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√2の定義のパラドクス

 ( 哲学掲示板 )
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SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    SumioBabaの(√2の定義の)パラドクス

 SumioBabaが高校時代からずっと疑問に思ってきたパラドクスです。√2の定義を2種類考えます。
  《定義1》√2=1.41421356…(10進法)=1.011010…(2進法)
  《定義2》√2=「平方すると2になる正の実数」
2つの定義における情報の量を比較します。

 《定義1》の方は、10進法でも2進法でも無限に続く少数ですから、√2を正確に定義するには無限ビットの情報が必要です。一方、《定義2》の方はどうでしょう? 文字数たったの13文字です。日本語は漢字・ひらがな・カタカナ・英数字・様々な記号…などを含めると、2000種類くらいの文字(記号)を使いますが、11ビット程度のメモリーを使えば、すべてを識別できます。コンピュータでは、様々な文字に16ビットとか32ビットとかの情報を割り当てて識別するようですが、それを13文字分並べても、明らかに有限です。つまり、《定義2》の方は、明らかに情報は有限だと思われます。

 にも拘わらず、《定義1》も《定義2》も、√2の正しい定義であり、互いに必要十分の関係にあると思われます。そこで疑問が生じます。《疑問》=【無限の情報を持つ《定義1》と有限の情報を持つ《定義2》とが互いに必要十分の関係にあるとは、一体どういうことか?】

 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

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SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>80  ゆみさんへ

 「中国語の部屋」の引用、有難うございます。ゆみさんは、勉強家ですね。感心です。「中国語の部屋」の内容、SumioBabaは知っていましたが、この哲学掲示板を読んでいる人の過半数は、知らなかったと思います。ゆみさんが引用して書き込んで下さったのを見て、「中国語の部屋」を初めて理解した人も何人かいると思われます。重要な情報は、wikiから引用してコピペして見せるだけでも、知らなかった人には大変勉強になり、とても役に立ちますね。また何か、面白そうな情報を発見したら、ぜひ書き込んで下さい。有難うございました。感謝!!

5ヶ月前 No.81

リールフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

人間はタヒに遭遇する。

5ヶ月前 No.82

すみれ ★DbBrGVhSSu_keJ

定義1は確かに近似値で、定義にはなっていません。
最終的には無理だから、求めるべき計算を途中で止めている。

定義2は、「平方すると2になる実数」なんて表現しているけれど、そんな実数は無限だから、決して確定できない。
こちらは、計算さえしないで、考え方だけで放り出したよね。
つまり、本質的には定義1と同様で、近似値の様なものなのです。

定義1は、平方すると2になる実数と云う考えのもとに計算された訳しょ。

そう云う意味では、定義1と定義の2の内容は同等です。

5ヶ月前 No.83

ザビビのふくろう @owlman ★UeJTXbNcLw_keJ

>>80  ゆみさん

ちょっと威張らせてください(笑)

それは単なる偶然ではないのですよ(^^)v

5ヶ月前 No.84

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

ザビビのふくろうさんへ

そうでした、そうでした!

「心の哲学まとめWiki」は、ザビビのふくろうさんが教えてくださったサイトでして、
別スレで、「ゆみさんは思考実験についての知識があまりない」というようなことを指摘してくださって、
そこでたどり着いたのが「中国語の部屋」という実験なのでありました(^^)

ザビビのふくろうさん、ありがとう!!

哲学は本当に難しいけど、がんばって勉強します!

最終的には有名な哲学者の原書にあたれるぐらいになりたいなって思います!

これからも宜しくお願いします(^^)

5ヶ月前 No.85

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>83  すみれさんへ

>そう云う意味では、定義1と定義の2の内容は同等です。


 ご意見有難うございます。「同等」とは、どういう意味で同等なのでしょうか?
   「《定義1》も《定義2》も、ともに無限の情報を持っていて同等」
ですか? それとも、
   「《定義1》も《定義2》も、ともに有限の情報を持っていて同等」
ですか?

5ヶ月前 No.86

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>86 SumioBabaさん、横レス失礼致します。

そもそも定義1は、無限の情報を持っているのでしょうか?

「1.41421356…」のように、小さいケタを「…」のように省略してしまっているので、無限ではないのでは?

5ヶ月前 No.87

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>87  Mobiusさんへ

>そもそも定義1は、無限の情報を持っているのでしょうか?

>「1.41421356…」のように、小さいケタを「…」のように省略してしまっているので、無限ではないのでは?


 「…」の部分には無限小数が続いている、という意味で「…」という記号を使っています。この場合の「…」の定義は、「1.41421356…^2=2を満たす「…」」になります。

 前にもこんな話がありましたね。X=1.999…のとき、10X=19.99…です。10X−X=9Xを計算するとき、「…」の部分が有限小数だったら、1つずれて打ち消し合うため、最後の桁だけは打ち消し合えません。でも無限小数だと、1つずれていながらもすべてが打ち消し合い、10X−X=9X=18になる、すなわちX=2、ゆえに1.999…=2だ、というやつです。もちろん、人間には有限個しか記述できないので、実際に無限個書いてみせることはできません。でも、有限個だとそれが成立せず、無限個続いている場合にだけそれが成立することを人間は理解できるし、無限個続いてそれが成立する場合を想定することも可能です。実際、1.41421356…^2=2を人間は理解できるし、数学ではこれを満たす「…」の存在も認めているのではないでしょうか?「1.41421356…^2=2を満たす「…」」という意味で、√2=1.41421356…と表現しています。

5ヶ月前 No.88

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    人間が認識する「有限」と「無限」の境界は曖昧

 数学で「解ける問題」とは、一般に「有限の操作で解ける問題」を意味し、「解くのに無限の操作を必要とする問題」は「解けない問題」と見なされます。ところが、この「有限の操作」と「無限の操作」の境界が曖昧で、時々トラブルが生じます。

 例えば幾何学では、「原点Oを中心とする半径1の円」のようなものを、簡単に考えます。しかしよく考えてみると、円の認識にも無限の認識が絡んでいます。ある図形が「原点Oを中心とする半径1の円」であると理解することは、「この図形上の無限個の点すべてが、原点Oからの距離は1である」かつ「この図形上ではない無限個の点すべては、原点Oからの距離が1ではない」と理解することであり、すでに無限個の認識が含まれているのです。だからといって、円を幾何学の対象として見なさないとなると、幾何学の内容はあまりにも貧弱になります。円の認識くらい、人間は簡単にできるのですから、認識できるものだったら無限でも取り入れた方が、幾何学は豊かになるでしょう。

 しかし、微妙なものも有ります。有名な例が「選択公理」です。カント―ルは「対角線論法」を用い、無限には「可算無限(可付番無限)」と「非可算無限(非可付番無限)」の区別が有ることを発見し、さらにいくらでも「濃度」の高い無限を構成できることが解明されました。大変面白い内容です。しかしここで、無意識的に「選択公理」を使っています。「空集合でない集合が無限個あるとき、それぞれから1個の要素を選び出し、無限個の要素を持つ新たな集合を作る」という無限操作を、カント―ルは使ってしまっているのです。簡単に言うと、このような無限操作を数学の方法として使って良い、とするのが「選択公理」です。カント―ルの論法を無意味としないためには、「選択公理」は取り入れた方が賢明です。

 ところが一方で、この「選択公理」を受け入れてしまうと、「バナッハ・タルスキーのパラドクス」と呼ばれるものが導かれてしまいます。「体積1の球を有限個に分割し、並べ替えるだけで、体積1の球を2個作り出せる」という証明ができてしまうのです。我々の現実世界では、体積1の球であれば、どんなに分割し、並べ替えても、全体積の総和は1に保たれる、というのが常識です。「バナッハ・タルスキーのパラドクス」は、この常識を破壊しています。これを「素晴らしい証明だ!!」と称賛すべきなのか? それとも、「現実には有り得ない1=2を証明できてしまっているようなものであり、だからこそ「選択公理」は我々の世界を記述する公理として適切ではない」と判断すべきなのか?

 そもそも数学では、無条件に真理だと見なされるものは何も有りません。何を真だと見なすかは、「公理」として恣意的に取り決めるだけです。そして、「公理」から「定理」を証明するための「論理」も、恣意的に取り決めます。その体系で真理だと見なされるのは、証明なしに真だと仮定した「公理」、および、「公理」に「論理」を作用させて導いた「定理」です。「公理」と「論理」の定め方は恣意的であるため、無数の真理体系が作れ、何が真理かはその体系ごとに異なります。つまり「絶対的真理」などというものは無く、すべての真理は「この「公理」と「論理」を証明なしに真だと仮定すると」という条件付きの「相対的真理」でしかないのです。だから数学では、「1+1=2」が真となる公理系も作れるし、「1+1=3」が真となる公理系も作れます。数学だけでなく、すべての科学理論も、哲学理論も、真理体系を構築する方法は同じです。

 ただし、我々の世界を物理的世界と見なし、「1+1=2」と「1+1=3」のどちらが我々の世界を的確に記述しているかと考えれば、断然「1+1=2」の方です。「リンゴが1個有るところに、もう1個リンゴを持ってきました。今、りんごは何個有るでしょう?」…といった実験をすれば、答はことごとく「2個」であり、「3個」になったという報告は聞いたことが有りません。もし「1+1=3」が真となる公理系で計算していたら、現実世界から常に裏切られ、失敗ばかりを繰り返すでしょう。世の中を賢く生き抜いていくには、我々の世界を的確に記述できる「1+1=2」を真とする公理系を用いた方が賢明です。物理法則としての「1+1=2」は、《演繹的》に正しいことが証明された訳ではなく、今のところ反例が見付かっていないため《帰納的》におそらく正しいのではないか?と推測されるだけなので、永久に反駁可能性が残り続け、「絶対的真理」に到達することはなく「暫定的真理」に留まり続けます。

 他方で「選択公理」のように、取り入れた方が良いのか、取り入れない方が良いのか、一概に決められないものも有ります。無限が絡んでいるので、実験的には実証も反証もできません。無限を全く取り入れないとすれば、数学の内容はあまりにも貧弱になります。だからといって、取り入れるべきでない無限を取り入れてしまうと、我々の現実世界をうまく記述できない数学になってしまいます。一長一短で、公理として取り入れるべきか、取り入れるべきでないか、はっきりしないものがこれからも数多く見付かるかもしれません。

5ヶ月前 No.89

mina-asobo @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

1/3は無理数ではない。

そもそもここから間違っているのでは?

1/3も記号でしかないですよね。

5ヶ月前 No.90

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

初めて読ませてもらいました・・

申し訳ありませんが2進法にルート2は存在しませんけど・・2は存在しません・・

5ヶ月前 No.91

バステトリス@おるぺんず @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 申し訳ですが、ルート2は中学生で習うので習っていませぬφ(..)
学校の教科書より他のソースは禁則事項ですです

5ヶ月前 No.92

mina-asobo @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

2進数の場合√2は√10になります。

5ヶ月前 No.93

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 なんかーアマチュア無線の免許講習でー
聞いたやうなーそんな感じー( *´д)/(´д`、)ねー

5ヶ月前 No.94

宿題 ★eM1n2yJmTo_Tbw

>>93

ルート10(2進法)を小数二進法で表現できますか?

無限小は表現できないので記号を使います・・

5ヶ月前 No.95

mina-asobo @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

2進数の1.1とは10進数の1.5になります。1.01は1.25になります。

と、10進数に直してから出すこともできますが。

2進数の√10は2乗しても10なので10より小さく1より大きい数ということになり、整数の位は1になります。
次に2進数の1.1の2条は10.01となるので10を越えてしまうので1.1より小さい数、次に大きい数は1.01になり、その2乗は1.1001となり10より小さいので1.01までは正しい、とやっていけば計算できるとは思いますよ。

まぁ、この計算無限に続きますがね。。。

5ヶ月前 No.96

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 初めまして。
まず中学で習う √2 教えてください。

5ヶ月前 No.97

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>96  x^2=10と於いて、x^2-1=9,(x-1)(x+1)=9,x=1+9/(1+x),x=1+9/(1+(1+9/(1+x))),x=1+9/(2+9/(1+x)),x=1+9/(2+9/(1+(1+9/(1+x)))),x=1+9/(2+9/(2+9/(1+x)))
収束は遅いですが、連分数で表すと、以下同形になります。
 有理数乗根は、その特徴を表現する為に、同形の多分岐連分数で表すと、簡単に特徴が現れます。
 他にもeやπなどの無理数がありますが、やはり同形になるアルゴリズムを考えて、明示的に美しく、もしくは高速で収束する、表記をする事ができます。πのサラミン・ブレントの公式による、相加相乗平均を用いた高速に収束する公式の、楕円関数論を用いた証明は美しいものです。

5ヶ月前 No.98

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

有理数乗根は、√2の哲学ぅ その特徴を幾何学ぅ 同形の多分岐連分数ぅ 苔のむすまで表す!
簡単に現れます!
 他にもeやπ メーカー推奨ALPINE
などなどの無理数がありますが、やはり土間土間で 同形になるアルゴリズムを考えて Doコールからアルコール 明示的に美しく タキシードゴシック もしくは高速で 正しくは作詞で 収束する 表記をする 事ができます πのサラミン・ブレントの OPA綺麗ブランドの 公式による 今日か明日の運に任せる 相加相乗平均を ストーカー上等平均を 用いた高速に 餅ついた正月に 収束する公式の 恐縮する国立の 楕円関数論 Da yen count 用いた証明 アマテラス照明は美しいものです。

5ヶ月前 No.99

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>97  一般に長方形の用紙がありますが、これを半分に折ると、やはり相似な同形の小さな用紙になります。短片を1として長辺を√2とすると、長辺を半分に折ると√2/2ですが、これを√2倍すると、元の短辺の1になりますから、相似形である事が良く解かります。この様に縮小コピーや、一般の用紙の大きさを考えた時に、√2は便利な長さになっています。

5ヶ月前 No.100

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 ミウラ折りは試したことあるが・・・√2、あなどれず。
今、求人表で試しましたが、、、まったく(´〜`;)

 俺は何を勉強したらいいですか?
享受願います。φ(..)。

5ヶ月前 No.101

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 本屋に行ったとして薄い本{まだ一冊}をやめたとして
○○本を買えばいいですか?

5ヶ月前 No.102

地下水 ★KATHFaYqOw_Tbw

>>101  自分の好きなものや物事は何ですか。自分の興味のある物や事は何ですか。自分の得意な事は何ですか。その様な物事を伸ばす良いと思います。好きこそものの上手なれ、と言います。上手だと将来社会や他人の役に立つ可能性があります。そうするとそれで生活できる可能性があります。適材適所とも言います。自分の得意な分野の仕事に就けば良いのです。そうでない場合に比べて余程上手に出来て役に立ち本人も楽しいのです。そう言う楽しい貴方を見る身内も友達も楽しくなるのです。

5ヶ月前 No.103

mina-asobo @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

>>98

この場合、X=√nならx=1+(n-1)/(2+(n-1)/(2+(n-1)/(1+x)))と続くのですね。

でもこれって循環変数になりません?
永遠に計算終わらないよね。

まぁ、無理数だからそれでいいのだけれども。。。。


この場合の収束とはどの状態になるのでしょう?

高校数学以降の数学から離れて日が経っているので忘れています。

5ヶ月前 No.104

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 ザ・科学技術学園{通信}( -∀・)

本屋行く機会あったらサインコサインあたりの参考書をチェックしてみます。
個人的に数学好きなんですよ。格好良い。

5ヶ月前 No.105

地下水 ★KATHFaYqOw_Tbw

>>105  三角関数なら、プリンストン大学にも行かれた矢野健太郎先生監修の科学振興社のモノグラフの第三巻の三角関数がお薦めです。私も中学二年の時に友達の薦めで、これで和積公式や倍角公式、三角関数の積分まで、実に楽しく読めました。演繹によって数式が展開されて行く感覚が手になじんでとても気持ち良いのです。カラっと揚がった美味しいおかきを食べてる口当たりや風味の感覚と似た感じもあります。数学をしていると物理や社会の凡その数量が解かるので楽しいですし役立ちます。格好よいと感じたことはありませんし格好良さで好きになったわけでもありませんけれども。

5ヶ月前 No.106

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 そろばん7級活かそうかな・・・

5ヶ月前 No.107

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

 もしかして、山に高圧鉄塔建てる送電屋の測量さんですか?なんって。
 数学なんか黒板に描いたらそれはもう、コンプレックス消滅、涼宮ハルヒですよ(・3・)

5ヶ月前 No.108

地下水 ★KATHFaYqOw_Tbw

>>107  内の母は昔銀行の窓口を13年していましたが、一億までなら見取り算ができる、と言っていました。それで他人の通帳や帳簿などをサッと見たりしていたのでしょうか。

>>105  三角関数が威力を発揮するのは、三角関数の積分に於いてです。正弦関数などは波ですから、面積は正になったり負になったりしますが、一般の関数に正弦関数を掛けて積分すると、通常の感覚では、その一般の関数の面積が正になったり負になったりするだけだと思われます。ところが実際は、その一般の関数にその正弦関数の周波数が含まれる時のみ値を持つのです。一般の関数に正弦関数を掛けて一周期積分し、その周期で割って値を整えてやると、何と、その値は1になります。それ以外は0になるのです。
 これはまるで、一般の原子に波である光を当てた時に、その原子の電子がその波の周波数を受けとる時だけ輝線スペクトルを出し、それ以外では波が素通りするだけ、という現象を予言しているかのようです。そうこうしている内に原子内電子の軌道が実際に、三角関数の積分で描ける様になったのです。

5ヶ月前 No.109

バステトリス@おるぺんず? @duradura☆wfttdJd14JQ ★Android=mxwKqUpkW5

高山鉄塔では草木払いから始まります。
支柱四点の中心の計算ですね。
なにせ野原ですからそこに四点の穴を掘りコンクリートで硬めます。完全に下から上に向かって既製品鋼管を組んで行く訳ですから凸凹野山にミリ単位でしたよ。そこで記憶にもなかったようなサインコサインがでてきました。

船で沖に出ると潮風でベタベタ、スクリューは空気をかき混ぜ海に酸素を「こりゃー生命産まれるわ」以上ですです

5ヶ月前 No.110

mina-asobo @mina21 ★dWIa1WvV0K_M0e

本当に負の数ってあるのでしょうか?

人間が「減った」「戻った」「払った」「下がった」という概念のときに負の数とした方が便利なのでそう言っているだけの様に思うのですが。

5ヶ月前 No.111

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>13  地下水さんへ

>定義2は、アルゴリズムですね。定義1はその計算結果で、実用的な定量が詳細に記述されています。定義2から、x^2=2と於くと、(x-1)(x+1)=1,x=1+1/(1+x),という連分数のアルゴリズムが得られて、x=1+1/(1+1+1/(1+x))と展開できます。これは通常の平方根の計算よりも遅いですが、一般的であり、一般に有理数乗根の値を多分岐のアルゴリズムで、ニュートン法で表せます。


 「xの定義域をすべての実数だとする」から始めると、
  (A) x^2=2
という数式は、無限個存在するすべての実数の中からx=±√2だけを特定しているのであり、(A)自体がすでに無限の情報を内包しています。だから(A)を使うだけで、
  《A》 x=±√2=±1.41421356…
をどこまでも正確に導けるのは、何も矛盾は無い訳ですね。(A)があまりにも簡単な記述なので、ついつい情報が有限のように勘違いしてしまうと、
  なぜ有限の情報(A)から無限の情報《A》を導けるのか?
と、まるで矛盾が存在するかのように錯覚してしまう、ということでしょう。
  (A)も《A》も無限の情報を持っていて必要十分
と考えれば良い訳です。

 無理数か、有理数か、整数か、分数か、は無関係です。→ >>49
  (B) x^2=1
でも同じです。これから、
  《B》 x=±1
を導けますが、(B)も《B》も、無限個存在する実数の中からx=±1だけを特定しているので、やはり無限の情報を内包しています。
  (B)も《B》も無限の情報を持っていて必要十分
です。

5ヶ月前 No.112

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>112  SumioBabaさん  >>89  の解説はなかなか含蓄があって良いですね。論理関数は変数の個数xのとき2^2^X種類ありますが、カントールの濃度も二階建ての指数で濃度が上がりますね。但しこの場合は要素の個数は無限個ですけれども。竹内外史先生の本を少し読んだり、友達に対角線論法を少し教えてもらったりしました。

5ヶ月前 No.113

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>112  あ、間違いました。ω^ωでしたか。濃度が一つ上がる為には。濃度が有理数から、実数に上がる為にも、そうするのでしたか。

5ヶ月前 No.114

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>113  地下水さんへ

> >>89  の解説はなかなか含蓄があって良いですね。


 ご意見有難うございます。地下水さんは、科学にも数学にも博識であり、あちこちのスレッドで、興味深く読ませて頂いております。「選択公理」や「バナッハ・タルスキーのパラドクス」についてはどうお考えでしょうか? このへんが、「メタ数学」「数学基礎論」あるいは「数学の認識論」とでも呼ぶべき、数学についての哲学ですね。

5ヶ月前 No.115

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>115  もっと基本的なところで、加算無限個のωである有理数が、不可算無限個である無理数になる時に、濃度がω^ωで構成できるというのはどういうことでしょうか。昔、竹内外史先生の本で理解したつもりでしたが忘れてしまいました。対角線論法では二次元のリストにして対角線をとり、その上の数値を反転して、背理法にするのでした。

5ヶ月前 No.116

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>116  地下水さんへ

 整数も自然数も有理数も無限個存在しますが、これが一番「小さい無限」(?)であり、これを「可算無限」と呼び、ω(0)とします。ω(0)は、要素を1個ずつ離散的に順に並べて見せるという方法で、すべての要素を網羅できる無限です。無限集合の特徴は、全体集合がその部分集合と一対一対応(全単射)できるという性質です。例えば「自然数の集合」{A}は{A}={1、2、3、4、5、6、…}、「偶数の自然数の集合」{B}は、{B}={2、4、6、8、10、12、…}であり、{B}は{A}の真部分集合であって、{A}⊃{B}の関係にあります。しかし、集合{A}の要素nを集合{B}の要素2nに対応させれば、{A}の要素と{B}の要素とを一対一対応させることができます(全単射)。従って{A}も{B}も、「濃度」という点では同じ無限だと見なされ、どちらもω(0)になります。

 一方、ω(0)^ω(0)でも良いし、10^ω(0)でも2^ω(0)でも良いですが、これで定義された無限をω(1)= 2^ω(0)とすると、このω(0) とω(1)とは明らかにω(0)<ω(1)であり、ω(0) とω(1)とは、要素を一対一対応させることは不可能だと証明できます。(2〜3度読んでもピンと来ない、解りにくい証明だったと記憶しています。検索で探してみて下さい。) 一般に、ω(n+1) =2^ω(n)とすれば、ω(n)とω(n+1)とは要素を一対一対応させることができず、ω(n)に比べ ω(n+1)の方が「濃度」は高くなっている、という話だったと思います。ちなみに、2^ω(n)はω(n+1)ですが、ω(n)×2やω(n)×ω(n)はω(n)のままです。実数の無限こそが、ω(1)ですね。ω(1)は、要素を1個ずつ離散的に順に並べてみせるという方法では、すべての要素を網羅して見せることができない無限で、これを「非可算無限」と呼びます。

5ヶ月前 No.117

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

無限の話は面白いんだけど、小難しい話が多いな。
ここは数弱な私が好き勝手なことを書こうと思う。
(すこし長くなるかな)

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

<可算無限と非可算無限>

可算無限とは、自然数で数えることができる無限である。
非可算無限とは、自然数で数えることができる無限である。

なんのこっちゃ?w

<自然数は可算無限>

まず、自然数は無限に数えることができる無限である。
(あたりまえだw)

自然数は、数を数えることの基本である。
1(0からでもいいが)から始めて、2,3,4、……、と無限に数えることができる。
だから、自然数自体が可算無限、である。

<偶数や奇数も可算無限>

次に、自然数の中の偶数も、自然数で数えることができる。
偶数を「2、4、6、8、……」と並べる。
最初の「2を1個目」と数え、「4を2個目」「6を3個目」とナンバリングする。
この作業は無限に続けることができる。
(こういう関係を「自然数と偶数は『1対1対応』する」と表現できる」)
かくして、偶数は自然数で数えることができる。
だから、偶数は可算無限である。

<整数だって可算無限>

次に、整数も自然数で数えることができる。
整数と言えば、自然数のマイナス方向にも伸びる数であって、自然数よりも大きい集合なのだが、自然数で数えちゃえるのだw

整数を並べるのにコツがいる。
「0、1、−1、2、−2、3、−3、……」
こう並べれば、整数を自然数で数えてしまえるのだ。ギャハハ(*≧д)ノシ彡☆

ああ、言い忘れてたけど、「並べることができる」ということは「自然数で数えることができる」ということだ。
そうでしょ?(ここ、重要。対角線論法の胡散臭ささを示すために)

ここでのポイントは、整数の集合を考えたとき、自然数はその部分集合になる。偶数はさらにその部分集合になる。
その意味では、偶数の集合よりも自然数の集合の方が、自然数の集合よりも整数の集合の方が、大きな集合であることになる。

しかし、整数集合も自然数の集合も偶数の集合も、無限の大きさから言えば同じである、ことになる。

数学では「同じ濃度の無限」とかいうらしい?…何故かは知らんが。

長くなった。次は有理数も可算無限(自然数で数えることができる)を示そう。

5ヶ月前 No.118

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

投稿しようと思ったらエラーが出てしまった。環境依存の文字を使っちゃったな。
だいぶ修正したので分かりにくいかも?(図形が貼れれば楽なのに)

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

<有理数だって可算無限>

ああ、だめだ・・・
有理数(分数)も可算無限の証明を書こうとしたらエラーになってしまう。
xy座標を使った証明なんだけど、句読点で座標を作るのもだめらしい。

もういいや、

とにかく、有理数(分数)の集合も可算無限である、ということで・・・

次は投稿できるのかな?

5ヶ月前 No.119

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

エラーにならないところだけコピペしてみよう。
中途半端だが・・・

ーーーーーーーーーーーーーーー
なお、自然数や整数も有理数になる。
だから、整数集合は有理数集合の部分集合になる。そして、有理数無限も整数無限も自然数無限も偶数無限も、無限の大きさということでは、同じ、というわけだ。

だったらもう、無限はみな同じ、あえて言うなら無限とは可算無限である、と考えていいじゃん。
としたいところだが、・・・

5ヶ月前 No.120

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

<無理数・実数の集合は非可算無限である?>

偶数や奇数、自然数や整数は有理数で表現できる。
しかし、有理数でも表現できない数もある。
√2や円周率は分数では表せないからだ。

分数(有理数)は小数で表すと循環小数になる。
無理数(√2や円周率)は決して循環小数になることはない。
もしも循環小数になってしまうなら、無理数ではなく有理数ということになる。

それでは、無理数をすべて並べてそれが可算無限であることを示せるだろうか。
無理数をすべて並べることができるなら、無理数集合は可算無限・自然数で数えられる、ことになる。
しかし「無理数をすべて並べることはできない」と数学は証明してしまった。
これからその証明を見てみようと思う。

なお、無理数で有理数や自然数を表現できないので、無理数集合の部分集合に有理数集合がある、ということはできない。
それでも、無理数と有理数(分数や整数や自然数など)を併せて、実数、と呼ぶ。
普通、「実数の集合は非可算無限である」という言い方をするので、これからは実数の問題として書く。

なお、数学を知ってる人なら常識、と言えるようなことをこれまで長々と書いてるわけだが、私の目的は、実数の非可算無限という考え方を批判するためである。
だから、実数の非可算無限の証明を見て、それが「胡散臭い」と言いたいのだw

まあ、ここは哲学カテであるから、「実数は本当に非可算無限であるのか」は、じゅうぶん、哲学のテーマになると思われる。

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

5ヶ月前 No.121

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

(プレビューを見たら依存文字が出てしまった。□は〇の中にゼロがあることを読み込んでもらえればありがたい)

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

それじゃ、実数の集合は可算無限じゃない(自然数では数えられない)の証明を見てみよう。
証明のための実数の集合を区間[0,1]に絞る。
つまり、0以上1以下の実数を並べて、これが非可算である(自然数でナンバリングできない)ことを示すわけだ。
「0.????????......」のすべての無限小数をならべる。
これが非可算であることの証明法を、対角線論法(出たなw)と呼ぶ。

ここでは二進法を採用しよう(十進法でもいいんだけど、こっちのほうが楽)
だから「0.101100....」や「0.011001....」が並ぶ。

ここで「すべての実数のリスト」を創る。

(1)=0.1001100......
(2)=0.0101010......
(3)=0.1101001......
(4)=0.0011100......
(5)=0.1010011......
(6)=0.1110001......
(7)=0.0110011......
(0と1の並べ方は適当よ。実数を順番に並べる方法なんてないんだから)

ここでリストの小数部分の対角線に注目する。
(1)=0.@001100......
(2)=0.0@01010......
(3)=0.11□1001......
(4)=0.001@100......
(5)=0.1010□11......
(6)=0.11100□1......
(7)=0.011001@......

そして、対角線の数字を反転(0なら1に、1なら0に)する。
(1)=0.□001100......
(2)=0.0□01010......
(3)=0.11@1001......
(4)=0.001□100......
(5)=0.1010@11......
(6)=0.11100@1......
(7)=0.011001□......

反転して作った「0.0010110.....」は、リストのどこにも存在しない無限小数になる。
(1)は少数1位で1が0になってて異なる。(2)は少数2位で1が0になってて異なる。(3)は少数3位で0が1になってて異なる。

無理やり、リストに組み込んでも困ったことになる。
この新たな小数を(8)に組み込んでみよう。
(1)=0.1001100......
(2)=0.0101010......
(3)=0.1101001......
(4)=0.0011100......
(5)=0.1010011......
(6)=0.1110001......
(7)=0.0110011......
(8)=0.0010110?..

この小数8位の?はどちらの数字になるべきか?
1だとしたら対角線論法で0に変えられてしまう。
0だとしても対角線論法で1に変えられてしまう。
0も1もどちらも入れることができなくなってしまうワケだ。

対角線論法では、[0,1]区間の無限小数のリストをすべて並べたとしても、数えてない数が存在してしまう。

かくして、

[0,1]区間の実数の集合は、(自然数で数えることができない)非可算無限である、ことが証明されてしまった。

あ〜あ、気持ち悪いw

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

5ヶ月前 No.122

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

<対角線論法への反論>

「ああ、対角線論法で新しい実数が出てきてしまうのね。その新たな実数をリストに無理やり組み込もうとするからいけないのよ。リストの一番上に置けばいいじゃん。うん、何の問題もない。
「いや、それでもまた対角線論法で新たな実数が出来てしまう」
「それならまたリストの一番上に置けばいいのさ。その繰り返しができるということは、何のことはない。実数の集合も自然数でナンバリングできる、可算無限である、ということだね」
「いやいや、そもそも、すべての実数を並べたという仮定における証明なんだから、リストの上に置くこと自体、仮定に反する矛盾、ということになる」
「それなら、その仮定が間違っている、ということだな」

対角線論法の仮定として、「[0,1]区間のすべての実数のリストが存在する」というのがある。
しかし、そんなリストは存在できるのか?

「すべての実数のリストが存在する」とは「実数の無限集合には全体がある」ことを意味する。
しかし、「無限に全体がある」とはどういうことなのか。

通常、全体というときは「ここからあそこまで」という範囲があって、その範囲を指して「全体」ということができる。
しかし、無限に全体がある、という意味が分からない。
「ここから」があるとしても「あそこまで」が存在しないのが無限なんだから。

その意味では、自然数の無限全体も整数の無限全体も、有理数の無限全体も存在しない。
それでも、自然数や有理数などには、「自然数を作る規則」や「有理数を作る規則」がある。
だから、自然数や有理数なら「無限に全体がある」気分にはなれる(錯覚だが)。

しかし、実数を集める規則など存在しないのだ。
実数の集合を作る規則など存在しない。

実数ひとつひとつになら、規則が存在することもあるだろう。
√2は、1.41421356....の無限小数を作る規則、と言える。
円周率を求める公式もあるから、それも規則と言えるだろう。
しかし、無限小数を作るすべての規則を集める規則など存在しない。
また、規則など存在せず、ただデタラメニ無限小数が続くのだって実数のひとつだ。
だから、実数を集める規則など存在しないし、実数をならべる規則だって存在しない。

ええと、なに言ってるんだっけ?www

だから、無限に全体など存在しない。
だから、実数のすべてをリスト化して並べるという仮定自体がナンセンスなのである。

だから、対角線論法は胡散臭いし、それによって得られる非可算無限の概念も胡散臭いのである。

・・・、なんてなw

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

5ヶ月前 No.123

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

<<非可算無限は胡散臭い=対角線論法は胡散臭い>>

対角線論法は数学の天才カントールによって提唱された。
その仮定として、実数集合の無限に全体がある、とした。
カントールの後の時代、数学は公理でもってカントールの思想を強化した。
「無限公理」というものである。

「無限公理」とは、まあ、無限集合が存在する、あるいは、自然数の集合が存在する、みたいなこと。
それによって、「無限には全体がある」ことになってしまった。

「無限に全体がある」というのが私には理解不能なのは書いた通り。

ところで、この「無限公理」は「公理」である。
「公理」であるということは、「証明できない」ということである。
もしも、無限公理が証明できるなら、無限に全体があることを証明できるなら、無限公理は無限「定理」になってたはずだ。

昔、ラッセルという天才数学者だか論理学者だかが「無限定理を証明した」と思い違いをして訂正してしまう。
それは彼の信条「論理主義」にも打撃であったらしい。

ともかく、無限公理が公理であるということは、有限の立場からは無限全体があることを証明できない、ことを意味する。
カントールは実数集合の無限に全体があることを仮定して対角線論法を証明した。

つまり、

対角線論法とは、証明できないことを前提とした証明なのである。

だから、対角線論法は胡散臭い。非可算無限の無限観は胡散臭い、というのであった。

5ヶ月前 No.124

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

はあ、長い投稿になってしまった。
過激なことを書いたかもしれないけれど、数学批判というよりは哲学問題として書いたのだった。
いや、実際、無限には全体があることにして数学は大発展してきたのだろうし。
でも、その大発展の一方で、様々なパラドックスが起こりもしたもので。

まあ、無限について考えるのは楽しいけどね。

結局、私が問題にしたいのは一言で表せる。

「無限に全体があると思う?」


なお、この投稿をロムした人の中に「野矢茂樹の『無限論の教室』を読んだんでしょ」と思った人がいるなら、
・・・、あなたは鋭い。

5ヶ月前 No.125

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>118,119,120,121,122,123,124,125  ふんにゃさんへ

 大変解り易い内容で、SumioBabaの >>117 を補足説明して頂き、有難うございます。たとえ本で読んだ内容であろうと、読んだだけではすぐ忘れてしまいます。自分の文章として書いてみれば、一生忘れないくらい、理解が深まります。読者たちの勉強にも役立ちます。「いいね!!」を10個くらいあげたいですね。お疲れ様でした。

 仰る通り数学では、何を根本的な真理と見なすかをすべて「公理」として定めるし、その「公理」を受け入れるかどうかは恣意的です。だから、「無限には全体がある」も「無限に全体はない」も、どちらか一方が正しいと言えるものではなく、どちらを「公理」に定めても、無矛盾な公理系が作れると思います。
 問題はその内容です。カント―ルは「無限には全体がある」の立場であり、ふんにゃさんは「無限に全体はない」の立場だとすると、具体的に両者の間にはどんな違いが生じるのでしょう? 特に、「無限には全体がある」に異論を投げ掛けるのであれば、「無限に全体はない」の方が優れていると言える点は、何なのでしょうか?

5ヶ月前 No.126

地下水 ★lHRYPNADL9_Tbw

>>126  カントールの濃度を発展させて、フラクタル次元で、統一的に濃度のフラクタル次元を決められるのではないでしょうか。

5ヶ月前 No.127

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

>>118 の訂正

>可算無限とは、自然数で数えることができる無限である。
>非可算無限とは、自然数で数えることができる無限である。

⇒非可算無限とは、自然数で数えることができる無限である。



>大変解り易い内容で、SumioBabaの >>117 を補足説明して頂き、有難うございます。

バレちゃったかw
そう、補足説明のつもりだったし、数弱(私みたいな)のロムさんたちにも理解できればいいな、というつもりで書いたんだけど、うまくいったかどうか。

>特に、「無限には全体がある」に異論を投げ掛けるのであれば、「無限に全体はない」の方が優れていると言える点は、何なのでしょうか?

それでは簡潔に書いておきましょ。

無限に全体があるという考え方は、を、実無限、と言う(無限の実在論ということらしい)。
論理学では古典論理という(一般的な命題・述語論理のこと。古いという意味ではない)。
数学では現代数学(古典論理に倣って古典数学と呼ぶこともある)。

無限に全体がないという考え方は、可能無限、という(無限は可能的に続いていくという意味?)。
論理学では直観主義論理という。
数学では、数学的直観主義と呼ぶ。
(数学的直観主義も現代数学だ、という見方もあるが分類の必要上区別しておく)。

さて、無限観として実無限と可能無限の対立があるわけだが、数学史的には可能無限が長いこと主流であったらしい。
古くはアリストテレスからだとか。19世紀最大の数学者の一人と言われたガウスも可能無限派だった。

実無限が可能無限を逆転したのはカントールの集合論から。
それは画期的な考えで、カントールの楽園、と数学者たちは絶賛したのだとか。

しかしその集合論からいくつかのパラドックスが発生してしまう。
パラドックス、つまり、矛盾があるということは、その論理体系が間違ってることを意味する。
ことに、ラッセルのパラドックスは数学の危機とまで言われた、大事件だったのだそうな。
(実はラッセルのパラドックスは対角線論法でも解釈できる)

そこで可能無限の立場からカントールの集合論に対する批判が始まる。
直観主義を提唱して対角線論法などを非難したブラウワーなどである。
対角線論法は背理法であり、背理法の根拠は、排中律、であった。
ブラウワーはその排中律を否定してしまうのであった。

それに怒ったのが当時の数学界の巨人・ヒルベルトであった。
数学から排中律を使えなくするなんてどういうつもりだ、と。
そしてヒルベルトは直観主義に対して形式主義で対抗する。
証明を形式化することで数学の無矛盾性と完全性を示そうとした。
ヒルベルトとブラウワーとの間に大論争が起こり、感情的な対立にもなったという。

ところが、ヒルベルトの目論見は失敗してしまう。

ゲーデルの不完全性定理が、自然数論の無矛盾性を証明できないことを証明してしまった(よく知らんが)。
(この不完全性定理の証明にも対角線論法が使われるのだそうだから、恐るべし、対角線論法)

これだけ見れば、ヒルベルトの、実無限の敗北に見えるのだが、現在残ったのは現代数学の方だった。

カントールの集合論を素朴集合論と呼ぶ。
しかし、そこからいくつかのパラドックスが発生してしまう。
それは素朴集合論の論理破綻と言える。

そこで数学者たちは、パラドックスが起こらないような公理を設定して集合論を整備していった。
それを、公理的集合論、と呼ぶ。

現状、公理的集合論は無矛盾に見えるかもしれない。
しかし、その無矛盾性を証明できないことは、やはり、不完全性定理が示している。
だから、また新たなパラドックスが発生する可能性は否定できない。

えっと、質問はなんだっけw

>「無限には全体がある」に異論を投げ掛けるのであれば、「無限に全体はない」の方が優れていると言える点は、何なのでしょうか?

そうそうw

まあ、説明抜きになるけど、無限には全体がないという直観主義の立場に立てば、
排中律は拒否される。
排中律が拒否されると背理法も制限を受ける。
(肯定命題を仮定して矛盾を導出し、否定命題を帰結するのはいいけれど、否定命題を仮定して矛盾を導出し、肯定命題を帰結するのはいけない)
関連して、二重否定命題を肯定命題にすることもいけない。

そりゃ、現代数学者は怒りますな。そんな数学、不便で仕方ないと思う。
それでもたしかなことは、少なくとも、数学的直観主義の数学は、無矛盾であることが保証されていること。
有限の立場から出発して証明を続けていくものだから。

一方、現代数学は無矛盾であることは証明できない。
間違ってる可能性もあるわけだ。
その可能性の原因は、無限に全体がある、という考え方だからだと思う。

「現代数学は有限と無限全体の二元論である」と私がどこかで書いたのはそのこと。
そういう言い方ならば「数学的直観主義は有限から出発する一元論である」と言えるだろう。

よーするに、・・・

正しいに違いないが不便な数学的直観主義と、間違ってるかもしれないが便利な現代数学のどちらを取るか、という選択だ。

まあ、数学的直観主義に関心を持つ数学者は少数派なんだろう。
それでも、どこかの大学(忘れてしまったが)の教授だかなんだかの、
「普段、数学をするときは現代数学だけど、正しいのは直観主義だと思う。現代数学で仕事をするのは便利だからだ」
みたいなブログを読んだことがある。

それに、コンピュータプログラムと相性がいいらしくて、数学的直観主義も見直されているのだそうな。
また、現代数学を数学的直観主義に、翻訳する研究、も進んでるのだそうで。

とゆーわけだが、

哲学的に考えるなら、正しさを追求するなら、数学的直観主義だろう。

と、考えるまでが私は楽しいのであって、だからと言って数学的直観主義を本格的に勉強するつもりもないのだがw


・・・、ってゆーか、簡潔に書いておきましょ、て言っておきながら、全然そーじゃねえwwww

5ヶ月前 No.128

ふんにゃ @sorairono ★bXqlVCKD2A_Tbw

わたしはばかなのか?

⇒非可算無限とは、自然数で数えることができない無限である。

5ヶ月前 No.129

ちょっとね ★zkRJpKz2Kv_yoD

いやいや、存分に賢いでしょ。冤罪論拠の死刑反対はやめちゃったの?

5ヶ月前 No.130
ページ: 1 2

 
 
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