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自己について

 ( 哲学掲示板 )
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あん ★Android=O910XSiTtl

なぜ私は人間の本質や、物事の意味、未来の予測、他人の心情について考えるのか。
率直に言ってしまうと「好きだから」なのだろうが、きっと「好き」にも色んな種類があって穏やかで静かなもの、激しいもの、悲しいもの、辛いものなどがあると思う。
きっと私の「好き」は何か胸がわくわくするもので、突発的であったりなかったり、とにかく自由で、一言では言い表し難い、いや心を上手く言葉にできないのかもしれないだけかも分からないが。
しかし、なぜそれが「好き」に繋がるのかよく分からない。
そもそも「好き」とはどのような感情を表すのか。
どういった状況を表すのか。
感情なんか実態のないものであるのだからそれは本人にしか分からないものであって、さらに当の本人も分からないのならば誰がそれを「好き」という感情だと決めつけるのか。
おそらくそういった感情を心を状態として捉え、それを言葉に表した結果「胸がドキドキする」「胸が締め付けられる」などになったのだろう。
ただしそれは直接的な感情ではなくただの状態なのである。
親から子へ、その概念があるからこそ「好き」という感情だと思い込むことができたのではないか。
しかし、この説は「好き」から感情が生まれたことが前提である。

初めて投稿しました。
哲学と分類して良いのか分かりませんが、こういったことを他の人と話し合ってみたかったので。

ページ: 1

 
 

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_gcO

>なぜ私は人間の本質や、物事の意味、未来の予測、他人の心情について考えるのか?

科学的な答えは『 人と争いごとをしたくない 』からです。
火山が活発で、粉塵が地球を覆った頃、気温が下がり、食物がとれなくなったのです。
そして、なにもわからない太古の人々は、生き残るために地上を彷徨い、食べ物を探していました。
ある人の群れが彷徨っている間、他のグループの人の群れと遭遇しました。
その他のグループは、食物が一切ありません。
こちら側のグループの食べ物は残りわずか…、これはあちらのグループと食べ物の取り合いになる!争いごとになる!子供が危ない!と思った、こちら側の人は、食物を『半分こ』したのです。
人は、最初は人が怖かったのです。
そして、半分こ政策、言い換えると『 山分け 』によって、『 人って善い人!が確立されたのです 』
これは実験データがのこっていて、空から札束が降ってきた場合、それを目撃した2人はどうしたかと言うと、
万国共通、過半数の割合で、50%50%の山分けをした…、データがのこっています。

1ヶ月前 No.1

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_Y9V

非常に面白い視点ですね。
哲学に分類されると思います。
もっと詳細に言えば、その考え方は認識論の範疇です。
そして、残念なことに、ここは哲学掲示板なのに哲学のスレが伸びない。
(この掲示板にとっては、多くの人々にとって、物理学や文学の方が、とても魅力的に映るようです。)

例えば、いま、あんさんが化粧をしているとします。
あんさんは、鏡に映った自分を、(これは自分だ)と思っています。
それは、確かに、あんさんにとっては、自分なのでしょう。(私にとっては、あんさんなのですが・・・。)
しかし、困ったことに、あんさんは、その日、とても好きな人とのデートで、つい気合が入りすぎてしまい、
鏡を誤って落として割ってしまいます。
そのとき、あんさんは、鏡の中にいた自分がいなくなったことを知るのですが・・・、それは、あんさんが消えたことを意味するでしょうか?
あんさんが、自分だと思っていたのは、鏡に映る映像であって、それは確かにあんさんだったのですが、
しかしそれはあんさん「そのもの」ではなかったということです。

「好き」についても、同じことが言えるでしょう。
つまり、「胸がドキドキする」「胸が締め付けられる」ということから、「好き」という認識、つまり、(これは「好き」という感情だ)と思っているのです。
それは、確かに、「好き」という感情なのでしょう。(私もそう思います)
しかし、その不快感を取り除こうと、例えば胸を楽にする薬を飲み、そのような胸の「異常」がさっぱり消え去ったとすれば、
あんさんは、その今まで「好き」だったものが「好き」ではなくなってしまうのでしょうか?
そのようなことは、ないだろうと言うことはできるでしょう。
それは、あんさんが「好き」だと思っていたものが、実は、「好き」「そのもの」ではなかったということです。

>この説は「好き」から感情が生まれたことが前提である。

カントは、あんさんと同じ立場を取りました。つまり、「好き」「そのもの」というものがあって、それを私たちが「感情」として認識しているのだということ。
あんさんご自身で、ここまで考えられるのは、素晴らしいことだと思います。(私には、多分、できないでしょう。)とてもよく考えられていて、この掲示板の中で「哲学」が行われているのを見て、とても新鮮でした。(それは滅多にないことなので)

1ヶ月前 No.2

あん ★Android=O910XSiTtl

科学的な答えはあるのですね。
つまり人が物事を考えるときそれは他人と争いを生まないため、自分が生きるためということでしょうか。
人間を含めた動物はそれぞれ自ら生きるために必要となる手足や、視覚、聴覚などが発達しました。
もしかしたら人間が生きるために必要なものの中に感情があったのかもしれませんね。
争いを避けるために感情が生まれたのか、感情が生まれたため争いを避けるようになったのかは分かりませんが、どちらにせよ深い関わりがあるように思います。
しかし、現代人はすべてのことを生きるためだけに行っているのではなく、生そのものを善くしようとするためではないでしょうか。
もしその中に「なぜ私は考えるのか」ということが入るとすれば、必ずしも争いを避けるためではないように思えます。
私自身もまだそれ以外に何が目的であるのかは模索中です。

30日前 No.3

あん ★Android=O910XSiTtl

なるほど、では「そのもの」を捉えるにはどうしたらよいのでしょうか。
鏡と自分の姿の例を用いると、鏡は人間が自分の姿を認識するための道具ですが、その道具を使うためには自分の目、つまり視覚が必要です。
鏡は身体から離すことができる認識道具ならば、目は鏡(もしくは水面など)を使うための身体に備わっている認識道具ではないでしょうか。
そもそも目は自分「そのもの」を移すための道具でないと思います。
どちらかというと先ほど返信させて頂いた自分の以外のものを捉えるという生きるために必要なものとして進化したものと考えます。
ならば「そのもの」は自分の姿に限らず視覚、聴覚などから集められたデータの集まりでしょうか。
それは自分が人間である限り「そのもの」を認識(それも人間の言葉や概念に置き換えて)するのは人間に備わっている道具や、つくりだした道具でしか不可能に思えます。

こういったことを考えると最終的になぜ人間に生まれたのかという考えに辿り着きます。
しかし私が人間である限りこの考えはそれ以上にも以下にもなりません…。


そういって頂けると嬉しい限りです。
恥ずかしながら、哲学そのものをまだ学んだことがないのでそれに関することは色々と教えて下さるとうれしいです。

30日前 No.4

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_gcO

>「なぜ私は考えるのか」

これも科学的な答えがあります。

『 遠距離操作 』です。

人類が初めて樹木から地上に降り立ったとき、初めて遭遇したのは、『 敵 』です。
具体的にいうと、サーベルタイガーです。

じゃ、サーベルタイガーに襲われた時、何をしたか?というと、『 投石 』、石を投げるという行為でした。

その時から人類は、『 いかに物を遠くまで飛ばす方法を考え続けています 』

30日前 No.5

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_Y9V

>>4

>「そのもの」を捉えるにはどうしたらよいのでしょうか。

カントが出した(破壊的な)回答がふたつあります。
ひとつは、「そのもの」は私たちには決して認識できないこと。
そしてもうひとつは、私たちは「そのもの」が存在すると言えるだけの根拠を持たないこと。

私たちは、「私」の存在を認識することができます。
では、それを根拠として本当に(本質的な意味で)私が存在すると言えるでしょうか。
私たちは、これに答えることができません。
これについては、とても分かりやすい次のような例が提案されています。

「シミュレーション仮説」
人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティであるとする仮説

私たちは、この仮説を、残念ながら、否定する根拠を持ちません。



カント以前の哲学は、「そのもの」の存在(絶対的な神)を信じていました。
そして、神にはいくつもの(どれも恣意的な)存在証明が与えられてきました。
しかし、カントは「哲学のスキャンダル」として、そのような証明はできない、と言ってしまったのです。

>我々の外なる事物の現存在をたんに信念に基づいて想定しなければならないことは、常に哲学と普遍的人間理性のスキャンダル
(『純粋理性批判』第二版の序言)

私たちは、神を「信じる」ことはできても、それを「認識する」ことは、できないのだとされてしまったのです。
哲学者たちが信じていた神は、存在が決して証明できない悪魔的なものだった・・・
後世の哲学はこの「裏切り」に対する動揺の歴史に過ぎません。(つまり、その場所から、「全く」進歩していない)
哲学は、この「とても嫌なこと」・・・信じていたものに裏切られた悲しみ(それはある種の失恋といえる)と向き合っていくことになります。

あるひとたち(現象主義者たち)は、「嫌なことは忘れよう」という態度を取りました。
またあるひとたち(生の哲学者たち)は、「嫌なことはあった、それを現実として受け止めて、強く生きていこう。」という現実主義的態度をとりました。
あるひとたち(存在論者たち)は、「嫌なことはあるさ、だって人間だもの」という問題点のすり替えを行いました。
あるひとたち(実存主義者たち)は、「嫌なことはなかった」という現実逃避に走り、夢の国へ行ってしまいました。
あるひとたち(構造主義者たち)は、「嫌なことはあったけど、神様、お願いだからなんとかしてください」というお祈りを続けました。
あるひとたち(ポストモダニストたち)は、「嫌なことになったのはあなたが悪い」という責任のなすりつけあいを始めました。(いまここ)

このような哲学の「輝かしい歩み」を、一度整理してみましょう。
これらは、エリザベス・キューブラー=ロスによって提唱された「死の受容のプロセス」に非常によく似た、人間的反応だということができます。
「死の受容のプロセス」は、「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」という順番で行われます。
これに当てはめてみると、順序は大きくかわり、
「実存主義、現象主義(否認)→ポストモダニズム(怒り)→構造主義(取引)→生の哲学者、存在論(抑うつ、受容)」
となります。学校で例えれば、これらは
「園児→小学生(今ここ!)→中学生→高校生→大学生」
にそれぞれ対応します。今の哲学で行われているのは、この分け方で言えば、小学生というレベルの議論、ということになります。
(非常に、高いレベルですね!)


>こういったことを考えると最終的になぜ人間に生まれたのかという考えに辿り着きます。
>しかし私が人間である限りこの考えはそれ以上にも以下にもなりません…。

この考え方は、存在論的だと思います。
「私はなぜ人間に生まれたのか」という問いは、よく「因果」という言葉で捉えられ、哲学というよりも、宗教的な色彩が強くなってしまいます。なぜならば、それに対する哲学的答えは「私が人間に生まれたから」というなんとも馬鹿げたものになってしまうからです。
宗教的というのは、例えば、「前世で何かいいことをしたから」といったことです。

ここまで長い文章を書きましたが、おそらく、読んだ人の多くは、
「あんさんの質問に対して、彦太郎は何も答えていない」
と思われることでしょう。
残念ながら、哲学にその答えを聞くことは、小学生に対してそれを聞くことに近いことがあり、まともな返答は期待できません・・・。
それでも無理に哲学に答えを求めようとすれば、それは「児童労働」という犯罪的行為に当たる、と私は思います・・・。

29日前 No.6

一京無限 ★5iTAC9hDrJ_mgE

自己は、この世的認識における自己認識があり、この世を越えたあの世の霊的光の自己認識へと
覚醒することになると思います。

己自らの心の向上に伴うところの真理知識の勉励の発揮となると思います。

それは、他人を押しのけるというのではなく、ともに心の向上に助け合う関係が望ましいと思います。

自己は、自己保身欲を強めるところではなく、崇高な光へと向かうところの精神性が求められる
と思います。

自己は、無心からの無私無償の利自即利他の実践祈りの中に、より自己の真の幸福を持ち来たらすヒントが
入っていると思います。

1日24時間の自由選択の中で、いかに自らの真の幸福を構築して行くかが、課題になると思います。

1日24時間の自由選択の中でマイナスの自己のことばかり終始考えていて、自己嫌悪になったり、
他の人の責にして、暴力で相手を屈服させて、相手の立場を貶め、自らの立場を高める手段に使う
ことは、自己の幸福ではなく自己の不幸となり、偽物のプライドに対して満足をさせる程度に終わり、
心の想念帯をお互いに穢れを生じさせていては、無頼漢の地獄の心境となり、真の幸福を手にすることは
難しかろうと思います。

偽物のプライドの正体を明らかにさせることで、煩悩の正体が明らかになり、その解決策の課題の
取り組みを反省を含めて精進してみてはいかがでしょうか?

そのことによって、真実なる光に一歩近づけるものと思います。

28日前 No.7

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

人間になるとは、人格を磨くと言うことと・・自己のアイデンティティーの確立にあると思います。

「人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」

「本質的自己規定」

28日前 No.8

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

申し訳ありません。

>>7

についての返信です・・

28日前 No.9

★30JjgxOVKX_ZFe

あんさん

わたし、読解力ないからかもしれないけど、「こういったこと」って、いまいちわかんない。

ちょっと聞いていいかいら。

問い1

1.なぜ私は・・・・について考えるのか?
2.「好き」ってどういうことなの?
3.「感情」ってどういうことなの?

というのが「こういうこと」についてでいいのかしら?

気が向いたらでいいわ。

28日前 No.10

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

人とチンパンジーの違いは

チンパンジーは、師匠がいるが、師匠の言う事を100%守らず、無駄がない。

人は、師匠がいるが、師匠の言う事を100%守って、無駄だらけ。

すなわち、

人の思考というのは、

@ 無駄で暇な時に考えている。
A 師匠が思考していたので、自分も思考する。

つまり

『 思考をする時間があって、皆も思考しているから心も安心だわ 』

これが人の思考だ。


問題は、今考えている思考が、☆☆ オリジナル ☆☆であるかどうかだ。

誰も考えた事がなく、独創的で宇宙の法則を逸脱しているかどうかだ。

28日前 No.11

小林 ★R3PiWvLhNo_mgE

>>8

自己を自己として確信する純粋無我の止揚の統合を真実なる光存在として内在されていると思います。

>>11

独創的であっても、宇宙の法則の働きの中にあると思います。

27日前 No.12

気まぐれな風 ★Android=MQFVEeylOi

人間になるとは、人格を磨くと言うことと・・自己のアイデンティティーの確立にあると思います。

 その通り!!!
 人が人たる所以の『理』
 理を立てれば自己が立つ。
 理を立てるには
 思考回路を使用した『自問自答』
 クルクルと、回転が必要なのです。
 コマの様に芯が立つ。


人格を磨く、は、あやふやなのです。
磨かれている、と、
判断するのは誰ですか?
その基準は?
『崇高な人物になれ』という言葉を受け取ったとき『崇高ってなんだ!?』となる。


 思考断定物は理ではありませんよ!
 ここを勘違いしないように。



「人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」

 自己を自己として
 認識(確信)するのは誰ですか?

自我を統一するのは誰ですか?

 自我、自己を脱ぎ去った
 『ほんとうの、真の、私』です。

従って思考断定物は真我では、ない。


  真我は自己人格を観察する。

 自己、自我を客体として観る。

  肉体を観する体験は
  みな日常で行っているね。

アナタは、肉体、ではない、
ということ。

 自己でも自我でもない。
 これらは洋服なのです。

 TPOで着替えるのです。


肉体がハード
自我がソフト
真我がオペレーター

 これがオペレータの解脱。

 (理)で解して脱する。

理解するには観が必要です。

 汝、己自身を知れ

 この言語を置いた真意です。


。。。。。

 チンパンジーと人の違い(笑)

どれだけ的外れな論文なのか。

比較すれば一目瞭然。

 知りもしないのに
 偉そうに語るチンパンジーは
 君だ(笑)

 理を放棄してるのだ。

まさか、自分がチンパンジーだとは
思ってなかっただろうけどね(笑)

 ひょっとしたら、
 おれ、
 チンパン!?

と、我が振りを観るのが、

 人間なんだよ。
。。。。

27日前 No.13

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

小林殿

>独創的であっても、宇宙の法則の働きの中にあると思います。

いや、人間の想像は、宇宙を遥か凌駕しています。

なぜならば、『 死後の世界 』だとか、『 無限∞ 』だとかは存在しないからです。

27日前 No.14

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

>チンパンジーと人の違い(笑)
>どれだけ的外れな論文なのか。

いや、学生の頃、論文読みました。……爆笑

>比較すれば一目瞭然。

どうやって比較したのか、教えてくんなまし(笑)

>理を放棄してるのだ。

人間もチンパンジーも理を放棄していません(笑)

>と、我が振りを観るのが、人間なんだよ。

勝手に振り返ってください。

27日前 No.15

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

つまり、マジカルが言いたい事は、

自分の思考というものは、オリジナルである可能性が低いという事です。

思考は、iPs細胞のようなものではなく、誰かの思考が乗り移っている可能性があるということです。

27日前 No.16

★30JjgxOVKX_ZFe

あん子ちゃん

「自己」について、ね。

”何かある!”、この、「私」の自の志向性によって、自分のうちに他者が現れる。
その他者に己が問いかける、”あなたは何なの?”ってね。
このまなざしと問いかけ、それ自身が「自己」なんじゃないかな。ってね。

「私」を「あん」に置きかえて読んでみて何か見えたら、わたし嬉しんだけど。

27日前 No.17

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

発現しなければ自己なんてもんは、わからないよ。

自分を指で指してくださいと言われれば、必ず、人は自分の顔を指差すよ、おそらく鼻の当たり。

27日前 No.18

★30JjgxOVKX_ZFe

>18
そうね、発現しなくちゃかもね。あんさんもマジモンさんもわたしもね、そうしてる。

<自分を指で指してくださいと言われれ>たとき、って面白い。

<必ず>じゃないと思う。だって、わたしのばあい、胸あたりを、おもにひとさしゆびとなかゆびでさすけど。

他の人、「自分」を指すときどうしてるのかしら?

27日前 No.19

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_Y9V

>>14

>いや、人間の想像は、宇宙を遥か凌駕しています。

>なぜならば、『 死後の世界 』だとか、『 無限∞ 』だとかは存在しないからです。

私は、死後の世界や、無限が、存在するという立場をとる。
人間の想像は、宇宙を遥か凌駕しているというのは頷ける。
我々が手に持っているこのスマートホンも、宇宙の法則の中から生まれてきたものではないからだ。
人間の想像の(そして創造の)産物である。

27日前 No.20

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_Y9V

ただし、私は「スマートホンのようなものを作れるから人間であることができる」というような
(どこぞの実存主義のような)ファンタジーを主張するつもりはない。
作れる人間はごく一部の才能のある人間だけである。


>>11

>問題は、今考えている思考が、☆☆ オリジナル ☆☆であるかどうかだ。
>誰も考えた事がなく、独創的で宇宙の法則を逸脱しているかどうかだ。

を、「創造できないものは人間ではなくチンパンジーだ」と解釈するならば、
人間の多くはチンパンジーレベルということになってしまう・・・
私はそれでも一向に構わないが(笑)、しかし私はそのような立場を取らない。
どんな人間も、チンパンジーレベルである(あるいは一握りの天才である)前に人間なのだ。

27日前 No.21

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

>>19

おそらく、鼻でしょうね。

27日前 No.22

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

ヒコ太郎さん

>人間の多くはチンパンジーレベルということになってしまう・・・

実はそうなんです。

この人間とチンパンジーの比較は、このような実験でした。


チンパンジーも、人間も、師匠ゆずりで成長していきます。

師匠は、まず、ピーナッツが入った箱に

『 チチンプイプイ、開けゴマ 』と言いながらジェスチャーをします。

これは『 御まじない 』で、そうしなければ、ピーナッツが食べれない設定になっています。【鍵はかかっていない】

結果

まず、人間の弟子は、師匠と同じように、『 チチンプイプイ、開けゴマ 』と言って、箱からピーナッツを取り出して食べました。

すなわち、人間は、無駄なことでも師匠の言う通り(ルールを100%)守ると言う事です。

なので、人間は、@無駄だとわかっていることを進んでやる。Aそれがルールだとわかったら、100%守るということです。

しかし、チンパンジーの弟子は、『 チチンプイプイ、開けゴマ 』とせずに、箱を破壊してピーナッツを食べます。

ようするに、チンパンジーは、B無駄なことはしない、Cルールは守らなくも良いと思っているのです。



人の道というのは、無駄でもやる。楽しければ。そして人間独自の多文化を形成します。そして社会のルールがそれならば、
100%守り、銀行にお金が沢山あっても、襲わず、ATMに並びます。
チンパンジーの道というのは、とにかく無駄を省きます。そして、30%位守れば怒られないわと思い、ルールを破ります。


こう見比べてみるとある事に気付きます。人もチンパンジーもさほど変わらないな…と

そして、もう1つわかる事は、

人がチンパンジーを見下していると同様に、もしかしたら、チンパンジーの方も人を見下しているのではないかと言う事。

27日前 No.23

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

>>23 のつづき。

つまりこの実験のわかる最終的な課題は、

『 全ての種って、もしかしたら、レベル、能力、spec、capacityって、同質同量? 』ってなる。

つまり、人間だけが他の生物を圧倒しているわけではなく、もしかしたら、部屋にある観葉植物だって、ある程度の思考をもっている?

もしかしたら、この観葉植物、俺が部屋で、鼻くそほじくっている場面…、見てる?

ってことになる。

27日前 No.24

あん ★Android=O910XSiTtl

返信が遅くなってしまい、すみません。

>>6
カントの回答はすばらしいですね、よく理解できます。
ではなぜ「そのもの」が存在するかもしれないといった考えに至ったのでしょうか。
おそらく今までの「そのもの」は人間や物質に内在している本質のようなものだと私は理解していましたが、よく考えると人間や物質という概念は人間が生み出したものであり、私達人間が認識したり、考えることは所詮人間単位、人間目線でしかありません。
ならば、「そのもの」は一体どこに存在するのでしょう。そもそも「そのもの」には人間単位の場所という概念が通用するのでしょうか…。
結局どう考えてもなぜ私は人間に生まれたのだろう、それ以外ならば「そのもの」を認識または違う概念として考えることができたのに、となってしまう訳です。

誰もが嫌なことにどう関わっていくかという考えですが、その嫌なことの概念はカントが証明できないと言った頃からずっと変わらないのですか?
「死の需要のプロセス」もとても興味深いですね
なんとなくタブーな考え方かもしれませんが、嫌なことや死に対して人間の範疇でコントロールしようという考えはなかったのですか?
余談ですが、コントロールまたは支配と調和といえば「自然」が浮かび上がりました。
しかし、それはまた嫌なことと死とは別物ですかね。


いえ、もちろんすべて答えなくても結構ですよ。
自分が考えたことのうち、どこに着目してどう受け取って回答して下さるのかも知りたいです。
あとは私は文章力がほとんどないので理解できないところなどあれば聞いて下されば、頑張って答えます。
あと今まで哲学について文章化したこともなければ、実際話し合ったこともないので多少はご了承願います。

27日前 No.25

あん ★Android=O910XSiTtl

>>7
自己の幸福は自分一人の行動によって得ることはできますか?
また他人とそれぞれ自己の幸福を得るというのは具体的にどんなものでしょうか。

暴力ではありませんが人と人との間に能力、学力などに順位をつけて競い合うことでは真の幸福を得ることはできないということでしょうか…

27日前 No.26

あん ★Android=O910XSiTtl

>>8
アイデンティティ、人格というのは自らが死に至るまで確立できないのではないでしょうか。
確かに人格を形成していく上で人間になると思いますが、
人間になるということは、なる以前になにかである必要があります。
すると、人格が形成されていない生まれたばかりの赤ちゃんは人間ではないなにかなのでしょうか?

27日前 No.27

あん ★Android=O910XSiTtl

>>10
1,2,3とテーマが分かれている訳ではなく、どちらかというと文章全体を指していたつもりです。
すみません、あまり文章は書かないので分かりくいところが多いかもしれませんが、先ほど言ったとおり指摘して下されば出来る限り答えます。

27日前 No.28

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_Y9V

>>25

>「そのもの」が存在するかもしれないといった考えに至ったのでしょうか。

カントにとっての弁慶の泣き所(CRITICAL PROBLEM)ですね!
どうしてそのような考えに至ったか、彼はついにそれを示すことができませんでした。
それでも「見苦しい言い訳」が見たいですか?ではお見せしましょう!

>ここで忘れてはならないのは、我々は対象を物それ 自体として認識できないけれども、物それ自体としての対象を考えることはできるということである。さもなければ、「現象として現れる本体となるも のが無いのに現象が存在する」という不合理なことになってしまうだろう。
>対象を認識するには、対象が存在する可能性を証明できなければならない。それが現実に存在することを経験するか、経験によらずに理性の力で証明するかのいずれかが必要である。
> それに対して、我々は自分が自己矛盾に陥らない限り、つまり、その概念を心の中に描けさえすれば、自分の好きなものの存在を考えることは出来る。自分が考えたものに対応するものが現実に存在するかどうかは、その可能性さえも一切気にする必要はない。
> しかし、もしその概念に客観的な有効性を与えたければ、我々が自己矛盾に陥らないというだけでは足りない。それだけでは、論理的可能性は得られても、現 実的な可能性は得られないからである。しかしながら、これを補うものは、理論的な認識の源泉に求める必要はない。それは実践的な認識の源泉に求めることも できるからである。
(第二版のまえがき)

彼は、この重要な部分に関しては、「さもなければ不合理」という論法を繰り返し用いています・・・。賢い人にとっては「不合理」ではないこともあると考えることができない、「情報弱者」がよく使う(もしくは、しばしば頷いてしまう)論法ですね!


>ならば、「そのもの」は一体どこに存在するのでしょう。

「そのもの」が存在する上で、それは空間的には実在しないということを、カントは示しました。わかりにくいですか・・・それならば、例えば、時間は「どこに」存在しますか?それとも、そんなものは存在しませんか?


>嫌なことの概念はカントが証明できないと言った頃からずっと変わらない

変わりません。そして、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ続けています!



>嫌なことや死に対して人間の範疇でコントロールしようという考えはなかったのですか?

コントロールするどころか、逆に完全にコントロールされてしまっています。そして悲しいことに、彼らはそれに気づく様子がありません!



>余談ですが、コントロールまたは支配と調和といえば「自然」が浮かび上がりました。
>しかし、それはまた嫌なことと死とは別物ですかね。

別物ではないと思われますが、天寿を全うし「自然死」する人もいれば、病原体に〇ろされてしまう人もいます!
そして驚くべきことに、同じ種族である人間によって〇ろされてしまう人までいます!(これは、タブーでしたね)

27日前 No.29

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

あー、俺の話は難しいかね。

結局、『 なぜ、人間は他の生命に思想、思考がないと思っているのか? 』と言う点。

他の生命は、レベルが下等だから、きっと個性だの、アイデンティティーだのなんて持っていないという決め付け…

おそらく、この『 決め付け 』を解決しなければ、この問題は解決しない。

他の生命なんてどうでもいいんですよ、私が思う私が確立できれば…と言うなれば、

それは単なる『 Image 』になてしまう。

27日前 No.30

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

30つづき

自己が単なるImageになってしまえば、

それは宇宙の法則を凌駕してしまったオリジナルになってしまう。

いやいや、宇宙の法則を凌駕してませんよと言うなれば、

チンパンジーにも、ワンちゃん、ネコちゃんにも、

人間同等の同質同量の思考、思想があるという事になる。

27日前 No.31

百理 ★5z6bVAmgS3_Y9V

>>12

小林さん

実存を開明し超越して自由意思を手に入れることと

自我を捨てて無の自然の境地に達することと

立場はどちらが上手でしょうか?

26日前 No.32

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

自己というのは

・暇という無駄な時間を過ごしている時
・先駆者を見つけた時
・自分以外の生命を見下た時

に、自己が確立されるのである。

『 自分は違う、他の奴らとは違う 』と、よくバカ上司がするよね。

26日前 No.33

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

『 今日が最低だ 』と思えるかどうかだと思う。

ゴキブリにも劣る自己、乞食で、傲慢で、浮足立って、言い訳をし、
不細工で、淫猥で、無知で、愚鈍で、
他の生物全てから、バカにされて初めて、
真の自己が見つかるのではなかろうか?

不完全なまま生まれ、不完全なまま死ぬ。

それが人間だ。

地上に降りられない人間。

茂みに身を隠しコソコソと生きているにも関わらず、
決して、茂みの中で仰向けに寝る事はない。
なにもかもが中途半端なのが人間なんですよ。

不完全で中途半端で最弱な生物、それが『 人類 』だ。

だが、それがゆえに、知能でカバーし、
知能を発達させてきたのも、人類である。

進化とは、そういうものである。
完全で最強の生命に、進化など必要ないのだよ。

26日前 No.34

★30JjgxOVKX_ZFe

>6

「人間」の「思考」と「感情」を結びつけようとしているようだけど、

〈あるひとたち(現象主義者たち)は、「嫌なことは忘れよう」という態度を取りました。〉は、

わたし聞き捨てならないよ、天使ちゃん。

26日前 No.35

ヒコ太郎 @hikotarou ★r5box4meL6_Y9V

およぐちゃん

その部分に関しては、訂正がある。
私が言おうとしていたのは、「現象主義」ではなく、「現象学」であった。
というのも、現象主義といっても、ここでいうようなものは、経験主義的なものに限られるからである(熱視線を注いだカントも現象主義者だ!)。

26日前 No.36

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

社会に出ると、ある個は人に利用され捨てられ、路頭に迷い、もう死ぬしかない状態がある。

そーさなー、わかりやすく言うと、『 黒人差別があった時代のアメリカ 』とか。

今で言うと、『 北朝鮮の国民 』とか、ここに自己なんてあるのだろうか?

26日前 No.37

★30JjgxOVKX_ZFe

他者に支配されている自己っていうのもあるかもね。

25日前 No.38

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

>>38

これはあくまでも予想ですが、『 ない 』と思う。

秀吉の隠れキリシタンの迫害。カースト(奴隷)等など

25日前 No.39

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

『 子育て失敗 』というのは、まぁー、言葉の彩ですが、
その時点で、子の『 自己の確立 』ができなかったと判断した時だと思われる。


・ようは支配してはダメだということ。→他の生命を見下してはいけない。

・自分は自分と言うイメージを、『 決め付け 』させる必要があるのかもしれない。
 ただ、その決め付けが、道を外れているのなら、言わなきゃいけない。

25日前 No.40
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