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これで君たち哲学おたくは終わりだ!

 ( 哲学掲示板 )
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Hマルキュー ★fofH1MgenE_keJ

ふふふふ・・・・・・・・・・・

私は伝説のここの住人『赤ずきんちゃん』・・・・私に目をつけられたら君たちも終わりだな


ところで私は君たちが

哲学『する』ことを学んだのではなくて

ただ単に『哲学』を勉強しているン過ぎないと思うがいかがかな・・・・


この人たちは『知らないのに』『知っている』と思っている
しかし私は『知らない』から「知らない」ということを知っている
このほんのちょっとしたことで私はどうやらこの人たちより知恵がありそうだ

『ソクラテスの弁明』プラトン全集第1巻、田中道太郎訳参照

関連リンク: 勇気だ!勇気だ! 
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嫌われ霊夢と嫌われ魔理沙 ★fofH1MgenE_keJ

はい・・反論できないじてんで君たちは終わりです

君たちは単に哲学自慢をしているだけです

13日前 No.1

てじ @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

では、問題を明確にしてみましょう。

まず、 >>0 で呼びかけられている「君たち」に該当するのは、ここの哲学掲示板を利用している人々、でよろしいでしょうか?詳しく言うと、この哲学掲示板上の何らかのスレッドに文章を投稿している人々、でよろしいでしょうか?

そう仮定しましょう。



さて、 >>0 で問題視されているのは、

この哲学掲示板利用者が、哲学『する』ことを学んでおらず、ただ単に『哲学』を勉強しているに過ぎないということらしい。

まず、これの何が問題なのかと、考えてみます。

後半の「哲学」の字が二重括弧で囲まれています。たぶん、これは、哲学に見えるけど実は哲学ではない何か、を暗示しているのでしょう。

すなわち、問題は、

哲学掲示板利用者は、哲学に関わっていると自称したり、その見かけを装っているけれども、実質的には、何か別なことをしてしまっている、ということでしょう。

哲学自慢( >>1 )しているのであって、自分の話をしているのであって、哲学の本質的なところに関わっていない、ということです。

>>0 の指摘は、戒めです。

ひとつ反論しておくと、この哲学掲示板はルールによって規定されているのですが、そのルールによると、「哲学の定義は各自にゆだね」られています。ここでははじめから(すなわちルールの時点で)自称哲学も歓迎されていると、思います。削除の基準は、哲学っぽい雰囲気があるかどうか、雰囲気ですから。



ところで、議論するにあたって、まだ不明確な言葉があります。

哲学『する』こと

この表現の意味が不明確だと思います。

「哲学する」という、奇妙な日本語に、「哲学を勉強し」たことのない人々は戸惑うかもしれません。

なぜこんな変な日本語が当たり前のように使われているのかを説明するために、この言葉の出典を明らかにしましょう。



この言葉はイマヌエル・カント(1724-1804)という昔のドイツの哲学者の主著『純粋理性批判』の「先験的方法論」第3章に由来します。一節そのまま引用してみましょう:

>Man kann also unter allen Vernunftwissenschaft (a priori) nur allein Mathematik, niemals aber Philosophie (es sei denn historisch), sondern, was die Vernunft betrifft, hoechstens nur p h i l o s o p h i e l e n lernen.


訳しますと:

>したがって、あらゆる(ア・プリオリな)理性学問のうち、数学だけです、学習できるのは。哲学は(歴史学的なものでないかぎり)絶対学習できません。理性に関することを『哲学する』ことが学べるにすぎません。


「哲学する」という言葉は「philosophielen」の訳語なのですね。翻訳語だから、奇妙なわけです。



この言葉を批判に使う場合、有効なのは、まず、「アプリオリな哲学を学習できる」と主張する人に対してでしょう。

これはどういうことかというと、何らかの哲学原理を習得したならば、過つことなく哲学的言説を述べられるようになる、なんてことはない…ということです。

すなわち、こういう類のこと、例えば何とか理論を習得したら哲学をマスターできるとか、ひとつの卓越した智慧を得たならば哲学完成だとか、そんなことを言ってる人は批判されます。それは哲学ではなくて、なにか別なものでしょう。



ただ、それはこの言葉を鵜呑みにした場合のみ、です。

引用したことで、意味不明瞭な言葉が増えてしまいました。

それらの言葉を明確にする必要があります。

・理性
・数学
・歴史学的
・学習

明瞭化の作業は、『純粋理性批判』のスレが別にあるので、そこで行う予定です。




また、肝心の、哲学すること(Philosophielen)って何やねんという、問題は片付いていません。

こういう先延ばしを、俺がするのは、理由ないことではありません。

哲学するという言葉がカントの本のこの箇所に由来するというのは、歴史学的知識でしょう。歴史学的哲学は、学習できます。学習というか、ググれば出てきます。

哲学すること、これは、文献学的に定義するべきものではありません。(君たちというか)俺たちが、くだらない人間に終わるかどうかがかかっています。

こういう生死に関わるような重大なことを、「ひと」は先延ばしにするものです。

こういう態度を、 >>0 は戒めています。

ただ、これは原理を明白に提示すれば解決する問題ではなくて、ただ、生きていくなかでどれだけものを考えるかという話なので、自ずと示されてくるでしょうし、仮にあるとき哲学したとしても、気を抜くといつでも直ちにくだらない存在に舞い戻るといった事柄です。

ここでの本当の問題は、

くだらない存在でありつづけるのか、どうなんだ、え?

と定式化されるでしょう。

くだらないとかつまらないとかは、ちょうど、カントの「尊敬」の反対です。この問題がカントにあっては、道徳の問題になります。道徳性は、一種の態度です。態度は、気を抜くと、緩む。

自分の行為の格律は普遍的法則になってもいいような(尊敬できる)ものか、どうなんだ、え?

常に問われつづける。これに心から(感情でもって、特に尊敬という感情でもって)YESと言える行為をしてゆくこと。これが幸福に関わる。



で、俺はやはり『純粋理性批判』を読むべきだろう。(続きは http://mb2.jp/_tetsugaku/906.html で)

13日前 No.2
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