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平和ルネサンスv^^。ピース2020No.171 だけを表示しています。

事務所から ★JIYlKygvUq_ubH

ちと長いですが以下引用です。

ビリーフリセット・カウンセラー 大塚 あやこ 著

「人のために」は本当に善なのか? はまりがちな落とし穴

「人のためにしてあげる」って、とても「いいこと」のような気がしますね。

愛や慈悲の一つの表現であったり「自分を横に置いて人のために!」とか「我欲を捨てて利他に生きるべし!」とか・・・
道徳や規範意識のようなものとも結びついて、美徳であるように思われています。

しかし、ここには落とし穴があります。

他人軸で生きている人が「人のために」をやると、犠牲→消耗への道を突っ走る可能性があります。

「人のために」もさまざまな段階があるのです。
バージョンの違いといってもいいかもしれません。
それによって、一見同じことをやっていても、実は中身は全く違うので要注意です。

それはどういうことかというと・・・・。

1.「人のため回路1.0」は「しつけ」で身につく
まず、人間、生まれてから幼児期までは完全に「自分のため」だけに生きる段階だと言えるでしょう。
生物としての基本的な欲求を満たすことが、この時期の必須テーマだからです。
この時期はそれでいいのですよね。

やがて、少し成長すると、私たちは親から「自分のことばかり考えたらいけない!」と言われるようになります。
先生からも「お友達のことを考えなさい」とか言われます。

生まれてからの習慣でつい、自分のことばかり主張したり、自分の要求を通そうとしたりすると「わがままはいけない!」と怒られるようになります。

そして、嫌なことを我慢したり、お母さんのお手伝いをしたり、兄弟や友達におもちゃを譲ってあげたりすると
「いい子だねー」とほめられたりします。

そこで私たちは学ぶんですね。

ああ、自分のことばっかり考えちゃいけないんだ。
自分のことを考えるとわがままって言われるんだ。
わがままは悪い子なんだ。いけないんだ。

自分のことは我慢して人のことを考えるのが、いいことなんだ。
「人のために」いいことをするのが、いい子なんだ。

さあ、これで「人のために回路 Ver.1.0」の設定完了です。

人のため回路1.0 は、なぜ「人のために」しようとするかというと、

そうしないと怒られるからでありそうすればいい子だとほめてもらえるからです。

「そうしなきゃいけない」から、「そうするものなのだろう」と学んでそうするようになるんです。

自分の意思とは関係なく、「外の規範の刷り込み・取り入れ」であることがわかりますね?
別名、教育とか「しつけ」とかいわれます。
教育された通りに動く。しつけられた通りにふるまう。
これが、人のため回路1.0 の特徴です。

これがいけないと言っているわけではありません。
人が育つということは、このプロセスを通っていくことなのです。
こうやって人類は社会で生きることを学んでいくのですから。

しかしこれはあくまで初期設定。
大人になって、後々「人のため回路2.0」に発展した末、やがて限界がくることになります。

その話はのちほど。

2.「人のため回路 1.5」は命がけの生き残り対策

さて、実はもう一つ、人によっては「人のため回路 1.5」というべきものも存在します。

たとえば、両親の仲が悪かったり、家族がいつもゴタゴタ荒れていたりすると子どもは無意識に、自分がなんとかしようとするものなのです。

親が怒らないように
親が悲しまないように
親が大変な思いをしないように
家が少しでも平穏であるように
家族のみんなが少しでも気分よく過ごせるように

だから自分のことなんかおかまいなしに親のため、家族のため、みんなのために我慢したり、無理したり、合わせたり、がんばったり・・・
そうすることで彼らは、家族の中での自分の居場所を確保することができるし少しでも安心できる時間と空間を手に入れることができるしなにより親を幸せにすることができる。

・・・・とけなげにも思い込んでいるからこそ徹底的に「人のために回路」に身を投じていきます。
これは、子どもなりの必死の生き残り対策であるとともにけなげで純粋な愛情の現れでもあるのです。

しかしこれもまた、無理があります。自分というものを失くしてしまうからです。
これは後に大人になってから、わけの分からない「生きづらさ」という形で壁や限界になっていきます。


3.「人のため回路 2.0」は「良くなるため」に身につける

そのような人のため回路1.0 と 1.5 は、子どもの時に作られたいわば、初期設定の回路でした。
さて、次の段階、「人のために回路 2.0」は、もうちょっと大人になってから、この初期設定の上に拡張・増設されていきます。

理性が育ち、自分で色々なことをやろうとするようになると向上心のある人ならば、少しでも「人間として良く生きたい」「人生もっと良くしたい」などを願うようになります。

そして、自分なりに色々な人や考えに出会って「これが良い」というものを取り入れるようになります。勉強や努力をします。
そうした時に、昔ながらの倫理的、宗教的、精神的な思想の数々がさまざまな形で「利他」を説いていることを知るでしょう。
だから「そうか!」と思います。
「そうすれば良いのか!」と。
で、一生懸命、今度は意図的に「人のために」を実践することになります。

しかし、まさにここが落とし穴。
この段階では既に、先ほどの「人のために回路」1.0 や1.5 が設定されています。

これらの初期回路は、子ども時代に刷り込まれた設定ですからまだ自分の軸や自分の意思というものが確立されていません。
自分というものがわかっていません。

つまり他人軸で生きている状態です。

その上で大人になり他人軸で生きている土台は初期設定のままにさらに自分で勉強して、立派な思想や教えを取り入れて、身につけ、実践しようとするわけですね。
そこで出会ったその教えが「人のために」を良しとする考え方だった場合、もともとの他人軸に拍車がかかっていくことになります。

それが良いこと、善だから。
それが善い人間であるということだから。
そうすればいいことがあると言われているから。
そうすれば幸せになれるはずだから。

こんなに善いことをしているんだから、良いことがあるはずよね?幸せになれるはずよね?
そう信じきって人のために、人のために。
実はこれもまた、他人軸という意味では「人のため回路」1.0や1.5の延長線上にあることがわかるでしょうか?


4.他人軸で「人のために」をやるとどうなる?

さて、基本的な姿勢が他人軸の人がさらに「人のために」をやるとどうなるか?
「自己犠牲」になります。
自分を横において人のために!人に譲って、合わせて、尽くして!自分は無理して、殺して、我慢して!我利我欲はいけない!人が喜ぶように!
あー、またわがままな気持ちが出てきた、こんな自分じゃいけないけない!耐えて、忍んで、飲み込んで!修行だ修行だ、人生は修行!

・・・・やがて
不満がたまって、具合が悪くなってくる。

ほめてもらったり、評価してもらったりすれば満たされるような気がするけど相手がそういうことをしてくれないと「なんで自分ばっかり、こんなにしてるのに!!」という気持ちになる。
心の奥ではマグマが噴火寸前。消耗して、心が虚しい。
人生ってどうしてこう疲れるんだろう。うまくいかないんだろう。

それでも我慢して、こんどは身体が悲鳴をあげる・・・。
こんなに「善いこと」をしているはずなのに、どうしてこんなに辛いんだろう?
それはね。自分軸がないままに「人のために」をやったからです。

いわゆる「いい人」や良く(善く)生きたいと願う向上心の高い人ほどこの落とし穴にはまる危険性があります。

「人のために」・・・
たしかに美しくすばらしいことです。
しかし、真に宗教的・精神的な伝統が言っているような「人のために」は実はそこのレベルじゃないのです。

それは、「人のため回路 3.0」とでもいうべきものであり1.0や2.0 とは全然次元の違うところにあるものなのです。
いきなりそこを目指すのは、残念ながらまだ早かったかもしれません。


5.「人のため回路 3.0」は次元が全く違う

「人のため回路 3.0」は、自分軸をちゃんと作った人だけが行き着ける場所です。

自分の望むことがちゃんとわかって自分の望みをちゃんと自分自身で満たすことができて自分が望んだことや意図したことが、そのまま人のためになるような、そんな場所。
そのためには、自分とちゃんと向き合って自分の闇も欲も明るみに出して、受け入れてそれでもなお輝く自分の本質を知っていなければなりません。

つまり、そういう「人のために」は上級レベルなのです。
宗教的・精神的な「えらい人たち」が言っている「利他」というのはそういう段階を経た、その先の場所から言っていることなのです。
「善悪」の規範でしつけられた通りに動いているような意識の段階ではムリなのです。

自分のことと親のこととをゴッチャにして足をとられているような意識の段階ではムリなのです。
外側の基準と自分自身との区別がちゃんとついて自分で充足する喜びを知っていて自分軸を確立していないとやれないもっとその先の次元の「人のために」があるのです。

そんな「人のため回路 3.0」に進んでいくためには、どうしても通らなければならない階段があります。


6.「人のため回路 3.0」へ進化するために必要なこと

それは徹底的に「自分のため」をやる段階、です。

自分の望むことがわかる。自分の望むことを、やる。
自分の望まないことがわかる。自分の望まないことは、やらない。
つまり自分の「本心」を軸にすること。

そして
「善い」自分も「悪い」自分も受け入れて善いも悪いも本来ない、ニュートラルな自分を中心に据える。
自分のことは一切、他人や他のモノのせいにしない。全部、自分の選択と行動として肚を決める。

これが自分軸の確立です。

そのようにいうともしかしたら、恐れが出てくる人もいるかもしれませんね。

それじゃわがままになっちゃうじゃん!?
自分勝手じゃん!?
自己チューじゃん!?
ダメじゃん!?
いけないじゃん!?

だーかーら。それ!それがまさに刷り込まれた「善悪」なんです。
ここからはもう、そういう刷り込まれた「善悪」で動く段階は卒業なんです。

「いけない」といわれた「それ」は、乳幼児期を卒業するべき時に言われた初期段階の掟です。
それは、一時的なベビーカーや歩行器のようなものです。

もう私たちは、自分で歩けるしそんな掟がなくても生きていけるくらい知性も分別もある大人なのですから。
「わがまま」とは何のことをいっていたのか。何をするのが「自分勝手」だとされてきたのか。そしてそれは本当なのか。

漠然とあたりまえだと思っていたそのことを問い直し頭に刷り込まれた古いモノサシを一つ一つリセットしていくたびに本来の自分というものを思い出してゆけるでしょう。


7. 思考のトリックを見抜いて「自分に正直」をやる段階

思考というのは、すごく単純に「善悪」を信じ込んでいます。
あえて検討することもなく信じ込んだ善悪の基準に従って、行動する/しないを決めています。

しかし善悪というのは、思考が作った決めごとにすぎません。
それは「世間というのは、そういう共通認識なのであろう」「こうするのが最善なのであろう」と信じた一人一人の頭の中のモノサシです。
この思考のトリックを見抜かないと本当の意味での「自分軸」の確立は難しいはずです。

そういうわけであまりハッピーなかんじがしない「人のため回路1.0□2.0」を卒業してもうちょっとハッピーな、「人のため回路 3.0」に成長するにあたっては、いったん

思考のトリックを外し、自分に正直になるという段階が必要なのです。

そうやって、一度自分のために自分が自分で生きるということができた人が真に「私がうれしいから、人のためにしてあげたい」という心境になれるのでありしてあげられることはするししてあげられないことはしないというシンプルなことをなんの葛藤もなく無心にすることができるようになるのです。

自分も相手も大切にできて自分もハッピー、人もハッピーあたりまえのようだけど意外と遠いでも素敵な場所。

悩みながら、求めながら何周か回り回って私たちはそんな場所に行き着くのかもしれません。


以上


で、まあ良心回路3.0の次元に達してる人は利己的と利他的が自然な形でそのまま=で繋がってるので、本人にとっては利己的なものというのは間違いではないし、良心回路の段階を知らない人にとっては利他的にしか見えないでしょうね。

2018/05/16 17:48 No.171

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