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移ろいゆく時の中で [ サブ ] ●メイン記事 (42) / ○サブ記事(39)


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アリス ★RDL8BqfZ6U2_yi

お久しぶりです。
親愛なる志野たんが、エッセイを書かれるとの事で、とっても楽しみにしています。

…その前に、大変な事に気付きました。

私の事、忘れてるわよね。(T_T)

まあいいや。
気にしな〜い。

2010/07/10 20:16 No.1

志野 ★nh6hs2FhLvw_dW

>アリスタン

忘れてるわけないですよ〜。
大切なクラスメートだもんww
早速そちらの方にもレスします〜。

2010/07/10 20:31 No.2

アリス ★RDL8BqfZ6U2_yi

忘れられてなくて、良かったあ。

レスありがとうございました。
志野たんの深い愛に、感謝。(え?違う?)


あの…。
また気付いてしまったんですが。
記念すべきサブ記事の >>1 に書いちゃって、ごめんなさいね。
志野たんファンに、土下座です…。

2010/07/10 21:04 No.3

愛里棲 ★SOFTBANK=jiP9B37euo

自分の能力を信じられるのってとても羨ましい。それだけで張りのある溌剌とした充実感を持てる毎日を過ごせそうな気がします。

2010/07/30 16:20 No.4

志野 ★nh6hs2FhLvw_dW

>アリスタン

別に、ファンがいるかどうかわからないし大丈夫だと思いますww
何かあったら書いてくださいww


>愛里棲さん

う〜ん、どうでしょうか。
能力に自信を持っているわけではないですが、可能性だけは持てるかなと言ったところですかね。
あと、多分不安の中で生きているうちはそれが充実しているかは分からないかもしれないですね。後から気付くだけで。

2010/07/31 15:51 No.5

アリス ★lKlMAvp04j._92

志野たん。

ファンはいますって。

だって。

えぇと…あの人でしょ?
それから、あの人でしょ?
それと…あの人も。

…っていうか、「何かあったら…」という事は、
何もなかったら、書いちゃいけないの〜?(T_T)

冗談はともかく、夏休みの自由研究、何にしたの?
私は『自分の観察日記』にしました。
毎日お水をあげたり、エサを与えたりして観察します。

もしかしたら『志野たんの観察日記』に変更するかもです。ウヒヒ…♪

2010/07/31 19:29 No.6

志野 ★nh6hs2FhLvw_dW

私はアレですか、自由研究の課題ですかww
そうですね、私は…「ゴーギャンさんの成長から考察するさくさんの関わりについて」というテーマにします(マテ
ゴーギャンさんが成長してきた過程で、さくさんがどう関わっていたかを調べて、そこからゴーギャンさんの現在を分析して未来を予測するというものですww

それと、何があったらとは、「何か書きたいことがあったら」という文章の省略形でしたww

2010/08/01 20:05 No.7

アリス ★lKlMAvp04j._92

ん〜とね、自由研究。
自分を観察しても、ちっとも面白くないので、
やっぱり志野たんを観察する事にしました。

えぇと、質問なんですが。

志野たんにエサをあげたりお水をあげたりしたら、
お花が咲いたり実がなったりしますか?

それとも、分裂したり増殖したりしますか?

それと、私になついてくれるようになりますか?

ゴーギャンさんの未来には、とても興味があります。
ゴーギャンさんは、タイプ的には増殖しそうな気がするぅ。

2010/08/05 20:22 No.8

愛里棲 ★SOFTBANK=lyNybNdfuq

感動について
今の自分と重なる人だけでしょうか。かつての自分であったり知ってる誰かであったり,思っても言えない出来ないことをしてくれたり。

その結果ハッピーエンドでなくても現実に成し遂げられないことに一種のカタルシスを感じそれが感動に繋がるのかなと思います。

7年前 No.9

志野 ★0BKqfrPerZ_dWB

まあ、「今の自分と重なる」といっている場合についての考察ですから。
愛里棲さんのような場合も確かにあるかと思います。
後半はハッピーエンドにならなくとも、かっこよくフィクションが書かれている理由が感動になるということですかね…。

7年前 No.10

愛里棲 ★SOFTBANK=lyNybNdfuq

かっこよくなくてもほら,現実にためらって言えない出来ないことを変わりにしてくれたら共感,感情移入のたやすさ以上にその言動に感動しないかなぁ

7年前 No.11

にら玉 ★AU=SWHvrBb6C7

キョロキョロ…
ほほぉ〜エッセイですかぁ〜

( ̄∀ ̄)イヒッ

ザクじゃないのだよ!
ザクじゃ!

7年前 No.12

志野 ★0BKqfrPerZ_dWB

>愛里棲さん

それは感動すると思います。
ただ、それは自分が思っていることを自分では実現できないからであり、自分の理想を体現してくれたことによるのかなぁとも思うのですね。


>にら玉さん

エッセイですよ〜。
一瞬にら玉さんの最後の部分が「さくじゃないのだよ!さくじゃ」に見えたのは秘密です。

7年前 No.13

愛里棲 ★SOFTBANK=lyNybNdfuq

ハイ、確かに殺伐とした現実逃避のささやかな楽しみです。

7年前 No.14

にら玉 ★AU=SWHvrBb6C7

えっ(゜∇゜)
2人だけの秘密ということですか!?

7年前 No.15

さく@garusan ★DOCOMO=q6kcGyOlgQ

あたしがどーしたって?(笑)

7年前 No.16

吐音 ゲロ ★AU=qQHIK5aSQ1

メイン記事に投稿してしまった。失敗失敗♪(自分の頭を小突いて舌を出す

ごめんなさいです。

6年前 No.17

志野 ★0BKqfrPerZ_dWB

…仕草がかわいいので許します(マテ

6年前 No.18

★t6hWWekY12_XJv

本当にすいません、かさねがさね。

6年前 No.19

吐音 ゲロ ★AU=qQHIK5aSQ1

たしか航空力学の専門家の見地を用いて津波の威力を中和する防波堤を作る、っていうのがありました。もう実用化もされてるってナレーションもあったような。
議論の外部から外面だけみて、議論なんて〜とか言ってるのみると、「あんなふうに熱くならない俺ってオットナ〜」みたいな子供じみた選民思想の印象を覚えます。

ところで不死者と価値のレスはあともう1レスです?それとも以前ので一段落的な?

6年前 No.20

志野 ★0BKqfrPerZ_dWB

なるほど、ということは航空力学の力も必要になることは十分考えられますね。
いよいよこれは大々的なゼネラリズム時代がくるかもしれませんね。

それと、以前の3部で私の考えはひと段落をしましたので、お願いします。

6年前 No.21

★t6hWWekY12_XJv

お願いしますっていうか、こちらこそお願いしますっていうか。

まず全体を通しての解釈としては、ハイデガーの現存在の先駆的覚悟になんらかのかたちで伴うはずの不安、この情態が生じえない存在者としての不死者を想定することで、ハイデガーの主張の乗り越えを図っているように思いました。Sein zum Todeではありえない者である不死者に、良心の呼び声は生じうるのか。私が似たことを考えているからかもしれません。
というのも、ハイデガーの主張において現存在の生と世人の生をわかつのは、各々がもつ死への態度の違いでした。そしてその死とは自分の死であって、他者の死ではない。それを前提にして読むと志野さんの言うのは、人間が現存在たる条件として自分の死だけではなく、他者の死をも射程に入れよう、ということなのだと私には思われました。そしてこの場合の他者とは、赤の他人のような三人称的な存在者ではなく、「最愛の人」のような人称的な存在者である、と。

永遠(無限)を生きる者はたしかに誰かを愛することもあるでしょう。が、
>ならば、大切な誰かと触れ合うことによって、その時間が有限ということに価値を見出すことは可能ではないだろうか。
不死者がもつ人間関係のなかに、この「大切な誰か」と言い得る者が出来することがあるのでしょうか。
私はまず孤独感よりもなによりも、不死者が覚えるのは退屈だと思います。
不死者の情態性はどうも射程範囲のなかに含め難いですが、すくなくとも孤独感だけだとは思えません。
不死者は可死者の外に存在する。可死者の外部から見ればすべての可視者の同一性、つまりその可死性ばかりが目につく。
「どうせみんな死ぬ、私を残して」。このような言葉は孤独感の表象でしかないのでしょうか。
これはいわば非本来的な予期、pro-gramですが、不死者が不死者である以上、この非本来的な予期から本来性(先駆)に転回することは難しいように思います。
マルクスはハイデガーも『存在と時間』で扱ったヘーゲルを参照しつつ、このようなことを言います。
>歴史は繰り返す。一度は悲劇として、二度目は喜劇として。
最初の何度かはたしかに悲劇かもしれません。孤独感に苛まれるかもしれません。
しかし、永遠ですよね、30度目あたりではとっくに退屈してるんじゃないでしょうか。

現存在の本来的な在り様に「反復(取り戻し)」がありますね。
それによると、自分が何であったかが、つまり不死者になってしまっている者だということが、たえず自覚され続けることになります。
なんとうか、先駆という脱自を可能にするための取り戻しが、不死者にとってはかえって自を現に縛り付けることになる。

以上、メイン記事を読んでいて思い浮かんだことをつらつら書きこんできました。書きながら読み、読みながら書き、という私の横着な手法に基づくレスのため、不明瞭なところも多々あると思います。あれだあれだ、「思考のダイナミズム笑」みたいなやつだと思ってそのへんはどうか堪忍してください。そして的を射ているか否かはさておき批判的な意見になっていますが、最初に述べたとおりとても×3面白い試みだと思っています、悪しからず。

6年前 No.22

志野 ★0BKqfrPerZ_dWB

なるほど、大切なものを失うこと自体に慢性化し、退屈してしまうということは確かに仰るとおりですね。
そうそう、ちなみに1つだけ言わせていただけるとしたら、ハイデガーを超えようとなどは思っておりませんよ。
20世紀最大の哲学者とも一部では言われている方を超えようなんて恐れ多くて(苦笑

6年前 No.23

吐音 ゲロ ★AU=qQHIK5aSQ1

なら、志野さんではなく志野さんの書かれたことには、ハイデガーに即しながらハイデガーに収まりきらない発展可能性がある、と私には思われた。これぐらいが穏当ですね。
平易な文章でありながら刺激的で参考になりました。

6年前 No.24

とかち ★iPhone=x8uBMNhxag

カントに、あるいはフレーゲとフッサールに端を発する分析哲学と現象学の対立、その解消に向けての試み。哲学の現代史でもこうした動きはたしかにありますね。
単なる振り分けに終わるなら、つまり分析哲学と現象学に見られるような対立を、両者を引き離すことで解消しようとするなら、断片化した諸学を繋ぎ合わせることはできないと思います。
哲学内部での対立の解決が、志野さんのプログラムには必要でしょうか、不要でしょうか?

6年前 No.25

志野 @sinomon ★0BKqfrPerZ_dWB

>阿さん

>哲学内部での対立の解決

それは必要性ありですよ。ただし、あくまでも引き離すことで解決をしようとする動きなどは考えてもないです。
寧ろ真逆です。
だって、ヘーゲルもテーゼとアンチテーゼよりジンテーゼが生じると言っている通りだと思いますから。

では科学を例にとらせて頂きたい。
ビッグバン理論と定常宇宙理論の対立は天文学、物理学全てを巻き込みかねない大論争でした。
だが、ハッブルが望遠鏡で銀河が遠ざかっていることを発見し、宇宙背景放射の発見によりビッグバン理論の勝利となりました。
しかし、言ってみればそれは科学分野、それも宇宙論という1つの分野の中でだからこそできた話です。
ならば、この世のあらゆる学問が1つの学問体系に包括されたとしたら。
様々な学問同士の対立、発見、進展が可能になる。それを目的としています。
本当は数学や天文学やそういう肩書を完全撤廃と思ったのですが、流石にカオスになりかねない危険があったので、ある程度の秩序が満たされるだけの分野に振り分けをするということを考えただけです。
ただ、全ての学問は哲学という1つの体系付けがされているので、様々な議論や対立、和解、共同研究が可能になると思うのです。


しかし、早速ですね(笑)。

6年前 No.26

とかち ★iPhone=x8uBMNhxag

手が早いもんで。

目的はより明確に掴めました。
ヘーゲルの弁証法に関して言うならテーゼAに対するアンチテーゼBがあり、そのABがアウフヘーベンされてジンテーゼCができる、ということだと思います。
しかしAに対するのはBだけでしょうか。Aに対するアンチテーゼが複数生じたとき、それぞれの仕方で複数のジンテーゼが生じるでしょう。そして複数のジンテーゼに対して、またそれぞれに異なるアンチテーゼが生じる。このようにして細分化が生じるでしょう。私はむしろ、諸学の断片化はピュイサンスに基づく弁証法的運動の賜物ではないかと思います。抽象的ですいません。
志野さんは、テーゼに対するアンチテーゼは一つだけだと想定していますか?
また、ヘーゲルによればこの運動は絶対知に至りますが、ここで言う絶対知、弁証法的運動の最終到達地点で、哲学が諸学を繋ぎ合わせることになる、ということでしょうか?

6年前 No.27

とかち ★iPhone=x8uBMNhxag

つまり、ヘーゲルの弁証法的運動によって私は細分化が生じたと思うのだけれど、もしそうならば、細分化を引き起こしたヘーゲルの弁証法的運動で、諸学の結合をはかるなんてできるのかな、といったところです。

6年前 No.28

志野 @sinomon ★0BKqfrPerZ_dWB

>阿さん

>手が早いもんで。

これはまた、誤解を生みそうな発言ですね(笑)
と、冗談はさておいときまして、面白いですね。

阿さんの仰っていることは全てその通りなのです。
テーゼに対するアンチテーゼは1つでもない。そしてそのために細分化がなされている。
今に至るまでの宇宙論ではまさにこのことが起きていたのですよ。
実はこれは私も重々承知していたことであり、だからこそ諸学の結合が必要だと考えついたのです。
つまり哲学が真の哲学でありうるための道を。

阿さんの仰るテーゼに対するアンチテーゼは1つではない。正確に言うなれば1つとは限らない。
ならば、ジンテーゼも複数生み出される。
そこでとられるべき方法は2通りだと私は考えます。複数のジンテーゼのうち、正しいものを見極めるか全てのジンテーゼを統括できる新たなジンテーゼ+とでも命名しましょうか、を作ることです。

ただ、形而上学から外れて現場を見ると、複数のジンテーゼに対し多面学的視点から見ようという方向性が固まっているのです。
宇宙論であれば相対性理論という面と素粒子の量子物理学の面から。
そして今やその統一こそが科学の最大の課題であるとさえされているのです。
数学でもまあ、フェルマーの最終定理を解くために谷山=志村予想が証明される際、保型形式と楕円関数という分野の繋がりが示されたことに多大な価値があったとされています。

今後細分化はどうしようもないことであり必要なことです。
ただ、その中から真理を拾い上げるために諸学の統合が試されているのもまた事実なのですね。

6年前 No.29

とかち ★iPhone=x8uBMNhxag

サイモン・シンによる数学史を読んだ程度ですが、たしかにその通りだと納得できます。なぜなら、精神分析のラカンもソシュールの言語学を取り入れたことで、精神分析に新しい領野をもたらしたわけですし、生命倫理において生体に関する科学的知識は不可欠です。メルロ・ポンティもゲシュタルト心理学を応用していますね。谷村=志村予想が証明されたかまでは覚えてません。

いまや水金地火木土天海冥は偽であり、ここから冥を省いた言及が真ですね。この登録抹消はプラグマティックな手続きによると私は思っています。志野さんの言う多大な価値も有用性、ないしは応用可能性のニュアンスを含んでいるでしょう。この理解でオッケーですか?
つぎに哲学というカテに含まれる諸論をあらゆる学問に割り当てる試みについて。その試みにおいて、哲学に含まれるすべての諸論を動員するのか、あるいはすべてではなく、ある程度の取捨選択をするのか、どちらでしょうか?
メイン記事での新たな投稿をまったほうがいいならのんびり待ちます。

6年前 No.30

志野 @sinomon ★0BKqfrPerZ_dWB

>阿さん

>この理解でオッケーですか?

まあ、実用的であればいいのですが、例え実用的ではなくても価値あるものってあるのではないですか。
「この者にお金をあげなさい。彼は勉強したからには利益がなければ済まない性分のようですから」の言葉にもある通り、価値=実用的と言えない部分も学問にはあるのでは?


>その試みにおいて、哲学に含まれるすべての諸論を動員するのか、あるいはすべてではなく、
>ある程度の取捨選択をするのか、どちらでしょうか?

阿さんのことだから、私が書かなくとも答えが判断できそうですがね(笑
私は全ての分野が相互に関わり合うことで真理に近づけるのではないかという仮定のもとの話ですから、全てを動員するか取捨選択が行われるかということは、その分野のもとで自然に決定されると思っています。

6年前 No.31

タイガアパカッ ★iPhone=x8uBMNhxag

志野さんの言う真理はどちらですか?有用であること必要はない、すくなくとも、ある時期に有用ではないと判断できることから、それがこれからも有用ではないままに留まるとは結論できない、というのはわかります。
しかし、価値イコール実用性とは言えない学問があるということから、その学問の役に立たない性格も保護したほうがいいのではないか、と述べるなら、哲学の解体は解体ではなくなり、整形手術ないしはリフォームにとどまることもありうるのではないでしょうか。

んー。志野さんの構想はまだまだこれからといったところなのでしょうね。愉しみにしています。

つぎに、哲学がかつて諸学を統べていたことから、諸学を統べる哲学こそが「本来」「あるべき」哲学の姿だとする点。
率直に言ってべつに哲学じゃなくてもいいんじゃないですか? 哲学は諸学の婢とも言いますよ。また、その本来あるべき姿としての哲学は、それ以上は解体不可能な哲学でしょうか。それとも、その哲学は解体すべきでない哲学でしょうか。

6年前 No.32

志野 @sinomon ★0BKqfrPerZ_dWB

>阿さん

そろそろ私も質問しようかな(笑)そうしないと質問に答えられそうもないので。

>志野さんの言う真理はどちらですか?

それはどういった2つの真理を考えていらっしゃるのでしょうか?


>哲学の解体は解体ではなくなり、整形手術ないしはリフォームにとどまることもありうるのではないでしょうか。

それは何故でしょうか?
具体的なフローチャートで書いていただけると助かります。


>志野さんの構想はまだまだこれからといったところなのでしょうね。愉しみにしています。

え?阿さんにもここまで首を突っ込んでもらったのだから、とことんまで付き合ってもらいますよ?(笑)

次に進む前に、ひとまずここら辺を明らかにしていきましょうかね。

6年前 No.33

タイガアパカッ ★iPhone=x8uBMNhxag

有用な真理と有用ではない真理。志野さんによれば、解体したあとの哲学(どの時点で解体が完了するのか?)は、諸学の交際をより活発にするので有用な真理になるのだろうと思っています。

目的ありきの解体は果たして解体と呼ぶに値するのか。解体して哲学がバラバラになったあとではじめて、構築をするさいの構想を思案するのが、解体を脱ー構築として捉えたときの素朴な疑義です。つまり、解体によって哲学をあるべき姿に帰そうとする試みは、あるべき姿に帰れないほどの徹底した解体、その可能性を考慮に入れていないのではないか。ん、なんか整形手術やリフォームという表現が不適切な感じがしてきました。とにかく要旨はこんなとこです。

6年前 No.34

志野 @sinomon ★0BKqfrPerZ_dWB

>阿さん

そうです。誤読してました。
有用な真理で間違いないです。


後半は言語学的な問題についてですね。
解体と言っていいかということですが、実は迷ったあげくこの表現しかないかなと。
ただ、なるほど、修復不可能という意味合いがあるのが嫌ですね。
そうですね、この「修復不可能」が意味の邪魔をしているわけですか。


それと、1つだけ白状すると本レス33、34のこの構想は全体の一部です。(ニヤリ(マテ))

6年前 No.35

タイガアパカッ ★iPhone=x8uBMNhxag

もちろん以前の状態への修復は不可能ですが、脱・構築とあるように、あらたに再構築は可能です。

真理を拾い上げる作業では哲学的認識論を前提してはいないでしょうか。
認識論、すなわちエピステモロジーが、真理、すなわちエピステーメーを、拾い上げるために不可欠だと。だとするならば、哲学というカテに含まれる認識論をある学問へ、またはいくつかの諸学へ割り当てるという解体作業を実施するそのさいに、他ならぬ認識論を用いなければならないでしょう。どの学問にどの哲学的な言論を割り当てるべきなのか、どのような割り当てが正しいのか、そんな課題が出来るからです。
認識論、あるいは諸学から真理を拾い上げる正しい認識は、志野さんによる解体という試みの土台になるように思われます。しかし哲学の諸論を各部門へ割り当てることは、哲学というカテの空洞化にはなっても解体にはならない、そんな印象をもちます。
哲学に属する論を諸学へ割り当てるさい、割り当てられた哲学的な諸論は解体を免れています。いくつかの哲学的な論説のあいだで生じている対立からのアウフヘーブンクが必要だとは言っても、たとえば認識論という哲学の解体は必要だとはまだ言っていないですよね。認識論の解体は、認識論がその割り当て作業に不可欠であるがゆえに回避されなければならない、ということでしょうか。もし、割り当て作業を終えたあとに認識論を解体するなら、その割り当て作業の成果がまさに台無しになるわけですし。

その構想の土台にドリルをドリドリしていきたいと思います。ひとまず次のメイン記事を待ちますね。

6年前 No.36

★iPhone=x8uBMNhxag

「過去と未来があるということも認識しえないだろう」
骨を埋めて後で食べる、これは未来を意識していなければできないでしょう。本能であり、それは機械的な作業にすぎないとするならば、人間が食糧を備蓄したり晩御飯の残りを冷蔵庫に入れたりするのとどう違うのかなという気もしますね。機械的にあるいは本能的に時間意識をもっていることはありそうですが。
本能だとして、たとえば忠犬ハチ公のように飼い主の帰りを待つという行動はどうしましょうか。飼い主を待つのは本能ではなく習慣であり、待つという所作は待機ないし期待のあらわれとして見なせるでしょう。また、久しぶりに会った実家の犬が私を見ると尻尾を振るのは、かつて自分と過ごしていた者として私を覚えているからではないでしょうか。このことは犬が出来事を記憶し、それを想起する能力をもつことを示唆します。記憶された内容は過去の出来事ですね。
志野さんの言う過去と未来が十年後や十年前を意味するなら、十年後について犬が意識できるかは私も難しいと思います。将来の展望とかなんかは。しかし犬が、犬にかぎらず牛や豚もそうですが、未来や過去を意識できないというのも考えにくい。パブロフの犬を考慮するならなおさら。志野さんの見解はちょっと言い過ぎかなと思いました。

5年前 No.37

志野 @sinomon ★0BKqfrPerZ_dWB

そちらの方ですか。
そこはどこかの本で見て、私自身「ふむ」と思ったことなので。犬は時間軸までは認識できないと書いてあったので、それを使わせてもらっただけです。
もし阿さんが気に入らないのであれば、犬も時間軸を認識できると訂正していただいて構いませんよ。

私が本当に書きたかったのは後半ですから。

5年前 No.38

★iPhone=x8uBMNhxag

でしょうね。前半はまさに前座で、それゆえにいいかげんな記述でかまわなかったのでしょう。私ならその本を鵜呑みにはしません。時間軸を認識するってどゆこと? とも思いますし。犬は時間を線的な時間軸として考えることができない、ぐらいのもんでしょう。私はその訂正案もよくわからんです。
主人公。他人がいるかどうかはわかりませんね。他人、私とは違う別の人格、そうしたものがあるかどうかさえわからなければ、そもそも自分を自分で主人公とする見なすのもあやふやな想定にすぎません。主人公という役柄は脇役や端役があってはじめて成り立つ位格ですから。
さながら自殺者は悲劇のヒーローないしはヒロインでしょうか。たんなる人格を主人公という役柄に格上げすることの意義がわからないですね。私は私! ヘソにピアスだって空けるし舌にピアスだって空けるわ! 他人は脇役ってかむしろ私の生き様を邪魔する敵! 私は常識やオトナの言いなりになんかならないわ! なんて言う主人公に、志野さんならどう答えるでしょう。その報いは自分に返ってくるよとか預言者然としたことを言うでしょうか。
若干おふざけを交えましたが、要旨はこうです。たんなる人格を主人公と見なすことを是とする主張の意義がわからない。

5年前 No.39
切替: メイン記事 (42) / サブ記事(39) ページ: 1

 
 
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