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哲学談話室No.1602 だけを表示しています。

ザビビのふくろう ★ZRGZRP6lC7_keJ

>>1601  SumioBabaさん
わたし流の自己利益への還元式についてですが、あなたの見解はわかりました。
「義務率」という語に抵抗があって、どうも理解が得られないようなので、じゃあ、変更しましょう。
k:精神充足率
ということでどうでしょう。
これでどうかな?(笑)
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>最近のザビビのふくろうさん、shinwoodさんに似て来て、自分の考え以外を全否定してしまう傾向が見えますよ? SumioBabaと時さんとの間では、お互いに相手の良い処を学び合おうという相互信頼関係が成立していて、相手の思想を否定したり侮辱したりする事は全く有りませんよ。


私もね、あなたからそこまでの侮辱を受けるとは思ってもみませんでしたよ(笑)
あなたと時さんは、考え方が近いから、まあそりゃそうでしょう。
私は学問としての哲学的立場で発言しますから、間違っていると自分が思うことには間違っていると言うべきだと思っておりますし、ここは哲学スレ、哲学の土俵上ですからそれを実行しているまでのことです。
私の述べていることが不当であるというのなら、反論すれば済むことです。
学問においても、またこういった議論においても、間違うことは何ら非難されるべきことではありません。
しかし、自分の間違いを指摘されても、きちんとした反論も反批判も提示せず、誤りを認めようとしないのであれば、学問的に不誠実な態度として、私は厳しく追及します。
とりわけ、宗教のようなナイーブな問題について議論するときは注意が必要だと考えます。
いわゆる「カルト宗教」から受けるイメージを不当に一般化して(「思考停止」という評価はその最たるものです)宗教全般について語ることについては、宗教哲学をかじるものとして、容認することはできません。
あなた方が、どういう発言をしたかを、再度確認してください。
SumioBabaさんの「宗教について」>566,654、での発言。
http://mb2.jp/_grn/2204.html-566,654#a
同じく時さんの、「宗教について」での>610,619,660などにおける発言、
http://mb2.jp/_grn/2204.html-610,619,660#a
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>「思考停止」という言葉は、相手を侮辱していることにはならないと思います。どんな問題でも、関心の無い人は考えようとせず「思考停止」するのが当然だからです。宗教信者は、「神は存在する」を言わば証明なしに公理に定めているのであり、それは実証も反証もできませんから、正しいとも間違いとも言えません。信じるのも自由、信じないのも自由、不明と考えるのも自由です。そして神を信じている人は、「神は存在するか否か?」という問題には興味が無いのです。だから、「あなたは思考停止している!!」と批判したとしても、「私には、神は存在するか否かを思考する必要が無いのです。それが何か?」と答えられて終でしょう。侮辱したことにもならないし、侮辱されたとも思わないはずです。


あなたは今回、こう述べておられますが、「宗教について」のスレでのご自分の次の発言を見て、どう思われますか。
http://mb2.jp/_grn/2204.html-566#a
>SumioBabaは「宗教」否定派です。ただし、SumioBabaの定義はこうです。「宗教」=「ある○○○について「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできないくせに、独断的に「○○○である」こそが真なのだと真理を片方だけに限定してしまい、それを信じることを人々に要求するもの」。「信仰」の定義はこうです。「信仰」=「ある○○○について「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできないくせに、独断的に「○○○である」こそが真理なのだと信じてしまうこと」。SumioBabaは「宗教」否定派なので、「○○○である」と「○○○でない」のどちらが真なのか実証も反証もできない場合、どちらの可能性も否定しません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「できないくせに」が2回も入っていますね(笑)。
「どちらが真なのか実証も反証もできないくせに、独断的に「○○○である」こそが真なのだと真理を片方だけに限定してしまい、それを信じることを人々に要求する」という文章ですけどね、日本語の普通の理解では、この表現は、明らかに「理不尽なことを行っていることへの非難」だと思うんですけど、そのように受け取るのは間違いだとおっしゃるわけですか。
そして、その上、この限定することに対して「思考停止」と評することは、言われたほうにとって、そう言われることこそが不当だと思われる場合、侮辱だと受け取るということは想像できませんか?
それがわからないようなら、やはりあなたは相手の視点に立つことができないということだと思いますね。

そして、言われたほうが、あなたの言うことが不当であるということは正しいのです。
根拠を述べましょう。
私、実は驚いたのですが、SumioBabaさんは、公理というものを全く理解しておられませんね。
公理というのは規約です。
ですから、それに対して「なぜ」を問うのはナンセンスです。謎でもなんでもありません。
「ユークリッド幾何学において、なぜ点は存在するのか?」
「ユークリッド幾何学において、なぜ平行な2直線は交わらないのか?」
と問うことはナンセンスです。
それを前提するのがユークリッド幾何学だからです。
ユークリッド幾何学は、これら公理を受け容れるように要求しますが、当然でしょう。
将棋で言えば、
「将棋において、なぜ王将は存在するのか?」
「将棋において、なぜ王将をとられたらゲームオーバーなのか?」
「将棋において、なぜ王将なのに、飛車のように一気に移動できないのか?」
といった問いは、ナンセンスです。
それを前提するのが将棋だからです。
将棋は、これらルール(規約)を受け容れるように要求しますが、当然でしょう。
こういったルール(規約)に従って行われるのが将棋というゲームだからです。
全く同様に、
「神の公理系(宗教)において、なぜ神は存在するのか?」
「神の公理系(宗教)において、なぜ神は無限なのか?」
と問うことは無意味です。
それを前提するのが宗教だからです。
宗教(神の公理系)は、これらを前提する公理(教義)を受け容れるよう要求しますが、当然でしょう。
その公理(教義(ルール))に従って行われる生の意味論的言語ゲームを「信仰」と呼ぶのですから。

わかりましたか?
あなたは「どちらが真なのか実証も反証もできないくせに」とおっしゃっていますが、そもそもこれに対して、実証とか反証をうんぬんすることがナンセンスなのです。
「サッカーにおいてキーパーが存在するかどうか、実証も反証もできないくせに、それを受け容れるよう要求するのがサッカーだ」
と言うのと同じくらい、あなたの発言はナンセンスということです。
「なぜキーパーは存在すると言えるのか?」
「なぜキーパーだけは手でボールに触れていいのか?」
などというのは謎でもなんでもないでしょう。
「なぜ神は存在すると言えるのか?」
「なぜ神は無限なのか?」
も全く同様なのです。
それがわかっていないから、次のようなことをおっしゃっているわけです。
>「自分が井戸の中にいる」と自覚するのは賢いことだと思いますが、解けない謎が有るとき、そのまま諦めるのが賢いでしょうか?


「解けない謎」など、ここには存在しないのです。
思考停止などではなく、ここが思考の出発点なんですよ、公理なのだから。

2018/06/12 19:35 No.1602

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