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平和ルネサンスv^^。ピース2020No.158,160 だけを表示しています。

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>153  ザビビのふくろうさんへ

>>一見矛盾しているように見えるとしたら、「狭義の利益」と「広義の利益」とを区別せず、混同しているからではないでしょうか?

>「混同」もなにも,そもそも >>103 における人間原理の定義以来,私とのやりとりでも私に説明してくださった「利益」という概念についての拡張定義では,広義の利益計算による個人利益が最大になるように行為する,というのがあなたの《人間の行動原理》でしょう。

>今回突然「狭義の利益計算」が出てくるのは,正直不整合をごまかすための立場変更としか正直思えないんですけど。そこのところをもう少し,どういうことか説明もらえないでしょうか。


 ザビビのふくろうさんは >>142 でこう書いておられます。

>このようにあなたは述べているわけですが,実際,自分を犠牲にして他人のために事をなす人はいますよね。

>では,質問します.

>このような人の行動は,あなたのいう《人間の行動原理》に則っているのですか,いないのですか?


 「自分を犠牲にして他人のために事をなす人はいますよね。」と書いてありますが、「広義の利益」計算だと、そもそもこんな人は有り得ません。なのに、ザビビのふくろうさんは、「…いますよね」と書いておられるので、この時「狭義の利益」で計算してしまっていることになります。つまり、「狭義の利益」と「広義の利益」とを混同してしまったからこそ、矛盾が生じたように錯覚しただけです。「広義の利益」計算でいけば、「自分を犠牲にして他人のために事をなす人」など有り得ません。なぜなら、「狭義の利益」計算だからこそ「自分を犠牲にして他人のために事をなす人」に見えただけであり、「広義の利益」計算をすれば、この場合もこの人は自分の利益を最大にする行為を選んだはずであり、自分を犠牲になどしていないからです。

>>103 を読み返してください。あなたは,自分の《人間の行動原理》を広義の利益計算で定義しているので,「いつでもだれでも成立する行動原理であり,例外はありえなくなる」わけですよね。例外がないということは,すなわちこの原理に反することはありえない,ということでしょう。

 はい、その通りです。

>にもかかわらず, >>103 の最終パラグラフで,「《人間の行動原理》に反することを要求されても,誰も従わないと思われます」と述べています。

>反することはありえないのに,反することが要求されうるわけないじゃないですか。


 その通りです。要求されうるはずが有りません。要求されうるはずがないことを要求しないでくれ、ということです。

>いったい何を要求できるというんですか?


 要求できません。「自分がやりたい事の反対の事をやってくれ」と同様、矛盾した事を要求することになってしまうからです。何をやって見せても、やった以上それは「やりたい事」をやったのであり、「反対の事」ではなくなってしまいますから。つまり、「狭義の利益」計算の立場でなら「自分を犠牲にして他人のために行動しましょう」という言い方も可能だし、実際に「自分を犠牲にして他人のために行動する人」も居ますが、「広義の利益」計算で見るとこれは有り得ない事を要求してしまっており、そんな人は居る訳が無いのです。

2018/05/13 16:59 No.158

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>157  Mobiusさんへ

 コメント有難うございます。横レス大歓迎です。

>Babaさんは、

>・席を譲らない人は譲らないし、席を譲る人は譲る。「席を譲らない人」に席を譲らせるのは困難だし、「席を譲る人」に譲らせないのも困難だ。

>・世界平和提案書に沿った世界を作りたい人も居るし、そうでない人も居る。そうでない人に「世界平和提案書に沿った世界作りに協力せよ」と言って協力させるのは困難だ。

>ということがおっしゃりたいだけなのではないでしょうか?


>確か「世界平和提案書は、世界各国の政府や私企業の利益になることなので、みんながこぞって協力したくなるはず」というようなことが ある人によって投稿されていたと思いますので、それに対する反論のつもりで >>103 を書かれたのではないでしょうか?


>「利益になると考える人も居るけど、不利益になると考える人も居るよ」と。そして、「不利益になると考える人は協力しないよ」と。

>平たく言うと、そういうことなのではないかと思います。


 はい、その通りです。それが半分。残りの半分は、どちらの意見が正しいと一概には決められないので、自分の意見を相手に押し付けるべきではない、という点ですね。

 人間の本性を考察する場合にも、「性善説」と「性悪説」という正反対の考え方が有ります。「世界平和を実現しましょう」と主張するのは《キリスト教的価値観》であり、「性善説」に近い考え方です。もちろんこう考えるのは自由であり、世界平和実現のために尽力する人は、それなりに立派だと思います。しかし一方で、《進化論的価値観》はかなり「性悪説」に傾いた立場を採ります。「人間もまた利己的な生物であり、自分が生存競争に勝ち抜くために周囲を犠牲にすることで進化してきたという事実が有る。それゆえ、勝ち組だけが莫大な財産を得て子孫繁栄し、負け組は財産も持てず子孫も残せないまま絶滅していくのは、むしろ自然な事であり、それこそが進化に貢献しているのだ。世界平和が実現してしまうと、むしろ進化は停滞してしまうだろう。人類の進化のためには、世界平和など実現しない方が好ましいのではないか? その証拠に、そもそも人々は(ホンネでは)世界平和など望んでいないのではないか?」という考え方です。
 片方だけを「絶対的真理」だと主張し、それを他人にまで押し付けようとすると「悪しき宗教」になってしまいます。哲学として冷静に考えるのなら、両方を正しく見つめるべきだというのが、SumioBabaの持論です。

2018/05/13 18:10 No.160

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