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>>1577  ザビビのふくろうさんへ

どうしても理屈のごり押しと言いいますか、論争がお好きなようですね。

私は私に起こる問題を解決して来ています。問題だと感じること以外は、私にとって解決する意味を持ちません。

> で、このスレ「哲学談話室」は、まさに、ふくろう井戸なんですよ。


はい。そうですよね。と同時に、時井戸でもあるのですよ。

> 哲学的には問題だと私は言っています、この哲学スレで。

> あなたのここでの主張は、哲学的主張とみなされますので、哲学的に問題がないとおっしゃるのなら、その根拠を示してください。思考停止であると主張する根拠をです。

> つまり、私の批判に対して逃げないで反論をきちんと行ってください。


反論?別にありませんが。

http://mb2.jp/_tetsugaku/970.html-1450#RES(ザビビのふくろうさん)
> 私が採っている立場は、自由意志はある、しかし、意志は世界がどうなるか(自分の行為を含む)に決定力・支配力を持たない(必然化できない)、ということです。

> さらに言い換えれば、意思に世界の在り方を従わせることはできない、ウィトゲンシュタインの言い方では「意志は世界の出来事に対して無力である」ということ。

> そして、あなたはこのことをわかっておられます。


自由意志の有無の考察は別にして、意志は世界がどうなるか(自分の行為を含む)に決定力・支配力を持たないのに、どうして哲学的に問題があるのでしょうか。

そして「信じる」という事を私なりに考察すると、信じるにもいろいろな段階や世界観があると思っています。「一種の思考停止」と書きましたのは、神様ー。神父様ー。イエス様ー。仏様ー。と他力本願的にそれを信じて疑わず、誰かに言われたままをそれこそ信じ込み、自らで考える事もせず、自らで行ってみる事も確認もしない人々。自らそれ以上を求めない人を指していました。ですので、私の理解としては、信じる事から確信に変われば、もう信じるという段階での表現はできないと思います。と言う私の実体験を重ねての表現です。ここで言う実体験というのは、純粋な帰依の事であり、信仰という意味です。勿論、私の感覚でのですが。

> つまり信仰者に対する「思考停止」という表現は侮辱であるとしたことに対して、問題ないとおっしゃるわけです。


なぜ”つまり”で繋がるのか分かりませんが、宗教的な信仰者全体の事を表現したのでもなく、ましてや侮辱したものでもありませんよ。多分ですが、ザビビのふくろうさんは「信じる=全ての信仰者」と理解されてのことだろうと思いますが、私(時)は、上記のような思考回路の人々の事を書きました。

論争は好みませんので、この辺で。

2018/06/11 02:47 No.1578

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