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平和ルネサンスv^^。ピース2020No.136 だけを表示しています。

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>133 SumioBabaさん

>>したがってその優劣は、それぞれの方法論の具体的問題に対する適用で、どちらが有効に働くかということで評価されるべきなのです。


> そうそう、まさにそれです。「どちらが有効に働くか」で評価されるべきです。で、どちらが有効に働きますか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
繰り返しになりますが、私の主張を受け入れるのであれば、結果としてあなたの立場が有効であり、他方が有効でなかったとしても、「本当は」とか、「見落としている」と言うべきではありません。こちらは意図的にそういう方法論を採っているからです。

>>Sさんは道徳的行為を利他的行為・利己的行為を対立する概念として用いてあなた異なる行動原理で説明しようとしているのであり、それはSさんの立場の原理なのです。

>>その立場では、肉体的不利益と精神的利益の対立軸を基準としてプラスマイナスを算定して行動の根拠とするやり方を採用していないだけです。


> その通りです。別にそれを間違いだとは言いませんよ。


いやいや,明らかに言ってますよね(笑)
「見落としている」=「考慮に入れないのは間違い」
本当は根っから利己的=利他的とするのは間違い,
ってことなんだから。

>「絶対化」しているのではありません。「利益」という言葉を狭義で用いていると、行動原理そのものが人それぞれ異なることになり、統一的な法則性が見付からなくなります。「利益」という言葉の定義を拡張すると、すべての人間が同一の《人間の行動原理》に従っていると見なせて、その方が分析方法として優れている、というだけです。

>ただ、その場合の行動原理は人それぞれ異なるものとなってしまい、誰にでも通用する原理としての一般性を持てません。


そんなことありません。
あなたは、「F=maが成立している」という法則が見出しうる立場に自らの立場をなぞらえて、自分の方法論のみが問題を正しく解析しうるものであるということを先取り前提して、別の方法論の理路を理解することもなく、間違っていると断じているのです。
あなたの説明でも、席を譲る人と譲らない人は、その当人にとっての精神的利益と身体的利益の評価(重要度)の違いで説明することになるでしょう。
S式では、公的利益(利他的・義務的価値評価)と個人的利益(利己的・欲望的価値評価)との、各人にとっての重みづけの違いで説明されます。
平たく言えば、道徳意識の高い人と、そうでない人ですね。
あなたの行動解析の原理がいわば個人的利益(欲望)一元論であるのに対して、こちらの行動解析の原理は公的利益(義務感)と個人的利益(欲望)の二元論的なものだということです。
行動原理が人それぞれで異なるのではありません。
譲る人は利他心(道徳心)が利己心より高いから譲る、ということです。
あなたの場合は、精神的利益が高いから譲ると説明するわけです。
つまり、説明原理が異なるだけなんですよ。
あなたは「利益」という概念に還元して一元論的にとらえるから、そのために「精神的利益」という概念を導入しますが、
こちらの二元論的立場からすれば、あなたの原理の基本要素である精神的利益というのは、利他的利益(義務的価値)に還元されるわけです。

で、どちらが有効なのか、ということは、その対象となる問題によって異なるというのが私の言っていることです。
あなたが強調される法則性、一般性自体の有意義性(価値)自体、対象となっている問題がどういうものであるかによって異なります。
例えばこのスレのテーマのように、いかにすれば世界平和が実現するかという問題を政治的・経済的問題として解決しようとする場合、あなたの立場は有効かもしれません。
それは現実としてどのような対策をとれば実現可能か、有効な手段は何か、目的達成のためにはどうすべきか、といったことが問題になるのであって、それは「事実学」の問題です。
しかし、人間社会はどうあるべきか、道徳教育はどうあるべきか、社会正義とは?といった、人間の生活世界の意義、価値に関するような問題は、単なる事実学ではなく当為を扱う倫理学や正義論として論じられます。
こういった問題は政治的・経済的問題以前に、その基礎・前提として必要となってくる問題であり、このような場合、すべてを個人的利益に還元してしまうあなたの方法論は有効とは必ずしも言えません。それは以前にも議論しましたよね。
あなたの方法は、目的達成のための“手段としての「べき」”を追求する上では有効であろうと思いますが、
“当為としての「べき」”の問題を論じる上では有効とは言えません。
平たく言いますと、人間の行動原理を個人的最大利益の選択として捉えることは、人間の行為を欲望充足(〜したいから、する)として捉えることです。
それは倫理的行為のような規範順守行為(〜すべきだから、する)を、その意味において正しく捉えることはできません
行為の価値・意義が本質的に重要なこういった倫理的問題のような場合は、それをいわば行為の欲望一元論的解釈でとらえるのは不十分・不適切なのです。
例えば、端折りますが、あなたの考えでは平和が実現しないのは、それが多くの人にとって不利益であり、実のところ望んでいないからだ、といった分析をされていましたよね。
それが当たっていようとどうであろうと、そこから「しかし、我々は平和を目指すべきである」は絶対に出てきません。
政治的・経済的社会をどう変革していくことが平和実現の方法として有効なのかという問題と、平和実現を可能となるような社会にするために、人間教育・道徳教育はどうあるべきか、といった問題は別の問題として論じる必要があるでしょう。後者の問題を扱う場合に、あなたの方法論は有効ではありません。

また、これは私のちょっとした推測に過ぎませんが、倫理的ロボット、つまり、道徳心をもったロボット、主体的に道徳的判断のできるロボットを作ろうとする場合、ロボットはその内に利他的価値評価機構と利己的価値評価機構の両方を備え、その行為を選択する意思決定システムは、それら二つの価値評価を総合評価して行為を決定するものになるのではないか、といったふうにも考えます。つまり,道徳的ロボットの行動選択の意思決定システムは,このような二元論的価値評価機構を有するものになるのではないか,と思うのです。もちろんこれは私の単なる推測ですが。(人工知能やロボットに関する専門的知識を有する人がおられたら意見を聞かせてほしいです)

以上、私が挙げたような例が妥当か否かは断定しませんが、少なくとも、SumioBabaさんの立場も、いついかなる問題に対してもそれのみが一般性をもって有効な問題究明の方法となる、とみなすことはできないでしょう。
ところが、あなたは、一般性をもつのは自分の立場だけだという確信があって、それを前提に語っているわけです。
これまでのSumioBabaさんの発言を見ていると、いかなる問題についても、有効な人間の行動原理の規定は自分のものしかない、という独断前提感がありありと感じられるのですが、それは私だけでしょうか?(笑)
「いやいやあなたの立場を間違いと言ったり、否定したりしませんよ」と物分かりのいいことを言いつつ、自分の原理のみが有効だと考えているのなら、事実上相対主義じゃないんじゃないの?って普通だれでも思うんじゃないですかね。
前にも言ったような気がするんですが、SumioBabaさんは、相対主義者でありながら、今回もそうですが、相手の立場に立って考えることはほんとのところあまりないと思うんですよね、それで理論的有効性が自分のほうにのみあると即断前提しちゃってる気がします^^

それと、立場を規定する公理的言明の論理的身分に対する理解に関してですが、私の批判に対してあなたはトートロジーとして釈明されましたが、これについてもあなたの理解に対して納得していません。
実は、その理由となっているのが、ここでの問題というより、直接的には別スレの、
http://mb2.jp/_grn/2204.html-566#a
におけるあなたの宗教についての発言に関してなのですが、今は措きます。

2018/05/07 10:49 No.136

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