Google
    
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▼ページ下 >>
ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19

 
 
平和ルネサンスv^^。ピース2020No.130 だけを表示しています。

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>128 SumioBabaさん

私の述べたことに対して、基本的には肯定してもらえたようですね。
とすれば、その観点からまだひっかかるところを,さらに突っ込んで指摘させてもらいます。

>「いや、自分はA−B<C−Dだけど「する」を選ぶ」と主張する人がよく居ます。しかしこの人の場合、「する」を選びたいという願望を満たすことによる精神的利益+Xを見落としているのであり、+Xを考慮すると、A+X−B>C−Dが成立しているはずです。そして本当は、このA+XをAと書く必要が有ります。


ここで、「見落としている」「本当は」といった表現を使うのは、自分の立場を絶対化していると言われても仕方ないのじゃないでしょうか?
おかしな人がしゃしゃり出てきても困るのですが、例えばSさんという人が(笑)、道徳的行為の解析について、あなたと異なる「公(他者)の利益を自分の利益より優先する行為」とする行動原理を採用していたとすれば、お年寄りに対して席を譲った人に対する行動を、例えば自分が席を譲って立たねばならない不利益より、そのお年寄りが立ったままでいる不利益のほうが大きいので、席を自分が譲れば、その差の分が公の利益になるので譲るべきだから譲る、というふうにSさんは自らの行動を分析するでしょう。
このとき、彼が自分の「精神的利益を見落としている」と評価するのは間違いです。
「本当はそれを自分の利益として加え、その自分の得る利益が立つことによって被る肉体的不利益より大きいから彼は立ったとみなすべきである」というのは、自分の立場を絶対化しています。
Sさんは道徳的行為を利他的行為・利己的行為を対立する概念として用いてあなた異なる行動原理で説明しようとしているのであり、それはSさんの立場の原理なのです。
その立場では、肉体的不利益と精神的利益の対立軸を基準としてプラスマイナスを算定して行動の根拠とするやり方を採用していないだけです。
それは、「利他的行為」という概念を「利己的行為」という概念と対立する概念として行動の解析に用いるのではなく捨象してしまっているのがあなたの方法的立場であるのと同様であって、それだけでどちらが正しい、とは言えません。
あなたがSさんに「自分の得る精神的利益を見落としている」と言うのなら、彼だって「あなたこそ利己的行為(私的な利益)と利他的行為(公の利益)の区別を見落としている」と言うでしょう。
しかし、それらは立場・方法論の違いであって、どっちが見落としていたり、本当であったりするものではありません。
したがってその優劣は、それぞれの方法論の具体的問題に対する適用で、どちらが有効に働くかということで評価されるべきなのです。

どうもSumioBabaさんは、自分は相対主義者なので、自分の立場を絶対化して押しつけるようなことはしませんと物分かりのいいふりをしながら、実はこういったところで相手の立場を不当に否定しているように思いますね^^。

2018/05/05 16:47 No.130

平和ルネサンスv^^。ピース2020No.130 だけを表示しています。
ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19

 
 
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▲ページ上 >>
★必ず ローカルルールメビウスリングのルール をご覧ください。
 ▼スタンプ▲スタンプ
※スタンプはいちどに 3個 まで使えます  ×閉じる