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神様は存在するのか

 ( 哲学掲示板 )
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シナモンナッツ ★iPhone=B6l8TshsTl

神様は存在するのか。
もし存在するなら、なぜ目に見えないのか。
目に見えない=存在しないと結論付けるのは早計すぎますが、見たこともないものを信じるのもまた難しい話です。

死んだら、我々はどうなるのか。
霊は本当に存在するのか。
天国と地獄は存在するのか。

原罪とは。
聖書に記されたアダムとイヴの失楽園について、アダムとイヴが食べた知恵の樹の実とは一体何なのか。


*******

難しい話をする必要はありません。
率直に自由に上記した内容について、自分の考えを語って欲しいです。
私は一応キリスト教徒ですが、他宗教の信徒の方、また無宗教の方、それぞれの立場から見える答えを教えて欲しいです。(宗教の勧誘等はお控え下さい)
私も気が向けば、自分の考えを書いたり、来てくださった方にお返事していこうと思います。


……人間がどこまでも真理を求めるのは、何故でしょうか。
人によって色々な理由があると思いますが、一言で言って仕舞えば、私は『幸せになる為』だと思います。
そんなの当たり前だと思う人も多いかもしれません。そもそも、多くの人が必死に『生きている』のは、幸せになる為ですもんね。

いつかはみんな死にます。
でも生きている限り、宗教や思想関係なく、人間は心のどこかで真理を求め続けています。

この場で、あなたが幸せになる道を模索していけたら幸いです。

ページ: 1

 
 

oo @ooo11 ★Tablet=6ugAp7Tls9

神様が存在するのか、と発言するとき
少なくとも発言者のうちには、存在する

12日前 No.1

権兵衛 ★1UuA7jFh0l_mgE

私は宇宙=神だと思ってます。
宇宙の中にいれば宇宙の全体像が見えないように
神の中にいれば神の全体像は見えない。

12日前 No.2

激怒忿怒丸 ★iPad=a6idbzA4pL

「神が存在する」ということは、いったいどんなことを指しているのか?
そもそも「存在する」ということはどんなことなのか?
何を持って存在と認めるのか?認めないのか?
それは実在であるのか? 幻想、仮想現実、心的現実に過ぎないのか?
信じる者だけの存在なのか? 信じない者にとっても存在たりうるのか?
哲学的に深められる話題ですね。

12日前 No.3

★30JjgxOVKX_ZFe

シナモンナッツさん

あなたには「光」が見えますか?

12日前 No.4

激怒忿怒丸 ★iPad=a6idbzA4pL

「神が存在する」ということは、いったいどんなことを指しているのか?
そもそも「存在する」ということはどんなことなのか?
何を持って存在と認めるのか?認めないのか?
それは実在であるのか? 幻想、仮想現実、心的現実に過ぎないのか?
信じる者だけの存在なのか? 信じない者にとっても存在たりうるのか?
哲学的に深められる話題ですね。

12日前 No.5

シナモンナッツ ★iPhone=B6l8TshsTl


こんばんは。さっそく興味深い話ばかりで、考えさせられていました。
少しまとめてお返事させていただこうと思います。暇な時間があれば、また語りに来てください^ ^

ooさん
神様が存在するのか、と発言する時、少なくとも発言者のうちには神が存在する、というのは、内面的に、つまり人の心に神は存在するということでしょうか。神を意識した時点で、そこに神という存在はあると。
そして、少なくとも、ということは、発言者のうちには存在しても、他の人のうちに存在するかどうかは定かではないということですね。
神様がいる人もいれば、いない人もいる。神は万人共通に実在するものではなく、至極不安定なものだということでしょうか。

権兵衛さん
宇宙=神というのは、八百万神的な考え方ですか?それとも、地球大気圏の外に神は宿っているということでしょうか?何はともあれ、素敵な考え方だと思います。
あと、それなら、科学技術やらを駆使して宇宙を解明していけば、神も解明できるということになりますか?それとも、私たちが宇宙の中にいる限り、神の全体像を知ることはできないのでしょうか?

10日前 No.6

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

 スレッド『量子神学概論(多世界解釈で記述する全知全能の神)』の《梗概》とその解説を書いてみます。
    ↓
http://mb2.jp/_tetsugaku/824.html

      《梗概》
 「神」は全知全能であり、あらゆる○○○について「○○○である」と「○○○でない」の両方を実現しており、それを矛盾なく記述できるのが、量子力学の多世界解釈である[1]。
 人間の心はどちらか一方しか認識できないため、「なぜ一方だけが選ばれたのか?」という謎の存在を感じてしまうが、それは錯覚である[2]。
 「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」と認識する。「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」と認識する。どちらもトートロジーであり、「神」に謎は何も無い[3]。
 しかも自分の心M1は、自分を1人の人間だと思い込んでいるが、本当は存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのであり、自分こそが他ならぬ「神」である[4]。//

      《解説》-[1]
 「全知全能の神」については、これまで誰一人として厳密な定義をできた人がいません。それもそのはず、「神」を「○○○である」と定義すると、「神」は「○○○でない」の方を放棄してしまい、全知全能ではなくなってしまいます。全知全能であるためには、「神」は「○○○である」かつ「○○○でない」を満たすべきですが、これだと矛盾に陥ります。真理体系の中に矛盾が生じてしまうと、あらゆる命題の肯定も否定も真であることが証明できてしまい、「神」とは何か?を議論する事自体が無意味になってしまいます。
 そこで多世界解釈の出番です。「神」はトートロジーでないあらゆる○○○について、「○○○である」世界Wa(心Ma)と「○○○でない」世界Wb(心Mb)の両方を実現している、と考えます。ただし、両者は線形の重ね合わせであって互いに相互作用はしないため、各々の世界の中には矛盾は存在しない、と考えれば良いのです。
 「多世界解釈」は決してSF的空想ではありません。「コペンハーゲン解釈」や「ガイド波解釈」で満足する物理学者は少なくなり、最もシンプルで美しく合理性を秘めた「多世界解釈」の支持者が大半を占めるようになっています。「全知全能の神」を矛盾なく記述するためには、「多世界解釈」の立場を取ることが必要かつ十分です。(ただし、あらゆる○○○について「○○○である」を満たした世界と「○○○でない」を満たした世界の両方が実現されている、というところまで拡張することが必要。)

      《解説》-[2]
 人間は、いろいろな謎の存在を感じます。「なぜ自分が住む世界W1は、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」、「なぜ自分が住む世界は、他のW2、W3、W4、…ではなくこのW1なのか?」、「なぜ自分が住む世界では、他の物理法則ではなくこの物理法則が成立しているのか?」、「なぜ自分の心M1は、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」、「なぜ自分の心は、他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」、「なぜ何も無いのではなく、何かが有るのか?」…等々。これらの謎はどれも、《謎》=「なぜ「○○○である」と「○○○でない」のうち、「○○○である」の方だけが選ばれて実現しているのか?」という形をしています。「○○○でない」の方は実現していないと、勝手に思い込んでいる訳です。
 そこで、1人の人間である現在の自分の心をM1とします。M1は、何万ビット、何億ビットという大量の情報を持っており、これをM1=「01?00??1?10…」(「0」、「1」、「?」(=「0」+「1」)が合計N個並ぶ)のように表現します。そして多世界解釈を応用し、第1ビット、第2ビット、第3ビット、…のそれぞれが独立して「0」、「1」、「?」の3つを取った3^N(N→∞)種類の心Mi(i=0、1、2、3、…)がすべて実在していると想定し、その集合{M}を全知全能の「神」であると定義します。すべての心の中には、トートロジーでないあらゆる○○○について、「○○○である」と認識している心、「○○○でない」と認識している心、の両方が含まれます。こう考えるだけで、《謎》は事実誤認だったこととなり、消滅します。なぜなら、「○○○である」と「○○○でない」とは両方が実現しているのですから。
 さらに多世界解釈の場合、客観的な物質世界を考える必要が無くなり、実在するのは個々の心M0、M1、M2、M3、…だけだとするライプニッツのモナドロジーで十分になります。

      《解説》-[3]
 自分の心M1は、M1の存在と状態だけしか認識できないため、なぜかM0、M1、M2、M3、…の中からM1だけが選ばれているかのように実感してしまいます。しかし、それは錯覚です。本当は全知全能である「神」が、存在し得るすべての心Mi(i=0、1、2、3、…)を平等に体験しているのであり、M1だけが選ばれている訳ではありません。
 さらに、「存在する」と「存在しない」も両方が実現されており、どちらか一方だけが選ばれて実現しているのではありません。例えばシュレディンガーの猫の話で、猫の生きた状態を観測した心をMi、死んだ状態を観測した心をMjとしましょう。両者は矛盾しているため、<Mi|Mi>=1(MiにとってMiの存在確率は1)、<Mj|Mj>=1(MjにとってMjの存在確率は1)ですが、<Mi|Mj>=0(MiにとってMjの存在確率は0)、<Mj|Mi>=0(MjにとってMiの存在確率は0)が言えます。つまり個々の心Mi(i=0、1、2、3、…)には、次のダブル・トートロジーが成立しています。
    「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」。
    「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」。
このような在り方を「半存在」と呼びます。こう考えると、「なぜ存在するのか?」「なぜ存在しないのか?」という謎も消滅します。
 「神」はすべてのM0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているので、自分の心M1の視点に立つためには、「神」の全体験の中から「M1は存在する」を選び出すことが必要です。すると、こうなります。
    「神」の全体験の中から「M1は存在する」だけを選び出すと、
    「神」の全体験の中から「M1は存在する」だけが選び出される。
これもまたトートロジーであって謎は何も無かったことになります。
 それから、完全なる無意識(無情報)状態である「空」M0と、特定の意識(情報)を持つ「色」M1、M2、M3、…との間には、
    M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕
の関係が成立します。M0の視点に立つということは、確率<M0|M0>^2=1でM0の視点に立つことであると同時に、確率<M0|M1>^2≠0でM1の視点に立つことでもあり、確率<M0|M2>^2≠0でM2の視点に立つことでもあり、…。「空」M0から確率的にすべての「色」M1、M2、M3、…が発生します。「空」M0が全知全能の「神」の本来の姿であり、「色」M1、M2、M3、…はその分身であり、人間の心は「色」に含まれます。個々の心M0、M1、M2、M3、…が「半存在」なので、「神」もまた「存在する」、「存在しない」、「存在する」+「存在しない」のどれでもあり得る「半存在」です。

      《解説》-[4]
 我々人間は、…→自分の心(t1)→自分の心(t2)→自分の心(t3)→…という「時間の流れ」と「自己同一性」の存続を実感していますが、これは記憶の連続性から来る錯覚です。「神」による真の体験順序を仮に、…→友人の心(t5)→自分の心(t2)→彼女の心(t4)→…だったとしても、自分の心(t2)は、「一瞬前は自分の心(t1)だった」という記憶を持ち、「一瞬後は自分の心(t3)だろう」という推測をしている意識状態であるため、嫌でも…→自分の心(t1)→自分の心(t2)→自分の心(t3)→…という「時間の流れ」と「自己同一性」の存続を実感するだけです。自分の心(t1)や自分の心(t3)が本当に実在しているのかどうかさえ、自分の心(t2)は決して知り得ません(独我論・独今論)。
 つまり、本当に実在するのは「MiはMiである」(i=0、1、2、3、…)という自己認識だけです。個々のM0、M1、M2、M3、…相互間には時間的前後関係も空間的位置関係も無いし、個々のMi(i=0、1、2、3、…)には発生も消滅も有りません。これを【神の定常状態】(永遠の今)と呼びます。全知全能の「神」は、存在し得るすべての心をM0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕という線形の重ね合わせのまま同時に一瞬体験しているだけ、というのが最もシンプルな定式となります。
 真の自分は「神」なのであり、実在するのは【神の定常状態】だけだと悟れば、1人の人間としての現在の自分の心M1がどんな心であろうと、力む必要は有りません。M1が幸福なら幸福を、M1が不幸なら不幸を、有りの儘に楽しめば良いことになります。人間が80年程度の平均寿命で必ず死ぬ、という常識からも超越できます。
 人間は自分の人生が一度きりだと思い込んでいるので、幸福にはなりたいが不幸にはなりたくない、と実感します。しかし「神」は全知全能であり、あらゆる体験をしてみたいので、幸福な心だけでなく不幸な心も、善人の心だけでなく悪人の心も作り出しています。1つでも欠けると全知全能でなくなるので、すべてが「神」の貴重なコレクションです。
 この「SB量子神学」(SumioBabaの量子神学理論)は、科学の立場では実証されていないただの仮説です。しかし、無数に存在する形而上学的解釈の中の平凡な1つではなく、すべての謎をトートロジーに解消して消滅させることのできる唯一の理論であることが証明できます。もし「SB量子神学」が真理でなければ、我々の世界には「なぜ?」という謎が残ってしまい、その答は無く、「なぜかそうだからそうなのだ」と黙って受け入れるしかなくなります。それは、我々の世界がある意味で不完全に造られている事を意味します。逆に我々の世界に「どんな謎にも必ず答は有る(充足理由律)」という完全性を要求するなら、実験的実証を待つまでもなく、「SB量子神学」は真理だと見なせます。
 「SB量子神学」はいわゆる宗教ではなく、「全知全能の神は存在し得るのか?」、「すべての謎を科学は完全解明できるのか?」を考究する理論科学の一種です。

8日前 No.7

地下水 ★lHRYPNADL9_zRM

 神様は存在しないのだが、神社も十字架も聖歌も聖書のコピーも、たくさん世の中にはあるぞ。

 仏様も遠の昔に死んだのだが、お寺も御地蔵さんも御墓も御経も、たくさん日本にはある。

 何でか。何でそんな文化を、そして宗教を人間は作ったのか。

8日前 No.8

権兵衛 ★1UuA7jFh0l_mgE

シナモンナッツさま

こんばんは。

>宇宙=神というのは、八百万神的な考え方ですか?それとも、地球大気圏の外に神は宿っているということでしょうか?

宇宙が個の神が集まって出来ているとか、至る所に神があるとか、そう言う考え方ではないです。


>科学技術やらを駆使して宇宙を解明していけば、神も解明できるということになりますか?
それとも、私たちが宇宙の中にいる限り、神の全体像を知ることはできないのでしょうか?

解明する方法は見つかるかもしれないし見つからないかもしれない。
そう思います。


なぜ宇宙=神だと思うようになったのか?
それは一つの体験からです。
詳しくは書きませんが
思考をし尽くして思考に意味を持たせなくした時
考えることの空しさを実感しました。
その時自分の存在は全体の一部だと実感し、すべてとつながっているという安堵感がありました。

以前から宗教には興味はあったけど
一つ一つの宗教は必要がないと思いました。
なぜなら
宇宙は神であり宇宙の中に存在するものは神の一部であると思うようになりました。

それを例えるなら
人間の約60兆個の細胞たちは「私は人間です」と言えるようなもの
桜の木の葉っぱたちは「私は桜です」と言える。
そんな気持ちになりました。


最近知った本ですが。
私が体験したことと似た体験をした脳科学者が本を出版していました。

「奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき」
(新潮文庫) 文庫 ジル・ボルト・テイラー著

8日前 No.9
ページ: 1

 
 
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