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愚者の選択、賢人の選択

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光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE

 少しだけ開かれた窓から入るのは春の暖かさを少しだけ残したそよ風だ。
 そよ風がくすぐるように揺らすカーテンは小さく震えている。
 空は雲ひとつない快晴というやつで、見つめていると吸い込まれてしまうそうだ。

「この時、筆者の―――」

 外へと向かいそうになっていた意識を再度黒板へと移したのは1人の男子生徒。
 彼が板書を写すノートにはぎっしりとした文字の海が広がっている。
 その隙間を水が染み込むように文字を書き増やしていく。
 まるでそれをするためだけに生まれてきたとでもいいそうな真剣な表情で板書とノートの間に視線を行き来させる。
 そのまま授業が終わるまで彼は再度窓の外へと視線を向けることはなかった。

***

「くぁ、疲れたー」

 髪を茶色に染めた男子生徒が椅子に逆向きに座り、後ろの席へと体を投げ出す。
 犬ような人懐っこい瞳を持つ彼は今全ての力を抜き、緩い表情を残すばかりだ。
 そんな男子生徒を嫌がる風でも、突っ伏した机の主はメガネの位置を直していそいそと次の授業の準備を始める。
 鉄パイプと木の板という簡素すぎる机の中から取り出したのは、数学U・Bと書かれた教科書だ。

「お前、いつも疲れた、ばっかじゃねぇか。金町、そんなんじゃ将来大変だぞ?」

「いいんだよ、今が楽しけりゃ。俺は林原と違って頭はよくねーからなぁ」

「別に、僕は……っ!」

「まあ、そう言うな。1年の期末テストでベスト5なんだろ? しかも、1科目とかじゃなくて」

「そうだけど……僕は、まだまだだよ」

 そう言う林原に金町は興味なさそうに教科書を片手で持ち上げた。
 林原が机から出した教科書は、普通の教科書の2倍の大きさがあるように見えた。
 数々の付箋が貼り付けられ、徹底的に書き込みのなされたそれは汚れと文字の区別がつかないほどだ。

「俺はこういうの誇っていいと思うけどな」

「いいんだよ。好きでやってるわけじゃないし……他にやりたこともないしね」

「そうなのか?」

「うん、別に夢とかはないし」

 林原の言葉に金町は目を丸くした。
 まるで理解不能な宇宙人を見つめるような目だった。

「え? 何のためになるかもわかんないのに頑張ってんの?」

「いや、何のためにもならないわけじゃないだろ」

「でも、夢とか将来とか考えてるわけじゃないんだろ?」

「いや、まあ、そうなんだけど……そういう金町はどうなのさ?」

 指を指された金町は一瞬驚いた顔を浮かべたが、次の瞬間には口元に笑みを浮かべていた。

「俺はな……めちゃくちゃ可愛い彼女を作る!」

「今もいるだろ。篠原さんだっけ?」

「彩音ちゃんは可愛い! けど、もっと欲しい! それが男ってもんだ!」

「何? 二股でもするの?」

「二股どころか夢の3人同時攻略、いや、4人同時攻略だ!」

「それぞれに手足掴まれてバラバラにされる処刑方法とかあったような」

「え!?」

 自身でも想像したのか一瞬で血の気が引く金町。
 そんな彼を見て笑う林原。
 カーテンを揺らす風は暖かさを教室内へと連れてくる。

「ま、まあ俺のことは置いておいてだな……本題だ。今度のテストどこ出る!? これ以上成績落とすと小遣いが! 俺の生きがいが!」

「わかった。わかったから顔を近づけるな。えっとだな……」

 林原が次の試験に出そうな箇所をピックアップしようとした時、教室を静けさが支配した。
 皆が向ける視線の先。
 黒板側の扉を開けて教室に足を踏み入れたのは1人の女子生徒だった。
 身長は高くなく、一般的な生徒よりも低いと言える。
 それに比例してか、胸も控えめなその女子生徒の登場で教室が一瞬で音を失った理由。
 それは、彼女の髪が雪のように真っ白だからだ。
 黒の瞳と対象的な白髪はまるで色素という色素が髪から不自然に抜け落ちたようだった。

「白雪姫サマか、久々だな……」

 ふと口をついたように金町は女子生徒への感想を漏らした。
 白雪姫と呼ばれる彼女は一歩の迷いもなく、自身の机まで行くと中からスケッチブックを取り出し教室を出ていった。
 時間にして1分もなかっただろう。
 だが、その1分はまるで時間が止まったかのようだった。
 そしてまるで何事もなかったかのように教室では会話が再開される。
 彼女の存在を会話で押しのけるように。

「瑞浪、晶希、だっけ?」

「お、林原が他人に興味を持つのは珍しい」

「あ、いや、別にそういうわけじゃないぞ! 俺、初めて見たからさ」

「そうなのか? あー、お前は1年の時別のクラスだっけか。じゃ、見ないかもなぁ」

 金町は納得したように、うんうん、と唸っていた。
 林原はほっとしたように息をついた。
 そして、窓の外へと視線を向ける。
 中庭を横切っていく白い髪の少女。
 その先にはあるのは、まるで離れ小島とでも言えるような1つの建物。
 美術室だったと林原は記憶している。
 ほとんど美術の授業には出ていなかったから、その存在も伝聞のような形になってしまう。

「美術室の白雪姫、ね……」

 彼女は未来をどう考えているのだろうか?
 ふと、そんなことを思った。

メモ2018/04/30 14:10 : 光心 @kousinn★2ygXqa1xRm_mgE

続きはそのうち書きます。

プロットは脳内に在る。

大丈夫だ問題ない。


追記:5投稿以内に終わらなかったらすまぬ

追記2:ギリギリ終わると思うんだが……執筆ペースが遅くてすまぬな。

追記3:待たせたなぁ! つわけで完結です! 本当はこれを起承転結の起として残り3つ分くらいSSを書こうと思ってましたが、どうにも微妙そうだったのでここで終わりします。

    ではまたどこかで

関連リンク: 掌編・残痕 
ページ: 1

 
 

光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE



 日に日に陽が出ている時間が伸びていく。
 数ヶ月前であれば夕焼けから夜へと世界が塗り替えられていく時間。
 空はまだ青さを残し、部活動に勤しむ級友たちの声が教室まで届いてくる。
 そんな教室で林原は1人黙々とプリントの整理を行っていた。

(はぁ……ついてない……)

 林原は心の声をため息に変換して、不満の解消とした。
 放課後の教室で部活動に行く生徒たちを尻目に、宿題をさっと片付けようと教室に残っていたところ担任に声をかけられてしまったのだ。
 担任いわく、プリントの整理を頼みたい、と。
 林原燐太郎にとってそんなことをするのに時間を取るのは望むものではなかったが断る理由もなかった。

(まあ、塾が始まる時間までの時間つぶしだし、気にすることもないか……)

 右手でメガネの位置を整える。
 内容は国語の小論文のテストだった。
 数学などの答えが明確なものでないがゆえに生徒である林原に整理を頼んでも問題ないと判断したのだろう。
 回収の際に上下が逆になったものを直したり、出席番号順にして欲しいという担任の言葉の通りに順番を入れ替える。
 1人当たり2〜3程度の枚数だが書いている答えは人によって違う。
 当たり前のことだが、問題を解くことに集中していた林原にとってそのことを目にして実感すると意外に感じていた。
 正解があるとは言わないが、小論文にもそれなりのルールがある。
 そのルールを知っていればだいたい同じ回答になるだろうと思っていたのだ。
 それに、まだ高校生である僕らはそれほど頭脳は明瞭でもないから突飛な回答など作ることなど出来ないだろうとも。
 少しだけ興味を感じたが、1枚1枚読んでいれば時間がかかりすぎるし、何よりちょっとした整理のつもりだ。
 さっさとやってしまうに限る、と林原は息をついて整理を再開した。

 林原は機械的に目を動かし、順番を変え整えていく。
 効率重視の実に楽な方法であったが、ふと林原は疑問に思った。
 1名だけ番号が抜けているのだ。
 林原は教壇に置かれた出席番号の書かれた座席表をひょいと掴んで眺める。

(……瑞浪さんの分がないのか、なるほど)

 唯一抜けている番号は白い髪のお姫様のものだった。
 林原は納得とともに座席表を戻し、前半と後半でそれぞれ渡されたクリアファイルにしまう。
 教室で残っていたのは自分だけだったが、どうせ後で教師が戸締まりに来ると判断し、鞄とクリアファイルを掴んで教室を出た。
 ぺたぺたと音を鳴らしながら、右手に持ったファイルを手に休み時間のことを思い出していた。
 教室に堂々と入り、スケッチブックだけを手に出ていった同級生。
 その白髪は綺麗だったけど、どこかこの世ならざる雰囲気を持っていた。
 まるで世界から放逐されたかのような違和感。
 その雰囲気は多感な高校生にとっては毒なのだろう。
 林原は左手でメガネの位置を直して、すぐにそのことを忘れた。
 どうせ関わり合いになるような存在ではない、と。



 ありがとうな林原、というお礼を担任から頂き無事任務終了。
 あとは塾に行くだけだ、と下校口で靴を履き替えて林原は学校の裏門へと足を向けていた。
 朝は正門から入ってきているが、塾があるのが駅前なので裏門からの方が近いという当たり前の判断だ。
 それに、正門はグラウンドを横切る必要があり、練習をしている野球部や陸上部の邪魔になることが見えている。
 わざわざ部活動に精を出しているような人種に近づく理由もない林原は学外へ出ようと歩いていたのだが。

「なんだ、あれは……?」

 足が出ていた。
 誰の何の趣味か裏門へと続く道は背の低い草木が道を彩るように植えられている。
 その草木の1角から足が出ているのだ。
 コンクリートの地面の上に足だけ出ているという事実は結構驚かされるものがある。
 あり得ないものが見えた時、人は一度思考が止まるのだと林原は気づいた。
 冷静によくよく観察すれば靴はローファーだ。
 おそらく部活中でこうなったわけではないのだろう。
 だとしても理由が全く分からない。

 林原は教師を呼ぶか逡巡した後、ひとまず状況の理解を急ぐことにした。
 最悪は携帯電話で救急車でも呼ぶしか無い。
 軽い怪我であればちょっと確認して保健室に連れていけばいい。
 そう思って、謎の足の方へとゆっくりと近づいていく。
 もしも、死んでいたらどうする?
 ごくりと喉を鳴らす。
 あれが死体であったなら、殺した者も近くにいるのではないか?
 足音が耳元で大きく響いた気がする。
 あと1メートル程。
 と近づいたところで、ずぼっと足の主が体を起こした。

「っ!?」

「うにゃー!」

 まるで猫のような声をあげたのは林原の見覚えのある生徒。
 背は平均よりも低く、それに比例するように胸元も控えめ。
 元気な動きに反して、知的さを感じさせる顔立ち。
 しかし、何よりも目を惹くのは彼女の白い髪。
 起立した状態では、腰程まで伸びたその髪は草木が纏わりついていて美しさを半減させている。

「瑞浪……晶希……?」

「ん?」

 茫洋と口を開けたままの林原と対照的に目をぱちくりとする瑞浪晶希。
 彼女の右手にはスケッチブック、左手には鉛筆。
 くるりと林原の方を向いた瑞浪に林原はぱくぱくと口を開いたり閉じたりしながら、最後に一言だけ声を漏らした。

「い、生きてた……」

 安心の吐息と共に漏れた言葉に瑞浪は何がどういうことか分からず、頭をかしげた。



「で、猫を追いかけていた、と」

「うん。んで、頭つっこんでみたらそれが面白くて! このままでいいかなー、と思ったけどこれじゃ絵が描けないって気づいたの!」

 むんす、という風にない胸を張る瑞浪にへぇと興味のない返しをする林原。
 生命の危機かと思っていた林原としては安堵の気持ちが強く、問題がなかったのなら関わらずに帰ろうと先ほどからタイミングを狙っているのだが。

「私、絵が描けないとかになったら死んじゃうし! あーゆーあんだすたん?」

「それを言うなら、"Do you understand?"だ……」

 学友がなぜ小学生のようなことをしているのかは分からないしわかりたくもない。
 呆れる林原のことを知ってから知らずか、瑞浪は猫がいないか視線を彷徨わせている。

「もういないと思うよ」

「え!? 私のマイケル・ヴィンセント・ウィーランド・タナカ・ユーフェティシアが!?」

「なんで途中で日本特有の名字が入っているんだ……?」

「え? 何のこと?」

「自分で言って自分で忘れている、だと!?」

「えへへー、それほどでも」

「褒めてないし! って、大丈夫?」

「へ?」

 林原は照れ隠しで頭を掻く瑞浪の左手をとった。
 手の甲に小さくだが、切り傷が出来ている。
 おそらく頭を突っ込む際に枝で切ったのだろう。
 林原は鞄の中から絆創膏を取り出して、すっと手渡す。

「……って、こっちでやった方がいいか」

 手渡そうとしたそれを手元に戻して絆創膏のシールを剥がす。
 ぺりぺりという音と共に剥がれたシールが地面に落ちるのを無視して、両手で端を持ったまま瑞浪の方へと腕を伸ばす。
 瑞浪はよく分かっていないまま、スケッチブックと鉛筆を地面において両腕をピンと張って前に出した。
 ビート板を使うような姿勢に林原はたじろぐ。

(なぜ両腕?)

 白くて細い腕だった。
 女の子っぽい華奢な腕だと意識すると急に恥ずかしくなったので急いで絆創膏を張ってしまう。
 林原はそれで役目は終わりだとばかりにシールのゴミをポケットに放り込んで鞄を手にした。

「じゃ、僕は急いでるから」

「うん! じゃあ、ね! えっと……絆創膏星人さん」

「僕は絆創膏星人などでは……まあ、いいか」

 別にどうでも良かったので、適当に手を振りながら裏門へと向かっていく林原。
 林原が見えなくなるまで瑞浪は手を大きく振っていた。

5ヶ月前 No.1

光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE



「は?」

 金町は空いたままの口が塞がらず、器用に箸で口元まで運んだプチトマトを再度弁当の中へと落とした。
 昼飯時のおしゃべりの耐えない教室でプチトマトのぽてんという音はどこにも届くことなく弁当箱が吸い込んでしまう。
 二人での昼食はいつもの通りなのだが、金町の驚嘆の顔はいつも通りではなかった。

「そんなに驚くことかな……?」

 金町のあまりの驚きっぷりに林原は力なく笑みを作った。
 数秒のフリーズの後、金町は意識を現代へと無事帰還させるが驚きの色は消えていない。

「いや、だって! お前、昨日あの白雪姫サマと―――」

「はい、ストップ!」

 林原は右手で金町の言葉の続きを遮った。
 あまりにも声が大きく、金町が無駄にクラスメイトの注目を浴びようとしていたのだ。
 言葉の続きを探す中で金町もそれに気づいて、声を隠密行動中の忍者のようにひそめる。

「白雪姫サマを助けただぁ? 何がどうなったらそうなるんだよ!」

「いや、成り行きと偶然とたまたま?」

「全部ほぼイコールじゃねぇか」

 林原は返す言葉もなく、焼きそばパンを口に放り込む。
 焼きそばのソースの匂いが鼻孔を刺激し少しむせてしまう。
 慌てて、手元のお茶に手を伸ばして喉に詰まった焼きそばを流し込む。

「ぷはぁ……はぁ……はぁ……」

「大丈夫か?」

「大丈夫だ、問題ない」

「問題ある時に使うやつだよな、それ……?」

 呆れた金町は母親お手製のお弁当に箸を突っ込んではおかずという名の生贄を選び出す。
 今回選ばれたのはアスパラのベーコン巻きであった。

「まあいいや。んで、何話したの? つか、話せたの? 言葉通じたのか?」

「……瑞浪晶希は宇宙人かなにかなのか?」

 林原はふと瑞浪晶希の言葉の意味不明さを思い出していた。
 確かに、言葉が通じたのか、と不安になる気持ちも分からなくもなかったのだ。

「宇宙人っつーか、夢中人というか……ま、他人が目に入っちゃいないってのは共通してるかもな」

「他人が目に入っちゃいない、ね」

 反駁する林原の言葉に金町は、そうそう、と言いながらアスパラのベーコン巻きを咀嚼する。
 美味しそうに食べる金町に林原は口を開こうとしたが、やめた。

「なんつーか、こう、俺が彩音ちゃんと下校するじゃん?」

「ん? お、おお」

 急な話の転換についていけない林原。
 そのまま金町に言おうとした言葉が霧散し、消滅してしまう。

「で、俺らも高校生だから手繋いだりするじゃん? さすがにキスとかはしねぇけど。でも、顔近づけて互いしか見えねぇようにすんの」

「……それに何の意味が?」

「それはだな、ノイズキャンセルだ」

「……悪い、もうちょい言葉をくれ」

「つーまーり、要らんもん見えなくすんの。んで、二人だけの共犯の世界を作んの」

 林原は脳内で想像しようとしたが相手がいなかったので諦めた。
 代わりに目の前の級友の言葉に耳を傾ける。

「そうするとさ。二人だけの世界になんじゃん? それが安心すんのよ。目の前のことだけ見てればいいから」

「……それが瑞浪晶希にどう繋がるんだ?」

「つまりは、白雪姫サマも同じなんだよ。姫サマはどうも絵がそれらしいけど」

 絵だけ見ていればいい世界。
 林原にはとても想像の及ばない世界の話だった。
 その存在は鏡の向こう側の世界の住人と言っても差し支えがない。

「ま、俺の見た感じだけどな」

「……いや、参考になるよ。ありがと」

「いつもの礼だよ。気にすんなって」

 ニコニコとした金町に林原は心の中で再度、ありがとう、と感謝した。
 思えばくだらない学校生活を送れているのは、こいつのおかげではないかと林原は感じたからだった。


「あ、絆創膏星人さん」


 だから、その学校生活が崩れる音がした時は死ぬ程驚いたと言っても過言ではなかった。
 ぎぎぎ、と油の切れたロボットのように首を傾ける林原。
 視線の先、教室の入り口には白い長髪を揺らした小さい制服の女子生徒。
 瑞浪晶希、その人だった。

「うーん……あ、そうしよう!」

 勝手に何かに納得して決めたのか、白髪のお姫様はてくてくと静まり返った教室の中を横切る。
 ずんずんと進んでいくその視線の先。
 つまり、瑞浪晶希のゴールは。

「……僕か?」

「はい、捕まえた! よっし、れつごーだぜ!」

「は? え?」

 パンを机の上に置いた右腕をその白くて華奢な手で掴まれる。
 断る言葉も口に出す余裕もないままに連行される林原。
 そんな彼と連行犯が教室の外へと消えてから金町が呟いた。

「噂をすれば影?」

 静まり返っていた教室は白雪姫の退場ですぐに活気を取り戻す。
 まるで林原は最初から教室にいなかったとで言うかのように。



「ちょ、ちょっと待って!」

「え?」

「え? じゃない! 僕をどこへ連れて行く気だ!?」

 昼時の学校の廊下はわりと静かだ。
 各々の教室で生徒達が昼食を食べているが、ドアを閉めたり窓が閉まっていたりするので、声はもっぱら外側の窓へと突き抜けていくのだ。
 そんな廊下をぺたぺたと規則正しく歩く瑞浪晶希に林原燐太郎は一度足腰に力を込める。
 だが、彼女の歩みは止まらなかった。

「ちょ!? 僕、これでも男子なんだけど!」

「つべこべ言ってないでいくよ、絆創膏星人さん。待ってるから」

「何が!?」

「……何か?」

「よし帰ろう! 帰らせて! 帰りたい!」

 願いは聞き届けられることはない。
 現実は無情である、という真実をまた1つ学びながら林原は結局昇降口までずるずると連れて来られてしまった。
 がっしりと腕は掴まれたままで器用に靴を履き替える瑞浪晶希を見て林原は嘆息した。

「僕は、林原燐太郎、だ」

「……? ハヤシバラリンタロー?」

「そうだ。連れていく人の名前くらい覚えておいて損はないと思うけど?」

「おぉ! なら、りんちゃんだ!」

「……もうそれでいいから、さっさと用事かなにかわからないけど済ませて、僕を解放してくれ」

 林原は諦めつつ靴を履き替える。
 おそらくここで瑞浪晶希の意に沿わないことをすれば明日同じようなことになるだろう。
 この子は宇宙人で、鏡の向こう側の存在で、僕の理解の外の子だ。
 そんな子が何の用事か僕を連れ出した。
 逆らえば何が起こるか分からない。
 授業中に捕まって連れ出されたらより迷惑だ。
 なら、この昼時の時間で済ましてしまえばいい。
 という高度な計算に見せかけた自己正当化により林原は諦観の言葉を静かに飲み込んだ。
 同時に靴も履き替え終わった。

「で、どこに行くの?」

「あ、そ、こ!」

 微妙にテンション高めに両の人差し指で指したのは学校から少し離れた場所にある1つの建物。
 美術室だ。

「……僕はモデルでもさせられるのか?」

「もでる? りんちゃん、モデルなの? プラスチックなの?」

「どうしてその発想に至るんだ……意味がわからん」

 メガネの位置を整えながら、仕方なく林原は中庭へと足を踏み出した。
 反対側のグラウンドと違い、中庭側は背の低い草が生えていてもう少し暖かくなればそこでご飯を食べる人もいるだろうと気を紛らわせるように林原は考えた。
 そんな林原の腕を未だに掴んだまま歩く白雪姫様。
 出来れば毒のりんごを食べさせられるみたいなオチじゃないことを林原は青の空に祈ることしか出来なかった。

4ヶ月前 No.2

光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE



 土足で入った美術室には林原と瑞浪の靴音がよく響いた。
 入り口である両開きの戸から見て左側には何も書かれていない黒板と教師用の長机がある。
 美術室の中を見渡せば、綺麗なフローリングの床と整然と並んだ長机が目に入る。
 どこの誰かもしれない人の絵のレプリカだと思われるものが飾られており、少し埃っぽく見える。
 黒板と対になる方には、得体の知れないオブジェが捨てられているのと同然で隅の方でひとまとめになっている。
 総じて、美術室というよりもたまに人が使用する倉庫かなにかという印象を林原は得ていた。

「…………」

 ごくり、と喉を鳴らす林原。
 林原は美術の授業を逆皆勤賞を取っているので、どこへ向かえばいいのかが分からない。
 そもそも今回は瑞浪に連れられて来たのだ。
 授業ならまだしも今回は理由が特別すぎる。

「瑞浪、さん」

「ん? 何?」

「えっと……僕はどうすればいいんだ?」

 林原は困った顔でそう言うが瑞浪がその意味をしっかりと解しているかは林原には分からない。
 が、その声色から瑞浪は何を判断したのか林原を掴んでいた右手を離す。
 そして、元々空いていた左手と合わせてメガホンのような形を作って口元に寄せる。

「おにーちゃーん!」

 瑞浪の声は無人かと思われる美術室に響き渡った。
 しかし、その声に反応するものはいない。

「み、瑞浪?」

 何事か、と林原が問いかけようとした瞬間。

「うるせーなー」

 美術室の奥にある扉。
 そこから長身の男性が出てきたのだ。
 身長はおそらく180cmは超えている。
 目元は切れ長で鋭く、だぶだぶの白衣を着ておりひと目見ただけで教師という聖職者よりもマッドサイエンティストじゃないかという感想を抱く人の方が多数であろう。

「おにーちゃん!」

「うるせーって……ん?」

 林原の元を離れて、ひし、っと白衣の裾を掴む瑞浪。
 そんな瑞浪を見て鬱陶しそうにしている長身男性は視線を林原に向ける。

「えっと……」

 林原はなんて挨拶するべきか逡巡していた。
 おそらく教師であろう。
 しかし、瑞浪の身内のようでもある。

「おにーちゃん、私りんちゃんにお願いすることにしたよ」

「は? え? あ? りんちゃん? 誰だそれ?」

「うん、りんちゃん。ほら、りんちゃんも挨拶」

「え?」

「じゃ、私絵描くのに戻るね!」

 何事か説明することもなく瑞浪は机の上で放り出すようにされていたスケッチブックを片手に外へと出ていく。
 その様子があまりにも当たり前だったので、林原も長身男性も反応が出来ない。
 そのまま瑞浪はとてとてと外を歩いていってしまう。

「えっと……?」

「あー、君がりんちゃんか?」

 がしがしと頭を掻きながら長身男性は林原に問いかけた。
 その様子は苛立っているように見える。

「あ、はい、林原燐太郎です」

 林原はなるべく波風を立てないように丁寧にお辞儀を加えて自己紹介。
 そんな林原の様子に長身男性はため息1つつくと、1つの椅子を指差した。

「そこ座ってくれ。とりあえず説明するから」

 おずおずと指さされた椅子に座る林原。
 その対面に長身男性は座るがサイズがあっていないのか座りにくそうだ。

「俺は瑞浪一輝。美術の担当講師だ。んで、あいつの、晶希の兄にあたる」

「お兄さんですか……」

「おう。悪いな、巻き込んだみたいだ」

 にかっと笑う一輝に林原は曖昧な笑みを浮かべる。
 もはや何が起こっているのか林原には想像が及ばないのだ。

「まず、聞いておきたいんだが……林原はあいつの友人なのか?」

 なぜその質問をするのか、林原は一瞬考えそして理解した。
 一輝は教師であり、現状の瑞浪晶希の状況を知っているのだろう。

「いえ、違います……同じクラスですけど」

「うん? じゃ、あいつの知り合いか?」

「知り合い、というか……昨日、なんか怪我していたので絆創膏あげたくらいの仲です」

「なるほど、そういうことか……」

 一輝はひとり納得したようにうんうんと頷いている。
 そんな一輝の様子を見て林原はより頭に疑問符を浮かべるしか出来ない。

「あー、っと悪い……林原がどうしてここに連れてこられたかだが、頼みたいことがある」

「頼みたいこと、ですか?」

「ああ。あいつを見張って欲しいんだ」

「見張り?」

 何やら不穏当な言葉が出てきたことに林原はたじろぐ。
 そんな林原の様子に一輝は口元を緩めた。

「あいつ、自由だろ? だから、誰かが傍で見てないとダメなんだよ。全く、困った妹だ……」

 ため息混じりのその言葉に林原は内蔵がぐにゃりと曲がったような気がした。
 困ったような一輝の顔。
 しかし、言葉の端々にあるのは―――

「で、どうだ?」

「え?」

「あいつのこと見張るって話。ま、普段は教師である俺が見ているんだが……如何せん職員会議もあれば仕事もある」

「はぁ……」

 要領を得ない林原の言葉にダメ押しのように一輝は言葉を付け加える。

「見張りっても、別段ずーっと見てろってわけじゃない。俺の職員会議のある日の数時間だけでいい。あと、美術室を自由に使う権利をあげよう」

 倉庫のようなこの美術室を使ってどうすればいいのか。
 喉元まで出かかっていた林原の疑問を無理やり自分で飲み下した。

「いいですよ。具体的に何するのかわかりませんけど……」

 林原はよく分からないまま答えた。
 正直、何かやらなければならないことがあるわけではない。
 それに少し瑞浪晶希という存在のことが気になっているのも事実だ。
 どうして彼女はああやって生きているのか、とか。

「本当か!? いや、助かる! じゃ、早速で悪いが今日から頼む」

「……具体的にどうすれば?」

「そこは任せる」

「えぇ……」

「生徒の自由意志を尊重するのが俺の主義だからな」

 だから妹があんな自由なのか、と林原は独り思った。
 ふと時計を見ると時刻は既に昼食の時間終了の10分前。

「ん? ああ、昼飯の時間もうすぐ終わるな。とりあえず、放課後またここに来てくれ」

 一輝の言葉に林原は従い、美術室を出て教室へと戻ることにした。
 ちらりと視線を向けると校庭を囲むように生えている木々の1つの下でスケッチブック片手に何かを描写している瑞浪晶希がいた。
 その視線は揺らぐことがなく、林原が見ていることなど欠片も気づいていないようであった。

4ヶ月前 No.3

光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE



 「なんか3ヶ月くらい経った気がするぜ」

 「大げさだな、金町は」

 帰りのHR終了は終了し、教室は喧騒に包まれている。
 日はまだまだ長く、部活に行く者、駅前で遊ぶ者、居残って勉強をする者など学校という統一された世界からそれぞれの生き方を始めていく。
 そんな中で林原の席にだらりと体を伸ばしている金町がいた。

「なー、今日はどうする? マックとか行く?」

 鞄に教科書を詰め込む作業をしながら林原は視線を向けずに解答をしていく。

「うーん、僕やることあるんだよね」

「塾でも増やしたのか?」

「いや、ちょっと美術室に行かなきゃならなくて」

 林原の一言により無言となる金町。
 あまりにもその時間が長く、つい手を止めて金町を確認する林原は曰く形容し難い表情の金町を見つけた。

「…………空也上人?」

「誰じゃそれは! ちげーよ。え? 林原に用事? しかも美術室!? どうした白雪姫サマに脳内改造されたか!?」

 いつも以上のテンションについていくのが面倒な林原は再び鞄に教科書を詰め込む。
 勢い余って椅子から立ち上がった金町は林原のつれなさにばつの悪い顔をする。

「篠原さんと約束があるんじゃないの?」

 ちょうど鞄の整理を終え、林原は金町に確認をとる。
 朝の時点で金町は用事があると吹聴していたことを林原は思い出したのだ。

「あ、そういやそうだった! 彩音ちゃんとCD買いに行くんだった!」

 思い出せば行動は早く、金町はすっからかんの鞄を持ち席を離れようとする。
 が、思い直したのか金町は一度だけ振り返り林原の目を見て告げる。

「……俺はお前が改造されても友達だからなっ!」

「……うん、ありがと」

「じゃ、また明日な!」

 手を振る友人の姿を目で追い、見えなくなったところで林原は呼気を1つ。
 のんきな友情に感謝しつつ林原も向かうべき場所の為、立ち上がった。



「おー、よく来たよく来た」

 倉庫然とした美術室に入るとそこにはマッドサイエンティスト然とした教師が1人。
 瑞浪一輝、その人だ。
 嬉しそうに顔に笑みを浮かべているところを見るに歓迎されているようだ。

「いやぁ、もし来なかったら校内放送使うところだった。良かった良かった」

 訂正。
 歓迎ではなく、逃がすものか、という意志に溢れていた。
 今からでも逃げれないかと少しだけ思う林原であったが、もう手遅れだろうと諦める。

「さて、林原に頼みたいことなんだが……昼に言ったことを覚えているか?」

「監視、でしたっけ?」

 あえてとぼけた風に林原は返した。
 監視などという言葉が嘘であって欲しいという願望半分、諦め半分の塩梅だ。

「そう。ま、ぶっちゃけ晶希が変なことしないか見てて欲しいんだ。この前は草木ですごいことになってたからな……」

 おそらくそれは絆創膏をあげた日だろう、と林原は当たりをつける。
 あの日以上に汚れている瑞浪晶希を想像できないだけかもしれないが。

「ま、そういうわけで絵を書いてるあいつの横でそれを見てるだけでいいから。本読みながらとかでいいし」

「……はぁ」

 わかったような分からないような林原の返事を了承と受け取ったのか、瑞浪一輝はどんどん注意事項を述べていく。

「あと、天気が悪そうだったら美術室に戻らせといてくれ」

「はい」

「絵の具がないとか言う時も美術室に予備があるからあいつが勝手に取りに戻るはずだ」

「はい」

「その間も監視を忘れずにな。職員会議はだいたい1時間くらいで、16時30分から17時30分くらいまでだ。ま、長くなっても18時15分ってとこだな」

 今まで部活動をやってきたことのない林原にとってはその時間の学校は1つの謎ではあった。
 最終下校時刻に当たる18時15分の校門はすごいらしい。
 各種の運動系部活、文学系部活がこぞって帰ろうとするため門が破壊されんばかりに混むそうだ。
 その情報も又聞きでしかない為、真偽は定かではない。

「ま、だいたいそんな感じだ。大丈夫そうか?」

「おそらくは」

「よし。んじゃ、さっそく明日頼むな。その代わり美術室は使い放題だ!」

 嬉しくない特典を力説されても困る林原であったが、好意に甘える形で美術室で勉強を開始した。
 本日の宿題、塾の予習。
 いつもならどこか喫茶店ないし教室でやるのだが、美術室はいつもの場所に比べて驚くほど静かであった。
 校庭からは校舎を挟んで反対側にある関係上、部活動をやっている生徒の声はほとんど届かない。
 また、他に使用している人もいない為音を立てる存在がいない。

「ほら」

「ありがとう、ございます」

 どこからかコーヒーの入ったマグカップを林原に手渡す瑞浪一輝。
 林原にとってはコーヒーはありがたいが、それ以上にこの教師が林原の行為に対して何かを言うことがない点が何よりもありがたかった。
 興味がないという可能性は零ではないが、生徒の自主性を重んじると言っていた通りに自由にさせているのだろう。
 程なくして瑞浪一輝は出ていってしまう。
 おそらく、瑞浪晶希を探しに行ったのだろう。
 そんな風に思ったのも一瞬、勉強に意識を戻す。
 公式を使い、作者の意図を読み、単語を記憶していく。
 その行動はもはやルーチンとも言える程に洗練され、そのくせ一切の投げやりさがない。
 妄執とも言えるような視線を教科書とノートの間で行ったり来たりさせていると、ぴぴぴ、とケータイがアラームを鳴らした。

「…………ふぅ」

 気づけば時間が経過しており、時刻は17時30分。
 帰る時間になっていた。
 あまりの静けさにいつも以上に林原は集中していたようだった。

「悪くない、かな」

 そう1人呟いた。
 声は静謐な美術室によく響いた。

26日前 No.4

光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE



 天を覆う灰色は青色ばかりだった数日がまるで嘘であったかのようにそこに存在している。
 人間は自然を克服し、支配してきたがいわく天気は予報することしか出来なかったというのは人類史において敗北であるとも言えるかもしれない。
 などということを考えながら美術室へと向かうのは一人の男子生徒。
 時刻は夕方へと差し掛かるより少し前。
 歩みを止めることなく林原燐太郎は美術室の扉を開けた。

「お? 来たか」

 美術室で林原を待っていたのは一輝だ。
 何をするでもなく座っていた椅子から立ち上がり、ちらりと横目で時計を確認した。
 職員会議が始まるまで残り10分ほどだ。

「じゃ、頼む」

「はい」

 そのまま室内を出ていく一輝の言葉に林原をうなずき、室内を見回す。
 そうすると隅の方でぼーっと中空を見続ける女子生徒が1人。

「瑞浪、晶希」

「ん? あ! とんちゃんだ!」

「誰がとんちゃんだ」

 ぱたぱたと林原の前へと晶希は迷いなく小走りで駆けてきた。
 林原は改めて近くで晶希を観察する。
 真っ白な雪のような白い髪。
 林原よりも頭1つか2つ程低い身長。
 スケッチブックよりも重いものを持ったことがないであろう華奢な腕。
 逆に、動き回るせいか少し引き締まっている両の足。

「?」

 小首をかしげる晶希につられ髪が風に揺れる柳のように揺れた。
 鬱陶しく感じたりしないのだろうか、と林原は思う。

「今日は……どこかに行くのか?」

「うーん、曇ってるからねー。美術室で描こうかな」

「そうか。僕も勉強をしたかったらちょうどいい」

 言葉の通りさっそく林原は椅子に座り、鞄の中から教科書を出す。
 そんな林原の様子をぎょっとした眼で見つめる晶希。

「ん?」

「なんで、勉強道具なんて出してるの……? りんちゃん、熱でもあるの……?」

「なんだその変人を見る眼は」

 恐る恐るという感じで手を伸ばして教科書に触れる晶希。
 しかし、その教科書に無数の付箋がついていることに気づくと熱いやかんに触れたみたいにさっと手を戻した。

「なに……これ……!?」

「すごい絶望的な顔をしているところ悪いが、僕は塾に行くまでの予習をするから。何かあったら言ってくれ」

 そこで林原はさっとノートを開き視線をそこに集中。
 晶希はほえーと感心とも無気力ともつかないような顔をした後に林原とは離れた席に座り、スケッチブックを取り出して何やら描きだした。
 チクタク、と時計が時間を刻む音。
 かりかり、と林原と晶希が腕を動かす音。
 それらが空間を占め、時間が消費されていく。
 淡々と、黙々と、何もかもが停止したような時間の中で、がたっ、と椅子を引く音がした。

「出来た!」

 晶希がスケッチブックを掲げるように持って声を上げた。
 その声が先程までの静寂を破り、林原もつい視線を向けてしまう。

「何? りんちゃん見たいの〜?」

「別に」

 そっけない態度で林原は答える。
 それは林原の本心であったが、晶希にはそうは聞こえなかったようで。

「またまたー。とくべつに見せてしんぜよう」

 と言いながら、林原の隣の席に座りスケッチブックを広げた。
 当然のようにスケッチブックが教科書やノート類の上に覆いかぶさる。
 林原は手を止めざるをえなかった。

「見て見て。りんちゃん!」

 そこに描かれていたのは林原だった。
 黙々とノートへと向かう視線。
 すっと姿勢良く座る姿。
 少し垂れた前髪。
 それらが精緻さを持って描かれていた。

「…………」

「どう? どう? 感想教えて!」

「……自分を、客観的に見る機会なんてないからわからないな」

 林原が捻り出した言葉は言い訳のようなそれであった。
 もう用は済んだとばかりにスケッチブックをどかそうとする林原。
 だが、その手を晶希が抑える。

「ちょっとくらい教えてくれもいいじゃん! ね?」

 ぐいぐいとスケッチブックを見せてくるというよりも押し付けるようにする晶希。
 そんな様子に観念したのか林原は一息ついて。

「上手いんじゃないか? 僕にはよくわからないけど」

 それを聞いて晶希はにぱっと破顔し、うんうん、と納得したように首を縦に振った。
 なんでそんなに自信満々なのか林原には理解が出来ないが、本人が満足しているなら問題はないように思えた。

「えへへー。さすが私! どこが具体的に上手いと思うの?」

 さらにぐいぐいと顔を寄せてくる晶希。
 林原はそんな晶希とは視線を合わせずに、教科書とノートへ視線を戻す。
 ねー、どこがうまかったのー?
 そう言いながら林原の腕を揺する晶希。
 最初ばかりはなすがままにしていた林原だが、10秒経ってもやめない様子に腕を振り払うようにして晶希の腕を外した。
 だが、晶希も負けじと再度腕を掴む。

「……なあ、離してくれないか?」

「教えてくれたらね!」

「……離せって」

「やーだー。負けないもんね」

「…………」

 林原はシャープペンを置いて、空いた方の手で晶希が掴んでいる腕を掴む。

「ったぁ」

 少し力が入ってしまったのか、晶希が顔を歪めた。
 晶希が視線を向けるが、林原は謝らない。
 そんな林原に態度に晶希はむっとしてすねたように言葉を紡ぐ。

「りんちゃん冷たい」

「…………」

「勉強ばっかしてるからそうなるんだよ。りんちゃんのれーけつかん」

「…………ただお遊びで絵を描いてるやつにそんなことを言われたくないな」

 ぞっとするような低い声が自分から出て林原は内心で少し驚いていた。
 しかし、そんな林原の言葉に一番驚いていたのは晶希だった。
 眼を丸くして、その後、きっ、とした目線を林原に向けた。

「りんちゃんだって、そんなことやっても無駄だよ」

「は? 何言っているんだ? 僕は勉強して、少しでもいい大学に入ってちゃんと働くんだよ。君はその間遊んでいるだけだろうけど」

「それがりんちゃんの人生なの?」

「そうだけど? 僕は君と違ってそんなどうでも良いことに時間を使う気はないな」

「どうでもいいこと? 今そう言ったの?」

 静かな美術室内の温度が数度下がったようだった。
 代わりに林原と晶希の言葉だけが温度を増していく。

「どうもでいいことじゃないよ。りんちゃんと同じにしないでくれる?」

「僕と同じ? こっちこそ願い下げだよ。僕は真面目に勉強している。一方の君は勉強もせずに絵を描いてばかり。そんな無駄なことと同じなわけないだろ」

 林原の言葉に晶希の白い髪が逆立ったように見えた。
 誰かを怒らせようとして怒らせたのは林原には初めての経験であったが、そんな様子に負けじと目線をぶつける。

「僕はね。ちゃんと未来のことを考えているんだ」

「未来のこと? そんなことして楽しいの?」

「楽しいとか楽しくないとかじゃなくて、学校ってそういう場所だろ? はぁ、君とはどうも話にならないみたいだ」

 吐き捨てるような林原の言葉に晶希は椅子から立ち上がった。
 そして、林原の座る椅子に小さく蹴りを食らわせて足早に美術室を出ていく。

「バカ」

 その一言だけが林原の耳に残った。
 ぴしゃりと閉められた美術室の扉に林原は、はぁ、とため息を返す。
 林原は再度視線をノートに戻すが、脳内に公式は入ってこない。
 少なくとも林原にとって偽った言葉ではなかった。
 絵を描くことは意味があるかどうかと言えば無駄だと思うし、それはおそらく多くの人が納得できると思う。
 芸術家でもない限り、描くものに意味はなく、価値はない。
 そんなことよりも、真面目に勉強してちゃんと大学に入った方が価値あることなのだ。
 そうではないと、父親のように……。

「……」

 そこまで林原が考えたところでふと視線を時計に向けた。
 17時。
 だいたい30分後に一輝先生が戻ってくる。
 後で探しに行けばいいか、と林原はシャープペンを握る。
 続きを書こうと手に力を込めたが、シャープペンの芯が折れてどこかへ飛んでいってしまった。



「あれ? 晶希は?」

 がらりと美術室の扉を開けた一輝の第一声はそれだった。
 時刻は17時15分。
 予定よりも少し早く戻ってきたようだった。

「外に、出ていきました」

 林原が淡々と報告をする声に一輝は疑問符を浮かべる。

「付いていかなかったのか?」

「……ちょっと言い合いになりまして」

 素直に言う林原に一輝は納得したような困ったような表情を浮かべた。
 一輝の様子が林原には気まずいのか、目線は一輝の足元へと固定されている。

「まあ、そうなる可能性もあったか。わかった。じゃ、ちょっと探すのを手伝ってくれ」

「……はい」

 断るわけにはいかず、林原は頷いた。
 ノート類は雑に片付け、美術室の外へと踏み出したところで何かが林原の頬にあたった。

「あっ」

 雨粒がぽつぽつと地面に斑模様を作り始める。
 その様子に一輝が顔を真っ青にした。

「先生……?」

「まずいな……」

 神妙な顔になる一輝。
 その間にも雨の勢いは少しづつ増していく。
 地面の斑模様が増えていく。

「あいつは、雨はダメなんだよ」

「え?」

「とりあえず、急いで探す。見つけたら……携帯使っていいから教えてくれ」

 そう言う一輝の表情は真剣そのものだった。
 まるで恐れていた事態が起きてしまったかのような表情に林原も焦る。
 そういえば、天気が悪い時は気をつけろ、と言っていたようなと林原は思い当たった。
 一輝は一度室内に戻り、引き出しから常備しているであろうメモ帳を出しそこにさっと数字を書き綴る。

「じゃ、頼む!」

 メモ帳の1枚を破り林原に押し付けるようにして渡すと一輝は矢も盾もたまらず美術室を飛び出した。
 林原は手元の紙に書かれているのが一輝の番号だと分かるや否や自分もまた美術室を飛び出す。
 白雪姫の行方について、手がかりはない。

26日前 No.5

光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE



 灰色だった空はその色を濃くし、黒色のドームへと変化していく。
 つられるように雨は勢いを増す。
 美術室を飛び出した林原の服はびしょ濡れで、校庭で部活動に勤しんでいた運動系部活連合は揃って校舎の入り口へと退避済みなのが林原の視界の隅に映った。
 そんな中で学校の異端児を探す林原は妙に浮いている。
 もちろん、林原だって自分の行動が一般的に変であることは分かっていた。
 が、一輝のあの顔を見た後では責任を感じずにはいられない。
 たとえそれが林原にとって曲げられない言葉であっても、だ。

「くそっ!」

 まだ雨は視界を遮る程ではない。
 だが、確実にその勢いが衰えることはないのだと空を見ればひと目でわかった。
 視線を広げると一輝が校庭周りを探しに行ったのが見えたので林原は校舎内を探すことにした。
 全身ずぶ濡れの生徒の登場に校舎入り口で雨宿りをしていた運動部系の生徒らは何事かと視線を向ける。
 林原はその視線を無視して手早く靴を履き替えると服を乾かすことなく校舎内を小走りで進む。
 その様子に行き交う生徒が注目して道を通すが、そんなことは林原にはどうでも良かった。
 1階、2階、3階、と探しまわるがどの教室にも白雪姫の特徴的な白い姿はない。

「くそっ」

 なんでこんなことをしているのか。
 そんな自問自答が頭をもたげてきた。
 林原にとって、瑞浪晶希という存在はこんなになってまで探す存在だろうか。
 そんなことを考えてしまう。
 小走りが歩くペースへと変わり、そしてついには足を止めてしまう。
 なぜなら、4階の隅まで探しても晶希の姿がなかったからだ。
 林原は一度ポケットからスマホを取り出すとぐしゃぐしゃのメモ帳に書かれた番号へと電話をかける。
 1コールと半分で電話が繋がった。

『林原か!? 晶希はいたか!?』

「いえ、ただ校舎内はいないみたいです」

『そうか……俺も探しているがもしかしたら学校内にいないのかもしれない。ちょっと学校の近くで晶希が行きそうな場所へ行ってみる! 林原は学校内だけで良いから探してくれると助かる!』

「……はい」

『じゃ、また!』

 ぶつん。
 通話が終了する。
 林原は腕をだらりと下へ伸ばし、耳からスマホを外した。
 そしてスマホをポケットへ入れる。
 ポケットの中は雨に濡れていて気持ちが悪かった。

「なんで僕が……」

 こんなことをしなければならないのか。
 林原は口から出そうになる言葉をとっさに飲み込んだ。
 晶希という女の子に対して林原がここまでする義理はない。
 けれど、責任はあるかもしれない。
 林原は晶希を責めた。
 無論、最初は晶希の方が手を出してきたようなものだ。
 普通に考えれば林原に非はない。

「けど……」

 非はない。
 だが、非がなければいいのか。
 林原は再度足に力を込めた。
 そして、小走りに階下へと降りていく。
 校舎の入り口にいた運動系部活動の学生たちは入る時に比べていくらか人数が減っていた。
 どうやら今日はこのまま解散の流れのようらしい。
 林原はそこらにいた陸上部の生徒に声をかけた。

「すみませんが、晶……白雪姫を見ませんでした?」

「は? 白雪姫? あー、あの白雪姫ね。見てないな」

「ありがとうございます」

 手早くお礼を言うと林原は次の生徒へと尋ねる。
 数名の生徒に確認をしたところ、晶希を見た生徒を見つけることが出来た。
 その生徒いわく。

「あの白い髪はたぶん白雪姫だったと思う」

「どこへ向かってたか見ましたか!?」

「うーん……なんか裏門のへ行ってたっぽいけど」

 その言葉を信じて、林原は靴を履き替えると脱兎のごとく駆け出した。
 雨はまだまだ降り続ける。
 額に張り付く髪が気持ち悪い。
 重さを増すばかりの制服が鬱陶しい。
 不快指数は留まることを知らないが、林原は美術を横目に裏門へと続く道へとたどり着いた。
 もちろん、そこにあの姫様の姿はない。
 ないのだが。

「思えば、僕とあいつの接点はここだったか」

 迷いなく脇道へと逸れる林原。
 背の低い草木を分け入って見ればその先にあるのは木立と東屋のようなもの。
 林原は視線を左右に振りながら木立の中にある東屋へと向かう。
 東屋へたどり着くと林原はほっと一息ついた。
 とりあえず、雨の中の強行軍を一時的に休憩できるからだ。
 冷静になって無駄な行動は控えるべきだ。
 一時でも体を休める機会を得た林原は晶希がどこにいるのかを考える。
 雨の音が遠く遠く、思考の海へと潜っていく林原の耳にどこか聞き慣れた声が聞こえてきた。

「?」

 林原がたどり着いた東屋は立方体のそれだが、真ん中は仕切りがある。
 だから、林原は反対側へと向かってみた。

「はぁ……」

 そこには体育座りで震える晶希がいた。
 顔は太ももに埋め、林原が来たことに気づいていないみたいだった。
 近くに放り出されているスケッチブックは雨に濡れたのかふにゃふにゃだ。

「雨が……雨が……」

 晶希の口から漏れているであろう言葉はまるで呪詛のようだった。
 黒々しい呪いが染み出すようにその声は林原の耳に侵入する。
 触れてはならないなにかだと、林原は足を一歩戻そうとした。
 しかし、そこにいるのは紛れもなく。

「……瑞浪晶希」

 名前を呼ばれたのか晶希はがばっと顔を起こした。
 そこに見知った顔があることを知り、晶希は真っ青な顔に涙を潤ませる。

「りんぢゃあん」

 そこに居たのは顔をくしゃくしゃにした白雪姫。
 林原は見つかったことに安堵して、ほっと一息ついた。
 そんな林原に体当たりするように晶希は抱きついた。

「ちょ!?」

「りんぢゃん!」

 既にびしょ濡れの制服がさらに濡れる。
 林原は倒れ込みそうになる体を腕で支える。

「……なんでこんなところにいるんだ?」

「だって、だって……雨が」

「雨、ダメなのか?」

「うん……私、雨はダメなの……なのに降ってきちゃったから……お兄ちゃんとか、誰かと一緒なら大丈夫なんだけど……」

 世の中には、雨恐怖症、と呼ばれる症状がある。
 それはそれは珍しい恐怖症であり、雨に触れることや音を聞くだけで恐怖を抱いて動けなくなるというものだ。
 どこかで聞いたようなそんな豆知識を林原は思い出していた。

「……悪かった」

「ふぇ?」

「無駄だとか言って……僕が言い過ぎた」

 素直に言えず、林原は明後日の方向を見ながらそう言葉をこぼした。
 林原は間違えているとは思わない。
 思わないが、言い過ぎることが正しいことだとも思えなかったのだ。
 誰かを傷つけることが正しいとは思えない。
 林原は、そう思ったのだ。

「ううん。私こそごめんね……でも、りんちゃん勉強ばっかしてるとバカになるよ?」

「謝る気ないだろ……」

「うへへー。そんなことないないよ」

「なんだその魔法の呪文みたいな言い回しは」

 はぁ、と安堵の息を漏らす林原。
 僕らはまだ子供で。
 どっちが正しいとか。
 どっちが間違っているとか。
 賢いやり方だとか。
 愚かな生き方だとか。
 そんなことはわからないのだ、と。
 林原は晶希を見て思ったのだ。

「じゃ、りんちゃん。帰ろ?」

「ああ……って」

 体を離した晶希の服が透けて見えてはならないものが。
 林原はさっと上着を脱いで晶希に手渡した。
 晶希は首を傾げている。

「りんちゃん寒くないの?」

「いいから!」

 晶希が装備をしたところで林原はようやく晶希の方へと視線を向けることができる。

「さて、帰るか……その前に先生に連絡だな」

 ポケットからスマホを取り出してリダイヤルで先生へと電話を繋げる。

『見つかったか!?』

「はい。学校にいました」

『分かった! 移動できそうだったら美術室で待っててくれ』

 短いやり取りで手早く終わらせて、林原は晶希がくんくんと林原の上着の袖の匂いを嗅いでいるのをやめるように嗜める。

「全く……僕は何をやってるんだか……」

 スマホで時刻を確認すれば塾の授業開始時間間際だった。
 今から向かっても間に合うわけがない。
 そもそも、こんなびしょ濡れの時点で入館拒否だろう。

「さー帰ろー」

 先程までの全てが嘘であったかのように明るい調子で晶希はそう言い、スケッチブックを拾う。
 そのまま空いた方の手で林原の腕を引いた。

「お前……はぁ……もういいか」

 追求は諦めて、林原は腕を引かれるまま東屋の外へと出た。
 雨が止む気配はない。
 二人の間を結ぶ両手を水が伝った。




(Your choices will make your worlds)

26日前 No.6

光心 @kousinn ★2ygXqa1xRm_mgE

<あとがき>

 どうも、3ヶ月ぶりでしたね。
 光心です。

 つわけで、完結としました。
 メモにも書きましたが、本来はこの後に3つ程話を続けるつもりでした。
 つもりでしたが、ちょっと色々と諸事情があり、ここで完結と致します。
 一応、続きとしては、
 「林原の過去」、「晶希の過去」、「将来について」の感じで3話分続ける予定ではあったんですけど……
 まあ、そういうわけなのです。

 今回、三人称視点と一人称視点の綯い交ぜで書いたのですけど、
 どうなんでしょう?
 自分としては書きにくい部分も書きやすい部分もあったんですけれど、
 読みやすいかどうかは別問題だよなーと思っております。
 とりあえず、SSくらいは常に書き終えなければ、という責任はあったので完結させることは出来ました。

 リアルの忙しさもあるんですけど、どうも受信ばかりしていたせいで発信能力が下がっていたような気がしていて、
 それも今回書いて少し勘を取り戻せそうです。
 なので、近々長いシリーズを書こうと思っていますが、
 本当に書けるのかどうかは別問題というやつで……まあ、気長にのんびりとやることにします。

 というわけで、以上です。
 では、またどこかでー。

26日前 No.7
ページ: 1

 
 
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