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哲学談話室

 ( 哲学掲示板 )
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ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

どこのスレに投稿するか、いろいろな理由で迷うことはありませんか?

既存のスレ、新規のスレ、いずれもいまいちに思うような場合に、気楽に投稿できるようにこのスレをつくります。

したがって、テーマは哲学に関するものなら原則自由。
独り言でも議論でも形式は問いません。
他のスレの話題がそこのスレ主旨とずれてきたような場合に、ここで続行するというような下請け的利用も可。

スレ主の私は基本仕切りませんので、各人ご自由にどうぞ。

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悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

〉442、

凡人霊さま、

お久しぶりだけど、省察っていうの、あい変わらずないようね。

あ、ムリだった。なまじゃないから。

骨壺から投稿されてもね・・・、わたし、どうしようもないのよ。

1ヶ月前 No.443

凡人 ★aOOSAsoLkR_4fx

悪魔ちゃんさんも、 http://mb2.jp/_grn/1607.html-76,125,129,191,317,541,553,557,751,771,780,782,798,801,803,894,895,913,922,932,1253,1254をご覧いただけると助かります。

1ヶ月前 No.444

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 志向性だっけか。よくわかるなとおもいます。
僕の場合、なんていうかな、アクションゲームやったこと多分これを読んでる人はあるはずだと
言う前提で書きますけど、ノーミスでクリア出来ますかね。R-TYPEでもグラディウスでもツインビー、
シューティングになっちゃいましたね。
 言葉でいくらごちゃごちゃ分析しようが、認識範囲が広がるわけがないし、どこを認識してるのか、
ということを思ったことと事実違うということがわかるというのは

何かミスをした時 です。

 というのも、何かを意識するということが、これが意識が捉えてるから意識してるとなるわけです。
これは自明なはずだし、何を当たり前なことをなど思うかもしれないけど、
今視界に入ってるいろんなものはぱっと同時に見えてるような気がしませんか。つまり、
言葉で、部屋にあるもの、外行って、見えてるもの、店へ行って品物を見ていくんですよ。
すると、言葉で一瞬で考えるより多くの種類のものが見えるはずですよね。

 意識というのは何々の意識であると。ペンを見てペンを意識してる、テープ見てテープ意識してる。
それ以外はどうなってるのかわからないけど、でも、たしかにそうなんだけど、
そもそもいくつも、同時に把握しているから、この世界がこんな風にいろんなものがぱっと見えてる。
と僕は思いますけど。その、ぱっといろんなふうに別れて見えてる事自体が言語の作用だというのは、
それは本当なのかわからないけど、でも、それがちゃんと把握してみたとおりに、意識した結果、
なはずがないというのは、視界に入ってるのに、視界にあるのに、ミスをするということが、
その理由だということです。全部が、意識的に把握したものでないというのは、目というのは、
構造上見えない箇所があって、それを脳の方でごまかしてるという事は科学的事実です。
網膜と視神経のつなぎ目のぶぶには視細胞がないから。だから見たままの事実として、脳に
移るなら、暗くて見えない箇所が2つ無いとおかしいんですよ。けどそんなの感じないということが、そもそも人間が見てる視界というがある程度錯覚に寄って補われてるわけです。
文化的背景による、偏見以外にもそもそも人間は構造的に正しく現実を把握できないように、
出来ている。そこで、やっぱ、見えてる範囲はどこまでということに成るわけです。
アイカメラとか、どこを見てるのかテレビで視線向けた先というものが移るアイカメラみたこと、
ありませんか。見た感じ、結構グラグラ動いてるなと言う印象です。でも自分としての実感は、
ああいう、ふらふらというよりグラグラと言ったほうがいいか、その視線の動きなんか
目じゃないくらい、しっかりしたシュッと動くような感じです。で、やっぱどこをみてるのかと、
言うのは正直、分からない。言葉で考えることと何かを見るということは範囲として、
一致しないはずです。というのも、抽象的な概念も言葉で考えるはずです。それは見えないです。
つまり、言語が世界を分かつにしろ、見えてる外界をリアルに捉えるということは、
そのリアルを、意識するということだと思うんですけど、抽象概念はそのリアルとは一致しない、
と思いますけど。一致しないからこそ、思考できたり、将来のことを考えたり、結果を反省したり、
見てる現実しかなかったら、過去も振り返らない、未来も夢見ない、あるのは目の前の現実だけ。
でも、みんな、むかしはよかっただの、夢見たり、するわけですけど、そんななかで、
この今の見えてるものを見てると、どれくらいのものが見えてるのかと考えた際に、どうも、
わからないなあと思いました。

1ヶ月前 No.445

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

中国語の部屋

これいっちゃうと、言語の意味分節機能を根底から否定してるような感じですけど。
言語の意味分節機能というは、見てる外界は実は言語の作用に寄って分かたれてるという考えです。
たとえば、催眠術をかけてレモンが甘いと刷り込ませてレモン食べて甘いといい出したら、
レモンという言葉の意味を変化させて甘いと感じさせてるから、言語が意味を理解する根底にある
と言う考えのことです。

言語の意味分節機能が猿にも豚にも犬にも同様にあるなら、僕も納得しますけど。
じゃあ、言語の意味分節機能がないとしたら、そんときは、分節機能が無いというくらいですから、
全ては一つなんだと言い出すのかなって。

ちょっと話し拡張してこれは、中の人が、何を知ってるのかということで変わってきます。
コンピュータにとってはあれは、外の事はわからんということですね。
実際問題、考えてみると、何人集まろうが、何人いようが、本当のところは、中国語の部屋と
たいしてかわらない。「当たり判定」が共通なだけで本当はみんな中国語の部屋かもしれない。

「当たり判定」だけで、物事が客観的にそうだといえるかどうかというのは、物の一面を見て、
重さがあるから、それは物であると言えても、それが何かまではわからないということと、
同じかなって。赤がみえるから、みんな血だと思うだけだったり。変な言い方ですけど。
それが「当たり判定」のないもの、抽象概念に成るととたんに意見が分かれるわけですよ。
だから議論が成立するわけですよ。

 幾つもの、中国語の部屋が並んでいて、その中で幾人が正しくやり取りをして、幾人かが、
仕事をサボったとして、その処理が全体的に正しく行われてるのかを誰が評定するのか、
多分わからないと思うんですよ。文化的なやり取りのなかで、おかしい人が居るってのは、
これとにた状況だと思います。幾人かが正しくやり取りして、何人かはデタラメに仕事しない、
そのデタラメを見て、そのとおりに、やる人たちが居るわけです。

1ヶ月前 No.446


雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

荘子、恵子と濠水の橋の上を散歩していた。

荘子曰わく、「魚がのんびり泳ぎ回ってるな。あれが魚の楽しみなんだ」

恵子曰わく、「君は魚じゃない。どうやって君が魚の楽しみを知るんだ?」

荘子曰わく、「君は僕じゃない。僕が魚の楽しみを知らないなんて、

 知らないだろ」

恵子曰わく、「そう、僕は君じゃない。だから、君の心の中なんて知らないさ。

従って、君は魚じゃないから、君は魚の楽しみを知らない。Q.E.D。」

荘子曰わく、「いやいや、議論の初めに戻ってくれ。

君が『どうやって魚の楽しみを知るんだ?』って聞いたときは、

 僕がそれを知っているのを既に知ってて、そう聞いてたんだよ。

橋の上で僕が知ったのは、そのことさ。」

どこからかの引用)
これは前も書いた話と別の話にしようかなと思いました。
記号にしてしまうとどうも意味がわからなくなるわけですよ。
魚の楽しみ知ってるをAとか、君は君 僕は僕の場合魚の楽しみが分からないをBみたいに。
これを無為自然が生物の有り様を示してると言う話ではないということは、
さいごの文が謎になってしまうわけです。荘子は、すでに君は僕が魚の楽しみをすでに知ってるから、なんて言うわけです。君は君僕は僕という、その考えは論理的であるけど、これが、
実在に開かれないということは、多分なんとなーくわかるのではないでしょうか。
君は君僕は僕という考えでは、魚の楽しみがわからないというわけですね。
魚の楽しみって実在だとでも思ってけばいいんじゃないかなと。これを厳密さを持って、
体系化しろなんて不条理だと思いませんかね。物事の有り様は何が決めるかというか、
封建制だったら王様の言うことが正しいんだと、民主主義なら政治家の言うことは民意が
正しいんだとだから、下々の言うことが正しいと、これになぞらえてしまうと、老荘思想は、
下がいいんだとそこと重ねてしまうというか。正名論にしろ、これ以上無いという本質があって、
それに基づいてすべてが秩序だって成り立つという理屈が、封建制の士農工商を正当化する、
朱子学に転化されたり、言語分節機能がイメージを換気するからだから人間の表層的な、
イメージがそれと一緒だとみなしたり、見えてる何かが人間のイメージで操作できないのは、
表層のイメージではなくて、深層の方のイメージで、そっちは全然別物で、かなり抽象的な
話ですよ。だから、神秘体験というものがイメージを持つわけですけど。というか、
そもそも死に際になんで幻覚みるのかというか、危機回避のための方策練ってますとまあ、
そう考えるほうが自然かもしれないし。じゃあ、それだと、禅の幻覚って死に際なのかって、
また疑問が出ますけど。で、文というのはいろんな捉え方があって、だから解釈があって、
つまり、物が知ってるとかどうかってのはオレはオレ君は君だとわからんちゃと。
つまり、じつのところ開かれてますよというお話。まあ、開かれてるから知れるわけです。
君は君僕は僕などというのではなくて本当は開かれてるんじゃなかろうかと。
さんざん、意思疎通なんて齟齬きたしてるから笑いが会話に満ちてるんだといいましたけど。
禅問答で、会話の答えを相手に振ってお前が知ってんだろというパターンあります。
大体、坊主が師匠に尋ねて、お前が知ってんだろとなんだそれって。
普通の会話は、弟子が尋ねて師匠が答えるわけですよね。答えというのは、問うほうではなくて、
答えるほうが知ってるわけです。禅問答だと、それが、問う方と答えることが同一であるという、
構図に成るわけです。じゃあ、師匠のほうがとぼけてあいてしないわけですよ。まともに、
答えが帰ってきたことなんてないんですよ。太鼓を叩けばドンドン・ドドンとふざけたことが、
返ってくるわけです。それ抽象化するなら、ほんとうの意味で論理的な解答は、命題が同時に、
解答であり、実在に、つまり、答える師匠につながるということが結局無いということでは
なかろうかと。今回というか、今までもどこかめちゃくちゃだったと思いますけど、
でも、今回はもっとぐちゃぐちゃですけど。意味というのは多分こういうことじゃないかなと
言うことです。つまり、問うことが答えであるということです。だから中国語の部屋というのは、
ある種の間違いであり、それは、入力と出力がちゃんと構造体に中に組み込まれてるからです。
問うことと返ってくることがちゃんとあるわけです。行ったり来たりということが無い
ということから、原初というのは始まったわけですし。そう考えると、意味分節機能は、
ループしてるとも考えられるわけです。もう、考えて売ってないってわかりますよね。
ただ売ってるだけです。テーマに沿って。そう考えたら、茶碗をあらいなさいという、
禅の教えがやっぱ謎に成るわけです。ちゃんと手順があたりまえな順序を単純にまもれなどという、
話なわけがないわけですよ。犬に仏性はあるのかという問いが無いという答えが返ってくる。
それは、結局単純に当たり前なことでは悟れないというのと同じ理屈で、見たままなわけが
ないわけですよ。十牛図で、牛を乗りこなして、最後にはいなくて説法してる人がみんな集めてね。
七図ぐらいで乗りこなすわけですけどね。八図ぐらいでステーキでも焼いてるんでしょうか。
見せられないよって。そんなわけ無いですけど。これ山だった物が山でなくいよいよ深まって
山だったと言う話。こう言ってしまうと、そこに無駄足だったというのが落ちなのかなと、
思う場合もあるわけですけど。山を見て山だとそれは普通の話で、それって問うことで答えが
変えるのと同じなんですよ。ここで、問うことが答えることと同義な場合の山を見て山なんですよ。
茶碗をあらうという当たり前さや、日々是良日だという、その平静さも実のところ、全然、
当たり前なわけがないんですよ。今は考えながら書いてますけど。山だった物が実は山じゃない
というのは、そこは修行中の否定ですよ。いよいよ深まって問いと答えが同一の中でなされるところで、物を外界に向けるということが彼のいう魚の楽しみを知ってるということです。
それを問われたということは返ってくるのは君は知ってるということです。実在を移しては、
実在がある。不明があっては不明を移す。不明であることが自明であるから、やっぱ、
知ってるなどともう、考えれば考えるほどわからくなりました。そんなわけでまったくわからなく、
なりました。

1ヶ月前 No.448

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 「僕の心はどこへいった?」

 ゆーま:「畜生!僕の作品が捨てられた!公園に飾ってあったのに!!!」

 僕  :「そりゃ公園にゴミを放置したから捨てられたんだよ。」

 ゆーま:「俺の芸術をゴミと言ったのか貴様!!ボコボコにしてやる〜〜」

 ゆーま:「ここがネットで良かったな!?リアルであったらぶっとばすぞおお」

 僕  :「僕は芸術というのは作者の心情を形にしたものだから」

 僕  :「捨てられたのは ”君の心” だ」

 僕  :「公園に”ゴミ”が捨てられてた」

 ゆーま:「お前に何がわかる?!」

 僕  :「だって、君。自分の心は空っぽだっていったじゃないか。」

 僕  :「だから、捨てられたのは”僕の心”さ」

 ゆーま:「?!」

 僕  :「だって君。中身、空っぽだろ」

 僕  :「捨てる心なんて有りはしないだろ。」

 ゆーま:「何わけわかんねえこと行ってんだ!浅風野郎!!天日干しにして陳列すんぞ!!」

 僕  :「やっぱり捨てられたのは君のゴミだった。」

 ゆーま:「オレの心を返せええええ!!!!!」

1ヶ月前 No.449

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

捨てたのは「公園の清掃係の人」でした・・・

 ちゃんちゃん。

1ヶ月前 No.450

百理 ★5n9Jhh5DYh_P5K

魚心あれば水心
【注釈】 相手の出方によって、こちらの対応の仕方も違ってくる。相手が好意を示してくれれば、こちらも応じようというたとえ。
多く、相手の態度によって自分の行動をどうするか決めるという意で使われる。
水に棲む魚がその水に好意を持てば、水もその魚に好意を持つことから。



本来は「魚、心あれば、水、心あり(魚に心あれば、水に心あり)」であったが、後に誤って「魚心」「水心」とそれぞれ一語化したもの。

雑記さんには本質が見抜けなかったようです・・

心があるか?

と言う・・

1ヶ月前 No.451

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 「二人羽織」

 みなさんはやったことありますか。僕は一度もありません。
社会にしろ、思想にしろ、どちらでもかまわないけど、大半の人間は二人羽織をしてるような
連中だと思います。

 二人羽織りを想像で書きますけど、ろくにうまく食べられないと思います。
食べる側から見れば何やってんだよと後ろに怒鳴り散らして、食わす方は食べることが出来ない。
毎日二人羽織りで食事をしてるさまを考えてみてください。そして並んでるのは二人分で、

 食べる側と食べさせる側の役割がずっと固定されるさまを思い浮かべてください。

経済的な事柄に関して言えば、食べたくても食べらないのに働いてる側と、食べるだけ食べてけど、
文句垂れてる金持ち連中がまさにそうだと思いました。
こんな調子では食わす方はドンドン痩せてしまって、食べる方は変な食べさせ方をさせられて、
食いたくもないのに無理矢理二人分食わされてるさまを想像してください。
ちょっと見てる分には楽しいけど、そんなの実際の生活で毎日繰り返されたらきっとムカついて、
しょうがないと思います。

思想といったけど、どちらかというと、宗教でもいいのですけど、
信者というのはどういうわけか真理が何かわからないといい、教祖というのは知ってて
信者はいうことを聞かないというわけです。この構造はキリスト教の教会だろうが、
イスラムのテロリストだろうが同様な話です。思想と言うかこれは考えでも同じで、
あなたが食べさせる側で食べる側というのは親の言いつけだったりするわけです。

 二人羽織りやめて、一人で食えっていいたくなりますけど、そうしようとすると、
どう生きたらいいかわからないというわけです。二人羽織の例を出したのは端的にいうと、
食わす側は二人羽織じゃ食えないでしょうということです。

1ヶ月前 No.452

つみれ ★DUSn7lmwQa_b3g

ミサイルをミサイルで迎撃するのは、鉄砲玉を鉄砲玉で撃ち落とす様なもので、難易度が高いと思う。

レーザー砲なら、点で点を撃ち落とすのではなく、点を線で撃ち落とすことになるから、飛躍的に防衛力は向上すると思う。

また、更に大きなエナージを使えるのなら、レーザーを線ではなく面として使用して、つまり、飛んでくるボールを太いバットで叩けることになる。

こうしたレーザー砲施設を富士山山頂など全国数か所に配置すれば、大きな隕石による災害の防止にもつながると思うし、人工衛星からの攻撃や色んな有事に対する防衛力に成り得ると思うな。

まあ、軍事力的な事は隠しつつ、隕石や人工衛星の大きな欠片の落下など、そうした災害への備えとして整備したいところだね。

1ヶ月前 No.453


地下水 ★lHRYPNADL9_P5K

>>453  ミサイルに穴をあける様な強力なレーザーは、鉄に穴をあける必要があるが、その様なYAGレーザーの様なものは、そんなに離れた距離を高い出力で保つことはできない。机上の空論である。

1ヶ月前 No.455

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★irWfAAwagt_J3L

まぁ、信仰を捨て、科学信仰というオカシナ信仰に走った代償は大きいよ。

正直、その代償は、人類は破滅すると思う。

1ヶ月前 No.456

つみれ ★DUSn7lmwQa_b3g

机上の空論などと云う人は、それを手掛けた事の無い人です。

民間の町工場の親父が大学と協力して、宇宙にロケットを飛ばそうとしています。
その人も、かつては多くの専門家や常識人に、机上の空論などと云われて来たそうです。

しかし、今では文頭の様に述べています。

俯瞰すれば、それが人類の歴史でした。

1ヶ月前 No.457

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★irWfAAwagt_J3L

一切皆苦はのさとりで人間、一人前。

1ヶ月前 No.458

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 いろいろ考えてみたけど、外側にルールが有ると言うタイプの理屈は全部だめ。
理由は、大抵、そういうのに限って答えは一つだとか絶対だとかいい出すから。
何かがすべてを動かすと言うタイプの理屈は駄目。
そうあって当然と言う理屈のくせに、いざ聞いてみると、知って当然なレベルでない理屈。
そう考えると、昔の王様というのは知らないことを知ったかぶりしないと馬鹿にされると
思ったんだろう。学者をよんで、教えを請うけど、けど、僕知ってますよと。
あとは、役割が決まってるやつ。別な言い方すると概念の意味は決まってるというやつ。
じゃあ、それ知ってのかというと、本読めとたらい回しにして、答えられないし。
そういうのに限って、やたら、しつこくガミガミしてて。

そうだよ、王様がそうでないなら、何なのってことなんだよね。
答えは、神が知ってると。神というか、理ですけど。理ってなんですか、ルールですと。
ルールってなんですかっていうと、極めればわかると、何を極めるんですかと、
ことわりだと。ものには理があって、それを知ることが万物につながるんですよ。
だから、それを知ればなんでもわかると言うんですよ。そんなの誰でもできるわけねえだろうって。
それが王が王たる理由なんだって。これは中国の場合。単に強ければいいわけじゃないんですよ。

実は武力で勝ち取ったものをそれって畏れられて、下手すればジャイアンになっちゃう。
しきたりが支える仕組みですけど、こうやって考えてみたら、強いからだけど、建前は、
そうではなくて、頭の良さというか、それにしたって他のぼんくら共はわからないわけです。
極めないとわからないから。そういうものをそうあって当然だと無理強いして納得させて、
本を読めと。知らないことを知ってるように見せないと王様じゃあなくなっちゃう、
バカだと分かったらおしまいさー。

1ヶ月前 No.459

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

無文節の存在を言葉によって分節させ本質を意識して存在者を知るです。

この過程をどこで知ってどこまで遡るのかということが理であったりするわけです。
そのように、本質をしることで、万物を知るというのはある程度理にかなうわけですが、
その無分節から起こるものを知ると言う前段階があって、その微妙な働きを把握することで、
本質を知りましょうと言う方法を取ろうと、考えたわけです。だから、ぼけっと座ってるのは、
駄目です。

ちょっと事の起こりを眺めて、その終わりを見て、元に戻るさまをみて、存在にかえるわけです。
その存在は万物だからまあ、こうやってそういうのができるというのは、それはそうだからそうなんだ
という、ことを必死に唱えてるバカには無理で。だって、途切れたら駄目だもんね。

ガミガミしながらもそのガミガミを意識してるとしなければならないところを、
ガミガミしてないとガミガミしてる人に限って言ってるわけです。起こってないと叫ぶやつ。

1ヶ月前 No.460

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

無文節な存在をただ眺めてそこから分節するさまをちょっと想像したら

すごい嫌だなって思いました。

1ヶ月前 No.461

ペガサス @y19670503☆6yU9B.BkmyUy ★irWfAAwagt_J3L

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1ヶ月前 No.462

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 「バカな奴らのために」

 夏だからバカになりたいだろうから

せっかくだから新しい修行法を考えてあげました。

 これぐらい最低限できないと存在はわからないと断言します。
当然物体があるとかないとかそういう次元の話じゃあないですよ。
この世の理とやらを知りたいとどうしてもほざくならこれぐらい
出来て当然ではないでしょうか。

 本を読むということも文を書くということもどこまでも、
自動的な思考だということは明白なことです。
本当の知覚と言うかそれはどこからということは、身体的なもの、
感情的なもの思考的なものが同時に知覚されることです。
これらにはイメージが有るわけですが、それは言語的に考えて、
分節があるとして、それもイメージがあるけど、これは、無意識的な
ものだということを前提にしたとして、呼吸もまた無意識的な作用です。
しかし、呼吸というのは意識してすることもできる。

 この3つが確かに同時に感じることができるのは多分食べてる時。

読書などの思考はそれ以外はある程度制限されてるわけです。
人とおしゃべりしてるときとかでも楽しいと他の声とかうっとおしいなと、
思うわけです。逆に最も身体的なものにシフトしたら排泄を我慢して、
そのことで頭いっぱいになって一気にトイレで用をたすときです。
何か感じてソレが抜け落ちていく、その感情のさまをじっくりと観察する
ばあいは、もととなるものがそこから抜けて表面的なものも抜けて。
一方何かを我慢して諦める場合だと、ふっと何かが切り替わるというか。
それらにもイメージが有るわけです。でイメージには言語的な何かがあって。

 で存在を感じたいというわけでしょう。

 こういうものを感じる、見る、知る、する、これらは統一された感覚を持ち、
同時に幾つかの感覚に別れていて、これらはイメージを持っていて、ソレは
存在から言語の働きによって分化されてるから、言語を超えて存在に至るんだと。
ということを言語でごちゃごちゃやってたとしても、イメージから逃げられないというか。
イメージというのは意識的なものも有れば無意識的なものもあるわけです。

 もっとも、基本的なことは、知ることでもなく、することでもなく、感じることでもなく、
生きてることです。

 つまり、自分がいるということです。それが、何でもない自分に返ってしまったら、
どんな仕事でも、ちょっと考えれば、合理性がない部分があることは明白でそこに、
目をつぶって大抵の人は仕事しててそれが、全くできなくなっちゃいます。本来なら。
そんなことをしてないからこそ、合理性がないにもかかわらず合理的に効率よく仕事を
してるなどと思うわけです。これが、私だと思うわけです。

 つまり、自分がいるという自覚も持つまでもなくこれは呼吸するがごとく自然なんですよ。
自分がいるということが無自覚なわけです。生きてることがそもそも無自覚だというのは、
心臓が毎分60回ぐらい動いてることに気づかないことからも明白です。どんなに、落ち着こうが、
心臓を止めて小休止なんてできないんですよ。

 そんなわけで、全部自律的にやってみましょう。まずは呼吸から。
呼吸を完全に自分で自覚して吸って吐いてしながら、生活をする。何をするにしても
考えるにしても感じるにしても知るにしても全部自分でする。

なんとなく、息をするということを完全にやめる。
つまり、完全に知るということから始めると。
僕はそんなのしたこともないけどきっと出来ないだろうともいます。
たったの一日さえも。
無意識的なものを把握するに一番基本的な無自覚なものから操作をするということです。
そのための手段として呼吸を完全に把握するということです。

1ヶ月前 No.463

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 「量子力学を考えるより」

 シュレーディンガーの猫というのは、現実的に考えると半分ネコが死んで半分ネコが生きてる・・・
そんなバカな話はないというシュレーディンガーがねこの思考実験を持ち出した反論です。

 これはいくつかの意味でバカだといいます。

 小説の一節を持ち出して意味を尋ねるようなものです。
日常会話にしろ怒りの表情を向けるにしろ、それが妥当な躾なのか八つ当たりかで意味が変わるのは、
当然ではないでしょうか。それと似たようなものです。褒めるにしろ、本当に褒めるのか、
ただのおべんちゃらで全く意味は違います。恋愛感情も、ただの好物も両方共好きで済ませる人も
います。好きと言う字を書いてみてそれが愛なのかただの好物の好きなのかと答えさせるのと、
同レベルではないでしょうか。

 この手の質問をして理解したいというのはそれ知って何に成るというのだろうと
言うことをもっと明確にしたほうがその人のためだと思います。
僕も小さい頃に、原子という言葉を四歳で教えてもらって隣の家のおばさんにこの世は原子で
できてるんだよと言ったらすごいねと褒められました。実にこれと同じくらい低レベルな話です。

 何か知ってひけらかしたいのなら、そんなのをするのはガキだと相場は決まってるので、
いっその事勉強で、大学レベルの数学を理解してるんだと自慢でもしたほうがいいのでは
無いのでしょうか。

 それはオイラーの公式です。wikiでも見てみればわかりますが、極めて単純で、
言ってることは円を書いて横を実数、縦を虚数にしたというそれだけです。
だけどそんなの知ったところで、多分その人はテイラー展開も出来ないと思います。
シュレーディンガーの猫を理解するというのは今言うオイラーの公式を理解して、
自慢するレベルのアホだと思っていいです。そんなのしったところで、量子力学など、
到底理解できるわけがないからです。

 シュレーディンガーの猫というのは重ね合わせの原理というものが現実の当たり前にあるという
ことと反するということを意味しています。内容なんてとてもわからないけど、
たしか、講義で、粒子を観測するのに電子をぶつけたりしたら、それで結局位置変わっちゃうから
正確な位置はミクロだとわからなくなるという説明はずっと前に受けたなと思います。

 そもそもなんで、わけのわからない話になるんだというのは二重スリットの動画でも
見て、理解すればいい。波動の性質と粒子の性質の2つがあって、それが等価だと証明したから。
常識的に考えれば、ボーアの原子模型は当然知ってるわけで、陽子の周りを電子がぐるぐる
回ってるわけです。あれが量子的な性質がないと電子がエネルギーを放出したら最終的には、
原子核に電子がくっついて離れなくなってしまう。でもそんなことはないわけです。

 考えてみれば、原子というものを当たり前に理解してるなら量子力学ぐらいしてて当然では
無いでしょうか。だって、量子力学ができる前はなんで原子核を電子がくっつかないのか、
説明できなかったんだから。常識常識、いいたいなら良識力学?ぐらい知って
当然ではないでしょうか。量子力学と、良識をかけ合わせた変な冗談造語です。

 ミクロな世界では当たり前なものは当たり前ではないということです。どうかんがえても、
理という考えからも全く理解不能だし、あって当然なわけがないんですよ。
アインシュタインも神様はサイコロを振らないなどと言うし。反論された、ボーアも
アインシュタイン、アインシュタインとぶつぶつ窓を見ながら考え込んでしまいました。

 二重スリットの実験があれが常識にそぐわないというのは考えたことがないんでしょうね。


あれは距離を長くすることで本当の不条理さがわかるんですよ。
あれは観測者が結果を決めるわけですよ。元の状態が決まってるというのは過去から未来へと、
時間の流れは決まってるということは当たり前だと普通は思うわけです
ところが、光速度不変の原理があるから、光の進む距離は一秒間に限度がある。
つまり、何光年先のところから光子を飛ばしてその二重スリットの実験をしたら、
もし、元の状態が決まってるなら未来が過去の状態を決めてるのと一緒だから。
常識的に考えればそちらを信じるほうが愚かしいということです。
ところが、事実というのは重ね合わせがあるといういことですから、当たり前にある
というそれは、ミクロではまったくなりたたない。

常識とかあたりまえとかそれって、実際に目の当たりにして、触ったりして、そうだと
思うわけですけど、それがすべてを説明したり理解したりできるわけがないし、出来た試しが、
無いんですよ。慣性を確認できるけど、地球と一緒に自分が回ってる実感ありますか?
あると思うほうがへんですよね。それとおなじで、すべてのことを当たり前に理解した
つもりで居るというのは、ウソなんですよ。科学知識はすでに当たり前な実感には反するんですよ。
感覚的な理解でなんでも分かるように出来てないから。瞑想したところでビタミンC
見つかったのかよ。なにが、真理の探求だよ。瞑目して沈思黙考して、そんな実感をしたところで、
どうして、正しいのかと本気で思いますけど。実体験の確信は真理にならないから。
それは、過去から未来へ流れるという考えや、あるものはある、ないものはないという、
考えが、科学的に絶対では無いと示されて、なのに、常識的を当たり前だと思って、
あるものはある、ないものはないとか、感覚的な理解を正しいと信じるさまが。

1ヶ月前 No.464

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

 少し考えてみると、言語から、言語的イメージを取り除こうと努力してるさまが、
見えるわけです。神話は、結構、支離滅裂でとか言うわけですけど。
学問はかなり、論理的とか言うわけですが、数学が一番これが端的にでてて、
意味抜きの記号体系というわけです。空間と言う数学の概念なんて全然一般人には、
全く理解されないものですけど。
 個体性と普遍性と2つあったとして、個体性へ行こうとしたのに、普遍性になっちゃったから、
というか、まあ、もののあわれとでも言っておけばよかったものを言語に頼ってしまったから。
礼儀の一つに関して言うなら、ごまかしがあったはずだし、上が下におもねる形で、
上がそうだと決めることを放棄しだした最初の転換だと思います。これが、万物の理だと、
言い出す知ったかぶりもココで始まってソレが正しいという理由なのに、すでに、どっかいって。
だから、礼儀はどうしてこうなのかもう言えなくなっちゃう。
 哲学は知るということなのに、倫理は食べることを基準なんですよね。となると、倫理というのは、
哲学を持ち出したり宗教を持ち出したり。だから、差別が何なのかわからないわけです。
 差別と言うか、それだって、言語の差異からきてるはずだろうに、食うことを混ぜたたとん、
縄張りの概念がでてきて、恥だの罪悪だのとあとからついてきて。
 一つと言う結論があってそこから分節するというか、まあ、その考えはあまり良くないと
思いますけど。そこに、イメージだかをもちこむとそれは先入観だとか生まれつきだとか、
諸説あるけど。まあ、ないなら、常に、新しい何かを持ち出すだろうと思います。
 先入観をもつだろうということで一番そうしたいと人が願う理由は安心したいからです。
将来が不安になる人が、先のことが一切わからない事象に常に目の当たりにして平気でいられるわけ
ないんですよ。次の給料がいきなり、0円でああ、これは新体験だと言ってられる人だけが、
本質だとか、この現実そのままに生きてるんだとなどと言ってください。
そのレベルですよ。その言葉の意味って。現代の毎月給料が振り込まれるのなんて、昔には、
無いわけですから。江戸時代とかだったら、年貢とかおさめたり、禄を与えたりするんだろうけど。
年越しの銭は持たないぐらいの気位がないととても耐えられないと思いますけど。
愛なんていうけど、キリスト教の愛というのは本当に疑問で、20世紀になってようやく、
少年愛に対してそれが世間で非難されるようになったけど。マザーテレサにしろ、苦痛を耐えろと、
おかしなことを言い出すようになって、それが賞賛された背景を考えるとまともな思想だとは、
正直思えないというか。道徳的な教えから、知的な理解というよりは、わかったところから、
ものを見るということですよね。そこの転換が道徳と哲学が曖昧な分岐点へ行くわけです。
これは、万物には理があるからということです。別の理由をだせというなら、関心が先入観に、
とらわれてるから、すでに、これはこうあるべきだという思い込みが実態を把握しないで、
捻じ曲げてりかいしてしまうんだということからきて、それを壊せば先入観なしに、
把握できるんだと言う理屈は、将来見込みをぶっ壊しても平気でいられる人がやればいい
ということです。そういった、別に見えるようなことも、関心が出て来る元に変えるわけだから、
その意味では2つは同じ捉え方もできるつまり、意識がでてくるもとに変えるわけだから。
まあ、将来の夢がなくなるというのは、一種の関心がなくなるわけで、関心がないというのは、
情動が動く前にもどるわけだから、性というものにもどるわけです。性は何回かかいたので、
元を読んでもらって。その意味では礼儀を目指した人と似たような感じですけど。
一方で、礼儀はこうあらねばならんということを持ってしまったために、それがやっぱ出来なくて。
本音と建前が反対なぐらいに反対なんだと思います。
哲学というのはつきつめると激烈な新体験がしたいんでしょう。フッサールの現象学にしろ、
東洋思想にしろ。生きることの果になんで私達が居るんだという疑問が出て、いつもの、
進化するんだとか、楽しく生きるんだとかそればっかで。
で、宗教がイメージばかりでというか、まあ、そうなんですけど。ユダヤ教の旧約聖書は、
かなり、お話的でストーリーがあって、学として成り立たせるには、ストーリーを
取っちゃうんですよ。哲学って結構、お話的なもの無いと思いませんか。なんか、学問って
かんじでしょ。日記みたいにしたキルケゴールが出てくるまではそれは哲学じゃない、
哲学は定義から始まるんだとそればっかだと思うんですよ。論理にしろそう。論理は、関係性を
考えるだけで、中身の包含関係をみますけど、考えてみたら、イメージを持ち出すと、
イメージというのはそれだけで成り立つんですよね。一方で、赤は赤で、赤は黄色にならない。
つまり、イメージというのはそれだけで個体性を持ってしまって、包含関係を持つ論理とは、
相性が悪いんですよ。論理的に考えるがゆえに、本来の問題であるイメージを取り扱えなかった。
先入観にしろ、それは、結局ストーリーがあってそう決めたからそうなったわけですよ。
単純な主張には幾つもの理由があって、一つに結論になったわけですよ。一つのセンテンスは、
たくさんにイメージによってがんじがらめになってるとでも言えばいい。だから、カネがない、
なら稼げばなんてならない理由ですね。ほしい、なら買えばなんて理由がそうなんですよ。
単純に、無いということに対してならこうしろと、単純な論理に行き着かない理由です。
勉強がつまらない最大の理由って意味が無いんですよ。正直な話、高校の微積分なんて、
バカみたいに簡単なのに、わからないのは、記号の意味がわからないから。つまり、学問には
意味があるんですけど、その意味自体が通じてないというか、量子力学なんて、記号ばっかでしょ。
本来は言語に対して意味が結びついてるはずなんですが、それをどんどんしなくなってしまって。
そもそも生まれたときは何かを指す度に言葉をつけて考える癖をつけていくわけです。
理解というのはなにか自分でものをいってそうだねと共感されることでできるわけで、
多分これしないととんでもないバカに育つと思います。別のこと言うと、理解というのは、
そうだという承認からくるもので、言葉というのはただ単に言われただけということも言える。
内外という言葉で考えるなら、理解が内から発して外から返ってくることだと言えるし、
言葉というのは外側のものをこうだと言われただけだとも言える。一方で存在というのは、
外にあるものだから、で、これは外からをそのまま知る、こうだと言われたものもそうなんですよ。
それを同時に知るということですよね。一般的にはそれはこうだと言われただけのものを捉える
だけです。理解についても本質的に自分から発してそれが返ってくることを理解っていうんですよ。
だから、内から自ずから承認するということはしないんですよ。

1ヶ月前 No.465

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

本を読むということが自動的な思考だと前に書いたし、
何かを考えたり何かを書くということも自動的だといったのは、というか、
安定してここに私がいるということが自動的なんですね。
人間の顕在意識は潜在的無意識によって規定されているだから、催眠術かなんかで、
認識が変わるのはそのためだとかいったとしても、だからそうなんだと言うことだと
とりあえずそう思うなら、一体どうしたらそこから抜け出せるんだと言うわけですけど。

じゃあ、本当の思考は一体どこからなんだと言うわけですけど。
単純に言ってしまうと本を読んだり何か見たりそもそもわたしはいると感じた時点から、
すでに自動的な思考が入ってるわけですよね。先入観と言ってもいいけど。
単純に言ってしまうと、一秒もかからないわけですよ。

朝起きたときに自分がいると感じるのに一秒もかからない、ボケたときから今いる自分を
感じるのに、その変化を感じるのに、正直それが短ければ短いほど正気だろうと普通思うんじゃ
無いですか。寝ぼけた時間を一時間かけて観察して、つまり、一時間寝ぼけたままにして、
覚醒するまでの自分を感じるまでの時間を一日かけてずっとぼやっとしたままで、
そこから、いつもの本を読んだり考えたりしてる自分になるまでの自分を感じ取ろうとする、
その過程をひたすら毎日繰り返してそうやって、無意識の自分はこうあるべきなんだという、
先入観を断ったり、逆に、いまある自動的な自分から思い込みとやらを取り除いて、
特にするべきこともやるべきこともない、そういった根っこ見たいものがなくなって、
ぼやっとした寝てんのか置きてんのか曖昧な状態にいつでもどこでもどうとでも戻れるなら、
それは、僕は存在に戻ったとかいいますけど、それぐらいのレベルだと思いますよ。

実際は違うかもしれないし、だから、他の単語とか使わないけど。
誰々はこう考えたというそこから言うわけないんだから、そしたらその概念は使えないですよ。
ちがうんだから。理を感じるだとか言うのはこういうぐらいの極端さが要るんですけど、
つまり、よほどの変人でもない限りしないはずなのに、

ルールに従えばみんな丸く収まるんだということを躍起になって押し付けるのが、
堅苦しいバカな奴らの常套句だけど、

じゃあ、そんなやつらどんなルールに従ってんだよというその大本の、理をいい出した
ばかは一体何を元にそんなことを言ったのかというのが

今書いたお話のとおりです。

自分も天理にかなってんだから余計な雑念だとかをきれいにして根本に変えればいいんだと、
結局、やっきになって自分の尻尾を捕まえればうまくいくんだと必死になって、
自分の尻尾に向かってぐるぐるまわってるようないぬっころと似たような状態になってますよと
言うオチ。

28日前 No.466

雑記 ★Gc8HjmXH4j_4fx

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28日前 No.467


日本の使命 ★Gc8HjmXH4j_dmb

日本の氏名が 99円でアマゾンで売っていた。

おい!? 「日本の使命」って99円かよ?!!

24日前 No.469

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

 カバラのセフィロトは本当はいくつあるのか誰もわからないというのは知りませんでした。
生命の樹と呼ばれるやつですけど。丸が十個あるやつ。十個だと便宜的に決めただけなんだって。
ユダヤ教の考えはかなり西洋に根付いた悪癖の一つだと思いました。

 人間社会の問題は宗教や思想に根ざしたものエゴイズムがそういう文化的な要因つまり、
政治的な要素は強いと思いますが、それは正しく思想を理解した結果というよりは誤解の産物だと
明確にわかりました。

 ヨーロッパの恥の概念が一体何なのかというと、そもそもを考えると、汚いということを
基準に考えてないです。だって、道端に糞とか平気で捨てるし、中世の宮殿汚いし。
ハイヒールが糞を踏まないためにヒール高くしたとか、スカートは糞を見せないためにとか。
平気で庭に使用人が糞を捨ててるわけだから、全然汚いから恥だというのはそもそもが違うわけです。

 今は汚いというのは恥だというのは成り立つんですよ。
やっきになって恥にしたというのが、正直なところで、人権という概念も江戸時代には当然なくて、
明治になって法律を作ろうと海外から売れない学者を呼んだんですよ。
その学者は江戸時代は拷問平気でしてて、それを学者がみて、なんてひどいことするんだと、
泣き叫んで講義したらあれって仕置人に何かが生まれたのでした。

 所詮、罪悪なんてその程度です。

というのも、ヨーロッパのフランス革命とかしてる時代の娯楽って公開処刑が入ってるって
事自体が、普通におかしいですよね。にくいやつが処刑されてわって成るならちょっとわかるけど、
でも、処刑された人の顔の一部をお守りにしたりとかそういう時点で何か違うと思います。
そんなのを娯楽という奴らより日本人がうまいといった食人民族のほうがまだ健全だと思います。

 汚いから差別するんだというところがそこから間違ってるわけです。
差別って仲間はずれにすることですけど、お前なんか仲間じゃないとみなされてそれって、
別にクソ垂れるとかそういうことでもなくて、能力が足らなくてもお前いらないとなりますし。
文化的理解も正しさもそもそも必要ないですし。だって、無理解が文化作ってるわけですから。

 人権思想と言いながらフランスは公開処刑を娯楽にするし、今でもフレンドリーなアメリカを
装うくせに、真っ先に精神科というのが発達したわけだし。
まあ、根拠を知れば解決するというたぐいではないということになりました。
社会の何が間違ってるんですかと聞かれるなら、出来もしないことをやれと言い続けるから、
何もかもおかしくなるわけで、その一つが礼と言う考えですけど、それだけじゃなくて、
他にもあるわけです。例えば、不倫とか、パートナーをひとりに絞れないというやつ。
不倫するぐらいなら、もっとおおらかに生きればいいのに、バレたら慰謝料とか、
えげつなさすぎです。そもそも愛なんて日本にはねえだろっての。あんなの、少女漫画の
作り物でしょ。西洋の恋愛へのステップとにほんのそれは違うわけです。これって大したことない
ようにおもうけど、倫理的に言えば、痴漢が性犯罪に成るわけだから、ここで、痴漢は作り物に
なるのかというまた、変な質問が出て。

 汚いということをみんなに喝入れたのがナイチンゲールですよね。違うかもしれないけど。
彼女はとても頭が良くて、グラフを見せて説得したんですよね。白衣の天使みたいな、
イメージが有るようだけど、そんなのより、とても理性的な人です。そう、外科というか、
それが発達したのが100年前ぐらいでしょう。麻酔ができるようになって安全に切開ができるわけで、それまでは、床屋が兼任するとかだったり、するわけですよ。

 医療医療というとすごい専門職でまあ確かにそうだけど、200年前は針と糸で縫えれば
一人前じゃないですかね。だって、感染症でドンドン死んじゃうからしょうがないんですよね。
麻薬栽培してそれと針と糸とあれば外科医ですよ。昔なら。そう考えると、綺麗好きで、
それだけで立派な人ですよ。みなさんは。

21日前 No.470

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

まあ、どっかにできもしないことをやれと脅迫的に無理強いしてる考えが、
社会を狂わせる理由だと思います。幾つかはみたけど、全部網羅しろ言われても
僕には手に負えないです。

で、日本の使命が99円で売ってるわけですよ。それを書いた人はヒューム間違ってるとか、
ハイゼンベルグは間違ってるとか、真理は一つだとか、まるで、バカ伊川みたいだけど、
伊川もちゃんとできてたのかもしれないなと思いました。

そういうのはその人達は確かに正しいのだろうけど笑笑と寄ってくる連中が
くると、どこか狂っていくと。で、これはその連中は何か理由があるわけですよ。
夢が叶うとか理想の生き方がどうだとか理想の政治がだとか。
で、結局マスターすることもなく、これが正しいんだと後世につたえていくところから、
根本的にずれていく。

そういうで、例を出すなら、茶道のわびさびだと思うんですよね。
枯れ果てることの味わいなんて本来わかるわけないのに、武家は見え張ったんですよ。
彼らは何が好きかというと実はキラキラ光る刀なんだから、じゃあ、村田珠光いうように、
ボロい刀でも切れれば良い刀なんだって言うのかよって。
お点前って道具の良し悪しではなくて熟練度でちゃんとしろということなんですよ。
だから、新品の靴でなくても使い古した靴でうまく踊れるのが良いバレエダンサーだと
言うよう感じですよ。こういうズレが文化にたくさんあると思います。

正しい宗教ということを考案すればみんな良くなるんだと言う考えは間違ってると思います。
そんなのはどの宗教もそれを目指したわけです。それに、宗教はもうあるじゃないですか。
いまさら新しいのこさえてもしょうがないし、だいたい、宗教は信じても
科学、科学という奴らが、これを信じればうまくいくんだと叫ぼうが馬鹿にされるだけです。

これからは、正しいことを正論を言える人ではなくて正論の中の不純物を濾過できる人が、
ほんとうの意味で必要とされる人だと思います。これ以外に政治的に汚染されたエゴイズムを
除去してまともな人間社会を築くのはむりだと思います。それはとても、面倒で、いくつも、
修正しないと駄目だと思います。単一なこれさえスレばうまくいくんだという答えを、
考えるのは無理ですし、無謀です。

21日前 No.471

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

ネットのノリというか、社会が間違ってるのに、さも楽しげに不幸を自慢したり、
社畜自慢にしろ、痛い目みてるのに、そこに真剣になれない人ははっきり言って、
死んだほうが良いんじゃないでしょうか。生きてる意味もないし価値もないですよ。
他人に利用されて、捨てられてそれでも生きてる甲斐があったんだと本気で言える人なんて
いないのに。恋愛にしろ、結婚する理由がどこまでもお金なわけで、まあ、こういうのも
なんか、同しようもないなと思いました。

良くも悪くも昭和時代を否定出来ないことが何よりも問題で、平成になってから、
あのころはよかったとくりかえしてるだけの社会になったのではないでしょうか。
あなた達の価値はとどのつまり、出がらしじゃないですか。もちろん、僕もそうですけど。
働いてる人たち、雇ってる人たち、年金もらう人たち、そろって、現役をディスってる。
今更ですけど、本当に英語教育はちゃんとしとくべきでした。
日本なんているだけ無駄だから語学学んで海外で働いてたほうがよほどマシじゃないですか。

21日前 No.472

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

 「ありがたいもの」

 トイレは本当にありがたい。水道が当たり前に出ることが本当にありがたい。
風呂に入れる素晴らしい。冷蔵庫があるナイス!電子レンジ便利。特に家がある住むところがある、
究極的に素晴らしいと思います。中でも本当に良いと思うのは、

トイレットペーパーの存在です。

 食べ物はとにかく、トイレットペーパーはかつて無いほど素晴らしい文明の利器だと思います。

これ以上ありがたいものなんてありません。

 社会も学校も会社も自動車もテレビもどうでもよくてそんなのより、
トイレットペーパーって素晴らしいなと思います。

20日前 No.473

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

 品種改良

 僕は人間がすごいなあって思うのは、果物の形を変えたことです。
果物の原種を何枚か見たけど今とは全然形が違うんですよ。
 犬も血統で形を変えて、サイズとか平気で変わってるけど、基本的な形は、
余り買えられてないから。

 人間の創造性はあまり大したことないと思います。
発想力というか、医療なんて進歩したのは150年ぐらい前から。
それまではポルポトのガキ医療と五十歩百歩だと思います。
 数学だって微積分からハジメテまともに進んだなあと思います。
論理なんて述語論理がでてくるまで三段論法さえまともにでてこない。
三段論法は中世では歌にして丸暗記でした。

料理だって、大量生産技術と輸送手段の発達に寄って出来た部分がとても大きいです。
なかでも活躍したのが冷蔵庫。これがないと素材が保存の効くやつばかりになるから、
新鮮な味を提供できないですよ。だから、料理というのは
素材や両輪の技術というよりは、科学技術で出来てるとでも思ってればいいですよ。
だって、冷蔵庫ないと、寿司なんて腐って食えたものじゃないですよ。
築地でしかたべれないというか、築地に運んでる時点で腐敗してくるんじゃないですか。
冷蔵庫ないと。氷に入れて運ぶんですかね。でもそんなの冬ぐらいしか出来ないだろうから。
文化として定着しないというか、上流階級だけしか口にできないというか。

 機械に関してはかなり、独創的なものがあると思います。
そういう意味では創造性はあります。知性という点で言うと創造性はないといえるんですけど。
機械gif動画みて、みててうーんって感心してしまうような物いっぱいあるし。
学問があるからというよりは、その人の作った製作者側の個性が出てるというか。
 そういう意味では、イラストや音楽はかなり個性的ですし、絵や音楽というのは、
かなり技術的な部分が出てると思います。

 一方で精神性や宗教性はどんどん低劣になったと思います。こうなった最大の理由は、
開祖以外結局よくわからん、で、代々受け継がれてあーだこうだと議論し合うからです。
キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、第二キリストとか、三位一体あらーとか
ニューバージョンがでてこない、より良くなったということがでない、保全性が強すぎる。
そのくせ、キリストになりました、ムハンマドになりましたでてこない。
神になりましたというものなら、とんでもない冒涜だと言うわけです。

 そういう点ではニューエイジ思想というのはなんでもオッケーですけど。
だけど、あれはあれで低劣というか、ああ考えてみて、伝書鳩になってるから駄目なんですね。

原点に帰って、植物というのはすごいですね。盆栽です。
あの小さい松が可愛そうです。あんな狭苦しい所に閉じ込めてかわいそう。
どんな変形をしても植物というのは生えるんですよ。で根っことかあれが動き出したら、
かなり恐怖です。ボイニッチ手稿だと、植物を利用する方法だか、植物世界というのがあって、
あれは植物が動いて人を脅かしてる世界だっけか、この長閑な地球の森とは全然違います。
かれらはかれらで、いっぱい生えてて、人が切るだけ切って森なくなっちゃって、
でも、人間みたいに戦争をするわけでもなく、ただ生えている・・・
まあ、根っことか見てると、あれが縦横無尽に動いたら、かなりキテレツで。
で、地球の植物は動いてないから、彼らはじっと地面に生えていたいんだなと妙に思いました。

19日前 No.474

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

今日は僕の秘密を白状します!!

それは、歯糞を指でしーしーしてたことです!!

どうもカテ違いだとずっと思いながらもこれって哲学より大事なことじゃないかと思いました!

よく取れるんですよ。歯磨きしてもそれでもくっついてることが自覚できました。

皆さんも是非やってください。汚いなというバカがいたとしても

あなたの健康には買えられません。虫歯になって誰が困りますか?!

それはあなたです!!

歯間ブラシも糸ようじも使ってもどうも歯の根っこはどうも取れてないということが

わかりました。歯磨きしても取れるということが歯にべたつくのでわかります。

ぜひ、爪で歯の根っこをしーしーして歯糞を取って健康になってください!!

虫歯はどれだけ体鍛えようが直せません。

19日前 No.475

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

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13日前 No.476

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_qEA

緑はなぜ、やさしいのだろう……

13日前 No.477

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_qEA

青は落ち着かせてくれる…

けれど緑はやさしいから…

どっちもいいな、と。

きょう自転車で街路を抜けたとき、

雑記さんの植物の話を思い出しました。

ちょうど >>474 で書かれていた話ですね(⌒∇⌒)

区画整理された街路樹が、もし動きだしたり、喋り出したら、

とんでもないことになってるんだな、って。

そのとき、思ったんです。

あ、緑ってやさしいな、って。

雑記さんに、とても大切なことを学びました。

ありがとうございます<(_ _)>

13日前 No.478

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_qEA

雑記さんにはまるで

「己を言う雑木」のような優しさを感じます(⌒∇⌒)

また、投稿楽しみに読ませていただきます。

すいません、いきなり勝手に話しかけてしまって……

悪気はなくて、

つい、思うところあったので……|д゚)

では…お邪魔しました…(。・ω・)ノ゙

13日前 No.479

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_qEA

とくに >>475 が好きです…<(_ _)>

13日前 No.480

すめん @levinas ★gVURwKBNCQ_qEA

ほんと…失礼しました・・・・・・(-_-;)

13日前 No.481


削除済み ★Gc8HjmXH4j_dmb

【この投稿は”ポンデリング”削除されました】 削除者: あうら☆マスター ( 2017/09/13 22:09 )  削除理由: その他の違反

13日前 No.483

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

捕食動画見てるとワニが亀をガリッと食って腹に甲羅突き刺さらねえのかなって
気になってしょうがない。
蛇が鹿を飲み込んで死んでるやつとか、よくくえんなって。
ペリカンが鳩を丸呑みしてのどに詰まるだろうに、鳥は飛べるけどくちばしという、
消化に悪い器官だなあって。

12日前 No.484

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

企業は今人手不足なんだそうだ。
どこまでも嘘くせえなあ。

そんなに人が居ないなら子供引き取って育てれば?

そうやって

企業に尽くす人財に

してみれば?

12日前 No.485

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

真理だとか神だとかだのいいたいなら、

いっそのこと超能力でも身につけてから

いえ。


3000年先の未来を完全に見通してから

いえ。


行法なんてググれば出てくんだろうから、

っていうか、今時より情報が集まる社会なんて

人類史上ないんだから、そんでもわからないなら、

やめちまえ。

12日前 No.486

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

https://www.youtube.com/watch?time_continue=133&v=PPykgyIiYwE

 これぐらい、わらえないと信仰は手に入らないぜ!!

11日前 No.487

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

 「切った九字は返される」

返し方など全く知らないけど、切られたら神社に相談すればいいと書いてありました。


鳴釜神事の実際と考察
九字切り、呪詛の作用と危険さ、その施術者の覚悟について


と言うところに書いてある。
山とか、旅行先での知らない土地とかで、魔除けのためのおまじないだから、
人に向けるのは以ての外だそうです。

九字と言うのは軍隊を引き連れてお前の所にやってくんじゃーと言うそんな感じの
あれですから。素人がガタイの強いムエタイやってそうなやつに、
おめーふざけってっと、親分に言ってカチコミすんからなって言うような感じです。

考えてみたら随分おっかない話ですよね。

人を何人も呪い殺してるような悪霊にこんなの切ったら
つきまとってくださいと言ってるようなものですよね。
霊的な護身法を当たり前な日常に変換すると、
ヤクザ(悪霊)にメンチきってガンくれて喧嘩売って警察(不動明王)が
黙っちゃいねえぞって。そんな感じですよね。

人に切ると加護とか守護霊とかを脅してるような感じに成るわけだから、
全くいいこと無いわけです。
どれくらい効果あるのか知らないけど。

人を追い返したいなら、怒鳴り散らせば手っ取り早いわけだし。
そもそも人にこんなの使う事自体不謹慎というか。
外人が中指ジェスチャーするようなものです。

呪われたら、神社に相談する。

3日前 No.488

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

 「どうしても呪いたい人達へ」

 呪いたいというか、大体魔術書なんてネットで公開してるサイト
魔術の学院 I∴O∴S∴

僕の知ってる限りではただでココまでの知識が学べるのはまったくないと思います。
本屋さんで買うなら、軽く1万ぐらいの価値があります。

本当に専門的なレベルがあるなあと思いました。
呪い方なんておまけにもなってないような気がします。

本来魔術というのはこういうものです。

 精神的な事柄をちゃんと勉強したいなら魔術より心理学のほうがいいと思いますけど。
気功やりたいなら、この難しいことやらなくても呼吸法をやって手をこすって気を感じて
まわすだけだし。アマゾンで売ってますよ。気の感じ方って。

 素人考えの呪いってこれってどれくらい本当に成るのかなって。
そもそも人間は呪わなくてもほっときゃー100年持たずに大抵は死ぬわけです。
そんなものにいったいどれくらいの価値があるんだろうって。

 呪いたいというよりもそもそも嫌なやつが居なくなればいいのになあと、
ぶっちゃけ自分とその糞との縁が切れれば円満解決です。トラブルも本人との縁があるから、
問題に成るわけであって、関わってくれなければいいという場合もあるわけです。
例えば、浮気されて悔しいから呪って不幸になれ、と言う程度なら、
そもそも浮気性のバカを拾ったやつが悪いに成るし、大体人の不幸を笑うやつが、
どうなろうが知ったことじゃないので、やれば良いんじゃないですか。

 この手のものって突き詰めると必殺仕事人って感じじゃないでしょうか。
ヒドイやり方で外人にこまされて死んじゃった旅行者の女の子がいたとネットで書いてあって、
そういう家族が捕まったとかそういう知らせも受けてなくてもしくは、大して、刑も受けずに、
ヘラヘラ笑って相変わらず犯罪を繰り返してるようならこういうのは多少は呪われても
しかないというか、そもそも、呪いなんてあるならなんでそういう奴らがのうのうと
生きてんだよって本当にそこから不思議です。呪いがあるなら恨み買ってとっと死んじゃうはず。

 というか、一番ありえるのが、そういう悪人はもとから染まりきってるから、
意味がない。要は、悪にとりつかれなければその人はいい人なのかもしれない、
取り憑かれてるから悪なんだと。そもそも呪いというのは悪をぶつける行為なんだと、
まあ、適当ですけど。そんなのより、そんなヒドイなら探偵でも雇って、マフィアでも雇って、
ソッチのほうが自分でやりました感が増すと思うんですけど。

3日前 No.489

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

 「呪詛はなぜ返されるのか」

 不動王生霊返しという、有名な呪詛返しの真言があるんですって。
ググれば読めますけど。意味はすごい日本語的でわかりやすいです。
こっちのほうが本場の呪詛そのものと言う感じがしますけど。

 お前のやってることは全部こっちお見通しなんだ、お前の所に血染めの花を咲かせてやんよ♪

こんな感じの意味です。

なぜか大日如来の真言が混ざってる。
まあ、呪詛返しに大日如来使ってんじゃねえよって思います。
不謹慎だと思いますよ。
全一者の名前をチンケな事に使ってんじゃねえよって思います。

 っていうか、なんでマンダラで呪詛が出てくるのか全くわからないですけど。
マンダラというのは人間のアーキタイプを描写したものだろうと思うので、それを九字に当てはめる
発想が今ひとつわからないですけど。
別にこれ使って九字を言ってるわけじゃないですけど。

 例えば、

急急如律令(ただちにこれを行え!!)

 と言うキョンシーとかにありそうな御札に大抵書いて有りそうな物あるけど、
あなたたちに、命令する使い魔いなきゃー意味ないですよね。

そもそも、

直ちにやれや、オラ!

これと変わらないわけです。
真言(オンキリキリバサラウンハッタ)とか、その手の言葉には言葉自体には
意味があるんだろうけど、不動王生霊返しなんてほとんど日本語じゃないですか。
神道の祓えごと祝詞、ちょっと見てみれば、大抵は意味読めばわかるし。
意味を考えると、何の意味もわからないで唱えさえすれば効果があるんだと
根拠もなく信じる人は信じるんじゃないですか。ちゃんと意味を考えたりしないと思うんですよ。

3日前 No.490

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

 「結論」

 脅迫文でも送ったほうが手っ取り早いんじゃないですか。

 呪うのと同レベルじゃないですか。

 血染めのズタ袋に内蔵詰めて宅急便で送ったら病気になるだろうとは僕も思うけど。

 そんなくだらないことで厄を払いたいなら、

 警察に相談したほうがまだましではないでしょうか。

3日前 No.491

雑記 ★Gc8HjmXH4j_dmb

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2日前 No.492
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