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平和ルネサンスv^^。ピース2020No.137 だけを表示しています。

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>130  ザビビのふくろうさんへ

>おかしな人がしゃしゃり出てきても困るのですが、例えばSさんという人が(笑)、道徳的行為の解析について、あなたと異なる「公(他者)の利益を自分の利益より優先する行為」とする行動原理を採用していたとすれば、お年寄りに対して席を譲った人に対する行動を、例えば自分が席を譲って立たねばならない不利益より、そのお年寄りが立ったままでいる不利益のほうが大きいので、席を自分が譲れば、その差の分が公の利益になるので譲るべきだから譲る、というふうにSさんは自らの行動を分析するでしょう。


 仮にBさんが、自分は逆に「自分の利益を公(他者)の利益より優先する」という行動原理に従っているから席は譲らない、と主張したとします。すると、SさんとBさんとは行動原理そのものが異なることになります。そして、行動原理なんて人それぞれ異なるので、統一的に記述できない、となってしまいます。

 そこでSumioBabaが提案したように、「利益」の定義を拡張します。どんな行動を「する」場合も「しない」場合も、それに伴うあらゆるメリット・デメリットを合計したものを拡張された「利益」と見なせば、すべての人間はこの拡張された「利益」を最大にする行為を選択していると見なせます。すべての人間が同一の《人間の行動原理》に従っている、と見なせる訳です。

 「自分が絶対に正しくて、それ以外はすべて間違いだ」とは主張していません。しかし、「今、この問題について考えるとき、貴方の考え方より私の考え方の方が優れているんじゃないか?」は、堂々と主張してますよ。

>>136  ザビビのふくろうさんへ

>あなたの説明でも、席を譲る人と譲らない人は、その当人にとっての精神的利益と身体的利益の評価(重要度)の違いで説明することになるでしょう。

>S式では、公的利益(利他的・義務的価値評価)と個人的利益(利己的・欲望的価値評価)との、各人にとっての重みづけの違いで説明されます。

>平たく言えば、道徳意識の高い人と、そうでない人ですね。


 だったらそれは、本質的にSumioBabaの言う《人間の行動原理》と等価なものになります。
  >>130 ではSさんの行動原理は「公(他者)の利益を自分の利益より優先する行為」だったはずです。だいぶ変わってしまいましたよ? SさんがSumioBabaの長所を取り入れて、自分の考えを改良してくれたのなら大歓迎ですが。

>あなたの行動解析の原理がいわば個人的利益(欲望)一元論であるのに対して、こちらの行動解析の原理は公的利益(義務感)と個人的利益(欲望)の二元論的なものだということです。

>行動原理が人それぞれで異なるのではありません。

>譲る人は利他心(道徳心)が利己心より高いから譲る、ということです。

>あなたの場合は、精神的利益が高いから譲ると説明するわけです。

>つまり、説明原理が異なるだけなんですよ。

>あなたは「利益」という概念に還元して一元論的にとらえるから、そのために「精神的利益」という概念を導入しますが、

>こちらの二元論的立場からすれば、あなたの原理の基本要素である精神的利益というのは、利他的利益(義務的価値)に還元されるわけです。


 改良されたSさんの行動原理はその通りですね。だってSumioBabaの《人間の行動原理》と内容的には等価なのですから。でも、Sさんの行動原理が >>130 だったら、あからさまにBさんの行動原理とは異なりますね。そして、「人それぞれ行動原理そのものが異なる」「他人がどんな行動原理に従っているのか一般には不明」となってしまいます。

>で、どちらが有効なのか、ということは、その対象となる問題によって異なるというのが私の言っていることです。

>あなたが強調される法則性、一般性自体の有意義性(価値)自体、対象となっている問題がどういうものであるかによって異なります。

>例えばこのスレのテーマのように、いかにすれば世界平和が実現するかという問題を政治的・経済的問題として解決しようとする場合、あなたの立場は有効かもしれません。

>それは現実としてどのような対策をとれば実現可能か、有効な手段は何か、目的達成のためにはどうすべきか、といったことが問題になるのであって、それは「事実学」の問題です。

>しかし、人間社会はどうあるべきか、道徳教育はどうあるべきか、社会正義とは?といった、人間の生活世界の意義、価値に関するような問題は、単なる事実学ではなく当為を扱う倫理学や正義論として論じられます。

>こういった問題は政治的・経済的問題以前に、その基礎・前提として必要となってくる問題であり、このような場合、すべてを個人的利益に還元してしまうあなたの方法論は有効とは必ずしも言えません。それは以前にも議論しましたよね。

>あなたの方法は、目的達成のための“手段としての「べき」”を追求する上では有効であろうと思いますが、

>“当為としての「べき」”の問題を論じる上では有効とは言えません。

>平たく言いますと、人間の行動原理を個人的最大利益の選択として捉えることは、人間の行為を欲望充足(〜したいから、する)として捉えることです。

>それは倫理的行為のような規範順守行為(〜すべきだから、する)を、その意味において正しく捉えることはできません

>行為の価値・意義が本質的に重要なこういった倫理的問題のような場合は、それをいわば行為の欲望一元論的解釈でとらえるのは不十分・不適切なのです。

>例えば、端折りますが、あなたの考えでは平和が実現しないのは、それが多くの人にとって不利益であり、実のところ望んでいないからだ、といった分析をされていましたよね。

>それが当たっていようとどうであろうと、そこから「しかし、我々は平和を目指すべきである」は絶対に出てきません。

>政治的・経済的社会をどう変革していくことが平和実現の方法として有効なのかという問題と、平和実現を可能となるような社会にするために、人間教育・道徳教育はどうあるべきか、といった問題は別の問題として論じる必要があるでしょう。後者の問題を扱う場合に、あなたの方法論は有効ではありません。


 この点は同意します。SumioBabaの言う《人間の行動原理》も、適切な場合と不適切な場合は有ると思います。ただ、ここは世界平和の実現をテーマとするスレッドです。そして、「倫理的に正しいことは誰もが実行しようと努力すべきだ」なら解ります。ところが、綺麗事だけで世界平和が実現するかのように勘違いしている人がいます。「倫理的に正しい事は誰もが実行するはずだ」と結論してしまっている人もいます。だからこそSumioBabaは、こう指摘した次第です。→「人間は基本的に、自分の利益を最大にするという《人間の行動原理》に則って行動しているのだから、いくら理想論ばかり並べても、《人間の行動原理》に反しているようであれば実現しないのではないか?」

2018/05/08 00:45 No.137

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