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身体について

 ( 哲学掲示板 )
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すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

身体、すなわち目や耳、手や足、口や鼻、お腹や背中に、内臓…。

哲学は概念を扱う。
概念に新たな意味を見い出してゆく。

…ところで「身体」は概念なのだろうか?

私たちは身体を具体性の最たるものと捉えもする。
具体的なものはつねに、身体を介して示される。

あるいは身体は「今ここ」に私を縛りつける。
身体は制約であり、そのせいで私にはできることが限られている。

”不”自由の起源。
可能性の”不”可能性。

身体は実在の根であり、概念とは言えないかもしれない。
しかし私と世界を媒介するものとして、概念と言えるかもしれない。

…いったい、どこからどこまでが身体なのだろうか?

・・・

世界が価値体系であるとすれば、
身体も一種の価値体系と捉えることはできないだろうか。

目や耳、手や足、口や鼻、お腹や背中に、内臓…。

こういった身体的なカテゴリーにおいて、
感覚が独特の価値を帯びて体系化される。

とすれば、身体とは世界そのものであるとも言えないだろうか。

・・・

価値づけられた物は、使用において本領を発揮する。
それらはいわば道具である。

とすれば、道具の本義は身体の延長にないだろうか。

・・・

あるいは身体は私と他者との媒介でもある。
私が見られることができるのは身体があるからである。
逆もまた然り。

とすれば、身体は実在の根でありながら、社会性の根とも言えるのではないだろうか。

・・・

私たちは通常、身体を意識しない。
何かに触れるとき、手ばかりに集中しない。
むしろ触れられるものに意識は集中している。

とすれば、身体はもっとも身近でありながら、もっとも疎遠なものとも言えないだろうか。

・・・

こうしてみると、身体はじつに、哲学し甲斐のあるものである。

身体について考えてみる。

ページ: 1

 
 

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi

そだね。

みんな外ばかり意識の焦点を向けてるから。

フィルターであり

受信機である肉体

 この特性を知らずして

 物事の本質などわかりませんからね。


パソコンのキーボード。

 キーは確かに『押すモノ』ですね。

 しかしながら

 押すのが、

   そのキーである必然


幼稚園児にしたら、単に、

  押すと音がするモノ

  ですよ。


 しかしプログラマーは違う。


ここで『パソコン』の

  使用『レベルの差』が

 どうしても生まれてしまう。


肉体という道具は、

 何をする道具ですか?


この問に返答するには

 肉体から離脱し

 肉体を観察し理解する必要があります。

従って肉体観察は重要なのです。


 女の人の肉体観察はダメですよ〜(笑)

3ヶ月前 No.1

★30JjgxOVKX_ZFe

身体と精神、この人間の分類(区別)は、人間の知性らしいね。区別したら分離や対立することじゃなくて、秩序づけ統合する必要があるように思う。

人間は、身体をもち、心をもち、社会の中で生きている。って、誰か言ってたわ。

このようななかで「身体」に焦点をあてる(身体について考えてみる)のは、面白いね。

らいびょうはいまでは「病気」の範疇に入っているようだけけど、当時は身体の問題だったのかもね。
男性、女性っていうのも「身体」の問題ね。いまでは「性同一鍾障害」っていう「病名」が付いているみたい。

わたしの日常世界のなかで、わたしの身体(肉体)と精神(心)の関係性のうちでわたしは生きている、って、わたし、思う。

3ヶ月前 No.2

★30JjgxOVKX_ZFe

>1
気風さま

肉体は人間にとって道具ですか?
男の人の肉体観察はokですか?

3ヶ月前 No.3

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi

あ、ごめんなさい!

 気まぐれなもので(笑)

 時折見に来るので
 即レス出来ないのです。。。


肉体は道具ですよ。

僕にとって。

 霊魂のレベルは、様々。

 従って『共通点』が存在しない。

 クオリアですね。

同じ言語であってもスレ違う。

 コレは言語に込める『意』の

 クオリアによってスレ違いが発生する。


ただし、肉体、

 物質ですね。

 この物質という同じ振動率帯

 ここを媒介することにより

  共有を得ることが出来る。

もちろん!

 同じモノを見ても

 別の感じ方をするのは

 肉体を使用している霊魂の差は

 在りますよ。


簡単な例、

 言語がまったく違う両者での会話

 より

 同じ言語で(意は異なりますが)
 会話する方が成立する。


『そこにリンゴがあるね』

『うん、あるね』

『美味しそうだね』

『僕はあまり好きじゃないけど』

『なんで?酸っぱいの嫌い?』

『うん、だったら甘い桃のほうが好き』

、、、、

 と、会話が成立する。

、、、、

 肉体の入手意図は
 それぞれの魂によって異なりますが、

共通するのは、、、

 学ぶため、です。


男の人の肉体観察?

 (笑)

 捕まらない様に(笑)

3ヶ月前 No.4

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi

身体と精神、この人間の分類(区別)は、人間の知性らしいね。


 人が持つある機能が
 そうさせている。


区別したら分離や対立することじゃなくて、秩序づけ統合する必要があるように思う。


  そゆこと。
  大事なことですね。


人間は、身体をもち、心をもち、社会の中で生きている。って、誰か言ってたわ。


  その通り。


このようななかで「身体」に焦点をあてる(身体について考えてみる)のは、面白いね。


 みんな自分の身体に興味がない(笑)
 一番身近なのに。
 一番ダイレクトに学べるのに。



らいびょうはいまでは「病気」の範疇に入っているようだけけど、当時は身体の問題だったのかもね。


  どうなんでしょうね。。。


男性、女性っていうのも「身体」の問題ね。いまでは「性同一鍾障害」っていう「病名」が付いているみたい。


 その通り。
 肉体的な特徴だね。
 医学は魂を否定するから
 病気とされる(笑)
 病気でもなんでもない。
 普通の当たり前のこと。
 男だけ。女だけ。なんて
 居ないでしょ(笑)


わたしの日常世界のなかで、わたしの身体(肉体)と精神(心)の関係性のうちでわたしは生きている、って、わたし、思う。

3ヶ月前 No.5

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi

区別したら分離や対立することじゃなくて、秩序づけ統合する必要があるように思う。


 ここは齟齬が生じやすい
 重要なポイントです。

 『統合』は同化ではありませんよ。

例えば、

 人と車

 同化、同一、ではありません。

 私は車ではないですからね(笑)


肉体と心は

 全く異なる

   が、統合することが可能です。


 東京から名古屋まで行く意思

  と、

  ソレを可能とする車

統合されているのです。


 僕が北海道に行くために
 フォークを使用する。
 のは、統合されていませんね(笑)


じゃあ、

 車ってなに?
 フォークってなに?

 観察しその仕組を理解する必要がある。


肉体にせよ、言語にせよ、

 統合して使いましょうね。

3ヶ月前 No.6

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi


大好きな人を殴る、

 そして落ち込む、とか、ね。


統合していない。

 お前の右腕は
 殴る為にあるのか?と。

3ヶ月前 No.7

★30JjgxOVKX_ZFe

>7
気風さま

「殴る」って、何を殴るのかしら?

「人」、じゃよくわかんないんだけど。

3ヶ月前 No.8

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi

気風さま
「殴る」って、何を殴るのかしら?
「人」、じゃよくわかんないんだけど。


 いや、別に、
 僕は君から何か貰ってる訳じゃないよ。
 僕には君に何かを教える義務はないよ。
 何か勘違いしてません?

君に解る様に手間暇掛けて
教える義理は全くないのですが。。。


 教えてもらって
 『当然だ』と、
 思ってるでしょ(笑)


あのね、
何度も言いますけど。

 即座に見抜く、と、
 言ってますよ。


汚れた魂
全部見抜くのですよ。

ただ、通常は、イチイチ面倒だから、
指摘しませんよ。
回りは穢れだらけだから(笑)
イチイチ指摘してたら気が狂う(笑)


心の中で
『どうしようもない傲慢な奴だな』
と、呟くだけ。
通常はね。


  今回は、あえて、指摘した。

3ヶ月前 No.9

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi


君のコメントを利用して


 閲覧者全員に教えてるのですよ。


しかも、無料で、ね。


 読みたい奴は読めばいいし

 読みたくない奴は読まなきゃいい


僕のコメントで

 学ぼうが
 学ばまいが
 そんなことは関係ない。

好きにすりゃいいんだよ。

 ただし、
 僕のコメントの重要性
 死に近付くほど価値が上がる。

まぁ、例えるなら、
キノコ狩りに行くときの
キノコ図鑑かな(笑)

 別に構わんよ。
 捨てようが焼こうが。

ベニテングタケを食って
悶絶してくれたまえ(笑)

3ヶ月前 No.10

うさぎ ★Tablet=cT88eYp8V3

死に近づくほど価値が上がるとは、どういう意味ですか?

3ヶ月前 No.11

地下水 ★otncK03kC4_zRM

 哲学というのは科学と異なり、一期一会の意識の主体による世界への価値判断を扱う。一期一会であるから歴史的なものや個人史も扱う。そして価値判断するのは貴方自身なのである。この点で、貴方の個人的な身体の感じ方が大切になる。

 そこには文化もある。赤青黄色緑水色桃色橙金銀銅黒白など色に関する言葉は多い。これは目が多くの情報を扱うから。光が多くの情報を扱うから。光は物理的にはボース・アインシュタイン統計に従う、重ね合わせの起きるボース粒子である。

 さらに重いものは電子であり、これは物理的にはフェルミ・ディラック統計に従う。辛い甘い苦い渋い旨い酸っぱいなど味に関する言葉があるが、味は原子のフロンティア電子の反応による。このフェルミ順位は物理的には半導体を作り、計算機や脳などの知的判断から、目や筋肉などのセンサーや動力の制御も行える。

 半導体にはp型とn型があるが、pn接合など2層の接合がフォトセンサーやピエゾ素子や太陽電池や整流器であるダイオードとなり、pnpやnpn接合など3層の接合が論理素子やTFTテレビ画面などのトランジスターになり、pnpn接合などの4層の接合は逆阻止三端子サイリスターとなりインバーターエアコンやインバーター電車、車やバイクなどの動力の制御から発電所までに使われている。

 また、鼻は臭いや、香り香ばしさなどを感じるが、これもフェルミ粒子であるフロンティア電子の反応による。

 他に、耳は笑い声や泣き声、怒鳴り声や叫び声、虫の声などを聞き分けるが、これは音素であるフォノンによる。

 第六感もあるかもしれぬ。最も希薄なものに電波があるが、これは最も希薄なマックスウェル・ボルツマン統計に従う。身体にもマイクロコイル状の組織があるが、これが電波を感じうるかはまだ未知の科学である。組み合わせ論から、原理的な統計は以上の三種類である。組み合わせ論的には、物理的に考えにくいもう一種類の数え方もある。

 また他に磁気力もある。


 身体と国語、物理を横断して、感性を考えて、ここに良く現れる言葉を身体に関係する人間が生きる為に必要な価値と考えて、個人の一期一会の価値判断を掘り下げて深めて行きたい。


 人間が活発に生きるには酸素が必要だが、その為に身体が酸化して老化する。そして死亡原因は、癌脳溢血心筋梗塞肺炎などであるが、活性酸素によって遺伝子が傷つけば癌になり、血管が傷つけば脳溢血や心筋梗塞になり、埃などの異物を攻撃して活性酸素が発生し炎症を起こせば肺炎などになる。これを防いで老化を防ぐには、抗酸化酵素が必要だが、1000ミリグラムのビタミンCが老化を防ぐ事が近年解って来た。これは果物や野菜では沢山食べても100ミリグラムも摂取できないが、サプリメントで非常に安価に摂取できる時代になった。

 他にも、脳の血管の再生によってボケを防ぐには、ニッキやシナモン、シナモントーストやシナモンアップル、生八つ橋などが有効である。

 脳の廃棄物であるβアミロイドを排泄してボケを防ぐには、レスベラトロール、これはピーナッツの渋皮が日に10個分ほどが有効であることが解ってきている。

3ヶ月前 No.12

地下水 ★lHRYPNADL9_zRM

>>12  少々訂正。

 哲学というのは科学と異なり、一期一会の意識の主体による世界への価値判断を扱う。一期一会であるから歴史的なものや個人史も扱う。そして価値判断するのは貴方自身なのである。この点で、貴方の個人的な身体の感じ方が大切になる。

 そこには文化もある。赤青黄色緑水色桃色橙金銀銅黒白など色に関する言葉は多い。これは目が多くの情報を扱うから。光が多くの情報を扱うから。光は物理的にはボース・アインシュタイン統計に従う、重ね合わせの起きるボース粒子である。

 さらに重いものは電子であり、これは物理的にはフェルミ・ディラック統計に従う。辛い甘い苦い渋い旨い酸っぱいなど味に関する言葉があるが、味は原子のフロンティア電子の反応による。このフェルミ順位は物理的には半導体を作り、計算機や脳などの知的判断から、目や筋肉などのセンサーや動力の制御も行える。

 半導体にはp型とn型があるが、pn接合など2層の接合がフォトセンサーやピエゾ素子や太陽電池や整流器であるダイオードとなり、pnpやnpn接合など3層の接合が論理素子やTFTテレビ画面などのトランジスターになり、pnpn接合などの4層の接合は逆阻止三端子サイリスターとなりインバーターエアコンやインバーター電車、車やバイクなどの動力の制御から発電所までに使われている。

 また、鼻は臭いや、香り香ばしさなどを感じるが、これもフェルミ粒子であるフロンティア電子の反応による。

 他に、耳は笑い声や泣き声、怒鳴り声や叫び声、虫の声などを聞き分けるが、これは音素であるフォノンによる。

 第六感もあるかもしれぬ。最も希薄なものに電波があるが、これもボース統計であろう。身体にもマイクロコイル状の組織があるが、これが電波を感じうるかはまだ未知の科学である。

 また他に磁気力もある。MRIの核磁気共鳴における超電導磁石の電子のクーパー対では、フェルミ粒子である電子が対になり、ボース粒子となって電気抵抗が無くなるという、不思議な実用もある。

 気体の熱平衡には、マクスウェル・ボルツマン統計がある。組み合わせ論から、原理的な統計は以上の三種類である。

 組み合わせ論的には、物理的に考えにくいもう一種類の数え方もある。これは場所も粒子も全て異なる名を持つと考えて数え上げる場合で、現実の地理における個人の所在や、有限に限れば半導体内の様々な原子の所在、生体分子内のアミノ酸の所在を数え上げる事になる。従って、基本は階乗であるガンマ関数である事が解かるし、原子核から出る周波数にべータ関数が出るのかもしれぬ。まあ素粒子の基本には、もう少し空間的に強いつながりである、結び目を考えたいものである。



 身体と国語、物理を横断して、感性を考えて、ここに良く現れる言葉を身体に関係する人間が生きる為に必要な価値と考えて、個人の一期一会の価値判断を掘り下げることもできるかもしれぬ。


 人間が活発に生きるには酸素が必要だが、その為に身体が酸化して老化する。そして死亡原因は、癌脳溢血心筋梗塞肺炎などであるが、活性酸素によって遺伝子が傷つけば癌になり、血管が傷つけば脳溢血や心筋梗塞になり、埃などの異物を攻撃して活性酸素が発生し炎症を起こせば肺炎などになる。これを防いで老化を防ぐには、抗酸化酵素が必要だが、1000ミリグラムのビタミンCが老化を防ぐ事が近年解って来た。これは果物や野菜では沢山食べても100ミリグラムも摂取できないが、サプリメントで非常に安価に摂取できる時代になった。

 他にも、脳の血管の再生によってボケを防ぐには、ニッキやシナモン、シナモントーストやシナモンアップル、生八つ橋などが有効である。

 脳の廃棄物であるβアミロイドを排泄してボケを防ぐには、レスベラトロール、これはピーナッツの渋皮が日に10個分ほどが有効であることが解ってきている。

 また細胞にはカリウム+やカタラーゼ、FADやNADがあり、NADが基礎代謝の律速であり、これを作るβNMNを補うと、これが若返りの薬となる事が最近解かってきており、慶応大学など各地で臨床実験も行われ始めた。

 フェルミ粒子である、フロンティア電子や生体分子の構成には深いものがある。

3ヶ月前 No.13

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

目や耳、鼻や口、手や足といった諸器官がまずあって、
そこから知覚が取りまとめられてのちに、
それらをひとまとめにして身体という概念が生まれるのでしょうか?

それともまずあらかじめ統一的な身体的存在があって、
それが受容する知覚がその種類ごとにカテゴライズされることでのちに、
目や耳、鼻や口、手や足といった諸器官が生まれるのでしょうか?

変な質問かしら…?

3ヶ月前 No.14

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

少なくとも知覚しうる領野は、
直面しうる領野に対しつねに不足気味になるのではないだろうか。

というのも、
仮に知覚しうる領野が直面しうる領野を上回ってしまったら、
一切が予測可能になってしまうからである。

しかし現実問題、私たちの知覚は限られていて、
それゆえに直面する事態にはつねに、不確定要素がつきまとうのだから、
このことはありえない。

よって、
つねに知覚可能な範囲は直面する事態に対し限定的である。

3ヶ月前 No.15

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

しかし知覚と一言に言っても、
視覚と聴覚はそもそも、
その根すら異なる異質なものでありえないだろうか。

それをひとまとめに知覚と呼んでもいいのか。

それとも視覚や聴覚の違いは、
たんなる知覚の限定され方の違いに過ぎなくて、
やはりそれらはひとまとめに知覚と呼びうるのだろうか。

3ヶ月前 No.16

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

たとえば、
一つの対象物、アクション映画を鑑賞しているとして、
私はたしかにそれを見ると同時に聞いている。

つまり視覚と聴覚がここに同時的に混在していることになる。

このとき視覚情報と聴覚情報は明らかに異質なものだが、
それらはともに、ひとつの「アクション映画」という対象物を指している。

つまり視覚と聴覚が一つの対象物のもと、統合されている。

そのかぎりで視覚と聴覚は「知覚」という総称のもと、
同類のものとして機能していることになる。

一方でこのとき、
同じシーンを目だけ塞いで聞いて、
それから今度は耳だけ塞いで見るとしよう。

つまり視覚と聴覚を非同時的に配置してみよう。

すると私はこの場合、視覚情報と聴覚情報を
同じ一つの対象物に統合することができるだろうか。

それができるか否かは、
まったくその視覚情報と聴覚情報を
どのような具合に非同時的に配置したかに依存するのではないだろうか。

つまり視覚と聴覚の統合はまったく、
コンテクスト(さしあたり状況)に依存するのではないだろうか。

音だけ聞いてすぐさま映像だけ見、
しかもそれが音と映像の結びつきやすいような、
たとえば銃を発砲するシーンだとしたら、
それらを統合することはできるかもしれない。

しかし厳密にはじつは、
違う映画の発砲シーンということもありうる。

するとその統合可能性はまったくコンテクストに依存することになり、
その正確性に確証を得ることは甚だ難しいことになる。

もっと言えば、
仮に同時的に視覚と聴覚を受容したとしても、
それすらコンテクストに依存するのではないだろうか。

というのも、
映画を見ているとき、
私がその映画の音声と思っていたものが、
実は類似する異なる映画の音声を誰かが背後で流しているに過ぎない場合があるからである。

このとき、
それらを統合できるか否かは、
まったくコンテクストに依存する。

バリバリのアクション映画に甘い恋愛映画の音声が流れていたら、
すぐに気づくだろうが、
似たようなアクション映画で銃撃戦ばかりのものだとしたら、
しばらく気づかないこともある。

つまりたとえ同時的であったとしても、
視覚と聴覚を統合できるか否かはまったくコンテクストに依存するのであり、
そのようなことになるのは、
視覚と聴覚が根本的に異なるものだからである。

視覚と聴覚が根本的に異なるものと言えるのは、
視覚と聴覚がなんらかの根を共有しているとしたら、
コンテクストに依ることなく必然的な結びつきを得ることもできるだろうからである。

(あるいはその根を共有している可能性も残しておいた方がいいかもしれない)

以上のことから、
目や耳、鼻や口といった感覚を受容する器官における情報は、
根本的に異質な情報であり、
それらは統合されるために、なんらかの媒介を必要とすることになる。

ちなみにこの媒介を脳という器官で説明することもできるだろうが、
ここではむしろ、脳という現象しえない実体に依ることなく、
むしろ脳すらもそれを前提として統合するような、
ある特殊な運動性や身体性というコンテクストを導入することが望ましい。

というのも、やはり脳は現象することなく現象を裏づける装置であり、
それを設けることによって現象の記述のいっさいが
装置の内部に押しとどめられ完結してしまうからである。

つまり、現象する何でも「脳がそうしているから」で片付いてしまうのである。
これでは現象を記述するどころか、
安易な説明に納得して思考停止に陥るだけである。

一方で運動性なり身体性というコンテクストを採用すれば、
それらはまさに現象の内部で現象を裏づけることになる。

「このような状況ゆえにこうなった」という記述が、
先の「脳がそうしているから」よりも以下に現象的な記述であるかは、
自明のことだろう。

したがって記述に徹するために、
脳や心といった説明的な装置を導入することなく、
あくまでも状況的な媒介をここに見るべきである。

3ヶ月前 No.17

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

メビウスリング、13回目の誕生日、おめでとうございます!

3ヶ月前 No.18

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_2mP

目は見る。

耳は聴く。

ここの

主語と述語の関係を

疑ってみるのは

おもしろいかもしれない。

もしよかったら

目で聴いてみてください。

耳で見てみてください。

あなたを包む

すべてを

目で聴いてみてください。

耳で見てみてください。

きっと何も考えられなくなるのではないか、

と思います。

そこで質問なのですが、

あなたが目で聴いて

耳で見るものは

いったいなんでしょうか。

ここに問いが生まれます。

逆に問いが生まれるとき、

きっとあなたは

目で聴いて、耳で見ていることと思われます。

いや、本当に、

わけのわからないことを前に問うているのであれば

きっとそうだと思います。

じつは

あらゆる身体カテゴリーが、

たとえばあなたの感じる

目や耳、鼻や口、陰部に肛門、といった諸々の穴が

あなたの思っているその役割と

きちんと適合していないことが

すごくよくあるのです。

一度気づくことができたなら、

すべてが案外、真逆だったりします。

問いのエッセンスは、

二項対立する表現に対し、

その内容を逆転してしまうような

その瞬間を生むところにあると思います。

ここが問いのポイントかしら、

と信じてぼくは

問いつづけようかな、と

今のところ思っております。

問いとは

努力しつつ待つことですから、

努力が強いと説明的になっちゃうし、

待つことが強いと盲信になっちゃうし、

そこもまたバランスですね。

バランスよく、

努力しつつ待つことを

問うときは心がけたい、

そう思っています。

以上、問いについて、

身体と絡めて

思っていることを書いてみました。

失礼しました、では。

2ヶ月前 No.19

百理 ★5z6bVAmgS3_zRM

>>19

不思議の国のアリスの世界ですね・・

2ヶ月前 No.20

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

生命進化専攻した者として言わせてもらうが、生命は誕生したのか?と言う点がある。
水の中に、油を一滴垂らすとする。
すると、水の中に油が浮く。
これが生命のそもそもの起源だ。
我々人間が、海水浴にいっても、我々の体が溶けないのは、我々の体が、油成分で出来ているからだ。
では、『 水の中で浮かぶ一滴の油 』と『 人間 』とがどう違うか?

@ 油の中身は油である。
A 人間の中身は中味がある。

すなわち、人間は、中身の何かがいろいろ作用して、動いているだけにすぎないのだよ。
そして、人間の中身が、溶けあう事がないのは、その中味にも隔たりがあるからだ。

そこで、肝心なのは、生命は誕生しているのか?ということ。

結局、生命は、『 隔たり 』があってこその存在である。

隔たった空間のAと、隔たった空間のBが互いに作用して、摂食や排泄を繰り返しているに過ぎない。

2ヶ月前 No.21

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

人間と言うのは、恐ろしいもんで、

隔たった空間のA、隔たった空間のB、隔たった空間のC…、境のある空間、例えるなら、泡のような構造をもった人間が

ある日、『 神 』とか、『 人間性 』とか、『 品格 』など、考え出したのだから大変だね。

例えば、多細胞の生命体が、その細胞の中身に、いろんな器官や、考えられないような中味を有した場合

人間の姿をしていなくても、『 神 』とか、『 人間性 』とか、『 品格 』とか、考え出すんだろうね。

じゃ、なぜ考えるのか?

『 喰らう 』ためです。

目には見ないモノを食っちまうわけです。

水に浮かぶ一滴の油の中に、神を取り入れるのです。

これがすなわち、宇宙の誕生ではなかろうかと思うわけです。

2ヶ月前 No.22

★30JjgxOVKX_ZFe

マジモンさま

獏をそばにおきたいものだわ。


大河の水の一滴っていうの聞くことあるけど、

水と油ね。

油の中に一滴の水を入れたらどうなるのかしら?

油の中に一滴の油を入れたらどうなるのかしら?


「隔たり」
そうね、身体という、上皮という隔たりね。

2ヶ月前 No.23

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

>油の中に一滴の水を入れたらどうなるのかしら?

それが『 細胞のフォーム 』だ

>油の中に一滴の油を入れたらどうなるのかしら?

水の中に水をいれるようなもんだろう。

2ヶ月前 No.24

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_kuu

世界は身体の比喩である。

10日前 No.25
ページ: 1

 
 
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