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「なんでもかまわない」は真理ではない。

 ( 哲学掲示板 )
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ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

ファイヤアーベントは自著「方法への挑戦」で、「なんでもかまわない(anything goes)」とは、あらゆる状況またはあらゆる段階においてすべてに適用できる唯一の真理であると述べている。

ここで、私が思考実験によって否定する。


まず、次の場面を想定してみる。

「私の目の前で私にとって大切な人が溺れ死にそうになっているが、私が助けに行けばその大切な人を容易に助けることができ、しかもその私はそのことを理解し、助ける程度の能力もある。」

さて、その状況で、私は、助けても見捨てても「なんでもかまわない」となるだろうか。

私は、否定する。

少なくともこの私は、私の意志によって「なんでもかまわない」ではなく「助ける」を選択する。

すなわち、「なんでもかまわない」は意志によって否定されるのである。

したがって、少なくとも否定事例が1つあるので真理ではない。


ここで、次の反論が挙げられるであろう。

それは、「なんでもかまわない」という自由意志があるからこそ「助ける」を選択できたのであるという意見である。

しかしながら、自由意志は疑わしい。

なぜなら、これは、映画のようにシナリオの決まった世界(決められた世界)であり、自由意志なんてそもそもない、ということを否定できないからである。


すなわち、「なんでもかまわない」は、「決められた世界があるという可能性」によって否定されるのである。

したがって、「なんでもかまわない」は真理ではない。


また、念のために添えておくと、これは私の真理ではない。

私の真理とは、いかなることにも否定されない、すべての本質であり、すべてに適用でき、すべてを認めるものである。

ページ: 1

 
 

ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

なお、ここでは、私の真理の公表は控えさせていただく。

7ヶ月前 No.1

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_gi9

お邪魔します。

「なんでもかまわない(anything goes)」の趣旨としては、「科学の発展のためには、『方法論』について制約を設けるべきではない」ということではないでしょうか?

もう少し広げて解釈をすると「○○の発展のためには、『方法論』について制約を設けるべきではない」ということではないでしょうか?

7ヶ月前 No.2

ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

>>2

趣旨については、承知しました。

では、

「なんでもかまわない(anything goes)」とは、あらゆる状況またはあらゆる段階においてすべてに適用できる唯一の真理ではない。

このことについては、同意いただけますか。

7ヶ月前 No.3

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_gi9

>>3 「anything goes」は たいへん短い言葉なので、趣旨を踏まえず解釈すると「正しい」とも「正しくない」とも言えてしまうのではないでしょうか?

もちろん、「ある状況、ある段階においては、『方法論』について制約を設けるべき場合もある」と思いますので、「いついかなるときも『anything goes』になるとは限らない」という点については 同意します。

7ヶ月前 No.4

ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

>>2

ありがとうございました!

7ヶ月前 No.5

ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

【訂正】

すみません。 >>2 ではなく >>4 でした。

>>4

ありがとうございました!

7ヶ月前 No.6

ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

以上にて、このスレッドは終了させていただきます。

また、これをもちまして、私はこの哲学掲示板から撤退します。

ばいばい!

7ヶ月前 No.7

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

ヤスパースさんの本に書いてあります・・

彼の真理において彼自身であれ!

私に従うことなく汝自身に従え!

7ヶ月前 No.8

テスト投稿 ★RBXgm0t4rs_Niz

スレ主の考えについて一つ指摘を。

《以下 引用…》

「私の目の前で私にとって大切な人が溺れ死にそうになっているが、私が助けに行けばその大切な人を容易に助けることができ、しかもその私はそのことを理解し、助ける程度の能力もある。」

さて、その状況で、私は、助けても見捨てても「なんでもかまわない」となるだろうか。

私は、否定する。

少なくともこの私は、私の意志によって「なんでもかまわない」ではなく「助ける」を選択する。

すなわち、「なんでもかまわない」は意志によって否定されるのである。

《…ここまで》

スレ主が「なんでもかまわない」という言明を『方法への挑戦』が指定する範囲を変えた上で使用していることは、モビウスさんが指摘された通りですが、もう一つ付け加えたいです。

「なんでもかまわない」というルールは、私(スレ主)自身の意志「助ける」によって上書きされるために、否定される。という主張は、言明間のレイヤーを混同した末に出てきた誤解であるように思います。

「なんでもかまわない」というルールはスレ主が「助ける」という意志を否定するものではなく、この二つの言明は対立する構図ではありません。端的に述べると、「なんでもかまわない」というのは意志についてではなく、その意思を持つに至った理由、考えの筋道について係ってくるルールに他なりません。

スレ主にとっての溺れている人は「大切」で、「容易に助けることが出来」、そのことを「スレ主自体も認識」しているという「助ける」という選択に至った理由を単純に「なんでもかまわない」という言明で肯定しているのです。

設定を少し変えたとしましょう。
スレ主にとって溺れている人が、「大切でもなく」、「容易に助けることが出来そうもない」状況にあり、第三者(この第三者という言葉も曲者ですが)に溺れている人をスレ主が助けに行く客観的理由が見つかりそうもないとしても、「なんでも構わない」という言明が、スレ主の意志を擁護し、ある種の道徳的行為を促す源泉にすらなり得ます。科学的営みにしろ日々の道徳的決断にしろ、様々な人間が多種多様な仮説を持って行動する、この世界、このフィールドは、その時々に応じた暫定的な理由付けに基づいて進行する即興劇のような性格があると言えます。

「なんでもかまわない」という言明は、未知の事柄、全くの見知らぬ他人とを繋ぐ、ほとんど唯一の架け橋として機能するからこそ、科学哲学的な主張ともそれなりにかみ合うのだと思います。未来における未知の知見をもつ科学者集団と現時点における科学者集団を結びつけるリンクは、予見できるものではありませんから。

5ヶ月前 No.9

宿題 ★bUKyk3gX2r_iR4

なんでもかまわない・・

allthing と nothing  この両極端を同じと考えるのかどうか?

5ヶ月前 No.10

テスト投稿 ★iPhone=3SLjJNM7Jr

宿題氏へ
「なんでもかまわない」が導き出された元々の経緯を説明いたしますと、人間の営み、特に『方法への挑戦』が取り扱ったのは科学的な営みについてですが、その営みにはアドホック(行き当たりばったり)な事例や、相反する矛盾した事例が多く存在することを、この本は代表的な科学史を取り上げることで、説得的に話を展開しています。。元来、科学哲学は「科学を論理の力によって半ば自動的、機械的に進歩させる方法は無いのだろうか?」という野心を持っており、例えば、科学と非科学を機械的に区別する反証可能性と言った理論的道具もその野心に貫かれて用意されたものと表現する事が出来ます。『方法への挑戦』というタイトルは、字義通り、そういった科学哲学による科学の方法化、標準化について抵抗する姿勢を示したものです。宿題氏の問い、「全てか?無か?」についてお答えするならば、「全て」になります。職業科学者や、より問題のある当時の科学哲学者が例えば、先に挙げた反証可能性といった鋏を用いて、予め数多ある仮説の群れを剪定してしまうことは、結果として科学の世界を痩せ細らせると警鐘を鳴らしたのです。相反する仮説が、世界の見方が、対立や批判も含めた、一見混沌とした相互作用を絶えず行う状態こそが、今までの世界の見方を根底から覆すブレークスルーを起こす条件であると説いた訳です。「なんでもかまわない」というルールは、複数のものの見方を許容するためのもので、一つの考え方だけを真理として全ての人々に適用させるべきではないという主張のパラフレーズでもあります。

5ヶ月前 No.11

テスト投稿 ★iPhone=3SLjJNM7Jr

追記 今も尚、科学史は勉強する価値はありますが、一方の科学哲学にその価値があるかどうかは分かりません。ファイヤアーベントの論敵でもあり、良き理解者でもあったラカトシュの『方法の擁護』という本もありますので、興味があればどうぞ…

5ヶ月前 No.12

宿題 ★bUKyk3gX2r_iR4

真理の多様性は深淵に臨む眩暈の中へ完全に引き入れます。

眩暈によってすべての基底が奪い去られます。

二通りの道があります。

@眩暈から超越者が開放する。

A自己欺瞞の中へ逃げ込み不安の中に閉じこもる。

5ヶ月前 No.13

@くん @akitagawa ★WiiU=fsMXaUMM5S

光と闇、物質と非物質、無と有、この世界はニ元論で定義される。結果的には次元数が上がっていけば上がっていくほど、様々な定義が存在し、それによっての結果にも新たなる結果が生じる。
私とは誰か?、私は誰でもありません〜誰でもあります。

「なんでもかまわない」

確かにそうだけど、ある部分だけ違う。何でも〜って入ると全てになるからね。

あと、この世界で決まってるものは存在するよ、それは「数字」、これは人が考えたものじゃなくて、発見したものだから。この世界では決まってるよ、光があれば影があるのも。

それを真理として定義つけた結果が、「全て」なわけだから。

369の数字と、振動、周波数、エネルギーについて考えて見るといい、そしたら真理に近づける。
あとは、人の考えがどうして「実現」出来るか聞きたいな。

>>ホントウの真理を発見した者


1.人の考えた事が何故「実現」出来ると思う?。君の答えが聞きたいだけだから、何を言っても文句は、言わないよ。ただ、知識を並べ立てた、見せかけの答えはやめてね。

2. 2÷0=

3.自分が何をもって、それを真理と定義つけた?。

4. 何が形を作る?、何が性質を生み出す?、何が性質による現象を起こす?。

5. 右手、左手

6. 人間の脳内には、ある一点だけ、誰でも考える存在がいます。「それ」は自分以外の誰かです。しかもそれは、古代から、今現在も感覚的に引き継がれているものです。それは何でしょう?。

7. そこには、裏が存在し、よって、表が存在する。さて、そこに裏と表とその他に何が存在するか?。

8. 理解をしている、なら、それは本当に理解したのだろうか?。

9. 自分は何人いますか?、別次元とか異次元とかじゃないです、多重人格とかでもありません、今現在自分は何人いますか?。

質問の理由が分からないならそれで良いです。どの様な問題なのか、それは自分で考えて答えてください。

5ヶ月前 No.14

@くん @akitagawa ★WiiU=fsMXaUMM5S

あ、コメント見るべきだった・・・もうスレッドは終了してるのか・・・まあいいや。

5ヶ月前 No.15
ページ: 1

 
 
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