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タワー

 ( SS投稿城 )
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立川寿限無 ★n5nvjwNlfC_MXH

 付き合って三年。なんだかよそよそしい美香の彼氏の健二がよりいっそうによそよそしくなり、そして同居部屋に帰るのが遅くなっていた。定時に仕事を切り上げる健二が帰ってくるのは、日が沈む間際の夕刻。美香は同じ時間帯で、いつもはマンションまで二人で帰っていた。
 とりとめもない会話をしながら帰るのは、健二がどう思っているかは知らないが、美香は好きだった。なんだか幸せってこういうことなんだと実感できているような気がして。
 そんな毎日を最近はおくれていない。近頃は部屋で健二の帰りを待つのみ。あまりにも遅いので夕食を作るのだが、得意じゃなかった料理も今ではそつなくこなすことができてしまう。嬉しいが、やはり前の方がよかった気もする。なんだか複雑である。
 そして、しつこいとはわかっていても聞いてしまう。

「何してたの?」

 出来るだけ穏やかなトーンで、かつ、厳めしさもあるように。を、心掛けているのだが、はたしてちゃんとできているのかはわからない。

「いやぁ、ごめんごめん。忙しくって」

 間の抜けた返事をしながら、頭をかく健二。靴を脱いで、きちんと並べ、美香の前を通りすぎてコートをハンガーにかける。香水の匂いはしない。
 優しい性格の健二に疑いの目を向けるのは心が痛む。しかし、突然忙しくなり、いつもの優しさもグレードアップして、逆に他人行儀に感じる。彼がなにか隠していることは、ジブリ映画好きの美香でもわかることだった。
 しかし、美香には彼を深く詮索するほどの勇気はなかった。健二にはその優しさから、相手に一種の罪悪感を持たせて、強く出させなくさせる支配的な何かが備わっていた。
 だが、直接聞く勇気がない美香には、調査する勇気はあった。健二の仕事が終わる時間帯―今まで二人で帰っていた時間帯に、いつものように美香は部屋で待つことはせず、外に出た。

「やっぱり……」

 美香の口元から洩れる声は、健二には届いていない。それも、美香が彼に見つからないよう、後方離れたところからつけているからだ。ここから女のところにでも行くのだろうか……。そう考えると部屋に戻りたくなる。しかし、ここまで来てしまった以上戻るのは馬鹿らしい。美香は決心し、足を踏み出した。
 ゆっくりとした足取りで、健二が歩みを進めていった方向は東京タワーの中だった。ここで待ち合わせかと美香は予想すると同時に覚悟した。そして、その時が来たら言うのだ。健二は私の彼氏だと。
 そこまで考えた時、急に健二が後ろを振り向いた。不意をつかれた美香は隠れることもできず、情けなく健二と目を合わせてしまった。人もまばらな東京タワーの中。足音だけが響く構内で、見つめ合う一組の男女。
 最初に口を開いたのは健二だった。

「いつかこういうことが来ることは思っていたよ。美香、ついてきて」

 特に動揺することもなく、それこそ彼の言葉通り、すべて予想していたかのようだった。優しく促された美香はただただ従うしかなかった。

 彼が案内したのは東京を一望できるテラス。夕日が町を覆うその光景を彼は眺めていた。その横顔は深い憂いを帯びていた。美香ははっと気づいた。この感じ、知っている。この感じは……。

「美香。俺と別れてくれないか」

 美香は目を閉じて、深く深呼吸をした。彼女は知っている。別れを切り出される間際の感覚。高校時代に痛いほど経験した。まさか、社会人になってまた経験するとは。
 泣きたくなる気持ちを抑えて、美香は口を開いた。今度は「穏やかなトーンで〜」なんて微塵も気にせずに。

「どうして」

 低く地を這うようなその声は、健二の心をグサリと刺した。しかし、健二はそれを表情に出さず、淡々と答えた。

「好きな人が出来たんだ。いや、正確には好きな人がいたんだ」
「どういうこと」
「つまり、君とこうして付き合う以前から、俺には愛する人がいた。それが」

 そこまでいうと、健二は手すりに手をかけた。

「この人だよ」

 彼の目線は、その勢力を弱めていくかのように黒く染まっていく夕刻の空へと向けられていた。美香は理解できなかった。この人とは?いったいどこにいるのだろう。
 きょろきょろと周りを見渡す美香に健二は微笑みながら言った。

「東京タワーだよ。俺は東京タワーが好きなんだ。それはおもちゃやゲームに対する好きじゃない。君がおそらく僕に向けていたような『好き』という気持ちだよ」

 美香は健二の方に向きなおった。健二は愛らしい動物でも見るような優しい目をしていた。


 健二と別れて、美香は東京を離れた。彼が愛した東京タワーは来月には取り壊されるそうだ。あのときもうすでに、健二はこのことを知っていたのだろう。東京タワーとの最後を……いや、恋人との最後を彼は正直な気持ちで過ごしたかったのだ。

「でも…やっぱり辛いな……」

 ぽつりと言葉が漏れる。涙は流れなかったが、美香の心には冷たい風が吹いていた。そして、その目の先には、あの日のような夕焼けが輝いていた。

「また、ここに戻ってくるなんてね。都合のいい女だなんて、思っているでしょう?」

 悪戯っぽく聞く美香。その声は、神戸の港に佇むタワーへと吸い込まれていった。たった一人、ポートタワーの中でかつての恋人と過ごすこの時間は、健二と共に歩いた帰り道のような感覚だった。

関連リンク: 池袋奇譚 
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