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哲学談話室

 ( 哲学掲示板 )
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ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

どこのスレに投稿するか、いろいろな理由で迷うことはありませんか?

既存のスレ、新規のスレ、いずれもいまいちに思うような場合に、気楽に投稿できるようにこのスレをつくります。

したがって、テーマは哲学に関するものなら原則自由。
独り言でも議論でも形式は問いません。
他のスレの話題がそこのスレ主旨とずれてきたような場合に、ここで続行するというような下請け的利用も可。

スレ主の私は基本仕切りませんので、各人ご自由にどうぞ。

1年前 No.0
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Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1393 ザビビのふくろうさん、

>Fu:私の意図が明確になるように言い換えます。

>いやいや、私はそんなことは言っていません。(以下略)


承知しました。解説ありがとうございました。

------------------

>再度、Mobiusさんに質問します。

>質問(1)のA氏が、本当は我が子を助けたいけれども、良心に従って5人の子供の命を救う選択をした場合、彼は偽善者になるんですか?


A氏の中で「我が子を助ける善度が1」「5人の子を助ける善度が5」であったなら、本当は我が子“も”助けたいけど 両方共は救えないので、5人の子を優先させたことは「善」だと思います。

A氏の中で「我が子を助ける善度が10」「5人の子を助ける善度が5」であったなら、我が子を優先すべきです。しかし、「善」以外の何らかの尺度で5人の子を優先させたのだとしたら、「善」に逆らったわけですから 彼は悪人です。それを善だというのなら、そんな善は「偽善」です。

A氏の中で「我が子を助ける善度が1」「5人の子を助ける善度が5」であったのにも関わらず 我が子を優先して助けたなら、彼は「善」以外の尺度を優先させたのですから、悪人です。

※実際のケースでは、「我が子を助ける善度」と「5人の子を助ける善度」を こんなに単純に比較することは難しいと思います。なので、必ず「葛藤」や「躊躇」が発生します。しかしここでは、「葛藤」や「躊躇」という弱い感情を持たない「スーパー善人」の話をしているので、上記のとおりになります。


>質問(2)の老婆の場合も同様に質問します。

>仮に、長男が跡継ぎで妻も子供もいて、次男は独身であるとしましょう。

>老婆は子供のためにも長男を死なすわけにいかないと考え、人質には次男を選ぶとします。

>もし、この老婆があなたの善人の定義の意味で善人であったとすると、老婆は次男を犠牲にして長男を救いたかった、ということになりますよね。

>しかし、(設定上ですが)実際の老婆はそうではなく、二人とも死なせたくはなかった、けして長男より次男を人質に選びたいわけではなく、良心に従って仕方なくそうしただけで、正直な母親としての気持ちは、どちらも選びたくなかった、というものであったとしましょう。

老婆は偽善者なんでしょうか?

(1)と同じです。「長男を救う善度」と「次男を救う善度」とを比較して、大きい方を選ぶのが善。そうでない方を選ぶのが悪です。悪の見え方によっては「偽善」になります。

※世間一般で言われるところの「偽善」とは、「装う善」のことで、他人から見たら善に見えるけど 目的が善以外の場合を言います。
ここでいう偽善は、「他人から見たら善」で在った場合に限り「偽善」となるのであって、他人の目が無ければ「非善」となります。

4ヶ月前 No.1401

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

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4ヶ月前 No.1402

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1393  ザビビのふくろうさんへ

>「存在を問う」スレ388において、あなたの相手は自分のマナー観を語っています。

http://mb2.jp/_tetsugaku/927.html-388#a
>あなたはそれに対して、次のように返答することもできたはずです。

>あなたのマナーはわかった。しかし、自分はマナーとはこう考える。つまり、自分のマナー観では「さん」づけで呼ぶべきであるし、丁寧語で書くべきであると考える。あなたに私のマナー観を押し付けるつもりはないが、そういうわけで私はマナー観を共有できない相手、私のマナー観で礼儀知らずのあなたとは議論しません。

>以上のように言えたはずなのに、あなたはそうは言わなかったですね。それはなぜですか?


 上でも良いですよ。でも、SumioBabaの主張するマナーを自分個人だけのマナーだと主張するよりも、このマナーを守る人たちは他にもたくさん居て、自分はそのグループに属している、と説明した方が説得力が有ります。実際、時さん、ザビビのふくろうさん、えぴめてうすさん、はみなこのマナーを守っています。「こちらが多数派ですよ」と訴えるのは、「こちらが絶対に正しい」とは言えなくても、「支持してくれる人はこちらの方が多いのですよ」と強調する点で、大いに意味は有るのです。
 科学において絶対的真理は無く、厳密に言えばすべての理論は「仮説」に過ぎないとは言えても、殆どの科学者が受け入れている「仮説」と、誰も受け入れないインチキ科学の「仮説」とは、月とスッポンほどの開きがあり、自分の立場が「スッポン」ではなく「月」の方であることを主張するのは重要なことです。

>あなたは相手も守るべきものとしての共通のマナーの存在を前提にして、マナーを守るように要求していますよね。

>これは自分のマナーの押しつけにはならないんですか?

>ということです。


 押し付けているつもりは無いです。前にも時さんを含む3人でこういう話になり、「相手を「さん」付けで呼び、丁寧語を使うべきだ」というマナーを個人的には支持するけれども、他人にまで押し付けるつもりは無いし、その点の判断は管理人さんに任せるべき、といった話をしました。

>ちなみに、上記レスであなたが「マナー」と言われているのは、広義の「モラル」「社会規範」に含まれます。

>私の立場からは、あなたは相手がマナー(モラル)違反を犯しているからそれを批判・守るように要求しているわけで、きわめて真っ当な要求です。

>しかし、あなたの立場からすると、あなたは相手が自分のマナー観に従っているのに、あなたのマナー観を押し付けようとしていることになるのではありませんか?


 押し付けてはいません。もし相手が、「やっぱり自分は、相手を「さん」付けで呼ぶこともしないし、丁寧語も使わない。それが自分のマナーだ。」と主張されるのなら、SumioBabaは「ああそうですか。それは貴方の自由です。ただし、私はそういう人とは議論はしません。」で終です。

>>1395  ザビビのふくろうさんへ

>私の主張は、倫理・道徳というのは、共同体規範、すなわち共同体の成員が従わねばならないルールであって、当然その強制力が及ぶのは、当該共同体の構成員に限られるわけですよ。


 だったらこの日本には、盗みや殺しを「悪」だと考える共同体Xと、「悪」だと考えない共同体Yの両方が存在して、「盗みや殺しはいけません」という道徳は、共同体Xの構成員たちだけには通用するけれども、共同体Yには通用しないことを認める訳ですね?

>例えば、サッカーでは、例外を除いて原則的にプレイヤーは手でボールに触れてはいけないわけです。

>しかし、ラグビーではそうではありませんね。

>つまり、サッカー選手とラグビー選手は、その意味で異なる共同体の成員なわけですよ。

>もし、サッカー選手がラグビー選手に、ボールに手で触れてはだめじゃん、などと言っても無意味でしょう?

>彼らの従っているルールが異なるんだから。


 つまり、「盗みや殺しは悪だ」と考える共同体Xも存在して良いし、「盗みや殺しは悪ではない」と考える共同体Yも存在して良いし、一方の考えを相手に押し付けてはいけないということです。彼らの従っているルールが異なるんだから。

>Babaさん、次を理解してください。

> 個人の道徳観≠道徳(モラル)

>これが理解できていないから、

>「sinは人それぞれ」

>「倫理は人それぞれ。人の数だけある」

>などというような、非常識かつ間違ったことをおっしゃるわけです。


 「個人の道徳観」と「道徳(モラル)」とを区別できていないのは、ザビビのふくろうさんの方です。両者は別物だからこそ、「道徳(モラル)」を「個人の道徳観」を無視して押し付けてはならないのです。
 「道徳(モラル)」の方は、特定の共同体の中だけで主張できるものですから、共同体Xにおける「道徳(モラル)」は共同体Xの構成員たちにだけ適用できるのであり、共同体Yの構成員に押し付けることはできません。
 「個人の道徳観」は個人個人が好きなように選んで良いので、自分が共同体Xに所属するか共同体Yに所属するかも、好きな方を選んで良いのです。

    補足
 余談になりますが。現在の社会では、「ケンカが強い」ということが殆ど役に立ちません。暴力なんか振るったら、たちまち「傷害罪」に問われてしまい、損をするだけです。しかし、原始時代、まだきちんとした法律も無い社会だったら、「ケンカが強い」は人間にとってこの上無い価値が有ったと思われます。ケンカの強い人は親分となり、弱い人間を子分や奴隷にし、自分は何も働かずに裕福な生活ができたはずですから。
 現代という時代に生まれ、体格は良くてケンカなら絶対に勝つ自信が有るのに、学歴は無いため、社会の底辺でもがいている人もたくさん居るでしょう。上司は自分より小柄で、ケンカだったら簡単に勝てるだろうに、部下として逆らうこともできず、悔しい思いをしているでしょう。こういう人の場合、「法律なんか無い方が良い。盗みも殺しも許され、ケンカの強い人間が天下を獲れる社会の方が良い。」と本気で思うのではないでしょうか? 盗みや殺しを「悪」だと考える人が99%以上居るかのように思い込んでいる人も多いでしょうが、本当はそう考えない人も20%〜30%くらい居るかもしれません。

4ヶ月前 No.1403

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>ザビビのふくろうさんへ


 前に「タバコのポイ捨て問題」についても意見が分かれましたね。

    《タバコのポイ捨て問題》
=「まだ「タバコのポイ捨て禁止条例」が定められていない町での話。X氏がタバコのポイ捨てをしました。するとY氏がX氏の腕を掴み、「タバコのポイ捨てはダメだよ。拾って吸い殻入れに入れないと、この手は離さないよ。」と言いました。X氏は反論し、「法的に禁止されていない以上、吸殻を拾って吸い殻入れに入れる義務は、私には無い。その手を離さないと、逆に強要罪でキミを訴えることもできるのだよ。」と言いました。…どちらの主張が正しいでしょうか?」

    SumioBaba意見
 X氏の方を支持する。

 「タバコのポイ捨てはいけない」(=※)というのは、@ 法的社会規範、A 道徳的社会規範(モラル)、B 個人的道徳観、のどれか? @ではない。ではAか?、Bか? もしX氏とY氏との間で意見が一致しているのなら、少なくとも2人の間ではAと見なせるが、今はそれも違う。つまり現在の段階で※は、Y氏のB 個人的道徳観でしかないのだから、それをX氏に押し付ける権利は無い。X氏にも※に従って欲しいのなら、「タバコのポイ捨て禁止条例」を法的に定め、sinではなくcrimeとして、それを犯さぬようX氏を従わせるしか方法は無い。

 もし「タバコのポイ捨て禁止条例」が法的に定められれば、もちろんX氏はそれに従わねばならない。従わなければ罰を受けるだろう。しかし、たとえ従う場合でも、X氏はタバコのポイ捨てをsinだと思うか思わないかは自由であり、相変わらずsinだと思わない方を選ぶ可能性も有る。ただし、@ 法的社会規範として定められた以上、※はもはやY氏のB 個人的道徳観であることを越え、町全体のA 道徳的社会規範(モラル)に昇格する。

 「タバコのポイ捨て禁止条例」が否決になる可能性も有る。Y氏は非喫煙者で、喫煙者を嫌っているが、この町の住人の90%は喫煙者であり、60%がこの法案に反対することも有り得る。喫煙者の視点に立てば、吸殻で街が汚れるデメリットより、自分が好きなタバコを自由に吸えなくなるデメリットの方がはるかに大きいからだ。この場合※は、Y氏のB 個人的道徳観に留まり、A 道徳的社会規範(モラル)とは見なされなかったことになる。

 ザビビのふくろうさんは、Y氏を支持されるのでしょうか?

4ヶ月前 No.1404

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>1403  SumioBabaさん

>だったらこの日本には、盗みや殺しを「悪」だと考える共同体Xと、「悪」だと考えない共同体Yの両方が存在して、「盗みや殺しはいけません」という道徳は、共同体Xの構成員たちだけには通用するけれども、共同体Yには通用しないことを認める訳ですね?


いやいやいや、認めるわけないじゃないですか(笑)
なんでそうなるのか、正直理解に苦しみます。
この例で言えば、共同体Xは日本ですよ。
その共同体Yも、日本の中にある限り、日本国家という共同体・社会の中に存在しているわけでしょ。
ですから、当然共同体Yの構成員は全員共同体Xの構成員でもあるわけですよ。
 Y⊂X
だったらそれらの構成員は全員日本という国家、すなわち社会・共同体の構成員でもあるわけですから、日本の道徳的社会規範に従わねばならないじゃないですか。
そして日本では盗みや殺しは道徳的罪であって、当然いけないことです。

サッカーとラグビーの例では、まったく異なる共同体であって包含関係にないでしょう。
ブタ肉食をしようが、それをしまいと、日本という社会においては道徳的に許容されています。したがって、どちらでも自由なわけです。
しかし、仮にある宗教団体が人肉食を許容しているとしても、日本社会では道徳的にも法的にも許されないこと、すなわちcrimeでありsinです。

>「個人の道徳観」と「道徳(モラル)」とを区別できていないのは、ザビビのふくろうさんの方です。両者は別物だからこそ、「道徳(モラル)」を「個人の道徳観」を無視して押し付けてはならないのです。

>「道徳(モラル)」の方は、特定の共同体の中だけで主張できるものですから、共同体Xにおける「道徳(モラル)」は共同体Xの構成員たちにだけ適用できるのであり、共同体Yの構成員に押し付けることはできません。


このあなたの主張で、次のように置き換えて読んでください。
「道徳(モラル)」を「ポア(殺人)はなすべからず」
「X」を「日本」
「Y」を「オウム真理教」

明らかにあなたの主張が間違っていることがわかりますね。

それと、どうもBabaさんは誤った認識をお持ちのようですが、ある個人的道徳観が同じ人たちの集団=共同体ではありません。
それは納豆好きの人の集合が直ちに共同体であるわけではないのと同様です。
タバコのポイ捨て賛成の人の集合も、直ちに共同体を構成しているわけではありません。SumioBabaさんは、賛成派・反対派をただちに異なる共同体の成員とみなしているようですが、それは誤りです。
>「個人の道徳観」は個人個人が好きなように選んで良いので、自分が共同体Xに所属するか共同体Yに所属するかも、好きな方を選んで良いのです。


上の例でも明らかなように、共同体X=日本の構成員である限り、殺しを容認する共同体Yの構成員であるなら、道徳的に間違った思想を持つ共同体に属していることになり、それを実行に移した場合、道徳的にも法的にも罪を負うsinnerかつcriminalとなります。
共同体Yの規範において正しいとしても、日本という社会の道徳的社会規範ではそのYの規範自体が社会道徳的に間違っていることになります。

>>1404
>ザビビのふくろうさんは、Y氏を支持されるのでしょうか?


Y氏が次のように返せば、彼の言い分を正しいものとして支持します。

Y氏「もちろん、手は放すよ。すまなかった。でも君ね、『法律に書いてあるのかっ?』っていうのは、まさにモラルを欠く人間の常套句だよ。君はそんな人なのか?法律に書いてあるから従うというのは、道徳的人間ではない。私は君のモラルに訴えているのだ。この地域では喫煙者が多く、条例にないことはもちろん知っている。しかし、タバコのポイ捨てに迷惑する人もおり、環境を汚すことも事実であって、こういった行為がモラルに反することは既に日本では常識だろう。だからこそ外国から来た人々が日本のゴミ箱もないのにゴミが落ちていないことに感嘆するような状態が保たれているんだよ。私は君も持っているはずの日本人としてのモラルに訴えて、君に言っているのだ。君が自分をインモラルな人間ではないというのなら、タバコの吸い殻を拾いたまえ。」

現在、法律化されていないことを前提に言いますが、私の住む地域(一応大都市)では、咳・くしゃみが出る人はマスクを着用すべきとのマナーが一般に定着していると言えると思います。
私の知る職場では、咳をしようものなら、「マスクしてください。迷惑です」と間髪をおかず言われます(笑)
それに対して、あなた個人の価値観を押し付けないでください、などと反論する人は皆無です。
このことは、それが義務・マナーであることが大多数の人によって承認されている、ということだと思います。
電車やバスに乗っていても、マスクもせずゴホゴホ、ブッシュンブッシュンやっている人は、マナーのない人であると大多数の人が考え、そういう場合マスク着用が義務・マナーであると受け入れられていると思います。
タバコのポイ捨て、歩きタバコ、こういったものも、すでにマナーとして大多数の人が承認している時代になっているにもかかわらず、なおそういうマナーに従わない人がいたので、外的強制力に訴えるため法的に規定されるようになったのだと私は思います。

さて、SumioBabaさんの考えの間違いは、これまでも述べてきましたが、次の点にあります。
@ 個人的道徳観
A 道徳的社会規範(モラル・倫理)
B 法律(法的社会規範)
この分類をBabaさんも認めていらっしゃるので前提にします。
Babaさんの考えは、Aの道徳的社会規範というのは、要するに、@の個人的道徳観が、Bの法律によって、いわばお墨付きを得たものにすぎません。
法律として定められ、それと一致する個人的道徳観、それがモラル・倫理である、ということです。
そして、それは何の根拠もない、Babaさんの勝手な思い込みに過ぎません。
道徳的社会規範の成立については、信頼のおけるソースを何度も示して、説明もしています。
だいたい、Babaさんの説が正しいのなら、無文字社会、未開社会を始め成文法が存在しない社会では掟・モラルが存在しないことになります。そんなバカなことはありません。
何度も繰り返し説明したので省略して言いますが、モラルのような規範は、慣習等によって、共同体・社会の成員の大多数に間主観的に共有・ルールとして承認され成立したものであって、通常は法的お墨付きなどを、その成立のための必要条件とはしていません。
例えば、このことはマナーではないにしろ、自然言語を考えてもわかるでしょう。
自然言語の文法(正書法は除く)はいわば慣習的に成立してきたものであって、法律的に決められているわけではありません。
だけど、文法書が書かれる前から厳然としてその文法はありますし、語の正しい使い方というものもそれによって決まっています。
もちろん、それらは法律的に決まっているわけではないので、変化はしますが、文法を無視した個人による勝手意味付けをしていても、コミュニケーションが成り立ちません。
「君、その言葉の使い方間違っているよ」と言葉の使い方の間違いを指摘して、「法律に書いてあるのか」と反論されたらどうするんですか?

前のレスにも書きましたが、Babaさんの「sinだと思うこと」というのは、「個人が“してはいけない”と思うこと」であって、それが法律で定められたcrimeと一致したからといって、法律はcrimeを定めただけであり、個人の思うしてはいけないことがsinになるわけがありません。
それは単に、してはいけないと個人の思っていたことが、crimeとして定められたということにすぎません。これに反論するなら、あなたの考えるsinを定義して、法律がsinを定める権限をもつことをきちんと理路を明らかにして説明してください。
私の意見を繰り返します。
sinというのは「モラルに反すること」であって、個人のしてはいけないことがsinであるかいなかは、モラルに反しているか否かによって決まるのであって、法律が決めるのではありません。そして何がモラルであるかも法律が決めるのではなく、共同体や地域、社会においてそれが大多数の人によってモラルとして承認・共有されているかによって決まります。
本来モラルに誰もが従うのなら、いちいちこんな細かいことを法律化することは必要ないと思いますが、こんなことまで法律化しなくてはならないということは、A氏のようなモラルを欠く人間が日本にも意外に多いということでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
相手マナー観
>議論に丁寧語なんて必要ないよ。

さん付けも必要ない。
議論におけるマナーが何かと問われれば、それは誠心誠意議論に望む事だよ。表面上の丁寧語やさん付けなんてまるで意味が無い。相手が真摯に議論してるかどうかなんて内容見りゃわかるし。
審判は嘘やミスリードに警告を出してるわけだが、審判はそういうのをマナー違反として取り締まっとるわけやな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
SumioBabaさんのレス
>相手を「さん」付けで呼ぶとか、丁寧語を使うとか、なぜこんな簡単な事ができないのですか? マナーを守れない人とは議論しません。

>例えばSumioBabaがA社の社長、貴方がB社の社長で、取引のために商談をするとします。SumioBabaは「私がA社の社長をしている○○○です。あなたがB社社長の△△△さんですね。よろしくお願いします。」と、貴方を「さん」付けで呼び、丁寧語を用いて話しています。ところが貴方は、「おう、オマエがA社社長の○○○か、オレがB社社長の△△△だ。」とこちらを呼び捨てにし、丁寧語も使えません。こういう場合、SumioBabaの方としては呆れ返ってしまい、「貴方のように常識の無い人とは取引はしない。」で終です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> 相手を「さん」付けで呼ぶとか、丁寧語を使うとか、なぜこんな簡単な事ができないのですか?

>マナーを守れない人とは議論しません。


相手方は、自分のマナー観に従って述べているのだから、「守れない」というのは、Babaさんのマナーが正しいと前提して、「あなたも守るべきである」としていることは明らか。

>こちらを呼び捨てにし、丁寧語も使えません。


相手方の主張によると、使えないのではなく、使わないだけ。それをあたかもいけないかのように述べていることは明らか。

>こういう場合、SumioBabaの方としては呆れ返ってしまい、


自分の価値観にしたがって、それを従うこともできない人間に呆れた奴だ、と述べています。
これを、相手方のマナー観を認めているというのは強弁以外のなにものでもありません。

それに、私の批判に対して「上でも良いですよ。」と返すこと自体が、個人の倫理観の押し付けと、マナーに従った正当な要求との区別がきちんとできていないことを示しています。
以上。

4ヶ月前 No.1405

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>1401  Mobiusさん

>※実際のケースでは、「我が子を助ける善度」と「5人の子を助ける善度」を こんなに単純に比較することは難しいと思います。なので、必ず「葛藤」や「躊躇」が発生します。しかしここでは、「葛藤」や「躊躇」という弱い感情を持たない「スーパー善人」の話をしているので、上記のとおりになります。


あのね、正直言うとちょっと混乱しているんですけどね(笑)、
「スーパー善人」っていわば「聖人」のことじゃないですか。
で、あなたは聖人には倫理などいらなくて、倫理は我々ただの人間に必要だって言ってましたよね。
例えば、あなたの考えでは、聖人であれば、最愛の我が子であってさえ、5人を救うべきという良心に従っている限り、我が子を犠牲にして5人を救いたいし、実現したら喜ばしいわけですよね。これ、普通の人間ではありえないですよね。
つまり、ということは聖人はいわば神の法に従っているのであって、人の法=倫理に従っているのではないというべきなんじゃないのでしょうか。
人間の倫理では、我が子をたすける善の度合いと、5人の子供をたすける善の度合いを比較して、決定!などということは不可能でしょう。
つまり、私が言いたいのは、倫理(人の法としての)というのは、こういった状況では、利己利他一致は不可能なものである、ということです。
老婆は、私が設定した状況では、そりゃ長男を救うほうを選ぶでしょうが、当たり前のように次男だって犠牲にしたいわけじゃないですよ。
だから葛藤が生じるわけで、現実というのは、倫理と自分にとって望ましいことが、どうしても不一致となってしまう、よって良心回路3.0なんて機能不全に陥ってしまう、そういった不条理性を有している、ということを私は言いたいわけです。
ですから、
>>1312 において、あなたは、
>次のような場合、(中略) A氏と老婆が選ぶ、自分にとって最大利益となる行為とは何?

という問いについて次のようにレスしました。
質問(1)については
> A氏の価値観によって変わります。

>Babaさん風の表現方法をまねるならば、

 >5人の児童を救う幸せが5、自分の子供を失う不幸が10だとするなら、進路を切り換えない。
 >5人の児童を救う幸せが5、自分の子供を失う不幸が1だとするなら、進路を切り換える。
>となります。


質問(2)につては
>「お二人のご子息のうち、片方を人質として銃殺しますが、どちらをお選びになりますか?お選びにならない場合は、両方のご子息が銃殺されることになります。」


>息子Aを失う不幸を2、息子Bを失う不幸を1とするならば、息子Bを選ぶ。

>息子Aを失う不幸を1、息子Bを失う不幸を2とするならば、息子Aを選ぶ。

>息子Aを失う不幸と息子Bを失う不幸とが同程度である場合は、無作為にいずれかを選ぶ。

~~~~~~~~~~~~~~
ここの回答は、今回の「善度」ではなく「不幸」となっていて、いわば「望ましくない度合」であり、「不利益度」で説明を行っており、今回と同じく合理的に片付く形になっています。
だから、ここにも言えることは、
「倫理(人の法としての)」と「望ましいこと」との葛藤がここにもない、
ということであり、
「不条理な現実」を捨象・無視してしまっている、ということです。
ですから、この最初の見解も、倫理的人間の現実を捉えていない、と言えると思います。
で、今回の「善度」での説明は、聖人にのみ当てはまる理想論にすぎず、やはり、ふつうの人間の現実を捉えていない、と言えるでしょう。

というところで、自分でも非常に中途半端なんですが(笑)、どう思われますかね?
A氏と老婆の選択についての捉え方は、変わりましたか?

>皆さんへ

よく考えてください。

質問(1)のA氏の葛藤は、どちらが「よりしたい」かの葛藤でしょうか?
違うでしょう。
葛藤があるとすれば、「したい」と「すべき」の葛藤でしょう。
すなわち、我が子を救いたいが、5人の子供を救うべきではないか。
我が子を救って、5人の子供を犠牲にすることは倫理的に許されるのか?
葛藤はこの「たい」と「べき」の葛藤です。
それが倫理的動物としての人間というものです。と私は思います(笑)
A氏が仮に、自分の子供を救える利益と、我が子を犠牲にして他人の子どもを救ったということで得られる世間からの称賛の利益を比較して、どちらが利益が大きいかと悩むとしたら、こんなやつはセーラームーンに天にかわってお仕置きてもらわねばなりません。

質問(2)の老婆の場合もそうです。
どちらも犠牲にしたくないのに、しなければいけない現実における葛藤でしょう。
人間の倫理としては、本来、どちらかを選ばねばならないということが善であるとは思えないわけです。
なのに、選ばねばならないのです。
そうすると、本来Mobiusさんの定義なら、老婆は偽善者です。
それでも例えば、彼女は、長男が結婚して妻も幼い子もあり、次男が独身である場合、人質に選ぶのは次男になるかもしれません。
それはやはり妻や子のためにそうべきであると、考えるからでしょう。
限定された状況の中でのせめてもの利他=善と考えるということでしょう。
しかし、母親として、どちらを選ぼうと望ましくない、不利益であるに決まっています。
より望ましいほうを選ぶんですか?
二人ともが母親にとって同じように愛する息子たちであれば、どちらであろうとより望ましいということなどありえません。
その次男が小さいころから病弱で手がかかり、将来にも不安があるにせよ、その母親にとってはしっかりした長男より心情的には可愛いかもしれません。
それでも、やはり、母親が倫理的人間であれば人質に選ぶのは次男でしょう。
その理由が、そのほうが望ましいから、のわけないじゃないですか。
それは自分の義務だからであって、そのほうがより望ましいからではないのです。
そもそもどちらかを選ぶことなんて善なわけないじゃないかっ!
そんなことを老婆を命じるドイツ兵が悪なんだよ!
と言いたい、私は(笑)

4ヶ月前 No.1406

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1406 ザビビのふくろうさん、

私もだんだん混乱してきました。ふくろうさんは、この対話を通じて何をしたかったのでしたっけ?

「『真の善人、利己利他一致でみんなハッピー』の思想( >>1297 )」を唱える人に、ジレンマを含む問いを突き付け、その思想の問題点を浮き彫りにしたい ということでしょうか?

-------------------

「躊躇」「葛藤」「逡巡」「迷い」… これらから解放されるから「幸せ」になれるのでしょう? だから、幸せになるということは ある意味 聖人に近づく ということです。

「倫理の話」は どこから出てきたのでしたっけ?

>>1348

>いつも問題になる規範の「べき」ですが、ここにも出てきましたが、そこでこのMobiusさんの主張が倫理命題であるとしたら、

>「気持ちに正直に選ぶべきである」

>ということだろうと思いますが、私はこれは倫理命題としては、はっきり言って破綻していると思います。


そうですね。聖人化したら、倫理を超越しますので。
つまり「Mobiusの主張が倫理命題であるとしたら」という前提が不成立ということです。

(倫理の話は、これで片付きました。(笑))

-------------------

>質問(1)のA氏の葛藤は、どちらが「よりしたい」かの葛藤でしょうか?

>違うでしょう。

>葛藤があるとすれば、「したい」と「すべき」の葛藤でしょう。


それはそうかもしれませんね。人間は未熟ですから。


>それが倫理的動物としての人間というものです。と私は思います(笑)


聖人ではないので、倫理の軛に囚われるのは仕方ないのかもしれません。(笑)

-------------------

ここから反論というか反感ですが(笑)

「我が子を犠牲にして5人の他人を救うのが倫理に適っている」とか
「かわいい次男より妻子ある長男を優先するのが倫理に適っている」とか
私は、そういう価値観を持ち合わせておりません。なので、これを「倫理」と言われても困ります。

何を以て倫理に適っているとするかは、A氏や老婆の内面によって変化しますので、一概には言えないと思います。
自分の我儘で5人の子や長男を優先するケースだってあるでしょうし。

4ヶ月前 No.1407

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1405  ザビビのふくろうさんへ

>なんでそうなるのか、正直理解に苦しみます。

>この例で言えば、共同体Xは日本ですよ。

>その共同体Yも、日本の中にある限り、日本国家という共同体・社会の中に存在しているわけでしょ。

>ですから、当然共同体Yの構成員は全員共同体Xの構成員でもあるわけですよ。

> Y⊂X

>だったらそれらの構成員は全員日本という国家、すなわち社会・共同体の構成員でもあるわけですから、日本の道徳的社会規範に従わねばならないじゃないですか。


 いいえ、違います。
  X⊂日本、Y⊂日本
です。

>そして日本では盗みや殺しは道徳的罪であって、当然いけないことです。


 日本では、Xが「盗みや殺しは道徳的罪である」と考え、Yが「盗みや殺しは道徳的罪ではない」と考え、多数派はX、少数派はYだということです。多数派がXだからといって、少数派のYが間違いだとは言えません。
 与党が提案した法案が多数決で可決したとしても、反対していた野党が間違いだったことにはなりません。法律として定められた以上、与党も野党もその法律に従う義務は生じますが、相変わらず野党はその法案を好ましくないと考え続けて良いのであり、考えそのものを与党に一致させる必要は有りません。むしろ、一致させない方が好ましいのです。賛否両論有るからこそ、いろんな側面から物事を多角的に考慮でき、それが自由主義社会の大きな利点なのですから。

>サッカーとラグビーの例では、まったく異なる共同体であって包含関係にないでしょう。

>ブタ肉食をしようが、それをしまいと、日本という社会においては道徳的に許容されています。したがって、どちらでも自由なわけです。


 はい、そうです。だからXもYも、どちらも自由です。

>しかし、仮にある宗教団体が人肉食を許容しているとしても、日本社会では道徳的にも法的にも許されないこと、すなわちcrimeでありsinです。


 日本社会において、法律で人肉食が禁じられていれば、それはcrimeです。もし違反すれば罰を受けるでしょう。しかし、それをsinと見なすかどうかは個人の自由です。いわゆる「思想の自由」です。ザビビのふくろうさんは、日本社会における多数派Xの道徳を少数派Yにまで押し付けており、それだと「思想の自由」が認められないことになってしまいます。SumioBabaが反発しているのはこの点です。
 そして、人肉食をsinだと思う多数派Xの間では、これが道徳として成立しますが、人肉食をsinだと思わない少数派Yにまでそれを押し付けてはいけません。

>このあなたの主張で、次のように置き換えて読んでください。

>「道徳(モラル)」を「ポア(殺人)はなすべからず」

>「X」を「日本」

>「Y」を「オウム真理教」

>明らかにあなたの主張が間違っていることがわかりますね。


 意図的なミスリードでイエロー・カード。
 「○○○○○教」の場合は、実際にポア(殺人)を実行してしまったのです。もちろんcrimeですから、罰を受けるのは当たり前。
 一方、ポア(殺人)をsinと考えるかどうかは個人の自由です。「ポア(殺人)はなすべからず」と考えるX、「ポア(殺人)はなすべきだ」考えるY、どちらが正しいと決め付けられません。Yがポア(殺人)を実行すればcrimeですが、実行しなければcrimeにはならないし、「思想の自由」が保証されているため、Yを支持する人に、考えを変えるよう強制することもできません。

>Y氏が次のように返せば、彼の言い分を正しいものとして支持します。

>Y氏「もちろん、手は放すよ。すまなかった。でも君ね、『法律に書いてあるのかっ?』っていうのは、まさにモラルを欠く人間の常套句だよ。君はそんな人なのか?法律に書いてあるから従うというのは、道徳的人間ではない。私は君のモラルに訴えているのだ。この地域では喫煙者が多く、条例にないことはもちろん知っている。しかし、タバコのポイ捨てに迷惑する人もおり、環境を汚すことも事実であって、こういった行為がモラルに反することは既に日本では常識だろう。だからこそ外国から来た人々が日本のゴミ箱もないのにゴミが落ちていないことに感嘆するような状態が保たれているんだよ。私は君も持っているはずの日本人としてのモラルに訴えて、君に言っているのだ。君が自分をインモラルな人間ではないというのなら、タバコの吸い殻を拾いたまえ。」


 X氏はこう答えるでしょうね。→「キミとボクとは、モラルの公理そのものが異なるのだよ。キミのモノサシで測って、ボクを「インモラルな人間」と呼ばれても不愉快なだけだ。何をモラルと考えるかは人それぞれ自由であり、他人に強制してはいけないんだ。それこそ、異なる宗教の信者たちが争わず平和に生きていくための知恵だ。まず、その点を学びたまえ。」

>だいたい、Babaさんの説が正しいのなら、無文字社会、未開社会を始め成文法が存在しない社会では掟・モラルが存在しないことになります。そんなバカなことはありません。

>何度も繰り返し説明したので省略して言いますが、モラルのような規範は、慣習等によって、共同体・社会の成員の大多数に間主観的に共有・ルールとして承認され成立したものであって、通常は法的お墨付きなどを、その成立のための必要条件とはしていません。


 SumioBabaはこう主張しているだけです。→「何をsinと考えるかは人それぞれ異なるため、同じ価値観の人々の間では同一の道徳を共有できるが、別の道徳を支持している人に、自分が支持する道徳を押し付けてはいけない」。「無文字社会、未開社会を始め成文法が存在しない社会では掟・モラルが存在しない」なんて言った覚えは有りません。

>前のレスにも書きましたが、Babaさんの「sinだと思うこと」というのは、「個人が“してはいけない”と思うこと」であって、それが法律で定められたcrimeと一致したからといって、法律はcrimeを定めただけであり、個人の思うしてはいけないことがsinになるわけがありません。

>それは単に、してはいけないと個人の思っていたことが、crimeとして定められたということにすぎません。これに反論するなら、あなたの考えるsinを定義して、法律がsinを定める権限をもつことをきちんと理路を明らかにして説明してください。


 「法律がsinを定める権限をもつ」??? SumioBabaの考えは全く逆で、何をsinだと考えるかは人それぞれ異なり、それは他人から強要されるべきものではないし、法律で統一されるべきものでもない、です。だから、「どんな道徳も、それを受け入れる人と受け入れない人が居る」のであり、「どんな道徳も、それを受け入れる人たちの間だけで道徳として通用するに過ぎず、受け入れない人には強要できない」、です。

>私の意見を繰り返します。

>sinというのは「モラルに反すること」であって、個人のしてはいけないことがsinであるかいなかは、モラルに反しているか否かによって決まるのであって、法律が決めるのではありません。そして何がモラルであるかも法律が決めるのではなく、共同体や地域、社会においてそれが大多数の人によってモラルとして承認・共有されているかによって決まります。


 つまり、そのモラルが通用するのは、それを受け入れている人たちだけであって、受け入れていない人には通用しないということです。

>本来モラルに誰もが従うのなら、いちいちこんな細かいことを法律化することは必要ないと思いますが、こんなことまで法律化しなくてはならないということは、A氏のようなモラルを欠く人間が日本にも意外に多いということでしょう。


 いや、「モラルを欠く人が多い」のではなくて、何をsinだと考えるかが人それぞれ異なるのです。そしてザビビのふくろうさんは、自分の支持するモラル(sinの考え方)こそが唯一絶対に正しいと思い込んでいるため、異なるモラルを持つ人を「モラルを欠く人が多い」と表現してしまうのです。どちらが正しいなどと、一概には言えないのに。

4ヶ月前 No.1408

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_8gk

>>1408  SumioBabaさん

>いいえ、違います。

  X⊂日本、Y⊂日本
です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
我々の考えの違いは、ここにある意味集約されているのではないでしょうかね?
あなたはこのXとYを、「殺しは悪」「殺しを是」と考える、それぞれ対立する個人倫理観を共有する人たちの集合としてますよね。
私は、そうではなく、XとYを「殺しは悪」「殺しを是」を道徳規範とする共同体の構成員の集合として述べているんです。

あなたはいわば、いつも個人倫理観のことしか言ってないし、私は社会的道徳規範について述べているのです。
このすれ違いがいたるところで現れていますよね。
>日本社会において、法律で人肉食が禁じられていれば、それはcrimeです。もし違反すれば罰を受けるでしょう。しかし、それをsinと見なすかどうかは個人の自由です。いわゆる「思想の自由」です。


あなたは「それをsinと見なすかどうかは個人の自由です」と言ってますが、私が言っているのは、「個人がsinとみなすことは悪だ」ではなく、人肉食は日本社会において、crimeのみならずsin、すなわち道徳的悪である、と述べているんです。
ね、違いがわかります?
あなたは個人倫理観について言っていますが、私は個人倫理観を否定しているのではなく、あくまで道徳規範について述べているのです。
ここでは人肉食を規範として認める宗教団体の規範が、日本においては法的にも、道徳的にも認められない、と言っているわけです。
「個人がどう考えるか」について言ってるんじゃないんですよ。
あなたのイエローカード判定についても同じことが言えます。
私は道徳規範について述べているのに、あなたはそれを個人倫理観として解釈して述べていらっしゃるので、藁人形論法になってしまっているんです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ということで、めでたくというべきか、残念ながらと言うべきかわかりませんが(笑)、
いつものように平行線、水掛け論の段階に至ったようですね。
とりあえずこの路線での議論はストップして、私としてはこれまでの流れを整理して、議論が出発したときの私の意図を明確にして、改めてSumioBabaさん、Mobiusさんのご意見を伺いたいと思うのですが、どうでしょう?
ただその前に、あと一つお願いしたいのですが、私としては目下の議論におけるBabaさんのsinの定義、社会的道徳規範(モラル)の定義、その成立条件、それらと法律あるいはcrimeとの関係について、なるべくシンプルにまとめてもらえませんか。
厳密でなくても、目下のSumioBabaさんの主張を理解するときに、前提とすればよい概念の意味を説明してもらいたいんですが。
無理にとは言いませんが、できればお願いします。
それと、もちろん、私に対して「ここを誤解している」とか、言い残したことがあれば、述べてください。
よろしくお願いします。

>>1407  Mobiusさん

最初に「反感」についてコメントしますが(笑)、
私の書き方が悪かったかもしれませんが、別にかまわないんですよ、それで。
つまり、要は、この質問の状況を設定した意図は、本来、不条理であって、一義的にどうすればよいか解釈するのがそもそも無理のある状況なのです。
つまり(人間の)倫理(利他)を考えた場合、利己・利他一致などという都合のいい状況は、かなり理想化された状況でしかないのだと言いたかったわけです。

ということで、本来私が何を言いたかったのかを、そもそもの最初に戻って頭を整理して、改めてご意見を伺いたいと思います。

Mobiusさん、SumioBabaさん
長文レスの読解、投稿、ありがとうございます。

4ヶ月前 No.1409

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_8gk

>SumioBabaさん


あなたとの考え方の違いをはっきりさせるために >>1409 のように書いたのですが、
そう割り切れる言い方でよいのか疑念が生じたというか、なんかモヤモヤしますので、
一つ確認させてください。

あなたは、テロについて、この日本社会において、道徳的に見て悪だと考えますか、考えませんか。

また、テロを道徳的に悪であるとみなす考えを、思想の押し付けとして間違いであると考えますか?

4ヶ月前 No.1410

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1409 ザビビのふくろうさん、

>本来私が何を言いたかったのかを、そもそもの最初に戻って頭を整理して、改めてご意見を伺いたいと思います。


ということですので、本筋については 改めての機会を待ちたいと思います。

ですが、一点だけ傍論の部分に反応します。


>つまり(人間の)倫理(利他)を考えた場合、利己・利他一致などという都合のいい状況は、かなり理想化された状況でしかないのだと言いたかったわけです。


「かなり理想化された状況でしか成立しない」→「現実には殆どありえない」→「机上の空論である」ということがおっしゃりたいのだとすると、そのような捉え方は間違っています。
確かに「如何なる状況においても自利利他一如為るへし」というのは、理想過ぎて現実離れしているように聞こえるかもしれませんが、人間はそっちの方向に向かって努力を続けることで、ちょっとずつですが状況を改善していくことができます。なので 努力の方向性としては間違っていないと思います。

単に「利他為れ」だけだと、どんどん苦しくなって自分を見失います。だから、そのような努力は間違っていると思います。(故に「良心回路1.0〜2.0」には否定的な立場をとっています。)

もちろん、トロッコ問題や老婆の問題のように あまりにも極端な設定の場合は、さすがに修行を積んだ身でも心を平穏に保つのは難しいと思います。
(「イサクの燔祭」も 極端な例のひとつだと思います。)

4ヶ月前 No.1411

削除済み @erasiko ★8iMgnccVyp_Ew9

【この投稿は”管理者-kotori-”により削除されました】 削除者: ことり☆リーダー ( 2018/06/29 21:50 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

4ヶ月前 No.1412

事務所から ★L20YVRIjQ9_EJR

そりゃ全ての物事に対して利己・利他一致させる事は限りなく不可能に近いですが、単に利己・利他一致して自分もみんなもハッピーな出来事でしたらそれほど特別な事ではなく、日常に数多く転がっていますよ。

win-winの関係、商売における基本であり理想形である三方良しの精神等、身近すぎて気づいてないかも知れませんが、具体的な例をあげると写真家が撮影した感動的な写真、音楽家によって作られた名曲、技術者によって開発された商品、古くは自転車からラジオ、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、電話、携帯電話等々。

もっと身近な例で書くと知名度は低いけどめっちゃ面白かった漫画を発見して、面白さを知ってもらいたくて周りに勧めたら周りも面白いと評価を得た時とかね。

4ヶ月前 No.1413

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

金と女

 今どきの女の人は告白をすると内容をラインでみんなで晒し者にして
笑いものにするそうです。立場逆で昔だったら女が書いたラブレターを
男がみんであんな顔でよくこんなのかけんなーギャハハみたいに、
やってたらどちらも胸糞ですね。私にはお前は似合わないんだよと、
その差別感が実にゲスいです。笑うことで冗談で済ませるしさ。
いじめて、楽しいから冗談でしたというような感じです。

 年取ったら老害というのは根本的に間違いですからね。
ついでに、僕は結構年食った人をさんざんディスってるんですけど、
僕の職場は結構いい人多いので、見かけによらないなと思う部分があり、
女性が多いんですが結構ブサイクな人が居てこの人卑屈じゃないかなと、
偏見があったんですがすごい気さくでいい人です。


キャバクラは自分が持てると辞任できるやつしか楽しめない
僕は楽しめない人です。ある程度なるほどなと共感できる所が、
あって、それとは別に、キャバクラというのはモテると勘違い、
させるだけの仕事だなと銀座のクラブだと話し違いますけどね。
接客業と定義してやってる人いるから私プライドあります、
倫理観あるからと楽しませるためにやってますと心から、いうなら、
その人は違いますけどね。金づるや財布程度にしか思ってない人は、
そういう人には該当しないわけです。つまり、キャバは、
モテてると勘違いしてたやつが酒のんで接客になってただけの
飲食業でしかないということです。

ついでに言っておくと
彼氏を作りたい場合、男子校の出たてを
勉強を教えてくれと近づいて教えてもらったら大げさに喜んで
めちゃくちゃ喜んでボディータッチを増やすそうです。

ずいぶん舐められてますよね。
参考までに言っておくと仕事で何でもかんでもやってもらって
当然という態度だったらそれぐらい自分でやれと思うんで、
最初は勝手に人がタバコ出したら僕が火をつけるぐらいの感覚で
やってたんですけど、そのうちやってもらって当然みたいな
態度出してきたので、ほったらかしにしたら態度変わりました。
誠意がないというか男が女にやったとしたら多分好かれない。
たしかウーマンリブの影響だと思うんですけど、
一人の人格として認めてもらいたいんだっけ。それなのに、
頼りにしたいとか虫がいいというか個性なんてかけらもねえのに。
よくいうよ。


話変わってハマると地獄なアメフット
なんつって、あれは、どうにかならないのですかと大学から、
追い出すしかないですね。あれは実力あるやつをみんなの前で、
ボロクソにして追い込んでいいやつをだめにするためにやってる感じ。
優勝できたのはたまたまいいのがいっぱいいただけです。
糞会社ってこんな感じなんだろうね。大塚家具とか。

潰れるまで使ってポイ

「ポン太くんは、ご褒美をいただかなくてもお仕事を
続けていきたい」と言います。
だって(空白)

 空白に言葉を入れましょうという道徳の授業で
社畜教育だと揶揄してましたけどね。
空白にみんなの笑顔があるからとかみんなが喜んでくれるからとか、
それなら僕もそれでいいと思うんですけど、

 サビ残で喜んでもらえるどころか成果が足りないと、
叱られるだけじゃないですか。それにやる気を出せと言ってみたり、
首になったのは自己責任だったわけですよ。
ずいぶんひどい話だなと思います。アメフトもそうだけど、
平成の大不況で大勢のサラリーマンが内田元監督みたいな奴らに、
同じようなことやられてやめたら自己責任だったわけです。
ご褒美いただかなくてもねぎらいの言葉があれば頑張れると、
思ってもいいのですが、ノルマが足りないですからね。
ポンタの場合ならお仕事でいうと家のローンがあってクビになるのは
困るからですか。ご褒美もらえなくて食えるなら僕も納得します。
こういうのって子供が知らなくていいことなんでしょうけど、
奉仕の精神を刷り込むのに、ろくでもないやつに使えることの
危険性を説かないこと自体が狂ってると思いますよ。
年食って大人になったらわかることならアメフト問題は、
問題にすらならずに、内田さんがとっとと追放されて終わるでしょ。
タダ働きさせたやつはみんなで追い出さないとだめですよ。
タダ働きなんて奴隷と一緒じゃないですか。困った人のお手伝いとか、
そういう言葉でくくるのもどうかしてると思いますが。
社会奉仕が正しいのは自分に余裕があって暇な人だけです。

4ヶ月前 No.1414

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

仕事の目的は@社会貢献 A自己実現 B対価を得るため

日本では元来会社のために働くことが自分の夢だとされて、
賃金を要求することが迷惑とされたんだね。
でも、やってたやつらは、内田さんみたいな奴らばかりでさ、
頑張っては役立たずと言われ続けたんだね。
やって頑張って、怒られるならやらないほうがいいよ。

でも本音は、金のためでしょう。で、そのお金というのは、
女性のところへ行くわけでしょう。やってもらってることは、キャバで
持ててるという勘違いを肯定しもらってるぐらいです。
家買って、ローン払って生活苦しい奥さんに罵られて、
そんな人も昔は物知りねっておだてられて恋人になったりしてたわけですよ。
翌々考えてみるとノルマ達成しなきゃならんのもローンも金借りるから。
金借りないから景気悪いし、金余りになるわけだし。

4ヶ月前 No.1415

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

皆さんへ

だいぶん議論が進み、細かい論点についての応酬があったりして、本来の最大の論点を失ってしまってるような気がしますので、再度議論全体を振り返り、整理して、そもそも私が言いたかったことは何か、SumioBabaさんと議論になったもともと最大の論点とは何かを、確認したいと思います。
言うまでもありませんが、以下のまとめはあくまで私から見たものであって、SumioBabaさんは特に異論があると思われます。
また、まとめ方は現在の視点から構成した部分もあり、必ずしも順序どおりにはなっていません。
ですから、不満に思われた点は後でご指摘いただければよいですので、とりあえず了承ください。

そもそもの始まりは、次のSumioBabaさんの考えに対して、私が異論を出したことだと思います。
http://mb2.jp/_tetsugaku/1043.html-103#a

>《人間の行動原理》

> そもそも《人間の行動原理》は、「自分の利益を最大にする行為を選択する」です。これに反するものは考えられません。

>例えば電車で席に座っていて、お年寄りに席を譲る人と譲らない人がいますが、自分が犠牲になって他人の為に尽くしているのではなく、どちらも自分の利益を最大にする行為を選択しているだけです。

>席を譲らない人も、席を譲る人も、本当は自分の利益を最大にする選択をしているだけです。そういう意味で人間は、根っから「利己的」なのです。

>よく、「世界平和を実現しましょう」とか「他人の為に自分を犠牲にしましょう」とか綺麗事を並べ立てている人を見ますが、《人間の行動原理》に反する事を要求されても、誰も従わないと思われます。

>世界平和の実現を目指すのなら、あるいは、他人の為になる行為を求めるのなら、《人間の行動原理》に則り、人々がそうしたくなる方法を考え出す必要が有ると思われます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これまでの議論を前提になるべくシンプルに整理して言うと、
私ふくろうはSumioBabaさんの言う《人間の行動原理》を基礎に据えて、あくまで政治・経済問題としての「平和実現のためにどうしたらよいか?」という問題に取り組むのには賛成だと(今思うと、すでに私なりの改釈を加えていたようですが)。
しかし、それは、あくまでこの問題を解明するための方法論として妥当だと考えるということであって、「人間が利己的である」ということをあたかも人間の本性をとらえた普遍的命題であると考えたら、それは間違いであると、そう主張したのです。
そして、《人間の行動原理》は利他性を捨象してしまっており、例えば倫理の問題を扱うには、利他的行為を考えなければ倫理的問題を扱うことにならない、とも主張しました。
それに対して、SumioBabaさんは、いや、自分の行動原理に例外はなく、倫理的問題も扱える、と主張したわけです。
自分の立場では、利他的行為も、利己的行為に還元してとらえることができるというのがその根拠になっているようでした。
しかし、私は、利他性は方法論的に捨象することはできるが、還元することはできないと主張しました。
ところがここで「事務所から」さんが現れて、
http://mb2.jp/_tetsugaku/1043.html-171#a
本当は「利己利他一致でみんなハッピー」の次元があって、良心回路3.0の段階に至ればそれはわかるが、そこまで到達していない人には利他性は利己性と一致するのがわからないよね、みたいなことをおっしゃったわけです(笑)と私は受け取りました。
そうしたら、
http://mb2.jp/_tetsugaku/1043.html-172#a
Mobiusさんも現れて、それに同意するような発言をするじゃありませんか!(笑)
しかも、SumioBabaさんも同様、「事務所から」さんのコピペを絶賛されました。

それでわたくしふくろうは、どうしてくれようと思い、 >>1297 のレスを書いたのです。
簡単に言うと、「利己利他一致でみんなハッピー」など原理的には夢物語。
夢見るのは自由ですよ。
でも、現実の不条理により、倫理において「利己利他不一致」でハッピーなどと言えない、そういう倫理(人倫としての)の限界がある、というのが私の趣旨。
言い換えると、次のようなものです。
倫理において利己・利他一致などというのは、この現実世界では、きわめて限られた理想的状態であって、利己・利他不一致はふつうにあるし、質問の状況のように、むしろ背理する場合があって、人間は葛藤することになる。このような状況では、良心回路3.0などは機能不全に陥る。
したがって、このことは、原理的に倫理的利他的行為を利己的行為に還元することはできないことを意味する。
それゆえ倫理的利他的行為は、利己的行為としてだけでは語れないし、利他性(べき)と利己性(たい)が本質的に背理する可能性を有する倫理は、この不条理な状況では、この葛藤が生じても合理的に解決することはできない。
つまり、ある意味こう言える。
倫理的問題は、現実を合理的に解決不可能な限界を有している。
理=倫理とする限り、現実は不合理・不条理なのである。
だからこそ、Mobiusさんが >>1312 において示したような、自己利益に基づく合理的解釈は、それが合理的であるがゆえに、利他性を捨象しているのであって、還元できているのではない。

ですから、SumioBabaさんに対しては、Babaさんの立場は倫理の問題を自己利益に還元できないのに出来るとしており間違っているし、実際には捨象しているに過ぎない。
であるから、SumioBabaさんの倫理説は、「べき」を捨象しており、そもそも破綻している。
ただ、Babaさんとの議論は、人間の行動原理があくまで方法論か、それとも人間行動に関する普遍的原理か、という当初の論点より、Babaさんの倫理説についての批判に集中してしまい、もともとの論点から少しはずれたと言えるかもしれません。
ただ、私の主張は、Babaさんの説は倫理(利他性)を捨象しており、方法論としては認め得るということ。
Babaさんの考えでは、そうではなく、《人間の行動原理》は人間行動についての普遍的本質を表しており、したがって当然倫理問題も扱えるというものだったわけです。
ですから、私としては、自説を論証するために、Babaさんの個人的相対主義的倫理説が倫理説として破たんしている、と主張したのでした。
つまり、その意味で、Baba説が倫理的問題を取り扱えない、という私の主張には一応沿ったものではあるのじゃないかな?(笑)
まあ、SumioBabaさんとの議論は、こんな流れですかね。

ビミョーなのはMobiusさんです。
Mobiusさんの見解が、ここで私が問題にしてきた世間の法としての社会的道徳規範についてのものであるなら、SumioBabaさんや「事務所から」さんに対して私が行った批判が妥当すると思います。
しかしながら、最初からMobiusさんのおっしゃっているのが、神の法(cf.行き詰まりスレ >>328   http://mb2.jp/_tetsugaku/1017.html-328#a)についてのことなら、ある意味正しいかもしれませんが、社会的道徳規範としては間違いであると思います。
そして、宗教の問題と倫理の問題を区別していないと思われます。
ロックの区別で言えば、「神の法(宗教の掟)」「市民の法(法律)」「世間の法(倫理・道徳)」の区別で、私が問題にしてきたのは、世間の法です。

以上、簡単ではございますが、まとめとさせていただきます(笑)

本人としては、この整理によって、一応自分の主張は全部したのじゃないかと思いますので、もうあんまり言うことはないかと(笑)
もちろんどう見ても、私の視点からのまとめなので、異論は受け付けます。
SumioBabaさん、Mobiusさん、「事務所から」さんは言うまでもなく、これまで参加はしてないけど、ロムはしていたという方でもかまいませんし、ご意見・反論・質問等、ございましたらレスください。
特に、ふくろうの言うことが一番正しいという方は歓迎いたします。
ま、いないと思いますが(笑)

4ヶ月前 No.1416

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>1411 Mobiusさん、
>>1413 「事務所から」さん

えーと、まとめを書いた後で、少し補足が必要かなと思い、レスします。
利己利他一致が問題なのは、それが「本質的」「原理的」に可能なものであるなら、倫理的行為としての利他的行為を利己的行為に還元することが可能だからなんですよ。
私は、倫理問題を《人間の行動原理》では扱えないと言いましたが、その趣旨は、倫理的行為としての利他的行為をBabaさんの《人間の行動原理》では捉えられない、ということで、Babaさんは、それに対して、いや、可能だと言われたわけです。
今回「事務所から」さんが挙げられているwin‐winの関係だったら、それは「どっちも得」って話じゃないですか。
それならむしろ倫理が問題にならない場面を取り上げているわけですよ。
だから、そんなものがいくらたくさんあったところで、倫理問題にならないじゃないですか。
しかし、たとえば自分の入社したのがブラック企業で、明らかに不良品とわかる製品を客に売るのが仕事だった場合、さしあたり自分が給料をもらう、すなわち自分の利益を得るために、客(他)に不利益を与えることになりますね。
そうすると、ここで売ってよいのか?という倫理的問題に直面するわけです。
最初に例に挙がっていた、電車で座席を譲るか否かというのもそうですが、私が問題にしている利他的行為は、「なすべきか、いなか」ということが問題になる行為としてのそれです。
私に誤解があったとすれば、あなた方の言う「利己利他一致」を、あくまで倫理問題としての利他的行為にも当てはめることができ、原理的にはこの倫理的行為としての利他的行為も利己的行為と同一視できると、そのように主張されているものと受け取ったことでしょう。
とは言え、その誤解は、私の対象としている利他的行為というのがあくまで倫理的行為としての利他的行為であって、ようは「べきものとしての利他的行為」だからなのです。
で、私が質問(1)(2)を挙げたのは、倫理的行為としての利他的行為も、《人間の行動原理》の言う利己的行為に還元するということが原理的に可能である、という主張を否定するために、明らかにその反例となるような状況を持ち出した、ということなのです。

ということで、何等かの説明になりましたでしょうか?(笑)

4ヶ月前 No.1417

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1409  ザビビのふくろうさんへ

>あなたは個人倫理観について言っていますが、私は個人倫理観を否定しているのではなく、あくまで道徳規範について述べているのです。

>ここでは人肉食を規範として認める宗教団体の規範が、日本においては法的にも、道徳的にも認められない、と言っているわけです。


 「日本において、法的に認められない」の方は、成文化された日本の法律を見れば正しいかどうかははっきりするので、すべての日本人に共通だと言えます。しかし「日本において、道徳的に認められない」の方は、いかなる根拠でそう言えるのでしょう? 日本には、「道徳的に認めない人たち」Xと、「道徳的に認める人たち」Yとがいて、多数派はX、少数派がY、というだけだと思いますが?

>ただその前に、あと一つお願いしたいのですが、私としては目下の議論におけるBabaさんのsinの定義、社会的道徳規範(モラル)の定義、その成立条件、それらと法律あるいはcrimeとの関係について、なるべくシンプルにまとめてもらえませんか。


 sinの定義は、辞書に書いてあるように、「宗教上・道徳上の罪」で十分です。「社会的道徳規範」の考え方が、SumioBabaとザビビのふくろうさんとで異なるように思います。ザビビのふくろうさんは、「社会的道徳規範」が成文化されていなくても、ある行為がsinかどうかは100%片方に確定している、と考えておられるようです。SumioBabaは、「社会的道徳規範」は成文化されていないので、どちらか一方にはっきり確定しておらず、ある行為をsinだと考える人が90%、sinでないと考える人が10%居るとき、「社会的道徳規範」による判断もまた「90%sinであり、10%sinでない」としか言えないもの、と考えます。

>Mobiusさん、SumioBabaさん

>長文レスの読解、投稿、ありがとうございます。


 いえいえ、こちらこそ有難うございます。ザビビのふくろうさんが哲学に博識である上、優れた表現力・読解力をお持ちだからこそ、こういう面白い議論が可能となるのです。決してケンカしているのではなく、あくまで学問上の論争ですね。

>>1410  ザビビのふくろうさんへ

>あなたは、テロについて、この日本社会において、道徳的に見て悪だと考えますか、考えませんか。


 SumioBaba個人の意見なら、「悪だと考える」です。しかし日本社会の中には、「悪だと考える」人たちXだけでなく、「悪だと考えない」人たちYも居るはずです。Xが多数派だからこそ、テロのような無差別殺人は法律で禁じられてcrimeだと見なされているのだと思います。仮に日本国民の90%が「悪だと考える」、10%が「悪だと考えない」だとすれば、日本の「社会的道徳規範」を用いても「90%sinであり、10%sinでない」としか言えない、と考えます。

>また、テロを道徳的に悪であるとみなす考えを、思想の押し付けとして間違いであると考えますか?


 自分は今、平和な日本社会に住んでおり、「テロは道徳的に悪である」と考えています。しかし、戦争に巻き込まれたり、家族を皆殺しにされたりすれば、「ここはテロ行為をしてでも報復するのが善だ」と思うかもしれません。こういう立場の人にとって、「テロ」は「テロ」でなく「ジハード(聖戦)」に見えるので、「こういう場合は、悪も仕方がない」ではなく「これこそが善だ」となるのでしょう。
 某宗教の信者は、「非信者は生きる価値さえない」と考えるかもしれません。その教義が真か偽かは証明も反証もできないので、「正しい」とも「間違っている」とも押し付けられません。こういう場合、「何をsinと考えるかは貴方の自由です。ただし、crimeだけは犯さないで下さいね。」と言うしか有りません。

>>1416  ザビビのふくろうさんへ

>そして、《人間の行動原理》は利他性を捨象してしまっており、例えば倫理の問題を扱うには、利他的行為を考えなければ倫理的問題を扱うことにならない、とも主張しました。

>それに対して、SumioBabaさんは、いや、自分の行動原理に例外はなく、倫理的問題も扱える、と主張したわけです。

>自分の立場では、利他的行為も、利己的行為に還元してとらえることができるというのがその根拠になっているようでした。

>しかし、私は、利他性は方法論的に捨象することはできるが、還元することはできないと主張しました。


 例えば日食が起きたとします。ザビビのふくろうさんは「神の怒りだ」と解釈され、SumioBabaは「太陽が月の陰に隠れただけさ」と説明します。ザビビのふくろうさんは、こう主張されます。→「SumioBabaは「神の怒り」を「天体の運動」で捨象しているだけであって、「神の怒り」を「天体の運動」に還元することはできない。」確かに「神の怒り」「神の喜び」などというものが存在するのかしないのかは実証も反証もできないので、「神の怒り」を考えることを間違いだとは言いません。「神の怒り」「神の喜び」が有ると仮定し、それで物事を説明したい人はそれで良いと思います。
 ただSumioBabaにとっては、「天体の運動」(《人間の行動原理》=「人間がどういう行為をするか自由意志で選ぼうとするとき、自分の利益を最大にする行為を選択する」に対応)だけで日食を説明できるので、「神の怒り」「神の喜び」という区別(巷でいう「利己的」「利他的」という区別に対応)は不要になる、ということです。

>ですから、SumioBabaさんに対しては、Babaさんの立場は倫理の問題を自己利益に還元できないのに出来るとしており間違っているし、実際には捨象しているに過ぎない。であるから、SumioBabaさんの倫理説は、「べき」を捨象しており、そもそも破綻している。


 日食を「天体の運動」で説明するのは間違っているのでしょうか? SumioBabaの「天体の運動」を用いた日食の説明は、「神の怒り」「神の喜び」といった概念を捨象しているため、破綻しているのでしょうか?

4ヶ月前 No.1418

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>1418  SumioBabaさん

>sinの定義は、辞書に書いてあるように、「宗教上・道徳上の罪」で十分です。

「社会的道徳規範」の考え方が、SumioBabaとザビビのふくろうさんとで異なるように思います。

我々のモラルについての考えが異なるのはその通りですね。
Babaさんは、sinを「宗教上・道徳上の罪」でよいと述べていますが、実際にはそのようになっていないと思います。
以下、それをざっと証明しましょう。
もしsin=道徳上の罪、というのなら、「sin=モラルに違反すること」となるはずで、ある行為がsinであるかどうかは、モラルにその行為が違反しているかどうかで決まるはずです。
ところがBabaさんはそうは言いません。
 「ある行為がsinであるか否かは、その行為を個人がsinであると考えるかどうかによる」
と主張しています。これはおかしな主張です。この文章の中の「sin」を「モラル違反」と置き換えてみれば明らかになるでしょう。
 「ある行為がモラル違反であるか否かは、その行為を個人がモラル違反であると考えるかどうかによる」
ね?おかしいでしょ。
上に述べたように、sin=モラル違反であるのなら、ある行為がsinであるか否かは、その行為がモラルに違反しているかどうかで決まるのであって、それを個人がどう考えるかによるはずはありません。
これはBabaさんが、sinをモラル違反とする定義に基づいているのではなく、「sin=してはいけないこと」と考えているということを示しているのです。
上の文章の「sinである」を「していはいけない」に置き換えましょう。
「ある行為がしていはいけないか否かは、その行為を個人がしていはいけないと考えるかどうかによる」
つまり、この文章が述べているのは、してはいけないこととは、個人がしてはいけないことと考えるもののことであり、個人倫理観に依存して決まるのだ、とする、まさにBabaさんの主張どおりになるのです。
従って、Babaさんはsinを道徳上の罪と考えているのではなく、「してはいけないこと」としか捉えていないのです。
証明終わり。

まとめると、
Babaさんの考えでは、
ある行為がsinであるかは、その行為がsinであると個人が考えるかどうかで決まる。
つまり、sinはあくまで個人的にしか成立しないものである。
すると、もしsinが「モラル違反」であるなら、
ある行為がモラル違反であるかどうかは、その行為がモラル違反であると個人が考えるかどうかで決まる、ということになる。
しかし、これはおかしいでしょうと、私は言っている。
ある行為がモラル違反であるかどうかは、その行為がモラルに違反しているかどうかで決まるのであって、個人の考えによって決まるのではない、ということである。
モラルの成立は個人主観に拠るのではなく、共同主観に拠るのである。

例えば、
タバコのポイ捨てがモラル違反であるかどうかは、その人がタバコのポイ捨てをモラル違反と考えるかどうかで決まるのではなく、
タバコのポイ捨てがモラルに違反しているかどうかで決まるのである。
で、現代日本のモラルにおいては、明らかにタバコのポイ捨てはモラル違反である。
ポイ捨てする本人がいくら自分はそれをモラル違反と考えないと主張したところで、モラル違反であることにかわりはないのである。そいつはモラルを欠く人間である。

>「日本において、法的に認められない」の方は、成文化された日本の法律を見れば正しいかどうかははっきりするので、すべての日本人に共通だと言えます。しかし「日本において、道徳的に認められない」の方は、いかなる根拠でそう言えるのでしょう? 日本には、「道徳的に認めない人たち」Xと、「道徳的に認める人たち」Yとがいて、多数派はX、少数派がY、というだけだと思いますが?

>ザビビのふくろうさんは、「社会的道徳規範」が成文化されていなくても、ある行為がsinかどうかは100%片方に確定している、と考えておられるようです。SumioBabaは、「社会的道徳規範」は成文化されていないので、どちらか一方にはっきり確定しておらず、ある行為をsinだと考える人が90%、sinでないと考える人が10%居るとき、「社会的道徳規範」による判断もまた「90%sinであり、10%sinでない」としか言えないもの、と考えます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何がsinであると考えるかは人によって異なる。これは事実としては真である。
しかし
ある社会・共同体において何がsinであるかは人ぞれぞれではない。すなわち、人がどう考えるかどうかによって決まるのではない。
それは、その共同体内の大多数の人が承認・共有している対他者関係の規範・ルールであるところのモラル(社会的道徳規範)に違反するかどうかで決まる。

その社会内におけるルールの成立は、法律のように成文化され、客観的に確定しなくとも成り立つというのは、マナーなど、慣習的に成立してきたものの存在が証明している。
慣習的なルールの成立という点について言えば、自然言語の文法もそうである。
自然言語の文法は、人工言語のように最初に規約して取り決めてからできたのではない。
自然言語についても、法律に相当する正書法を定めている国もあるようだが、従来の語法になじんできた人々がそういった取り決めに対して訴訟まで起こして反対することもあるようである。
いわば、素朴な道徳観と法律との齟齬に類比的な事態と言えるだろう。
こういったルールは、規約が先立つのではなく、慣習的に型が成立し、それがルールとして共有されていくといった形で成立するものである。

とにかく、Babaさんは、法律で決まっていない、客観的に文書で取り決めが確定されていない、ということをもって、そういった規範が間主観的に成立するということを一切認めようとしていない。
「殺人は悪」を実証も反証もできない、というようなことも言いますよね。
だったら人それぞれだ、押し付けはいけない、ということの一点張りである。
>ザビビのふくろうさんは、「社会的道徳規範」が成文化されていなくても、ある行為がsinかどうかは100%片方に確定している、と考えておられるようです。


そうではないのです。
この議論では、明らかにそれがマナー・モラルとして成り立っていると言えるような例を取り上げているだけです。親しくもない人を呼び捨てにしないとか、「さん」付けで呼ぶとか、「殺人は悪」とか。
そういったマナーやモラルというものは、何人の人が支持するようになったら成立したと言えるのか、いつの時点で成り立ったと言えるのかといったことは、法律のようにはきちんと確定してはいませんが、だからと言って、決まらない、というわけではないのです。
これはマナーやモラルの共同(間)主観的成立と、法律の客観的成立との違いなのです。
Babaさんは客観的成立と、個人主観的成立しか認めようとしない、というより、まったく共同主観的成立というものを見ようともしていない(いや、実際何度説明してもスルーですから(笑))。
自然言語の文法だって、人工言語の文法の客観的成立と異なり、明らかに共同主観的成立ですよ。
法律…客観的成立
モラル…共同主観的成立
個人的倫理観…個人主観的成立

法律 (客観化)← モラル →(内面化) 個人的倫理観

我々の日常が、そういう成文化されていないが存在するたくさんのマナー・規範によって制約を受けているのは事実です。
100パーセントでなくても、ある社会で大多数の人がそれをマナーと考えるようになったら、それを無視した行為をしたらマナー違反とみなされる、というのは実際に成り立っているのは事実でしょう。
喫煙にしても、マスクにしても、エスカレーターの立ち位置にしても。

特に強調しておきたいのですが、日本の社会では「他人に迷惑をかけてはいけない」という道徳律は、いわゆる黄金律以上に道徳原則として承認され、成り立っていると思われることです。
この原則を根拠に、ある行為が人に迷惑をかけるものであるという認識が深まることによって、従来モラル違反とみなされていなかったものでも、みなされるようになる場合が多い。
喫煙、タバコのポイ捨てなどは、その最たるものだと思われます。
こういった場合、例えばタバコのポイ捨てをマナー違反とするマナーが、その社会の何パーセントの人がそう考えるようになった時点で成立したとみなしうるか、ということは先にも述べたように確定することはできないものの、当該社会において少なくない人がそのように認識するようになった時点で、そういったことに全く無頓着な人は、マナー意識に欠ける人、といった評価を受けるようになる。
つまり、「この人は他人に迷惑をかけても平気な人なんだな」というようなマイナスの評価。そういったマイナス評価がなされることが徐々に増えていく。そういったいわゆる「世間の目」的な圧力もありつつ、マナーの承認・共有が進んでいくものと考えられる。
もちろんそういったマナーを認めることに反対する人もいるだろうから、場合によっては法律で決定しなければならない場合もあるだろう。
しかし、タバコの場合、医学的見地などからの身体への悪影響・副流煙の害などもしばしば耳にするようになり、喫煙は他人にも健康被害をもたらす迷惑行為であるという認識が浸透することにより、非喫煙者のいる場で喫煙することはマナー違反とするルールが間主観的に成立してきたと言えるでしょう。
喫煙者にとっては、これは押し付けではあるが、その正当化は、非喫煙者が迷惑するということによりなされている。
タバコが悪者になり始めたころ、「ちょっと、タバコやめてもらえますか」と、顔をしかめて言われたことのある喫煙者も多いのではないだろうか。

このような「してはならない」というマナーあるいはモラルの成立に関しては、それを是とするか否とするかの立場は一般に平等ではない、という事実が重要なのです。
こういった場合、「してはならない」とするマナーを主張する側は、迷惑かけられる立場から主張するのであって、要は「迷惑かけるな」と言いたいわけです。
この迷惑かけられる立場の人、いわば被害者は、この場合、強いのです。
だって「迷惑かけるな」と言われて、「そんなこと知るか」って言えないでしょう?
Babaさんは価値観の違いを押しつけるなとおっしゃいますが、健康・命にかかわる迷惑をこっちは受けているのだから、要求して何が悪い、加害者のくせに何言ってるんだ、ということになるわけです。
先の道徳原則に拠り、迷惑するものがいるのだから、やってはいけない、そう要求するのは当然、というわけです。
したがって、ここでは、Babaさんが言うような、互いに自分の価値観を押しつけてはならない、という話にはならないわけです。
そうやって、誰もが従わねばならないルールとして承認・共有化は進んでいく。

このように、社会規範というものは、法律のように文書で客観的に確定されなくては成立しないのではなく、
社会の大多数の構成員によって共同(間)主観的に共有され・ルールとして承認される(承認させられる)ことによっても成立するのである。
というか、虚心坦懐に見れば、そのように事実成立しているのは明らか。
そして、その過程においては、上に述べたように、そのルール化に反対する人々にとっては押し付けと言ってもよいような圧力がかかることがあるが、今述べたように、正当化の道徳的根拠があるのだ。
もちろんすべてのモラルの成立がそのような過程を経ると主張しているわけではない。
いずれにせよ、そんなふうに社会規範・マナー・モラルというものは、法律化がなされなくても、成立するものなのである。

結論:
Babaさんは、行為Aをしてよいと考える人と、いけないと考える人のいる共同体Jにおいては、行為Aを違反(罪)とするようなJ全体としてのモラルは成立しえない、と思い込んでいます。
その理由は、そのルールが法律のように成文化(客観化)されていないからだ、ということしかありません
しかし、そういった思い込みを捨てて虚心坦懐に見れば、モラルの起源となる慣習・マナーといったルール、自然言語の文法のようなルールなどは、共同主観的に承認・共有されて成立してきているのは明らかです。

4ヶ月前 No.1419

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>SumioBabaさん


最後に、日食の話ですけどね、
失礼ながらSumioBabaさんは宗教的命題というものがわかっておられないようなので、少しずらして説明しますね。
 ( ;∀;) → (^-^)
例えば、上の左の顔文字が右の顔文字へ変化したとしましょう。
 顔文字というのは、大げさですが、科学的・客観的に言えば、いくつかの直線や曲線、点の集合が一定に配置された図形ですよね。左から右への変化は、それの形や配置等が変化しているわけです。
しかし、我々は主観的に、これを泣き顔の絵から、笑顔の絵への変化と解釈します。
泣き顔の絵としてとらえられた顔文字は、“悲し気”という意味をもち、笑顔の絵としてとらえられた顔文字は“嬉し気”な意味を持っていますよね。あるいは、“泣き顔”“笑顔”という意味を持っている、と言ってもよいかもしれません。
しかし、科学的・客観的に描写したら、そういった意味は捨象されます。
これは人の表情の変化についても同様に言えます。
 目の前の人の表情が、例えば顔文字の場合と同じように、悲しみの表情から喜びの表情へと変化したとしましょう。
このとき、我々は顔の表情を、悲しみや喜びといった主観の気持ちの顕れとして受け取り、表情の変化の上に、その気持ちの変化も見ます。
ですが、この人の顔の変化を科学的・客観的に描写したとしたら、いわば地震による地形の変化とかわりないですよね。
いくら物理・化学的に顔を調べたところで主観などという物は発見されませんし(機械の中の幽霊?)、喜び・悲しみなどという意味も発見されません。
つまりは、この場合も、科学的・客観的描写では“悲しみ”“喜び”といった意味が消えてしまいます。
ですが、言うまでもないことですが、これは何も悪いことではありません。
主観的性質を捨象するのが科学の方法論だからです。
だけど、このように主観的性質を捨象してとらえることができるからといって、主観的性質が存在しないわけではなく、科学とは異なる方法、例えば倫理学のような方法が必要となると私は言っているのです。

このように、私が言っているのは倫理の善悪といった主観的性質は、科学によって、そしてBabaさんの《人間の行動原理》を原理とする方法論によっては、とらえることは不可能である、ということです。
Babaさんの方法論は、ご自身で何度も科学の事例に喩えられたように、人間行動を客観的にとらえようとする一方法論だと私は思うからです。
だからこそ、Babaさんの方法では、人間行動の倫理的側面、善悪の問題、倫理的行為としての利他的行為、すなわち表情のように意味を持ったものとして認識される行為は捉えられない、と言っているのです。

>日食を「天体の運動」で説明するのは間違っているのでしょうか? SumioBabaの「天体の運動」を用いた日食の説明は、「神の怒り」「神の喜び」といった概念を捨象しているため、破綻しているのでしょうか?


残念ながら、この問い自体が、あなたが私の述べていることを全く理解しておられないことを示しています。
捨象することが科学的方法論であって、客観的に天体の運動を捉えるのに有効な方法論ですよ。それを破たんしているなどと、私は全く言っていないのです。
上に既にいろいろ説明しましたし、繰り返しにないますので、ここでは簡単に述べておきます。
基本的に、私はBabaさんの立場は科学的方法論のひとつであると考えています。
そして、科学は意味・価値の問題を捨象する方法論に立脚しています。
ごく簡単に言えば、倫理が扱うのは意味・価値といった主観的対象であり、科学が扱うのは客観的対象です。
そして、私はこの主観的対象としての倫理的意味・価値を、客観的対象に還元することはできないがゆえに、科学的方法では扱えないと言っています。
そして、Babaさんの個人的な相対主義に立つ倫理説は、やはり同様に意味・価値を捨象してしまっており、したがって、倫理説としては破たんしている、と述べているのです。
言い方を換えると、科学的方法論で扱えない倫理的善悪を、客観的方法で扱おうとするから倫理説としては破たんしている、ということ。
以上。

4ヶ月前 No.1420

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

日大の内田が世界の内田に変る時

 移民を入れて日本の会社が日本人にやったことと同じことをやれば、
日本のうちだが世界の内田に変わるんですよ。

 日本っていうのは日大の内田みたいなやつが会社の社長なんだなと。

とくに甘えるなという奴らは特に煙たがられると思いますよ。
消費者がこういうのを作って欲しいから自分たちで作ろうかというところで、
そういう甘ったれるなとかいうやつは特に邪魔だと思うのです。
そういう連中が相手の要望を聞く気ないんですよ。

 しかめっ面で、不満があるとなぐってくるなら相手にしちゃだめです。
そういうのはただの危険物です。強いから従うというのは人としておかしい。
漫画でいうと進撃の巨人で巨人どう扱われるのが適当か考えればいい。
パワハラとかする奴らは基本危険物だとか考えればいいんですよ。

 関わりたくもないし。ようは排他して他所行ってよと思います。


甘えるなと繰り返す。

 同調圧力ということも好きではないし。
生活保護はこれから当たり前になると思いますし、正直現物支給でもいいんですよ。
住むところとか提供してホームレスでも入れてくれるならね。今の生活保護ビジネスは、
だめですけどね。会社はやる気がないとひたすら肯定感を要求しますけど、
どんどん嫌気さしてますよ。この手の議論で思うんですけど、社員って製品作る、
原料だと思えばそもそも原料に文句をいうやつはいないんですよ。だめだったら変えるだけでね。
製品作ってだめだったら原料のせいにしないで普通は自分で選定した能力の低さを認めるのが、
経営者だったら当然だと思うんですよ。僕はそうしますけど。でも、ワンマンなやつらは、
そうじゃなくて責任転嫁しますから。これは科学でいうと実験結果に文句行って装置の、
組み方つまり自分に責任を帰属しないのと一緒で、それって現実認めないの一緒で、
だからどんどんだめになっていくんですよ。
イノベーションが起きないのはクレーム気にする日本企業文化のせいだろうし、
これは言いなりになるのに適してるのにそれがイニシアチブとって従業員に指図してりゃ、
あたらしいことを提案する理由あるわけないじゃないですか。こういう場合は、今ある条件で、
効率的に物事を進めて上に立とうという気概とか努力とかそういうのはないんですよ。
僕貧乏人ですよ。そんな僕だってわかることなのに、やらないってのは後で、今働いてる、
人は、年金もらうときには今の大企業構造はとっくに壊れて、株価どん底行って、
まあ、しがみついてりゃいいよ。ノウハウなんてないってのは彼ら自身わかってるだろうし、
現状はレガシーシステムの維持に人員割いてクソコード守ってりゃいいよ。

高齢者ベンチャー
 一番バカだなと思うのは高齢者がコンビニを経営することでしょうか。
マクドナルドが金持ちになったのと一緒で、いい加減目冷ましたらと思いますよ。
正解は高齢者が暇を使ってドローンでも買って宅配の練習でもして配送ソフト作ることです。
暇があって金があるならしたいことして起業するのが正解なのに、老後不安だから今儲けてる
会社の言いなりになればいいんだとそうやって、不安を出しにして金巻き上げて財務を、
金ピカにしておけば特に何かしなくても金が集まるわけですよ。
体がろくに動かないなら、失敗を同じこと繰り返さないで順繰りに逐次実行してれば、
いずれ正解にたどり着くわけですよ。となると、数あれば相談してみんな違うことを
スレばいいので、これは効率性の話ではなくて多様性の話でね、上が多様で下がその言いなりで、
だから効率的に物作ってね。なんか、朝まで生テレビという番組で、若い人がベンチャーだとか、
それ根本的に違うだろって思うんですね。金ないやつが失敗して借金して返せないなら、
縛られちゃいますからね。高齢者の投資というのは突き詰めれば資本が膨らんで、利益が一定、
ならば、投資としての利率は下がるわけで、旨味がないんですよ。やってることは、
どんどん時代遅れになって、新しいことしないからある時電気自動車とかがでたら、
いまのガソリン車は見向きもされなくていま維持してる経済ってこんな感じですよ。
中国は、ハリボテですから、資産が上がって、人件費上がって工場としてダメになるから、
日本もダメージ。

4ヶ月前 No.1421

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

職場は戦場

 戦争で何が問題というかあれはもともとは人殺しちゃいけないと大の大人が
当たり前にやってることを怖い思いしながら次々と殺していかなきゃいかんという
理不尽を強要されるからです。そんで戦争終わって英雄どころかベトナム戦争では、
避難されたんですよ。

 そういうのと職場を比べるのはどうかしてるんです。
軍隊では拒否権はないですよ。自由ないですよ。命令されるだけだしそういう事知らない、
若い人多いですけど、いけと言われたらいかないと。

 自分の命を気にしてたら統率もへったくれもないから命令絶対にきくように調教して。
職場は自分で判断しないといけないはずなのに、軍隊と同様の価値観であること自体が、
とてつもなく愚かなことだと。

 そういえば、スポーツもそうですね。勝つために選手を使い潰しても構わないというか。
プロスポーツで契約の話するならそれはありなんですが、会社の従業員観は、会社のためとか、
そっちいっちゃうんですね。利益は会社のため、やってることは自分からやってますというのは、

 指導者原理と一緒なんですね。
主体思想とどっこいどっこいです。


就職活動は精神以上の産物

 なんていうか、大学までが目的で受験勉強で自分のためにはどうでもいいことを、
働くために無駄なことをひたすら勉強して頭狂ってますね。
精神異常というか、命令をなんとなくこなすだけの教育をさんざんやって、
研究始める前に就職活動して内定とってさ、それは研究能力とかぜんぜんこだわってないし、
履歴書の書き方にしたって、今でも手書きで、本当に無駄ですよ。スーツなんて、
すごいダサいし、働いてあんな感じのスーツなんて結局着ないでしょ。
就活生だと見るからにわかる服で、それで面接すること自体がとちくるってるなって。
やるきが精神異常を追求してるというかね、会社の命令に従ううちに、どんどんコミュ障に、
なるわけで、それを汲み取る人材がほしいとかなんつうか、病院行けば理解してくれる人
いるからさ。コミュ力って耄碌答弁するバカの意見を翻訳する人がほしいってことでしょ。
それよりも面接官首にしたほうがまだましじゃないですか。
志望動機がそもそもが、プロ選手になりたいのかいいひとで周りの輪を
気にするのかどっちなんだとおもうんですよ。で、アメフトの話見て思ったのが、
対等な契約というよりは、ドラフトの指名かなんかで拒否権とかないということに、
近いんだなと思いました。プロ意識といいながら、そこにあるの自負というよりは、
卑屈さなのですね。学校の勉強それも時代遅れな奴をやっておいて、入っていきなり、
ディープラーニングやらせるようなもので、IT業界で文系だろうが大卒ならソフト作るとか、
そんな感じのバカさ加減はいい加減にやめたらどうでしょうかね。
圧迫面接にしろ、たんに脅かしてるだけでしょ。ストレス耐性だっけ、それ確かめてるとか、
いいますけど、そこで彼らの御眼鏡に適うやつは、あまえんなと部下に言うようなクソばかり。
そういや、僕にくだらないことを行ってきたやつに適当に物言ったらふさぎ込みましたけど、
そういうことできるやつがそもそもあって当然な人であって、理不尽に対して、
うまく切り抜けるなどどうかしてますし、それに唯々諾々してるぐらいなら、下請けが
ちょうどいいし、提案していい人達じゃないので、どっか奥に引っ込んで言われたとおりに、
物作ってりゃ良いと思いますよ。就職活動で内定を何個も取れる人は、個性もへったくれもない。
十年前なら僕も疑問に思わなかったけど、企業は社会を変える力ないので、今の就活には、
本当に懐疑的です。面接では決まりきった面を言わせるくせに、入ったら成果主義で、
渡す給料は全体の仕事量に対しての埋め合わせというか、なんていうか自分の分終わったら、
遅れてる人の分やれっていうんですよ。そんで、やってもみなし残業でしょ。
で、有給撮ろうとしたら甘えるなと拒絶するわけですよ。有給は権利であるなら、会社は、
義務を守らないといけないんですよ。なら、それを甘えるなと拒否するならその会社は、
ルールなんてないんですよ。こうあるべきが先行して事実をみないという、僕は、
こういう、じじつからベキがみちべけないということばかりこだわってましたけど、
べきからじじつをやっきになって当たり前だの行ってみたり、みんなそうしてるとか、
だから社会では常識だと言うんですよね。それを奉仕の精神だとか、みんなのためだとか、
そういう言葉で置き換えないでほしいですね。テレビ業界が終わったらこれが本当に
ダメになると思いますよ。買う側が作ったり提案する側に回ると今までの価値観が
本当に使いものにならないことになりますし、大体、現状を維持すると、固定費がかさんで、
苦しくなる一方ですよ。中国への輸出もアメリカへの輸出ももう期待できませんから。
それ前提で維持してるのが今の企業社会なので。30年までにはヨーロッパは電気自動車に
なりますから先進国には輸出できなくなるんですよ。その時点で自動車産業は終わり。
今の自動車業界には開発力はないでしょう。だって、ソフトのこととかわかってないやつら。
あの程度であんな値段がかかるなんてとそんな人達で、周りの値段やそういう事を考えてない。
下請けにはこのねだんでやれがずっと通じたので。そういうのが研究で結果を客観的に、
見る脳みそないだろうし。

4ヶ月前 No.1422

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1417 「倫理」は、社会を成立させる(秩序を維持する)ための「歯止め」
「歯止め」が無ければ社会が崩壊するわけだから、「歯止め」は支持されるのではないか?
「歯止め」の不支持勢力が過半数に達したら、その「歯止め」は崩れ始める。
「歯止め」つまり「倫理」が保たれているということは、その「歯止め」を支持する勢力が過半数を超えているということの証だろうと推察する。
「支持する」ということは、「それを守ることを是とする」ということだ。それは「守るべき」であり「守りたい」だ。このかけがえのない世界を維持したいということだ。

つまり、利己と利他が一致するケースが過半数に達しているとき、その倫理は維持されるのだ。

(ぶっきらぼうで すみません。)

4ヶ月前 No.1423

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

プロ野球選手のような成果をもとめながら、与える餌は一律って
そりゃ、どうかしてますよ。やらせる範囲もそれはプロジェクトをやるというためだから、
こういうことになるんであって、プロジェクト性には個人プレーって向いてないのに、
これ続けて、どんどん生産性が落ちていくと思います。そういうのでがたがたになって、
どうにもならなくなったら、そりゃ自己責任はあなた達のせいでしょと思いますよ。
そういうことは、いい加減理解してると思いますし。それでもやってるのは、やりたくて
やってるんだろうし。そういう奴らに限って、くびになったら

 ワイ、会社クビ ンゴオ・・・

とか言うんだろうから。なんていうか、自業自得だろう。
そういう大企業に憧れるにしても褒めてくれるやつなんて居なくてさ、
社内にあるのはしかめっつらと、あまえんなのコンボでしょ。
そういうや、叱られ方の研修だっけ、パワハラに対して新人が解決を考えてやるとか、
どんだけ幼稚なんだよと思いました。疑問に思わないのかなと新人さん。
研修プログラムを提供してる奴ら本気でカウンセリングでもうけたらどうでしょうか。
今の就活ってゴキに餌やってるようなもんですね。若い力でウジ虫を元気にしても
余計腐るだけだよ。

4ヶ月前 No.1424

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

お前のためといいながら

 説教してるの会社のためじゃん。
頼ろうとしたらあまえんなとそれなら
そんなやついらねえだろ。
そんで、自力で成し遂げたら、
社長の駄賃は上司のものだろ。
社員に渡すの嫌だから今は派遣で代用です。
派遣なら渡さなくていいから。
儲けを会社がガメて個人消費が上がるわけない。
株取引は機関が主役でその機関は投資ファンドだろうが、
手数料取るわけですから、投資すりゃいいというのは、
胴元のチンチロリンでしかないんですよ。

4ヶ月前 No.1425

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

クールジャパンなんて

 外人の日本礼賛なんて
学校の組体操と一緒で保護者が
わっとおどろくぐらいの自己満足でしかないんですよ。
くだらない教師の見栄のために、
どんだけ時間の無駄遣いだと思いますよ。

 そういうの嫌韓してる連中はホルホルっていうんですよね。
日本のホコリなどただのホルホルじゃないですか。

 過大な品質保持のために若年の労働力を投入しての、
無駄な動きで維持してるだけで、
それカバーするために人件費を安くして、
競争力を維持してるだけ。もうノウハウと言うよりは、
素晴らしい会社信仰がなければ成り立たない産物なのですよ。
それを維持するために自己啓発という自己欺瞞があって、
幸せになるためとか自己実現だと言っては、自分をごまかして、
会社バンザイを言い続ける。

けど、その会社礼賛は昔の戦争でお国のためと言ってるのと
一緒で、自己犠牲を伴うようなことをバンザイと互いに言い合ってるのと一緒で、
その愚かさを未だに精算できなくて、かわりにスポーツにそれがでてる。
甲子園でわかいやつが100球なげることに何の疑問も抱かない。
感動というくだらない言葉のために。

 ああそれでいいんですよ。やって心から喜んでくれるならね。
けど、頑張ってもやって当然で、できないならあまえんなと怒鳴り飛ばすわけでしょ。
そりゃねえよ。

4ヶ月前 No.1426

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1419  ザビビのふくろうさんへ

>結論:

>Babaさんは、行為Aをしてよいと考える人と、いけないと考える人のいる共同体Jにおいては、行為Aを違反(罪)とするようなJ全体としてのモラルは成立しえない、と思い込んでいます。

>その理由は、そのルールが法律のように成文化(客観化)されていないからだ、ということしかありません

>しかし、そういった思い込みを捨てて虚心坦懐に見れば、モラルの起源となる慣習・マナーといったルール、自然言語の文法のようなルールなどは、共同主観的に承認・共有されて成立してきているのは明らかです。


 最近、曲解がひどいですよ。SumioBabaの主張は、「J全体としてのモラルは成立しえない」ではありません。正しくはこうです。→「ある行為について、それを「してよい」と考える人が60%、「いけない」と考える人が40%いる状況では、J全体としてのモラルもまた、「してよい」が60%、「いけない」が40%、というところまでしか確定していない。「してよい」の方が多数派だとは言え、「我々の道徳では100%「してよい」に確定しています」と言うべきではないし、言えない。」。
 ザビビのふくろうさんは、「いけない」と考える人が40%居るのを無視して、「我々の道徳では100%「してよい」に確定しています」と言ってしまう訳でしょう? その点に反発しているのです。

>>1420  ザビビのふくろうさんへ

>このように、私が言っているのは倫理の善悪といった主観的性質は、科学によって、そしてBabaさんの《人間の行動原理》を原理とする方法論によっては、とらえることは不可能である、ということです。

>Babaさんの方法論は、ご自身で何度も科学の事例に喩えられたように、人間行動を客観的にとらえようとする一方法論だと私は思うからです。


 これも誤解です。「狭義の利益」計算では、例えば電車でお年寄りに席を譲るか譲らないかを問うとき、精神的利益が無視されているように思われます。席を譲らなければ身体的損失は0。席を譲ると立たねばならないので身体的損失は−30。世の中には、大きい0の方を選んで席を譲らない人もいれば、小さい−30を選んで席を譲る人もいます。一見すると、利益の大小だけでは人間の行動原理を説明できないように思えてしまいます。
 そこで、精神的利益をも考慮して、「広義の利益」計算に拡張します。席を譲らない人は、他人の為に役立ちたいという気持ちが無いので、席を譲ることでの精神的利益は0。席を譲る人は、「席を譲って良かった!!」という精神的満足感が+50くらい有るため、立つことによる身体的損失−30と併せても+20であり、譲らない場合の0より譲った方が大きくなります。従って「広義の利益」計算で考えると、席を譲る人も譲らない人も、《人間の行動原理》=「人間がどういう行為をするか自由意志で選ぼうとするとき、自分の利益を最大にする行為を選択する」に従っていることが理解できます。
 つまり、「利益」という概念を少し拡張し、「利己」と「利他」とを別物扱いせず、両方を計算に入れたものを「利」として統一しただけです。「利己」と「利他」とを別物扱いしていると見えなかった法則が、「利」で統一すると見えてくる訳です。もちろん今まで通り、道徳・倫理・善悪・モラル・マナー等について考えることができます。

>だからこそ、Babaさんの方法では、人間行動の倫理的側面、善悪の問題、倫理的行為としての利他的行為、すなわち表情のように意味を持ったものとして認識される行為は捉えられない、と言っているのです。


 なぜ? 左右に振れている「振り子」の例え話です。Sさんは位置エネルギーだけを考えるため、エネルギー保存則など無いと主張します。Bさんは運動エネルギーだけを考えるため、エネルギー保存則など無いと主張します。SumioBabaは位置エネルギーと運動エネルギーの和を考えるので「位置エネルギーと運動エネルギーの和として、エネルギー保存則が成立する」と主張します。するとSさん(Bさん)は、こう反論しました。→「単独の位置エネルギー(運動エネルギー)こそがエネルギーなのであって、位置エネルギーと運動エネルギーの和なんかエネルギーではない。SumioBabaの方法はエネルギーを正しく捉えられない。」
 なぜ、位置エネルギーと運動エネルギーの和を全体のエネルギーだと考えると、エネルギーが正しく捉えられなくなるのでしょう? さっぱり理由が解りません。なぜ「利己」と「利他」とを併せて「利」として捉えると、人間行動の倫理的側面、善悪の問題、倫理的行為としての利他的行為、すなわち表情のように意味を持ったものとして認識される行為は捉えられなくなるのでしょう? さっぱり理由が解りません。

4ヶ月前 No.1427

事務所から ★UhClr5Hrur_EJR

SumioBabaさん

少し質問ですが、ナチス将兵と老婆の話ですが、SumioBabaさん方式だとこれは成立しうるのでしょうか?

私がSumioBabaさん形式を踏襲して老婆の立場と仮定して判断すると
子供を両方とも助けたいのでナチス将兵から銃を奪いナチス将兵を撃ち殺すなら全て利己的という視点でいいんですが、
長男を助けても次男を助けてもそもそもの報酬(両方助けたい)を得ておらず利己的という視点からするとマイナスにしかならないのです。

また、良心回路2.0の時は人の為にが正しい事と信じて行動はしてますが、自身の心としては人の為にしたいとは必ずしも思っておらず、単に規範通りに行動している刷り込まれた善で動いてるだけなので、ここでも利己的という点では報酬を得ていないともいえます。

要は倫理問題では外的要因・環境要因によって自身の意思が著しく制限もしくは成立しえない場合があり、全て利己的という側面での捉え方に無理が出る場合があると考えられますが、そこはどう思われますか?

ザビビのふくろうさんの倫理観はとりあえずおいておいて、いわんとするところを私なりに受け止め解釈して、それをわかりやすく単純化すると上記のような疑問が出てきますが、SumioBabaさんはどう思われますか?

4ヶ月前 No.1428

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_8gk

>>1427  SumioBabaさん

>最近、曲解がひどいですよ。


えっ、そうですか?(笑)

>SumioBabaの主張は、「J全体としてのモラルは成立しえない」ではありません。正しくはこうです。→「ある行為について、それを「してよい」と考える人が60%、「いけない」と考える人が40%いる状況では、J全体としてのモラルもまた、「してよい」が60%、「いけない」が40%、というところまでしか確定していない。「してよい」の方が多数派だとは言え、「我々の道徳では100%「してよい」に確定しています」と言うべきではないし、言えない。」。


んーと、ですからね、あなたがおっしゃってるのは、次に類比的だってことじゃないんでしょうか?

「今日は夏日である」、「今日は真夏日である」というのは、25度以上、30度以上といった客観的基準があって、確定的に判断できますね。
それに対して、「暑い日」「寒い日」といったものは、客観的基準がなくて個人主観に拠りますから、確定的には言えないと。
だから例えば、「70%の人が暑いと感じる日」といった言い方しかできない、
ってことじゃないんですか?

>>1428  「事務所から」さん
私の理解の度合いを測るため、あえて横レスさせてもらいます。

基本はMobiusさんの >>1312 の「不幸」を「不利益」に置き換えればよいんじゃないでしょうか。

@ 息子Aを失う不利益を2、息子Bを失う不利益を1とするならば、息子Bを選ぶ。
A 息子Aを失う不利益を1、息子Bを失う不利益を2とするならば、息子Aを選ぶ。
B 息子Aを失う不利益と息子Bを失う不利益とが同程度である場合は、無作為にいずれかを選ぶ。

これを不利益=負の利益と言い換えて、
C 息子Aを失う利益を−2、息子Bを失う利益を−1とするならば、息子Bを選ぶと息子Aを選ぶ場合より、差し引き+1の利益を得る。よって息子Bを選ぶ。
D 息子Aを失う利益を−1、息子Bを失う利益を−2とするならば、息子Aを選ぶとBを選ぶ場合より差し引き+1の利益を得る。よってAを選ぶ
E 息子Aを失う利益と息子Bを失う利益とが同程度である場合は、無作為にいずれかを選ぶ。

要するに、
不利益が少ない=利益が大きい
と考えるということです。

で、私が途中で設定したような、長男に嫁も子供もあるというような場合で、長男を失わせないことを義務と考えて、それを選んだ場合、精神的満足が1の評価を付けられるとしたら、利益+1とし、これを長男を失う場合の利益に加算して得られる利益と、次男を失う場合の利益とを比較して、利益の大きい=不利益の少ないほうを選ぶと利益を得る、と考えればいいのではないでしょうかね?

4ヶ月前 No.1429

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_8gk

>>1429

補足。

要するに、自分の不利益を最小限にする行動をとる、というのも利己的行為と言える、ってことですね。

4ヶ月前 No.1430

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>1423  Mobiusさん
このレスを読んだ感想なんですけどね、
やっぱりMobiusさんは、根底に、「べき」と「たい」は本来一致しうるはずだ、あるいはさせうるはずだ、っていう直感があるんじゃないでしょうか?
つまり、次のような感じでは?

「べき」っていうなら「善」なんだろう。
「善」っていうのに、「望ましくない」なんて、絶対おかしい。
仮にそういう場合があるにせよ、それは本来的にそうではないんじゃないか。
「善」であるからには、本来は「望ましい」ものでなくてはならないはずだ。
「本質的に望ましくない善」なんて、矛盾じゃないのか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~
仮に、「たい」、つまり、「欲望」に従う行動原理を「欲望原理」と呼び、これを動物の行動原理とします。
次に、「べき」、つまり、「良心」に従う行動原理を「道徳原理」と呼び、これを人間特有の行動原理とします。
人間は動物でもありますから、動物の行動原理にも規制されますので、この2原理によって行動の規制がなされます。
人は、このどちらの原理に従うかを選択する自由、すなわち意志の自由を持ちます。
私の考えは、
これら二つの原理が導く行為は、状況に応じて一致することもあれば、不一致のこともある。
つまり、独立である、ということです。
ですから、「善」であることが、本質的に「望ましくないこと」「たくないこと」である、というわけではありません。
人間はこの二つの原理が状況によって背理するがために葛藤せざるを得ない場合がありますが、
しかしまた、動物の行動原理を超え、良心に従うことによって、人間だけに可能な欲望を超えた行為を行うことが可能だということです。

ところで、Mobiusさんは私とSumioBabaさんとの議論はどうご覧になっていますかね。
私、曲解してますか?
フォローできている範囲でもいいので、感想なり伺えればありがたいのですが。

4ヶ月前 No.1431

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1431 ザビビのふくろうさん、

>ところで、Mobiusさんは私とSumioBabaさんとの議論はどうご覧になっていますかね。


コトバンクによると、「社会規範」とは「社会や集団のなかで,ある事項に関して成員たちに期待されている意見,態度,行動の型のこと。その社会に広がる価値体系が成員に内在化されたもので,成員の遵守行為によって顕在化する。広義の社会規範のなかには慣習,伝統,流行,モーレス,法などが含まれるが,それぞれはその存続を保障し,正当性を根拠づける性質の違いによって区別される。正当性の保障が単に人々によって繰返し行われ,また昔から行われてきたということ,あるいは行為そのものの「新しさ」にのみあるようなものと,法のように外的強制を伴うものとがある。いずれにしろ社会規範は,これより逸脱した言動を示す成員に対しては,勧告,罰などを用いて従わせるように圧力を加えるものである。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より) 」だそうです。

社会規範としての成立要件から考えて、100%の人がそれを支持している必要はなく、支持しない人が少数派として存在していても「社会規範」と呼ぶことに差し障りはないと思います。

しかし、「具体的に何%以上の支持なら『社会規範』と呼んでいいのか?」と問われても 答えられません。
Babaさんが例示した「支持60% 不支持40%」という数字は大変微妙で、「60%しか支持が無いものを社会規範と呼んでいいのか?」と問われると、「う〜ん、60%では『社会規範』とは呼べないのでは?」と思います。

例えば、「支持99%以上、不支持1%未満」とか言われると、「それは『社会規範』と呼んでもいいのでは?」と思います。

---------------------

Babaさんに関していうと、(「存在を問う」というスレでも感じたことですが、)この議論における大切なところをわかった上で、そこを突かないように できるだけ慎重に「わざとずらしているのではないか」と感じることがあります。

もちろん、わざとでなくて “天然”で ずらしているのかもしれませんが、Babaさんの知性から考えると「わざと」じゃないかと。まぁ穿った見方ですが。

これは、自説「SB量子神学」に関係があるのではないかと。「SB量子神学」の欠陥を ご自分でわかっていらっしゃるのではないかと。だから、そこに触れることを慎重に避けていらっしゃるのではないかと。

すみません。ただの感想です。(ジェントルマンの鑑のSumioBabaさんが 声を荒げるときって、そういうときなのではないかと ちょっと思っただけです。SumioBabaさんに対してはちょっと失礼な言い方になってしまったかもしれません。申し訳ありません。m(_ _)m)

4ヶ月前 No.1432

削除済み @erasiko ★5RMohCvwYF_Ew9

【この投稿は”管理者-kotori-”により削除されました】 削除者: ことり☆リーダー ( 2018/06/29 21:50 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

4ヶ月前 No.1433

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>1432  Mobiusさん

>具体的に何%以上の支持なら『社会規範』と呼んでいいのか?」と問われても 答えられません


私はそもそも人口のパーセンテージを基準に判断するのは無理なのじゃないかと思うんですけどね。もちろん、それが多い場合は十分条件になることはあると思いますが。
それより、たとえば、マスコミがそのモラル・マナーを常識として語りだすとか、
国の機関などの役所関係・公的機関ですね、それとか大学等の教育機関などで、文書化されないまでも、職員にとっての常識となった時点では、もう成立の十分条件が充たされたと考えでもいいんじゃないでしょうかね。

「このモラル・マナーがまだ十分に浸透していない」
といった言い方は、違和感ありませんよね?
たとえば、「セクハラ・パワハラはいけないというモラルは、まだ十分に浸透したとは言えない」
と言うことができると思うんですよ。
これは、まだこのモラル・マナーに従っていない人がいるけれども、その人たちが従うべきであることが前提で言われていますよね。
ということは、やはりモラル・マナー自体の成立は前提されていると思うんですよ。

必要条件があるとしたら、何でしょうかね?

4ヶ月前 No.1434

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1434 ザビビのふくろうさん、

やっぱり、ふくろうさんと 私やBabaさんとは感覚が違うかな〜って思いました。

私は「モラル・マナーの成立要件」は、「コンセンサスが得られた時点」だと思うのですね。

なので、一般人に浸透する前の状態は、「モラル・マナーとして成立しているとはいえない」と考えます。

4ヶ月前 No.1435

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>>1435  Mobiusさん

>私は「モラル・マナーの成立要件」は、「コンセンサスが得られた時点」だと思うのですね


いや、私も「コンセンサスが得られた時点」だと思いますよ(笑)
「コンセンサスが得られた」というのは、「大多数によって承認された」ということでしょうしね。
ただ問題は、いつ、「コンセンサスが得られた」とするか、じゃないですか。
「大多数」と言ってよいほどにコンセンサスが得られたなら、十分成立したとみなしてよいと思いますが、やはり、私はその基準を人口のパーセンテージとするのは無理があると思うのです。だから、浸透の度合いもどうかなと。
私が先に述べた十分条件は、一応、「一般人にもコンセンサスが得られた」とみなしてよい基準として挙げたんですよ。
「マナー・モラルとして一般人にも十分コンセンサスが得られた」とみなされなかったら、上に挙げたマスコミや公的機関とかでは、常識として扱わないと思うからです。
まあ、これが本当にそうかどうかはわかりませんが、意図としてはそういうことなんです。

ところで、私は、あなたやSumioBabaさんと大分感覚が違いますかね(笑)

4ヶ月前 No.1436

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

わらしべ長者

 僕は生活保護を受給して農業でもして作物を売りもせず、みなさんが欲しがるものを
物々交換する時代が来ると思います。今は現実感がないと思うんですけど。

 ベーシックインカムというのは根本的に働いても金にならないということを
前提にしてるわけですよ。だから、ホームレスとも考えが違うわけです。
ホームレスはなんだかんだ言って、生活保護もらってないと思うんですけどね。

そういや、電気自動車日本に開発する力ないよと前書いたけど僕の間違いでした。
あるんじゃないですか。

 金というのは便利なもので貯めることもできるし、通帳にも記入できます。
食べ物って小麦粉とかお砂糖とか白いものにして乾燥させないと保存が聞かないわけですね。
一方で取れた作物って結構安く売ってくれたりするわけですよ。売れないものは、
おとなりにわけたりするわけですよ。

 金があるからこんな事して一体何になるんだという仕事が仕事として成り立つわけですよ。
自分にとってどうでもいいことが金になるからやってるということってかなりあるわけですね。

 ブロックチェーンでなくてもぴあつーぴあでもいいんですよ。その気になれば
物々交換すればいいんですよ。コモディティバスケットですか、誰それがいくつ作った
と言う情報を融通させればいいし、大量にやって貯蔵とかしないで自分のところに大量に
ストックさせて他の日用品を少量ずつ流通させれば、それで先物以外に新しい市場ができる。

 なんだかんだ言って、家をたてるのに金って都合がいいんですよ。
重労働カネがないとしたくならないので。

 家はあまりますよ。

銀行は今リストラしてるでしょ。未だに体育会系なんでしょうか。保険業の性格帯びてるのに、
本当に無駄だなと思います。日大の内田さんが理事やめたみたいですね。彼は訴えられるでしょ。

 カネがない生き方
高級腕時計とかスーツとかいらないので。高いものを自己満足で買うのはいいのですけど、
仕事でみっともないから買えというのは業務として命令するなら支給しろといいたくなります。
おごってもらって文句言うのはそれはふざけんなと思いますけど。だけど、もらった金に、
あれこれ指図筋合いないのでね。なんていうか、上司より高い車に乗ってると文句言われるとか、
そんなら、たっかい時計いらないじゃないですか。高級マンション売るやつは高い時計買うのは、
常識とかマナーとかそれなりの値段の服でないとかねそういうのって会社の都合じゃないですか。
セールスマンがみすぼらしい格好してると高級マンションが売れないということは、
会社の都合じゃないですか。そういう都合を従業員に押し付けて常識だの文句垂れるのは、
筋違いも甚だしいので。
というか、金のためにそういう見栄はるの会社に対して義理を立ててるのと一緒で、
そういう事を気にしてたら自分がどうしたいとか見失いますよ。


派遣労働は即座にやめて

 プログラムでも書いたほうが良いんじゃないですか。ラインでもいいですけど、
いい加減派遣労働者は全員組合作ったほうが良いですよ。人それぞれなんてろくなものじゃない。
プロジェクトに労働者の名前と参加時間記帳してそれに応じて給料払えば派遣会社切れるはずで、
無駄であっても責任を取りたくないんだろうし。派遣なら派遣らしく失業保険や技術教育も
やればいいのに、単純労働の派遣ばかりでしょう。今の現状を支えてるのは、
横のつながりがまともに作れないからだと思います。


こんな人はクズ

 四コママンガでネットで書いてた話見て、平凡が一番偉いと思ってるバカが居たという話。
働いてないのも努力してるのも失敗しても成功しても叩いてる人なんですよ。
これの味噌は成功してやつを本当を陰口叩いてるわけで、そうやって文句垂れてるやつは、
どこにいるだという話ですよ。悪事の片棒を担いでるという話ですよ。

IBSE(投資家 大企業 自営業 従業員)
どれも考え方が違っていて、成功するのに、適した価値観に変えるのは
生まれたての赤ん坊が歩くぐらいに努力がいるんですよ。歩くぐらい普通なことですけど、
当たり前ですけど、簡単にできましたかという話です。
成功哲学で価値観を変えるというのはそういうことです。
だいきぎょうならミスを許さないことが高い品質を保持するわけで、それが強みですよ。
自営業なら試行錯誤で即座に要望を聞いて答えることが強みですよ。
ミスを許すか許さないかというのは適する適さないがあるんですよ。
それは頭の良さではなくて、感情の問題です。
自分の仕事に責任を負いたくないなら大企業と書いたけど大企業の経営者です。
それは従業員ですお。官僚的になれないひとは従業員です。
使う側と使われる側は全く価値観が違うわけですよ。
投資家はすぐさまリターンを欲しがるけどでかくする立場から見れば換金しないで、
資金を回転させたがるでしょ。倍々ゲームしたいのか手堅く生きたいのかは、
頭の良さじゃないですよ。それを金銭という形で考えるから、自分に適したのが、
どれなのかということを見失うんだと思います。だって、いまは
アメリカの投資家と大企業の社長がすごい給料をもらってるわけですよ。
資本主義がだめになって人工知能の管理する経済というのはこの生き方から選ぶことになると
思います。それは金銭というよりは役割や立場の好みになっていくと思います。
投資家って金がなくてもどれが儲かるつまり人が欲しがるものを見る力なんですよ。
一方で大企業だと形にしたり人まとめたりするわけでしょ。つまりすみ分けがあるし。
従業員は自分だけにこだわってしっかりした仕事をすればいいし、
自営業はばらんすよくできないと務まらないでしょ。これからは大企業の数は
減ると思いますよ。

4ヶ月前 No.1437

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

落伍者としての生き方

 人と同じ失敗しても意味ないんで人と違うことで失敗すれば数が増えれば種類も増えて、
正解にたどり着くわけですよ。同一種というのは環境変化で一網打尽というのと一緒です。


嫌われる勇気

 あれが馬鹿だなと思うのは、一時的に集団を離れて真に合理的な選択をすることが
大事だということはわかるんですよ。集団からはじき出されるというのはミスが有って、
はじき出されるわけですけど、あとは価値観がなじまないそぐわない場合ね。
で、非合理的な集団になったとしてそこに合理的なことをいくら言おうが、嫌われるだけだと
思います。実際そんなことしたらその集団は既得権益壊されるわけですから仲良くできるわけ
ないんですよ。一致団結していたいみたいだから、よくそんなの売れたなと思いますよ。

 っていうか、本で読む内容じゃないですよ。
常識以下じゃないですか。


自分にとって痛いことを言う奴ら

 何でもかんでも言うこと耳貸す必要ないです。
世の中って自分の都合で物考えてる人がお前のためだといくら言ってもそいつのためであって、
こっちには得ないなら耳貸す必要ないですよ。win-winっていう言葉あるけど、
正しくはwin(顧客)-win(経営者)-lose(従業員)と言う構図がほとんどです。
合理的な成長はwin(消費者)-win(大企業)-win(中小企業)資本の効率性でこれが繰り返されて、
貧富の差が拡大したわけですよ。従業員=消費者なら繰り返せば自滅しかないんですよ。
何でもかんでも聞けばいいと言うはずがないですよ。

 これにおいて、唯一の解は準備銀行だけは金を擦れるんですよ。だから今の仕組みで残るのは、
銀行だけが独り占めなんですよ。FRBは民間の銀行だからこのままだとモノポリーが現実に、
なるわけですね。

4ヶ月前 No.1438

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1428  事務所からさんへ

 質問、有難うございます。喜んで答えさせていただきます。

>私がSumioBabaさん形式を踏襲して老婆の立場と仮定して判断すると

>子供を両方とも助けたいのでナチス将兵から銃を奪いナチス将兵を撃ち殺すなら全て利己的という視点でいいんですが、

>長男を助けても次男を助けてもそもそもの報酬(両方助けたい)を得ておらず利己的という視点からするとマイナスにしかならないのです。


 どちらを選んでもマイナスとなる場合は、その中でより大きい値となる方が、「広義の利益」計算を行った場合の「利」(=「利己」+「利他」)を最大にする行為だと考えます。Mobiusさんが具体的計算例を挙げて下さった通り( >>1312 )、ザビビのふくろうさんがそれを引用して下さった通り( >>1430 )です。
 長男を助ける場合が−30、次男を助ける場合が−40なら、−30>−40なので、長男を助ける方が「利」を最大にする行為です。長男を助ける場合が−50、次男を助ける場合が−20なら、−50<−20なので、次男を助ける方が「利」を最大にする行為です。どちらを助けた場合も−40で等しければ、どちらを選んだ場合も「利」を最大にする行為です。

>また、良心回路2.0の時は人の為にが正しい事と信じて行動はしてますが、自身の心としては人の為にしたいとは必ずしも思っておらず、単に規範通りに行動している刷り込まれた善で動いてるだけなので、ここでも利己的という点では報酬を得ていないともいえます。


 この人の場合は、「単に規範通りの行動」を「する」か「しない」かと考えたとき、「する」の方が「しない」よりも「利」が大きくなると判断したから、「する」を選んだものと思われます。もし「しない」の方が「利」が大きいと判断したなら、「しない」を選んだはずです。

>要は倫理問題では外的要因・環境要因によって自身の意思が著しく制限もしくは成立しえない場合があり、全て利己的という側面での捉え方に無理が出る場合があると考えられますが、そこはどう思われますか?


 もちろん「外的要因・環境要因によって自身の意思が著しく制限もしくは成立しえない場合」というのは、大いに有り得ますね。というか、殆どの場合がそうでしょう。そういう場合も、自分が実行可能な行為A、行為B、行為C、…の中から、「利」が最大になる行為を選んで実行していると思われます。それが《人間の行動原理》です。

 以上の説明で、まだ納得がいかない点が有りましたら、いくらでも質問して下さい。

4ヶ月前 No.1439

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

引っ越しと言えば、ウチの会社に入社予定で会社近くに転居してた新卒の奴が3月に
内定取り消しになってたw
既に懇談会や研修もやってて多少なりとも顔見知りができてるから
会社の人間とすれ違う事もあるかもね〜
そんときどんな顔するんだろうなww

新人研修自体が割とハードなんだけど(マラソンなんかもある)
社の方針として新人連中の緊張感を保つために最低一人は途中で不合格にしてるんだよ
4月前に前乗りしたやる気は認めるがそれだけじゃダメなんだよなあ・・・・

研修でイマイチだったワースト順に数人残してから決めたんだけど、
理由としては『何となく』かな?
なんかパッとしない印象があったんだよね雰囲気的に

でも年度によっては、会議で結論が出ずに結局候補の中からクジで決めたり
「コイツなら大騒ぎしなさそう」って理由で決まった事もあるから、まだマシなんじゃないかなあ
たかが研修でダメ出し食らってる様じゃあ結局社会人になる資格が無かったってことだし

上は引用)

 ・・・二年前でさえ、こんな感じですよ。
今は新卒・超売り手市場といってますが嘘ですよ!!
会社の人がいくらそんなことはないと言おうが、なんとなくで内定辞退されても
何の筋合いもないと思いますし。二年前でさえこう。四年前のビデオでは新卒切り
と言う言葉がありました。数年で簡単に切り替わるなら言ってることをそのまま信じるほうが、
どうかしてるとおもいます。

4ヶ月前 No.1440

事務所から ★6u2jpHJina_EJR

SumioBabaさん

ご回答ありがとうございます。
SumioBabaさんの考え方が功利主義的で倫理的利己主義的なものだろうというのがよくわかりました。
また、それによって倫理的な問題点がどこにあるのかもわかってきました。

以下、規範倫理学の学説から部分引用です。

規範倫理学の学説

倫理学は「規範倫理学」「応用倫理学」「メタ倫理学」からなるといわれる。
「応用倫理学」は生命倫理・環境倫理など、現代社会が生み出す諸問題に 倫理学的観点からアプローチする学際的領域で、技術倫理もこの一部である。
「メタ倫理学」は倫理の基本的用語、例えば「善い」「正しい」「べし」などの 意味や用法を分析する学問である。
「規範倫理学」は「どのような行為が本当の意味で善い行為といえるのか」 という問いに答えようとする試みといえる。

現代の規範倫理学を代表する学説には、
・功利主義(目的論)倫理学
・義務倫理学
・徳倫理学
などがあるとされる。

功利主義(utilitarianism)
功利主義の創始者はイギリスの思想家 ジェレミー・ベンサム(1748〜1832)である。 彼の唱えた古典的功利主義では、「幸せ」だけが「善」とされる。 ここに「幸せ」とは「喜びで痛みのないこと」である。 あらゆるものは「幸せ」のための手段となる場合のみ「善」であるとする。 そして、人間の幸せの総量を増加させる行為を「正しい行為」とし、 減少させる行為を「正しくない行為」とする。
このように考えると「最大多数の最大幸福」こそが、究極の目標となる。 健康はそれ自体が善ではなく、幸せをもたらすものだから善だと考える。

中略

功利主義では 「自分の最善の利益になることは、社会全体にとっても利益になり、 逆もまた然りである」というのが前提となる。 シジウィックはこれに疑問を抱いていた。
ヘアをはじめとする現代功利主義者は選好功利主義を唱えている。 この考えに立つと 「各人が幸せと認めるものを追求することを可能とする条件の達成」 が究極目標となる。 この条件とは自由(freedom)と福利(well-being)である。 自由とは自分の人生の重要事項について他人から強制されないことである。 自由であっても、飢餓や病気に苦しむのではなんにもならない。 教育も大切である。 これら自由を味わうのに必要なのが福利である。 日本国憲法が保証する基本的人権はこの2つであるといえる。

最大多数の最大幸福を目標とするなら、 その達成にはどのような手段が最適か調べるのにコスト・ベネフィット分析 (費用対効果分析)を用いることができる。 これは幸福を経済的価値に置き換えて評価するもので、 本来置き換えられない人の命さえお金に換算して考える。 そういう問題はあるものの、単純に割り切りやすいことから多くの場面で使われる。 ただ、単純に割り切ることが問題を発生する可能性があることを忘れてはならない。
古典的功利主義では割り切れない問題を解決するために 行為功利主義や規則功利主義 が提唱されている。
なお、功利主義は 結果だけを大切にするという意味で結果論者の考え方だともいわれる。 結果論というと胡散臭さを感じるのなら「帰結主義」という言葉を使えばよい。 なにを目指すかという観点から「目的論」という呼び方もよくされる。 このほうが「義務論」との対称性がいい。 いずれにせよ同じ意味である。
目的論は功利主義だけではないことは注意されたい。 例えば個人の「幸せ」を善としないで国家の反映を善とするなら、 それは国家主義である。 自分だけの「幸せ」を究極的目的とするなら、 それは 「利己主義」である。 自分以外の他者だけの「幸せ」が究極の目的なら、 それは 「利他主義」である。


倫理的利己主義

倫理的利己主義とは、どのような規範が正しいかを考える際に、「自分だけの『幸せ』をもたらすものがよい」とする考え方で、「規範についての利己主義」である。 目的論の倫理学ではあらゆる行為を目的達成のための手段と考える。 そして行為の善悪は目的の善悪で判断する。 その究極の原理は「幸せ」をもたらすものは善である、というものである。

ここで「その幸せは誰の幸せか」という問題が出てくる。 自分だけの幸せが究極の目的だとするのが利己主義、すなわち倫理的利己主義である。 利己主義に「倫理的」がつくと違和感を抱くかもしれないが、もう少し読み進んで欲しい。 純粋に自分以外の他者だけの幸せが究極の目的なら、それは利他主義である。 そしてみんなの幸せが究極的目的であるとするのが功利主義である。

「利己主義は倫理学の規範としてありえない」と頭から決めつけるなら倫理学は成り立たない。 倫理学とは規範の根拠について考える学問である。 したがって利己主義が悪いならどうして悪いのかを考えるのが倫理学である。

利己主義を「自分の欲望のためになら何をしてもいい」という意味とするなら、規範とはなりえない。 人の物を盗むことやだますことが容認されるなら、自分も盗まれたりだまされたりすることが日常的となる。 そのような社会は自分自身にとっても住みにくい社会であり、結局は自分のためにもならない。 自分の幸せという目的が達成できないのであるから、これは規範として破綻している。

そこで賢い利己主義者はできるだけルールを守るようになる。 尊敬を集めるために、他者のためにしかならないと思えるようなこともするようになる。 したがって利己主義者もその行動からだけではそうでない者との区別はつきにくい。 資本主義社会では自由な競争を認めている。 弱肉強食の世界であるかもしれないが、誰しもが敗者になる可能性もあるので、福祉制度もある程度整えられる。 お互い様であることを認めあった上で各自が自由に自らの幸せを追求する利己主義は、誰もが利己主義になってもその目的が破綻しないという意味で普遍化可能である。 したがって「普遍的利己主義」と呼ばれる。 この普遍的利己主義なら、規範になりえないと頭からは否定できない。 功利主義の説く「みんなの幸せ」という目的も、「みんな」の中でさらに誰が一番大切かという疑問を考えていくと結局「自分の幸せ」が一番という考え方とほとんど違いがない。 すなわち倫理的利己主義は古典的功利主義の前提であって、立派な規範だといえる。

だが、利己主義者がなぜそのようなことをしているのかの真の理由は「自分の幸せ」であって、他者の幸せではない。 他者を害しても自分は絶対報復されないような場合には平気で他者を害せるのが利己主義者である。 本当に倫理的利己主義が規範たりうるかどうか、は難しい問題である。

なお、純粋な利他主義 こそ規範として破綻している。 「困ったことに」他者の幸せとなることをすることで人間は自身も共に喜びを感じてしまうという「奇妙な」特性を持っている。 「他者の幸せのためにはなるが、それで自分自身は苦しみしか感じないことをすべきである」というのは、規範としてはありえない。


以上引用終わり


で、倫理的利己主義で問題になる部分が

『利己主義者がなぜそのようなことをしているのかの真の理由は「自分の幸せ」であって、他者の幸せではない。 他者を害しても自分は絶対報復されないような場合には平気で他者を害せるのが利己主義者である。 本当に倫理的利己主義が規範たりうるかどうか、は難しい問題である。』

の部分で利他主義ではこういった事はありえないのですが利己主義ではありえるので、ここで利己と利他の違いがでてくるのと倫理的な問題が発生するのではないでしょうか?

4ヶ月前 No.1441

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1436 ザビビのふくろうさん、

>ところで、私は、あなたやSumioBabaさんと大分感覚が違いますかね(笑)


(SumioBabaさんは ともかくとして、)

ふくろうさんは、 >>1434
>それより、たとえば、マスコミがそのモラル・マナーを常識として語りだすとか、

>国の機関などの役所関係・公的機関ですね、それとか大学等の教育機関などで、文書化されないまでも、職員にとっての常識となった時点では、もう成立の十分条件が充たされたと考えでもいいんじゃないでしょうかね。

とおっしゃっていますが、

私の感覚では、その段階では「必要条件を満たしていない(コンセンサス不十分)( >>1435 の趣旨)」です。

なので、「感覚がずれている」と思います。

4ヶ月前 No.1442

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

>>1422 Mobius さん

>>1436 を読んでも、まだ、そう思いますか?

だとすれば、それはなぜでしょうか?

私は感覚の違いではなく、考え方の違いだと思うんですが。

4ヶ月前 No.1443

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

お客様第一主義
 自分のことは許せても会社で仕事してたら客のためであって、
その場合ってミスは許してくれないんですよね。
人それぞれという多様性だと行っても実体は大嘘です。
なんつか、残業して当たり前でそしたら家で自由でいるのはすくなくて、
それを好きにしていいとか言ったところで自由なのかというとそうでもなくて。
率先して帰ろうとするとやる気ないというわけだし。

品質管理
 あれは手間暇とのトレードオフを前提としてたはずなのですが、
過剰にやらせてるんですよね。みなし残業ギリギリまで。
その制度廃止したほうが良いです。週休二日という言葉も
やめて完全とソウデナイの違いが詭弁同然なのでそれ、
書いてるあるでしょ言うなら職務記述書書いてほしいですね。
手順とか書いてほしいです。こうしますこうしますと紙書いてよんでもらって、
とりあえず3日ぐらい試用で働いてそこから本採用とやればいいのに。

マナーとは無理解の産物
 人に迷惑かけてはいけませんとかそれ以前に、上下関係を定めたものなので、
本当は下に好き勝手やっていいというのがマナーです。逆はいけないんですよ。
世間が騒ぐんですよ。あるでしょ時代劇で国家騒乱の危機というやつが。
逆らうと宇宙の法則が乱れるからけしからんのです。
 民主主義が入ってきてこれがいったいなんなのかよくわからないまま、
デマゴーグが始まったわけですね。

建前と本音と中身
 建前がもともとそうあってしかるべき、本音はなんていうか、反対なんですよ。
中身は建前と異なってるわけですよ。これがマナーを構成したりルールになったり、
法律の運用だったり、政治家の発言だったり、官僚の通達だったり、正名論というのは、
これが一致すればうまく収まるんだとそのとおりですけど、なった試しがないので、
これかれもないですよ。

資本主義は失敗は成功の母
 これを真面目に理解するのは本一冊分説明しないといけないのですけど、
今北産業ってあるじゃないですか。産業で要約すると結局一言説明と本質変わらなくてね。
東大読書という本の著者が言うには理解してないというのは要約ができてない、
次に疑問がわかないの2つだそうです。端的に言ってしまえば、ようやくにはたくさんが
含意があるんですよ。ノウハウを一言で説明するのは難しいし、成功者に成功するには、
聞かれて一言で済まされるとしたら、それと一緒なんですよ。たくさんの含意があるんですよ。
カウンセリングでなにをもっておわりとなるのかと一言で言えばいいたことが言えればいい。
本当にそれだけなんですよ。そのために何冊も本があるわけよ。
で、疑問わかない人いっぱいいるわけですよ。

会社は自分のものではない。
 会社は自分のものではないです。ただのものであるべきですけど、法人なんですよ。
人なんですよ。おかしい制度だと今でも思います。人がやたら会社に従属して部下に厳しいのは、
銀行が社長に個人保証を求めるからですよ。潰れたら困るというのはそういうことです。
実はそれは資本主義の理念じゃないんですよ。株式会社というのは限られた有限の資本の責任
しか追わないでいいという金持ちに都合のいい制度なんですよ。だから金持ちの保証など、
ほんらいはなかったのね。だって、航海して胡椒をもってきてそこでその都度解散してた。
そこにゴーイング・コンサーンができましたけどね。

ゴーイング・コンサーンなどつづかない
 利息が無限に膨らむのなら返せないのが普通なのですから幾何級数とか高校生でも
わかることをいい加減に認めないし、これからも続くということに疑惑が起きないというのは、
いくら大学でようが頭がおかしいと思ったほうがいいですよ。

日本の政治は誰のためにあるのか
 アメリカです。法律もアメリカのためです。砂川判決で高度な政治問題は司法は関与しないと。
交付金で地方自治を縛って。そもそもが若者が都市に行くからですけど、都市の娯楽って
そんなにいいものでした。オラ、東京さいくだーという歌が昔あったけど、今あるのは、
くたびれた団地と暴落寸前のタワーマンションとディズニーランドですか。
会社がこんなふうにひどいことになったのは財テクを官僚が仕向けたからです。
バブル崩壊が何故起きたのかというブログで財テクすると儲かると経理連中が信じたんだよ。

原因と結果の区別がつかない日本人
 方程式ばかり解かせてたからわからないんですね。わかってたら自己責任論はでないですよ。
でた時点で頭おかしい奴らが勝手なこと言ってるで終わりですよ。なぜ言葉が正しく
つたわらないのかというと、ねじまげたほうが都合いいし、聞いただけで疑問わかない、
つまりわかってない、わかった気になっただけが互いにうんうんいってるからですよ。

そんで極めつけがそれはセクハラですよって。

仕方ないはいらない
 会社の仕事があるのでしかたないから遊びに行けない。義務はあなたの望むことでないなら、
やめましょう。それ守ってみんな少しづつ貧乏になったらそりゃ世の中の常識が間違いだと、
いい加減認めるべきなのに、いつもでてくるのは、やる気ないやつが増えたからに行くんです。

言葉作る脳みそがない
 かわりに、どんどんカタカナが増えてるです。増えてもそれなんですかと言っても
どうせわからない。周囲で同意というものがない。これの問題は言葉にしないと問題にならない、
考えようともしないです。思い出したいのに思い出せないというそのもどかしさも生まれない。
ただ単に、しかたないとそのまま現状を受け入れてしまうわけですね。それはね、
人殺しってすごい憎まれるんですよ。ところが地震で人が死んだとして地震や日本の大地を
あなた達が憎みますかというとないんですよ。つまり、人殺しという言葉があるので、
それを問題にしてとりあげて対策を練るんですよ。ところが金もない目立たないおっさんは、
それと一緒なんですよ。地震とか天災みたいなものなんですよ。これが俗にいう逆差別です。
多数の弱者は当たり前にいるので問題にならないし目立たないというわけです。
逆に目立つ小さい子供が心臓病で移植するのに金がいるというと目立って可愛そうだと
なって、金が集まる。だから、民主主義政治というのはデマゴーグに成りやすいんですよ。
周り巡って政治家や銀行が作った制度に踊らされてるだけですから。
なにがわるいっていうと、資産をふくらし粉で膨らませたからですよ。株公開で、
あぶく銭が生まれるからですよ。でももともとは信用取引するからと金借りてそれが、
三倍ぐらいになったら三倍の借金で資産というのが形成されるし、そうすると税金が
いっぱいかけられるし、となるともともとほとんどないところから金が生まれたと
勘違いするし。けど、それは焼け野原で信用もない人たちを信じさせて働かせて、
労働させるために作った仕組みでしかないのですからそれを今更やめましょうと言ったところで、
仕方ないという言葉がでてくるわけですよ。

こころの時代
 あれしたらこれになったとか他所様のご都合でできた不始末なのに、
それを維持するために今度はこころの時代だというわけですからバカが極まったと言うんです。
これの問題はこうすれば正しいんだといくら正解を言ったところで鍵穴の奥のところを、
ぐりぐりすれば鍵が開くんだというレベルの話なんですよ。
当たり前なことも理解できない、対等であるべき人間関係で妙に威張ってるやついるでしょ。
こうすればいいというのにできない人とかいくらでもいるですよ。
そういう人って会社や世の中や国のせいにすると思うんですけどいざそういうのがなくなったら、
生活困るはずなんですよ。この手問題で兵隊が命令で仕方なくベトナム人を殺したとしますよ。
理由はゲリラと区別がつかなかったから。でもそれはやりたくないんだといくら言おうが、
それは本人が選んだことなんですよ。自由意志ってあるじゃないですか。これを、
いくら言おうが、わからないやつはわからないと思うんですね。だから説明したら、
学問になった気になるわけですけど。意識だの意志だとかいったところで無駄だと思うんです。
言ってること正しいけど現実を見てないというか。例えて言うなら目先しか見えない犬が、
半分開いてる檻から出ようと必死に檻にぶつかってるようなものです。横を見れば開いてると、
わかるわけですが眼の前の檻ばかり見てそこに気づかない。

※警告に同意して書きこまれました (マナー/リアクション)
4ヶ月前 No.1444

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

文学を侮蔑しよう
 小説ってどう楽なんですお。道楽とばかにするなというなら、
小説には大説と言う対義語があるんですよ。じゃあ、みんな大説よみますか。
なんですよね。四書五経暗唱して政治を説いてるのかよ。
 小説なんて突き詰めれば政治が悪いになっちゃうと思うんですけど。
不幸というのはやりたくてやってるでおわっちゃうわけですよ。
理不尽は当人が望んでしてるんですよ。
いくら言おうがどうせわからないよ。ラノベとか馬鹿にする人いると思うんですが、
サブカルチャーという概念自体がおふざけだったものでした。
芸人が蔑まれた時代があったんですよ。遊び人っていうやつです。
賛美歌よりサーカス着たらそっち行っちゃうから、邪悪なんですよ。
 高尚な文学など本来はないんですよ。民主主義になったのでサブカルチャーが、
盛り上がったのであって、どうようにラノベもアニメも蔑まれるべきものではないですよ。
ところが、国語の時間で扱うのは日本の昭和初期の文学の数ページをそれこそ、
雑多に混ぜてるだけでしょう。それを授業で読解力だとか言ったところで、
特に統一された理解があるわけでもなくて。特に詩や俳句などの読解ですね。
実に意味がないと思うんですね。

4ヶ月前 No.1445

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

薄っぺらい信条
 決まりきった、人を怒らせちゃいけませんとかそういういけませんが、
実は昔の複雑な含意がある言葉なのに、言ってる人たちはワンパターンなんですよ。
だからわかってないんですよ。そのうえそれ信じ切ってる人たち多くて多くて。

偉い人が言うことだから
 科学にしろ専門知識わからない部分がありますよね。
それって、常識になってないやつとかあって、そこで共感得られなくて
侮蔑するというか、エリートってだいたいこんな感じじゃないですか。
周りをコントロールできないとなると今度は罵ってみたり。
今は社会的に言えば逆なんですけどね。引っ張ってくれる人が居ないということです。

4ヶ月前 No.1446

宿題 ★hxYn2UbX46_BXv

森光子さん・黒柳徹子さん・樹木希林さん・このあたりの年代は替えが効きません。

しかし団塊の世代は似ているような人が入れ替わっても何ら遜色ないのです。

昔は御三家と言うものがありました。三人娘とか。三人寄れば敵わないものは無い・・三人で最強・・

今は替えが効く人ばかり・・

私の家族は和田アキ子さんと森昌子さんと仲間由紀恵さんは替えが効かないと言います・・

私は佐々木希さん押しです。

名前に木が多いといいと思います。

4ヶ月前 No.1447

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1443 ザビビのふくろうさん、

> >>1436 を読んでも、まだ、そう思いますか?


はい、そう思います。だかたこそ >>1442 のように回答したのです。


>だとすれば、それはなぜでしょうか?


>>1436 より
>いや、私も「コンセンサスが得られた時点」だと思いますよ(笑)

>「コンセンサスが得られた」というのは、「大多数によって承認された」ということでしょうしね。


ここまではOKです。私もそう思います。


>「大多数」と言ってよいほどにコンセンサスが得られたなら、十分成立したとみなしてよいと思いますが、やはり、私はその基準を人口のパーセンテージとするのは無理があると思うのです。だから、浸透の度合いもどうかなと。


何%以上なら「大多数」で、以下なら「大多数でない」のかについては、明言できない というのはそのとおりだと思います。
しかし、しきい値を明確に引けないと言えども、「大多数」という言葉自体が「割合尺度」を示す言葉である以上、その部分を避けて定義することはできないと思います。


>私が先に述べた十分条件は、一応、「一般人にもコンセンサスが得られた」とみなしてよい基準として挙げたんですよ。

>「マナー・モラルとして一般人にも十分コンセンサスが得られた」とみなされなかったら、上に挙げたマスコミや公的機関とかでは、常識として扱わないと思うからです。


問題はここです。
「マスコミや公的機関とかで“常識”として扱った ⇒ 一般人にもコンセンサスが得られた」
ではないと思います。
そう思う理由は、前者(マスコミや公的機関など)はむしろ一般大衆を先導する立場だからです。つまり、コンセンサスの前に存在するものです。ということは、コンセンサスが得られる前の状態=コンセンサスが得られていない状態 を含む ということです。


>私は感覚の違いではなく、考え方の違いだと思うんですが。


逆に「感覚の違い」と「考え方の違い」の差が よくわかりません。

4ヶ月前 No.1448

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

会社「替わりはいくらでもいるから。」

これでやってきて、「今、人がいないから。」


ミッシング・ワーカーというのがあるんですって。
海外が言わないとないことになるんですね。甘えになっちゃうんでしょうね。
介護や病気で失業するとキャリアとして空白がありますねとお断り始末となるわけです。
こういうやつらに増税しないで減税して消費税で補填するってのはどうかしてると思うんです。
麻生大臣が金は使わないと意味がないとか言ってたけど、こう考えると口だけですね。

移民労働者がろくに言葉通じないひとがやってきてコミュ障だらけの大企業で役に立つか、
疑問ですし。派遣労働でやばいやつばっかというのは日大みたいな社長ばかりだったからです。
子供がまともにならないのは親のせいです。どうしたらいいかは簡単にすれば、
言いたいことが言えればいいんですよ。

 会社で専門職についたとしてそれがうちわだけでしか通じない場合外に出るとダメになる。
若い人は本当にこの事考えたほうがいいですよ。自分に関係ないと思わないほうがいい。
やりがいや自己実現とかそれはよそでつぶしが利くということに対する保険でしかなくて、
だからやる気という言葉が欺瞞であって、雇用流動性が企業の都合になっちゃってるんですね。
組合作ってストする以外に生活の安定を保証する方法はないのですが、やる気が無いのかな。
移民入れるぐらいなら高齢者使ったほうが日本語通じる分マシだと思いますよ。
日本の製造業はクレームやたら気にするのに話し通じないやつを入れるという時点で
頭が狂ってると思うんです。だって、話通じるほうが能率低くてもはミスはしないじゃない。
ところが、若いから早くできるけど話がわからないならミスすると思うんですけど。
僕は移民反対ですよ。現状の経済なら、統計に乗らない失業者は余計増えるはずです。
決して減らないだろう。

 今思ったのが言葉にしなければ対策を考えようとしないんですね。
年金の受給年齢を引き上げることは、政府はこれ変えるつもり無いですよ。
合理的な解決は年金の支給年齢を50歳にして相続税を上げて充当することです。
いくらたりないとかそういうことはマイナンバーで調べられます。税率もそれに合わせて、
引き上げればいいし、不安がなくなれば貯め込むこともなく自然に消費が上がるはずですけど。
けどそうしないのはやる気が無いんでしょう。問題として考える気がないんですよ。
僕だってわかることを検討もしないのは関心がなければかかわらずに住むから。
助けて責任を負うくらいならほっといて死んだのはそいつのせいというのと同じ理屈です。

 企業もそうです。安く雇えば自分の給料は上がるって。周り巡って信用失ってると、
いい加減気づいたらどうでしょうか。ミスをやたら気にするくせに、いざ作らせるときは、
スピードにこだわる所が、人が居ないということの正体で確認するぐらい誰でもできるけど、
ひよこ鑑定士みたいにどれだけの数を確認するということからは話変わるのと一緒です。
それも、指図の仕方が腹黒で、フルメタル・ジャケットみたいなものですから、
ハートマン軍曹でしたっけ、

https://www.youtube.com/watch?v=m8gyvQlq9Vw

会社ってのはこんな感じです。デブが射撃でメキメキ腕上げる一方で変になったでしょ。
それが今のミッシングワーカーってやつです。だからおかしな奴をこさえてるのは会社のせい。

4ヶ月前 No.1449

削除済み @erasiko ★mLVmtBaeu2_Ew9

【この投稿は”管理者-kotori-”により削除されました】 削除者: ことり☆リーダー ( 2018/06/29 21:50 )  削除理由: マナー違反・リアクション違反

4ヶ月前 No.1450

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1441  事務所からさんへ

 ご返事有難うございます。倫理学についてのたくさんのコピペ、初めて知るものもいくつか有り、とても勉強になりました。こういうのは、コピペでも有用なコピペですね。事務所からさんの参加により、またいっそう議論がレベルアップし、喜ばしいことです。

>倫理的利己主義

>倫理的利己主義とは、どのような規範が正しいかを考える際に、「自分だけの『幸せ』をもたらすものがよい」とする考え方で、「規範についての利己主義」である。 目的論の倫理学ではあらゆる行為を目的達成のための手段と考える。 そして行為の善悪は目的の善悪で判断する。 その究極の原理は「幸せ」をもたらすものは善である、というものである。


 SumioBabaの考え方は、「利己」と「利他」とを併せたものを「利」とします。「利他」とは他人の利益ですが、自分の行為で他人に利益をもたらし、それで自分も精神的満足感を得られるなら、それも「利己’」すなわち自分の利益として扱い、「メタ利己」=「利」=「利己」(自分の直接的な利益)+「利己’」(他人に「利他」を与えたことによる自分の精神的満足感)、となります。普通に言う「利己主義」は、「利他」を無視して「利己」だけを最大にしようとするものであり、SumioBabaの考え方とは異なります。その違いが、以下に現れます。

>『利己主義者がなぜそのようなことをしているのかの真の理由は「自分の幸せ」であって、他者の幸せではない。 他者を害しても自分は絶対報復されないような場合には平気で他者を害せるのが利己主義者である。 本当に倫理的利己主義が規範たりうるかどうか、は難しい問題である。』

>の部分で利他主義ではこういった事はありえないのですが利己主義ではありえるので、ここで利己と利他の違いがでてくるのと倫理的な問題が発生するのではないでしょうか?


 SumioBabaは、「本当の善人」と「偽善者」とを分けました。「偽善者」の方は、自分を善人に見せようとしているだけで、本当は他人を害しても何とも思わないので、上に書いてある通り、「他者を害しても自分は絶対報復されないような場合には平気で他者を害せる」になります。しかし「本当の善人」は、他人を害すると自分も精神的苦痛を感じて「利己’」が大きなマイナスとなってしまうため、絶対報復されない場合でも、決して他人を害したりしません。つまりSumioBabaの方法だと、「本当の善人」と「偽善者」の区別が可能になります。

 例えば、電車でお年寄りに席を譲った人たちだけを対象にし、席を譲ることによるメリット・デメリットをすべて網羅してもらいます。

 A氏はこう答えました。
  (1)立たねばならなくなる身体的デメリット−30。
  (2)「お年寄りに楽して欲しい」という願望を満たせたことによる精神的満足感+50。
  (3)合計+20。
このA氏は、本当に「お年寄りに楽して欲しい」と思って席を譲ったらしいので、「本当の善人」と見なして良いと思われます。

 B氏はこう答えました。
  (1)立たねばならなくなる身体的デメリット−30。
  (2)お年寄りに楽してもらえることによる精神的満足感0。
  (3)周囲の人から褒めてもらえるかも?という期待感+20。
  (4)「自分は何て善人なのだろう!!」という自己陶酔感+20。
  (5)合計+10。
このB氏は、「お年寄りに楽して欲しい」という気持ちなど無く、「褒められたい!!」「自己陶酔したい!!」という別の欲望を満たすために席を譲っているので、どうも「偽善者」ではないか?と判断できます。もし、「絶対に褒めてもらえない」という状況だったら、(3)が消滅し、合計は−10となってしまい、このB氏は席を譲らなくなると思われます。「褒めてもらえないと、人助けなんかしたくなくなるよ」と言ったshinwoodさんがこのパターンですね(?)。

4ヶ月前 No.1451

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1419 ザビビのふくろうさん、

sinは字義的に「神に背く罪」

故に、その人の宗教観によって内容が変わる。

無神論者の人にとってsinは「内心の罪(なぜなら、神は自分の内心の想像物だから)」となる。

極端な言い方をすると、サイコパスにとってsinは存在しない。

一方、ザビビのふくろうさんは、sinは社会規範のように共有されているものとみなしているようである。
つまり法律のように定められているものを犯す行為のみがcrimeで、それ以外(モラル,マナー違反など)はsinであると言っているように見える。

私は、
やると良心がチクチク痛むようなことがsinだと思う。

4ヶ月前 No.1452

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

ミッシングワーカーとかミサンドリーとか

 他所の国のほうがマシですね。日本はそういうのできてないです。
他所で言われて気づくことばかりです。大概の一般層を対象にいいますが、
言葉にしない問題は共有化されて考えようとしない一方、どうでもいい、
やる気だのモチベーションだのマナーだのコミットメントだの自己実現ばかり、
物考えてると思います。

 気功ってあるじゃないですか。気功の治療原理って答えられますかね。
病気だと気が弱るわけですよ。例えばはしかになるとかね。風邪で、熱出る時、
喉とかいたいですよね。すると喉になおれーと気が集まるわけですよ。
全体から見れば弱ってるけど喉には気が集まってるってわかりますか。
この際邪気だとかそういうのは置いといて。病気だから気が偏るとか、
そういう因果関係も今置いといて。で、今の社会って人体で例えると、
健康なのに気が偏って脂肪ばかりに栄養が言ってるのと一緒ですよね。
人間も人体も似たようなところがあってどれだけ飢えようが脂肪を使い切って、
死ぬってことはないんですよ。まあそれ以前に、人間が蓄えられるものって
脂肪だけではなくてビタミンだってある程度ちょぞうできるから何日も
取らなくても行きていけるんですよ。タンパク質だって50グラムでていっちゃう。
でも、肝臓だとか筋肉だとかから持っていくから20日ぐらい取らなくても
行きていけるわけですけど。にんげんって水だけだと50日がせいぜいですが、
人間の脂肪ってその気になったら半年分ぐらい貯められるわけですよ。
だからぶくぶく太ってる人いるわけでしょ。その脂肪ってのは使い切る前に、
飢えるときになったら他の栄養が枯渇して死ぬわけですから余計な分蓄えてるわけですうよ。

 日本社会もこれと同じだと思っています。
考えるべきことを考えないでどうでもいい中身の無いことを繰り返してるだけだと。
そう考えると欧米は幾分マシかなと。つまりさ、学生の就職試験ですよ。
あとは、会社に対する忠誠心ですか。多分日本人はミサンドリーとミソジニーの違いは、
男がするのか女がするのかぐらいの差しかわからない人がほとんどです。
正直なところ、ミサンドリーもミソジニーも日本にはあって同じだとものだと思うのです。
ミッシングワーカーというのも日本にはあったけど言葉としては金もないキモイおっさんという、
とんでもないひどい表現でようやく言葉になったんですよ。

 一方で、アセッションと次元上昇だとかスピリチュアルとかこころの時代とか、
無駄な言葉があったなと思うんです。僕の周りにはそういうことを口にする人居なくて、
ぼくはどっちかというとそういうのを言う人のほうですが、つまり人目気にして
口つぐんでたわけですよ。今なんてネットでそういうのを話題として共有するという
ことが減ったと思うんですよ。海外はどうかわからないけど、日本では全然見ないですよ。
ググって日付とか確認してみるとないんですよ。一過性の話で共有性がないんですね。
逆に言えば少しまともな脳みそがあれば戦前の鬼軍曹の貴様マネジメントだとわかるものでも、
会社でそれ毎日使われるとなんでこうなんだとくそやきうでさえ共有されるわけですよ。
つまり、人生の問題としてはどうでもよかったんですね。

 代わりに今あるのがあなた何できますかカルトですね。
会社でみんなでしてた成果ならあなた一人に還元したら何もできないというのが正答ですが、
部品としての価値を明確に答えさせるというのは本当にどうかしていて、だって、
人の価値は会社が決めてたからですよ。そこに自己実現とかそれも会社で実現することでしょ。
自己実現といいながらやってることはあなたの価値の値引きですからね。
基準をいくつか上げてみればわかることです。それ言わせて今の状態がスキルがない人たち。
正直なところ昭和の時代は貴様マネジメントでも給料上がったのでついて行って正解でした。
けど、実力主義や能力主義を導入したらチームの成果を僕がまとめましたといい出したやつが、
マネジメントができると重宝されるようになった。これって会社のためにボロクソにこきつかう、
やつがお駄賃もらうようにできていて、植民地で上級民が奴隷を使って帝国に上納してるのと一緒。
奴隷は上級民を憎んでいて一方で上級民は奴隷を蔑んでいて。帝国がないと行きられないと
思ってる。帝国が金となると植民地というのはどういう目に合うのかなど歴史よほど、
サボってないなら常識とわかってるはずですよ。今の日本ってのはそういう感じです。

 で、わかってても口にしないんですよ。言いたいことを言えればいいというのは、
そういうことです。そんなわかりきったことをいえないな奴らはガイジじゃないですか。
何が間違いかなんて中卒でもわかるよ。で話ずれて、何ができますかカルトや、
自己実現とかそういう言葉が問題から目をそらさせてたわけですよ。ナポレオン・ヒルって
知ってますか。ずいぶん前からあったんですよ。自己啓発というやつが。
昔の自己啓発というと、昭和の頃のやつと平成ではずいぶん中身違うんですよ。
昭和の頃はそれこそ貴様マネジメントみたいな本だったと思いました。
貴様マネジメントというのはハートフル軍曹がやったように不平を言う度に貴様と怒鳴り散らして
黙らせる管理手法です。平成になると引き寄せブームが起きました。

 こういうやつで事あるごとに繰り返されるのが不平を考えずに感謝しろということです。
事実は逆で不平を言わないことで不満が想念として蓄積されるというのが真実であるので、
それを実現するなら不満が実現するはずなのにそれで幸せになれるというのだから、
引き寄せの法則は大嘘だということです。で、実際は、不満を解消させるために、
浪費したり、キャバ行ったり、会社で働きたくないからギャンブルで勝とうとしたり、
上司に気に入られて文句言われないようにするために居酒屋行ったりしてそうやって、
消費が成りっているわけですよ。で、引き寄せだとかスピリチュアルだとか、結果どうなった、
それって、よくわからないまま無駄なことを延々と考える一方で、こうすればいいという、
願望がひたすら先行して、実際どうなのか実現したのか検討されないまま放置されたでしょ。
僕は、そういう人なので、アセッションだとか期待した人なんですよ。で、2013年ぐらいに
置きますよとそういう本結構あったんですが、実際は5年経って大して変わってないですよ。
実際、現実問題としてそういうことを持ち出した人は数人ネットでも見るように成りました。
僕にはあんなかっこいいこと言えないので中卒用にしかいえないんですよ。
僕に言わせればああいうのってかなりおっかないです。エイジフリーという言葉と一緒。
言葉として外してしまうのは力をなくすんですよ。きたないおっさんが問題にならないのと
一緒です。言葉にならないから。そう考えるとわがままを言うなというのは筋違いですね。

 これでおっかない人はその人達の行ったとおりになります。論理的でわかってる人なので、
となると、こんどは感謝してものを言えない人たちができるんですよ。
不満タラタラで前のほうが良かったと思う人達ばかりなのに新しい時代とやらに適応するために、
自己実現だのなんだのと効率を持ち出されては不満が次々と封殺されると思います。
これまでの建前なんてハリボテでしかないから、綿密に検討された本来の言葉には勝てないですよ。
これが古い時代を呼び起こすということです。

4ヶ月前 No.1453

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_8gk

>SumioBabaさん

>>1429 で書いた質問に答えていただけませんか?

>>1448  Mobiusさん
>>私は感覚の違いではなく、考え方の違いだと思うんですが。

>逆に「感覚の違い」と「考え方の違い」の差が よくわかりません。


まあ、あんまり突っ込んでも、仕方がないことかもしれませんが、一応私の見解は以下です。

例えば、暑い、寒いの判断は感覚的に行いますから、その判断のズレは感覚の違いですよね。
だけど、マナーの成立要件がどういうものであるかの判断の違いは、その判断が感覚によって行われたものではなく、考えることによるものだから、考え方の違いと言うべきじゃないかと思うんですけどね。
ひょっとしたら、Mobiusさんはマナーの成立要件が何であるかを感覚的に判断しているんですか?
だとしたら、そう思っても不思議ではないですが、私からすると違和感があるってことです。

>>1452
>一方、ザビビのふくろうさんは、sinは社会規範のように共有されているものとみなしているようである。

つまり法律のように定められているものを犯す行為のみがcrimeで、それ以外(モラル,マナー違反など)はsinであると言っているように見える。

私のsinの捉え方はコトバンクなどにある辞書的定義に従ったものです。
普通は宗教上の罪と道徳上の罪を意味しますが、ここでは社会的道徳規範(モラル)として考えていますので、宗教上の罪は除外して考えているのです。
前にも述べましたが、ロックの言う「神の法」を除いて、「市民の法」=法律に対する違反がcrime=犯罪、「世間の法」=社会的道徳規範(モラル)に対する違反がsinということです。

モラルは社会・共同体の大多数の人によって承認・共有され、規範としてその構成員が従うべきルールですが、それはマナー・慣習と同様に、幼いころからの教育、しつけなどによって個人にいわばインストールされて、その個人の良心の基礎となります。
つまり、これがいわゆるモラルの内面化です。
いわゆるサイコパスが、普通の人なら内面化されたモラルを基礎に形成される良心を欠いている、というのは同意しますよ。

4ヶ月前 No.1454

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1454 ザビビのふくろうさん、

>だけど、マナーの成立要件がどういうものであるかの判断の違いは、その判断が感覚によって行われたものではなく、考えることによるものだから、考え方の違いと言うべきじゃないかと思うんですけどね。

>ひょっとしたら、Mobiusさんはマナーの成立要件が何であるかを感覚的に判断しているんですか?


はい。私は、マナーに適うか反するかの判断は多分に感覚的なものだと思っています。定義されているものでは無いということです。暑い寒いに似た感覚です。
上品な人たちの間でのマナー基準と下品な人たちのマナー基準とでは、その感覚が異なります。「上品」「下品」という言い方も相対的で感覚的なものです。

マナーの基準は時の流れで変化します。それは、定義して決められたものではなく、感覚的に判断しているものだからです。もし定義されたものであるならば、時と共に基準が移ろうということは無いだろうと思います。

井戸世代の人は、流水で手を洗うことに罪悪感を覚えます。水道世代の人には そういう感覚はありません。

4ヶ月前 No.1455

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_8gk

>>1455  Mobiusさん

なんだ、それこそ話がずれていますね。
それは、モラルにかなうかいなか、善悪判断の基準についての話でしょう。
私は、あなたが >>1435 で感覚の違いに言及されたので、
モラル・マナーが成立したと判断してよいのが、いつの時点なのか、という問題についての、我々の考えの違いについて言われたのかと思っていました。
違うのですね。
じゃあ、このことはもう措きましょう。

>私は、マナーに適うか反するかの判断は多分に感覚的なものだと思っています。定義されているものでは無いということです。暑い寒いに似た感覚です。


それでは、「殺人は悪である」というのも暑い寒いに似た感覚なんでしょうか?
もしそうなら、殺人を悪いと思わないという人間に対して、君は道徳的に間違っている、と言えないということになります。
いわば「こんなに暑いのに、寒いというのは間違っている」と言うのと同じことになりますから。
だったら、Babaさんと同じく、本質的に、モラルの否定だと思いますね。

それと、誤解があるようなので、言っておきますが、
善悪の判断において、直感が無関係などとは言っていません。
善悪判断は価値判断である点において、道徳的判断は、美的判断を行う芸術的判断と類比的な側面を持ちます。
つまり、美が直感的に認識されるのと同様、善悪も直感的認識の対象とも言えます。
実は、この点について長文のレスを作成中ではあるのですが、ほかの着想でまた別のことも考えているので、まだできていないのです(笑)

というわけで、中途半端だと思いますが、ご容赦ください。
ちなみに尋ねたいのですが、Mobiusさんは良心と道徳的社会規範との関係を、どのようなものだと考えていますか?

4ヶ月前 No.1456

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1429  ザビビのふくろうさんへ

>>SumioBabaの主張は、「J全体としてのモラルは成立しえない」ではありません。正しくはこうです。→「ある行為について、それを「してよい」と考える人が60%、「いけない」と考える人が40%いる状況では、J全体としてのモラルもまた、「してよい」が60%、「いけない」が40%、というところまでしか確定していない。「してよい」の方が多数派だとは言え、「我々の道徳では100%「してよい」に確定しています」と言うべきではないし、言えない。」。


>んーと、ですからね、あなたがおっしゃってるのは、次に類比的だってことじゃないんでしょうか?

>「今日は夏日である」、「今日は真夏日である」というのは、25度以上、30度以上といった客観的基準があって、確定的に判断できますね。

>それに対して、「暑い日」「寒い日」といったものは、客観的基準がなくて個人主観に拠りますから、確定的には言えないと。

>だから例えば、「70%の人が暑いと感じる日」といった言い方しかできない、

>ってことじゃないんですか?


 SumioBabaが言いたいのは、アンケートを取って、70%が「暑いと思う」、30%が「暑いと思わない」と答えているのに、まるで100%が「暑いと思う」と答えたかのように判断するのは適切ではない、ということです。もうこの問題は、SumioBabaとザビビのふくろうさんとの違いがはっきりしたので、それで良いのではないでしょうか?  これ以上この問題について議論することには、あまり興味を感じません。

 それより、ザビビのふくろうさんの >>1431 における以下の内容に興味がわきました。

>仮に、「たい」、つまり、「欲望」に従う行動原理を「欲望原理」と呼び、これを動物の行動原理とします。

>次に、「べき」、つまり、「良心」に従う行動原理を「道徳原理」と呼び、これを人間特有の行動原理とします。

>人間は動物でもありますから、動物の行動原理にも規制されますので、この2原理によって行動の規制がなされます。

>人は、このどちらの原理に従うかを選択する自由、すなわち意志の自由を持ちます。

>私の考えは、これら二つの原理が導く行為は、状況に応じて一致することもあれば、不一致のこともある。

>つまり、独立である、ということです。

>ですから、「善」であることが、本質的に「望ましくないこと」「たくないこと」である、というわけではありません。

>人間はこの二つの原理が状況によって背理するがために葛藤せざるを得ない場合がありますが、

>しかしまた、動物の行動原理を超え、良心に従うことによって、人間だけに可能な欲望を超えた行為を行うことが可能だということです。


 これはこれで立派な考え方だと思います。そこで質問。
    【質問1】
「欲望を越えた行為を行うことが可能」と書いてありますが、何でもかんでも可能とは思えません。可能なものと不可能なものとは、何が違うのでしょう?
 (SumioBabaの方法だと、ある行為をした場合のメリット・デメリットをすべて数値化して計算するので、何が可能で何が不可能か、一目瞭然です。不可能なものを可能にするにはどうすれば良いかも、対策を立てることができます。)
    【質問2】
「本当の善人」と「偽善者」の違いはどう説明されますか?
 (SumioBabaの方法だと、 >>1451 に書いたように、純粋に「お年寄りに楽をして欲しい」と思って席を譲ったA氏は「本当の善人」であるのに対し、「褒められたい!!」「自己陶酔したい!!」などが動機で席を譲ったB氏は「偽善者」だと判断します。さらにB氏の場合、「立たねばならなくなる身体的デメリット−30」に対し、「褒められたい!!+20」「自己陶酔したい!!+20」なら合計+10で席を譲りますが、褒められる可能性が無い状況だと「褒められたい!!+20」が消滅して合計が−10となるため、B氏は席を譲らなくなるだろう、という推測もできます。B氏に席を譲らせるためには、「褒めてやれば良い」という対策が立てられる訳です。)

4ヶ月前 No.1457

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    《人間の行動原理》と自由意志

 《人間の行動原理》=「人間がどういう行為をするか自由意志で選ぼうとするとき、自分の利益を最大にする行為を選択する」です。人間は必ず、自分が実現できる様々な行為A、B、C、…の中で、自分の「メタ利己」=「利己」(自分の直接的な利益)+「利己’」(他人に「利他」を与えたことによる自分の精神的満足感)を最大にすると思われる行為を選択するはずだ、という内容です。

 一見すると、《人間の行動原理》に反する行為をしたかのように見える場合も、よくよく調べてみれば、その行為を「する」方が「しない」方よりも自分の利益が大きいと判断したから「する」を選んだのであり、もし「しない」方が「する」方よりも大きな利益をもたらすと判断したのなら「しない」を選んだはずです。

 例えば、自分の手の平にナイフを突き刺し、「自分は利益が最大にはならない行為を選択して見せたぞ!!」と反論する人も居るでしょう。手の平にナイフを突き刺さなければ、身体的利益は0。手の平にナイフを突き刺せば、身体的利益は−100。この部分だけを見ると、確かに0より小さい−100の方を選んだように見えます。しかしこの場合、この人は「何とか反例を示して相手をギャフンと言わせてやりたい!!」という強力な欲望を持っており、その欲望を満たす快感が、+120くらい有ったはずなのです。+120−100=+20で黒字計算だからこそ、手の平にナイフを突き刺したのです。もしその快感が+70くらいだったら、+70−100=−30で赤字計算になりますから、手の平にナイフを突き刺すという無茶はしないでしょう。

 このように、「利己」(自分の直接的な利益)だけを見ていると、《人間の行動原理》は成立していないように見えます。しかし、「メタ利己」=「利己」(自分の直接的な利益)+「利己’」(他人に「利他」を与えたことによる自分の精神的満足感)まで拡張し、自分の行為が他人に与えた「利他」(プラスの場合もマイナスの場合も有る)によって自分が得る精神的満足感(プラスの場合もマイナスの場合も有る)まで考慮すれば、《人間の行動原理》は必ず成立しているはずです。

 《人間の行動原理》によると、自分が選択するのは自分の「メタ利己」を最大にする行為なのですから、これは「自由意志」による選択とは見なせず、《ラプラスの悪魔》のような「決定論」に従っているではないか、と言えます。こう考えると、「自由意志」は錯覚であって存在しない、という解釈になります。

 しかし善悪や倫理の問題を考える場合には、「自由意志」を認めるべきでしょう。この場合、《人間の行動原理》のどこに「自由意志」が入って来るか、です。実は、様々なメリット・デメリットを数値化して評価するとき、それらの評価値、メタ評価値、メタメタ評価値、…といった連鎖が生じ、簡単には決まらないのです。そこに「自由意志」が入って来ると言えます。

 例えば電車でお年寄りに席を譲るかどうか? 譲ると立たねばならなくなり、身体的利益は−30。他人を助けたいという気持ちは少ししかないので、譲ったとしても精神的満足感は+10。合計すると−20。席を譲らなければ0であり、席を譲ると赤字計算になるので席は譲らない、と判断したとします。これが評価値。
 ところがすぐに、これに対するメタ評価が起こります。「自分は薄情な人間だな。世の中には席を譲る人も居るのに。こういう時は、喜んで席を譲る人間になりたいな。」こう考えただけで、席を譲ることによる精神的満足感は一気に、10→20→30→40→50と増える可能性が有ります。
 しかしすぐに、メタメタ評価が起こります。「でもこれって結局、自分は善人でありたいという、自己陶酔を求めているだけじゃないか。自己嫌悪してしまうな。」こう考えるだけで精神的満足感は、また50→40→30と減ってしまいます。

 このように、評価値、メタ評価値、メタメタ評価値、…の値がいろいろ揺らぎながら、最終的な値が決まり、席を譲るか譲らないかが確定します。この過程が「自由意志」に相当するのだと思われます。

4ヶ月前 No.1458

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1456 ザビビのふくろうさん、

>なんだ、それこそ話がずれていますね。


すみません。ちょっと混乱しました。


>それでは、「殺人は悪である」というのも暑い寒いに似た感覚なんでしょうか?


極論すると、そういうことです。殺人の場合は、悪であると考える人が非常に多い ということです。
なので、「悪いものは悪い」「ダメなものはダメ」と教えるしかないものだと思っています。


>ちなみに尋ねたいのですが、Mobiusさんは良心と道徳的社会規範との関係を、どのようなものだと考えていますか?


道徳的社会規範は、社会を構成する成員の大多数がそれを守るべきとし、実際に守ることにより効力を発揮するものだと思っています。
良心は、それを守るのに助けとなります。

一方、改革者の良心は別のところにあるので、逆に道徳的社会規範を壊すことが良心に適うことになります。

良心はあくまで自分の心に正直であること。社会的道徳規範を良しとする人にはそれを守ることが良心ですが、そうでない人は それを打ち破ることが良心になります。

(これは、私の独特な考えかもしれません。)

4ヶ月前 No.1459

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_keJ

>>SumioBabaさん

>もうこの問題は、SumioBabaとザビビのふくろうさんとの違いがはっきりしたので、それで良いのではないでしょうか?  これ以上この問題について議論することには、あまり興味を感じません


あなたがそう言われるのなら、それでいいんですけどね。
私はあなたが >>1427 で、
>最近、曲解がひどいですよ。


とおっしゃったから、確認しようと思って >>1429 の質問をしたわけですよ。
私としては曲解しているつもりはないからです。
私の理解が正しいのかどうか、どうもはっきりしませんが、まあいいでしょう。
ただ、はっきり言っておきますが、私はあなたが私の主張を全く理解していらっしゃらないと考えています。

>【質問1】

>「欲望を越えた行為を行うことが可能」と書いてありますが、何でもかんでも可能とは思えません。可能なものと不可能なものとは、何が違うのでしょう?


“原理的に不可能”ということで言えば、それは、道徳原理では何をなすべきかを決定不可能な状況(不条理な状況)が現実には存在するからです。

> (SumioBabaの方法だと、ある行為をした場合のメリット・デメリットをすべて数値化して計算するので、何が可能で何が不可能か、一目瞭然です。不可能なものを可能にするにはどうすれば良いかも、対策を立てることができます。)


だからこそ、あなたの原理は、人間の行動原理ではなく、欲望原理、すなわち動物の行動原理である、ということです。
ただし、ここで私の言う人間の行動原理というのは、動物の行動原理である欲望原理と、人間特有の道徳原理の二つの原理を合わせたもののことを言いますが、この観点から観た現実は不条理であり、本質的に合理的に割り切れるものではありません。
しかし、あなたの観点から観たら、世界は合理的に割り切れます。
それは人間特有の原理、すなわち良心に従うという道徳原理を捨象し、原理を一元化するからであり、それにより二元論的原理の背理・葛藤を消去してしまうからです。
Babaさんの行動原理とは、要するに
人間の行為とは、「したいからする」ものである、
とする立場です。
したがって、Babaさんの原理は欲望原理であり、私の言う動物(として)の行動原理です。
だからこそあなたの方法は、脱倫理化の方法なのです。

>【質問2】

>「本当の善人」と「偽善者」の違いはどう説明されますか?


これは私の語感なんですが、「偽善者」と「本当の善人」という語は、あまり対立する概念という感じがしないのです。
それと、私はこの点に関して、あまり興味を惹かれないので、詰めて考えてはいないんですよ。
それで、少し趣旨がずれるかもしれませんし確信もありませんが、私なりの回答を試みます。
まず、「偽善者」というのは偽善をなす人=偽善行為をなす人、と考えて、では「偽善行為」とは何かを考えます。
偽善とは、本当は何等かの自己利益獲得の欲望充足がその動機であるにもかかわらず、あたかも良心に従った行動(純粋になすべきだと思うからなす行為)であるかのようなふりをして行われる行為、というものでさしあたりどうでしょう。
で、とりあえず、この定義で考えた場合、偽善を一度でも行った人は、それが他人に知られたら、「偽善者」と呼ばれるかもしれません。
しかし、偽善でなく、純粋に良心にしたがった善行為(偽善でないという意味では本当の善行為)を一度行ったからといって、その人は「本当の善人」とは言われないでしょう。
ここがややこしいところですね。
例えば、本当の善行為を行うこともあるのに、偽善をしばしば行うなら「偽善者」と呼ばれるでしょうしね。
ですから、この理屈から言えば、単純にいつも本当の善行為を行い、偽善をなさない人、というところが妥当かと思います。
しかし、それもすっきりしないのですね。
そりゃ「善い人」であるのは間違いないでしょうけど、それを「本当の善人」と呼ぶべきかどうか、躊躇を覚えます。
というのも、これまでその人が倫理的判断を下さなければならなかったような状況は、倫理的判断による行為と、欲望に従う行為とが、たまたま一致するような状況ばかりだった可能性もありうるからです。
つまり、「すべきこと」と「したいこと」とがたまたま一致するような場合ばかりだった、という可能性がありうるってことです。
そうしたら、善行為を行うのも簡単ですからね。
ですから、一応こう結論しておきましょうかね。
私の立場で「本当の善人」に意味を与えることができるとすれば、「本当の善人」=「真の善人」として、「いかに自らの望むものと背理する行為であったとしても、それが良心の命ずる行為であるなら、良心に従った行動を採れる人」と言えるかもしれません。

しかし、正直言って、私としては「本当の善人」という言葉はやはり違和感あるんですよね。
「本当の善人」がいるのなら、「嘘の善人」もいるはずですが、「偽善者」はそもそも善人ではないですからね。
「嘘」なんだったら善人じゃないだろう、って気がするというか(笑)
だから、「嘘の善人」など、語義矛盾だろう。だったら、「本当の善人」なんて「結婚していない独身者」みたいなもんじゃないか?って感じですかね。

ですが他方、 >>1377 でMobiusさんの考えとの関連で書いた「善良な人」「心のきれいな人」を「本当の善人」と呼ぶのも、日常感覚としては別に違和感はありません。
しかし、ここで私が採っている考えに基づいてきちんと概念規定するなら、やはりずれがあると思います。

それと、質問1、2ともにですが、あなたは対策について書いていますが、いずれの質問に対しても、倫理的対策としては、良心に訴える以外にありません。
でも、それでは現実では実際の解決には結びつかないことが多いわけです。
だから法規範(外的強制)が必要になるわけでね。
したがって、こういった政治的対策、経済的対策観点から考えるなら、人間を欲望原理に従う動物とみなして対策を考えるほうがよいと考えられます。
そして、その方法論の一つとしてあなたの方法はいいかもしれないと思いますよ。
私自身は少し違うものをちょっと考えてみたりしていますが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先に述べたように、私は偽善者についてあんまり考えたことがなかったのですが、
今回考えてみて、逆に、SumioBabaさんの立場からの説明に対して疑問を感じましたので、それを述べてみますね。
>SumioBabaの方法だと、 >>1451 に書いたように、純粋に「お年寄りに楽をして欲しい」と思って席を譲ったA氏は「本当の善人」であるのに対し、「褒められたい!!」「自己陶酔したい!!」などが動機で席を譲ったB氏は「偽善者」だと判断します。


あなたは「純粋に「お年寄りに楽をして欲しい」と思って席を譲ったA氏は「本当の善人」である」と言ってますが、これは「純粋に利他的動機に基づいて」という意味にとれます。
しかし、あなたの立場は、あくまで利己的動機としてこれを説明する立場です。
つまり、「純粋に」という言葉をつけても、自己満足を目的として行われる行為であることに変わりはないはずです。
そうすると、お年寄りの喜ぶ顔を見て、「ああ、いいことしたなあ、おれ」というふうに自己陶酔する人間と、何ら変わらないと思います。というか、区別がつけられないんじゃないでしょうか。
それに人に褒められたいからという動機でやったからと言って、偽善にはならないでしょう。これだけでは、何も偽っていないんですから。
明らかにこの場合、利他的動機ではなく、利己的動機ではありますが、あなたの立場からは、すべて利己的動機なのですから、片方を偽善とし、他方を本当の善行為とすることはできないのではないでしょうか。
また、たとえば、人が喜ぶことをすると、死後天国に行けると思っている人がいるとして、そのひとは、他人を喜ばすのが好きです。他人を喜ぶと大変満足します。もちろん、自分の天国へ行きたいという欲望を充足するための行為です。
しかし、これをあなたの立場で偽善とは言えないんじゃないですか。
あなたの言う、純粋に他人を喜ばせたくて行ったと言っても、しょせん自己満足のために行ったわけですから。
あなたの立場では、行為の動機はすべて「自己満足のため」「自分の欲望充足のため」なので、こういった「いわゆる利他的動機」と、「いわゆる利己的動機」の区別がつかなくなり、
その結果として、偽善と本当の善行為との区別がなくなってしまうのではないですか。
あなたが自説で区別できるとしているのは、「純粋に〜してほしい」という表現で、実はこっそり「利他的行為」の意味を密輸入しているように思われます。

4ヶ月前 No.1460

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1454,1456
ここでは上のレスで言及した良心とモラルについて、さらに少し掘り下げて考察し、私の考えを示します。
特にここでは、モラルの二つの側面について述べ、さらに、その内のこれまであまり語ってきていなかった一つの側面について述べたいと思います。

何度も述べているように、モラルと良心の関係について、私は基本的には次のように考えています。 >>1454

>モラルは社会・共同体の規範としてその構成員が従うべきルールですが、それはマナー・慣習と同様に、幼いころからの教育、しつけなどによって個人にいわばインストールされて、その個人の良心の基礎となります。

>つまり、これがいわばモラルの内面化です。

>これが個人的道徳観=良心の基礎となるわけです。


モラルは一面では、これまで述べてきたように社会や共同体の構成員が従わねばならないルールです。
しかし、ここで強調したいのはもう一つの側面で、内面化され良心の基礎となったこのモラルが、個人の倫理的判断においてどのような働きをするかということに関わるものです。
つまり、良心の基礎としてのモラルが、倫理的判断においてどのような役割・働きをするのか?ということ。
それは、簡単に言えば、いわば学問・スポーツ・武道・芸術など、様々な分野における、良い研究、良いプレイ、良い作品づくりをするための、いわゆる基本スキルに相当する役割に相当するものです。
例えば、絵画であればデッサンであるとか、武道であれば型であるとか、そういったものですね。
人は人生において道徳的価値判断を行っていくわけですが、その基本スキルがしつけ等で教育されるモラルだということです。
もちろん、現実で道徳的判断が迫られるいわゆる実践的応用的状況においては、この基礎スキルだけで解決不能な状況、例えば私が質問で提示した不条理な状況がいくらでもあり、あとはその基礎をもとにしてその上まで築かれている個人的道徳観=良心に従って判断することになるわけです。
この良心は、個人の内面において、ある行為を「してよい」「してはいけない」「しなければいけない」「しなくてよい」といった判断を行い、主体に指示を与えますが、それに従わない(反することを行った)場合、通常主体に心の痛みをもたらします。
簡単に言うと、このしてよいことと、してはいけないことの区別がつき、それに従って行為選択を行えることを「善悪の判断がつく」と言い、このような機構を「良心」と呼んでいるのです。
ところが、これが先天的・後天的に壊れている人がおり、こういう人はいわゆる良心を欠く人であり、平気で殺人を犯したりするわけです。
通常、おそらく人間は進化の過程でこういった“良心”という機構を備え、“善悪判断の能力”を得たのだと考えられます。
この機構を備えた動物であるがゆえに、人間を「道徳的動物」と呼ぶことができるでしょう。

この、倫理的判断について、特に善悪とその判定についてさらに少し突っ込んで考察します。
倫理的判断は価値判断の一種で、その意味では、美醜のような美学的価値判断とカテゴリーを同じくします。
芸術作品の美について、我々はふつう直観的に認識すると言ってよいでしょう。
あるいは感性的認識とも言えるかもしれません(ただし、「暑い」「寒い」といったいわゆる感覚的判断とは別カテゴリーとみなします)。
いずれにせよ、ここではあまり専門的な厳密な言い方ではなく、普通の言い方で述べることにします。
では、倫理的判断についてはどうでしょうか。
これまでの記述では、モラルというのは規範・ルールであり、それに従って判断することであるから、直観的・感性的判断というのとは異なるような印象を受けるかもしれません。
が、それは違います。
例えば生け花について何もわからず、その美についても全然わからなかった人が師匠について習ったところ、だんだんその美しいものと美しくないものとの違いについて区別がつくようになったとしましょう。
これはどういうことかと言うと、いわば、生け花の見方を習ったということです。
そして、これは活け花の美とはどういうものなのかを習ったということでもあります。
何が美しいか、美しくないか、師匠がその判断を行い、それに基づいて花を活けていくわけです。これはいわばお手本ですね。
生徒は、そのお手本にける師匠の判断の基準、師匠がいけるときに従っている形式を習得していくわけです。
美しく活けるにはいかに活けるべきか、それを学ぶわけです。
この「べき」は当為概念の一種です。
活けられた花が美を宿すために必要な形式・型、それを認識しそれに従っていけること。
そのためには、なるほど確かにこの形式のときに美しく、それをくずすと美しくなくなる、ということが認識できることが必要です。
つまり、美を認識できることが必要です。
でないと、なぜこのように「活けるべき」なのかその当為が理解できないからです。

倫理的判断もこれと類比的な形で習得していきます。
幼いころは、何をしてよいのか悪いのかの判断がつきません。
しかし、例えば親によって、これは善いこと、これは悪いこと、してもよいこと、といったことを教わりつつ、行為が善となったり悪となる、その形式・型を学んでいくわけです。
先ほど活け花について、これらの型・形式を自ら認識し、それに従った行為を選択できるためには、師匠や親の教わったやり方によって、確かにそれが美を宿し、善を宿す、あるいはその型に従わないと美しくないし、悪い、といったことを認識できなければならないと言いました。
つまり、花のある型に沿った生け方では美しいし、それに沿わないやり方をすると確かに美しくないと、直観的・感性的に理解できないと、なぜそのように活ける「べき」なのか、という当為が理解できないからです。
倫理的判断においても同様です。
我々はしつけなどで倫理的判断を習うとき、同時に善とはどういうもので、悪とはどういうものか、いわば行為の道徳的見方を習っているのであり、それが自身で認識できなければ、なぜその行為を選択しなければならないのか、という当為を理解できないわけです。
例えば、「人が喜ぶことをなせ」「人が嫌がることをしてはいけない」という基本的な道徳原則について、モラルを習う段階で、普通はそれを確かに人の嫌がることをするのは「いけないことだなあ(悪かったなあ・すまないことをしてしまった)」(「道徳的に悪いことだ」)と直観的にわかるわけです。
つまり、型の習得は、何が美で何が美ではないか、何が善で何が善でないか、といったことを直観的に認識できるようになるためのトレーニングでもあるということですね。
いわば、型の習得において、何が美で何が善であるかを深く認識できるようになり、美・善を実現するために必要な型が自分でも直観的にわかるようになるわけです。
型の習得=直観の鍛錬、でもあるということ。
すなわち、価値判断のスキルの習得=美的センス、道徳的センスを磨くことです。
「なぜ、人の嫌がることをしてはならないのか」が理解できない者は、直観的にそれがよくないことだと理解できない、ということです。道徳的センス(良心)を欠くということ。
これは、生け花においてだと、この生け方だと美しくなくて、このように配置したら美しいという判断が自分でできないということです。なぜこの生け方がよいのか?この生け方じゃだめなのか、がわからないわけです。美的センスを欠くということ。

このように善悪について直観的認識ができない人が良心のない、壊れた人、と言われる人です。
つまり、良心に従って行為するという倫理的判断機構というのは、良心という倫理的判断機構は、善悪についての直観的認識を前提に機能するものなのです。
この直感的認識が可能となるためには、例えば、他者の痛みを自分の痛みとして感じる共感の能力が前提として必要になるとか、そういったことがいろんな分野で研究されているようです。
快楽殺人を邪悪と感じない人は、こういった良心という機構が壊れているのです。
良心のある人は、それが道徳的に悪であるがゆえに行いません。
それを悪と思わないのにあえて行わない人は、良心に従って行っていないのではなく、行えばそれによって公の規範(道徳・法律)に違反することになり社会的制裁、処罰を受ける、ということを避けるために行わないのです。
そして、良心が壊れていても、そのようなことができるのは、モラルというものが社会のルールという側面を有しているわけですから、いわばスポーツのルールに従うように、それに沿って行為することは多くの場合可能だからです。
つまり、良心を欠いているがため殺人は悪いことだと思っていなくても、それが法律、あるいは社会的非難を受ける行為であることは認識できるために、それをしないだけなのです。

4ヶ月前 No.1461

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    巷でいう「利己的」と「利他的」(1)

 《人間の行動原理》=「人間がどういう行為をするか自由意志で選ぼうとするとき、自分の利益を最大にする行為を選択する」によれば、人間は実現できる様々な行為A、B、C、…の中から、自分の「メタ利己」を最大にする行為を選んでいることになります。
  「メタ利己」=「利己」(自分の直接的な利益)
    +「利己’」(他人に「利他」を与えたことによる自分の精神的満足感)
ここで単純化し、「利己’」を「利他」に特定の係数kを掛けたものと見なし、
  「利己’」=k「利他」
と置き換えると、
  「メタ利己」=「利己」+k「利他」
という解り易い数式になります。kを《利他率》と名付けます。k=0.4というのは、自分の行為で他人に+100(あるいは−100)の「利他」をもたらしたとき、それによって自分も精神的満足感を+40(あるいは−40)感じ、これもまた自分がどの行為を選ぶかに影響するので、「メタ利益」に含めようという意味です。

 k=0の場合、「メタ利己」=「利己」となり、これが巷でいう完全に「利己的」な人を表します。自分の利益すなわち「利己」を最大にすることだけを考え、「利他」の方は全く無視し、「自分さえ利益を上げられれば、他人が得しようと損しようと知ったことではない」という人です。

 0<k<1の場合。「利他」を完全無視はせず、いくらか他人の利益のことも考慮はするけれど、「利己」すなわち自分の利益の考慮に比べると、その評価が小さい人です。世間一般の人々は、普通、この範囲に入ると思われます。

 k=1の場合、「メタ利己」=「利己」+「利他」となります。自分の利益である「利己」と、他人の利益である「利他」とを半々でどちらも考慮した結果を、自分の最終的な利益すなわち「メタ利己」と見なす人です。例えば無人島で自分と他人と2人が遭難しており、食物が得られず餓死寸前だった時、自分が一匹のウサギを捕まえました。自分と他人とで半々に分けて平等に食べようとする人がこれです。これこそが、最も理想的な「善人」だと思います。

 k>1の場合。「利己」以上に「利他」を優先する人で、これこそ真の「利他的」な人です。ただし、「利己」よりも「利他」を優先するということは、自虐的であり、病的な状態でもあり、本当に「善人」と呼べるのかどうか不明です。
 全人類が滅亡の危機に陥り、自分1人が犠牲になって死ねばそれを防げるという場合など、特殊な状況では有り得るかもしれません。ただしこの場合も、相手の数が多いために「利己」<「利他」に見えているだけで、自分1人と相手1人とを比べれば、やはり「利己」>「利他」かもしれません。相手が他人ではなく、親子の関係であれば、親は子供の身代わりになって死んでも良いと思うので(利己的な遺伝子)、k>1にも成り得ます。

4ヶ月前 No.1462

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    巷でいう「利己的」と「利他的」(2)

 《人間の行動原理》=「人間がどういう行為をするか自由意志で選ぼうとするとき、自分の利益を最大にする行為を選択する」による具体的な計算例です。
  「メタ利己」=「利己」+k「利他」
を用いて分析します。

 X氏は電車でお年寄りに席を譲りませんでした。席を譲る場合のメリット・デメリットの評価値はこうです。
・立たねばならなくなる身体的利益という「利己」が−30。
・お年寄りが座れることによる「利他」が+50。
・k=0.4なので、「メタ利益」=−30+0.4×50=−10。
合計はマイナスで赤字計算になるため、席を譲りませんでした。X氏はk=0.4なので、いくらか「利他的」な部分も有りますが、「利己的」な方が強い人です。

 Y氏は電車でお年寄りに席を譲りました。席を譲る場合のメリット・デメリットはこうでした。
・立たねばならなくなる身体的利益という「利己」が−30。
・お年寄りが座れることによる「利他」が+50。
・k=0.8なので、「メタ利益」=−30+0.8×50=+10。
合計はプラスで黒字計算になるため、席を譲りました。Y氏はk=0.8なので、かなり「利他的」な部分が有り、十分「本当の善人」と呼べそうです。

 Z氏も電車でお年寄りに席を譲りました。ただし、席を譲る場合のメリット・デメリットはY氏とだいぶ異なりました。
・立たねばならなくなる身体的利益という「利己」が−30。
・周囲の人々に褒めてもらえる期待感という「利己」が+20。
・「自分は善人だと自己陶酔したい」という「利己」が+20。
・お年寄りが座れることによる「利他」が+50。
・ただし、k=0なので、「メタ利益」=−30+20+20+0×50=+10。
合計はプラスで黒字計算になるため、席を譲りましたが、Z氏はk=0なので、「利他」の部分が全く有りません。すべて「利己」だけで計算しています。お年寄りに楽をさせてあげたいという気持ちは無く、褒められたい、自己陶酔したい、という願望だけで席を譲ったのです。つまりこのZ氏は、お年寄りに席は譲ったけれども、巷でいう「利己的」な人間であり、「偽善者」だと呼べそうです。

4ヶ月前 No.1463

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1460  ザビビのふくろうさんへ

>Babaさんの行動原理とは、要するに

>人間の行為とは、「したいからする」ものである、

>とする立場です。

>したがって、Babaさんの原理は欲望原理であり、私の言う動物(として)の行動原理です。

>だからこそあなたの方法は、脱倫理化の方法なのです。


 SumioBabaの方法では、「したいからする」の「したい」の中に、「利己のために(欲望のために)」と「利他のために(倫理のために)」の両方が含まれているのです。両者を統一しているのだから、「欲望原理」片方ではないし、「倫理」を脱しているのでもありません。

>あなたは「純粋に「お年寄りに楽をして欲しい」と思って席を譲ったA氏は「本当の善人」である」と言ってますが、これは「純粋に利他的動機に基づいて」という意味にとれます。

>しかし、あなたの立場は、あくまで利己的動機としてこれを説明する立場です。

>つまり、「純粋に」という言葉をつけても、自己満足を目的として行われる行為であることに変わりはないはずです。


 「メタ利己」=「利己」+k「利他」という定式をします( >>1462 )。kが《利他率》です。k=0で「メタ利己」=「利己」だと、「利他」を無視して「利己」しか考えない、巷で言う「利己的」な人間です。k=1で「メタ利己」=「利己」+「利他」だと、「利己」だけでなく「利他」をも考慮する、巷でいう「利他的」な人間です。「利己」と「メタ利己」とは区別が必要です。

>そうすると、お年寄りの喜ぶ顔を見て、「ああ、いいことしたなあ、おれ」というふうに自己陶酔する人間と、何ら変わらないと思います。というか、区別がつけられないんじゃないでしょうか。


 その場合も、本当に「お年寄りに喜んで欲しい」と思って「いいこと」をしたのなら「本当の善人」です。「お年寄りに喜んで欲しい」などとは少しも思っていないのに、誰かに褒められたいとか、自己陶酔したいという気持ちで「いいこと」をしたのなら「偽善者」です。

>それに人に褒められたいからという動機でやったからと言って、偽善にはならないでしょう。これだけでは、何も偽っていないんですから。

>明らかにこの場合、利他的動機ではなく、利己的動機ではありますが、あなたの立場からは、すべて利己的動機なのですから、片方を偽善とし、他方を本当の善行為とすることはできないのではないでしょうか。


 いいえ、「すべて「メタ利己」的動機」であるのは確かですが、「利他」的動機か「利己」的動機かで、「本当の善人」か「偽善者」かに分かれます。「メタ利己」と「利己」の区別ができておられず、混同されているようです。

>また、たとえば、人が喜ぶことをすると、死後天国に行けると思っている人がいるとして、そのひとは、他人を喜ばすのが好きです。他人を喜ぶと大変満足します。もちろん、自分の天国へ行きたいという欲望を充足するための行為です。

>しかし、これをあなたの立場で偽善とは言えないんじゃないですか。

>あなたの言う、純粋に他人を喜ばせたくて行ったと言っても、しょせん自己満足のために行ったわけですから。


 「利己」と「メタ利己」とを混同されています。「利己」だけのために行う行為は、巷でいう「利己的」です。「メタ利己」=「利己」+「利他」のため、つまり、「利己」だけでなく「利他」までを考慮した行為は、巷でいう「利他的」です。

>あなたの立場では、行為の動機はすべて「自己満足のため」「自分の欲望充足のため」なので、こういった「いわゆる利他的動機」と、「いわゆる利己的動機」の区別がつかなくなり、その結果として、偽善と本当の善行為との区別がなくなってしまうのではないですか。


 いいえ、はっきり区別できます。「メタ利己」=「利己」+k「利他」において、《利他率》k=0すなわち「メタ利己」=「利己」だと、「利他」を無視して「利己」しか考えない、巷で言う「利己的」な人間です。《利他率》k=1で「メタ利己」=「利己」+「利他」だと、「利己」だけでなく「利他」をも考慮する、巷でいう「利他的」な人間です。

  >>1463 の例だと、Y氏もZ氏もお年寄りに席を譲りましたが、動機が異なります。Y氏は「メタ利己」=「利己」+0.8「利他」であり、「利他」を計算に入れたからこそ席を譲ったのであり、「本当の善人」と呼んで良いでしょう。Z氏は「メタ利己」=「利己」であり、「利他」を計算に入れず、褒められたい、自己陶酔したい、という「利己」だけで席を譲ったので「偽善者」です。

4ヶ月前 No.1464

ザビビのふくろう ★UeJTXbNcLw_keJ

>>1462,1463  SumioBabaさん
質問です。
無人島の遭難者例ですけどね、ちょっと納得のいかないことが出てくる気がするのですが。

AとBは同年配のどちらも弱り程度が同程度の男性とします。
ウサギをとったAが半分をBにやる場合、Aの自己利益は−50とします。
このときBの自己利益は+50。
仮に利他率がk<1であれば、
Aのメタ利益=−50+k×50<0
となって、つまり0未満となりますから、普通の人はみんなBには半分はやらないことになりませんか。
もしk=1でも、Aのメタ利益は0になりますから、Bにやる理由がないことになり、無作為にやることはありえても、これを本当の善人と呼ぶのはおかしいと思うんですけど。
なので、半分をBにあげる普通の意味での善人は、この場合k>1でなくてはおかしいことになりませんか?

4ヶ月前 No.1465

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1465  ザビビのふくろうさんへ

>AとBは同年配のどちらも弱り程度が同程度の男性とします。

>ウサギをとったAが半分をBにやる場合、Aの自己利益は−50とします。

>このときBの自己利益は+50。

>仮に利他率がk<1であれば、

>Aのメタ利益=−50+k×50<0

>となって、つまり0未満となりますから、普通の人はみんなBには半分はやらないことになりませんか。


 大変良い質問です。その通りです。もし、メリット・デメリットの項目がこの2つだけだったら、k<1の場合、誰も半分を相手に与えようとしないことになります。
 現実には、もっと別にメリット・デメリットの項目が発生し、それによって半分を与える場合が生じます。例えば「全部自分が食べると、周囲の人々から顰蹙を買うのではないか?、それを避けるには、半分与えた方が良いかも?」「全部自分が食べると、相手は怒ってケンカにならないか? ケンカは避けたいので、半分与えた方が良いかも?」などです。これらは、半分を与えない場合にマイナスの効果となり、半分を与える場合にプラスの効果を及ぼします。半分を与える場合に+20の効果を持つとすると、「Aのメタ利益」にこれも含める必要が有ります。
  Aのメタ利益=−50+20+k×50=−30+k×50
従って、k<0.6の人なら半分を与えませんが、k>0.6の人なら半分を与えるという計算になります。もちろんこの+20は、「利他」ではなく「利己」の方です。

>もしk=1でも、Aのメタ利益は0になりますから、Bにやる理由がないことになり、無作為にやることはありえても、これを本当の善人と呼ぶのはおかしいと思うんですけど。

>なので、半分をBにあげる普通の意味での善人は、この場合k>1でなくてはおかしいことになりませんか?


 k<1の人は、メリット・デメリットの項目が2つだけだったら、決して半分を相手に与えません。半分を与えるためには、「褒められたい」「自己陶酔したい」「周囲の人々の顰蹙を買いたくない」「ケンカはしたくない」など、別のメリット・デメリットを取り入れ、言わば自分を洗脳して、「半分を与えたくない」から「半分を与えたい」に変える必要が有ります。この部分に「偽善者」と見なされる要素が生じるため、たとえ半分を与えたとしても、「理想善人」とは見なされなくなります。

 k=1の場合は「理想善人」です。この人の場合、「自分個人の利益Maを最大にする行為」と「社会全体の利益Mを最大にする行為」とが自ずと一致しています。だから、善い行為をしようと自分を洗脳する必要は無く、ただただ自分が一番したい行為、自分個人の利益Maを最大にする行為を行えば、それがそのまま社会全体の利益Mを最大にする行為に一致します。→『k=1の「理想善人」』参照。

4ヶ月前 No.1466

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    k=1の「理想善人」

 一般形はこうでした。
  「メタ利己」=「利己」+k「利他」
《人間の行動原理》=「人間がどういう行為をするか自由意志で選ぼうとするとき、自分の利益を最大にする行為を選択する」というとき、この「メタ利己」を最大にする行為を選ぶことになります。kは人によって異なり、小さければ巷でいう「利己的」な人間になり、大きければ巷でいう「利他的」な人間になります。ここでk=1の場合、
  「メタ利己」=「利己」+「利他」   …※
となり、これを満たした人間を「理想善人」と定義します。現実に存在するかどうかは知りませんが、理論上、理想的な善人と見なせることを説明します。

 k=1、すなわち※を満たしたA氏の視点に立つと考えます。※の右辺には、「利己」と「利他」が同じ重みで平等に並んでいます。これはA氏が、どんな行為をしようかと選ぶとき、自分の利益だけを優先したりせず、自分の利益と他人の利益とを平等に考慮することを意味します。A氏、B氏、C氏の3人から成る社会を考え、3人の利益を同じ重みで平等に足し合わせたものを社会の利益Mと見なすと、※の右辺はこのMを意味しています。※に代入して、
  「メタ利己」=M
 さらに左辺の「メタ利己」は、A氏が自分の利益を最大にする行為を選ぼうとする場合の、A氏個人の利益Maそのものです。これを左辺に代入して、
  Ma=M

 つまり、k=1を満たしたA氏にとって、社会の利益Mを最大にする行為は、そのままA氏個人の利益Maを最大にする行為と同じになります。A氏は、自分が一番やりたい事、自分個人の利益Maが一番大きくなる行為を選んで実行すると、それが自ずと、社会全体の利益Mを最大にする行為と一致することになります。「社会の利益の為に、自分の利益を犠牲にする」という必要が無いのです。こういう人間こそ、「理想善人」だと考えられます。
 ただし、A氏が「理想善人」であり得るのは、同じ社会に住んでいるA氏、B氏、C氏の間だけです。A氏と別の社会に住んでいるD氏にとって、A氏の行為は迷惑かもしれないし、A氏が悪人に見える場合も有ります。

 逆に、k≠1の場合のA氏も考えてみます。
  Ma≠M
ですから、A氏が個人の利益Maを最大にする行為と、社会全体の利益Mを最大にする行為とは、一般に異なります。例えば、社会全体の利益Mを最大にする行為は、電車でお年寄りに「席を譲る」の方なのに、A氏が個人の利益Maを最大にする行為は、電車でお年寄りに「席を譲らない」である、といった具合に。A氏がそのまま「席を譲らない」を実行すると、「理想善人」とは見なせない行為になってしまいます。
 そこで、人為的に両者を一致させる工夫をします。「席を譲れば、周囲の人々が褒めてくれるよ!!」「席を譲れる人間って、素晴らしいじゃないか!!、陶酔しちゃうな!!」と自分を洗脳します。そうすると、褒められることの快感や、自己陶酔できる満足感が生じ、「席を譲らない」よりも「席を譲る」の方が高得点になるという逆転現象が生じます。そしてMaを最大にする行為を「席を譲らない」から「席を譲る」に変え、社会全体の利益Mを最大とする行為「席を譲る」に一致させることが、形の上では可能です。しかし、無理矢理一致させるときに様々な「利己」を使用しているので、その部分に「偽善者」と見なされる要素が生じてしまい、やはり「理想善人」とは呼べなくなってしまいます。

4ヶ月前 No.1467

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    k=1のとき、
    「メタ利己」=「利己」+「利他」が最大となるのは、みんな平等の場合だけ。

 ウサギを全部自分1人で食べる場合の「利己」を+100、相手の「利他」を0とします。では、ウサギを50%自分が、50%相手が食べる場合、「利己」は+50に、「利他」も+50になるでしょうか? ウサギを70%自分が食べ、30%相手が食べる場合、「利己」は+70に、「利他」は+30になるでしょうか?

 ならないと思われます。なぜなら、「利己」も「利他」も、食べるウサギの量に単純比例する1次関数の直線ではなく、もっと複雑な曲線になっていると思われるからです。例えば、ウサギを50%自分が、50%相手が食べる場合、「利己」は+70に、「利他」も+70になります。ウサギを70%自分が食べ、30%相手が食べる場合、「利己」は+80に、「利他」は+45になります。

 k=1の場合、「メタ利己」=「利己」+「利他」を最大にする行為を選択する訳ですが、最大になるのはウサギを2人で50%ずつ平等に食べた場合であり、「利己」=+70、「利他」=+70ですから、「利己」+「利他」=+140です。ウサギを全部自分1人で食べる場合は、「利己」=+100、「利他」=0なので、「利己」+「利他」=+100です。ウサギを70%自分が食べ、30%相手が食べる場合、「利己」=+80、「利他」=+45なので、「利己」+「利他」=+125です。

 2人の場合だけでなく、3人以上の場合も同様です。k=1のとき、みんなで平等に分ける場合に「メタ利己」=「利己」+「利他」が最大となり、不平等な分け方をすると最大でなくなります。

4ヶ月前 No.1468

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>1466,1467  SumioBabaさん
以下の文章は、 >>1468 を未読の段階で書いたものです。
しかし、 >>1468 を読んでも、本質的には意見は変わらないと思います。
ちょっとずつ新しい概念を導入してなんとか説明しようとされていますが、
「苦しいつじつま合わせ」としか思えません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Babaさんの言い方では、これで「チェックメイト」ではないでしょうか?
少なくとも私にはそう思えます。
以下に理由を述べます。

>k=1の場合は「理想善人」です。この人の場合、「自分個人の利益Maを最大にする行為」と「社会全体の利益Mを最大にする行為」とが自ずと一致しています。

>だから、善い行為をしようと自分を洗脳する必要は無く、ただただ自分が一番したい行為、自分個人の利益Maを最大にする行為を行えば、それがそのまま社会全体の利益Mを最大にする行為に一致します。


今回、これまでなかった「社会全体の利益M」という概念を導入していますが、
これは根本的立場の変更以外の何物でもありません。
これは、功利主義的、あるいは、私の立場もそうである広義の共同体主義の原理の導入に他ならないからです。曖昧ですが、以下ではこれらをあわせて「『公の原理』の導入」と呼びます。
あなたの人間の行動原理に基づいた主張を以下では「メタ利己主義」と呼びますと、その主張のポイントは、行動の選択を、メタ利益が正の値を取ることによって説明可能とすることでした。
つまり、すべての行動はメタ利益の観点から観たら、すべて自己の+利益であるからこそ、あなたは「すべての人間の行動は、利己的行為である」とみなしえたわけです。
しかし、上の引用部で、あなたは本当の善人の利他率をk=1とすると、メタ利益=0となって正の値をとらないがゆえにメタ利己主義的に説明不可能、それゆえあなたは逃げを図ってMを導入したわけです。
しかし、ここで社会全体の利益Mを導入し、善行為をその最大値により説明することは、倫理説としてのメタ利己主義の不十分性を認めたことになります。
すなわち、立場の根本的変更です。
社会全体の利益Mを導入することは、公の原理の導入により規範性を担保して倫理説としての体裁を整えようとすることにほかならないからです。
いわば「私の軍門に下った」ということです。

しかしながら、実はMの導入によっても、実は倫理説としてはまともだとは言えないんですね。
というのも、
>A氏、B氏、C氏の3人から成る社会を考え、3人の利益を同じ重みで平等に足し合わせたものを社会の利益Mと見なすと


としていますが、2人でも本質は変わらないのでAとBの二人からなる社会を考えるとします。
Aが自分の食糧をBにやることが−50の利益。
Bがそれのもらう利益が+50の利益とします。
利己率k=1としますと、
メタ利益=−50+50=0
となります。
ところが、この場合、Aが一人で自分の食糧を全部食べたとしても、不利益0で、同じくメタ利益=0になりますから、k=1を本当の善人とするあなたの定義では、Bにやる必然性がなくなってしまいます。
これは、「Aのメタ利益Ma=社会全体の利益M」とみなしたところで、最大値として同値になるだけです。
これが純粋な善人でなければ、「やらなきゃBは怒って、逆に奪われるかもしれないし」などと、ほかの利己的理由が存在するでしょうけど、純粋な善人という仮定ですから、そういった要素は排除して考えねばなりません。
それゆえ、Mを今の形で導入したとしても、本当の善人であれば、Bにやる、ということの説明にはならないのです。

そもそも
M=M(a)
に無理があることは少し考えればわかります。
M(a)はメタ利益とは言え、あくまで個人の利益。
「社会=A個人」でない限り、Mは社会全体の利益なのだから
M≠M(a)に決まってるじゃないですか。

ということで、結論。
「社会全体の利益M」「Mの最大値」を導入した時点で、メタ利己主義は根本的変更となり、崩壊。
そして、Mを導入した修正案も、M=Maという無理な仮定をおいているので破綻している。
また、仮に整合的にMの導入の修正案を提示できたところで、Babaさんの「社会」の概念は任意であり、Aが「社会=A」と考える相対主義的利己主義者であった場合、実はM=M(a)は成立することになり、自分のメタ利益と社会全体としての利益が一致することになってしまうし、Aは本当の善人であることになる。
つまり、皮肉にも、この場合、Babaさんのいう理想的状態が成り立ってしまうのである。
これはもちろん、Aだけの理想にすぎないわけだが、
だとしても、利己的相対主義はこれを否定することはできない。

以上です。

4ヶ月前 No.1469

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1469  ザビビのふくろうさんへ

>2人でも本質は変わらないのでAとBの二人からなる社会を考えるとします。

>Aが自分の食糧をBにやることが−50の利益。

>Bがそれのもらう利益が+50の利益とします。

>利己率k=1としますと、

>メタ利益=−50+50=0

>となります。

>ところが、この場合、Aが一人で自分の食糧を全部食べたとしても、不利益0で、同じくメタ利益=0になりますから、k=1を本当の善人とするあなたの定義では、Bにやる必然性がなくなってしまいます。


 この場合の最善策は「AがBに食糧の半分を与える」です。仰る通り、Aが全部食べても、Bが全部食べても「メタ利益」=0ですが、AとBが半分ずつ食べると「メタ利益」>0となり、それが最善になります。
 Aが食糧を半分だけBに与えれば、Aの利益は−25ではなく−15くらいになり、Bの利益は+25ではなく+35くらいになります。合計すると+20。つまり、半分ずつ食べれば、「メタ利益」=+20となり、これが最善です。
  >>1468 の話に比べて、数値が半分になっています。 >>1468 の数値を半分にするとこうなります。Aが全部食べる場合は、Aの利益が+50、何も食べられないBの利益が0。Bが全部食べる場合は、Aの利益が0、Bの利益が+50。つまり、Aが食糧を全部Bに与えることは、Aにとって−50。(↑上の設定と同じですね。)ところが、食糧を半分ずつ食べると、Aの利益は+25ではなく+35だし、Bの利益も+25ではなく+35くらいになる。つまり、Aが食糧の半分をBに与える行為の場合、Aの利益は−25ではなく−15だし、Bの利益は+25ではなく+35になる。

>そもそも

>M=M(a)

>に無理があることは少し考えればわかります。

>M(a)はメタ利益とは言え、あくまで個人の利益。

>「社会=A個人」でない限り、Mは社会全体の利益なのだから

>M≠M(a)に決まってるじゃないですか。


 なぜ? 私と社会は別で「私≠社会」でも、Ma=Mは別に問題ないと思いますが? 「「社会の利益」こそが「自分の利益」」と心から思える人にとっては、必然的にMa=Mが成立します。

>ということで、結論。

>「社会全体の利益M」「Mの最大値」を導入した時点で、メタ利己主義は根本的変更となり、崩壊。


 なぜ? 例えばSumioBabaは「ニュートン力学だけですべての古典力学を導ける」と主張し、具体例として「ケプラーの法則」をニュートン力学だけで導いて見せたとします。するとザビビのふくろうさんはこう主張されます。→「SumioBabaはニュートン力学だけですべてを説明できると言っておきながら、ケプラーの法則という別の話を持ち出しており、根本的変更となり、崩壊」。…なぜ? 何も変更はしていないし、崩壊もしていないと思いますが?

>そして、Mを導入した修正案も、M=Maという無理な仮定をおいているので破綻している。


 「ニュートン力学だけですべての古典力学を導ける」と主張し、「ケプラーの法則」の話を持ち出したからといって、主張を修正したことにはなりません。M=Maも無理な仮定だとは思いませんが?

>また、仮に整合的にMの導入の修正案を提示できたところで、Babaさんの「社会」の概念は任意であり、Aが「社会=A」と考える相対主義的利己主義者であった場合、実はM=M(a)は成立することになり、自分のメタ利益と社会全体としての利益が一致することになってしまうし、Aは本当の善人であることになる。


 これはその通りです。「社会=A」の場合、Ma=Mはトートロジーで必然です。つまり誰においても、「自分にとって自分は必ず「理想善人」」です。もちろん「自分にとって」という条件付きですが。

>つまり、皮肉にも、この場合、Babaさんのいう理想的状態が成り立ってしまうのである。

>これはもちろん、Aだけの理想にすぎないわけだが、

>だとしても、利己的相対主義はこれを否定することはできない。


 「皮肉」も何も、それがSumioBabaの主張です。

4ヶ月前 No.1470

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

百年先まで見通したとして

 光集積回路っってのが始まるんですよ。
今はトランジスタね。電気が流れてるの。これが光に変わるの。
光に変わると熱とかでないのよ。パソコンって扇風機が付いてるのね。
しーぴーゆーが熱出るから。扇風機で冷やしてんだよ。
まあ、それだけじゃないけどね。

 コンピュータが使い勝手が良いのは電気がそのまま電子回路となって、
物動かすのに都合がいいんだよ。ああ、産業用の機械はシーケンサーだっけ。
飛ばすのに都合がいいんだよ。光のほうが。
核兵器で焼かれずに住むしね。このままかく使ったら現代文明ガラクタです。
つかったら、とりあえず原始時代に戻りますね。

 電気自動車が良いだろうって言いましたけどね。
電子回路より量子コンピュータが主流になるんじゃないですか。
あれは未来を決める機械ですからね。二重スリットってあるでしょ。
観測したのとしてないので結果が変わるんですけどつまり、光から見れば、
どうなるのかわかってたということですよ。先のことが光にはわかると。
だから、単に数の問題じゃないんですよ。例えばですよ、
あのスリットが光の進む高速より長い距離あったとして、それを観測するしないがあって、
となるとなると、一秒間にみるとか条件があってさ、でも光速より速いものはないので、
常識から見ればおかしなことになるんですよ。

4ヶ月前 No.1471

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

カルビー

 昭和の時代から見ればどうかしてると思います。
残業手当なくそうと行ったんですよ。つきつめれば、ポテチを愛好の士が金払って
工場で作る羽目になると思います。何十年も先ですけどね。

 なぜそうなるかと、税金が上がって、会社も金払いたくないし、宣伝も役に立たないし、
消費者に作らせたほうがはやくねって。売るやついらねえや。こんな感じ。

一番いらねえのは社長だけどね。

 コレ踏まえて、年金はもらえるけど、それで生活はできません。
日用品をつくりたいので工場で作ってそれを掲示板で物々交換でしょうか。
これがベーシックインカムってやつの成れの果てだと思います。
何でもロボットが作ってくれると思わないほうが良いですよ。

 ハイレベルの技術は台頭する一方で学校がついていけないので行く意味なくなると思います。
専門家って店と一緒で知識をストックして引き出すことなんですよ。これからは、
図面を元に必要な情報を集めてそんな感じだから、あとはわからないのはとりあえず、
ダメ出しして、また少しづつ改善というか。

 集めるタイプの今までのやり方は深セン見ればわかるんですけど、とりあえず作って、
だめなものを見たほうが結果早く進むんですよ。なので、専門家という答えありきは
すたれるとおもいます。

 医療ロボット作りたいなら、とりあえず、カミソリ使える機械作ったほうが安全だよ。
いきなり、脳みそとかいじれないでしょ。そんな繊細な作業さ。まずは、頭を、
きれいにハゲにできる機械から作らないと。

 日本に金もってきたいなら、カジノじゃなくてホテルだよ。ホテルの隣にカジノね。
こういう連中は人間として問題がある人結構多いんで、セミナーやったらどうでしょ。
プルデンシャルの社員と一緒なんだよね。売れない保険屋のブログってやつでね、
あれは研修で危機感をすりこむんだよ。

4ヶ月前 No.1472

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

日本は海洋開発

 海底資源を採掘してそれだけで資源大国になれるはずです。
今ググってみたら、音波使うんだね。衛星で同じことできれば、すごい効率良くできるはず。
できるかどうか知らないけどね。音波じゃだめかもね。よくわからないけど。
ドローン使うとかね。船使うより、5mごとに平行にどろーんがとんでいって、
どれだけあるのかをすいていするというか。

 景気悪いなら、とっととほじって金に変えりゃいいのに馬鹿じゃねえ。

貿易依存する理由もなくなるしね。どうかしてんじゃねえか。
tppもやるし、海底からガス引っ張れば中東はどうでもよくなるし。
アフリカで、井戸を作ってやってそれぶっ壊してなんでそんな事するんだと
聞いたら

ぶっ壊した鉄売って水を買うってさ。

これと一緒かな。


医療にオールイン

 いい加減、IPSで臓器作れば売れるんだからさっさと実用化しないと、
医療費さ、無理だからおじーちゃんの病気治すお金もうないから。
全額医療に打ち込んで研究して福祉大国目指すか、ロボット作って殺人機械帝国作るか、
どっちかしかないんだよ。なら、福祉大国目指せばいいのに、
イージス・アショア買うんだろばかじゃねえ。

4ヶ月前 No.1473

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

社会はあなたのためにあるわけじゃない。

 あなたは社会で成功したいと思いますか。
社会で生きていきたいと思いますか。行きているはずですけど、
そんなにおもったとおりになってないでしゅよね。
僕もそうですけどね。社会はあなたのためにあるわけじゃないんですよ。
社会はあなたの夢をかなえるわけがないんですよ。はずがないんですよ。

 あなたが社会の夢を叶えてあげられるわけもないし、はずもないし。
つまり、役に立つけど、生きるためにギリギリってだけなんですよ。
まあ、刑務所よりましかなそんだけ。世の中の流行や理念とか、
あなたの人生には何の意味もないんですよ。

 これから日本は何の技術で食えるんですかと聞かれて、
僕が無線送電とクラウドだと言ったところで絵空事だとしか思わないと、
思います。なら、いっそのこと夢だとか究極だとか言わなくて目先のことだけ、
考えてりゃinですよ。そうすることの利点は選択肢が減って考える余地が減って、
迷わずに住むことです。よくありますよね、何したら良いかわからないって。
逆に、これやれっていわれて素直にやるんですかね。多分やらないんですよ。
どうせ、いったことをやりもしないでしょ。

 社会がこれだけ停滞したとして何を目指してるのかということがあったとしたら、
その目指すことってゴールが蜃気楼だったということでしょ。
つまり、景気を良くするというのはうそだったということですよ。
豊かな日本を作りましたと言ったところで1000超夫妻ありますといわれて、
そりゃ借金して贅沢しただけだって。

 日本の学校の勉強って机作るのに、机の歴史を教えておかないといい材料の
選び方がわからないというノリで、国語の時間に詩の勉強をさせて読解力を
つけるんだと馬鹿なことをやってるわけですよ。正直数学なんて高校のやつなんて、
だからなんだとそんだけですよ。こんなあたりまえなことやって馬鹿じゃねって。
まあ、知っておけば後で役に立つだろとそういう前提で考えるから、専門家でないと、
スキルが無いとみなされてしまうんだね。だから、イノベーションは生まれない。
学校や大学や官僚や、会社や、それらこぞって互いを信じ切って、どんどんドロップアウトを、
つくってんじゃないの。その例が、相続税対策で就学させると税制で優遇させるというやつ。
スキルついて職にもつけるよと大学を食わせるための詭弁みたいな制作に疑問を、
持たないわけですよ。これからはね、何かをするのにどれだけ知識が少なくて住むかという
ことがすごいブレイクスルーを起こすんですよ。その意味では専門家はいらないんですよ。
特に自分にとってどうでもいいことを知識だなんだのと言って頭に入れる、
頭でっかちいらないんですよ。学ばなくていいと言ってるわけじゃないですよ。
そのぶん試行錯誤をどれだけ高速で回せるかということですから。
もしくは人と違うことを順繰りにやるとそういうのがいればいるほど正解にたどり着けやすい。
だから、今までのマスプロ教育ってのがごみになるんですよ。だから、頭の良さは
どうでもいい。人と違うことがいうやつが互いに情報交換できればいいだけですから。

4ヶ月前 No.1474

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

高品質というのは検査基準を設定して確認できて回数ですか、
これらをクリアできればできれば良いわけですからあとは手間暇の問題で、
日本企業の強みってそれだけですよ。それをやるために貴様マネジメントで、
いやがるかわいそうな子を休日出勤させてたわけですよ。
ネタさえわかればもう用済みです。

4ヶ月前 No.1475

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

    「貧富の差」とエントロピー

 「理想善人」は次の数式を満たしています。
  「メタ利己」=「利己」+「利他」  …※
この人がどんな行為をしようかと選ぶとき、自分の利益だけを優先せず、自分の利益と他人の利益を同じ重みで平等に考慮することを意味します。すると、みんなを平等に扱う場合に「メタ利己」(メタ利益)が最大になり、不平等な扱いをすると最大ではなくなってしまいます。これは、「エントロピー増大の法則」とよく似た状況です。

 2人の場合で、100万円の貯金を持つA氏と、10万円の貯金を持つB氏がいるとします。A氏が1万円をB氏に与えます。「利益」を金額だけで考えると、A氏は1万円損をし(利益−1万円)、B氏は1万円得をし(利益+1万円)、両方を合計すると0になりますから、2人の合計貯金額は110万円のまま不変であり、2人全体としては何も「利益」を得ていないように見えます。ところが、「利益」という言葉を単なる金額でなく、その人がどれほど満足できたかというメタ評価まで行うと、2人の「利益」の合計は増加しています。

 A氏は100万円の貯金を持っているのに対し、B氏は10万円の貯金しか持たないので、同じ1万円の有難さが違うのです。A氏は1万円損をしましたが、その損を−Xとします(Xはプラス)。B氏は1万円得をしましたが、その得を+Yとします(Yはプラス)。同じ1万円のやり取りでも、1万円の有難みが2人では異なり、貯金が多い人は有難みが小さく、貯金の少ない人は有難みが大きいので、X<Yです。つまり、Y−X>0です。

 ※を満たしたA氏の立場に立ってみます。1万円をB氏に与えることで、「利己」=−1万円、「利他」=+1万円と見なせば、「メタ利己」=「利己」+「利他」=0で、増えも減りもしていません。2万円、3万円、…を与えようと、逆にB氏から何万円貰おうと、「メタ利己」=0のままであるように見えます。ところが、「利己」=−X、「利他」=+Yと見なせば、「メタ利己」=−X+Y=Y−X>0になります。

 A氏とB氏の合計貯金額は一定のままでも、貧富の差を減少させる行為は「メタ利己」>0になります。A氏がk=1を満たした「理想善人」だとすると、A氏がB氏よりも金持ちである限り、B氏にお金を与えようとします。つまり、2人の間に貧富の差が無くなり、どちらも貯金額が等しく55万円ずつにする行為こそが、「メタ利己」を最大とする行為になります。3人以上の場合も同じです。全員の間に貧富の差が無くなり、みな平等にする行為こそ、「メタ利己」が最大となります。これって、「エントロピー増大の法則」によく似ています。

4ヶ月前 No.1476

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

村社会

 昭和の時代は農村から都市へ人口が流出したわけですが、ムラ社会は残ってたわけですよ。
都市へ行って、やれ個人の自由だとか何しようが勝手だとかそういうふうにできるのかあと、
思いきや、会社には利益守るための内田メソッドがありました。
日大のうちだがやったようなくびになりたくないならお隣潰してこいやみたいなノリで、
下をこきつかって利益上げるのを内田メソッドっていうんだよ。
ハートフルな貴様マネジメントでもいいですけどね。

 都市部での作られた需要の根幹は一軒家を買うことで一国一城の主になるという
センチュリーワンの風船です。センチュリーワンっていうのは不動産屋で、不動産屋は、
風船がぷかっぷかういてるんですよ。で、ああいうセールスって大東建託みたいな、
そんな連中がやっていて、売れないと
https://www.youtube.com/watch?v=EgbsOuegXf8
こんな感じのノリがはじまります。不動産なんて所詮そんなものです。
今はやってるのは家賃代行業です。お家賃はらないと大家さんがたいへんだから、
代わりに建て替えてあげますよという金貸しです。金貸しなんだから、

今日の達成いくつだ?
はい3020万です。
よーお前、産前にじゅってどーいうことだーおい、今日の達成いくつだ。
はい3020ですよ。
おい、どーいうことだ よー よー よー


こんな漢字ですね。

大企業になろうがやってることは一緒でした。自由に選べると言いながらも、
やってることは置いてやるだけありがたいと思えでした。
資本主義経済というのは途上国の資産高で成り立っていてそれは、
アメリカンのクレジットスコアをボロクソにすることで成り立っていたのですが、
だからそいつがちょっとよけいに買い物するとあ、これはうれてますねえ、
この調子なら売上三倍だよーだから収益万々歳だから株価もうなぎのぼりだねえと、
そうやって途上国が立地になったのです。アメリカ人が無駄遣いをやめれば、
資本主義はおしまいです。中国は製造業です。何作ってるかと、それはアメリカが
そもそも作ってたものです。合理化で集約される富はどこかで精算しなければ、
つまり、貧乏人につかわないと貧乏人が使うお金がないんですよ。

つまり、建物を作ることで銀行はお金を貸して市中にお金が回るんですよ。
つまり、第二次大戦後の経済の根幹は建物を作って道路作って港作って鉄道作って、
土建業が根幹なんですよ。土建業に富が蓄積されて、それを実体化したのが、
車なんですお。つまり、トラックの運ちゃんのおかげで経済は回ってたんですよ。
大航海時代の戦略物資が砂糖やお茶や、麻薬だったように今の戦略物資は車なんです。

車も家も作るの大変だーローン返せないやーとなって、商売する取引だけなら、
ど田舎でもできるんだよ。だから、雇用は地方に帰る可能性が高いんです。
で、もともと都市にいた連中は地元で農業してお前にくれてやる土地はねえと、
追い出された次男坊の子どもたちです。さて、そんな次男坊の子どもたちが田舎に帰って
あたたかく迎えてくれるでしょうか。

いいえ、そんな事はありません。

4ヶ月前 No.1477

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

都落ち

 これからの大企業が落ちぶれて都落ちする人がいっぱい増えるんです。
で、不動産なんてのは

さっき書いた武富士みたいな奴らが仕切ってるわけですよ。

こういう奴を閉め出さないと幸せになれないのです。正直僕はどんな人間でも、
どんなバカだろうが幸せでないと嫌ですけど、人の利益のためこき使われて感謝しろという、
そのノリはうんざりしてるので、そういうのはどこか南極でホッキョクグマを相手に、
狩りでもしてたくましく生きてよと言う感じでねそんな奴らのために働きたくないのです。
ぶっちゃけでていけ。

 何が武富士だとかムラ社会だとかを支えてるのかそれをぶっ壊さない限り、
ずっとこれ維持されちゃうわけですね。
そうだ、ニセコって日本人が経済圏からのけものにされたんですよね。
コレで生きましょう。つまりね、地方の活性化というのはそこのおじーちゃんが、
あれた畑を耕して代わりに農作物をとってもらって農協に収めて、小作農みたいな
生き方を農奴に期待してると思ってるんですよ。レタス御殿とかそうじゃないですか。
ホタテの加工業でなり手がないとかすごい稼げるのにと嘆いてるしょうもない人、
ネットで書いてありました。地方の活性化なんてそんなものでしょ。

 中には、最低賃金も腹痛いくないので、やりがいや体験をもたらすボランティア活動だと、
言い出す連中もいるしね。たしか、林業だったと思いますよ。
そんなタダ働きをやりたいからやってるとそういうことをノリで換気させればいいんだと、
オリンピックでさえこんな感じですよ。建物は立派なというよりはそれ以降は使いみちなんて、
こじつけでしかないものを後世に残るレガシーにするとか言い出しては、
大手ゼネコンが「最後の晩餐」してますよ。

 村というのは本質的には迷信で成り立ってるわけですね。
会社も常識だとかみんなそうしてるだとかマナーだとかいうわけでうね。
追い出し方というか、追い出され方は簡単ですよ。

 たしか、ありがとう研修だっけ。あるソフト会社で入ってみたら、
感謝が足りないと一週間で手紙をもらいましたと話があって、感謝が足りないので、
研修受けて、あれはたしか、お茶を社長に入れてないと感謝が足りないんだって、
そこの連中はこぞってお茶入れてるって。
中国の躍起になってるトイレ改革もコレと一緒ですからね。で、おかしなことは、
普通にしてれば勝手に向こうから追い出してきますよ。内田メソッドも貴様マネジメントも
ふつうに文句行ってりゃーでてけとそんだけです。

4ヶ月前 No.1478

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

どこだろうが居場所などない

 貴様マネジメントでも内田トレーニングでも村社会でも掟に背けば行きられないんですよね。
となると、帰属すること自体がおかしかったということなんですよね。
軍隊だろうが学校のラグビー部だろうが、大企業の社員になろうが、農地を引き継ごうが。
商売というのは需給関係でないものを互いに融通し合うから、そこに属するということよりも
自分のグループにないものがあるということで生じる関係性ですから、商売をすることです。
都落ちで好きに生きるならね。そうやって、村になくて自分だけが持ってるものがあれば、
勝手に向こうから折れますから。そんときに足元見れば良いんですよ。

 いい加減、労働力がないので働きてほしいだとかそういう人足がほしいというのは、
うんざりなので、年食っても自分で働けと思うんですよ。
 会社で機嫌取るために飲み会でろとか、機嫌損ねたのでクビになるとか、
馬鹿じゃねと。よくいうじゃん、無駄飯ぐらいすんなって。
 お金出して建物作って貸してお家賃取るとかそういう働きもしないのに、
金貸して生きてる連中はいい加減働いて自分でどうにかしろと思うんです。

 資本主義がだめになって、それで、どうにかしようと同好会だか愛好会だか、
発明したとして、そういうのを援助者が長期の利益を独り占めして、作ってる間だけ、
がんばってるね、お駄賃いっぱいあげようねって今の資本主義こんな感じなんですね。
そういうのは嫌なのですよ。金だしてるだけででかい顔してるような奴らは。
大体、金なんて準備銀行や銀行がぐるぐる回してるだけですよ。その本源は、
労働力ですよ。二束三文ですよ。風船と一緒。それをさんざん崇めるのはもう終わり。

4ヶ月前 No.1479

地下水 ★lHRYPNADL9_QAg

>>1471
今、買いなのはLED照明です。
ノーベル賞をとられた中村修二博士の、「怒りのブレークスルー」は面白かったですね。
実験に失敗する度に装置が爆発して、破片をよけるのに瞬時に板を被るのが上手くなったそうです。
それから爆発する度に、新しい装置を作り直すから、装置の性能の進展が早いのです。
怒りとの戦いですね。
そうしてどんどん欠陥の無い良い半導体を作って行くのですね。
でも限界があるのです。幾ら頑張っても、それ以上欠陥が減らせない。
欠陥の所に電子がトラップされて熱に変わって、光る為の電子が減ってしまう。
皆それで困ってしまうのですね。
中村博士は、それならトラップされた所を電子が発光する場所に代用すれば良い、と逆手にとるんですね。
電子とホールが結合する所にインジウムを置いてやると、渦を巻きながら結合して、その上で光るんです。
それならばと欠陥にインジウムをドープするんですね。
すると非常に良く光る青色発光ダイオードができた。
その後、京大はこれで三原色がそろったから、大面積白色ダイオードの製作に成功するんです。
いまでは蛍光灯の大きさに合わせたLED照明ができたのですが、使ってみると電力量が五分の一なんですね。
これは買いなのですよ。

ノーベル賞をとられたIPS細胞の山中伸弥博士の「IPS細胞と人生について聞いてみた」も面白かったですね。
思えば神の領域の仕事をされたのです、他のノーベル賞とは格が違いますね。
街工場のパソコン小僧だったので、親が柔道をして鍛えろと言うんですね。
すると柔道で何回も骨折するんです。
それで整形外科の先生となじみになって、整形外科の道に進まれる。
大学でも身体を鍛えろという事で、ラグビーでまた何回も骨折されるんです。総計二十回以上だそうです。
でも手術の実習はのろまで、じゃまなか、と呼ばれたそうです。
それで悲観していたら、手術で治らない、リューマチみたいな患者さんの方が多くて、これは基礎研究が必要だと思われたのです。
それで基礎研究に進むと、実験の為のネズミの世話ばかりで、やまちゅー、と呼ばれたそうです。
血圧か何かの特効薬を調べていたら、癌ができるんですね。
五年頑張って、それは癌の原因の一つだと、逆手にとって論文をまとめられる。
世界中に手紙を書いて、米国に渡って、スタッフがネズミの世話をしてくれる環境で、やっと、山中、と呼んでもらえたそうです。
でも期限が来て無職になるんですね。
するとまた手紙を書く。
奈良で遺伝子組み換えの技術のある助教授職を見つけて、何も知らないのに知ってると嘘をついて就職をゲットするのです。
調べてみると、ES細胞が受精卵の体細胞なので使用するのが倫理違反になっていた頃です。
普通の細胞から人工的にES細胞を作れば倫理違反でなくなります。
それで他に知られない様に極秘で、最初の受精卵ができる時に出る遺伝子は何かと調べ始めるのです。
受精卵の時は、全ての細胞に分化する可能性のある、分化がリセットされた状態なのですね。
ネットで探したら、それを調べてくれるソフトがあったのですが、何千種類もの遺伝子を答えとして出してくるのですね。
そこから24種類まで絞るのは、ネット検索し放題のパソコン小僧でした。
最後は弟子が、面倒だからいっぺんに入れて、一つ除いておけば、それでリセットされなければ、それがリセット因子だとね。
それで4つに直ぐ絞れて発表になるんです。
それからIPSバンクを構想するのですが、細胞の種類は二百種類を超えますが、これをいつでも使える様にストックする必要がある。
拒絶反応の無い細胞の人をそろえると百人近くになる。すると二万種類の細胞をストックする必要があります。これは大変だ。
そこでネットで血液バンクを調べると、血液型の他に遺伝子型も調べて併記してくれているのが解り、法律を変えてもらって、ここから作れる様にするのです。
作ってみるとIPS細胞は工業製品の様に正確に同じリセットされた最初の細胞を作ってくれる。
極わずかに試薬を入れると、たちまち二百種類の内の特定の身体の部位の細胞に分化してくれる事が解かったのです。
しかし未分化の細胞が残ったのでは、癌に分化する憂いもある。
脳の細胞などを補おうとすると何億もの細胞が必要だ。
それでレーザーで瞬時に判定して空気で吹き飛ばして選別する高性能な機械を作るのです。
そこに一列に高速でIPS細胞を流して、より安全なものだけ選別するのに成功するのです。

4ヶ月前 No.1480

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

青色ダイオードの話は聞いていて胸糞悪かったです。
あんな発明しておいて対価が二束三文ですから。

倫理のせいで規制が入るにしてもesもipsもどっちでも一緒ですよね。
どっちでも同じ臓器ができるならね。

日本でやるよりも研究設備を途上国に運んで研究すればいいだけので、
競争力が落ちるだけだと思います。

自動運転があるけど、アメリカンも運転したいとは思ってない人が多いけど、
日本でも完全な自動というのは規制が入るでしょうね。
今思ったのは海洋での船の完全な自動運転ですかね。衛星で航路を確認して、
スクリューとかを見て、何かあったときだけ手動であとgpsで全部自動ですか。

4ヶ月前 No.1481

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>1470 SumioBabaさん

> >>1468 の話に比べて、数値が半分になっています。


ああ、すみません。
>Aが自分の食糧をBにやることが−50の利益。


は、「半分Bにやる」の省略です。
文脈上わかるかと思ったんですが、紛らわしかったですね。

>そもそも

>M=M(a)

>に無理があることは少し考えればわかります。

>>そして、Mを導入した修正案も、M=Maという無理な仮定をおいているので破綻している。


これも、ちょっと修正案を考えていて混乱してたみたいなんで、
取り消させてもらいます。申し訳ありませんでした。

>「社会全体の利益M」「Mの最大値」を導入した時点で、メタ利己主義は根本的変更となり、崩壊。


これはそのままです(笑)。
ケプラーの法則のたとえは、不適切です。
まあ、強いてその例で言うとすれば、ニュートン力学の道具立て以外の道具、たとえば相対性理論とかですね、を用いて導いている、みたいな感じですかね。

というわけで、 >>1476 も、申し訳ないですが、もうわたし的には関心が持てません。
わたしはむしろ、「Mの最大値」などを持ち出さない、私の納得のいく本来の欲望原理で説明しようとして、SumioBabaさんを見習って修正案を考えています。
ただ残念ながらBabaさんみたいにスラスラわからないので、手こずっています。
また良かったら教えてください(笑)

4ヶ月前 No.1482

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

問題解決というと

 問題というのは一つは手順を実行することです。
1+1= を解くのに手順があるわけで、それをしたら解決なんですよ。
生産ってのはつきつめれば、手順をこなすことです。
 だけど、社会的な問題だと会社で変な人が居てそいつの言うことを
聞かなきゃいけないというのがあって、聞きたくないなら出ていけばいいという、
それどうしたらいいだろうというわけですよ。この場合はやめる訳にはいかない。
そしたら仕事ないからというわけですよ。ところがどこかが吸収してその嫌なヤツを、
リストラしたら問題は解決されるわけですよ。

 学校の問題って解くための手順がはっきりしてなくて正解があるというやつばかりで、
正解を自分で考えたり問題が間違いだというのはないんですよ。
これが、 会社で 成果を出せる 人間を考えるように訓練する いんちき です。

思うんですけど、そんならわかってるなら正解書いとけよって。

学歴が高いやつが大企業へ行くというのはその意味で合理的ですよ。
つまり言い方を変えるなら、言い出しっぺにはその場限りの場当たりで
考えるまともな脳みそでないということです。

数学と物理の入試は必ずこうなってるはずです。
入力(問題) 処理(?) 出力(正解)
処理を書かせるわけですよ。
会社はどうなってるかというと
入力(現状トラブル) 処理(仕事) 出力(利益)
トラブルというのは今どきは会社自身の構造的な不具合で生じたのですから、
コイツラが消えるのが正解です。
現状のトラブルを必死に維持してるのが今の正社員ですん。
学校の勉強が無駄というのはそういうことです。
やればやるほどできればできるほど会社を維持するのに都合のいい人間ができます。
資格を持った専門職ってのは試験があるならば、
問題と結果の間にできる処理過程があるはずで、それをできるかということが、
専門性を問われるわけですよ。その意味で専門家はいらないというわけですよ。
答えはググったり情報集めて調べるべきことなんで。

トラブルそのものを無くしましょうということなんですね。

ずいぶん馬鹿なこと言ってるなと思うんですね。そんなんでどうやって食っていくんだと。
でも、今の社会をそのまま維持しても年金も保険も持つとホンキで思ってる人、
どれくらい居ますか。漠然と責任を国に押し付けてるだけではないですか。
政治家も官僚もそのままなし崩し的に増税する以外の選択は選ばないと思いますよ。
生活苦しくなって人が不平を言う旅に自己責任だとか甘えるなとか言うとか
おかしすぎないですかね。で、どうするかを自分たちで考えるそうしようと
いざそうなるとさ、そういうのはひきこもりだとか、ニートと言う人達が、
社会から爪弾きにされてて、それは働けと社会の連中は言うけどさ、
じゃあ、社会人がグランドデザインを考えることを結局するのかというとそうでもなくて。
なら、大学生が自由に考えられるのかというと何したら良いかわからないという言葉
ばかりが先行するわけですよね。本来結構一番な自由なはずなのに、答えつまり、
この場合はお金をもうけることを考えるけど、方法については雲を掴むような感じで、
なんとなくバイトをし続けるそんな日々だと思うんですよ。で、それは社会人になっても、
そうなんですよ。社会的な問題が山積してるという前提が日本社会にあり、
一方で金が足りない、ということばかりがあって。オリンピック終わったら、はっきりわかります。
だめな人たちはだめなままだって。行きてくのに金がいる物買うのに金がいる、けど、
会社に属さなくてもものを作って会社なくても金を手に入れられるなら会社いらないですよ。
これまでは建物作ってそこで大量に物作ることが効率性に響いて効率性が利益の源泉で、
でもそれは初期投資の工場建設とかとのそのコストと金合うわけで売れなければ、
その建物自体には意味はないんですよ。何ほしいかって言うとそれは結婚したいなら、
結婚式挙げたいし、家族が死んだら冥福を祈るために豪華な葬式したいとか、
疲れたので旅行行きたいとか、翌々考えてみるとみんなが行ったとか誰かが常識だから、
してることだからスーツ買いましたとか、本当に自分の欲しいものかというと実は、
そうでないんですよ。そういう事を考えた際に自分が本当にほしいことに主眼を置くなら、
会社で罵られるくらいなら自由に行きたいと願うのはごく自然で、なら問題ってのは、
会社がなくてそれで行きられる社会が理想なんですよ。だから、問題解決というのは、
問題そのものの存在意義がなくなることなんですよ。

4ヶ月前 No.1483

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

いろんなもの

 浪費ってあるじゃないですか。ごく身近なものならパチンコですね。
肉が食べたいとか、小さなものなら水道をながしっぱにするとかね。
社会ってこういう浪費が必ずあるわけですよ。それは生産でのロスや、
営業での不効率ではなくて消費者側に行きていくのに必ずしも必要でないロスがあるわけ。
そういう無駄な消費が会社での利益に反映される。つまり、会社側としては、
無駄な消費がされることが会社にとって望ましいし、本当に必要最低限であると、
想定するより売れないということですから。たとえば居酒屋には死活問題だと、
思うんですね。引っ越し業界とか、その気になったら、家族や親戚にお願いして、
だれも仕事頼まないでしょ。商売というのは売上が10%も飛んだら結構痛いと思いますよ。
30%飛んだらやばいとおもうんですよ。浪費どれくらいしますか。
そう考えると社会を変えたいなら浪費というやつを見直すだけで様変わりしちゃうわけです。
街から居酒屋や、クラブなどが消えたら様変わりしたと言えると思うんですよ。
携帯なんて十年そのままならショップ次々消えるでしょうね。これがいじできるのは、
バッテリーや端末の性能が数年ごとで更新されるからです。けどこれも通販で、
買ったり、キャリアやめたらそれで、通信会社は様変わりしちゃうわけですよ。
つまり、無駄というのはかならずあるわけで。今の問題はある種自業自得なんですね。

4ヶ月前 No.1484

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1473
人間何を食べれば健康になるかが解ったら、食糧の効率化と健康化が計れるのです。
ワシントン大学に出張していた今井眞一郎教授が、ネズミの糖尿病を治すのに、βニコチンアミドモノヌクレオチドを与えてみたのですね。
これは縮めて、βNMNと呼びます。
するとそれどころか、筋肉組織を調べると、ネズミの歳に換算して二十歳ぐらいまで若返っているのです。
この成分は特別なものでは無くて栄養成分の前駆体なのです。これにアデニンが付くと栄養成分になります。
ここでいうニコチンはニコチンとは関係なくて、ビタミンB3やナイアシンの事なのです。
ビタミンB3に五角糖の様なものが付いて燐酸が付いたものです。
これにアデニンが付くと、ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドという、栄養成分になります。
これは縮めて、NAD+と呼びます。
これはマグロウヒルの生化学の基礎代謝の最初を見ると、400種類くらいある基礎代謝で不足して、律速になる栄養成分だと解ります。
生化学が明らかになってからはNAD+の不足は常識なのですね。
だから教授は代謝の改善になるだろう程度に思って与えてみたのですね。
そうしたら若返りの薬だったので驚きです。
全て律速で止まっていた基礎代謝が改善したのですね。
たちまちハーバードのデビッド・シンクレア教授やオーストラリアのアナ・ゴメス教授など世界中で追試され確認されたのです。
今は慶応大学の医学部も臨床試験を始めています。
この成分は大抵の食品に含まれていて、牛乳にも一万分の一くらいは含まれています。
玉子もいいですね。ウサギは草食なのでコレステロールの分解力が弱くて玉子を与えてはいけませんが、人間は雑食なので幾つ食べても良いそうです。
人換算ではβNMNは日に13グラム必要で、大さじ山盛りの糠を食べる感じでしょう。
一万本の牛乳から濃縮しても得られますが、二百万円にはなるので現実的では無いですね。
日清製粉の百パーセント子会社で、滋賀県の長浜のバイオ研究連にある、オリエンタル酵母工業が、酵母を用いて効率的に作るそうです。
発酵技術のあるキッコーマン醤油なども参入しています。
粉もんやカップヌードル、醤油などを使ったら若返る時代が来るのでしょうか。

この薬は脳のボケの原因であるβアミロイドを代謝して排泄して、ボケを改善しました。
心臓病も改善しました。
もちろん糖尿病も治ります。
もともと栄養成分の前駆体なので、副作用が無いのですが、白血病の患者では治らず、悪化しました。

機序は、ミトコンドリアに与えると、伝達物質サーチュイン遺伝子が核に幾らエネルギーが必要か聞き、それに従ってミトコンドリアがエネルギーを作る様になります。
またミトコンドリアの老廃物を代謝して排泄して、ミトコンドリアを若返らせます。
細胞の複写回数の寿命を決めるテロメアを補修するテロメラーゼも活性化して、テロメアを補修し、本当に細胞一つ一つの寿命を若返らせるのです。

米国ではライフ・エクステンション社などから出ています。
日本では新興和製薬などから出ているそうです。

4ヶ月前 No.1485

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1485
バイナップ触媒で、完全なミント結晶を大量生産して、廉価した、ノーベル賞化学者の野依良治博士などが、若返りの薬であるβNMNの生産に着手されたら、予防医学が革新的に進むのではないでしょうか。

4ヶ月前 No.1486

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1481
「怒りのブレークスルー」は怒りの余り、日本に見切りを付けて、米国に渡って帰ってこられません。
米国で更に凄い発明をされています。日本の経産省は何をやってるんですかね。中村博士に破格の研究環境を用意して買い戻すべきですね。

「救うのは太陽だと思う」と言えたシャープの堺の太陽電池工場もホンハイにとられるし。経産省の買い戻し提示額はまた負けたのですね。

iPS細胞はES細胞と異なり、受精卵を必要とせず、大抵の細胞を初期化して作れますので、非常に便利です。


自動車は千兆円産業ですね。世界に10億台車があり、一台百万円としても千兆円です。
これからこれを、ハイブリッド車に入れ換え、自動運転車に入れ換え、電動自動車に入れ換え、水素自動車に入れ換える、未来が来ます。
何千兆円もの世界的な環境経済へと移行します。
量子コンピューターでGPSによる、誤差5センチ制御を目標にして、非衝突制御を目標にして、事故を極限まで減らす、未来を目指すそうですね。


十万トン・コンテナ輸送船などがあります。
これの荷積み計画が職人さんでは充填率65%だったそうです。
それをIBMの子会社が、立体テトリスなどのゲームに見られる立体充填やビンソートなどの馬鹿ソートを応用して、5秒で計算して充填率を85%にする荷積み計画を実現したそうです。
コンテナ船は何艘もあり、太平洋を何万往復もします。
それで何百億円も効率が上がったそうです。
このソフトを開発した方は、毎月船会社におよばれに行き、ポケットに札束を突っ込んでもらって帰って来られるそうです。


一緒にレーザーをやっていた先輩は、衛星軌道の勉強などもしてNHKに入られました。
そこでは地震や津波の映像を撮れというミッションがあるそうです。
そういっても、いつ地震が起きるか予測は無理ですね。
その頃DRAMが安価になっていたのですが、画像を10分DRAMにアセンブラのMOVEDATA命令で流し、地震計を繋いで揺れたら画像を流すのを止めます。
そしてその後にまた10分ぶんの画像用のDRAMを繋ぎ、地震後の画像を記録します。
この手品の様な方法で、地震の前後の20分間の映像が記録できたのです。
先輩は数名の同僚と、少しの技術と価格で、ミッションを破り、世界中のテレビ局にこの装置を買ってもらいました。
アイデア一つが大切ですねえ。
でもパテントはNHK本社に入るのでしょう。

4ヶ月前 No.1487

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1487
先輩の装置は、様々な津波や地震の記録に役立ち、建物の揺れなどを記録し、その後の地震対策の防波堤の設計や、耐震構造の建物の設計に役立ったそうです。

4ヶ月前 No.1488

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1473
イージス・アショアは、イージス艦に比べてかなり安価です。地上にあるので、何発でも迎撃できて、ミサイルの飽和戦に対処できます。
専守防衛なので、憲法解釈の範囲内です。対ミサイル防衛には最善の方法です。
日本国憲法には、国民の安全を保障していますので、専守防衛は憲法解釈の範囲以内なのです。

日本は国連の加盟国です。
そしてほとんど全ての国が国連の加盟国です。
国連憲章は加盟国間の戦争を禁止しています。
国連憲章を見ると、それでも戦争の危険性が高まった時は、平和的な手段で封鎖すると明記しています。具体的には経済封鎖などです。
リビアの核などはこれで廃棄され、カダフィー独裁政権は市民に追われる結果となりました。いわゆるリビア方式です。
国連憲章は、更にそれでも戦争の危険性が高まった時は、加盟国で国連平和維持軍を構成し、軍事力で戦争行為が起きない様に封鎖する事を明記しています。

しかし日本は国連憲章の前に、日本の平和憲法がありますので、平和維持活動には参加できますが、平和維持軍には参加できません。
平和維持軍は専守防衛では無いからです。

4ヶ月前 No.1489

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

【画像】一般人とオタが会話が続かない理由が図解される

今ならぐぐるとでますよ。

なるほどなと思う一方でずいぶん金に踊らされてる話ばかりだなと。
・ファッション
 コレに関しては、大半は知ったかだろうし、モード自体僕も知らないですよ。
そもそもモード系ファッションが黒い理由をググって調べた人なんてあまり居ないと、
思います。つまり、おしゃれというのは何故するのかとかかなり雰囲気で。
僕もダサい自分で、悩みましたけど、今更です。

・芸能
 結構、ジャニーズについては問題がでてると思います。アイドル業界は結構きついですよね。
女性アイドルなんて数揃えてオタクに好きな誰々ちゃんが好きとかね。数揃えて、集約しないと
箱に客呼べないという状況になってると思うんですよ。相撲業界は暴力沙汰を解消できない。
伝統芸能は最初からテレビにはでてこないわけで。
そもそも芸能人=テレビという考え自体がおかしいですけどね。こういう流行という点で、
考えると伝統芸能が外されますよね。テレビの箱物のお笑いとかエンターテイメントを、
芸術を関する芸能という枠に入れてほしくないです。エンタメというべきです。

歌に関してはCDはうれないでしょ。日本の音楽業界の凋落は売り方の失敗の典型例

・テレビドラマ
 興味ないです。見てないです。海外のドラマのほうがおもしろいよ。
聞いてもどうでもいいよ。

・友達関係恋愛関係
 これは流行関係ないですからね。

・車
 話す価値ないですよ。変形合体するなら気になってしょうがないですけど。
どれ乗っても一緒。

・スポーツ
 車もそうですけど、スポーツもそうですけど、よそものなんです。
野球見て誰が打つとか話し合うわけですよ。毎日車買ってあれがいいとかこれがいいとか
いってるわけじゃないんですよ。意見するだけ時間の無駄じゃないですか。
哲学みたい。ありもしない神様がいるかどうかだとか代わりに今使ってる車の話で、
それしてるだけですよ。スポーツなんて本当にごちゃごちゃ喋っても何一つ意味ないというか。
サッカーくじ買うなら僕も話し合う意味あると思うんですね。競馬とかさ。
あれは真面目に本当に会話するのは有意義です。

・ライブ
 ライブ自体がシーンというやつですよね。日本が共通という枠で考えること自体が、
どっかおかしいというものがシーンという観念がない。ジャンルの差異など気にしないはずです。
音楽ってそもそもがマイナーで専門性があるものです。
その意味ではファッションと一緒です。

・旅行
 車もそうですけど、年に一回か二回ぐらいしか海外って行かないと思うんですね。
僕は海外いったことあるけど、旅行を話題にするって、どっかの糞会社の上司が、
昔取った杵柄の武勇伝を誇らしげに繰り返すのと一緒だと思うんですね。


そうやって分解してみると、
人間関係という切実な話題を除くと共通の話題って実は人にとってどうでもいい、
早々滅多に扱わないことばかりですよ。扱うというのは買うということや、
日常としてあるということです。ファッションや音楽に関しては結構当たり前に
聞くけど、由来やコンセプトなんてほとんど関心ないはずですよ。
せいぜいビトンの新作だとかそれぐらいじゃないですか。
買わないやつやじぶんにとって関わり合いがないものは妄想が膨らんで、
これが車やスポーツで盛り上がる理由ですね。日常使うものはどうしてこれがという思想がない。
大衆が馬鹿だと思うのは普段使うものに大してあるべきだというこだわりや、
考えがなくてなんとなく選んで買って使ってみんなやってるからと言う一方で、
早々手が出せないまたは憧れという部類に属するものにはひたすら興奮するわけですよ。
大谷がすごいホームランとか打って色めき立つでしょ。そんなの観客がいくら、
スタンディングオベーションしても大谷の成績には関係あるわけないんですよ。

こういうのってあなたが料理で包丁をいくつも買って選んで良し悪しをちゃんと、
考えるならそれは地についてまともな意見だと思うんですよ。
人って身近にあるものをきちんと考えて、普段どうでもいいことは考えなくて良いんですよ。
国防とか憲法とかあんま議論しないでしょ。それと一緒で、そういうことを、
頻繁に書いて考えるような書き込みや専門性のあるものってそう考えると、
工作員がやってるとわかるわけですよ。ふつうはそういうことかんがえないから。

4ヶ月前 No.1490

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

手が出ない物

 そういうことを考えるのってあまり価値がないと思います。
逆に身近にあるものはよく考える必要があります。音楽とか着てる服でもそうあるべきですよ。
よく買うものほど細かくあれ前より少ないとかボロっちいとか、結構みみっちいけど、
そうすべきだと思うんです。

 車や旅行や家だとかそうそう買わないものであればあるほど盛り上がる、
自分がやりもしないスポーツで盛り上がるというのもずいぶんおかしな話だと思います。
一般人ってパソコンのCPUなんて気にしないと思うんですね。
でもパソコンはたいてい持ってると思うんですけど。今はスマホだけしかない人
結構多いんだっけ。

 物が売れるとか車に勝ちがあるとか旅行が楽しいとか多分コレはみんなで言い合ってるから、
という要素が本当に強いと思います。一人旅行が楽しめる人は心から楽しいと思うんです。
けど、カップルでする旅行って旅行だからではなくてカップルだからだと思うんですね。
一人でディズニー行って楽しいですかってことなんですよ。
楽しさというのがディズニーやピサの斜塔だとかを仲介して関係を楽しむというのが、
デートというやつなんですよ。だから、公園デートみたいだとなんかダサいとか
逆言うと金かけられて自分が大事にされてると錯覚する状況になるわけですよ。

 美味しいものは一人で食べても美味しいし誰と食べても一緒です。
作ってもらって余計美味しいなんて基本ありません。味は味でしかないのです。
これがほんとうの意味でのそのものを味わうということです。
でも、嫌な奴とご飯食べると気を使わないといけないので楽しくないですね。
逆言うと、車がほしいとかおしゃれだとかそういうのは人に言われてそう感じるに、
過ぎないということです。本当にほしいのはそういう共感であって、それなら、
金が本当に必要なんかということなんですよ。

4ヶ月前 No.1491

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1489
それから自衛隊員も国民ですから、憲法が国民の安全を保障する事を趣旨としているなら、専守防衛や平和維持活動が限界で、平和維持軍には参加できないのです。

4ヶ月前 No.1492

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1491
安価で一番人気で美味しいと言われているのは、日清カップヌードルの肉やエビや玉子の入ったスパイスの効いた味です。

珈琲で安価で一つ19円ほどのスティックで簡単で美味しいのは、ブレンディーのアロマブレンドコーヒー優華なコク、です。
学生の頃大学の門前の自家焙煎の音楽喫茶で頂いた、挽きたてのブルーマウンテン珈琲を、山水で淹れたてにしてもらって飲んだ珈琲が、いやみの全くない、上等の番茶を思わせる懐かしさのある趣で、最高でした。焙煎のパイナップルの様なフルーティーで華やかな香りと、焼き立てのパンの様な香りが混じって、キースジャレットのケルンコンサートが流れており、最高でした。もちろんそこまででは無いですが、最初の香りが似ており、今までのインスタントでは感じられない香りがあります。家で簡単にいれるのには助かります。買いです。

電動歯ブラシは、オムロンの音波歯ブラシが、3000円程で、充電式で電池が要らず、替え歯も300円程度で安価で、良く磨けて、歯医者に行かなくても良くなりました。買いです。

洗濯は、アリエールのスーパージェルが簡単で、汚れが良く落ちて、洗濯後も良い香りが保てるので、買いです。

飴は、味覚糖の酵素飴100種以上の植物発酵、安価で美味しくて、植物を読むのも楽しくておすすめですが、売り切れなのかアマゾンと対抗しているのか、今は在庫が無いそうです。

野菜を補うのに、ビタミンCのサプリメントは、井藤漢方製薬のビタミンC1200のスティックが、一包13円程度で安価でおすすめです。アスコルビン酸ナトリウムの化学合成が百パーセントできる様になった御陰で、こんなに多くの量が安価に手軽になったのですね。

シャンプーは、サンスターのトニック・スカルプケアーがミントが強くて、夏は気持ちが良いです。これもミントが百パーセント純粋に、バイナップ触媒で安価に合成できる様になった御陰です。

強いシャワーの出る、タカギのシャワーヘッド マッサージシャワピタヘッド リラックスも気持ちいいです。

時計はGショックが壊れないので便利です。

また電波時計で湿度と温度の他に気圧もデジタルで表示される物が欲しいですね。エアコンや天気の目安になりますし。

4ヶ月前 No.1493

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

車とか高い時計とか自慢できて持っててね買えるならいいけど、
車マニアとかが車雑誌持ち出してあーだこうだと言い合ってさ、
結局生活費をカツカツにしてまですることじゃないと思うんですよ。
会社はどんどんみんなの給料削ってるのになんでそこまでみんなにあわせなきゃとか、
スーツ着るのは当然とかジャージでいいよ。スーツ着にくい。
オーダーメイドはちがうでとか正気じゃないというか。高いかね払わないと、
着心地悪いならジャージでいいかな。
世の中とか、税金とか政治に関心向けるのはそれ自体は僕は否定しないんですけど、
プラカード持ってデモ行進しても良いと思うんですよ。
だけど、それと同じくらい会社に有給申請したりするのは当然の権利だと思うんですね。
当然会社は守る義務があるんですよ。それを使わないで、憂さ晴らししてるというか。
行きていくのに仕方ないという人もいるし、そうだとは思うけど、なら、ケチればいいのに、
何が楽しくて行きてるのと浪費をみんなで共有しないと話し合わないとのけものにするという、
発想が本当に土地狂ってるなって。

4ヶ月前 No.1494

地下水 ★otncK03kC4_BXv

>>1494
夏に暑いし、薄いズボンを買おうと思って、ワークマンに行って、安価で丈夫で清涼機能と消臭機能のある生地のズボンを買いました。良さそうです。

暑いので、冷蔵庫の氷をジョッキに入れて牛乳を入れて、アイスミルクを何杯も飲んでいます。安価で身体に優しく、良さそうです。

4ヶ月前 No.1495

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

正直仕事着はワークマンで良いですよね。

4ヶ月前 No.1496

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1482  ザビビのふくろうさんへ

>>Aが自分の食糧をBにやることが−50の利益。

>は、「半分Bにやる」の省略です。


 ああそうでしたか。「半分Bにやる」だったら、Aの「利己」は−50ではなく−30だし(全部食べる場合の+100から、半分食べる場合の+70に減る)、Bの「利他」は+50ではなく+70です(何も食べられない場合の0から、半分食べる場合の+70に増える)。だから合計すると「利己」+「利他」=+40になります。
 Aが全部食べる場合は、Aの「利己」=+100、Bの「利他」=0、合計すると「利己」+「利他」=+100です。Bが全部食べる場合は、Aの「利己」=0、Bの「利他」=+100、合計すると「利己」+「利他」=+100です。AとBが半分ずつ食べると、Aの「利己」=+50、Bの「利他」=+50ではなく、Aの「利己」=+70、Bの「利他」=+70くらいになると思われるので、「利己」+「利他」=+140です。片方だけが全部食べる場合に比べると、2人で半分ずつ食べる方が、「利己」+「利他」は+40増えることになります。つまり「半分Bにやる」というAの行為は、その差を産み出す行為であり、「利己」+「利他」=+40になります。

>というわけで、 >>1476 も、申し訳ないですが、もうわたし的には関心が持てません。

>わたしはむしろ、「Mの最大値」などを持ち出さない、私の納得のいく本来の欲望原理で説明しようとして、SumioBabaさんを見習って修正案を考えています。

>ただ残念ながらBabaさんみたいにスラスラわからないので、手こずっています。

>また良かったら教えてください(笑)


 ぼちぼちで構いませんので、ぜひチャレンジしてみて下さい。SumioBabaの方法と、ザビビのふくろうさんの方法と、どちらが正しくてどちらが間違いとは言えないと思います。どちらも一長一短有るでしょう。お互いに「こんな考え方をする人も居るのだ」と理解し合うことが、学びにつながると思います。また、気が向いたらいつでもコメント下さい。

4ヶ月前 No.1497

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>1497  SumioBabaさん

>ぼちぼちで構いませんので、ぜひチャレンジしてみて下さい。SumioBabaの方法と、ザビビのふくろうさんの方法と、どちらが正しくてどちらが間違いとは言えないと思います。どちらも一長一短有るでしょう。お互いに「こんな考え方をする人も居るのだ」と理解し合うことが、学びにつながると思います。また、気が向いたらいつでもコメント下さい。


ありがとうございます。論者の鑑ですね、ホント感心してしまいます。
ということで(笑)、あなたの人柄に頼って、早速ですけど、ご意見を伺いたく思います。
以下で私が述べるのは、あなたの立場の私なりの改良です。
まず、多少記号を導入して詳しく規定しますが、これは本質的な変更ではありません。
本当は、解釈についても私なりの表現でやりたいのですが、相談させてもらう便宜上、理解してもらいやすいと思われるあなたの表現に近い形でできるだけやります。
本質的な変更は、あなたの利他率kの解釈です。
k=1をもとにして、あなたは >>1467 のような「理想善人」を定義されるわけですが、前から言っているように、私はここに違和感があるので、kは実質的に異なる解釈を与えます。
それは後で説明します。
「理想善人」については定義しません。私からすると、ですが、これにこだわるのがマズイんじゃないかと思うんですよね。

まず、若干、記号をまとめて導入します。
なお、以下で想定される分析対象は、「無人島の食糧分与問題」とし、食料は100あるとします。

 「メタ利己」=「利己」+k「利他」   …※
これをAのメタ利己と解釈し、次のように記号化します。
 M(a)=P(a)+k[P(b)] …※
以下、いくつかの記号と式を導入します。
G(a+b)…Aの財とBの財を合わせた全体の財
G(a)、G(b)…AとBがそれぞれ最初に持っていた財
G’(a)、G’(b)…分与後のそれぞれの財
G(a)=G(a+b) … Aが最初財を全部持っていたことを表す
P(a)= G’(a)−G(a)=−p … 分与によるAの利益P(a)が−p
p=| P(a)|=|−p|… 分与量。AのBへの分与による利益の絶対値。
P(b)= G’(b)−G(b)=+p … Aからの分与により得たBの利益P(b)が+p

さて、次にkを導入しますが、式としては同じものです。
ただし、BaBaさんのものとは意味が異なるので注意してください。
k[P(b)]=k[G’(b)−G(b)]= k[+p] …但し、kは「義務率」、k>1またはk≦1、とする。
SB流の※式を修正したふくろう流の式☆を示し、下に、その直感的意味の説明を付します。
M(a)=P(a)+k[P(b)]+α … ☆
[自己利益]=[個人的利益]+[道徳的利益]+[他の利益(例:他人の尊敬)]
[望ましい度]=[欲望充足度]+[義務充足度]+[α(アルファ、虚栄心、自尊心等充足度)]

すると、分与量をpとすると、☆は次の式になります。
 M(a)=(−p)+k[+p]+α
 ここで、分与量が0以上であること、つまり、AがBにいくらかでも食糧を分け与えるための条件を次のように決めます。
メタ利己主義の原理: p>0 が成り立つのは、 M(a)>0のとき、そのときに限る
つまり、いくらかでもAがBに食糧を与えるのは、自己利益(メタ利己)M(a)が正の値であるとき、つまり、メタ自己的には得をするとき、そのときに限るということ。
これがふくろう流メタ利己主義の原理です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
では、以上の準備にもとづいて、無人島食糧分与問題を分析します。
問題の前提により次が成り立ちます。
 G(a)=G(a+b)=100 …Aが最初に全部の食糧100を有している。
ここで、Aが偽善者ではない善人であるとします。
この条件のもとで、AがBに半分の50を与えるとすればkの値がどうでなければならないかを考えます。Aは善人なので、α(アルファ)は0となります。
 p=50
 α=0
P(a)= G’(a)−G(a)=−50
P(b)= G’(b)−G(b)=+50
これを☆式に代入します。
M(a)=−50+k[+50]
ここでk=1を仮定すると、M(a)=0となりますから、M(a)>0になるためには、当然
 k>1
が成り立たねばならないことがわかります。
そして、このk>1は、Aが善人でα=0である限り、分与量pが0より多いどれだけの分量であるかに関係なく、一般にAがBに与えるため、すなわちp>0が成りたつための条件となることは明らかです。
ここで、kの値が1より大きいか、1以下か、ということは、Aにとって義務であるか否かを表しています(但し、この例題の場合に限る)。
例えば、この場合Aは、Bにやるpが自分の所持する量と同じになる50まではやるべきだと考えてBに分与する人なので、
0<p≦50 ⇒ k>1
で、それを超えては与えないとすれば、
 p>50 ⇒ k≦1
つまり、この人は、Bに与える量が自分の量と同じになる50までなら、やることが義務だと考えているし、実行したら義務充足感が得られ、それによりメタ自己利益を得られるということです。
 0<p≦50 ⇒ M(a)>0
つまり、この範囲ではメタ利己的には得。しかし、それより多くは義務と思っていないわけです。
  p>50 ⇒ M(a)<0
つまり、この範囲では損になります。

さて、偽善者行為を行わない人(α=0)であっても、例えば自分の3分の2までならやるけど、半分こまではできない、という人もいるでしょう。
これはどう異なるのでしょうか。
まず、自分と同じ量までやれる、すなわち半分こまでやれるという場合は。
 0<p≦G’(a) ならばk>1
 p>G’(a) ならば k≦1
自分の3分の2までならやれるという人。G’(b)=p=40、G’(a)=60
0<p≦[2/3G’(a)] ならばk>1
p>[2/3G’(a)] ならば k≦1

つまり、我々が考える「善人度の度合い」というものの一つのタイプは、kの値が1以上であるのが、すなわち与える義務があると考えるのが、どれだけの分量か、ということの違いがあるわけです。
したがって、もし3分の2までしかやらなくてよいと思っているのに、半分やったとしたら、何等かの+αの理由があったと考えられます。そうすると、この人は偽善を行ったということになります。
しかし、例えば、仮にAが小さい細い人で、Bを見ると非常に大きな人であった場合、Aが非常に善い人であれば、自分よりたくさん食べてくださいと自分以上の量を分与する可能性もあります。この場合、k>1であるのが、p≦60の範囲までであるかもしれません。
だから、平等な量の分配の範囲をこえてk>1であるような人は、「自己犠牲を行う」人、と言えるでしょう。

また、「善人度の度合い」のもう一つのタイプを考えます。
無人島問題ではうまい例を思いつきませんが、αが0ではなく、負の値を取る場合を考えます。
これは要するに、実質の個人的利益と純粋な道徳的義務感以外に、善行為に妨げになるものです。
例えばαが+の場合は、バスでお年寄りに席を譲る場合に、本心は席を譲るほうがいいと思っていないのに(k<1)、他人によく思われたいという気持ちなどから譲る場合で、+αが加算されてM(a)>0になる場合ですが、αが負の場合はこれと逆の場合です。
例えば、「ここで替わったら、他人に善く思われたいと思って替わったんだろう」といったふうに思われるんじゃないかとか、子供だったらなんとなく恥ずかしいとか、いろいろ考えられると思います。
こういう余計な気持ちが善行為を阻害しようとする場合、それでもやるのが義務感の強さ、すなわちkの値の大きさ、ということになるでしょう。
 M(a)=(−p)+k[+p]+α
という式で、仮にα=−pだとしましょう。そうすると、k>2であれば、M(a)>0となり、メタ自己的に望ましいことになります。

とりあえず、以上です。
どんなもんでしょうか?
できれば、SumioBabaさん、もしくはロムしておられる方、誰でもいいですので、意見をください。
Mobiusさん、いかがでしょう?

4ヶ月前 No.1498

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1498 ザビビのふくろうさん、お声掛け感謝します。

読ませて戴きましたが、物理的な財の分配の話と、精神的な充足度の話がごちゃごちゃになっているので、わかりにくいです。

G()は、食糧 つまり 物理的な財ですね。
P()も 物理的な財ですね。
M()は、精神的な充足度でしょうか?

だとすると、M(a)=P(a)+k[P(b)] はおかしいですよね。等号の左右のディメンジョンが合わない。

合わせるためには、右辺第1項にも何らかの係数を掛けねばならない。
つまり、M(a)=k1[P(a)]+k2[P(b)]

しかし、このk1,k2 というのは厄介で、状況によって プラスにもマイナスにもなります。
例えば、BさんがAさんの片思いの相手かもしれませんし、最愛の妻かもしれません。そうなるとk1はマイナスになるかもしれません。


グスコーブドリの伝記とか読んだことありますか?
主人公に感情移入できますか?

4ヶ月前 No.1499

雑記 ★Gc8HjmXH4j_EJR

日大アメフト内田前監督、心労と不眠で日大病院に入院

心労と不眠だって誰が信じるんだろう。僕は信じないですけどね。
言われたとおりに診断書を書くバカが居るってことでしょうか。


話変わりますけど、

国の推奨:部屋の温度を28℃
日本企業さん:設定温度を28℃

だそうです。快適な温度って何度か図ったことがあるんですよ。
肉温度計で。

別に僕にお肉になって焼き加減を図ったわけじゃないですよ。
買ったんでついでには買ったんですよ。うち気温計ないんですけど、
図ってみたら、24℃か23℃でないとあとは寒いか暑いかなんですね。
かなり許容ラインが狭かったです。当然20℃は寒いし、26℃は暑いんですよ。
3日ぐらい記録つけて四日目以降も一緒だったから記録つけるのあほらしって。
もっとやったかな暑い寒いの区別つけるなら範囲がもっとたくさんやってないとだめだもんね。
でも24℃って決まったんですよね。こいつら本当におかしい。

いい加減スーツやめたらあんな暑いだけの服。


また話変わりますけど
ホリエモンが自炊厨を煽ったらしいです。
大半の人は貧乏で自炊せざるを得ないのに、よくもまあ煽るなあと。
彼の商売は、良くも悪くも炎上商法ってやつですね。心理的な要素は彼は理解してると、
思うんですよ。で、彼がやってる和牛なんたらとかについてステーキのけんの社長と、
話ししてて、バカ高いカツサンドのはなししてて、ある種の世間感から見れば、
彼の食生活が健康という点で見るなら全然隔たってると思います。美味しんぼという
漫画の究極のグルメみたいな感じだと思います。彼のスタイルというのは。
そういうのを率先してやってるみたいですけど、そういう人になりたいという願望を
餌に金巻き上げてる人なんで、あの人について行っても金を巻き上げられるだけ。
彼のようにはなれないし、彼みたいになっても個性を見いだせるかというとそれは、
多分できない人のほうが多いと思います。金持ち父さんという本があって、
あれは正しいけど、そのためにセミナー行ってもそういう人になれないというのと同じ。
彼が出した本も共感できる部分やそうなり得るという未来を見てると納得できるけど、
彼自身金のない生き方できないはずです。言ってることは正しくてやってることは、
間違いで情報源が間違ってるってタイプ。

倫理って、情報源が正しいので、つまり、
神が正しいので言ってることは変でも正しい元が正しいから変ではないと言うタイプと、
言ってる内容が変かどうかが大事であって、行ったやつは関係ない議論の中身には関係ない、
こういう考えが大まかに言えばどっちかなんでsyよ。

で、民主主義の議論は神を否定する立場から始まってるというか、王権神授説が、
気に入らないはずですけど。それでいいなら革命って何だよとなると思いますけど。
で、増税という観点で考えるとそれが正しいかというと増税しますということが、
正しい発言だと書いたとして、それが、財務省が言ったら、そうなるから正しいのか、
それとも正しい使い方されてないけど、どうなんですかというと話変わりますよね。

で、堀江貴文というのは、正しい流れに乗って、自分の間違いを満たすための生き方を、
してるというのが僕の見方です。彼の肉にたいする価値観は健康とは無縁ですよ。
ヴィーガンだっけ、あれもあれで結構偏ったものの考えしてますけど。
僕は彼の言うような常識を打ち破る考えが好きで、真っ向から対立するというあり方も、
僕にはできなくてしかも彼はよく自分の顔を晒してるでしょ。少しでも後ろ暗いと、
普通できないじゃん。だからそれだけも大したものだと僕は思うんですよ。だからこそ、
普通はやらないほうが良い生き方ですし。だって、共感を得られないと知られても、
商売にはならないからさ。離れるラインとついてくるラインの境界をうまくわけて、
客を集めるってのは才能ですね。とても僕にはできないですね。

4ヶ月前 No.1500


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