Google
    
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▼レス(2) >>

あたしのかなた

 ( SS投稿城 )
- アクセス(307) - いいね!(8)

林檎飴 @ringoame38 ★oAbiWlXIi0_keJ

 和倉くんからは、いつも制汗剤の匂いがした。
 ほかの男子が使ってるような、やけに甘ったるい香りじゃなくて、無香料の制汗剤。無香料特有の、汗がなくなったすっきりした匂い。
 和倉くんの部活が終わるのを待って一緒に帰るあたしのために、彼は律義に制汗剤をつけていた。
 あたし達はデートもしたことがないし、抱きしめられたこともないから。だからあたしは、制汗剤の匂いしか覚えていない。だけどあたしは、その匂いが好きだった。

   *** *

「え、待って、和倉じゃん」

 人で埋め尽くされた中学の体育館。卒業以来初めて足を踏み入れたその場所で、私の耳は誰かの声を捕らえた。無意識にそちらに目が向いて、視界に映るのは、スーツを着てネクタイを締めた男の子たち。そのうちの一人が、くしゃりと笑ったのが見えた。

「久しぶり。卒業以来か?」
「ほんとだよ! 和倉、中二で引っ越してから会ってないから……まじで何年ぶり?」
「五年ぶりくらいかな。みんな変わってないな」
「和倉はなんか背伸びたなあ」

 あの頃は短かった髪を、少し伸ばして茶髪に染めた和倉くんが立っていた。あの頃と変わらないくしゃっとした笑顔で、声をかけたら気づいてくれるくらい、すぐ近くに。
 男の子たちが和倉くんを囲んで騒いでいる間に、私はそっと人込みから離れた。成人式がはじまる直前の浮ついた空気は、どうやら私には重すぎた。それに、あまりにも和倉くんが近くにいすぎて、とても耐えられなかった。
 振袖のせいでピンと張りつめた背筋が、余計にまっすぐになるのを感じる。美容師さんにぐいぐい引っ張られた髪の毛が痛い。
 成人式だからって張り切って入れたピンクのチークが、浮いてるような気がしてならなかった。朝の自分は何を考えていたのだろう。和倉くんが来ることを、想定していなかった。てっきり、引っ越した先の中学の成人式に行くのかと思っていた。

「未央」

 体育案の端まで歩いていくと、見慣れた顔が私の名前を呼んだ。中学を卒業してからも唯一関係が続いている加奈子が、眉間にしわを寄せて立っていた。

「加奈子、もう来てたんだ」
「あと十分ではじまるもの、さすがにね。……それより、ねえ、和倉くん来てるじゃない」
「うん、そうみたい」
「そうみたいってあんた、」

 加奈子が何か言いたげに私を見たのがわかる。その視線から全力で顔をそむけた。
 加奈子が言いたいことは、なんとなく想像できる。たぶん、和倉くんとちょっと話して来たら、とか、写真撮ってもらえば、とか、そんなところだろう。
 私だって、思っていた。もし久しぶりに会えたら、笑ってあの頃の話をして、とか。
 だけど、無理。いざ実物を目の前にしたら、無理だった。
 過去の記憶は、自分が思っているよりも鮮明で。自分が思っていたよりも、思い出にはなっていなかった。

「未央、まさか和倉くんのこと、まだ好きなの?」

 加奈子の言葉に、ゆっくりと首を振る。

「違う。それは違うけど……」

 今の自分が情けなかった。あの頃の綺麗な私を見ていた和倉くんに、今の私では会えない。ずっと会いたかったはずなのに、もう笑って話せるはずなのに、自分でもバカみたいだけど。
 加奈子にそう言いたいのに、言葉が出なくて、私はうつむいた。

   *** *

 十四歳のあたしは、早く大人になりたかった。
 周りの子たちが先輩や同級生と付き合っているのが、うらやましくてたまらなかった。好きな人がいると照れて笑う友達を、応援する一方でいいなあと思っていた。
 十四歳のあたしは、手っ取り早く、彼氏が欲しかった。

「三組の和倉くんが、未央ちゃんのこと好きなんだって」
「……誰それ?」

 放課後の掃除の時間。同じクラスの子と、屋上へ続く階段を掃除していたときだった。その子とは、掃除の班が同じというだけで、普段はあまり話したこともなかった。いわゆる、スクールカースト上位の子で、付き合ったり別れたりを、すでに繰り返しているような女の子だった。
 だから、その子がにやにやしながら私にそう言ったときは、からかわれているのだと思った。

「えーっ、知らないの? 三組の、卓球部の和倉くん。あたし、一年の時に同じクラスだったんだけどね、結構いい奴だよー。なんか、未央ちゃんのこと、同じ委員会で見て、可愛いなって思ったんだって」

 可愛いなって思うのと、好きっていうのは、イコールじゃないんじゃないか? そう思ったけど、――生まれて初めて、男子に可愛いと言われたあたしは、安直に舞い上がってしまった。直接言われたわけじゃないし、本当に言ったかどうかもわからないのに。
 和倉くんの顔なんて、いっこも浮かんでこないのに。

「未央ちゃん、顔赤くなってるー。あたし、和倉くんとの仲、取り持ってあげてもいーよ」
「い、いやいや、違うから! 大体、和倉くんのこと、ほんとにわかんないし……」
「大丈夫だって! 和倉くんは絶対、未央ちゃんのこと好きだから! とりあえず明日、一回一緒に帰ってみなよ! 未央ちゃんも、吹奏楽部で帰るの遅いよね?」
「い、いいって……」

 結局、あたしはその子に流されて、和倉くんの部活が終わるのを校門で待つことになっていた。
 本当に一言も話したことがない男の子。和倉くんの顔もわからない。だけど、いやだからこそ、あたしは緊張していた。
 外で待つには少し肌寒いくらいの季節だった。だけど、ここで待たないと、和倉くんには会えない。でも、いっそ会わなくてもいいかもしれない。そうだ、今のうちに帰ってしまおうか。
 背後から声がかけられたのは、そこまで思考が廻ったときだった。

「あの、すみません」
「うわ!?」

 突然声をかけられて、思わず変な声が出た。慌てて振り向くと、私と目線が同じくらいの男の子が立っていた。走ってきたのか、肩で息をしながら。
 確かに、見覚えのある顔だった。短い黒髪。男の子にしては線の細い体型。奥二重で黒目が大きい、どことなく中世的な顔立ち。だけど、会話した記憶はない。たとえ一言二言会話をしていたとしても、覚えていられないような、そこまでの特徴のない男の子。
 和倉くんの最初のイメージは、そんなものだった。

「ごめん、驚かせて。……ていうかごめん、なんか、変なことになってるみたいで」
「あ、ううん、そんな。えっと、和倉くん、だよね」
「うん。……とりあえず、帰るか」
「う、うん」

 その日の帰り道、何を話したのかは覚えていない。たぶん、他愛もないことだったと思う。
 だけど、あたしを家まで送り届けてから、和倉くんが逆方向に歩いて行ったことは、よく覚えている。
 その日から、あたし達は、なんとなく一緒に帰るようになった。たった一度で終わるかと思われた不思議な下校は、それから二か月くらい続いた。たぶん、あたしに和倉くんを紹介してくれたあの子は、紹介したことなんてすっかり忘れていたけれど。
 付き合っているわけでもない。友達かといわれると、悩んでしまう。だけど、和倉くんの隣を歩くのは居心地がよかった。

「和倉くんって、制汗剤の匂いするよね」
「え、わかるの? 俺、匂いしないやつ使ってるよ」
「うん。なんか、甘くなくてさっぱりしてる感じ」

 十四歳のあたしが、和倉くんのことを好きだった、のかはわからない。
 周りが言うような「すき」には、及ばない感情だと思っていた。恋人というものは、もっとお互いを本当に好き同士がなるものだと思っていた。
 十四歳のあたしは、人を好きになることにあこがれていた。

   *** *

「てっきり、あんた達は付き合ってたのかと思ってた」

 式典がはじまって偉い人の話が続く中、隣に座っていた加奈子がそっと呟いた。
 私は目線をまっすぐ固定しながら、小さく首を振る。
 あの頃の小さな世界で、付き合っている人たちをからかうのは、私たちなりのタブーだった。毎日のように一緒に帰っていた私たちに、今更、付き合ってる? と聞く人もいなかった。
 そんなことになる前に、和倉くんは引っ越してしまったし。

「未央は、和倉くんといたころが一番、素で付き合ってる感じがしてたし」

 二十歳の私は、人を好きになることが綺麗なだけじゃないことを知っている。苦しいことも、悲しいこともあるし、嫌な気持ちにだってなる。むしろ、純粋できらきらした感情の方が少ないくらいだ。
 ちょっとした言葉で舞い上がって、ちょっとした言葉で落ち込んで。
 二十歳の私は、自分の気持ちに嘘をついて付き合うことを覚えてしまった。

「和倉くんが引っ越したって知ったとき、未央が泣いてたの見て、好きなんだなって思ったよ」

 和倉くんと帰るようになって数か月が経って。お互いがお互いの気持ちを、うっすらと感じてきたころ。
 突然、和倉くんは引っ越してしまった。
 別れを言う間もなく。原因は、和倉くんのお父さんとお母さんの不和。
 私が入っていた吹奏楽部の活動が少し忙しくなって、一緒に帰れない日々が続いて。やっとそれが落ち着いたと思ったら、和倉くんは学校から姿を消していた。
 そのときはじめて、連絡先すら交換していなかったことに気づいた。私たちは、本当に、一緒に帰るだけの仲でしかなかった。発展しないまま自然に消滅してしまったあの関係は、今となっては名前を付けられない。恋人でもない、友達ですらなかったかもしれない。
 好きだったかすら、今でもわからない。

「未央。きっと、今話してることだって、大人になったら忘れるよ。それがいいことなのかはわからないけど」

 和倉くんは、どうだったかな。
 私のこと、少しでも特別に思ってくれていたのかな。

「だけど、今忘れたくないって思う気持ちがあるなら、まだ間に合うと思う」

 私まだ、間に合うのかな。

   *** *

 いつだったかの帰り道、一度だけ、和倉くんが制汗剤をつけてこなかったことがある。その日、あたしは吹奏楽部が早く終わって、和倉くんの部活が終わるのを校門で待っていた。
 連絡する手段なんてなかったから、あたしたちの待ち合わせは、いつもタイミング次第だった。部活が終わるタイミングが合えば一緒に帰るし、どちらかが早く終わったら待たずに帰る。
 だけどその日は、なんとなく待ってみようと思って。確か一時間くらい、寒くなった空の下で待っていた。

「あ、和倉くん」

 待ち合わせ場所まで走ってきた和倉くんは、額に汗をかいていた。見慣れないその姿に、少し驚いてしまって。和倉くんって、汗、かくんだ。

「っ、さっき、友達に、校門でずっと待ってるの見かけたって、言われて……っ」
「あ、そうなの。ちょっと今日は、早く終わっちゃって」

 どうしよう、迷惑だったかな。そう思って焦って和倉くんを見たら、和倉くんの耳が少し赤くなっていて。……うわあ。和倉くんって、照れるんだ。
 そう思ったらもう駄目だった。あたしも、なんだか汗が出てきてしまった。
 あたしのために走って来てくれた和倉くん。いつもの制汗剤の匂いもしない。あの爽やかな香りを纏わない和倉くんは、いつもよりなんだか近くに思えて。
 もう、いいんじゃないかな。もうあたしは、和倉くんを好きって言って、いいんじゃないかな。
 だってこんなにも、あたたかい気持ち。あたしは、初めてなんだよ。

「……帰ろうか」
「うん」

 だけど今はまだ、このままの距離がいい。好きっていう気持ちは、ほかのどんな感情よりも強いもので。今はまだ蕾の気持ちが、大きくなるまで。
 和倉くんなら待ってくれるって、そう思えたんだ。

   *** *

 式典の演目はすべて終了して、開始前よりも騒がしい体育館。色とりどりの振袖、懐かしい顔ぶれ。
 みんな、大人になって。だけどまだ、大人じゃなくて。
 私たちは、忘れたいことも忘れたくないことも、全部まだ覚えてるくらいには子どもなのだ。
 大人になりたくなかった。綺麗なことだけ見ていたかった。
 だけど、そうじゃないのかもしれない。

「――和倉くん」

 あの頃の気持ち。あの頃の私たち。あの頃の記憶。
 もう今は、その気持ちはないけれど。あのとき私が、感じた気持ちは、間違いなんかじゃなかった。

「久しぶり」

 そう声をかけた私を見て、和倉くんはゆっくりと瞬きをして。そして、あの頃と変わらない、くしゃくしゃの笑顔を見せてくれるから。
 私もつられて、笑ってしまう。

 きっともう、和倉くんから制汗剤の匂いはしないだろう。
 きっともう、私があの匂いに出会うことはないだろう。

 きっとそれは、あたしの記憶のかなたに存在する、確かな思いなのだ。


メモ2019/01/11 10:37 : 林檎飴 @ringoame38★oAbiWlXIi0_keJ


 新成人の皆さま、おめでとうございます。

関連リンク: 向精神薬によるXday 
ページ: 1

 
 

激流朱雀 @suzaku1☆92ueQETlAOJB ★Android=xnVVtZ8eyh

面白かったです!!青春というなで括るにはもったいない出来事だったりするのを思い出すのが、成人式の時期ごろだったりしますよね。胸あたりがキュッとするお話、よかったです、ありがとうございます。

5ヶ月前 No.1

林檎飴 @ringoame38 ★oAbiWlXIi0_keJ

▽激流朱雀さん

 ありがとうございます!
 胸あたりをきゅっとさせられたならば本望です。
 うれしいお言葉、ありがとうございます。

5ヶ月前 No.2
ページ: 1

 
 
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▲ページ上 >>
★必ず ローカルルールメビウスリングのルール をご覧ください。
 ▼スタンプ▲スタンプ
※スタンプはいちどに 3個 まで使えます  ×閉じる