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デカルト論破

 ( 哲学掲示板 )
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ホントウの真理を発見した者 ★6OvwWdGjSD_fNh

「我思う、ゆえに我あり」と我思う、ゆえに…

俺「いつまで続くのですか?」

デカルト「無限に続くよ。だからこそ思う主体、そう、我だけが残り、我が存在することが確実なんだよ。」

俺「でも、無限に続くって確認できなくないですか?無限に疑った人っているんですか?無限って疑わしくないですか?」

デカルト「あっ…えっと…。」

俺「論破ああああああああああ!」

1年前 No.0
メモ2019/01/20 00:02 : ホントウの真理を発見した者★rdiOR01yVt_Qi5

デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」を絶対に疑えない真理であると主張しました。さらにそのうえで、その真理を哲学の第一原理(公理)として定めました。


この「我思う、ゆえに我あり」という表現の本質とは、すべてを疑っても、疑っているそのもの、すなわち「疑っているこれ」の存在は絶対に確実であり、その上で、「疑っているこれ」を「我」と呼んでいるのです。すなわち、


デカルト

@疑っているこれは、絶対に存在する。

A疑っているこれとは、我である。


なのです。


さて、ここで、「疑えない」の否定は「疑える」です。


そこで私(ホントウの真理を発見した者)が、


ホントウの真理を発見した者

@疑っているこれは、絶対に存在する。

A疑っているこれとは、何なのか?。我なのかもしれない、葦なのかもしれない、幻影なのかもしれない、という疑いが残る。


という疑いを発見し、疑える事実を確認しました。


したがって、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、絶対に疑えない真理ではありません。


以上が成り立つ根拠を次のとおり説明します。


まず、説明に先立ち、理解の統一のため、デカルト著の方法序説から「我思う、ゆえに我あり」の部分について引用します。(デカルトの記述順になるように番号を振っています)

『デカルト 著(谷川多佳子 訳),「方法序説」,岩波文庫,1997年』より引用(一部抜粋)


引用開始

@「ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念の中にまったく疑えない何かが残るかどうか見きわめねばならない、と考えた。こうして、感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純なことがらについてさえ、推論を間違えて誤謬推理をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、以前には論証とみなしていた推理をすべて偽として捨て去った。」

A「すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する(我思う、ゆえに我あり)」」

…続きを読む(93行)

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ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

デカルト否定派の人は「いやいや、Aの存在も疑えるだろ?」って言いたいの?

いやそりゃ疑えるよ。疑えるけど、存在を「無い」ことにはできないでしょ?

2ヶ月前 No.1951

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

「在る」か「無い」かっていう話なんだから、もはや「疑える」か「疑えない」かの話ではないような気がするんですけど。

2ヶ月前 No.1952

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

 その、疑えるが永遠に続けば無い、とみんなは言っていますよ? エラーという言霊があるらしい。

2ヶ月前 No.1953

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

0(無)か1(有)かなら、1なのではないのですか?

疑う、疑わないという話ではないと思います。

2ヶ月前 No.1954

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

0.999999999999999....は、1ではないですよね。

「在る」か「無い」かの話(0か1かの話)なのだから、当然、1でしょう?

違うの?

2ヶ月前 No.1955

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

「疑えるんだから、存在は否定できる」っておかしな話では??

0っぽい、とか1っぽい とかで、確実な0でも1でもないですよね。

我思う故に我ありは、確実に1ですよね。

1を100回疑っても1は1です。

2ヶ月前 No.1956

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

他の方はどう思います?

2ヶ月前 No.1957

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ザビビのふくろう さん

>>1946

>それだけだとは受け取れませんが。

>あなたは、デカルトのコギト命題を疑えることを認めているんじゃないですか?

>あなたは、我の存在を疑い得ることを認めているから、そういうことを述べているんじゃないんですか?


 これについては、 >>1943 を参照ください。

>えぴめてうすさん自身は、我の存在を疑い得ると考えているのですか?

それとも疑い得ないと考えているのですか。

 我は疑いえないと考えています。
 真理を探究しようとしているのに、「我」を疑ってどうしようとしているのですかと言っているのです。 >>1943 を加味してご理解ください。

 これについて、ふくろうさん自身のご意見はいかがですか。

2ヶ月前 No.1958

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

>>1947

>>思考自体ができなくなっても、疑うことができるのでしょうか。

>我を疑った結果、思考自体できなくなったのですよね。

>順序が逆のように思います。


  >>1942
 >すべてを疑って、思考自体ができなくなった時点で、我を疑っているのでは?
 >そういう話でしたよね?
 に対する質問でした。

>たぶん、えぴめてうすさんは思考によってしか確実なものを知ることができないと思っているのではないですか?

>だから我は疑えないと思うのだと思います。

>確実なものって思考によってしか至れないのでしょうか?


 ご指摘のとおり、素朴にそのような認識をもっております。
 気まぐれさんはそうではないのですね。そこが答えが違う要因のようですね。

2ヶ月前 No.1959

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

気まぐれさん

>>1959


>気まぐれさんはそうではないのですね。そこが答えが違う要因のようですね。


 私と気まぐれさんの間で、「答えが違う」という意味ですので、補足しておきます。

2ヶ月前 No.1960

地下水 ★KATHFaYqOw_Tbw

 我思うゆえに我あり。何て言ってみても、自分が呆けかも知れない。思っていると錯覚しているだけで、ボーっとして何も思っても居なかったかもしれない。あっ、ボーっとしてた、口からよだれが出てるっ。とか。自分がもう寝た切りで呆けているかもしれない。死線を漂っているかも知れない。思っていると錯覚しているだけで、夢の中に居るかも知れない。まあ夢を見ているとしても、それは人間だろうから自分は居るのだろうけども。思ったり、夢をみたり、ボーっとしてたりするのは、人間である自分が存在しているのだ、という常識的な前提条件があるのである。

2ヶ月前 No.1961

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

Sumiobabaさんへ

>>1950 以下、私なりに考えを書いてみたのですが、どう思われますか?

2ヶ月前 No.1962

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

他の方も、どう思われますか?

2ヶ月前 No.1963

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

>>1962
 ここ、哲学糧だから。引く手あまたの哲学論からの参考で話をしている様子。
デカルトさんの話について、理解しやすかったです。デカルトさん個人的には我は有限。
だけど、0か1か?そんな和訳では無いと思います。。

2ヶ月前 No.1964

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1945 ザビビのふくろうさん、私の横レスにわざわざのご返信ありがとうございます。

>したがって、にもかかわらず、

> >気づくことはできても考えることはできないでしょうね。

>とする >>1938 の回答は、矛盾していると私は思います。


それはそうだと思います。
(これについては以上です。)


気まぐれさんの「気づくことはできても考えることはできない」は、
正しくは「考えることはできるが、気づくことはできない」ではないでしょうか?

例えば、
「自分は認知症を患っていて、現実の世界を正しく認知できない」としましょう。
この時、自分が認知症に罹っているという自覚があれば、「自分の認知した事柄は事実でないかもしれない」と疑うことはできますよね。
(別に認知症に罹っていなくても「思い違いかもしれない」「勘違いかもしれない」と考えることはできますよね。)

しかし、認知症の人は、現実の世界を正しく認知する能力が失われているのですから、自分が認知したことが正しいのか間違っているのか気づくことはできません。
(もちろん、認知症の人でなくても「自分は存在しないかもしれない」ということを認知するには、自分の外の視点が必要ですので、自分で気づくことはできないと思います。)

2ヶ月前 No.1965

きまぐれ ★iPhone=m53hQMLhFj

ゆみさん

存在は存在しますよ。
それは疑いようがない。

それと同じ水準で我が在るかってことです。

2ヶ月前 No.1966

きまぐれ ★iPhone=m53hQMLhFj

Mobiusさん

気づくことはできても考えらことはできない、でいいんです。

考えることは、意味が成立しないとできないからです。

2ヶ月前 No.1967

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

気まぐれさんへ

それと同じ水準なら我は在ると思いますよ。

2ヶ月前 No.1968

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

我が私という意識だったとしても、肉体だけを指すものだったとしても、同じことです。

我はある。といえる。

我を否定することは、人類や様々な生物を否定しなきゃいけない、この地球、この宇宙の否定をしなきゃいけない。

すべての否定をなしえた上で、我は「無い」といえるので、

ホントウの真理を発見した者さんがした論破とやら。

あんな生半可なものでは論破にならないのです。

2ヶ月前 No.1969

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ホントウの真理を発見した者さんは、「これ」を「我」と思い込むか定義するしかないものとされました。

しかし、実際は、「我」という言葉がその人間に獲得された瞬間に、定義している暇などなく、疑っている「これ」は即時に「我」となるでしょう。

それは止められないのです。

「我」を知ってしまったら、「我」と名のついた主体の支配下に入ります。

覚醒した主体の支配下から抜け出すことは、通常の人間において、まず成功しないでしょう。

主体なくして、いかなる認識もありえない… は言い過ぎですか?

2ヶ月前 No.1970

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

我思うゆえに我あり、の「我」を「これ」と言い換えるのは、いささか解釈力や理解力に欠けます。

我思うゆえに我ありの「我」は「意識」のことです。

主観といえば、その主体となる人の意識のことを指しますよね。

散々疑ってはみたものの、疑うという意識がある時点で、意識をもった私があると言える。

”主観がある=私がある”



これがデカルトの言いたかったことなのではないでしょうか。

そこからさらに想像することが許されるのであれば、意識と肉体が結びついていることすらデカルトは言い当てたのではないか、と思ってしまいます。

2ヶ月前 No.1971

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

>>1970 をもう少しわかりやすく教えてください。

2ヶ月前 No.1972

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

 やっと意味がわかってきた。爆笑

それだったら、 我は無い 他人なくして自我なし!
 意味の付与 で論破やん。φ(..)

2ヶ月前 No.1973

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

>>ゆみさん

 デカルトの時代は哲学者が大勢おるんやで。

2ヶ月前 No.1974

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ゆみさん

>>1970 をもう少しわかりやすく教えてください。

 「我」は、ホントウさんの言うように「取り決めとして、一応「これ」を「我」としておくか」という恣意的・選択的なものではなく、疑いえないもので、はずしぇましぇんという意味です。

2ヶ月前 No.1975

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

はずしぇましぇんですか(笑)

お正月だからお酒入ってます?あ、もしかして私がバカにされてます?(笑)

それはさておき、

我は「意識」なのだと思います。

意識があるから私もあるし、

意識がなければ私もない。


リーフフィッシュさんへ

>それだったら、 我は無い 他人なくして自我なし!
>意味の付与 で論破やん。φ(..)

物事を本質的に意味づけすることを哲学がしているというのに、「それはただの意味の付与だね!」のどこが論破に
なっているのですか?

2ヶ月前 No.1976

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

>>エピさん

 ボッチに我なし と考えた時に
自タヒする瞬間は無じゃねーの?

2ヶ月前 No.1977

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

ひまわりの観察をしている人に「それはただの観察だね!」といって、それのどこが論破になるのですか?

2ヶ月前 No.1978

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ゆみ へ

>>1976

>お正月だからお酒入ってます?


 サンテミリオンと

>我は「意識」なのだと思います。

>意識があるから私もあるし、

>意識がなければ私もない。

2ヶ月前 No.1979

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

>>ゆみさん

 女性が来ると盛り上がって良いですね(^_^)
 タイトルの書き方が悪い!それだけ。楽しく書かなきゃ誰も来ないよ。
 だけどホントウさんはデカルト哲学を読んだ上で、意見しているのだから、デカルトが反論しない限り論破だよね?

2ヶ月前 No.1980

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ゆみ さん

>>1976

  >>1979 は、投稿誤りです。理由は、下記の通りです。申し訳ありません。

>お正月だからお酒入ってます?


 サンテミリオンとパルミジャーノ・レッジャーノで。

>我は「意識」なのだと思います。

>意識があるから私もあるし、

>意識がなければ私もない。


 私はそうだと思いますが、異論がでるでしょう。

2ヶ月前 No.1981

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

リーフフィッシュさんへ

>だけどホントウさんはデカルト哲学を読んだ上で、意見しているのだから、デカルトが反論しない限り論破だよね?

ばかな(笑)

論破じゃないのは明白です。意味の付与をすることに必死になっている学者に向かって「それは意味の付与だね!」と言って、なにが論破ですか。


大事なのは「どんな意味の付与をしたか」ですよ。内容ですってば。

2ヶ月前 No.1982

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

 意識を 欲 と捉えたとしても、欲が失せた瞬間我は無い。
意識を探求したら欲だから、我は無い。
デカルトの比喩じゃないかな?

2ヶ月前 No.1983

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

リーフフィッシュ さん

>>1977

 すみませんが、意味が分かりません。

2ヶ月前 No.1984

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

>>1981

なぜ異論がでる?どんな?

2ヶ月前 No.1985

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

 誰かホントウさん寝とるの起こして来て。
本人に言い訳を聞こう。なんつったらもうすぐ2000レスやしや。

2ヶ月前 No.1986

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

>>1984
 自分で書いたけど、イミフでした。
自タヒの瞬間こそ我有りです。
>>1985
 だからー、和訳なんだって!!
英文読まなきゃ想像、翻訳者の哲学なのっ!

2ヶ月前 No.1987

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

みなさん へ

>>1985

>なぜ異論がでる?どんな?


 私が代弁するのではなく、異論のある方が直に語った方が良いと思います。
 それでは、下記に異論のある方、ご意見を。
 案外、異論なかったりして。

>我は「意識」なのだと思います。

>意識があるから私もあるし、

>意識がなければ私もない。

2ヶ月前 No.1988

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

あー、でもみなさんオフかもしれません。
ので、当面、異論がでないかも。

2ヶ月前 No.1989

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

異論が出るには時間もかかりそうですし、今起きている者同士、

デカルトが言ったであろう「我」を「意識」としたとして、その「意識」について、もう少し話してみませんか?

私は、意識が脳から生まれているように到底思えないのです。

それは人間の第六感など、現代の科学では解明できないトコロに、意識が存在するのではないかと考えています。

神秘主義的でしょうか。

2ヶ月前 No.1990

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

>>all

 神秘は簡単なものではない。それはボッチという。神の力は人生を懸けてしまう。
 意識は、他人から。
生命主義じゃないかな?
 神秘主義は神道とも別だね。
そういう人が存在することを知らなきゃ言うが易し。 スレチですね。

2ヶ月前 No.1991

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ゆみ さん

>>1990

>デカルトが言ったであろう「我」を「意識」としたとして、その「意識」について、もう少し話してみませんか?


 ご要望によりまして。

>私は、意識が脳から生まれているように到底思えないのです。

>それは人間の第六感など、現代の科学では解明できないトコロに、意識が存在するのではないかと考えています。


 脳から生まれているとしか考えられないように思います。それがどのようにかはわかりませんが。現代の科学で解明できるかどうかはわかりません。
 ただ、非科学的ではなく、未科学的だと思っているのです。

 気まぐれさんは、ご異論があると思います。
  >>1888  私は脳があるから考えがあるのではなく、考えがあるから脳があると思っています。
  >>1913  科学的な世界観にはあまり実感を持てません。

2ヶ月前 No.1992

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

 ひまわりオギャーに意識があるか?
知識はないでしょうね。

2ヶ月前 No.1993

リーフフィッシュ @duradura ★Android=mxwKqUpkW5

 もう2000なので、寝ます。
この住人はWikipedia。日本人にあらず。
単純、北海道か?沖縄か?でも答えが変わる。
非科学、未科学、関係無い。哲学は命を楽しむ話だと思います。

2ヶ月前 No.1994

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ホントウの真理を発見した者さんに以前質問し、返答のなかった下記の論理学の理不尽について、どなたかお教えいただけませんでしょうか。

例1のcとd、例2のウとエの納得性について

例1
 (a) 3 > 1 ならば,3 > 2 である。(真)
 (b) 3 > 1 ならば,3 < 2 である。(偽)
 (c) 3 < 1 ならば,3 > 2 である。(真)
 (d) 3 < 1 ならば,3 < 2 である。(真)

例2
 条件文(b)「明日晴れる → 動物園につれていく」では,次のように考える。
ケース 明日の天気   お父さんの行動       (b)の真偽
 ア    晴れ    動物園につれていった      真
 イ    晴れ    動物園につれていかなかった   偽
 ウ    雨     動物園につれていった      真
 エ    雨     動物園につれていかなかった   真
 まず,約束を守らない場合((b)が偽になる場 合)を考える。これはイの場合,つまり (明日は晴れ)かつ(動物園につれていかなかった) の場合のみである。そして,この命題の否定を約束と考える。つまり,お父さんは(c) 明日晴れたのに動物園につれていかない,ということはない と約束したと考える。命題(c)は,次のように翻訳できるので,ウやエの場合も,約束を守ったことになる。
 晴れの否定は、雨とする。
  〜((明日は晴れ)かつ(動物園につれていかなかった)) =(明日は雨)または(動物園につれていった)
 ウやエの場合は,お父さんは何も約束していないが,「何も約束していない」という約束をした と考えるのである。従って,ウとエのどちらの場合も,お父さんは約束を守ったことになる。

2ヶ月前 No.1995

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

未科学的という言い方、おっしゃるとおりで、何も異論はございません。

もうちょっと想像力を膨らませて、ああだこうだ喋ってみたかったのですが、それは可能ですか?

それともここでは難しいですか?

2ヶ月前 No.1996

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

例1
 (a) 3 > 1 ならば,3 > 2 である。(真)
 (b) 3 > 1 ならば,3 < 2 である。(偽)
 (c) 3 < 1 ならば,3 > 2 である。(真)
 (d) 3 < 1 ならば,3 < 2 である。(真)

(c)は、1の方が大きい(すなわちマイナスという符号をつけた場合のようなことを想定する)と、
数字が大きくなればなるほど小さくなるわけだから、(偽)になりますよね。

違うの?

2ヶ月前 No.1997

ゆみ @yumicoco ★J3AIXpv8kk_Niz

えぴめてうすさんへ

寝ちゃったかしら。

2ヶ月前 No.1998

きまぐれ ★iPhone=m53hQMLhFj

>>1992

そろそろ、2000になることですし、スレッドを変えてはどうですか?

独我論を乗り越える方法というスレがあったはず。

私としては今更、我とは意識であると言われても…。
そんな水準で話していたわけではなく、意味論的懐疑の水準での話だと思っていたのですが…。

2ヶ月前 No.1999

えぴめてうす @susano ★EcqMI3ceHU_BqV

ゆみさん

>>1996

>もうちょっと想像力を膨らませて、ああだこうだ喋ってみたかったのですが、それは可能ですか?


 私は脳があるから考えがあるのではなく、私は脳があるから考えが生じると言わざるを得ないと考えています。
 考えが脳を生み出すとは考えられません。
 そして、人間の生物的・物理的限界が思考の限界なんだと思います。
 その限界を認めることは、実在論が正しいか、観念論が正しいか、より説得力のある思想が出てきても、白黒つけるものにはならないこともなると思っています。
 人間はそういうブーツストラップ状態ともいえる存在なのです。

2ヶ月前 No.2000
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