然界の生物ではなく人工物であり、しかもONかOFFかというわずか1ビットの情報しか持てない単純な物体でも、ONのときはクオリアαが、OFFのときはクオリアβが随伴しているかもしれない、という意味だと思われます。これもまた、実証も反証もできないので、どう考えることも可能であり、最も合理的な解釈を探してみるのは興味深いと思います。

>分子にも心(の構成部品)が含まれているのだとすると、半導体にも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。トランジスタにも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。ICにも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。マイコンにも心(の構成部品)が含まれている可能性があります。AIにも心が含まれている可能性があります。

>人間そっくりに作られたアンドロイドには、人間と類似した心が備わっている可能性があります。


 そうでしょうか? AI(アンドロイド)の場合はちょっと違うように思います。なぜならAIは、厳密に物理法則に従っているからです。
 人間の左脳B1と右脳B2を真似して、AIによる人工脳B=B1+B2を作ります。そして、B2で左腕の痛みを感じているときの情報処理をさせ、それがB1に伝わり、B1で「左腕が痛い」と言語表現しているときの情報処理をさせます。その上で、B2を切り捨ててしまい、人工的装置D1をB1に接続してB1+D1という状態にし、今でもB2が存在して左腕の痛みについての情報を送って来ているかのように、B1を騙します。するとAIはまんまと騙され、もはやB2は無くなっているのにそれに気付けず、B1は「左腕が痛い」と言語表現してしまうはずです。これこそAIは、ただただ物理法則に従った機械的な情報処理で「左腕が痛い」と言語表現しているだけであり、左腕の痛みというクオリアなど本当は何も感じていないことの証拠ではないでしょうか。
 それともAIは、人間と同等以上の知能を持つと、もはや物理法則に従わなくなるのでしょうか?

26日前 No.17

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>17 SumioBabaさん、早速のお返事ありがとうございます。

私の汎神論的な考え方によると、人工物であってもクオリアが随伴することになります。
従って、人工物D1が右脳B2を完全に模倣したとすると、右脳B2に随伴するクオリアは、D1にも随伴します。

私の脳の一部を切りとって、人工物に置き換えたとしても、その人工物が完璧であれば、私は気づかないと思います。

25日前 No.18

空の光 ★CRtLHhQWin_m9i

皆さんへ

心は物理法則に従わない。

確かに以下の事からそのように思えます。

睡眠時の夢という形で自由に想像できます。
その他、相手に好感持てるとか。
お腹空いてきたけど我慢しようとか。
あれはしたい。これはしたくないとか

逆の場合もある?

一方から我の動きに縛られる事も?
お腹空いたから食べるとか。
ケガして痛い所に手を当てるとか。
衝動買いしてしまうとか。
眠たくて寝落ちして舞うとか

こんな感じかな


心が思う事は自由。

でも体に宿っている。
つまり、体の動きが先立ったり、主導権を握っていたり。
霊主体従が本位であるのに霊体一致が現れてる。
これはいつか解消していくらしい。

25日前 No.19

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>18  Mobiusさんへ

>私の汎神論的な考え方によると、人工物であってもクオリアが随伴することになります。

>従って、人工物D1が右脳B2を完全に模倣したとすると、右脳B2に随伴するクオリアは、D1にも随伴します。


 人工的装置D1が右脳B2の機能を完全に模倣してしまったら、何の意味も有りません。D1は、B2のような機能は何も持たないのに、持っているかのようにB1を騙すというところに意味が有るのです。プラネタリウムの星の光が、本当は10mくらいしか走って来ていないのに、いかにも何光年もの彼方から走って来た光であるかの如く、人間を騙すように。

 AIの人工脳B=B1+B2においては、まず右脳B2の中で、「左腕の痛みを感じるときの情報処理」が行われ、その結果が左脳B1に伝えられます。右脳B2内部の様々な点P1、P2、P3、P4、P5、…、Pnの間でまず情報のやり取りがあり、その結果がPnから左脳B1に伝えられる訳です。つまり、
  P1→P2→P3→P4→P5→…→Pn→B1    …@
という流れが有ります。P1→P2→P3→P4→P5→…→Pnの部分が、「左腕の痛みを感じるときの情報処理」です(本当はもっと複雑に分岐・結合しているはずですが)。
 一方、B2を人工的装置D1で置き換えてB1+D1という状態にし、今でもB2が左腕の痛みを訴えているかのようにB1を騙す場合は、「左腕の痛みを感じるときの情報処理」P1→P2→P3→P4→P5→…→Pnの部分は無くて、最後の部分だけです。つまり、
  D1→B1    …A
ただし、D1→B1においてD1がB1に及ぼす「局所的相互作用」は、Pn→B1においてPnがB1に及ぼす「局所的相互作用」と全く同じです。それゆえB1は、自分が@とAのどちらの状態にあるのか違いが判らず、@のときもAのときも、「左腕が痛い」と言語表現してしまいます(これが《プラネタリウムの原理》 >>3 )。
 Aの場合、D1には、「左腕の痛みを感じるときの情報処理」であるP1→P2→P3→P4→P5→…→Pnの部分が有りません。なのにD1に、左腕の痛みというクオリアが発生するでしょうか?

25日前 No.20

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    人工的装置D1に右脳B2の機能はない

 正常な脳B=B1+B2の状態から、B2を全く物理状態の異なる人工的装置D1で置き換えたB1+D1という状態にし、しかもD1からB1へ及ぼす「局所的相互作用」を、B2がB1へ及ぼす「局所的相互作用」と全く同じに(少なくとも理論上は)できることの説明です(プラネタリウムの原理)。
 右脳B2から左脳B1に及ぼされる「局所的相互作用」は、多数の光子や物質粒子から構成されていると思われます。それらを1個ずつ、人工的装置D1a、D1b、D1c、…を用いてB1に与えると考えます。D1aは、B2からB1に与えられていた1個の素粒子と全く同じ状態の素粒子をB1に送り込む機能さえ持っていれば、どんな物理状態をしていても構いません。D1a自身が1個の素粒子でもOKです。D1b、D1c、…も同様。さらに、D1a、D1b、D1c、…の間に相互作用は不要なので、独立していても構いません。これら独立したD1a、D1b、D1c、…の総和を人工的装置D1だと解釈すれば、D1にB2と同等の機能を認めることはできないし、D1が左腕の痛みを感じている、と考えるのも無理でしょう。

 脳Bの機能を、4次元時空内で多数の物質粒子や光子の世界線が絡み合った世界線ネットワーク(ファインマン・ダイヤグラム)Bであると解釈し、その任意の一部をB1、残りの部分をB2、B1をすっぽり包み込む微小厚さe(→0)の外部表面膜領域をBe、B2からBe部分を除いた領域をB2-Beとします。さらに[A]=「「非局所的相互作用」は存在しない」と[B]=「非物質的実体「霊魂」は存在しない」を仮定します。
 B1の物理状態だけを定めた時、「B1とB2の境界で物理法則を満たさねばならない」という「境界条件(接続条件)」により、B2の物理状態がどれだけ確定するか、です。確定するのはBeまでであり、B2-Beの物理状態は定まりません。B1とB2の境界で切断されている物質粒子や光子の世界線を、B1からB2へと延長する時、エネルギー・運動量等の保存則により、無限小だけはまっすぐに延びていると推測できますが、その先がどうなっているかは全く不明だからです。B2-Beを全く異なる物理状態B2’-Beで置き換え、B1とB2’との境界で物理法則を満たすようにできます。このB2’を人工的装置D1の世界線ネットワークだと解釈します。

 正常な脳B=B1+B2において、「B2の物理状態」と「B2がB1に及ぼす「局所的相互作用」」との関係は、「三次元立体の形状」と「三次元立体が二次元平面に落とす影の形状」の関係に似ていて、「多」対「一」です。「三次元立体が二次元平面に落とす影の形状」の方を1つに定めても、そのような影を落とす「三次元立体の形状」の方は無数に有り、1つに定まりません。同様に、「B2がB1に及ぼす「局所的相互作用」」の方を1つに定めても、「B2の物理状態」の方は1つに定まらず、条件を満たすB2は、B2、B2’、B2’’、…と無数に存在し、その中でB2とは全く異なるB2’を人工的装置D1と見なせます。

25日前 No.21

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>20 SumioBabaさん、
失礼しました。B2やD1に随伴するクオリアの話ではなく、B1に随伴するクオリアの話ですね。

入力者がB2(ほんもの)であれD1(にせもの)であれ、B1に入力する信号が同じならB1に随伴するクオリアは同じだと思います。

「完璧なプラネタリウム(現実と全く区別が付かないプラネタリウム)」を見せられたら、「夜空を見上げたとき」と同様のクオリアが随伴することになると思います。

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ちょっと視点を変えて。
SumioBabaさんは、B1とB2を分け、B2に「痛みのクオリア」が、B1に「言語表現のクオリア」がそれぞれ随伴すると考えられているようですが、私はこの2つは分けられないと考えます。なぜならば、クオリアを感じる主体の意識がB1,B2のように分かれていないからです。

25日前 No.22

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>22  Mobiusさんへ

>入力者がB2(ほんもの)であれD1(にせもの)であれ、B1に入力する信号が同じならB1に随伴するクオリアは同じだと思います。


 はい、その点はSumioBabaも同意します。

>「完璧なプラネタリウム(現実と全く区別が付かないプラネタリウム)」を見せられたら、「夜空を見上げたとき」と同様のクオリアが随伴することになると思います。


 はい、それで良いと思います。

>SumioBabaさんは、B1とB2を分け、B2に「痛みのクオリア」が、B1に「言語表現のクオリア」がそれぞれ随伴すると考えられているようですが、私はこの2つは分けられないと考えます。なぜならば、クオリアを感じる主体の意識がB1,B2のように分かれていないからです。


 正常な脳B=B1+B2の状態で左腕に針を刺した場合。B2に「左腕の痛みのクオリア」が発生し、B1に「「左腕が痛い」と言語表現していると実感するクオリア」が発生し、しかも両者は独立せずに融合して心M=「右脳B2で左腕の痛みを感じつつ、左脳B1で「左腕が痛い」と言語表現している心」になっているからこそ、自分の心Mは「左腕の痛みのクオリア」と「「左腕が痛い」と言語表現していると実感するクオリア」の両方を同時に体験できるのです。もし「左腕の痛みのクオリア」と「「左腕が痛い」と言語表現していると実感するクオリア」とが独立していたら、どちらか片方だけしか体験できないことになります。
 心Mは、B1とB2とにまたがって存在する心だと実感しています。にも拘わらず、[A]=「「非局所的相互作用」は存在しない。」と[B]=「非物質的実体「霊魂」は存在しない。」を仮定すると、B1に随伴する心M1とB2に随伴する心M2とは必然的に独立してしまい、Mにはなれない、ということを論証しているのです。で、実際にはMはB1とB2とにまたがって存在する心だからこそ、[A]と[B]の少なくとも一方は間違いだ、と結論します。

 それを論じるため、右脳B2を人工的装置D1で置き換えてB1+D1という状態を考えます。D1は、左腕の痛みを感じる機能など全く持ちません。しかし、[A]と[B]を正しいと仮定する以上、B1は騙されて「左腕が痛い」と言語表現することになります。つまりこの場合の心は、Mではなく、M’=「左脳B1だけに随伴し、右脳B2で左腕の痛みなど感じていないのに、感じていると錯覚して「左腕が痛い」と言語表現している心」となります。

 そして、自分でMとM’の違いが判らないのだから、正常なB=B1+B2で左腕に針を刺した場合も、本当はMではなくM’だったはずだ、なぜならB1に随伴する心M1の心理状態(時刻t0からt1まで)は、B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1が無限小近傍Beから受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つで決まるのであり、Beの外側の物理状態には(それがB2のままなのか、それともD1に置き換えられているかには)無関係だから、…という訳です。

25日前 No.23

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    「脳の健全性」と「心の健全性」

 脳Bの任意の一部をB1、残りの部分をB2とし、両者が接続された正常な状態をB=B1+B2で表します。さらに、現代科学の常識とされる[A]=「「非局所的相互作用」は存在しない。」と[B]=「非物質的実体「霊魂」は存在しない。」を正しいと仮定します。すると、B1の物理状態の時間発展(時刻t0からt1まで)は、B1の「初期状態」(時刻t0)および、B1が無限小近傍Beから受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つだけで決定し、Beの外側B2-Beの物理状態には(それがB2-Beのままなのか、それとも人工的装置D1-Beに置き換えられているのか、といった違いには)依存しないはずです(これが「脳の健全性」)。

 ところが、B1に随伴する心M1の心理状態(時刻t0からt1まで)は、この2つだけでは決定せず、B2-Beの物理状態にも影響を受けており、その結果B全体に随伴する心Mは、B1だけに随伴するM1でもなければ、B2だけに随伴するM2でもなく、そのようなM1とM2の独立した和でもない状態になっています(これが「心の健全性」)。言わば、B=B1+B2全体に霊魂が宿っており、霊魂の中でB1が持つ情報とB2が持つ情報とが混ざり合い、編集された結果、B全体に随伴する心Mが発生している、といった感じです。

 「脳の健全性」(脳は物理法則に厳密に従っている)を支持するなら、心は個々のニューロン、個々の分子・原子・素粒子にまで分裂消滅し、存在できなくなります。→ >>4 。逆に心の存在を認め、「心の健全性」(自分の心Mは自己の複雑な状態を正しく認識できる)を支持するなら、[A]と[B]の少なくとも一方は否定され、心M(≠0)が発生しているときの脳Bは、現在の物理法則に従っていないことになります。→ >>4

25日前 No.24

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>23,24 SumioBabaさん、

ということは、[B]=「非物質的実体「霊魂」は存在しない」が間違っているのではないでしょうか。

24日前 No.25

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>25  Mobiusさんへ

>ということは、[B]=「非物質的実体「霊魂」は存在しない」が間違っているのではないでしょうか。


 はい、[A]=「「非局所的相互作用」は存在しない」と[B]のどちらか一方は間違い、という点からいくと、[B]が間違っている可能性の方が高いと思われます。なぜなら、もし[A]が間違っていて、物質や光の中に「非局所的相互作用」が含まれているとすると、パソコンや携帯電話やスマホといった精密機器は、とっくに誤作動が見付かっているはずだからです。しかし実際には、これらはうまく機能しています。つまり、物質や光には「非局所的相互作用」は含まれていないと思われます。
 そうすると、[B]を疑うことになります。そしてこの場合の「霊魂説」は、「並行説」(脳に霊魂が随伴し、脳状態に対応した心の状態を体験するが、霊魂と脳との間に物理的相互作用は無い)ではなく、「相互作用説」(霊魂と脳とは互いに物理的相互作用を及ぼし合っている)の方になります。

 ただし、後出しジャンケンで申し訳ありませんが、厳密に言うと、あと2つの可能性が有ります。《第三の選択肢》=「心は錯覚であり実在しない」、《第四の選択肢》=「心だけが実在し、物質世界の方が錯覚であって実在しない(観念論)」です。《第三の選択肢》も、間違いだと断定はできないかもしれませんが、これを選んでしまうと、科学も哲学も論じられなくなってしまいます。それに比べ、《第四の選択肢》は大いに可能性が有ると考えています。

 特に、 >>7,15 に書いた「量子もつれ」の場合、自分の脳が「「B1aかつB2a」または「B1bかつB2b」」という状態になります。これって、こう言っているように見えます。→「物質世界は実在なんかしてません。心が持つ情報の範囲内だけ物理状態が中途半端に確定した物質世界、という幻想(マーヤー)を抱いているだけです。物質世界の物理状態は、夢と全く同様で、心が情報を持たない領域は何も決まっていません。」まさに、J・ホイーラーの「ビットからイット」です。

 まあとにかく、Mobiusさんのような知能の高い方にここまで理解して頂けたのは、大いに満足しています。有難うございました。疑問点が有れば、いくらでも指摘して下さい。

24日前 No.26

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

SumioBabaさん、返信ありがとうございます。

本当にそうかどうかは、実験してみるしかないのですが、以下のような実験を考えてみました。

半脳人間の実験。

自分の脳を半分に分割する。
それぞれの脳に体を与える。(体は、クローン技術などで作れるものとする。)
すると、半脳人間が2人できるわけだが、それぞれがそれぞれに心を持つか、それぞれが確かめる。

---------------

倍脳人間の実験。

自分の出生時にクローンを作る。
出生後、異なる文化圏で育てる(文化的交流がない、使用言語が異なる地域が望ましい。)
成人後、2人の脳を合体し、1つの体に移植する。
しばらく暮らして、心が統合するか確かめる。

---------------

「心」というのは、それがある(と感じる)かどうかは自分にしかわからないので、自分で実験するしかないのかなと思いました。

24日前 No.27

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

こころは物理法則に従うのか従わないのか。

これは気になる論点だ。

で、考察は始めると記述が長くなってしまった。

まとまりはないかもしれないが、投稿してみよう。

まっ、とりあえず・・・

23日前 No.28

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

<たとえばこんな思考実験>

ビリヤード台の上にビリヤードの、球A、が静止している。
なんらかの力が物理的に作用しなければ、球A、は静止したままのはず。
その、球A、に向かって、球B、が接近してくる。
衝突すると、、当然球Aは移動する。
その移動の様は、物理計算によって正確に予測できる。
純粋な、物理法則の世界、と言って良い。

そこで、

球Aには、「認識能力(まあ、心、ね)」があり、「自力で動くことができる」と仮定する。
静止している、球Aに向かって、球B、が接近してくる。
このままでは、球Bは球Aに衝突するであろう。
そのとき、球A、は考えた。
「衝突されるのはイヤだから逃げよう」
かくして、球Aが球Bの進路外に移動したとする。

さて、何が問題となるだろう。いや、大問題ぢゃろう。
球Aに球Bはいかなる物理作用も及ぼしていない。
なのに、球Aは動いてしまった・・・

球Aの動きは物理法則では説明できない、・・・、よーな気がする。



「もの」が「こころ」を動かすのか。
「こころ」が「もの」を動かすのか。

この場合、球Aのこころ、が球A自身を動かしたように見える。

つまり、「こころ」が「もの」を動かしているように見えるのだが・・・

23日前 No.29

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

<情報とは何か>

「たとえばこんな思考実験」で、球Aに球Bは物理作用を及ぼすことはなかった。
では、球Aと球Bの間に何があったのか。

球Aには「認識能力」があった。たとえば視覚。
球Aが持つ視覚によって、球Bが接近してることを、認識した。
つまり、認識能力によって「情報」を獲得した、となるだろう。

それでは「情報とはいったい何だろう」と、ふんにゃは考えるのだった。テヘヘッ(*゚ー゚)>

23日前 No.30

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

「たとえばこんな思考実験2」

人類が滅亡して数百年後・・・
非常に科学の発達した宇宙人が、UFOで地球に調査にやってきた。
サンプルとして小さな紙片を回収する。
なにやら記号らしきものが印刷されていた。
宇宙人たちは紙片を徹底的に分析した。
物質的組成などは完璧に調べることができた。
しかし、記号の意味を解読することはできなかった。

そこには「広瀬すずは朝ドラ『なつぞら』の主演女優である」と書かれていたのだが・・・

どんなに進歩した科学であっても、意味を知ることはできなかった。


結論「情報の意味は、自然科学の対象ではない」

23日前 No.31

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

「情報の、物的側面と意味的側面」

情報とは何か、と考えてみると・・・

あらゆる情報には、物的側面と意味的側面がある、と判る。

「たとえばこんな思考実験2」の、小さな紙片、をみれば、
紙片の物質的組成は、情報の物的側面、である。
そこに書かれた「広瀬すず」は意味的側面である。

日常的な会話も情報交換だ。物理的には声は空気の振動。
会話の意味内容は、物理法則の対象ではない。

視覚は我々に映像情報を与えてくれる。
物理側面としては、光、であり、その映像の意味的側面は物理学の対象ではない。

あらゆる情報は、物的側面と意味的側面から成る。

23日前 No.32

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

認識能力とは情報獲得能力である。

人間の感覚は五感と呼ばれる。
「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」
視覚・聴覚は情報獲得能力である。

それでは、臭覚・味覚・触覚は情報獲得能力と言えるのか。


よーく考えてみると、脳は、匂いや味、触覚を直接感知できるわけではない。
神経の電気信号を経て脳に伝わる。
つまり、脳が感知するのは電気信号であり、匂いや味、触覚を直接に感知することはない。

そう考えると、すべての感覚は、結局は、神経の電気信号に変換される。
脳が直接的に感知できるのは電気信号である。

電気信号の電気は、情報の物的側面である。それは物理学の対象である。
電気信号の意味するところは、情報の意味的側面である。それは物理学の対象ではない。

ここでは、臭覚・味覚・触覚も情報の獲得、と考えよう。

23日前 No.33

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

主観がなければ情報は存在しない。

情報は物的側面と意味的側面から構成される。
物的側面は物理学の対象である。
意味的側面は物理学の対象ではない。

では、情報の意味的側面とは何なのか。

「たとえばこんな思考実験1」の紙片に書かれた「広瀬すず」は、物理的に調査しても解読できない。
解読するのは、主観、である。対してその紙片は客観的存在である。

主観だけが「広瀬すず」の意味を解読することができる。

情報は、物的側面と意味的側面から構成される。

言い換えれば、情報は客観と主観の間に存在するのである。

23日前 No.34

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

「主観内辞書」

主観が情報の意味的側面を解明できるのは、主観が主観内辞書を持っているからである。
主観内辞書に「広瀬すず」が載っているとき、紙片の「広瀬すず」の記述を理解することができる。


共通する主観内辞書を持つとき、コミュニケーションが成立する。
私の主観内辞書に「広瀬すず」があり「広瀬すず」と発言し、他者の主観内辞書にも「広瀬すず」があるとき、私の発言は理解される。

日本語の主観内辞書を持つもの同士であるならば、日本語のコミュニケーションが可能になる。

23日前 No.35

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

「主観は客観世界に直接触れることはできない」


主観は情報の物的側面に直接触れることはできない。

認識能力で脳が直接触れることができるのは、神経内の電気信号のみになる。

だから、客観世界に存在するもの、机だとかコーヒーだとか他人だとか彼女だとか、脳はそれらに直接触れることはできない。

脳が直接触れるのは電気信号である。

人間は客観世界に直接接触することはできない。

23日前 No.36

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

では、「こころ」とは何なのか。

仮説として、情報の意味的側面の集合体が「こころ」である、と考えられないか。
だとすると、「脳」は情報の物的側面の集合体となる。


仮説:脳は情報体であり、物的側面としては細胞の集合体であり、意味的側面の集合体としては「こころ」である。

23日前 No.37

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

脳は生命として生体活動があり、それが「こころ」の思考や感情・感覚などになる。

・・・、で、結局。

「こころ」は物理法則に従うのか従わないのか・・・

脳の物的側面としての生体活動により、意味的側面として「こころ」の動きがあるとすれば、「こころ」は物理法則に従う。
しかし、「こころ」が直接触れるのは神経の電気信号であり、その意味的側面であるとすれば、意味的側面の活動は物理法則に従わない。

・・・、よーな気がする。

うーん、わからん・・・w

23日前 No.38

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_vZE

こころは物理法則に従うのか従わないのか。

結論は「わからん」で、・・・

結局、・・・、私の哲学的考察は挫折したヾ(≧▽≦)ノあははは!

23日前 No.39

宿題 ★eM1n2yJmTo_vZE

存在はあらゆる自我が沈んで消えていく光の海です。心は自我より上位格です・・

自己存在としての存在は、永遠の今において相互に横たわる諸々の霊の相互的な反映です。

自我とは本来の私では無く性格を与えられた・・

親から命を与えられそこから受動→能動へと自己生成していきます・・

どんな霊性・心になるかはあなた次第・・

23日前 No.40

地下水 ★KATHFaYqOw_vZE

>>26 量子もつれや量子テレポーテーションの他にも、原理的に物理にはカオスもありますね。ニュートンはこの簡単な実例を隠してプリンキピアを書いたわけですが、ポアンカレが明らかにした様に、要素数の極小の二関節振り子や三体問題で既にカオスが発生し、結果が予測できず極小の外乱で結果が大きく変化します。人間の心の持つ選択の自由が、量子もつれやカオス軌道に由来するのであれば、物理法則の中にも選択の自由が内包されていたと言わねばなりません。

23日前 No.41

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

脳科学的に考えて、ショパンの幻想即興曲は演奏可能か?
右手を1音0.1秒、左手を1音0.133...秒間隔で鳴らすとして、リズムと音程を制御するためには、0.033...秒間隔で刻まなければならないが、脳にそんな仕事ができるのだろうか?(神経系の伝達速度から考えて、可能な速度なのだろうか? という疑問)

指が勝手に動いて演奏しているのではないのか。
(心は脳に偏在しているのか? という疑問)

23日前 No.42

すめん @levinas ★iPad=LtezlP5CRw

>>0 から >>14 まで読んで。

心はどこにあるのか。もし脳にあるとしたら、「右脳不在のパラドックス」が起きてしまう。つまり、外界の事実とは独立に、脳の状態のみに依存して体験が生じてしまう。これを「プラネタリウムの原理」(脳への刺激が同一であればプラネタリウムの星と実際の星は識別されえないこと)にしたがって拡張していけば、『ある脳の物語』のように、ニューロンレベルまで分解して、各部分の状態を調整するだけで、実際と同じ体験を再現できてしまう。そう考えると、心はいったいどこにあるのか。物理法則から独立した「霊魂」のようなものを考えないといけないのか。はたして心は物理法則に従うのだろうか。

かなり複雑に書いてあるのと、自分の読解力が低いことから、理解が十分にできていないかもしれないけれど、とりあえずわかる範囲で問題を整理して要約してみました。

以上のことを踏まえて、ぼくは「心は物理法則に従うか」という問いに対し、「従わない」という回答を出したいと思います。もっとラディカルに主張すれば、「心」とは単なる「言葉の表現」でしかないから、「それがどこにあるのか」という問いはナンセンスだと思っています。

つまり、ぼくの主張は、「心とはいろいろなことを説明するのに役立つ装置である」というものです。

もっとラディカルに、科学的な見方が成り立つ以前の、意識に対する現れ方そのものを考える対象としてみたら、心の所在は問題ではなくなると思います。たとえば、「心は脳にある」という考えも、「じゃあ、実際に見せてよ」と言われると、困ってしまうと思います。要するに、心という装置をいろいろなことから独立してあるものと考えると、奇妙なパラドックスが生じてしまうと思われます。だから、心を独立させるのではなく、心に現れる対象と心そのものの働きとの間にある関係を紐解いていくほうが、奇妙なパラドックスに足止めされる必要がないので、考えを進めることができるのではないでしょうか。

要するに、「心」という「言葉の表現」に惑わされてはならない。もっとありのままの現実を見よう、というのがぼくの意見です。

22日前 No.43

すめん @levinas ★iPad=LtezlP5CRw

>>43 に投稿した自分の意見のつづき

では、 >>43 に書いた「心に現れる対象と心そのものの働きとの間にある関係を紐解いていく」とは、具体的にどういうことを言うのか。もしも心を単なる説明装置でしかないと言い切るなら、他の概念もすべて、そうなんじゃないか。だとしたら、唯一あると言えるものは何なのか。

問題は、心という説明装置を、それが周りと結ぶ関係から切り離して、独立させてしまうことです。では、周りの関係を保ったまま心を考えるにはどうすればいいでしょうか。

それはきっと、関係そのものが成り立っている「場所」を問題とすればいいのではないでしょうか。

たとえば、心を独立して存在するものと考える場合、まず心は、体が感じたものを受け取って、そのイメージを、過去の経験や習慣にしたがって考えることで、「あ、これはペンだ」と知ることになります。でもそれだと、ペンのような客観的に存在するものと、心のような主観的に存在するものとの対立が生まれてしまい、どちらか一方に「より存在するもの」というステータスを与えて、残った片方をそっちに取り込むしか、対立を解消する方法がないことになってしまいます。しかしそれでも、奇妙なパラドックスが生まれてしまいます。

そこで逆に、心を独立させずに、それが周りと結ぶ関係を保ったまま考えると、どうなるでしょうか。

心を独立したものと考える場合、必ず、外側から何か受け取らないと、心は何も知ることができません。したがって「体が感じたもの」が必要になってきます。そしてそこから順に「イメージ」とか「考えること」という説明装置が必要になってきます。

でも、心を関係のなかで見たとき、私がいるのは書斎であり、椅子の上であり、机の前であり、広がっているノートの前であり、その傍らに転がっているペンであることになります。そして私は今、何か書こうと思って、ペンに目をやったことになります。もしこの所作を、心を使って説明しようと思うと、直観とか、表象とか、感覚とか、意志とか、欲求とか、そういった様々な言葉が必要になってきます。でも実際の所作は、シンプルに、「何か書こうと思ってペンを手に取ろうと目をやった」というだけです。この説明に、心のようなややこしいものは入ってきません。

そう考えると、あまりに素朴な考え方なので、全然、意味がない、と思われるかもしれません。しかし、ぼくは逆に、心のような得体の知れないものを「実際にあるもの」と考えて、その所在を追求することに比べたら、この素朴な考え方のほうが、余計なことに拘わずに済むので、よっぽど有益なんじゃないかな、と思います。

あるいは、「場所」という考え方は、単純に具体的にそのままを言い表しているだけで、考えを進めているわけではないのではないか。つまり全然、哲学をしていないのではないか。そう思われるかも知れません。

でもぼくは、単に素朴な見方を難しい哲学に対置して、「哲学はバカらしい」と言いたいのではありません。これまで主観的なものと客観的なものとの対立に陥りがちだった考え方を、その分かれ目となる根元から見直して、関係が結ばれているところの全体を保ったまま考えることで、対立そのものを解消しようというのが、ぼくの言おうとしていることです。

はじめにこのスレで立てられていた問題意識からズレていると感じられるかも知れませんが、それはぼくの意見が、「心は物理法則に従うか」という問いに対し、ラディカルなものだったからだと思います。いずれにせよ、このスレを見て思うことがあったので、投稿させていただきました。

ちなみに、「場所」についての、より立ち入った考えは、スレ違いとなりかねないので、別スレの「現前の研究( http://mb2.jp/_tetsugaku/1073.html )」に書きたいと思います。

失礼します。

22日前 No.44

モノポリー ★Smart=n0VFN7Wh5V

小学生レベルのモノポリーにも理解できるように問題設定を簡単にして考えてみたいと思います。

お猿のおもちゃがあります(シンバルを持ったやつ)。

スイッチを入れると電気が流れてモーターと繋がっている手が動きます。そうすると、手に持っているシンバルがぶつかって音が鳴ります。

世界はこれだけだとしましょう。

〈音が鳴っているということ〉を心があるということだと考えてみましょう。あるいは、私の嫌いな言葉で言えば「クオリア」がある状態だと。

この猿のおもちゃが物理法則に従っているのと同じように、音の方も物理法則に従っていると言えるでしょうか?

そう簡単にはいかないように思います。

※警告に同意して書きこまれました (マナー/リアクション)
22日前 No.45

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_LFo

500%従わんだろうな。

22日前 No.46

モノポリー ★Smart=n0VFN7Wh5V

私の理科の知識が正しければ音は空気の振動であるから、この世界に空気があるのであれば、おもちゃの運動と発生する空気の振動との間にある種の法則性が、例えば物理的、数学的に何らかの関数として記述できるかもしれません。

では、真空の場合はどうか。

22日前 No.47

モノポリー ★Smart=n0VFN7Wh5V

2つの場合が考えられる。たまたま真空の場合。
この場合では、先程の関数記述が適応可能かもしれない。仮に空気があるとするならば。

もうひとつは空気の概念や存在そのものがない世界の場合。
この世界においては、〈音が鳴っている〉という可能性そのものがあり得ない。

22日前 No.48

モノポリー ★Smart=n0VFN7Wh5V

これが小学校低学年の問題設定。

では、上記のおもちゃの世界は〈私たちの現実世界〉に類比的だ言えるでしょうか?

全然違う!

そもそも、〈音が鳴っている〉か否かということは、ある種の意識とか認識能力を持った存在者によって認識されて初めて言及可能となるはずだ。

次に、小学校高学年の問題設定へ移行しよう。

つまり、おもちゃに自我を与えてやるわけだ。

でも、一体どうやって?

22日前 No.49

モノポリー ★Smart=n0VFN7Wh5V

その前に、先程の世界について。

心的なものを、物質的なものに対応させようとか、還元しようとする考えは、おそらく先のおもちゃの世界のような世界把握に似た方法によるアプローチなのでしょう。

行動主義とか、言語的還元主義がその典型かもしれませんが、私の見方では、そのような考えはあまりに素朴的だという印象があります。

もちろん、利点もありますが、そこで見過ごされてしまう点も多いのではないでしょうか。

22日前 No.50

モノポリー ★Smart=n0VFN7Wh5V

自我、というよりも端的に「私」と言った方がいいかもしれないが、当然それにまつわる困難が、すなわち私と他者の非対称性とも呼べる難点がおもちゃ問題にも関わってくる。

さて、おもちゃを2つにしよう。
ひとつは、永井均的な〈私〉がおもちゃであるとしよう。誤解を覚悟で言えば、モノポリーの〈魂〉が宿るおもちゃと言えよう。当然ながら、今後はこのおもちゃが観測者を兼任する。

もうひとつは他者としての「私」を持つおもちゃだ。当然、このおもちゃも「音が鳴っている」ことを知覚、あるいは認識できる。音を知覚、認識している時には、おでこにある「音」と書かれたランプが点灯するとしよう。

ついでに、〈私〉のおでこにも同じランプがあるとしよう。

22日前 No.51

モノポリー ★Smart=n0VFN7Wh5V

「私」の方のおもちゃを「M1号」と呼ぼう。

さて、〈私〉がM1号を観察する時、M1号の「何」が物理法則に従うか否かと問われているであろうか?

スイッチを入れる。
M1号が動いて、シンバルがぶつかる。
音が鳴っていることを知覚したので、M1号のランプが点灯する。

こう言った方がいいか。
M1号は先の低学年の問題設定のおもちゃと何が違うというのであろうか?

ランプの有無か?

しかし、〈私〉はランプが「心的過程」だなどと言うであろうか。

22日前 No.52

すめん @levinas ★iPad=LtezlP5CRw

SumioBabaさん、こんにちは。

前々から疑問に思っていたのですが、SumioBabaさんにとって、「ある」ってのは、「ない」と同列なのでしょうか。つまり、コインの裏表の関係のように、「ある」をひっくり返したら「ない」に、「ない」をひっくり返したら「ある」になるだけなのでしょうか。言い方を変えれば、「ある」は「1」、「ない」は「0」というだけなのでしょうか?

18日前 No.53

マジカルモンキー ★P3D5Dv0xlZ_LFo

人間には無駄な事を100%真似できる能力がある。

なぜ、このような能力を身に着けたのか?

仮に人間が、宇宙の法則を目の前にして、どんな反応をするのか?

17日前 No.54

★E6vycvPYvN_pzR

SumioBaba さま

<B=B1+B2から右脳B2を切り捨て、それを人工的装置D1で置き換え、B1+D1という状態にします。>

どうして、<B=B1+B2から右脳B2を切り捨て>ちゃうの?
右脳B2を切りてちゃったケース見たことあります?その実例を示してもらえません?

フーコーによると、「ロボトミー」っていうの、実際に施していたことがあったみたいだけど。

17日前 No.55

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>53  すめんさんへ

>SumioBabaさん、こんにちは。


 こんにちは。久しぶりです。

>前々から疑問に思っていたのですが、SumioBabaさんにとって、「ある」ってのは、「ない」と同列なのでしょうか。


 「同列」とはどういう意味なのでしょうか。「同列である」と「同列でない」の違いが、今一つ解りません。

>つまり、コインの裏表の関係のように、「ある」をひっくり返したら「ない」に、「ない」をひっくり返したら「ある」になるだけなのでしょうか。


 時と場合に依るとは思いますが、「ある」と「ない」とが互いに相手の否定になる場合は多いですね。
 数学で未解決な《ゴールドバッハの予想》=「2より大きい全ての偶数は2つの素数の和として表せる」の場合、反例は「ある」か「ない」かのどちらかです。「ある」が証明できれば、「ある」が真で「ない」は偽に確定します。「ない」が証明できれば、「ない」が真で「ある」は偽に確定します。
 「神は存在するか、否か」のような問題だと、「ある」と答える《有神論者》と「ない」と答える《無神論者》の他に、「不可知」と答える《不可知論者》と呼ばれる人もいます。この場合、《有神論者》と《無神論者》とは同列で議論しているのに対し、《不可知論者》は議論する事自体を無意味だと拒絶しているのだとすれば、《不可知論者》だけは同列に立っていない、と見なすこともできるでしょうか。

>言い方を変えれば、「ある」は「1」、「ない」は「0」というだけなのでしょうか?


 二値論理ならばそうです。量子論理まで拡張すれば、a「0」+b「1」(aとbは様々な値を取る)ということで、三値以上の多値論理にもなり得ます。

17日前 No.56

悪魔ちゃん ★E6vycvPYvN_pzR

「物」と「心」の「理」ね。それでいいかも。それししか思いつかないんだから。

12日前 No.57

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    BとMの不一致

 心・脳関係について、SumioBabaがこのスレッドで問題提起しているパラドックスは、「脳の健全性」(脳は物理法則に厳密に従っている)と「心の健全性」(心は自分の状態を正しく自己認識できる)とが両立しない、という点です。

    「脳の健全性」(脳は物理法則に厳密に従っている)
 脳Bの物理状態の時間発展が、現在正しいと思われている物理法則に忠実に従っている、とする考え方。
 Bの任意の一部をB1、残りの部分をB2とし(B=B1+B2)、B1をすっぽり包み込む微小厚さe(→0)の外部表面膜領域(無限小近傍)をBe、B2からBe部分を除いた領域をB2-Beで表す時、B1の物理状態の時間発展(時刻t0からt1まで)は、B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つだけで決定し、残りの部分B2-Beの物理状態には無関係、という内容を指す。
 B2-Beを、全く異なる物理状態B2’-Be(あるいは人工的装置D1-Be)で置き換えても、B1の「初期状態」(時刻t0)および、B1がBeから受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つが全く同じなら、B1の物理状態の時間発展(時刻t0からt1まで)は同じものになる、という意味。e→0の極限で、B2-BeはB2になり、BeはB1とB2との境界面になる。
 「脳の物理状態の時間発展は、局所的物理法則に従う」と表現しても良い。

    「心の健全性」(心は自分の状態を正しく自己認識できる)
 「1つの心」Mの内部では、Mの視点に立つことで個々の部分M1、M2、M3、…の視点に同時に立つことができ、個々の部分M1、M2、M3、…がM全体の状態に影響を受けつつ、内部矛盾が無いかどうかを自己認識しながら、Mの心理状態が時間発展していく、という自分の心の無矛盾性を保証する性質。
 物質世界や自分の心の状態を正しく知覚・認識し、論理的に物事を考え、哲学や科学を議論するために、必然的に要求される仮定。自分が左腕の痛みを感じていれば「左腕が痛い」、感じていなければ「左腕は痛くない」と正しく言語表現できる、など。
 もし、M1の心理状態とM2の心理状態とが互いに影響を及ぼし合うことなく、M1とM2とが矛盾した状態にあることをM1やM2が認識できない場合、M1とM2とはもはや「1つの心」Mの部分ではなく、独立した2つの心であり、それゆえ互いに相手の存在も状態も知り得なくなっている、と見なすことになる。
 「心の心理状態の時間発展は、非局所的心理法則に従う」と表現しても良い。

 さらに、脳Bが従う物理法則と心Mが従う心理法則が、全く異なる事実を強調するために、[BとMの不一致]という表現を用います。

    [BとMの不一致]
 脳Bが現在の物理法則に厳密に従っているとすると、任意の一部B1の物理状態の時間発展(時刻t0からt1まで)が、B1の「初期状態」(時刻t0)および、B1がBe(無限小近傍)から受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つだけで決定し、残りの部分B2-Beの物理状態には(それがB2-Beのままなのか、それとも人工的装置D1-Beに置き換えられているのか、といった違いには)依存しないはず。
 ところが、B1に随伴する心M1の状態は、この2つだけでは決定せず、残りの部分B2-Beの物理状態にも影響を受けており、その結果B全体に随伴する心Mは、B1だけに随伴するM1でもなければ、B2だけに随伴するM2でもなく、そのようなM1とM2の独立した和でもない状態になっている。(まるで脳B=B1+B2全体に「霊魂」が宿り、B1が持つ情報とB2が持つ情報とが「霊魂」の中で混ざり合い、編集された結果、B全体に随伴する心Mが発生しているように見える)。

 「脳の健全性」の方は、現代科学の常識に従い、[A]=「「非局所的相互作用」は存在しない」と[B]=「非物質的実体「霊魂」は存在しない」を正しいと仮定することから生じます。
 もし「脳の健全性」を支持するなら、脳Bをn個の部分B1-Bnが接合されていると解釈した時、個々のB1-Bnに随伴する心M1-Mnは独立していることになり、B1-Bnの2個以上にまたがる大きな心の固まりは発生できなくなります。B1-Bnを、個々のニューロン(nは約140億)、個々の分子・原子・素粒子(nは10の27乗くらい?)、にまで小さく取れば、個々のB1-Bnに随伴する心M1-Mnはどれも「無」でしょう。脳Bに随伴する心Mは、個々のニューロン、個々の分子・原子・素粒子に随伴する心M1-Mnにまで分裂し、消滅することになります。つまり、「心の健全性」が否定され、それは心Mの存在そのものを否定してしまいます。

 逆に「心の健全性」を支持するなら、脳Bの一部であるB1の物理状態の時間発展(時刻t0からt1まで)は、B1の「初期状態」(時刻t0)と、B1がBeから受ける「局所的相互作用」(時刻t0からt1まで)の2つだけでは決定しない、と考えることが必要です。これは「脳の健全性」を否定することになり、[A]または[B]を否定することになります。[A]を否定するとは、「B1がB2-BeからBeを飛び越えて「非局所的相互作用」を受けている」と考えることです。[B]を否定するとは、「B=B1+B2全体に「霊魂」が宿っており、「霊魂」がB1やB2との間に物理的相互作用を及ぼし合っているため、心M(≠0)が発生しているときの脳Bは、物理法則に従っていない」と考えることです。

10日前 No.58

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    心の最大の謎は多数の事物の存在と関係を認識できること

 1枚の風景画が有るとします。この絵は、自分が風景画だと自己認識しているでしょうか? NOだと思われます。自分の状態を自己認識できる「心」など、絵には発生していないと思われます。

 その理由として、こう考えます。この絵をタテ1000×ヨコ1000くらいの画素に分けて考えるとき、どの画素も自分の色だけは自己認識できると仮定しても、自分以外の画素が何色なのかを認識できません。つまり、どの画素も、たかだか「自分は自分の色しか知らない」です。2個以上の画素の色を知る視点は有りません。この絵が風景画であることを知るためには、この絵の中の多数の画素の色を知り、それらの関係を認識する必要が有りますが、この絵のどの画素にも、そういう機能は有りません。従ってこの絵には、自分が風景画だと自己認識できる「心」など発生していないだろう、と推測できます。

 にも拘わらず、人間は、この絵を見て風景画だと認識できます。一体どうやったら、そんな事が可能なのでしょう? 科学者はこう答えるでしょう。「それは人間の脳が素晴らしい情報処理機能を持っているためだ」。しかし、これでは全く説明になっていないように思います。

 脳は、三次元空間内では、直径10cmくらいのほぼ球形をしており、時間の厚みとして1分間の機能を考えるのであれば、「直径10cmの球」×「1分間」という四次元時空内の広がりを持っています。これをV4と呼び、その中の異なる2個の点をP、Qとします。一般にPとQは、物理状態として異なる自由度を持っています。つまり、Pの物理状態を特定のPaであって他のPb、Pc、…ではない、と定めても、Qの方はQa、Qb、Qc、…と様々な可能性が有り、どれなのか確定しません。つまり、Pは自分の物理状態がPaであることだけは知り得ても、Qの物理状態がQa、Qb、Qc、…のどれなのかを知り得ません。逆に、Qは自分の物理状態がQbであることだけは知り得ても、Pの物理状態がPa、Pb、Pc、…のどれなのかを知り得ません。

 先ほど、1枚の風景画は、自分を風景画だと自己認識する「心」など持ち得ないだろう、と考えました。その理由は、「個々の画素が自分は自分の色しか知らないから」であり、「2個以上の画素の色を知り得る視点が存在しないから」でした。しかしそれは、脳のV4にも言えてしまいます。このV4は「風景画を見ているときの脳状態」なのか、それとも「美味しい食事をしているときの脳状態」なのか、V4自身は自己認識する「心」など持ち得ないはずです。なぜなら、「V4内部の個々の点P、Q、R、…はどれも、自分は自分の物理状態しか知らないから」であり、「2個以上の点の物理状態を同時に知り得る視点は存在しないから」です。

 「ホムンクルス無限後退のパラドックス」と呼ばれるものが有ります。ホムンクルスとは、脳の中に入るくらいの小人を意味します。自分が風景画を見ているとき、自分の脳B0の内部で、様々な点P0、Q0、R0、…の物理状態の関係性の中に、この風景画の情報が配置されます。しかし、これだけでは、風景画はまだ誰にも見えていません。点P0、Q0、R0、…のどれもが「自分は自分の物理状態しか知らない」であり、それらの関係性を認識できないからです。風景画を見るためには、脳B0の中に小さなホムンクルス@がいて、点P0、Q0、R0、…の関係性を認識する必要が有ります。ホムンクルス@が点P0、Q0、R0、…の関係性を知覚すると、ホムンクルス@の小さい脳B1の内部で、様々な点P1、Q1、R1、…の物理状態の関係性の中に、この風景画の情報が配置されます。しかし、これだけでは、風景画はまだ誰にも見えていません。風景画を見るためには、脳B1の中にもっと小さなホムンクルスAがいて、…という無限後退です。

 実際には、自分の脳Bには風景画を知覚・認識している自分の心M(≠0)が随伴しているのを実感します。これが、いかに不思議なことか。脳Bには「霊魂」が宿っていて、「霊魂」こそが脳Bの内部で、点P、Q、R、…の物理状態の関係性の中に配置された情報を読み取り、風景画のクオリアを実感しているかのようです。ではこの場合、「霊魂」にはどのような性質が要求されるでしょうか? 物質のような「粒子」の集合体ではダメだと思います。どの粒子も「自分は自分のことしか知らない」となり、全体の状態など知り得ないはずですから。「霊魂」とは、個々の部分が自ずと全体の状態を知るような何かなのでしょうか?

8日前 No.59

混沌 ★Android=CiZjwupSFo

例外のない法則はある

例外があるとする 例外のない法則はないはある 真

例外がない 真

よって例外のない法則はある。

仮想世界も例外ではないので例外のない法則に従っている。

例外のない法則がないという世界も例外のない法則はあるという法則に従っている。

例外のない法則は現実世界 仮想世界含めた根底の過去にある。

よって現実世界 仮想世界含め未来にある。

となれば同じ時間 違う空間に現実世界と仮想世界が存在する。

8日前 No.60

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    M1とM2の「独立」と「融合」

 2つの異なる心をM1、M2とします。両者を併せたものを、M=M1+M2と表現してみます。M1とM2とが「独立」していて、どちらも「自分は自分の存在と状態しか認識できない」という場合も有ります。(例えば、M1が自分の心、M2が友人の心である場合)。M1とM2とが「融合」していて「両者の視点に同時に立てる」という場合も有ります。(例えば、自分の脳Bを左脳B1と右脳B2とが脳梁で接続されたB=B1+B2という状態だと見なし、B1に随伴する心をM1、B2に随伴する心をM2とした場合。自分は自分の心M=M1+M2全体の視点に立つことができ、M1とM2の意識内容を両方同時に認識できる)。この「独立」と「融合」とは、一体何が異なるのか?

 「MによるMの認識」を量子力学を真似して、<M|M>のように表現してみます。M=M1+M2だと、こうなります。
   <M|M>=<M1+M2|M1+M2>
       =<M1|M1>+<M2|M2>+<M1|M2>+<M2|M1>   …※
各項の意味は次の通りです。
 <M|M> … MによるMの認識
 <M1|M1> … M1によるM1の認識
 <M2|M2> … M2によるM2の認識
 <M1|M2> … M1によるM2の認識
 <M2|M1> … M2によるM1の認識

 ここで問題となるのが、※の第3項と第4項であり、一般に「干渉項」と呼ばれるものです。量子力学では、干渉が有る場合と無い場合とが有ります。そして、「干渉が無い状態」こそが「独立」した状態であり、「干渉が有る場合」こそが「融合」した状態だと見なせます。

   【M1とM2とが「独立」した状態】
 干渉項が<M1|M2>=0、<M2|M1>=0であり、無視できる場合です。※は次の(1)になります。
   <M|M>=<M1|M1>+<M2|M2>   …(1)
《解釈》「MによるMの認識」は「M1によるM1の認識」と「M2によるM2の認識」の和に等しい。

   【M1とM2とが「融合」した状態】
 干渉項が<M1|M2>≠0、<M2|M1>≠0であり、無視できない場合です。※は次の(2)になります。
   <M|M>=<M1|M1>+<M2|M2> +<M1|M2>+ <M2|M1>   …(2)
《解釈》「MによるMの認識」は「M1によるM1の認識」と「M2によるM2の認識」の和ではなく、さらに「M1によるM2の認識」と「M2によるM1の認識」とを加えたものに等しい。

   【M1とM2の「独立」の具体例】
 M1を自分の心、M2を友人の心だとすると、この場合は(1)の方です。M1が認識できるのはM1の存在と状態だけであり、M2の存在も状態も認識できません。M2が認識できるのはM2の存在と状態だけであり、M1の存在も状態も認識できません。つまり、「M1によるM1の認識」と「M2によるM2の認識」だけが存在し、「M1によるM2の認識」と「M2によるM1の認識」は存在しない場合です。だから、M1とM2の意識内容は「独立」してしまい、両方の意識内容を同時に体験することはできません。
 逆に言うと、もし<M1|M2>や<M2|M1>が0でなければ、自分の心M1と友人の心M2とがテレパシーで「融合」してMとなり、Mの視点に立つことでM1とM2の意識内容を同時に認識できるかもしれない、ということです。

   【M1とM2の「融合」の具体例】
 自分の左脳B1に随伴する心をM1、右脳B2に随伴する心をM2とすると、この場合は(2)の方です。M=M1+M2全体の視点に立ち、M1とM2の意識内容を同時に認識できます。例えば、M=「左腕の痛みを感じつつ、「左腕が痛い」と言語表現している心」の場合、Mの視点に立つことで、M2=「左腕の痛みを感じている心」とM1=「「左腕が痛い」と言語表現している心」の両方を同時に体験しています。これは、M1とM2とが「独立」せず「融合」していることを意味します。つまり、M1はM1の存在と状態を認識できるだけでなく、M2の存在と状態をも認識しています。M2はM2の存在と状態を認識できるだけでなく、M1の存在と状態をも認識しています。だからM1とM2とは「融合」してMとなり、Mの視点に立つことでM1とM2の両方の意識内容を同時に体験できるのです。

3日前 No.61

空の光 ★0UltYc42Xq_m9i

心・・・

心は単独で存在できないのかも知れません。

人に宿ったからには。人の悲しさ、嬉しさによって体も影響を与える。

嬉しいときにはたいていのことを言われても笑って過ごします。

悲しいとき、不機嫌なとき、些細な事でも言われる。
そんな時は気分を害します。それは、表情、態度に表れる。。。かな。

人が人と一緒に居るためのシグナルなのかな。
これが心理法則なのでしょうか。


外から体に害をもたらす、それを痛みとしてとらえる。
そこから怒りの感情が、あるいは悲しみの感情がわき起こる。

それが物理に対する心の反応と考えられるかな。
体と通じあってる心だから、物理にも関係あるのかな。

3日前 No.62
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