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平和ルネサンスv^^。ピース2020No.128 だけを表示しています。

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>122  ザビビのふくろうさんへ

>>よく、「世界平和を実現しましょう」とか「他人の為に自分を犠牲にしましょう」とか綺麗事を並べ立てている人を見ますが、《人間の行動原理》に反する事を要求されても、誰も従わないと思われます。世界平和の実現を目指すのなら、あるいは、他人の為になる行為を求めるのなら、《人間の行動原理》に則り、人々がそうしたくなる方法を考え出す必要が有ると思われます

>あなたは次のように述べています。

>>そもそも《人間の行動原理》は、「自分の利益を最大にする行為を選択する」です。これに反するものは考えられません。

>これは、あなたが自分の考えを唯一の真理とし、それに反する考え、例えば、「自分の利益よりも人類全体の利益を優先して行為を選択しなければならない」という理念に基づく考えを、机上の空論として否定するものではないでしょうか。

>しかし,あなたの意見に従えば、あなたの言う《人間の行動原理》も本来一つの公理であって、絶対的真理ではないはずです。

>にもかかわらず、あなたの以下の文言を見ると、むしろ絶対に正しい真理として主張されているようにしか受け取れないのです。


 説明不足だったようですみません。SumioBabaにおいて《人間の行動原理》=「人間がどういう行為をするか自由意志で選ぼうとするとき、自分の利益を最大にする行為を選択する」はトートロジーだと見なされます。だから、無矛盾な世界でさえあれば絶対的真理となり、例外は有り得ないことになります。

 ある行為を「する」か「しない」か、選択する場合です。「する」場合のメリットを+A、デメリットを−Bとすると、合計A−Bです。「しない」場合のメリットを+C、デメリットを−Dとすると、合計C−Dです。そして、A−B>C−Dなら人々は「する」を選ぶし、A−B<C−Dなら人々は「しない」を選びます。ただし、A、B、C、Dの値をどう評価するかは人それぞれの価値観によって変わるため、お年寄りに席を譲る人もいれば譲らない人もいます。

 「いや、自分はA−B<C−Dだけど「する」を選ぶ」と主張する人がよく居ます。しかしこの人の場合、「する」を選びたいという願望を満たすことによる精神的利益+Xを見落としているのであり、+Xを考慮すると、A+X−B>C−Dが成立しているはずです。そして本当は、このA+XをAと書く必要が有ります。つまり、A−B>C−Dであり、「する」を選ぶ人の場合は必ずA−B>C−Dが成立していることになります。こう考えると《人間の行動原理》に例外は有り得ないこととなり、トートロジーだと見なせます。一種の論点先取ではあります。決して例外が有り得ないように、「利益」という言葉の定義を拡張したのですから。

 例えば、風で木の葉が揺れている時、葉の「速度」だけ見ていると、どの葉もでたらめに動いているように見え、ついつい「法則など無い」と錯覚しそうです。しかし、「速度」+「加速度」にまで視野を広めて見れば、どの葉も「F=maという法則に従っている」のであって、例外は有りません。そんな感じです。《人間の行動原理》を考慮しなければ、お年寄りに席を譲る人もいれば譲らない人もいて、人々がどう判断しているのか不明になってしまいます。《人間の行動原理》を考慮すれば、譲る人も譲らない人も同一の原理に従っていることになるので、譲らない人が譲るようにするにはどうすれば良いか、という対策を立てられる利点が生じます。

>そもそも、「人間の行動はすべて利己的である」とする時点で、通常の「利己的」「利他的」の区別は無意味化されています。

>つまり、あなたの定義に従えば、普通の言葉の意味で利他的行為と呼ばれてしかるべきもの、例えば窮状にある他人を救うために自分の財産を投げうち、自分の命まで犠牲にして人を救ったような人でさえ、しょせんは自分の利益が最大になるための行為を行っただけ、ということになります。

>これは既に通常の「利己的⇔利他的」という概念を無意義化しています。

>だって、《人間の行動原理》によれば人間の行為は全部利己的行為であって,すなわち利他的行為はありえないわけですから。

>したがって,むしろ人間行動を解析する上で「利他的」という概念を捨象していると言うべきでしょう。

>つまり、「利己的」の意味を変えてしまっているのです。


 全くその通りです。しかし、そうすることによって初めて、お年寄りに席を譲る人も譲らない人も、実は同一の《人間の行動原理》に従っているのだと理解できます。そうしないと、なぜ人によって行動が異なるのか、行動原理そのものが人それぞれ異なるのか、解析不能になってしまいます。

>《人間の行動原理》に反する例外はないだろうとSumioBabaさんは言いますが、そのように人間の行動を定義しているからそうなるだけであって、これ自体はなんら事実であったり、真理であったりというようなものではありません。


 これも仰る通りで、「そのように人間の行動を定義しているからそうなるだけ」であって、それゆえにトートロジーだと見なせます。しかしそれによって、お年寄りに席を譲る人も譲らない人も、本当は同一の原理に従っている事が理解でき、譲らない人を譲るように変えるにはどうすれば良いか、対策が練れるという大きな長所が有ります。

>次の類比が適切かどうか確信はありませんが、例えば心理学についての研究方法を、例えば、心的状態を完全に脳の機能・状態に還元する、いわば方法的唯物論に似て、人間行動を、利益を最大限にする行為を選択するものとして捉えることに決め、その視点で人間の社会の政治的・経済的行動を捉えるというのが、本来のSumioBabaさんの立場だと思います。


 適切かどうかはよく解りませんが、共通点は有ると思います。お年寄りに席を譲る人と譲らない人、行動原理そのものが解らないと、なぜ行動が異なるのか、どうすれば行動を変えられるのかが、不明になります。本当は同一の原理に従っており、単にパラメーターの値をどう評価するかの違いだと見なせれば、統一的に記述できるし、適切な行動に変えるための対策も取れる訳ですね。

>その上で、世界平和を実現する立場・考え方はいろいろあるだろうけど、この《人間の行動原理》に基づいて捉えるべきである、と主張されればよいのではないでしょうか。


 はい、そのつもりです。

>これは言わば,水星の近日点の計算にはユークリッド幾何学をベースにしたニュートン力学ではだめで、非ユークリッド幾何学をもとにした相対性理論じゃなきゃだめだと言えるのと同様だと思います。

>例えば権兵衛さんの立場からは,現実社会をきちんととらえられず,平和実現の問題を分析するには《人間の行動原理》に基づいたSumioBaba理論でないとだめだ,というふうに。

>そうすれば,相対主義的立場を採りつつ,自説の優越性を主張しても整合的であるように思われるのですが,どうでしょう?


 仰る通りです。異論は有りません。

>で、ついでに述べておくと、このSumioBabaさんの《人間行動の原理》という視点は、「政治・経済的人間行動」を解析するための視点としては有効かもしれないけれども,倫理的行為についての考察については適切ではない、もう少し強く言うと、その原理で倫理的問題を論じるのは間違いである、というのが以前からの私の主張だということです。


 なるほど、お互いに譲れない点というものは有って当然ですし、その方が議論は面白くなりそうです。SumioBabaは、あらゆるものを、独我論の視点で捉えている傾向が有ると思います。そのへんのズレでしょうか。

2018/05/04 18:17 No.128

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