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哲学談話室

 ( 哲学掲示板 )
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ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

どこのスレに投稿するか、いろいろな理由で迷うことはありませんか?

既存のスレ、新規のスレ、いずれもいまいちに思うような場合に、気楽に投稿できるようにこのスレをつくります。

したがって、テーマは哲学に関するものなら原則自由。
独り言でも議論でも形式は問いません。
他のスレの話題がそこのスレ主旨とずれてきたような場合に、ここで続行するというような下請け的利用も可。

スレ主の私は基本仕切りませんので、各人ご自由にどうぞ。

1年前 No.0
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★FiD8xEfmQe_GKj

>> この世は無常である、誰が言ったかこの言葉、有りもしない来世や天国そして生まれ変わりなどに期待せず、一度限りの命を大切に使いなさいと言う名言中の名言ですね。

>> 私は、少し自己反省の意味も含まれているのでは、と思います。


> 私は、来世や天国や生まれ変わりなどに期待しているのではありませんで、約2500年ほど前に出された仏陀の思想とは「あー、このような思想の持ち主で、このような事を目的に、このような事を行っていたのだな」と理解しているだけですよ。


輪廻転生が、あるのか?ないのか? 一般的な答え方では、「分からない」です。

別の表現をすると、これは、輪廻転生が「ある」と「ない」の重ね合わせの状態です。それを、一方的な思い込みにより「ある」に限定したり、「ない」に限定したりして、そこに固執するので、その全体像が把握できずにおかしな話になります。

ある事柄を、そのまま、あるがままで見ることができていない証左です。

18日前 No.1894

★HZocQIk8PO_GKj

仏典では、地獄→畜生界→餓鬼界→人間→四天王天の神々→三十三天の神々→夜摩天の神々→兜率天の神々→楽変化天の神々→他化自在天の神々→梵天界という説明がされています。(矢印の方向は、そちらの方が優れているという意味です)

これを一般には、「地獄、畜生界、餓鬼界、人間、天界」と表現しているようですが、例えばですがここに、あみだくじがあったとします。法を学ばなければ、結果として選ばれた道は行き当たりばったりで、その行きつく先は、どこになるのかわかりませんね。

もしも仏陀の説いた輪廻転生がなかった場合には、それはそれでよいでしょう。しかしもしも仏陀が説いたその輪廻転生があった場合には、その法を知らなかった場合に、どこに転生するのかその本人には分かりません。(人間に転生するのは極僅かであると書かれているようです)

問題の発生源は、なぜ「ない」と言えるのか?なぜ「ある」と言えるのか?の所です。

18日前 No.1895

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1893  Mobiusさんへ

>> 1個の素粒子が「左」のスリットを通れば猫は「生」、「右」のスリットを通れば猫は「死」となるようにしましょう。「左」⇔「生」、「右」⇔「死」、つまり、どちらも必要十分です。1個の素粒子が「左」を通った世界W1と「右」を通った世界W2とがW1+W2という重ね合わせになるのだから、それはそのまま、猫が「生」である世界W1と猫が「死」である世界W2も、W1+W2という重ね合わせになっているはずです。そして、W1≠W2のままだとW1とW2は干渉できませんが、その後何とかしてW1=W2にできれば、W1とW2とは干渉するはずです。


>「1個の素粒子が『右』のスリットを通ったことを観測したら、猫を殺すスイッチが入る」という設定でよろしいですか?


 いや、違います。私が観測してしまったら、私にとってW1とW2が分裂してしまうので、私は観測しないまま、素粒子が「右」を通ってきたら猫が死ぬようにするのです。私以外の友人による観測や、機械的な観測だったらOKです。機械と友人はそれを観測する、としましょうか。素粒子が左右どちらを通って来るかで異なる処理をする機械自体、一種の観測装置と見なすことも可能ですからね。

>その場合、「右」のスリットを通ったことを観測しない場合は、猫を殺すスイッチが入らないので、猫は生きたままと考えればよろしいですね。


 これも違います。私は観測しないまま、素粒子が「左」を通ってきたら、猫はそのまま生き続けるようにするのです。つまり、素粒子が「左」を通って来たら猫は「生」、素粒子が「右」を通って来たら猫は「死」だけれど、私はどちらなのかを観測しない、という設定です。機械と友人はそれを観測するとしましょう。

 私は素粒子が「右」を通ったか「左」を通ったか観測していないので、私にとっては、W1+W2という重ね合わせのままです。W1は素粒子が「左」、猫が「生」である世界です。W2は素粒子が「右」、猫が「死」である世界です。その後、何とかしてW1=W2にすることができれば、私にとってW1とW2は干渉します。そして、やっぱりW1とW2とは両方存在していた事が判明し、「多世界解釈」が正しかったことの実験的検証になります。

 素粒子が「左」か「右」かを友人が観測していた場合、W1に居る友人1とW2に居る友人2とは心身状態に差異が生じて友人1≠友人2となっているため、友人にとってはW1とW2が分裂します。もちろん、友人1はW1だけに住み、友人2はW2だけに住みます。友人1にとっても友人2にとっても、W1とW2とは干渉できません。

 素粒子が「左」か「右」かを観測していない私の場合、W1に居る私1とW2に居る私2とは心身状態に差異が生じておらず、私1=私2のままなので、私にとってW1とW2は分裂しておらず、W1+W2という重ね合わせのままです。だから、その後W1=W2にすることができれば、W1とW2とは干渉する訳です。そしてこの場合、W1=W2にした訳ですから、友人は自分が観測した結果が「左」だったのか「右」だったのか、記憶を失っているはずです。私にとってW1とW2が干渉するためには、友人の記憶が消えて無くなる事が絶対必要条件です。

 私の視点に立つと、「1個の素粒子+猫+機械+友人+…」というマクロな物体が、一時的に異なる2つの状態に分岐して異なる2つの世界W1とW2の重ね合わせW1+W2になったけれど、どちらなのかを私が観測しないうちに全く同じ状態に戻ったので、2つの世界W1とW2とが量子干渉を起こした、というだけです。

18日前 No.1896

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

あることから生まれる別の問題

 前、赤青黄色と書いたやつです。
ないということからは色まではわからんというやつです。
論理なんていくら証明しようがその先には色があるということです。
象があった、そしたらこんどは何を食べてるのかということです。
インドへ行ったことがない南米人あたりが、航海士と話しして、
信じないと行っていて、で、写実画みせて、納得したとして、
こいつやっぱうそだよ。こんなやつなにくってこんなでかくなったんだよ。
うそだーって。

 西洋の哲学的考えがイスラム教に盛ってこられて口論になったとか、
それは意識と本質に書いてあったと思います。
あれは、そうね、存在と存在者って違うんですよね。

パルミニデスのあるってのは全体無だといったほうが本当は僕がみんなに説明するとしたら、
こうなんですよ。画面があってそれはどこまでも一つであるんですよ。
あるかこそみんなあるんですよ。
そこで一つだから一つの画面にみんな乗ってる。彼は次のように述べたとwikiに書いてあるでしょ。
それを限定された存在としてしまうのは僕ら一体何なのって感じですよ。
君と僕別れてるよねって。

僕はアリストテレスみたいな考えが結構すきかな。

哲学が無駄かどうかと言うよりは、哲学に寄って思索だけではどうにもわからないことが
あるということがはっきりしたと言えば建設的ですよね。
でも、そうならずに、あれこれかんがえるだけというのはその意味では突き詰めた先にあるものを、
みてないわけですよ。さっきの象の話で言う、あれこれ考えて論理的に考えて、ナニかを知った、
その先には実はわからないことがあった。そう、何を食べて行きてるのかということが。

意識と本質の本で、芭蕉が存在を描写したとか、サルトルが生の現実を見て吐き気がしたとか、
これらは平たくすると言葉が存在を覆ってるわけですよ。文化的に、言葉というのは存在を、
隠蔽するように出来てるわけですよ。まあ、これはほんの受け売りですけどね。
現実と人が読んでるのは実のところは隠蔽された文化でもなくてただの妄想ですけどね。
固定観念より強化された強迫観念との混合物ですか。で、これらは到底、人間が文化として、
称揚して良いものではないのだけど、文化になってます。差別コミコミで笑ってる奴ら、
いっぱいいるもの。芭蕉がということを考えると、読み手がどう感じるかを、
存在がにじみ出てる中で、読者が感じるわけで、それはそれ自体がすでにその世界を脱してるから、
はるかかなたに響けみたいなことになってるわけね。つまり、この意味ではさっきの全体無など、
ではなくて、別宇宙につながってるそれが存在。つまり、全体無が宇宙だとして、別宇宙が、
存在ですと。それが芭蕉の存在。にじみ出るものは読み手に委ねるのはその意味はその言葉に、
込められてないから。込められたのを感じるのは芭蕉ではなくて読者だから芭蕉が宇宙を、
示すなら読者は宇宙の外なんですよ。一番難解なこと書いてる気がする。

18日前 No.1897

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

そういうわけで、哲学ってのは人生はどうでも良くて、地球にもどうでも良くて、
宇宙の命運を考えるぐらいのスケールでないといけませんよ。

宗教が人のためにないってのと一緒です。

例えば、自由意志ですよ。これだって、free willとliberal democracyではぜんぜん違うわけ。
左のやつは、まあ、僕らが自然に考えてるのは神の摂理なのでしょうかみたいなかんじです。
突き詰めると未来ももう決まってんじゃねと言う感じ。
右のやつは、そうであろうがなかろうが関係なくて、嫌なことがあったら反抗して、
意思を示すというやつですよね。どうして右と左が無関係なのかは戦争の歴史が、
決まってるなら、free willがなかろうがliberal democracyはなりたつんですよ。
奴隷にされるかどうかと言う瀬戸際で戦争して歯向かったとして、それは民主主義的な、
自由は成り立ってもその事自体さえもすでに決まった歴史の歩みならfree willと言う言葉に、
由来する自由意志はない。

そうね、意識は外につながってるのか外行けるのかとどうかにかかってるわけですけどね。
考えてみたら、僕らには自由意志はないですね。そういうふうに考えたら。
じゃあ、僕らが見てるの感じてるのは宇宙の中から見てるのかそれとも外から見てるのかと、
いう、なぞなぞがでてくるわけよ。こんなの、ガチガチの理屈で述べたって、なにもわかんないよ。
そもそも、善悪なんて宇宙人の言い出した戯言のつじつま合わせぐらいしか思ってないので。

こういうふうに考えると内側に自分がいるという感覚が実は、宇宙のうちにいることは、
自由はないんだなと思いました。じゃあ、僕たちの自由だとみんなが言う基準ってなんですかと、
いわれるなら、さっきの自由意志というのは宇宙を超えたなにかなんですね。
現実的な楽しく生きるだとかの自由な人生だのというのは、やっぱ話の前提が違うんですよ。
自由民主主義はそもそもが差別的なんですよ。そこからの脱却が自由だと基本的に言える。
つまり、自由民主主義で自由になれたと思ってるのは実は錯覚です。
どうしてそんなこというのかというと、常識という考え自体が全体主義的な同調圧力に
寄って、定義されているので、突き詰めれば、指導者原理のパーツに成るからです。
一番目指してがんばりましょうの、一番は何を基準にしてるんだよということですよ。
その基準から脱却しなければ、自由はないんだけど、自由民主主義の自由はそのものさしで、
できてるわけだから、そこに従うならそのものさしを信じることと同じなんですよ。

こんな感じでごちゃごちゃ書いて、自由意志なんて言ったところで、多分殆どが、
民主主義の自由だと思うはずなので、言うだけ馬鹿だと思うんで。

ハイデガーのそれとヤスパースのそれはぜんぜん違う別物ですけど、
あの人達はごっちゃに考える癖が本当にひどくて。
言語ってもともとは一語で万意をいうんだぞーとひふみの神様が行ってたよ。
ひふみ神は禍津神で綱紀粛正を図って八百万の神に裁判にかけられて東北の地に、
ご封じになられまして。で、そんなわけで、東北の震災で開放されたと思いますけど。
で、言葉というのは細分化されたわけよ。日本語の場合はアフから全て別れて、
アフというのは合わす、合わせることで別のものに成るというそんな感じの述語です。
述語から名詞を作るのは結構あって、どんどん細かくなるわけですけどね。
歴史的に言えば言葉の数は増えて意味は減っていくけど、哲学的には、合成してるんですよね。
常識という言葉がそうですね。みんな同じ感覚程度の話だったのに、
みんながうつしいものはそういうものなんだというわけで、変に偏屈に変更して行きました。
本来の意味というのは今では二次的なもので、今の主だった意味は昔の言葉をのっとった。

18日前 No.1898

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

意思疎通の基本前提は語の意味の共有にあるわけですが、
ルールが2つ取れるものがいくつもできて、そこで論争の種になった。
それを作ったのが哲学だと思ってます。
哲学というのはそもそもがみんなが共有するものなどかけらもなくて、
みんなバラバラでじつはよくわからない。
科学も数学もみんなで共有できるのに哲学だけ妙にわからないと。
翌々考えてみると一つの意味にしようとするからなんでしょうね。
合成したく成るんだよね。象の実体を考える際にいろんな特徴を述べていって、
一つのイメージを形作っていくというか。それを言葉でしてしまうというか。
そうすることが正解になるんだとおもいたいというか。
料理だったら、甘い物、苦いもの混ぜてどっちになるのかわかりゃしないのに。
そういうことはばかでもわかるんだよ。
ところが言葉だとできると思っちゃうんだろうね。答えは、過去のデタラメ語の
アフに帰着するはずなんですが、それを迷信と行っちゃうという所が、
実にシュールと言うか。

18日前 No.1899

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1896 SumioBabaさん、

>いや、違います。私が観測してしまったら、私にとってW1とW2が分裂してしまうので、私は観測しないまま、素粒子が「右」を通ってきたら猫が死ぬようにするのです。


観測しなければ、量子デコヒーレンスは起こらないので、素粒子は波の性質を保持したままとなります。その場合、「右を通る または 左を通る」のではなく「左右を通る」のだと思います。

また、「左右を通ったとしても、右も通っていることには変わらない」という見方もできると思います。しかし、観測していないのですから、右にせよ左にせよスリットを通過したことを感知することができません。感知できない以上、スイッチを作ることができませんので、結局「猫は生きている」になると思います。


>私以外の友人による観測や、機械的な観測だったらOKです。機械と友人はそれを観測する、としましょうか。素粒子が左右どちらを通って来るかで異なる処理をする機械自体、一種の観測装置と見なすことも可能ですからね。


機械であれ友人であれ、観測によって その素粒子がデコヒーレンス状態になっているわけですから、Babaさんがそれを知っているか否かは関係ないのではないでしょうか?

Babaさんの主観世界の話をしているのであれば、観測の事実を知らない以上、「可能状態の重ね合わせ」として把握するのは当然だと思います。


>これも違います。私は観測しないまま、素粒子が「左」を通ってきたら、猫はそのまま生き続けるようにするのです。


猫は強制的に死なせない限り生き続けるのではないでしょうか?
私から提案ですが、「猫」を使うのはやめませんか? 「猫」とつながっていようがいまいが関係なくて、量子のふるまいにだけ着目して議論した方が混乱が少なくて良いと思います。

私は、シュレディンガーの猫の話は、「素粒子のふるまいの話をマクロレベルに拡大して考えると辻褄が合わなくなる例」として提示されたものと理解しています。

だから、Babaさんの説明は、私にとって辻褄が合わないものなのです。辻褄が合わないものを使って説明されても余計に混乱するだけで、理解が深まることはないと思います。

-----------------------

もっと言うと、不確定なもの(存在確率密度が分布するもの)を「可能世界の重なり合わせ」と表現するところに「混乱の元凶」があるのではないかと思っています。「確率密度が分布する」という表現は「連続体的な表現」ですが、「重なり合わせ」という表現は「離散系的な表現」です。こういう表現をつかうから「多世界解釈」という発想が生まれるのではないかと思います。

-----------------------

閑話休題、
本気でよくわからないのですが、なぜ素粒子レベルのふるまいの話をマクロレベルの話にまでそのまま拡張して考えることができるのでしょうか?
マクロの世界では、量子レベルの相互作用はどんどん弱くなります。それこそ10のマイナス十数乗程度まで弱くなってしまうと、無視しても差し支えないレベルになります。だから、ふるまいは「違っていて当然」だと思うのです。

私たちはマクロレベルの事象を扱うときはニュートン力学を使います。でもロケットを飛ばすときなどには、速度の影響が無視できなくなるので相対論を使います。電気回路の設計には、マクスウェルの電磁気学を使います。でも半導体デバイスの設計には電子のふるまいを考慮する必要があるので量子力学を使います。そういうことだと思うのです。我々は、影響が無視できない相互作用は考慮するけど、無視できるほど程度の小さいものは無視して使います。なぜでしょうか?それは、我々の感覚が指数関数的だからです。10にとって1は無視できませんが、10億にとって1は無視できます。でも10億にとって1億は無視できません。10のマイナス十数乗程度まで相対的に小さいものは、無視して理解するのです。感覚器がそういう特性を持っているので、思考もそういう特性を帯びるのです。

量子力学によって量子の不思議なふるまいの世界が明らかになったところで、マクロのニュートン力学で説明がつく世界のふるまいが変わるわけではありません。

天動説→地動説だって、まさに「天地がひっくり返ったような大騒ぎをした」わけですが、実生活上の認識では「東から日は昇り、西に沈む(つまり天動説)」で、昔から変わっていません。
人々は、宇宙の視点で見るときは地動説を使い、実生活上では天動説で天空を見上げるのです。それで全然不思議ではありません。感覚が相対的なのですから、そういうものです。
量子力学だってそうです。素粒子のふるまいを観察するときは量子力学の目で見て、パチンコ玉のふるまいを観察するときはニュートン力学の視点で見るのです。そうやって切り替えていますが、なんら不思議はありません。

(すみません。今回も 楽しいお話は あまり提供できそうもありません。)

18日前 No.1900

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1900  Mobiusさんへ

>観測しなければ、量子デコヒーレンスは起こらないので、素粒子は波の性質を保持したままとなります。その場合、「右を通る または 左を通る」のではなく「左右を通る」のだと思います。


 「波」状態とは、同一時刻に1個の粒子の存在位置が1個の点に定まらず、空間内のある領域に広がりを持った状態ですが、これは、その領域内の様々な位置に存在する「粒子」状態(つまり存在位置が1個の点に確定している状態)の重ね合わせです。だから、「波として左右を通る」は、「粒子として左を通る」と「粒子として右を通る」の重ね合わせです。

>また、「左右を通ったとしても、右も通っていることには変わらない」という見方もできると思います。


 「左」を通っている世界では、「右」は通っていません。

>しかし、観測していないのですから、右にせよ左にせよスリットを通過したことを感知することができません。感知できない以上、スイッチを作ることができませんので、結局「猫は生きている」になると思います。


 観測しないのは私です。機械的には観測し、素粒子が「左」を通って来た場合は特に何もせず、「右」を通って来た場合に猫を殺すだけです。

>機械であれ友人であれ、観測によって その素粒子がデコヒーレンス状態になっているわけですから、Babaさんがそれを知っているか否かは関係ないのではないでしょうか?


 素粒子が「左」か「右」かを機械や友人が観測すると、1個の素粒子が「左」か「右」かというミクロな差異だったのが、「左」か「右」かを知っている機械や友人の差異というマクロなものに拡大します。友人にとって、2つの世界W1とW2とは分裂し、干渉できなくなり、デコヒーレンス状態となります。SumioBabaはどちらなのかを観測していないので、W1とW2において心身状態に差異が生じておらず、世界の方がW1+W2という重ね合わせになる視点に立っています。だからこの後、両者の差異が消滅してW1=W2になれば、W1とW2とが干渉するのをSumioBabaは見ることになります。これが「多世界解釈の実験的検証方法」です。

>私から提案ですが、「猫」を使うのはやめませんか? 「猫」とつながっていようがいまいが関係なくて、量子のふるまいにだけ着目して議論した方が混乱が少なくて良いと思います。


 別に何でも良いですが。

>私は、シュレディンガーの猫の話は、「素粒子のふるまいの話をマクロレベルに拡大して考えると辻褄が合わなくなる例」として提示されたものと理解しています。


 その通りです。そして、ミクロな話をマクロに適用しようとすると辻褄が合わないということから、「量子力学はこのままではマズイ」という問題提起をしたのです。そしてそれを追究すると、「多世界解釈」につながります。「多世界解釈」だと、辻褄が合うのです。Mobiusさんは、「辻褄が合わないから考えない」という理由で「多世界解釈」に至る前に思考停止されていて、何が問題なのかに気付いておられないのです。

 Mobiusさんの基本方針は、「マクロな猫なら量子力学は使わず、ニュートン力学を使います。それなら何も問題は有りません。」ですか。でもそれだと、量子力学はマクロな物理現象を説明できない物理理論になってしまいます。量子力学こそがミクロもマクロも説明できる物理理論であり、プランク定数hがh=0と近似できる場合に、量子力学はニュートン力学で近似できる、というのが物理学者たちのコンセンサスです。

>だから、Babaさんの説明は、私にとって辻褄が合わないものなのです。辻褄が合わないものを使って説明されても余計に混乱するだけで、理解が深まることはないと思います。


 Mobiusさんの方こそ、「マクロな物体については量子力学を使わず、ニュートン力学を使うのが正しい」と考えておられるのなら、「シュレディンガーの猫の問題について、私は考察しません」と、議論を放棄していることになります。辻褄が合わないのを合わせるためにはどうすれば良いのかを考えねばなりません。その結果、最も合理的な解釈だとして登場したのが「多世界解釈」です。

>もっと言うと、不確定なもの(存在確率密度が分布するもの)を「可能世界の重なり合わせ」と表現するところに「混乱の元凶」があるのではないかと思っています。「確率密度が分布する」という表現は「連続体的な表現」ですが、「重なり合わせ」という表現は「離散系的な表現」です。こういう表現をつかうから「多世界解釈」という発想が生まれるのではないかと思います。


 運動量pが特定のp1に確定した「波」状態|p1>は、様々な位置rに存在する「粒子」状態|r1>、|r2>、|r3>、…の重ね合わせです。|p1>=a1|r1>+a2|r2>+a3|r3>+…。つまり、「波」=Σ「粒子」。a1、a2、a3、…をrの関数と見なせばψ(r)です。
 位置rが特定のr1に確定した「粒子」状態|r1>は、様々な運動量pを持つ「波」状態|p1>、|p2>、|p3>、…の重ね合わせです。|r1>=b1|p1>+b2|p2>+b3|p3>+…。つまり、「粒子」=Σ「波」。b1、b2、b3、…をpの関数と見なせばφ(p)です。
 1個の素粒子の特定の状態(一般に、位置もいくらか不確定性Δrを持ち、運動量もいくらか不確定性Δpを持つ状態)を表現する波動関数は、位置rの関数としてψ(r)でも表せるし、運動量pの関数φ(p)でも表せ、ψ(r)とφ(p)はフーリエ変換/逆変換の関係にあり、一方が与えられれば他方は計算だけで求められます。ψ(r)は、この素粒子が「粒子」として、様々な位置r1、r2、r3、…に存在する確率を与える表現になっています。φ(p)は、この素粒子が「波」として、様々な運動量p1、p2、p3、…を持つ確率を与える表現になっています。|r1>、|r2>、|r3>、…も|p1>、|p2>、|p3>、…も、重ね合わせになっているときには干渉を起こします。このへんまではすべてうまく表現できていることが、すでに実験的に実証済みです。

>本気でよくわからないのですが、なぜ素粒子レベルのふるまいの話をマクロレベルの話にまでそのまま拡張して考えることができるのでしょうか?


 量子力学は、ミクロだけでなく、ミクロもマクロも、すべての物理現象を説明できる物理理論だからです。一般論としてプランク定数hを使って表現します。ミクロな場合はh≠0が無視できません。十分にマクロであるためhが無視できてh=0とおくと、ニュートン力学になります。
 ところがシュレディンガーの猫の場合、そういううまい説明が見付からないから、パラドックスのように扱われているのです。ミクロな差異の場合は、一度W1≠W2という差異が生じても、その後W1=W2になれば干渉を起こし、両方存在していた事が判明します。そして「マクロな場合にはそうならない」という理由が見付かりません。だったら、マクロな差異の場合も同じことが言えるはずです。そうすると「多世界解釈」になります。

>マクロの世界では、量子レベルの相互作用はどんどん弱くなります。それこそ10のマイナス十数乗程度まで弱くなってしまうと、無視しても差し支えないレベルになります。だから、ふるまいは「違っていて当然」だと思うのです。

>私たちはマクロレベルの事象を扱うときはニュートン力学を使います。でもロケットを飛ばすときなどには、速度の影響が無視できなくなるので相対論を使います。電気回路の設計には、マクスウェルの電磁気学を使います。でも半導体デバイスの設計には電子のふるまいを考慮する必要があるので量子力学を使います。そういうことだと思うのです。我々は、影響が無視できない相互作用は考慮するけど、無視できるほど程度の小さいものは無視して使います。なぜでしょうか?それは、我々の感覚が指数関数的だからです。10にとって1は無視できませんが、10億にとって1は無視できます。でも10億にとって1億は無視できません。10のマイナス十数乗程度まで相対的に小さいものは、無視して理解するのです。感覚器がそういう特性を持っているので、思考もそういう特性を帯びるのです。


 これらはきちんと計算して説明できます。ミクロではh≠0であることが無視できないので、ニュートン力学ではうまくいかず、量子力学が絶対必要です。マクロでは十分にh=0だと近似できるので、量子力学を使って正確に計算しても、ニュートン力学を使って近似計算しても結果は殆ど同じものとなり、簡単なニュートン力学で十分です。
 相対性理論もよく似ています。人間の身体的スケールの話で、光速cをc=∞で近似できる場合、そう近似するとニュートン力学になりますが、相対性理論を使って正確に計算した場合と殆ど同じ計算値になるから、簡単なニュートン力学で間に合うのです。宇宙的にマクロなスケールで、c=∞という近似ができない場合は、c=3×10^8m/sを使い、相対性理論を用いて正確に計算する必要が有り、ニュートン力学とはだいぶ違った計算値が得られます。

>量子力学によって量子の不思議なふるまいの世界が明らかになったところで、マクロのニュートン力学で説明がつく世界のふるまいが変わるわけではありません。


 2つの世界W1とW2の差異が1個の素粒子の差異のようにミクロな場合、「W1≠W2のままだと干渉は起こらないが、その後W1=W2になれば干渉が起こり、両方がW1+W2という線形の重ね合わせのまま存在している」=[X]と言えます。W1とW2の差異がマクロな猫の生死に拡大したとしても、W1とW2の片方が消滅する理由は何も有りません。だからこの場合も、[X]は成立するだろうと考えられ、それが「多世界解釈」です。
 ニュートン力学では、「世界は1つ」が常識でした。量子力学を真剣に考慮すると「多世界解釈」が導かれ、存在論・認識論に大革命がもたらされます。Mobiusさんは、量子力学の問題提起を真剣に考えておられず、そこに到達する前に思考停止してしまっておられるのです。そして「ニュートン力学で十分」と考えている以上、シュレディンガーの猫が提起している大問題に、気付きもされないまま終です。

>量子力学だってそうです。素粒子のふるまいを観察するときは量子力学の目で見て、パチンコ玉のふるまいを観察するときはニュートン力学の視点で見るのです。そうやって切り替えていますが、なんら不思議はありません。


 結局Mobiusさんは、シュレディンガーの猫問題について、「自分はニュートン力学で考えるから、謎は何も有りません。終。」ということですね?

17日前 No.1901

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Vk6

>>1901 SumioBabaさん、

>「波」状態とは、同一時刻に1個の粒子の存在位置が1個の点に定まらず、空間内のある領域に広がりを持った状態ですが、これは、その領域内の様々な位置に存在する「粒子」状態(つまり存在位置が1個の点に確定している状態)の重ね合わせです。だから、「波として左右を通る」は、「粒子として左を通る」と「粒子として右を通る」の重ね合わせです。


だとすると、1粒の粒子では干渉は起こらないのではないでしょうか? でも実際の実験では1個の粒子を飛ばしても波のような干渉現象が発生することが確認されています。従って、
「1粒の素粒子は、波として左右のスリットを同時に通って干渉を起こし、スクリーンに当たった時に1つの位置に確定する」と解釈した方が正しい表現なのではないでしょうか?
もし、「粒子として左を通る」ということは、「同時に右はとおらない」わけですから、右を通った粒子からの干渉は受けないのではないでしょうか?


>素粒子が「左」か「右」かを機械や友人が観測すると、1個の素粒子が「左」か「右」かというミクロな差異だったのが、「左」か「右」かを知っている機械や友人の差異というマクロなものに拡大します。友人にとって、2つの世界W1とW2とは分裂し、干渉できなくなり、デコヒーレンス状態となります。SumioBabaはどちらなのかを観測していないので、W1とW2において心身状態に差異が生じておらず、世界の方がW1+W2という重ね合わせになる視点に立っています。だからこの後、両者の差異が消滅してW1=W2になれば、W1とW2とが干渉するのをSumioBabaは見ることになります。これが「多世界解釈の実験的検証方法」です。


この「この後、両者の差異が消滅してW1=W2になれば」の件がわかりません。一度機械が観測という名の相互作用を起こしてデコヒーレンス状態になった素粒子は、その後 その機械を壊すと元の状態に戻るのでしょうか? 機械を壊しても、その素粒子とは相互作用していないのですから、デコヒーレンス状態は解消されないのではないでしょうか?


>その通りです。そして、ミクロな話をマクロに適用しようとすると辻褄が合わないということから、「量子力学はこのままではマズイ」という問題提起をしたのです。そしてそれを追究すると、「多世界解釈」につながります。「多世界解釈」だと、辻褄が合うのです。Mobiusさんは、「辻褄が合わないから考えない」という理由で「多世界解釈」に至る前に思考停止されていて、何が問題なのかに気付いておられないのです。


そうですね。何が問題なのかわかりません。シュレディンガーの猫の話を聞いてもパラドックスを感じないので。
シュレディンガーは、「ミクロの話をマクロに適用しようとするのはバカげている」ということを示したくて、この思考実験を提示したのですよね?
私もシュレディンガーと同じ気持ちです。


>「量子力学はこのままではマズイ」という問題提起をしたのです。


何がマズイのかがわからないです。


>Mobiusさんの基本方針は、「マクロな猫なら量子力学は使わず、ニュートン力学を使います。それなら何も問題は有りません。」ですか。でもそれだと、量子力学はマクロな物理現象を説明できない物理理論になってしまいます。量子力学こそがミクロもマクロも説明できる物理理論であり、プランク定数hがh=0と近似できる場合に、量子力学はニュートン力学で近似できる、というのが物理学者たちのコンセンサスです。


だから、マクロの現象を説明する際は、量子力学はニュートン力学で近似できるのですよね。だから、そうすればよいではないでしょうか?
なんで、量子力学はマクロな物理現象を説明できない物理理論になってしまうのか、わかりません。


>運動量pが特定のp1に確定した「波」状態|p1>は、様々な位置rに存在する「粒子」状態|r1>、|r2>、|r3>、…の重ね合わせです。|p1>=a1|r1>+a2|r2>+a3|r3>+…。つまり、「波」=Σ「粒子」。a1、a2、a3、…をrの関数と見なせばψ(r)です。

>位置rが特定のr1に確定した「粒子」状態|r1>は、様々な運動量pを持つ「波」状態|p1>、|p2>、|p3>、…の重ね合わせです。|r1>=b1|p1>+b2|p2>+b3|p3>+…。つまり、「粒子」=Σ「波」。b1、b2、b3、…をpの関数と見なせばφ(p)です。

>1個の素粒子の特定の状態(一般に、位置もいくらか不確定性Δrを持ち、運動量もいくらか不確定性Δpを持つ状態)を表現する波動関数は、位置rの関数としてψ(r)でも表せるし、運動量pの関数φ(p)でも表せ、ψ(r)とφ(p)はフーリエ変換/逆変換の関係にあり、一方が与えられれば他方は計算だけで求められます。ψ(r)は、この素粒子が「粒子」として、様々な位置r1、r2、r3、…に存在する確率を与える表現になっています。φ(p)は、この素粒子が「波」として、様々な運動量p1、p2、p3、…を持つ確率を与える表現になっています。|r1>、|r2>、|r3>、…も|p1>、|p2>、|p3>、…も、重ね合わせになっているときには干渉を起こします。このへんまではすべてうまく表現できていることが、すでに実験的に実証済みです。


だとすると、rもpも連続量ですよね。なぜr1,r2のように まるで離散量であるかの如く表現するのでしょうか?


>ところがシュレディンガーの猫の場合、そういううまい説明が見付からないから、パラドックスのように扱われているのです。


ここが一番の引っ掛かり所です。青酸ビンの蓋を開けるしくみはニュートン力学で説明できます。原子核の崩壊はニュートン力学では説明できません。崩壊を検出したあとのしくみはニュートン力学や電磁気学で説明できるしくみです。

ここに0と1を表示するスロットがあります。0か1のどちらかが表示されます。中間状態は無いとします。
スロットの窓を隠すと、0が表示されているのか1が表示されているのかわかりません。故に「これは0と1の重なり合わせである」とSumioBabaさんは言っているように感じます。この認識で合っていますか?

ここに青酸ビンと開閉装置があります。開閉装置の状態は開か閉のいずれかです。中間はありません。そして、この装置を箱の中に入れ、外部からは見えないようにします。この状態では外部からは開か閉かわかりません。でも内部では開か閉のいずれかです。これは、外部から見ている人にとっては「開と閉の重なり合わせである」とBabaさんは言っていますか? 私にはそう言っているように感じます。

(一旦ここで切ります。)

最後の質問に答えて戴けたら幸甚です。

17日前 No.1902

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1902  Mobiusさんへ

>ここに0と1を表示するスロットがあります。0か1のどちらかが表示されます。中間状態は無いとします。

>スロットの窓を隠すと、0が表示されているのか1が表示されているのかわかりません。故に「これは0と1の重なり合わせである」とSumioBabaさんは言っているように感じます。この認識で合っていますか?


 はい、「どちらなのかを知らないSumioBabaにとって」という条件付きで、「これは0と1の重ね合わせである」です。もちろん、スロットの数が0か1かを観測して知っている人にとっては片方に確定しています。
 どちらなのかを知らないSumioBabaにとって、自分の心身状態をこのままに定め、スロットの数を0にした世界W1と、スロットの数を1にした世界W2の両方が可能性として考えられ、多世界解釈の場合はどちらも存在します。W1に居るSumioBabaとW2に居るSumioBabaとは心身状態が全く同じなので、自分がW1とW2のどちらに居るのかを識別できず、嫌でもW1+W2という重ね合わせの世界に居ることになります。W1≠W2のままだと干渉は起こりませんが、もしこの後W1=W2になれば、W1とW2とが干渉するのをSumioBabaは観測できるはずです。

 これは、シュレディンガーの猫の話を有りの儘に受け入れると、自然に導かれる答です。W1とW2との差異が素粒子1個のミクロな場合には、W1≠W2のままでは干渉しませんが、その後W1=W2になると、W1とW2とは干渉を起こします。W1とW2との差異がマクロな差異に拡大しても、片方が消滅する理由は何も無いので、同じ事が言えるはずです。
 量子コンピュータを利用し、ノイズによるランダムな攪乱がもたらすデコヒーレンスだけは起こさないよう注意すれば、人工知能ハルと太郎の実験のように、ハルにだけ1個の光子が経路Iと経路IIのどちらを通ったかを観測させて、一時的にW1≠W2にしても、その後ハルの記憶を消して完全にW1=W2にすれば、太郎にとってW1とW2とは干渉するはずです。それが「多世界解釈の実験的検証」です。

 Mobiusさんが、「いや、太郎は干渉を観測するはずはない」と主張されるのなら、ミクロな差異だと消滅後にW1とW2は干渉するのに、なぜマクロな差異だと消滅後も干渉できないのかを、説明する責任が有ります。説明できないのなら、マクロな差異の消滅後もW1とW2とは干渉すると考えるべきであり、それが「多世界解釈」です。

16日前 No.1903

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Tzt

>>1903 SumioBabaさん、回答ありがとうございます。

> >ここに0と1を表示するスロットがあります。0か1のどちらかが表示されます。中間状態は無いとします。

> >スロットの窓を隠すと、0が表示されているのか1が表示されているのかわかりません。故に「これは0と1の重なり合わせである」とSumioBabaさんは言っているように感じます。この認識で合っていますか?


この質問をして良かったです。やはりこの点が私とBabaさんの世界把握の仕方の最大の相違点だと思います。


>はい、「どちらなのかを知らないSumioBabaにとって」という条件付きで、「これは0と1の重ね合わせである」です。もちろん、スロットの数が0か1かを観測して知っている人にとっては片方に確定しています。

>どちらなのかを知らないSumioBabaにとって、自分の心身状態をこのままに定め、スロットの数を0にした世界W1と、スロットの数を1にした世界W2の両方が可能性として考えられ、多世界解釈の場合はどちらも存在します。


この世に存在する素粒子の数をおよそ10^80とすると、Babaさんはそのふるまいの殆どを把握していないと思います。
(私も同じです。この世に存在する素粒子のふるまいの殆どを把握していません。おそらく、人類の殆ど全員が把握していないでしょう。)

素粒子のとりうる状態数は有限で全て“2”だとすると、Babaさんの想定する世界は2×10^80個あるということになります。世界人口を10^10人とし、意識の数もそれと同数だとすると、総世界数は2×10^80×10^10 = 2×10^90個 ということになります。

Babaさんの世界観とはこういうものだということで合っていますでしょうか?


もう一つ質問させて下さい。
1つの素粒子のとりうる状態数は有限でしょうか? 無限でしょうか?
>>1901 に書かれている運動量pと位置rが連続量なら、とりうる状態数は無限になると思うのですが...

16日前 No.1904

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Tzt

>>1904
間違えました。

>素粒子のとりうる状態数は有限で全て“2”だとすると、Babaさんの想定する世界は2×10^80個あるということになります。世界人口を10^10人とし、意識の数もそれと同数だとすると、総世界数は2×10^80×10^10 = 2×10^90個 ということになります。




素粒子のとりうる状態数は有限で全て“2”だとすると、Babaさんの想定する世界は2^(10^80)個あるということになります。世界人口を10^10人とし、意識の数もそれと同数だとすると、総世界数は2^(10^80)×10^10個 ということになります。

16日前 No.1905

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1904,1905  Mobiusさんへ

>この世に存在する素粒子の数をおよそ10^80とすると、Babaさんはそのふるまいの殆どを把握していないと思います。

>(私も同じです。この世に存在する素粒子のふるまいの殆どを把握していません。おそらく、人類の殆ど全員が把握していないでしょう。)

>素粒子のとりうる状態数は有限で全て“2”だとすると、Babaさんの想定する世界は2×10^80個あるということになります。世界人口を10^10人とし、意識の数もそれと同数だとすると、総世界数は2×10^80×10^10 = 2×10^90個 ということになります。

>Babaさんの世界観とはこういうものだということで合っていますでしょうか?


 世界が持てる全情報の量をZビットだとし、個々のビットが「0」と「1」の2値を取れるとすれば、世界の状態は2^Z種類存在します。個々のビットが「0」、「1」、「?」(=「0」+「1」)の3値を取れるとすれば、世界の状態は3^Z種類存在します。
 1人の人間であるA氏の心Maが、世界について認識できるのは、Zビットの中のごく一部であるXビットに過ぎません(X<<Z)。Maが住む世界Waは、このXビットに関しては「0」か「1」の片方に確定していますが、残りのY=Z−Xビットは「?」(=「0」+「1」)のままであることになります。つまり、観測して情報を持っているXビットは「0」か「1」に確定しているのに対し、情報を持たないYビットの部分は必然的に「?」(=「0」+「1」)という重ね合わせのままです。Maが情報を持たないビットまでWaの方が確定しているということは無いし、Waの方は状態が確定しているのにMaはそれを知らない、ということも有り得ません。

 量子力学の主張していることが、まさにこういう事なのです。世界は、観測者が何も情報を持っていないとき、その人にとって2^Z(あるいは3^Z)種類すべての重ね合わせのままです。観測者が世界についてXビットの情報を持っているとき、そのXビットだけは「0」か「1」かに確定していますが、残りのYビットはすべて「?」(=「0」+「1」)という重ね合わせのままです。J・ホイーラーは、「遅延選択実験」などの思索をめぐらした結果、最終的に「ビットからイット」という思想を展開しました。意訳すると、「情報の認識によって、物理状態なるものが出来上がってくる」といった感じです。

 ある人が自分の住む世界で、ある物理量Pを観測していないとき、Pの値はあらゆる可能性を重ね合わせたまま、確定していません。この人がPを観測すると、例えばP=5だと判明します。するとこの人の住む世界では、P=5に確定します。物理量Qはまだ観測していないので、Qの方は確定していません。
 ある人がPもQも観測せず、P+Qだけを観測したらP+Q=10だったとします。この人の住む世界では、P+Q=10だけは確定していますが、PもQも確定していません。「P=2、Q=8」「P=5、Q=5」「P=7、Q=3」…など、すべての可能性が重ね合わせのままです。これがいわゆる「絡み合い・量子もつれ(entanglement)」で、「量子コンピュータ」も「量子暗号」も「量子テレポーテーション」もこれを利用しており、ニュートン力学では有り得ない現象です。もしPの方を観測してP=3に確定すれば、同時にQ=7の方も確定します。

 A氏の心が自分の住む世界について持つ情報をMa=「010???????…」だとすると、A氏の住む世界はWa=「010???????…」です。B氏の心が自分の住む世界について持つ情報をMb=「1?01?10????…」だとすると、B氏の住む世界はWb=「1?01?10????…」です。どちらの場合も、Ma=Wa、Mb=Wbなので、「心」と「世界」とを区別する必要が無くなります。つまり、存在しているのは「心」だけと考えれば十分であり、「客観的物質世界」なるものは存在せず、ライプニッツのモナドロジーになります。存在し得る「心」の種類は、3^Z種類です。

 3^Z種類の心すべてを同じ重みで重ね合わせると、すべての情報が打ち消し合って消滅し、M0=「??????????…」になります。他の心3^Z−1個をM1、M2、M3、…と書くと、M0=M0+M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕と表現できます。M0が「空」であり、すべてのビットが「?」の完全無意識状態です。M1、M2、M3、…の方が「色」であり、「?」も含んでいて良いですが、少なくとも1ビットは「0」か「1」かに確定した、特定の意識状態です。「空」M0が、全知全能の「神」の本来の姿です。Maが3ビットの情報を持つ心であれば、<M0|Ma>=(1/√2)^3です。Mbが5ビットの情報を持つ心であれば、<M0|Mb>=(1/√2)^5です。もちろん<M0|M0>=1です。意味はこうです。→「M0の視点に確率1で立つ」ということは、「M0の視点に確率1で立つ」であると同時に、「Maの視点に確率1/8で立つ」かつ「Mbの視点に確率1/32で立つ」かつ…、でもある。

>もう一つ質問させて下さい。

>1つの素粒子のとりうる状態数は有限でしょうか? 無限でしょうか?

>>1901 に書かれている運動量pと位置rが連続量なら、とりうる状態数は無限になると思うのですが...

 この点は両方の考え方ができて、どちらが正しいのかよく解りません。一見、連続量に見えても、そのような連続的分布を産み出している状態の種類は、プランク定数の整数倍だけなので有限、とも言えます。でも、観測する時、位置も運動量も連続量ならば無限個の観測値が有り得るではないか、とも言えます。しかし、観測している自分の身体の状態も、プランク定数の整数倍だけなので種類は有限であり、無限種類の観測値は得られない、とも言えそうです。

14日前 No.1906

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1906 SumioBabaさん、回答ありがとうございます。だいたい理解できました。

これを踏まえた上で質問させて下さい。

SumioBabaさんによると、Zビットのうちのいくつかの値が決まるのは 個々人の心の中だけの話で、実体の世界(物理の世界)では どのビットも決まらない(全て?) ということでしょうか?

13日前 No.1907

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1907  Mobiusさんへ

>SumioBabaさんによると、Zビットのうちのいくつかの値が決まるのは 個々人の心の中だけの話で、実体の世界(物理の世界)では どのビットも決まらない(全て?) ということでしょうか?


 はい、その通りです。

 ニュートン力学の場合は、誰にでも共通する「客観的物質世界」Wというものが実在し、自分の心Ma、友人の心Mb、彼女の心Mc、…といった様々な心が、Wのごく一部を知覚・認識しているだけ、という考え方でした。これだと、2つのアポリアが、解けないまま残ってしまいます。1つめは、《存在選択の謎》=「なぜ「客観的物質世界」Wは、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」。2つめは、《状態選択の謎》=「2^Z種類の様々な世界が存在し得るのに、なぜそれらの中からこのWだけが選ばれて存在しているのか?」。

 量子力学、そして多世界解釈を利用したSumioBabaの世界観だと、これらのアポリアが解消できます。《存在選択の謎》への答はこうです。→「いや、「客観的物質世界」Wなどというものは実在しておらず、3^Z種類の心が確率的に「存在する」と「存在しない」の両方で有り得ているのが真相であるから、《存在選択の謎》は事実誤認である。」。《状態選択の謎》への答はこうです。→「いや、2^Z種類、あるいは、3^Z種類の世界は、本当は主観的な心としてすべて確率的に「存在する」と「存在しない」が実現されているのであるから、《状態選択の謎》は事実誤認である。」。

12日前 No.1908

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1908 SumioBabaさん、回答ありがとうございます。

ちょっと話はずれますが、質問させて下さい。

それだと「なぜ自分の心はMaなのか?」という謎が残る気がします。

また、1+1=2 とか重力加速度とか光速とか再現性の良いものは、誰にとってもほぼ同じなので、全ビット重ねても「?」にはならないのではないでしょうか?

そして、その「再現性の良いもの」を ふつうは「ある」と表現するのではないでしょうか?

11日前 No.1909

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1909  Mobiusさんへ

>ちょっと話はずれますが、質問させて下さい。

>それだと「なぜ自分の心はMaなのか?」という謎が残る気がします。


 「自分の心」とは「Maだけを指す」という限定をして用いているので、そのように限定された「自分の心」がMaであるのはトートロジーであって当たり前です。もし「自分の心」を「Maだけを指す」と限定しないのならば、この場合の「自分の心」はMa、Mb、Mc、…のどれにもなれるので、「なぜ自分の心はMaなのか?」という謎自体が有りません。

>また、1+1=2 とか重力加速度とか光速とか再現性の良いものは、誰にとってもほぼ同じなので、全ビット重ねても「?」にはならないのではないでしょうか?


 「神」は全知全能なので、あらゆる○○○について、「○○○である」=「0」と「○○○でない」=「1」の両方を実現していると考えます。重ね合わせると「○○○である」+「○○○でない」=「0」+「1」=「?」です。
 「誰にとっても」という場合に、我々地球人だけを考えると、我々地球人全員にとって「○○○である」だけに確定しているものについては、すべての心を重ね合わせても「○○○である」の方だけになってしまいます。そしてついつい、実現しているのは「○○○である」の方だけであり、「○○○でない」の方は実現していないと思い込みます。その結果生じるのが、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」のようなアポリアです。
 だからこのアポリアを解消するためには、全知全能の「神」を想定し、どんな○○○についても「○○○である」と「○○○でない」の両方が実現しているのだと考えるしか、方法は有りません。

9日前 No.1910

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1910 SumioBabaさん、

>>1909 では、
Mobiusの心はなぜMobiusの心であってSumioBabaの心ではないのか?
SumioBabaさんの心はなぜSumioBabaの心であってMobiusの心でないのか?

SumioBabaさんのいう「Zビットの情報空間」の中で、なぜ自分の意識が受け取る情報がそこなのか?

という謎の話をしています。

8日前 No.1911

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1911  Mobiusさんへ

>Mobiusの心はなぜMobiusの心であってSumioBabaの心ではないのか?

>SumioBabaさんの心はなぜSumioBabaの心であってMobiusの心でないのか?


 「Mobiusさんの心はMobiusさんの心である」、「SumioBabaの心はSumioBabaの心である」、…どちらもトートロジーだから、謎は何も有りません。何が謎なのでしょう?

>SumioBabaさんのいう「Zビットの情報空間」の中で、なぜ自分の意識が受け取る情報がそこなのか?

>という謎の話をしています。


 この場合の「自分の意識」とは、「Zビットの情報空間の中で、そこだけを受け取る意識のことを指す」という限定がなされている(YES)のか?、いない(NO)のか?
 もしYESならば、「自分の意識」=「Zビットの情報空間の中で、そこだけを受け取る意識のことを指す」と限定された「自分の意識」が、「Zビットの情報空間の中で、そこだけを受け取る意識」であるのはトートロジーであって当たり前。
 もしNOならば、この場合の「自分の意識」は、Zビットの情報空間における3^Z種類の情報を受け取る心のどれでも有り得るので、「自分の意識が受け取る情報はそこだけ」というのが事実誤認。
 YESならトートロジーであって、謎は無し。NOなら事実誤認であって、謎は無し。どちらの場合も、謎は有りません。

7日前 No.1912

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1912 SumioBabaさん、

>「Mobiusさんの心はMobiusさんの心である」、「SumioBabaの心はSumioBabaの心である」、…どちらもトートロジーだから、謎は何も有りません。何が謎なのでしょう?


以下のようにカギカッコを付けると伝わりますでしょうか?

私の疑問は以下です。
「Mobius」の「心」はなぜ「Mobiusの心」であって「SumioBabaの心」ではないのか?
「SumioBabaさん」の「心」はなぜ「SumioBabaの心」であって「Mobiusの心」でないのか?

前者の「心」は心一般、後者の「〜の心」は、特定の心 です。

情報空間が5ビットだったとして、
Mobiusの意識が受け取る情報が「010??」、SumioBabaさんの意識が受け取る情報が「1?01?」だったとして、
なぜ私は「1?01?」でなく「010??」を受け取るのか?
という謎です。

7日前 No.1913

★96yK1k6Nvj_GKj

Mobius さんが仰っているのは、多分、各人によりなぜ認識が違うのか?と言う事ではないのでしょうか。

なぜ無いではなくて、あるのか?と同じ構図のように思いますが。

7日前 No.1914

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1913  Mobiusさんへ

>以下のようにカギカッコを付けると伝わりますでしょうか?

>私の疑問は以下です。

>「Mobius」の「心」はなぜ「Mobiusの心」であって「SumioBabaの心」ではないのか?「SumioBabaさん」の「心」はなぜ「SumioBabaの心」であって「Mobiusの心」でないのか? …※


 「「Mobius」の「心」は「Mobiusの心」である」もトートロジーだと思いますけど? 実際、もし「Mobius」さんの「心」が「Mobiusの心」ではなく「SumioBabaの心」であったら、それは「Mobius」さんの「心」ではなく「SumioBabaの心」、すなわち「SumioBaba」の「心」になります。逆に、もし「SumioBaba」の「心」が「SumioBabaの心」ではなく「Mobiusの心」であったとした場合も、それは「SumioBaba」の「心」ではなく「Mobiusの心」、すなわち「Mobius」さんの「心」になってしまいます。

 比較してみましょう。【ケース1】=「SumioBaba」の「心」が「SumioBabaの心」であり、「Mobius」さんの「心」が「Mobiusの心」である場合。【ケース2】=「SumioBaba」の「心」が「Mobiusの心」であり、「Mobius」さんの「心」が「SumioBabaの心」である場合。どちらの場合も、「Mobiusの心」は自分を「Mobius」さんだと思い込んでいるし、「SumioBabaの心」は自分を「SumioBaba」だと思い込んでいて、【ケース1】と【ケース2】のどちらなのか、識別できません。つまり、【ケース1】と【ケース2】の区別自体が無意味ということです。

 「SumioBabaの心」に対し、「今この「SumioBabaの心」を体験しているのは本当に「SumioBaba」なのだろうか?、本当は「Mobius」さんではないのか?」と問うたところで、「本当は「Mobius」さんの方だった!!」と実証できるはずも無く、そういう疑問自体が無意味です。だから、「SumioBabaの心」を体験しているのは自ずと「SumioBaba」、「Mobiusの心」を体験しているのは自ずと「Mobius」さんになります。

>情報空間が5ビットだったとして、

>Mobiusの意識が受け取る情報が「010??」、SumioBabaさんの意識が受け取る情報が「1?01?」だったとして、

>なぜ私は「1?01?」でなく「010??」を受け取るのか?

>という謎です。


 「Mobiusの心」の定義が「Mobiusの心」≡「010??」であり、「Mobius」さんの定義が「Mobius」さん≡「「Mobiusの心」を体験している人」≡「010??」を体験している人、なので、「Mobius」さんが体験するのは必然的に「010??」になります。もし「Mobius」さんが「1?01?」を体験したとすると、それは定義上「Mobius」さんではなくなり「SumioBaba」になってしまうのです。

 「逆転など有り得ない」と言っているのではなく、「逆転したかどうかの区別は無意味だ」という意味です。つまり、「SumioBabaの心」と「Mobiusの心」とは情報の個性によって初めて自己同一性が認められ、区別されるのであり、両者がともに情報を完全に無くした場合、両者の区別が無くなって同一の「空」M0となることを意味します。要するに、「空」M0=「?????」の分身として、「010??」や「1?01?」が確率的に発生し、「010??」を「Mobiusの心」と呼び、「1?01?」を「SumioBabaの心」と呼ぶ、というだけです。従って、※(↑)のような謎は、どこにも存在しません。

7日前 No.1915

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1915 SumioBabaさん、レスありがとうございます。

そういうふうに言われると、妙に納得してしまうところがあるのですが、
でも、なにか引っかかります。

「誰が受け取ったかは関係なく、『Mobiusの心』を受け取った人が『Mobius』だ。」
そう言われればそうなのだが、いまいち釈然としないのは「スワンプマンの思考実験」を思い出すからだろうか?

7日前 No.1916

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1916  Mobiusさんへ

>そういうふうに言われると、妙に納得してしまうところがあるのですが、

>でも、なにか引っかかります。

>「誰が受け取ったかは関係なく、『Mobiusの心』を受け取った人が『Mobius』だ。」

>そう言われればそうなのだが、いまいち釈然としないのは「スワンプマンの思考実験」を思い出すからだろうか?


 「人格の同一性」の問題にはいろいろな解釈の仕方が有って、どれが正しいとも言えません。「スワンプマン」もそうだし、「テセウスの船」のような問題も有ります。Mobiusさんは恐らく【実在論】(物質世界は人間の心により認識されていなくても特定の物理状態で客観的に存在している)を土台に考えておられると思います。SumioBabaは【観念論】(実在するのは「空」M0と「色」M1、M2、M3、…という心だけであり、客観的物質世界など存在しない)の立場に立っています。その違いが大きいのだと思われます。

 「SumioBabaの心」と「Mobiusの心」から、それを体験している主体だけを剥ぎ取って交換し、「SumioBaba」が「Mobiusの心」を体験し、「Mobius」さんが「SumioBabaの心」を体験するように変える、…といった事も、絶対に不可能という証明はできませんから、考えたい人は考えて自由ですし、間違いだとも言えません。SumioBabaが挙げているのは、最もシンプルで余計な仮定を含まず、謎がすべて解消してしまう解釈です。結局は形而上学的解釈の問題であり、科学のレベルでは実証も反証もできそうにありません。だから、最も合理的な解釈、すなわち何一つ謎を残さない解釈を提案しているだけです。

>>1914  時さんへ

 以上のような説明で、ご納得いただけましたでしょうか?

7日前 No.1917

★t8FAqLBaCg_GKj

>>1917  馬場さんへ

素晴らしい!納得できます。

なぜか馬場さんが説明されると、その時その時でいつも理解しやすいのですが、いざ、それを説明せよと求められると私では到底無理なようですね。3歩歩けばすぐに忘れてしまうようです(笑)

後、結論は見解の相違という事で恐らく物別れに終わるとは想像しますが、科学に詳しい方との会話をできるならば見てみたいですね。

6日前 No.1918

ホントウの真理を発見した者 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1917 SumioBabaさん

突然、失礼いたします。量子力学の多世界解釈について語られているようなので、1つ伺いたいことがあります。

仮に、世界が分岐したとき、SumioBabaさんは、なぜこっちの世界に存在(認識)しているのですか。例えば、世界1から世界2a(今、認識しているこっち)と世界2b(認識しなかったあっち)で分岐したとき、何が原因で世界2aになってしまうのでしょうか。分岐点において分岐先が2つある場合、何が原因で一方に決定されるのでしょうか。

伺いたいことは以上です。これ以降は補足です。

多世界解釈は決定論です。しかし、この解釈については、「どちらの世界もあることは決まっている」という説明だけで「なぜ分岐先がこちらだったのか」は説明できていません。その説明をするために波動関数から(無理矢理にでも)導出しようとしても結局は「分岐先は確率で決まる」しかなく、本質的には確率(解釈)でしか決定できません。私はこれを「ホントウの世界を数学的に表現しようとすると、それは確率という側面からでしか表現できない。」と論じています(しかしながら、これは私の真理の表現ではありません)。
なお、確率が決定論か非決定論かの議論は、外身を見るか中身を見るかの違いでしょう。

多世界解釈では、外部観測者がいてはいけません。したがって、宇宙全体で考える必要があります。そうすると、外部測定者のいない宇宙において、スピンを含む宇宙の波動関数を、どの基底ベクトルで展開して導出していくのでしょうか。この部分が非常にあいまいなのです。それとも、宇宙の外にいるものを神と表現したとしましょうか。しかしながら、神も外部観測者になり得るのです。観測者になり得ない観測者はいるのでしょうか。

6日前 No.1919

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1919  ホントウの真理を発見した者さんへ

>突然、失礼いたします。量子力学の多世界解釈について語られているようなので、1つ伺いたいことがあります。


 はい、喜んで答えさせていただきます。

>仮に、世界が分岐したとき、SumioBabaさんは、なぜこっちの世界に存在(認識)しているのですか。例えば、世界1から世界2a(今、認識しているこっち)と世界2b(認識しなかったあっち)で分岐したとき、何が原因で世界2aになってしまうのでしょうか。分岐点において分岐先が2つある場合、何が原因で一方に決定されるのでしょうか。


 「SumioBabaさんは、なぜこっちの世界に存在(認識)しているのですか。」と問うときのSumioBabaの定義は、「世界2aに居る方のSumioBabaだけを指す」という限定がなされている(YES)のでしょうか?、いない(NO)のでしょうか?

 もしYESであるならば、この場合のSumioBabaの定義は、「SumioBaba」=「世界2aに居る方のSumioBaba」になりますから、このように定義されたSumioBabaが世界2aの方だけに居るのは定義上当たり前であり、「世界2aに居る方のSumioBabaは世界2aの方に居る」はただのトートロジーです。

 もしNOであるならば、この場合のSumioBabaの定義は、「世界2aに居る方のSumioBabaだけを指す」という限定がなされていないというのですから、世界2aに居るSumioBabaだけでなく、世界2bに居るSumioBabaも含みます。すると、「SumioBabaさんは、なぜこっちの世界に存在(認識)しているのですか。」という質問がすでに事実誤認に基づいており、正しくは「SumioBabaは世界2aと世界2bの両方を平等に体験している」になります。

 YESならトートロジーで謎は無し。NOなら事実誤認で謎は無し。どちらの場合も謎は有りません。要するにこの謎は、SumioBabaの定義が曖昧で、YESなのかNOなのかブレてしまったため、実在しない謎を捏造してしまっただけです。YESとNOのどちらなのかをはっきりさせれば、謎は消え去ります。

(A) SumioBabaの定義を「世界2aに居る方のSumioBabaだけを指す」と限定すれば、この場合のSumioBabaは世界2aだけに居る。
(B) SumioBabaの定義を「世界2bに居る方のSumioBabaだけを指す」と限定すれば、この場合のSumioBabaは世界2bだけに居る。
(C) SumioBabaの定義を、片方のSumioBabaに限定しないのであれば、この場合のSumioBabaは世界2aと世界2bの両方に居る。
 「世界2aの方だけに限定すれば世界2aの方だけに限定される」、「世界2bの方だけに限定すれば世界2bの方だけに限定される」、「どちらにも限定しなければどちらにも限定されない」、…3つともトートロジー(トリプル・トートロジー)であり、謎は何も有りません。

6日前 No.1920

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1917 SumioBabaさん、

>SumioBabaは【観念論】(実在するのは「空」M0と「色」M1、M2、M3、…という心だけであり、客観的物質世界など存在しない)の立場に立っています。


これについては感覚的に理解できます。
例えば、15世紀の人々と現代の人々とでは、客観的世界像が異なります。
かつてのアボリジニの人々と西洋人とでも客観的世界像が異なります。
そのように考えると、「客観とは、結局 主観の集合に過ぎない」ということになります。

---------------

新たな疑問:
・「この世界はZビットの情報空間で、全ての桁が“?”である」として、なぜそうなのか? なぜそれ以外でないのか?

5日前 No.1921

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1921  Mobiusさんへ

>新たな疑問:

>・「この世界はZビットの情報空間で、全ての桁が“?”である」として、なぜそうなのか? なぜそれ以外でないのか?


 「そう」つまり「全てのビットが「?」である」のが「空」M0、「それ以外」つまり「少なくとも1ビットは「0」か「1」に確定している」のが「色」M1、M2、M3、…です。

 「空」M0が全知全能の「神」の本来の姿であり、全知全能であるため、どのビットも「0」と「1」の片方だけに限定されることはなく、両方であり得る「?」=「0」+「1」になっています。この「空」M0が「全知全能である」(正)です。「何ものにも縛られない」「何も限定されない」のが「空」M0の本質です。

 しかし、もし「神」が「空」M0だけに留まってしまうと、「何ものにも縛られない」という法則にだけは例外的に縛られていることになってしまいます。そして、「全知全能である」(正)の「空」M0にはなれても、「全知全能でない」(反)である「色」M1、M2、M3、…にはなれないことになり、「神」の全知全能性に傷が付いてしまいます。これを克服するため、「神」は「「何ものにも縛られない」にさえ縛られない」すなわち「何かに縛られる」をも体験することが必要です。それこそが「色」M1、M2、M3、…です。

 こういう理由で「神」は、「空」M0であるだけでなく、「色」M1、M2、M3、…にも化けます。そして両方を体験することで、究極の「全知全能である」(合)=「全知全能である」(正)+「全知全能でない」(反)を実現しています。「神」の定義は、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」になります。

参考文献
http://mb2.jp/_tetsugaku/824.html-650,651,652,653,654,662,663,664,665,711,750,751,973,1000

5日前 No.1922

ホントウの真理を発見した者 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1920 SumioBabaさん

ご回答ありがとうございます。 >>1920 を受けて、再度伺いたいことが@からBまであります。

@:波動関数でいえば、共存している状態をNO、共存していない状態をYESで示しているのだと思われますが、この考えでよろしいでしょうか。

A: >>1920 において(C)を選択した場合、そのような分岐は、”いつ”起こるのでしょうか。

B:(限定しない場合)なんで私はA子と結婚していないんですか?なんでなんですか!?(すみません、感情的になってしまいました。)

伺いたいことは以上です。これ以降は補足です。

Bについては、おそらく「両方の世界を平等に体験している。」という答えになるのでしょうか。しかし、私は実際、A子との結婚を体験していないのです。
さて、ここで主観と客観の乖離が起きるのです。多世界解釈は、徹底的に客観の立場で説明できるでしょうが、主観の立場では説明できないのです。理由としては、多世界解釈は主観を入れて考えないので、客観的に原理そのものを説明しさえすれば良いからでしょう。
多世界解釈のような決定論では、「我思う、ゆえに我あり。」ではなくて「我思わなくても、我あり。」なのでしょう。

また、補足についてもご意見頂けるようでしたらお願いいたします。Aの回答が楽しみです。

5日前 No.1923

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1922 SumioBabaさん、
私の疑問はどちらかというと「なぜZビットであって、Zビット以外ではないのか?」の方です。

これについては、「世界が持てる全情報の量をZビットとしているだけで、Zの具体的数値がどうであれZはZ」という答えが返ってきそうなので、表現を変えてみます。

世界が持てる全情報の量をZビットとし、その具体的数値がZ1だとすると、それはなぜZ1であって それ以外の数値ではないのか?

という疑問です。

5日前 No.1924

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1923  ホントウの真理を発見した者さんへ

>@:波動関数でいえば、共存している状態をNO、共存していない状態をYESで示しているのだと思われますが、この考えでよろしいでしょうか。


 何か勘違いされているようですけど? 多世界解釈の立場に立ち、世界がすでに2つに分岐した後の話だったはずです。例えばシュレディンガーの猫の生死をSumioBabaが観測し、世界2aでは猫が生きていて、それをSumioBaba(2a)が見ています。世界2bでは猫が死んでいて、それをSumioBaba(2b)が見ています。どちらも消滅することは無く、両方存在している、というのが多世界解釈です。ここまで前提した上での話です。

  >>1919 におけるホントウの真理を発見した者さんの《質問》=「仮に、世界が分岐したとき、SumioBabaさんは、なぜこっちの世界に存在(認識)しているのですか。例えば、世界1から世界2a(今、認識しているこっち)と世界2b(認識しなかったあっち)で分岐したとき、何が原因で世界2aになってしまうのでしょうか。分岐点において分岐先が2つある場合、何が原因で一方に決定されるのでしょうか。」

 こっち(世界2a)に居るSumioBaba(2a)はこっち(世界2a)に居ます。あっち(世界2b)に居るSumioBaba(2b)はあっち(世界2b)に居ます。どちらもトートロジーです。SumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とを区別せず、両方併せたものをSumioBabaと定義するのなら、SumioBabaは世界2aと世界2bの両方に居ます。
 「何が原因で一方に決定されるのでしょうか。」と書いてありますが、ホントウの真理を発見した者さんがSumioBaba(2a)の方を選ばれるのであれば、それが原因で世界2aに決定します。ホントウの真理を発見した者さんがSumioBaba(2b)の方を選ばれるのであれば、それが原因で世界2bに決定します。ホントウの真理を発見した者さんが片方を選ばれないのであれば、SumioBabaはSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とを併せたものになり、片方だけに決定されることは有りません。選んで決定しているのは、ホントウの真理を発見した者さん、貴方です!!

 もう一度尋ねます。
    【質問】
 《質問》に出て来る「SumioBaba」の定義は、SumioBaba(2a)だけに限定されている(YES)のですか? それとも限定されておらず、「SumioBaba」の定義はSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)の両方を含む(NO)のですか?

>A: >>1920 において(C)を選択した場合、そのような分岐は、”いつ”起こるのでしょうか。


 世界が分岐するのは、シュレディンガーの猫の生死を観測して、世界2aと世界2bとの間に差異が生じる時ですが、今はそんな話をしているのではありません。すでに猫の生死を観測し終え、世界2aと世界2bとに分岐してしまった後の話です。

>B:(限定しない場合)なんで私はA子と結婚していないんですか?なんでなんですか!?(すみません、感情的になってしまいました。)


 意味が解りません。

>さて、ここで主観と客観の乖離が起きるのです。多世界解釈は、徹底的に客観の立場で説明できるでしょうが、主観の立場では説明できないのです。理由としては、多世界解釈は主観を入れて考えないので、客観的に原理そのものを説明しさえすれば良いからでしょう。


 そうではなくて、主観の場合に錯覚が起きるのです。客観的には、世界2aに居るSumioBaba(2a)と世界2bに居るSumioBaba(2b)の両方が平等・対等に発生するというだけの話で、片方だけが選ばれてなどいません。ところがSumioBaba(2a)の視点に立つと、自分が体験できるのは世界2aの方だけなので、「なぜ世界2bではなく世界2aの方だけが選ばれたのだろう?」という謎が有るかのように錯覚してしまうのです。それこそが、永井均氏の「独在論の<私>」です。「私は永井均である。その理由が解らない。私は他のA氏、B氏、C氏、…でも良かったはずなのに?」というやつです。これもただの勘違いで、トートロジーまたは事実誤認です。逆にSumioBaba(2b)の視点に立つと、自分が体験できるのは世界2bの方だけなので、「なぜ世界2aではなく世界2bの方だけが選ばれたのだろう?」と感じます。そして両方が平等・対等に存在しているだけであり、片方だけが選ばれてなどいないのです。

 本当は今でもSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)の両方が存続しており、両方併せたものがSumioBabaなのだと気付けば、SumioBabaにとってSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とは全く平等・対等な存在であり、片方だけが選ばれてなどいません。ただしSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とは線形の重ね合わせであり、両者の間に相互作用は何も無いので、一方は他方の存否を知ることさえ有りません。このような解釈を多世界解釈のヴァリエーションの1つとして「裸の解釈」と呼ぶようです。

 さらに、現在の自分の心M1が認識できるのはM1の存在と状態だけなので、ついつい、存在し得るすべての心の中から、なぜかこのM1だけが選ばれているかのように錯覚してしまいます。そこで、真の自分は全知全能の「神」なのであり、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだ、と自分に言い聞かせます。「M1だけが選ばれている」という実感を消滅させるのは至難の業ですが、それができた時、つまり自分はM0、M1、M2、M3、…すべてを平等に体験しているのだと実感できた時、自分は「神」の視点に立っていることになります。そして一度「神」の視点に立てば、「自分は1人の人間であり体験しているのはM1だけ」と思い込んでいたのが、逆に錯覚だったことに気付くのです。自分を1人の人間だと思い込むと、解けないアポリアがたくさん残ったのに、自分こそが「神」だと考えるとすべてのアポリアを解消できるのですから。

5日前 No.1925

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1924  Mobiusさんへ

>私の疑問はどちらかというと「なぜZビットであって、Zビット以外ではないのか?」の方です。

>これについては、「世界が持てる全情報の量をZビットとしているだけで、Zの具体的数値がどうであれZはZ」という答えが返ってきそうなので、表現を変えてみます。

>世界が持てる全情報の量をZビットとし、その具体的数値がZ1だとすると、それはなぜZ1であって それ以外の数値ではないのか?

>という疑問です。


 Z1自体が、0、1、2、3、…、∞まで様々な値を取る、と考えれば良いのではないでしょうか。ちなみに「01?00」(最大5ビットの情報まで持てる心として表現)は「01?00???????…」(最大∞ビットまで情報を持てる心として表現)の省略形なので、一般にZ1=∞と考えて良いのではないでしょうか?

5日前 No.1926

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=XaDQxMu5Oy

>>1926 SumioBabaさん、

>Z1自体が、0、1、2、3、…、∞まで様々な値を取る、と考えれば良いのではないでしょうか。

(中略)
>一般にZ1=∞と考えて良いのではないでしょうか?


そこまでいくと、素粒子が粒と波の二重性を持たない世界でも、角運動量保存則が成立しない世界でも、ベルの定理が成立しない世界でも、1+1=3 の世界でも、なんでもありですね。


>>1923 ホントウの真理を発見した者さん、
横レス かつ 直接関係ないレス失礼します。
議論板で 削除理由に関するテーマをスレ立てすると「テーマの問題」で引っかかると思います。もし削除理由についての話しをしたいなら、以下のようなスレがありますので、よろしければご参考下さい。

「削除理由についての質問」
http://mb2.jp/_qst/3123.html

4日前 No.1927

ホントウの真理を発見した者 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1925 SumioBabaさん

ご回答ありがとうございます。

>どちらも消滅することは無く、両方存在している、というのが多世界解釈です。ここまで前提した上での話です。

理論は理解しています。実際を知りたいのです。実際に適用できない理論は机上の空論になってしまいます。

>ホントウの真理を発見した者さんがSumioBaba(2a)の方を選ばれるのであれば、それが原因で世界2aに決定します。
>選んで決定しているのは、ホントウの真理を発見した者さん、貴方です!!

この規定に則ります。
まず、SumioBaba(2a)を猫(生)に、SumioBaba(2b)を猫(死)に置換させてください。そこに、とある箱があります。箱の中には、生死どちらかが観測しないとわからない猫がいます。そして、私が選んだのは猫(死)です。これが原因で猫(死)に決定しました。
しかし、実際に中身を見たら、猫(生)がいました。あれ?私が選んで決定したのは猫(死)なのに・・・。
この謎を説明できますか。

>ホントウの真理を発見した者さんが片方を選ばれないのであれば、SumioBabaはSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とを併せたものになり、片方だけに決定されることは有りません。

「片方を選ばない」を選択したので、SumioBaba(2a)でも、SumioBaba(2b)でも、それらを併せたものでもなく、ただ単に「片方を選ばない」世界になる(決定する)だけなのではないでしょうか。

>《質問》に出て来る「SumioBaba」の定義は、SumioBaba(2a)だけに限定されている(YES)のですか? それとも限定されておらず、「SumioBaba」の定義はSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)の両方を含む(NO)のですか?
>世界が分岐するのは、シュレディンガーの猫の生死を観測して、世界2aと世界2bとの間に差異が生じる時ですが、今はそんな話をしているのではありません。すでに猫の生死を観測し終え、世界2aと世界2bとに分岐してしまった後の話です。

私は >>1919 でそのような(分岐後の)話をしているわけではありません。分岐時点について、何が原因で一方に決定されるかについて話していました。決定後の話ではなく、決定時点の話です。

>本当は今でもSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)の両方が存続しており、両方併せたものがSumioBabaなのだと気付けば、SumioBabaにとってSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とは全く平等・対等な存在であり、片方だけが選ばれてなどいません。ただしSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とは線形の重ね合わせであり、両者の間に相互作用は何も無いので、一方は他方の存否を知ることさえ有りません。

なるほど、SumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)、各視点に立つと、立った視点以外の認識(知覚)は消滅してしまうわけですね。これって、多世界解釈ではなく、コペンハーゲン解釈ではないですか。コペンハーゲン解釈とは、視覚(観測)するとそれ以外の波の可能性は消滅してしまうのです。それとも、多世界解釈は理論上の話で、身をもって体験することはできないため主観的には知り得ないということでしょうか。徹底的に客観的な解釈だと思うのですが。主観が入った時点(限定した時点、YESを選んだ時点)でコペンハーゲン解釈だと思います。でもそうすると、多世界解釈が正しいという実証ができないですよね。だから解釈なのでしょう。

>そこで、真の自分は全知全能の「神」なのであり、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだ、と自分に言い聞かせます。

それでは足りません。「存在し得るすべての・・・」とありますが、それ以外に想定できない(想定外の)ことも入れる必要があります。「存在し得る」というSumioBabaさんの”囲い(思い込み)”を削除し「すべての・・・」とする必要があります。SumioBabaさんは今まで生きてきて、「まさか」「驚いた」など想定外の体験はなかったのですか。それも含めて、この世界ですよ。したがって、平等な体験は不可能なのです。
もしも、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだ」と自分に言い聞かせたところで、それは「体験しているのはM1だけ」という思い込みを「体験しているのはM0、M1、M2、M3、…だけ」という思い込みに拡大させただけです。本質的な解決にはなっていません。

>自分を1人の人間だと思い込むと、解けないアポリアがたくさん残ったのに、自分こそが「神」だと考えるとすべてのアポリアを解消できるのですから。

つまり、「多世界解釈の考えによって、客観的な視点で物事を見ることができ、問題解決がはかどった。」ということだと思います。神を俯瞰した瞬間です。

4日前 No.1928

宿題 ★5z6bVAmgS3_a2e

ホントウの真理を発見した者さん

無限大を俯瞰できますか?

3日前 No.1929

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1927  Mobiusさんへ

>そこまでいくと、素粒子が粒と波の二重性を持たない世界でも、角運動量保存則が成立しない世界でも、ベルの定理が成立しない世界でも、1+1=3 の世界でも、なんでもありですね。


 その通りです。どんな物理法則が成立する世界も、物理法則が成立しない世界も、論理に矛盾が生じている世界も、あらゆるものがa「存在する」+b「存在しない」(aとbは不明)であり、「存在する」かもしれない、「存在しない」かもしれない、「両方」かもしれない、「片方」かもしれない、です。これは、何一つ真理を限定せず、すべての可能性を網羅した上で正しいのはその中のどれかだと主張しているだけなので、証明不要のまま恒真(トートロジー)です。

 ただし、物理法則が何も無い世界や、論理に矛盾が生じた世界では、特定の意識状態にある「色」M1、M2、M3、…は自己同一性を保てず、「空」M0になってしまいます。逆にいうと、我々人間のように特定の意識状態を持った観測者の視点に立てば、必ず自分が住む世界は、論理に矛盾が無く、特定の物理法則に縛られた世界だということになります。これが「人間原理」「観測者選択効果」です。人間のような心を持つ観測者が発生し得る世界は、空間の次元数は3以外に有り得ないようですし、極めて特殊な物理法則と物理定数を持つ世界でなければならないようです。

3日前 No.1930

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1928  ホントウの真理を発見した者さんへ

>理論は理解しています。実際を知りたいのです。実際に適用できない理論は机上の空論になってしまいます。


 哲学的に厳密な事を言えば、現在の自分の心M1が本当に知り得るのは、M1の存在と状態だけです。M1が認識していないときに物質世界が実在しているのかどうか、実証・反証は不可能です。過去や未来が実在したのかどうかも実証・反証できません。他人が心を持つのかどうかも実証・反証できません。従って、M1の存在と状態以外は、すべて形而上学的解釈により、「どう解釈するのが最も合理的か」を考える以外に方法は無いのです。

>まず、SumioBaba(2a)を猫(生)に、SumioBaba(2b)を猫(死)に置換させてください。そこに、とある箱があります。箱の中には、生死どちらかが観測しないとわからない猫がいます。そして、私が選んだのは猫(死)です。これが原因で猫(死)に決定しました。

>しかし、実際に中身を見たら、猫(生)がいました。あれ?私が選んで決定したのは猫(死)なのに・・・。

>この謎を説明できますか。


 そういう事は有り得ません。貴方が猫の生死を観測していないとき、貴方にとって猫は「生」と「死」の重ね合わせ状態のままです。そのうち、猫が「死」である世界2bの方だけを選んで考察するのであれば、世界2bで貴方が猫の生死を観測すると、必ず「死」の方であり、「生」が観測されることは有りません。

>私は >>1919 でそのような(分岐後の)話をしているわけではありません。分岐時点について、何が原因で一方に決定されるかについて話していました。決定後の話ではなく、決定時点の話です。


 シュレディンガーの猫の話で、猫自身や、箱の中ですでに猫の生死を観測している人にとっては、世界2aに居る自分と世界2bに居る自分との間に心身状態の差異が生じていますから、自分が住む世界は片方だけに確定しています。一方、箱の外に居てどちらなのかを観測していない人の視点に立てば、世界2aに居る自分と世界2bに居る自分との間に心身状態の差異が生じていないので、世界2aと世界2bとは重ね合わせのままです。
 つまり、いつ世界が分岐するかは人それぞれ異なります。自分が猫の生死を知り、世界2aに居る自分と世界2bに居る自分との間に心身状態の差異が生じたとき、その人にとって世界は分岐します。
 箱の中の観測者にとっては、猫の生死を観測して世界2aと世界2bに分裂したはずですが、箱の外に居る人にとってはまだ重ね合わせのままなので、この後、世界2aと世界2bとが全く同じ状態になれば、箱の外に居る人は、世界2aと世界2bとが干渉するのを見るはずです。これは、多世界解釈が正しいと仮定した場合にしか考えられない干渉であり、これこそが「多世界解釈の実験的検証方法」です。→スレッド『シュレディンガーの猫』 http://mb2.jp/_tetsugaku/1025.html-146。多世界解釈以外だと、我々の世界は唯一の客観的物質世界のはずであり、誰か1人でも観測して世界2aか世界2bのどちらかに確定すれば、観測していない人にも確定してしまうはずですから。

>>本当は今でもSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)の両方が存続しており、両方併せたものがSumioBabaなのだと気付けば、SumioBabaにとってSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とは全く平等・対等な存在であり、片方だけが選ばれてなどいません。ただしSumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)とは線形の重ね合わせであり、両者の間に相互作用は何も無いので、一方は他方の存否を知ることさえ有りません。


>なるほど、SumioBaba(2a)とSumioBaba(2b)、各視点に立つと、立った視点以外の認識(知覚)は消滅してしまうわけですね。これって、多世界解釈ではなく、コペンハーゲン解釈ではないですか。


 いや、それが多世界解釈です。

>コペンハーゲン解釈とは、視覚(観測)するとそれ以外の波の可能性は消滅してしまうのです。


 はい、その通りです。そして、なぜ「それ以外」が消滅するのかを何も説明しません。消滅する理由は何もないので、世界が分岐した後でも、世界2aと世界2bの両方が存続しているはずだ、と考えるのが多世界解釈です。そしてもしその後、世界2aと世界2bとが全く同じ状態になれば、両者は干渉を起こすはずであり、やはり両方存続していたのだという多世界解釈の実験的検証になります。

>それとも、多世界解釈は理論上の話で、身をもって体験することはできないため主観的には知り得ないということでしょうか。徹底的に客観的な解釈だと思うのですが。主観が入った時点(限定した時点、YESを選んだ時点)でコペンハーゲン解釈だと思います。でもそうすると、多世界解釈が正しいという実証ができないですよね。だから解釈なのでしょう。


 「多世界解釈の実験的検証方法」をすでに挙げてあります。読んでみて下さい。多世界解釈により、「存在」という概念に革命が起きたのです。世界2aに住む人にとって、世界2aは存在確率が1ですが、世界2bの方は存在確率が0です。世界2bに住む人にとって、世界2bは存在確率が1ですが、世界2aの方は存在確率が0です。「存在する」と「存在しない」は相対的であり、絶対的でないということです。これを利用すれば、哲学のアポリア《なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?》が解消できます。

>>そこで、真の自分は全知全能の「神」なのであり、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだ、と自分に言い聞かせます。


>それでは足りません。「存在し得るすべての・・・」とありますが、それ以外に想定できない(想定外の)ことも入れる必要があります。


 当然、入れて良いと思います。1人の人間である自分の心M1は、コウモリのクオリアがどんなものなのかさえ、知り得ません。M1は、他の心M0、M2、M3、…の状態を、殆ど知り得ませんが、それを知る必要は無くて、真の自分はM0、M1、M2、M3、…すべてを平等に体験しているのだと知る事が重要なのです。

>もしも、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだ」と自分に言い聞かせたところで、それは「体験しているのはM1だけ」という思い込みを「体験しているのはM0、M1、M2、M3、…だけ」という思い込みに拡大させただけです。本質的な解決にはなっていません。


 拡大させるだけで十分です。M1自体がどんなに貧相な心であっても、すべての心M0、M1、M2、M3、…を体験しているのだと思い込めれば、それが「神」の視点です。貧相なM1を高貴なM1に変える必要は無くて、自分はM0、M1、M2、M3、…すべてを体験しているのだと知る事が、決定的に重要なのです。M1が「神」になることは不可能です。M1が、本当の自分は「神」であり、M0、M1、M2、M3、…のすべてを平等に体験しているのだと実感するだけで良いのです。

>>自分を1人の人間だと思い込むと、解けないアポリアがたくさん残ったのに、自分こそが「神」だと考えるとすべてのアポリアを解消できるのですから。


>つまり、「多世界解釈の考えによって、客観的な視点で物事を見ることができ、問題解決がはかどった。」ということだと思います。神を俯瞰した瞬間です。


 そうです。多世界解釈を究極まで拡張し、「あらゆる○○○について全知全能の「神」が「○○○である」と「○○○でない」の両方を実現しており、自ら体験しているだけなのだ。そして、自分こそがその「神」なのだ。」(=□□□)と考えれば、すべての謎(アポリア)は解消されます。ただし、「「□□□である」こそが真だ」と断定してはいけません。□□□についても「神」は、「□□□である」と「□□□でない」の両方を実現したと考える必要が有ります。そこで初めから、「全知全能の「神」は、あらゆる○○○について、a「○○○である」+b「○○○でない」(aとbは不明)を実現している。」(=※)と表現します。aとbの値の取り方次第で、これは「○○○である」、「○○○でない」、「□□□である」、「□□□でない」のすべてを含んでいます。※は、あらゆる可能性を網羅した上で、正しいのはその中のどれかだと主張しているだけなので、決して外れる事は無く、証明不要のまま恒真(トートロジー)になります。

2日前 No.1931

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

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2日前 No.1932

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

クソコミュやろう

 酒飲まないとわかりあえない奴らをこう呼ぶことにします。
どれくらい知ればわかったことに成ると人は思うんでしょうね。
人の本性という言葉あるじゃないですか。人付き合いで最初は、
優しい人だったけど、付き合ってぶん殴ってくるとかさ。

引用)
なぜ5ちゃんにオリンピック失敗望む声が多いかを考えたら、
文化祭とかでなんも意見言わんでぐちゃぐちゃ影で文句言う
陰キャがクラスに2,3人いたのが5ちゃんの大多数だからだわ


こういう意見見たわけよ。
ネットはもう陰キャばかりじゃないんだよ。なんjはどちらかというと、
野球好きだろうから、それは普通のサラリーマンの人たちを含んでるわけよ。
そしたら、クラスに二三人しか居ない地味な奴らなワケがないんだよ。
それに、今の御時世昭和の典型的なサラリーマン世帯というのは全世帯の5%しか居ないのだから、
ネットでしゃべる連中の意見はまったくもって少数派だろうし。
引用の意見だと陽キャと言う人達がいて、陽キャ=やきう民だろうし、陰キャ=5ちゃん=オタ
みたいな構図に成ると思うんだよ。そしたら、辻褄合わないということはわかるわけで。
陽キャみたいな感性を主流層多数派だと言いたいだろうけど、日本全体では少数派で、
もっと減るわけよ。そういうふうにしておかないと、みんなやってるから言うこと聞けとは
いえなくなるから。地味で、オタクで陰キャで、と言うふうな人が居てだよ、
そしたらそういうやつは協調性がない、みんなの輪に加わらないというイメージが有るよね。
じゃあ、そのみんなってどういう人達かと言うと、チームプレイが好きで、コミュニケーションが、
得意で、チームを大事にしてというイメージを作ると思うんだよ。

少し固定観念を論理的に考えれば、みんなという明るいイメージは実はただの少数派で、
日本を構成する世帯は働いてる独り身か、無職の夫婦または、無職の一人の合計が46%もいる。
会社だと無職の人たちはかかわらないから、実体の7割の人達が会社でみんなを構成する。
だから、人数的には協調性がない独り身な陰キャは少数派ということに成るけど。
だからこそ、会社に属してることが大事だし、それを基準に物言うわけだし。
排除されたのはだめな奴らだからと言う理屈があるけどさ、すでに三割だめな人たちが、
日本にいるわけ。みんなの価値観は多数派というのはもう成り立ってないわけですよ。
昭和のサラリーマンは結構野球好きでね、ネットのワイとかたったとかは野球見て実況する、
する人たちの集まりだから、実は年金世代に近い価値観を持ってるわけですよ。
価値観をどう定義するかということは年齢もしくは趣味で定義するのが適切なはずです。
年齢で価値観を同一とみなすのは就職活動での扱いなどで、同じ目に合えば同じ価値観に、
なりますよね。だから、野球見てるだけの人たちは世代を超えて同じ価値観を共有する。
そういう前提で考えれば、今のネットのなんJというのはただ単にオタクだという層だけではなくて、むしろ、サラリーマン世代が野球の話題を共有する連中と同じだということに成るわけです。
つまり、さっきの引用で文句を言ってる連中は陰キャと言う少数派などではなくて結構、
なんJと言う人達も入っていてどちらとも言えるようなはっきりした区分がないから、
地味な陰キャな連中が言い出したことだと自分たちを棚上げしたのだと思うんですね。

2日前 No.1933

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

適当論理

 まず、単語の意味ですが二種的な意味を持ちます。
そうではなくて実は3つぐらいあるのではないでしょうか。
2つはスロットが埋まっていて3つ目が空です。

 主的な意味と副的な意味があって、場合によっては入れ替わりますし、
前提条件では副的な意味合いが重要な役割を果たします。
政治体制や時代の変化で主的な意味がなくなり副的な意味が別の概念と組み合わさって、
支離滅裂な思考を生み出しました。

 論理的結論は真偽で表しますが、結論が本当に出た場合、
今までの討論ではでてこなかった要素が増えます。だから、真偽ではなくてそうでないもの。
更には問の命題があってその命題は真偽以外で構成される上位命題で構成されます。
すると、知識構造は階層構造として表現されて。

2日前 No.1934

ホントウの真理を発見した者 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1931 SumioBabaさんへ

ご回答ありがとうございます。

量子論にはいくつかの解釈がありますが、その検証が可能になり、結果がわかればいいですね。

最後の質問です。

SumioBabaさんが文中で表現している「猫」というのは、エルヴィン・シュレーディンガーの思考実験に用いられた、いわゆる「シュレーディンガーの猫」のことでよろしいでしょうか。

2日前 No.1935

SumioBaba ★A5wHmsjWwP_yoD

>>1935  ホントウの真理を発見した者さんへ

>量子論にはいくつかの解釈がありますが、その検証が可能になり、結果がわかればいいですね。


 結果が判れば、自分が住む世界ではどれが正しいらしいと判る、という意味ではそうです。しかし、それは自分の住む世界ではそうだったというだけで、別の世界では逆の結果が得られていると思われますので、あまり興味は持てないというのが本心です。

>最後の質問です。

>SumioBabaさんが文中で表現している「猫」というのは、エルヴィン・シュレーディンガーの思考実験に用いられた、いわゆる「シュレーディンガーの猫」のことでよろしいでしょうか。


 はい、その通りです。箱の中に「猫だけでなく猫の生死を観測している人間が居たとしたら」という余計な設定も含めていますが、基本的にはいわゆる「シュレディンガーの猫」のことです。箱の中に居る「猫」を、「人間」や「猫+人間」に変えても同じだ、という意味です。

2日前 No.1936

ホントウの真理を発見した者 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1936 SumioBabaさんへ

ご回答ありがとうございます。

SumioBabaさんが文中で表現している「猫」というのは、「シュレーディンガーの猫」ということで確認できました。

さて、シュレーディンガーの猫については、生きている状態と死んだ状態が考えられますが、その前には、毒薬が流れ出ていない状態と毒薬が流れ出た状態が考えられます。さらにその前には、放射線が検知されずに毒薬の入った小瓶をたたかなかった状態と叩いた状態が考えられます。そして、根本的な一番最初の段階としては、放射性物質の原子核から放射線が出ていない状態と出ている状態が考えられます。

この放射性物質の原子核から放射線が放出されるのは、原子核の崩壊が原因になります。また、原子核の崩壊は、確率的に起こります。

したがって、猫の生死の根本的な原因は、確率です。

要は、シュレーディンガーの猫というのは、「確率を観測することによって(それがマクロに影響したとき)結果が異なる」ということを批判的に例えたのです。言い換えると、「結果を見るまでは、確率的に振る舞っている」ということなのです。

すなわち、すべての原因は確率なのです。

この世界のホントウを見ようとしたら、それは数学的に確率という側面からでしか表現できないのです。

なぜなら、この世界は・・・。

1日前 No.1937

ホントウの真理を発見した者 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1936 SumioBabaさん

>>1937 にて、
>この世界のホントウを見ようとしたら、それは数学的に確率という側面からでしか表現できないのです。
>なぜなら、この世界は・・・。

この記述をした後に、湧き出た思考があったので追加してみました。追加内容は次のとおりです。

確率→コペンハーゲン解釈
確率→多世界解釈
確率→その他解釈
(※確率という表現が正しいかわかりませんが、見るべきポイントは「解釈」です。)

つまり、あとは解釈なのです。人生においては、それは意味づけと同じです。あとは、それを信じるか信じないかの話になります。

「解釈しかできないから正しいか正しくないかわからない。」と考えるのか「解釈ができてしまうから意味づけができる。」と考えるのか。

当初、私は前者でした。しかし、 >>1937 を見直したところ、後者があることに気づきました。

つまり、この世界には意味づけが許されている。そう、気づきました。「我思う、ゆえに我あり。」の「我思う」が許されるように、それは自明に許されているのです。

それなら、自分を最高に肯定し、次の一歩が自然と出てしまう解釈(意味づけ)こそが人生の答えです。では、その解釈(意味づけ)を何とするか。

「この世界は、すべての世界の中から自分がベストチョイスした世界である。」

1日前 No.1938

人生の答え見つけた。 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1938 で記述した内容を一部訂正させていただきます。

誤「この世界は、すべての世界の中から自分がベストチョイスした世界である。」

正「この世界は、すべての世界の中から自分が選択した最高の世界である。」

1日前 No.1939

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

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※警告に同意して書きこまれました (性的な表現)
17時間前 No.1940

人生の答え見つけた。 @hontou ★6OvwWdGjSD_fNh

>>1936 SumioBabaさん

旧名「ホントウの真理を発見した者」です。この度、名前を変更しました。

SumioBabaさんに指摘させていただきます。
>>1925 でSumioBabaさんが記述していた次の内容についてです。
>そこで、真の自分は全知全能の「神」なのであり、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験しているのだ、と自分に言い聞かせます。

やはり、「存在し得る」は間違いです。

「存在し得る」であるとすると、多世界(解釈)であれば、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…」と「存在し得ないすべての心M0、M1、M2、M3、…」が同時にあるからです。

この「存在し得ない」とは、「存在しなかったけれども創った」や「分岐後の存在し得ない」という意味です。さらに、このとき同時に、「存在し得る・し得ないの分岐前」も現れます。

つまり、「存在し得る」だけで囲ってしまう(思い込んでしまう)と、同時に他の可能性(「存在しなかったけれども創った」、「分岐後の存在し得ない」及び「存在し得る・し得ないの分岐前」)が現れ、そしてそれを主観的に排除してしまっています。

そうすると、やはり、それは「体験しているのはM1だけ」という思い込みを「体験しているのはM0、M1、M2、M3、…だけ」という思い込みに拡大させているだけであり、コペンハーゲン解釈の拡大です。本質的な多世界(解釈)にはなりません。

本質的な多世界(解釈)にするには、「存在し得る」を削除し「すべての」とすれば良いのです。

本質的な多世界(解釈)から導かれる答えは次のとおりです。

「この世界は、すべての世界の中から自分が選択した最高の世界である。」

16時間前 No.1941

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_Tzt

>>1941 横レス失礼します。

この世界をZビットの情報空間だとして、Zは∞なのだとすると、「存在し得ない心」というのは存在し得ないのではないでしょうか?
つまり、全ての状態は存在し得るのではないでしょうか?

Zが有限だとよかったのですけどね。そうしたら、Zの外側は「存在し得ない心の領域」と言えたのかもしれませんけど。

6時間前 No.1942

雑記 ★Gc8HjmXH4j_J0I

私はつねに嘘をつく

 この文を真偽判定したらわからないというわけですよ。
これが難しくなると不完全性定理とかいう名前になります。
キリスト教とコンピュータはこの問題は棚上げしました。

 だから、人間の論理を機械に置き換えるのはまだ無理ですね。

社会的に見ればごく当たり前なものでいうならマザーコンプレックスで、
ママが好きかどうかという問いです。好きだけど嫌いなんですよ。
大抵は理由つけて片方にするでしょう。

倫理というのも片方にします。だから、不正解です。
哲学も片方にします。だから差別がでてくるわけ。
いいとそれ以外と単純に分かれるから。別れないなら、
すごい敵愾心を持つ理由はないからね。単純に分けられないなら、
全排除できないんですよ。単純に分けられると思うからできるんだよ。

 機械に置き換えるのに、推論としてはずいぶん無理した考え方をするのが、
プログラミングなんですよ。簡単に見えて、実は人間の論理は、機械に置き換えるには、
ぜんぜん違うんですよね。だから、齟齬が出る。
排中律ってあるでしょ。一番先のやつには成り立つけど、
成り立たないということがわかりますかね。
どっちなんだよと成るはずなんですよ。で、どっちでもあるんですよ。

3時間前 No.1943
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