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正義と力〜強いものが正しい〜

 ( 哲学掲示板 )
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すめん @levinas ★iPad=yobASV48iU

パスカル『パンセ』に次のような節がある。

>正義、力。/正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。/力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。/力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。/正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。/このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。

(パスカル『パンセ』前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年、p.200、§298)

この節において、最も強烈なのは結論の部分である。

「正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである」。

たしかに、パスカルの論には説得力がある。しかしそれでは、強いものの主張のみがまかり通っていいのか。弱いものの正しさは、押し潰されてしまうのか。本当にそれでいいのか。

本当に強いものが正しいままでいいのか。

意見交換したいです。

ページ: 1

 
 

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

むずかしい。

>弱いものの正しさは、押し潰されてしまうのか。本当にそれでいいのか。


押し潰されなければ、迫害されてもめげなければ、暴力から逃れて生き残れば、その“強いもの”が滅びた後まで生き残れば、私の勝ち。

15日前 No.1

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

ラズウェルが権力というものにはいくつかの基底があると述べたように、単に力と言うだけでは強い弱いの基準にならない気がします。
例えば、腕力がある人は腕力では強いかもしれませんが、権力の前には歯が立たないかもしれません。
権力のある人は病になったときに、医学という学問を学んだ人の前では言うことを聞かなければならないかもしれません。
それ故、たとえ強い者に従うことになるとしても、結局力の在り方が多々ある以上、トップでは言うなれば3すくみのような状態が生じ、弱いものの正しさは、押し潰されてしまう状況にはなりにくいと考えることもできると思いますね。

15日前 No.2

貴方 ★QBKZ3kx8nH_Njd

何らかの権威によって正当性を付与された、或いは、されるに値する人がいて、その人が持つ権力の強弱によって、その人の主張する正義が実現する可能性に差が生じているのが問題ということ?

あー、私、ほとんど発達生涯ですねえ〜。問題が読み取れないんです。世間の常識(また言ってしまった)だと、そういうこと、いくらもある気がするのですが?

そのような現実は、たしかに問題は問題ですが、議論すべきポイントはなんだろう?

15日前 No.3

貴方 ★QBKZ3kx8nH_Njd

正当性がどこからやってくるか? 結局、マックスウェーバー。本やネットに書いてあるので、話すことはあまりない気もするし。

15日前 No.4

トム ★3fRLKmyXnJ_SEk

パスカルが結論の論拠としてあげた命題(「正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。」)自体を検討しなくちゃいけない気がしますね。

>正義は論議の種になる。
これはその通りですね。正義とは何であるか明らかではないので、この概念をはっきりさせる必要がある。だから議論がずっと続いているのだと思います。
ところがパスカルはこれを力によって決定される概念だと主張していますね。だから力について検討しなければなりません。

>力は非常にはっきりしていて、論議無用である。
さて、これはパスカルの言う通りでしょうか? 私はちょっと同意できないですね。理由は、パスカルのいう力とは何かはっきりしないからです。
ひょっとすると、すめんさんが引用された文献には注釈があって、学者によってここでいう「力」の定義が説明されているのかもしれませんけれど、
残念ながら私の手元にそちらの本がないので、引用部分のみからしか判断できません。 >>2 において志野さんがおっしゃっているように、力というのは
多義的ですし、そのため状況によっては優劣関係が変化してしまう。

だから、問題はパスカルが述べた「力」が、そのような状況による差異をも超えた普遍的な何かを意味しているのか、あるいは個々の状況において
力関係は変化してしまうというような意味での力なのか、ということにあると思います。とすると、後者の可能性はないでしょう。
なぜなら、ここでは「力」も「正義」も何の限定もなく述べられており、一般化された概念を指していると思われるからです。

とすると、パスカルは状況の如何によらず正義が何であるかを規定する概念としての力について述べていることになるのですが、私はこれに反対ですね。
理由は、先ほど述べたように力関係は状況に応じて変化せざるを得ないからです。一切の関係性において権力を持ち続けるということは不可能ですし
(例:専門的知識の議論において一般的に権力があるとされている政治家が何が正しい知識であるかを決定するルールも特権も存在しない)、
それが可能だというのは一種の陰謀論に堕するだけでしょう。

もちろん、パスカルの主張が妥当していそうな具体的な例はたしかに考えられます。たとえば、日本の民主主義・平和主義・国民主権は超大国アメリカに敗北したからだ、とか。
しかし同時に、彼の主張が妥当しない具体例も考えられます。身近な例で言うと、スクールカースト強者が教室での空気を支配する(=他者を自分の望み通りに動かせる=権力を持つ)
と言えども、スクールカースト弱者にナイフで刺されれば重傷を負ったり絶命したりします(=物理的力による屈服=権力関係の逆転)。この権力関係の転覆に見られるような場合の
力とは、どうも同じ力を指しているとは言えないのではないでしょうか。

これら一切は結局のところ、相手を自分の望む通りにできるかどうか、という点で共通するのだから、それは普遍的な力なのだと言うのなら、それはほとんど何も言っていないに等しい。
それはただその時々の関係において有利と見えたものに「力」という言葉を与えているだけに過ぎないからです。

14日前 No.5

すめん @levinas ★iPad=yobASV48iU

みなさん、こんにちは。

これまでの意見を踏まえつつ、ぼくの意見は次のようなものになります。

「力は絶対的であるから、力なのであって、その解釈に相対性がはいりこんでしまえば、それは力以外の別の何かである」

たとえば、 >>2 にあるように、

>権力のある人は病になったときに、医学という学問を学んだ人の前では言うことを聞かなければならないかもしれません。


という場合の従属関係は力以外の別の何かのような気がします。

あるいは、 >>5 で言われている、

>しかし同時に、彼の主張が妥当しない具体例も考えられます。身近な例で言うと、スクールカースト強者が教室での空気を支配する(=他者を自分の望み通りに動かせる=権力を持つ)/と言えども、スクールカースト弱者にナイフで刺されれば重傷を負ったり絶命したりします(=物理的力による屈服=権力関係の逆転)。


というのも、前者と後者とでは関係性の水準が異なっています(それを括弧内で示されているのでしょう)。しかし、異なる水準の関係性を引き合いに出しても、一定の関係性の内部では、力の絶対性に揺らぎはありえません。もしそこが揺らぐなら、それはもう力とは呼べないでしょう。

だから、結論として、力に相対性を認める場合、それはここで問題とされる「力」ではない。したがって、問題とされるべき「力」は、パスカルの言う「非常にはっきりしていて、論議無用」なものでなければならない、というのが、ぼくの意見です。

ちなみに、「力」に関して、訳注は見当たらなかったです。

12日前 No.6

すめん @levinas ★iPad=yobASV48iU

>>1

たしかに、力や勝敗の基準をずらせば、また異なった見方ができるかもしれません。

意見、ありがとうございます。

12日前 No.7

地下水 ★lHRYPNADL9_TnX

強いものにも程があります。水爆は環境も台無しにするので、強いから正義では無くて、絶対悪とまで言われています。

警察の拳銃は強いので正義ですが、やたらに犯人を撃ち殺し出したら、悪になります。

ですから、強いものも適度でないと、対象や環境までを破壊してしまい、正しい使い方にはならないのです。

11日前 No.8

貴方 ★QBKZ3kx8nH_Njd

>権力のある人は病になったときに、医学という学問を学んだ人の前では言うことを聞かなければならないかもしれません。


このフレーズ。
なだいなだ氏だったか、子供の頃読んだ『権威と権力』という対話集を思い出します。
その場合の「力」は「権威」という範疇に属するものでしょう。

>スクールカースト強者が教室での空気を支配


これは暴力的契機。問題は正当性。

>スクールカースト弱者にナイフで刺されれば重傷を負ったり絶命したりします


教室という閉じた空間だけで判断するとクーデターや革命が成立する余地があるかもしれませんが、
力が正当性と結びつくから社会的な問題になるのであって、結びつかないものは、まず維持できない。
一時的なものでしょう。

手垢まみれの常識的なコメントですが、そんな感想しか言えません。
ここでいう「力」が何を指すのか良く分らないので、もう少し明瞭にしてもらわないと参加できそうにありません。

11日前 No.9

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>すめんさん

>従属関係は力以外の別の何かのような気がします

同じような指摘を貴方さんからも頂いたので、少し考えてみますか。
ただ、


>力の絶対性に揺らぎはありえません。

これは確かにそうだと思いますよ。
「Aに対して、BがAの意思に関わらず、Bの意のままにする程度に十分な関係を生じさせるもの」と、乱暴にですが力を定義すれば、それは成り立ちます。
その逆転はあくまでもこの生じさせるものの違いによって生じるだけであり、関係性は絶対的なものと言えるのではないでしょうか。

11日前 No.10
ページ: 1

 
 
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