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「絶対はない」vs「絶対はある」

 ( 哲学掲示板 )
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すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_EsX

「絶対はない」と言うと、思考停止に陥りがちだし、
「絶対はある」と言うと、独断と偏見に陥りがち。

あなたはどちらの立場に立ちますか?

熱い議論を交わしましょう。

メモ2019/06/06 16:19 : すめん @levinas★gVURwKBNCQ_EsX

<「絶対的真理はない」vs「絶対的真理はある」>、というテーマに変更します。

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shinwood @shinwood ★mjl0ItnnrE_agK

>>97   SumioBabaさん

>まだ、そんな事を言っているのですか。ザビビのふくろうさんがとっくに論破したはずです。<
>ただ、赤ちゃんの段階の脳というのは、自然淘汰(とうた)の産物であり、その先天的な道徳観には当然ながら限界がある。実際、数々の研究で判明しているように、赤ちゃんの道徳的判断というのは、最初、融通が利かない。世界を硬直的に「自分たち」と「彼ら」に二分してしまって、自分たちのグループにかたくなに肩入れするのである。<

全然論破されていません。ふくろうさんは「赤ちゃんの道徳判断は融通が利かないと言っている」これは赤ちゃんにも道徳的判断を認めていると言うことです。常識的に考えて助ける人形を好み邪魔する人形に制裁を加えると言うのは善悪が分かっていなければできないことです。私はこれを本能的善と言っておりこれこそが善の本質です。動物たちが長い時間をかけて作り上げたものでしょう。この本能的善を基にして私たち人間は理性的善を考えるのです。

>現代の人間であれば、平等や万人の自由といった抽象的な道徳概念を持っており、あえて敵を愛することもできる。<

これはふくろうさんは理性で考えられた正しさを言っているのです。理性で善を考えるためには本能的善がなければならないのです。理性だけで善は出てきません。そして理性で考えられた正しさ、善も本能的善の社会の安寧秩序を守る事、つまり公の為また「私より公を優先する行為、略して公の為」によって理性で正しさを考えることには何ら変わりはありません。善とは公の為ですべての問題を考えるのです。

>もし、ザビビのふくろうさんとshinwoodさんとが生徒で、SumioBabaが先生の立場に立って採点するなら、ザビビのふくろうさんの説明は完璧であり、減点の余地が無いので、100点満点をつけます。<

相対主義しか知らないへぼ教師ならそうでしょうが、絶対善はあるとしたソクラテス先生なら私を100点とするでしょうw
あなたが賞賛しているふくろうさんの絶対善のスレを読み返してみましたが分からないところがあるので教えてください。絶対善のスレで質問します。

9日前 No.101

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

絶対はあるかないかって話だと、「絶対はある」の方が有利そうだ。「絶対はない」は自己論駁的であるのに対し、「絶対はある」というのは自己肯定的だからだ。ある命題を提示するとき、「その命題は正しい」(それも結構絶対的は意味において)ということが含意される。つまり、「絶対はない」と主張するとき、『「絶対はない」は絶対に正しいんだ〜』的なことを言ってることになる。それは、絶対はないと矛盾するでしょって話になっちゃうわけだ。自己言及の困難というヤツだね。そういうのは「絶対にある」にはない。従って、「絶対はある」に軍配があがることになるのである。Q.E.Dってことでよろしいでしょうか?

9日前 No.102

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

助ける人形を好み邪魔する人形に制裁を加えることができる赤ちゃんは力がある赤ちゃんなんでしょう。
もしその子たちだけを見て、善が云々と結論づけてしまうとしましょう。
それができない人がいる場合(まあ、いるのですが)、どのような判断が下されるのか…。
考えると怖いことですね。

8日前 No.103

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>102

>絶対はあるかないかって話だと、「絶対はある」の方が有利そうだ。「絶対はない」は自己論駁的であるのに対し、「絶対はある」というのは自己肯定的だからだ。ある命題を提示するとき、「その命題は正しい」(それも結構絶対的は意味において)ということが含意される。つまり、「絶対はない」と主張するとき、『「絶対はない」は絶対に正しいんだ〜』的なことを言ってることになる。それは、絶対はないと矛盾するでしょって話になっちゃうわけだ。自己言及の困難というヤツだね。そういうのは「絶対にある」にはない。従って、「絶対はある」に軍配があがることになるのである。Q.E.Dってことでよろしいでしょうか?


よろしくありませんね^^
出てきてごめんねm(__)m(笑)

「絶対はない」は自己論駁的である
というのは間違い。
なぜなら、Pという命題は、「P」は正しい、ということ、つまり自己肯定を含意しているとみなすことはできるとしても、「絶対正しいんだ~」なんてことは含意しない。
つまり、

>ある命題を提示するとき、「「その命題は正しい」(それも結構絶対的は意味において)ということが含意される。


というところの「(それも結構絶対的は意味において)」というのは、論理的根拠のない独断にすぎない。
であるがゆえに、

>「絶対はない」と主張するとき、『「絶対はない」は絶対に正しいんだ〜』的なことを言ってることになる。


というのも間違い。そんなことにはならない。当然、
>それは、絶対はないと矛盾するでしょって話になっちゃうわけだ。


という話にもならないのだね。 おわかり?
残念!

8日前 No.104

ザビビのふくろう @owlman ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>104 【補足】
次のように言ったほうが、わかりやすいかな。

絶対はない

という命題は、

命題「絶対はない」は正しい

を論理的に含意する、とは言えても、

 命題「絶対はない」は絶対正しい

を論理的に含意する、とは言えない。

もし後者が言えるのなら自己論駁的であることになるが、
論理的に言えるのは前者なので、自己論駁的ではない。

8日前 No.105

宿題 ★eM1n2yJmTo_l7r

『Aは無いと言うAがある』詭弁です・・

8日前 No.106

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

よし、わかった。なら、こうしよう。

『「絶対にある」はあるつったら、あるんだ。絶対にだ。』

とはムジュンなくいえるけど、

『「絶対にある」はないつったら、ないんだ。絶対にだ。』

というと、「おめ〜、んなこといったら、ゼッタイにあるはないってことがゼッタイあるってことになんじゃねえのか」というつっこみを許すことになる。言葉のイキオイ、迫力がダンチなのである。つまり、「絶対はある」は、「絶対はない」に対して、明らかに優位、強い、つまり、正しいということになる。従って、「絶対はある」に軍配があがることになるのである。Q.E.Dってことでよろしいでしょうか?

6日前 No.107

宿題 ★sicIy89Ne4_l7r

哲学する衝動は絶対的意識と一般意識の緊張状態

成立していない真理と成立している真実の間の緊張状態

この緊張状態から哲学する衝動が生じます・・

6日前 No.108

ザビビのふくろう @owlman ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>107

>Q.E.Dってことでよろしいでしょうか?


いや、よろしくないです。

>明らかに優位、強い、つまり、正しいということになる


矛盾がないってことは、矛盾があるよりましかもしれないけど、
正しいことにはならんのよね、論理的に。

それに
>『「絶対にある」はないつったら、ないんだ。絶対にだ。』


なんてこと言うやつ、さすがにいないでしょ。

5日前 No.109

地下水 ★KATHFaYqOw_l7r

>>107  論理の回路を、ループ状やネット状に回路を組むと、振動がある程度続く場合の他に、振動が続いて真偽が決まらない場合や、振動がより活発に続いて発振回路になる場合や、更に振動が活発になって破損する場合があります。

真偽が決まらない場合を、パラドックスとか不完全性の範囲というわけです。

一般にネット状の回路は、フリップフロップ回路と禁止項を用いて、完全な順序回路にして、真偽が決定する様に構成する必要があります。正しい論理の組み方には、正しい記述が必要なのですよ。

5日前 No.110

空の光 ★bKAra12pm0_m9i

志野さん
>>88

自然に二つの働きがあるとする。
そこから生まれるものも二つの部類に分けれるのかな。
育まれた事への感謝の思い。
命を奪われた事へのなんとも言いがたい思い。

自然は本当に二つの働きなのだろうか。
命を育む事は善悪というものの立分をしつつ、育むのかも。
神の創り出したものだから、善悪の立分も担っているのかな。
どこに善悪を感じ取ってるのかは分からないけれど・・・

死の宣告を受けるのは、この世での命令解除かな。
神の命令を受けてこの世に来ている、とするならだけど・・・
命の問題ほど分からないものはない。

絶対の元が神でであるなら、創られし存在も絶対かな。
つまり、人の身体も魂も絶対の存在。
自己治癒能力のあるのも創った存在が治そうとしてるのか。
人工的に治そうとするのは返って邪魔になってるかも知れない。
人工的は絶対である命のありようを絶対的にとらえてないから。

5日前 No.111

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

>それに『「絶対にある」はないつったら、ないんだ。絶対にだ。』 なんてこと言うやつ、さすがにいないでしょ。


どうやら、馬脚を現したようだな。いるんです。そういうヤツが世の中には。も、一回書きます。いるんです。分かりますか?私が何を書いているか。Q.E.Dってことでよろしいでしょうか?

おふざけはさておき、「絶対はない」と主張するとき、その言明には、おふざけではないとして、言外に「その主張は絶対に正しい」という意味が含まれていないんだろうか?(命題という表現はやめてみました。命題は真偽が問える対象だからね。)

5日前 No.112

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

ちょっとねさん

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 訳:川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。


天動説は絶対に正しかったのに今や地動説・・

物理学も歴史でさえも上書き更新・・

正しさが長続きしません・・

何が普遍なのか・・絶対を求めて哲学します・・

5日前 No.113

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

へ〜、宿題さんは絶対を求めてるんですね。でも、こういう言い方は悪いけど、絶対は見つかりませんよ、絶対にね。むしろ、『絶対』とされていたものの破壊の方がオモシロイ。価値の転倒。ブチ壊しちまえ。ワクワクするぜ。そう思いませんか。(現実がそうだと困るけどね)

5日前 No.114

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

ちょっとねさん

完璧な完成品を作り上げるのが好きです・・

5日前 No.115

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

「絶対」というのは、「ある」に対する「ない」のような概念か?

「ない」は「ある」という概念があって初めて成立する。

「絶対」は、「相対」の極値で、架空の概念。
日常生活的には「他に比するものが無いほど程度が著しいもの/状態」を指す。
「そんなこと、絶対にありえない」「神さまは、絶対に居る」のように使う。

4日前 No.116

ヴィランのふくろう @owlman ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>112

>分かりますか?私が何を書いているか。Q.E.Dってことでよろしいでしょうか?


いや、分かりません。
なので、よろしくありません。

>おふざけはさておき、


ん〜、上のは、おふざけなの?

>(命題という表現はやめてみました。命題は真偽が問える対象だからね。)


論理学や言語哲学の文脈では、“言明”も真偽の値を持つものとして扱われるけどね。

>「絶対はない」と主張するとき、その言明には、おふざけではないとして、言外に「その主張は絶対に正しい」という意味が含まれていないんだろうか?


それは「絶対的真理は存在しない」という相対主義の主張と同等とみなしてよいのかな?
つまり、相対主義は、自身の主張が絶対的真理であることを主張しているのではないか?という問いと同じなのかな?
さあ、どうなんだろうね。

4日前 No.117

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>空の光さん


>自然に二つの働きがあるとする。

そうですね、そう考えています。
もっとも、私のニュアンスは様々な2つの働きの集合ですが。


>そこから生まれるものも二つの部類に分けれるのかな

こちらはノーです。
自然が2つの様々な背反二律を内在して存在しているように、そこから生まれるものも2つの概念を内在していると考えています。


善悪に関しては私は言及しなかったと思いますが、どのように絡んでくるのでしょうか。
善悪は自然にはなく人間の持つというより、生み出した人間特有の背反二律だと思っています。


ちなみに1つ質問ですが、立分のところは分立のことでしょうか?

4日前 No.118

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

>>117

>いや、分かりません。なので、よろしくありません。


まじっすか、ふくろうさんともあろう御方がこんなことすら分からないとは。まあ、いい。すべったようだ。


>ん〜、上のは、おふざけなの?


そうなんです。おふざけなんです。ご笑納いただけると思ったのだが。ちと、ハイブロウすぎたようだ。


>論理学や言語哲学の文脈では、“言明”も真偽の値を持つものとして扱われるけどね。


そですか。シカタガナイ。ちょっと、おいておこう。


>それは「絶対的真理は存在しない」という相対主義の主張と同等とみなしてよいのかな?つまり、相対主義は、自身の主張が絶対的真理であることを主張しているのではないか?という問いと同じなのかな?さあ、どうなんだろうね。


そこらへんはよく分らんが、、仮に、

『「絶対はない」と主張するとき、その言明には、言外に「その主張(=「絶対はない」)は絶対に正しい」という意味が含まれている』

ってことが、

『「絶対的真理は存在しない」という相対主義の主張と同等。つまり、相対主義は、自身の主張が絶対的真理であることを主張しているのではないか?』

という問いと同じだとして、そこに何か、ご意見か知見があったしますか?例えば、「相対主義の主張はその主張が絶対的真理であることを主張している」っていう主張は、こうこうこういう理由で、○○により否定されている的な何か。

4日前 No.119

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

「絶対」と「絶対に」は違うのではなかろうか?
後者は単なる強調表現。

---------------

「真理」を「論理で表現されうるもの」とした場合、
「論理」は「真偽」の外側なのではないか?
つまり、真偽を問う対象外。

4日前 No.120

空の光 ★bKAra12pm0_m9i

志野さん

善悪は自然の成り行きによって分けられるもの・・・
というところかな。

自然が神の意志で動いているとして、その奥は知れないけれど。
「神も仏もあるものか」・・・のまさにそこに神や仏が動いてる。

命を育みつつ、善性と悪性を分けてゆく。
悪性とは世の中に自然に溜まる曇り・・・人の心に溜まるもの。
だから、それが特定の地方に溜まると、引き寄せられていく人もいる。
そして、地方ごと霊界へと帰らされる。霊界で曇りを焼き払う為に。
自然災害の大きければ大きいほど、地方の曇りが多い・・・

そんな法則があるらしいです。
それがいつか分かってきたら・・・
曇りを少しずつ焼き払っていく方法が出来てくるかな?
いや、もう出来ているかも。この文章を読んだだけで、
ああ、あれの事かと思う人もいるかな?

4日前 No.121

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>空の光さん

どちらかというと、自然には善悪という背反二律は存在しないのだと思います。
むしろ、人間によって生み出された概念なので、人間特有のものなのでしょう。
そして、善悪というものもまた分かれていないと思います。
人間1人1人の中に、天秤のごとく善悪は両方存在している。
そしてその支点が人それぞれなだけなのだと思います。
「太宰治」の小説「走れメロス」において、あれほど正義を貫こうとしたメロスの中にでさえ、セリヌンティウスに殴るように告白しければならない「悪」に一瞬とは言え支配されかかったわけですから。

4日前 No.122

空の光 ★bKAra12pm0_m9i

志野さん

確かに自然には善悪はないかも知れません。
あるのはその地方にいる人たちの心の曇り。
言語、行動による悪性が溜まっていく事かな。

でも、それを上回る善性による光・・・
それがあれば、地方に曇りは溜まらないかな。
だから、心言行には気をつけなくては。。。
自然は人の思う方向へと流れていくのだから。

つまり、その地方が人にとって天国になるか地獄になるか。
地獄は隣へ隣へと広がってゆくから、どこかで食い止めなければ。
もちろん天国も隣へ隣へと広がってゆく。
人の目には映らないけど、心で魂?で受け止める人もいる。
曇りがいやなものを感じさせる。
光が良い感触を与える。
その地方に行きたいとか、行きたくないとか感じ取る。
それが運命の分かれ道かな?

4日前 No.123

ザビビのふくろう @owlman ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>119

>『「絶対的真理は存在しない」という相対主義の主張と同等。つまり、相対主義は、自身の主張が絶対的真理であることを主張しているのではないか?』

>という問いと同じだとして、そこに何か、ご意見か知見があったしますか?例えば、「相対主義の主張はその主張が絶対的真理であることを主張している」っていう主張は、こうこうこういう理由で、○○により否定されている的な何か。


いや、ちゃんとした知見はございません。
入不二基義『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)
に、そのへんのことが書いてあるんじゃないかな〜と思うんですが、
読んで内容を忘れたのか、まだ全部読んでないのか、とにかく内容を思い出せず、よくわからないんです(笑)
すんませんm(__)m

3日前 No.124

むひむひ @muhimuhi ★oGLNkRqBY1_TnX

絶対はあるのかと問われれば
絶対値というものがある。

過程と結果で結果が分かり切っているものは絶対で通せる。

3日前 No.125

てじ @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

メモ

>>1

>人間は絶対を知りえないし、至ることもできない

>なぜなら、人間の本質は超越性にあるから。

主張( >>6 も):
>この人の意見は絶対に正しいとか、この人は絶対だ、という考え方は、捨てたほうがいいという帰結が導かれる。

>平等

>ただ、絶対は必ず存在する。


>>11
>絶対とは対が絶えていること。


>>39
(絶対の哲学的意味は)
>全ての現象を超越した宇宙の究極原理

>>82
(この世に絶対がなければ)
>この世の根本がない事にならないだろうか。


>>55
>絶対は理念として存在する

>理念とはつまり、

>彼岸にありながら、此岸を統制する原理である


>>47
(絶対のメタファーである彼方の明かり >>13 とは)
>平和みたいなものでしょうか


>>116
>「絶対」は、「相対」の極値で、架空の概念。


>>74
>「絶対」と呼ばれるその状態は、個人の中で(もしくは、ある一定の人々の中で)作られたルールの下で成立する概念と言える

>絶対的な正しさが個人レベルであったとしても、むしろそれが当たり前の事ですらあると私には感じられます。


>>72
>自然現象に絶対はない

>>88
>自然は絶対ではなく、背反二律だと思っているのです。


>>34
>西田幾多郎は絶対無という概念を提唱しましたが、やはり絶対は存在になるのでしょうかね…?


>>86
>現実世界は、完璧なんだね、恐ろしいほどに。ちっと位、ええっ、と思うことが起これば面白いのに。


「絶対」という字は、明治時代の哲学研究者である井上哲二郎(1856-1944)先生が、
absoluteという外国語を訳そうとする際、仏典にある「絶侍」の字を「絶対」と改めて用いたのが始まりだと
Twitterでみました。
その井上先生は主張されます、
根本原理・法則・実在は静的なものである、
動的なものは現象であるが、両者は全然同一体の両方面に過ぎない、
そして、その静的なものを「絶対」と呼びます。
この絶対(法則・根本原理)が
「目的行動という方面からいえばSollen」「人間終極の理想」
へと転じます。
その井上先生は「認識はただこの現象のみについて成立し得る」と、実在を不可知的なものと見ています。( >>1
その上で、超越的認識という、実在に関する認識も認めています。
先生はそれを結局「悟りの境涯」とまとめてしまいます。

参照:「明治哲学界の回顧 結論――自分の立場」井上哲次郎(ネットに転がっています。)

本題

絶対は、語源において、他に並ぶものがないという、無双を意味しています。これは、一、最高、を意味するとともに、他の排除をも意味します。この排除は、他のものを条件として要さないということであり、なんならそれ単体で存在できる。絶対は、他によって支えられるものでなく、他を支えるものです。

絶対はあるかないかという問題は、支えは有るのか無いのか、そういう問題にもなりうるでしょう。保証はあるのないの、という不安な心境では、これが問題になります。

そして、俺たちが保証について語るとき、たいていその保証は有限なものであり、「〜の限りで大丈夫」といったものでしょう。

しかし、絶対という問題では、たぶん、無限的保証が求められているのでしょう。

無限の保証って何なのか?

一言で言えば、俺にとって不都合な真理も、本当は俺を支えているものだ、ということです。自分を支えているものがどれであるかを、自分(1人の人間)が選択しないこと。人間的尺度の差別相でもって見ないこと。

全てが俺の存在を支えているのであって、俺の今のあり方は、(仮にそれが悲惨なものであっても)支えの不足に基づくものではない、ということです。もちろん、悲惨なままでいろ、ということではありません。

絶対問題は、自分のあり方を肯定できるか、できないか、そういう人生の問題だと思います。

自分の存在自体を、永遠無限の絶対から与えられた贈り物だと思えるか思えないか。

えーと、思えるときも思えないときもある。なぜなら、それが贈り物であるからには、それを自分がコントロールすることはできないからです。

自分の存在を肯定するための条件を、自分がコントロールできる、自分の手の届くところに保持する人が、 >>1 では批判されているのだと思います。

私は絶対を認識できない。
ああ、そうか。でも、
絶対は私を認めるだろう。

そういう、絶対者への信(帰依)に落ち着く。
悟りに落ち着くのも、頷ける話です。

さて、 >>1
>この人の意見は絶対に正しいとか、この人は絶対だ、という考え方は、捨てたほうがいいという帰結が導かれる。

という帰結への解釈は次のようになる。

絶対に正しい人はいないが、これは絶対が無いという意味でなく、そういう「人間が無い」という意味でしょう。そのことの表現として、絶対は認識できないが必ず存在する、という文章が生まれる。「必ず」というのが、案外重要なワードだと思います。

絶対という哲学ワードから、この発想さえ得れば、あとはそんな言葉捨ててもいーやと思います。

よくあるオチだ。絶対は無いと絶対は有るというのは、表裏一体だって。その表裏一体体さえ得て、その統一に基づき元の二つの主張の真意を汲み取れば、終わりの話だ。揚棄の練習問題だ。

もう平成も終わったっていうのに、まだ揚棄か俺!

3日前 No.126

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

てじはん?

絶対を求めることが真理を求めることと共通です・・

3日前 No.127

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>てじさん

つまり、絶対とはイデア界のような存在と言うことでしょうか。
絶対という存在は必ず存在する。しかし、人間に認知しうることはないと。
そしててじさんの文章からも行き着くのは「語り得ぬものについては沈黙しないといけない」になってしまうと考えてしまいますが、そこはいかがでしょうか?

3日前 No.128

ハンドル ★iPhone=cbzIhxT0IO

「絶対はないは絶対である」という主張の絶対はないの対象と絶対であるの対象とを区別することが可能であれば、この主張は矛盾しなくなるだろう。
というか、そもそも矛盾していない(ということになる)。

前半の「絶対はない」は全体の一部の各々全て
について絶対であるものはないという主張であり、後半の「絶対である」は“そのこと”が絶対であると述べている。
で、主張とは「〜について」の主張であり、その“〜”の部分が違うのであれば、それは違う事柄についての主張であり、「絶対である」を「絶対はある」と言い換えることが可能であり、違う事柄についての主張は矛盾することはないとすれば、「絶対はない」が「絶対はないは絶対である」という主張を含むとしても矛盾しない。

3日前 No.129

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

ハンドルさん

『Aは無いと言うAがある』この文章は矛盾していないとでも思われますか?

3日前 No.130

ハンドル ★iPhone=cbzIhxT0IO

え?
俺は「絶対はないは絶対である」を「Aは無いというBがある」と解釈したんだけど?
というか、そう書いたはずなんだけど…
文章下手だから分かりにくかったかな。

3日前 No.131

宿題 ★sicIy89Ne4_TnX

ハンドルさん

言い回しは置いといて・・絶対はあると思いますか?

3日前 No.132

ハンドル ★iPhone=cbzIhxT0IO

え?
いきなり話を変えられても…
あるかないかなんてぶっちゃけどうでもいいです。
考えたこともない。
ありうるかどうかには興味があるけど。

3日前 No.133

空の光 ★bKAra12pm0_m9i

志野さん

絶対は存在しているのだろう。
ただ人には認知できない?

絶対と心で思う。口に出して言う。
これらは出来るけど、絶対を行う事は・・・

人には出来ないかな?
出来るのは神かな。人の手を通して。
だから絶対ができるのは・・・

メシヤという存在かな。
行おうとするのは神で、
行いをするのは神から許された人・・・かな?

どんな手段でするかは不明だけど・・・

3日前 No.134

宿題 ★sicIy89Ne4_TnX

ハンドルさん

『絶対』

これに何尾ひれつけてるのですか?

3日前 No.135

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

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2日前 No.136

志野 @sinomon10 ★xBlvIaCUeH_yoD

>てじさん

少々疑問に思ったことを。

>絶対は現実です。現実は全体です。

と最初に述べており、この表現から絶対とは現実という実体(とでも言うべきでしょうかね)を持つもののように思えました。

しかし

>「絶対」というのは、切実に我が身に切り込んでくる、現実全体であって、
>理屈では片づけられないし、コントロール不能な、イベントです。

という表現があると、これはどちらかというと関係性のようなものに感じます。
これはどちらなのでしょうか。或いは、私が読み違えているのでしょうか。

2日前 No.137

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

「現実」というのは存在(実在(?))しているのか?
実は「現実」と“認識”しているだけの「みなし現実」なのではないか。そういう可能性もあるのではないか?

日常における「絶対」は、「(日常において)絶対とみなしているもの」、すなわち「みなし絶対」なのではないか?

2日前 No.138

むひむひ @muhimuhi ★oGLNkRqBY1_TnX

>>138
>日常における「絶対」
明日の朝の朝食
【絶対に食べる】のか
【絶対に食べないのか】
のどちらかである

2日前 No.139

空の光 ★bKAra12pm0_m9i

絶対・・・人のすることは絶対はない。
でも、結果に絶対がある・・・かな?

これをすれば絶対にこうなるというもの。
罪を犯せば罰せられる。
善を行えば褒められる。

たとえ人に気付かれなくても・・・
気付いてくれる存在がある。

罪はやめといた方が良い。
善は自信を持って行えば良い。

2日前 No.140

ハンドル ★iPhone=cbzIhxT0IO

AがないというBがあるというのは全く不正確だから訂正。

「AはBを含まず、AはCではない、BはCである」という方がたぶん正確。

で、こう解釈された絶対はない論者と絶対はある論者が同類であることと、その二者の対立点については、わざわざ書かなくてもわかるから割愛。

2日前 No.141

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

ハンドルさん

『絶対ある』

『絶対ない』

この関係は

@『絶対ある』は『絶対ない』。

A『絶対ある』は『絶対ある』。

B『絶対ない』は『絶対ある』。

C『絶対ない』は『絶対ない』。


@とAとBとCはどれが正しいと思いますか?

2日前 No.142

むひむひ @muhimuhi ★oGLNkRqBY1_TnX

お前らに問うぞ?
目の前にあるプッチンプリンを平らげたら何が残る?
絶対に中身は無いよな?食ったんだからw


稚拙だと思わんのか?

2日前 No.143

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

むひむひさん

写真に残しておくことが出来ます・・

2日前 No.144

むひむひ @muhimuhi ★oGLNkRqBY1_TnX

>>144
脅迫でもする気ですか?



宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

むひむひさん

写真に残しておくことが出来ます・・

7秒前 >>144


だから稚拙だって言ってんだよ

2日前 No.145

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

むひむひさん

存在しなかったことに致しますか?

2日前 No.146

てじ @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

実体とは何かっていうと、

それ自体で存在し、それ自らの存在のために、他の条件を要さないもの。すなわち、それは他の存在を支えるが、それ自身は他の存在によって支えられなくてもいいもの。

「そのものには実体があるのか?」
と日常会話で言うとき、これは、「それは捏造とか作り話なんじゃないか」「お話なんじゃないか」そういう含みがあると思います。

存在が疑わしいものの存在を、会話内で支えているものは、誰かの作話なんでないか?すなわち、まず先に話があり、その話に支えられて、そのものが有るんでないか?

現実は逆であり、まず話題となるものが我々に既に関わってきており、それについて話すことで、話が生まれる。

そういう、我々に常日頃関係してきているものが、実体です。例えば、この人、この馬。

しかし理屈家は、何者によっても支えられていないものなどない。いや、ただひとつ有る。それは神(不動の動者)だけだ。と言う。まあ、突き詰めていけば、実体は神だと言ってもいいだろうし、それはたぶん、現実を表すひとつの表現なんだろうけれど、別に「神」と言わなくても。「現実」と言えばいい話なんじゃないかと、俺は思います。

さて、現実は実体を持つか?

実体というのは、俺の解釈では、人が話を作るまでもなく我々(人)に関わってきているものです。

ところで、我々は現実を生きている。この現実の中で、色んなものが、色んな事件が、我々に降ってきたりぶつかってきたりしますが、そんな中、常に、現実自体こそ、我々に関わっているのではないか。

ところで、現実内での諸々とは、丸で違う仕方で、比較不能な異なる規模で、関わってるんだろう。

現実は、絶対的に、俺たちに関係してきている。

というか、俺たちが何者かに関係するためには、何者かが俺たちに関係するためには、現実が無くてはならない。現実は、関係をはじめて可能にする条件と言えるでしょう。

ところで、真なるもの(ein Wahres)がそれによって真なるものとなるところのものを、真理性(Wahrheit)という。スコラ哲学では、このものがこのものであるための本質を、haecceitas(このもの性)といった。同じように
関係が関係であるための条件になるものを、「関係性」というでしょうね。

現実は、絶対的な実体であるが故に、「関係性」である。

>それゆえ、誰にもわかるように、いささかでも省察できる者にとってこれ以上に明白なもののありえないことは、神の存在である。すなわち、私たちの心に親しく現存して、私たちを絶えず感触する一切の多様な観念ないし感覚を私たちの心に産む精神、私たちが絶対かつ完璧に依存する精神、一言で言えば、そのうちに我々が生き、動き、また存在する精神、そうした精神の存在なのである。

(ジョージ・バークリ)

神=絶対者なんだろうけど、
いや、そのうちに俺たちが生き、動き、また存在するところ、それは「現実」だろう。厳なる現実だろうに。

だから、現実=神って話なんですね。
すなわち、現実は素晴らしいってことです。少なくとも、現実は、何の感情も何の思想も無い無機質な岩の塊かダークマター(?)か、そんなものじゃないということです。

なので俺は、現実=神=絶対と推論しやした。

だから、絶対って現実のことだよと言いました。

絶対・現実は、実体であり関係性である。

これが俺の回答です。

1日前 No.147

てじ @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

現実は思い通りにならない。

これが絶対です。これが現実です。

じゃあ、全ては神に決定されてるのか。

そんなわけない。

アクションを起こしたら、想定された結果を得ることができるかもしれないけど、絶対じゃないよ。どんなに条件が揃ってるようにみえても、それさえやったら必ず目的の結果を得られるなんてことはないよ。現実は

ということです。

条件が揃ってるようにみえても、本当にそうかは分からない。これが、「絶対者を認識することはできない」ということです。しかし、条件が揃って結果が得られることはある。普通に

絶対とか神とか言うと、なにか崇高なことのように思えますが、いや、現実の話なんです。ただ、それが現実の話であるということは、現実は実は崇高なんだって話なんですけどね。

自分の思い通りにならないという現実が、崇高。あ、じゃあ、欲望を持たない(そもそも思い通りにしたいと思わない)のが良いんですね!我欲を捨ててこそ崇高なんですね!

なぜや(笑)

こうして、狂ってく。

1日前 No.148

宿題 ★eM1n2yJmTo_TnX

てじさん

真理の多様性は深淵の眩暈の中に完全に引き入れそして基底が奪い去られるのを超越者が開放するしかありません。

超越者がいなければ・・現実の存在が自己欺瞞のなかへ逃げ込んで、自己を閉ざし固執します・・



超越者の現相以外解決しません・・不可測なもの、絶対的な他者が、自己存在に現存する時のみ開示されます・・

1日前 No.149

空の光 ★SdV65FSeNB_m9i

てじさん

なぜこの世は思い通りにならないか?

それは思い・・・想念が弱いからかもしれない。。
想念は想念界という世界に思いが描かれる。

例えば設計図が出来上がった時・・・かな。

それを今度は大工さんなんかを呼んで、ここはこういうふうにと指図する。
つまり言葉にしていく、それは言霊界に出来上がっていく。

そして作り始める。つかり現実化していく・・・
そういうもんじゃないかなと思うんです。

つまり、想念、言霊、現実界という順序通りにいけばいいかな?
それが想念が弱いと、途中で消えてしまう。だから、うまくいかない。

そのために地鎮祭などと言って、そこに想念界を創り上げるかな。

1時間前 No.150
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