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尊さとは何かを哲学してみる

 ( 哲学掲示板 )
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ゆみ ★SnhLjq9eSs_M0e

別スレッドですが、「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いがあり、そこに私は「人の命は尊いから」と回答しました。
当然のことなのかもしれませんが「そんな答えで子供が納得するのか」と指摘を受けました。

尊さってなんだろう

感じるのに言葉にできない自分がくやしいです。

そこでみなさんに質問です。気が向いたら回答ください。
また、ここは論破目的の参加や煽り行為などはあまり必要としません。

落ち着いた気持ちでゆったりと構えて回答してくださるとありがたいです。
宜しくお願いします。

2年前 No.0
メモ2017/05/15 03:28 : ゆみ @yumi2017★SnhLjq9eSs_M0e

ところで「実人生哲学」と「学術的な哲学」は違う訳ですが、「学術的な哲学」を私は知りません。

尊さについて学術的な哲学をしてみたいのですが、どのように考えたらいいのか、どのような切り口をもてばいいのか、どのようなアプローチをすべきなのか

を、どなたか教えていただけませんでしょうか。甘えたことを言っているのは承知の上ですが、教えていただけると大変ありがたいです。宜しくお願いします。

ページ: 1 2

 
 

★3lPOnmUIOH_VuR

こんにちは。

>尊さってなんだろう


思い付きですが「尊さ」とは「清さ・儚さ」に言い換えられるように思います。

ですので「清く儚いもの・事柄」は尊いのではないのでしょうか。

2年前 No.1

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

尊いとは:
犠牲になった、もしくは犠牲になろうとしている命を表す形容詞。または枕詞。

用法:
「5人の尊い命が犠牲になった。」

つまるところ、文学的な表現に過ぎない。

2年前 No.2

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

あと、医療では尊厳死という概念がありますね。
「尊さを保つために死ぬ」
これは、
「尊いから殺してはいけない」ということとは逆で、
「尊いから殺す」ということです。

「そんな答えで子供が納得するのか」という雑な指摘しか貰えてないみたいなので、指摘しておきます。

2年前 No.3

ゆみ ★SnhLjq9eSs_M0e

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2年前 No.4

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ヒコ太郎さん、ご回答ありがとうございます。

尊厳死は尊いから殺すのか、はたまたチューブだらけになってまで生きていたくない、またはチューブだらけの姿に恥ずかしさを覚えるからこそ、
尊厳を保ったまま死にたいという意志を尊重するということだと思います。

尊さってやはり人間の体に神聖さがあるということを気付かされるような感性のことを言うと思うのですが、
まだまだ深い所へ行けません。

殺すにしろ殺さないにしろ尊いという言葉を使うという貴重なご意見ありがとうございました。

2年前 No.5

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

時さんに対する返事にフィルタがかかってしまったので、かからないようにもう一度書きます。

時さん、こんばんは

早速の回答ありがとうございます。

”儚さ”で思いついたのですが、人間は永遠ではなく寿命が必ずあり、また、命を傷つけようと思えばできてしまう存在ですよね。
再生医療と言われていますが、まだまだ人間の体は再生できないものという常識があります。

その”再生できないもの”という部分に尊さを感じるのですがいかがでしょう。

2年前 No.6

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

尊いものは、同時に、『大事にすべきもの』だと思います。

儚いものは壊れやすいので、それを保つためには、慎重に(大切に)扱う必要がある。

清いものも、放っておけばすぐに汚くなってしまうので、手入れをしたり守ったり、大事にするべきものです。

「尊さ」と「清さ・儚さ」の間に関連があるのは、この3つはどれも「大切にする必要がある」という共通点を持っているからではないでしょうか。





尊いものは

(1)保つべきもの
(2)守るべきもの
(3)それに対しては慎重に注意深くあるべきもの
(4)放っておくべきでないもの

つまり、大切にするべきものだと思います。

2年前 No.7

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

てじさん、ありがとうございます。

なるほど”大切にするべきもの”ですね。 感覚としてすんなり入ってきます。

ただ、人を殺してはいけない、の問いに答えるとして「人は大切にしなきゃいけない存在なの」と言って、納得してもらえるか不安です。

特に大人を困らせたいだけのガキみたいのを論破させなきゃいけない大人の身としては、かなり説明が困難ですw

どうしたら納得させられるでしょうか。

2年前 No.8

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

と、いきなり「論理的な説明」を求めてしまいすみません。
まだまだ尊さについての理解を深めないといかんですよね。
なので、論理的な説明は後にするとして、尊さについて何か思うところのある人はコメントください。

宜しくお願いします

2年前 No.9

★fSsxMfWdxm_VuR

>>6  ゆみさんへ

> 再生医療と言われていますが、まだまだ人間の体は再生できないものという常識があります。


人間の体に対する医療分野に限らず、全てが再生できないですね。勿論、ミクロからマクロまでの各個人の視点によってその見え方や感じ方は違います。

例えばですが、体の一部(手)を失ってしまった場合に、義手等を作り、一応元の生活が出来るようになったと感じる場合には、再生されたという感じ方や判断になるでしょう。しかし、その同じ義手で、以前の細かい仕事が出来なければ、再生されたとは感じないだろうと思います。こんな風にその人の視点によって同じ物事でも変化するという事ですね。

物事をミクロの視点で見ていくと、全てが変化の連続です。同じ場面や現象は二度と起こりません。逆にマクロの視点で見ていくと、何も変化していません。そしてそれらは、結局は同じ事になります。つまりは、ミクロの視点で物事を見ていくと、(感じ方で)何も変化していない事に気付ける人は気付くと言う事です。

通常人は、変化を好んだり好まなかったりと言う生活だと思います。この状態の時にはなかなか気づけないと思いますが、ふとした瞬間に「今まで当たり前にあったものも永遠ではない」と言う事に気付いたりしますね。先ほどの義手になった手、人生、旅行先で見た夕焼け等々・・・全てが変化の中の一瞬の記憶です。この二度と訪れない一瞬に気付いた時に、人はその「儚さ」を感じ取り、次にその儚い一瞬の「尊さ」を思い描くのではないでしょうか。

> その”再生できないもの”という部分に尊さを感じるのですがいかがでしょう。


ですので、日々の変わらないと思い込んでいる生活の中での「一瞬の儚さ」=「再生できないもの」に人は「尊さ」を感じるのだと私も思います。

2年前 No.10

★fSsxMfWdxm_VuR

>>0

> 別スレッドですが、「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いがあり、そこに私は「人の命は尊いから」と回答しました。


「殺されたくないのなら、殺してはいけない」で納得するかしないかはわかりませんが、私ならばこのように言うと思います。

「なぜ盗んではいけないの?」「貴方のものを、他人に盗まれたいですか?」
「なぜ殴ってはいけないの?」「貴方は殴られたいですか?」

自らがされて嫌な事は、相手にもしないという事です。
自らの気持ちが分かって欲しいのならば、まずは相手の気持ちを分かる事ですね。

2年前 No.11

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

命は次世代に受け継がれるから尊いのだと思います。
もし明日人類が絶滅するとしたら、誰が人間は尊いなどというのでしょうか?

時様やてじさんの「儚い」には、一個の命と比較した長いスパンの「生命の連鎖」が含意されている気がします。

2年前 No.12

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

>>9

論理的な道筋を私なりに追ってみます。
…ちょっと煩瑣になりますが…



納得させようとするならば、

(1)「ひとは大切にしなきゃならないものだから、ひとを殺してはならない」という論理自体を納得させる。
(2)どうしてひとを大切にしなきゃならないのか、その理由を納得させる。

という、少なくとも2点を納得させる必要があるでしょう。

(1)の論理に納得できても、「じゃあ、どーしてひとを大切にしなきゃならないの?」と言われて、答えられなければ、「ふーん、ひとは大切にしなきゃならないかどうかは分からないんだ。じゃあ、ひとを殺してはならないかどうかも分からないよね」と言われてしまいます。

でも、(2)の理由が分かるならば、自ずと(1)の論理も分かるはずです…

(厳密に言えば、「ひとを大切にすること」と「ひとを殺すこと」との間の関係も証明すべきなのでしょうけど、それは徒に煩瑣なものになりそうです。)

なので、考えるべき問題は(2)だと思います。

「人は大切にしなきゃいけない存在なの」って言ったとき、

「ふ〜ん、じゃあ、なんでひとを大切にしなきゃならないの?」

って絶対聞かれると思うので。

そこで

「ひとは、ちょっとしたことで変ってしまって、変ったら簡単には、もとに戻らないんだよ。」

と言う風に、以下の2つの特徴を述べて答えるとしましょう。

(1)ちょっとのことで変る(ので、小さなところにも気を配るべき=大切にすべき)。
(2)変ったらもとに戻らない(ので、そのままの姿を保つように守るべき=大切にすべき)。

そうしたら、たぶん

「えー!べつに変わっちゃってもいいじゃん!壊れてもいいじゃん!」

と言われるでしょう。

ここで「変わる」というのは、本来のあるべき姿から変わるということです。
例えば、正常な状態から故障状態へ変わるとか、綺麗な状態から傷がついた状態に変わるとか、規則正しい状態から無秩序状態に変わるとか、その人らしい在り方からその人らしからぬ在り方に変わるとか、色々です。最後の例は、タレントが売れるために汚れ仕事を引き受けたときなどに「自分を大切にしなよ」と言われるようなイメージです。

ここまで問い返された上で相手を納得させるには…

「本来のあるべき状態をキープしなきゃならない」ということを納得させなければなりません。
そして「そういう状態をキープするために大切にケアしなきゃならないんだよ」という風に話を持っていくわけです。

それに対して

「なんで本来あるべき状態を保たなければならないの?」と問い返すのは、不合理なことです。

なぜなら「本来あるべき状態」ということは、もう、それを保つべきだって意味だからです。

ここまで来ると、今度は子どもが証明しなきゃならない番です。
言い返して来る子どもは「本来あるべき状態がこれこれの状態だからといって、その状態を保つべきだとは限らない」ということを証明しなきゃならない。

なので子どもは、ちょっと別な切り口から言い返して来るでしょう。

「そもそも、その状態って、本来あるべき状態なの?本当はもっと別な在り方が本来あるべき状態なんじゃないの?」

悪習とか、本当はもう別れるべきカップルとか、そういうものを例に出して来るかもしれません。

この時点まで来て、最初の問題について納得させるためには「ひとって本来どういう風にあるべきなのか」について納得させる必要があります。

もしそうならば、論理的にも、まず「ひとの尊さって何か」を考えなければならないことになります。



…と思いますが、どうでしょうか?

2年前 No.13

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

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2年前 No.14

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

てじさんへ

てじさん、ありがとうございます。

>「本来のあるべき状態をキープしなきゃならない」<
という言葉ですごく想像が膨らみました。

”人間というのは、体も心も壊れてしまうことがあるんだよ。もしそうなった場合、機械のように部品を交換する訳にはいかず、
リハビリという大変な苦労を重ねなくてはいけないんだよ。運が良ければもとに戻るし、運が悪かったらもとには戻らないんだ。
人に対してそんな苦労を背負わせることは酷いことだと思わないかい?


人にはそれぞれ夢や希望がある。それをつぶすような事をしたらいけないんだよ。
○○君だって、今まで自由に動かすことのできていた手や足が動かなくなったら嫌だろう?
そんなことを人にしちゃいけないんだ。
自分がされて嫌なことは人にはしない。これは守ろうね。”

と、とりあえずこういう説明が頭に浮かびました。尊いからしちゃいけない、その中身は↑のようなことなんですね。

2年前 No.15

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ヒコ太郎さんへ

とても論理的で貴重なご意見ありがとうございます。

ただ、私には少し難しいようです。

>このように、変化するものの総体として不変であれば、尊いといえるのかもしれません。
命でなくても、例えば会社であっても、その中身は常に変化し、ずっと同じであればそれは機能していない。
その意味で、尊いと言えるかもしれません。<

変化があるから尊いと言えるというご意見でしょうか。
結論の部分だけ抜粋したつもりですが、私自身あまり頭が良くないので、理解できたかどうか疑わしいです。。


それでもなんとか理解してヒコ太郎さんの正しさやお知恵を拝借したい次第でございます。

そもそもレスポンスしてくださっていることが嬉しいです。ありがとうございます。

2年前 No.16

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

時さんへ

時さんの「自分がされて嫌なことは〜」の部分もとっても参考になりました。
ありがとうございます^^

2年前 No.17

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

メモを更新したので読んでくださるとありがたいです。宜しくお願いします。

2年前 No.18

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

人は何故尊いのか、を一般的に親がどのようにして子供に説明するかを考えよう。
もし、人間全員の顔に「尊」という文字が書いてあれば、
「ほら、あの人の顔にも、尊いって書いてあるでしょ?」
って言えば、子供はぐうの音も出ないだろう。
しかし、残念ながら、現実的には、「尊」という漢字が体に彫ってあるのは、
尊いという概念とはあまり結びつかない、むしろ対極に位置するであろう方々であって、
「書いてあること」によって納得させようというのは、子供がむしろ可哀相である。

日本古来のアニミズムという観点で言えば、神木のように生命である木を祭ってあることもあれば、
ただの岩を祭ってあることもある。
命をもたない岩が何故尊いのか?
という疑問は、当然の疑問であるといっていいであろう。
それを見ただけで尊いのか、わかる場合もあれば、わからない場合もある。
尊いこととは、一体どのようなことなのだろうか?

一般的に親は子供に昔話や物語を聞かせる。
あるいはギリシャであっても、ローマであっても、キリスト教であっても、どんな宗教であっても、
そこには必ずといっていいほど、神話が存在する。
「この岩は何故尊いのか?」
と言ったときにも、(相手を納得させようと思えば)神話が登場するだろう。
逆に、形質的に、例えば、「何となく尊い形をしているだろう」「岩は生まれながらにして尊いんだよ」などと言えば、
納得させる気ゼロである。
「命は説明するまでもなく尊いからだよ」「人は生まれながらにして尊いんだよ」というフレーズが、裁判の判決でも飛び交っているが、
このような言説は全く主観的であって、日本の裁判が如何に独善的に行われているのか、ということを示している。
このように科学の発達とは裏腹に全く進歩していない(むしろ退化している)法哲学に、
「尊いとは何か」と聞くのは、あまりに無駄だというものだ。

神話の話に戻ろう。では、ストーリー性に尊さが宿るのであろうか。
これは、恐らくその通りであろう。
例えば、「あの人は人間なのに空を飛んだ」といえば、それはもう信仰の対象であるし、
「神は7日で世界を作った」などといえば、やはりその尊さを理解することができるであろう。
しかし、ストーリー性があるからといって、それがそのまま尊さと結びつくとは限らない。
例えば、「飛行機は空を飛ぶから尊い」などといって、尊さを理解してもらえるだろうか?
「何故、空を飛ぶことが尊いのか」ということになる。
それは、「空を飛ぶ」ことに「尊さ」が内包されているか、否か、という問題である。
「命は尊い」といったときに、「命」に「尊さ」が内包されているかという問題が出てくる。
「神は114514日で世界を作った」といえば、
「もう少し早くできなかったのかな?」「頑張ったんだね、おめでとう」などとなって尊さなどはあまり感じられない。

変化の総体として不変ーあまり長くなってもよくないので、これについてもう少し突っ込んだ話をする時間かもしれない。
人間には、日々の営みがある。(余談だが、日々の営みには、夜の営みも含まれるであろう。)
その一つ一つを取って、どこに尊さがあるのかを探して見よう。例えば、「ゴミ出し」は尊いのであろうか?
誰がゴミ出しをするのか、押し付け合いになるのが常であって、
「ゴミ出しは尊いからゴミ出しをしなさい」と言ったところで、
「じゃあお前がやれ」となってしまう。
すると、尊さを見出す事は難しくなってしまう。
「募金は貧しい方々を助ける尊い行為です、募金をしてください」という言説から、尊さに近づけるのではないか!?
しかし、これも現代の成熟した社会通念に、真っ向から否定されてしまう。
「では、募金など特定の尊い行いを全くしない人は、尊くないのか、それは人権の概念に反するであろう」
となるのだ。
この言葉は今の話題の全てを物語っていて、全く尊い行いなどしていない人も、等しく尊いということである。

近年では、クローン人間が倫理的にクローズアップされるようになってきた。
「クローン人間は、人間の尊厳を破壊するものではないか?」と。
人間は一人として同じ人間はいない。クローン人間が尊厳に直結するのは、それによって尊さが担保されているからだ。
それぞれがストーリーを持っていて、
全員「同じ人間」なのに、一人として「同じ人間」はいない。
ーーーこれはつまるところ、変化の総体として不変、である。

2年前 No.19

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ヒコ太郎さんへ

難しいです。でも何となくぼんやり思ったことを書きますね。揚げ足取りをするだけになりそうですが、初心者ですので、どうかご容赦ください。

>日本古来のアニミズムという観点で言えば、神木のように生命である木を祭ってあることもあれば、
>ただの岩を祭ってあることもある。
>命をもたない岩が何故尊いのか?

アニミズムや偶像崇拝(と言っていいのだろうか、キリスト教ではないし宗教的な批判や指摘は一切ないとしてお考えください)などは、
そこに何かが宿っていると思いそれを大事にする心が問題なのではないでしょうか。
日本人は特に八百万の神がいて・・というと話がそれるので、これは書かないことにします。
そんなことよりも、例えばお地蔵さんが1体、目の前にあるとします。そのお地蔵さんに祈りをささげることによって
とても大事なことが浮かび上がります。

それは、無機質な物を擬人化(神格化)して自身の心の中にある清らかさを発見することができるということ。
自身の心の清らかさに触れる、でもいいです。
目の前に神という概念が存在しているとしてそれを敬うことのできる自負(誇りにつながる?)や周囲の厳かな空気をそこから感じ取るのです。

無機質なものと人間の心の間でこういった”やり取り”が有った場合は、その対象物を粗末に扱ってはいけないという意識が人間側に働きます。
実際はやり取りと言っても人間側からしか発信しえない一方的なものなのですが、日本人は岩やご神木に願いを捧げることにより、
そこに尊さがあるとあてはめて見てしまうのです。これが良い事なのか悪い事なのかは知りません。

さてこの件を”目に見えない心のやり取りに尊さをあてはめてしまう件”とでも名付けましょう。(言い方は悪いですがあしからず)

>神話の話に戻ろう。では、ストーリー性に尊さが宿るのであろうか。
確かにこれはありますよね。これは、尊いかそうでないかでなく通常の人間とはちょっと違う、ギリシャ神話で言えば英雄クラスのエピソードを付加することによって、一般人より優れているか否かを現すのみだと思います。
ただ、エピソードがこのようなものなら話は変わってきます。
「この大きな岩が洪水をせきとめたお陰で村の人間は救われた」とかいうエピソード。
岩は自分で歩くことはできずそこに転がるしかないのに、奇跡的にそこにあって人々の命が救われる。偶然が重なったような話ですね。
つまり岩は英雄でありながら、無意志なので英雄ではないという2重の意味合いがあるのです。
しかし人々はこの岩を記念に残したがるでしょう。たまたまそこに転がっていただけで命を救えたということは
”何やら意味がありそうだ””これはありがたい存在だ”となるからです。

>「募金は貧しい方々を助ける尊い行為です、募金をしてください」という言説から、尊さに近づけるのではないか!?
>しかし、これも現代の成熟した社会通念に、真っ向から否定されてしまう。
>「では、募金など特定の尊い行いを全くしない人は、尊くないのか、それは人権の概念に反するであろう」
>となるのだ。
>この言葉は今の話題の全てを物語っていて、全く尊い行いなどしていない人も、等しく尊いということである。

おっしゃる通りだと思います。

>それぞれがストーリーを持っていて、
>全員「同じ人間」なのに、一人として「同じ人間」はいない。
>ーーーこれはつまるところ、変化の総体として不変、である。

○それぞれがストーリーを持っている=変化がある
○全員「同じ人間」である=総体である
○一人として「同じ人間はいない」=不変である ←ここがよく解りません。

もし一人として同じ人間がいないのであれば、これも変化と呼べるのではないですか?
つまり、変化の総体が変化だ という文章のように読み取れてしまいます。


今回、ヒコ太郎さんの意見の中で勉強になったことは、無機質な物でも人間側は一方的に心の交流を持つことができ、そこに尊さを見つけてしまう動物なのだということです。これはヒコ太郎さんの意図する結果ではないと思いますが、私なりに想像を膨らませてみました。

2年前 No.20

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>>20

ゆみさん、一点だけ、

>○それぞれがストーリーを持っている=変化がある

認識論的な話になりますが、
ストーリーとは対象に固有のものであって、一定です。
もしこれが変化するとすれば、それは異なるものを認識しています。
例えば、「Aさんは昨日遊びに行った」というストーリーが、
「Aさんは昨日遊びに行かなかった」というストーリーに変化するとします。
このとき、「Aさんは昨日遊びに行かなかった」はAさんのストーリーとなる代わりに、
「Aさんは昨日遊びに行った」というのはAさんのストーリーではなくなります。
何故このようなことが起こるかというと、数ある可能性の中で、実際に起こるのはただひとつだからです。
ひとつなのですから、変化はないということになります。
変化があるということは、前の認識が誤っていたという事になります。
すると、正しい認識には変化がないという事になります。
つまり、

○それぞれがストーリーを持っている=不変である。
○全員「同じ人間」である=総体として
○一人として「同じ人間はいない」=変化の

と逆に読み解くことになります。

これだけではわかりにくいと思うので捕捉します。



古文書には写本や底本という概念があって、
例えば同じ源氏物語でも、様々な系統が存在する。
これを、「ストーリーは変化」とする立場からすれば、
「元の源氏物語はどれと定める事はできない」ということになる。
しかし、オリジナルな源氏物語は紫式部が書いたひとつの本であって、
これは、「固有で不変なストーリー」である。

元の源氏物語が複数あったとすれば、それらは別個のものとして認識される。
勿論元々複数あったという可能性がないとは言い切れない。
その場合の不変なストーリーはどこにあるのか、探して見よう。
複数あったとすれば、それらは「源氏物語その1」「源氏物語その2」・・・のように有限個に分類されるであろう。
さて、このとき、源氏物語というのは、これらの有限個の源氏物語の集合である。
いくつかあるということは、それぞれ、異なった成立過程があるだろう。
それらをまとめて、「源氏物語」という概念が成立することになる。
このとき、この「まとまり」というのは、源氏物語に固有のストーリーである。(言い換えると、「枕草子」の話ではない。)
つまり、いくつかの源氏物語の存在が、すでにひとつの、固有なストーリーとなっているのである。

このようにして、どのような場合も、「固有なストーリー」を見つけることができた。
この固有なストーリーとは、対象の認識そのものに対応する。



話を戻しましょう。もし、複数ある場合の源氏物語を総体として捉えないのであれば、
「どのストーリーが正しいのか」という問題(変化)が発生します。
「源氏物語その1」が正しいという人もいれば、「源氏物語その2」が正しいという人もいる。
これは、源氏物語を総体として捉えていないために、変化が生まれているという事になります。
それは、総体として見なかったために、源氏物語が固有のストーリーを失ったという事でもあります。

2年前 No.21

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

どこかの誰かさんのように、
「善の定義はこうだ!」と言って、
誰が正しいのか争うのは、
「善の定義」というストーリーの喪失に他なりません。
つまり、「善の定義」という問題から尊さだけが失われるという事です。

2年前 No.22

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

その事に気づくには、彼は若すぎたのだ・・・

2年前 No.23

そまてぃっく ★YVAI73Mxs0_Niz

≪唐突ですみません。
ゆみさんの「尊さってなんだろう?」という問いに目を
引かれて、書き込ませていただきました。残念ながら
学術的な回答ができるほど、哲学的訓練を受けた身では
ないのでご了承願います。

 尊さの概念に直接迫るのは、難しく手のつけようがない
印象を受けますので、まず、人間の尊さについて検討してみます。
「なぜ、人間存在が尊いのか?」という問いには、
私は「唯一無二のあなたの存在が尊いからです。」と
返答したいと思います。

以下から、「あなた自身」を論じやすくするために
今タイピングをしている「私自身」に置き換えること
にします。私自身が尊い理由は、本当は論理で構成
することができず、「私にとって私は尊いものであるから」
と循環論法的な物言いを自分自身に言い聞かせるほか
ありません。それは論理ではなく、根拠なき信念とでも
いうべきものです。もちろん、「尊い」といっても
「神仏の尊さ」とはまた違った意味を示しています。
私が私であることの不思議さ、私の経験と他人の経験との
間にある越えがたいほどの断絶、それらの事柄を「尊い」
と評価しているのです。ですので、いくら自分自身が尊い
といえど、私自身を損なう、おおよそばかばかしい行為、
飲酒、喫煙、怠惰、…を少なくとも私自身は取りえます。

自分自身の尊さを基礎として、他者存在の尊さが導かれ
るのではないか、というのが私の推論です。なぜ、私
自身から、私とはあまりにも異なっている他者へ、尊さの
価値付のシフトがなされうるのか、という問いは依然と
して残ります。その架け橋として有望なのが共感ではないか
と考えています。

2年前 No.24

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ヒコ太郎さんへ

しばらく考えてみましたがやはりまだつかめていません。。もう少し段階を経てヒコ太郎さんとお話ししていけばつかめるかもしれません。

私がバカなのです、、ごめんなさい。

2年前 No.25

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

いえ、こちらこそ、お利口さんですみません・・・。

2年前 No.26

道久咲 ★xdxxX3E4zv_mgE

ヒコ太郎さんとゆみさんと、仲良き友のようなので、ネット結婚してみては?

2年前 No.27

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

「尊き存在の意味」についての現象学的考察

「尊さ」とは、「尊きもの」を尊きものたらしめる当のもの、であろう。
我々は日常生活において様々な尊いものに出会うが、それら種々の尊いものに共通する「尊いものである」という性質であるともいえるだろう。

まず、はっきりさせておくべきことは、この「尊い」というのが、客観的性質ではなく、あくまで主観的にのみ捉えられる性質であるということである。
それゆえ、以下尊さを性質と言うとき、あくまでこれは主観的にのみ捉えられる性質(主観的性質)であることを前提する。
そのうえで、次のように問う。
この「尊い」「尊いものである」という性質とは、それら尊いもののいったい何についての述語・性質なのだろうか?
例えば「丸い」というのはものの形についての性質だし、「高い」というのは身長などの性質と言えるだろう。
言い方を換えると「形が丸い」「背が高い」と言えるわけだ。
では、それら尊いものと言われるそれらの、いったい何が尊いのだろうか?
いったい何に対して尊さを感じるのか?

「存在」ではないだろうか。
すなわち、尊いのは存在が尊いのであって、尊さとは存在の性質である。
例えば、我々が命あるものに対して尊さを感じるのは、その命あるものの存在に対して尊さを感じているのである。

次に、尊い存在の私にとっての意味、尊い存在とは何であるか、その主観的意味について問おう。
尊い存在が私という主観に対してもつその意味が問題なのだ。

>>7 において、てじさんが、尊いものとは「大切にするべきもの」と述べている。
私も全く同意見。
ここでのポイントは「するべき」という規範の「べき」があるということだ。
これはもちろん、尊いものが「非常に価値が高いもの」という辞書的意味を含意していることから当然とも言える。
非常に高い価値のあるものなら、普通に考えてぞんざいに扱うべきものではないからだ。

しかし、さらに一歩進めて言えば、この「価値」は「有用性」としての価値ではない、ということが重要であると考える(だからこそ規範概念としての「べき」)。
つまり、道具として高い価値のあるものも大切に扱うべきものと言えると思うが、
「尊いもの」は有用な道具としての価値が高いわけではない、ということ。
いわば「存在それ自体の価値」であると言えるのではないか。
そして、そこには
「けして自分の思い通りにしてはならないもの」
という意味が含まれる。そこで、ここで仮に、
「自分の思い通りにしてよいもの」=「自分の所有物」
と定義すれば、
「尊いもの」とはけして自分の所有物とはなしえないもの(自分の思い通りにしてはいけないもの)・なりえないもの
と言えるのではないだろうか。
例えば我々は「子供を授かる」という言い方をするが、それは子供の存在根拠が自分にないということ、それは与えられたものであって、本来的に自分のものではない、ということを意味する。
「尊いもの=思い通りになしえないもの=自分の所有物ではないもの」
という意味では、その尊き命を授かるということは、子供を所有物にすることではない。
客観的に自分の子供であっても、命あるものが尊いものである限り、それは自分が思い通りにしていいものではなく、いわば「責任をもって預かるべきもの」である。
命ある存在は、けして「自分のもの」ではないのだ。
つまり、尊い存在の扱い方は、自分の思い通りにしてよいのではなく、その存在にふさわしい、扱うべき扱い方をしなければならない。
大切にすべきもの、それにふさわしい、その扱うべき扱い方、いわばその「べき」は、その尊き存在の方から与えられるのである。
私はそれに従わねばならない。
私は尊いものに対して責任を負い、義務を負うのだ。

尊いものはけして自分の物になしえぬものと言ったが、これを「自分のうちに取り込みえぬもの」「自分に同一化できぬもの」と言うこともできるだろう。すなわち、
「尊いもの≠自分(のもの)」
それゆえ、「自分は尊い」は語義矛盾である(例えば、“自分を尊敬する”ことは論理的に不可能である)。
しかし、「自分の命は尊い」は語義矛盾ではない。
自分の命を尊いものと考えることは、自分の命を自分の所有物であるとみなすこと、すなわち自分の命を自分の自由にしてよい、例えば自殺するのは自由だと考えることと背理する。
吉野弘の有名な詩があったが、I was born. 私という存在は与えられたものである。
私はそれを母から譲り受けたのである。
私の存在根拠、それは私の内にない。私の命、それは私の所有物ではないのだ。
尊いものは自分の自由にしてよいものではない。

この意味で尊いものとは、常に自己にとって自分ではありえぬもの=他者でしかありえぬものであり、
「それに対して、自らの分をわきまえるべきもの」
であるともいえるだろう。

ここで、尊厳死について少し述べます(したがって、これは哲学的というより個人の経験的感想です)。
これが問題になるのは、生物的な生命を生命維持装置によってただ生かしておくことは、
他者にふさわしい扱い、我々が尊いものに対してとるべき態度ではない、と感じるからではないか。
尊き命に対して、むしろ冒涜のように感じる。
単にこれは我々の思いに従わせており、尊き命に対して、それにふさわしい取り扱いではないと感じている。
我々に従わせているのではないか、尊いものにふさわしい向かい方ではないのではないか、
我々は、命が自ら終焉を迎えようとしてしているのに、無理やり引きとめているのではないか、これは分をわきまえぬ行為ではないのか、と感じている。
自ら去ろうとする命を、我々は無理やり引き留めるべきではなく、
ただ見守り、静かに送り出すべきではないのか。
運命(命の意志)に従って逝こうとしているものに対して我々がなすべきことは、その人が従容として死に就くことができるよう手助けし、静かに送り出してあげることではないか。
それはけして殺すことではない。他者の否定ではない。
すなわち、超越的なるものの否定ではないのである。
我々がなすべきこと。
それは、超越的なるものを超越的なるものにふさわしい態度で接すること。

哲学的考察に戻る。
けして自らの内に取り込み得ぬもの、思いどおりになしえぬものという意味で、
「尊い」は「〈自−分〉の〈分−際〉を超えている」ということを意味する。
これは端的に表現すると、「〈自−分〉を超えている」ということ。
それゆえ「尊いもの」とは、主観にとって「超越的存在」と言えるだろう。
「尊さ」は「超越性」を含意する。
すなわち「〈自−分〉の〈際〉=〈限界〉を超えている。

※ここで「超越的」という術語についての注意(詳しくは哲学辞典等で調べてください)。
 これはあくまで学術用語としての語であり、簡単には「限界の外に在る」という意味で用いられ、例えば「対象は意識を超越している」(つまり、対象は意識の外にある存在である)というような形で用いられる。

尊い存在とは自分を超えた存在(自分の限界の外に在る存在)である。

【日常生活上の例】
日本には何百年、千年以上も前に建立された神社仏閣が数多くあり、そういうところには樹齢何百年という大木がたくさん残っている。
そういった大木を見上げ、この木が自分の生まれる、それどころか自分の親や祖父や祖母よりはるか以前からここに在り、人間の営みを見ていたということに思いをはせて、畏敬の念に打たれたことのある人も多いだろう。
そういった自らを超えた存在に対して尊さ、畏敬の念を感じるとき、それらをけして自分の自由にしてよいとは思えないはずだ。

近所の空き地というか野原に、木の種類も樹齢もわからないが立派な大木があった。
幹も枝も太く、葉も生い茂り、そこにはいろんな鳥や昆虫がつどい、命がはぐくまれていた。
たぶん、その周辺の家々ができる前からその木はあり、最後に残った空き地・野原だったと思われた。
私の住んでいた部屋からその木が見え、夏の驟雨のときなど、周辺のいろんな鳥が雨を避けに飛んできて、風に揺れる葉の中に身を隠すように太い枝に避難しているのを見たものだ。
ところがあるとき、そこに人間がマンションの駐車場をつくるというんで、その木をあっさり伐採してしまった!
いいのか人間、人間の分際で、自分の都合で、そんなことしていいのかっ!?(笑)

再び哲学的考察に戻る。

命はなぜ尊いのか?
命とは私の存在根拠である。
自分の存在根拠は自分ではない。
自分の存在根拠は自分の内にはありえない。
それは自分の〈外部〉に存在する。
すなわち、私の存在根拠は私を超越している。

私に命があるとき、そのときに限り“私は存在する”
私の存在は私の命に依存している。
いわば私は命のおかげで存在しているのだ。
それゆえ、私の命は、私にとって超越的なるものである。
それは私を超えている。
命は私のものではない。
すなわち私の内=〈自―分〉のものではない。
つまり、命は自分の所有物ではない。
それは母が、またその母が、母たちが、その存在を賭して、
はるか過去から私へとつなぎ届けてくれたものである。
それは〈預かりもの〉〈貸与されたもの〉である。
それゆえ、自分の自由に扱ってよいものではないのである。
それは大切に扱うべきもの、すなわち尊きものなのである。
以上。

知識のある方には明らかだと思いますが、
以上の私の見解は、最近勉強しているレヴィナスの影響が顕著だろうと思います。

これだけ長文を書いた最後に、書くかどうか迷ったのですが、一応書かせてもらいます。申し訳ありません。
「尊さ」とは何かという哲学的問い自体は有意義ですし、だからこそ私は以上の考察を行ったわけです。
しかしながら「尊さ」をいくら哲学的に掘り下げたところで、「なぜ人を殺してはならないのか?」の答えにはならないと私自身は思っています。
理由は批判になるし、スレ主旨から外れるので述べないでおきます。

2年前 No.28

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_eQU

>尊さってなんだろう


端的に言うと、「価値が高い」ということではないでしょうか?

2年前 No.29

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ひこ太郎さんへ

その賢さ、分配してくださいよw



そまてぃっくさんへ

おっしゃる通りだと思います。
「自分がされて嫌なことは相手にもしてはいけない」これ、まさに
共感を教訓にした答えですよね(別にひっかけたつもりはないですw)

自分が苦しい→身の回りの人間も苦しみがあることを知る、ですよね。
なので共感が第一歩として他者との関わり合いがあるのはよく理解しているのですが、そまてぃっくさんの共感を架け橋にするという言葉にちょっと違う味付けをして同じ答えを出してみようと思います。

私は将棋をよく指します。
その時感じるのは相手の思考の尊さと私の思考の尊さです。
将棋というと「戦い」と思われがちですが、個人的にはそうは感じていません。相手の指す手には論理思考に裏づけされた筋道があります。
その筋道を読んで相手のやりたいようにさせないようこちらも筋道を立てて
戦略を練る訳です。つまりこれは端的に言うと思考と思考の呼応なのではないかと考えます。

他との心のやり取りが生じた時はそこに尊さを感じるものだし、また、他の思考に触れそれに呼応する時もやはりそこに尊さを感じるものだと思います。
なぜ、心や思考に触れ合った時に尊さを感じるのか。
それこそ「それらの心や思考は唯一無二のものだから」なのではないでしょうか。

例えるならこの世の中はルービックキューブのようなもので、
あのパズルは、一つの面に9個の同じ色をそろえることが解になりますよね。(すべての面を同じ色にするのは私はできないので除外して考えますw)
私はあのルービックキューブの面の解こそが尊さなのではないかと思います。9個の同じ色を事柄で表してみると
1.生物
2.自然
3.文明
4.文化
5.国境
6.法律
7.水
8.空気
9.太陽からの光

これら9つが合わさって”地球”が成り立っているのです。(要素は9つに限りませんが、ルービックキューブを例えたので9つ並べてみました。)
この面は地球というのが解です。

また別の色だった場合
1.肉体
2.本能
3.心
4.社会的常識や価値観
5.潜在意識
6.生
7.病
8.死
9.幸不幸

これら9つが合わさって”人間”が成り立っているのです。
この面は人間というのが解です。

さて、こうしてみると複数の要素が組み合わさって何か一つのエネルギーを作っていると言えますよね。

一つの生命が生きていくためには、たくさんのエネルギーが働いている訳です。ここまで考えれば「なぜ人を殺してはいけないか」という問いも簡単に答えることができますね。「この宇宙の全体活動を犯してはならないから」でもいいしもっとわかりやすく言えば「地球から見た人間という仲間同士は、永く地球に住むためにも器におさまって共生していくしかない」となります。
ここで言う器とは「一般通念や一般道徳、社会常識、法律」のことです。
そして人殺しはその器にあてはまらないからしてはいけない。
なぜなら宇宙や地球のエネルギーを穢すことになりかねないからである。

とか考えてみました。

結論を述べますが、やはりそまてぃっくさんのおっしゃる通り、人が生きるという選択肢を選びその道を歩む時、
「それらの心や思考は唯一無二のものだからけがしてはならない」となります。

生きるも死ぬも宇宙の意志かもしれないとか思うと寿命が来て死ぬのも悪くないなぁと思います。
だって自分の死が他の生物、あるいは人間を生かす役に立てるのかもしれないのだから。

とここまで話して言っておきますが、私は無宗教ですからねっ

2年前 No.30

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_Xgx

いつも爆発するように、思考するタイプのマジカルですが、
ゆみさんに合わせて書きます

尊さとは、『 崇める、徴、スピリッツ 』が絡むと思います。

よくまぁ立派なスピリットをお持ちで、
それを目印にし、私は生きていこうと思います。
そして、貴方を崇高な存在として認識します。

的な感じでしょうね。
言ってみれば、下手したら私の命よりも重いのではないか?と思わせるものです。
敗北宣言といっても良いでしょう。
尊い存在を発見できれば、自由を感じられると思います。

2年前 No.31

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ふくろうさんへ

実は、ふくろうさんの回答を先に読んでしまうと、自分の考えがぶれると思って後にまわさせていただきました。
ふくろうさん・・・素晴らしすぎます。

やはり後に回して良かった(笑)

ふくろうさんの書かれた言葉ひとつひとつが心にすっと入りました。
素晴らしすぎて、それ以上の感想が出てこないですw

ただ、一つ気になったのは、尊さが人を殺してはならない理由ではないとおっしゃっていましたが
なぜでしょうか。

もしよろしければお聞かせください。よろしくお願いします。


マジカルモンキーさんへ

爆発されても良いのですよ!ただ、私の文章は簡単な言葉をつむぐぐらいしかできないので、
なかなかその起爆剤とはなりえないのでしょうけれど、その点に関してモンキーさんにもみなさんにも申し訳なく思っています。

モンキーさんの”下手したら私の命よりも重いのではないか?と思わせるもの”という部分がとても気に入りました。
でも一つ質問があります。
”尊い存在を発見できれば、自由を感じられると思います。”のはなぜですか。
教えていただけますでしょうか。よろしくお願いします。

2年前 No.32

百理 ★5n9Jhh5DYh_jAc

Coffee break

ゆみさん・・どれが一番尊いと思いますか?


@まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の
 林檎(りんご)のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛(はなぐし)の
 花ある君と思ひけり


A仰げば 尊し 我が師の恩
 教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
 思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
 今こそ 別れめ いざさらば

B春風の扉開けば 南無阿弥陀仏

2年前 No.33

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

百理さんへ

一番詩的だなと思ったのが@です。
尊さよりどちらかというと、可愛らしさを愛でる気持ちや花という言葉から儚さを感じました。


みなさんへ

実は >>30 に書き込みをしている最中に尊さに対する自分なりの答えが自然に出てきて勢いでそのまま書いてしまいました。
それでもまだまだ尊さについて論じたいし、みなさんの意見を伺いたいです。
また、私への批判や指摘もまったく構いませんし、他の方が他の方へ指摘することもなんら問題はないと思っております。
ただ、みなさん紳士的な方ばかりなのでまったく問題ないと思うのですが、煽り行為や自身を優位に立たせたいという感情からの論破はおやめください。どうぞ宜しくお願いします。


尊さについてまた例えが出てきました。
【尊さ】赤ん坊を穢してはいけないという気持ちのこと。
辞書の例えにならないかしら(なるわけないw)

2年前 No.34

悪魔ちゃん ★30JjgxOVKX_ZFe

〉30

哲学掲示板では、「エネルギー」といえば、ゆにこさんが得意みたいよ。

ゆみさん、参考までに。

2年前 No.35

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

悪魔ちゃんへ

情報あざーーっす^^

2年前 No.36

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

>>32  ゆみさん

期待以上にほめてくださり、ありがとうございます。
でもまあ調子よすぎるんで、何かダマされてるんじゃないか、ぐらいに思っておられたほうが無難かと^^
正直、論理的飛躍がないようにとはいつもの習性で一応気を付けましたが、
ダーッと一気に書いた文章ですから穴が心配…(笑)

>ただ、一つ気になったのは、尊さが人を殺してはならない理由ではないとおしゃっていましたが、…


という質問の件ですが、正確には「理由ではない」と言ってるのではありません。
というか、もちろん理由ではあるのですが、この「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いを発する人に対しては、説得できる答えにはならないだろうということです。
ごく簡単に言うと、「人の命が尊い」ということがわかっている人はそもそもこの問いを発しないし、逆にこの問いを発する人はそもそも「人の命が尊い」ことがわかっていないのだから、そのように答えたとしても説得できない、ということです。

もう少し詳しく説明しましょう。
「命が尊い」はてじさんが述べたように、「大切にすべきもの」であるし、さらに言えばそれは「自分の思い通りにしてはならないもの」だと言えます。
だから、当然殺すことは人の命を自分の思い通りに否定することなので、いけないわけです(ですから、ちゃんとした理由ではあるのです)。
したがって、命の尊さが分かっている人は「大切にすべきもの」であることもわかるし、「自分の思い通りにしてはいけないもの」ということもわかるし、それゆえ「殺してははいけない」ということがわかるでしょう。
問題は、だからこの問いを発すること自体が、その質問者が「命の尊さ」を分かっていないということを意味するということです。
つまり殺してはいけないことがわからない人は「命の尊さ」がわからないからそれを問うのだし、「命の尊さ」がわからない人は「命は大切にするべきもの」であることもわからないし、かつ、「自分の思い通りにしてはならないものだ」ということもわからないのです。
だから、「尊さ」の意味を哲学的に分析して、「尊いとはPということだ」という、普段意識することのない「尊さ」の本質的意味を明示できたとしても、「尊さ」を理解している人には理解できますが、「尊さ」が分からない人にはやっぱり理解できません。
そして理解できる人は、「尊さ」を掘り下げて説明するまでもなく「人を殺してはならない」ことが理解できる、この問いをそもそも発しないということです。
したがって、「尊さ」の意味分析をいかに哲学的に深めたところで「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いの答えにはならない、質問者を納得させることはできないと思うのです。

ですから、私自身は、「人をなぜ殺してはいけないか?」の答えは、私が別スレで提出したような、質問者を説得できようができまいが関係のない、いわばガチガチに形式的なものでなくてはならないものと考えています。

以上がゆみさんからの質問に対する答えです。

あと、メモの件ですが、このテーマだと、やはり倫理学を学ばれるのがいいのではないでしょうか。
今、ちょっとアマゾンを倫理学で検索してみましたが、手に入れやすいものでよさそうなものがいろいろ出ているようです。
残念ながら私自身不勉強なので、責任をもっておすすめできる自信はありませんのでやめておきます。
いわゆる業界事情というか、著者がどういう人かについてある程度詳しくなると、本の著者からその立場やアプローチの仕方、まともかどうかなどの予想もつきやすく、また情報を得るのも上手になりますので、ハズレを引くことも少なくなると思いますが、こればっかりは場数を踏むしかないでしょうね。
まあそれでも、一般向けのプロの哲学者が監修だけして実際はライターが書いたような本は避けたほうがよく、著者自身が大学の先生のものにされたほうがよいと私は思います。
ただ、哲学の場合どの分野でもそうですが、いろんな立場・学派があって、定評のある教科書これ1冊をみっちりやれば基本はバッチリ、というようなものはないと思います。
したがって、入門書レベルでも相当数のものに当たられて、自分に合うアプローチをとっているもの、ここに自分の求めるものがある気がすると思えるようなものを見つけることが必要だろうと思います。
あまり大したアドバイスができなくてすみません。

2年前 No.37

てじ @flyonbody ★ZkiDndseok_Ew9

大切にするとは、守ることです。

何かを守るということは、その何かを自分の都合に合わせるのではなく、自分をその何かの都合に合わせることです。

例えば、自分で決めたルールを守るということは、その時々の自分の気分でそのルールをねじ曲げず、そのルールによって自分の行動を自己規制することです。
例えば、歓待において客を守るとは、自分や他の有力者よりも客を優先させるということです。優先させるということは、何かをするにあたってまずそれのことを考えて、それのためにどうするかと考えて行動してゆくことです。そのときの行動に名前を付けるとしたら、それは「客を守る」という行動であって、この主要行動のうちで様々な行為がなされますが、それらの諸行為は全て守護の一環となるわけです。

これが >>28 で言われている「自分の思い通りにしてはならない」ということの内実です。

そして「自分の自由にするべきでない」という消極的な表現を積極的表現で言い表わすと「それ自身の存在にふさわしい扱い方をする」となります。

大切にするとは、自分の都合に合わせて対象をその対象にふさわしくない在り方へと堕せしむることなく、その対象の本来の在り方を考えて、その本来の在り方から、自分自身の行為に対する制限を汲み取ってきて、自分自身をその対象にとって相応しいものとなすことです。

大切にするとは、一見したところ、相手を想って自分で自分を抑えることであるようにみえます。

「なぜ人を殺してはならないの?」という問題に答えが出せないのは、「人を殺してはならない」という行動制限を課すのが結局のところ究極的には自分自身であるからです。
この問は、自己の行為の制限の理由を尋ねる問のひとつです。
そして、自己の行為の制限の理由は、究極のところは、禁止命令に自己が自己自身から効力を承認するからにほかなりません。知らないうちに承認させられてしまっているのであっても、他からの遂行命令に反して敢えて禁止命令の方を選択するのであっても、やはり承認であることには変わりありません。

だから、尊いものに対するにあたっては、責任という問題が生じてくるのです。もしも尊いものが無条件的に強制的に人間を「その尊いものを大切にするように」という指示に服させるならば、責任や義務という問題は出て来ません。事象それ自身の本来の在り方に呼応するかそれを蔑ろにするかという可能性があるところでのみ、責任と義務が問題になります。

ひとを殺してはならない理由は、「…だからだ」と外的理由によって提示できるものではないので、「尊さ」をいくら哲学的に掘り下げたところで、「なぜ人を殺してはならないのか?」の答えにはならないのです。( >>28

むしろ答えは「あなたが現にそういう自分の在り方を選ばされているからだ」という風になるでしょう。もっと言うと「君が自分で自分を縛っているのだ」ということになります。しかし自分ルールで自分勝手に自分を縛っているということではなく、自分を縛るのに使われている制限はものの存在に則っています。「こういうときにはそういうことをするものじゃない」とか「これこれはこういうものだ」という事象の在り方によって自己を縛っています。こうした自己束縛の開放は、そうした束縛自体を解除することによってなされるのではなく、別な事象の在り方に即することによってなされます。…「戦争というのは敵兵を殺すものだ」…敵前逃亡は軍人としてあるべきでなく、自分の仕事に相応しい在り方ではありません。しかし、自分の殺人を戦争の所為にすることはできない。その在り方は究極的には自分で自分に割り当てた在り方であるからです。

全ては許されている、ということは、現に許されていないものとして通用しているものをそのような許されざるものとして通用させているのは本当は自己自身だということです。事実として許されないことはあるけど、その許されなさの根拠は、実は自分自身が担わなくてはならないものだということです。

しかし、この話は明らかに一面的です。

私たちはあらゆるものに屈服するわけでもないし、あらゆるものに自己の行動の制限権を委ねるわけでもないからです。

大切にしたいものと言えば、自分が愛しているものです。

これは愛おしさです。

尊さは、大切にしたいと思うべきものですから、尊さのうちには愛おしさがすでに含まれています。

ここで好意の感情が関わってきます。

2年前 No.38

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ふくろうさんへ

丁寧な回答ありがとうございました。そうですよね、人を殺してはいけないと思っている人はそもそもそんな質問はしないし、
そういった質問をする”人の事を何とも思っていない人”に尊さをいくら説いたところで、それは伝わらないという壁がありますよね。
とても納得しました。
でもみなさんの回答から、どんどん想像力が膨らんできて、”実際そういう質問をされた時の対処法”が自身の中でわいております。
本の選び方まで教えてくださってありがとうございます。


てじさんへ

愛おしさの説明からもっと話が展開しそうですね。もし続きがあるならテーマから少しずれたとしても書いてくださって構わないですよ?

ふくろうさんもてじさんも他の方もみなさん的確な回答でどれも納得できてうれしいです。

2年前 No.39

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

>>0

ゆみさん

尊いの反対は卑しいです。

人間がどんなに卑しい人でも殺してはいけないと思いませんか?

2年前 No.40

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

百理さんへ

>人間がどんなに卑しい人でも殺してはいけないと思いませんか?<
思います。どんなに卑しい人でも人を殺してはいけないと思います。
これは、ふくろうさんの以下、
>ごく簡単に言うと、「人の命が尊い」ということがわかっている人はそもそもこの問いを発しないし、逆にこの問いを発する人はそもそも「人の命が尊い」ことがわかっていないのだから、そのように答えたとしても説得できない、ということです。<
という言説に対しての反論というか、反意ととらえてよろしいのでしょうか。

私はふくろうさんの言説は、「世の中には説得できない人種もいる」ということをおっしゃっているように思え、
確かにそういった人種はいる、と思いました。ただ、私のスタンスは仮にそういう人がいたとしても、
自分なりの考えをその場で伝えられるようになりたいと思い、このスレッドを立てた次第でございます。
なので、卑しい人を切り捨てて生きる、ではなく、卑しいというか人の命の尊さがわからない人に対しても、
きちんと答えを用意しておきたいと思っています。

2年前 No.41

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ゆみさん

尊いと言う言葉は、何か下に卑しいものがあって尊いと言うと思いませんか?

私は2歳から肉を食べる人間は悪人だと思っていた人間です・・肉を貪り食べる人間に尊いとは思えません・・

2年前 No.42

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

百理さんへ

>尊いと言う言葉は、何か下に卑しいものがあって尊いと言うと思いませんか?<
それは思いませんでした。尊さを実感するのに身分差のようなものを思い浮かべることが一度もなかったので。

>私は2歳から肉を食べる人間は悪人だと思っていた人間です・・肉を貪り食べる人間に尊いとは思えません・・<
それは別に悪いことじゃないし、世の中には百理さんだけでなく百理さんと同じように考える人もいるでしょう。
でもどんな人も「命の尊さ」を持ってこの世に生まれて生きていると思いますよ。

2年前 No.43

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ゆみさん

ゆみさんの肉体も魂もいじめて唾を吐きかけゆみさんに石を投げる人をゆみさんは尊い命と思えますか?

2年前 No.44

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

百理様、あまりからかうと、泣いてしまうかもしれませんよ。
彼には彼なりの生き方があります。

2年前 No.45

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ヒコ太郎さんったら

私が悪魔ちゃんたちにからかわれていても知らん顔しているのに・・

2年前 No.46

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

百理様、いやまあ、あの方は悪魔ですし・・・

2年前 No.47

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

逆に、悪魔が人をいじめて何が悪いのですか?
悪魔なんだから自然なことだと思います。
私には悪魔然とした悪魔を批判する所が見当たりません。
私はどちらかというと天使なので争いを好まないので。

2年前 No.48

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ヒコ太郎さん

マスコミに堂々と罪悪感のない人が多く出て来たみたいです・・

人間の悪や卑しさに不感症・・

2年前 No.49

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

百理様

罪悪感がないのは、善人だからでは?

2年前 No.50

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ヒコ太郎さん

天邪鬼さんみたい・・(笑)

2年前 No.51

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

天邪鬼にも人権はありますか?

2年前 No.52

百理 ★5z6bVAmgS3_VuR

ゆみさんのお邪魔をしてはいけませんね・・退散します・・

ヒコ太郎さん後はごゆるりと・・

2年前 No.53

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

いや、そんなつもりでは・・・

2年前 No.54

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ヒコ太郎さん

o□ amogha vairocana mah□-mudr□ ma□i-padma-jv□la pravartaya h□□
オーン アモーガ ヴァイローチャナ マハームドラー マニパドマジュヴァーラ プラヴァルタヤ フーン

2年前 No.55

百理 ★5n9Jhh5DYh_VuR

ゆみさん

@春風の扉開けば 南無阿弥陀仏

A春風の扉開けば 天使とお父様

B春風の扉開けば 南無妙法蓮華経

C春風の扉開けば 百花の乙女たち

どれが一番尊いと思いますか?

2年前 No.56

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

百理さんのクイズ、正直わからないですw

2年前 No.57

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★iPad=jQ8rt5As0r

人の命が尊いとされているのは、人には個性(主体としての独自の性質)があり、それが他の主体では代替できないものだからではないだろうか?

つまり、

個人個人の命は、この世で唯一無二のもの だから。

2年前 No.58

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

Mobiusさんへ

書き込みありがとうございます。”唯一無二のものだから尊い”←納得です。
ただ、あまり持ち出したくなかったのは、”では、動物は?”という問いです。

どう思われますか?

2年前 No.59

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

動物がどうしたんですか?

2年前 No.60

ザビビのふくろう ★Android=cdZmIVbAmb

ゆみさん

>>37 で、「人をなぜ殺してはならないか」ということを理解させるために、
その理由である「命の尊さ」をいくら掘り下げても、この問いをなす者を納得させることはできない、ということを私は言いました。

しかもいかにも自信ありげにご託宣のように述べ、あなたにも納得したと言ってもらったのにもかかわらず言いにくいんですが、
違った見方もありかな?という気がしてきました(笑)
というのは、この善悪という倫理的「よし・あし」を、芸術作品や文学作品における価値としての「よし・あし」に置き換えてちょっと考えてみたのです。
そうすると、「倫理的よし・あし」は「なぜよいのか、わるいのか?」という疑問が出されるのに対して、
「芸術的価値」ではむしろ「どこが(何が)よいのか、わるいのか?」と言われるほうが多い気もしますので、これらの間に看過できない相違があるかもしれませんが、
さしあたりそういった違いは捨象して措いておき、「よし・あし」という形式的共通性で捉えて類比してみたのです。

>>37 での考えを芸術の価値の理解に置き換えると、私の考えは要するに、
芸術作品を実際に見たり読んだりしたのにその価値が理解できないものに対して、
「なぜこの作品(のどこ)が素晴らしいか?」
をいくら説明したところで、わからない者にはわからん。
したがって説明などしても無意味
という、まあ身も蓋もない考えだと思うんですね(笑)。
しかし、こういった考えの背景には、芸術的価値は説明されるべき、語られるべきものではなく、
作品自身が“示す”以外にないものだ、という考えがあると思います。
ですから、芸術作品が「説明的である」というのは低評価を意味します。
例えば「説明的な詩」って、ほとんど語義矛盾のような気がしませんか?
こういった芸術作品の価値に関する考えは、それ自体では妥当な気もします。

しかしながら、現実では、こういう経験がないでしょうか。
自分が最初その価値に気づけなかった作品を大変評価している人が、その作品の魅力・価値を力説しているのを聞いて、「あっ、そんな観方もあるのか」、ということに気づいたとき、それまでとは全く異なった姿で作品が見えてくること。あたかも反転図形のゲシュタルト(アスペクト)転換が生じたかのようにですね。
そしてそのとたんこれまで何の魅力もなかった作品が大変素晴らしいものとして味わえるようになったというような経験。
たとえば詩などでは、黙読していてもわからなかったよさが、音読するとわかってくるとか。
その私の作品の観方に変化をもたらした「説明」というものがどういうものか、作品評価において低評価語としての「説明的」と言われる場合の「説明」と同じか否かということは問題でしょうが、
少なくとも、ある作品の「よし・あし」についての説明が、その価値を理解することのたすけとなる場合がありうる、ということは言えるように思います。

そうすると、これと倫理的「よし・あし」を類比的にとらえた場合、同様に「なぜ命は尊いか」ということを誰かが語ることによって、命に対する観方が変化して、「確かにそうだな」と思えるようになる、ということもありかなと(笑)
おそらく、ゆみさんは最初からこういった考えに基づいてこのスレを立ち上げられたのでしょうね^^

その一方で、私の行ったような「命の尊さ」についての考察が、
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
が実感として理解できない者にわかるのか?っていうと、やっぱり疑問な気もする。
うーむ、悩ましさがのこってしまうな、弱った(笑)
まあてじさんが考察を深めてくれていますので、
とりあえず一人相撲は終了します、失礼しましたm(__)m

2年前 No.61

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>「倫理的よし・あし」は「なぜよいのか、わるいのか?」という疑問が出されるのに対して、
>「芸術的価値」ではむしろ「どこが(何が)よいのか、わるいのか?」と言われるほうが多い気もします

これは、根拠ありますか?気がするだけ?

2年前 No.62

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

それともうひとつ、

>「なぜ命は尊いか」ということを誰かが語ることによって、命に対する観方が変化して

ふくろうさんは命というものを見たことがあるのですか?私はありません。
芸術作品なら見た事がありますが。
見たことがないものについて、見方を論じる意味あります?

2年前 No.63

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

相撲の練習の邪魔してすみませんね。
どすこい!

2年前 No.64

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_eQU

>>59 ゆみさん、

>”では、動物は?”という問いです。


(ありきたりですが、)
ペットは、取り換えができない「唯一無二」のものだと思います。
私は、ジョンという犬(ウェルシュコーギー)を飼っていたのですが、いくら同じ種類の似たような外観と性格の犬を連れてきても、ジョンの代わりにはなりません。


例えば、人間を家畜的な目的で飼育する宇宙人が居たとしたら、その宇宙人にとって 人間の命は 家畜と同程度の扱いになると思います。

2年前 No.65

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

Mobiusさんへ

野良猫や野良犬にも同様の尊さを感じますか?
もし人と同じなら、人が殺されそうになっていたら110番するなり助けようとしますが、
野良猫等が人間に殺されそうになっていたら、110番して助けようとしますか?

2年前 No.66

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

人の命は尊い。って当たり前のように言われていますが、何故そう思うのかについて議論されることってありませんよね。

前提として、誰しも自分の命は自分にとって尊いと感じていると思います。
奪われたくないし、幸せになりたい。そう願わない人は通常、いませんから。

でも私には命の尊さは人によって違うように感じます。

例えば、母親と塾の先生
例えば、友達とSNS上の友達
例えば、自分と地球の裏側の100人

どっちが尊いと思いますか?

こうやって命の重さを比べた時に、道徳的(?)に見れば「全ての命は尊い」と言ってしまいがちです。
けれど、実際には自分にとって尊いのは自分と近しい関係にある者達になります。

何故、自分に近しい人の尊さしか人間は理解を示しえないのか、について私はこう考えます。

人の想像力は有限で、決して見ず知らずに人を本気になって感情移入出来たりしません。
顔を見て、話をし、耳を傾けて初めて相手の事をリアルに感じられるます。
相手が自分と同じ人間なのだと知って初めて、自分と同じ尊さを持つと知るからです。

その人が現実に同じように生きているという共感が他人の命の尊さになります。

戦争で大勢の命を爆撃で奪うのよりも、目の前の人を一人殺すことのほうが難しいとも聞きます。

なので尊さは想像力、共感力の賜物だと思います。優しさともいうのでしょうか。
なぜ人を殺してはいけないのかについては、自分と同じように人の命も尊いからという答えです。

2年前 No.67

ぞう @ryu1321 ★iPad=b2TvDwq83l

相変わらず百理が議論ぶち壊してるな。
しょうもねえ掲示板だ。

2年前 No.68

うどん粉 @levinas ★gVURwKBNCQ_R9r

人は気を抜けば堕落するほど罪深い。
しかしそれでも誰もが幸せになれる。
その意味で人の罪深さは、赦されている部分がある。
そこには慈悲や愛のような何かが存していなければならない。
あたかも親が子を愛するように。
だから尊さは、幸せになる可能性に存しているのではないか。

(一対多で大変でしたら、スルーしていただいて構いません)

2年前 No.69

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ぽすとさんへ

ご意見ごもっともだと思います。でも自分と近しい人間はそれでいいとして、遠い存在だったら命を奪っても構わないのかという問題が残ってしまいます。


うどん粉さんへ

幸せになる可能性を指して尊さと呼ぶのですね。素敵なご意見だと思います。また、親が子を愛するような慈悲や愛を家族以外の人間に持つにはどうしたら良いのでしょうか。

2年前 No.70

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

ゆみさん

非難を覚悟で書きます。社会の建前を抜きに。
私は遠い存在ならば殺しても構わないと言っています。
牛や豚など毎日食べていますし、死刑宣告のニュースも「またか」って感じです。3・11の次の日も学校で笑っていました。
凶悪犯罪者は死んで欲しいと思っています。本気で殺したい人だっています。死ねばいいのにって思う人はさらにいます。

実際、「遠い存在ならその命は、『自分にとって』尊くない」のです。
さらに言うと「自分と自分の仲間だけが尊い」のです。

でもそんなこと言ってしまうと殺しがまかり通ってしまい、社会が維持できませんよね。
社会が許可したも殺し以外禁止というルールが出来たのです。おそらく群れの時代に。
時代によって違いますし、有事か平時の時でも相当変わりますから、所詮お約束です。そしてほとんどの人は現在の「人の命は平等に尊い」というお約束を守っているのです。
ただそれだけに過ぎないのです。

そんな概念を捨てて、私は「自分にとって」の尊さを大切にしています。
だからせめて私は想像力=共感力の及ぶ範囲を広げたいと思います。たくさんの尊さを感じ取れるように。

以上、私の意見でした。

2年前 No.71

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>>71
殺しがまかり通ると社会が維持できないのに尊くないんですか?
頭が悪くて尊さに気づいてないだけでは?
私がぽすとさんだったら、そんなこともわからない自分が尊いなんて、とてもじゃないが思えないな。

非難を覚悟してるみたいだから、適当に非難しました。あしからず。

2年前 No.72

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

>>72

「社会を維持するために必要な要素だから命は尊いだろうよ、違くないか?」という事でヒコ太郎さんの反論は合ってますか?

社会を維持するために社会が命は尊いと決めたので、社会にとっては基本的に尊いです。でもそれは所謂「お約束」です。
流動的だしご都合主義だし、時には一億玉砕なんて言われたりもします。尊さの乱下が激しすぎませんか?

私は命の尊さは社会システムに依存していないと思っています。だから社会どうこうはあんまり関係ありません。


あと、そんなに怒んないで・・・(´・ω・`)

2年前 No.73

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

ぽすとさん

>そんなに怒んないで
わかりました。そういうことなら、仏の心で非難します。

>命の尊さは社会システムに依存していない
でも、あなたの命は社会に依存してますよね?
社会に依存しない自給自足の方だったらすみません。

2年前 No.74

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ぽすとさんへ

質問攻めで申し訳ないのですが、私からも質問があります。

>「自分と自分の仲間だけが尊い」のです。

とのことですが、これって突然目の前に現れた人間つまり主観的に見ている”あなた”という存在はどう処理しますか?

2年前 No.75

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

>>72

自給自足は私の夢です!!あと気遣い感謝です。ただの悪口は勘弁でしたので・・・

>でも、あなたの命は社会に依存してますよね?
確かに私の命は社会に依存しています。社会が機能しなくなれば私の大好きな漫画を読むことどころか、掲示板に書き込んだりも出来なくなり、挙句の果てに死んでしまうかも。
でもそれだと何故、命の尊さが社会システムに依存している事になるのですか?

あと申し訳ないですが、もう少し丁寧に何を疑問に思っているのか教えてもらっても良いですか?
注文多くてすみません。もしアレなら、仏の心の方はやめていただいても構いませんので・・・。

2年前 No.76

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

>>75

ゆみさん


「私」を見る人それぞれによって尊さは違います。
親が私を見れば、そりゃあ尊いですよね。
時代錯誤の人種差別主義者が私を見れば、尊くはないですよね。

「私」の尊さは不変ではありません。同時に観察者の数だけ「私」の尊さが存在します。

という考えです。質問の答えと合ってますか?

2年前 No.77

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ぽすとさんへ

すみません、私の質問の仕方が悪かったのか、回答が質問内容から少しずれているように感じます。
私が聞きたかったのは、自分の仲間内だけじゃなくて、目の前に突然現れた人の扱いはどうしますか?という問いです。

2年前 No.78

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

ぽすとさん

>あと申し訳ないですが、もう少し丁寧に何を疑問に思っているのか教えてもらっても良いですか?
丁寧な説明、してもいいですが、読むの面倒くさいですよ?
自分が尊いと言う割に、何故面倒なことをやりたがるのか不明なんですが。
普通尊い人間に面倒事は押し付けませんよね。
これも「社会のお約束で私の考えと違う」と言われればそれまでですが・・・。(笑)
まあいいでしょう。
私の疑問は次のようなものです。

ぽすとさんは、
>「自分と自分の仲間だけが尊い」
とおっしゃいました。
このときの「自分」とは「ぽすとさん」という意味ではなく、一般的な意味での「自分」のことですよね。
まずそこは押さえていただきたい。
次に、
>私は「自分にとって」の尊さを大切にしています。
このときの「私」はぽすとさんのことで、「自分」とは一般的な意味です。

スラム街のならず者のAさんは、「自分と自分の仲間だけが尊い」とは思っていない。
「貴族が尊い」と思っている。
Aさんの「自分にとって」の尊さとはそれである。
ぽすとさんは、スラム街のAさんの「貴族が尊い」という尊さを大切にしていながら、
一方で、「自分と自分の仲間だけが尊い」とAさんを諭すことになる。

つまり、ぽすとさんは何が尊いかについて矛盾したことを主張しているのではないかという疑問です。



>でもそれだと何故、命の尊さが社会システムに依存している事になるのですか?
ぽすとさん、申し訳ないですが、もう少し丁寧に何を疑問に思っているのか教えてもらっても良いですか?

2年前 No.79

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

ゆみさん

すいません、完全に別の捉え方していました・・・!恥ずかしい

質問の答えです。
最初は見知らぬ人としての尊さしかありません。通りすがりであればすぐに忘れます。喋ったら少しだけ尊く思います。
道で死にかけていたら助けます。転んでいたら見て見ぬふりです。

目の前の人だってそれなりに尊いですよ。

2年前 No.80

エクソシスト ★7yZaYHsjVi_Ew9

>>79
ぽすとさんは、
「命」は社会に依存しているけど、「命の尊さ」は社会に依存していない、という意見なんだと思います。

2年前 No.81

ゆみ @yumi2017 ★SnhLjq9eSs_M0e

ぽすとさんへ

>道で死にかけていたら助けます。<
ですよね。命を助けようとするというのはまさしく人間すべて等しく尊いからだと言えませんか?
つまり、ぽすとさんのお話には自分に近い人間に何か特別に思い入れをして、遠い人間の事は放っておくということですが、
実際問題死にかけているところを助けようとする訳ですから、助ける・助けないで言えば助けるという選択をしている時点で
(仲間内だって道で死にかけてたら助けますよね)同様に等しく尊いと言えませんか?

2年前 No.82

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

ヒコ太郎さん

>ぽすとさんは、スラム街のAさんの「貴族が尊い」という尊さを大切にしていながら、
>一方で、「自分と自分の仲間だけが尊い」とAさんを諭すことになる。

確かに矛盾ですね。
私の尊さは「自分とその仲間たちが尊い」を無理矢理に一般化したのは間違いだったかもしれません。
スラム街のAさん、たくさん居ますもんね、居ましたもんね。



>「でもそれだと何故、命の尊さが社会システムに依存している事になるのですか?」
>ぽすとさん、申し訳ないですが、もう少し丁寧に何を疑問に思っているのか教えてもらっても良いですか?

確かに私は社会によって生かされています。ですが、体が依存ているからといって社会に命の尊さが依存していると思わないのです。
社会に必要ない人間の命は尊くないのですか?例えば、私が自給自足していたら私の命は尊くなくなってしまいます。困る。
だから命の尊さが社会システムに依存している論拠を知りたかったのです。

2年前 No.83

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>>81

でもその説明だと疑問ではなくて意見ですよね。
?マークが付いているので違うと思います。
丁寧でもないですし。
意味もわかりませんし。

2年前 No.84

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>>83

ぽすとさん

尊さとは何ですか?
私が指摘した矛盾が偶然にも正しかったようで、
ぽすとさんは今尊さを定義していない状態ですので、
文章の意味がつかめません。

2年前 No.85

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

ゆみさん

苦しいのが想像できるからです。
目の前で大変な目に遭っていたら、「もし自分だったら辛いんだろうな・・・、可愛そうだな・・・助けよう。」ってなります。
ピンチに立たされてる現場を見ないと心はあまり痛みません。
見たら、私も痛い思いしたことあるんで相手の痛みは想像できます。

「助けよう!」ってなったら見知らぬ人は私の中で尊い人になります。もう仲間ですから助けた後二人でカラオケにでも行きます。

2年前 No.86

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

ヒコ太郎さん

尊さとは「個人にとって尊いと感じたもの」と定義させて下さい。
心理的距離の近いものに尊さを感じ、心理的距離が遠くなるのにつれて尊さを感じ難くくなる。ということです。
そしてその心理的距離を埋める方法が、
1、話すこと、聴くことなど(身体的なアプローチ)
2、相手を自分と同じ人間だと思い想像すること(精神的なアプローチ)
なのだと私は考えています。

あとせっかく詳しく疑問を提示してくださったのにすみません。
「命の尊さが社会システムに依存している論拠は何ですか?」という事を訊きたかったのです。

2年前 No.87

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

ぽすとさん

わかりました。
>尊さとは「個人にとって尊いと感じたもの」
という方向で話を進めさせていただきます。

まず、
>心理的距離の近いものに尊さを感じ、心理的距離が遠くなるのにつれて尊さを感じ難くくなる。
というのは、例えば
「心理的距離によらずあらゆるものに全く尊さを感じない」
人がいるかもしれないので、この「心理的距離」は尊さとは無関係です。

次に、
>命の尊さが社会システムに依存している論拠は何ですか?
個人の感性の話をされているのであれば、
依存している場合もあれば、依存していない場合もあります。
尊さを「個人にとって尊いと感じたもの」と定義したときにあえて論拠を示すならば、
私が命を尊いと感じるかどうかが社会に依存しているからです。

2年前 No.88

Mobius @mobius☆iuWFdm42ChI ★etljaCOMxB_eQU

>>66 ゆみさん、

>野良猫や野良犬にも同様の尊さを感じますか?

>もし人と同じなら、人が殺されそうになっていたら110番するなり助けようとしますが、

>野良猫等が人間に殺されそうになっていたら、110番して助けようとしますか?


野良猫や野良犬の命と人の命は、尊さという点で同じではありません。

私は、 >>65 で「ペットの命は 飼い主にとって唯一無二のものだが、家畜の命は そうではない」ということを言っているつもりです。
野良猫や野良犬の命は、“唯一無二性”という意味合いにおいては家畜と同様と思います。

2年前 No.89

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

ヒコ太郎さん

おはようございます。

>「心理的距離によらずあらゆるものに全く尊さを感じない」
>人がいるかもしれないので、この「心理的距離」は尊さとは無関係です。
当然、いるとしたら無関係です。ですが私が話しているのはあくまで一般論としての話です。

>尊さを「個人にとって尊いと感じたもの」と定義したときにあえて論拠を示すならば、
>私が命を尊いと感じるかどうかが社会に依存しているからです。
社会がヒコ太郎さんの尊さの判断を担うのですね。戦時には躊躇いなく人が殺せるんですか。その場合人の命は尊くなくなりますね。
でも私はそんな生き方嫌ですけど、否定はしません。
むしろ認めないわけにはいきませんよね、命の尊さが社会システムに依存いている人、実際いるので。

そして、もういちど引用します。
>「心理的距離によらずあらゆるものに全く尊さを感じない」人がいるかもしれないので、
と言いましたね。
ヒコ太郎さんは当てはまらない人を現時点で知らないので、つまりご自分が当てはまっている事になります。よろしいですか?
という事は「ヒコ太郎さん論+ぽすと論」がピコ太郎さんの立場ですよね。
二つの論理が同居している状態です。そして私はこの状態が矛盾するものとは思いません。

「私は命の尊さは社会システムに依存していないと思っています。」と言いましたが、それ以外を認めないわけではないからです。
先ほど無理矢理な一般化は間違いだと諭されたばかりですので、少し考えを柔軟にしました。
他の基準が共存する事もあれど、どんな人も心理的距離を尊さの判断材料にしていると主張します。

2年前 No.90

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>「ヒコ太郎さん論+ぽすと論」がピコ太郎さんの立場

ぽすとさんが個人の尊いと感じるものが尊さだというので、
その立場から意見を述べただけです。
「ヒコ太郎さん論」は全く入っていません。
ぽすとさんに向かって持論を展開したところで、無意味ですし。


>でも私はそんな生き方嫌ですけど、否定はしません。
>むしろ認めないわけにはいきませんよね、命の尊さが社会システムに依存いている人、実際いるので。

私はぽすとさんのご質問にお答えしただけです。
ただの感性ですので、ぽすとさんが認める、認めないという話ではありません。
あなた、何様?


>他の基準が共存する事もあれど、どんな人も心理的距離を尊さの判断材料にしている

「どんな人も」というのは、何故ですか?
よほど強い理由がなければ、「どんな人も」とは言えませんよね。
何か理由があると思うので、説明してください。

2年前 No.91

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

ぽすとさん

私は不勉強ですので、このままお話していても埒が明かないかもしれません。
正統哲学を学んでから、I'll be backするので、そのときにいらっしゃれば
またお話に付き合っていただければと思います。

>>91 の質問に関しては、素朴な疑問なので、お答えいただければと思います。

2年前 No.92

ぽすと ★ckOnBZ96JU_yFt

ヒコ太郎さん

「私の理屈に当てはまらない事例もあるということを私は認めなければ」といった意味で言いました。他意はございません。

質問について。

共感能力や想像力を全く欠いた人を、私は彼らの事を普通に人間らしいと思えないのです。
特殊なケースとして扱うべきかと思っています。
誰でも(健常者)という表現になりますね。

しかし社会の価値観なんか信じない的な事を言いながら、差別的な意識がなかなか抜けないのはショックですね・・・。



ひとつお詫びをさせて下さい。全く後悔はしていないですが、迷惑とお手数をかけたので謝ります。すみません。
私の言葉が度々ヒコ太郎さんの神経を逆なでした感触がありましたので、それにつきましても、すみません。煽るつもりの言葉は本当にごく僅かでした。
そして貴重な時間を割いていただき心から感謝です。お付き合いいただきありがとうございました。

2年前 No.93

ヒコ太郎 @hikotarou ★agBjffSqMl_giC

>共感能力や想像力を全く欠いた人を、私は彼らの事を普通に人間らしいと思えないのです。(中略)
>差別的な意識がなかなか抜けないのはショックですね・・・。
なるほど。私もそれは差別的だと思います。
何がショックなのかは全く共感できませんでした。

>神経を逆なでした感触がありました
そんな感触があったんなら次からは順撫でしてください。

では、ありがとうございました。

2年前 No.94

テトラポット ★uYlgxxkTM1_R9r

>>0

感覚でしか分からないのですが、、
なんの罪もない1000人を1人の犠牲で救うことができる場面があったとして
@A君は見知らぬなんの罪もない人を1人犠牲にして1000人を救いました。
AB君は自分自身を犠牲にして1000人を救いました。
共に傍から見れば1000人を1人の犠牲で救ったことに変わらないんだけど普通B君を尊びますよね?A君のことも尊ぶ人もいるとは思うから多分正解じゃないんだろうけどw

2年前 No.95

テトラポット ★uYlgxxkTM1_R9r

偉業・大義を伴ってかつ、人々が好意〜深い愛情(憧れ〜理想)を寄せられる行いが尊いかな・・・自分には抽象的にしか表現できず具体的には表せないけど。

2年前 No.96

Ria @einth ★Android=UvgIQMjHsV

>>96
誇大解釈のように思う。
かけがえのないものを礼儀正しく表現したなら
>>95
Aくんは尊い1人の命を犠牲にして尊い1000人の命を救った
になるんじゃないでしょうか。

2年前 No.97

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

インディアンスピリットである。

2年前 No.98

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

卑弥呼様じゃ〜。

2年前 No.99

マジカルモンキー ★IkTe7dpHmE_WcJ

尊いというのは、『 物を与えると言う意味 』が強いと思う。

『 ああ、女王さま、私がつくった米でございます。お納めください〜 』

膝まつき、頭をさげ、尊敬の意を表すのです。

『 貢がれる存在 』が、尊いのであります。

しかもそこには、シャーマニズムが関係していると思う、インディアンスピリットとか、卑弥呼様とか、トランス染みたものが必要。

『 酔う、貢ぐ 』とかが絡んでいる。


上記の皆さんが考えているのは、おそらく、価値だろう。

2年前 No.100


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