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花と八重歯

 ( SS投稿城 )
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ひろり @yryr ★iPhone=KcDG5Z1SuA

なんでもない日に、一番似合う花をプレゼントすること。

箇条書きされたやりたいことリストの、最新の項目。今朝、目を覚ましたとき、なぜか頬が濡れていた。あと、花を贈りたくなった。彼に。だから、起き上がるよりも先に、枕元に置いてあるメモ帳に書き付けた。
彼にいちばん似合う花はなんでしょうか。
今日は、歯医者さんに行って、買い物をして帰る予定だ。彼は確か、サークルの人との飲み会があったはずだ。だから、今日はなんでもなくない日だ。花をプレゼントするのは、今日ではない。そんなことを考えながら身支度をしていく。白いブラウスに、深い緑色のスカートを合わせて、上からグレーのコートを羽織る。財布と携帯しか入らないような小さな鞄を持って、玄関先の姿見に映る自分を見て笑う。7センチのヒールは、脚のラインをいちばん綺麗に見せてくれるらしい。今日も最高にキマっている。
玄関を出ると、冷えた空気がわたしを包んだ。この時期の朝はいつもシャンと背筋が伸びる思いがする。ゆっくり深呼吸をすれば、からだの隅々まで新しい、冬の朝の空気に入れ替わっていった。空は曇り。帰る頃には雪が降るかもしれない。

月に一度、歯を診てもらうのは幼い頃からの習慣だ。大学に合格して、今の土地に引っ越してきてからも、欠かさないようにしている。下宿先の決め手は、歯医者さんと、初老の夫婦が営んでいる可愛らしいパン屋さんが近いこと。大学まで自転車で15分かかるけれど、なかなか気に入っている。歯医者さんもパン屋さんも、通い詰めているのでもうすっかり仲良しになった。
「ゆかりちゃん、歯、きれいだねぇ」
口をあけたまま喋ることはできないので、先生を見て目を細める。元々電気が眩しくて目を細めているので、さらに細まった目はきっと糸のようになっている。先生は一本一本丁寧に歯を診ていく。時折、小さな鏡のついた器具が舌を押さえるのがひんやりして気持ち良い。
ここの先生は、歯の診察をしながら全く関係ないことを話してくれる。先生の娘さんのこと、わたしの通う大学の学生のこと、昨日の夕飯の話。今日は、わたしの恋人の話だった。
「彼、この間来たけれど、八重歯がかなり鋭くてね。矯正した方がいいですかって心配そうにしてたけど、そのままでいいよって言っちゃった」
ゆかりちゃんがいつも、八重歯を愛おしんでるから、削らなくてもいいかなって思ってね。
それを聞いて、わたしは嬉しくなってしまう。わたしの大好きな彼の八重歯。口を閉じていても、そこだけ少し盛り上がっていて、たまにチロチロと見えるのがとっても愛らしい。鋭くて、彼の八重歯で何度か口内を傷つけているのだけれど、その傷すらも愛おしかった。
診察が終わって会計をするときに、花をプレゼントすることを話すとそれはいいねと褒めてくれた。八重歯の彼によろしくね。手を振る。

帰りに寄ったデパートの中の花屋さんで、色とりどりの花を見た。ケースの奥にある花も、ポットから伸びる花も、生き生きとしていて美しかった。名前も知らない花の、大きな花弁が水を弾いて、光は反射している。店員のお姉さんが、プレゼント用ですかと尋ねてきたので、頷いて、いちばん似合う花を探していますと答えた。素敵ねと彼女は笑う。考えれば考えるほどわからなくなって、一本だけ、控えめな白い花を買った。プレゼントするには中途半端で頼りなかったので、自分の部屋に飾ることにする。
デパートを出ると弱い雪が降っていた。こちらは雪が降らないといろんな人から聞いていたけれど、今年はどうやら例外のようで、ここで雪を見るのは3回目だった。ふと携帯を見て彼から不在着信があったことに気づく。花を選ぶのに夢中で着信に気がつかなかったようだ。折り返しの電話をかけると、彼はワンコールもしない内に電話に出た。
ゆかりさん、夕飯一緒に食べませんか。
友人の体調不良のせいで、飲み会は延期になったのだと彼は言った。わたしの家に来るように伝えて、電話を切る。彼とわたしは同じ学年だけれど、年はわたしの方がひとつ上なので彼はいつも敬語を使う。最初はさみしかったけれど、今はもう、彼のやわらかな言い方でからだが慣れてしまっている。

夜、夕飯の支度をし終わったと同じくらいに、ちょうど彼が家に来た。ロックを外すと、彼と一緒に外の冷たい空気が舞い込んで来た。こんばんはとはにかむ彼を見て、わたしも口角が自然に上がる。外はもう積もり始めているのか、ズボンの裾が濡れていた。肩にうっすら乗っている雪を払いながら、良いタイミングだね、もうあとは並べるだけだよと言うと、彼はまた嬉しそうに頬を緩ませた。ちらりと見える八重歯が、わたしは大好きだ。
「花ですか」
席について、テーブル上の空き瓶に活けた花を指して何の花かと彼が首を傾げて聞く。わたしは笑って、知らない花だと答える。君のために買ったのだとは言わないでおく。結局、彼に似合う花が何か分からなかった。また今度、次は二人で花屋に行こうと思う。わたしは彼に、彼はわたしに、いちばんに合う花を贈り合うといい。
「キスをしませんか」
彼にねだると、頬を撫でて、そのままゆっくり唇を重ねられた。外気に当てられた冷たい唇。八重歯が唇に当たる。背筋が震えた。
二人で花屋に行こうと提案する。やりたいことリストの、いちばんめの項目なのだと教える。素敵だね、と彼。八重歯がちらりとのぞく。

メモ2017/03/08 00:23 : ひろり @yryr★iPhone-KcDG5Z1SuA

キャスフィのコンテストに応募したものを加筆修正したものです。

関連リンク: 悪とは 
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激流朱雀 @suzaku1☆92ueQETlAOJB ★xUk9TgrSTY_cYm

面白かったです!
なにより言葉選びと雰囲気が好きです。
タイトルテーマが作中に綺麗に落とし込んでいて読んでていいなぁって思いました。

14日前 No.1
ページ: 1

 
 
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