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正義と力〜強いものが正しい〜

 ( 哲学掲示板 )
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すめん @levinas ★iPad=yobASV48iU

パスカル『パンセ』に次のような節がある。

>正義、力。/正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。/力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。/力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。/正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。/このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。

(パスカル『パンセ』前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年、p.200、§298)

この節において、最も強烈なのは結論の部分である。

「正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである」。

たしかに、パスカルの論には説得力がある。しかしそれでは、強いものの主張のみがまかり通っていいのか。弱いものの正しさは、押し潰されてしまうのか。本当にそれでいいのか。

本当に強いものが正しいままでいいのか。

意見交換したいです。

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地下水 ★KATHFaYqOw_Bka

>>83 生活の保障という事になると、人権の保障であろうか。戦争になれば人権の保障が守れなくなる。日常の秩序の維持が必要なのである。人を窮地から日常に戻してあげる事も、また善であろうか。

単に強くてもいけない事がある。正しい事でもまだ足りない。善が必要なのである。それは幼くは道徳である。長じては倫理である。社会生活なのである。人権の保障なのである。

1ヶ月前 No.89

安齋昌宏 ★IpEO77cCOU_fud

「正義」は辞書的には「正しい道理」あるいは「正しい意義」です。そのために「正しい」についてまず論じてはいかがでしょうか?善と正しさとの違いもその意味で有意義だと思います。
@「正しいものは正しい。」
Aしたがって「誰にとっても正しいものは正しい。」
Bしたがって「正しいものは誰にでも通用する普遍性または普遍妥当性をもたねばならない。」
これは厳密な論証ではありません。まず「誰」が問題ですよね。これは「承認」の主体としましょう。承認、賛成や反対できる主体ですね。ドイツ語で「lassen」と「gelten]を用いると「承認する」という意味になります。正確には「正しいものはそれが真に正しいものならば誰もが正しいと承認すべきである。」ということです。したがって「普遍性」または「普遍妥当性」を持たねばならない。私の持っている国語辞典では「道理」というのも「物事のあるべき事柄、ことわり、筋道」となっています。やはり「誰にでも通用する」ものでなくてはならないのではないでしょうか?また「道理」には「道徳」という意味で用いられることもあります。

1ヶ月前 No.90

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

例えば、ニーチェの考えをとると、抑圧された人々が造り上げたのが神と言われています。
彼らは正しさが自分たちにあるので、自分たちは救われる、すなわちそうなるだけの選ばれた力がある存在としたと。
つまり、力を持つための転換機のような役目を担うものこそが正しさの本質ではないかと思うので、論じることができるのでしょうか?

1ヶ月前 No.91

辻辻 ★I10WVWR7qA_f1k

正義というのはどこにあるのでしょうか?
たとえば「絶対的な正義」というのがどこかに埋もれてるならそれを発見すればいいだけですよね。
「正義を発見したぞ」という人をたまに見かけますが、その正義が万人に共有されることはかつて一度もありませんでした。
なぜでしょう。
それは善悪の基準が「外部にあるものではない」からだと思います。

「神」というのは「私」とはちがう外部にあると思われていますよね。
あるいは神の分身みたいなものが私であるとか。
ともかく私の外部に絶対的なものとして神はある。
でもこれは少し考えるとおかしい。
なぜなら絶対的なものであるはずの神とは違うものを崇めてる人たちがいるからです。
外部にある絶対的なものは誰にとっても絶対であるはずだ。
たとえば太陽なんて絶対です。
誰にとっても降り注ぐ。
でも私が信じる神はそうではなかった。
絶対的に外部にあると思われてた神は、私の内部にしかない有限なものだった。

善悪の基準というのもこれと同じことなんじゃないでしょうか。
善悪の基準は太陽みたいに外部に絶対的にあるものじゃない。
善悪の基準は神と同じように私の内部にあるものでしかない。
だから全人類に共有される正義などというものもありはしない。
そういうことだと思います。

1ヶ月前 No.92

宿題 ★eM1n2yJmTo_Bka

正義や法は、国家権力により行使されます・・

1ヶ月前 No.93

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

>>83  ひこたさん

>なぜ「正しいと善は同じ」ということを理由とともにはっきりと書かずに「逆に質問」をしたのでしょうか?<

善を辞書で引けば「道徳的に正しい事、またはそのような行為」って書いてある。それを踏まえて私は「(道徳的に)正しい、つまり善とは・・・」と書いてきた。一般的常識に従って私はずっと「(道徳的に)正しいと善は同じもの」として書いてきたのに、あなたは「ところで、正しいことと善の違いは何?」と聞いてくる。私が「(道徳的に)正しいと善は違うと思う」と言ったのなら、その質問はまあ、分かるよ。でも私が主張してないことについて質問してくるのはおかしいだろう、それでその動機を聞きたかったのさ。私の言うことに何かおかしいところがあるかい?


>>86,87,89  地下水さん

>道徳を更に論じたものに倫理がある。倫理とは、「人間生活の秩序つまり人倫の中で踏み行うべき規範の筋道の立て方。」と辞書にある。<
道徳と倫理、どう違うんですか?

>また社会秩序とは、人の日常の生活の保障である。善行とは、日常の生活が破壊される事から、人を救う事である。<

私の言う「善とは社会の安寧秩序を守る事である」にどんどん近づいていますねw

>正しい事でもまだ足りない。善が必要なのである。それは幼くは道徳である。長じては倫理である。社会生活なのである。人権の保障なのである。<

(道徳的に)正しい事と善はどう違うんですか?


>>92  辻辻さん

>善悪の基準は神と同じように私の内部にあるものでしかない。だから全人類に共有される正義などというものもありはしない。そういうことだと思います。<

「善悪の基準は神と同じように私の内部にあるもの」ゆえに全人類に共有されるもの、ということにはなりませんか?

1ヶ月前 No.94

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

善悪の基準は個人の内部にあるというのは確かだと思いますが、その基準も背反二律でできています。
例えば、「走れメロス」の中で、メロスが友を救うことを正義としていたにも関わらず、苦難の果てに友を助けられなかった場合、悪徳者として生き延びようかとも考えている。
つまり、個人の中で善悪は共に存在しており、それが絶妙な力バランスで保たれている。
だからこそ全人類に共通などあり得ないと思います。

1ヶ月前 No.95

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

>>95   志野さん

善とは道徳的に正しい事、またはそのような行為である。つまり善には二通りある。これも新しい視点だよね。誰かこんなこと言ってるの聞いたことある?

善とは事柄と行為なのです。結果ではない。絶対的に正しい結果が出せるならそれは神です。人間は神ではありません。絶対善は絶対的な結果ではありません。ここを間違ったらだめだよ。

道徳的に正しいことは目的であり、正しい行為は手段、方法である。

例えば消費税問題でいえば消費税を上げるのが正しいという人がいる。逆に消費税を下げるのが正しいという人がいる。だから正しさなんて人それぞれという。しかしどちらの主張も国民の為というのは一致している。国民の為になるから消費税を上げろ、下げろと言っているだけ。

ゆえに絶対的に正しいのは公(みんな)の為である。そしてその国民の為になるのはどちらなのかお互いに話し合う。私欲を抑えてとにかく国民の為になるのはどちらなのかと話し合う。その結果が国民の為にならない結果がたまに出ることもある。人間は神ではないのだからね。しかしそれは仕方がない。

しかしみんなでどちらが公の為になるのかと私欲を抑えて考えたことは絶対的に正しい事なの。時に間違った答えが出ても「私欲を抑えて公の為とみんなで考える」このことだけは絶対に正しい事なのよ。

分かる?善とは事と行為。正しい事は公の為、正しい行為は私より公を優先すること、略して公の為。事も行為も「公の為」で表せる。

だから私は善とは公の為であると言っている。すべてこれで調うのです。

1ヶ月前 No.96

ひこた @hikonyan ★r5box4meL6_Bka

>>85,86
地下水さん

レスをありがとうございます。

>>85
>すると道徳とは何かという話になる。辞書には、「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準の総体。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」と書かれている。
>>86
>道徳を更に論じたものに倫理がある。倫理とは、「人間生活の秩序つまり人倫の中で踏み行うべき規範の筋道の立て方。」と辞書にある。

という辞書の記述から鑑みるに、道徳は「自分の良心」、倫理は「人倫の中」、というように、
>>92
で辻辻さんがいっているような、何らかの内部を想定していて、その中で働くものと考えられます。
しかるに、

>>87
>また社会秩序とは、人の日常の生活の保障である。善行とは、日常の生活が破壊される事から、人を救う事である。

というのは、話の流れから察するに、秩序をそれを破壊する外部から守ることが善行ということであるでしょうが、
倫理における外部の扱い、つまりそれが規範的かどうかというのはというのは内部から眺めたものに過ぎません。
すると、外部にとっては、その外部が内部であるから、異なる秩序を自らが破壊せんと試みたのは同じ理屈で外部にとっての善行であって、
秩序を守ろうとしている側はそれに対して抵抗を試みているのですから、外部から見ればその外部にとっての内部の規範を乱すものであり善行ではありません。

このような点については、どのようにお考えでしょうか?




>>94
shinくん

>私の言うことに何かおかしいところがあるかい?

あります。以下がその指摘です。

>>83
>なぜ「正しいと善は同じ」ということを理由とともにはっきりと書かずに「逆に質問」をしたのでしょうか?

1ヶ月前 No.97

辻辻 ★Fdt3yx5ax4_f1k

>>94  shinwoodさん

「善悪の基準は私の内部にあるもの」という考えが全人類に共有されるなら、自分とは違う相手の考えをもっと尊重するような世界になるかもしれませんね。
というのは冗談で、そんな平和な世界にはなりっこありません。
「いかに自分の力を拡大するか」というのが人間の駆動原理です。
善悪基準というのも力の発現の一形態でしかありません。
したがって善悪基準が違う人とは対決するしかありません。
「よろしいならば戦争だ」ということです。
shinwoodさんは「絶対善」というものを主張されていますよね。
あなたは「絶対善」というものを掲げて己の力を拡大しようとしていた。
そのあなたの力に対して私は「相対善」というもので対抗しただけのこと。
つまり私にとって善悪の基準などどうでもいいのです。
私はただ力を揮った。あなたもそうです。
いいですか人間には力Machatしかありません。
いくら屁理屈をこねて善だ悪だ倫理だ道徳だ人権だとのたまわったとて全てはただただ力の発現なのです。
そこのとこよろしくお願いします。

1ヶ月前 No.98

ひこた @hikonyan ★r5box4meL6_Bka

>>89
地下水さん

人が複数いる場合、人権には軋轢が生じます。
それは、それぞれの人がそれぞれ別個の内部を持っているからです。
すると、先ほどの理屈では、自らの秩序を守り切ったほう、つまりそれだけの力がある方が、
それが善行か否かを規定することになりませんか?

また、 >>84
>善は正しいよりも、高度な意味がある
を正しいものとすると、
それは正しいものを力が規定している、ということになりませんか?

1ヶ月前 No.99

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>shinwoodさん

その例で言うとしたら…つまり、shinwoodさんの仰る善とは限定合理性のようなものと判断してかまわないですか?

1ヶ月前 No.100

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

ひこたさん

あなたは初めに「ところで、正しいことと善の違いは何?」と聞いてきた。私は辞書を踏まえて正しいと善は同じであると書いてきた。其れなのに「正しいことと善の違いは何?」と聞いてくる。私の主張していないことを聞いてくる意味が分からない。

もう少し分かり易く書かなければ話にならないよ。

1ヶ月前 No.101

ひこた @hikonyan ★r5box4meL6_Bka

地下水さん

私はこのような理由から、 >>0 のすめんさん(パスカル)の指摘はある程度的を射たものと考えています。
地下水さんは、すめんさんの指摘について、どのように考えますか?



>>101
shinくん

>もう少し分かり易く書かなければ話にならないよ。

平易な日本語で書いたにも関わらず、それがわからないのであれば、話にならないのでやめましょう。

1ヶ月前 No.102

地下水 ★KATHFaYqOw_Bka

>>97  そうですね、社会秩序というと、善行というには言葉が違う様なので、訂正します。天安門事件や、今の香港の弾圧もありますしね。それは善行とは言いませんよね。
 ここで想定していたのは、バス停の女学生が刺されたのを守ろうとして亡くなった方や、通り魔事件や、京アニの放火の様な、犯罪を未然に防ごうとしている、治安維持活動です。
 また善行というのは、線路に落ちた人を、我が身を省みず、とっさに救った人の、心の動きであって、この様な時に用いるのが適当ですね。災害にあった人をボランティアで助けたり、貧しい人にチャリティー活動をしたり。
 日常の生活を失おうとしている人を救うことが、善行ですね。

1ヶ月前 No.103

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

>>98   辻辻さん

>あなたは「絶対善」というものを掲げて己の力を拡大しようとしていた。<

別にそんな意図はないけどね。ただ真理を知ってもらいたいだけ。まあ、私の意見が受け入れられれば一つの力になるけどね。
しかしあなたは力を悪い者のように言うが、公の為の力は善であり、私欲の為の力は悪である、ただこれだけの事なのよ。公の為であればすべて善になるのよ。あなたはそこが分かっていない。


>そのあなたの力に対して私は「相対善」というもので対抗しただけのこと。<

私が絶対善を見つけたので、もう相対善はありません。あなたはどういうことが善は相対的だと言うのか例で示してごらんなさい。何が相対的だと言うの?しかしこのスレではもったいないから私のスレ「絶対善の定義について」に書き込んでください。すべて私が論破して見せますからw



志野さん

>その例で言うとしたら…つまり、shinwoodさんの仰る善とは限定合理性のようなものと判断してかまわないですか?<

限定合理性のようなものかどうかはあなたが判断してください。そんな言葉は知りませんし、こ難しい言葉は使いたくありません。


>>103  地下水さん

>社会秩序というと、善行というには言葉が違う様なので、訂正します。天安門事件や、今の香港の弾圧もありますしね。それは善行とは言いませんよね。<

天安門事件や香港の弾圧が公の為であるならそれは善であり、天安門事件や香港の弾圧が公の為でないなら悪である。
まあ、天安門事件などは共産党の私欲のためだから悪だけどね。
権力者が国民を殺してもそれが公の為なら善であると言う事。例えばアメリカのある村で治療法のない伝染病が発生しバタバタと人が死んでいる。全米を救うためその村を核で消滅させるしか手段がないとなれば、あなたがもし大統領ならどうしますか? とにかく絶対的に正しい行為は「私欲を抑え公の為と考えること」なのですよ。これ以上に正しい行為はないのです。

1ヶ月前 No.104

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>shinwoodさん

限定合理性というのは、完全な政策案を決定するのは無理なので、人々が納得する上で最善の政策案を決定しようとする政策決定理論です。
こういう考え方でよろしいでしょうか?

1ヶ月前 No.105

地下水 ★KATHFaYqOw_Bka

>>104  貴方は日本語の勉強をした方が良いですね。そんな行為は善行とは言いません。言葉には使用する範囲というものがあります。それは善行とは言わず、政策と言います。そしてそれは完全な政策でもなく、限定的に合理的な政策というのです。どこまでも言葉を拡張して使えるのならば自然言語で論じる必要はありません。しかし実際は自然言語に照らして、様々な要素の関係から質の段階が変容するので、異なる言葉が使われるのです。言葉の誤用や造語による誤謬や混同・混乱・言葉の乱用は、ウィトゲンシュタインによって既に指摘され、禁じられています。

1ヶ月前 No.106

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

・「正義」は、人の数だけあるのではないだろうか?

だとすると、「普遍的な正義」を定義しようとする試みは、「悪」なのではないだろうか?
「公共の善」というのは、個々人の正義の積をとったような「妥協の産物」なのではないだろうか?

※「積をとった」というのは もちろん比喩的な表現で、本来の積とは異なる。例えば、「少数意見の切り捨て」などの“ノイズ”を含むものであり、厳密なものではない。

29日前 No.107

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

正義は人の数の何倍もあると思いますよ。
実際、人の中でも正義の在り方は変わるじゃないですか。
だからこそ、普遍的な正義は定義不可だと思うのです。
ちなみに、悪としてしまうと正義も定義可能になってくるのではないでしょうかね。?表裏一体ですし。

そして、その「妥協の産物」が正義の正体でもある気がするのですよね。

28日前 No.108

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

>>107   Mobius さん

>「正義」は、人の数だけあるのではないだろうか?<

これは相対主義ということですね。正しいは相対であると言うなら、何が正しいが相対的なのか、例を挙げてくれませんか? どういうことが正しいは相対的なの?

28日前 No.109

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>108,109 志野さん、shinwoodさん、お返事ありがとうございます。

最近 私は、レヴィナスの『全体性と無限』という本を読んでいます。
その中の一節を紹介します。

>『正義とは、他者であるという特権および他者による統御を承認することである。奸策、人心の掌握、搾取としてのレトリックとは無関係に、正義は他者に至ろうとする。この意味において、レトリックの超克は正義と合致するのだ。』


「正義」が「他者を承認すること」なら、「正義」は「他者の数だけある」ということにならないだろうか?
という発想から「『正義』は、人の数だけあるのではないだろうか?」と思うに至りました。

「公のため」というのは、「他者による統御を剥奪すること」に繋がりますので、レヴィナスの上記文脈でいう『正義』にとっては、『悪』なのではないかと発想しました。

shinwoodさんの思う「公のため」に寄り添うことは、shinwoodさんに対しては『正義』ですが、
「万人にとって『公のため』が正義である」という主張については、『奸策』,『搾取』,『他者性のはく奪』に該当すると思われますので、『悪』だと思います。

28日前 No.110

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>Mobiusさん

個人的には『正義とは、他者であるという特権および他者による統御を承認することである。』なので、

>「正義」が「他者を承認すること」

は正確には

>「正義」が「他者による統御を承認すること」

になるのではないでしょうか。
確かに、正義とは確かに人の数(やその数倍)あると思います。
しかし、その前に正義とは承認することですよね。統御とはまとめ上げることならば、他者によってまとめ上げる何かを承認することではないでしょうか。
もし正義自体が統御される対象であるならば、正義とは他者による統御対象とでもなるのではないでしょうかね。
つまり、統御される対象とは何か?と考えることが大事であり、統御の対象とは力だと思うのです。
1人1人の持つ力をまとめ上げることを承認する行為こそが正義であり、言わばまとめ上げられた力の方向へ向かうGOサインこそが正義なのではないでしょうかね。
それは言わば妥協の産物ともいうことになると思います。
なぜなら、全ての力をまとめ上げることは不可能だからです。
そうすると、悪とはその統御された力とは別ベクトルの統御された力となるのではないでしょうか。

ということを考えました。最初(最後?)に断っておくと、今、アルコール4合が入っているので(苦笑)、もしおかしいというところがあればまた教えてください。

28日前 No.111

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>111 志野さん、

例えば、ここに他者Aさんと他者Bさんがいたとします。
他者Aさんによる統御が 他者Bさんの統御を侵すものであれば、他者Aさんにとってそれは『正義』ではないと思います。

28日前 No.112

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>Mobiusさん

文面を見る限りでは、その通りだと思います。
でもその比喩が111にどう繋がるのかがいまいち分かりませんので、もしよろしければもう少し深く教えてください。

28日前 No.113

混沌 ★WfF1Lza5KJ_yoD

この世に力をもった存在はいません。「変化」とは在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになることである

つまり。「変化」とは在るものが否定され無いものになることであり、無いものが否定されあるものになることである。

力とは虚無の領分なんですよ。そして虚無は常に外にいるのです。力の一際がない以上この世界が変化がない世界なのは自明です

仮に変化がある世界なら変化とともに外からの干渉で世界はぶれていくでしょう。

27日前 No.114

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>混沌さん

在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになる変化というのは、「在る」状態を「無い」状態へとせしめるものですよね?
それって「Aに対して、BがAの意思に関わらず、Bの意のままにする程度に十分な関係を生じさせるもの」という力の定義とあいませんか?
もっとも、この式はラズウェルの権力の定義を参考にしているものですが。

27日前 No.115

混沌 ★WfF1Lza5KJ_yoD

>志野さん

どちらかといえば初めから存在しないから干渉できるという感じだからあまり関係ないですね。

Aと誤認されたBに対して、BがAの意思に関わらず、Bの意のままにする程度に十分な関係を生じさせるものですから

自己に対する干渉なんで

27日前 No.116

宿題 ★eM1n2yJmTo_Bka

混沌さん

>「変化」とは在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになることである


>つまり。「変化」とは在るものが否定され無いものになることであり、無いものが否定されあるものになることである。



行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、

代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。


存在意識は無限に可能な浮遊状態になります・・

存在意識は・・無基底的な崩壊状態になることに抵抗します・・

27日前 No.117

★E6vycvPYvN_pzR

おじゃまします。ちょっと浮かんだので。

A「地球温暖化が進んでいる。温暖化がこのまま進むとわれわれの生活が危なくなる。だからそれに対処しなければならない。」
B「地球温暖化には根拠はない。もしそうだとしてもわれわれの生活には影響はない。それより経済発展のほうを優先すべきだ。」

Bは力を持っている。Bがイエスと言わなければAの主張は通らない。
どちらの主張が”正しい”のかはわからない。

問題は、Bはなぜ力を持つようになったのか?

「正しいこと」と「強いこと(力があること)」とを結びつける?

オリンピックで金メダルをとった彼は他の選手より強かった。
彼は正しかった?

27日前 No.118

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>混沌さん

存在しないから干渉できるというのはどういうことでしょうか?


>遊さん

Bはなぜ力を持つようになったのか。それはBの方が身近な事例を出したことで、人々のまとめ上げる力が大きかったからだと思います。
オリンピックの例は思いつきませんでした。正直なところ分かりません。考えてみます。

27日前 No.119

★E6vycvPYvN_pzR

ここ、もうちょっといいかしら。

>119
志野さま
<Bの方が身近な事例を出したことで、人々のまとめ上げる力が大きかったからだと思います>
なんか、わたしもそう思います。
でも、志野さまの言う<人々の>っていう人々は、どんな人々のことなのですか?

27日前 No.120

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

>>110  Mobius さん

『正義とは、他者であるという特権および他者による統御を承認することである。(意味が分からない)

奸策、人心の掌握、搾取としてのレトリックとは無関係に、正義は他者に至ろうとする。(意味が分からない)

この意味において、レトリックの超克は正義と合致するのだ。(何を言っているのか理解できない)


このように正義を難しくしか語れないのはカントのおっさんと同じで正義をまだよく分かっていないからでしょう。そんな人の本をよむのは時間の無駄でしょう。

あなたは正義は相対的というならその例を示してくださいとお願いしています。



游ちゃん >オリンピックで金メダルをとった彼は他の選手より強かった。彼は正しかった?<

強い者たちがいると示すことは、その国は侵略されなくなるからね、金メダルを取ることは種族保存、社会の安寧秩序に寄与するから善である。

27日前 No.121

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>遊さん

失礼しました。人々「の」ではなくて「を」です。
そうすると遊さんの疑問にも変化が起こるでしょうか?

27日前 No.122

混沌 ★WfF1Lza5KJ_yoD

>志野さん

。「変化」とは言い換えれば在るものが存在しないことであり、無いものが存在しないことである
つまりこういうことですよ。

27日前 No.123

★E6vycvPYvN_pzR

shinwoodさま
参加することに意義がある、じゃないよね。参加できない人(選手に選ばれない人、参加するための条件=強いこと、があるよね)は、いっぱいいるよね。
オリンピック推奨派? それ、どういう意味で?

オリンピックと侵略と善とを結びつけます?
ま、それとして、
金メダルをいっぱいとる国は、他国を支配したがる傾向をもともともっているんじゃないかってね。

27日前 No.124

★E6vycvPYvN_pzR

>122
志野さま、「の」でも「を」でも変化ないみたい。わたしの疑問は、

<Bの方が人々の(を)まとめる上げる力が大きかった。なぜなら、Bは身近な事例をだしたから。>って見て、

わたしが問題としているのは「人々」のほうなの。

27日前 No.125

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>遊さん

なるほど。それならば人々というのは、A、B各々の考えに納得や共感を示した人々(の頭数)を考えています。


>混沌さん

…もう少し板を眺めてみます。
立花氏の仰るように、もしかするとある時、ふっと理解できるかもしれないので。
なお、何かいい例え話でも思い付かれたら、教えてください。

27日前 No.126

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>113 志野さん、

>文面を見る限りでは、その通りだと思います。

>でもその比喩が111にどう繋がるのかがいまいち分かりませんので、もしよろしければもう少し深く教えてください。


承知しました。では、 >>111 に戻ります。

>>111
>個人的には『正義とは、他者であるという特権および他者による統御を承認することである。』なので、

>>「正義」が「他者を承認すること」

>は正確には

>>「正義」が「他者による統御を承認すること」

>になるのではないでしょうか。


まず この点ですが、より正確には、「他者であるという特権および他者による統御を承認すること」が「正義」になると思います。
分けて書くと「他者であるという特権を承認し」かつ「他者による統御を承認すること」が「正義」になる ということです。
「他者による統御を承認すること」だけでは不十分です。もちろん「承認すること」だけでも不十分です。

「他者による統御をなんでもかんでも承認すること」が正義だと言っているわけではないと思います。

「他者であるという特権および他者による統御を承認すること」を 私の言葉で言いなおすと「他者の他者性を最大限に尊重すること」になります。
(ニュアンスの違いはご容赦下さい。)


>しかし、その前に正義とは承認することですよね。


上記のとおり、「承認すること」だけでは不十分です。


>統御とはまとめ上げることならば、他者によってまとめ上げる何かを承認することではないでしょうか。


「何か」ではなく、「他者性」だと思います。


>もし正義自体が統御される対象であるならば、正義とは他者による統御対象とでもなるのではないでしょうかね。


正義自体は、統御される対象ではありません。


>つまり、統御される対象とは何か?と考えることが大事であり、統御の対象とは力だと思うのです。


統御の対象は、他者の内にあるもの(他者性)です。

(以下は省略させて戴きます。)

伝わりましたでしょうか?

27日前 No.127

混沌 ★WfF1Lza5KJ_yoD

>志野さん

存在しないとは言い換えれば存在するものが存在しないことであり、存在しないものが存在しないことである

つまりこういうことですよ。

27日前 No.128

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>121 shinwoodさん、

>正義は相対的というならその例を示してくださいとお願いしています。


>>107 は、レヴィナスの他者論における正義の扱いから触発を受けて自分の考えを述べたものです。

「相対的」とか「絶対的」とかいう観点で意見を述べたわけではありません。

27日前 No.129

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>Mobiusさん

伝わっているつもりです(笑)。人と人の思考ですから、確実に伝わっているとも断言できませんが。


私の書いた何かを他者性とすると、他者によってまとめ上げる他者性を承認することになりますよね。
もっというと、他者によってまとめ上げる他者の内にあるものとなり、正義とは他者という存在の中で自己完結されるものだから、、「正義」は「他者の数だけある」となると捉えていいですかね?

26日前 No.130

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>130 志野さん、

>「正義とは他者という存在の中で自己完結されるものだから」


この部分が違います。

「正義」とは、「他者の他者性を(“私”が)認めること」です。

「他者」という概念は、人が2人以上いないと成り立ちません。
例えば人が2人居たとして、一方が自分なら、もう一方は「他者」です。

その他者が有する他者性は、その他者自身にとっては「他者性」ではなくなってしまいます。
その他者が自分自身で自己完結できるとしたら、それは「他者性」ではなくて「自者性」とでもいうべきものになってしまいます。

26日前 No.131

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>Mobiusさん

そうですか…。
そうなるとやはり力の存在が見えてきてしまうのですよね。
例えば他者の他者の内なるものを認めるにしてもです。
思想や考えはこの他者の内なるものに当たるのではないでしょうか。
しかし、これを認めてくれと言って認められるかと言えばそうではないですよね?
現にMobiusさんも議論をして、認められない考えに対しては愚痴っている姿もありましたが(苦笑)
認めるためには、その他者が認められるだけの「魅力」だったり、「学力」だったり、「説得力」だったりするような力が働いているのではないでしょうか。
その力によって認められる、承認される正義に繋がるような気がするのですが、如何でしょうか?

25日前 No.132

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

Mobius さん

>「他者であるという特権および他者による統御を承認すること」を 私の言葉で言いなおすと「他者の他者性を最大限に尊重すること」になります。<

なにか難しい言葉使ってるけど、言ってることはこれ、人権の尊重ということでしょう。例の「君の意見には反対だが、君が表現する自由は命を懸けても守る」ってやつじゃないの。

25日前 No.133

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>132 志野さん、

>思想や考えはこの他者の内なるものに当たるのではないでしょうか。

>しかし、これを認めてくれと言って認められるかと言えばそうではないですよね?


「他者の他者性」とは「“その他者”を“その他者”として位置付けているもの」です。誤解を恐れずに言うと『その人ならではの個性』です。

「思想や考え」というのは、『その人ならではの個性』ではないので、『(私のいう)正義』の対象ではありません。


>認めるためには、その他者が認められるだけの「魅力」だったり、「学力」だったり、「説得力」だったりするような力が働いているのではないでしょうか。


「他者の他者性」とは、「魅力」,「学力」,「説得力」(,「財力」,「腕力」,「政治力」,「神通力」,「その他の力」)などの外にあるものです。

25日前 No.134

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_H3N

>>133 shinwoodさん、

> >「他者の他者性を最大限に尊重すること」(以下略)


>なにか難しい言葉使ってるけど、言ってることはこれ、人権の尊重ということでしょう。


「他者の他者性」とは、「人権の尊重」のように「人全般として括られるもの」ではなくて、「その人だけに認められるもの」です。


>例の「君の意見には反対だが、君が表現する自由は命を懸けても守る」ってやつじゃないの。


「表現する自由」のように切り取られたものではなくで、「その人ならではの、表現し得ないもの」です。

たとえば、「私(Mobius)がshinwoodさんのことを、思想とか普段の言動とか そういうものとは一切関係なしに無条件にリスペクトする」というようなものです。それが『(私のいう)正義』です。

25日前 No.135

shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_Bka

Mobius さん

>「他者の他者性」とは、「人権の尊重」のように「人全般として括られるもの」ではなくて、「その人だけに認められるもの」です。<

「その人だけに認められるもの」というのが個性を尊重することでしょう。個性を尊重することがその人の人権尊重でしょう?



>たとえば、「私(Mobius)がshinwoodさんのことを、思想とか普段の言動とか そういうものとは一切関係なしに無条件にリスペクトする」というようなものです。それが『(私のいう)正義』です。<

オームの麻原も無条件でリスペクトすると言うことですか?それは正義ではなく無知蒙昧というのではないだろうか。

24日前 No.136

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>136 shinwoodさん、

>個性を尊重することがその人の人権尊重でしょう?


「人権」というのは、「個性」によらず「人であれば誰にでも認められる権利」ではないでしょうか?


>オームの麻原も無条件でリスペクトすると言うことですか?


「オームの麻原」は、shinwoodさんとは別人です。shinwoodさんを無条件でリスペクトしたからといって、別の人も無条件でリスペクトするというわけではありません。


「正義」が「個々の他者」に向くものであって、「他者全体の集合」に向くものではないのであれば、「正義」は「個々の他者」の数だけ存在するということになるので、「(人全体に適用する)普遍的な正義」は「定義不能」ということになるのではないでしょうか?

24日前 No.137

宿題 ★eM1n2yJmTo_Bka

リスペクトとは尊敬する人との主従関係では無いと思います・・

23日前 No.138
ページ: 1 2

 
 
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