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デカルト論破

 ( 哲学掲示板 )
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ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

「我思う、ゆえに我あり」と我思う、ゆえに…

俺「いつまで続くのですか?」

デカルト「無限に続くよ。だからこそ思う主体、そう、我だけが残り、我が存在することが確実なんだよ。」

俺「でも、無限に続くって確認できなくないですか?無限に疑った人っているんですか?無限って疑わしくないですか?」

デカルト「あっ…えっと…。」

俺「論破ああああああああああ!」

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ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

>>12

なるほど。こういうのを待っていた。

確かに、そのように解釈されたら、手も足も出ない。

3ヶ月前 No.15

★c6XrxOGnvb_Ew9

>>3
僕の文章わかりにくかったねw ごめんなさい

つまり、ホントウの真理を発見したものさんは、確認してないものは確かじゃない、って言いたいんですよね?
無限に続くから確実だというけど、無限に続くかどうか確認できないから、確実だとは言えない、と。

ところでホントウさんは >>0 で、「無限」という言葉を使ってますよね。そして「無限」の意味を理解している。「無限」の意味を理解し、それを確実なものとして使っている。
じゃあ「無限」ってどういう意味かと問われれば、「1の次は2、2の次は3...こんな感じが永遠に続くこと」と説明しますよね。
これを聞いて人は「無限」ってそういう意味なのか、と理解する。永遠にたどって確認することはできないけど、永遠に続くと想像できるから、それを確実なものとして「無限」を理解する。

つまり、「人は確認できないものでも想像を進めていって物事を確実なものとして認識することができる」と言えるのではないでしょうか。
そうならば、「我思う、ゆえに我あり」と我思う、ゆえに…」というのも、確実なものとして無限に続くと想像することができるのではないでしょうか。
「そんな想像は確認してないんだから確実じゃない」というなら、「無限」という言葉を確認もせずに確実なものとして使用しているホントウさんもおかしな事になるのではないでしょうか。

こういう事が言いたかったんですが、いかがでしょう?

ところで、ホントウさんの「論破ああああああああああ!」っていいですねw なんかたのしい

3ヶ月前 No.16

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

無限とは次があると言うこと?

自己とはこれ以上分割できない行き止まりがあります。自己とは無限ではありません。

3ヶ月前 No.17

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

「我思う、ゆえに我あり」という命題を再帰的に永遠に繰り返しても命題が真のままであるという事は、「我思う、ゆえに我あり」という命題が真であるという事ですよ。

3ヶ月前 No.18

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

因みに、0.99999・・・・=1である事を証明できますか?

3ヶ月前 No.19

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

凡人さん

筋違いではありませんか?

自我を分割するなんて?

デカルトは永遠に不滅です・・

3ヶ月前 No.20

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

宿題さんはビジネス用の自我を二つとプライベート用の自我を一つで計三つの自我を持っていませんか。

3ヶ月前 No.21

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

因みに、昔の中国共産党では、プライベートな自我と公の自我を合わせ持っている党員を、「二心分子」と呼んで戒めていたようです。

3ヶ月前 No.22

@くん @akitagawa ★WiiU=fmANEEbXwW

でもそれ言ったら君の言う「真理」だって疑わしくなるよ・・・
無限は何か?、それは全て、あるいは一部、あるいは無。
それが何か?、それは全てではなくて、あるいは一部でもなくて、あるいは無でもない。
無限は抽象的表現でもある。そもそも、私から言わせれば、真理は現時点の人の言葉では言い表せない何かだという可能性もあるしそうでない可能性もある。
それが何か?、何かでない何かで、それが何かである何か。
矛盾であって矛盾でない、だけれど矛盾で表現できる言葉でもない。
あるいは言葉でもないし、表現でもない、あるいはそうであってそうでない。可能性でも無いかもしれないし、そうかもしれない。あるいは無いのかもしれない。
それともその有る無いが通用しない何かである可能性もある。だけど私はその可能性が何かも分からないし、そうでない可能性もある。
私達は無知だ、だが、そうでない可能性もある。あるいは何もかもがそうでなくて、そうであるのかもしれない。
私は全てを否定してきた。「否定論者」と言うべきか否か。あるいはその逆が、その逆ですらなく否でもない何かか、そしてその何かでもないか。
考え出すときりがないのだ。あるいは考え出すときりがあるのか。あるいはそのものがないのか。
行き過ぎればこうなってしまう。だがどうだろう?、行き過ぎとはあるのだろうか?。あるいは存在しないのか?、そもそも存在とは何だ?、それすらも無いのかもしれない。
そもそも無が無くて有しか無いのかもしれない。有も無も無いのかもしれない。じゃあ人は何だ?、あれ?、人って存在したっけ?。あれ?、そもそも今書いてるのも何なの?、意味なんて無いんじゃないのか?。
え?、意味って何だっけ?。存在?価値?理由?意識?関係?なにそれ?何のため?常識?非常識?何のため?全てのため?何が?何が何のために?何がそうなる?あるいはそうでない?。そもそも今自分が言っていることはなんだ?。そもそも何故書いている?。何故書こうと思った?、そもそも今書いているのか?。
じゃあそれを証明するものは何だ?、記録か?。そもそも証明は何だ?、記録って何だ?。何のためにあるんだ?。そもそもそれが無いんじゃないのか?。じゃあ何なんだ?、こう思ってしまうこと事態も何なんだ?。どうしてこう考えてしまう?。


私は常にこうなっている。あるいは、こうなっていない。そもそもそれがないのかもしれない。
だから、真理なぞ追求するのはやめた。あるいは、やめていないのかもしてない。まだ追求していて、実は諦めていないのかも。いや、諦めているってなんだ?。追求とは何だ?、そもそもそれは存在するのか?、知識?、じゃあ知識って何のために有る?、そもそも何故そんな概念がある?。
いや、概念ってそもそも何だ?、何のためにあるのだ?。いや違う。

そして、私がいくついた先は「無限」これだけなのだ、あるいはそうじゃないのかもしれない。実はもっと違う言葉があって、それで表現すべきなのかもしれない。あるいは、そんなものはそもそも無いのかもしれない。そしてそんなもの事態何もかもが無いのかもしれない。

確実とはなんだ?、行き着く先は常に無限だ。

>>ホントウの真理を発見した者


君はそれすらも否定した。否定は別の何かを生み出す、あるいはそうじゃないのかもしれない。そもそもそれがないのかもしれない。
確定が無いからこそ、無限が答えだと人は言う。あるいははそうじゃないのかもしれない。そもそもそれがないのかもしれない。

これを見て、君はどう思う?。そもそも、これを見ているのか?、あれ?見るってなんだっけ?。まあ別にどうでもいいや。書きたかっただけだし。
え?、どうして書きたかったのか?、教えるためだよ。何を?、自分で考えろ。
だが、私はこう言っているが実はそう思ってないのかもしれない。
だからこそ問う、君がだとりついた真理は何なんだ?。
いや、それは本当に真理なのか?。そう思っているだけで、実はそうじゃないのかも。
だからこそ問う、君がたどり着いた真理とは何だ?。

3ヶ月前 No.23

@くん @akitagawa ★WiiU=fmANEEbXwW

私としては君の言う真理なぞどうでもいい。
失敗し、学び、体験し、探求し続ければいい、むしろやれ、大いに結構だ!!!!。
私もそうする、そして今後それを追求するものが必要になるときが来る。
妄想と疑われよう、だが私は心行くまで、哲学者へとなりきろう!!!!。
憧れたわけではない。私はそうしたいのだ!!!!。
ただどうでもいい社会の歯車の中でプログラムされた機械のように生きていたとしても。
そこだけは絶対に揺るがない。
だが、私は制御を失わない。常にこうだからだ。
好きに生きたまえ!!!!!、人の評価を気にするのは凡人のすることだ!!!!!!。身勝手な定義を押し付ける輩ほど醜いものはないだろう?。
だから気にするべきではない、きりがないからだ。この世の全人類に気に入られる性格をしている人間などどこにいようか!!!!。だからこそ、好きに自らの望むものを探求したまえ!!!!、追求したまえ!!!!!。
だからこその学問なのだ!!!!。だが、これだけは言っておく「学問に王道なし」、これだけは忘れないように!!!。

っと調子のって書いてしまった私であるw。まあ、望むものを探し続ければいいよ。望む結果に行き着くかはべつもんだいだけどねwww。

3ヶ月前 No.24

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

ホントウの真理を発見した者さん
たとえば、「私の話は嘘だというのは本当の話だ」、「「私の話は嘘だというのは本当の話だ」というのは嘘だというのは本当の話は嘘だ」、・・・・
というのは、真理になりえない事は理解出来ますよね。

3ヶ月前 No.25

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

凡人さん

真理の話なのに詭弁ばかり言ってからかうのが好きですか?

3ヶ月前 No.26

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

>>22 の「二心分子」というのはご理解いただけましたか。

3ヶ月前 No.27

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

凡人さん

24時間戦えますか?

3ヶ月前 No.28

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

宿題さんは三つの自我を何時も切り替えていて混乱しませんか?

3ヶ月前 No.29

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

凡人さん

「イド、自我、超自我」は、精神分析学者フロイトによって提唱された、精神構造を3つに分けた概念。

このことをおっしゃっていますか?

3ヶ月前 No.30

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

>>21,22 をご覧ください。

3ヶ月前 No.31

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

凡人さん

最近中国のドラマの映像(あらすじ関係なし)が一番きれいなのは何故ですか?

3ヶ月前 No.32


Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_3Nj

折角だから、復活させてリベンジしようかな?

「我思う 故に我あり」を疑おうとすると、以下の2つの問いが導かれる。

・我は、本当に思っているのか?(私は、本当に思考しているのだろうか?)

・思考している我は、本当に存在するのか?

例えば、“神”のようなものが居て、その“神”が思考していて、“私”はそれ(神の思考)を受信しているだけの存在であって、それを受信することで如何にも「自分が考えたのだ」というように“錯覚”しているだけの存在なのではないか?

「私は存在する」というのは実は錯覚であって、本当は ものすごくリアルなVRの世界に居る“虚像”に過ぎないのではないか?

私が 単なる受信器 や 虚像 でないと、 どうして言えるのか?

etc. etc.

3ヶ月前 No.34

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

>私が 単なる受信器 や 虚像 でないと、 どうして言えるのか?

デカルトは、「私は存在する」といっているだけで、どの様な存在であるのかについては何も言及していなかったと思いますが・・・・
因みに、我々が「虚像」である場合とそうでない場合に何がどの様に違うのか教えていただけないですか。

3ヶ月前 No.35

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_3Nj

>>35 “我”の存在理由が「我思う故に〜」ではなくなってしまいますね。

3ヶ月前 No.36

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

その理由を教えてください。

3ヶ月前 No.37

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_3Nj

>>34 をお読み下さい。

3ヶ月前 No.38

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

錯視していようが虚像であろうが、資本家に操られていようが、「我思う」存在が存在している事は否定しようがないと思いますよ。
ところで、「“我”の存在理由が「我思う故に〜」ではなくなってしまうと」何がどうなってしまうのでしょうか?

3ヶ月前 No.39

★BRbULVICdV_Ew9

>>34
デカルトは、「思考している我」の存在を確実なものとして認識したんだよね。
思考は自由度が高いから、「自分が考えたと錯覚」というのは排除してもいいんじゃないかと思う。この線は薄いと感じる。
また、我が「VRの世界に居る虚像」であっても、「VRの世界の虚像として思考している我」は存在可能なんじゃないかな。デカルトも、悪魔に見せられてる悪夢かもしれないとかなんとか言ってたんじゃなかったっけ。

3ヶ月前 No.40

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

そうですね。すみません。(すぐ敗退...)

3ヶ月前 No.41

★BRbULVICdV_Ew9

最近は脳の研究が進んでいて、不思議な実験結果がたくさん報告されています。
普通、人間の行動は「思考→行動」だと考えられていますよね。でもこれが相当怪しい。脳波を観察すると、行動しようと自分で考える数秒前に、脳は行動の準備をしている。思考で「手を動かそう」と思う数秒前に、すでに腕が動く事は決定されているらしいんです。これは「思考している我」の確実性を揺るがす事態なんじゃないか、とけっこう話題になりました。
この話は、意識と無意識が絡んでいて、すごく面白い話なので、興味があればググってみてください。

3ヶ月前 No.42

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

そうそう、それそれ。その「受動意識仮説」に触発されて、「思考している我は、実は受信しているだけなのではないか?」と発想したのでした。

3ヶ月前 No.43

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

>「思考している我は、実は受信しているだけなのではないか?」

そうだとしたら、何がどうなるのですか?

3ヶ月前 No.44

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

錯覚だとしても、その「錯覚している私」が居ることに変わりはない。

居ないのだけど「感じる」なんてことはあるのだろうか?

感じている以上「居る」とみなすべきなのであろうか?

3ヶ月前 No.45

凡人 ★AF3oJMMBTq_sgc

>感じている以上「居る」とみなすべきなのであろうか?

感じているのに「居ない」とみなしたらどうなるのですか?
それでは、支配階級の思う壺というものではないですか?

3ヶ月前 No.46

★BRbULVICdV_Ew9

>>43
「受動意識仮説」というのは初めて聞きました。
「思考している我が、受信してるだけ」だとして、ならば我は自由に思考しているのか?、という問いが考えられますね。
受信してるだけなら、我は自由に思考していない、と言えそうな気がします。
では、「受信している」というのはあり得るのだろうか?、と問うなら、「あり得ない」というのが、現時点での科学的知見のようです。「人間は意志で行動を制限する事が出来るから」というのがその根拠のようです。なので「線は薄いと感じる。」

3ヶ月前 No.47

宿題 ★bUKyk3gX2r_ly4

>>42

脊髄反射と言うことを言っているのでは?

脊髄反射運動と自我の意思する行動は違います・・

3ヶ月前 No.48

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_sgs

デカルトは方法的懐疑の最後、
「我思う(コギト)」そのものの安住しているスペースを疑うことがなかった。
だからそのまま安住しているスペースが自明のものと見なされ、
そこから明証を展開してスペースを拡張するような学の理念を押し広げた。

しかしコギトのスペースはそれほど自明なものだろうか。

私たちは大きな痛みに晒されただけで、
考えるゆとり(スペース)を失う。
火に炙られながら方法的懐疑は行えないのである。

したがってデカルト以降、近代の哲学は本質的に、
自らの領土(テリトリー)を拡大する思考に陥っている。

このような領土拡張的思考はすでに一定の力を前提としてしまっている。
力とは作用するもの(主体)と作用されるもの(客体)の不均衡に由来して生じる。
コギトはデカルト以降、彼の意に反して
圧倒的に作用するものの側(主体性)へと傾いていしまっている。

 (注)デカルト自身は神に対するコギトとして作用されるものの領域、
    すなわち客体性を残している。

しかしコギトがつねに主体であることは自明なものだろうか。

たとえば他者を面前にしたとき、
考える私は同時に考えられる私でもある。
つまり私は主体的であると同時に客体的でもある。

神が死んだとき、私は客体性を喪失し、
主体的な領土拡張的思考に陥る。

そこで現代は表象の至上性を審問に付すことで、
体系的ならぬ脱体系的な哲学を展開することになる。

26日前 No.49

地下水 ★otncK03kC4_zRF

 「我思う、ゆえに我あり」、なんて自意識過剰ですよね。命を頂いているから、生きていられるのです。世界認識が不足していますよね。考えている最中に、無意識にくしゃみでもしたら、あ、考えて無い事を自分もするんだ、考えてないでしてしまっている事や、して頂いている事の方が多いんじゃないかな、って気付くと思うんですね。それも自分が考え出したんだ、なんて思い上がりも良いとこだと思いますね。あ、やっぱり思っちゃうか。

25日前 No.50

★30JjgxOVKX_m9i

「我思う」(ego cogito)

デカルトは、「思う場」を「我(ego)」と呼んだ。っていうのどうかしら?

25日前 No.51

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_XGK

「思う」と「我」は違うものなの…?

24日前 No.52

★30JjgxOVKX_m9i

ネットで「コギト」を調べてみると、

[コギトcogito]
1.「私は思考する」の意。人間の思考作用を指す。
2.コギトはもともと〈考える〉とか〈意識する〉という意味のラテン語cogitareの一人称単数形にすぎないが,今日ではむしろ〈自己意識〉を含意し,精神や自我の本質を自己意識に見ようとする立場と結びつけて語られる。

とありました。

わたしはメルロの本の訳にならって、「コギト」を「私は考えている」とすることにしています。

この日本語で考えて見ると、
「考えている」は作用で、「私」はその作用をしているもの。
「する(こと)」と「するもの」を区別すること、これ、わたしにとっては大切。


また、現象学では、2の「自己意識」を問題としているようです。
メルロによると、
『ハイデガーの考えでは、哲学者たちが存在の基礎を自己意識においた日から、哲学者たちは存在を喪失したのだ。』
って言ってます。

24日前 No.53

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

およぐちゃん

およぐちゃんに主観と客観は存在しないかもしれません?

24日前 No.54

★30JjgxOVKX_m9i

>54
おばあちゃま

メルロ派としてのわたしはね、主観と客観は自分のうちに共存してる、って見ている(ちがうかもしれないけど)。
主観と客観と「分節」して、その関係性を描き出そうとするのね。(「分節」の意味はどこかで書いたからやめるけど、ゲシュタルト的な見方ね)


『ドイツ語では「理性[Vernunft]の語源は、「認知する[vernehmen]」である。』って『存在と時間』のなかの訳注に書いてあった。

「理性」からだけで「私」を見ることに終始するのはどうなのかな、ってうのがメルロ的なのかも、って思ってるだけ。

24日前 No.55

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

最後の最後まで対象化出来ない客観化できない自分とは何か?  それが存在していますか?

23日前 No.56

★30JjgxOVKX_m9i

>56
おばあちゃまにとっての「自分」とは、「最後の最後まで対象化出来ない客観化できない存在である。」っていうことでよろしい?

23日前 No.57

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

およぐちゃん

対象化出来ないから主観なのです・・

およぐちゃんは自分の意識を対象化(表して解明してしまえる)することが出来るのですか?

23日前 No.58

★30JjgxOVKX_m9i

>58
おばあちゃまの場合、「自分」=「主観」、ということでよろしい?

23日前 No.59

宿題 ★hxYn2UbX46_zRF

およぐちゃん

自分は主観と客観の混合です。主観と客観を調整しなければならないです・・

23日前 No.60

★30JjgxOVKX_m9i

>60

「主観と客観のコンプレックス」を「自分」と呼ぶ。これでいいかしら?これならわたしと同じみたいだけど。

じゃ、「主観と客観を調整」するのが「自分」っていうことでいいのかしら?

23日前 No.61

宿題 ★5z6bVAmgS3_zRF

およぐちゃん

自分のことが全てわかる人は居ませんよ・・

観念だけの存在でもありません・・理性だけの存在でもありません・・

23日前 No.62

★30JjgxOVKX_m9i

おばあちゃま
>57からのわたしのあなたへの問は、あなたが使っている語、「自分」「主観」「客観」の、あなたにおける意味を知ろうとしていただけ。
その意味がわからないと、わたしにおける意味とのやりとりができないと思ったからね。

この試み>62で終わっちゃたみたい。

「概念は言葉として表されその意味となる」ってだれかいってたわ。

概念(意味)のやりとりじゃないと「話」にならないんじゃない?

23日前 No.63

宿題 ★5z6bVAmgS3_zRF

およぐちゃん

神秘体験をしたことが無いのですか?

23日前 No.64
ページ: 1 2

 
 
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