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カント哲学を教えてください

 ( 哲学掲示板 )
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ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_5qC

カントが何を言いたかったのか、カントの哲学とはなんなのか。

わかりやすく説明してくれると助かります。
とりあえずカントが知りたいです。

Aさん「カントは○○と言いたかった」
Bさん「イヤ、××と言いたかったんだ!」

みたいな議論でもOKです。
宜しくお願いします。

1年前 No.0
メモ2019/08/06 15:10 : 安齋昌宏★IpEO77cCOU_fud

 カント哲学とは何か?というご質問に正確かつ厳密に答えるのは容易ではありません。しかし、なるべきご希望に沿って書かせていただきます。まずカント哲学は批判哲学です。批判とはドイツ語の「Kritik」から来ています。英語の(critic)にあたります。批評とも訳せます。根源的な意味は「分かつ」です。

 それではカントは何を「分かつ」ことをしたのでしょうか?それは人間の認識能力の限界、特に「理性の限界」を分かつことを成し遂げたのです。これは「哲学の限界=理性の限界」という思想が根底にあります。そのまた根底には「理性の根源性」という思想があります。

 なぜ、理性が根源的なのでしょうか?なぜなら「理性は最も根源的な否定の能力であり、理性を否定するのも理性になってしまう。」ということです。これはここでは詳しく述べませんが、「理性の自己同一性」というゆるぎない哲学の基盤を暗に含意しています。平たく言えば「私は私である」ということですが・・・。当たり前のことですね。

 哲学を平たく言えば「考えること」です。その根源的能力である「理性の限界」を定めて「分かつ」ことをしたのです。なぜ、こんなことをしたのでしょうか。もうお気づきかもしれませんが。これは本題に入る前の「予備学」、「準備」にすぎません。カント自身があの有名な三批判書「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」は皆、「真の哲学」に至るための「予備学」だったのです。

 なぜ、こんな予備学が必要だったのかと言うと、当時の哲学と思想界は混迷、乱戦の状態にありました。真の哲学をしたくとも無理な状態にありました。二つの混乱が主なものでした。一つは「経験論」と「合理論」、そしてもう一つは「独断的形而上学」と「懐疑論」でした。経験論はすべての知識は感性的経験から由来すると主張し、合理論はすべての自明な真理、知識の由来は「理性」であると主張しました。カントはこの混戦の解決のために「裁判官モデル」という形をとって哲学したのです。裁判官は「真と疑」、「可能と不可能」を分かつのです。「独断的形而上学」と「懐疑論」の論争は「独断的形而上学」の代表は「唯物論」とか「唯心論」でした。どれも独断的で決着が不可能な状態に当時ありました。「懐疑論」は「独断的形而上学」の裏返しで「本当のことは何もわからない」と言う主張で、ヒュームが代表でした。

 このままでは「真の哲学」をするのは不可能な状態でした。そこで、先に述べた「理性の根源性」にもとづいて「真の哲学」と「偽の哲学」を「分かつ」ことにチャレンジしたのがカントでした。彼は当時の哲学の「公平な裁判」を行ったわけです。そのためには「まず認識能力、特に理性の限界」を定める必要があったのです。ここから先はご自分でお読みください。

 しかし、少し要約的なことを書きますと、「純粋理性批判」では「経験的認識」は「感性と悟性の協働でなされる。経験を超えた(例えば形而上学の領域)では真でかつ確実な認識は不可能であり、それが理性の限界でそこを超えると『二律背反』に陥ってしまう。」と審判を審判を下したのです。検証可能な命題のみを有意味とした「論理実証主義」や「前期のヴィットゲンシュタイン」と似通っています。ただし、カントは言語論的転回以前なので安易にそういうことは言ってはいけないことですが、かなり近いと思います。理性の二律背反は非常に奇妙な状況で「独断的形而上学」が泥沼にはまった理由が明らかにされています。要するに「矛盾する判断、命題が同時に肯定される」という理性の異常事態です。「理性の自己同一性」は崩壊してしまうのです。

 「理性の自己同一性」を救ったのは「実践理性」でした。実践理性に由来する道徳法則は「自由の認識根拠」となり、他方、「自由は道徳法則の存在根拠」となり、「理論理性(科学)」では「二律背反」に陥った「自由の認識」が可能になり、そこが突破口になります。「正しいことと本当に自覚したら人間はそれができる自由がある」という「純粋実践理性の事実」です。

 正しいとは実践理性が決めることです。ただし、認識ではなく、実践的に正しいという認識です。二律背反は解消され「理性の自己同一性」は回復されます。意見は分かれますが、独断的形而上学は否定され、「経験的認識の形而上学」と「実践的(道徳的)形而上学」という二つの「真の哲学」の可能性が開示されたのです。もう字数も限界が近いづいていますので、「判断力批判」に関してはこの二つの認識と実践の架け橋を求めて構築しようとしただけ、書いておきます。美の経験がその核心です。

 カントは「真、善、美」にかなりまともに取り組んだ哲学者です。現代哲学は「思考(哲学)の限界=言語」としました。カントより客観的です。理性はあくまで人間の内的能力ですので言語に比すれば主観的です。

 もう一つだけ加えるとしたら、哲学に実験的方法(投げ入れ)と遠近法を取り入れたことでしょう。遠近法とは有名な「メガネの比喩」です。これも現代に引き継がれ、進化しています。現代のメディアの哲学は「複数のメガネ」の哲学とだと思います。カントの時代には考えられなかったことだと思います。「カントは哲学を学ぶことはできない。哲学することを学ぶことができるだけだ。」と言っています。カントを読むとカントにとどまれなくなります。自力で歩くしかないのがこの世界の掟だと思います。頑張ってください。

 

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ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_aLu

ひろさんへ

返事が遅れてごめんなさい。平日は仕事があったりしてなかなか ゆっくりした気持ちで書き込めないので、
また週末書き込ませてください。

1年前 No.22

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

ゆみさん、
了解しました。

1年前 No.23

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_VeN

ひろさんへ

カントについて色々と教えてくださり、ありがとうございます。

質問ができるほど、理解できていないのですが、1点だけ。

中世の哲学はまだ、神の存在を肯定した上でそれぞれの哲学を構築していくのが主流だったんですね。

神が理性を作ったというなら、それはどのような手法で作られたとカントは考えているのでしょうか。

1年前 No.24

ひろ @ponchi10 ★iPhone=hA8n0Tulbr

ゆみさん、
返信ありがとうございます。

カントは「神は理性をどのように作ったと考えていたのか」とのことですが、
多分、カントは「神が理性をどのように作ったのかは知り得ない」と考えていたでしょうね。カントからすれば、「神」は自然の摂理を説明できないことの言い換えでしかありませんから、いったいどのように「神」が理性を作ったのかはわからないんじゃないでしょうか。

とはいえ、自然の摂理は確かに我々人間の理性が認識できるような構造をしています。ですが、なぜそうなっているのかはよくわかりません。だから、カントは道徳における要請という意味での神しか認められなかったのだと思います。

ちなみに、カントは道徳形而上学原論において、「自然の意図」が理性的存在者に「善意志」を生じさせるようにした、と述べています。理性的存在者は動物とは違って、生存のためだけに生きているのではないということから、「自然の意図」=「神」は理性的存在者を「自らの欲求を制限するように作ったに違いない」とのことです。

1年前 No.25

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.26

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_VeN

ひろさんへ

なるほど。単なる動物と人間は違うということですね。
動物は、生存のためだけに生きているけれど、人間はそうではない。

自然の意図なるものが、人間に善の意志を生じさせるようにしたのですね。

とても面白いです。ありがとうございます。

1年前 No.27

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_VeN

となりのととろさんへ

私自身が他人の解釈で良いと思っています。その上でこのスレッドを立てました。
スレッド自体がそういう主旨なのです。

なので、哲学を勉強するにはこういう方法がある、だとか
原文にあたれ、だとか、そういうお話はここの主旨とは違っています。

しかも、ととろさんから聞いたところによると、
理解に苦しみながら格闘して、それでも20パーセントぐらいしか読解できず、
もがきながら獲得していくもの、というイメージですよね。

そこまでする必要ってどこにありますか?

私は資格試験の勉強ならそこまですると思います。受かりたいから。

でも、そうではなく、単なる趣味でのほほんと哲学を知りたい、と思っているだけなのに、
そこまでを求めるのは厳しい意見とかそういうことではなく、ちょっと違うんじゃないかな、って思います。

小説を楽しんだり、漫画を楽しんだりするのと同じように哲学をかじってみたい。
楽しみたい、と思うのはいけないことなのでしょうか。

1年前 No.28

空の光 ★gJtkhrQng6_m9i

こんにちは。

ゆみさんは、哲学を楽しみたいんだ。自分と一緒だ。

ソフィーの世界なんて読むといいかもしれない。

自分もソフィーの世界から哲学を見てみたよ。

初めてソフィーの世界を知ったのはNHKラジオで朗読?というのをしてた。

それがソフィーの世界への興味を沸かせたんだ。

今でも時々読んでるよ。

1年前 No.29

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.30

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.31

懲りないねぇ ★Android=3OLRuac55z

>>30
それならどこがどう間違っているのか説明なさってはいかが?
それと他のスレで貴方は「翻訳される前の原典を読みます」等と豪語しておりましたが、貴方はラテン語やドイツ語等の文献が読めるのでしょうか?
ともあれ、議論するのでもなく「でたらめ」とまで言って他人をこき下ろすのであれば、貴方にはそれがどうでたらめなのかを説明する責任があると思いますよ。もしかしたら貴方の理解が間違っているのかも知れないんだから。

1年前 No.32

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.33

懲りないねぇ ★Android=3OLRuac55z

>>33
相手にする必要がないのは何故ですか?
何の根拠も説明責任も伴わない、単なる一方的な意見表明がしたいならtwitterで「つぶやいて」下さいな。

1年前 No.34

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.35

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.36

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

となりのととろさん

高校の倫理くらいでは哲学とは呼べません・・

でもめいちゃんやさつきさんの心にはいいでしょう・・

1年前 No.37

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.38

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

となりのととろさん

基礎学力がないと付け焼刃で終わります・・

そうですね高校の倫理は基本的に徹底的にマスターしておいて初めて哲学にチャレンジでしょう?

1年前 No.39

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.40

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

となりのととろさん

ヤスパースさんの本は大学院くらいですよ・・

教養課程の哲学よりもっと高度です・・

1年前 No.41

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.42

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

となりのととろさん

ピッタリ心にはまる哲学者さんはいらっしゃいますか?

私はヤスパースさんが一番ピッタリ心にはまり納得します・・

1年前 No.43

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.44

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.45

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

となりのととろさん

キルケゴールさんの影響を受けている哲学者は多いです・・

ヤスパースさんはキルケゴールさんを「かれの作品は私を、独特の意識的、方法的な思惟として哲学へ決定的に目覚めさせた。

いろいろな見解を参考として、昔の哲学を再構築するという課題が、このとき打ち建てられた。」と著述しています・・

1年前 No.46

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

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1年前 No.47

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

となりのととろさん

自分の師を自分で選ばなければ・・と思います。

1年前 No.48

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.49

宿題 ★sicIy89Ne4_iGf

となりのととろさん

解読能力を身につけるために哲学の入門書は読まれましたか?

1年前 No.50

宿題 ★eM1n2yJmTo_sxd

失礼しました・・

私はゆみさんにレスしないようにと追い出されています。

ゆみさんにレスしているのではありません・・

申し訳ありません。ゆみさんの所で無礼しました・・

1年前 No.51

志野 ★oxNziOTMi3_yoD

>ひろさんとゆみさん

「なぜ理性なのか」について、個人的に考えたことなのですが。
カントは人間を、感性的存在と理性的存在の二面併せ持つと考えているようです。
そして悪魔のケーキの理論から考えると、道徳的・国家的になるように、人間の手綱を引けるとしたら、理性だと考えたのではないでしょうかね。
感性的存在の面まで入れた「私」にしてしまうと、感情で動くことを是としてしまう、そんな考えがあったのではないだろうかとふと考えたわけです。
もちろん、あくまでも一考えですけれど。

1年前 No.52

削除済み ★fofH1MgenE_keJ

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2018/10/28 11:21 )

1年前 No.53

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_VeN

志野さんへ

貴重なご意見ありがとうございます。

私もその意見に同意します。

カントは理性によって人が社会的ルールに違反しないようにしていることを指摘していると思います。
感情によって人々がばらばらに動いたら社会的秩序が守れなくなる。

そこをカントは「なぜ人がルールに則って生きているのか」を哲学した人なんだと思います。

1年前 No.54

志野 @sinomon10 ★oxNziOTMi3_yoD

>SumioBabaさん

>>6

アカウント登録で見えるようになったので、少々疑問点を失礼します。

>ひたすら道徳的に生きることで、神に近付こうとしていたように思います。

カントは神に近づこうとしていたのでしょうかね。
例えばひろさんは、カントは理性を重要視したと仰っているように、カントは人間のそれも理性的な判断を重要視していると感じます。
それならば、カントは神に近づくのではなく、神の介入を阻止しよう、神から距離をとろうとしていたのではないかという疑問があるのですが、いかがでしょうか。

1年前 No.55

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_9Xi

志野さんへ

カントを読んでもいないのに、

意見に同意したり
カントが何を指摘していたのか、などを

むやみやたらに書いてしまって申し訳ありませんでした。

以後気を付けます。


ただ、私もまったく知らない訳ではなく、

入門書みたいなものでなんとなく「カントはこんな感じ」

と思っています。


でも、この広い世の中にはあのカントの純粋理性批判みたいな原書が
読めちゃう人もいるんですよね。

脱帽です。


そういった本を読んだ人と交流を持ってみたいなーと思ったのも、

このスレッドを立てた一因なのであります。

今後もよろしくお願いします。

1年前 No.56

志野 @sinomon10 ★oxNziOTMi3_yoD

>ゆみさん

どうしたのですか?
ゆみさんには何の落ち度もないので謝ることなんてないですよ。
別にカントを読んでなくてもおかしいと思ったところは指摘しても、なるほどと思ったことは同意しても何の問題もないですよ。
それに関して気をつけるなんてことは全然しなくていいと思います。
カントの原書(立花氏は原書の方が概念を掴みやすいと言っていましたが)を読むなんて離れ技は私もしていません。
そんなに気を使わずに、いろいろ話をしていきましょう。

1年前 No.57

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_9Xi

志野さんへ

>なるほどと思ったことは同意しても何の問題もないですよ。
ありがとうございます!!  >>54 を何度も読み返しているうちに、
なんか自分で「知ったかぶりしてるみたいなエラそうな文章だな」と感じてきてしまいましてw

これは謝罪せねばならん!と思った次第でございます。

>そんなに気を使わずに、いろいろ話をしていきましょう。
ありがとうございます!

それにしても立花氏って立花隆さんのことですか?

あの方は本当に頭のいい人だな、って思います。

晩年以降はどういう意見をされていたのかあまり読んでいませんが、
立花隆さんはうちの両親も好きでしたよ。

あと、同じ東大出なら林先生も好きです。

林先生なら難解な哲学書も子供にもわかりやすく説くことができるんじゃないかって
すごく期待してます。

でも、そんなことをやってくれる予定なんて聞いたことないんですけどねw

1年前 No.58

志野 @sinomon10 ★oxNziOTMi3_yoD

>ゆみさん

>それにしても立花氏って立花隆さんのことですか?

そうです。彼は遊びが仕事のような人らしいですから。
知ることが遊びとなったジャーナリスト=最強という図式なのかも知れません。
「エーゲ 永遠回帰の海」などは名著入りして間違いないと考えています。

さて、話がずれましたが、ゆみさんが「続」のスレで書いた、殺人が0になる方法ですが…
ここに書くと、カントの考えの「人間の合理性」がそれを実現させるのではないかなと思いました。
人が自分に有利に物を運ぶためには、他人といがみ合うよりも仲良くしていた方が運びやすいのですね。
つまり、感情に流されない合理的な損得勘定こそが殺人0への道なのかも知れませんね。

1年前 No.59

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>55  志野さんへ

 ご意見有難うございます。

>>ひたすら道徳的に生きることで、神に近付こうとしていたように思います。


>カントは神に近づこうとしていたのでしょうかね。

>例えばひろさんは、カントは理性を重要視したと仰っているように、カントは人間のそれも理性的な判断を重要視していると感じます。

>それならば、カントは神に近づくのではなく、神の介入を阻止しよう、神から距離をとろうとしていたのではないかという疑問があるのですが、いかがでしょうか。


『カント 人と思想』(小牧治著、清水書院、1988)のP197からの引用です。

> そこで、道徳的に善なる人間(神意にかなう人間)になるためには、根本悪による転倒をさらに転倒すること、いわば、考え方の革命がなされなくてはならない。転倒の転倒、否定の否定という革命こそ、一種の再生による新しい人の創造である。道徳的無為のうちに、外敵なことがらによって恩寵を乞い、罪のゆるしを待ちねがうごときは、キリスト教の本質ではない。真の宗教、真のキリスト教においては、心の革命、善き行状こそ問題である。各人は、善き人間となるために、みずからの力のかぎりをつくさねばならぬ。そこではじめて、みずからの能力のなかにないものが、より高い存在(神)によって補足せられるであろう。人はそのことを、望むことができ、信じることができるのである。問題は、神の恩寵にあずかるためには何をすべきか、である。幸福や恩寵を求めることではなく、幸福にあずかるに値するごとき徳をめざすことである。ひたすら純なる徳に生きるとき、人はそこに、徳にふさわしい福が神によってめぐまされるであろうことを、望むことがゆるされるのである。//


 カントを的確に捉えてあると思います。カントは敬虔なキリスト教信者でした。デカルトによる《神の存在論的証明》は論点先取だと批判しましたが、神の存在は誰よりも確信していたようです。「道徳的に生きることで神意にかなう人間になりたい」というのがカントの生き方だったようです。SumioBabaはこれを、 >>6 の中で、「ひたすら道徳的に生きることで、神に近付こうとしていたように思います。」と表現した訳ですが、あまり適切ではなかったでしょうか?

1年前 No.60

志野 @sinomon10 ★oxNziOTMi3_yoD

>SumioBabaさん

返信ありがとうございます。
適切ではないというようなことはないのですが。
「必要性や欲望が道徳の規準になりえないなら、何が基準になるのか。1つの可能性は神だ。しかし神はカントの答えではない。彼はキリスト教徒だったが、神の権威を道徳の規準にはしなかった。」
これはマイケルサンデル氏の「これからの正義の話をしよう」という本からの抜粋になります。

ここでもあるとおり、カントは道徳の規準を神とはしなかった。結局理性にしたのでしょう。
もしカントが神に近づこうとしているとしたら、何故カントは神を基準から外し、理性を持ってきたのか。という疑問が湧いたので、質問をさせていただいたのです。

1年前 No.61

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_9Xi

志野さんへ

貴重なご意見ありがとうございます。 >>59 の後半部分のお話しですが、まったくもっておっしゃる通りだと思います。

人と仲良くしていった方がうまくいく。それはそうなのですが、人間的に未熟な者が理性ではなく感情に身を任せて、たとえば

母親を殺してしまったり、他にも介護苦などで人を殺してしまったりすることがあるんですよね。


こういった人たちに教育を施して「もう人殺しなどしない」状態にまでもっていったとして、

悲しいかな、人は表面だけの演技もできるし、その時は「もうしない」と思っても、社会に出ると単純な感情だけではなく、

より複雑な感情をうまくコントロールするだけの素養が必要になってくるわけです。

大人になるための教育、人格や品性とは、など、日本ではまだまだその教育がなされていません。

本当は大学でそういうのを習えばいいんですけどね。


まず、教育水準が向上することが殺人率を下げることの一要因になっているわけだから、

今後もたゆみなく向上していくことを願うばかりです。

難しいのは小・中・高校生の時に勉強を努力したことが、大人になってから「稼げるお金を増やす」ということが、

果たして道徳的に許されるのかどうかです。

一生懸命、勉強して大人になり、賢い人は専門職にも就けるし(医者や弁護士など)、人生の成功者(あくまで経済的)に、

なれることが大いにあるんだ、ということを教育の観点上、教えていいものなのかどうか、という問題があります。

今日はお酒を飲んで酔っ払っているので、ここまでにしておきますが、

志野さんのお話は「子供を犯罪者にしないためには」という観点でとても有意義でした。ありがとうございます。

とりあえず、横になってきますw

1年前 No.62

志野 @sinomon10 ★oxNziOTMi3_yoD

>ゆみさん

ある程度の地位に就いている人でもバカなことをして、子どもにもバカにされる例もありますからね。
一概に経済的な強者=賢い人とは言えないのは事実なので恐縮ですが。

でも、個人的に思うことは、人が本当の意味で強くなる瞬間というのは、自分の「答え」を手に入れたときだと思うのです。
「四十にして惑わず」ではないですが、「これが自分が世の一員となり、自分が能力を発揮できる道だ」というものを手に入れる必要があると思うのです。
そうすると、意外と人は落ち着いてくる場合も多々あるものです。
犯罪者を見ていると、答えを見つけられずにもがいているパターンも多くあります。
それを解決するためにも、「一生懸命、勉強して大人になり、人生の成功者に、なれることが大いにあるんだ」ということは示してもいいのではないでしょうか。
ただ、賢い人限定というのは、個人的に?と思うので、勝手ながら書きませんでした。それと経済的ということも。
人生に成功したか否かは、自分がどれだけ許容できる生活を送れているかだと思うので。
この落ち着きというものこそが理性的であるための1つの要因ではないかなと思うのですね。

1年前 No.63

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_9Xi

志野さんへ

んー。賢い人限定というより、努力した人って言った方が良かったかもしれないですね。

小さいころから何かを一生懸命頑張ってきた人、それは勉強でも音楽でもスポーツでもいいのですが、
その人たちは大人になってからも頑張れるし、その頑張りでお金をたくさん稼ぐことも可能になりやすい。

犯罪に手を染める人ってお金に困ってることが多くて、盗みを働いたついでに大声を出されたから殺した、とか
結構ありますよね。

つまり、お金があれば犯罪になんか手を染めていなかった、んだと思います。

そういう意味での「経済的」ということです。

お金を稼ぐことについて長期的スパンで考えられる人は仕事を続けていくものだし、
短期的スパンで考える人は人の金を盗んでやろう、と考える訳です。

1年前 No.64

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>61  志野さんへ

>「必要性や欲望が道徳の規準になりえないなら、何が基準になるのか。1つの可能性は神だ。しかし神はカントの答えではない。彼はキリスト教徒だったが、神の権威を道徳の規準にはしなかった。」

>これはマイケルサンデル氏の「これからの正義の話をしよう」という本からの抜粋になります。


 サンデル氏がどういう意味でこう書いておられるのか、よく解らず、あくまでSumioBabaの推測です。
 カントは神を、「権威」で押し付けられることに反発したのではないでしょうか。SumioBabaが >>60 で引用した文章の中にも、「…ごときは、キリスト教の本質ではない。」「真の宗教、真のキリスト教においては、…」とあります。「神は権威が有るから、従わねばらない」という押し付けは前者に属し、カントはそれを拒否して、後者を目指そうと言いたかったのではないでしょうか?
 そしてサンデル氏は、カントが神を「権威」で信じるのではなく、自分の意志で「道徳的に生きたい」と考えているのを、どう説明したら良いのだろう?、と問題提起したのではないでしょうか?

>ここでもあるとおり、カントは道徳の規準を神とはしなかった。結局理性にしたのでしょう。

>もしカントが神に近づこうとしているとしたら、何故カントは神を基準から外し、理性を持ってきたのか。という疑問が湧いたので、質問をさせていただいたのです。


 『純粋理性批判』の「第二版の序文」の中に、有名な言葉「私は信じるということに余地を与えるために、知るということを放棄しなければならなかった」…※も有ります。(例えば、『純粋理性批判(上)』(イマヌエル・カント著、石川文康訳、筑摩書房、2014)のP34)。
 学問に関しては「理性」を重視したカントでしたが、神や宗教や道徳の問題となると、「理性」以上に「信仰」を重視したのではないでしょうか? これもあくまで、SumioBabaの推測に過ぎませんが。志野さんは※をどう解釈しますか?

1年前 No.65

志野 @sinomon10 ★oxNziOTMi3_yoD

>ゆみさん

なるほど、内容、分かりました。1点だけ。

>短期的スパンで考える人は人の金を盗んでやろう、と考える訳です。

これはゆみさんがせっかく「小さいころから何かを一生懸命頑張ってきた人、それは勉強でも音楽でもスポーツでもいいのですが、その人たちは大人になってからも頑張れるし」と書いてくださっているのに、それが生かされていない気がするのです。
それを生かす意味でも、「短期的スパンで考える+努力しても成功できるという自身が砕かれている人は人の金を盗んでやろう、と考える訳です。」というのはいかがでしょうか?

1年前 No.66

志野 @sinomon10 ★oxNziOTMi3_yoD

>SumioBabaさん

神に近づくためには人間自らの足で歩まねばならないということでしょうか。
それと

>「私は信じるということに余地を与えるために、知るということを放棄しなければならなかった」

そうですね…自分的にどのような解釈をすればいいのか少し長考してみます。
自分なりに分かったら、結果報告か質問させてください。

1年前 No.67

ゆみ @yumicoco ★M2tM0jQDcH_9Xi

志野さんへ

>「短期的スパンで考える+努力しても成功できるという自身が砕かれている人は人の金を盗んでやろう、と考える訳です。」というのはいかがでしょうか?

そうですね、こっちの方がいいですね。

1年前 No.68

久住哲 @flyonbody ★iPhone=EWKnAVh1q8

カントの、立法という発想が好き。

俺たちはふだん、ルールに従って生きてるけど、ルールが俺たちを(不思議な力で)操っているわけじゃない。

俺たちが、ルールにちからを認めて、ルールが通用しているかのように、行為している。

俺たちはまったくルールの下に支配されてるわけではなくて、俺たちがルールに支配力を許している。

ルールのせいにばかりできない。

俺たちに責任がある。

俺たちは自由な存在だ。

…みたいな、俺たち人間自身への尊敬へと通じるような、そんな良さがある。

カントを読むと元気が出る。



※ちなみにカントの『道徳形而上学原論』で、「尊敬」という言葉は無視できない。

過去の投稿
http://mb2.jp/_tetsugaku/776.html-804#a
http://mb2.jp/_tetsugaku/801.html-1263#a

1年前 No.69

ゆみ @yumicoco ★lztcptIjir_kb0

久住哲さん

カントについて、思ったこと感じたことを書いてくださりありがとうございます。
また、過去の投稿へのリンクもありがたく思います。


カントは「死刑ーその哲学的考察」(ちくま新書)萱野稔人さんの本で
ちらりと読ませていただきました。

定言命法や仮言命法など、とっつきにくい言葉がありましたが、読んでみるとなかなか読み応えもあり面白い考え方だと思います。

私自身、道徳とは時と場合によってその判断が左右されるもの、という認識でしたが、
その認識はカントに平手打ち、もしくはグーパンチされたような感じでひっくり返されました。

ここで私はカントに興味をもち、もっと知りたいと思ったのですが、
いかんせんカントの分厚い哲学書を私が読めるはずもなく、
みなさんにお力を借りながら、カントの触りだけでも理解できればと思い、
このスレを立ち上げました。

書き込んでいただきありがとうございました。

1年前 No.70

安齋昌宏 ★IpEO77cCOU_fud

カントは哲学の歴史の中で「公平な裁判官」として「理性の法廷」を立て、当時の経験論対合理論、独断的形而上学対懐疑論に判決を下したんだと思います。その目的は「本当の哲学」を構築するためでした。そのためには理性が理性自身を公平に審判する必要があって有名な三批判書を書いたのだと思います。私の感想は当時としては「誠実で公平な判決」だったと思う、です。

4ヶ月前 No.71
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