Google
    
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▼ページ下 >>

ずんだ餅セレナーデ。

 ( SS投稿城 )
- アクセス(177) - いいね!(8)

立川寿限無 ★n5nvjwNlfC_MXH

 つまるところ、今日という一日を終えるにしては最低すぎるままであった。電車の窓には暗くなった町が引きずられていく。三上はただそれを見送るだけしかできなかった。鬱屈する気持ちを解放させるでもなく、吐露するわけでもなく、ただ一人生暖かい座席に鎮座して、向かいの窓に映る景色をただ眺めた。
 いつもいつもそんな日が続いているわけではない。三上にとっては、逆に毎日続いてほしいぐらいだ。そうすれば「慣れ」が出て来て、うまい具合に渡る世間を気持ちよく渡っていけるものも……。
 東京に出て来て、あれよあれよと働かされて今ここ。三年経って三上が手にしたのは、着慣れたスーツと疲れやすい体だった。ついでに「何のために生きているのだろう」というネガティブな気持ちも入手した。
 しばらくして到着した駅には、群衆と共に女性と5歳ぐらいの男の子が手をつないで入ってきた。親子だろう。息子は三上の隣に座り、母親はその対面に座った。何か話すでもなくお互いを見つめ合っているようだった。
 すると、その少年の前に一人の老人が立った。いや、正確には三上と少年との間だ。三上はハッとした。譲らねば。そんな気持ちがなぜだか働いた。あわよくば子供の見本になれば。そしてあわよくば、この女性に「ありがとう」の一言を……。

「お席にどうぞ」

 男の子は老人の隣に立つと、控えめでどこか緊張した表情で言った。スーツ姿の、間違いなく会社の上役であろうその老人は、ニッコリとほほ笑むと、少年のクリンクリンの坊主頭を撫でた。

「ありがとう。でも、次で降りるからいいよ。それにしても偉い子だな。将来は立派な大人になるぞ」

 老人の声は優しかった。それは三上が心から驚くほど。もう、二度と聞けないと思っていた。心の底からそう思っていた声だった。少年はちょっと困ったような表情だったが、なんだか納得した様子で席に座った。そしてまた母親の顔を見つめると、その女性は「よくやった」と言うように親指を顔の横で立て、それはそれは、明るく微笑んだ。安心したのか、少年も屈託なく笑った。
 その一連の流れ。心を洗い流すかのような流れの中で三上は取り残された。間違いなくその気持ちに間違いはなかった。三上は驚きを隠せず、ついでに少しばかりの絶望も隠しきれていなかった。もう、景色を見る気にもならなかった。

 膝と膝の間を眺めながら三上は考える。俺はこの少年より、あらゆる面で劣っている。席を譲らなかったからではない。いや、それもあるかもしれないが。彼は俺の摺り減らしてなくなった心のある一部分を持っているようだ。それは決して失ってはいけない。しかし、成長する過程で高い確率で失われていくもの。かけがえのない「それ」を持っている少年は、間違いなく俺より上だ。
 最後にあんなふうに褒められたのはいつだろうか。それはそれは遠い昔。三上がまだ上京していないころのこと。少年が持っていたものを、まだ三上も持っていたころのこと。
 なんだか異様に悲しくて、情けなくて、寂しくて。とてもじゃないが家には帰れない。下を向いていたら泣きそうになったので、顔をあげた。

「あ……」

 ぽかんと開けた口から音のように声が零れ落ちた。いつの間にか数駅またいでいて、あの親子もあの老人もおらず、車内には三上と数人。そして何よりも彼にそんな声を出させたのは、車内を右から左にまっすぐと進む「ずんだ餅」の存在だった。
 ずんだ餅が空飛んどる……。誰も気付いていないのか、その光景に目を奪われているのは三上だけだった。ずんだ餅はそのまま隣の車内の方へと消えていった。

 よく、祖母がずんだ餅を作ってくれた。正直餅は好きではなかった。なんだか喉に詰まりそうで。でも、祖母が「腹減ったろう」と差し出すずんだ餅は、するりと喉を通った。「よく食べるねぇ」とくしゃっと笑う祖母のまぶしい顔を、三上は思い出した。なんだかもっと喜ばせたくて、ぱくぱく食べてぶよぶよ太った自分も思い出した。三上が家に訪れるとそれだけで何だか嬉しそうな祖母。三上を「存在」というレベルで認めてくれた、おそらく唯一の人。

 今はもうこの世にはいない祖母。それと共に消えたずんだ餅の存在。ゆっくりのんびりと浮遊するずんだ餅を、三上はただじっと見送った。
 愛しのあの日々はもうない。かなり前に死んだ。しかし、三上は死にそうな毎日の中で、一瞬、ほんのひとかけらの愛を取り戻したようだった。窓の外で流れる景色は、しだいに速度を緩めていった。
 到着したのは三上の最寄り駅。人気のないホームからひょうっと入ってくる寒気が、三上を現実へと引き戻した。
 立ち上がり、電車を降りる。しかし、その足はすぐには動かなかった。ドアが閉まる。もうすぐ電車は出発する。ずんだ餅を乗せて。いや、まだ乗っているのか?最初からあったのか?そんなことはどうでもいい。

 また、会えたら。
 そんなことを思い、ようやく三上は歩き出した。そろそろ明日も近い。明日は明日の風が吹く。電車もホームを離れていった。スーツ姿のしがないサラリーマンと、彼の思い出らしきものを残した鉄くずを見送るようにホームに響いた。
 ずんだ餅セレナーデ。

ページ: 1

 
 
<< TOPページ 掲示板TOP 記事データ お知らせメール ▲ページ上 >>
★必ず ローカルルールメビウスリングのルール をご覧ください。
 ▼スタンプ▲スタンプ
※スタンプはいちどに 3個 まで使えます  ×閉じる