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哲学談話室

 ( 哲学掲示板 )
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ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

どこのスレに投稿するか、いろいろな理由で迷うことはありませんか?

既存のスレ、新規のスレ、いずれもいまいちに思うような場合に、気楽に投稿できるようにこのスレをつくります。

したがって、テーマは哲学に関するものなら原則自由。
独り言でも議論でも形式は問いません。
他のスレの話題がそこのスレ主旨とずれてきたような場合に、ここで続行するというような下請け的利用も可。

スレ主の私は基本仕切りませんので、各人ご自由にどうぞ。

1年前 No.0
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てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

「装置」という言葉が非常にマズいね。私のマズい言葉遣いのせいで「ロボット」と言わせてしまった。



まあ、私も純粋に効果を狙って「阿弥陀仏を作る」と言っているので…何とも言えません。

阿弥陀仏のロボットは作り得ないという発想

阿弥陀仏をその機能に関して自覚的に作ることによって阿弥陀仏よりも良い救済装置を作ることができるという発想

この2つの発想は、互いが互いを否定する発想であるというよりは、別々な2つの発想ですね。

例えば私は「タイムマシンは論理的に不可能だ」と過去に何回も言っています。
こう言うことによって私が何をしているかというと、ただひとつ、「タイムマシンはどうすれば実現できるか」という議論を打ち切ること、です。
すなわち、疑似問題の解消という目的がある。

阿弥陀仏の作り方について云々議論している人に対して「阿弥陀仏はそもそも作り得ないものだ」と示すのは有効です。

しかし、「阿弥陀仏を作る」なんてことはあまり言われたことがありません。(仏像を作るって話ではないのですから)

阿弥陀仏を作るというのは、新しい発想です。単に突飛な冗談である可能性が高いが、いずれにせよ斬新です。



ちなみに、阿弥陀仏が作られた実例が『歎異抄』です。

1年前 No.301

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ロボットの慈悲

ロボットの霊性

ロボットに起こるとする命の芽生えの奇跡の二元性・・

1年前 No.302

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>301
まあ、ロボットっていうより人工知能ったほうがわかりやすかったかな。

ふ〜ん、『歎異抄』が実例っていうなら、私が想定していたのとは確かに違うのは違うね。
しかし、それなら、さらにちょっと質問。

@その同じ機能を、『聖書』は果たさないのか?

A『歎異抄』のような阿弥陀仏装置を書く、人工知能はありうると思うか。

B「人工知能シンラン」「人工知能アミダ」はつくれると思うか。

こういう質問をすることが、全然あなたの言うことを理解していないことを示しているのなら、そう言って。
取り下げます。

1年前 No.303

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>303

@聖書に詳しくないので分かりません。
聖書はまた別な機能を持つかもしれません。
ところで、既製品としての聖書を利用しなければならないということはありません。
むしろ夾雑物を多く含んでいるので、その現実的な機能が発揮されにくくなっている可能性が大きいと思います。

聖書よりも善い本を作るにはどうすればよいか?

A人工知能のことは分からないので、答えかねます。

B〃

私が示したのは発想だけです。

機能を抽出してそれを発揮する装置を作るということ。
ありふれた発想です。言うだけなら誰にでも出来るので、私にも出来ます。

やるとなると、大変困難です。

このたびの挑発行為は終了したので、何かの思考のきっかけにならなかったのであれば、時間を無駄にさせてごめんなさいと言うばかりです。

自分の発言に他人が意外な角度からツッコミしてくる可能性があり、それに答えることで他人と交際せずには思いもよらない発想にいたる…のだとしたら…
この機能を十分に発揮させるためには、極端な発言をするのがよいと思いました。

私も私で(勝手に)他人を利用して言葉を書かせてもらいました。ありがとう。
自分でも「阿弥陀仏を作る」と言うとは思わなかった。(稚拙すぎて使い物にならない発想だが)
私からしたら、ふくろうさんを利用して『レヴィナスと愛の現象学』という良い本を入手できました。

1年前 No.304

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

>>304

>私からしたら、ふくろうさんを利用して『レヴィナスと愛の現象学』という良い本を入手できました。


だべ?(笑)

いやいや、いいんですよ、私を手段として利用してもらって。カントにそむいてもいいのよ^^

1年前 No.305

てじ @flyonbody ★iPhone=lGsaZGr5tu

何百回も繰り返し投稿してきましたが、

カント道徳論の本旨は「全てが許されているからこそ、行為の全責任が私にある」ということです…私の見立てでは。

カントは、道徳性とは、行為が普遍的立法に対して持つ関係=態度であると言っています。私はこれを次のように言い換えます。道徳の是非は、行為する際に自分の普遍的立法という事実に対してどのように向き合うかによって決まる。

>意志の自律と両立する行為は許された行為であり、これと両立しない行為は許されない行為である。


意志の自律が、許される/許されないの基準となる。カントは、行為の絶対的善は普遍的道徳法則への適合性にもとづくと述べた後で、この適合性の根底に自由(自律)を置くのです。

上の引用された文章の直後の見出しは「道徳性の最高原理としての意志の自律」となっています。自律は原理(アルケー)であり、しかも最高の原理です。カントにおいて「最高」というのは、《それ自体は他のなにによっても動かされないが、それは全てのものを動かす》という性質を謂います。

法則に従うことが善だが、自分の行為をその法則の所為にすることはできない…なぜならその法則に力を与えている(立法している)のは自分の自由な意志であるからです。

ここがカント道徳論とハイデガー実存論の接点です。或いは、私はそのような接点をひとつ持つような仕方でカントとハイデガーを読んだのでした。

それに厳密には、カントは人格を手段として用いてはならないと言ってません。私が「単なる手段としてのみ見なさず、常に同時に目的として」と言っている。また、哲学は行為の善悪を測るために使用されるべきではない…とカント自身も忠告している。カントはむしろ良識の判断力の方が正確だと言っている。哲学者の善悪判断はむしろおかしいみたいな口ぶりでした。

私は自分のカント解釈に自信があるし、仮にこの解釈が間違っていたとしても、この誤りがカント道徳論の価値を損ねるものだとは思いません。そして個人的には、こういう発想をカントから引き出せたことは私の財産であり実績です。(ただし「すべては許されているのだが」という付言は半ば飾りです。)

なので、繰り返し何度も言います。

1年前 No.306

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

ちょっと談話します。

私は >>306 の最後らへんで、「実績」と言いました。

ここでの実績というのは、哲学書から得られた積極的なアイディアを意味します。
この積極的なアイディアは、哲学談話において、話題(hypokeimenon)となりうるものです。

>>306 の中で言えば、ハイデガーの自由論とカントの自由論との接点としての意志の自律という、アイディアです。
これは奇抜な発想ではありませんね?平凡なアイディアであると思います。
しかし確かな、positiveなアイディアです。

こうしたアイディアを何百も何千も財産として実績として持っている人が、哲学学者であるのだと思います。

ザビビのふくろうさんで言えば…

>それが自己であれ、言葉であれ、世界であれ、倫理であれ、論理であれ、そのシステムの有意義性の根拠はそのうちにはありえない。 根拠はそのシステムの外部にしかありえない。


というアイディア等々を実績として持ってるんだろうと思います。

私ははっきり言って、この実績数に応じて哲学を学ぶ人々をランクづけできると考えています。(ランクづけに意味があるとしたら)
実績数はひとつの現実的な基準になると思います。
もちろん実績数と知識数は別です。ハイデガーがメスキルヒ出身だという情報は、ひとつの知識ですが、読解の実績ではありません。ハイデガーが存在論を論じたとか、実存主義者だとか、そういうことも、仮にそれをハイデガーの本を読むことを通じて知ったのだとしても、それらを実績に数え入れることは出来ません。

また、発想を実績として獲得したということと、その実績が全方向に対して正しいということとは、全く別なことです。
発想を発想として保有しておくことと、その発想にコミットすることは、また別なことです。
もちろん、保有する全発想に対して中立的な態度を取ることが哲学的に善であるのでもありません。

はっきり言って、哲学においても、読解量・勉強量・獲得した発想の数は重要だと思います。
もちろん、百冊哲学書を読んで1つも読解実績を残さない人間もありえます。物理的な読書量と、積極的実績数は、また別です。

1年前 No.307

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>306
てじさん…かたっ!(笑)
いや、もちろん、私の前言は撤回しますよ。

それより、あなたの意図とはずれるかもしれないけど、私、おかげでこれまでとんでもない勘違いをしていたことに気づきました。

>「わが上なる輝ける星空とわが内なる道徳律(Der bestirnte Himmel □ber mir, und das moralische Gesetz in mir)」に対しては、つねに新しくされる感嘆と尊敬の念とがある。


告白するのも恥ずかしいのだが、この言葉、どういうわけか、いつのまにか道徳律も天上にあるものと勝手に思い込んでいたんだな(笑)
単なる勘違いだ。
そうじゃなくて、カントの道徳律の根拠は実践理性にあって、したがって、自己の内になるのだな。
そーかー、カントを勉強したのずいぶん前で今以上にわかってなかったからか、
とにかくとんでもない勘違いをしていたのだ(/ω\)
気づくきっかけを与えてくれてありがとう。
まあ、ここまで低レベルな勘違いをしているとは、さすがに予想していなかっただろうが(笑)

>>307
「実績」ね。これまで考えたことないな。
まあ、あなたの言う意味では、自分にとってそういうものが多くあるほうがいいってのは言えそうだけど、それでランク付けするというのは、ちょっとその意義がわからないな。

ずれるかもしれないが、私の場合、自分の哲学上での成長は、単純には知識の増大ももちろんあるが、本質的に重要なのは、自分が見えているいわば哲学的風景ともいうべきものが、階段を一段高く上がることによって変化する、すなわち、これまで見えていなかったもの、未知だったものが見えてくるということだと思っている。
特に、本当に一段上がれたと思えたときは、視点が変わるので、その視点から、これまで見えていた風景を再度総点検というか、改めて見て、その変化を確認し、定着させる作業を行い、自分の風景画を描き直す。
実は、今回、レヴィナスなどをきっかけにして、新たな視点を得たんだな。
それで、ここではその視点から見える風景を、絵を描きつつ総点検する作業を行っている。
これまでの自分の視点からの意見と、新たな視点からの意見をぶつけたりして。
相手がいると、自然に前の視点からの意見が出てくることが多いので、それを今の視点からの見解をぶつけて検討したりしてね。
そういう点検作業を行う相手としては、てじさんには役に立ってもらってますね。

それと私の場合、自分のひっかかっている哲学的、あるいは形而上学的問題の解明は、文学的・芸術的方法とかじゃだめで、専門レベルの分析哲学や究極は論理学的次元での解明に至らないと自分の満足が得られない。
しかし、にもかかわらず、残念ながら数学者のような純粋な抽象的能力というのは欠如しているので、議論を詰めていって論理的次元にどんどん至って袋小路に入っちゃうと、抽象的思考だけではだめで、具体的場面に戻って考えなくてはだめになってしまうんだな。
そんなとき役立ってくれるのがいわゆる大陸哲学や芸術(文学・映画を含む)だ。
あ、それと精神病理学や心理学、ユング心理学とか精神分析とか、まあいろんな科学もね。

それと、意外だったのは、こういう場で、あんまり哲学的知識がなくても、理解力はありそうな人にわかりやすく説明することを試みること、まとめること、が役立つということ。
もちろん相手にもよるけど、とにかくその他者にむけて細かい点は省いて絵を描くというのは、非常に混乱状態にある地点を脱するにはいい方法みたい。
てじさんのような翻訳や要約もいいのだろうと思うのでまたやってみるのもいいかもしれないが、今までのところ、自分でまとめることが役立っている。
精神的にも、細かい厳密で無味乾燥になりがちな専門レベルの自分だけの思索に疲れたら、こういうところでもっとのびのび発言すると、結構元気出たりするわけよ。
というわけで、ここに来るのは大体調子の悪いとき(笑)
だけど、先に言った理由で、結構いいアイデアが浮かんだりもするからいいんだよね。

1年前 No.308

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

もっと本質的な勘違いをされていると思いますよ。

高レベルな勘違い。

shinwoodさんが何も気づかないのと同様に、shinwoodさんよりも遥かに高いレベルにおいて、ザビビのふくろうさんは何にも気づかないのです。
確かに遥かに高いレベルであるのだが、それでも同じ『間違い』をしているのです。

何も見えていない自分より下の人間を目の当たりにすることで、自分が誰かにとって見ればこのような盲目の存在であるかもしれないという可能性が生じます。



これがランクづけの意義です。



>自分が見えているいわば哲学的風景ともいうべきものが、階段を一段高く上がることによって変化する、すなわち、これまで見えていなかったもの、未知だったものが見えてくる


という経験をすることで、『重要なことが何も見えていない自分』の可能性が芽生えます。

視点が変化したことを明確に意識することによって、自分には見えていないものが見えている存在の可能性が芽生えます。
自分には見えていないものが見える位置に立っている存在の可能性が生じ、
そのような位置が存在するという可能性が生じます。



これがランクづけの意義です。



階段を上がる経験をすることで、そもそも知には上下の段階があるということに気づきます。
まず上の段と下の段があって、下の段から上の段へ移動するという経験をするのではありません。
まず階段を上るという経験があって、そこから派生的に、ランクという発想が生まれます。



人間は、自分より高レベルな存在と、自分より下のレベルの存在との、中間にあります。
一部知っていて、一部知らない。
一部見えていて、一部見えない。
位階を意識しない人間は、自分が知っていることが全てだと思い込んでいるか、何も知りえないと本気で信じています。
しかし本当のところは、今は知らないことがいずれ知れるかもしれない、という状態に人間はいます。
或いは、今知っていると思っていることが実は間違いだったと判明するかもしれない、という状態にいます。

すなわち、勘違いの可能性と勘違いが発覚する可能性において、人間は一部知り一部知らない中間状態にある。





・・・という発想があります。

人間は一部は知っていて一部は知らない。
これは当り前のことですよね。とりたてて言うまでもない。
人間は完全な無知でもなければ完全な全知でもない。当り前です。

しかしこの常識を強く意識することで、人間は無限に謙虚になれます。
そして無限に謙虚な人間はほとんどいません。

当り前の事実だけど、その事実の意味を、大半の人間は知らないわけです。
或いは、それを知っていても、そういう事実が無いかのように振る舞っているわけです。

また逆に・・・無限の自尊をする人もほとんどいません。

位階への意識(中間意識)は、無限の謙虚と無限の自尊です。

人間は、無限に中間である。

1年前 No.309

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

いやー、高度な勘違いも何も、カントについてそもそも高度な理解なんてしているつもりもないからね。せいぜい通俗的理解だと思ってたけど、それも勘違いだったわけで(笑)
まあ、気に留めておきますよ。

ついでに思い出したので、聞きたいんだけど、
>>306
カント道徳論の本旨は「全てが許されているからこそ、行為の全責任が私にある」ということです

の「許されている」ってどういう意味ですか。
意志の自由、選択の自由があるという意味か、それとも、道徳的に許されている、という意味ですか。
あるいはこれらのどちらでもない意味ですか。

1年前 No.310

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>309

無限に中間であるということは、どんなに実質的に高レベルに高まっても、やはり無限に中間に位置していることには変わりないということです。
下が無限にあり、上にも無限があるならば、レベルアップがどれだけ実際的であっても、無限に中間に位置していることには変わりありません。

無限の謙虚とは、私なんて最高の存在者に比べれば底辺にあるという意識ではなく、何であろうと自分は中間にあるという意識です。
無限の自尊は、自分が最高の位置にある(我こそ至高)という意識ではなく、何であろうと自分は中間にあるという意識です。

自分の前にも後にも無限に位階がある。

誰もが無限に中間にあるが、
中間という位置があるからには、他人と自分との間には位階差がある。

横一列(Rang)というよりむしろ円環(Ring)です。

それぞれが無限の中間に位置し、それぞれが「目的の国の元首であり、かつ構成員」であるのだが、それぞれの間には確かな位階がある・・・という不思議な状況。

カント道徳論においても、普遍的立法というのは、それが普遍的であるにも関わらず、それは《 各々の 》意志が行うものでした。
全員が全員元首であり、しかもそれぞれの元首の下に他の全ての理性的存在者が服している・・・という非常にイメージしにくい状況。





柄谷行人なら「単独者」と言うでしょう。

>…ダイアローグ、あるいはポリフォニックなものとは、声や視点を多数化することによって得られるのではなく、もはやいわゆる対話が不可能な地点において「他者に語る」ことから生じるのである。逆に、そのような他者の前でのみ、自己の単独性が存する。


>《他者》とは、いわば、言語ゲーム(規則)を異にする者のことである。彼らは、何かをしゃべればそれが他者に或る意味(規則)で理解(誤解)されてしまうということを惧れている。だが、彼ら自身のなかに、明示しうるような規則(意味)もないのである。


上の引用は、「無限としての他者」というエッセイから引用された。

このエッセイが載っている『探求 I』では、次のような文章もある。

>私が独我論とよぶのは、けっして私独りしかないという考えではない。私にいえることは万人にいえると考えるような考え方こそが、独我論なのである。


私に言わせれば「私にいえることは万人にいえる」という発想は、無限の中間に対する無自覚から生まれるものだ。

自分の言葉は通じているという楽観主義。

1年前 No.311

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

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1年前 No.312

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>310

>「全てが許されているからこそ、行為の全責任が私にある」…

>の「許されている」ってどういう意味ですか。


全てが許されているというのは、本当はむしろそうなのだという状況を意味しています。

次の有名な哲学的問いを援用してみましょう。

なぜ存在者が存在し、むしろ無ではないのか。
本来は無であっていいはずなのに、なぜ存在者が存在するのか。
なぜこんなにも頑に存在者が存在するのか?

「全てが許されている」には無が応じます。
全てが許されているという意識が、逆に、許されないことがあるということが驚くべきことだということを明かす・・・という構造です。

カントに戻るならば・・・

全てが許されていると言ってもいいし、よくよく考えれば全ては許されているのだが、それでもしてはならないことがあるというのはどういうことか?

答え:私のなかの『理性』が、それをしてはならないという法則が存在するべきだと欲している(wollen)のだ。

もしも初めから何かが許されないこととして確乎としてあるならば、そこに意志(Wollen)が絡んでくるはずがない。
全てが許されているという状況が、許されないことがあるという設定を自ら進んで受け入れることの責任を際立たせます。

このように際立たせられた意味での責任こそ、カントのいう責任です。

全てが許されているという状況と、無根拠に(何も支えにせず)自分に対して許されないことがあると突きつける決断は、即応しています。

「行為の全責任が私にある」というのは、誰もそれを禁じていないし許可してもいないということです。
誰かが「それはしちゃダメ」とか「それをしろ」と言っても、行為の責任をその発言者のせいにすることが出来ない。
なぜなら、根底においては、その発言を《 聞く 》のは自分だからです。

聞かなければならない、聞くということを媒介にせざるを得ない・・・ゆえに究極的には誰のせいにもできない。

自分の行為を誰のせいにも出来ないということは、自分自身が他人の行為の原因になることも出来ないということです。

自分が命じて他人が行為しても、それは究極的には他人のせいである。
しかし自分が命じることで他人が行為してしまったことの責任は、究極的には、自分にある。
ということは、自分が命じて他人が行為しても、それは究極的には、やはり回り回って自分のせいである。

こういう状態にそれぞれの人間が陥っている。

全てが許されているとは、究極的には誰も何も私の行為の原因になることは出来ない・・・ということです。





『 究 極 的 に は 』ね。

究極というのは、極まった終りのところです。
誰もこの究極という終りの位置に立って物事を考えていない。
究極という位置から遠ざかるに応じて責任から逃れることができます。

ここらへんからハイデガーに繋げてゆけるでしょう。
特に「死への自由」と「良心を持とうとする意志」すなわち「先駆的覚悟性」の話に繋げられる。

なぜハイデガーの名前を出すかというと、カント道徳論からハイデガー実存論を解釈し、ハイデガー実存論からカント道徳論を解釈したという、私個人の経験があるからです。



私と話すとこの話が出て来る。
まるで昔の特定の思い出話を毎日毎日飽きずに語る老人のようだ。

1年前 No.313

スレチ失礼します ★qIiIrfszSv_yFt

阿さん本当にいなくなったんですか?
てじさん阿さん連絡とってないんですか?

1年前 No.314

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

>>313

だとしたら、カントは実際、本質的に無神論てことなのかな?

1年前 No.315

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>315

>カントは実際、本質的に無神論てことなのかな?


ちゃんと質問の意図を汲めないけど、一応、答えます。

カントの道徳論は、基本的に、人間の行為についてのものです。

>…神の意志やまた一般に聖なる意志には、いかなる命法も通用しない、つまりここでは、「べし」は場違いなのである。


私が言ってきたことは飽くまでも、カントが有限な不完全な理性的存在者(人間)について語ったことに基づいています。

そこから神の存在へと飛躍することは出来ないかな・・・と。





いや、たぶんそういう意図での質問ではないんですよね。

うん、たしかに、私はカント道徳論の本質的なところに神は不要であると思いますよ。

カントもこう言っています

>ところで我々は、最高善としての神の概念を、どこから得たのだろうか。ほかならぬ理念から得たのである、理性が道徳的完全性についてア・プリオリに構想し、自由意志の概念と不可分離的に結びつけたところの理念に求めたのである。


あくまでも《最高善としての》神の《概念》についての話ですが、この概念の根源は、理性の構想だと言っているようにみえます。





私個人としては、もう今の時代、或る思想が有神論か無神論かなんてどうでもよくなっていると思います。

1年前 No.316

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>314

連絡とってないです。

私にある情報はあなたと同様これ( http://mb2.jp/_esy/1650.html-300#a)だけですね。

阿さんは年単位で待ってもいいようなスケールの人物です。

また、阿さんの残した文章は、彼を待つあいだそれを読んでいたら老いて死んじゃう程度の文量残っています。
メビウスリングがいつ消えるかなんて分からないので、何らかの仕方で保存しておいた方がよいかもしれません。

1年前 No.317

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

ホラーゲームはどこからかアクションゲームになる。
バイオハザードとかそうですよ。まだバイオハザードはホラーゲームなんだろうか。
僕は5あたりで止めてしまって先がどんな展開なのかはわからない。
5はかなりアクション性が増えてるんですよね。僕は5が好きでした。
やったゲームでストーリ性が異常だったのがサイレントヒルです。
2から4までやって、どうもゾロアスター教をいじったような感じのストーリーで、
どれみてもかなりここまでひねくれてるのかよって。
鬼武者は結構好きでした。アクションゲームですよ。あのレベルに成ると。

敵がグロいかどうかは怖さの基準にならないとどこかのネットで書いてありましたけど。
僕が書いたわけじゃないですよ。で、その境目は僕は多分敵を自分で始末できるかどうかですね。
ある場所に来ないと始末できないゲームがクロックタワー3です。これは敵に追われて恐いです。

見てて恐いものはホラー映画よりも効果音で恐いというかそういう感じです。
とくに金切り声と言うんですか大音響で聞くとかなり不快です。
こういうものを考えて思うのは結論を整理したい納得したい、単純にしたい、さまざまな
選択肢のままにとどまるのとは間逆な発想で、本を書くのには不向きな考えだなって思う。
難解であるほうが、パズルを解くのかわからないけど僕みたいな単純にしたいと思う人にとっては
題材がある方が良いです。だって、単調でもうこれ以上簡単にできないなら考える余地が無い。
そもそも知るとかなんでってちょっと考えたほうが良いんですよね。
僕に言わせるとどの本を選ばおうが、解いたということがあるだけというか。
バカではないですけど、それだけというか。じゃあ、何か自分で発想するなら本以外から
取ってくるしかないし、どこかよその著作と混ぜるか。

話ずれて、どこからその境に成るのかということはあまり考えないというか、
ゼノンのパラドクスから論理的なパラドクスから見てどうもきっちり考えるほうが良いことだと、
どうも無条件に白黒つけたいのかつけたいんでしょうね。僕だって迷わずに考えたくない
というのが本音だから結論が2つとか3つとかいっその事6つぐらいあったらまとめてないなと
おもうし。どっちを実在とみなすのかというと、善悪だの持ち出すなら何を見てるのかではなくて
何かではなくてどうなのかという評価ですよ。どう感じるのかということです。
そもそも宗教の善悪は全部違いますから。井筒俊彦みたいに、分節、無分節と言う究極にまとめる
なら全部兄弟で同じ根源からって言えるんだろうけど、みんな生活では究極なんて目指してるわけ
なくて、なあなあで僕らは何のために生きてるんだろうってぼやっと生きてるわけですよ。
僕らっていうか、あなたがそうしてなくても他の人はゴマンとぼやっとしてるんですよ。
ある人は金儲けに邁進したり、ある人は不倫がバレて修羅場になって何のためとかどっか行ってる。

ある種のカテゴリーも前提を大幅に超えるとそれは違うものだとみなされるわけですよ。
パソコンがどこからノートパソコンに成るのかというとバッテリーを備えたからとみなせるし。
けど、ノートpcに通話機能をもたせて軽量化してスマホだか区別つかないような機械とか
作れるし。その上で境界というか境目というかでも考えてみればそれが何であるのかは、
外側に感じるわけです。なんでもいいですよ。身近にあるものをみて、これは何であるのかと、
それは、外側の何かなんでしょうね。概念とかのそれは自分の中にあるものだと思いながらも、
現実のそれが何であるのかは自分の外側に求めるという矛盾があって。そこの辻褄が結局、
どこにあるのかということを延々と考えるのは僕にはきついかなって。

まあ、なんだっけホラーゲームの話だ。ホラー映画って恐いのあんまない。アクション映画は、
わかりやすんだけど。あれって考えてみたら、敵が強いのか主人公が強いのかという区別ぐらい、
しかない。エイリアンとプレデターとかは条件によっては始末できるんですよ。だから、
肌がゾワッとするような恐怖はなくて。そうだ、最近見たホラーゲーのPVに童謡とかが混じって
居て、これが恐い。かごめかごめとかゆっくりとかすれたような声でそと暗い背景と、
顔がよくわからない不気味な女の子がいるとホラーなんですよ。どうしてこういう恐いものを
見たがるのかというと、ごく単純にいえるのは距離感なんですよね。
どんなホラーでもアクションでも自分があの中で体験なんてシたくないんですよ。
他人事他人事だから娯楽として成立するんですよ。他人の不倫話とか面白がって読むでしょ。
そういう需要がある。グロい動画とかアップして本人たちはくだらないオレ強い感を出したいのか
そこに対しての共感もあるかもしれないけど。純粋に娯楽として成立するのかというと、
お化け屋敷とかあれが本当のキルハウスだったら自殺志願者以外は入らない。
リアルがとかリアリティがとか、あんま娯楽中毒というのは体験してないというか、
ある種の映画での提示なり先のグロい虐待動画をアップしてそれが何の意図なのかとそれが、
実在とみなすのか意図を含めてか、見た受け手が感じるのが実在だとみなすのかと、
動画だけを見て、何なのかときめるのか、よくよく概念と言うもの考えると、単にグロいだけ
その意図は考えないというわけにはいかなくなる。作るという行為においてそれは語るでも
あるんですよ。この場合に成ると、筆者がどう言いたいのかが実在になっちゃうわけですよ。
これってどういう意味なのかってあなたが決めてるわけじゃないはずですよ。そんなに、
文句あるなら、ショーペンハウアーはこう考えたと勝手に作文でもしてみれば良いんですよ。
ちっとも納得しないはずですけど。

1年前 No.318

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

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1年前 No.319

阿のファン ★O2CKJldyrh_yFt

てじさん

はあ、率直に言って意味がわかりません。
それならメビウスリングがなくなるまえに阿さんが死ぬかもだし
阿さんが本当に戻ってこなかったらどうするんですか
はー、つっかえ!が正直な気持ちです。
男子にありがちな見栄なんですか? 自分から動かないの。
待つことの目的化ですかね、手段の目的化みたいに。


「カッコいい」男なんてろくでもないのですよ。
言うなればそりは「別種のかっこよさ」です。
 言い足りませんが時間の無駄なので
どもありがとござーmした

1年前 No.320

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>316
いや、直観的に思っただけなんですけどね。
ドストエフスキーの言葉に次の二つがありますね。
「神がいなければ、すべてが許される」
「神が存在しないならば、私が神である」

このドストエフスキーの言ってることは
「すべてが許されているからこそ、行為の全責任が私にある」
とあなたが言ったことと、本質的には同じなんじゃないだろうかと。
そしてここに当然ニーチェの「神は死んだ」も関係しているんだろうなと。
もしそうなら、カントはニーチェが言ったように、まさしく神を殺しちゃったのかなと。
で、この仮説とあなたの言ってるのが正しいのなら、ハイデガーの実存論もここに結びつくのか、と。

もちろん、この「神」は、私の解釈では生の超越的意味であったり、倫理の根拠という意味でもあるので、
単に宗教的な有神論・無神論という場合の意味ではないよ。

で、それを前提にしたら、ハイデガーのいわゆる転回は、
いわば無神論から有神論への転回だったのではないかと。
で、そういう意味ではサルトルが『存在と時間』の実存論を無神論的実存主義として解釈したのは正しかったのではないか。
それをハイデガーが否定しているということは、たぶんハイデガー本人は無神論的実存主義なんて語るつもりはなかったんだが、意図せず『存在と時間』がそうなってしまったのは否定できないのではないか。

と思うつくまま、大風呂敷を広げてみました。
やっぱ勘違い?(笑)

1年前 No.321

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

何文学論言っているのですか?

1年前 No.322

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>322

どこが文学論なの?

1年前 No.323

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

引用されているドフトエフスキーさんは哲学畑と正反対です・・

1年前 No.324

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>324

ドストエフスキーの名前があるからそう思ったのね。

それはドストエフスキーの哲学的思想をあなたが理解できないだけだよ。

文学者だからって、哲学的思想がないとは言えないよ。

事実私はそういうものを取り上げているわけで、明らかに文学論ではない。
あなたは、私の言ってること何にも理解できてないでしょ。

1年前 No.325

てじ @flyonbody ★iPhone=lGsaZGr5tu

>>321

>いや、直観的に思っただけなんですけどね。…

>と思うつくまま、大風呂敷を広げてみました。やっぱ勘違い?(笑)


自分の予感を著作等によって基礎づけられるかどうかを検討するのは、読書のひとつのモチベーションになります。

本音を言いますと、

ドストエフスキー
ニーチェ
ハイデガーの転回

これについて私は何も分かりません。

私が言えるのは、サルトルのその発言が、ハイデガーの建前とは不適合だということです。ハイデガーは『存在と時間』で、有神論とか無神論とかを議論する以前のところを問題にしていると明言しています。

>ハイデガーのいわゆる転回は、

>いわば無神論から有神論への転回だったのではないかと。


そういう方向でハイデガーを読めるとは思います。ただ、その読解の試みが成功する保証はありません。「最後の神」とか「神の不在」などの論点の他、存在を神だと言ってしまった上でのハイデガー解釈もありえる。「真理は女神である」とハイデガーは明言しているし、存在からの挨拶、存在からの恩寵なども言っている。そしてこの挨拶は、転回に関わる。転回は存在忘却から存在守護への転回だとハイデガーは明言してますが
この忘却をハイデガーは「もはや挨拶されないこと」だと述べたりしている。もちろん、これは細かすぎる話です。

ちなみにハイデガーは書斎にドストエフスキーの肖像を飾っていたらしいです。

1年前 No.326

てじ @flyonbody ★iPhone=lGsaZGr5tu

ちょっと雑談ですが、私は分析哲学の著書を読もうと思ってるんですが、何から読めばいいですかね?ちなみに、フレーゲ、前期ウィトゲンシュタインは読んだことあります。ラッセルもちょっと。今はとりあえずクワインとパトナムを読んでます。

フット
マクダウェル
ディヴィッドソン
カルナップ
ダメット
エイヤー
ローティ
ルイス
クリプキ

こういう人たちが思いつきます。

例えば、根拠はシステムの外になければならないでしたっけ?あの議論は誰の何の論文で議論されたのですか?私がお時間を少し奪ってもよいのでしたら、教えてもらえると嬉しいです。まあ、教えてくれなかったら、とりあえず実家の蔵に眠っているディヴィッドソンを引っ張り出しますが…

1年前 No.327

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>327

えと、てじさんは原典主義なのかな?
もちろん、原典を読めれば読むにこしたことはないんですが、
分析哲学の場合、論理学等の予備知識がなければほぼチンプンカンプンの場合が多いので、
私としては、やっぱり、歴史的背景を含め、原典に当たるのとは別に最低限の基礎勉強が必要と思います。
特に、パトナム、デイヴィッドソン、ダメットなどは、ほとんどわからないと思います。

で、私の個人的な好みとかを措いて、分析哲学を学ぶには必読と言えるものとしては、次2冊があります。

1.飯田隆 『言語哲学大全T』『同 U』(勁草書房)

2.飯田隆編『哲学の歴史11』(中央公論社)

この3冊は持っていて絶対損はありません。

それと、やはり論理学の初等レベルの知識も必須です。

分析哲学を学ぶ上で、これは私のおすすめですが、

3.野矢茂樹『論理学』(東京大学出版会)

いずれも、最初からすべてを理解するのは難しいと思いますので、完全理解にこだわらないほうがいいと思います。

システムの根拠の外在性の問題は、ドンピシャでそれだけを取り上げたものはわかりません。こんな言い方も、私が勝手に言ってるだけです。
『言語哲学大全』で論理的必然性の根拠についての規約主義の問題などが出てきますが、
そこからクリプキの『ウィトゲンシュタインのパラドクス』まで、そういう問題が関係します。
あなたは読んでいるみたいなので言いますが、通俗的な形では、柄谷行人のいわゆるゲーデル的問題から以降、『探究』までで論じられているのもそうです。
いわゆる『他者問題』が関係していると言えます。
分析哲学者でこういったものをわかりやすく書いているのは野矢茂樹さんで(ほかにもいますが)、文庫化されているものがあり、
好みで合うかどうかはわかりませんが、内田樹さんのレヴィナスものがわかりやすいけど内容濃いのと同様、
野矢さんのは平易に書かれ、かつ内容は高レベルなので、こういうところで分析哲学に慣れるのもいいのじゃないかと、個人的には思います。

参考まで。

1年前 No.328

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

ドフトエフスキーさんと言えば主人公は売はる婦に救われるのです。

どろどろした人間の汚さの中から美しく歌い上げる美は文学であり宗教です。

文学で言えば、私はトルストイ派ですのでドフトエフスキーさんの冷徹さや徹底的な厳しさ残酷さは理解できません・・

1年前 No.329

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

>ドストエフスキーの言葉に次の二つがありますね。

「神がいなければ、すべてが許される」
「神が存在しないならば、私が神である」

ふくろうさん

神を否定するテロリストはいずれ全肯定した後神を否定したと同じに自己自身を否定し始めます。可能的存在を破滅させる悪の意志です。

1年前 No.330

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

>>330  百理さん

>神を否定するテロリストはいずれ全肯定した後神を否定したと同じに自己自身を否定し始めます。可能的存在を破滅させる悪の意志です。


それ、ただの独断でしょ。
そうじゃないって言うのなら、根拠を述べよ。

1年前 No.331

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

哲学界の常識です。悪の意志は、もちろんヤスパースさんの本の引用です。

全否定と全肯定の違いはありますか?

1年前 No.332

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>332

ヤスパースの受け売りなんですね。
あなたの独断ではないことはわかりましたが、
ヤスパースの主張が、哲学界の常識ではありません。
常識なら根拠を述べてごらん。

>全否定と全肯定の違いはありますか?


意味がわかりません。

1年前 No.333

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

>>333

神についてなら

アウグスティヌス神義論では、人間は意志が悪であるときに道徳に反する行為に傾倒し[7]、

人間の意志の悪の性質は原罪によるものとされ、アダムとエバの罪が人間の意志を堕落させ[8]

、神に罪はなく、善であり、悪に対する責任を持たないことを主張する[9]。

出典[編集]




全否定のことと全肯定のことはPCでの検索は詳しくありません?

1年前 No.334

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>334

何を言ってるんですか?
私が言っているのは、

>神を否定するテロリストはいずれ全肯定した後神を否定したと同じに自己自身を否定し始めます。可能的存在を破滅させる悪の意志です。


という主張が正しいとあなたがいうのなら、その根拠をのべてください、ということです。

>全否定のことと全肯定のことはPCでの検索は詳しくありません?


まともな日本語を書いてください。意味がわかりません。

1年前 No.335

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

悪の意志が何なのかお判りにならないのですか?

1年前 No.336

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>336

字義通りならわかりますよ。

そんなことはいいから、逃げないで根拠を述べよ。

このままでは、あなたはヤスパースを後ろ盾にした、虎の威を借る狐にすぎませんよ。

1年前 No.337

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

ヤスパースさんは、心の師です。文章が心にぴったりはまります。私の解らないことを一杯教えてもらえます。

1年前 No.338

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>338

キツネちゃん

よかったですね^^

1年前 No.339

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

ところで、ドストエフスキーの言葉は、別に神を否定してませんけどね。

1年前 No.340

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

私罵り合う○態ではありません・・ふくろうさんは、悪魔ちゃんがお似合いですね・・

1年前 No.341

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>341

いや、私は主張の根拠を述べてくださいと言っただけで、哲学の議論なんだから当たり前の要求ですよ。

>私罵り合う○態ではありません・・


あなたのほうが十分罵っていると思うんだけどな(笑)

1年前 No.342

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

悪の意志が何を示しているかお判りになられますか?

1年前 No.343

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

ヤスパースの言葉で用いられている意味なら、
引用されている著作を読んでいないのでわかりません。

あなたはわかるんですか。

わかるというなら、説明をお願いします。

1年前 No.344

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

ふくろうさん

悪の意志とは、可能な存在を破滅させようとする意志のことです。

1年前 No.345

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>345

なんだ、それならわかってますよ。

では、一応反論しましょうか。

ニーチェもサルトルもカミュも神を否定しましたが、いずれも可能的存在を破滅させようとしていません。

むしろ、神の与えた本質という軛を脱し、そこから超越して可能的実存として本来的自己の在り方を目指しました。

ですから、神を否定したからとしても、悪の意志とは限らないのです。

1年前 No.346

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

>>346

それも詳しくヤスパースさんに書かれていて

その人たちは悪ではなく虚無なのです。

どうしてヤスパースさんてこんなに理解しているのだろうとつくづく感心します。

1年前 No.347

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>347

いや、それ哲学の常識ですよ。

それがニヒリズムであって、ドストエフスキーもトルストイも、そして実存思想家たちも格闘した問題です。

1年前 No.348

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

読めば読むほどヤスパースさんは味が出ます・・

1年前 No.349

てじ @flyonbody ★iPhone=lGsaZGr5tu

ふうん、飯田隆さんという人が目印になりそうですね。そういえば私がいま読んでるクワインの『論理的観点から』も飯田隆訳でした。野矢茂樹先生は岩波の『論理哲学論考』訳してる人ですね。

ありがとうございます。

1年前 No.350

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

自らを絶対化した実存的存在の可能性に逆らう者は、一切を憎悪する。

高貴な存在として歴史性における無制約性に憎悪し交わりのない世界に閉じこもる。

空虚な主我の現存在を欲する無への意志である。

他者を否定する情熱で自己をも否定する矛盾に陥る・・

1年前 No.351

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

悪は消滅を欲する意志と、無の意志を欲する虚無とに分けられます・・

悪との闘いにおいてのみ善は現実となります。

1年前 No.352

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>351
なるほど。
これは一定の真理を言い表しているかもしれませんね。

私の知っている人で、子供のころから自分が肉を食べられず、
そのため親に虐待を受けたことを憎悪して、
肉食する人を罪人と見下している人を知っています。
しかし、例えば北極圏に住むイヌイットのような人々は野菜などがとれませんから当然肉食に頼らざるを得ませんよね。彼らは全員罪人なんでしょうかね?
歴史的にもヒトは雑食であって、肉食を否定する人は人間の自然界の一存在としての本性や歴史性を否定しているように感じますね。

そして、その人が非常に自分の殻に閉じこもるタイプであることも、確かです。
いつも「渡る世間は鬼ばかり」的なことを繰り返して、関西より東へは怖くていけないとか言ってますしね。
その人の話を聞いていると、その人の歩んできた環境では、周りの人は全部その人を否定し陥れようとするような人ばかりだったのか、っていう気がしてきます。
そういう文章を読んでいると、よっぽどの憎悪、怨念を抱えているんだなと思います。
繰り返し繰り返し周囲の人についての恨みつらみを書いていますしね。
昔は親に対する怨念ばかり言ってましたが、親御さんも年老いて最近はあまり言われませんけどね。

さらにその人は、次のように無を欲していることを告白しているのですよ!
http://mb2.jp/_tetsugaku/933.html-220#a

>私は、死ぬのは何ともありません。又再び生まれてくることが怖いです。

http://mb2.jp/_tetsugaku/933.html-228#a
>私は無になれたら幸せです。


まさに
>空虚な主我の現存在を欲する無への意志である。

次の言葉のとおりですね!!
>他者を否定する情熱で自己をも否定する矛盾に陥る・・

1年前 No.353

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ふくろうさん

人間は悪人です・・

1年前 No.354

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

>>354

はいはい。
それがあなたの人生観なんですね。
あなたの人生論は別に結構なんですけどね、

私は学問としての哲学をやってますからね、あなたとは根本のところで違うんですよね。

1年前 No.355

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

今の時間帯は、coffeebreakです。

1年前 No.356

ザビビのふくろう ★eroNBYU7t4_yoD

そういえば、以前「コーヒーは数学者のガソリン」という言葉を読んだことがあるんですが、
哲学するものにとってもそうじゃないかと思うんですよね。

お酒を飲んで哲学ってできるんだろうか?
お酒と哲学について書かれたものを読んだことないなあ、そういや。

ちなみに、私はいわゆる完全下戸で、一滴もお酒は飲めません。
昔から、コーヒー党です。
そのせいか、哲学は理性をギリギリに引き絞ってて考える必要があるのに、
お酒は弛緩させる気がするので、どうも相反する気がするんですよね。
ただの偏見かもしれないけど。

1年前 No.357

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

お酒は飲んだら車の運転でとんでもないことになるくらいの判断力の低下です・・

最近はコーヒー豆が出来てないそうなのでブルーマウンテンは手に入らないとか・・

私は紅茶が好きなので詳しくなくて申し訳ありません・・

1年前 No.358

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

誰も私を知らない。私でさえ私を知らない。

1年前 No.359

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさん

迷える子羊になって間違って哲学の世界に来ちゃったのですか?

1年前 No.360

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

宿題さんのことではないですよ。物を教科書通りに言えるから哲学を知っているのでしょうか。語れても、血肉になっていない。権威が欲しいのであれば、網羅する必要性はあるのでしょうが。

1年前 No.361

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさん

教科書ってうわべの知識です。

本当の血と涙の言葉で書いた本物の著作で無いと嘘が多いです・・

1年前 No.362

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

哲学って、人類愛がないと書けないと思います。

1年前 No.363

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

偉そうなことを書きましたが、私はもう、若かりし頃のみずみずしい感性はありません。

1年前 No.364

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

惰性に流されて無駄な年月を積み重ねていくだけなのでしょうか。それは或る意味、栄光が早すぎたせいかもしれませんん。

1年前 No.365

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさん

「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」みたいな文学的感性では、哲学は出来ないと思います。

ペガサスさんのように感傷的になるより・・哲学はとことん理詰めです。

1年前 No.366

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

百里さんは、余暇の時間はやはり、哲学のお勉強ですか。

1年前 No.367

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさん

最近はフランス語とイタリア語の勉強をしています・・ドイツ語は若い時にしたので簡単でしたが、この年になると新語学も何が何だかわかりません・・

1年前 No.368


百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさん

さっぱり解らないのです。特にイタリア語が・・

1年前 No.370

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

嗚呼、私は語学は全くダメです。

1年前 No.371

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ただ今わが県は命を守るよう大雨警報でアナウンサーが叫んでいました・・

何故平穏な日が無いのでしょう・・

日々ボケ防止・・

1年前 No.372

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

宗教を信じていらっしゃるのですね?

いるかも?不吉な何かが。

1年前 No.373

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさん

今はまだヤスパースさんの読み込み段階です・・真理が好きなだけです。

1年前 No.374

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

心の赴くままになされるのが宜しいです。嫌悪することをしても、飲み込みはよくないです。私の場合ですが。

1年前 No.375

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

ペガサスさんも誰か哲学者を崇拝されていますか?

私は、尊敬する哲学者は何人もいます。

1年前 No.376

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

私は誰も頼りにしていません。

一人住まいです。

人生の道程でも、異性を愛した経緯もなければ、異性から愛された経緯も勿論ありません。

私は誰からも愛されないし、誰も愛せない。

それで、良いと思っています。

1年前 No.377

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

私は人間嫌いなのです。

1年前 No.378

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

ペガサスさん

心の傷が深くて苦しんでいらっしゃるから毒を吐き出したい時があると思います。

心の解毒薬になるような本があると思います。(本のソムリエさんが詳しいと思います)

1年前 No.379

百理 ★5z6bVAmgS3_Vx8

ガリバー旅行記のスウィフトさんとか人間をののしってすごく嫌っていました・・

しかしスウィフトさんは奥様に手を出さずに触れずに人間を呪っていたので発狂されました。

人間嫌いの発狂する作家の本は沢山あります・・

愛でないと人間は生きられないみたいです・・

1年前 No.380

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

この投稿はフィルタされています。表示するにはアカウントにログインして下さい。

1年前 No.381

削除済み @y19670503 ★OY6U8JiaEx_m8y

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2017/07/10 22:34 )  削除理由: その他の違反

1年前 No.382

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

困りました・・真理を求めていない人ばかり哲学板に・・

1年前 No.383

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

真理を求める以前に、知識不足、予備学習が私には無いと思います。大体、愛が分からない私に真理は分からないと思われます。

1年前 No.384

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさんの場合・・哲学の原点は汝自身を知れ。まぁ哲学の初心でいらっしゃいます・・

1年前 No.385

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

私は人間の真理は決まっているものだとは思っていません。大体、真理探しに興味・関心が無い大衆が圧倒的なのでは?

1年前 No.386

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

ペガサスさん

哲学に何かご不満が在られるのですか?

1年前 No.387

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★OY6U8JiaEx_m8y

百里さんが好きなことをすれば良いと思います。

1年前 No.388

うさぎ ★w71GsOkauY_UHY

横から失礼、哲学とは集団のものか?個人のものか?教科書と権威は集団だろうが、幸福は個人だと思います。

では真理は教科書に書いてあるのか?一個人の意見なのか?  疑問がいっぱい出てきます。

結局は真理は誰が決めるのか? 個人か? 集団か?   日本人と外国人は真理が違うのか?

1年前 No.389

皆様 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 意識持った人間よりアルファ碁のほうが強いから
意識ないほうが、脳みそは効率的に動くと思います。
人間の脳とアルファ碁のコンピュータでは脳みそのほうが性能がいいので、
一体人間の意識が知性の証だというのは疑問です。

言語に関して思うのは数学のほうがずっと効率的だろうということです。
微積分の記号が出てこなければニュートンのプリンキピアで学ばなければ
ならなかったろうと思います。

 僕は哲学より数学のほうが体系としてはスッキリして良いと思います。
彼らの言葉を読んでるとどうせ、何もわかってないんだろうなと思います。

 言葉というのは実体を反映しません。糞をしてみればわかりますが、
食べたもので内容物が変化するのは当然ですが、一体誰がどれだけの
区別をしてるというのでしょうか。そういうのは便の研究をしてる人ぐらいでしょう。
このことは小便と比較すればわかります。小便は健康に以上がなければ、
尿素の濃度が違うぐらいで、大抵の人は似たような尿を出します。一方便は形状も色も
千差万別です。さらにいうならゲロなんて特にそうではないでしょうか。

 僕には真理も善も美も便やゲロと同じぐらい千差万別で解答などありません。

 哲学というのは人の考えで万物の理など絶対に書いてありません。
ぶっちゃけ小説と同レベルです。偉人というか人間としてのレベルに差がある人が
なんにんもいます。一番ひどいのはルソーです。引きこもりのマゾヒストが、
アメリカの筋肉カーストの起源ですから、あこがれなどというのはコンプレックスの
裏返しなのでしょう。日本の恋愛なんて少女漫画がもともとのルーツですから、
ぶっちゃけオタク趣味です。ほしいと思ってるものの起源はもともとオタクだとか、
マゾぅとかがつくりました。パソコン通信のネットもスマホも作ったのはエンジニア。

ジャーナリズムというものは大衆社会とともに、
出てきましたが、大説というものは今後は出てこないのでしょう。追いかけるものが、
マゾやオタク趣味が起源なので、どこへ行くかなんて決まってます。尻の穴です。

 ビジネスで頓挫したときに日本人が発する大好きな言葉は一体何かというと、
原点に帰れです。つまり、行動様式としては、問題が発生したときは原点の考えに、
戻るということであり、そのままつきすすんで原点が抱える問題と同じところで
つまずきます。

 もともと宗教だとかいうのはイタコだのシャーマンだのチャネリングして、
今なら精神病棟行きでしょうし、なにより、死んだ人間が生き返るだの、
そんなのを聖書と未だに信じてるというのは常識というよりは、なにか洗脳でも
なんでも使ってヒドイ教育でもして信じさせたという方がまっとうです。
神父が言えば、信仰ですが、僕が言い出せば病院送りです。

 共産圏は革命と称しては人の道を外れて、頭がオカシイと難癖をつけては、
次々と矯正施設送りにしたり粛清しました。そもそも人間はおかしい人が大嫌いです。
ならば、みんなぶつぶつひとりごとをいいましょう。独り言をいうのはこころの健康に
よいのです。けれどみなさんはそれをおかしいといいます。有効な解決手段を
このように塞ぐのがなによりの矛盾ではなかろうかと思います。

 いいですか、僕に言わせれば心のおしゃべりというのはブツブツ喋ってるやつと
たいしてかわりません。思考は計算でもしてみればわかりますが、ブツブツ喋らずに
できるはずです。思考というのは言語で知るんじゃないんですよ。思考で考えるより、
アルファ碁みたいに計算してたほうが効率いいですよ。言語は前提の包含関係が
ゆるいので、考える際には前提を考えたり、矛盾をチェックしなければなりません。
論理的な思考のロジックのくるいと倫理観のタガが外れたくるいをりょうほう狂ってると
称して恐怖の対象にしてると言うのはそもそも人間共通のできの悪さです。
ゲイという言葉がそもそもは同性愛を指してませんでした。言語の本質的な機能というのは、
原点に帰るのではなく、補足的な意味合いがもとの意味にすり替わって違う意味を
もたらすということです。故に、喋れば喋るほどもともとの目的とはずれていくように
出来ているのです。だから、文化論などという得体の知れない物を書いては新発見が
できるのです。文化というのは所詮もともとの支配体制の遺物と現政治体制との
混合物にしか過ぎません。よって、補足的な意味合いが次にいくのです。だから、
何のためというのはでてきません。元のものはきえてしまうから。先が知りたいなら、
おまけをみればいいわけです。本のページを見て次をめくるのと同じようなものです。

1年前 No.390

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

雑記にするつもりが皆様になってしまった。
皆様向けに書いたものではなかったのに。

1年前 No.391

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

雑記さんみたいに哲学を馬鹿にする人は多いです・・そういう哲学を馬鹿にする人は、理性を頼りにしていない人たち・・

1年前 No.392

くら @goburin ★iPhone=xMtA2CYZuX

こんにちは。
では僕も横から失礼。

>横から失礼、哲学とは集団のものか?
哲学という言葉の語義が分かりかねますが、倫理学を指すのでしたらそれは明らかに集団のものでしょう。認識論や間主観性の話ならば、唯我論的文脈からの議論がありえるので、個人が問題になる場合もありましょう。しかしそういった試みの確定はやや形而上学的でフワフワした話になるので僕は自信ないから関与しn(お口チャック)。

>教科書と権威は集団だろうが、幸福は個人だと思います。
幸福は動物のものだと考えています。視座を有する(パースペクティブである)我々は世界と常に相互関係しながら生きていますので、個人の考える幸福は動物としての人間の幸福と不可分であると考えます。異論は多々ありますが。

>では真理は教科書に書いてあるのか?一個人の意見なのか?
真理を人間が把握することは普通に考えればできませんので、教科書に書いてあるのは答えではあっても、唯一無二の真理ではありません。この辺りをよく勘違いされるのですが、哲学が真理を探究する学問であることと、その探究が到達不能であること、そして哲学に答えがあることは矛盾しません。

哲学者は、「どうもこれで上手く行くらしい理論」をたくさん考えてきたのです。それは仮の答えであり、不完全ではありますが無意味ではありません。実践世界では不完全な分析も有意義なのです。

>結局は真理は誰が決めるのか? 個人か? 集団か?
想定しておられる真理の語義からすると、その確定は困難だと言わざるをえません。そもそもの真理がどのようなものを指した言葉なのかを熟考されると何か見えてくるかと思います。僕自身は不勉強ですが、プラグマティズムの真理観なども面白く思われるのではないでしょうか。

>日本人と外国人は真理が違うのか?
それは文化相対主義的な議論の文脈だと考えますが、真理の語義がやはり不明瞭です。倫理学における規範を問題にされているのであれば、規範はある程度文化相対的です。それどころか状況相対的とまで言えます(本当かはわかんないよ!!)。真理をたとえば……デカート的な懐疑の最後に残るものと考えるならば、それは人間の認知能力の限界がある以上、近普遍的なのではないでしょうか。

1年前 No.393

うさぎ ★Tablet=cT88eYp8V3

>393 くら 様

ご意見をいただき、ありがとうございます。 わたしは、とても くら様のようなレベルには

到底およびませんが、面白く興味深く読ませていただきました。認識論の立場から、つい個人と

集団という発想が生まれましたもので、すみません。

1年前 No.394

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 内から外か 外から内か
どちらかしかないんですよ。

「人の考え方」としては、「どちらか」しかないです。

宗教家は外から内を考えるんです。
技術者とかは内から外を考える。
科学実験する研究者は内から外へ向かう。
数学者も内から外ですね。

では哲学者はどちらなのか。
これは当然というのがないんです。
文献を参照してどう活用するかでどちらかに属するわけです。
これが真意だと言うことにこだわるなら外から内へ
読んで何かオリジナルに変えてしまうのは内から外へです。

倫理はどうなのかというと、
研究者側は内から外へ、
ACなどの公共広告機構だとか、道徳の教科書を作るような人たちは、
外から内へと言うかたちです。

答えというものが外側にあるというか、答えがあるという考えを外と言います。
答えを作る側が内です。どちらを優位にするかということです。
どちらからつなげるのかということにはどちらからでもいいのですが、
つなげようとすることには違いはない。

これがつまり、つなげるわけですけど、効率というか最短手順で繋げられるのは
スキルなどと言われるわけですよ。つなげないでそのままでいるのが
本来の世界です。無限の選択肢を持つのが世界の有り様ですから、つなげるということが、
そもそもおかしいんですよ。だって無限から選択を狭めるわけですから、そこから、
ありとあらゆるなどないわけですよ。答えというのはそもそもがたくさんある選択から
正解を選ぶわけですから、すべての答えは全てになるわけがない。

1年前 No.395

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

ルソーがマゾぅで筋肉信仰の元祖だった以外に興味を持ったものは
スピノザ商会だった。名前が良い。
アダム・スミスは十七歳のときにオックスフォード大学へ行き
本当につまらないところで失望したという。
「国富論」の中で
「教えるふりをしてるだけ」と書いたおかげで博士号をもらえなかった。
ベンサムも
「オックスフォードで学問を修めることは不可能」などという。
国富論は初版が1000本しかないらしい。
カントは現象だけ考えてればいいらしい。無理解ですいません。
ヘーゲルは目的があるんだといいたいらしい。
マルクスもエンゲルスもすごい髭を生やしてます。
ハイデガーは田舎好き。フロイト見て思い出した。心理学の起源は
人は猿から進化したのかどうかを先祖の霊を降霊術によって確かめようとしたため
だった。それが催眠術の研究につながって、精神分析へとつながるのです。
ウィトゲンシュタインには三人兄が居たがみんな自殺。金持ちなのに。
サルトルは他の女性との行為を恋人のヴォヴォワールに丁寧に報告していた。
一方ヴォヴォワールにもたくさん愛人が居た。
ラッセルの弟子ってすごい人達ばかり。ウィナーにウィトゲン。
名前がいいです、チョムスキー革命。

1年前 No.396

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 髭はマナー違反なのか。

マナーが普遍を持つのではない特定の集団を規定するための様式ぐらいのものでしかなくて、
絶対性がないというわかりやすいものがこれです。
髭ははやしてぼーぼーにすればたべかすとかくっついて雑菌とかわくだろうから、
衛生的ではないと思うんですけど、日本の場合、アイヌ人とかははやしてたみたいけど、
江戸時代と今の戦後社会除いてヒゲを生やすのは当然で全然剃らないんですよね。

髭を剃るのは当然だというのはイスラム教徒から見れば宗教差別ですし、
ユダヤ教徒にとにかく剃れというのは暴言に等しいわけです。
日本人だからヒゲを剃れというのは私に言わればじゃあ、日本人なんてただ日本に生まれてるだけで
何の思想もないだろうとおもいますよ。

日本民族の誇りだの一体感だのと言うのは戦後のGHQが解体したものの一つで、
一致団結というものは戦後の岸信介あたりがヤクザ使ってぶっ潰したもので、
今更、日本人がだとか言うんじゃねえと思います。

 なんで、こんなのを書いたのかというか、やっぱそうして当然ってのが気に入らなくて、
嘘の塊ですよ。

 今調べて思ったのは、カミソリができたからジレットのカミソリがね、
でもジレットは髭をはやしてるんですよ。
ネット見てたら、モダンボーイには髭がないっていうんですよね。
映画なんて役のために髭があると駄目なんですよね。ヘアスタイル変えられないようなものなので。
だから、映画俳優だから剃るようになったんですよ。
当時の映画は文明の最先端みたいな側面があって、日本も映画というと映画スターというか、
映画の歴史の話ではないのでね、僕も詳しくないけど。
髭そって当然と言うのはそもそもなかったんですよ。ある程度剃って形を整えるというのは、
あっても全部剃り落とすことは習慣にはならなかったんですよ。
これを作る理由はテレビが大きかったと思うんですよ。テレビドラマをする役者に髭とか、
あるとイメージが限定されちゃいますし。

1年前 No.397

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

学園紛争

 思想で社会を変えるということが単純に学園闘争と言うかたちで噴出するわけです。
ナントカ運動というのはどこか政権に対する不満とかがあって、政権交代を目指すわけです。
 労働者なら労働闘争で、共産主義運動というのは資本から生産を奪い取るというか、
で5月危機はうまく行って日本の学生運動は見事にきえたわけです。

この種のものを見て思うのは思想が浸透したかどうかではなくて、その思想を皮切りに、
どんな事件が起こったのかということばかりが記録されるわけです。

 思想というのはアメリカのプラグマティズムというやらなきゃいかんという考えがあるらしくて、
いくら、高度に思考しようが所詮人間の体なんて一つしか無いんだから思想の数だけすることなんて、
ないんですよ。たくさん検討して一つ選んだら、あとはみんなつかわないわけです。
考えることはたくさんしてもできることは限られるんですよ。
そういう意味でも思想と現実は一致しないんですよ。もちろん、思惑が外れるなんていつもです。

 思想を元に行動するという運動という段階に成ると、思想の理念が反映されるとはいいがたい、
状況が会って、喋ってるうちだけはまともなんですよ。どうも旧来のものを変えることに、
こだわりすぎてしまう側面が強くなります。考えてみれば、すでに出来てるシステムははっきり、
していて、けど、運動する側はひとりひとり考えも違うわけでそこに、革命の表看板があり、
となると、革命後のシステムの中での自分の位置づけを考えずに、決まってないまま、
壊すことがはっきりしてしまって、壊すだけになってしまう。

 全部が全部というわけではなくて社会主義、共産主義というのはちゃんと成立しましたから。
学生運動というものは失敗してしまったというか。

1年前 No.398

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 エポケーというか彼がどういう意図でいうのかは僕には永遠にわかりませんが、

書くことどんどん書いて詰まってかけなくなってそこで切ったんですよ。
学園紛争ってのは。結論になったから切ったんじゃなくて書くことが浮かばないから切ったんですよ。
正しいもへったくれもなくて書くことがないから切った。

書くだけ書いて思うこともなければそこで終わりなはずだけど。
思考がでてこないなかで、画面を見てて、それで結局なんだと思いました。

 大抵は、かっこに入れるって書いてあるんですよ。
正直誰もわからないんじゃないですか。そんなふうに言われて。判断停止だって、
先入観で決めないという話でしょ。いくらでもいいかたなんて変えられるので、
人間の物の見方なんて催眠術でレモンを甘く感じさせることができるのに、
言葉で状況判断停止だの、かっこにいれるだの、バカじゃねえのって。
言葉一つでどうとでもできるなら、呪文でも唱えて世界をダイヤで埋め尽くしてるよ。

 そんななんてけなし言葉ですけど、そんなって言うと大抵はけなし言葉の枕詞みたいなね。
価値観における判断や、いくらかの行動様式は先入観で決まってる部分があるけど、
根源的な余りそういうふうな適当語はいいたくないけど、集合的無意識だっけか、
そっちはあれこれ考えてどうにかなるならどんな幻覚だって自由自在に見えますよ。

 僕にははっきり見えるこれをとりあえず、判断保留で停止できると思うほうが、
どうかしてると思います。

1年前 No.399

百理 ★5n9Jhh5DYh_Vx8

被災地の隣り町の道の駅に行ったのです。お通夜みたいでした。お年寄りの人が避難しているのか見かけません。

もう今この県はこわもてのおじさんお兄さんたちが表を歩いているだけです。僅かに一緒に妊婦さんが買い物をしています。

哲学も表はこわもての男の人ばかりですが・・きっと哲学に詳しい年寄りや女の人は家の中から出てこないのだと思います。

1年前 No.400


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