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SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1602  ザビビのふくろうさんへ

>わたし流の自己利益への還元式についてですが、あなたの見解はわかりました。

>「義務率」という語に抵抗があって、どうも理解が得られないようなので、じゃあ、変更しましょう。

>k:精神充足率

>ということでどうでしょう。

>これでどうかな?(笑)


 「義務率」よりは「精神充足率」の方が、SumioBabaの「利他率」に近いような気がします。しかし、ネーミングの問題ではなく、根本的な思想の問題なのです。ザビビのふくろうさんは子供の頃から、shinwoodさんと同じ、「欲望原理」と「道徳原理」の二元論という枠組みで倫理・道徳の問題を考えて来られたので、簡単にこの枠組みからは抜け出せないと思います。一生抜け出せないかもしれません。

>そして、その上、この限定することに対して「思考停止」と評することは、言われたほうにとって、そう言われることこそが不当だと思われる場合、侮辱だと受け取るということは想像できませんか?それがわからないようなら、やはりあなたは相手の視点に立つことができないということだと思いますね。


 すでに説明した通り、相手は侮辱されたとは感じず、むしろ「それが私たちの誇りだ」という答が返って来ると思います。

 SumioBabaは、いわゆる宗教的な「信仰」ができない人間です。だから、「神は存在するか否か?」という問題に対しても、信じる・信じないでは片付けられず、科学や哲学の立場で思考し続け、「思考停止」しない人間です。この立場だと、宗教を信じている人は「神は存在する」を証明なしに公理と定めてしまっているので、SumioBabaはそれを「思考停止」していると表現します。

 一方、宗教の神を信じている人から見るとSumioBabaは、「信仰停止」していると見えるはずです。そしてこう批判するかもしれません。「人間にとって一番大切なのは、「信仰」だ。証明された事を受け入れるのは誰にでもできる。証明も反証もできない神を「信仰」することこそ最も尊い事なのだ。SumioBabaにはそれが欠けている。」

 どちらの言い分も正しいはずです。そしてどちらも、相手を侮辱していませんし、侮辱されたとも感じず、むしろそれを誇りに思うでしょう。SumioBabaはこう答えます。→「その通りです。私は「思考」を続けたいので、「思考停止」を選ばず「信仰停止」の方を選びます。それが私の誇りです。」宗教の信者はこう答えるでしょう。→「その通りです。私は「信仰」を続けたいので、「信仰停止」を選ばず「思考停止」の方を選びます。それが私の誇りです。」どちらも自分に誇りを持っているのだから、それで良いではないですか。

2018/06/14 06:07 No.1647

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